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エレミヤ書
・エレミヤ書1章1節~3節 前半
・エレミヤ書1章1節~3節 後半
・エレミヤ書1章4節~19節
・エレミヤ書2章1節~19節
・エレミヤ書2章20節~3章5節
・エレミヤ書3章6節~25節
・エレミヤ書4章1節~31節
・エレミヤ書5章1節~31節
・エレミヤ書6章1節~30節
・エレミヤ書7章1節~15節+バビロン捕囚の表
・エレミヤ書7章16節~8章3節
・エレミヤ書8章4節~9章1節
・エレミヤ書9章2節~16節
・エレミヤ書9章17節~26節
・エレミヤ書10章1節~16節
・エレミヤ書10章17節~25節
・エレミヤ書11章1節~8節
・エレミヤ書11章9節~17節
・エレミヤ書11章18節~12章4節
・エレミヤ書12章14節~17節

メッセージ

エレミヤ書12章14節~17節

14節:主はこう言われる。「わたしの民イスラエルに受け継がせたゆずりの地に侵入する、悪い隣国の民について。見よ。わたしはその土地から彼らを引き抜き、彼らの間からユダの家も引き抜く。

・14~17節で、裁きに用いた異邦人への忠告が示される。
・イスラエルの民へのゆずりの地に侵入する悪い隣国の民についての預言。
・歴史的事実として、イスラエルの民が捕囚されると、近隣諸国の民が移住した。
 (サマリヤ人、ナバテ人、エドム人、モアブ人、ペリシテ人など) (捕囚政策)
・神は約束の地にいる移住民を、また異邦人の中にあるユダの民を、引き抜く。
イスラエルの民を捕囚の身としたが、入ってきた異邦人もこの地から追い出す!
地の回復をなさる神⇒契約に基づく行為の実践

<解説>アブラハム契約とシナイ(モーセ)契約の「土地」に関して
●アブラハム契約(無条件契約)・・神の一方的な恵みの契約
 ・アブラハム、イサク、ヤコブ・・(イスラエル)に約束の地を与えられた。
 ・従って、約束の地の所有権はイスラエルの民に付与された。(決定事項)
●シナイ(モーセ)契約(条件付契約)・・その土地の占有権は、条件付きで付与される。
 ・土地に住み、祝福を受ける権利は、神のことばに従うことで獲得できる。
 ・約束の地の所有権はイスラエルの民に付与された(決定事項)従わなければ、その  土地から追い出されることになる。しかし、所有権は維持されたままである。

<アッシリヤ捕囚とバビロン捕囚について> 
アッシリヤ帝国・・初期(BC3000年頃)、古、中、新アッシリヤに区分される。

新アッシリヤは、BC900年代前半~滅亡まで。(北イスラエル発生と同期)
アッシリヤ捕囚・・主目的→占領地に民族同化による勢力の抑制、反乱防止、職人確保。
恐怖政治による支配体制。敵に降伏を強いるシステム。⇒大量虐殺、捕虜、拷問、強制移住の実施。(BC722、Ⅱ列17:6)(捕囚者は長い行列で行軍。途中死者も多数出たと考えられる。)
バビロン(バビロニア)帝国・・BC3000年から存在。農耕民族。BC1000年頃アッシリヤと戦うが、BC700年代にアッシリヤの支配下となるも、BC612年ニネべを滅ぼし、アッシリヤは滅ぶ。バビロンはBC539年、キュロスによって征服され滅ぶ。翌年にイスラエル帰還命令が出る。
バビロン捕囚・・主目的→帝国発展のための知的資源確保(エリート層中心)。
比較的穏健な移住政策。捕囚民は、主にバビロン周辺に集められ、共同体を維持させた。

 

<アッシリヤ帝国とバビロン帝国について>

●アッシリヤ帝国 帝国拡大のための恐怖政治による支配体制。厳しい捕囚政策。
・滅亡の理由の一因として、恐怖政治に対する他の民族の反感が大きく影響した。最終的に、バビロンに滅ぼされる。

[聖書箇所]

イザヤ10:5~6→裁きの杖としてアッシリヤが用いられる。
イザヤ10:12~15 →アッシリヤによる神への傲慢に対する裁き。
ナホム3:1~7→アッシリヤの首都ニネべの滅亡。
●バビロン帝国 拡大がある程度確立した帝国の安定を意図した支配体制。穏健な捕囚政策。
・エレミヤ1:14、25:9→バビロンの王ネブカドネツァルがユダを裁くために用いられる。しかし、彼は神の許しを超えて暴虐を行い誇ったため神から裁きを受ける。
[聖書箇所]

イザヤ47:5~11→バビロンの傲慢に対する裁き。
ダニエル5:22~31 →ペルシア帝国による滅亡が示される。

15節:しかし、彼らを引き抜いた後、わたしは再び彼らをあわれみ、彼らをそれぞれ自分のゆずりの地、あるいは自分の土地に帰らせる。

・「彼ら」・・引き抜いたすべての人民。
・神は、引き抜いた民を、それぞれの地に戻すと言われる。
・ユダヤ人は約束の地へ、異邦人はそれぞれの土地へ復帰させる。
聖書箇所:[申30:1~6、イザヤ11:11~12:6、アモス9:14~15、ゼカリヤ10:8~12、

マタイ24:31、マルコ13:27]
・AD70年の離散の民となり、1948年にイスラエルが帰還。歴史は人の想像を超えて展開している。
・この帰還が、所有権と占有権の両立成就ではない。祝福を受けていないことは明白。
・両立の成就は、DKNJ以後のメシア的王国(千年王国)のときである。

16節:彼らがかつて、バアルによって誓うことをわたしの民に教えたように、もし彼らがわたしの民の道をよく学び、わたしの名によって『主は生きておられる』と誓うなら、彼らはわたしの民のうちに建てられる。

・未来に成就する預言的メッセージが語られる。これはエレミヤへの真の応答であろう。
・異邦人に向けたメッセージであり、全人類に向けたメッセージ。(預言)
・かつて異邦人は、イスラエルの民にバアルに従うことを教えた。
・その異邦人がイスラエルの神に従い、熱心に学び、「主は生きておられる」と誓うようになれば、イスラエルの民の中で祝福を受けることになる。
※この預言から、異邦人がユダヤ人から正しい道を学ぶ機会があることが分かる。
※異邦人の国々は神の民の中で構築され祝福を受ける。メシア的王国。
エレミヤが目線を向けるべき所は、ユダヤ人と異邦人の救いが成就するメシア的王国である。今はその成就の途上にある。

17節:しかし、彼らが聞かなければ、わたしはその国を根こそぎ滅ぼす──主のことば。」

・「彼らが聞かなければ」・・ユダヤ人から学ぶことを拒否したら、根絶すると言われる。
・異邦人が神に従わない道を選ぶなら、異邦人の国も民も滅ぼす。
・ゼカリヤ14:16~19→異邦人がエルサレムに上り仮庵の祭りを祝うかどうか?
⇒年に1回の異邦人の義務。もし守らなければ災害、疫病などの罰が下る。
・この状況はメシア的王国(千年王国)において成就する
詩篇2:9にある「鉄の杖」は千年王国に入っても、心に現れる罪の性質を打ち砕くもので、千年王国の第1世代から第2世代になるとき出現する。(旧約では詩編のみ。黙示録2:27、12:5、19:15に記載。)
※ 千年王国は民主主義制ではなく、神の絶対君主制。エルサレムから発せられる公正な法に信者は素直に従うが、不信者にとってはシンドイ状況となる。

 

<12章の総括> 
12章は、エレミヤの激しい糾弾にも似た神への質問から始まり、最後は神のエレミヤにたいする未来像を示すという応答で終わっている。
神はエレミヤに、真の平安は地上にはなく、神が計画しておられるメシア的王国にある事を示された。
エレミヤにとって衝撃的な事件をも乗り越える力を与える希望を、神はエレミヤに与えられ、同じ目線に立つことを期待された。
エレミヤはその希望を確信して、神の目線に近づき、改めて預言者としての働きの意味を知り、恐れを乗り越えて歩む力が増し加わったと思われる。それは信仰の増し加わりであり、神がエレミヤを成長させられたのである。

 

『希望は主から』
・神は、エレミヤの苦しみも悲しみも全てわかったうえで、エレミヤに気付きの促しをなされた。それが真の平和の実現という希望の提示である。
・新約の時代の私たちには、更に明確に未来の希望が示されている。この希望があるから、私たちは、死をはじめとする困難を軽々と乗り越えて、永遠の人生を恐れず歩めるのである。
・人間にとって最終的に必要なものは何かを教え、それを快く与えてくださったお方は、私たちの天の父なる神です。聖霊は私達にそのことを明確に教えています。
・内住される聖霊を与えられているという事は、この希望を心にしっかりと持ち、希望の歩みを、力強く進んで行く力を得ているという事です。
「どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように。」ローマ15章13節

エレミヤ書11章18節~12章4節

18節:「主が私に知らせてくださったので、私はそれを知りました。それからあなたは、彼らのわざを私に見せてくださいました。
19節:私は、屠り場に引かれて行く、おとなしい子羊のようでした。彼らが私に敵対して計略をめぐらしていたことを、私は知りませんでした。『木を実とともに滅ぼそう。彼を生ける者の地から断って、その名が二度と思い出されないようにしよう』と。

・神はエレミヤに、エレミヤに対する陰謀(殺害計画)を知らされた。
・「見せた」という事から、エレミヤの殺害計画中の現場映像を見せたのだろう。
・彼はそんな計画がある事に全く気付かず、知らなければ簡単に罠にはまっていた。
・「屠り場に引かれて行く、おとなしい子羊のように」・・・・イエス様を思わせる。
・エレミヤの殺害は、彼の存在と共に、彼の働きとその結果を葬る事。神の否定を意味する言動と姿勢。

20節:しかし、正しいさばきをし、心とその奥にあるものを試す万軍の主よ。あなたが彼らに復讐するのを私は見るでしょう。私があなたに、私の訴えを打ち明けたからです。」

・エレミヤは、神の絶対的主権を認め、また、必ず悪を裁かれることを確信する。
・エレミヤの訴えとは、神の義を貫くための裁きが下ること。
・エレミヤは、復讐を最優先して求めてはいない。(聖徒としての正しい姿勢)

21節:それゆえ、主はアナトテの人々について、こう言われる。「彼らはあなたのいのちを狙い、『主の名によって預言するな。われわれの手にかかって、あなたが死なないように』と言っている。

・エレミヤを殺害しようとしたのは、アナトテの人々であることが分かる。
・アナトテ→エレミヤの生まれ故郷。親族縁者、幼なじみなどが住む、祭司の町。
・神が、アナトテの人々のことばをエレミヤに教える。
「主の名によって預言するな!さもなくば、おまえは我々に殺されることになる」
・アナトテは祭司の町。祭司が神のことばを否定。祭司の心が神に向いていない。

22節:それゆえ──万軍の主はこう言われる──見よ、わたしは彼らを罰する。若い男は剣で死に、彼らの息子、娘は飢えで死に、

・神によるアナトテの裁き
 ①剣による若い男の裁き→戦争、侵略(バビロン)
 ②飢饉による息子、娘の裁き→戦争、侵略後の荒廃
 ⇒一族の存続がとても厳しくなる

23節:彼らには残る者がいなくなる。わたしがアナトテの人々にわざわいを下し、刑罰の年をもたらすからだ。」

・「残る者がいなくなる」・・アナトテの全員が滅ぶという事ではない。
エズラ2:23にアナトテの帰還者数が記されている。
・この言葉の対象は、エレミヤ殺害計画者たちとその家族ではないかと考えられる。
※私見・・殺害計画した偽祭司たちの集団であろう。

 

12章

話題は一変します。エレミヤは、敢えて神に質問を投げかけます。
1節:「主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、私はさばきについてあなたにお聞きしたいのです。なぜ、悪者の道が栄え、裏切りを働く者がみな安らかなのですか。

1/a節(主よ、私が・・・・お聞きしたいのです。)
・エレミヤは、神が公正な方だと認識しているが、それでも敢えて神に尋ねる。
・エレミヤは、神の裁きが理不尽ではないかという疑問を持った。
1/b節(なぜ、・・・・安らかなのですか。)
・全部で3つの質問。先ず、エレミヤが感じる二つの矛盾が質問される。(不満)
 ①邪悪なものが繁栄している現実。
 ②酷い裏切り者が安らかに生活している現実。
 ⇒イスラエルの上層部の人々を指している:ヨブ21:7~

 ⇒それに対する応答:詩編37:1~4

2節:あなたが彼らを植え、彼らは根を張り、伸びて実を結びました。あなたは、彼らの口には近いのですが、彼らの心の奥からは遠く離れておられます。

・エレミヤが感じる3番目の矛盾の提示。
 ③主権者(神)ご自身が、邪悪な者たちの繁栄を赦している。
上層部の人々の実態⇒・彼らは富み、豊かになっている。外見は神の民を装う(口には近い)が、中身は異質(心の奥からは遠く離れている)。

エレミヤが、こうした厳しい糾弾を神に投げかけたきっかけは、11章後半に示された陰謀の存在を知った事ではないか。(フルクテンバーム博士による)

3節:主よ。あなたは私を知り、私を見て、あなたに対する私の心を試されます。どうか彼らを、屠られる羊のように引きずり出し、殺戮の日のために取り分けてください。

3/a節(主よ・・私を・・試されます。)
・エレミヤの義なる心を提示している。
・「神がわたしを試しても、私の義に問題はない。」
・11章後半の出来事に絡む思い。
・「なぜ、義なる私が命を狙われ、不義なる者が豊かで、平安なのか?」
3/b節(どうか彼らを、・・・・取り分けてください。)
・邪悪なる上層部の人々を引きずり出し、さばいてください。そうすべき、という思い。
・神に信頼しない者こそが、苦しむべきとエレミヤは考えている。
神の目線から見る人間の本当の苦しみとは、肉体の死後、裁かれて送られる永遠の苦しみの世界。地上での苦しみではない。

4節:いつまで、この地は喪に服し、すべての畑の青草は枯れているのでしょうか。そこに住む者たちの悪のために、家畜も鳥も取り去られています。人々は『神はわれわれの最期を見ない』と言っています。」

4/a節(いつまで、この地は喪に服し、・・・・取り去られています)

・イスラエルの地が生産性を失い、イスラエルの民は苦しさの中にある。
  ※朝貢のための厳しい取り立て。自然の影響や、周辺国からの攻撃など。
・「そこに住む者たち」→上層指導部
・上層部の邪悪さが国家、土地の荒廃となっている。
・エレミヤは何時まで放っておかれるのか・・と神を糾弾する。
・「家畜も鳥も取りさられている」→周辺国からの攻撃か。
4/b節(人々は、・・・・最後を見ない』と言っています」)
・「人々」とは、上層部の人々。
・神が私たちの人生を左右することは無い!と上層部の人々が言っている。
 →預言の成就が自分たちの時代に起こることは無い!
・私たちには、神の存在は無関係!これは神を無視している言葉。
・この言葉はエレミヤの預言のことばへの応答でもある。神のことばの完全無視。
常に神に従う姿勢を示すエレミヤだが、預言者である自分を殺害しようとする計画を知り、義憤に満ちた思いで神を糾弾している。

エレミヤは死を恐れているのではない。あくまでも神の義の実現を求めるエレミヤの、イスラエルの民に対する怒りの表明である。

『人の最重要課題』
・ エレミヤは自分への陰謀を知らされた。アナトテの人々が神の言葉を無にしようとすることに驚いた。彼らの神の否定は、エレミヤにとってはあり得ないこと。
・ 預言者は命の危険がある事を、エレミヤは百も承知。神の従事者は、神に永遠のいのちの存在を示されていたか、働きを通して自然に感じていたものと推測する。
・私たちは聖書を通して永遠のいのちを知り、その人生をすでに歩んでいる。この人生は、神と共に歩む人生であり、地上の人生とは異質である。
・我々にとって死は恐れるものではない。肉体という制約から抜け出すプロセスである。人は消えず復活する。だからこそ、神と共に歩む人生が、人間の最重要課題である。
今の世で富んでいる人たちに命じなさい。高慢にならず、頼りにならない富にではなく、
むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き、善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与え、来たるべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄え、まことのいのちを得るように命じなさい。

テモテ第一 6:17~19

エレミヤ書11章9節~17節

9節:主は私に言われた。「ユダの人、エルサレムの住民の間に、謀反がある。
10節:彼らはわたしのことばを聞くことを拒んだ自分たちのかつての先祖の咎に戻り、彼ら自身もほかの神々に従って、これに仕えた。イスラエルの家とユダの家は、わたしが彼らの父祖たちと結んだわたしの契約を破った。

・改めて、神はエレミヤにこの時代の人々について語られる。
・この時の民に、謀反(新共同:共謀)があると指摘。
・先祖と同様に、偶像に従い、仕える悪行。
ヨシヤ王の改革は無に帰し、エホヤキムの時代は偶像礼拝に戻っている状態。

11節:それゆえ──主はこう言われる──見よ、わたしは彼らにわざわいを下す。彼らはそれから逃れることができない。彼らがわたしに叫んでも、わたしは聞かない。

・契約不履行により、神は回避不可能な災いを民にもたらす。

12節:ユダの町々とエルサレムの住民は、自分たちが犠牲を供えている神々のもとに行って叫ぶだろうが、これらは、彼らのわざわいの時に、決して彼らを救わない。
13節:『まことに、ユダよ、あなたの神々は、あなたの町の数ほどもある。あなたがたは、恥ずべきもののための祭壇、バアルのために犠牲を供える祭壇を、エルサレムの通りの数ほども設けた。』

・偶像に助けを求めても、無駄なこと。
・神は、バアルのための祭壇が、あちこちに設置されていることを糾弾。
 「町の数ほど」・・町に一つ以上の偶像が設置されていた。
 「エルサレムの通りの数ほど」・・各通りに祭壇が設置されていた。
・2:28でも同じ表現がなされている。

14節:あなたは、この民のために祈ってはならない。彼らのために叫んだり、祈りをささげたりしてはならない。彼らがわざわいにあって、わたしを呼び求めても、わたしは聞かないからだ。

・エレミヤの祈りを止める神。
災いの中で、助けを求めても神は無反応。7:16→災いの回避の執り成し
・エレミヤの祈りが届いているが回帰不能点を越えたので、神の決定は変わらない。

15節:『わたしの愛する者は、わたしの家で何をしているのか。いろいろと何を企んでいるのか。聖なるいけにえの肉が、わざわいをあなたから過ぎ去らせるのか。そのときには喜び躍るがよい。

・「わたしの愛する者」・・(ヘ)Yadid,yadeed・・最愛の人、妻を指す。
・「(神殿で)何をしているのか。いろいろと何を企んでいるのか。」の意味について。
 NIV:「わたしの最愛の妻は、他の多くの人と一緒に、邪悪な計画を練りながら、わたしの神殿で何をしているのか。」
 NKJV:「わが最愛の妻が多くの者と卑猥な行いをしたのに、わたしの家(神殿)と何の関わりがあるのか。」
「表向きは神を礼拝しているが、心の内側は偶像の神々に向いているではないか」という意味。偶像礼拝を多々行っているイスラエルの民の実態を示す。

・「聖なるいけにえの肉が、災いを過ぎ去らせるのか」‥そんなことはない!
 →外面的にはよく見えても、心が神を無視しているから、いけにえは無意味。
・「その時には喜び踊るが良い。」→お前たちは、邪悪(わいせつ、卑猥・・不倫生活)を、喜んでいればよい。
※「罪を犯して悔い改めるどころか、それを喜ぶ者たちの供え物はもはや無意味だ」。
※モーセの律法違反であり、彼らの裁きは決定的。故にエレミヤの祈りを止められた。
※ヨシヤ王の改革は表面的(ヨシヤ王自身は良かったが民の心には届いていなかった)であったが、エホヤキム王の時代は偶像礼拝に逆戻りの格好となっている。

16節:主はかつてあなたの名を、「実りの良い、緑のオリーブの木」と呼ばれた。だが、大きな騒ぎの声が起こると、主がこれに火をつけ、その枝は台無しになる。

・かつては、神によって「健康で実りの多いオリーブの木」と呼ばれたときがあった。
・「騒動」(ヘ)hamullah・・急ぐ音、轟音、暴風雨の意味。
・「神は木に火をつけるように」→イスラエルをバビロン軍を用いて破壊。

17節:あなたを植えた万軍の主が、あなたにわざわいを告げる。イスラエルの家とユダの家が悪を行い、バアルに犠牲を供え、わたしの怒りを引き起こしたからである。』」

・その木を植えた神が、その木に対して裁きを宣告する。
・イスラエルの民がバアル礼拝する行為→神の怒りを誘発。

 

回帰不能点を超えたという提示
①カデシュ・バルネア事件 (民32:8~10)
②マナセ王 (偶像礼拝、Ⅱ列21:11~15)
③イエスのメシア拒否 (ベルゼブル論争、ルカ11:19ほか)

 

『信仰が救いの保証』
・列王記第二21章11節~18節:注目点は最後の節。「マナセ王は先祖とともに眠りにつき、その家の園、ウザの園に葬られた。」とある。
・歴代誌第二33章8節~20節:歴代誌によれば、マナセ王は偶像礼拝という自らの悪行を大反省し、神に立ち返ったことが分かる。大罪を犯した彼が、偶像の虚しさを一番体験した結果と思われる。
・その時の民は立ち返らず、彼の子アモンは偶像礼拝者となる。しかしヨシヤ王は、父祖ダビデの道に歩み神に立ち返ったが、残念ながら民は真の神に回帰しなかった。
・マナセ王はユダ史上に残る大罪を犯したが、心の底から神に立ち返り、神は彼を赦された。神はいつもその人の信仰心を見て、導いておられる。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。」 ヨハネ5章24節


エレミヤ書11章1節~8節

エレミヤ書11章からの時代背景

・アッシリアは、事実上BC612に滅亡。(ニネべの滅亡)
・エジプトがバビロン制圧のため北上。その際ヨシヤ王がエジプト(ネコ王)の行く手を阻む。しかし戦死する。メギドの戦い。BC609

・エジプトは、イスラエルの王位(エホアハズ王)を廃位させ、エルヤキムを王にし、その名をエホヤキムに変えさせた
BC605のカルケミシュの戦いで、エジプトはバビロンに敗退し、このときアッシリヤは完全滅亡する。
・イスラエルはエジプトからバビロンの支配下に変わる

 

ヨシヤ王は戦死し、エホアハズ王を経てエホヤキム王の時代となった。ヨシヤ王の神への回帰運動は頓挫し、イスラエルは再び偶像礼拝へと進んで行く。

1節:主からエレミヤにあったことばは、次のとおりである。
2節:「この契約のことばを聞け。これをユダの人とエルサレムの住民に語れ。

・エレミヤに主のことばがあった。
・かつてヨシヤ王の時代に見つかった申命記にある契約のことである。

3節:『イスラエルの神、主はこう言われる。この契約のことばを聞かない者は、のろわれる。

・「・・この契約のことばを聞かない者は、のろわれる。」とは、申命記の一部。
・申27:15~26「・・実行しない者はのろわれる。」→「アーメンと言いなさい。」
・申11:26~28、28:20~45、29:14~27参照。

4節:これは、わたしがあなたがたの先祖をエジプトの地、鉄の炉から導き出したとき、「わたしの声に聞き従い、すべてわたしがあなたがたに命じるように、それを行え。そうすれば、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる」と言って、彼らに命じたものだ。

・「鉄の炉」→エジプトでの奴隷生活。Ⅰ列8:51
・この契約が出エジプト記に記されている。出エジプト19:5~6参照。
・ユダの人々が神の命令に従うなら、神と民との関係は良好となるという約束。

5節:それは、わたしがあなたがたの父祖たちに対して、乳と蜜の流れる地を与えると誓ったことを、今日のとおり成就するためであった。』」私は答えた。「アーメン。主よ。」

・「乳と蜜の流れる地を与えると誓った」→カナンの地の授与を父祖に誓った。
・これはアブラハム契約、モーセ契約の内容。神は契約を守り、約束は成就している。
・イスラエルの民側はどうか?・・守られていない。
・エレミヤはアーメンと応答。(申27:26) 彼は契約内容を把握している

註:土地の所有権と占有権は異なる。イスラエルの神に対する従順が占有の条件。

6節:すると、主は私に言われた。「これらのことばのすべてを、ユダの町々と、エルサレムの通りで叫べ。『この契約のことばを聞いて、これを行え。
7節:わたしは、あなたがたの先祖をエジプトの地から導き出したとき、厳しく彼らを戒め、また今日まで、「わたしの声を聞け」と言って、しばしば戒めてきた。

・出エジプトから今日までこの契約を守り行え!と、厳しく命じた。
・「わたしの声を聞け」・・預言者を送ったが、すべて無視した。

8節:しかし彼らは聞かず、耳を傾けず、それぞれ頑なで悪い心のままに歩んだ。そのため、わたしはこの契約のことばをことごとく彼らの上に臨ませた。わたしが行うように命じたのに、彼らが行わなかったからである。』」

・先祖たちの不義に対して、契約の通り災いをもたらした。
・レビ26:14~43、申28:20~45に、裁きとなる災い(飢饉、疫病、災害など)がある。

 

『信仰の成長』
・神はすべてをご存知であることを忘れて、偶像礼拝に走ったイスラエルの民。神の期待に応えず、異邦人のように振舞うイスラエルの民に、神は心を痛めた。
・私たちも、新たな契約により神の子となることが出来た。基本的に親は、子の成長を願う。天の父なる神もその点は同じと想像する。
・イスラエルの民は、世に流され、神の期待さえ忘れてしまった。私たちは、信仰を捨てることは無くとも、彼らと同様、世に惑わされる危険な状況にある事は同じ。
・神が喜ばれた御子イエスを手本とし、世の影響に対する耐性を養い、新しく生まれ変わった者として、信仰とその成長を神に見ていただこうではありませんか!
「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。イエス・キリストに栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。」 

ペテロ第二 3章18節

エレミヤ書10章17節~25節

17節:包囲されている女よ、あなたの荷物を地から取り集めよ。

・「荷物」(ヘ)kinaw・・この語幹は「カナ」。カナンの地、カナン人も語幹は「カナ」
            荷物と言う言葉に、カナン人やカナンの地を重ねている。
カナンの地に偶像礼拝者を排して入植した民が、偶像礼拝者たちのようにカナンの地を追われる様子。
・「女よ、・・取り集めよ」・・敵に包囲されわずかな物しか持たず、捕囚される民の姿。原文に「女」はない。 


18節:まことに主はこう言われる。「見よ。わたしはこの国の住民を今度こそ放り出して苦しめる。彼らが思い知るためだ。」

・彼らが思い知るために、イスラエルの民の捕囚を決断した神。
・「滅ぼす」と言わず、「苦しめる」と言われたのは、神の愛の表れ。
・捕囚の苦しみ・・バビロン捕囚の主原因は、偶像礼拝である→よって当時の偶像礼拝の中心地で、偶像礼拝の中で生活する試練が与えられた。
この捕囚がイスラエルの民に対する気付きの促しとなり、以降、原則的に偶像礼拝から離れることになる。
11節のアラム語の言葉は、捕囚の地に離散して、偶像礼拝の中で生きるイスラエルの民への励ましとなる。

19節:ああ、私は悲しい。この傷のために。この打ち傷は癒やしがたい。しかし、私は言った。「まことに、これこそ私が負わなければならない病だ。」

・捕囚(神殿崩壊も含めて)は、エレミヤにとって一生負い続ける大きな傷。
・「病」・・(ヘ)傷、屠殺。抗うことなく受ける相当に深い心の傷、というイメージ。
・ここでは、私(エレミヤ)と表現されているが、捕囚されるイスラエルの民の代弁とも考えられる。
・預言者であるエレミヤが負うべき宿命であり、生き残る民も同様の宿命である。
・同胞の死と捕囚、神殿崩壊に苦しむエレミヤ→神を愛し、隣人を愛する者だから預言者とされたのだろう。

20節:私の天幕は荒らされ、そのすべての綱は断たれ、私の子らも私から去って、もういない。もう私の天幕を張る者はなく、その幕を広げる者もいない。

・嘆きの理由が2つ示される。
①天幕、綱(天幕を支える綱)の破壊。人が住めない状態。
②人がいない。子孫となる子らも、国を支える大人(天幕を張る人)もいない状態。

21節:牧者たちは愚かで、主を求めなかった。それゆえ、彼らは栄えず、彼らが飼うものはみな散らされる。

・「牧者たち」・・上層部の人々。(新共同:「群れを養う者」)
・彼らが神を無視し、偶像礼拝に走ったことが、この捕囚の原因。
・その上層部に従った民も、偶像に走り、その結果、捕囚(離散)の民となる。
新約では、イエス様がマタイ23章で、上層部に対して指摘している。
神は、上層指導者と上層部に従う者(民)の両者に、「愛と正義と公正」への忠実を求められる。

22節:声がする。見よ、一つの知らせが届いた。大いなるざわめきが北の地から来る。ユダの町々を荒れ果てた地とし、ジャッカルの住みかとするために。

・北からの侵略が、更に近づいていることを示してる。
・侵略者は特定されていないが、「バビロン軍」。
 4:15・・「ダンから告げる声がある。」
 8:16・・「ダンから馬の鼻息が聞こえる。」
そして、今→「声がする。見よ、一つの知らせが届いた。」

23節:主よ、私は知っています。人間の道はその人によるのではなく、歩むことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。

・エレミヤは、先ず、神の立場、存在を認める言葉を告白します。
「人の道は、人の力ではどうにもならない。結局、神が全てを導いておられる。」

 ※詩篇37:23、箴言16:1~3、20:24、etc.
神こそが、絶対的主権者であることを認めている!←聖徒の共通認識!であるべき。

24節:主よ、私を懲らしめてください。御怒りによらないで、ただ、公正をもって。そうでなければ、私は無に帰してしまいます。

・公正の思いで、イスラエルの民を懲らしめてほしいと依頼するエレミヤ。
・民を代表して、祈っている。
・神の怒りの凄まじさをエレミヤは知っている。且つ、愛の神であることも!。
・神への「愛・公正・正義」の訴えである。(あわれみを求めている)

25節:あなたを知らない国々の上に、あなたの御名を呼ばない諸氏族の上に、あなたの憤りを注いでください。彼らはヤコブを食らい、これを食らって滅ぼし、その牧場を荒らしたからです。

・その怒りが、神を無視し、神の名を呼ばない国々へ向かうように祈るエレミヤ。
・彼らは、神の民を貪り、破壊し尽くしたから!
・一定程度まで、神の赦しの下での破壊はできる。しかし限度が過ぎると、裁きが下る。
・エレミヤの異邦人への制裁要請は、アブラハム契約からだろう。(詩編79篇も同様)

 イスラエルを祝福する者を祝福し、呪う者をのろう。(創12:3より)

 

『正しい関係の認識』
・23節から、エレミヤは執り成しの祈りを始めます。神の立場を認める事から始まりますが、それは人間の立場を知ることであり、神と人間との本来の関係を認識することです。
・人間は神に創造されました。それは目的をもって、愛によって造られました。更に人は、自由意思という恵みも与えられた地上で唯一の存在です。特別な創造物なのです。
・目には見えない神に全幅の信頼を置く者を、神は喜び導かれています。本来、信者は神に信頼し、神に忠実に従う関係にあるのです。これを知ることが重要です。
・イエス様は人として地上に来られ、人として如何に神に信頼し忠実に生きるかを示されました。何よりも神を愛しておられる姿勢を示されたのです。
「ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。」 ピリピ 2章7~8節

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