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・ミカ6章1節~16節
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ハガイ2章1節~9節
ハガイ2章10節~23節
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・ゼカリヤ1章1節~6節
ゼカリヤ1章7節~21節
・ゼカリヤ2章1節~13節
・ゼカリヤ3章1節~10節
・ゼカリヤ4章1節~14節

メッセージ

ゼカリヤ4章1節~14節

1節:私(ゼカリヤ)と話していた御使い(受肉前のイエス様)が戻って来て、私を呼び起こした。私は眠りから覚まされた人のようであった。

2節:彼は私に言った。「あなたは何を見ているのか。」私は答えた。「私が見ると、全体が金でできている一つの燭台があります。その上部には鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があります。この上部にあるともしび皿には、それぞれ七本の管が付いています。

3節:また、そのそばには二本のオリーブの木があり、一本はその鉢の右に、もう一本は左にあります。

上記を絵にすると、

ここに出て来る燭台は、メノラーと言うことではない。
ゼカリヤは、何か日常的ではない物をみたのである。
金製の明かりを置く台座に、鉢が載っていて、更にその鉢の上(縁)に、7つのともしび皿が置かれている。
7つのともしび皿には、7つの管があり、鉢と繋がっている。鉢には 燃料(純粋なオリーブ油)が入ってる。
7つの管は、油の完全なる供給を示し、神との完全なつながりを示す。
その鉢の左右に、一本ずつオリーブの木がある。

 

金の燭台はイスラエルを象徴。
この燭台が放つ光は、諸国の光となるという意味を持つ。(イザヤ62:1~2)
更に、この光を照らす燭台は、メシアをも象徴している。(「世の光」ヨハネ8:12)
ゼカ4:12では、オリーブの木の枝から金の油を注ぎだす金のパイプが鉢と繋がっている。

「7つの・・」について
・3章の「7つの目がある石」・・全知偏在の大祭司イエス
・4章の「7つのともしび皿」・・全知偏在の聖霊
・4章の「7つの管」・・十分な油の供給手段、繋がり
真の神の民 + 三位一体の神 = シャカイナグローリー(世の光)の輝き

 

4節:私は、私と話していた御使いに言った。「主よ、これらは何ですか。」

ゼカリヤは、この幻が意味するところを知りたかった。


5節:私と話していた御使いが答えて言った。「あなたは、これらがなんであるかを知らないのか。」私は言った。「主よ、知りません。」

6節:彼は私にこう答えた。「これは、ゼルバベルへののことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍のは言われる。

当時の神殿再建の状況は、他国(特にサマリヤ)の妨害やら、人々のやる気の停滞があり、滞っていた。

リーダー(ゼルバベル)の立場としては心苦しい状況だった。そこに励ましの言葉が与えられる!
神殿建設は、人の権力や知恵とか、人間的な能力によるのではなく、すべて神の力、聖霊の力によって実現するのだ!
あなたには、他の民とは違う素晴らしい力が共にある!そのことを忘れるな!
何故なら、あなたがたは世に神を示す神の民なのだから!!
神の民としてのアイデンティティを思い起こさせる神の励まし!

7節:大いなる山よ、おまえは何者か。おまえはゼルバベルの前で平らにされる。彼がかしら石を運び出せば、『恵みあれ。これに恵みあれ』と叫び声があがる。」

更に神はゼルバベルを励ます。
「山」は、権力、国、王を象徴することば。この場合はペルシャ王国や敵国。
邪魔する敵国は、山に見えても神が平地にされる。神に信頼することの重要性を伝える
このゼルバベルの神殿再建は、メシア的王国への道となる。
つまり、かしら石なるメシアの血筋に当たるゼルバベルが神殿再建を実現すると、「恵みあれ!」という喜びの叫び声が上がる。
「かしら石」とは、建設の最後に据える石。(メシア来臨、イスラエルの救い、MTO)
原語では、「叫び声が上がる」は複数形であるため、その叫び声は、ゼカリヤと言うより7つの目(聖霊、御使いたち)の喜びの声と考えられる。

 

8節:また、私に次のようなのことばがあった。

9節:「『ゼルバベルの手がこの宮の礎を据えた。彼の手がそれを完成させる。』そのときあなたは、万軍のが私をあなたがたに遣わされたことを知る。

10節:だれが、その日を小さなこととして蔑むのか。人々はゼルバベルの手にある重り縄を見て喜ぶ。これら七つは、全地を行き巡るの目である。」

更に神のことばが続く。「ゼルバベルが神殿再建に着手し、そして完成させる」
神がそのことをとても喜んでおられる表現。
神殿完成が、メシア的王国の完成へと繋がる第一歩。(リスタート)
ゼルバベルは、ダビデの血筋。その子孫に救い主キリストが約束されている存在。
そういう意味からも、神殿再建は神の期待に応答する行為である。
そしてその時、今目の前で語る御使い(受肉前のイエス様)が、神によって遣わされた救い主であると知ることになる。

「そのときあなたは、万軍の主が私をあなたがたに遣わされたことを知る」という言葉は、ゼカリヤ2:9,11にて、メシア的王国の始まりに語られたものと同じである。

例え神殿再建の始まりが小さい事でも、例え完成した神殿が小さくとも、だれが馬鹿にできようか。それは後に主がメシア的王国となさるのだ。
今、神殿再建(重り縄)に尽力するゼルバベルを見て、民は未来を確信し喜ぶ。
と同時に、メシア的王国が完成した時、人々はゼルバベルの功績を喜ぶ。
ゼルバベルはダビデの血筋であり、その先にメシアが誕生する血筋である。
「これら7つ」・・は7つのともしび皿、すなわち全知偏在の聖霊を指し、それは全地を最終的に支配する絶対的主権者の目である。(三位一体の神)
7つの目、7つの皿とは、「わたしの霊」を指し、全知全能の神の存在を示す。
『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』

11節:私は彼に尋ねた。「燭台の左右にある、この二本のオリーブの木は何ですか。」

12節:そして再び尋ねた。「二本の金の管によって金の油を注ぎ出す、このオリーブの二本の枝は何ですか。」

13節:すると彼は私にこう言った。「あなたは、これらがなんであるかを知らないのか。」私は言った。「主よ、知りません。」

14節:彼は言った。「これらは、全地の主のそばに立つ、二人の油注がれた者だ。」

ゼカリヤは、2本のオリーブの木と、その枝から金の油を注ぎ出す、2つの金の管について質問する。(意味は?)・・(いずれ将来は光り輝くS/G)
当時の目線では、この2本のオリーブの木は総督ゼルバベルと大祭司ヨシュア。   
恵みの時代の目線で見れば、王であり大祭司であるイエスである。(預言的)
未来目線では、黙11:3~13に登場する二人の証人である。(預言的)⇒イスラエルの民族的回心につながる!
ゼカリヤ書に登場する二人の証人は、大患難時代の重要な位置づけ。
7年の大患難時代の前半3年半の間、預言と悔い改めのことばを発する。彼らは預言と共に、口から火を吐き、敵を焼き尽くし、自然(災害)を支配する力を持つ。しかし時が来て、彼らは反キリストに殺されてしまう。世界の人々は苦しめられていたから大喜びし、反キリストに従い、礼拝するようになる。
彼らの死体は、エルサレムに3日半さらされるが、聖霊の力によって復活し、雲に包まれて昇天。敵も味方もそれを目撃する。
その時、大地震、大災害が発生し、都(エルサレム)の10分の1が崩壊、7千人が死ぬ。
これを目撃したイスラエルの人々は神を恐れ、崇め、ここに、民族的救いが起こる。
ゼカリヤ書のオリーブの木の預言の成就!

 

『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』
『権力によって、能力によって』生きるとは、この世の生き方である。
問題は、手段ではなく、優先順位!何を最優先するか!
霊的領域にしっかり足を置くこと!それは、位置的真理を実践すること!
私たちも、この神のみことばをしっかりと受け止めて、日々をクリスチャンとして力強く生きることが期待されている!

ゼカリヤ3章1節~10節

1節:主(第一位格の神)は、の使い(第二位格の神、受肉前のイエス様)の前に立っている大祭司ヨシュアを私(ゼカリヤ)にお見せになった。サタン(糾弾する者)が彼ヨシュア)を訴えようとしてその右手に立っていた。

場所は、法廷である。

この法廷でサタンは、神に大祭司ヨシュアを裁くよう訴えている。
それは、ユダヤの民を糾弾しているということ!


2節:(第二位格の神、受肉前のイエス様)はサタンに言われた。「サタンよ、(第一位格の神)がおまえをとがめる。エルサレムを選んだ(第一位格の神)が、おまえをとがめる。この者(ヨシュア)は、火から取り出した燃えさしではないか。」

すると神は、「糾弾するサタン、お前の方を責める。民は火から取り出された燃えさしだ。もう、十分ではないか!」と逆に責める。
「エルサレムを選んだ主」・・捕囚の間も、神はエルサレムを見ておられた。
「火から取り出された」・・十分に裁かれたという意味。故に燃えさしなのである。


3節:ヨシュアは汚れた服を着て、主の使い(第二位格の神)の前に立っていた。

「汚れた服を着て」と表現し、捕囚時代の厳しさを示されている。

大祭司でありながら、神殿がないためにその働きが出来なかったのであろう。

4節:御使い(第二位格の神)は、自分の前に立っている者たちにこう答えた。「彼(ヨシュア)の汚れた服を脱がせよ。」そしてヨシュアに言った。「見よ、わたしはあなたの咎を除いた。あなたに礼服を着せよう。」

5節:私(第二位格の神)は言った。「彼の頭に、きよいターバンをかぶらせなければなりません。」すると彼らは、彼の頭にきよいターバンをかぶらせ、服を着せた。そのとき、の使い(第二位格の神)はそばに立っていた。

神の戒めは終了したことを受けて、イエス様は、彼に仕える者たちにも命じ、そして宣言する。「古い服を脱がせ、新しい礼服(義の衣)を着させる。」「ユダヤの民の咎は除かれた!」
更に、聖いターバン(かぶり物:イザヤ62:3)を被らせた。そして、イエス様はそばでそれを見守り、喜ばれていると想像する。
神の御前に、ヨシュアの大祭司としての職責が認められ、民が回復したことを示す。
これは、改めてヨシュアを中心とする神の民となったことを示している。

イスラエル民族に霊的祝福が示された。

6節:主の使い(第二位格の神)はヨシュアを諭して言った。

「諭して言った」・・これは相当に強く、念を押すように言われた。

7節:「万軍の(第一位格の神)はこう言われる。『もし、あなたがわたしの道に歩み、わたしの戒めを守るなら、あなたもまた、わたしの家を治め、わたしの庭を守るようになる。この立っている者たちの間に出入りすることをわたしはあなたに許す。

受肉前のイエス様は神の御心を伝える。


8節:聞け、大祭司ヨシュアよ。あなたも、あなたの前に座している同僚たちも。彼らあなたたち)はしるしとなる人たちだ。見よ、わたしはわたしのしもべ、若枝メシア)を来させる。

神はヨシュアとその同僚たちに諭される。
あなたと彼らは、7節に述べたことが完全に実行できるイエスのしるしとなる。
これは、「しるしとなれ!」と言うニュアンスと考える。霊的リーダーとしての役割
そして、若枝と表現されるメシア(イエス様)を地上に来させる。

 

9節:見よ、わたしがヨシュアの前に置いた石を。一つの石の上には、七つの目がある。見よ、わたしはそれに文字を彫る。 ―万軍ののことば― 一日のうちに、わたしはその地の咎を取り除く。

ヨシュアの前に置いた石は、第2位格の神。
それには7つの目がある。7は完全数である。
すなわち、全知と遍在の、完全なる大祭司イエス様のことである。
「若枝」、「石」とは、メシア(救い主)を象徴することばとして用いられる
文字を彫るとは、名前を刻むという意味。
このメシアの来臨が記念となるイメージ。

メシアはこの時、その地の咎を1日のうちに取り除く。
それは、救い主による地上の悪の完全な裁き。
イスラエルの民がイエス様を求める時が、メシア的王国の成就となる。

10節:その日には、 ―万軍ののことば― あなたがたは互いに自分の友を、ぶどうの木といちじくの木の下に招き合う。』」

ぶどう、いちじくの木の下・・・豊かさと平安の象徴である。(他にも引用あり)
自分の友・・この当時は南と北のユダヤの民であり、恵みの時代の目線では、ユダヤ人と異邦人ということである。(既に2章で示されている)

招き合うという言葉に、神の期待に応答する人類の姿が見える

ゼカリヤ2章1節~13節

1節:私が目を上げて見ると、なんと、一人の人がいた。その手には、一本の測り綱があった。

2節:私が「あなたはどこへ行くのですか」と尋ねると、彼は私に「エルサレムを測りに。その幅と長さがどれほどあるかを見るために」と答えた。

登場人物:一人の人(一本の測り綱を持つ人)⇒第2位格の神・受肉前のイエス様

     私⇒ゼカリヤ

ゼカリヤは、幻を通して、測り綱一本を持つ受肉前のイエス様に遭う。
測り綱(測量)は建設作業のスタートを示すもの。
ゼカリヤはその御使いに、「どこへ行かれるのか」と尋ねた。
受肉前のイエス様はエルサレムに行き、その大きさ(周囲)の計測のためと答えた。


3節:すると見よ、私と話していた御使いが出て行った。また、もう一人の御使いが、その御使いに会うために出て行き、

ゼカリヤと話していた受肉前のイエス様は、その場から離れて行かれた。
すると、もう一人の御使いが、受肉前のイエス様に会うために出て行った。


4節:彼に言った。「走って行って、あの若い者にこう告げよ。『エルサレムは、その中に人と家畜があふれ、城壁のない町のようになる。

するとイエス様は、その御使いに命じられた。「走って行って(急いで)、若きゼカリヤに告げなさい。『エルサレムは、その中に人と家畜があふれ、城壁のない町のようになる。』 ⇒ 防備が必要ない状態と、豊かさの実現は、外敵が存在しない状況を意味する。
第2神殿が完成した時は、エルサレムでは城壁が立てられている ⇒ こんな状態が実現するのは、メシア的王国のときである。

5節:わたしが ―のことば― それを取り巻く火の城壁となる。わたしがそのただ中で栄光となる。

この豊かで城壁のない町とは一体何か、主なる神(第2位格の神)が、お答えになる。
神ご自身が火の城壁となる。火なる神ともいうべきイエス様が、統治して守るということが暗示されている。
決して神の目に相応しくない者は、入ることができない状態となる。
そして神は、町の中心で、栄光(シャカイナ・グローリー)を現わされる。
完全なる神の支配が成就していることが示されている。

6節:さあ、すぐに、北の国から逃げよ。 ―のことば― 天の四方の風のように、わたしがあなたがたを散らしたのだ。 ―のことば―

7節:さあ、シオンに逃れよ。娘バビロンとともに住む者よ。』

北の国とは、「敵」を指す言葉であり、過去のバビロン、そして未来の大バビロンを暗示している。(エレ1:13~14、ヨエル2:20
黙示録18:1~5から、民が大患難時代に大バビロンの地に住むことが分かる。
イスラエルの民に、バビロンから逃げるように命じている。大患難時代の預言がここで語られている。神は、イスラエルの民を散らしたが、今は民を集める!
シオンに向かって逃げよ!と、バビロンに住んでいるイスラエルの民に促している。
新共同訳では、「バビロンの娘となって住み着いた者よ。」となっている。


8節:あなたがたを略奪した国々に主の栄光が私を遣わした後、万軍のがこう言われたからだ。『あなたがたに触れる者は、わたしの瞳に触れる者。

登場人物:「主の栄光」と「万軍の主」→同一で、第1位格の神。
      私→第2位格の神(受肉前のイエス様)・・神に遣わされたお方。
     「あなたがた」→イスラエルの民
     「触れる者」→敵(将来の反キリストに就く諸国)


9節:見よ、わたしは彼らに手を振り上げる。彼らは自分に仕えた者たちに略奪される』と。このときあなたがたは、万軍のが私を遣わされたことを知る。

神はイスラエルを苦しめる者たちを叩くためにイエス様を遣わされた。再臨のイエス様、そして裁かれるイエス様(火の如き裁き)を指している。

10節:『娘シオンよ、喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。 ―のことば―

再臨のイエス様の勝利の宴会。喜び歌え、楽しめ。→神の栄光を称える姿。
神が民の中心に住む。→神が統治する平和な世界が開始。


11節:その日、多くの国々がに連なり、わたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住む。』このときあなたは、万軍のが私をあなたに遣わされたことを知る。

その日は、異邦諸国の民も主に繋がり、主の民となる。
アブラハム契約の成就をイスラエルの民は目の当たりにする。
民が呼び求めたイエス様が神によって遣わされたことを再認識する。

この再臨のイエス様は、勝利と祝福と、すべての約束の成就を実現される。

12節:は聖なる土地で、ユダをご自分の受ける分とし、エルサレムを再び選ばれる。

13節:すべての肉なる者よ、の前で静まれ。主が聖なる御住まいから立ち上がられるからだ。」

「聖なる土地」→「約束の地」を意味する。かつての土地の約束の成就。
エルサレムは、改めて神の住まわれる町としてリスタートする。
エルサレムを測ろうとされたという意味は、こういう未来のご計画を示すものである。
更に、神殿再建は神の民としてのアイデンティティ維持のために、建て上げられなければならないことを知らせるメッセージ!
この時、肉なる者(DKNJを通り過ぎた人類)は、主の前に静まることになる。
また、その当時の全人類(肉なる者たち)に語っている言葉ともとれる。

この幻を通して神は、神殿再建中の民を力強く励まされた!!

ゼカリヤ1章7節~21節

7節:ダレイオスの第二年、シェバテの月である第十一の月の二十四日に、イドの子ベレクヤの子、預言者ゼカリヤに、次のようなのことばがあった。

8節:夜、私が見ると、なんと、一人の人が赤い馬に乗っていた。その人は、谷底にあるミルトスの木の間に立っていた。そのうしろには、赤毛や栗毛や白い馬がいた。

ダレイオス第2年、11月(シェバテの月)24日に、ゼカリヤに預言。【第一の幻】
赤い馬に乗るひとりの人・・第2位格の神の表現(受肉前のイエス様)
谷底・・「低い地、窪地」の意味で、象徴的には異邦人世界。
ミルトスの木・・芳香常緑灌木。数メートルになるが建築材には向かず、謙虚・慎ましさの象徴。また、仮庵の祭りの小屋造りに用いられ、祝福を示す木で、終末的希望を意味する。エステル記のエステルのヘブル語はハダサであり、ハダサはミルトスの意味。

毛、栗毛、白い馬・・異邦人世界の統治役の天使たち。


9節:私は「主よ、これらの馬は何ですか」と尋ねた。すると、私と話していた御使いが「これらが何なのか、あなたに示そう」と言った。

私(ゼカリヤ)は「主よ、これらの馬(赤毛や栗毛や白い馬)は何ですか」と尋ねた。すると、私と話していた御使い(受肉前のイエス様)が「これらが何なのか、あなたに示そう」と言った。

 

10節:すると、ミルトスの木の間に立っていた人が答えた。「これらは、地を行き巡るためにが遣わされた者たちだ。」

すると、ミルトスの木の間に立っていた人(受肉前のイエス様)が答えた。「これら(赤毛や栗毛や白い馬)は、地を行き巡るために主が遣わされた者たちだ。」

*これらの馬⇒主が遣わされた者たち(異邦人世界の統治役の天使たち)

 

11節:すると彼らは、ミルトスの木の間に立っているの使いに答えた。「私たちは地を行き巡りましたが、まさに全地は安らかで穏やかでした。」

すると彼ら(主が遣わされた異邦人世界の統治役の天使たち)は、ミルトスの木の間に立っている主の使い(受肉前のイエス様)に答えた。「私たちは地を行き巡りましたが、まさに全地は安らかで穏やかでした。」

「異邦人世界を見て回りましたが、安らかで穏やかでした。」と答えるが、この穏やかさは、決して平和と言うわけではない!(15節と関連がある)

12節:それに答えての使いは言った。「万軍のよ。いつまで、あなたはエルサレムとユダの町々に、あわれみを施されないのですか。あなたが憤られて七十年になります。」

受肉前のイエス様が、神に尋ねられた。
何故、エルサレムとユダの町々にあわれみを施さないのですか?
バビロン捕囚後、70年が経過しています。異邦人中心の世界でよろしいのですか?

 

⁂さて、なぜ70年なのか?

捕囚期間が70年と言う意味
エレミヤによって、捕囚期間が70年であることが預言されていた。
エレミヤ25:11~12
エレミヤ29:10

では、なぜ70年でなければならなかったのか。
出エジプト23:10~11に安息年の規定がある。7年目に土地を休ませなければならない。
イスラエルは、この規定を500年間無視してきた。
BC520年+500年=BC1020年・・・・サウル王就任の時、ユダヤの王制の開始年。
500年÷7≒70回(71.4回)となり、出エジプトの安息年の規定が取り戻された。

500年間に安息年を守っていたら、およそ70回、つまり70年は休ませなければならなかった年となる。
この事はレビ26:34~35、Ⅱ歴36:21にも記載あり。


13節:するとは、私と話していた御使いに、恵みのことば、慰めのことばで答えられた。

主は、私(ゼカリヤ)と話していた御使い(受肉前のイエス様)に恵みと慰めの言葉で答えられた。

 

14節:私と話していた御使いは私に言った。「叫んで言え。『万軍のはこう言われる。わたしは、エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した。

私(ゼカリヤ)と話していた御使い(受肉前のイエス様)が語る。民に叫ぶほどに伝えよ!創造主なる神はエルサレムとシオンをねたむほどに激しく愛している。

そしてこのねたむほどの愛は、私たちにも同様に注がれている!!


15節:しかし、わたしは大いに怒る。安逸を貪っている国々に対して。わたしが少ししか怒らないでいると、彼らは欲するままに悪事を行った。』

一方で、神は異邦人に対し激怒している。わずかしか叱らないと彼らは増長する。
やりたい放題の悪事を行う。つまり、反ユダヤ主義に走る異邦人諸国。

神殿再建は明らかに、異邦人世界に一石を投じることとなる。これは、サタンへの楔(くさび)とも考えられる。

16節:それゆえ、はこう言われる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。 ―万軍ののことば―  測り縄がエルサレムの上に張られる。』

17節:もう一度叫んで言え。『万軍の主はこう言われる。わたしの町々には、再び良いものが満ちあふれ、は再びシオンを慰め、再びエルサレムを選ぶ。』」

神は明確に、神殿再建と言う事業を導かれた。民が行動するが、実際に導かれたのは神である。神が主権者である。
「測り縄が・・・」とは、測量が始まり神殿再建がはじめられたことを示す。
更にもう一度神は告げられる。神は「神が共にいる」ことを告げて、民を激励しておられる!
再建された町は良いものに満ち溢れる。
神は、そのあわれみで、エルサレムとイスラエルの民を選ばれた!

神殿再建は神の御心である。その背後には神の深い愛が示されている。
心折れることなく、確信をもって神殿再建に邁進せよ!と神は叫ばれている!

18節:私が目を上げて見ると、なんと、四つの角があった。

新たな幻【第2の幻】が示される。それは「4つの角」であった。

 

19節:私と話していた御使いに「これらは何ですか」と尋ねると、彼は言った。「これらは、ユダとイスラエルとエルサレムを散らした角だ。」

私と話していた御使い(受肉前のイエス)に、これら(4つの角)は何かと尋ねる。

それは、ユダとイスラエルとエルサレムを散らした角 ⇒ 南ユダ王国と北イスラエル王国と都エルサレムを攻め立てた4つの帝国 ⇒ バビロン、メド・ペルシャ、ギリシャ、ローマの4つの異邦人王国(ダニエル書に登場する)最後に出て来るローマとは、ローマに続く帝国主義国も含む。最終的には反キリストの支配となる。


20節:そのとき、は四人の職人を私に見せてくださった。

21節:私が「この人たちは、何をしに来たのですか」と尋ねると、主は次のように言われた。「これらはユダを散らして、だれにも頭をもたげさせなかったあの角だ。この人たちは、これらの角を震え上がらせるために、やって来たのだ。ユダの地を散らそうと角をもたげる国々の角を打ち滅ぼすためだ。」

主は4人の職人をゼカリヤに見せてくださった。
ゼカリヤが彼らの目的を聞くと、主は言われた。
ユダを散らそうとする先の4つの帝国を滅ぼす4人の人物。
1. バビロンを滅ぼしたキュロス王

2. ペルシャを滅ぼすアレクサンドロス王

3. ギリシャを倒し、ローマ帝国の基礎を築いた「ローマの将軍」

4. 反キリストによる帝国主義を打ち壊す再臨のイエス・キリスト

神は現れてくる大国に対して、神の御心の中に既に勝利の備えがあることを、この幻によって示された。

ゼカリヤ1章1節~6節

ゼカリヤの人物像

ゼカリヤは、イドの子であるベレクヤの子。
若い頃に神にみことばを語られた預言者。
エズラ記(5:1、6:14)ではイドの子、と記されている。            
→若い時、父と死別し、イドに育てられたとも推察されている。

 

*以下は不確定ですが、興味深い内容なので挙げておきます。

ネヘミヤ記(12:6)ではイド族の頭なる祭司ゼカリヤと同一人物の可能性あり。
ネヘミヤ記(12:4)にある第一回帰還者名簿のイドが祖父となる。
本書では預言者となっているが、ネヘミヤ(12:16)でも祭司となっており、本書の3-4章や7章3-7などから、祭司であったとも推察される。


ゼカリヤの名前は、「【主】は覚えている」の意味。
興味深いのは父と祖父の名の意味。
父ベレクヤは「【主】は祝福する」で、祖父は「彼の時」の意味。
「【主】は覚えておられ、その時(彼の時)が来たら、【主】は祝福される」となる。


彼は、エゼキエルやダニエルに似て、幻を見る預言者と呼ばれている。

「夢」と「幻」の違いについて中川先生の説明は、⇒寝て見るのが「夢」、目が覚めている時に見るのが「幻」、とのことです。興味深いですね。

幻は、一日も過ぎないうちに忘れるようなものではなく、明確に記憶されるもの。
彼の活動期間は50年(前520~前470)と言われている。(中川先生クレイより)


時代背景

当時の総督はシェアルティエルの子ゼルバベル。大祭司はヨシュア。
ダレイオス第2年に、ハガイに続きゼカリヤに預言があった。
当時、シナゴーグ(会堂)は盛んに建てられていたが、霊的には不十分であった。
ハガイの7月の預言は、民が、神殿の規模が過去と違うことを理由に、再建工事を 中断していることについて、神は、DKNJとMTOを語り、民の心を未来に向けられた。
次にゼカリヤに初めて預言があり、それは8月であった。過去をよく考え、過去と現在の預言者のことばに耳を傾け、悔い改めることを求めている
次に、ハガイは9月の預言で、民全員に悔い改めを求め、過去をよく考え、神に気付けと言い、更に、もう一度DKNJを告げて、総督と民全員を励ました。
ハガイの活動は短期間で終わるが、預言の働きが、ハガイからゼカリヤに繋がっているのがよくわかる。発信元は神お一人!二人の預言者の連動は珍しい!


1節:ダレイオスの第二年、第八の月に、イドの子ベレクヤの子、預言者ゼカリヤに、次のようなのことばがあった。

2節:「はあなたがたの先祖に激しく怒った。

ダレイオスの第2年、8月に、ゼカリヤにあった主の預言。
「主があなたがたの先祖に対して、激しく怒った」という過去がある。それはバビロン捕囚。バビロン捕囚は矯正的裁きである。


3節:あなたは人々に言え。『万軍のはこう言われる。わたしに帰れ。 ―万軍ののことば― そうすれば、わたしもあなたがたに帰る。 ―万軍のは言われる。』

ハガイへの7月の預言は、気落ちする民を励ます内容だった。

ゼカリヤへの8月の預言は、「神に帰れ。そうすれば、神もあなたがたに帰る。」という悔い改めと気づきの促しである。この後、9月にもハガイに預言し、民に悔い改めを促された。

 

4節:あなたがたの先祖のようであってはならない。先の預言者たちは彼らに叫んで言った。『万軍のはこう言われる。あなたがたは悪の道と悪しきわざから立ち返れ。』しかし、彼らはわたしに聞かず、わたしに耳を傾けもしなかった。 ―のことば―

かつて、先の預言者たちはあなたの先祖に、神のことばを語っていた。

悪の道から、万軍の主に立ち返れ!と言っても、彼らは、神の元へは帰らず、耳も傾けなかった

5節:あなたがたの先祖たちは、今どこにいるのか。預言者たちは永遠に生きるだろうか。

先祖たちは既に滅んだか、捕囚の状態。預言者たちも死んだか、殺された状態。

結局、近い先祖たちは住まいを失くし、捕囚されている。預言者は死んだが、彼らの預言はすべて実現し、自分たちは捕囚となっている。神のことばは必ず成就すると、身に染みている先祖たちが目に浮かぶ。

6節:しかし、わたしのしもべである預言者たちにわたしが命じた、わたしのことばと掟は、あなたがたの先祖に追い迫ったではないか。それで彼らは立ち返って言ったのだ。

『万軍のは、私たちの生き方と行いに応じて、私たちにしようと考えたことをそのとおりになさった』と。」

彼ら先祖たちは神に立ち返って、真剣に語った。
「万軍の主は、私たちの生き方と行いに応じて、私たちにしようと考えたことをそのとおりになさった。」
彼らは神の実在を体験した。神は見ておられ、神の民として相応しくなければ促しをされ、それでも無視するなら、必ず矯正的裁きがあるということを。
ハガイ書で繰り返された、「よく考えよ」のことばが心に浮かぶ!
過去を見て、先祖の堕落の道を歩まず、神に信頼することが最重要課題!
こうした切り口から、民に対する霊的覚醒(未来を見る目線)を促される神


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重要なことは、神と民(人間)との正しい関係の認識である。
イスラエルの民が先祖の過ちに帰ることなく、新しい心で主に信頼して歩むように、神は民を導かれている。(それが根底にあるサタンとの戦い)
私たちも、過去の古い自分に帰ることなく、新たな神の子として、力強く歩む。神の教えは、いつの時代も同じであり、この思いに確実に応答することが神の子。
私たちも日々、霊的覚醒について意識しよう。それが聖書の示す重要な教えの一つ!

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