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・エレミヤ書1章1節~3節 後半
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・エレミヤ書7章1節~15節+バビロン捕囚の表
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・エレミヤ書20章7節~18節

メッセージ

エレミヤ書20章7節~18節

7節:「主よ。あなたが私を惑わしたので、私はあなたに惑わされました。あなたは私をつかみ、思いのままにされました。私は一日中笑いものとなり、皆が私を嘲ります。

※エレミヤは、この時の心境を吐露する。「自分は預言者の働きを求めなかった。」
・神に導かれ(誘われ)、神は私を思いのままになされました。
※惑わした(ヘ)pata・・誘惑する、説得される、の意味。
※神の誘惑に従い(神に説得され)、預言者になり、預言を語っていた、という感じ。
・しかし、その結果は人々の笑いものとなっている。

8節:私は、語るたびに大声を出して『暴虐だ。暴行だ』と叫ばなければなりません。主のことばが、一日中、私への嘲りのもととなり、笑いぐさとなるのです。

・エレミヤの仕事は、とにかく「暴力と破壊が来る!」と一日中叫ぶもの。
※いつ起こるとも分からない「破壊の脅威」を伝えても嘲笑の的となるだけ。
・恥辱と軽蔑がエレミヤにもたらされるだけ。

9節:私が、『主のことばは宣べ伝えない。もう御名によっては語らない』と思っても、主のことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて、燃えさかる火のようになり、私は内にしまっておくのに耐えられません。もうできません。

・エレミヤは、預言者の責務から退こうともした。
・しかし、主のことばが心や骨の内で燃え盛り、しまっておくことができない。
・それ故、エレミヤは神のことばを語ると言う。

10節:私が、多くの人のささやきを聞いたからです。『「恐怖が取り囲んでいる」と告げよ。われわれも彼に告げたいのだ』と。私の親しい者もみな、私がつまずくのを待ちかまえています。『たぶん彼は惑わされるから、われわれは彼に勝って、復讐できるだろう』と。

・エレミヤは、周囲の多くの囁きを聞いて発奮した。
※「多くの人」(ヘ)enoshe ・・男、人、人類、の意味。
・「エレミヤよ、お前の周りを恐怖が取り囲んでいる。」という囁き。
・彼らは、エレミヤの失敗を待ち構えていて、自分たちの正当性と勝利を信じている。
・預言者を馬鹿にする偽預言を、彼らは口走っている。
第一次捕囚(ダニエルたちの小捕囚)があって1年後の現在。彼らは、エレミヤの以前から語る大規模な破壊や大捕囚はなく、小規模で終わったと思い、エレミヤを笑っていたのだろう。
ちなみに、エレミヤの預言開始から大捕囚まで30年、エレミヤの預言開始から神殿破壊まで41年である

11節:しかし、主は私とともにいて、荒々しい勇士のようです。ですから、私を迫害する者たちはつまずき、勝つことができません。彼らは成功しないので、大いに恥をかき、忘れられることのない永久の恥となります。

・強大で恐ろしい存在である神と、その神が共にいることを再認識したエレミヤ。
※エレミヤは、神がどんな時も彼のいのちを守ると約束されたことと、神の預言の成就を確信していた。
・反逆者たちは、必ず失敗し、恥をかくことになる。その恥は永遠の恥である。

12節:正しい者を試し、思いと心を見る万軍の主よ。あなたが彼らに復讐するのを私に見させてください。私の訴えをあなたに打ち明けたのですから。」

・人の見えない心の思いを探り、試みをもってその思いをあらわす神。  
※エレミヤは、自分が試されたこと、そして正しく神の領域にあることを認識。
・そんな私エレミヤに、あなたの復讐を見させてください。神の義の成就。
・今、エレミヤは自分の心を見られても、問題ないと確信している。

13節:主に向かって歌い、主をほめたたえよ。主が貧しい者のいのちを、悪を行う者どもの手から救い出されたからだ。

・貧しい者は、エレミヤと他の正しく生きる少数の人々をさす。彼らは救い出される。
・最後は賛美する。

14節:「私の生まれた日は、のろわれよ。母が私を産んだその日は、祝福されるな。

・再び否定的なエレミヤの思い。(ヨブ3:3~12参照・・生まれてきたことを呪うヨブ)
・自分の出生は呪わしい事。預言者となる運命を呪っている。
※神が与えた預言者という働きと、必死に格闘しているエレミヤの姿。
※この時エレミヤは、預言者という働きを誇ってはいない。

15節:のろわれよ。私の父に、『男の子が生まれた』と知らせて、大いに喜ばせた人は。
16節:その人は、主があわれみもなく打ち倒す町々のようになれ。朝には彼に悲鳴を聞かせ、真昼には、ときの声を聞かせよ。

・男子誕生の知らせをした人物は呪われよ!あわれみは不要!
・神が町々を滅ぼすときのように、一気に滅ぼされよ!
・朝に敵は攻め入り、昼には敵の勝利を宣言する勝鬨の声が上がる如くに。

17節:彼は、私が胎内にいるときに私を殺さず、母を私の墓とせず、その胎を、永久に身ごもったままにしなかったからだ。

・「彼は」とは誰か?出産に関わった16節の「その人」。
・エレミヤが母の胎で死んでいたら、母がエレミヤの墓となっていた。
・しかし、そうはならなかった。

18節:なぜ、私は労苦と悲しみにあうために胎を出たのか。私の一生は恥のうちに終わるのか。」

・結局、エレミヤは生まれ、労苦と苦しみの人生となる。
・私は恥のままで終わるのだろうか?
・最後の「・・終わるのか」は、預言者の働きを放棄するつもりがないことを示す。
※マタイ16:13~14にエレミヤの名が登場。
※イエス様はエレミヤの甦りと言われた。つまり、孤高なる悲しみの人。

 

エレミヤ20:14~18に関する吉田所感

<周囲、とりわけ故郷の祭司たちへの姿勢表明> 
■14~15節
・エレミヤの誕生の日を「呪われよ、祝福されるな」という理由は何か?
※当時の祭司として生まれていたら神の祝福はない!邪悪な世の流れの祝福。
・父に「男の子が生まれた」と知らせて「喜ばせた人」は呪われよ。
※エレミヤの出身地はアナトテで祭司の町である。「喜ばせた人」は、その地の祭司の代表か何かだろう。当時の祭司は神に従ってはいなかった。
■16~17節
・(バビロン捕囚のように)町々が破壊されるように、一気に破壊されよ!
・お前たちは、いっそのこと私を殺しておけば、私の預言は受けなくてよかったのに!
■18節

・「なぜ、私は労苦と悲しみにあうために胎を出たのか。」→それは、お前たちに神のことばを預言し、気付きを促すためだ。
・「私の一生は恥のうちに終わるのか。」→終わらない!神の預言は必ず成就する!

 

エレミヤ20章に関する吉田所感

<迫害、逆境に立ち向かうエレミヤの姿勢> 
■1~6節
・パシュフルの激しいエレミヤ迫害と、それにひるまず預言するエレミヤの姿勢。
■7~9節
・神に導かれて預言者になり、日々、神の裁きを訴えるがすべて嘲笑の的となる。
・預言者を止めようと思っても、神の怒りに自身が共感して、預言を止められない。
■10~13節
・多くの人がエレミヤの失敗を期待するが、神が私を守り、人々に恥をかかせる。
・神はその義を裁きによって示される。私たちは賛美する。
■14~18節
・私は預言者として、母の胎の時から決められていた。
・それを自分の仲間となる祭司として生まれたと喜ぶ者はのろわれよ!

 

『預言の本質』
・エレミヤは、とても厳しい迫害を受けたにもかかわらず、神の預言を語り続けた。近未来的預言もあれば、遠未来的預言があり、更に遠未来預言は新約聖書に更に詳しく記されている。
・エレミヤの時代も、祭司パシュフルに預言するのだが、彼はその言葉を受け入れない。そして、その預言は成就する。これを見て、遠未来の預言も成就するものだと理解できないのだろうか?
・預言は、その言葉が語り続けられている限り、間違いなく気付きの促しである。つまり神は預言の対象者にほんのわずかでも期待しているのである。それはまさしく、神の愛にほかならない。
・新約時代に入り、聖書の中に奥義が示され、聖書中の預言が明確に示されている。神は、人類が聖書を通して真理を知り、神の愛を見出して、希望をもって歩むことを願っておられる。
「かつて書かれたものはすべて、私たちを教えるために書かれました。それは、聖書が与える忍耐と励ましによって、私たちが希望を持ち続けるためです。」ローマ15:4

エレミヤ書19章10節~20章6節

10節:そこであなたは、同行の人たちの目の前でその瓶を砕いて、

・長老、祭司の指導的立場の者たちの前で、陶器を割れ!

11節:彼らに言え。『万軍の主はこう言われる。陶器師の器が砕かれると、二度と直すことはできない。このように、わたしはこの民と、この都を砕く。人々はトフェトに空き地がないまでに葬る。

・19:1~2で示された象徴的行動の解説
・修復不可能な陶器(18章の粘土とは違う)⇒人々と都に凄まじい破壊を起こすと神は宣言する。
※死体がトフェトに満ちるほど・・バビロン捕囚時では、満ちるほどではなかったが、それはAD70年で実現する。

12節:わたしはこの場所と──主のことば──その住民にこのようにする。わたしはこの都をトフェトのようにする。

・この場所「この都」とそこの住民を苦しめる。

・都をトフェトのようにする。⇒焼かれる。

13節:エルサレムの家々とユダの王の家々、すなわち、屋上で天の万象に犠牲を供え、ほかの神々に注ぎのぶどう酒を注いだすべての家々は、トフェトの地のように汚される。』」

・「屋上で天の万象に犠牲を供え、…」⇒偶像礼拝をしている。
・王家の人々から一般に至るまで、偶像礼拝者たちは死ぬこととなる。
※エレミヤ32:29、ゼパニヤ1:4~5参照

 

ーマタイ27章9~10節ー
「その時、預言者エレミヤを通して語られたことが成就した。『彼らは三十枚を取った。イスラエルの子らに値積りされた人の価である。主が私に命じられたように、彼らはその金を払って陶器師の畑を買い取った。』」

*なぜ、マタイはここでエレミヤという名を挙げたのか?エレミヤの語ったどの預言が成就したのか?


「マタイ27章:3~8節」の概略
ユダがイエスを祭司長たちに売ったときに得た代金は銀貨三十枚。イエスが死刑と知って後悔し、それを祭司長たちに返したが、祭司長たちは受け取らず、ユダは神殿にそれを投げ込んで、その後、首を吊った。祭司長たちはその銀貨で、旅人の異邦人のための墓地として、陶器師の畑を買った。その地は「血の畑」と呼ばれる。陶器師の畑(血の畑)とはトフェトのことである。
もう一つの預言 ―ゼカリヤ11章:12~13節
「私は彼らに言った。「あなたがたの目にかなうなら、私に賃金を払え。もしそうでないなら、やめよ。」すると彼らは、私の賃金として銀三十シェケルを量った。主は私に言われた。「それを陶器師に投げ与えよ。わたしが彼らに値積もりされた、尊い価を。」そこで私は銀三十を取り、それを主の宮の陶器師に投げ与えた。

マタイ27:9~10は、ゼカリヤの預言《銀三十》とエレミヤの預言《陶器師の畑(トフェト)》が重なって成就したということになる。


エレミヤではベン・ヒノムの谷、トフェトにて、陶器が割られて、イスラエルの民の破壊が預言された。
マタイで、ユダがイエス様を奴隷と同じ額で売った(ゼカリヤの預言)。ユダはその金を祭司長たちに返し自殺。祭司長たちはその金で、陶器師の畑(血の畑)を異邦人の墓として購入した。
陶器師の畑の購入は、エレミヤが預言した土地で為された呪いを購入したこととなる
この行為が、エレミヤの預言の成就と見なしている。つまり捕囚のような悲劇が起こるという事。実際、その後のAD70年に神殿は崩壊し、ヒノムの谷は死体の山となり、預言は成就する。

14節:そこでエレミヤは、主が預言のために遣わしたトフェトから帰って、主の宮の庭に立ち、民全体に言った。

・トフェトから戻り、主の神殿の庭に立って、民全員にトフェトの預言を述べた。
・対象は、全イスラエルの民という事だから。

15節:「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ。わたしはこの都とすべての町に、わたしが告げたすべてのわざわいをもたらす。彼らがうなじを固くする者となって、わたしのことばに聞き従おうとしなかったからである。」

・なぜ、壮絶な裁きであるわざわいを下すのか?それは、神のことばに従わない頑固者だから!
 

20章
1節:さて、主の宮のつかさ、また監督者である、イメルの子、祭司パシュフルは、エレミヤがこれらのことばを預言するのを聞いた。

・祭司パシュフル→祭司長。監督者(ヘ)pakid。預言もしていた。(偽預言者)
・エレミヤの預言を聞いていた上層部の一人。
・彼にとって、エレミヤの預言は自分が築いた平和を乱す言葉であった。

2節:パシュフルは、預言者エレミヤを打ち、彼を主の宮にある、上のベニヤミンの門にある足かせにつないだ。

・エレミヤをムチ打ちの刑に。申命記25:3によれば40回のムチ打ち。
・神殿のベニヤミンの上門にある足かせ。(ベニヤミンの門→羊の門)
※足かせ(ヘ)machpeket・・曲がった姿勢、罰の道具、刑務所などの意味。
※曲がった姿勢・・エレミヤの身体を一晩中、歪んだ状態にして拘束した。
※仕置き部屋のようなところであろう。

3節:翌日になって、パシュフルがエレミヤを足かせから解いたとき、エレミヤは彼に言った。「主はあなたの名をパシュフルではなく、『恐怖が取り囲んでいる』と呼ばれる。

・翌日、解放されたエレミヤ。相当のダメージであった。
・エレミヤは、パシュフルの名が、神によって「恐怖が取り囲んでいる」(ヘ)マゴール・ミサヴィヴと呼ばれることになると言った。
                                 

4節:まことに主はこう言われる。見よ。わたしはあなたを、あなた自身とあなたの愛するすべての者にとって恐怖とする。彼らは、あなたが見ている前で、敵の剣に倒れる。また、わたしはユダの人すべてをバビロンの王の手に渡す。彼は彼らをバビロンへ引いて行き、剣で打ち殺す。

・「恐怖が取り囲んでいる」⇒NIV「あらゆる面での恐怖」;新共同「恐怖が四方から来る」
*パシュフルと彼の友人、知人、縁者すべてに恐怖が与えられる。
*彼の目の前で、それらの人々が殺される。
*更にユダの人々はバビロンに捕囚され、殺される。
マゴール・ミサヴィヴ→バビロンによって、恐怖がパシュフルとその周囲の人々に起こる事を意味する名前

5節:また、わたしはこの都のすべての富と、すべての労苦の実と、すべての宝を渡し、ユダの王たちの財宝を敵の手に渡す。彼らはそれをかすめ奪い、略奪してバビロンへ運ぶ。

・神は、更にエルサレエムの富、財宝を根こそぎ敵の手に渡すと言われる。
・それまでの蓄財は水泡に帰す。パシュフルが監督者である立場を脅かす預言。

6節:パシュフルよ。あなたとあなたの家に住むすべての者は、捕らわれの身となってバビロンに行き、そこで死んで、そこに葬られる。あなたも、あなたが偽って預言を語り聞かせた、あなたの愛するすべての者たちも。」

・パシュフルは家族と共にバビロンに捕囚され、その地で死に、葬られる。罰である。
・偽預言を語り、それを信じたパシュフルの身内も国外に葬られる。罰である。
パシュフルに示された預言は、BC597年の大捕囚で成就する。
※Ⅱ列24:15の時に捕囚され、この時エゼキエルも捕囚された。
※彼らは、国外で埋葬されることになり、これは重大な罰を示すもの。
※イスラエルの土地に埋葬される者が最初の復活に与りやすいとされていた。
※エレミヤの預言が正しいと分かった時は、自分の罪に気付くが、手遅れ。

『神のレッスン』

・神は、エレミヤを迫害した祭司パシュフルの名を、「恐怖が取り囲んでいる。」と呼びました。神を無視するパシュフルには、神の本質を知ろうとする思いが無かったのでしょう。
・私たちは本物の神を信じました。その結果、感謝すべきことに私たちは神の個人レッスンを受ける特権を得ています。未来に素晴らしい保証を約束された『神の子育成 無料レッスン』です。
・神の存在に気付き神を信じて神をたたえました。大きな気付きが行動を変えました。神は、私達に様々な気付きの促しを与え成長を図られます。私たちはそれに敏感に、素直に応答することです。
・神は全知全能なるお方で、私たちの失敗を無意味なものにせず、私たちを見捨てられません。私たちは全幅の信頼をもってそのレッスンに臨めばよいのです。全幅の信頼、すなわち信仰です。ハレルヤ!
・「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。」ローマ8:14
・「私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。」ガラテヤ5:25

エレミヤ書19章1節~9節

1節:主はこう言われる。「行って、土の焼き物の瓶を買い、民の長老と年長の祭司のうちの数人とともに、
2節:陶片の門の入り口にあるベン・ヒノムの谷に出かけ、そこで、わたしがあなたに語ることばを叫べ。

・神からエレミヤへ象徴的行動の指示。4つの内容。
①土の焼き物の瓶(新共同訳:「陶器の壺」)の購入。
②数人の長老(市民の指導者)、祭司(宗教指導者)との同行。
③「陶片の門」を通って、ベン・ヒノムの谷へ行く。
 (ヘ)harsut・・陶器のかけらの意。この門は今の「糞門」であろう。
④神のことばの宣言(叫べ)
※壊れた陶器の捨てる場所へ向かう門→粉砕されるイスラエルを示す象徴
※偶像を恐ろしい方法で崇拝していたベン・ヒノムの谷→バアル神の礼拝場所  

3節:『ユダの王たちとエルサレムの住民よ、主のことばを聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ、わたしはこの場所にわざわいをもたらす。だれでもそのことを聞く者は、両耳が鳴る。

・「王たち」(ダビデ王家の人々)と、「エルサレムの住民」への預言。
・この地にわざわいをもたらすという事の知らせ。被災者は彼らである。⇒大規模捕囚、神殿と国の崩壊
・この預言を聞くと、あまりの酷さに両耳がうずく。同じ表現→Ⅰサム3:11~13。

4節:彼らがわたしを捨てて、この場所を見知らぬ所としたからである。彼らはこの場所で、彼らも彼らの先祖も、ユダの王たちも知らなかったほかの神々に犠牲を供え、この場所を咎なき者の血で満たし、

・民は偶像礼拝により、神からの約束の地を、異質で、不適切なものとした。
・神を無視し、先祖たちの知らない偶像を取り入れ、拝む。
・その礼拝は、無実の者の血でベン・ヒノムの谷(ゲヘナ:地獄の象徴)を満たした。

ゲヘナ⇒ヒノムの谷をアラム語で発音した時のギリシア語での表記(英語をカタカナ表記にしたようなもの)

5節:バアルのために自分の子どもたちを全焼のささげ物として火で焼くため、バアルの高き所を築いた。このようなことは、わたしが命じたこともなく、語ったこともなく、思いつきもしなかった。

・神が命じたことも、思いついたこともないような行為を実施する民。
・バアルのために祭壇を築き、自分の子をささげものとして火で焼いた。
※神を無視すると、結果このようなおぞましい事をするようになる。

6節:それゆえ、見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、もはやこの場所はトフェトとかベン・ヒノムの谷と呼ばれない。ただ虐殺の谷と呼ばれる。

・「その時が来る」・・裁きの時は間近。「トフェト」とか「ベン・ヒノムの谷」と呼ばれなくなる。
※(ヘ)tofeth・・「焼き場」、(ヘ)bane・・息子、(ヘ)hinnome・・人名、悲劇。
その時は、「虐殺((ヘ)harega)の谷」と呼ばれる。
※バビロンの攻撃で多数の死体が放置され、鳥や獣の餌となってしまう。

7:31~33に似た表現があります。7章の時期は6年後のBC598年。
したがって、19章で語られている内容が、再度、7章で語られているという事。

7節:また、わたしはこの場所で、ユダとエルサレムのはかりごとを打ち砕く。わたしは敵の前で彼らを剣で倒し、また、いのちを狙う者の手によって倒し、その屍を空の鳥や地の獣に餌食として与える。

・神は、神に従わないユダ、エルサレムの住民の自己中心的な計画を打ち砕く。陶器を打ち砕くように!
※この谷には、罪なき者が捧げられる祭壇が造られ、崇められていた。 その報いとして、敵に打たれ、葬られず捨てられ、鳥、獣の餌となる。

18章では陶器師と粘土の関係から、修復→更生という神の期待が示されていた。
19章では焼き上がった陶器の不可逆性から、破壊→捕囚という神の裁きが示されている。

8節:また、わたしはこの都を恐怖のもと、また嘲りの的とする。そこを通り過ぎる者はみな呆気にとられ、そのすべての打ち傷を見てあざ笑う。

・この裁きは、異邦人諸国に対して、エルサレムを恐怖のもと、嘲りの的とする。
・エルサレムを通る異邦人たちは、わざわいを恐れるが、愚かさを笑う。18章16節。
・壊滅的な打撃である事が、民に示されているのだが、・・・

9節:またわたしは、包囲と、彼らの敵、いのちを狙う者がもたらす窮乏のために、彼らに自分の息子の肉、娘の肉を食べさせる。彼らは互いに、その友の肉を食べ合う。』

・神は、敵に周囲を包囲させ、その圧力によって窮乏(飢餓状態)させる。
・彼らは自分の息子、娘を喰い、更に仲間同士、喰い合うこととなる。
※レビ26:27~35、申28:52~57参照 
※哀歌・・・町囲いされた状況・・2:10~11;息子、娘を喰う状況・・4:10

こうして神はエレミヤを通して、極めて近い未来の厳しい裁きを示されている。しかし、神を無視する者の耳には、戯言にしか聞こえない!

 

『実践の花』
・神は自分の子を焼き殺してまで偶像礼拝する民を裁かれます。そんな民は、敵に包囲され窮乏すると、我が子を喰うという行動に出てしまいます。一体、愛はどこにあるのでしょうか?
・生活保護が受けられず、餓死した人がいました。日本でそんなことが起こるものかと驚きました。外国人にまで生活保護が行き及んでいるという日本で、どうしたことかと思わされます。
・私たちクリスチャンは、心に神の戒めが書き記されています。神は、聖書を通して私に問いかけています。それは「あなたが苦しい時でも、善意善行を示せるか?」です。
・人それぞれ苦しい状況は様々。それでも心を自己中にせず、いつもイエス様の愛に近づくことを求めましょう。その為にも、日々のディボーションを深め、実践の花を咲かせ、実をつけて行きましょう。
「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人を慰めることができます。」 コリント第二 1章4節

エレミヤ書18章13節~23節

13節:それゆえ、主はこう言われる。「さあ、国々の中で尋ねてみよ。だれか、こんなことを聞いたことがあるだろうか。おとめイスラエルは、実におぞましいことを行った。

・「さあ、国々の中で尋ねてみよ。・・」→「国々」は異邦人諸国を指す。
※偶像ではあれ、異邦人でも己の神を拝み続けるもので、他の神と入れ替えることなどない。
・異邦人もあきれるイスラエルのおぞましき神への背信を周囲にさらしている。
※イスラエルの立地は周囲の注目を受ける交通の要衝。
※神の国としての良い見本であるはずが、心変わりして偶像を拝むおぞましい見本となっている。
・「おとめイスラエル」の表現は、モーセ契約締結(BC1445年頃)後、早い段階でこのような状態になっていたことを示す。

12節で示された「自分の計画に従って・・」という民の行動が示されている

14節:レバノンの雪は、野の岩から消え去るだろうか。ほかの国から流れて来る冷たい水は、涸れることがあるだろうか。

・「レバノンの雪」・・ヘルモン山を指す。年間を通じて雪に覆われる。海抜2800m。
※年中、水が豊富。レバノン山脈の南端にある山。
・「他の国からの冷たい水」・・地下水で、枯れることがないもの。
※自然を見ると秩序は保たれている。自然な流れになっている。
※しかしイスラエルの民は独自のやり方で、不自然な道を歩んでいる。


15節:それなのに、わたしの民はわたしを忘れ、空しいものに犠牲を供える。それらは、わたしの民をその道、いにしえの道でつまずかせ、小道に、まだ整えられていない道に行かせ、
16節:彼らの地を恐怖のもととし、永久に嘲りの的とする。そこを通り過ぎる者はみな、呆気にとられて頭を振る。

・異邦人もしない不自然な行為。→不自然な道(偶像)に信頼する行為。
・偶像は彼らを小道へと導き、永久に恥を見させる。神の怒りを買う。
・「頭を振る」・・救いようがないと呆れる様子。
・周辺の民は、そのおぞましさに、救いようがない!と思う。

17節:東風のように、わたしは彼らを敵の前で散らす。彼らの災難の日に、わたしは彼らに背を向け、顔を向けない。」

・「東風」・・5~10月の間に、ヨルダン砂漠、アラビア砂漠から吹く激しい熱風。
※数時間で15~20℃上昇する。神の厳しい裁きを象徴するもの。
・この場合は、大規模なバビロン捕囚、神殿破壊を指す。13章24節でも語られた。13章は、BC600年、4年後のことである
・「・・彼らに背を向け、顔を向けない」・・神の助けは、一切ない事を示す。

18節:彼らは言った。「さあ、私たちは策をめぐらしてエレミヤを倒そう。祭司から律法が、知恵のある者から助言が、預言者からことばが滅び失せることはないはずだから。さあ、舌で彼を打ち、彼のすべてのことばに耳を傾けることがないようにしよう。」

・「彼ら」・・偽預言者たち、偽祭司たちを指す。
・エレミヤへの陰謀が明らかになる。彼らは、陰謀に3つの望みを託す。
①偽祭司たち・・自分たちの律法が守られること。
※当時は、自分たちの思いで律法を変更することが習慣化
②偽知恵者たち・・禁止されている法律を許可すること。
※「法律の再解釈」と言って、自己中の虚言を吐いていた。
③偽預言者たち・・耳障りの良い、肯定的な偽預言を語ること。
※詐欺的行為に他ならない。
・エレミヤを中傷し、彼のことばを聞かずに済むようにしようとする!殺害を意図!

19節:「主よ、私に耳を傾け、私と争う者の声を聞いてください。
20節:善に悪をもって報いてよいでしょうか。まことに彼らは、私のいのちを取ろうとして穴を掘りました。私が御前に立って、彼らへのあなたの憤りをやめていただくために、彼らについて良いことを語ったことを、思い起こしてください。

・私の声と彼らの声を聞いて、正しく裁いてください。勿論、エレミヤが正しい!
エレミヤは、偽預言者たちのために、神の怒りが鎮まるよう祈った
・「善に悪で報いることがあって良いのでしょうか?」
偽預言者たちは、そんなエレミヤに罠を仕掛け、殺害を計画した。
・殺害計画が明確になった。
※12章でエレミヤの殺害に関することばがあったが、それはBC598年、6年後のことである。

21節:それゆえ、彼らの子らを飢饉に渡し、彼らを剣で殺してください。妻たちは子を失い、また、やもめになり、夫たちは虐殺されて死に、若い男たちは戦いで剣に殺されますように。

・エレミヤは、彼らに対する神の正しい裁きを嘆願する。
・エレミヤの殺害計画は、神への反抗姿勢。

22節:突然、あなたが略奪隊に彼らを襲わせるとき、彼らの家から悲鳴が聞こえます。彼らは私を捕らえようとして穴を掘り、私の足もとに罠を設けたからです。

・略奪隊の急襲で、彼らは悲鳴を上げる結果となる。
・その原因は、エレミヤの殺害計画、すなわち神への反抗心である。

23節:主よ、あなたはみなご存じです。私を殺そうとする彼らのはかりごとを。どうか彼らの咎を赦さず、彼らの罪を御前からぬぐい去らないでください。彼らを御前で打ち倒し、御怒りの時に、彼らに報いてください。」

・エレミヤは神が全てをご存知であることを認識している。
※特に、心という目に見えない部分を神はよくご存知である。
※エレミヤは人々のために働いていた。(公正・・隣人愛)
・神の御怒りは、彼らに報いとなって現れる。

イスラエルは裁かれることになるが、特に悪いのは上層指導部の人々。彼らの舵取りで、
国は良くも悪くもなる。神に背を向けた指導者たちに、神の御心にかなう舵取りはできない。

 

『歴史の展開者』
・エレミヤは、神の裁きが目前である事を察し、切羽詰まる思いで預言を伝え、指導していたでしょう。しかし、肝心の上層部には届かず、一般人の耳も上層部に傾き、暖簾に手押し状態。
・現状の日本、また世界は、どう見ても良い方向には進んでおらず、その原因の一つが、神の教えに反するリーダーたちのミスリードと言えます。常に世界はこの問題を抱えています。
・まるで世は、自分たちが世界を展開しているかのような振る舞い。その歴史の終末には、バビロン捕囚をはるかに上回る、イエス様による大患難時代という厳しい裁きが計画されています。
・世がどんなに私たちを翻弄しても、真の歴史の展開者をしっかりと見上げましょう。混沌とした世であるからこそ、聖であり義であり、何処までも愛に溢れたイエス様の存在を示して行きましょう。
第七の御使いがラッパを吹いた。すると大きな声が天に起こって、こう言った。『この世の王国は、私たちの主と、そのキリストのものとなった。主は世々限りなく支配される。』 黙示録11章15節

エレミヤ書18章1節~12節

1節:主からエレミヤに、このようなことばがあった。
2節:「立って、陶器師の家に下れ。そこで、あなたにわたしのことばを聞かせる。」

・神のエレミヤへのことば。
・「陶器師の家へ行け」との命令。
※陶器師が例え話で用いられている聖書箇所⇒ヨブ33:6、詩2:9、イザヤ29:16、ロマ9:20~23、黙2:27

3節:私が陶器師の家に下って行くと、見よ、彼はろくろで仕事をしているところだった。

・陶器師が陶器を作る風景を見ることになる。
※上下の石の円盤があり、下の円盤を足で回転させ、上の円盤上で粘土を成形。「蹴りろくろ」、「蹴ろくろ」と呼ばれる。

4節:陶器師が粘土で制作中の器は、彼の手で壊されたが、それは再び、陶器師自身の気に入るほかの器に作り替えられた。

・陶器師は、粘土の形が気に入らず壊して、また新たに製作していた。
・やわらかい粘土は再制作が可能。固まってしまったら、粉砕するしかない。
※柔らかでも固まっても、主権は陶器師。陶器師に絶対的主権がある

私が陶器師の話を聞いたとき、駄目なものは破壊するというイメージでしたが、ここに記載されている陶器師は、一所懸命粘土を造ってはまたやり直し、と気に入る器を創造するために労を惜しまない姿であり、まさに神の愛が表現されていると思いました。

5節:それから、私に次のような主のことばがあった。
6節:「イスラエルの家よ、わたしがこの陶器師のように、あなたがたにすることはできないだろうか──主のことば──。見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたはわたしの手の中にある。

・神の陶器師の例えの解説。
陶器師の手⇒神の御手:粘土⇒イスラエルの国
※4節の通り、神は破壊したものを造り変えることが出来る。
※イスラエルの国は神の御手の中。神の思いのままの状態という事。

7節:わたしが、一つの国、一つの王国について、引き抜き、打ち倒し、滅ぼすと言ったそのとき、

8節:もし、わたしがわざわいを予告したその民が立ち返るなら、わたしは下そうと思っていたわざわいを思い直す。

・「神がある国を裁く(滅ぼす)と予告した時に、悔い改めるなら裁きは思い直す。」
※イスラエルは条件付き契約下にある。
※この「悔い改め」は、人々の心が変わり、行動に現れるものでなければならない。
内面も外面も、神の期待に沿う変化⇒新約時代も、いつでも神の期待は同じ

9節:わたしが、一つの国、一つの王国について、建て直し、植えると言ったそのとき、
10節:もし、それがわたしの声に聞き従わず、わたしの目に悪であることを行うなら、わたしはそれに与えると言った幸せを思い直す。

・「神がある国を建て直すと言った時に、その声に聞き従わず、悪を行うなら、与えると言った祝福を思い直す。」→ 条件付き契約
※神は常に契約を守られるお方。問題は常に人間側にあることを知ろう!

11節:さあ今、ユダの人とエルサレムの住民に言え。『主はこう言われる。見よ。わたしはあなたがたに対してわざわいを考え出し、策をめぐらしている。さあ、それぞれ悪の道から立ち返り、あなたがたの生き方と行いを改めよ。』

・ユダの人、エルサレムの住民への神のことば。
・今の状態は、ユダ、エルサレムの人々への災いの実施を検討中。この時は、BC605年の小規模捕囚の1年後。大規模捕囚の7年前。
・7~8節の原則に基づき、よく考えよ!
※神は悔い改めを求めておられ、それによって生き方、行動が変わることを期待。
※もし、立ち返るなら神は裁きを考え直すと言われている。

12節:しかし、彼らは言う。『いや。私たちは自分の計画にしたがって歩み、それぞれ、頑なで悪い心のままに行います。』」
・「いや、」‥新共同「それは無駄です。」・・(ヘ)yaash、絶望、手遅れの意。
※「もう手遅れです。」・・邪悪から抜け出せない民の心。参:2:25。
※裁きは免れない絶望的状況を示している。
エレミヤは48歳から53歳頃。イスラエルの民は、エレミヤが示す神の気付きの促しに、全く応答する気は無かった。
小規模捕囚後、イスラエルはバビロンの支配を受け、自ずと政治も経済もバビロンとその偶像の影響を受けたと思われる。

 

『地上訓練』
・神は陶器師を用いて、絶対的主権について説明されました。しかし、イスラエルの民は、自らを主権者と考え神の期待とは真逆となっていました。
・もし神が正義の裁き主として君臨し、人々がその御前に出るなら、民はさっさと裁かれて、結局誰一人地上に存在しないという事になります。しかし、神は義であると共に愛の神です。
・神は真の愛を実践しておられます。私たちは愛においても不完全ですが、そんな私たちは、神を通して真の愛を知ることになります。神は救われた人々にその愛の実践を期待します。
・愛は平和の鍵です。救われた私たちは世に真の愛を示すためにも、この愛の実践という地上訓練に応答して行こうではありませんか。
「子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。そうすることによって、私たちは自分が真理に属していることを知り、神の御前に心安らかでいられます。」ヨハネ第1 3:18~19

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