ネヘミヤ記9章38節~10章39節

38節:これらすべてのことのゆえに、私たちは文書をもって盟約を結んだ。そして、私たちの高官たち、レビ人たち、祭司たちはそれに印を押した。
10章
1節:印を押した者は次のとおりである。ハカルヤの子の総督ネヘミヤ、およびゼデキヤ、
2節:セラヤ、アザルヤ、エレミヤ、
3節:パシュフル、アマルヤ、マルキヤ、
4節:ハトシュ、シェバンヤ、マルク、
5節:ハリム、メレモテ、オバデヤ、
6節:ダニエル、ギネトン、バルク、
7節:メシュラム、アビヤ、ミヤミン、
8節:マアズヤ、ビルガイ、シェマヤ。以上は祭司たちであった。

総督と祭司たちの承認…23人

・『盟約』・・新共同訳では『誓約』となっている・・
  ①契約・・双方が合意の上で、法律等に保証される。
  ②誓約・・一方的な誓い、約束事で相手側の同意は必要ないもの。
  ③盟約・・双方合意のうえでの誓い、約束事。組織と個人間、組織と組織間。
・印を押した者たちのリスト(完全承諾)
・1~8節・・・全員祭司 (中川先生)
 ※ネヘミヤは総督であり、総督以降のゼデキヤからが祭司と思われる。「および・・」の訳は、新共同では「それに・・」となっている
・エズラはその父の名セラヤ(2節)があり、そこに連なっていると考えるべき。

9節:レビ人では、アザンヤの子ヨシュア、ヘナダデの子らのうちのビヌイ、カデミエル、
10節:および彼らの親類で、シェバンヤ、ホディヤ、ケリタ、ペラヤ、ハナン、
11節:ミカ、レホブ、ハシャブヤ、
12節:ザクル、シェレベヤ、シェバンヤ、
13節:ホディヤ、バニ、ベニヌ。

レビ人の承認・・・17人

・8章7節に登場した人物が含まれている(6名)。

14節:民のかしらでは、パルオシュ、パハテ・モアブ、エラム、ザト、バニ、
15節:ブンニ、アズガデ、ベバイ、
16節:アドニヤ、ビグワイ、アディン、
17節:アテル、ヒゼキヤ、アズル、
18節:ホディヤ、ハシュム、ベツァイ、
19節:ハリフ、アナトテ、ネバイ、
20節:マグピアシュ、メシュラム、ヘジル、
21節:メシェザブエル、ツァドク、ヤドア、
22節:ペラテヤ、ハナン、アナヤ、
23節:ホセア、ハナンヤ、ハシュブ、
24節:ハ・ロヘシュ、ピルハ、ショベク、
25節:レフム、ハシャブナ、マアセヤ、
26節:アヒヤ、ハナン、アナン、
27節:マルク、ハリム、バアナ。

民のかしらたち・・一族の長の承認・・・44名

・ネヘミヤ7:8~27に登場した一族の長たち。新共同では政治的指導者と解説。
・パルオシュ族、エラム族、ザト族、ベバイ族、アズガデ族、ビグワイ族、アディン族、ヒゼキヤ族、ハシュム族 ベツァイ族、ハリフ族、アナトテの人々など。

28節:このほかの民、祭司、レビ人、門衛、歌い手、宮のしもべたち、また、諸国の民と関係を絶って神の律法についた者全員、その妻、息子、娘たち、すべて理解できるまでになった者は、
29節:彼らの親類のすぐれた人々と歩調を合わせつつ、神のしもべモーセを通して与えられた神の律法に歩み、私たちの主、主のすべての命令、その定めと掟を守り行うという、次のような、のろいの誓いに加わった。

その他の民の承認

・民、祭司、レビ人、門衛、歌い手、宮のしもべなど、基本的に成人した老若男女全員が一致。
・印を押さずとも、盟約を承諾し、その盟約に従うということを承認。
・神のしもべモーセの律法に従う生き方・・のろいの誓いに加わる。→申命記28:15~68
ここで、民全員の契約更新の承認がなされた。
バビロン捕囚以降、神はエルサレムと民を完全回復させた。
律法に従う民となる決意!

30節:「私たちの娘をこの地の民に与えず、また、彼らの娘を私たちの息子の妻としない。

雑婚の禁止規定

・異邦人の嫁問題は解消したが、嫁に出すことは未解消。(トビヤの姻戚関係問題)
・雑婚は信仰の純粋性を阻害する。出エジプト34:16、申命記7:1~4

31節:諸国の民が安息日に商品、あるいはどんな穀物を売りに持って来ても、私たちは安息日や聖なる日には彼らから買わない。また、私たちは七年目には土地を休ませ、あらゆる負債を免除する。

安息日を守る→異邦人との取引規定

・安息日や聖なる日には、異邦人とは商品売買をせず、取引しない。
・安息日はモーセ契約のしるし。安息日の順守で神の民としてのアイデンティティを確立。 安息日規定 出エジ20:8~11 レビ23:3、24~32
・7年目の土地の休耕、負債の免除を完全実施。レビ25:4~7、申15:1~5(神の公正の精神)
安息日と異邦人との取引規定、そして7年の休耕地、負債の免除が同時に語られているのは、明らかに、異邦人社会の習慣、習わしとの隔絶を意識している。
商売、金儲け、地位、名誉に心が魅了されると、神の領域には住めなくなる。

従来は、この世に揺さぶられていたが、違和感を感じていなかった。選民意識の弊害。

32節:私たちは、自分たちの神の宮での礼拝のために、毎年シェケルの三分の一を献げる義務を自らに課す。
33節:これは、並べ供えるパンと常供の穀物のささげ物のため、常供の全焼のささげ物のため、安息日、新月の祭り、例祭、聖なるささげ物のため、そしてイスラエルの宥めを行う罪のきよめのささげ物のため、および私たちの神の宮のすべての用途のためである。

神殿礼拝維持のための献金

・全員が、自主的な取り決めとして3分の1シェケルの義務を課した。(1シェケ:11.4g)
・神の宮のすべての用途のために用いられる献金。※礼拝、安息日、新月の祭り、例祭、聖なるささげ物、罪のきよめのささげ物、その他すべて。
ここでも分かる通り、献金は強いられてではなく、自主的になされて、価値あるものである。

34節:また私たち、祭司とレビ人と民は、薪のささげ物について、毎年定められた時に、父祖の家ごとに神の家に携えて来ることを、くじによって決める。律法に記されているとおり、私たちの神、主の祭壇の上で燃やすためである。

薪の献上

・常に祭壇の火を絶やさぬため(レビ6:12~13)、薪がささげられた。
・くじによって、父祖の家ごとに、毎年定められた時に、献上した。

35節:また、私たちの土地の初なりと、あらゆる木の初なりの果実をすべて、毎年、主の宮に携えて来ることに決める。

産物の初物の献上

・土地、木々の初なりすべての果実を、毎年神の宮に献上した
彼らにとって、神をたたえる礼拝は最優先事項となった!
私たちの善きお手本!

36節:また、律法に記されているとおり、私たちの子どもと家畜の初子、私たちの牛や羊の初子を、私たちの神の宮に、私たちの神の宮で仕えている祭司たちのところに携えて来ることに決める。
37節:また、私たちの初物の麦粉と奉納物、およびあらゆる木の果実、新しいぶどう酒と油を祭司たちのところに、私たちの神の宮の部屋に携えて来る。また、私たちの土地の十分の一はレビ人たちのものとする。レビ人は、私たちの耕作するすべての町から十分の一を受け取る者たちである。

10分の1の規定

・家族の初子、家畜の初子を神の宮の祭司のところに携えて来る。 出エジ13:2→

 民18:15~18
・初物の麦粉や奉納物、果実、新しい葡萄酒、油→神の宮の部屋・・保管室へ納入。
・毎年の土地の収穫の10分の1は、律法規定の通り、レビ人に渡す。民18:21

38節:レビ人が十分の一を集めるとき、アロンの子孫である祭司が、そのレビ人とともにいなければならない。レビ人は、その十分の一の十分の一を私たちの神の宮へ携え上り、宝物倉の部屋に納めなければならない。
39節:この部屋に、イスラエルの子らとレビ人たちは、穀物、新しいぶどう酒、油の奉納物を携えて来るようになっているからである。そこには聖所の用具があり、また、当番の祭司や門衛や歌い手たちもいる。このようにして私たちは、自分たちの神の宮をなおざりにはしない。」

レビ人の10分の1の規定

・レビ人に10分の1が渡される時は、祭司の立ち合いが必要。
・その収入の10分の1をレビ人は神の宮の宝物倉の部屋に納めなければならない。
・この保管室は民、レビ人の納入物のほか聖所の用具、更に当番の祭司、門衛、歌い手がいる。
・礼拝に欠かせない重要な部屋であることを示している。
私たちの神の宮をなおざり(疎か)にはしません!
神に信頼し、神の民として歩む契約の更新が完了した。
喜んで神を恐れ、神に従うネヘミヤの姿勢が民に移った。1:11

 

喜んで神を恐れるしもべであれ!

世の価値観とは完全に異なることの理解
・世は人の知恵を持って、平和を築こうとする。
・神を知る者は、人の知恵が浅はかなものと知る。Ⅰコリ3:18参照
・聖徒は、真の知恵は神から来るものであり、神に従う事であり、それが本来の姿と知る。
・従って、世の知恵(人)とは真っ向からぶつかるものである。

神の御心を知る知恵こそが、真の知恵!


神の道を歩む喜びを持つ生き方
・今私たちは、キリストの教えに信頼して歩む、神の子である。
・モーセの律法は廃棄されたが、キリストのおしえに従う歩みも、世の人には不利益と映る。
・そのことを認識しつつ、不利益を受け入れられるのは、有意義な学びによる神の御心の正確な理解にある。
真の利益が約束された人生を心の底から味わえるから、喜びを持って神を恐れ、この人生を歩める。

 

ネヘミヤは気付きの促し役!

神はネヘミヤを用いて、城壁再建へと導き、また、民の心の破れに気付かせて、民を神の民として再起へ導いた。それまでは、ユダヤの民という選民意識だけが心に存在していた。
先に送られたエズラによって、律法に従うことを知り、ネヘミヤにより律法に従うことで得られる神の民としての力に気付いた民。
その結果、神の民としてあるべきことの意味を悟り、自主的に神に従う、真の神の民となった。この自主性を、神は喜ばれたに違いない!

 

・私たちは救われて完了するのではなく、救われて、神の子としての新たな人生を自主的に歩むのである。それが、クリスチャンである。
・故に、決して歩みを止めてはならないし、歩む道を間違えてもいけない!道は歩むために存在し、その先には目的地がある。
・イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。私を通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」 ヨハネ14:6

2023年11月11日