エレミヤ書23章16節~40節

16節:万軍の主はこう言われる。「あなたがたに預言する預言者たちのことばを聞くな。彼らはあなたがたを空しいものにしようとしている。彼らは主の口からではなく、自分の心の幻を語っている。

・偽預言者たちのことばを聞くな!との神の命令。
※ユダを空しいものへと導く。自分たちの思いや、耳障りの良い事を繰り返すだけ。

17節:彼らは、わたしを侮る者に向かって、『主はあなたがたに平安があると告げられた』としきりに言い、頑なな心のままに歩むすべての者に向かって、『あなたがたにはわざわいが来ない』と言っている。」

・偽預言は、神を侮る者を継続的に惑わす。
※神が言わない平和を、偽預言者は「平和がある」と語る。
・神に反する者に、「あなたがたにはわざわいは無い」と励ます。
※モーセの律法違反・・レビ26:14~42、申28:15~68、29:14~29

18節:しかし、だれが、主との親しい交わりに加わり、主のことばを見聞きしたか。だれが、耳を傾けて主のことばを聞いたか。

・「主との親しい交わり」がない・・神との会議、打ち合わせに参加していない者→偽預言者 ※エレミヤは参加者である。・・神とは酔うほどに親密な関係である。

19節:見よ。主のつむじ風が憤りとなって出て行く。荒れ狂う暴風が悪者の頭上で荒れ狂う。

・偽預言者への厳しい裁き→激しいハリケーン、台風のような暴風による裁き。

20節:主の怒りは、その心の御思いを行って成し遂げるまで去ることはない。終わりの日に、あなたがたはそれを明らかに悟る。

・神の御心の通りになるまで、裁きは続けられる。
※BC586年の裁きは一時的で、真の裁きの成就は遠未来で実現。(30~33章)

21節:「わたしはこのような預言者たちを遣わさなかったのに、彼らは走り続ける。わたしは彼らに語らなかったのに、彼らは預言している。
22節:わたしとの親しい交わりに加わっていたなら、彼らは、わたしの民にわたしのことばを聞かせ、民をその悪い生き方から、その悪しき行いから立ち返らせたであろうに。

・親しい交わり→正しい神との信頼関係→真の信仰者であったなら・・むしろ悪い民を正しく導いたであろうに!→エレミヤは真の預言者である。

23節:わたしは近くにいれば、神なのか。──主のことば──遠くにいれば、神ではないのか。
24節:人が隠れ場に身を隠したら、わたしはその人を見ることができないのか。──主のことば──天にも地にも、わたしは満ちているではないか。──主のことば。

・「近くにいれば」、「遠くにいれば」、「天にも地にも満ちている」偏在の神、という存在の認識がない!常に至る所に存在される詩編139:7~10、アモス9:1~4 

25節:わたしの名によって偽りを預言する預言者たちが、『私は夢を見た。夢を見た』と言うのを、わたしは聞いた。
26節:いつまで、あの預言者たちの心に偽りの預言があるのか。心の偽りごとを語る預言者たちのうちに。

・偽預言者は、「夢を見た」と言って、あたかも神の啓示のように強調する。
※人はそれを疑わない。
・彼らの偽預言は彼らの悪意。
※悪意ある彼らの心の欺瞞は消えることがない。

27節:彼らの先祖がバアルのゆえにわたしの名を忘れたように、彼らはそれぞれ自分たちの夢を述べ、わたしの民にわたしの名を忘れさせようと、企んでいるのか。

・先祖がバアルの名で民をそそのかしたように、夢を見たと言って神を忘れさせている。

28節:夢を見た預言者は夢を語るがよい。しかし、わたしのことばを受けた者は、わたしのことばを忠実に語らなければならない。麦は藁と何の関わりがあるだろうか。──主のことば──

・偽預言者と真の預言者の存在→独りよがりか、神に忠実か。
・「麦とわら」の対比→「神のことばと人間の夢」
●「麦」は、人間の消費に適したもの→人間にとって価値あるもの
●「わら」は、動物の消費に適したもの→人間には無価値なもの


29節:わたしのことばは火のようではないか──主のことば──。岩を砕く金槌のようではないか。

・神のことばは「火」(焼き尽くす)、「金槌」(粉砕する)、である。
※律法を守らない者に対する神の態度。・・偽預言者は必ず裁かれる。

30節:それゆえ、見よ──主のことば──。わたしは、互いにわたしのことばを盗み合う預言者たちの敵となる。
31節:見よ。わたしは──主のことば──自分の舌を操って、これがみことばだ、と言う預言者たちの敵となる。

・主は偽預言者の敵となられる。
●真の預言者のことばを真似て(盗用)、預言を語る。
●自分の思いを「主は言われる」と言って語る。

32節:見よ。わたしは偽りの夢を預言する者たちの敵となる──主のことば──。彼らは、偽りと自慢話をわたしの民に語って迷わせている。わたしは彼らを遣わさず、彼らに命じもしなかった。彼らは、この民にとって何の役にも立たない──主のことば。

・ 「主は言われる」という偽預言者たちを裁く、と宣告をする神。
・神は彼らを遣わしたこともないのに、空しい自慢話で民を迷わせたから。
※民の神離れを推進させていた。
ー偽預言者についてー
①権限付与なしに、神の名を使っている。
②道徳的性格が低く、姦淫者。悪態をつく。
③無意味な約束で偽りの希望を与える。  
④詐欺的心の持ち主。夢、預言のコピー、盗用
⑤神に召されない者。呼び出されない者。

33節:この民、あるいは預言者か祭司が、『主の宣告とは何か』とあなたに尋ねたら、あなたは彼らに言え。『あなたが、宣告とは何かと言うので、わたしはあなたがたを捨てる──主のことば。』
34節:預言者でも、祭司でも、民でも、主の宣告と言う者があれば、わたしはその者とその家を罰する。」

・民や預言者たちのエレミヤへの質問。「神の託宣(宣告)は何か」と尋ねた。
※(ヘ)massa・・重荷、負担、神託の意味。
「託宣」は何かと聞いたつもりが、神は「重荷は何か」と受け取った。(言葉遊び)
・神は、「重荷とは、質問をするお前たちなので、お前たちを捨てる!」と答えられた。
※神に反する者たちは神の御心を知る由もなく、真逆なことばかりする。

・「主の宣告(massa)」という者は皆、家もろともすべて罰する。     


35節:あなたがたは互いに「主はどう答えられたか。主はどう語られたか」と言うがよい。

・質問のときは「神はどう答えられたか」、「どう語られたか」と聞け。massaは不可!
※神の重荷は、律法を守らない民である。神は本来、祝福を与える神。

36節:しかし、主の宣告ということを二度と述べてはならない。その宣告自体がそれを言う人自身のことばであり、あなたがたが、生ける神、万軍の主、私たちの神のことばを曲げることになるからだ。
37節:「あの預言者たちにこう言え。『主はどう答えられたか。主はどう語られたか。

・宣告(重荷)、という言葉を使うことは、その人の重荷となるから、使用不可。
※神の宣告と言いながら、それを曲解し、人々に神のことばを捻じ曲げて伝える。→結果、自分たちの重荷となる。
・預言者は、「主はどのように答えられたか」、と聞け。massaは使用不可!

38節:もし、あなたがたが主の宣告と言うなら、それに対して、主はこう言われる。わたしはあなたがたに、主の宣告と言うなと言い送ったのに、あなたがたは主の宣告というこのことばを使っている。
39節:それゆえ、見よ、わたしはあなたがたを全く忘れ、あなたがたとあなたがたの先祖に与えたこの都を、あなたがたとともに、わたしの前から捨てて、
40節:永遠の恥辱、忘れられることのない永遠の侮辱をあなたがたに与える。』」

・禁じているのに、massaを使い続けるなら、厳しい裁きが下る。
・先祖に与えた都エルサレムと、預言者とを、共に永遠の恥辱へと送る。

 

『心の掃除』
・表向きと内心は異なることが多く、良い振る舞いをしていても、心の底では周囲の人の評価を期待していたり、何かをプレゼントしてお気になさらずに、と言いながら、とても見返りを期待していたり。
・世の中は、そうした汚れた内心を上手に隠して歩む術を、私たちに教えているような気がします。表向きは自己中心の思いを覆いつつ、内心は自己中という汚れを増幅させて行く。
・義であり聖であり愛の神は、私たちを子としてくださり、聖書に示し、更に聖霊を与えて、この地上の忌まわしい教えから解放してくださっています。
・神はmassaという言葉を禁じましたが、言葉は心を表すもの。私たちは神が喜ばれる言葉が口をついて出てくるように、表側を装わず、内なる心に沁みついた汚れを熱心に落として行きましょう。
「自分は宗教心にあついと思っても、自分の舌を制御せず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。」ヤコブ1:26

 

2025年08月07日