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・ダニエル書9章27節
・ダニエル書10章1節~13節

メッセージ

ダニエル書10章1節~13節

 

 

1節:ペルシアの王キュロスの第三年に、ベルテシャツァルと名づけられていたダニエルに、あることばが示された。そのことばは真実で、大きな戦のことであった。彼はそのことばを理解し、その幻について悟った。
2節:そのころ、私ダニエルは、三週間の喪に服していた。
3節:満三週間、ごちそうも食べず、肉もぶどう酒も口にせず、また身に油も塗らなかった。

・昨年、ダニエルは「獅子の穴事件」を経験し、キュロス王はイスラエル帰還、神殿再建命令を発布。
・エルサレムでは神殿の土台作りが始まる年である。

 

キュロス王の第3年(BC536年)。ダニエルの推定年齢は83~84歳。(フルクテンバーム博士は85歳と考えている)
この時、「あることば」→これから12章まで語られる預言ーが示された。
それは、「大きな戦」→原語は”tsaba”。戦争や、「大きな衝突」。

「イスラエルにとって長く激しいトラブルの期間」
彼はその言葉を理解し、幻を悟った・・とあるが、ユダヤ人に対する困難な時代がある事を理解しつつも、その詳細は、12章8節にもある通り、理解不十分である。
彼は、3週間の喪に服していた。 

「ごちそう」・・過越しの祭りの週と重なるが、そのごちそうには与らない。
並々ならぬ、ダニエルの断食に対する思いがあったと察する。

過越しの祭り
・第一の月の14日・・過越しの祭り (第一の月は太陽暦では3月~4月)
・15日から21日まで・・種なしパンの祭り

4節:第一の月の二十四日に、私はティグリスという大きな川の岸にいた。

キュロス王第3年、第一の月の24日に、今回の預言が示される。(断食明け直後)
彼は断食明けで、ティグリス川の川岸にいた。実際にその場所にいた。・・8章2節とは異なる。
何故、喪に服したのか?(事実は不明)

①キュロス王の命に応じた帰還者の数が少ない
②現場で発生する妨害に落胆する帰還者たちの思いを受けて
③神殿再建が始まって、すぐに中断してしまったことに応答
「喪に服す」・・abal・・ネヘミヤ1:4の嘆き悲しみと同じ。神殿、エルサレムに対する嘆きと断食。
断食明けということで、ティグリス川のほとりで体力回復のための散歩か。体調は万全とは言えない。
神殿再建の邪魔
・エズラ4:4~5
・神殿再建当初から、邪魔が入っていたことは明らか

5節:私は目を上げた。見ると、そこに一人の人がいて、亜麻布の衣をまとい、腰にウファズの金の帯を締めていた。
6節:そのからだは緑柱石のようで、顔は稲妻のよう、目は燃えるたいまつのようであった。また、腕と足は磨き上げた青銅のようで、彼の語る声は群衆の声のようであった。
7節:この幻は、私ダニエル一人だけが見て、私と一緒にいた人たちはその幻を見なかった。しかし彼らは大きな恐怖に襲われ、身を隠して逃げ去った。

天使の装い お付の者たちには見えず、ダニエルにだけ見えた幻 

①亜麻布の衣→祭司の奉仕活動であり、「聖さ」を指す。
②ウファズの金の帯→ウファズ産の金の帯・・王家の印であり、超自然的な性格。
③緑柱石の様な身体→完全なる健全、健康な身体を指す。
④稲妻のような顔→シャカイナ・グローリー(栄光)を示す顔、表情。
⑤松明のような目→識別力、洞察力を持つ目を指す。
⑥青銅のような両手足→青銅は裁きの象徴であり、強さを示す。
⑦群衆のような声→天の声、神の声を指す。
この時、ダニエルの同伴者たちに幻は見えなかったが、異様な状況に恐怖を覚え、飛ぶように逃げた。 
群衆のような声・・突然静かな川のほとりに、大群衆の声のような音が響き渡る。付き人たちはその圧倒的な威力に、身をひそめるように逃げたのだと思う。

8節:私は一人残ってこの大きな幻を見た。内からは力が抜け、顔の輝きも一変して、力も保てなくなった。
9節:私は彼の語る声を聞いた。彼の語る声を聞きながら、顔を伏せて地に倒れ、深い眠りに陥った。
10節:ちょうどそのとき、一つの手が私に触れて、膝と手のひらをついていた私を揺さぶった。
11節:それから彼は私に言った。「特別に愛されている人ダニエルよ、私が今から語ることばをよく理解せよ。そこに立ち上がれ。私は今、あなたに遣わされたのだ。」彼がこのことばを私に語っている間に、私は震えながら立ち上がった。

ダニエルはひとり残されたが、経験がある事から、何とか見聞きしようとしたが、みるみる力が抜けて行く。
顔色が一変するほどの驚きがあったのだから、一瞬で周囲の環境が激変したと思われる。
ダニエルは、数年前に見た天使を思い出しつつ、天使の声を聞くのだが、自らを支えられない脱力感。
「深い眠り」・・気絶した、気を失ったという事。バタリ!と前のめりにうっ伏す感じ。
すると天使が、ダニエルに触れ、ダニエルを揺さぶった。気絶していたが、気が付いた。
天使はダニエルを励まし、力を与えた。
「特別に愛されている人ダニエルよ」励ましの言葉・・9:23。神に愛されている人。預言を託すにふさわしい人。
理解せよ!立ち上がれ!と励ます天使。力を注入したと想像する。
それにすでに応えているかのように、ダニエルは話の途中から立ち上がっている!

12節:彼は私に言った。「恐れるな、ダニエル。あなたが心を定めて、悟りを得ようとし、自分の神の前で自らを戒めようとしたその最初の日から、あなたのことばは聞かれている。私が来たのは、あなたのことばのためだ。
13節:ペルシアの国の君が二十一日間、私に対峙して立っていたが、そこに最高位の君の一人ミカエルが私を助けに来てくれた。私がペルシアの王たちのところに残されていたからだ。

天使は、9:21の時のように、悔い改めがあったときすぐに飛んできたかった!
ダニエルの喪に服す姿勢→悟りを得るために自らを戒める祈り→神のみ前に届いている。
ちょうど21日前から、ペルシアに就く堕天使が私(語る天使)の妨害をして、動けなかった。→この預言がイスラエルに伝わってほしくなかったから!
そこにミカエル大天使が応援に入り、こうして此処に来ている。
<天使の階層について>
天使界の階層があり、上位、下位が存在する。上位は、ケルビム(最高位)、セラフィム。
下位はミカエル(天使長、イスラエルの守護)、ガブリエル、無名の天使。
ペルシアに就いていた堕天使が、ダニエルに語る天使と力が拮抗。ミカエルは強かったということ。

「ペルシアの王たち」とは、「ペルシアの国の君」の下で働く下位の堕天使のこと。

「残されて」の訳について

・原語・・yatar→残る、余剰を持つ、余計になるの意味がある。
・大天使ミカエルが来て、この天使が余る状態になる。ミカエルの強さの提示でもある。
・新共同では、「そこにいる必要がなくなった」と訳されている。
サタンと堕天使の行動特性
①神の計画阻止、②サタンの権威の拡充、③神に利用される

 

天使の愛、聖霊の愛

ダニエルは高齢でありながら3週間の断食をし、その直後に天使が現れている。
何度経験しても、天使の姿を見るのは、本当に恐ろしいことのようです。
神の領域にある天使の存在は、決して愛らしいというものではなく、人間の想像を超えている。
そんな天使が、ダニエルをこれほどまでに力づけ、何度も終わりの日についての解説をする。
私たちの神の領域はまさに愛の領域。その領域との繋がりは内住する聖霊が維持してくださっている。
聖霊が、あのダニエルを励ます天使のように、私たちを励まし、導いている。
この特権に、心から感謝すると共に、力をいただき、聖霊の声に耳を傾けよう!

 

学びは愛を深める

  この愛が私たちを強くする!
正しい学びをするというと、神学的に終末論とは、救済論とは、携挙とは、などと知識にばかり固執してしまいがち。
正しい学びは絶対必要ですが、やはり常に神の愛に行き着いてほしいものです。
ダニエルも、シンドイ身体でありながら立ち上がれたのは、神の愛の力を感じ取ったからだと思います。
私たちの人生にも、様々な問題や困難がありますが、決して崩れ落ちることなく、むしろ立ち上がる信仰を持ちましょう。
私たちには神の素晴らしい愛が与えられ、聖霊という神が内住して、私たちを励まし導いてくださっています。
聖霊の内住を意識して、この特権を決して忘れず、日々信仰を増し加えて、共に歩んで行きましょう!

ダニエル書9章27節

患難時代の開始

・ガブリエルは、69週とその後の隙間時間について、ダニエルに預言した。(ダニエルが理解したかどうかは不明)
・メシアの初臨とその処刑という衝撃的なイメージが、ダニエルを混乱させただろう。
・そして、残りの1週について預言を受けるダニエル

『彼は1週の間、』
「彼は」・・反キリストを指す。前節の「次に来る君主」。
「1週の間」・・70週の最後の1週、つまり7年間
『多くの者と堅い契約を結び、』
反キリストは、7年間の堅い(堅実な)契約を締結する。強制されて締結する契約とは限らない。
契約はイスラエルのリーダーの多数と締結。反対する人たちもいたということ。

 

 

1⃣患難時代の起点

字義どおりに解釈すれば、反キリストと7年間の契約を締結した時が起点。
起点を「携挙」とする説があるが、根拠は全くない。携挙は隙間時間に起こる御業。
「携挙」が起こった時点で、地上に教会(普遍的教会のメンバー)は存在しない。

2⃣ 最終の1週(7年間)の3つの目的

①ユダヤ人の頑固な意思の改変 (ダニ12:7 打ち砕かれて、イエスを受け入れる)
②世界的なリバイバル (黙7:9~14 教会員がゼロ~として、増える様、割合)
③邪悪の壊滅と悪人の裁き。(イザヤ13:9~11)

<69週と70週のギャップ>

隙間時間の存在は、メシア再臨に繋がる重要なインターバルであり、新たな啓示が示され、展開して行く期間である。【恵みの時代】

 

『1週の間、・・契約』
契約内容は軍事侵略からの解放と思われる。しかし、後に破棄される契約。
『半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。』
7年間が2分される。後半に差し掛かり、反キリストは神殿の中央に立つ。
悪魔(サタン)の代理である反キリストが神殿(宗教)を支配。荒らすの意味。
この後半の3年半(一時と二時と半時、42か月、1260日)はイスラエルの苦難の時。
反キリストは、イスラエルとの契約を無視し、武力で奉納制度を廃止する。(黙11:1~2)
これは、第3神殿がすでに立っていることを示していると考えられる
『忌まわしいものの翼の上に、』
「翼」・・カナフ(へブル語)は、翼、極端。広がる影響、神殿の頂点を指す。
反キリストの存在が神殿の頂点にあり、全体に極端な影響が広がる。
第3神殿の上に反キリストが立つということ。神殿の中ではなく外側をイメージ。この頃もなれば、この場面が全世界の人々の目に一瞬に映る。
忌まわしい考えのそのトップに、反キリストが君臨する!それは神殿の頂点に座すこと。
『荒らす者が現れる。』
この時、反キリストは自らが神であることを宣言する。(黙13:14~15、Ⅱテサ2:3~4)
ユダヤ人の前例無き迫害の始まり
『そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。』
「そしてついには」・・kalah(へブル語)は、完了、終末。

決められていた破滅が反キリストの上に降りかかり、すべて完了する。
「定められた」・・charatz(へブル語)は、切る、決定する。
苦難の期間は7年間で確実に終了する。
定められた破滅→神の怒りが荒れ果てた人(人々)に注がれる。
神の怒り(裁き)→二つの側面
●患難期の後半のユダヤ人は、神の裁きに会う
●最後に再臨のメシアに裁かれる反キリスト
患難時代の7年間はイスラエルにとって前例のない苦難の時である。
「上に降りかかる」・・メシアの地上再臨により、悪の上に神の裁きが一気に下る様が想像できる。

 

終末預言と神の御心 

神の目線で、ダニエルに示された預言の意味を考えてみる。
明らかに、神はイスラエルをはじめとする人類を、ある方向へ導くことを決められていることが分かる。
ある方向→神の主権国家である千年王国、新天新地という神の栄光の未来!
アダムに示された原福音(創3:15)の一部とダニエルへの預言との関連を見ると、「悪魔の子孫と女の子孫の敵意」や、「頭を打つ、かかとを打つ」は、隙間時間と最後の1週の裁きと重なる!
栄光の勝利は定められていて、そこにいたるプロセスを、神は必要に応じて人に啓示しておられる。
神は、メシア的王国に向かう文脈に沿って、人々に啓示を与え、導いておられる。
その啓示をきちんと受け入れることが、神の期待に正しく応答する人生の歩み!

 

偽物を見極める力!

  教会メンバーの繋がり
イエス様は、地上に初臨されたとき、普通の人として来られた。
患難時代になれば、偽物の救い主、反キリストが現れる。
間違いなく、彼は人を魅了する姿で現れ、人の耳障りの良い言葉を話す。
異邦人は諸手を挙げて彼を讃え、イスラエルの民は崇めはしないが、相当の信頼を置くこととなる。
人は情報操作、印象操作に簡単に騙されて行く現実!肩書き、レッテルは要注意!
最終的には、反キリストの扇動で、異邦人は平気でイスラエルの民を殲滅する方向へと突き進む。
悪の働きが抑えられているこの時代(Ⅱテサ2:6~7)においても、神、真理にたどり着くのは至難の業。
真理を見出すために私たちが、真贋を見極める力を、互いに繋がりをもって、高めることが重要です。
神の啓示を知り、心を正しく神に向け真理を実践して、これからも教会を通して共にクリスチャン人生を歩んで行きましょう!

ダニエル書9章25節~26節

25節:それゆえ、知れ。悟れ。エルサレムを復興し、再建せよとの命令が出てから、油注がれた者、君主が来るまでが七週。そして、苦しみの期間である六十二週の間に、広場と堀が造り直される。

24節において、6つの目的のために、70週(490年)が定められていることが示された。
さてその具体的な時間軸とは?

ガブリエルはダニエルに、ここで示される内容は、終末に関することだと知っておきなさいと強調する。
終末(最終的に)はこうなる!という事。(歴史には終わりがある!)
このシナリオの皮切りは、エルサレム復興である。
ダニエルにとっては、自分が経験した捕囚からの解放が一番理解しやすい。
この命令は、キュロス王から翌年に発令される。
BC538年の帰還、再建命令。(現在はBC539年)

 

70週の起点については次のように数案ある。
①キュロスの命令(Dr.フルクテンバーム)
②ハガイ、ゼカリヤの命令
③エズラへの命令
④ネヘミヤへの命令(Mr.アミール)
等他にもあるようだがここには挙げない。

しかし、次の理由から①キュロスの命令を起点と考える。

・イザヤ書にて預言された内容であること。イザヤ44:28
・ダニエルが預言を受けた翌年に、その成就を見るということ。
・字義通りの解釈の視点

 

ただ、ここに2つの考え方(④と①)を挙げておきたい。

その前に、新共同訳が分かりやすいのでその訳を記す。
25節の新共同訳:『これを知り、目覚めよ。エルサレム復興と再建についての 御言葉が出されてから油注がれた君の到来まで 7週あり、また、62週あって 危機のうちに広場と堀は再建される』

 

先ず、ネヘミヤを起点とした考えでは、

・アルタクセルクセスがネヘミヤに再建の許可:BC445.3.14
・69週は、日数に換算すると、太陰暦で173880日。360日/年×7×69(ユダヤ暦)
・これを加算すると、BC445.3.14→AD32.4.6=イエスのエルサレム入城の日。


キュロスの命令を起点にすると、年代に大きなズレが生ずるが、聖書に忠実に、字義通りに考えたい。

・キュロスの命令が、都市と神殿の再建を端的に示している。ハガイ書では住まいが出来ている(ネヘミヤの70年前)。
・イザヤ書ですでにキュロスの出現が明記され、神殿についても言及がある。イザヤ44:28、45:1~
・他の3命令は、神殿再建という直接的な表現ではない。ネヘミヤは、王から派遣の許可が出されもの。
・フルクテンバーム博士は、ペルシア帝国史の西暦表記に誤りがあるとし、キュロス王の命令を起点とすべきとする。
・ペルシアなどの西暦表記の基準はプトレマイオス年表。参考程度の信頼性。(プトレマイオスは2世紀の天動説の天文学者)

 

『油注がれた者、君主』とは、メシアなるイエス・キリスト。
ダニエルはどのように推測したであろうか。

絶対的支配者なる王を想像したのではないか。
<英語訳>『エルサレムが再建され、油注がれた君主が来るまで、7週と62週がある。』
エルサレム再建と7週、君主の来臨と62週、という関係。つまり・・

 

広場や堀の再建→要塞都市エルサレムを指している。神殿、城壁完成まで様々な妨害があった。(ハガイ書、ゼカリヤ書、エズラ記、ネヘミヤ記)
キュロスの再建命令からネヘミヤの城壁完成まで49年。字義通りの解釈を最優先する。
そして、イエス・キリストが出現するのが、その434年後、つまり再建命令から483年後ということ。

 

26節:その六十二週の後、油注がれた者は断たれ、彼には何も残らない。次に来る君主の民が、都と聖所を破壊する。その終わりには洪水が伴い、戦いの終わりまで荒廃が定められている。

62週(434年)の後、メシアが断たれる事件が起こる。
「断たれ」というのは、へブル語では暴力的な死を意味する。メシアの処刑(十字架)。
何も残らない→彼は何もない。へブル語では自分のためではないとも訳せる。イスラエルと世のため処刑された。
『次に来る君主』は、8:23~25で示された反キリストを指す。(26節の君主はnagid:反キリスト、25節の君主はmasiah:メシアが使われている)
キリストが磔刑されて後、AD70年にエルサレムと神殿が崩壊する。その実行者はローマ軍。
ここで分かることは、反キリストはローマ起源の異邦人。反キリストは異邦人の時の最終的支配者。
エルサレムと神殿は、軍事侵略(洪水)される。これは、終末にかけて神殿が建っているという事。
最後の最後まで、イスラエルの民は土地も含め、長期間荒らされることが定められている。

 

9章26節は69週と70週の隙間時間

 

 

対話と歩み

 神に喜ばれる信仰生活

優秀なダニエルでも、その示された預言の言葉にかなり動揺したのではないかと想像します。
捕囚されながらも、高いポジションに置かれたダニエル。まるで救い現実版のようです。
しかし、彼は神が喜ぶ信仰者として、日々、神が示す正義と公正を実践していました。
私たちも、こうした信仰生活を、日々の生活の中にどんどん取り入れることが大切です。
聖書を通して、未来の素晴らしい約束が与えられていることを私たちは知っています。
と同時に、この地上の人生をどう生きるかも、聖書を通して学びます。(愛神愛人・・正義と公正)
神は聖書と聖霊を通して、いかなる動機をもって人生を歩むかを教えています。(キリストの律法)
救いはレーベルやレッテルではない!聖書が示す道を歩むことが救いです。
神との対話を欠かさず、教会の繋がりを喜び、皆で神を見上げてスクラム組んで前進しましょう!

 

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」ヨハネ14:6

ダニエル書9章24節

24節:あなたの民とあなたの聖なる都について、七十週が定められている。それは、背きをやめさせ、罪を終わらせ、咎の宥めを行い、永遠の義をもたらし、幻と預言を確証し、至聖所に油注ぎを行うためである。

この会話に至る経緯:

① ダニエル
 ・夕方の祈りをしていた。
 ・捕囚期間が70年であることに気付き、メシア的王国が速やかに構築されるよう、正しく神に向き合う悔い改めの祈りを始めていた。
 ・信仰者として神に特別愛される人物と認められた。

② ガブリエル
 ・ダニエルに悟りを与えて、賢明になってほしいという思いで、みことばを携えて瞬時にダニエルのところに来た。
 ・誤解を正さなければならない。

 

ガブリエルが示す終末の預言:

24節~27節は終末の状況を示す幻の補足説明をするもの。
8章19節でガブリエルは
①「終わりの憤りの時」②「終わりの定めの時」に関わることだと言っていた。
終わりの定めの時、すなわち終末に関する追加情報がこれから語られる。
神の許可によって、ガブリエルがダニエルに知らせる。→神はダニエルの理解を把握している。

 

23節に、「そのみことばを聞き分けて、その幻(終末預言)を理解せよ。」とある。
・ダニエルに、そして後の読者に対しての言葉と思われる。
・新約の黙示録が難解なように、旧約のダニエル書も同様に難解だった。

24a節・・『あなたの民とあなたの聖なる都について、70週が定められている。』
ダニエルが見てきた幻、終末の光景は、イスラエルの民とエルサレム(神殿含む)についてのこと。
起こる事象は、70週(70×7)=490年の期間を経て終了することが決定されている。

490年について:
・原語の『シャブエー』は7つをひとまとまりとした単位で、複数形は『シャブイム』。
・1週間はヘブル語でシャブオット。

 9章24節のこの個所では、シャブイムが使われている。
・ 『週』は誤訳だが、便宜上、70週と呼ぶ。
・文脈から490は490年を表す。

ダニエルは、70年ではなく70週と示され、その誤解に気付いたと想像する。
さらにダニエルの思いは、何故幻で見たような大惨事が起こるのだろうか、ということ。
私見だが、ダニエルは惨事の原因が民族の不正、正しい悔い改めの欠如、と考えたと思う。
次の24b節がその回答になる。それを見て置くことで、24節~27節が終末預言であると確信できる。
この70週には、メシアの初臨と再臨の両方が含まれていることに注目。


70週の目的・・二つの側面
この目的は6点あり、二つの側面がある。   

ユダヤの民とエルサレムの両者に、これらの目的があるということ。

 

第一の目的:『背きをやめさせ』→ 違反を終わらせるため
『背き』はヘブル語で激しい内容の、非常に特別な反乱、罪を指す言葉。
反乱→ユダヤ人のメシア拒否を示している。
完全なる赦しがなされる。国家的、民族的違反の赦し。


第二の目的:『罪を終わらせ』→ 罪を終わらせるため
『終わらせ』は封止するというような意味。
罪を除去すると共に、ユダヤ人の罪(神への反逆)を封止するという意味。
日常生活的罪の封止。

 

初臨と再臨
・ダニエルにメシアの初臨と再臨が示されている。
・ダニエルにメシアの拒否は、理解できただろうか?
・完全なる赦しや、日常の罪の除去は、メシア的王国の御業である。

 

第三の目的:『咎の宥めを行い』→ 不義の和解をするため
『和解する』はヘブル語で『宥める』の意味。犠牲に基づいて罪を浄めること。
人間の罪の性質のための贖罪が行われることを意味する。

ここまでのまとめ
第一の目的:ユダヤ人の大罪、メシア拒否を終わらせる。
第二の目的:日々のすべての罪を封止する。
第三の目的:人間の罪の性質を償う、贖う。
これらは、神の介入なしには 終わることがない問題である。

 

第四の目的:『永遠の義をもたらし』→ 永遠の正義をもたらすために
『永遠の義』は、正義の時代をもたらすという意味。王国としての回復。
これはメシア的王国の特長である。完全なる義ということではない。

 

第五の目的:『幻と預言を確証し』→ ビジョンと預言の封印のために
『確証』の箇所は、英語(seal up)、新共同:封止する、封印するという意味。
封止はヘブル語的には停止、終了の意味で、すべての預言、幻、啓示は成就して終わる、という意味。
現実的にはメシアの再臨が全ての預言を完成させる。
・預言の完成とは、神が人に預けていたみことばの成就。
・千年王国、新天新地になれば、神、主自らが言葉を語られる時代であり、預言は必要なくなる

 

第六の目的:『至聖所に油注ぎを行う』→ 聖なるものへの油注ぎのため
結論から言うと、第四神殿が建立され、油注ぎが行われることを意味します。
第2神殿、第3神殿、またはイエス・キリストと様々見解があり。
原文から一般的に神聖な場所、つまり神殿を指していると考えら、第4神殿とするのが自然。
エゼキエル40章~
・エゼキエルのこの個所は、メシア的王国での神殿の状況について語っている。
・エゼキエルは、ダニエルより若干年長と思われる。
・ダニエルがエゼキエルの預言をどこまで受け取っていたかは不明。

 

まとめ

●この目的のとらえ方を間違えると、すでに起こった歴史的事実があって、すでに実現したものと考える。
●上げられた6つの目的が全て完全に実現することが70週の目的であると知ることが重要である!
●それはメシア的王国、千年王国の時以外ありえないことであり、これが字義通りの解釈である。

 

神のみことばの理解

ダニエルはかなり優秀な能力の持ち主で、さらに信仰心も厚い人物である。

そんなダニエルに、神はなぜ、あのような難解な幻や断片的な言葉を与えたのだろうか。
これまで聖書の理解のために、様々な試みがなされ、今日に至っている。
聖書として世に残された神の御心の正しい理解が、歴史の展開を通して進む。
我々は、過去の事例を通して、神の啓示に応答して歴史が展開していることを知ることが出来る。
これまで、みことばの様々な研究者が存在し、難解な預言書が明確に分かって来たという事は感謝であると共に、いよいよ終わりの日はもう眼の前ではないかと理解できる。
聖書を学び神を学ぶことが謙虚さの現われであり、人間が生きる上で最重要テーマであることが分かる。

 

目的を知る・・人生の歩み!
本日は24節だけを取り上げたが、ここには終末に至るまでの目的が示されている。
目的を正確に知れば、現在地がわかる。
まだ、その道の途中である。しかし、だいぶ近い所にいることも判断できる。
70週の預言の最終局面は、いわゆる大患難時代という悲惨の時代だが、その先には素晴らしい未来が待っている。
私たちが目を置くべきは、終末のその先のメシア的王国である。
ただ漠然と未来を見るのではなく、より具体的な情報を心にインプットすることで、自らを活性化できる。
目的のある行動や活動は周囲にも影響する。
私たちは死んで終わりの人生ではなく、むしろ死んで新たに始まる人生をすでに歩んでいる!
世の人に、終わりを意識する人生ではなく、始まりを意識する人生を歩んで見せましょう!

ダニエル書9章1節~23節

9章の背景
ダレイオス王の元年はBC539年。前回の幻を見てから約10年が経過。バビロン帝国からメド・ペルシア帝国の時代に転換。異邦人の時の進展をダニエルは体験した。確かに、あの幻のようになった!

 

1節:メディア族のクセルクセスの子ダレイオスが、カルデア人の国の王となったその元年、
2節:すなわち、その治世の第一年に、私ダニエルは、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃の期間が満ちるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った。
3節:そこで私は、顔を神である主に向けて断食をし、粗布をまとって灰をかぶり、祈りと哀願をもって主を求めた。

キュロスが帝国の大王であり、ダレイオスが王となっていた。ダレイオスはバビロン州を任された。
BC539年、バビロンからメド・ペルシアへと支配が変わった激動の年。不思議な文字事件があった年。
文書とは:エレミヤ、それ以外の預言者たちの文書をさす→文書は複数形で表現されている。ダニエルは預言書を研究していた。

エレミヤ(涙の預言者、悲しみの預言者)→BC627~BC583・・と同時代の預言者
・同時代の前半期→イザヤ、ホセア、ミカ
・同時代の後半期→エゼキエル、ダニエル
荒廃の期間の満ちる年数70年→エレミヤ25:11~12、29:10、イザヤ44:28
第1回目の捕囚 BC605(ダニエルが連れて来られたとき)➡現在はBC539(67年目に突入)
断食、粗布、灰かぶり(悔い改めのスタンダード)→なぜダニエルは悔い改めているのか?
見せられた幻は、非常に厳しいもの。悔い改めてすぐにでもメシア的王国の完成を主に願い求めた。

4節:私は、私の神、主に祈り、告白した。「ああ、私の主、大いなる恐るべき神。あなたを愛し、あなたの命令を守る者には、契約を守って恵みを下さる方。
5節:私たちは罪ある者で不義をなし、悪を行って逆らい、あなたの命令と定めから外れました。
6節:私たちはまた、あなたのしもべである預言者たちが、御名によって私たちの王たち、首長たち、先祖たち、民衆すべてに語ったことばに、聞き従いませんでした。
7節:主よ。義はあなたにありますが、顔をおおう恥は私たちにあります。今日あるとおり、それはユダの人々、エルサレムの住民にあり、また、近くであれ遠くであれ、あなたが追い散らされた先のあらゆる国々にいる、すべてのイスラエルにあります。彼らがあなたの信頼を裏切ったためです。

悔い改めの祈りと告白。初めに裏切りの罪について。
神を愛し、神の命令を守る者には契約に則って恵みを下さるお方。(現在も同じ)
現在はどのような命令に従うか?キリストの律法に従うこと。⇔常に変わらぬ神と人間との関係
常に問題があるのは人間側。“命令と定め”から外れた歩みをしてしまう。
神は更に助けの手を差し伸ばされる。預言者を遣わして導いたが、民族全員が従わない。
神は完全であり、民が恥に覆われていた。ユダ、エルサレムの住人、離散の人々、つまりイスラエルの民全体。
イスラエルの民は神に信頼すると言いながら、信頼を裏切った民である。
神の民としての誉れを周囲に示すことなど不可能!捕囚は自業自得の結果
神を愛する→神に100%信頼する表現と同じ意味。
決して感情的にということではなく、自分の全人格をかけて愛する。

8節:主よ。顔をおおう恥は私たちにあり、私たちの王たち、首長たち、および先祖たちにあります。私たちはあなたに対して罪を犯してきました。
9節:あわれみと赦しは、私たちの神、主にあります。まことに、私たちは神に逆らいました。
10節:私たちは、私たちの神、主の御声に聞き従わず、しもべである預言者たちによって神が私たちに下さったみおしえにも、従って歩むことをしませんでした。
11節:イスラエルはみな、あなたの律法を犯して離れ去り、御声に聞き従いませんでした。そのため、神のしもべモーセの律法に書かれているのろいの誓いが、私たちの上に降りかかりました。私たちが神の前に罪ある者であったからです。
12節:神は、大きなわざわいを私たちにもたらすことで、かつて私たちと、私たちを治めた指導者たちに対して告げられたみことばを成就されたのです。エルサレムの上に下ったほどのわざわいは、今まで天下になかったことです。
13節:このわざわいはすべて、モーセの律法に書かれているとおりに、私たちの上に下りました。しかし私たちは、不義から立ち返って、あなたの真理によってさとくなれるように、自分たちの神、主に願うこともありませんでした。
14節:主はそのわざわいを下そうと待ち構えていて、それを私たちの上にもたらされました。私たちの神、主のなさったみわざはすべて正しく、私たちが御声に聞き従わなかったからです。

メシア的王国の時が満ちる前に、徹底した悔い改めをしようとするダニエル。
罪の告白。
神は“あわれみと赦し”の神。その神に逆らうイスラエルの民。
神の言葉に従わず、派遣された預言者のみおしえにも聞き従わなかった。
これは、律法に従わなかったことを意味している。
律法に従わない者へののろいが民に降りかかった。申29:13~28
→バビロン捕囚となって成就した。これまでになかった裁きである。
そんな裁きが下っても、その不義を反省し、神の真理に従って神に願うことさえしない民。
こうして捕囚の中にあって、すべて神は正しく、原因は全て民にある

15節:しかし今、私たちの神、主よ。ご自分の民を力強い御手をもってエジプトの地から導き出し、今日あるとおりに名を成された神よ。私たちは罪を犯して、悪を行いました。
16節:主よ。あなたのすべての義のわざにしたがって、どうか御怒りと憤りを、あなたの都エルサレムから、あなたの聖なる山から去らせてください。私たちの罪と私たちの先祖たちの咎のゆえに、エルサレムとあなたの民が、私たちの周囲のすべての者にとってそしりの的となっているからです。
17節:私たちの神よ。今、あなたのしもべの祈りと願いを聞き入れ、主ご自身のために、あなたの荒れ果てた聖所に御顔の光を照り輝かせてください。
18節:私の神よ。耳を傾けて聞いてください。目を開いて私たちの荒れすさんださまと、あなたの御名がつけられている都をご覧ください。私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行いによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです。
19節:主よ、聞いてください。主よ、お赦しください。主よ、心に留めて事を行ってください。私の神よ、あなたご自身のために、遅らせないでください。あなたの都と民には、あなたの名がつけられているのですから。」

完全なる悔い改めの姿勢を示すダニエル。それはイスラエルの民を代表する祈りである。
自分の罪を完全に認め、神に絶対の信頼を示す。
決して、自分たちが悔い改めたから、怒りを鎮め、神の栄光を輝かせてくださいというのではない。
あなたの大いなるあわれみによって、周囲のそしりの的から栄光へと回復させてくださいと祈る。
悔い改めて、それを正しい行為と思ってしまうのは間違いである。赦しは神のあわれみによる。
すべてはあなたの栄光のため。残念だが、私たちはあなたの名を高めることが出来なかった!
あなたの名を冠する都(エルサレム)と民(イスラエル)の回復をもって、あなたの御名、あなたの栄光を示してください!
神の栄光をたたえるのが神の民の究極の任務であることを、ダニエルは正確に認識していた。

自己中心か?神中心か?
・悔い改めをすれば、赦される。だが、その時の心の姿勢が重要。
・神の期待は、徹底した謙虚さが実現しているかどうかである。

20節:私がまだ語り、祈り、自分の罪と自分の民イスラエルの罪を告白し、私の神の聖なる山のために、私の神、主の前に伏して願いをささげていたとき、
21節:すなわち、私がまだ祈りの中で語っていたとき、私が初めに幻の中で見たあの人ガブリエルが、すばやく飛んで来て私に近づいた。それは夕方のささげ物を献げるころであった。
22節:彼は私に悟らせようとしてこう告げた。「ダニエルよ。私は今、悟りによってあなたを賢明にさせようとして出て来た。
23節:あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが出されたので、私はそれを伝えに来た。あなたが特別に愛されている者だからだ。そのみことばを聞き分けて、その幻を理解せよ。

ダニエルが祈っているとき・・・夕方の祈り(午後3時)本来なら神殿でささげ物を捧げる時間。
ダニエルの祈り→悔い改めは自分と民族の両方のもの。
その最中に、ガブリエルが素早く現れ、ダニエルに近づいてきた。
ダニエルの誤解を解き、賢明にするためにやってきたガブリエル。彼は、みことばを携えてきた。
ガブリエルは彼の悔い改めを聞いていた。すると、神がみことばを出され、彼はすぐに出てきた。
ダニエルの人生の歩みは、手本とすべきもの。彼は神に特別に愛されている。(とても重要な箇所)
示された幻をよく理解するために、新たなみことば(説明)を持ってきたガブリエル。
ダニエルの姿勢は評価されている。しかし、誤解は訂正されなければならない。

誤解:幻の理解が不十分だったダニエル。70年が経てばメシア的王国の建て上げが起こると信じていた

悔い改めの姿勢 更に神に愛される人になるために

ダニエルは、エレミヤたちの預言書から、神の裁きである捕囚期間が70年であることに気付き、幻を見た影響もあり、慌ててイスラエルの民の状況を顧みた。
捕囚された後、彼らの多くはいつ捕囚から解放されるかについて希望を持たずに、ただ嘆き、解放を訴えていたのではなかろうか。
ただ嘆く、とは捕囚された者たちと異なり、新しい世代になると、希望を持つこともなく、ただ捕囚からの解放ばかりを神に訴え、反省のない勝手な祈りの人々が大半ではなかったか。
民族としての祈りとは、どんな世代になっても、民族としていつもその罪を身に負って、神に接する姿勢が大事と思われる。そんなダニエルの姿勢を神は愛された。
私たちも心の底から悔い改めて、今は義なる者とされているが、決して義ではないことを知るなら、心の底から悔い改めたことを忘れず、義とされていることを大いに喜んで歩むべきではないか。
そうして益々神に愛される人を目指しましょう!

 

神の栄光をたたえる!

救われたとき、私は、人間が救われることが全てに優り、最優先事項と思っていました。
そう考えていたと分かったのは、神が歴史を展開する目的が、神ご自身の栄光を成就するためと知ったときからです。
「えっ!」と心の中に響くほどの驚きでした。その時、人間主義とか自己中心とかの意味がはっきりと自覚できました。これが、神の一番嫌われる人間の性質であることに気付かされました。
人は舞台の上では主役に見えても、結局はその背後で舞台を運営する監督が全てを指揮します。
神はこのような愚かな人間を救いに導き、悪を裁き、真の平安な神の王国という作品を完成させます。
その作品の完成には、それを完成させようとする私たちの真の信仰が必要不可欠です。
神の栄光の成就は、間違いなく私たち人間を、栄光の幸いの中に導き入れてくださるもの。

だからこそ、100%の信頼と喜びをもって、神の栄光をたたえる真の信仰者として人生を全うしましょう。


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