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・エレミヤ書31章2節~14節
・エレミヤ書31章15節~30節

メッセージ

エレミヤ書31章15節~30節

15節:主はこう言われる。「ラマで声が聞こえる。嘆きとむせび泣きが。ラケルが泣いている。その子らのゆえに。慰めを拒んでいる。その子らのゆえに。子らがもういないからだ。」

・「ラケル」・・ヤコブの妻(いとこ)。美しい女性。合計14年間働いて結婚。(創29章)
※子はヨセフとベニヤミン。(創46:19)
ラケルは、ベテルからエフラテに移動する際、難産でベニヤミンを出産し、命を落とす。エフラテはベツレヘムへの途上(近く)にある。その道に葬られた。(創35:16~20)

埋葬場所には2説ある。 

①現在、ベツレヘムに「ラケルの墓」の遺跡がある。(南方説)
「ラマ」の近くが、ラケルの墓の在所と考えられている。(北方説)←F博士の見解

 

・ラマ・・バビロンがユダヤ人捕囚民をここで集めて、移住させる者を選別した場所。
※若い男性は捕囚地に移住され、母親が二度と会えなくなる。
※息子のために泣いたのがラマの町。
「ラケル」・・エレミヤ時代の悲しい母親を表す象徴的ことば
※新約マタイ2:17~18。→ヘロデによって子供を殺される母親の悲しみ。
DKNJの悲惨な状態が示されている

16節:主はこう言われる。「あなたの泣く声、あなたの目の涙を止めよ。あなたの労苦には報いがあるからだ。──主のことば──彼らは敵の地から帰って来る。

・主は、泣くな悲しむなと命じられる。→その労苦に報いがあると言われる。
・別れた子らは帰還する。→神はイスラエル回復の実現を保証しておられる。

17節:あなたの将来には望みがある。──主のことば──あなたの子らは自分の土地に帰って来る。

・未来の新たな希望が示される。
・「将来」・・(ヘ)acharit・・後半の部分、終わり。預言的未来の表現をしている。
バビロンからの帰還ではなく、最終的な世界からの帰還を指している

18節:わたしは、エフライムが悲しみ嘆くのを確かに聞いた。『あなたが私を懲らしめて、私は、くびきに慣れない子牛のように懲らしめを受けました。私を帰らせてください。そうすれば、帰ります。主よ、あなたは私の神だからです。

・「嘆く」・・(ヘ)nud・・揺らぐ、さまよう、悲しみを示す、などの意味。
※神は民の悲しみを聞き、彼らが動揺するのを認めた、・・という意味。
※エフライムは悲しみ(後悔と感謝の念)を語る。
・くびきに慣れぬ子牛を訓練するように、神は私たちを懲らしめてくださった。
・彼らは正しく懲らしめられたことに気づき、帰還を嘆願し始める。
神の愛に気づき、完全に神に立ち返ったイスラエルの民が示されている

19節:私は立ち去った後で悔い、悟った後で、ももを打ちました。恥を見て、辱めさえ受けました。若いころの恥辱を私は負っているのです』と。

・「悔い」・・(ヘ)yada・・経験から生まれた知識を得る、の意味。
※腿を打つ→嘆きを表現する動作・・エゼキエル21:12参照。
※若い頃に犯した罪の恥を見て、屈辱を受け、悔いました。
罪を悟り、過去を大反省するエフライムの思いを神は聞かれた

20節:エフライムは、わたしの大切な子、喜びの子なのか。わたしは彼を責めるたびに、ますます彼のことを思い起こすようになる。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。──主のことば──

・エフライムの悲痛な告白に対する神の応答が示される。
・「大切な子、喜びの子なのか」→神は、エレ31:9、31:3ですでに示されている。
・「思い起こす」・・(ヘ)zakar・・思い出す、自分の利益の為に思い出す、の意味。
神はイスラエルの利益を常に考えて、真剣にイスラエルを思い、憐れんでいる

21節:あなたは自分のために標識を立てて道しるべを置き、あなたが歩んだ道の大路に心を留めよ。おとめイスラエルよ、帰れ。これらの、あなたの町に帰れ。

・神はイスラエルの民を悔い改めへと導く。
・「あなたが歩んだ大路」・・神の民として歩むべき道。
・その道を正しく歩むために、道路に標識や道しるべを、自分たちのために設置せよ。
・そして、おとめイスラエルに戻り、自分たちの土地に帰れと、神は勧める。

22節:背信の娘よ、いつまで迷い歩くのか。主はこの地に、一つの新しいことを創造される。女の優しさが一人の勇士を包む。」

・「創造される」・・(ヘ)bara・・神だけが実行できる行動を指す。
※神が御業によって新しいことをなさる
・「包む」・・(ヘ)savav・・方向を変える、囲む、包含、の意味。22節cは不明

23節:イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。「わたしが彼らを元どおりにするとき、彼らは再び次のことばを、ユダの地とその町々で語る。『義の住まい、聖なる山よ、主があなたを祝福されるように。』

・神が民を回復させると、民は祝福に与ろうとして、このことばを語り始める。
※F博士・・恐らく、ダビデやソロモンの時代の時のような光景。
・「義の住まい」・・エルサレム、「聖なる山」・・シオンの山。両者の祝福を祈る。

24節:ユダとそのすべての町の者はそこに住み、農夫たちも、群れを連れて回る者たちも一緒に住む。
25節:わたしが疲れたたましいを潤し、すべてのしぼんだたましいを満ち足らせるからだ。」

・農夫(土着)と羊飼い(旅する者)が一緒に住む。
・充足感と完成感に満たされる。
※吉田案・・エルサレムにいた人々と離散していた人々たちが共存すること。

26節:ここで、私は目覚めて、見回した。私の眠りは心地よかった。

・30:1~31:25はエレミヤに夢の中で啓示された、楽しい内容であった。
※F博士によれば、エレミヤは残りの部分を、夢で見ることになる。

27節:「見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家とユダの家に、人の種と家畜の種を蒔く。

・「その時代が来る」・・未来の回復が語られる。
・「種まきの預言」→イスラエルの地にユダヤ人が再び満たされる。家畜も同様に。
※ホセア2:21~23・・ホセアの息子イズレエル→意味は①神は散らす、②神は種を蒔く

28節:かつてわたしが、引き抜き、打ち倒し、打ち壊し、滅ぼし、わざわいを下そうと彼らを見張っていたように、今度は、彼らを建て直し、また植えるために見張る──主のことば──。

・神による見張りの変化→「裁き」の見張りから、「回復と建て上げ」の見張りへ。
・神のイスラエルを見る見方が変化。以降は祝福の期間として見守る姿勢へと変化。

29節:その日には、彼らはもはや、『父が酸いぶどうを食べると、子どもの歯が浮く』とは言わない。

・エゼ18:1~4・・捕囚されて行った人々の間に不満があった証拠。
※モーセの律法(申5:9)の「父の咎が三代、四代目にまで及ぼし」には該当しない。
・この格言、つまり不平を言う者はなくなる。イスラエルの民の裁きは終わった。

30節:人はそれぞれ自分の咎のゆえに死ぬ。だれでも、酸いぶどうを食べる者は歯が浮くのだ。
・メシア的王国では、その格言は変わる。
・彼ら自身の罪のために死んでも、先祖の罪、イスラエル全体の罪では死なない時代。
※罪で死ぬことがあるなら、自分自身の罪によって死ぬという原則に変化する。
→自分自身の罪とは、心が頑なで、神に不従順な心の状態、姿勢を指す。
メシアなるキリストが王となる千年王国は、神に不従順な心が死に値する罪とな

 

『人は必ず甦る』
・メシア的王国は、義であり、聖であり、愛の神が主権を発動する王国であり、その時の世界の価値観は完全に変わり、その国に招かれた者はその価値観に信頼して生きる。
・メシア的王国でも、神に不従順な人はその罪によって死ぬことになるが、私たちはその時すでに栄光の体であり、罪を犯すことはない。むしろ、模範になったり、罪を監視するようなものになる。
・携挙などの例外はあるが、基本的に肉体を有する者は死ぬ。しかし最終的に悪人であれ誰であれ必ず滅びない体に甦る。問題はその甦った体が神の領域に属するか否かである。
・神に属さない者は、滅びない体で永遠に苦しみを受ける。一方、神に属する者は幸いな永遠いのちを受けて生き続ける。すでに私たちはこの人生にあることを忘れてはいけない。
「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに踊っています。あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。」ペテロ 第一 1:8~9   

エレミヤ書31章2節~14節

2節:主はこう言われる。「剣を免れて生き残った民は荒野で恵みを見出す。イスラエルよ、出て行って休みを得よ。」

・イスラエルの民の患難時代の厳しい状況が示される。
・「剣を免れて生き残った民」・・3分の1のユダヤ人・・「残りの者(レムナント)」。
・レムナントは荒野(ボツラ)で「恵み」→「休み」を得る。
※「休み」・・(ヘ)raga・・休憩の意味→文脈から「救いの休息」の意味。
・荒野で苦難を生き延び、そこでついに神は救いを得させる。

3節:主は遠くから私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。

・「遠くから」・・(ヘ)rahog・・「遠い」→距離的意味と時間的意味がある。
※F博士は、「古くから」という時間的意味で解釈している。
※過去の預言者を通して、わたし(イスラエル)に、以下のように言われてきた。
・「永遠の愛をもって・・愛した」→古くから神は、イスラエルへの愛を示してきた。申7:8
※永遠の愛という言葉には、滅びることがないという意味が示されている。
・「真実の愛を尽くし続けた」・・「真実の愛」は、罰も伴って与えられる
神の愛とは、イスラエルが回復するまで、イスラエルを神の愛に引き付け続けること

4節:おとめイスラエルよ。再びわたしはあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び踊る者たちの輪に入る。
5節:再びあなたはサマリアの山々にぶどう畑を作り、植える者たちは植え、その初物を味わう。

・神の3つの約束が示される。
①「おとめイスラエル」と呼ばれる。→姦淫の妻ではなくなる。
※エレミヤ18:13、ホセア1:2(姦淫の女)
※神は彼らの罪を思い出さず、罪を清める。イザヤ43:25
※再び「おとめ」として回復し、神の妻となる。
②この回復にイスラエルの民は歓喜する。
③最終的な回復は、ユダだけではなく、サマリヤ(北王国)にも及ぶ。
※作物を植えても他の侵入などのために収穫が不作だったが、これが豊作になる。
※初物→約束の地が回復したあと、初の作物。
生産性の回復は、約束の地の回復ということであろう。

6節:エフライムの山で、見張る者たちが『さあ、シオンに、私たちの神、主のもとに行こう』と呼びかける日が来るからだ。」

・「エフライムの山の見張りが・・・呼び掛ける日が来る」
※エフライムの山→北イスラエルの地
※通常 「見張り」 は敵を知らせるが、この時は見張りがエルサレムに誘う日となる。
・「シオン、主のもとへ」・・神が一人の救い主として、エルサレムからすべてを統治される。
※エルサレムが礼拝の中心となり、エルサレムに行くことは神の実存に入ることを指す。
※見張りもその仕事を止めて、「シオンに、主のもとに行こう」と誘う光景。
◎実存→見える存在であること。 
◎臨在→見えないが存在しているということ。(神に用いられる)

7節:まことに、主はこう言われる。「ヤコブのために喜び歌え。国々のかしらに向かって叫べ。告げ知らせよ、賛美して言え。『主よ、あなたの民を救ってください。イスラエルの残りの者を。』

・神の宣告が示される。
・「国々のかしら」(ヘ)rosh・・頭、頂点・・イスラエルは国々の頂点となっている。
※大患難時代終了時、霊的祝福を受けて救われるイスラエル。
・その彼らに、「イスラエルの民を、残りの者たちを救ってください」と賛美して言わせよ!

8節:見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中には、目の見えない者も足の萎えた者も、身ごもった女も臨月を迎えた女も、ともにいる。彼らは大集団をなして、ここに帰る。

・帰還の説明がなされる。  

北の国・・バビロンを指す。
地の果て・・全世界から→まさに終末の光景
※全世界からイスラエルの残りの者たちが帰還してくる。
盲人や足萎え、妊婦なども含め、大集団で帰還してくる。すべて神が導かれて、帰還が実現する

9節:彼らは泣きながらやって来る。わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。わたしは彼らを、水の流れのほとりに、つまずくことのない平らな道に導く。まことに、わたしはイスラエルには父であり、エフライムはわたしの長子である。」

・「泣きながら」・・悔い改めながら帰還する。そして神は彼らを慰める。
・「水の流れのほとり」・・豊かな土地を意味し、生活の手段を得ていることを示す。
・「つまずかない平らな道」・・すべての障害は取り除かれて帰還できる状態を示す。
・こうして帰還できる理由→イスラエルの父が神であり、その長子がエフライムだから。
※創48:17~19

10節:諸国の民よ、主のことばを聞け。遠くの島々に告げ知らせよ。「イスラエルを散らした方がこれを集め、牧者が群れを飼うように、これを守られる」と。

・諸国への宣言。14節まで、諸国にイスラエルの祝福について説明される箇所。
・神はイスラエルの民を離散させたが、羊飼いのごとく帰還させて守られる。
※この宣言により偽の神学(置換神学、無千年王国主義)は崩壊する。
※イスラエルが教会に取って替わり祝福はないという見解は崩れる。

11節:主はヤコブを贖い出し、ヤコブより強い者の手から、これを買い戻されたからだ。

・「贖い」・・(ヘ)pada・・身代金、身代金を支払った後の自由な状態。
・「買い戻される」・・(ヘ)gaal・・贖い、親族が贖い主となる行動、という意味。
※レビ25:25
・「ヤコブより強い者」・・患難期の反キリスト。エルサレムを支配する最後の異邦人。
※神はイスラエルを反キリストとその勢力から解放し、自由な状態にされる。

12節:彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、主が与える良きものに、穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油、羊の子、牛の子に喜び輝く。彼らのたましいは潤った園のようになり、もう再び、しぼむことはない。

・残れる者たちは、エルサレムで喜ぶ。
・神が備えてくださった豊かな農作物や家畜のすべてに歓喜する。
※土地も潤い、残りの者たちの心も潤うことになる。もうしぼむことはない。

13節:そのとき、若い女は踊って楽しみ、若い男も年寄りも、ともに楽しむ。「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。
14節:祭司のたましいを髄で潤す。わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。──主のことば。」

・メシア的王国の実現に、老若男女皆が楽しみ喜ぶ。
・悲しみが喜びに、憂いが楽しみに変わる。
・「髄」・・(ヘ)deshen・・脂肪、脂肪と灰(脂肪の灰)の意味。祝福を指している。
※(英)神は祭司の心に豊かさを堪能させる。祭司の活動の再開であろう。
※同様に民は、霊的にも物理的にも祝福され、恵みに満ちる。

イスラエルの祝福が諸国に宣言され、ここにイスラエルの祝福は成就する。
人間の偽りの希望は消え去り、真の希望である神の約束は果たされることになる。

 

『主の喜び』
・イスラエルの民は、厳しい裁きの後に与えられる最後の祝福と恵みを受けて、その素晴らしさに心から喜ぶ。かつて想像していたものとはまるで異なる最高の恵みに民全員が歓喜する。
・人類が創造されてからどれほどの月日が流れたか。その歴史は、頑なな民に対する神の愛と忍耐の歴史でもある。民の救いは、神にとっても安堵感を伴う大変な喜びであろうと想像する。
・私たちは、恵みの時代にあって神に信頼する人生を選択した。その選択を神は、わが子として迎えるほどに喜んでくださり、その喜びは、終末のユダヤの民の救いに劣るものではない。
・御子が、命をかけて十字架にかかり、真理の道を示された。命がけの説得を心から信頼し、心の底から素直に応答した私たちを、神はどれほど喜ばれているかは明白である。
「あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪びとが悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。」ルカ 15:7   

エレミヤ書30章12節~31章1節

12節:まことに主はこう言われる。「あなたの傷は癒やされがたく、あなたの打ち傷は痛んでいる。
13節:あなたの訴えを擁護する者もなく、腫れものに薬を付けて、あなたを癒やす者もいない。

・主は、イスラエルの苦難について語ります。
・その傷はひどい状態になる。
・助ける者は誰もいない
※イスラエルを擁護する国は一つもなくなる。
※完全孤立した、深刻な状態を示している。

14節:あなたの恋人たちはみな、あなたを忘れ、あなたを尋ねようともしない。わたしが、敵を打つようにあなたを打ち、容赦なくあなたを懲らしめたからだ。あなたの咎が大きく、あなたの罪が重いために。

・ひどい傷の原因は、神の裁きだから。容赦のない裁き。
・助ける者はないことが強調されている。
※その恋人とは、偶像礼拝者たち。神の裁きを見て、イスラエルから離れて行く。
・孤立状態であることに気づくイスラエル。
※イスラエルの罪、咎があまりに重い結果である。

15節:なぜ、あなたは自分の傷のために叫ぶのか。あなたの痛みは癒やされがたい。あなたの咎が大きく、あなたの罪が重いために、わたしはこれらのことを、あなたにしたのだ。

・「癒されがたい」・・不治の病にも似た状態。恋人に助けを求めても無駄なこと。
※「咎」・・単数形・・イエスのメシア性の拒否。
※「罪」・・複数形・・贖罪の手段を失って積み重なった罪。
裁きは厳しいものになる。

16節:それゆえ、わたしは言う。あなたを食う者はみな、かえって食われ、あなたの敵はみな、捕らわれの身となって行き、あなたから略奪した者は、略奪され、あなたをかすめ奪った者は、わたしがみな獲物として与える。

・神の救いが示される。
・イスラエルの癒しの第一ステップ
・神は、イスラエルを厳しく裁いた国々を例外なく裁かれる。

17節:まことに、わたしはあなたの傷を治し、あなたの打ち傷を癒やす。──主のことば──まことに、あなたは『捨てられた女』、『尋ねる者のないシオン』と呼ばれた。

・イスラエルの癒しの第二ステップ
・「捨てられた女」、「尋ねる者のいないシオン」と呼ばれるようになる。→完全孤立を意味する。→真に頼るべきは「神」という悟りに至るイスラエル。
・神はイスラエルの不治の病の如き苦しみを癒し、その状態から解放する。

18節:──主はこう言われる──見よ。わたしはヤコブの天幕を回復させ、その住まいをあわれむ。都はその丘の上に建て直され、宮殿はその定められている場所に建つ。

・「ヤコブの天幕を・・」・・(英)the fortunes of Jacob’s tents
※(ヘ)shevut, shevit・・「捕虜」「監禁」、のほかに「幸運」「運命」の意味。
※NIV→the fortunes、NKJV→the captivity
・天幕・・一時的な住まい。→ミカ書2:12の「羊の囲い(ボツラ)」を指す。
※ボツラは、マタイ24:15~16に忠実な人(レムナント)が逃げる先。
・ヤコブは一時的に避難のために逃れた。→一時的な住まい
・一転して、神はヤコブを良き運命に回復させる。(ヘ)shevutの字義から。
・「丘」・・(ヘ)tel・・「丘」、「都市の廃墟の山」。その廃墟の上に都市を造る。
※「都」・・集合的単数形から「約束の地のすべての都市」を指している。
※宮殿は正当な場所に建てられる。

19節:彼らから、感謝の歌と、喜び笑う声が湧き上がる。わたしは人を増やして、減らすことはない。わたしが尊く扱うので、彼らは小さな者ではなくなる。

・感謝の歌、賛美、喜びの声が満ち溢れる光景。
・神はこの民の人口を増やされる。
・神は、立ち返った民を尊重する。迫害されるような存在にはならないということ。
※従順なイスラエルの姿が浮かぶ

20節:その子たちは昔のようになり、その会衆はわたしの前で堅く立てられる。わたしはこれを圧迫する者をみな罰する。

・「昔のように」・・エジプトから解放された当時の君主制に立ち返る。神への従順。
・これから以降、民は神の前にブレることなく、固く立つ。偶像礼拝は二度としない。
・イスラエルを厳しく扱った異邦人抑圧者たちは、神が確実に裁かれる。

21節:その権力者は彼らのうちの一人、その支配者はその中から出る。わたしは彼を近づけ、彼はわたしに近づく。いのちをかけてわたしに近づく者は、いったいだれか。──主のことば──

・「権力者」、「支配者」・・ユダヤ人の中から出るメシアを指している。
※イエス・キリストを指している。メシア預言。
・神は彼を近づけ、彼は神に近づく。→メシアは自由に神に近づくことができる。
※「いのちをかけて」・・ASV→「大胆に」
※新共同「彼のほか、誰が命をかけて私に近づくであろうか、と主は言われる」
※メシアを長とする君主制が成立する。

22節:あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。」

・ユダヤ人から出たメシアのもと、イスラエルは本来の姿に再生する。
※神に救われた国として、また神の民として回復する。

23節:見よ。主のつむじ風が憤りとなって出て行く。渦巻く暴風が悪者の頭上に荒れ狂う。
24節:主の燃える怒りは、去ることはない。主が心の思うところを行って、成し遂げるまでは。終わりの日に、あなたがたはそれを悟る。

・「つむじ風」、「暴風」は、神の怒りを示す。
・この怒りの暴風は邪悪な者の頭上で荒れ狂い、怒りが収まるまで裁きは止まない。
・主の思うところに民が到達するまで続く→メシア拒否の悔い改めのときまで。
※イスラエルの民は、この裁きが自分たちの救いの手段だと知る。
※ホセア書6:1~3によれば、この悟りは苦難の最後の3日間と示している。

31章
1節:「そのとき──主のことば──わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。」

・「イスラエルのすべての部族」→イスラエルの12部族全部。
・イスラエルがメシアなるイエスを受け入れ、12部族全部が神の民となる。

 

『後ろ盾』
・イスラエルの民は、完全に孤立した状態となることが示されている。それまで恋人のように関係を築いてきた諸国から見放されることになるイスラエルの民。すがるところはどこにもない。
・私たちそれぞれの人生においても、孤立状態になる時がある。多少の孤立は妥協などで
回避できるが、周囲のすべてに否定される完全孤立は身の置き所を無くすほどの辛さである。
・しかし、私たちクリスチャンに「孤独」という環境はない。常に神が共にいる人生だからである。それは、自分の力に頼む生き方ではなく、神という絶大な後ろ盾を持って歩む人生だということ。
・そのためにも、日頃の主との対話の質を高め、どんな時も動じることのない歩みを目指しましょう。この後ろ盾は、詩編23:4のように、私たちの人生の究極の時にその真価を発揮します。
「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにいるのだから。」ヨシュア記 1:9

エレミヤ書30章1節~11節

第二次大捕囚の直後(BC596年)であろう。これまでとは異なる将来の回復の預言が、神からエレミヤに示される。エレミヤ書の珠玉の預言箇所と言えるのかもしれない。

 

1節:主からエレミヤにあったことばは、次のとおりである。
2節:イスラエルの神、主はこう言われる。「わたしがあなたに語ったことばをみな、書物に書き記せ。

・神からエレミヤに語られたことば。→イスラエル国家の将来の回復について。
・そのことばを書物に書き記せ!・・(ヘ)ketav lecha・・「自分の為に書く」の意味。
これまで否定的な預言ばかりだったが、肯定的な喜ばしい希望の預言はエレミヤにとっても嬉しい内容であり、それゆえ、エレミヤのために書き記せと命じたのであろう。

3節:見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、わたしはわたしの民イスラエルとユダを回復させる──主は言われる──。わたしは彼らを、その父祖に与えた地に帰らせる。彼らはそれを所有する。」

・回復の預言の要約が語られる。
・イスラエルとユダを回復させる!先祖の地に帰らせ所有させるという神の宣言。
※この回復はイスラエルの全部族が約束の地に戻る時を指す。
※バビロン捕囚からの回復ではない。

4節:主がイスラエルとユダについて語られたことばは次のとおりである。
5節:まことに主はこう言われる。「恐れてわななく声を、われわれは聞いた。『恐怖だ。平安がない』と。

・神がイスラエルとユダに語られたことばが以降に示される。
・恐怖のみで、平和のない状況にわななく声がする。
※それは7節の「大いなる日」であり、大患難時代を指している。
※新共同では「バビロン捕囚解放の日」としている。 →「大いなる日」、「比べようもない日」の釈義が異なる。

6節:さあ、男に子が産めるか、尋ねてみよ。なぜ、わたしは勇士がみな産婦のように腰に手を当てているのを見るのか。また、どの顔も青ざめているのを。

・勇士が「陣痛」の痛みに苦しんでいる。→5節の「恐怖」の状態の説明。
※陣痛の苦しみは「患難時代」を指す表現。
※勇士たちが顔が青ざめるほどの戦争下(不利な状況下)にあるとも考えられる。

7節:わざわいだ。実にその日は大いなる日、比べようもない日。それはヤコブには苦難の時。だが、彼はそこから救われる。

・陣痛→「大いなる日」、「比類なき日」→7年間の「患難時代」を指している。
※「患難時代」は全人類への苦しみとなるが、イスラエルにとっては大きな苦しみ。

患難時代の目的:

①罪の世を裁き、邪悪に終止符を打つ→イザヤ13:6~16、24:19~20
②イスラエルの民の悔い改めの為 →ゼカリヤ12:10~14、13:8~9
※特にイスラエルにとって厳しいもの→イザヤ40:1~2
イスラエルは、神との契約関係にあり、罪の為の裁きを受ける立場

裁きは異邦人の2倍
かつて苦しんだ反ユダヤ主義(十字軍、ホロコースト)をしのぐ迫害が襲う大患難時代。ゼカリヤ13:8~9によれば、終末の戦争でイスラエルのユダヤ人の3分の2が死ぬとされている
しかし、最終的にイスラエルの民は救われることが示されている。

 

■4節から7節のまとめ
・史上、ユダヤの民の最も厳しい苦難が「大患難時代」。→ 「ヤコブの苦難の日」
・イスラエルは神の長子であり、祝福と呪いを2重で受ける立場にある。
☆2倍の祝福→「イスラエルは神の長子」・・出エジ 4:22–23、「長子の権利」・・申21:17
★2倍の呪い→ 「・・罪のために二倍を受けた」・・イザヤ40:2、「・・罪にしたがって、二倍の報復をする。」・・エレ16:18
☆契約下の祝福→申28:1~14
★契約下の呪い→申28:15~68・・・契約上、違反したときの裁きの厳しさを明記。
まめ知識:30~33章で、「見よ、その時代が来る」、「その日には」、「そのとき(時)」、「これらの日の後に、」という言葉は、患難時代に関して言及するときに用いられている

8節:その日になると──万軍の主のことば──わたしはあなたの首のくびきを砕き、あなたのかせを解く。他国人が再び彼を奴隷にすることはない。

・この厳しい「患難時代」の時に、主が介入され、くびきが取り除かれる。
※大患難時代に主は、イスラエルの民を、「反キリスト」の迫害から解放する。
・これ以降、外国人がイスラエルの民を征服、支配することはない。(真の解放)

9節:彼らは彼らの神、主と、わたしが彼らのために立てる彼らの王ダビデに仕える。

・この解放に応じて、ユダヤ人たちは喜んで、主と、神が立てた「ダビデ」に仕える。
・「立てる」・・(ヘ)kum・・立ち上がる、「復活」の意味で使われる。ダビデの復活。
※ダビデ王・・DKNJからメシア的王国への移行期間75日において甦る。
※メシア王のもとでイスラエルを支配。エゼ34:23~24、37:24~25、ホセア3:5
※ダビデ契約 (4つの永遠の約束:王朝、王国、王座、子孫) の成就へ。

10節:わたしのしもべヤコブよ、恐れるな。──主のことば──イスラエルよ、おののくな。見よ。わたしが、あなたを遠くから、あなたの子孫を捕囚の地から救うからだ。ヤコブは帰って来て、平穏に安らかに生き、脅かす者はだれもいない。

・「恐れるな」→将来、深刻な状況になっても恐れず、約束の成就を待て!
※「ヤコブ」と呼ばれている→神のしもべと呼ばれ、イスラエルと同一視されている。
※最終的にイスラエルは生き残る。→敵はいなくなる。神がそのように導かれる。
※離散しているすべての国、捕囚の全地から救われ、約束の地に戻り、平安に暮らす。

11節:わたしがあなたとともにいて、──主のことば──あなたを救うからだ。わたしが、あなたを追いやった先のすべての国々を滅ぼし尽くすからだ。しかし、あなたを滅ぼし尽くすことはない。ただし、さばきによってあなたを懲らしめる。決してあなたを罰せずにおくことはない。」

・主が共にいてイスラエルの民を救ってくださる約束が示されている。
※裁きはイスラエルの迫害国を滅ぼすが、イスラエルは滅ぼさない。
※①イエスのメシア性を拒否、②モーセの律法下での罪、この二つの裁きがある。

生存は保証されているが、神との契約により、イスラエルの民は異邦人の2倍の罰を受けることになる。この裁きは並大抵の苦しさではないと想像される

 

『特権の人生』
・神はイスラエルの民の裁きを、大患難時代という形で用意しておられます。その裁きは相当に悲惨なものと思われ、民族が消えるのではないかと思われるほど厳しいものと想像します。
・注目すべきは、異邦人の裁きよりも厳しいものになるということです。神との契約があるからだと言いますが、偉大なる神との契約を交わせることがとんでもない特権であるのに、それが逆に厳しさへと変わってしまうとは。
・私たちは、患難時代を通らずに千年王国に行ける特権を与えられました。つまり、永遠のいのちを目指す人生において、神の裁きを受けることなく、神の子とされているということです。
・この特権は失われることがないと神は保証されます。その保証に信頼して、私たちは信仰を貫き、信仰を増し加えて、益々神の子にふさわしく新たに得た永遠の人生を歩むのです。ハレルヤ!
「まことに、まことに、あなた方に言います。わたしのことばを聞いて、わたしをつかわされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。」ヨハネ 5:24

エレミヤ書29章21節~32節

21節:『イスラエルの神、万軍の主は、わたしの名によってあなたがたに偽りを預言している、コラヤの子アハブと、マアセヤの子ゼデキヤについてこう言う。見よ。わたしはこの者たちを、バビロンの王ネブカドネツァルの手に渡す。王は、あなたがたの目の前で二人を打ち殺す。

・二人の偽預言者の名が示される。(偽預言を語り、人々に開放という嘘を与えた)
①コラヤの子アハブ
②マアセヤの子ゼデキヤ・・(ユダの王ではない)
・神は彼らをネブカドネツァルの手に渡した。
※彼らは捕囚地で定住せず、人々を反乱へと導いた。
※その結果彼らは、ネブカドネツァル王に、人々の面前で処刑された。

22節:バビロンにいるユダの捕囚の民はみな、彼らのゆえに、次のようなのろいのことばを唱える。主がおまえを、バビロンの王が火で焼いたゼデキヤとアハブのようにされるように。

・この二人の預言者のことは、捕囚地の民の間で「呪いのことば」となった。
※相手を呪うときは、「主によって、バビロンの王が火あぶりにした、アハブ、ゼデキヤのようになれ」という言葉を使った。
※バビロンでは、敵の処刑には火あぶりが用いられていた。参考:ダニエルの3人の友。

23節:それは、二人がイスラエルの中で恥辱となることを行い、隣人の妻たちと姦淫し、わたしが命じもしなかった偽りのことばをわたしの名によって語ったからだ。わたしはそれを知っており、その証人である──主のことば。』」

・これらの預言者は、偽預言を語るとともに、実際に複数の姦淫の罪を犯していた。
※モーセの律法に忠実かどうか、という真の預言者の判断基準に違反している。
※不道徳でもある偽預言者として、神が証人となって裁かれた。

24節:「あなたはネヘラム人シェマヤに対して、次のように言わなければならない。

・神はエレミヤに、もう一人の偽預言者シェマヤに語るように命じられた。
・ネヘラム人シェマヤ・・ネヘラムという地名は考古学的に不明。
<F博士、ほか>
・(ヘ)Nechelami・・とは、「夢」の意味。
・「夢の国」から来たシェマヤ、という言葉遊びがあったのではないか、と推測。
※夢想家・・嘘の夢を見させる者。捕囚地で活躍する、神に反する偽預言者である。


25節:イスラエルの神、万軍の主は言われる。あなたは、あなたの名によって、エルサレムにいる民全体と、マアセヤの子祭司ゼパニヤ、および、すべての祭司に次のような手紙を送った。

・彼は、エルサレムの民全体とマアセヤの子祭司ゼパニヤと祭司に手紙を送った。
※祭司ゼパニヤについて→Ⅱ列25:18~、エレ21:1、37:3、52:24~
※ゼパニヤは悲劇の人。ネブカドネツァル王に処刑される。Ⅱ列25:21、 エレ52:27

26節:『主は、祭司エホヤダの代わりに、あなたを祭司とされましたが、それは、あなたを主の宮の監督者に任じて、すべて気がふれて預言をする者に対処し、そういう者に足かせや首かせをはめるためでした。

・祭司ゼパニヤの立場について
※「祭司エホヤダの代わりに、宮の監督者として平和維持に努めるべき立場」。
狂った預言者を捕えて足枷、首枷をかけて取り締まらねばならない立場だ!
※過去(20章・・BC604年 エホヤキム王時代)に、祭司パシュフルに、エレミヤは捕まっている。

27節:それなのに、なぜ、今あなたは、あなたがたに預言しているアナトテ人エレミヤを責めないのですか。

・シェマヤは、祭司ゼパニヤがエレミヤを責めないでいることに抗議している。
※エレミヤを偽預言者と断じているシェマヤ。
※ゼパニヤからすれば、もうエレミヤを偽預言者とは言えない状況であったと思われる。(第2次捕囚が実行された後なので)

28節:というのは、彼はバビロンの私たちのところに使いをよこして、捕囚は長く続くので、家を建てて住み、園を造ってその実を食べよ、と言ったからです。』」
29節:この手紙を、祭司ゼパニヤは預言者エレミヤに読んで聞かせたのだった。

・エレミヤを糾弾する理由→エレミヤから送られた手紙に、捕囚期間70年と定住の勧めがあったから。
※シェマヤをはじめ、偽預言者たちはこの受け入れは出来なかった。
※エレミヤは自分たちの考えに反する者。だから偽預言者だ!と断じた
・ゼパニヤはこの手紙をエレミヤに読んで聞かせはしたが、それ以外は何もしていない。

30節:そのとき、次のような主のことばがエレミヤにあった。
31節:「すべての捕囚の民に言い送れ。『主はネヘラム人シェマヤについてこう言われる。わたしはシェマヤを遣わさなかったのに、シェマヤはあなたがたに預言し、あなたがたを偽りに拠り頼ませた。

・この時神は、神のことばを手紙で捕囚の民に伝えよと、エレミヤに命じた。
・神は、ネヘラム人シェマヤの偽預言の罪を特定し、偽預言者と断定した。
※人々はシェマヤによって騙され、捕囚期間は短いと思わされていた。

32節:それゆえ──主はこう言われる──見よ。わたしはネヘラム人シェマヤとその子孫を罰する。彼に属する者で、この民の中に住んで、わたしがわたしの民に行おうとしている良いことを見る者は、だれもいない──主のことば──。彼が主への反逆をそそのかしたからである。』」

・シェマヤに対する裁きが示される。
・子孫の断絶→バビロンからの解放が起こる頃には、その子孫は完全に絶えている。
・それは、民をバビロン反逆へと煽り、さらに神のことばを無視させたという罪のため。
※この預言が手紙となって捕囚地に、そしてシェマヤのもとに届けられた。
想像だが、シェマヤは更にエレミヤの預言に抗い、その結果、先の二人の預言者のような末路となったのではないか。

 

『期待を知る』

・二人の預言者は、偽預言を語るとともにモーセの律法に従わず姦淫を行い、シェマヤは神のみこころを無視して自分の思いを優先し、民の心を悪へと導いていました。
・すべてを見ておられ、導いておられる神を無視して、自分たちの希望を優先する行動は、まさに人間中心であり、嘘の希望に導かれた人々も含め、彼らは神の期待を一切無視した集団なのです。
・私たちは心の律法を与えられ、決して自己中に走らず、神に信頼して歩めと教えられています。最優先は神への愛!その次は隣人への愛。私たちはこの難しい神の期待を受けています。そして、そんな私たちを神は見ておられます。私たちのどんな些細な行いも無駄になることはないのです。

・主は十字架の御業で、義、聖、希望、そして愛を示されました。その恵みを無にせず、素直に神の期待に応答しましょう!
「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、こころを新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」ローマ 12:2

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