新使徒って誰が任命したの?

「使徒的」という言葉を聞くようになって随分立つ。私も以前、そのような教会にいたことがあるので、その中にいる信徒の方々がその間違いに気付かないのは理解できる。

だからこそ、この疑問を投げかけたい。

聖書の中の使徒たちはイエス様に任命されて使徒になっていることが分かるが、今の新使徒たちは誰に任命されたのか?ということだ。彼らは一体誰に任命されたのだろうか?そう尋ねたら、もしかしたら、「自分たちは神から預言された」とかって言うのかな?

でも、次の聖句を読むと・・・

エペソ2:19~22

こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

 

聖書の中にさえ、使徒は12人しかいなかったし、黙示録21:14には、都の城壁には十二の土台石があり、それには、子羊の十二使徒の、十二の名が刻まれていた。」とある。十二という数が重要だから、イスカリオテのユダが死んだ後、もう一人の使徒を選んだ。そして、その時の条件が、使徒1:21~22「ですから、主イエスが私たちと一緒に生活しておられた間、すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした人たちの中から、だれか一人が、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」である。つまり、イエスと生活を共にし、他の使徒たちと行動を共にしていた人でなければならなかったのである。それを言うと、パウロは違うと反論が来そうだが、パウロはイエスから直接任命されているので問題はない。

エペソでいう土台に当たる使徒はこの十二使徒のことである。土台は変わってはいけない。新使徒と自称する人たちは、決して土台ではないし、イエスと生活を共にもしていない。自分を使徒だと自称できるとは、それはいったいどういう人たちなのだろうか?聖書を字義通りに読まない人たちだと推測する。

 

2021年08月20日