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・ダニエル書9章27節
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・ダニエル書10章14節~11章1節
・ダニエル書11章2節~9節
・ダニエル書11章10節~20節
・ダニエル書11章21節~35節
・ダニエル書11章36節~45節
・ダニエル書12章1節~4節
・ダニエル書12章5節~13節
・ダニエル書まとめ
エレミヤ書
・エレミヤ書1章1節~3節 前半
・エレミヤ書1章1節~3節 後半
・エレミヤ書1章4節~19節
・エレミヤ書2章1節~19節
・エレミヤ書2章20節~3章5節
・エレミヤ書3章6節~25節
・エレミヤ書4章1節~31節
・エレミヤ書5章1節~31節
・エレミヤ書6章1節~30節
・エレミヤ書7章1節~15節+バビロン捕囚の表
・エレミヤ書7章16節~8章3節

メッセージ

エレミヤ書7章16節~8章3節

16節:あなたは、この民のために祈ってはならない。彼らのために叫んだり、祈りをささげたりしてはならない。わたしにとりなしをしてはならない。わたしはあなたの願いを聞かないからだ。
17節:彼らがユダの町々や、エルサレムの通りで何をしているのか、あなたは見ていないのか。

・この民のための祈りは、執り成しも含めて厳禁!裁きは決定的ということ。(エレミヤへの念押し)
・この個所を含めて、神は3回(11:14、14:11)指示。
・エレミヤはこれに逆らい2回(14:19~22、18:20)祈る。
・エレミヤよ、町を分析して知っているだろう。エルサレムの通りがどうなっているのかを・・。

18節:子どもたちは薪を集め、父たちは火をたき、女たちは麦粉をこねて『天の女王』のための供えのパン菓子を作り、また、ほかの神々に注ぎのぶどう酒を注いで、わたしの怒りを引き起こそうとしている。

・家族が一丸となって偶像礼拝している姿が示される。
・子供、夫が薪と火を受け持ち、妻が主導して「天の女王」への供物(パン菓子)を作っている。
・「天の女王」とは、女神イシュタル。「愛の女神」とも言われる。戦争の神であり、性愛と生殖の象徴とされる。
・この神は神殿娼婦、同性愛にもつながる偶像。
・「天の女王」以外の神々も崇めていた民。
・カナンのバアル神、アシェラ、タンムズ・・など
・神の目には、祖先の宗教を否定し、意図的に神を怒らせているように見える

 

女神イシュタル、バアル神、モレク神について
女神イシュタル
・メソポタミヤ文明、特にアッシリヤやバビロンにて崇拝された女神。
・昼は戦争、夜は愛の神としての性質。愛、戦争、性、豊穣をつかさどる女神。
バアル神
・カナン地方(約束の地)で崇拝された、農業、天候、豊穣と繁栄をつかさどる男神。
・バアルの妻アシェラやアナトなどの家族関係にある多神教。
イシュタルは愛、性、戦争を象徴するが、バアル(土着)は天候や力を象徴する。異なる文化圏の神。
収入の安定化(バアル神)、肉体的欲求の実現(イシュタル女神)を求めるイスラエルの民。
モレク神
・カナン周辺地域の神で、火を通じた幼児犠牲の儀式が行われた
・ヒノムの谷のトフェトに祭壇(神殿とも)があったとされる。
・バビロン捕囚以降衰退し、ローマ時代には消退した。火・豊かさの神と考えられていたと思われるが詳細は不明。

19節:わたしの怒りを彼らが引き起こしているというのか──主のことば──。むしろ、自分たちを怒らせ、自分たちの恥をさらすことになっているのではないか。」

・しかし、最後には自分たちの失敗に対する怒りがこみ上げ、自分たちの恥と知るのではないか。
・「後悔、先に立たず。」

20節:それゆえ、神である主はこう言われる。「見よ。わたしの怒りと憤りは、この場所に、人と家畜、畑の木と地の産物に注がれ、それは燃えて、消えることがない。」

・なぜなら、神の裁きはこの場所の人々、家畜、産物すべてに及び、燃え尽くされるからである

21節:イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。「あなたがたの全焼のささげ物を、いけにえに加え、その肉を食べよ。

・「全焼のささげ物(常供の全焼のささげ物)」→すべて焼かれて、神に捧げられる。
・「いけにえ」→自分たちの罪のためのいけにえ。
・神は、民からささげられるものには、何の興味もない。→単なる肉だから、自分たちで食べれば~。心がなければ単なる「上等な肉」にすぎない。

22節:わたしは、あなたがたの先祖をエジプトの地から導き出したとき、彼らに全焼のささげ物や、いけにえについては何も語らず、命じもしなかった。
23節:ただ、次のことを彼らに命じて言った。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。あなたがたが幸せになるために、わたしが命じるすべての道に歩め。』

・エジプト解放(出エジ19:5)の時、先祖に伝えた事は、犠牲やいけにえのことよりも「神の声に従う事」。
・服従心、忠誠心を持てば、神はあなたがたの神であり続け、祝福が与え続けられるということである。
服従のプロセスで犠牲がなされる。服従が原点。私たちの賛美も同じことに注目!
・イスラエルは神への従順を学び、シナイ山で律法を受け、神の戒律を得、その後、犠牲に関する律法を得た。
人が豊かになり、戒めを破るたびに犠牲を捧げることが容易になり、人々は罪、そして神に対して鈍感になって行く。神は過去からずっと服従、忠誠の心を重要視していた。
「犠牲さえ捧げておけば・・」という発想は本末転倒である。私達も十分に注意が必要!

24節:しかし、彼らは聞かず、耳を傾けず、頑なで悪い心のはかりごとによって歩み、前進どころか後退した。
25節:あなたがたの先祖がエジプトの地を出た日から今日まで、わたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを早くからたびたび遣わしたが、
26節:彼らはわたしに聞かず、耳を傾けもせず、うなじを固くする者となり、先祖たちよりも悪くなった。

・彼らは、これまでもずっと神の言いつけを聞かず、反する生き方を選び、前進どころか後退した。
・出エジプトの時からこの方、神は預言者を何度も遣わしたが全て無視し、その態度は先祖より悪化。

27節:あなたが彼らにこれらのことをすべて語っても、彼らはあなたに聞かず、彼らを呼んでも、彼らはあなたに答えない。
28節:そこであなたは彼らに言え。この民は、自分の神、主の声を聞かず、懲らしめを受け入れなかった民だ。真実は消え失せ、彼らの口から断たれた。

・従って、エレミヤのことばにも聞く耳は持たない彼ら。返事も応答もしない。
・故に彼らに神の宣言を伝えよ。
『この国の民は神を捨て、神を無視し懲らしめを拒んだゆえに、彼らから真理は断たれた。もう、神の民ではない異邦人化した民だ。』
※ 「この民は、」→原語「国・人々」(ヘ)goy→主に異邦人国家を対象に用いられる。

29節:『あなたの長い髪を切り捨て、裸の丘の上で哀歌を歌え。主が、御怒りを引き起こした世代を退け、捨てられたからだ。』

・「長い髪を切り捨て、」・・ナジル人の誓願(民6:1~21)
・汚れたナジル人の髪を切り捨てよ!→イスラエルはナジル人の髪の毛のように切り捨てられよ!
・「裸の丘の上で哀歌を歌え」・・偶像礼拝の祭壇で悲しめ、嘆け!神の怒りが背信の人々に下るから!

30節:それは、ユダの子らが、わたしの目に悪であることを行ったからだ──主のことば──。彼らは、わたしの名がつけられているこの宮に忌まわしいものを置いて、これを汚した。
31節:また自分の息子、娘を火で焼くために、ベン・ヒノムの谷にあるトフェトに高き所を築いたが、これは、わたしが命じたこともなく、思いつきもしなかったことだ。

は人間の犠牲を求めたことは無い。アブラハムによるイサクの犠牲は、アブラハムの正義と信仰を示させるためであり、イサクを殺させる意図はなかった。備えられていた羊の存在がそれを示す。(創22:6~13)

・見捨てる理由が示される。
①神殿に忌まわしいものを置いた。→宮の敷地内に偶像を設置【Ⅱ列16:10~18(アハズ王)、21:4~9(マナセ王)】
②ベン・ヒノムの谷のトフェトで、娘、息子の人身御供。(レビ18:21により禁止)       
<豆知識>
・ベン・ヒノムの谷・・(へ)Gei Hinnom→(ギ)Geenna→(英)Gehena(ゲヘナ)・・「火の池」の語源。
・ベン・ヒノムの谷のトフェトに高台を築き、人が焼かれた。そのことが火の池で、罪人に対して起こる。
・人身御供はモレク神に捧げられるもので、銅製のモレク像の広げた腕に子が置かれ下から点火される。
・子供のうめき声を太鼓でかき消す。うめき声(honem)から、hinnomとなったといわれる。

32節:それゆえ、見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、もはやそこは、トフェトとかベン・ヒノムの谷と呼ばれない。ただ虐殺の谷と呼ばれる。人々はトフェトに、隙間がないほどに葬る。

・「トフェト(焼き場)」とか「ベン・ヒノムの谷(息子たちの嘆き)」と言う名ではなく、「虐殺の谷」と呼ばれる日が来る。その日は、隙間のないほど死体が埋葬される。

33節:この民の屍は、空の鳥や地の獣の餌食となるが、これを追い払う者もいない。
34節:わたしは、ユダの町々とエルサレムの通りから、楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声を絶えさせる。この地が廃墟となるからである。」

・死体が多すぎて、鳥や獣がそれらを餌とする。しかし、追い払う者はいない。
・神は、ユダの町々、エルサレムから楽しみや喜び、未来の幸い(続く家系)の全てを取り去る。
・この地が何も生まない廃墟となる。
・この預言は、バビロン捕囚と言うよりも、AD70年の神殿崩壊で成就したと考えられる。

8章
1節:「そのとき──主のことば──人々は、ユダの王たちの骨、首長たちの骨、祭司たちの骨、預言者たちの骨、エルサレムの住民の骨を、墓から取り出し、
2節:それらを、彼らが愛し、仕え、従い、伺いを立て、拝んだ日や月や天の万象の前にさらす。それらは集められることなく、葬られることもなく、地の面の肥やしとなる。

・ 「そのとき」・・とは神が裁かれる未来のときを指している。(いずれ来る未来に起こること)
・5つの要素と3つの要素で、天の万象の礼拝者と彼らの末路を示している。
1.ユダ王たち、2.首長たち、3.祭司たち、4.預言者たち、5.エルサレム住民、の骨
1.愛し、2.仕え、3.従い、4.伺いを立て、5.拝んだ
1.集められず、2.葬られず、3.地の表の肥やしとなる (詩篇141:7)
・天の万象礼拝→「アストラル礼拝」→「星々(天体)の宗教」。特にバビロニア、アッシリア、カナンなどの地域で、太陽神(シャマシュ)、月神(シン)、星座を崇拝した。当時の占星術と密接に関係した。
・「日や月や天の万象の礼拝」は、申4:19で禁止されている。創造主なる神の産物であることを知れ!の意味。
・バビロン捕囚前から存在する偶像礼拝(Ⅱ列21:3など)。マナセの時代には常態化していた。

3節:また、この悪しき一族の中から残された残りの者はみな、わたしが追いやったすべての場所で、いのちよりも死を選ぶようになる──万軍の主のことば。

・裁かれずに残された者たちは、生き延びることなく、死を望み、死んでゆくことになる。
・偶像礼拝者の行く末は、何処まで行っても哀れな結果となる。

 

『見えないものを見る力』
・様々な偶像に礼拝を捧げていたイスラエルの民。「どうせ拝むなら、拝み甲斐のある方が・・」と言う感覚ではなかったかと想像します。
・私も、クリスチャンになる前は、親戚の影響で尾道の寺に檀家となり、それらしくしようとお経を覚え、墓に花を供え、お盆やお正月には住職を招き・・と言ったことをしていました。喜んで!
・こうしてクリスチャンになって、如何に外見的なことにばかりに目が向いていたのかよくわかります。常に周囲の目を意識して行動することが、いつの間にか自慢や高慢になっていました。
・神は私たちの心がどこを向いているかを、いつも見ておられます。決して、周囲への自慢や見栄や同調意識で行動する事を良しとはされません。それが霊的成長を阻害するからです。(心の目を閉じてしまう)
・私たちは見ることのできない神を、信仰という心の目ではっきりと認識しています。私たちの目には見えない空気の、その中の酸素が、私たちの命を支えているのと同様です。
「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。」 ヘブル11:3

エレミヤ書7章1節~15節

1節:主からエレミヤにあったことばは、次のとおりである。
2節:「主の宮の門に立ち、そこでこのことばを叫べ。『主を礼拝するために、これらの門に入るすべてのユダの人々よ、主のことばを聞け。

・「主を礼拝するために神殿にやって来た人々に対して叫べ!」と命じる神。
どの門か?・・門は、北3か所、南3か所、東の1か所が正門とされていた。そのうちの一つか、又は、中庭の内門の一つのどれかであろう。

語るタイミングは?・・指示されていない。人が多く集まるのは3大祭り(過越、七週、仮庵)の時であるから、これらの時であろうと想像される。

3節:イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたがたの生き方と行いを改めよ。そうすれば、わたしはあなたがたをこの場所に住まわせる。

・「生き方と行いを改めよ」→悔い改めよ・・厳しく方向転換を勧める神。
そうすれば、神は民をこの地に住まわせる。・・祝福される。
・外見的な律法への応答は無意味と指摘している。私たちも十分注意しなければならない。

4節:あなたがたは、「これは主の宮、主の宮、主の宮だ」という偽りのことばに信頼してはならない。

・「主の宮、主の宮、主の宮だ!」という偽りのことばを信頼するな。これは迷信だ!
・迷信とは、神殿の存在が、この土地、都市の安全を保障するという考え。信仰生活とは無関係になる。
時はBC701年、アッシリヤのセンナケリブ王が、ユダに攻め入り町々を攻め、とうとうその軍隊がエルサレムを取り囲んだ。ユダの王はヒゼキヤ。
ヒゼキヤはBC722年の北イスラエル捕囚の原因が神の律法の不従順であるとを悟り、神に回帰した善王。国民も偶像を破壊し、一体となって神に回帰した。ヨシヤ王はこれに倣ったのかもしれない。
周囲を囲まれたヒゼキヤ王は、イザヤの励ましを受け、神に祈ると敵が一晩で18万5千人が神の天使によって死んだ。敵は引き上げエルサレムは守られた。(Ⅱ列18:13~19:37参照)
この言い伝えがいつしか迷信に変わっていった。「主の宮」と3回唱えれば、主の住まいがそこにあるからエルサレムは守られる、という迷信になっていた。神殿の存在ではなく、神の存在が重要だという事!

5節:もし、本当に、あなたがたが生き方と行いを改め、あなたがたの間で公正を行い、
6節:寄留者、孤児、やもめを虐げず、咎なき者の血をこの場所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、
7節:わたしはこの場所、わたしがあなたがたの先祖に与えたこの地に、とこしえからとこしえまで、あなたがたを住まわせる。

・悔い改め→方向転換し→「正義と公正」を行う・・「神を愛し、隣人を愛する」→モーセの律法の主要テーマ
・「唯一の神を愛し、忠実に従う人生を歩む」
・「弱き者、苦しむ者を虐げず、無実の者の血を流さない」
・これらを実践するなら、神は彼らをこの地に住まわせ、守られると約束される。

8節:見よ、あなたがたは、役に立たない偽りのことばを頼りにしている。

・人々は何に信頼しているのか。
・役に立たない、無意味な嘘に信頼している現実。

9節:あなたがたは盗み、人を殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに犠牲を供え、あなたがたの知らなかったほかの神々に従っている。

・人々は、盗み、人殺し、姦淫、嘘の誓いを行い、更にバアルに礼拝を捧げ、偽の神々に従っている。

・これらは皆、モーセの律法に違反する行為。

彼らはモーセの律法が示す祭りを行っていたとしても、それは楽しむためであり、神に対する心の服従心や忠誠心は皆無であった。
・律法(神を愛し、隣人を愛する)に反する限り、彼らに安全は無い。

10節:そして、わたしの名がつけられているこの宮の、わたしの前にやって来て立ち、「私たちは救われている」と言うが、それは、これらすべての忌み嫌うべきことをするためか。

・神の神殿の神の御前で、これらの忌まわしいことをしておきながら、「私は救われている」と言うのか。
・律法を無視する者たちが、神殿に来ただけで「救われた」とは、神を愛していないという事の表明。

11節:わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目に強盗の巣と見えたのか。見よ、このわたしもそう見ていた──主のことば──。

・神殿は、盗みなどの律法違反者が集う所と思って集まっているのだろう。それは強盗の巣窟と同じ。

・神の目にも、神殿は神殿に非ず、強盗の巣窟としか思えない。
・人の目にはお守りのように見えている神殿。しかしその実態は、律法を無視する強盗の巣窟である。

新約聖書で、イエス様が興味深い言葉を語っている。
「そして彼らに言われた。『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを、『強盗の巣』にしている。」 マタイ21:13(マルコ11:17、ルカ19:46)

12節:だが、シロにあったわたしの住まい、先にわたしの名を住まわせた場所へ行って、わたしの民イスラエルの悪のゆえに、そこでわたしがしたことを見てみよ。

・シロの教訓に学べ。神はシロに何をしたのかを。
シロ(聖書地図4のE・5)
・現在はセイルンの遺跡となっている。
・エフライムの地の都市で、エルサレム建設前の宗教的、政治的中心地であった。
・約束の地に入って、初めて「会見の天幕」が設けら、その後神殿が建てられた。(エリ、サムエル)
・ペリシテが侵略し、陣営に契約の箱を持って行ったが奪われ、町も神殿も破壊された。(Ⅰサム4:3~22)
・その後、人は住んだものの老朽化した。(エレ41:5)


・契約の箱を持ち出すことは神への不従順であるが、勝利を呼び込むお守りと思って持ち出した。
・エレミヤの時代も、民は神に不従順であり、神殿を幸運のお守りと思っている。
・シロで起こった悲劇は、この時代のエルサレムにも起こるという事を神は諭しておられる。

13節:今、あなたがたは、これらのことをみな行い──主のことば──わたしがあなたがたに、絶えずしきりに語りかけたのに、あなたがたは聞こうともせず、わたしが呼んだのに、答えもしなかったので、
14節:わたしの名がつけられているこの家、あなたがたが頼みとするこの家、また、わたしが、あなたがたと、あなたがたの先祖に与えたこの場所に対して、わたしはシロにしたのと同様のことを行う。

・神は、絶えず方向転換を期待して預言者を送り、気付きを促し、導いた。
・しかし彼らは偶像に走り、神の声を聞こうともしなかった。
・故に神は、神殿とこの地に、シロと同じような裁きを与えることを決めた。

15節:わたしは、かつて、あなたがたのすべての兄弟、エフライムのすべての子孫を追い払ったように、あなたがたをわたしの前から追い払う。』

・エフライム・・ヤコブが右手を置いたヨセフの子。ヨシュア、サムエルもエフライム族出身。

・北イスラエル初代王ヤロブアム1世もエフライム族。北イスラエル王国をエフライムと呼ぶようになった。
・この史実から、シロにしたように、そして北イスラエルにしたように、ユダに同じことが起こると神は宣告する。

 

『神に甘える人』
・自分は神の民と言いながら、偶像を拝み偶像に従って生きるイスラエルの民の実態。神は怒りにも似た忠告を、エレミヤを通して与えます。
・新約聖書でも、神に信頼して生きることを勧めていますが、実際の所信頼しているのか、それとも甘えているのか、と思えることがあります。
・神は私たちの天の父なる神。従って私たちが父に甘えることを、神は決して怒りはしません。しかし一方で、良い地に育つ種の話をしたり、主の道を示されたりして、神は人々の成長を望んでおられます。
・成長は決して学力、知識力の向上だけではありません。むしろ、愛の実践こそが神の期待と言っても過言ではありません。まだそこに至っていないうちは、神に甘える未熟な状態ではないでしょうか。

・私たちは神に甘える人ではなく、神の期待に応答する人となることが目的のはずです。目的を忘れず、甘える人から期待に応答する人を目指して共に歩みましょう!
「ですから私たちは、キリストについての初歩のおしえを後にして、成熟を目指して進もうではありませんか。・・・」 ヘブル6:1より

 

バビロン捕囚

エレミヤ書6章1節~30節

1節:ベニヤミンの子らよ、エルサレムの中から逃れ出よ。テコアで角笛を吹き、ベテ・ハ・ケレムでのろしを上げよ。わざわいが北から見下ろしているからだ。大いなる破壊が。

(a文) エレミヤの出身はアナトテ。そこはベニヤミンの地(1:1) 。エルサレムは、ベニヤミンの地にあった都市。 エレミヤは、自分の同胞の公正な人たちにエルサレムからの退避を呼びかける。
(b文) テコアは、エルサレムの南20kmに位置する町。ベテ・ハ・ケレムは、テコアの北、エルサレムの南2kmに位置し、のろしを上げるのに適した高い丘にあった。エルサレムから退避する道順が、ベテ・ハ・ケレムからテコアと、南の荒野に向かって行く。
(c文) 北の大きな破壊者が、エルサレムを見下している。逃げるなら南側。 

2節:娘シオンよ、おまえは麗しい牧場にたとえられるではないか。

・娘シオンよ、神は麗しいお前を切り捨てる!(原文に「牧場」はない)
・「お前は牧場に例えられる」・・・次節において、この牧場が荒らされることを示す。

3節:そこに羊飼いたちは自分の群れを連れて行き、その周りに天幕を張り、群れの羊は、それぞれ自分の草を食べる。
4節:「シオンに向かって聖戦を布告せよ。立て。われわれは真昼に上ろう。」「ああ、残念だ。日が傾いた。夕日の影が伸びてきた。」
5節:「立て。われわれは夜の間に上って、その宮殿を滅ぼそう。」

・羊飼いである敵が、羊を連れてエルサレムの周囲に陣取り、その羊たちを牧場(エルサレム)に放ち、その草を食べさせる。
・その食欲で、その牧場は草が無くなる。(羊の草の食べ方は想像よりも貪欲)
・「羊飼いと群れ」は、「王と軍隊」の比喩とされている。→敵がエルサレムを徹底的に蹂躙する。
・「聖戦」と言っているのは、神がこの侵略を許したという事で、神の主導を意味する。
・古代の戦争は、正午頃の戦闘は中断するのが一般的であったが、バビロン軍は真昼でも戦いを止めない。
・敵は宮殿の破壊のために、夜も間断なく攻撃する。執拗で激烈な侵略の姿。
・人民にとって、宮殿の消失は全ての消失を意味する。

6節:まことに、万軍の主はこう言われる。「木を切って、エルサレムに向かって塁を築け。これは罰せられる都。その中には虐げだけがある。

・包囲戦・・城壁の弱そうな所を見つけ、そこにスロープを築く。この時木や石が用いられる。
・スロープが出来たら、「破城槌(はじょうつい)」をもって城壁を破壊し侵略する。
・この攻撃で都は荒らされ、その中心は抑圧、弾圧の嵐となり、完全征服された。
・AD70年のエルサレム神殿崩壊も包囲戦であった。 (同じ戦法)

7節:井戸が水を湧き出させるように、エルサレムは自分の悪を湧き出させた。暴虐と暴行がその中に聞こえる。病と打ち傷がいつもわたしの前にある。

・「井戸が水を湧き出させるように」・・エルサレムに隠れていた民の邪悪が噴出している。
・エルサレムの地は民によって汚されていたが、侵略(神に裁き)によって、その汚れが露になった状態。
・暴虐と暴行、打ち傷と病で苦しむ姿を神は見ておられる。この原因は民である。

8節:エルサレムよ、懲らしめを受けよ。そうでないと、わたしの心はおまえから離れ、おまえを、人も住まない荒れ果てた地とする。」

・神はエルサレムの地を汚す民の悔い改めを求めてる。
・悔い改めがなければ、神はこの地を見放してしまうことになるから。(見放したくはないのである)

9節:万軍の主はこう言われる。「ぶどうの残りを摘むように、イスラエルの残りの者をすっかり摘み取れ。ぶどうを収穫する者のように、あなたの手をもう一度、その枝に伸ばせ。」

・神はブドウ畑の侵略者に、一粒残らず、繰り返し実を刈り取り尽くせ!と命じている。
・一人残らず生存者を捕まえろ!何度でもに拿捕しろ!と、神はバビロンに命じている。
・大規模なバビロン捕囚はBC586年であり、その後数回にわたり捕囚が行われることを示す。

10節:私はだれに語りかけ、だれを諭して聞かせようか。見よ。彼らの耳は閉じたままで、聞くこともできない。見よ。主のことばは彼らにとって、そしりの的となっている。彼らはそれを喜ばない。
11節:主の憤りで私は満たされ、これを収めておくのに耐えられない。「それを、道端にいる幼子の上にも、若い男がたむろする上にも、注ぎ出せ。夫はその妻とともに、年寄りも齢の満ちた者も、ともに捕らえられる。
12節:彼らの家は、畑や妻もろとも、他人の手に渡る。わたしがこの地の住民に手を伸ばすからだ。──主のことば──

・神の預言を伝えても、耳を貸す者はいないどころか、この言葉を不快に思い、避けている。
・いったい誰に話せばよいのか!もう話す相手はいないではないか!
・エレミヤの心は神の怒りでいっぱいになっていた。その時、エレミヤに神のみことばがあった。
・「それなら道端の幼子や若い男たちに語れ。聞く耳を貸さない夫婦や年長者たちは、その土地もろとも異邦人の手に渡り、多くのものが死ぬ!」
・更に彼らの家も土地も、他人の手に渡る。それは、全て主が決定し実施するのである。
・そのことを幼子や若者たちに知らせておけば、生き残って神の裁きを伝承する、ということであろう。

13節:なぜなら、身分の低い者から高い者まで、みな利得を貪り、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行っているからだ。

・神は、更に若者たちに伝える内容を示す。なぜイスラエルが酷い目に会うかを。
・耳を貸さない人々は、地位に関わらず利得を貪っている。常に金銭、富を最優先する民。
・預言者や祭司に至っては、利得を貪ると共に、全員偽り者である。(神の教えを示す者ではない!)

14節:彼らはわたしの民の傷をいいかげんに癒やし、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている。
15節:彼らは忌み嫌うべきことをして、恥を見たか。全く恥じもせず、辱めが何であるかも知らない。だから彼らは、倒れる者の中に倒れ、自分の刑罰の時に、よろめき倒れる。──主は言われる。」

・この偽預言者たちや祭司たちは、平安だと言って民を導いたが、結局侵略に遭遇する。
・侵略に遭い、彼らが恥と思い反省するかと思いきや、彼らは恥じるどころか、様々な言い訳をして誤魔化し、決して神の裁きであるとは言わない。
・その結果、彼らはその侵略で死(肉的な死)に、更に自分の刑罰、すなわち最終の刑罰(的な死)を受けてよろめくのである。
神の忍耐は、民のこうした心の状態を見て、限界点を超えていた。
民の心は、一分の隙も無いほど異邦人化していたのだ。鈍感の極みである

16節:主はこう言われる。「道の分かれ目に立って見渡せ。いにしえからの通り道、幸いの道はどれであるかを尋ね、それに歩んで、たましいに安らぎを見出せ。彼らは『私たちは歩まない』と言った。

・「道の分かれ目に立って・・」→かつての神に信頼して歩む道と、それに反する偶像礼拝の道を見よ!
・古き良き道(律法に従って歩む道。それは神に従って生きる道。)こそが、本来の神の民の道。その道を改めて学び、歩め。そこに魂の安らぎがあるのだから。
しかし、イスラエルの民はこれを頑なに拒否する!

17節:わたしは、あなたがたの上に見張りを立て、『角笛の音に注意せよ』と命じたのに、彼らは『注意しない』と言った。

・神は「古き良き道」を思い起こさせるため、どうなされたか?
・「見張り人」・・預言者を指す。(へ)tzapha,tsawfaw・・外を見る、監視するの意。
・見張り人は敵の攻撃を知らせ、預言者は来たるべき神の裁きを警告する。(見張り人の単語自体は、預言者の意味ではない)
・神の預言者を通して、神の裁きを教えたが、民は全く無視した。

18節:それゆえ、諸国の民よ、聞け。会衆よ、知れ。彼らに何が起こるかを。

・神は異邦人諸国に、イスラエルの中に何が起こるかを見よと命じる。(証人となれ!)
・異邦人たちに向けて、神の存在を悟れと言われる。

19節:この国よ、聞け。見よ、わたしはこの民にわざわいをもたらす。これは彼らの企みの実。彼らがわたしのことばに注意を払わず、わたしの律法を退けたからだ。

・「この国よ、聞け。」→原語は、「地球よ、全地よ、聞け!」となっている。全世界と言う感覚であろう。
・神は、彼らの裏切りにより、裁きの決定を宣言された。
・原因は2つ。①神を無視してきたこと。②律法を退けたこと。

20節:いったい何のために、シェバから乳香が、また、遠い国から香りの良い菖蒲がわたしのところに来るのか。あなたがたの全焼のささげ物は受け入れられず、あなたがたのいけにえはわたしには心地よくない。」

・彼らの礼拝は、非常に貴重で高価なシェバ(アラビア南西部のイエメン地域)の乳香や遠くの国(インドから持ち込まれたとされる)の菖蒲と考えられる香水萱が捧げられる。
・しかし、彼らの全焼のささげもの(本来のものではない)は神にとって非常に不快で受け入れられない。
・イスラエルの民はその本分を忘れ、律法にない事をして誇り、その心は異邦人化していた。
古き良き昔を思い返して、悔い改める余地は、イスラエルの民にはない!

21節:それゆえ、主はこう言われる。「見よ、わたしはこの民につまずきを与える。父も子も、ともにこれにつまずき、隣人も友人も滅びる。」

・神は、この民につまずきを与える。つまずきとは、バビロンによる侵略である。
・この侵略は、滅びに繋がるほどの大破壊である

22節:主はこう言われる。「見よ、一つの民が北の地から来る。大きな国が地の果てから奮い立つ。
23節:彼らは弓と投げ槍を固く握り、残忍で、あわれみがない。その声は海のようにとどろく。娘シオンよ。彼らは馬にまたがり、あなたに向かい、一団となって陣を敷いている。」

・北の大国(バビロン)の侵略を示す。
・強力な軍備で、残忍・非情なその軍隊は大海のよう。馬の軍団がエルサレムに向かって陣を敷く。

24節:私たちは、そのうわさを聞いて気力を失い、苦しみが私たちをとらえた。産婦のような激痛が。
25節:畑に出るな。道を歩くな。敵の剣がそこにあり、恐怖が取り囲んでいるからだ。

・イスラエルはその情報が入っただけで恐怖のどん底に落ちる。苦しみは産婦の激痛。
・すべての領域が囲まれ、隙のない状態は恐怖を更に増し加える。

26節:娘である私の民よ。粗布を身にまとい、灰の中を転げ回れ。ひとり子を失ったように喪に服し、苦しみ嘆け。荒らす者が突然、私たちに襲いかかるからだ。

・そんな恐怖の状態の時、敵は怒涛の如く、侵略を始める。
・神は、ひとり息子を失った者のように、最大の悲しみの中、喪に服せ!と言われる。

27節:「わたしはあなたを、わたしの民の中で、試す者とし、城壁のある町とした。彼らの行いを知り、これを試せ。」

・「試す者」・・金属を分析し、調査して特定する人。(物体がどんな金属であるかを試験調査する人)→本質を見極める人
・彼を「城壁のある町」とした。→民意の調査は、民から敵意を受ける可能性があり、それから守るという意味。
・民の本質を暴き出せ、との命令。

28節:彼らはみな、頑なな反逆者、中傷して歩き回る者。青銅や鉄。彼らはみな、堕落した者たちだ。
29節:吹子で激しく吹いて、鉛を火で溶かす。鉛は溶けた。溶けたが、無駄だった。悪いものは除かれなかった。
30節:彼らは捨てられた銀と呼ばれる。主が彼らを捨てられたのだ。

・その分析の結果は、外見は金、銀に見えても、その心は青銅(真鍮)や鉄であった。
・頑なな背教者であり、皆、堕落した人々だった。
・鉛を取り除こうとして火力を上げても、溶けはしたが取り除けなかった。(何度も預言者を与えたが無視)
・沁みついてしまった邪悪
・不純物の混じった銀。そんな民を、神は見捨てる以外、次の一手は無い。
・勿論、捨て去るのではなく、厳しい気付きの促しである事は言うまでもない。

 

『私たちは神の宮!』

・20節で神は、異邦人をまねて、全焼のいけにえを捧げる民を不快極まりないとして、当時のイスラエルの民を嘆きました。彼らは神との契約を締結していたのに、神の恵みを放棄していました。

・新約の時代に入り、イエス様の啓示により、神の注目ポイントは、私たちの心の在り方に移りました。恵みと信仰からなる信頼関係を築く人々を、神は自らの子として受け入れると約束されました。
・旧約の民と同様、私達も神との契約が成立していることを忘れてはなりません。私たちが信仰告白した時、自動的に契約は成立し、その証として聖霊が私たちに与えられています。

・私たちは、聖霊が宿る神の宮です。私は私!ではなく、私は神の宮!ということ。どんな時も共に歩み、神を礼拝する者であることを忘れてはなりません。
・これからも、神の宮である私たちの新たな人生を、聖書を通して皆さんと追求し続けて行きましょう。

「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。もし、だれかが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。あなたがたは、その宮です。」 第一コリント3:16~17

エレミヤ書5章1節~31節

1節:「エルサレムの通りを行き巡り、さあ、見て知るがよい。その広場を探し回って、もしも、だれか公正を行う、真実を求める者を見つけたなら、わたしはエルサレムを赦そう。

・神は、「エルサレムの通りで、片っ端から公正で真実を追い求める者を探し出せ」と命じる。
・「正義と公正」とは神と律法に忠実であろうとする人。
・「もしそんな人が一人でもいたら、エルサレムの裁きは赦す」と神は言われた。(創18:24~32に似る)
・真の信仰者が極めて少ないことを示している。

2節:彼らが、主は生きておられる、と言うからこそ、彼らの誓いは偽りなのだ。」

・「主は生きておられる」と言いながら、心では偶像を見ているのが実態である。
・神の民だという彼らの誓いは偽りなのだ!

3節:「主よ、あなたの目は真実に届かないのでしょうか。あなたが彼らを打たれたのに、彼らは痛みもしませんでした。絶ち滅ぼそうとされたのに、彼らは懲らしめを受けることを拒みました。彼らは顔を岩よりも硬くして、立ち返ることを拒みました。」

(第1文)
・「あなたの目は真実に届かないのでしょうか。」の訳に注意。
・真実→truth・・(ヘ) emuna 堅固さ、忠実さ、信仰と言う意味。
・届かない(届く)→「目が向いている」の意味。更に意訳すれば、「期待している」という事であろう。
・「民の忠実さをご覧になっているのではないですか?」or「民の真の信仰に期待しているのではないですか?」
(第2文以降)
・何度も方向転換のための様々な仕打ちにも気付かず、民は悔い改めを拒否した。(エゼ3:7~8)

4節:私は思った。「彼らは、卑しい者たちにすぎない。しかも愚かだ。主の道も、自分の神のさばきも知らない。

・エレミヤの調査対象は社会的に地位が低いとされる、律法にも疎い人たちであった。
・上から言われる事に、何も考えず従う人たち。リーダーコンプレックス。
・ならばと、調査対象を変更する。→5節

5節:だから、身分の高い者たちのところへ行って、その人たちと語ろう。彼らなら、主の道も、自分の神のさばきも知っているから」と。ところが彼らもみな、くびきを砕き、かせを断ち切っていた。

・上層部、知識人に調査を開始。彼らは神や律法の教育を十分に受けている。
・貧しい人同様、神、そして律法(くびき、かせ)への服従を故意に拒否した愚か者たちだった。(詩53:1~3、ロマ10:1~3)

6節:そのため、森の獅子が彼らを殺し、荒れた地の狼が彼らを荒らす。豹が彼らの町々をうかがい、町から出る者をみなかみ裂く。彼らは背くことが多く、その背信がすさまじいからだ。

・神は異邦人諸国を用いて、貧しい者も上層部の人間も噛み裂き、殺す。
・彼らの契約違反、裏切りにより神の保護は取り消される。
・森の獅子・・バビロンと思われる。その他の猛獣は、バビロン以降の帝国を表すと考えられるが、攻撃パターンとする説や、すべてバビロンとする説がある。

7節:「これでは、どうして、あなたを赦すことができるだろうか。あなたの子らはわたしを捨て、神でないものによって誓っていた。わたしが彼らを満ち足らせると、彼らは姦通し、遊女の家で身を傷つけた。

・「こんな状態の南ユダをどうして赦す必要があろうか?」と言われて、次のように罪を指摘された。
・①神の放棄、②偶像礼拝、③祝福を与えると、姦淫に走る。(神の恩恵を偶像のお陰と見る)

8節:彼らは、肥え太ってさかりのついた馬のように、それぞれ隣の妻を慕っていななく。

・良く育ったさかりのついていななく種馬のように、隣人の妻を求める姿。(偶像礼拝)→2:24の野ろば
・ビジネスや利権、金儲けが絡んだ貪欲が原因と考える。
・それは、神を公然と拒否する行為である。

9節:これらについて、わたしが罰しないだろうか。──主のことば──このような国に、わたしが復讐しないだろうか。

・「国」→(へ)goy この語は一般的には異邦人を指す。
・このような国→異邦人化したイスラエルという意味。
・ここで神が指摘しているのは、異邦人のようになってしまった民への報いである。

10節:ぶどう畑の石垣に上り、それをつぶせ。ただ、根絶やしにしてはならない。そのつるを除け。それらは主のものではないからだ。

・裏切りに対する報復措置として、神のブドウ畑であるイスラエルを侵略者に与える。
・そこでブドウ畑の剪定を行い、神のものではない「つる(枝)」を取り去れと言われる。
・しかし、根絶やしにするのは不可!(4:27)

11節:実に、イスラエルの家とユダの家は、ことごとくわたしを裏切った。──主のことば──
12節:彼らは主を否定してこう言った。『主は何もしない。わざわいは私たちを襲わない。剣も飢饉も、私たちは見ない』と。
13節:預言者たちは風になり、彼らのうちにみことばはない。彼らはそのようにされればよい。」

・北イスラエルも南ユダも揃って神を裏切った。
・主の存在を無視し、自分たちには何のわざわいも来ないし、起きないと豪語している。
・更に、神の預言者を軽視し、まるで一瞬吹く風のように考え、そのみことばを気にも留めない。エレミヤもそのような扱いを受けていたに違いない!
・これらの民こそ、風のように消えてしまえば良い!

14節:それゆえ、万軍の神、主はこう言われる。「あなたがたがこのようなことを言ったので、見よ、わたしはあなたの口にあるわたしのことばを火とする。この民は薪となり、火は彼らを焼き尽くす。

・「あなたがた」は、イスラエルの民。「あなた」は、エレミヤ。
・エレミヤの語った神の災いの預言が実現する。それは激しい火となる。
・その火は、イスラエルの人々を薪にして燃え尽くす。この火の正体が次節で説明される。

15節:イスラエルの家よ。見よ。わたしはあなたがたを攻めるために、遠くの地から一つの国を来させる。──主のことば──それは古くからある国、昔からある国、その言語をあなたは知らず、何を話しているのか聞き取れない国。
16節:その矢筒は開いた墓のよう。彼らはみな勇士たち。

・侵略が許可される。遠くの侵略国とは?
①古くからある国・・ニムロデの国(創10:8~10、バベルはバビロンの別名)
②知らない原語・・カルデア語(アラム語)
③「矢筒は開いた墓のよう」・・弓の熟練者により民が次から次と死に、墓が開きっ放しの状態になる。飛び道具を持っている。
④戦争の経験者、専門家の存在。
侵略者とは、強力な軍隊を持つバビロン軍。
当時の人は、この預言を軽んじていたのだろう。

17節:彼らは、あなたの収穫とパンを食らい、あなたの息子と娘を食らい、羊の群れと牛の群れを食らい、ぶどうといちじくを食らい、あなたが拠り頼む城壁のある町々を剣で打ち破る。

・侵略の内容・・貯蔵食糧、収穫物、息子や娘たち、すべての家畜、農産物など諸々すべて。
・城壁あるエルサレム、町々は打ち滅ぼされて占領される。

18節:しかし、その日にも──主のことば──わたしはあなたがたを滅ぼし尽くすことはない。

・エレ4:27の「滅ぼし尽くさない」と言う言葉が繰り返される。
・エレミヤの目には、全滅に見えてしまう壮絶さであるから、神はそのように語られる。

19節:『われわれの神、主は、何の報いとして、これらすべてのことを私たちにしたのか』と尋ねられたら、あなたは彼らにこう言え。『あなたがたが、わたしを捨て、自分の地で異国の神々に仕えたように、あなたがたは自分の地ではない地で、他国の人に仕えるようになる。』

・必ず生き残った者たちからの問いがある。この報いは、一体何が原因ですか?
・その時はこう答えよ。→神が与えた約束の地で、神を無視し、異国の偶像に仕えたのだから、約束の地以外の場所で、異国の人(王)に仕えるがよい!かつての奴隷のように!

20節:ヤコブの家にこれを告げ、ユダに言い聞かせよ。
21節:さあ、これを聞け。愚かで思慮のない民よ。彼らは目があっても見ることがなく、耳があっても聞くことがない。
22節:あなたがたは、わたしを恐れないのか。──主のことば──わたしの前で震えないのか。わたしは砂浜を海の境とした。それは永遠の境界で、越えることはできない。波が逆巻いても勝てず、鳴りとどろいても越えられない。

・神はイスラエルの民に言い聞かせよ、と命じた。何故なら彼らは愚か者で思慮がないから。
・霊的には目が見えず、耳も聞こえない者たち。
・よく聞け!イスラエルの民よ!と言う感じで、「なぜ神を恐れないのか?」と問いただす。
・海と砂浜を用いて、あの巨大な海でさえ、神が決めた境界を超えることはできないと言う。
・自然を創造し制している創造主なる神を、何故お前たちは恐れないのか?
・神は創造主であり、秩序を設定された。海が従うように、自然の全てが従順に動いている。

23節:しかしこの民には、強情で逆らう心があった。それで彼らは離れて行った。

・この民は、そのことを知りつつ、そのことを忘れ、神から離れて行き、自分の道を進んで行った。

24節:彼らは心の中でさえこう言わなかった。『さあ、私たちの神、主を恐れよう。主は大雨を、初めの雨と後の雨を、時にかなって与え、刈り入れのために定められた数週を守ってくださる』と。

・せめてこんなことを思っていてくれるなら、まだ救いようもあっただろうに・・・。
・「創造主なる神を恐れよう。神は豊かな収穫を与えてくださるために、時にかなって、大雨や秋の雨、春の雨を与えてくださり、私たちに豊かな収穫の時と環境を与えてくださる。」
・春の収穫祭が滞りなく開催できるのは、その収穫のお陰であり、それを導く神の祝福である。
・過越しの祭り、種なしパンの祭り、初穂の祭り、五旬節の祭り・・これらは春の祭りとも呼ばれ、3月から6月に開催される。神への感謝である。(この祭りには秘められた神の啓示がある) 

25節:あなたがたの咎がこれを追いやり、あなたがたの罪がこの良いものを拒んだのだ。

・しかし、この祝福も、時の経過と共にイスラエルの民から遠ざかって行った。
イスラエルの民が神を捨て拒否したからである。→(従えば祝福、反すれば災い)

26節:それは、わが民のうちに悪しき者たちがいるからだ。彼らは野鳥を捕る者のように待ち伏せし、罠を仕掛けて人々を捕らえる。
27節:鳥でいっぱいの鳥かごのように、彼らの家は欺きで満ちている。だから、彼らは大いなる者となり、富む者となる。

・こうした咎の原因は、イスラエルの民の中に、「悪しき者たち」が存在しているから。
・悪しき者たちは、まるで野鳥を獲るように、罠を仕掛けて人々を捕らえる。
・鳥かご(イスラエル)に捕らえられた鳥たち(悪しき者たちに捕まったイスラエルの民)がいっぱいになる。
・結果、悪しき者は欺瞞により富に満ちる。欺瞞による繁栄が、神の祝福と勘違いする愚か者たち。

28節:彼らは肥えてつややかになり、悪事において限りがない。孤児のために正しいさばきをして幸いを見させることをせず、貧しい人々の権利を擁護しない。

・彼らの欺瞞は限りがなく、孤児を苦しめ、貧しい人たちを虐げる。その結果彼らは益々栄える。
・その姿は豊かに肥え太り、更に艶光りする。→肥えて、艶光する馬を指してると思われる

29節:これらに対して、わたしが罰しないだろうか。──主のことば──このような国に、わたしが復讐しないだろうか。

・5:9と同じ言葉が繰り返されている。5:8は肥え太ってさかりのついた馬について言及している。
・神はこのようになってしまった国を、罰せずにはおかない!

30節:荒廃とおぞましいことが、この地に起こっている。

・「荒廃とおぞましいこと」・・荒廃と訳されている語は、(へ)shama で、思いもかけない、驚くべきこと、の意味。(へ)sha’aruah は(恐ろしい)事を指す意味。
・「思いもかけず、とんでもないことが地上に起こっている。」という解釈がお勧め。

(なぜ荒廃と訳されているのか??)

31節:預言者は偽りの預言をし、祭司は自分勝手に治め、わたしの民はそれを愛している。結局、あなたがたはどうするつもりなのか。」

・「自分勝手に」・・(へ)yad は「手」を意味している。
・祭司は神の言葉に従わず、偽預言者の手(やり方)で統治し、その指導に従った。(政治、外交など)
・更に驚くべきは、民もそうした統治に喜んで従っている。
・この偽預言者のことばが完全に覆ったとき、あなたがたはどうするつもりなのか?

神はエレミヤを通して、「公正な者」は一人もいない状況が招く未来を示された。
※この時は善王ヨシヤ王の時代。エレミヤは、その時代にバビロン捕囚時の状態を預言。
それはヨシヤ王の時代に、すでにその兆候があったという事であろう。4章9節も同様。

 

『愛の神』
・21、22節で神は、自然の摂理を見て神の絶大なる存在を恐れないのかと言われ、イスラエルの民を愚か者と言われた。神は、その絶対的存在の完全認知を願っておられる。
・神は私たちに神の知恵を与えてくださっている。決して人間の価値観で、神や神のなさることを計ってはならない。それは、神を自分に引き付けることであり、神はそれを愚かと言う。
・神を見上げれば見上げるほど、益々神の大きな存在に驚かされる。人間の思考の領域は狭いからこそ、旧約の学びを通して、神の御業の歴史を学ぶ必要があるのは当然のこと。
・この神は決して怒る神ではなく、『愛』の神であり、愛を完全に貫かれる神である。故に、罪深く、小さく、哀れな存在である私達でも、神の愛のうちにあって救われ、未来は約束されている!ハレルヤ!
「神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。」 ユダ1章21節

エレミヤ書4章1節~31節

前章で示されたイスラエルの最終的な悔い改めに対する神の応答が示されます。

1節:「イスラエルよ、もし帰るのなら、──主のことば──わたしのもとに帰れ。もし、あなたが忌まわしいものをわたしの前から取り除き、迷い出ないなら、

・「イスラエルよ、もし帰るのなら・・」キーワード(へ)shuvが2回使われている。「悔い改める」の意。
・もし、と言う言葉から、限りなく無理と思うが・・と言うニュアンスであろう。
・「わたしのもとに帰れ」・・神を忘れるほど偶像に傾倒していたことを示している。
・条件①:偶像を完全に捨てよ!

2節:また、あなたが真実と公正と義によって『主は生きておられる』と誓うなら、国々は主によって互いに祝福し合い、互いに主を誇りとする。」

・条件②:真実と公正と義(正義と公正)によって、「主は生きておられる」と誓え!
・生きておられる→唯一本物の神の意味。現代でも同じこと。
・そうすれば、異邦の国々も全て互いに祝福し、皆が主をたたえるようになる。
アブラハム契約の成就であり、メシア的王国で成就する。

3節:まことに、主はユダの人とエルサレムに、こう言われる。「耕地を開拓せよ。茨の中に種を蒔くな。

・「耕地」・・処女地。休耕地ではない。「茨」は、偶像礼拝によって汚れた地を意味する。
・良い種を蒔くために、古い土地を捨て、新しい土地を開拓し回復せよ、との命令。
・新しい土地に種をまき、真新しくなって良い子孫を残して行け!とのことばである。

4節:ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。そうでないと、あなたがたの悪い行いのゆえに、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」

・(前半) その具体策は、「割礼」である。心を覆っている偶像の縛りを取り除け!

肉体的にも、霊的にも新たな者となって、契約に従順になり、神に回帰せよ!
・(後半) なぜなら、ユダの愚行により、もう神の怒りは最悪の所まで来ているから!その怒りを鎮められる者はいない!

5節:「ユダに告げ、エルサレムに聞かせて言え。国中に角笛を吹け。大声で叫べ。『集まれ。城壁のある町に逃れよう』と。

・神は非常事態であることを知らせ、内容を語るように命じられた。
・今回の角笛は侵略の知らせであり、神の裁きが下ったことの知らせである。
・侵略に当たっては、要塞の町エルサレムに逃げることになっていた。

6節:シオンに向けて旗を掲げよ。自分の身を守れ。立ち止まるな。わたしが北からわざわいを、大いなる破滅をもたらすからだ。

・シオンに向けて旗を立てよ!非常事態を知らせ、また避難者の目印となるが、敵の目標にもなる。
・「北から」・・まだ、この時点で確定してはいないが、バビロンである。(7節)
・大いなる破滅・・甚大なる破壊を意味している。

7節:獅子はその茂みから立ち上がり、国々を滅ぼす者はその国から出て来る。あなたの地を荒れ果てさせるために。あなたの町々は滅び、住む者はいなくなる。」

・「獅子」・・考古学的に、バビロンの紋章が獅子であったことが明らかになっている。
・バビロンには国々を攻める力がある。その力はユダに及ぶ。(ネブカドネツァル王、エレ50:17)
・バビロンによって土地は荒らされ、都市は破壊され住む者もいなくなる。

8節:このことのために、粗布をまとって悲しみ嘆け。主の燃える怒りが、私たちから去らないからだ。

・「このことのために」・・この決定事項を知って、悲しみ嘆け!
・「粗布をまとう」・・弔問者の服装→もう後戻りできない悲劇。
・神の怒りがユダの民から離れることは無いということ。「去らない」・・(へ)shuv「背を向ける(turn away)」の否定で「去らない」となる。

9節:「その日には──主のことば──王の心や、高官たちの心は萎え、祭司は啞然とし、預言者はたじろぐ。」

・裁きの日、上層指導者たちは失意の底に落ちる。
・王、高官は偽預言者を信じて失望し、祭司、預言者は自らの噓にたじろいでしまう。
王について言えば、裁きがある時の王は、偽預言者のことばに翻弄される。預言なのでヨシヤ王である必要はない

10節:私は言った。「ああ、神、主よ。まことに、あなたはこの民とエルサレムを完全に欺かれました。『あなたがたには平和が来る』と言われたのに、剣が私たちの喉に触れています。」

・エレミヤの嘆きのことばが挿入されている。
・平和となると言われ、信じていたが、とうとうこんな結果になってしまった。(選民意識の悪影響)
・偽預言者の偽りを信じて、民は完全な思い違いをして、とうとう神の裁きが目の前に来てしまった。
・偽の情報に従う民に呆れて嘆いているエレミヤである。(エレ6:13~14、14:13~14、23:16~17参照)

11節:そのとき、この民とエルサレムに告げられる。「荒野にある裸の丘から、熱風は、娘であるわたしの民の方に吹く。ふるい分けるためでも、より分けるためでもない。
12節:それよりも、もっと激しい風が、わたしのために吹いて来る。今や、わたしが彼らにさばきを下す。」

・神は裁きの内容について語る。
・「熱風」・・砂漠から吹く夏の季節風をイメージしているのか。相当に乾燥した熱風で生物を苦しめるとの事。
・「裸の丘」は偶像礼拝の地。そこから熱風が吹いてくる。これは侵略を意味する。
・注目すべきは、神がこの裁きに及んでも、南ユダを「わたしの娘である民」と言われていること。
・この熱風は、いつもの「もみ殻を飛ばすに最適な微風」とは全く異なる激しい風。
・この風は、祝福はもたらさない!

13節:見よ、それは雲のように上って来る。その戦車はつむじ風のよう。その馬は鷲よりも速い。ああ、私たちは荒らされる。

・侵略の様子。熱風とは強力な軍隊(バビロン軍)である。
・雲のように多くの軍勢で、戦車も騎兵も迅速。そのスピード感から、侵略はあっという間のことと分かる。


14節:「エルサレムよ。救われるために、悪から心を洗いきよめよ。いつまで、自分のうちによこしまな思いを宿らせているのか。
15節:ああ、ダンから告げる声がある。エフライムの山からわざわいを告げ知らせている。

・「一刻も早く、悔い改めよ!」と神は勧告する。裁きは免れないとしても、猶予を得られる可能性はあるのに!
・しかし、邪悪な心のユダに、聞く耳は無かった。
・「もう、侵略は目の前に迫っているというのに!」と、ダンとエフライムの山地を引き合いに出して勧告している。

・ダンもエフライムも北イスラエルの地で、その北端と南端。また、偶像礼拝の中心地であった。(この2か所に黄金の仔牛の像)
・まさに10節の「剣が喉に触れている状態」である。


16節:国々に語り告げよ。さあ、エルサレムに告げ知らせよ。包囲する者たちが遠くの地から来て、ユダの町々に対して、ときの声をあげる。
17節:彼らは畑の番人のように、ユダを取り囲む。それは、ユダがわたしに逆らったからだ。──主のことば──

・国々とエルサレムの両方に告げよと命じられる神。まさに時代の変化を示唆している。
・もう、その日は近い!大規模な侵略が始まる。
・「畑の番人」・・機が熟せば、一気に刈り取りに入る姿勢を示している。逃れられない状態。

18節:あなたの生き方と、あなたの行いが、あなたの身にこれを招いたのだ。これはあなたへのわざわいで、なんと苦いことか。もう、あなたの心臓にまで達している。」

・「生き方と行い」・・自分の欲望を満たす生き方→最後は苦いものとなる。→死へと繋がる。
・「心臓にまで達している」・・招いたわざわいで、心臓が止まるのは目の前のこと。

19節:私のはらわた、私のはらわたよ、私は悶える。私の心臓の壁よ、私の心は高鳴り、私は黙っていられない。私のたましいが、角笛の音と戦いの雄叫びを聞いたからだ。
20節:破滅に次ぐ破滅が知らされる。まことに、地のすべてが荒らされる。突然、私の天幕が、一瞬のうちに私の幕屋が荒らされる。
21節:いつまで私は旗を見て、角笛の音を聞かなければならないのか。

(エレミヤの苦悩の告白) 

・エレミヤは角笛と戦いの様を幻で見せられて、心の底に至る苦しみに悶え、心臓は高鳴りを覚える。
・エレミヤはとても黙って見てはいられない。→預言を伝えずにはいられない思い。
・地が荒らされ、あっという間に家が荒らされる。それほどに悲惨な侵略なのだ!
・私なら、すぐにも悔い改めて神に立ち返るのに、いつまでこの幻を見て、預言せねばならないのか!
・どれほどに民は無反応なのか!

22節:「実に、わたしの民は鈍く、わたしを知らない。愚かな子らで悟ることがない。悪事を働くことには賢く、善を行うことを知らない。」

・エレミヤが見た「民の無関心さ」に応答する神のことば。
・イスラエルの民は愚か者で、神の存在を認めようとしない。
・悪事に賢く、善行には無関心のイスラエルなのだ!
※そのために、エレミヤは以降40年間、預言を語り続けることになる。

23節:私が地を見ると、見よ、茫漠として何もなく、天を見ると、その光はなかった。
24節:私が山々を見ると、見よ、それは揺れ動き、すべての丘は震えていた。
25節:私が見ると、見よ、人の姿はなく、空の鳥もみな飛び去っていた。
26節:私が見ると、見よ、豊かな地は荒野となり、町々は主の前で、その燃える怒りによって打ち壊されていた。

・23節でエレミヤは、彼の見たカオス(混乱)のビジョンを、創世記1:2の表現を用いて説明した。
・同じく24~26節で、壊滅的な破壊、荒廃が示されている。

27節:まことに、主はこう言われる。「全地は荒れ果てる。ただし、わたしは滅ぼし尽くしはしない。
28節:このため地は喪に服し、上の天は暗くなる。わたしが語り、企てたからだ。わたしは悔いず、やめることもしない。」

・あまりの激しさにエレミヤは全滅すると心配した。
・そのために神は侵略の説明をする。
・確かに全地は荒れ果て壊滅的となるが、決して滅ぼしはしない。
 →アブラハム契約の存在
・その壮絶さは凄まじく、地も天も悲しむが、神はこの裁きに何の躊躇もない。(ホセア4:3参照)

29節:騎兵と射手の雄叫びに、町中の人は逃げ去り、草むらに入り、岩によじ登った。すべての町が捨てられ、そこに住む人はいない。

・27~28節の裁きの結果が示される。最悪の状態が地を覆う。
・滅ぼし尽くさないと言われる神だが、一旦裁くとなれば、ためらいもないその裁きは想像を絶する。

30節:踏みにじられた女よ、あなたはいったい何をしているのか。緋の衣をまとい、金の飾りで身を飾りたて、目を塗って大きく見せたりして。美しく見せても無駄だ。恋人たちはあなたを嫌い、あなたのいのちを取ろうとしている。

・荒廃した状況となって、尚も恋人たちに取り入ろうとするイスラエル。(売春婦のような振る舞い)
・どんなに自分を着飾って美しくしても、それを嫌う恋人は最後に敵となり、命を奪う者になる。
・信じた偶像は、結局、命を奪う国なのである。一体、何に目を向けていたのか!

31節:まことに、私は、産みの苦しみにある女のような声、初子を産む女のようなうめき、娘シオンの声を聞いた。彼女はあえぎ、手を伸ばして言う。「ああ、私は殺す者たちの前で疲れ果てた。」

・シオンの苦しみの声は、出産の苦しみの声。出産の痛みは激しいが、神はそこに新生を望むみこころを示している。
・最後に殺す者となる偶像のために、売春婦のように振舞ってきた自分を恥じるイスラエル。

「娘シオン」に対する神の御心は、厳しいながらもこの裁きが気付きの促しである事を示している。

 

実践者を目指そう!
・神は22節で、イスラエルが鈍く、愚かだと言われた。悪事には賢く、善行には疎いと。
・神は律法まで示して善行へと導き、神の民の道をイスラエルに示された。
・律法的!などと言う人もいるが、当時の諸国の規範と比べれば、律法はまさに正義と公正で貫かれた珠玉の規範である。
・気付くべきは、律法に散りばめられた善行という事の大変さである。そこに無償の犠牲の愛がなければ真の善行は成立しないからである。
・それは、現代のキリストの律法においても何ら変わりはなく、むしろ高度化している。「良きサマリヤ人のたとえ ルカ10:25~37」を見ても明らかだ。(愛神愛人の教え)
・人や世の中の目線と見返りを気にするのではなく、神の目線と神の報酬をいつも気にすることが、良き善行の実践者となる秘訣ではなかろうか。(鈍感→敏感へ)

「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いを受けられません。」 ルカ6章1節

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