ゼカリヤ4章1節~14節
1節:私(ゼカリヤ)と話していた御使い(受肉前のイエス様)が戻って来て、私を呼び起こした。私は眠りから覚まされた人のようであった。
2節:彼は私に言った。「あなたは何を見ているのか。」私は答えた。「私が見ると、全体が金でできている一つの燭台があります。その上部には鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があります。この上部にあるともしび皿には、それぞれ七本の管が付いています。
3節:また、そのそばには二本のオリーブの木があり、一本はその鉢の右に、もう一本は左にあります。
【第五の幻】
上記を絵にすると、
ここに出て来る燭台は、メノラーと言うことではない。
ゼカリヤは、何か日常的ではない物をみたのである。
金製の明かりを置く台座に、鉢が載っていて、更にその鉢の上(縁)に、7つのともしび皿が置かれている。
7つのともしび皿には、7つの管があり、鉢と繋がっている。鉢には 燃料(純粋なオリーブ油)が入ってる。
7つの管は、油の完全なる供給を示し、神との完全なつながりを示す。
その鉢の左右に、一本ずつオリーブの木がある。
金の燭台はイスラエルを象徴。
この燭台が放つ光は、諸国の光となるという意味を持つ。(イザヤ62:1~2)
更に、この光を照らす燭台は、メシアをも象徴している。(「世の光」ヨハネ8:12)
ゼカ4:12では、オリーブの木の枝から金の油を注ぎだす金のパイプが鉢と繋がっている。
「7つの・・」について
・3章の「7つの目がある石」・・全知偏在の大祭司イエス
・4章の「7つのともしび皿」・・全知偏在の聖霊
・4章の「7つの管」・・十分な油の供給手段、繋がり
真の神の民 + 三位一体の神 = シャカイナグローリー(世の光)の輝き
4節:私は、私と話していた御使いに言った。「主よ、これらは何ですか。」
ゼカリヤは、この幻が意味するところを知りたかった。
5節:私と話していた御使いが答えて言った。「あなたは、これらがなんであるかを知らないのか。」私は言った。「主よ、知りません。」
6節:彼は私にこう答えた。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は言われる。
当時の神殿再建の状況は、他国(特にサマリヤ)の妨害やら、人々のやる気の停滞があり、滞っていた。
リーダー(ゼルバベル)の立場としては心苦しい状況だった。そこに励ましの言葉が与えられる!
神殿建設は、人の権力や知恵とか、人間的な能力によるのではなく、すべて神の力、聖霊の力によって実現するのだ!
あなたには、他の民とは違う素晴らしい力が共にある!そのことを忘れるな!
何故なら、あなたがたは世に神を示す神の民なのだから!!
神の民としてのアイデンティティを思い起こさせる神の励まし!
7節:大いなる山よ、おまえは何者か。おまえはゼルバベルの前で平らにされる。彼がかしら石を運び出せば、『恵みあれ。これに恵みあれ』と叫び声があがる。」
更に神はゼルバベルを励ます。
「山」は、権力、国、王を象徴することば。この場合はペルシャ王国や敵国。
邪魔する敵国は、山に見えても神が平地にされる。神に信頼することの重要性を伝える
このゼルバベルの神殿再建は、メシア的王国への道となる。
つまり、かしら石なるメシアの血筋に当たるゼルバベルが神殿再建を実現すると、「恵みあれ!」という喜びの叫び声が上がる。
「かしら石」とは、建設の最後に据える石。(メシア来臨、イスラエルの救い、MTO)
原語では、「叫び声が上がる」は複数形であるため、その叫び声は、ゼカリヤと言うより7つの目(聖霊、御使いたち)の喜びの声と考えられる。
8節:また、私に次のような主のことばがあった。
9節:「『ゼルバベルの手がこの宮の礎を据えた。彼の手がそれを完成させる。』そのときあなたは、万軍の主が私をあなたがたに遣わされたことを知る。
10節:だれが、その日を小さなこととして蔑むのか。人々はゼルバベルの手にある重り縄を見て喜ぶ。これら七つは、全地を行き巡る主の目である。」
更に神のことばが続く。「ゼルバベルが神殿再建に着手し、そして完成させる」
神がそのことをとても喜んでおられる表現。
神殿完成が、メシア的王国の完成へと繋がる第一歩。(リスタート)
ゼルバベルは、ダビデの血筋。その子孫に救い主キリストが約束されている存在。
そういう意味からも、神殿再建は神の期待に応答する行為である。
そしてその時、今目の前で語る御使い(受肉前のイエス様)が、神によって遣わされた救い主であると知ることになる。
「そのときあなたは、万軍の主が私をあなたがたに遣わされたことを知る」という言葉は、ゼカリヤ2:9,11にて、メシア的王国の始まりに語られたものと同じである。
例え神殿再建の始まりが小さい事でも、例え完成した神殿が小さくとも、だれが馬鹿にできようか。それは後に主がメシア的王国となさるのだ。
今、神殿再建(重り縄)に尽力するゼルバベルを見て、民は未来を確信し喜ぶ。
と同時に、メシア的王国が完成した時、人々はゼルバベルの功績を喜ぶ。
ゼルバベルはダビデの血筋であり、その先にメシアが誕生する血筋である。
「これら7つ」・・は7つのともしび皿、すなわち全知偏在の聖霊を指し、それは全地を最終的に支配する絶対的主権者の目である。(三位一体の神)
7つの目、7つの皿とは、「わたしの霊」を指し、全知全能の神の存在を示す。
⇒『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』
11節:私は彼に尋ねた。「燭台の左右にある、この二本のオリーブの木は何ですか。」
12節:そして再び尋ねた。「二本の金の管によって金の油を注ぎ出す、このオリーブの二本の枝は何ですか。」
13節:すると彼は私にこう言った。「あなたは、これらがなんであるかを知らないのか。」私は言った。「主よ、知りません。」
14節:彼は言った。「これらは、全地の主のそばに立つ、二人の油注がれた者だ。」
ゼカリヤは、2本のオリーブの木と、その枝から金の油を注ぎ出す、2つの金の管について質問する。(意味は?)・・(いずれ将来は光り輝くS/G)
当時の目線では、この2本のオリーブの木は総督ゼルバベルと大祭司ヨシュア。
恵みの時代の目線で見れば、王であり大祭司であるイエスである。(預言的)
未来目線では、黙11:3~13に登場する二人の証人である。(預言的)⇒イスラエルの民族的回心につながる!
ゼカリヤ書に登場する二人の証人は、大患難時代の重要な位置づけ。
7年の大患難時代の前半3年半の間、預言と悔い改めのことばを発する。彼らは預言と共に、口から火を吐き、敵を焼き尽くし、自然(災害)を支配する力を持つ。しかし時が来て、彼らは反キリストに殺されてしまう。世界の人々は苦しめられていたから大喜びし、反キリストに従い、礼拝するようになる。
彼らの死体は、エルサレムに3日半さらされるが、聖霊の力によって復活し、雲に包まれて昇天。敵も味方もそれを目撃する。
その時、大地震、大災害が発生し、都(エルサレム)の10分の1が崩壊、7千人が死ぬ。
これを目撃したイスラエルの人々は神を恐れ、崇め、ここに、民族的救いが起こる。
ゼカリヤ書のオリーブの木の預言の成就!
『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』
『権力によって、能力によって』生きるとは、この世の生き方である。
問題は、手段ではなく、優先順位!何を最優先するか!
霊的領域にしっかり足を置くこと!それは、位置的真理を実践すること!
私たちも、この神のみことばをしっかりと受け止めて、日々をクリスチャンとして力強く生きることが期待されている!