1節:日照りのことについて、エレミヤにあった主のことば。
・日照り(干ばつ)・・ヘブル語では複数形なので、たびたびの日照り、干ばつの意味。
・日照り、干ばつはモーセの律法違反の際の裁きに用いられる。
●申11:16~17、28:23~24、レビ26:19~20参照
・たびたび→実際のたびたびの干ばつ→度重なる捕囚を思わせる。
2節:「ユダは喪に服し、その門は打ちしおれ、地に伏して嘆き悲しみ、エルサレムは哀れな叫びをあげる。
・喪に服し→干ばつの影響で多くの死者が出ることを示す。
・国全体が葬儀の様な悲しみとなり、荒れ果てた状態となる。
3節:高貴な人は、召使いに水を汲みに行かせるが、彼らが水溜めのところに来ても、水は見つからず、空の器のままで帰る。彼らは恥を見、辱められて、頭をおおう。
・「高貴な人」・・富裕層、お金持ち、上層部を指す。
・下の者に水を汲みに行かせるが、貯水池に行っても水がなく、手ぶらで帰る。
「召使い」の訳は、(へ)では「小さいもの」の意味。珍しい表現とのこと。48:4
・彼らは水が得られず、恥を負い、辱められ頭を覆う。
・お金があっても、水そのものがなく、高貴な人でさえ頭を抱えることになる。
・私見・・偶像に頼る富裕層の言われたことに従う民は、恥を負うことになる。
➥上層部は民を迷わし、恥じ入ることになる。(救いにも繋がらない)
4節:地には秋の大雨が降らず、地面は割れて、農夫たちは恥を見、頭をおおう。
・「秋の大雨」・・はじめの雨。農家には欠かせない雨。神の祝福がないことを示す。
・農夫の生計が立たず、国の経済状況は悪化の一方。国力は低下する。
5節:野の雌鹿さえ、子を産んでも捨てる。若草がないからだ。
6節:野ろばは裸の丘の上に立ち、ジャッカルのようにあえぎ、目も衰え果てる。青草がないからだ。」
・野生動物の世界にも、干ばつの影響は及ぶ。
・野鹿は、食べる草がなく、子を産んでも育てることが出来ない状態。
・野ろばも、食べ物がなく、餓えにあえいでいる様子。
・実際の干ばつの被害の激しさが示されている。まるで捕囚後の状態に似る。
※私見
・私見・・雌鹿や野ろばはイスラエルの民を指していると考える
・野ろばは偶像礼拝という淫行に走る例え(2:24)で用いられていた。
・裸の丘とは偶像礼拝の祭壇などが設置された場所を指す。
・偶像に祈っても地は回復せず、偶像礼拝者がうろたえている様子と考える。
7節:「私たちの咎が、私たちに不利な証言をしても、主よ、あなたの御名のために事をなしてください。まことに私たちの背信は大きく、私たちはあなたの御前で罪の中にいます。
・「咎」・・「罪」、「不利な証言」・・悪事の証言。
・過去の罪は、私達が悪であることを証明しますが、・・。
新共同訳・・「我々の罪が我々自身を告発しています。」
・神よ、あなたはその御名のために、良きことをなさってください。8節参照。
→神は良きことをなさる神だから、どうか助けてくださいという意図。
・民は、確かに神を欺き、まことに罪深き者であることは分かっております。・・それでも、どうか・・。
・まるでモーセのように、罪深い民の救いを神に求めて、執り成している。
8節:イスラエルの望みである方、苦難の時の救い主よ。どうしてあなたは、この地にいる寄留者や、一晩だけ立ち寄る旅人のようにされるのですか。
・「苦難の時の救い主よ」・・苦しい時にこそ助けてくださる神よ!
→エレミヤは、裁きの神ではなく、希望の神である点に訴えている。
・神とイスラエルの民は、かつて契約をも結んだ関係ではありませんか!
→寄留者との比較。
9節:なぜ、あなたは驚いているだけの人や、人を救えない勇士のようにされるのですか。主よ。あなたは私たちのただ中におられ、私たちはあなたの御名をもって呼ばれているのです。私たちを置き去りにしないでください。」
・「驚いているだけの人」、「人を救えない勇士」、どちらも傍観者を指す。
・「あなたの御名をもって呼ばれている民」の恥は、神の恥に繋がると指摘。
→神の民の恥、失敗は、神の恥ともなるのではありませんか?!
※どうか見捨てることはなさらず、大干ばつの苦しみを与えないでください。
10節:この民について、主はこう言われる。「このように、彼らはさまようことを愛し、その足を制することもしない。そのため、主は彼らを受け入れず、今、彼らの咎を覚えて、その罪を罰する。」
・エレミヤの執り成しに対する神の意向は・・拒絶。
・「さまよう」・・神に信頼せず、偶像たちにすがる姿。
・「足を制しない」・・偶像に頼る思いを持ち続ける姿。
→これらの理由から、神は民を受け入れられず、どうあろうとその罪を罰すると決定。
11節:主は私に言われた。「この民のために幸いを祈ってはならない。
・神はエレミヤに「この民のために祈ってはならない」と命じた。
・これで3度目の祈りの制止。(7:16、11:14)
・祈りが無駄になる理由が次節で示される。
12節:彼らが断食しても、わたしは彼らの叫びを聞かない。全焼のささげ物や穀物のささげ物を献げても、わたしはそれを受け入れない。かえって、剣と飢饉と疫病で、彼らを絶ち滅ぼす。」
・「断食も、律法に基づいた儀式も、一切受け入れない!」・・何故か?
※律法の犠牲のささげものは、信仰を伴う場合のみ受け入れられるもの。
彼らは犠牲をささげていれば罪が赦されるのだから、罪を続けることが出来ると考えて、儀式を守っていた。行いに注目が行き、信仰は無視されている。
私たちの賛美も礼拝も、正しい信仰が伴わなければ、神に受け入れられないことを覚えよう!
・その報いは、神による剣、飢饉、疫病であり、滅ぼされる。(ホセア8:13)
エレミヤの1回目の執り成しの祈りは、神に拒絶されたが、エレミヤは、13節以降、めげずに続けて2回目の執り成しを始める。
『優先順位』
・高貴な人が、水を求めても手に入らないという箇所。そもそも水がないから、いくらお金があっても、水を入手できない。お金で喉を潤すことはできない。
・すべて神が備えられた環境で富裕であることを誇っても、永遠のいのちに至る道を歩むためのいのちの水を得なければ永遠の苦しみに至ってしまう。その時が必ずやって来る。
・地上の人生を歩むうえで、私たちはすべての動機や行動に優先順位を設けなければならない。クリスチャンの優先順位トップは、水を与えてくださる神一択。決して、富や名声ではない。
・お金や地位、名声が悪いというのではなく、それを一番にすることが人生を混乱させることになる。世の中の誘惑は様々で優先順位を狂わせる。世に流されない歩みを目指して行こう。
「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」ローマ12:2