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メッセージ

ミカ4章1節~5章1節

1節:その終わりの日、の家の山は、山々のかしらとして堅く立ち、もろもろの丘よりも高くそびえ立つ。そこへもろもろの民が流れて来る。

2節:多くの国々が来て言う。「さあ、の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムからのことばが出るからだ。

3節:主は多くの民族の間をさばき、遠く離れた強い国々に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

この個所と同じ内容の預言がイザヤ2:2~4にある。

同時期に、二人の預言者に同じ預言が与えられている。微妙な違いはあるが、神が、聴取者に対して、この預言の重要性を示す意図であったと考える。

1節:その終わりの日(その日の終わり)・・とは、メシア的王国の成就を指す。ミカは、初めにメシア的王国の成就を示している。遠未来の預言である。
「主の家の山」・・エルサレムが一番高い位置となる。それは、大患難時代に、天変地異が起こり、地形が変わり、エルサレムが一番高い山となるという意味。
更に、統治する機構(再臨のイエスの統治)があることを示している。
もろもろの民‥大患難時代を通り過ぎた異邦人たちが、そこに流れて来る。新共同訳では、大河のように民(異邦人)が流れて来る、としている。
2節:大挙して異邦人の民がエルサレムに訪れるのは何故か?目的は?
「ご自分の道を私たちに教えてくださる」・・これは主が直接、その異邦人の民に指導されるということ。彼らは、メシアを受け入れはしたが、肉の命を持った異邦人である。メシア的王国での生き方を直接彼らに指導される。
大患難時代を経た異邦人たちは、その時、実際の神を見て、心底、喜びに満ちる。
エルサレムから神のことばが出るということは、エルサレムが全世界の中心的存在となり、それは神中心の世界(神による統治世界)を示す。
神の価値観が世界に浸透して行く!

3節:主は多くの民族、国々を管理され、問題を処理され、これまでの争いはなくなる。
従って、彼らに武器は必要なくなる。その武器や、武器を造る知恵は第一次産業に    回り、食料の不足はなく、それを奪い合う争いも起こらない。

4節:彼らはみな、それぞれ自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下に座るようになり、彼らを脅かす者はいない。まことに万軍のの御口が告げる。

経済は潤沢に回り、安定した食料事情の元、各国民が「平和」の名のもとに生活する。
これは主が約束してくださるメシア的王国のことである。


5節:まことに、すべての民族は、それぞれ自分たちの神の名によって歩む。しかし、私たちは、世々限りなく、私たちの神、の御名によって歩む。

そんな王国において、異邦人は自分たちの神(都合)で歩む者も出て来るが、イスラエルの民は、いつまでもこの神の約束を信頼して歩むのだ!

メシア的王国では、イスラエル人はだれも神を裏切らない

6節:「その日―のことば― わたしは足を引きずる者を集め、追いやられた者、また、わたしが苦しめた者を呼び集める。

7節:わたしは足を引きずる者を、残りの者とし、遠くへ移された者を、強い国民とする。であるわたしが、シオンの山で、今よりとこしえまで、彼らの王となる。

その日・・とは、大患難時代を指す。(詳細に見ればメシア再臨を指す)
足を引きずる者・・迫害を受けた者と共にヤコブ(足に支障)、つまりユダヤ人を指す。
離散しているイスラエルの民の残れる者を強い国民とする。主が彼らの王となって 永遠に統治する。それは、神が約束された御国の成就を意味している。


8節:あなたは、羊の群れのやぐら、娘シオンの丘。あなたには、あのかつての主権、娘エルサレムの王国が戻って来る。」

羊の群れのやぐら・・原文では「ミグダル・エデル」で、ベツレヘム(近郊)のこと

(創35:19~21)参照
娘シオンの丘・・エルサレム

メシア的王国の時、この両地は栄光の地となる

9節:今、なぜあなたは大声で叫ぶのか。あなたのうちに王がいないのか。あなたの助言者は滅び失せたのか。それで、子を産む女のような激しい痛みがあなたをとらえたのか。

目線は大患難時代の後半期に移っている。(産みの苦しみ・・一般的に大患難時代を指す)
大声で叫ぶのは何故か?出産の痛みに似た激しい痛みの原因は何か?

王がいない!  助言者がいない!(中川先生:議官、新共同訳:参議
政策の失敗により、信頼できる上層指導部の存在(感)が無くなる。
リーダーコンプレックスの影響もあり、イスラエルの民は指標を失う。この事が、真の救い主の求めへと繋がることになるのではないか。

10節:娘シオンよ。子を産む女のように、身もだえして、もがき回れ。今、あなたは町を出て野に宿り、バビロンまで行く。そこで、あなたは助け出される。そこで、があなたを敵の手から贖い出される。

イスラエルの民は虐殺され、更に連行、捕囚されて行く。
その地は、バビロン(黙示録:大きな都バビロン)。当時の世界の中心地。
多くの異邦人国家がユダ・イスラエルを攻める。

町、家々は荒らされ、婦女は犯され、町の半分の人が捕囚されるが、半分は残る。➡ゼカ12:2~5、ゼカ14:1~2 
その時、主がイスラエルの民を敵の手から守られる

10節~5章1節にかけて、ハルマゲドンの戦いの状況が語られている

11節:今、多くの国々があなたに敵対して集まり、そして言う。「シオンは汚されるがよい。われわれはこの目でじっとそれを見ていよう」と。

異邦人諸国が反キリストの号令の下、メギドの平原(イズレエルの谷)に集結し、イスラエルに攻め上る。→シオンが、滅びと言う恥辱を受ける目撃者となるために。

12節:しかし彼らはの御思いを知らず、その御計らいに気づかない。主は、打ち場の麦束のように彼らを集められたのだ。

その異邦人諸国は神の最終的なご計画に気付いていない。結局、異邦人諸国の集結は、神の裁きのためである。


13節:「娘シオンよ、さあ、脱穀せよ。わたしが、あなたの角を鉄とし、あなたのひづめを青銅 とする。あなたは多くの国民を粉々に砕き、彼らの不正な利得をのために、彼らの財宝を全地の主のために聖絶する。」

異邦人諸国にたいして果敢に戦いに応じるイスラエル。神はイスラエルを励まし、神の民はその存在意義を示そうとして戦うのだが・・。
ミカの時代は、神の民としての意味が重要。


5章

1節:今、軍勢をなす娘よ、勢ぞろいせよ。包囲網が私たちに対して設けられた。彼らは、イスラエルをさばく者の頬を杖で打つ。

しかし、残念なことにイスラエルの軍は、完全に包囲されてしまい、敗戦する。
敵がイスラエルの管理者の頬を杖で打つ。→古代中近東の勝利を意味する象徴的行為。

ハルマゲドンの戦い(大患難時代)において、最終的に名ばかりの神の民が生き残ることはないことが示されている重要な預言である。

ミカ3章1節~12節

1節:私は言った。「聞け。ヤコブのかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公正を知っているはずではないか。

再び目に余る行動をとるヤコブのかしら(上層指導部)たち。
上層指導部には王も含まれると見る。
神の民と言いながら、神の律法の教え、すなわち公正と正義はどうしたのか?

神の民とは、神に信頼し、神の教えに従うことで、人間としての手本を示すもの
このような状態になることを、神は既にご存知であった(Ⅰサム8:10~18)

2節:あなたがたは善を憎んで悪を愛し、人々の皮を剥ぎ、その骨から肉をそぎ取る。

3節:わたしの民の肉を食らい、皮を剝ぎ取って、骨を打ち砕き、鍋の中のもののように、また大釜の中の肉切れのように、それを切れ切れに裂く。」

悪を愛し、人々から剥ぎ取り尽くす指導者たち。公正と正義は消え失せている。
前回は上着だが、今回は皮、肉、骨、食らう如き搾取を強いる。(更に激化)

 

北イスラエルを滅ぼしたアッシリヤの勢いは、多大な脅威。その恐れが、アッシリヤへの朝貢となり、属国となり下がる原因である。民に重い負荷(重税)をかけ、自分たちは影響なし。南ユダは、一体何に頼るのか?

 

4節:そのため彼らがに叫んでも、主はかれらに答えない。そのとき、主は彼らから顔を隠される。彼らの行いが悪いからだ。

彼らが、表面的な礼拝をしても、主は答えない。
彼らの行動、行為が最悪の状態だからだ。(霊的位置にいない状態)


5節:預言者たちについて、はこう言われる。「彼らはわたしの民を惑わし、かむ物が歯にあれば『平和があるように』と叫ぶが、口に何も与えない者には聖戦を布告する。」

偽預言者に対する叱責。彼らは利得を優先し、利得なき場合は敵対すると布告する。
真の預言者としての自覚なし。自己中の利得優先主義。

 

6節:それゆえ、あなたがたには、夜にも幻がなく、暗闇にも占いがない。太陽も預言者たちの上に沈み、昼も彼らの上で暗くなる。

幻どころか、夜に見る幻(夢)さえ、見ることが無くなる。暗闇になって、先行きを知るための占い(託宣)、つまり神の導きの言葉もない。
太陽も・・新共同訳「預言者たちには、太陽が沈んで昼も暗くなる。」 ⇒未来が失せる。

預言者と名のる偽預言者は、ついには人生の闇を味わうことになる。

7節:先見者たちは恥を見、占い師たちは屈辱を味わう。彼らはみな、口ひげをおおう。神の答えがないからだ。

先見者、占い師(偽預言者たち)は、自分の占いが外れることで、恥と屈辱を受ける。
口ひげをおおう・・恥を受けている様子を示す言葉。


8節:しかし、私には力が満ちている。の霊によって、公正と勇気に満ちている。ヤコブにはその背きを、イスラエルにはその罪を告げる。

本物の預言者ミカ→主の霊の力。
神、そして律法への従順が、公正と正義に満ちる。それは生きる勇気を与える祝福!

利得ではなく神に信頼して生きる者の強さがある!
私たちも、聖霊をいただく身。イエス様の律法に従い、愛神愛人に満ちて生きよう!
己の利得の前に、神の義、神の愛を優先する生き方を目指そう!


自信に満ち満ちたミカは、南ユダ上層指導部の堕落を宣告する!!

9節:これを聞け。ヤコブの家のかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公正を忌み嫌い、あらゆる正しいことを曲げている。

10節:流血でシオンを、不正でエルサレムを建てている。

明らかに王を含む指導者層への言葉である。
神が期待する公正を忌み嫌い正義が曲げられている ⇒完全に神を無視!霊的堕落は異邦人!
本来なら、公正と正義で建て上げられるべきシオン、エルサレムが、流血と不正で建て上げられている。神の目には裁きの対象にしか映らない!

神の御心の把握力!

私たちの学び ⇒自らが聖書にある神の御心をしっかりと受け止め、
神様との正しい関係をつくり、教会というイエス様の身体を建て上げる!


11節:そのかしらたちは賄賂を取ってさばき、祭司たちは代金を取って教え、預言者たちは金を取って占いをする。しかもなお、彼らはを当てにして、「は私たちの中におられるではないか。わざわいは私たちの上に及ばない」と言う。

上層指導部の体たらく。
上層部では賄賂の横行!・・不正がまかり通る。
祭司が代金を取る。・・神の権威の喪失、失墜。
金銭目当ての預言者。・・預言ではなく占いをする。

それでいて主を当てにする。神は私たちの中にいると言う偽者。北イスラエルとは違う!と言う戯言。実際には、神はもう、そこにはおられない!

12節:それゆえ、あなたがたゆえにシオンは畑のように耕され、エルサレムは瓦礫の山となり、神殿の山は木々におおわれた丘となる。

神の民でありながら、神を蔑ろにする者たち。その心と行いが災いを招く。
シオン、つまり神の国は畑のように耕される。つまり、無視され荒らされる。
エルサレム、神の神殿がある場所は、荒らされ(侵略され)瓦礫の山(廃墟)となる。
神殿は破壊され、その丘に人の気配がなく、木々や植物に覆われ、埋もれてしまう。

国は攻められ、荒らされ、民は捕囚され、国を失い路頭に迷うこととなる。

 

上層指導部の裁きは良いが、なぜ下層部の国民まで裁かれるのか?
イスラエルは、民族として神と契約関係にある。 契約の民と言われる。
王制となることの問題点が、事前に神によって指摘されている。それを押して、民は王を求めた。(Ⅰサム8:6~20)
自分で考えることを放棄し、リーダーの言葉にしか反応しない状態。常にリーダーは?であり、思考して、行動する状態にない ➡ リーダーコンプレックス

ミカ書2章10節~13節

10節:さあ、立ち去れ。ここは憩いの場所ではない。ここは汚れで滅ぼされるからだ。それはひどい滅びだ。

上層部(偽預言者)に支配されている人々(残れる者たち)への警告。

神、そして民を裏切り、人々を苦しめて、自分は「憩いの場所」であると思っている上層指導部(偽預言者)の元にいてはいけない。すぐにここを立ち去れ!

常に、神を見上げる位置、神に従う位置、そして in Christ の位置を確保しよう!

神の期待を無視する汚れた者たちを、神は徹底的に裁かれる。
近未来の捕囚を指すと共に、遠未来の大患難時代を指している
こうした近・遠未来の預言は、人間の愚行の反復性を示すと共に、この繰り返しが、「残れる者」の選別であると知るべきではないか!
これは、今も私たちへのメッセージとなっている!

11節:もし人が風の赴くままに歩き回り、『私はあなたがたに薦めよう。ぶどう酒と強い酒を』と偽って言うなら、その者は、この民に戯言を言う者だ。

風の赴くままに・・とは、「神と共に」ではなく、自分の思い(世の流れ)で歩き回る。
「私はあなたがたに薦めよう。ぶどう酒と強い酒を」と言って、この世の生き方を勧め、神の期待に沿わない虚言者こそ、偽預言者である。⇒反キリストをイメージさせる

アモス2:11~12、すでに同様の預言が示されているが、このように人間の罪の繰り返の中で、残れる者の選別がなされている
ここでは、近未来というより遠未来の預言である。終末の事態を、神は人々の前に示されている。全人類に示す法廷判決である!

12節:ヤコブよ。わたしは、あなたを必ずみな集め、イスラエルの残りの者を必ず呼び集める。わたしは彼らを、囲いの中の羊のように、牧場の中の群れのように、一つに集める。こうして、人々のざわめきが起こる。

10~11節において、「人の心をたぶらかす様な、戯言を言う者が現れたなら、立ち去れ。滅ぼされるから。」と神は語る。その民とは「残れる者」である。ゼカリヤ書によれば、それはイスラエルの3分の1の人数。(ゼカリヤ書13:8)
冒頭に「ヤコブよ」と語る神の目には、残れる者、真の礼拝者が映っている。
その「残れる者」を、神は必ず呼び集めると言われる。それは逃れの地を指す。 

終末における「逃れの地」とは、どこか? 
イザヤ:33:16「岩の上の要害」
ダニエル11:41「ヨルダンの東側の地域」
マタイ24:16「山に逃げる」
黙示録12:6「荒野に逃げた」
「逃れの地(町)」が明確に示されているのがミカ書である。
「囲いの中の羊のように」は、町の名前を“言葉遊び”的に表現したものとみる。
文中の「囲い」とは、ヘブル語で「ボツラー」であり、ボツラの羊・・と訳せる。
ヘブル語「ボツラー」は、エドムの地のボツラを指し、現在のペトラにあたる。
ミカの言葉遊びという表現法で書かれた。

そして、羊と言う「信仰の群れ」の暗示がある。
一つに集められた民(残れる者)はどうなるか?⇒ゼカリヤ書13:9
この時、イスラエルの民はメシアを信じ、一つの共同体となる。
「こうして、人々のざわめきが起こる」・・(再臨の)メシアの暗示!

13節:打ち破る者は彼らの先頭に立って上って行く。彼らは門を打ち破って進み、そこを出て行く。彼らの王が彼らの前を、主が彼らの先頭を進む。」

「打ち破る者」とは、メシア(再臨のイエス・キリスト)を指す。
キリストを信じた者たちの勝利の行進である。
彼らはその包囲を打ち破り、囲い(ボツラ)を出て進んで行く。主(再臨のイエス様)が、その先頭を歩み、水先案内人の如く、彼らを導く。
イスラエルの民が、真の神に信頼し、メシアを王として崇め従う姿が浮かぶ。

 

1~2章を一つのくくりと考えるとき、神の冒頭の言葉が印象深い
全人類に示した判決は、大患難時代であり、またメシア的王国の到来である
人は戯言と言うが、これが御国の福音である!!

ミカ2章1節~9節

1節:わざわいだ。 不法を謀り、寝床の上で悪を行う者。朝の光とともに、彼らはこれを実行する。自分たちの手に力があるからだ。

2節:彼らは畑を欲しがって、これをかすめ、家々を取り上げる。彼らは人とその持ち家を、人とその相続地をゆすり取る。

「わざわいだ。」・・最悪だ!裁かれて当然だ!落胆の「あー」と同じ。
1章で、裁きの主原因は偶像礼拝とされた。ここで更に、上層指導部の悪事(権威)を指摘する。
律法の根底にある「公正」が完全に無視されている。神の民としての価値がない。
寝床の上で悪を図る→(一日を神に感謝しない)→人の畑を奪い、家を奪う算段。
神の定めた掟を守らず、利得のために、権威、権力で貧しい人々から奪うことに熱中。

 

3節:それゆえ、主はこう言われる。「見よ。わたしはこういう氏族に、わざわいを下そうと考えている。そこからあなたがたは頭をもたげることもできず、胸を張って歩くこともできなくなる。それは、わざわいの時だからだ。」

神はこのような利得至上主義の上層指導者にわざわい(裁き)を下す。
それは、アッシリヤ、そしてバビロン捕囚と思われる。(大患難時代も想定されている)
胸を張って歩くことができない状態となる。(国がなく、捕囚されることの意味)
と同時に、大患難時代の契約の反故・裏切りの状況も示している。

こうした利得の追及は、時代がどんなに変わっても必ず存在する。
それは、暗躍するサタンの思う壺である。

4節:その日、あなたがたについて嘲りの声があがり、嘆きの歌が起こって言う。「われわれはすっかり荒らされてしまった。私の民の割り当て地は替えられてしまった。どのようにして私から移され、われわれの畑が背信の者に分け与えられたのか。」

5節:それゆえ、主の集会には、あなたのためにくじを引いて測り綱を張る者がいなくなる。

その日・・裁かれる日(近未来)を指しているが、大患難時代(遠未来)の予表でもある。
ミカは言う。「嘲りの声が上がり」・・人々(敵、異邦人)が自分たちを嘲り、上層部に「嘆きの歌」が起こる。
貧しい者をだまして手に入れた土地が、すべて敵国に奪われたことを嘆くことになる。
それ故、土地の分割や相続における、土地の測量士は不要。これは律法に従って歩む術がないということである。・・律法(正義と公正)がない。つまり、神が存在しない。

神の民としての存在感が無くなり、自分たちが滅ぶということを預言する

6節:「戯言を言うな」と彼らは戯言を言う。「そんな戯言を言ってはならない。辱めを受けることはない。」

「戯言を・・」、「そんな戯言を・・、辱めを受けることはない。」は、彼ら(上層指導部、偽預言者)の言葉。ミカの預言を戯言であるという民はその影響を受ける


7節:ヤコブの家がそんなことを言われてもよいものか。主がこれを我慢されるだろうか。これは主のみわざだろうか。私のことばは、まっすぐに歩む者に益とならないだろうか。

7節はミカの心情と見る。
神を信じる者たちには、そんな預言は下されないはずだ。
主はこんな悪い状態をいつまでも我慢して放ってはおられないはずだ。
こんな律法に従わない状態が、神のみわざであろうはずがない!
この私が預かったことばは真の信仰者(残れる者)には有効に働くものである!

常に神に信頼し、純粋に預言を語り、それが残れる者の道と確信するミカ

8節:「近ごろ、わたしの民は敵として立ち上がった。あなたがたは、豪華な上着をはぎ取る。安心して通り過ぎていく者、戦いから帰って来る者たちから。

9節:あなたがたは、わたしの民の女たちを、その楽しみの家から追い出し、その幼子たちから、わたしの誉れを永遠に取り去る。

わたしの民は、異邦人のような戯言を言う者になった。奪い、搾取し、虐げる者に。⇒これは上層指導部の者たちに向けて、語っている。
彼らは、黙って従う者たちや、戦いから帰って来た者たちから、上着をはぎ取るなどして、彼らを虐げ、搾取する。(神の公正、神の御心を裏切る行為)
そうして、その民の女たちをその家、国から追い出し、それらの子供たちから、神の栄光、神の偉大さ、すばらしさ、教えのすべての誉れを取り去ってしまう!

ミカ1章2節~16節

2節:すべての民族よ、聞け。地とそこに満ちているものたちよ、耳を傾けよ。である主は、あなたがたのうちで証人となり、主はその聖なる宮から来て証人となられる。

3節:見よ。は御住まいを出、降りて来て、地の高い所を踏まれる。

イスラエルをはじめとする全諸国民へ!全人類へ!神はこう語られている!!
ここまで黙しておられたが、今、法廷で、神が証人となって語られるその言葉を聞け!
3節の「見よ」は裁きを見よ!の意。証言と言うよりは、判決と裁きと言う意味

法廷にて、判決が下される場面である。神は裁きを実施されるお方である。
全世界に対して、イスラエルの裁きを示し、判例として残している。
これは、バビロン捕囚、そして大患難時代の予表である。

4節:山々は主の足もとに溶け去り、もろもろの谷は裂ける。まるで、火の前の、ろうのように。坂に注がれた水のように。

人が高き所と崇めるところに降りて来られ、そこを踏みつけられる。すると、

山々は溶け、谷は裂ける。溶けた山々は火の前のロウソクのように溶けて、水のようになり、流れて行く!

あっと言う間に、攻められ捕囚される様子を指している

近未来と遠未来の預言が語られていることに注目!

5節:これはみな、ヤコブの背きのゆえ、イスラエルの家の罪のゆえだ。

「ヤコブの背きとは何か。サマリヤではないか。ユダの高き所とは何か。エルサレムではないか。

6節:わたしはサマリヤを野にある瓦礫の山とし、ぶどうを植える畑とする。その石を谷間に投げ込んで、その基を暴く。

ヤコブの背き・・偶像礼拝。
イスラエルの家の罪・・神の教えを守らず(エルサレム神殿を無視した礼拝、高き所を築き、おかしな犠牲を捧げる姿。
その裁きはサマリヤを瓦礫の山にし、その後ぶどう畑にする。その町の基となる石も谷に投げ捨て、跡形もなく、再生の機会も与えない!(エレミヤ26:18に記載あり)

7節:その刻んだ像はすべて打ち砕かれ、儲けはみな火で焼かれる。わたしはその偶像をすべて荒れすたらせる。それらは遊女の儲けで集められたのだから、遊女の儲けに戻る。」

偶像も、利得で得た財産もすべて打ち砕き、焼きすてる。
偶像礼拝は姦淫であり、相手は遊女(サタン)。神殿娼婦との関わりは、サタンとの関わりであり、裁かれる対象である。


8節:このゆえに、私は嘆き、泣き叫び、裸足で、裸で歩く。私はジャッカルのように嘆き、だちょうのように悲しみ泣く。

9節:まことに、その打ち傷は癒やしがたい。それはユダにまで及び、私の民の門、エルサレムにまで達する。

ミカはこの裁きが南ユダにも及ぶがゆえに、嘆き、泣き叫び、裸足で、裸で歩く。(ジャッカル、だちょうは、廃墟などに住みつく動物の象徴。)
南ユダが北イスラエルと同様に攻められるビジョンを見て、ミカは神の御心を知り、嘆き悲しんだ。それは、民の神に対するあまりにふしだらな態度への悲しみ。
北イスラエルの傷は瀕死の重体に至る。そして、その痛みはすぐに南ユダ王国にも及ぶ。
(しかし、この時、南ユダ王国は攻められるも、既(すんで)の所でその裁きを免れる)
アッシリヤは北イスラエルを捕囚し、ユダの町々を攻め、捕囚し、エルサレムを囲んだ。
ヒゼキヤ王・アッシリヤ(センナケリブ王)の戦い。一夜にして、主が18万5千人を殺害し、アッシリヤは撤退。何とか命拾いした南ユダ・エルサレム。ヒゼキヤ王の病死の延命と重なる。

 

10節~16節まで神のみことばが語られる。アッシリヤ攻撃の状況説明。
次々に攻められ征服される町々。その町の名が持つ意味を用いる表現手法。
言葉遊び(パロノマジア・paronomasia)

中川先生の例文
阪神大震災の被災を受けて「神戸の街よ。なぜあなたは神の祝福を迎える戸ではなく、悲劇を招く戸となったのか!」


10節:「ガテで告げるな。決して泣いてはならない。ベテ・レ・アフラでちりの中を転げ回れ。

「ガテ」はペリシテの町で、その意味は「告げる」。ユダの町々の崩壊を、ペリシテに、また諸国に伝えるな!ペリシテをはじめ、諸国が喜ぶから。つまり、滅ぶということ。
「ベテ・レ・アフラ」の意味は「ちりの家」。攻められ塵のように打ち砕かれる場所で悲しめ。


11節:シャフィルに住む者よ、裸になって恥じながら通り過ぎよ。ツァアナンに住む者は出て来ない。ベテ・エツェルの嘆きは、あなたがたから、立つところを奪い取る。

「シャフィル」の意味は、「美しい」であり、とても美しい町。その町に住む者たちは、裸にされ恥じて通り過ぎる。これは捕囚されて行くということか。
「ツァアナン」の意味は「出て来る」。自分が攻められても恐れて、出て来ない臆病者。
「ベテ・エツェル」の意味は、「隣の町」。隣の町ながら、援助、約束を反故にする者。


12節:まことに、マロテに住む者は、病むほどに幸せを待ち望む。エルサレムの門に、からわざわいが下ったのだ。

「マロテ」の意味は「苦い」。エルサレムが攻められるのを見て苦々しい思いになる。それは苦々しい思いで幸いを待ち望むことと同じである


13節:ラキシュに住む者よ、戦車に早馬をつなげ。そこは娘シオンにとって罪の始まり。実に、イスラエルの背きが、あなたのうちに見出されたのだ。

「ラキシュ」の意味は「速く走るラクダ」。そんなラクダのように、戦車に早馬を繋いで逃げる準備をせよ。ひどく、速やかに裁かれるからだ。何故なら・・ユダの罪となる偶像礼拝を真っ先に取り入れた町だから!

 

14節:それゆえ、あなたは別れの贈り物をモレシェテ・ガテに与える。アクジブの家々は、イスラエルの王たちにとって欺く者となる。

「モレシェテ・ガテ」の意味は「贈り物、遺産」。攻められるラキシュが、贈り物を添えて、助けに来てほしいと懇願することになる、の意。地名の意味である贈り物という言葉を用いている。

アクジブ」の意味は「欺き」。これらの町は期待に応えてくれる町ではない。

15節:マレシャに住む者よ、わたしは再び、侵略者をあなたのところに送る。イスラエルの栄光はアドラムまで行く。

「マレシャ」の意味は「贈り物、遺産」。マレシャに、侵略者が送られる。マレシャが 敵への贈り物となる。その栄光、つまり神の民族としての栄光は失せる。
「アドラム」の意味は「主はたたえられる」。・・・マレシャからアドラムに主の栄光は移る。新共同は、「行く」を「に去る」と訳す。しかし、アドラムも攻め落とされることになる。

 

16節:頭を剃れ。あなたが喜びとする子らのために、その剃ったところを、禿鷲のように大きくせよ。彼らは捕らえられて、去って行くからだ。」

「頭を剃れ、髪を剃り落とせ!」とは、悲しみの表現を示すものである。ここで、「あなたが喜びとする子らのために」とあるのは、自らの愛しい子供たちを表すとともに、ここまで語られた町の名はすべて南ユダを支える子らであるということ。
こんな風に、攻め取られた町、捕囚されてゆく民のために悲しむがよい!と言っている。

この16節は、アッシリヤのユダ攻撃の預言と共に、いずれ来るバビロン捕囚の予表である。
「去って行く」は預言的完了形と見る。
ヒゼキヤの信仰心のお陰で、アッシリヤの捕囚からは免れた南ユダ。しかし、不信仰へと下降して行く南ユダを留める術はない!!

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