エレミヤ書18章1節~12節

1節:主からエレミヤに、このようなことばがあった。
2節:「立って、陶器師の家に下れ。そこで、あなたにわたしのことばを聞かせる。」

・神のエレミヤへのことば。
・「陶器師の家へ行け」との命令。
※陶器師が例え話で用いられている聖書箇所⇒ヨブ33:6、詩2:9、イザヤ29:16、ロマ9:20~23、黙2:27

3節:私が陶器師の家に下って行くと、見よ、彼はろくろで仕事をしているところだった。

・陶器師が陶器を作る風景を見ることになる。
※上下の石の円盤があり、下の円盤を足で回転させ、上の円盤上で粘土を成形。「蹴りろくろ」、「蹴ろくろ」と呼ばれる。

4節:陶器師が粘土で制作中の器は、彼の手で壊されたが、それは再び、陶器師自身の気に入るほかの器に作り替えられた。

・陶器師は、粘土の形が気に入らず壊して、また新たに製作していた。
・やわらかい粘土は再制作が可能。固まってしまったら、粉砕するしかない。
※柔らかでも固まっても、主権は陶器師。陶器師に絶対的主権がある

私が陶器師の話を聞いたとき、駄目なものは破壊するというイメージでしたが、ここに記載されている陶器師は、一所懸命粘土を造ってはまたやり直し、と気に入る器を創造するために労を惜しまない姿であり、まさに神の愛が表現されていると思いました。

5節:それから、私に次のような主のことばがあった。
6節:「イスラエルの家よ、わたしがこの陶器師のように、あなたがたにすることはできないだろうか──主のことば──。見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたはわたしの手の中にある。

・神の陶器師の例えの解説。
陶器師の手⇒神の御手:粘土⇒イスラエルの国
※4節の通り、神は破壊したものを造り変えることが出来る。
※イスラエルの国は神の御手の中。神の思いのままの状態という事。

7節:わたしが、一つの国、一つの王国について、引き抜き、打ち倒し、滅ぼすと言ったそのとき、

8節:もし、わたしがわざわいを予告したその民が立ち返るなら、わたしは下そうと思っていたわざわいを思い直す。

・「神がある国を裁く(滅ぼす)と予告した時に、悔い改めるなら裁きは思い直す。」
※イスラエルは条件付き契約下にある。
※この「悔い改め」は、人々の心が変わり、行動に現れるものでなければならない。
内面も外面も、神の期待に沿う変化⇒新約時代も、いつでも神の期待は同じ

9節:わたしが、一つの国、一つの王国について、建て直し、植えると言ったそのとき、
10節:もし、それがわたしの声に聞き従わず、わたしの目に悪であることを行うなら、わたしはそれに与えると言った幸せを思い直す。

・「神がある国を建て直すと言った時に、その声に聞き従わず、悪を行うなら、与えると言った祝福を思い直す。」→ 条件付き契約
※神は常に契約を守られるお方。問題は常に人間側にあることを知ろう!

11節:さあ今、ユダの人とエルサレムの住民に言え。『主はこう言われる。見よ。わたしはあなたがたに対してわざわいを考え出し、策をめぐらしている。さあ、それぞれ悪の道から立ち返り、あなたがたの生き方と行いを改めよ。』

・ユダの人、エルサレムの住民への神のことば。
・今の状態は、ユダ、エルサレムの人々への災いの実施を検討中。この時は、BC605年の小規模捕囚の1年後。大規模捕囚の7年前。
・7~8節の原則に基づき、よく考えよ!
※神は悔い改めを求めておられ、それによって生き方、行動が変わることを期待。
※もし、立ち返るなら神は裁きを考え直すと言われている。

12節:しかし、彼らは言う。『いや。私たちは自分の計画にしたがって歩み、それぞれ、頑なで悪い心のままに行います。』」
・「いや、」‥新共同「それは無駄です。」・・(ヘ)yaash、絶望、手遅れの意。
※「もう手遅れです。」・・邪悪から抜け出せない民の心。参:2:25。
※裁きは免れない絶望的状況を示している。
エレミヤは48歳から53歳頃。イスラエルの民は、エレミヤが示す神の気付きの促しに、全く応答する気は無かった。
小規模捕囚後、イスラエルはバビロンの支配を受け、自ずと政治も経済もバビロンとその偶像の影響を受けたと思われる。

 

『地上訓練』
・神は陶器師を用いて、絶対的主権について説明されました。しかし、イスラエルの民は、自らを主権者と考え神の期待とは真逆となっていました。
・もし神が正義の裁き主として君臨し、人々がその御前に出るなら、民はさっさと裁かれて、結局誰一人地上に存在しないという事になります。しかし、神は義であると共に愛の神です。
・神は真の愛を実践しておられます。私たちは愛においても不完全ですが、そんな私たちは、神を通して真の愛を知ることになります。神は救われた人々にその愛の実践を期待します。
・愛は平和の鍵です。救われた私たちは世に真の愛を示すためにも、この愛の実践という地上訓練に応答して行こうではありませんか。
「子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。そうすることによって、私たちは自分が真理に属していることを知り、神の御前に心安らかでいられます。」ヨハネ第1 3:18~19

2025年06月05日