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・エレミヤ書1章1節~3節 後半
・エレミヤ書1章4節~19節
・エレミヤ書2章1節~19節
・エレミヤ書2章20節~3章5節
・エレミヤ書3章6節~25節
・エレミヤ書4章1節~31節
・エレミヤ書5章1節~31節
・エレミヤ書6章1節~30節
・エレミヤ書7章1節~15節+バビロン捕囚の表
・エレミヤ書7章16節~8章3節
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・エレミヤ書9章2節~16節
・エレミヤ書9章17節~26節
・エレミヤ書10章1節~16節
・エレミヤ書10章17節~25節
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・エレミヤ書16章1節~13節
・エレミヤ書16章14節~21節
・エレミヤ書17章1節~13節
・エレミヤ書17章14節~27節

メッセージ

エレミヤ書17章14節~27節

14節:「私を癒やしてください、主よ。そうすれば、私は癒やされます。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。

・14節~18節で、エレミヤの個人的な3つの嘆願を主に祈る。
・1番目の嘆願:「エレミヤの癒しと救いの嘆願」
・「唯一神だけが頼れる存在」と告白。「私の賛美」‥唯一の称える対象。

15節:ご覧ください。彼らは私に言っています。『主のことばはどこへ行ったのか。さあ、それを来させよ。』

・神に反する者たちの、エレミヤに対する声
・「神のことばはいつ成就するのか?」・・嘲笑している。
※エレミヤの預言活動開始から30年後に大規模捕囚(BC597年)が起こり、41年後に神殿破壊&捕囚(BC586年)が起こる。

16節:しかし私は、あなたに従う牧者になることを避けたことはありません。癒やされない日を望んだこともありません。あなたは、私の唇から出るものが御前にあることをよくご存じです。

・エレミヤは、自分が預言者として正しいということを、3点挙げて説明する。
①預言者という働きを拒否しなかった。
②「癒されない日」・・大規模破壊(捕囚、壊滅的破壊)を望む気持ちはない。
③神のことばを忠実に預言してきた。神こそがそれをご存知です。
※これほど預言者として忠実ですから、どうぞ救い、癒してください、と語っている。

17節:私を恐れさせないでください。あなたは、わざわいの日の、私の身の避け所です。

・2番目の嘆願:「安全、守りの嘆願」
・恐ろしい目に合わせないでください。神は自分の「避け所」と告白。

18節:私を迫害する者たちが恥を見て、私が恥を見ることのないようにしてください。彼らがうろたえ、私がうろたえることのないようにしてください。彼らの上にわざわいの日を来たらせ、破れを倍にして、彼らを打ち破ってください。」

・ 3番目の嘆願:「敵(偽預言者たち)への報復の嘆願」
・「私を迫害・・」第1文:エレミヤを責めるのは預言者、祭司たち。
※今は彼らがエレミヤを責めているが、これが逆転し、彼らが恥を見る様に。
・「彼らがうろたえ、・・」第2文:預言が成就して、暢気な彼らがうろたえる様に。
・「彼らの上に・・」第3文:彼らに災いを与え、罪に応じた倍の裁きを与えてください。
☆エレミヤへの迫害は相当厳しくなっていた。命の危険があるほどと想像。
※11章21~23節の暗殺計画は翌年の出来事。


☆迫害する者たちに罪悪感はなく、むしろ正義を振りかざしていたと想像される
裁きの主権は神にある。その思いを前提として、敵への災いを祈っている

19節:主は私にこう言われる。「行って、ユダの王たちが出入りする、この民の子らの門と、エルサレムのすべての門に立ち、

・神はエレミヤに、メッセージを語る場所を指定する。
・場所は王たちが、そして民の全てが出入りする門→エルサレムの全ての門。
※エルサレムの全ての門
●歴代の王たちが、エルサレムに入った門
●一般の民も利用するすべての門

メッセージを語る対象は、王から一般の民、全員。


20節:彼らに言え。『これらの門の内に入るユダの王たち、ユダ全体、エルサレムの全住民よ、主のことばを聞け。
21節:主はこう言われる。あなたがた自身、気をつけて、安息日に荷物を運ぶな。また、それをエルサレムの門の内に持ち込むな。

・メッセージの対象は王も含めたエルサレムの全住民。彼らに指示が示される。
・安息日規定に従うようにとの指示。私見・・とくに商売を優先する規定違反であろう
・「あなたがた自身」→(へ)nephesh・・「魂」の意味。ほかに「命」、「心」など。
 ※ (ユダヤ人)魂を保ち、守れ((へ)samar)!・・モーセの律法を思い起こせ!
・モーセの律法によれば、安息日に荷物は運ばない。働かない。出エジ20:8~10

22節:また、安息日に荷物を家から出すな。いかなる仕事もするな。安息日を聖なるものとせよ。わたしがあなたがたの先祖に命じたとおりだ。

・更に安息日の徹底を促す。安息日の聖別の指示。先祖に命じた戒め通りに!
・家から荷物を出さない・・仕事をしないという事の徹底。

23節:しかし、彼らは聞かず、耳を傾けず、うなじを固くする者となって聞こうとせず、戒めを受けなかった。

・彼ら(前節の先祖たち)はこの命令を聞かず、この戒めを受けることは無かった。
・世に流され、律法を守る思いは全くなかった。
※律法離れ、神離れの堕落ぶりは、目を覆うほどに深刻。

24節:もし、あなたがたが、本当にわたしに聞き従い──主のことば──安息日にこの都の門の内に荷物を持ち込まず、安息日を聖なるものとし、この日にいかなる仕事もしないなら、

・「もし、・・安息日を守り、仕事をしないなら・・」‥これは神の期待。
※この時代の全員(王から一般人)に語っている。
・「この安息日の規定だけでも守るなら、」と。
※「民が律法に、つまり神に立ち返る気持ちがあるなら・・」と語られる神。
 これは、特定の祝福があるということ。イザヤ58:13~14。
※民に、神に立ち返る悔い改めの兆しが見えれば、という神のあわれみ!   

25節:ダビデの王座に就く王たちや、車や馬に乗る首長たち、すなわち王たちとその首長たち、ユダの人、エルサレムの住民は、この都の門の内に入り、この都はとこしえに人の住む所となる。

(26節まで、安息日遵守に対する特定の祝福が示される)
・ダビデの王座の継続・・南ユダの存続。
・すべての門が王や首長、一般人を守る。町が堅固になり守られることを示す。
・都市エルサレムは、長い間(17:4、olamに同じ)人が住む地となる。

26節:ユダの町々やエルサレムの周辺から、ベニヤミンの地やシェフェラから、また山地やネゲブから、全焼のささげ物、いけにえ、穀物のささげ物、乳香を携えて来る者、また感謝のいけにえを携えて来る者が、主の宮に来る。

・周辺諸国は、エルサレムにいけにえを携えて、主の宮に来る。
・神殿が礼拝の中心となり、神が崇められる。
※あくまでも限定的な祝福であるが、かつてない内容。

27節:しかし、もし、わたしの言うことを聞き入れず、安息日を聖なるものとせず、安息日に荷物を運んでエルサレムの門の内に入るなら、わたしはその門に火をつけ、火はエルサレムの宮殿をなめ尽くし、消えることがない。』」

・しかし、神のことばに逆らい、安息日を汚し、荷物をもって門を出入りするなら・・
・消えない炎により、門をはじめ宮殿もろとも破壊する。
※安息日遵守の重要性が浮き彫り。守れば祝福、反すれば破壊。(捕囚)
※大捕囚前の民への、神の大きな譲歩。気付きの促し。しかし、気付かぬ民。
※エレミヤの嘆願を聞くわけではないが、結局のところエレミヤの嘆願通りになる。

捕囚期間中、安息日は規則正しく守られたとされるが、ネヘミヤ記(13:15~、BC445~)で、守られていないことが記されている。中間時代は守られたが・・

 

『安息日とイエス様』

・安息日の遵守の必要性が示された。安息日を守るようにと厳命されましたが、イエス様は、「安息日は人間のために設けられた・・マルコ2:27」と説明されました。肉体的、霊的安息の必要性。

・新約時代は、人々が神への真の信仰によって生きることを、神が期待されます。決して規則、規定によるものではありません。規則規定があれば、罰則があり、これらに縛られる人生となります。
・イエス様はこれらの縛りから私たちを解放してくださり、更に未来の栄光の人生を約束し、聖霊を与えられました。イエス様はこう言われます。「人の子は安息日の主です。」 ルカ6:5。
・今、私たちはイエス様という安息をめざしています。この時代の肉の束縛から解放されて、真の安息、千年王国、新天新地という栄光の人生を歩んでいるのです。
「したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残されています。神の安息に入る人は、神がご自分のわざを休まれたように、自分のわざを休むのです。ですから、だれも、あの不従順の悪い例に倣って落伍しないように、この安息に入るように努めようではありませんか。」ヘブル4:9~11

 

エレミヤ書17章1節~13節

1節:「ユダの罪は、鉄の筆と金剛石の先端で記され、彼らの心の板と彼らの祭壇の角に刻まれている。

・本来、神の民の心に刻まれるのは律法、神の教えでなければならない。
・しかし、この時代、彼らの心の板、そして祭壇の角には彼らの罪が刻まれている。
・鉄の筆、ダイヤモンドの先端で彫られている。内も外も偶像に侵されている。
 ※英語訳:鉄製のペン、鉄製の道具;火打石の先端、ダイヤモンドの先端
 ※罪とは偶像礼拝を中心とする神への反抗、または無視の姿勢。


2節:彼らの子たちまでもが、その祭壇や、高い丘の青々と茂る木のそばにあるアシェラ像を覚えているほどだ。

・彼らの子どもたちまでもが、アシェラ像という偶像を覚えるほどになっている。
・偶像が受け継がれている状態。→神よりも偶像が優先されている。

3節:野にあるわたしの山よ。あなたの領土のいたるところで犯した罪ゆえに、わたしは、あなたの財宝、すべての宝物を、高き所とともに、戦利品として引き渡す。

・「わたしの山よ」とは、エルサレムというより、シオン山(神殿の丘)を指す。
・民の罪の裁きとして、この土地と共に、財宝、宝がすべて敵の戦利品となる。

4節:あなたは、わたしが与えたゆずりの地を手放さなければならない。またわたしは、あなたの知らない国で、あなたを敵に仕えさせる。あなたがたが、わたしの怒りに火をつけたので、それはとこしえまでも燃える。」

・「手放さなければならない」・・(へ)shamat→落とす、休むを意味する。
●捕囚原因の一つに、安息年の違反がある。Ⅱ歴36:20~21
●7年に一度、1年間の安息を土地に与える定め。これが490年間守られず。
●490年÷7年=70年分の安息期間が必要→捕囚期間が70年間という事。
●ユダヤの民は土地の占有権と共に財産の剥奪、そして敵の奴隷となる。
・490年の起点は、士師記の後半からサウル王の頃と言われています。
・「とこしえまで」・・(へ)olamは、永遠というより、「長い期間」という意味。

5節:主はこう言われる。「人間に信頼する者はのろわれよ。肉なる者を自分の腕とし、心が主から離れている者は。

・神のことば。人に信頼することの愚かさ。
・(いずれ塵に帰る)人間((ヘ)adam)に信頼を置く人((ヘ)geber)は呪われる。[gever…人、男、勇士
 ※「腕」・・(ヘ)zeroah→腕、力を意味する。英語訳ではstrength(力、強さ)。
・「肉なる者を自分の腕とし」→「人を自分の力、頼りとし」・・人頼みは神離れ

6節:そのような者は荒れ地の灌木。幸せが訪れても出会うことはなく、焼けついた荒野、住む者のいない塩地に住む。

・「荒れ地の灌木」・・成長が阻害された低木。神に反するイスラエルの民。
・幸いは低木の上を通り過ぎる。木の根が神のいのちの水に届かず、成長できない地に生き続けることとなる。

7節:主に信頼する者に祝福があるように。その人は主を頼みとする。

・「その人は主を頼みとする」の中の「頼み」→自信、希望の意味。
・その人は、「主に信頼する者には祝福がある」という事を確信している。

8節:その人は、水のほとりに植えられた木。流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、実を結ぶことをやめない。

・詩編1篇3節が引用されている。
・「根を延ばし」(ヘ)shalach・・広がる、伸ばす、突き出す、という活発な動きの意。
・積極的に根を延ばし地下水を得て青々と成長する。
神に信頼する人は、このように豊かに成長する!

9節:人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒やしがたい。だれが、それを知り尽くすことができるだろうか。

・エレミヤの質問。または神がエレミヤの疑問を代弁。
・「ねじ曲がっている」・・(へ)akov・・詐欺の、ずるいの意。
・「癒しがたい」・・(へ)anash・・深刻な病、不治の病
 ※人の心は欺瞞に満ち、深刻な病の状態なのに、それを誰も悟ることが出来ない。

10節:わたし、主が心を探り、心の奥を試し、それぞれその生き方により、行いの実にしたがって報いる。」

・わたし、神は人の心が探れる。人の思い、動機、心の奥を知る神。
・そのわたしが、彼らの心を見て、生き方を見て、その実を確認する。
・その実に従って、神はその人に相応しい報い、すなわち裁きをする。
神はいつも人の内面を観察しておられることを忘れてはならない

11節:しゃこが自分で産まなかった卵を抱くように、公正によらないで富を得る者がいる。彼の生涯の半ばで、富が彼を置き去りにし、その末は愚か者に終わる。

・鷓鴣(しゃこ)と呼ばれるキジ科の鳥。(へ)qore・・(英)partridge キジ科。
・ヤマウズラ(鷓鴣鳥)とも呼ばれる。Ⅰサム26:20、二カ所。
・神が示す公正(福祉的内容、隣人愛)を怠って、富を優先する者。
神の民として持たなければならないものを捨て、愚かにも偶像の価値観を抱いて富を求めて生きる者への警告!
・愚かなヤマウズラは、自分のものではない卵(偶像)を抱えている。
フルクテンバーム博士によれば、ヤマウズラは別の鳥の卵を抱卵する性質があり、雛は成長してその親鳥から離れて行くとのこと。
・その富はたちまちその人から去り、最終的には愚か者であることに気付く。
神を見失った人の心は、富が失せてはじめて自分の愚かさに気付く。

12節:私たちの聖所がある場所は、初めから高く上げられた栄光の王座だ。

・「神の栄光の王座は、創造の前から高き所にある」と語るエレミヤ。
 ※人が存在する前から、神は存在されていた。改めて神の絶大なる存在を意識するエレミヤに、以前(15:18)のような懐疑的思いが入る余地はない。

13節:「イスラエルの望みである主よ。あなたを捨てる者は、みな恥を見ます。」「わたしから離れ去る者は、地にその名が記される。いのちの水の泉である主を捨てたからだ。」

・前半はエレミヤのことば。
・イスラエルがそんな神という希望を捨てることは危険である。→恥となる。
・後半は神のみことば。 「地に」→「地上に」「塵に」という意味。
・神から離れる者は皆、地に残されることになる。(地に名が記される)
 ※栄光の場所(メシア的王国)に行くことはできない。
・いのちの水→永遠のいのち(救いの源)である神を捨てたからである。    

 

『真の平和』
・17章5節で神は、「いずれ塵に帰る人間に信頼を置く者は呪われる」と戒められました。人が築こうとする平和の陰には利権が隠れ、個人の欲が蔓延り、結局のところ、平和など夢物語。
・人が平和を築こうとすると、その前に争い(戦争)ありきとなり、平和のためには戦いが必要、犠牲が必要という論です。となれば、平和を守るのも戦いとならざるを得ません。
・神が構築される平和には何の影もありません。神の栄光が真の平和、平安を生みます。人が平和と称して欲望を貪る世界で、神はこの平和実現に向けて歴史を展開しています。
・こうした神のご計画を知る神の子である私たちは、世の欲望や争いに振り回されず神を見上げる姿勢を保ち、神の道を見失わず、常に正しい一歩を踏み出して行きましょう。
「上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。
あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。」コロサイ3章2~3節

エレミヤ書16章14節~21節

14節:それゆえ、見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、もはや人々は『イスラエルの子らをエジプトの地から連れ上った主は生きておられる』と言うことはなく、

・「その時代が来る」・・「刷新された時代、新たな展開の時代となったら・・」。
・「出エジプトの出来事」→当時のイスラエルの歴史的最高点の出来事。
これまでは、「エジプトという一か所の地から救出なされた神」、と言っていたが・・

15節:ただ『イスラエルの子らを、北の地から、彼らが散らされたすべての地方から上らせた主は生きておられる』と言うようになる。わたしは彼らの先祖に与えた彼らの土地に彼らを帰らせる。

遠未来預言

・バビロンから、否!全世界から(離散した)民を約束の地に帰らせる。
新たな時代には、「全世界から救出し帰還させた神」と言うようになる。
・全世界→AD70年の離散と、メシア的王国(千年王国)の実現を指している。

 


16節:見よ。わたしは多くの漁夫を遣わして──主のことば──彼らを捕まえさせる。それから、わたしは多くの狩人を遣わして、あらゆる山、あらゆる丘、岩の割れ目から彼らを捕らえさせる。

「見よ」・・遠未来預言・・大患難時代)

・メシア的王国前の7年間の大患難時代預言と共に、近未来のバビロン捕囚預言。
・その時の反ユダヤ主義の預言である。
・漁夫、狩人のごとく、ユダヤの民を獲物として探し出させる。(反ユダヤ主義者たち)
※エゼキエル12:13、 ハバクク1:14~17(バビロン捕囚の時)
・民は隠れることが難しい状況となる。(DKNJとバビロン捕囚のユダヤの民の状況)

17節:わたしの目は彼らのすべての行いを見ているからだ。それらはわたしの前で隠れず、彼らの咎もわたしの目の前から隠されはしない。

・民は自分たちの罪は隠されていると思っている。(または、自分たちは正しいと)
・しかし、神はイスラエルの罪の全てを見て知っておられる。弁解の余地なし。
神を主体として歩むはずが、いつの間にか自分中心の歩みになっているユダヤの民
自己中の罠に要注意!

18節:わたしはまず、彼らの咎と罪に対し二倍の報復をする。彼らがわたしの地を忌まわしいものの屍で汚し、忌み嫌うべきことで、わたしが与えたゆずりの地を満たしたからである。」

・「わたしはまず、」→「初めにわたしは、・・こうする」・・メシア的王国に先立っての意。
・約束の地、神のゆずり地を蔑ろにした罪→その罪に対して2倍(2重)の報復をする。

19節:「主よ、私の力、私の砦、苦難の日の私の逃れ場よ。あなたのもとに、諸国の民が地の果てから来て言うでしょう。『私たちの父祖が受け継いだものは、ただ偽りのもの、何の役にも立たない空しいものばかり。
20節:人間は、自分のために神々を造れるだろうか。そのようなものは神ではない』と。」

・エレミヤの神をたたえる声。素晴らしい光景を見ている。・・神の義の成就。
・エレミヤは、異邦人の声をも代弁していることに注目。
・人間が神々を生み出すことなど不可能!すべて偽物であると告白する異邦人。
※異邦人が、過去を悔い改めている・・神の義の成就。

21節:「それゆえ、見よ、わたしは彼らに知らせる。今度こそ彼らに、わたしの手、わたしの力を知らせる。そのとき彼らは、わたしの名が主であることを知る。」

・神の宣言。遠未来預言。
・本物の神がその力を示される日が来る。DKNJの裁きも含めた神の力を知る。
・異邦人は真の神の力の絶大さを知り、本物の神を悟る。DKNJの通過者たち。

DKNJの裁きの後、本物の神を知るユダヤの民と共に異邦人もメシア的王国へ入る。

 

14節~21節までのまとめ  

■14~15節
・13節でイスラエルの民を裁くとされたが、一転して祝福を示される。
・メシア的王国の預言を示されている。最後は祝福する!!
■16~18節
・メシア的王国建国前に、徹底した裁きを下す!バビロン捕囚以上の裁き。
・大患難と呼ばれる裁きの時代が、ユダヤ人にそして異邦人に下る!
■19~21節
・DKNJの裁きを通過したユダヤ人と、異邦人がメシア的王国へ移される。
・神はDKNJの裁き、メシア的王国の建国においてその力と存在を示される!
私たちもこの恵みが約束されたひとり一人であることに感謝!

 

『私たちの価値の置き所』
・神は16章の最期に、異邦人をも含めた全人類の救いを示されました。エレミヤ書でも、異邦人の救いに触れています。全人類を視野に入れておられる神。
・イエス様の十字架による聖霊降臨の御業をきっかけとして、異邦人、すなわち全人類の救いの門が開かれました。その先には、素晴らしい約束が備えられています。
・この救いは、神の恵みによるもので、地上のどんな富によっても入手不可能です。なぜなら私たちの神は、地上のどんな富にも地位にも興味がありません。
・その恵みの価値を知れば知るほど、私たちは、感謝をもって神の子として相応しく歩もうとします。世の富が私たちの価値の置き所ではないことを知ったからです。
「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です。私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。」

テモテ第1 6章6~7節

エレミヤ書16章1節~13節

1節:次のような主のことばが私にあった。
2節:「あなたはこの場所で、妻をめとるな。息子や娘も持つな。」

・神はエレミヤに結婚禁止の指示を出す。
・当時の一般常識とは真逆!理由は3~4節。
※ホセアは結婚せよと命じられた。しかし、幸いなものではなかった。
・「この場所」とは、約束の地、イスラエルの地と思われる。祝福が失せた地となる。

3節:まことに主は、この場所で生まれる息子や娘について、また、この地で彼らを産む母親たちや、彼らをもうける父親たちについて、こう言われる。
4節:「彼らはひどい病気で死ぬ。彼らは悼み悲しまれることなく、葬られることもなく、地の面の肥やしとなる。また、剣と飢饉で滅ぼされ、屍は空の鳥や地の獣の餌食となる。」

・悲惨な状況が発生し、子孫繁栄は不可能となる。
・エレミヤの独身は、家族の死の苦しみの回避であり、民への預言的行動である。

5節:まことに主はこう言われる。「あなたは、弔いの家に入ってはならない。悼みに行ってはならない。彼らのために嘆いてはならない。わたしがこの民から、わたしの平安を、また恵みと、あわれみを取り去ったからだ──主のことば──。

・葬儀への参加の禁止。→イスラエルの伝統、常識に反する行為。
・葬儀の対象は、神によって裁かれた人々。→神の意向に反逆する者たち。
 ※そんな者たちへの弔問は不要!→エレミヤは神の預言者である。
・神の平安、恵み、あわれみを無視した結果、彼らには裁きが来る。
 ※偶像礼拝する者たちを非難している。

6節:この地の身分の高い者や低い者が死んでも葬られず、だれも彼らを悼み悲しまず、彼らのために身を傷つけず、髪も剃らない。

・この時、身分の上下に関わらず、偶像の儀式は普段のようには行われない。
※「身体に傷をつける」偶像の儀式⇒これは、律法の禁止事項(レビ19:28、申14:1)
※「剃髪」喪のしるしとして妥当な行為(アモス8:10、エゼ7:18)
※混乱した儀式も、大惨事が起きれば姿を消す。偶像礼拝には実体がない。

7節:死者を悼む人のために、葬儀でパンが裂かれることはなく、父や母の場合でさえ、悼む人に慰めの杯が差し出されることもない。

・葬儀のとき、パン裂きも、慰めの杯を出される習慣も行われない状況となる。
・とても厳しい状況が迫っている。

☆私見
・エレミヤに禁止事項を指示して、民が今後どうなるかを示された。
・エレミヤが関わるイスラエルの民のほとんどが偶像礼拝者たちであり、結婚式、葬儀となれば、偶像の礼拝、習慣が入り混じり、神にとっては不愉快なもの。
・神の裁きを無視して滅びに向かう愚かな民に、神の人エレミヤが関わる必要がないことを示唆したのではないかと考える。

8節:あなたは弔いの宴会の家に行き、一緒に座って食べたり飲んだりしてはならない。」

・葬儀の宴会への参加の禁止。イスラエルの伝統、常識に反する行為。
・葬儀の対象は、神によって裁かれた人々。→神の意向に反逆する者たち。
※そんな者たちへの弔問は不要!
※神が偶像礼拝する者たちを見捨てた宣言に思える。

9節:まことに、イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。「見よ。わたしはこの場所から、楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声を絶えさせる。あなたがたの目の前で。あなたがたが生きているうちに。」

・「楽しみの声」、「喜びの声」→結婚の喜び→子孫繁栄の喜び→絶えさせる。
・時期は?→「あなたがたが生きているうちに」→この時代の人々に体験させるということ。
※F博士は、「エレミヤの生きている間に」、と解説。
※新共同:「お前たちが生きているかぎり、」
※神の決定事項。

10節:「あなたがこの民に、このすべてのことばを告げるとき、彼らがあなたに、『何のために、主は私たちに、この大きなわざわいを語られたのか。私たちの咎とは何か。私たちの神、主に対して犯したという、私たちの罪とは何か』と尋ねたら、

・神が、3種の禁止事項をエレミヤに実行指示。
・それは、イスラエルの民への指示であることを意味する。
・民は、その実行命令に疑問を持つ。
①この大きな災いとやらが、何のために起こるのか?
②私たちの咎とは、そして罪とは何か?
➥民は自分たちの罪に気付けないほどに、異邦人化し、日常化していたことが分かる!

偽の神の民は、「エレミヤは偽物!」と言って、揶揄していたであろう。

11節:あなたは彼らにこう言え。『あなたがたの先祖がわたしを捨て──主のことば──ほかの神々に従い、これに仕え、これを拝み、またわたしを捨てて、わたしの律法を守らなかったことだ。
12節:さらに、あなたがた自身が、自分たちの先祖以上に悪事を働き、しかも、見よ、それぞれ頑なで悪い心のままに歩み、わたしに聞かないでいる。

・先ず、先祖が偶像礼拝に傾倒し、神と律法を捨てた。(特にマナセ王時代か)
・そして、この当時の民は、先祖以上に偶像に走り、神を無視している。
・神は、先祖以上に頑なに神を無視する民を裁くことを決定された。
 ※形骸化した民は、心の中に偶像を据え、自分勝手な価値観に浸っている。
神の裁きが決定的となった理由(F博士の意見)⇒申命記が見つかったことが関わっている
・申命記が見つかる以前→ヨシヤ王の前→律法を忘れていた時期。
・申命記が見つかった後→ヨシヤ王以降→律法を知っていながらの反抗姿勢。
※神はマナセ王の時に決まった裁きを、申命記を与え、強い意志で延期しようとなさっていた!

13節:それで、わたしはあなたがたをこの地から放り出し、あなたがたも先祖も知らなかった地に行かせる。あなたがたは、そこで昼も夜も、ほかの神々に仕える。わたしはあなたがたに、いつくしみを施さない。』

・「知らなかった地に・・」・・捕囚、離散が決定。昼夜、継続的に偶像に仕えることとなる。

ダニエル書のダニエルの3人の友の話からも強制的な偶像礼拝が推測できる
・ダニエルの3人の友以外は、偶像を拝めという命令に従っていた。
・この時以降も、同様の状況となっていたと推定
・神は、民に対して好意も恵みも示さず、慈しみは示さないと宣言された。
民がエレミヤに示された禁止事項を破るのは確実。その結果下される罰も決定している。

 

『平安への最善策』
・神はエレミヤを通して、神の民の証明である律法を守るな!と言われました。民は神の御心を悟らず、人の目ばかりを気にして外見は整え、それで良いと思っていました。
・現代は、私たちの内に聖霊が住まわれ、神に対しての言い訳は不可能です。心に律法が書き記されるという事は、こうした旧約の状況を一変する出来事です。
・心から信じて与えられた神の証印である聖霊。こうした神の御業を理解すれば、それが喜び、励みとなり、神が示されている道を力強く歩もうと思えるのです。
・イエス様が示される平安の道は、肉の私たちが自分たちの思いで築き上げられるものではありません。聖霊と共に、そして神と共に歩むことが平安に辿り着く最善策なのです。
「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのとは同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」ヨハネ14:27

 

エレミヤ書15章11節~21節

11節:主は言われた。「必ずわたしはあなたを解き放って、幸せにする。必ずわたしは、わざわいの時、苦難の時に、敵があなたにとりなしを頼むようにする。

・生まれてこなければ良かったと、不満を語ったエレミヤへの神の応答。
・「解き放って」・・神は、エレミヤに反抗する敵(イスラエルの民)からの解放と幸いを
 約束する。
・「わざわいの時、・・」→敵である者たちがエレミヤに執り成しを頼むようになることを約束。
 ※神は、これまでとは異なる展開を約束する。「必ず」という言葉が2度入っている。
この約束は、ゼデキヤ王の時代に成就する。
参照箇所:エレミヤ21:1~2、37:3、37:16~38:28、42:1~6

12節:人は鉄を、北からの鉄や青銅を砕くことができるだろうか。

(14節まで、神は人(エレミヤの敵対者たち)に語る)

・「鉄、青銅」→北からの攻撃・・バビロンの攻撃。
・鉄や青銅を砕けるか?→バビロンに打ち勝てるか?→勝てない!
・神がバビロンを用いているから勝つことはできない。
 ※預言は成就し、最終的にエレミヤは敵に勝利することになることを示唆。

13節:わたしは、あなたの財宝、あなたの宝物を、あなたの領土のいたるところで、戦利品として、ただで引き渡す。あなたの罪のゆえに。

・「あなた」・・エレミヤに敵対している民。偶像礼拝する罪人。
・彼らが自分たちのために集めた財宝、宝物はすべて北の戦利品となり、奪われる。

14節:わたしはあなたを、あなたが知らない地で敵に仕えさせる。わたしの怒りに火がつき、あなたがたに向かって燃えるからだ。」

・エレミヤに敵対した者たちは奴隷のように、異邦の地で仕えることになる。
・神の怒りの結果→捕囚され奴隷のようになる。
・(エレミヤ:祝福される者)⇔(偶像礼拝するユダヤの民:裁かれる者たち)

15節:「主よ、あなたはよくご存じです。私を思い起こし、私を顧み、迫害する者たちに、私のために復讐してください。あなたの御怒りを遅くして、私を取り去らないでください。私があなたのためにそしりを受けていることを知ってください。

・そしりを受けているこの現状から一刻も早く助け出してください。
・エレミヤは、神に、自分が受けている迫害を知っているのだからと、まるで脅し。
・裁きが遅れて、私が死なないようにしてください。もう、耐えられません。
 ※彼の迫害には、彼の親類縁者が加担している状態。(八方塞り状態)

16節:私はあなたのみことばが見つかったとき、それを食べました。そうして、あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ、私はあなたの名で呼ばれているからです。

・「あなたのことばが見つかったとき・・」→ヨシヤ王時代に見つかった申命記と考えられる。
*申命記が見つかったのはBC622年。Ⅱ列22:8~13、23:2
*エレミヤが預言者の召命を受けたのがBC627年。Ⅱ歴34:14~18
・「食べました」・・取り込み、自分の一部とした。エゼ2:8~3:3、黙10:9~10
※ヨハネ4:32~34で、イエス様は神のみこころとその実践を食べ物と表現している。
・みことばを食すことが、エレミヤの喜び、楽しみとなった。
※神の命令に従って歩むことが人生を有意義にする。預言者の使命の喜び。
・「あなたの名で呼ばれる」・・神の働き人、預言者を指す。

17節:私は、戯れる者がたむろする場に座ったり、喜び躍ったりしたことはありません。私はあなたの御手によって、ひとり座っていました。あなたが私を憤りで満たされたからです。

・世の生活から離れて、孤独な生活を送っていた。
・神の人として、神の制約下にある立場であった。
・加えて、神の教えにより、民の悪に対する怒りに満ちてもいた。
※神の人として、人々に疎まれながらも、預言を語って来た。
※しかし、預言すればするほど、人々はエレミヤを憎み、抹殺しようする。
※一刻も早く何とかしてください!という思い。

18節:なぜ、私の痛みはいつまでも続き、私の打ち傷は治らず、癒えようもないのでしょう。あなたは、私にとって、欺く小川の流れ、当てにならない水のようになられるのですか。」

・心の痛みは癒えないのでしょう。→民の反抗は留まらず、エレミヤは苦しむばかり。
※彼の心の痛みは相当なもので、心の病にでも侵されたような症状。
・「神よ、あなたは当てにならないワジ(消えたり現れたりする川)だ。」・・神に対する決定的な表現である。
・エレミヤは、1:18~19の約束が守られていないと感じているのだろう。
※この言葉(当てにならない)の意味神を疑う姿勢、または、「‥そんなことはありませんよね?!」という確認。
◇疑いは信仰を危うくする。
◇いずれにしても、神を自分に寄せ、低く見ていることは明確。
◇神への冒涜に等しいことばを、エレミヤは神に述べた。
  
19節:それで、主はこう言われた。「もし、あなたが帰って来るなら、わたしはあなたを帰らせ、わたしの前に立たせる。もし、あなたが、卑しいことではなく、高貴なことを語るなら、あなたはわたしの口のようになる。彼らがあなたのところに帰ることがあっても、あなたは彼らのところに帰ってはならない。

・主はエレミヤに言葉を返す。
・「・・帰って来るなら・・」と疑いを持つエレミヤに、叱責の意味で語られている。
※「心から悔い改めて立ち返るなら、神の人として赦し、神の御前に立たせる。
※立ち返らないなら、預言者としての召命は取り消されるということ。
・神に不信を抱かず、真の信仰者として生きるなら、預言者として働くことになる。 
・「彼らが・・」は、18節のエレミヤに対する戒めであろう。
※彼らがエレミヤのもとに帰ってくるのは良いが、エレミヤが彼らの所に帰るのは不可!
※エレミヤの18節の思いは、「彼は世に帰っていた」と見られていた。
神の領域に来た者は、決して悪の領域に戻ってはならないという、神の厳命!

20節:この民に対して、わたしはあなたを堅固な青銅の城壁とする。彼らは、あなたと戦っても勝てない。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い、あなたを助け出すからだ。──主のことば──
21節:わたしは、あなたを悪しき者たちの手から救い出し、横暴な者たちの手から贖い出す。」

・エレミヤを民から、そして苦しみから守ることを約束され、力強く励ました。

・神は、エレミヤの不信を取り去るような力強い保証を示された。
神はエレミヤの預言者としての成長を導かれたのであろう。
フルクテンバウム博士によると、以降エレミヤが神を疑うことは2度とないとのこと。
私見:エレミヤは、大規模な捕囚が来る前に、捕囚させられた後の民の苦しみを経験しているのかもしれない。将来の民の救いの約束と繋がって来る。
モーセ契約締結時の良きイスラエルの民が、偶像礼拝に引き込まれ、ここに至りバビロン捕囚となる。エレミヤの体験を用いて、神は民に立ち返れと諭している。これも、将来のための預言者の働きなのだろう!

 

『口の制御』

・エレミヤは、みことばを食べて喜ぶ神の領域の人となりました。イエス様も、ヨハネ4:32~34で、神のみこころを行い実践することを喜びとすることを教えられました。

・食べ物に関するエサウとヤコブの教訓。エサウはひどくヤコブの豆料理が好みで、とうとう長子の権利とその料理を交換してしまいました(創25:34)。食欲は人を惑わします。
・口の制御は言葉も食欲も簡単ではありません。世に流されないクリスチャンとして、食欲をはじめ何事もバランスよくコントロールして、神のみこころを実践することが重要です。
「なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」ヨハネ6:27

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