ヨナ4章1節~11節

1節:ところが、このことはヨナを非常に不愉快にした。ヨナは怒って、

2節:に祈った。「ああ、よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへ逃れようとしたのです。あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていたからです。

ヨナは驚くべきニネべの悔い改めを目撃したにもかかわらず、激昂した!それは主に対する怒りであった。なぜ異邦人を救うのか!神は気付きを与えるため、忍耐される

ヨナは、初めに神に反抗した時、神に告げていた。「あなたは情け深くあわれみ深い神、怒るに遅く、わざわいを思い直される方だと知っていたからです。」

現に、北イスラエルが滅びないのは、思い直される神だから!
万が一にも、異邦人が悔い改めたら救われてしまう!

実はそうではない!両者とも滅びの日は近づいている!
ヨナの考えが交錯している➡異邦人は信じるはずがない、信じたとしても神は裁くべきだ
   神の御心を自分の目線に引き下げていることの愚かさ!

3節:ですから、よ、どうか今、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましです。

もう死んだほうがましだ!私は失望しました。私の命を取ってください!
一度、いのちを救われたにも拘らず、それでも死んだほうがましと言うヨナ。これは怒りを示す、無礼な発言。しかし、あわれみ深い神は、ヨナに語り掛ける


4節:は言われた。「あなたは当然であるかのように怒るのか。」

当然であるかのように怒るのか?・・・つまり自分の考えが正しいというのか?

ヨナの思い⇒神は異邦人を裁き、滅ぼすべきである。イスラエルより先に救うということはあり得ないこと!北イスラエルは神の民。救われるべき民。異邦人の救いはイスラエル人の後であるべき!
強力な(不健全な)選民意識がヨナの中に根付いている。
神は、このヨナの強力な(不健全な)選民意識に注目されている。

5節:ヨナは都から出て、都の東の方に座った。そしてそこに自分で仮小屋を作り、都の中で何が起こるかを見極めようと、その陰のところに座った。

ヨナはニネべの東の方に仮小屋を建て、ニネベを観察した。彼らの救いはあるはずがない。必ず神の裁きが下されるところを見極めてやろうとしていた。
このヨナの選民意識がもたらす弊害は、妬みである。彼が激昂した原因は、神が優先順位を変えて、異邦人を救われたことに妬みを覚えたからである。申32:21
この強力(不健全)な選民意識から来るわざわいを、未来の問題点として示されたところに、ヨナ書の意義がある!

6節:神であるは一本の唐胡麻を備えて、ヨナの上をおおうように生えさせ、それを彼の頭の上の陰にして、ヨナの不機嫌を直そうとされた。ヨナはこの唐胡麻を非常に喜んだ。

唐胡麻・・・工業製品の油、ひまし油の原料。
熱帯アフリカの東部が原産。塗料や燃料、香料などに利用され、 耐寒性がないため、熱帯では多年草ですが温帯では一年草となります。 葉は大きくて、掌状に5~11に深裂し、鋸歯状です。
まるでヨナの機嫌取りであるかのように、神は奇蹟を行い、唐胡麻を生えさせて、彼に日陰を与えられた。ヨナはこの唐胡麻の奇蹟を喜んだ。つまり、神が私をあわれんでくださっているから、神は思い直されると思っている。

7節:しかし翌日の夜明けに、神は一匹の虫を備えられた。虫がその唐胡麻をかんだので、唐胡麻は枯れた。

翌日の夜明けには、神が一匹の虫を備えられた。あっと言う間に唐胡麻を枯らす虫。これも神の御業である。この事によって、神は気付きを促しておられるのだが・・


8節:太陽が昇ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は弱り果て、自分の死を願って言った。「私は生きているより死んだほうがましだ。」

覆いの無い状態に加え、東風(熱風)が神によって吹き付けられた。熱中症相当のダメージ
なぜ、唐胡麻を枯らすのか?そのまま日除けにしてくれればよいのに!と思うヨナ。
ヨナは弱りはて、神に、怒りを込めて、死を願った。「死んだほうがましだ!」


9節:すると神はヨナに言われた。「この唐胡麻のために、あなたは当然であるかのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」

ヨナは、神の唐胡麻がヨナを守り、神の異邦人滅亡の裁きを期待し見物していた。
異邦人ではなく、北イスラエルが先に救われなければ、という思いがあった。

本来の「神の民の使命」とは?⇒神の民として、全人類に対するお手本となること!
神の栄光を実現する働き手となり、その栄光をたたえる! はずなのに・・

ヨナは言う。「死ぬほど怒るのは当然です。」・・自分は正しい!と言い張るヨナ

10節:は言われた。「あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。

11節:ましてわたしは、この大きな都ニネべを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」

自分は何の労も払わず、一夜で生い茂った唐胡麻が枯れた。普段は気にもしない唐胡麻が、今は日除けとなり、とても喜んだ。しかしそれが無くなり、それを惜しんでいる。
あなたにとって異邦人は何の役にも立たず、むしろ害に思えるかもしれないが、わたしの目から見れば、その中にも惜しまれる人々がいるのだ。
何が神で、正義と公正が何かを分からない、また、未来のこともわからない12万人以上の人たちや、家畜がいるのだ!

神は、決して異邦人を無関心に裁かれてはいない。あわれんでおられることは明確。
だからこそ、イスラエルの民が正しく神の民として立ち上がってほしいと願っている。
こうした神の思いに応答することも、神の子のあるべき姿であることを覚えよう!

 

神が、ヨナに御言葉をかけて、この書は終わっている。
多分、ヨナは死ななかったと思う。そして、神は、ヨナの言う思い直しはされなかった。
この最後の一言に、ヨナはどういう反応をしただろうか?ここに答えはない。


これまでのヨナとこれからのイスラエル

2022年07月07日