ダニエル書7章1節~8節
7章の背景
ベルシャツァル王の元年はBC553年。獅子の穴事件の14年前のこと。ダニエルは67歳前後で、一線からは退いていた。1日に3回の祈りを欠かさず日々を送るダニエルに、神から4つの獣の幻が与えられる。御使いがダニエルに解説する。
1節:バビロンの王ベルシャツァルの元年に、ダニエルは寝床で、ある夢と、頭に浮かぶ幻を見た。それからその夢を書き記し、事の次第を述べた。
2節:ダニエルは言った。「私が夜、幻を見ていると、なんと、天の四方の風が大海をかき立てていた。
3節:すると、四頭の大きな獣が海から上がって来た。その四頭はそれぞれ異なっていた。
4節:第一のものは獅子のようで、鷲の翼をつけていた。見ていると、その翼は抜き取られ、地から身を起こされて人間のように二本の足で立ち、人間の心が与えられた。
ベルシャツァル王の元年に見た幻。(巨像の頭の部分)
天の四方の風→神の摂理(御手)の働きを意味する。
大海→地中海→異邦人世界
そこから現れる4つの獣→帝国の出現。それぞれ特徴は異なる。
第1の獣:初めは鷲の翼をつけた獅子のような帝国だったが、後に翼を抜き取られた獅子のような帝国となる。ネブカドネツァル王の支配力が、最高から一気に低下した事を示している。人間のような心が与えられた。
これはバビロン帝国を表す。巨像で言えば金の頭の部分を指している。
ネブカドネツァル王が、神の存在を崇めていた経緯がある。しかし、続く世代は論外。
ダニエルは、ネブカドネツァル王の人間性や、その後のバビロンの政治の変化を体験している。
5節:すると見よ、熊に似た別の第二の獣が現れた。その獣は横向きに寝ていて、その口の牙の間には三本の肋骨があった。すると、それに『起き上がって、多くの肉を食らえ』との声がかかった。
第2の獣:熊のような帝国。(巨像の胸、腕の部分)
横向きに寝て→新共同:横ざまに寝て→英語訳:片側が上がっていて(アンバランスな状態)・・メド・ペルシア帝国。
はじめはメディアが大きいが、後にペルシアが上になる。
ペルシア帝国はペルシア人ダレイオス王の時が絶頂期か。
3本の肋骨→メド・ペルシアが滅ぼした、リディア、バビロン、エジプトを指す。
多くの肉を食らえ!→インドからエチオピア(クシュ)の範囲で127州を統治。(エステル記参照) これまでにない規模の世界帝国。
6節:その後、見ていると、なんと、豹のような別の獣が現れた。その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。そしてそれに主権が与えられた。
7節:その後また夜の幻を見ていると、なんと、第四の獣が現れた。それは恐ろしくて不気味で、非常に強かった。大きな鉄の牙を持っていて、食らってはかみ砕き、その残りを足で踏みつけていた。これは前に現れたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。
8節:私がその角を注意深く見ていると、なんと、その間から、もう一本の小さな角が出て来て、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には人間の目のような目があり、大言壮語する口があった。
第3の獣:豹のような帝国。ギリシア帝国を指す。(巨像の胴の部分)
4つの翼、4つの頭があり、それぞれに主権が与えられていた。(分裂を示している)
エジプトのプトレマイオス王朝、シリヤのセレウコス王朝、マケドニヤのアンティオゴノス王朝、小アジアのフィレタエルス王朝である。
2回目の幻が示される。
第4の獣:凶暴で不気味な獣。ローマ帝国とそれ以後の帝国主義を指す。(巨像の足の部分)
この帝国は鉄の牙で食らい、足で踏みつける。これまでの帝国とは異なる統治方法をとる。
十本の角→終末段階で10か国の分かれた帝国を示している。
小さな角が3本の角(国)を引き抜き、大言壮語(神と自称する)する。反キリスト。
預言が必要でなくなった時代
旧約の預言者や、新約のイエス様をはじめとする預言者は現れない。
それは、すべての必要な情報が聖書によって地上に示されたからだと考える。
裏を返せば、神は問うている。
この情報量だけで、わたしの存在、力、愛を信じ、信頼して生きられるか?と。
信じた者には聖霊が与えられる。それは、更に聖書と神の御心の理解の助けになる。
聖霊により、こんな小さな書物が、益々希望と平安に満ちた人生のガイドブックになる。
異邦人の時が進展しても変わらぬ生き方
新たな帝国主義と言われて、世界の情勢を見ると確かに世の中の考えは、まるで神のそれとは相反しています。
その背景にあるのが、耳障りの良い言葉から展開される平等とか権利の行使。
愛の神は、そのように導くようなことはなさらない。
『罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。』
Ⅰペテロ 2:20
神に喜ばれることを理解し、小さなことをコツコツと積み上げて行く歩みをしましょう。
こうした生き方を是として、少しでも実践して神に喜ばれる人生を皆さんと共にこれからも歩みます!ハレルヤ!