メッセージ一覧

ハバクク書が書かれた背景

ハバクク書は、南ユダの預言者ハバククによって書かれた。時期は、バビロン捕囚以前である。その頃のユダヤの民は、アッシリアに朝貢し、神に頼るのではなく、強国に頼るようになっていた。神を礼拝していたが、それは表面的なものであった。

2021年07月07日

ハバクク1章1節~4節

ハバククの心の叫びです。

ハバククは南ユダの混乱している状況を神に伝え、裁きを心から求める。いつまで待てば良いのですかと訴える。ハバククにとって、このような民の動向を見るのは苦しいことである。霊的暴虐がはびこっている。律法、裁きが機能せず、正しい裁きがなされていません!!

2021年07月07日

ハバクク1章5節~11節

神の応答です。

驚き、たじろげ。わたしは、あなた方の時代に、あなた方が信じられないようなことを行う。カルデア人、すなわちバビロンを用いて諸国を次々と占領させる。

 

 

カルデア人(バビロン)は、強暴で俊敏な国民で、その騎兵は圧倒的に速く、町々を攻め取り、自らさばきを下して行く。まさに疾風のようにメソポタミア全域からエジプトにかけて吹き荒れるが、風のように過ぎ去る。なぜなら、自分の力を神とする者は相当の責めを負うからだ

2021年07月08日

ハバクク1章12節~17節

ハバククがまた問いかけます。

 

主よ、あなたが私たちを裁き、こらしめるためにバビロンを据えられたのは分かりましたが、なぜ私たちより悪しき者を使われるのですか。あなたは昔から私たちの神ではありませんか。

私たちは魚や這う虫のようにされ、彼らの強力な軍事力で一網打尽にされます。彼らは豊かになり、ますます諸国を侵略して行くのでしょうか。

 

2021年07月09日

ハバクク2章1節~4節

神の応答です。

ハバククは、自分の訴えに対して神が何を語られるか真剣に聞こうとしている。神はハバククに幻をお見せになり、それを板の上に書き記せと言われた。この幻は、定めの時について証言し、終わりについて告げている。

神は「もし遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない。」と言われる。人には遅れているように見えても、神の計画は確実に進められていて、神の時が来たら必ず成就することを覚えたい。

 

見よ。彼の心はうぬぼれていて直ぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。

「義人は信仰によって生きる。」は、新約聖書で3度引用されています。

①ローマ1:17 ②ガラテヤ3:11 ③へブル10:37~38(これらは神学的に重要な書簡です)

 

2021年07月10日

ハバクク2章5節~20節

5節~20節の間に、5回「わざわいだ」という言葉が出て来る。この「わざわいだ」には、感嘆詞「ホーイ」が付き、「あぁー」というような言葉で、避けられない神の裁きを宣告するときに使われる。「今は良くても、最終的には・・」というニュアンス。

 

5節~8節:第一のわざわい(あざけり)。【貪欲の罪】カルデア人は、酒飲み、貪欲で諸国を飲み込んで満足することはない。しかし、世界を制した帝国にもかかわらず90年程の短命で終わる。バビロンは、メディア・ペルシャに滅ぼされる。

 

 

9節~11節:第二のわざわい(あざけり)。【高慢、傲慢の罪】不正な利得を私利私欲のために使い、高いところに宮殿を建てた。実際にバベルの塔のように高い建物をたて、空中庭園が有名だった。

 

 

 

12節~14節:第三のわざわい(あざけり)。【歴史は神の主権】流血と不正で築き上げられた諸国の民は、結局は苦しみ疲れ果てる。最終的には、水が海を覆うごとく、地は主の栄光で満たされる。

 

15節~17節:第四のわざわい(あざけり)。【恥と暴虐の罪毒の酒で友を裸にして裏切る行為は、恥ずべきもの。神の盃(裁き)でその恥は知らされる。レバノンの自然も動物も破壊し、人々の血を流した行為が糾弾される。

 

18節~20節:第五のわざわい(あざけり)。【偶像礼拝の罪】物言わぬ偽りの神々を造ったところで、何の役に立つだろうか。全地よ。主の御前に静まれ。

初めハバククはユダのことについて神に裁きを求めていたが、神の応答は全地に向かっている。

2021年07月14日

ハバクク3章1節~16節

1節:ハバククの祈り。シグヨノテ(あるメロディー)の調べにのせて。

2節:ハバククは【主】の裁きについての預言が与えられ恐れている。大患難時代の到来を理解し、短期間の間に【主】の計画が成就し、大患難時代において【主】のあわれみがあるようにと祈っている。

3節~6節:メシア再臨の場所は、ボツラ(ペトラ)~テマンの町~パランの荒野~ケデロンの谷~エルサレムとなる。主の臨在、シャカイナグローリー、神の力、威厳が描写されている。

7節:クシャン(イラン系民族)、ミディアン(アラビヤ)はわなないていた。クシャン王朝はB.C.6世紀頃ペルシャによって滅んでいる。

8節~10節:メシアの再臨にともなって、さまざまな異変が起こる。

11節:宇宙で異変が起こる。

12節:ハルマゲドンの状況描写。

13節~14節:メシアが来て、悪しき者の頭(反キリスト)を打ち砕き、背教の実態をあらわにして、誓いを果たされる。

15節:メシアはイスラエルを攻める背教の異邦人を徹底的に踏みつける。

16節:ハバククは最終的な救いに至るまでの凄惨さを知り、立っていられないほどに打ちひしがれた。しかし、神の愛と忍耐の深さに気付き、心を静めて神のみこころを待つ姿勢を示す。

 

 

2021年07月22日

ハバクク3章17節~19節

17節:いちじく、ぶどう、オリーブはイスラエルの代表的な食物であり、イスラエルそのものの疲弊を表す。加えて、羊、牛もいなくなり、経済的に大困窮状態となる。ハバククは、相当の死者を想定する終末の状況を見ている。

18節:しかし、ハバククをはじめとする残れる者はそんな状況にあっても神を喜び楽しむ。なぜなら、救いは自分たちの力で実現できるものではく、救い主である神と私たちの信仰によって成るものだからである!

19節:神こそが私の力と宣言するハバクク。人の力ではなく、神の力が救いである。神は私たちの足を雌鹿のようにし、高い所を歩ませる。高い所とは、祝福と安全な場所のことである。

最終的な勝利は、神によってのみもたらされることを悟り、皆と共有するために謳った。

2021年07月26日

ハバクク書と新約聖書の関係

ハバクク書2章4節は、新約聖書の3箇所で引用されている。

それを、書かれた順に見てみる。

ガラテヤ3:10~11 AC48年頃

律法の行いによる人々はみな、のろいのもとにあります。「律法の書に書いてあるすべてのことを守り行わない者はみな、のろわれる」と書いてあるからです。律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」からです。

「救いは、律法ではなく、信仰による」

 

ローマ1:16~17 AC57年頃

私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

「信仰に始まり、信仰に進む」

 

へブル10:35~39  AC65~69年頃

ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはいけません。その確信には大きな報いがあります。あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。「もうしばらくすれば、来たるべき方が来られる。遅れることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし恐れ退くなら、わたしの心は彼を喜ばない。」しかし私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です

「忍耐を持って前進し、約束のものを手に入れる信仰」

 

2021年07月30日

ゼパニヤ1章1節

ゼパニヤは、ユダの王ヨシヤの時代の預言者である。

四代前にはヒゼキヤ王のいる家系である。(ヒゼキヤーアマルヤーゲダルヤークシーゼパニヤ)

 

ヒゼキヤ王とヨシヤ王の間には最悪の王マナセ王とアモン王がいて、南ユダは神から離れ堕落していた。

ヨシヤ王は律法回帰をしてに立ち返ろうとしていた。ゼパニヤは、そういった時代に神からことばを受けた。

 

2021年08月04日

ゼパニヤ1章2節~13節

2節~3節:全地に下る裁き【のことば】

2節:わたしは必ず、すべてのものを大地の面から取り除く。

「わたしは地の面からすべてのものを一掃する」(新共同訳)

ほうきによって地の面が掃き清められるというイメージ。大患難時代の裁き

3節:わたしは人と獣を取り除き、空の鳥と海の魚を取り除く。悪者どもをつまずかせ、人  を大地の面から断ち切る。

*一掃される順番は、人、獣、空の鳥、海の魚の順であり、天地創造時の順番が逆になっている。普遍的裁きを示す。

*悪者どもは、偶像を崇拝する者、サタン、反キリストであり、神に反する者たちである。

の日の目的は、地上から悪を断ち切ることである。

4節:裁きは、ユダ、エルサレムのすべての住民に向けられる。エルサレムは神の都であり、指導者たちの背信は見逃すことができない。

①バアルの残りの者(ヨシヤ王の宗教改革後もバアル礼拝者が残っていた)

②偶像に仕える祭司

5節:③天の万象を拝む者ども(申命記4章19節で天体の礼拝を禁じている)

に誓いを立てて礼拝しながら、ミルコムに誓いを立てる者ども『二心の者ども』

6節:⑤に従うことをやめた者ども、を尋ねず求めない者ども

先ず、の民の宗教的な罪を指摘している。これらの者(①~⑤)はすべて断ち切られる!

7節:【ゼパニヤの言葉】であるの前で口をつぐめ!の日は近い。(バビロン捕囚とともに大患難時代重ね合わされている)最終的な処罰がなされる。悪人を処罰し、罪人たちが聖別される時が来る。の日とは大患難時代である)

8節:獣とは、ここでは、ユダの裏切り者であるとともに、バビロンであり、大患難時代の大バビロンを指すとも考えられる。王家の者、指導者、外国と親しくする者たちを裁く!一掃する

9節:神殿の敷居を飛び越え、暴虐と欺きで神殿を犯す者ども(偶像礼拝をする指導者)を裁く!一掃する!

10節~11節:その日には―のことば―  

新共同訳では、「その日が来れば、とは言われる」と訳されていて具体的でわかりやすい。

魚の門は、マナセ王が築いた城壁にある。魚市場がある商人の地区。

第二区は、下町。

もろもろの丘は、エルサレム市内の小高い丘。

マクテシュ区は、ダビデの町の西側地区で庶民が住んでいる。

その日が来れば、神の裁きにより商人たちは商売が出来なくなり、滅ぼされる。富に心奪われ、富で問題解決ができると考えている者たちへの裁きか?

12節:その時が来たら、ぶどう酒のかすの上によどんでいるような、心の生ぬるい者をくまなくエルサレムから捜しだして罰する

13節:その結果、彼らの財産は略奪され、家は荒れ果て、家を建ててもそこに住めず、労働しても実入りがない。

2021年08月18日

ゼパニヤ1章14節~18節

14節~16節はゼパニヤのことば

14節:7節でも言っているように、「の日、の大いなる日は近い」と言う。一気に起こる神の裁きが近い!近い!と教えている。その日は、戦いの勇者でさえも悲痛な苦しみの声を上げるほどなのだと。

15節~16節:の怒りの日、それは苦難と苦悩、荒廃と滅亡、闇と暗黒、雲と暗闇の日。角笛と、ときの声が上がる日で、世界諸国も権威も襲われる。敵が攻め、襲撃があり、そうしての裁きが下る。

 

17節~18節はのことば

17節:罪人の最後の裁きは徹底的である。人々は目の見えない人のように歩き、彼らの血はちりのように、はらわたは、糞のようにまき散らされる。[こういう惨状を見せられる預言者の辛さと重責は如何ばかりか!]

18節:のねたみの火に、偶像や富は何の役にも立たない。大患難時代とは、が全土と人類を焼き尽くし、滅ぼし尽くすことだ!

〔新共同訳 1:18 金も銀も彼らを救い出すことはできない。の憤りの日に。地上はくまなくの情熱の火に焼き尽くされる。は恐るべき破滅を地上に住むすべての者に臨ませられる。〕

 

2021年08月25日

ゼパニヤ2章1節~15節

1節~7節はゼパニヤのことば。ただし、5節Cは神のことば。

1節~3節:1章17節~18節を受けて語られている。「恥知らずの民」は、一般的には異邦人だが、ここではユダヤ人のこと。不信仰な状態での回復の預言が語られる。3節は、残れる信仰者の救いが示されている。「柔和」の重要性を認識!(ゼパニヤ9:9、マタイ5:5、21:5)

4節~15節は、周辺諸国に下る裁き

 [裁かれるとされる周辺諸国]

 

4節~7節:ユダの西に位置するペリシテの地。各地に王が存在していた。いわゆる都市連合国家である。クレタ人はペリシテ人のこと。5節bでペリシテのカナンの滅びを宣言している。実際に歴史上ペリシテ人はいなくなり、アシュケロンは1948年以降、イスラエルの領土となっている。

8節~9節はのことば。

8節:ユダの東に位置するモアブとアンモンの裁き。彼らは、ロトと二人の娘との間の忌まわしい子の子孫。

の民をそしり、領土の所有に関して高慢になった。反ユダヤ主義の罪。

9節:「わたしは生きている。」とは言われる。彼らは、ソドムやゴモラのように罰せられ、領土は荒れ、ついにはイスラエルの残れる者がその地を受け継ぐ。

10節~11節はゼパニヤのことば。

10節:彼らの高慢が原因だ。を無視し、の民をそしり、高ぶった。

11節:の裁きにより、彼らに恐れが下る。その時偶像は何の助けにもならないことが分かり改心する。すべての異国の民も主を礼拝する。

12節はのことば。

12:クシュはユダの南に位置する。クシュ人とはエチオピア人のこと。この時代はエジプトよりもエチオピアの存在が大きかった。紀元前671年にアッシリアがエジプトに侵攻した時、クシュはエジプトから撤退し、後退し始める。

13節~15節はのことば。

13節:アッシリアはユダの北に位置する。はアッシリアとニネべを砂漠にされる。

14節~15節:完全なるアッシリアの裁きにいたり、に反する者たちの裁きは完結する。特にアッシリアは奢りの極みであったが、丸裸となる。と神の民をあざける者は、後にあざけられることになる。

2021年08月25日

ゼパニヤ3章1節~13節

1節~5節はゼパニヤのことば。

1節:わざわいだ。反逆と汚れに満ちた暴虐の都。それは・・・

2節~4節:

つまりは、のいないユダヤ教。彼らは、おごる者、高慢な者である。

5節:そんな中にあって、は常に公正を示されるが、不正な者は恥を知らず、ますます不正を続ける。

6節~13節はのことば。

6節~7節:1~5節の状態にあるイスラエルにが与えることば。諸国を打ったから、お前たちはこうあれと諭す。四隅の塔とは、四方の主要国で、異邦人諸国である。

は言われた。ただわたしを恐れ、戒めを受け入れよ。⦅戒めを受け入れる者がいる。⦆だから、どんなにエルサレムを罰しても、戻るところが無くなることはないのだ。ただし、諸国は悪事を繰り返し、イスラエルを翻弄する。

8節~10節:「それゆえ、わたしを待て」とは言われる。ハルマゲドンの戦いの日を待て。諸国を裁くから。ハルマゲドンの戦いが終わる(メシア的王国になる)と、ことばが統一され、諸国の民もに仕え崇めるようになる。そして、クシュの川の向こう「地の果て」(ディアスポラ)のユダヤ人が帰って来る。羊の異邦人の助けにより、離散の民は贈り物を携えて来る。(贈り物とは真の信仰かもしれない)

*「諸国の民のを変えて清くする」の唇(サーファー)は、創世記11章1節のことば(サーファー)と同じである。清くするは、くつがえすとも訳せる。よって、ことばが統一されるとなる。

11節:この大患難の終盤で、イスラエルのこれまでの罪は赦される。それは、おごる者、高慢な者が取り除かれ、聖別、新生が完了。

12節:へりくだった、貧しい者を残す(マタイ5章3節)。彼らは、キリストを信じる者である。

13節:不正が存在しないメシア的王国(千年王国)が始まる。キリストに導かれた羊、聖徒たちが地に住み、もう敵となるものは存在しなくなる。裁きは終わり、祝福の時となる。

 

 

2021年08月26日

ゼパニヤ3章14節~20節

14節~17節はゼパニヤのことば。

14節:勝利を共に喜ぶシーン! 娘シオンよ、喜び歌え。イスラエルよ、喜び叫べ。娘エルサレムよ。心の底から喜び叫べ。

15節:罪(サタンの支配)は取り除かれ、メシア的王国(イエス様が王となる御国)が完成する。

16節~17節:は言われる。エルサレムよ、恐れるな。あなたの神、わたしこそが救いの神だ。わたしの愛によってあなたにさらに安らぎを与え、あなたを喜び歌う!!

18節~20節はのことば。

18節:例祭から離れて悲しむ者たちをわたしは集める。彼らはあなたから離れていた。そしりがシオンへの重荷であった。

【新共同訳:わたしは、祭りを祝えず苦しめられていた者を集める。彼らはお前から遠く離れ、お前の重い恥となっていた。】

彼らとは、最終的にイエスを信じ受け入れたイスラエルの人々のことである。大患難時代の後半は第3神殿では例祭を行えなくなる。彼らのそしりは神を信じている者たちの重荷、重い恥となっていた。しかし、最終的にはイエスを信じ、神によって集められる。

19節:苦しめたすべての敵が罰せられ、消え去る。足を引きずる(苦しい信仰の道を歩んだ)者、離散した者を集める。恥が栄誉となり、名が変えられる。

20節:の最後のことば。

主に信頼するすべての民が集められ、人間に与えられている本来の姿に回復され、祝福が与えられる。特にイスラエルの民は、栄誉ある名が与えられる。

は言われ、約束された!

私たちは栄光のからだを持って、イスラエルの回復を目撃する。壮絶な裁きの末、イスラエルの栄誉の回復と、千年王国の始まりを見て、私たちは一斉に心から歓喜の声を上げる。「主よ感謝します。ハレルヤ!」

2021年09月02日

ナホム1章1節~2節

1節:著者はナホム。エルコシュ人だが、エルコシュが何処にあったかは不明。カペナウム辺りかもと言われている・・・

ナホムの意味は、「慰めに満ちた」「慰め」である。

南ユダの預言者で、活動時期はマナセ王の時代。

内容は、アッシリアのニネべに対する厳しい裁きである。

ナホムは神から幻を見せられ、それを記録した。つまり、記録出来るほど鮮明な幻⦅神によるバーチャルリアリティー?⦆であったと思われる。

 

アッシリアに関して

アッシリヤの起源はBC2000年頃とされるが、徐々に拡大し大帝国を築いた。BC722年には北イスラエルを滅ぼし、地中海沿岸からエジプトにまで勢力を伸ばした。

途中、自国統一と外敵防衛に取り組んだが、再び勢力拡大に移り、エジプトにまで及んだ。(BC663年頃がピーク)

ニネベは、BC612年にバビロン・メディアに攻略され、その後急速に減衰し、3年後には完全に歴史から姿を消す

 

 

ヨナ書について

ヨナの名の意味は「鳩」。Ⅱ列14:25に登場し、ヤロブアムに領土の回復を預言している。北イスラエル(ゼブルン族)の預言者

ヨナは、神から、ニネべに裁きがあることを伝えるように命じられるが、イスラエルを思う彼は、アッシリアが悔い改めてしまうことを恐れ、その命令に背き、船でヤッファから西方へと逃避する。しかし神はその御業で、大魚を用いてヨナを悔い改めに導いた。

ヨナは、ニネべに行き、神の裁きを告げると、12万人以上の民と、図らずも王までが悔い改めた。それを見たヨナは怒り、神に死を願う。神はトウゴマ、虫、東風(熱風)を用いて、神の思いを悟らせようとされた。

ヨナは、最終的には悔い改めたと思われる

 

歴史的に見ると、ヨナ書はアッシリヤの自国統一や防衛に注力の時期と重なる。ゆえにヤロブアム2世は北イスラエルの拡大が可能だった。【Ⅱ列14:25】この預言は、ヨナから自国に与えられた。

 

2節:復讐という言葉が3回も出て来る。神は、ニネべにヨナを通して神の裁きについて事前に告げた。しかし、改心も束ぬ間、アッシリアはさらに暴虐となる。それを踏まえての裁きである。神はチャンスを与え、忍耐された。愛と忍耐の神である!

2021年09月11日

ナホム1章3節~15節

3節:は怒るのに遅く、力強い方。決して罰せずにおかれることはない。

忍耐強く辛抱される神だが、その忍耐に甘えていてはならない。その偉大な力で必要な裁きは下される。

は、その道がつむじ風と嵐の中にあり、雲は、御足がかき立てるほこりである。

とあるように、神は天候を支配しておられるお方である。

 

4節:主は海を叱って干上がらせ、すべての川を涸らされる。バシャンとカルメルはしおれ、レバノンの花もしおれる。

バシャンとはゴラン高原のことで、バシャンもカルメルもレバノンも水の豊かな場所である。主は、それらを干上がらせるのである。

 

5節:山々は主の前に揺れ動き、もろもろの丘は溶け去る。地は御前でくつがえる。世界とその中に住むすべてのものも。

神の力は地形の変動。世界を巻き込む天変地異。

 

6節:主の激しい憤りの前に、だれが立てるだろうか。だれが、その燃える怒りに耐えられるだろうか。主の憤りは火のように注がれ、岩々は御前に打ち砕かれる。

主の怒り(力)は燃える火。だれひとり耐えられない怒りの火が注がれ、神の御前には、どんな権威も立つことはできない!

 

7節:はいつくしみ深く、苦難の日の砦。ご自分に身を避ける者を知っていてくださるゆえに、神は将来も、主に身を避ける者、主の戒め、教えに従い主に信頼する者をご存知であると言われる。ここに、神の愛、将来の残れる者への救いが示されている。

 

8節:しかし、押し流す大水でその場所を滅ぼし尽くし、敵どもを闇に追いやられる

しかし敵に対しては、必ず、滅ぼし尽くし闇に追いやる。神はいつまでも悪を野放しにはしない!


9節:おまえたちは主に対して何を企むのか。主は滅ぼし尽くす方。敵対する者は二度と立ち上がれない。

「おまえたち」とは、ユダヤ人を攻める異邦人全体を指す。最終的には滅ぼし尽くす神に対して何をしようというのか?

 

10節:彼らは、絡みついた茨。大酒飲みの酔っぱらいのようだ。乾ききった刈り株のように焼き尽くされる。

「彼ら」とは異邦人の中の、アッシリヤ帝国そのものを指す。何層にも絡みつく歴史ある帝国。彼らは酩酊し、自分が何をしているのかわからない。結局、成長しても、刈られ、焼き尽くされてしまう。

 

11節:おまえたちの中から、に対して悪を謀り、よこしまなことを企てる者が出た。

「おまえたち」とは、歴代のアッシリヤのことで、ここに暴虐著しい邪悪な者(ベリアル)が出たと言っている。ベリアルは、旧約聖書ではサタンのこと。具体的にはセンナケリブ王(BC705年~BC681年)のことである。

 

12節~13節:はこう言われる。「彼らが壮健で、数が多くても、それでも、刈り取られて去って行く。わたしはあなたを苦しめたが、もう苦しめない。今、わたしはのくびきを砕いてあなたから外し、あなたのかせを打ち砕く。」

「彼ら」はアッシリヤのセンナケリブの軍隊。「あなた」はユダ。「彼」はセンナケリブ王。南ユダは、アッシリヤに責められ追い詰められていた。しかし、神はアッシリヤを打ち砕かれる

 

14節:おまえについて命じられる。「もはや子が宿ることなく、おまえの名は絶える。おまえの神々の宮から、わたしは彫像や鋳造を断ち切る。わたしはおまえの墓を造る。おまえが取るに足りない者となったからだ。

「おまえ」とはアッシリヤ。彼らに子孫繁栄はない!これは彼らにとって屈辱的なこと!子孫の繁栄はないと宣告されることは完全な滅びを意味する。

 

15節:見よ。良い知らせを伝える人の足が、平和を告げ知らせる人の足が山々の上にある。ユダよ、あなたの祭りを祝い、あなたの誓願を果たせ。よこしまな者たちは、もう二度とあなたの間を通り過ぎることがない。彼らはみな、絶ち滅ぼされた。

「見よ。良い知らせを伝える人の足が、平和を告げ知らせる人の足が山々の上にある。」これはイザヤ書52:7からの引用である。イザヤ書52:7~10は、終末の勝利をも暗示している。ハバクク、ゼパニヤの学びの時に、彼らはイザヤ書を知っていると言ったが、その証拠。しかし、この預言書は、終末の預言ではなく、目の前にあるアッシリヤへの裁きに絞られている。

2021年09月23日

ナホム2章1節~13節

この2章から、ニネベの裁きについての言及である。
徹底的なニネベに対する裁きは、悪を行う者の末路の提示であり、あわれみの後の、神の怒りの厳しさを知る手掛かりとなる。
1節~12節はニネべの裁き、最後の13節が神のみことば(宣告)である。

結局、歴史の主体は常に神である。

 

1節:追い散らす者が、おまえに向かって上って来る。塁を見守り、道を見張れ。腰を強くし、大いに力を奮い立たせよ。

「追い散らす者」は、バビロン、メディアの合同軍。「おまえ」は、アッシリヤのニネベ。神はバビロン、メディア軍を用いてニネベを叩く!覚悟せよ!


2節:がヤコブの威光を、イスラエルの威光のように回復されるからだ。まことに、荒らす者が彼らを荒らし、彼らのぶどうの枝を損なう。

新共同訳:「主はヤコブの誇りを回復される。イスラエルの誇りも同じように。」
ここにイスラエルの誇りを回復する!
「彼ら」とはユダヤ人。その「ぶどうの枝」はその子孫。
アッシリヤは北イスラエルを捕囚し、更に南ユダを苦しめる。この危機的状況を見過ごすことなく、神は動かれた!


南ユダを回復するため、ここからは、一気に攻められるアッシリヤが描かれる
3節:勇士の盾は赤く染まり、兵士は緋色に包まれる。戦車は、それが整えられる日、鋼の火を通され、槍は振り回される。

赤く染まる、緋色、とはバビロン軍のトレードカラー。バビロン軍の戦車や武器は、秀でていたとされる。
戦車には、2頭の馬が繋がれ、3人の兵士が乗った。いよいよ、バビロン軍の攻撃の準備が整った。


4節:戦車は通りを走り狂い、広場を駆け巡る。その有様はたいまつのようで、稲妻のように走る。

5節:高貴な人は呼び出されるが、途中でつまずき倒れる。人々は町の城壁へ急ぐが、そこに外から柵が設けられる。

戦車による攻撃は、稲妻のように激しく速く、そして焼き尽くす。
「高貴な人」とは、将軍、大将など。彼らは途上でつまずき倒れる。それほど一気に攻め上ってきたので、対応ができない。慌てて城壁を固めようと民が動き、矢の防柵を置く。新共同訳では、「防御車が置かれる」と書かれている。いずれにしても後の祭りということ。無警戒の内に攻められ、逃げ場もない状態が想像できる。

 

6節:いくつもの川の水門が開かれ、宮殿は消え去る

新共同訳:「流れに面した門は開かれ、宮殿は揺れ動く。」
ティグリス川の氾濫により、水が城内に入り込み、宮殿は消え失せる。(揺れて崩れてしまう。)

紀元前1世紀の歴史家ディオドロスによると

攻城戦の最中にティグリス川が氾濫してニネヴェ城内に流れ込み、これに乗じたバビロン・メディアの合同軍が外壁を乗り越えて攻め込み、神殿を略奪して宮殿を焼き払った。

(ウィキペディアより)

7節:王妃は捕らえられ、連れ去られる。女奴隷たちは鳩のような声でつぶやき、胸をたたいて悲しむ。

王妃が捕まることは敗北の意味。侍女たちは恐怖に呼吸が乱れ、胸を打って悲しむ。

 

8節:ニネべは、水が流れ出る池のようだ。「止まれ、止まれ」と言っても、向きを変える者はいない。

水が豊かな都市が、今はその水が流れ出るように、多くの人々が逃げ出して、止めようにも止まらない。


9節:銀を奪え。金も奪え。その財宝には限りがない。あらゆる尊い品々があふれている。

侵略者に向かい、「溢れるほどの金、銀、財宝を奪い取れ!」


10節:不毛、空虚、そして荒廃。心は萎え、膝は震える。どの腰もわななき、どの顔も青ざめる。

不毛、空虚、荒廃。・・ブカー、ムブカー、ムブラカーとなっており、荒廃がどんどんひどくなる状態をイメージさせる。さっきまで平安だったニネべの人々は、瞬時に震え慄き、顔色をなくす。


11節:獅子の住みかはどこか。若い獅子にとっての餌場は。雄獅子と雌獅子が出歩くときに、子獅子がだれにもおびやかされない住みかは。

「獅子」は、アッシリヤ、「若獅子」は、現在着任の王。それらのすみかとは、かれらの餌場でもある。彼らは、残虐行為で恐れさせ、諸国を苦しめて貢ぎ物を奪い、それらによって、都市ニネべをはじめとするアッシリヤを、平安に豊かにしていた。


12節:獅子は、十分な獲物を子獅子のために引き裂き、雌獅子のためにかみ殺し、獲物でその穴を、かみ裂かれた物でその巣を満たす。

彼らは、征服した諸国の苦しみの上に成り立つ権威である。しかし、財宝も城も取られた彼らにとって、そんな餌場、すなわち仕える諸国はもう存在しない。


13節:「見よ、わたしはおまえを敵とする。―万軍ののことば― おまえの戦車を燃やして煙にし、若い獅子を剣が食い尽くす。おまえの獲物を地から絶やし、おまえの使者たちの声はもう聞かれない。」
「おまえ」は、アッシリヤ。もうここまでだ!・・というニュアンス。戦力を完全に焼き尽くし、その王は殺される。諸国からの財産は無と帰し、仮に使者を送って助けを求めても、もう誰も、どこの諸国も聞き従うことはない!

2021年09月24日

ナホム3章1節~19節

1節:わざわいだ、流血の町。すべては偽りで略奪に満ち、強奪はやまない。

2節:むちの音。車輪の響き。駆ける馬。飛び跳ねる戦車。

3節:突進する騎兵。剣のきらめき。槍のひらめき。おびただしい戦死者。山なす屍。数え切れない死体。死体に人はつまずく。

ニネべの町は自分たちがして来たと同じように攻められ、町中に数え切れない死体の山が積みあがって行く。その惨劇は凄まじい

 

4節:これは、遊女の淫行の数々に、呪術を行う女の麗しさによるものだ。彼女はその淫行によって国々を、その呪術によって諸部族を売り渡した。

悪魔(サタン)的宗教を取り入れ、偶像を礼拝させ、その口から出る惑わしで諸国を束ねて行った。交わる諸国を属国(配下)にした。南ユダもその悪影響を受け、惑わされた一国。

 

5節:「見よ、わたしはおまえを敵とする。 ―万軍の主のことば― わたしはおまえの裾を顔の上にまでまくり上げ、諸国の民におまえの裸を見せる。諸国の王におまえの恥を。

2章13節と同じ書き出しで神の宣告。預言的完了形であって確実に成就する。「恥を見る」とは、神の裁きにあうこと。神に裁かれ力を失った哀れなニネべ(アッシリア)の姿を諸国にさらす。

 

6節:おまえの上に忌まわしいものを投げかけ、おまえを愚弄し、おまえを見せ物にする。

「忌まわしいもの」とは、アッシリアにとって忌まわしいもので、バビロン・メディア合同軍のこと。ここに、大国を誇っていたアッシリアの弱体が示される。

 

7節:おまえを見る者はみな、おまえから逃げて言う。『ニネべは荒れ果てた。だれが彼女のために嘆くのか。』わたしはどこからおまえを慰める者を探して来られようか。

落ちて行くニネべを見て、周辺諸国は嘆くことなく逃げて離れてゆく。どの国も助けることはない。

 

8節:おまえはテーベよりもすぐれているのか。それはナイル川のほとりにあり、水がそれを取り囲んでいる。その塁壁は海、海がその城壁。

9節:クシュとエジプトはその力。その力には限りがない。プテもルブ人もその助け手。

テーベは難攻不落と言われる、ナイル川のほとりにあることから海のような水が壁となる城塞都市。
更にクシュ(エチオピア)、エジプト、プテ(ソマリア)、ルブ人(リビヤ人)という4つの同盟国を持っていた。


10節:しかし、それもまた捕囚となり、捕らわれの身となって出て行く。その幼子たちはあらゆる街角で八つ裂きにされ、高貴な人たちはくじで分けられ、おもだった者たちはみな、鎖につながれる。

難攻不落と言われた都市テーベは攻められ捕囚となる。残虐な行為がなされたことが示されている。アッシリヤの絶頂期と思われる。
幼子は街角で八つ裂き、貴族はくじ引きされ、大人は奴隷として売り飛ばされる。残虐行為が行われたのは言うまでもない。

ここは、ナホム書が書かれた時期の手掛かりとなる。テーベの陥落はBC663年であり、ニネべ陥落がBC612年であることから、BC663年からBC612年の間に書かれたと判断される

11節:おまえもまた、酔いしれて意識を失う。おまえもまた、敵から逃げて砦を捜し求める。

テーベ同様に攻められるニネべは、酔いしれてしまう。これは、神の怒りの盃による、裁きの表現(エレミヤ25:15~17参照)。彼らは敵から逃げ出して砦を探し求める。


12節:おまえのすべての要塞は、初なりの実をつけたいちじくの木のようだ。揺さぶると、食べる者の口に実が落ちる。

「初なりのイチジク」とは、真っ先に食べられてしまう実であることを指す。揺さぶれば落ちて食べられてしまうように、ニネべを出て他の要塞を探しても、すぐに打たれてしまう。


13節:見よ、おまえの兵隊はおまえの中にいる女たち、敵に向かっておまえの国の門は広く開け放たれ、火がかんぬきを焼き尽くす。

戦う兵隊は女しか残っていないほどの戦力。アッシリヤの国自体が明け渡され、例え抵抗する町があっても、焼かれ滅ぼされる。

 

14節:包囲の日に備えて水を汲み、おまえの要塞を強固にせよ。泥の中に入り、粘土を踏みつけ、れんがの型を取れ。

2章1節の「追い散らす者が、お前に向かってくる。塁を見守り、道を見張れ。腰を強くし、大いに力を奮い立たせよ。」の内容から、さらに厳しい状況へ進んでいる。
「ニネべよ、お前は包囲されるから、早いこと、備えをせよ」と言われているが、それはやっても無駄なことである。

 

15節:その場所で、火はおまえを食い尽くす。剣はおまえを切り倒し、バッタのように火がおまえを食い尽くす。バッタのように数を増し、いなごのように増えよ。

16節:おまえは商人を天の星より多くした。しかし、バッタがこれを襲って飛び去る。

バッタやいなご・・これはバビロン・メディア合同軍を指す。一気に攻める様が想像される。ニネべには商人が多く、富が集中する。それらの富も民も、バビロン・メディア軍は襲う。

 

17節:おまえ廷臣たちは、いなごのよう、司令官たちは、群がるいなごのようだ。寒い日には城壁の上でたむろし、日が昇ると逃げ去って、どこへ行くか、行く先をだれも知らない。

いなご・・ニネべの部隊、将軍は役に立たず、固まって飛び去ってゆくいなごのよう。それも散り散りバラバラに消えてゆくようだ。

神の目線から見れば、アッシリヤもバビロン軍もバッタ、いなごの類である。

18節:アッシリヤの王よ。おまえの牧者たちは眠り、高貴な者たちはじっととどまっている。おまえの民は山々の上に散らされ、集める者はだれもいない。

アッシリヤの王に諭すように語られる神のことば。もうお前の将軍(牧者)や高官・貴族(高貴な者)は死んでいる。アッシリヤの民は、捕囚民として離散する。


19節:おまえの傷は癒えることがなく、打ち傷は癒やしがたい。おまえのうわさを聞く者はみな、おまえのことで手をたたく。おまえの絶え間ない悪事が及ばなかった者がいるだろうか。」

アッシリヤが回復することはない。
属国や周辺諸国は、長年受けてきた苦しみのゆえに、お前の滅びを喜び祝うであろう。

これはまさに、恥をさらされた形である。

 

2021年10月06日

ヨエル1章1節~14節

1節:ペトエルの子ヨエルにあったのことば。

著者は、南ユダ王国の預言者ヨエル。名前の意味は「主(ヤハウェ)は神」。「エル」は神、「ヨ」はヤハウェの短縮形。彼は、自分の語る内容は主から与えられたものであると言っている。

著作時代は、ヨアシュ王の時代と考えられている。アモス書にヨエル書からの引用があり、アモス書がウジヤ王の時代に書かれていることから、ウジヤ王の前で、さらに偶像礼拝による悪が示されていないので、善王の時代であろうと言うことから、ヨアシュ王の時代に書かれたとされている。

 

2節:「長老たちよ、これを聞け。この地に住む者もみな、耳を傾けよ。このようなことが、あなたの時代に、また先祖の時代にあっただろうか。

3節:これをあなたがたの子どもたちに伝え、子どもたちはその子どもたちに、その子どもたちは後の世代に伝えよ。

4節:嚙みいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、バッタが食い、バッタが残した物は、その若虫が食った。

いなごの大群がユダの地を襲った。長老(老人)に声をかけているのは、これまでになかった大災害が発生したことの強調。この未体験の災害を子々孫々に伝えよ!という命令がなされている。4種類のいなごやバッタは、種類ではなく4という数字に意味がある。旧約聖書では、4という数字は破滅の激しさを象徴的に表す数字である。

 

5節:目を覚ませ、酔いどれよ。泣け。泣き叫べ。すべてぶどう酒を飲む者よ。甘いぶどう酒があなたがたの口から断たれたからだ。

いなごの襲来は穀物を食い荒らし、葡萄酒は製造不能となる。それまで気持ちよく酔っていた者たちは、大打撃を負う。

 

6節:ある国民がわたしの国に攻め上って来た。それは力強く、数え切れない。その歯は雄獅子の歯、それには雌獅子の牙がある。

その「いなご」のような異邦の民はイスラエルを攻める。力強く、数が多く、強暴。

 

7節:それはわたしのぶどうの木を荒れすたらせ、わたしのいちじくの木を木っ端にした。これを丸裸に引きむき、投げ倒し、その枝々を真っ白にした。

ぶどうの木やイチジクを再生不能にする。農産業は当時の主産業であり、それを壊滅。イスラエルの国家的破壊に見える。

 

8節:悼み悲しめ。荒布をまとったおとめが、その若いときの夫のためにするように。

9節:穀物と注ぎのささげ物はの宮から断たれ、に仕える祭司たちは喪に服す。

10節:畑は荒らされ、地も喪に服す。穀物が荒らされ、新しいぶどう酒も干上がり、油も涸れるからだ

11節:恥を見よ、農夫たち。泣き叫べ、ぶどう作りたち。小麦と大麦のために。畑の刈り入れがなくなったからだ。

12節:ぶどうの木は枯れ、いちじくの木はしおれた。ざくろも、なつめ椰子も、りんごも、野のすべての木々は枯れた。喜びが人の子らから消え去った。」

人々は若い妻が夫を亡くした時のように泣き悲しみ、祭司は主にささげる穀物や葡萄酒が無く喪に服するように嘆き悲しみ、農夫たちも収穫がなくなり恥を感じ泣き叫んでいる。

 

13節:荒布をまとって悼み悲しめ、祭司たちよ。泣き叫べ、祭壇に仕える者たちよ。私の神に仕える者たちよ、行って荒布をまとって夜を過ごせ。穀物と注ぎのささげ物があなたがたの神の宮から退けられたからだ。

14節:断食を布告し、きよめの集会を招集せよ。長老たちとこの国に住むすべての者を、あなたがたの神、の宮に集め、に向かって叫び求めよ。

ヨエルが祭司たちに、断食を布告し、きよめの集会を呼びかける。

残されたことは祈りだけ。粗布をまとい、悲しみ、泣き叫べ、夜も昼も!もう神にささげる物は何もないのだから!
断食し、長老ほか、老若男女、主の宮で、主に向かって叫び求めよ! 出来ることは、悔い改めて主に立ち返り、叫び祈ることだけだ。

 

いなごの大災害は、ユダの民にとって神の前に悔い改める機会となったが、ヨエルはこのいなごの災害をベースに将来の預言を語る。これは主の日に至る序章である。

2021年10月28日

ヨエル1章15節~2章17節

15節:ああ、その日よ。の日は近い。全能者による破壊の日として、その日は来る。

「その日」、「主の日」、それは全能者による破壊の日。耐え難いほどの苦難の日(大患難時代)である。

16節:私たちの目の前で、食物が断たれ、私たちの神の宮から喜びも楽しみも消え失せたではないか。

17節:穀物の種は土の下で干からび、倉は荒れ果て、穴藏は崩れた。穀物がしなびたからだ。

18節:ああ、なんと家畜がうめいていることか。牛の群れはさまよう。牧場がないからだ。羊の群れも滅びる。

食物が断たれ、民の喜びは消え失せてしまった。
穀物も、備蓄していたものは、すべて劣化した。経済が荒れ果てた。
家畜の牛、羊は滅びる・・・擬人的に見れば、民が滅びてゆく様子ととれる。

最後の襲来は目を覆うほどにイスラエルは悲惨な状況となることを暗示。イスラエルの民、異邦人に対する、この地での最終的裁きの時!この地は、聖別の場となる!

 

19節:あなたに、よ、私は呼び求めます。火が荒野の牧場を焼き尽くし、野のすべての木を炎がなめ尽くしました。

20節:野の獣も、あなたをあえぎ求めています。水の流れが涸れ、火が荒野の牧場を焼き尽くしたからです。

ヨエルも、思わず神に呼び求めています。その惨劇は見るに堪えない。他国の侵略に加え、火と炎がイスラエルを襲う。牧場も野も木々もなめつくされた。更に野の獣は水を失い喘ぎ求め、食料となるものもすべて消え失せた。
野の獣を擬人法で読み解くなら、神を信じ切れず逃げ惑う人々が力尽き、飢え、喘ぐ姿

2章

1節:「シオンで角笛を吹き鳴らし、わたしの聖なる山でときの声をあげよ。」地に住むすべての者は、恐れおののけ。の日が来るからだ。その日は近い。

神は全人類に宣言される。「角笛を鳴らし、エルサレムでときの声を上げよ!」
これは「敵の侵入に備えよ!」の角笛。これから起こる悲劇はまさに大患難時代。


2節:それは闇と暗闇の日。雲と暗黒の日。数が多く、力の強い民が、暁とともに山々の上に進んで来る。このようなことは、昔から起こったことがなく、これから後、代々の時代までも再び起こることはない。

その日「主の日」は、闇と暗闇、雲と暗黒の日である。ゼパニヤ1:14~16参照。

暁の日の光のように、山の上から光が差すように、数多くの力強い悪霊の軍が各国に攻め入る。世界規模。これは最初で最後の、つまりは、神の裁きである。

 

3節:彼らの前は火が焼き尽くし、うしろは炎がなめ尽くす。彼らが来る前は、この地はエデンの園のよう。しかし、去った後は、荒れ果てた荒野となる。これから逃れるものは何もない。

「主の日」の襲来は火と炎。前も後ろも火の海。エデンの園のような土地は荒野になる。

 

4節:その姿は馬さながら、軍馬のように駆け巡る。

5節:その音は戦車のきしり、山々の頂を飛び跳ねる。その音は刈り株を焼き尽くす火の炎、戦いの備えをした強い民のよう。

6節:諸国の民はその前でもだえ苦しみ、顔はみな青ざめる。

その悪霊の攻撃は軍隊のようで、あっという間に国々を焼き尽くす、滅ぼす。諸国は青ざめる。様々な攻撃に対して、何の対抗手段もないから。

 

7節:それは勇士のように走り、戦士のように城壁をよじ登る。それぞれ自分の道を進み、進路を乱さない。

8節:互いに押し合わず、それぞれ自分の大路を進む。投げ槍が降りかかっても、止まらない。

9節:町に襲いかかり、城壁の上を走り、家々によじ登り、盗人のように窓から入り込む。

10節:地はその前で震え、天も揺れる。太陽も月も暗くなり、星もその輝きを失う。

どんな防御も、防衛も役に立たず、町に侵入され人類が侵略される。加えて天変地異(大地震や宇宙規模の異変)が地上、つまり地球を襲う。

 

11節:はご自分の軍隊の先頭に立って声をあげられる。その陣営は非常に大きく、主のことばを行う者は強い。の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられるだろう。

あたかも、サタンの差し金による侵略に見えるが、すべては神がなされている裁きである。主の日とは、かつてない恐怖であり、誰も耐えられない!


12節:「しかし、今でも ―のことば― 心のすべてをもって、断食と涙と嘆きをもって、わたしのもとに帰れ。」

「しかし、今でも」、新共同訳「今こそ」、原語では「今」+「なお」、「しかし」。
「今でも遅くはない、今こそ心を尽くして主に立ち返れ!」という意味合い。


13節:衣ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深い。怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる。

14節:もしかすると、主が思い直してあわれみ、祝福を後に残しておいてくださるかもしれない。あなたがたの神、への穀物と注ぎのささげ物を。

外面的な行動ではなく、内面的実質的な心の悔い改めをせよ!神に立ち返れ!
なぜなら、「主は情け深く、あわれみ深い。怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる」お方だから。

神はいつの時代でも、忍耐強く、民の悔い改めによる立ち返りを待っておられる。

15節:シオンで角笛を吹き鳴らせ。断食を布告し、きよめの集会を招集せよ。

16節:民を集め、会衆を聖別せよ。老人たちを呼び集め、幼子と乳飲み子たちを集めよ。花婿を寝室から、花嫁を自分の部屋から呼び出せ。

「主の日」なのだ。これが最後だ!断食ときよめの集会の角笛を吹き鳴らせ!
老若男女、幼子も乳飲み子も、新婚の夫婦もすべてこの祈りに参加せよ!

17節:神殿の玄関と祭壇の間で、に仕える祭司たちは泣いてこう言え。「よ、あなたの民にあわれみをかけてください。あなたのゆずりの地を、国々のそしりの的、物笑いの種としないでください。諸国の民の間で、『彼らの神はどこにいるのか』と言わせておいてよいのでしょうか。」

ささげる物は何もない祭司たち、泣いて祈れ。「主よ、心からお詫びします!悔い改めます!あなたに立ち返ります! どうかこのゆずりの地を国々のそしりとさせず、物笑いの種にならないようにしてください。あなたの栄光が汚されることのないようにしてください! 私たちが愚かでした! 異邦の民が、『神などいないではないか』と言わせないでください。」

2021年11月11日

ヨエル2章18節~32節

18節:はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民を深くあわれまれた。

神はイスラエルの民(ご自分の民)とともに、エルサレム(ご自分の地)も愛する。
ゼカリヤ 1:14~17、8:2~6 にも「ねたむほどに・・愛する」とある。
「ねたむ」とは、出エジ34:14、エゼ39:25にもあるように、非常に強い愛を表すこだわりの表現。
18節は並列法で書かれていることから、「ねたむ」と「深くあわれむ」の言葉は違えど、神は両者を同等に愛し、執着していることがわかる。それ故、エルサレムが常に存続し、併せてイスラエルの民も常にどんな状況になろうと残れる民となる。
この節は、エルサレムとイスラエルの民に対する神の根本姿勢を示している。。

 

19節:は民に答えられた。「今、わたしは穀物と新しいぶどう酒と油をあなたがたに送る。あなたがたはそれで満ち足りる。わたしは二度とあなたがたを、国々の間でそしりの的としない。

あわれみ深く、怒るのに遅い慈しみの神、主は、民の17節の祈りを聞いて、答えられた。
諸国のそしりから回復させ、穀物、葡萄酒、油・・つまり産業を回復させる。

 

20節:わたしは、北から来るものをあなたがたから遠ざけ、それを荒廃した砂漠の地へ追いやる。その前衛を東の海に、その後衛を西の海に。その悪臭は立ち上り、その腐った臭いは立ちこめる。主が大いなることを行ったからだ。」

北から来るもの・・北からのイスラエルを攻める軍勢をハルマゲドンの戦いで主が打たれる。ネゲブの砂漠に追いやり、その前衛部隊を東の海(死海)で滅ぼし、後衛部隊は西の海(地中海)で滅ぼす。異邦人への最後の戦いである

「主が大いなることを行った」とは、大患難時代の、最終の裁きを行ったということ。

21節:地よ、恐れるな。楽しみ、喜べ。が大いなることを行われたからだ。

22節:野の獣たちよ、恐れるな。荒野の牧草が萌え出で、木が実を実らせ、いちじくとぶどうの木が豊かに実る。

23節:シオンの子らよ。あなたがたの神、にあって、楽しみ喜べ。主は、義のわざとして、初めの雨を与え、かつてのように、あなたがたに大雨を降らせ、初めの雨と後の雨を降らせてくださる。

24節:打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油であふれる。

この大患難時代の最後の裁きが行われたなら、もう恐れることはない。楽しみ喜べ!
野の獣よ、牧草が回復し食料が満ち溢れるから。
イスラエルの民よ、神の民よ。楽しめ、喜べ。!
新改訳2017「主は、義のわざとして、初めの雨を与え」、第3版「主はあなたがたを義とするために、初めの雨をたまわり」、新共同「主はあなたたちを救うために、秋の雨を与えて豊かに降らせてくださる」・・物理的な雨とともに、聖霊の傾注がなされる・・物質的にも、また、霊的にも回復するという状況を表現していると判断できる!
⁂「初めの雨」は「義の教師」と解釈すべき。「義の教師」とは、イエス様。

25節:「いなご、あるいは、バッタ、その若虫、嚙みいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が食い尽くした年々に対して、わたしはあなたがたに償う。

これまでの異邦人による大襲来に対して償う。単に賠償するという意味ではない!
償う・・原語は「シャーラム」で、「回復する、完成する、報いる、償う」という意味がある。
神は、裁かれてきたイスラエルの民を、ここに完全な神の民として回復、完成させる!

 

26節:あなたがたは食べて満ち足り、あんたがたの神、の名をほめたたえる。主があなたがたに不思議なことをするのだ。わたしの民は永遠に恥を見ることがない。

27節:あなたがたは、イスラエルの真ん中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、主であり、ほかにはいないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。

イスラエルの民は、永遠に恥を見ることが無くなる。それは、主が、人間にとってとても不思議なことをなさるから、・・・
イスラエルの民はすべてに充足して、主をたたえるようになる。
常にイスラエルの真ん中で主が民と共存し、もう偶像は存在しない。

 

28節:その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る。

29節:その日わたしは、男奴隷にも女奴隷にも、わたしの霊を注ぐ。

30節:わたしは天と地に、しるしを現れさせる。それは血と火と煙の柱。

31節:の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。

32節:しかし、の御名を呼び求める者はみな救われる。が言ったように、シオンの山、エルサレムには逃れの者がいるからだ。生き残った者たちのうちに、が呼び出す者がいる。」

「その後」・・大患難の裁きとイスラエルの民の悔い改めが終わった時、という意味。
ここに示される内容は、聖霊の傾注と大患難時代のイスラエルの残れる者の救いである。
「すべての人」とは、32節の主の御名を呼び求めるイスラエルの民ということである。

 

「霊が注がれる」・・使徒2章17節~18節でペテロがこの個所を引用して聖霊降臨を説明しているペテロは、ヨエル書による聖霊の傾注と同じ現象が、今ここに起きていることを表現した。決して、この時が大患難の最後の時ということではない。ましてや、イスラエルから取り去られ教会に注がれた、という意味では、決してない。
なぜなら、

ペテロは、あえて使徒2章19節~21節まで語っている。この預言の真意がここに含まれているからである。

19節:また、わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。20節:主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。21節:しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。」
つまり、ヨエル書がいう大患難後の聖霊傾注の時には・・天と地にふしぎが現れ、血と火と立ち上る煙があり、太陽は闇に、月は血に変わるという現象が起こらなければならないということである

2021年11月18日

ヨエル書3章1節~21節

1節:「見よ。わたしがユダとエルサレムを回復させるその日、その時、

「見よ」イスラエルの回復の、その時になされるハルマゲドンの戦いの最終局面を見よ。
ハルマゲドンの戦いは、ボツラから始まりヨシャパテの谷で決着する最も悲惨な裁き。

2節:わたしはすべての国々を集め、彼らをヨシャファテの谷に連れ下り、わたしの民、わたしのゆずりイスラエルのために、そこで彼らをさばく。彼らはわたしの民を国々の間に散らし、わたしの地を自分たちの間で分配したのだ。

3節:彼らはわたしの民をくじ引きにし、少年を渡して、遊女を得、少女を売って、酒を得て飲んだ。

異邦の国々をヨシャファテの谷に集める。ヨシャファテは「主の裁き」という意味。この谷は実名の場所がなくケデロンの谷と見なされている。そこで裁く!

裁きの理由は、イスラエルの民を離散させたから。神が愛する地を自分たちの間で分配したから。神の民を奴隷として売渡し、悪を行ったから。

 

4節:ツロとシドン、またペリシテの全地域よ。おまえたちは、わたしにとって何なのか。わたしに報復しようとするのか。もしわたしに報復しようとしているなら、わたしはただちに、速やかに、おまえたちへの報いをおまえたちの頭上に返す。

5節:わたしの銀と金をおまえたちが奪い、わたしのすばらしい財宝をおまえたちの神殿へ運び、

6節:ユダの人々とエルサレムの人々をギリシア人に売って、彼らの領土から遠く離れさせたからだ。

ツロ、シドン、そしてペリシテの全地域。地中海に面した海洋都市群。この都市、国家はイスラエルに敵対する存在。現在でも、この地域で争いが絶えない。神に敵対するつもりで、エルサレム、イスラエルの民を痛めつけるのなら、神ご自身が報いを与える。振り返れば、財宝を奪い神の神殿を荒らし、ユダヤの民をギリシア人に売り、離散させた。

 

7節:見よ。わたしは、おまえたちが彼らを売ったその場所から彼らを呼び戻して、おまえたちへの報いをおまえたちの頭上に返し、

8節:おまえたちの息子、娘たちをユダの人々に売り渡す。彼らはこれを、遠くの異邦の民シェバ人に売る。―は言われる。」

神は、離散の民を集め戻し、異邦の民の娘、息子をイスラエルの人々に売り渡す。イスラエルの人々は異邦の民シェバ人(アラビヤの人々)に売り渡す。

 

9節:「国々の間で、こう叫べ。聖戦を布告せよ。勇士たちを奮い立たせよ。すべての戦士たちを集めて上らせよ。

10節:あなたがたの鋤を剣に、あなたがたの鎌をを槍に打ち直せ。弱い者に『私は勇士だ』と言わせよ。

11節:周りのすべての国々よ。急いで来て、そこに集まれ。―よ、あなたの勇士たちを下らせてください―

12節:諸国の民は立ち上がり、ヨシャファテの谷に上って来い。わたしがそこで、周辺のすべての国々をさばくために、座に着くからだ。」

「国々の間で」・・異邦人諸国のこと。彼らに「聖戦を布告せよ!」と命じている。それは、 異邦人諸国が、聖戦という名のユダヤ人迫害をせよ!との神からの命令!
この命令に、諸国の統治者「反キリスト」が応答し、諸国の軍が決起する。
普段、兵士ではない者も駆り出し、立ち上って来い!と神は駆り立てている。神が、全異邦人の裁きを考えていることが伺える。
―主よ!あなたの勇士たちを下らせてください― とは、御使いのことであるが、主には必要ない。主は一人で処理される。
ヨシャファテの谷まで来い!と言われる。そこで主は裁きの座につかれる。


13節:鎌を入れよ。刈り入れの機は熟した。来て、踏め。踏み場は満ちた。石がめはあふれている。彼らの悪がひどいから。

14節:判決の谷には、群衆また群衆。の日が判決の谷に近づくからだ。

「鎌を入れよ」・・刈り入れの時である。刈り込まれたぶどうの実、すなわち異邦人の数が相当数(群衆また群衆)判決の谷(ヨシャファテの谷)に集められ裁かれる。
大量の異邦人の血は都の外(ヨシャファテの谷)に溜まる。それは、馬のくつわの高さ×1600スタディオン(約300km)に広がった。【黙示録14:14~20参照】


15節:太陽も月も暗くなり、星もその輝きを失う。

16節:はシオンからほえ、エルサレムから声をあげられる。天も地も震える。はその民の避け所、イスラエルの人々の砦である。

太陽も月も暗くなり、星も見えない状態。裁きの深刻さが感じられる。【マタイ24:29】
この時、主はエルサレムから声を上げ、天地が震え、地殻大変動が起こる。異邦人には恐怖であるが、イスラエルの民は、主が自分たちの砦と知る。


17節:「あなたがたは知るようになる。あなたがたの神、であるこのわたしが、わが聖なる山、シオンに住むことを。エルサレムは聖なる所となり、他国人が再びそこを通ることはない。

神は宣言される。イスラエルの民よ、わたしはあなた方の神であり、エルサレムに住まい、そこが聖なるところとなる。もう異邦人が来ることはない!そのことを知りなさい!!ハルマゲドンの戦いの終わりである。


18節:その日には、山に甘いぶどう酒が滴り、丘には乳が流れ、ユダの谷川のすべてに水が流れ、泉がの宮から湧き出て、シティムの渓流を潤す。

地殻変動後の回復の時。この地の川は水で満ち、葡萄酒、乳が溢れんばかりとなる。主の宮から東に向かいヨルダン渓谷(アカシアの渓流)へ流れる。【エゼキエル47:1~12】
自然界も回復されることを示す。


19節:エジプトは荒れ果てた地となり、エドムは荒れ果てた荒野となる。彼らの、ユダの人々への暴虐のためだ。彼らはその地で、咎なき者の血を流した。

20節:しかし、ユダは永遠に、エルサレムは代々にわたって人の住む所となる。

エジプト、エドムは荒廃した土地となる。彼らはユダの人々を暴虐し、咎なき民を殺したためである。それにかわり、エルサレムは永遠に人の住むところとなり、神と共に住まうことになる。

21節:わたしは彼らの血の復讐をし、罰せずにはおかない。はシオンに住む。」

神は必ず、ユダの民が流した血の復讐を実行する。決して忘れない。
そして、神はシオン、エルサレムに住まわれ、民と共におられる。

ついに、メシア的王国の実現である。ハレルヤ‼

2021年11月24日

アモス1章1節~2節

1節:テコア出身の牧者の一人であったアモスのことば。これはユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代、あの地震の二年前に、イスラエルについて彼が見た幻である。

アモス・・・「重荷を負う者」の意味。
出身地・・・南ユダ王国のテコア(死海の西にある小さな村)
活動期間は、BC810年からBC750年、さらに狭めれば、BC770年~750年頃か。
職業・・・牧者(ブリーダー、繁殖をつかさどるリーダー的存在)
  ・・・イチジク桑の木を栽培する農夫。職業的預言者ではない。(アモ7:14)
       (エリヤ、エリシャによって建てられた預言者の学校出身ではない)

羊飼いは当時の社会的地位は決して高くないことに留意。
南ユダはウジヤ王、北イスラエルはヤロブアム2世の時代。
大きな地震(ゼカリヤ14:5)が起きた、その2年前に彼が見た北イスラエルに対する神の預言の幻。
アモスは預言者として、とてもユニークな存在!
日頃から、神との関係を純粋に築き上げていた結果、余計な詮索や邪推のない信仰者ゆえに、彼の心は神としっかり繋がっていたのではないか!

 

2節:彼は言った。主はシオンからほえ、エルサレムから声をあげられる。羊飼いの牧場は乾き、カルメルの頂は枯れる。
主はシオンからほえ、エルサレムから声をあげられる。ヨエル3:16と同じフレーズ。ヨエル書では、大患難時代の最終末に、全地に発せられた神の声。
しかし、アモス書では、北イスラエルにこれから語られる預言についての神の声。
「カルメルの頂は枯れる」・・・エリヤとバアルの預言者たちとの闘いで有名な場所。 水の豊富なカルメル山。飢饉でもこの山には水があった。そんな場所でも水が枯れるということ。

2021年11月27日

アモス1章3節~10節

「三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。」のパターンがある。

数の満ちる様を表す。裁きの預言に必ず付く冒頭文が繰り返される。

数字の完全数7ということ、3(完全)と4(無限)ということから、そのような状況にまで罪が進んでいる。

「顧みない」・・これは厳しい意味を含む。

新共同訳:決してゆるさない。 口語訳:ゆるさない。「取り消しのきかない」の意味。


3節:はこう言われる。「ダマスコの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らが鉄の打穀機でギルアデを踏みにじったからだ。

4節:わたしはハザエルの家に火を送る。その火はベン・ハダドの宮殿を焼き尽くす。

5節:わたしはダマスコのかんぬきを打ち壊す。王座に着いている者をアベンの谷から、王笏を持っている者をベテ・エデンから断つ。こうしてアラムの民はキルへ捕らえ移される。―は言われる。」

ギルアデ:アラムの王ハザエルとの激戦地。当時多くのイスラエルの民が住む。特にマナセ族、ガド族など。
ハザエルの家:ハザエル王家
ベン・ハダドの宮殿:ハザエルの息子の支配時代
イスラエルは徹底的に痛めつけられた。神がアラム(ダマスコ)を用いてイスラエルを裁かれたが、アラム(ダマスコ)もその非道により裁かれることになる。

 

⁂アラムの王ハザエルについて

Ⅱ列王記8:7~15・・ダマスコ(アラム)の王の交代劇。ハザエルがベン・ハダド(1世)を暗殺。ハザエルがイスラエルを虐待することも、神がエリシャを通して示された。
Ⅱ列王記9:14~15・・北イスラエルのヨラム王とアラムのハザエル王との戦い。
Ⅱ列王記10:31~33・・ハザエルがイスラエルの全領土で彼らを打ち破る。
Ⅱ列王記13:1~7・・ハザエル、ベン・ハダド(ハザエルの子で、ベン・ハダド3世)による北イスラエルへの厳しい虐げ。一人の人・・アッシリヤの王(アダッド・ニナリ3世)がアラムを攻める。

Ⅱ列王記16:5~9・・神はアッシリヤを用いて、北イスラエル18代ペカ王の時代に、ダマスコ(アラム)を裁かれる。民は捕囚となり、キルへ移される。

 

6節:はこう言われる。「ガザの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らがすべての者を捕囚の民として捕らえ移し、エドムに引き渡したからだ。

7節:わたしはガザの城壁に火を送る。その火はその宮殿を焼き尽くす。

8節:わたしは、王座に着いている者をアシュドデから、王笏を持つ者をアシュケロンから断つ。わたしはエクロンに手を向け、ペリシテ人の残った者は滅びる。―である主は言われる。」

ガザは西の沿岸地域の都市国家
ユダヤ人の奴隷売買についての言及。ペリシテ(ガザ)はユダヤ人をエドムに売って、富を得ていた。

エクロンは一時北イスラエルの領地だった。

この預言は、南ユダ ウジヤ王の時代に成就している(Ⅱ歴代誌26:6)。

神はユダヤの民に対する虐げを決して見過ごしてはおられない。
各都市の権威を滅ぼし、残っていたペリシテ人も滅ぼされる。
ダマスコと異なり、ここでは明確に「滅ぼす」と言われている。取り消しはない!

 

9節:はこう言われる。「ツロの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らがすべての者を捕囚の民としてエドムに引き渡し、兄弟の契りを覚えていなかったからだ。

10節:わたしはツロの城壁に火を送る。その火はその宮殿を焼き尽くす。」

ツロ(フェニキア)の裁き
ツロは奴隷貿易の拠点。エゼ27:13
すべての者をエドムに奴隷として売った。
兄弟の契り・・兄弟契約
ダビデ:Ⅱサム5:11
ソロモン:1列5:1~18
この契約を無視している。故に、神の怒りは、ガザよりも激しいものである。


2021年12月02日

アモス1章11節~2章5節

11節:はこう言われる。「エドムの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らが剣で自分の兄弟を追い、あわれみを断ち、いつまでも怒り、どこまでも激しい怒りを保ち続けたからだ。

12節:わたしはテマンに火を送る。その火はボツラの宮殿を焼き尽くす。」

エドムの先祖はヤコブの兄弟エサウ。
裁かれる原因は、血縁関係(民族的兄弟関係)でありながら、その敵意は激しく執拗で、怒りをいつまでも持ち続けたから。
裁きはテマン、ボツラを火で焼き尽くす。

 

13節:はこう言われる。「アンモン人の三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らがギルアデの妊婦たちを切り裂いて、自分の領土を広げたからだ。

14節:わたしはラバの城壁に火を放つ。その火はその宮殿を焼き尽くす。戦いの日の、ときの声のうちに、つむじ風の日の突風とともに。

15節:彼らの王は、その高官たちとともに捕囚の身となる。―は言われる。」

アンモン人の先祖は、ロト(アブラハムの甥)。
ギルアデ地域で、ユダヤの人々に、人種を滅ぼすごとき殺戮を行った。妊婦たちを切り裂くという蛮行。そうして、自分の領土を広げたからである。
ラバとは、首都。戦いが始まるや否や、大国の軍隊に簡単に滅ぼされる。王も高官も捕囚される。前582年、ネブカデネザル2世(バビロン)に攻められ、前530年ごろ、滅亡。

 

2章

1節:はこう言われる。「モアブの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼がエドムの王の骨を焼いて灰にしたからだ。

2節:わたしはモアブに火を送る。その火はケリヨテの宮殿を焼き尽くす。モアブは、どよめきのうちに、ときの声と角笛の音のうちに死ぬ。

3節:わたしはさばく者を町の真っただ中で滅ぼし、そのすべての高官たちを彼とともに切り殺す。―は言われる。」

モアブは、ロト(アブラハムの甥)の子孫。
エドムの王の骨を焼いて灰にした。当時の習慣では、相当の冒涜、侮辱だった。
ケリヨテは場所の特定できず。新共同訳の注釈には死海の東岸の都市。原語から、町々と考える人もあるが、文脈から見ると一つの町の方が、適切と思える。
ケモシュ神の聖所があり、偶像礼拝の町。Ⅰ列11:33。
戦いに敗れ、さばきつかさ、高官たちは惨殺。エルサレム陥落後の5年後に滅亡か。

 

4節:はこう言われる。「ユダの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らがのおしえを捨てて、その掟を守らず、先祖がつき従ったまやかしものが彼らを惑わしたからだ。

5節:わたしはユダに火を送る。その火はエルサレムの宮殿を焼き尽くす。」

南ユダから来た預言者が、自らの国の裁きについて語る。
周辺諸国の裁きは、歓迎するが、さすがに南ユダの裁きとなるとどうしても聞き耳を立ててしまうのではないか。語るアモスは、自国の行く末も見ているということである。しかし、詳細は語らない。確実に起こることを端的に伝えている。
裁かれる原因は、掟=律法を守らず偶像に惑わされたから。
この裁きはバビロン捕囚(BC586年)に成就。

2021年12月30日

アモス2章6節~3章15節

2章

6節:はこう言われる。「イスラエルの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らが金と引き換えに正しい者を売り、履き物一足のために貧しい者を売ったからだ。

7節:彼らは、弱い者の頭を地のちりに踏みつけ、貧しい者の道を曲げている。子とその父が同じ女のもとに通って、わたしの聖なる名を汚している。

8節:彼らは、すべての祭壇のそばで、質に取った衣服の上に横たわり、罰金で取り立てたぶどう酒を自分たちの神の宮で飲んでいる

賄賂と引き換えに、正しい者を有罪にし、取るに足りない金銭目当てに、貧しい者を公正に扱わない裁判官。申命記16:19
こうした上層部の人間は、弱者を押さえつけ彼らの訴えを聞かない。
彼らは、父と子で、同じ女、すなわち神殿娼婦と淫行する。レビ記18:3、21
彼らは、すべての祭壇のそばで、質草にとった衣服の上に横たわり、申命記24:12~13
罰金という不正で葡萄酒を得、自分たちの神殿でバアル礼拝的酒宴をする。偶像礼拝

弱者の虐待、淫行、偶像礼拝をし、神の民にあるまじき行為を重ねていた。北イスラエルは繁栄していたが、相当な格差社会構造であった。宗教心は熱心であったが、それは本物の神に対してではなかった。

 

9節:彼らの前からアモリ人を滅ぼし尽くしたのは、このわたしだ。彼らは杉の木のように背が高く、樫の木のように強かった。わたしは、その上の実も下の根も滅ぼし尽くした。

10節:あなたがたをエジプトの地から連れ上り、四十年の間、荒野の中であなたがたを導き、アモリ人の地を所有させたのは、このわたしだ。

11節:わたしが、あなたがたの息子たちから預言者を、あなたがたの若者からナジル人を起こしたのだ。そうではなかったか。イスラエルの子らよ。ーのことば―

そもそも、
アモリ人(カナンの先住民、高身長で屈強な人種)を壊滅したのはわたし神である。
何のために?・・選民イスラエルのためにである。
エジプトから解放し、40年間荒野の中であなたがたを導き、改めてカナンの地を私有させたのは誰か?そして、必要な時に預言者を与え、またナジル人を与えてきたのは。

それは、何故か?それは約束であり、神が民を愛しておられるからである。
⁂ナジル人とは、神が民と共にいる「しるし」を示す人。聖別された者

《特長
酒を断つ。(葡萄酒、強い酒)
聖別期間中、髪を切らない。
死体に近づいてはならない。


12節:しかし、あなたがたはナジル人に酒を飲ませ、預言者には『預言するな』と命じた。

神のしるし、神の声をことごとく無視する、神を忘れた民よ!!

13節:見よ。このわたしが、あなたがたを押しつぶす。束を満載した荷車が押しつぶすように。

14節:足の速い者も逃げ場を失い、強い者も力をふるえず、勇士も自分を救えない。

15節:射手も立ちおおせず、足の速い者も逃げられず、騎手も自分を救えない。

16節:勇士のうちの、心の強い者も、その日には裸で逃げるようになる。―のことば。」

圧倒的な強さが、北イスラエルを覆いつくし、逃げることもできず、反抗もできず、ただ、押しつぶされてゆく光景。神の怒りがどれほどのものかを考えさせられる。

 

3章

1節:「イスラエルの子らよ。聞け。主があなたがたについて告げた、このことばを。わたしがエジプトの地から連れ上った、あなたがたすべての部族についてのことばを。

出エジプト以降、主があなたがたに告げていたことばを聞け!思い出せ!それは申命記に記された契約事項。

2節:わたしは、地のすべての種族の中から、あなたがただけを選び出した。それゆえ、あなたがたのすべての咎のゆえにわたしはあなたがたを罰する。」
「あなたがただけを」・・イスラエル民族限定を強調している。
「選び出した」は原語で見ると「知った」であり、これは契約関係を指す。
選民としての特権は、同時に選民としての応答が発生する。
クリスチャンも同様、救われた者は、神の期待に応える生き方が求められる。神のあわれみに与ったことに対する感謝と応答が必要!

 

3節:約束もしていないのに、二人の者が一緒に歩くだろうか。

「約束をしていないのに」・・原語で見ると、2節の「知る」と重なる。
従って、更に訳せば、「契約関係にない二人(神とイスラエルの民)が、ともに歩むということがあるだろうか?」という訳。契約関係にあるということが重要。
更に、「一緒に歩く」・・ということばは、アブラハムとイサク、新約で言えば、天の父なる神とイエス様の関係に似る。共に、ビジョンが一致していることがポイント。
私達も神のビジョンを共有し、信頼してクリスチャン人生を歩む必要がある。


4節:獲物もないのに、獅子が森の中で吼えるだろうか。何も捕らえていないのに、若獅子がその洞穴で声をあげるだろうか。

獅子が吠える・・神が怒られる。それは獲物、すなわち罪人がいるからだ

罪人が確定したのだから、神(御子)が見えないところから裁きを下される。

 

5節:罠も仕掛けられていないのに、鳥が地の鳥網にかかるだろうか。何も捕らえていないのに、鳥網が地面から跳ね上がるだろうか。

罪を犯したから、神の裁きに会う。罪を犯したから、神の怒りが発動したのだ。約束を反故にする民の非忠実的な行動を、神は指摘している。


6節:角笛が町で鳴らされたら、民は驚かないだろうか。町にわざわいが起こったら、がそれをなされたのではないか。

平穏に生活しているところに、突然、戦いの角笛が鳴り響いたら、民は驚く。
自分が罪人だと気づかない者にとって、突然の侵略は、わざわいであるが、
そのわざわいは、神のなさった裁きであることを知れ。


7節:まことに、である主は、ご自分の計画を、そのしもべである預言者たちに示さずには、何事もなさらない。

預言者アモスは、心の底から、「神のみことばを聞け!」とばかり、預言する。神は決してご自分の計画を事前に預言者に示さずに、裁きを下すことはない。


8節:獅子が吼える。だれが恐れないでいられよう。である主が語られる。だれが預言しないでいられよう。

獅子が吠える。それは神の裁き。その裁きは本当に恐ろしいことなのだ。だからこそ、神は、必ず事前に預言せずにはおられない。愛の神だから。

 

9節:「アシュドデの宮殿とエジプトの地の宮殿に告げよ。「サマリアの山々の上に集まり、その町の大いなる混乱と、そのただ中の抑圧を見よ。」

アシュドデの宮殿・・ペリシテ人、エジプトの地の宮殿・・エジプト人。彼らに、サマリヤすなわち北イスラエルの暴虐の証人となるよう命じる。つまり、その暴虐は彼らと同等、または酷いものだったと考えられる。


10節:彼らは正直に事を行うことを知らない。―のことば― 彼らは自分たちの宮殿に、暴虐と暴行を宝物のように蓄えている。」

律法に従わず、神を忘れ、神の民として忠実に行動しない北イスラエル。彼らは、宮殿、すなわち支配階級の政治は、暴虐と暴行を宝物としている。確かに豊かではあったが、内情は不正、搾取、そしてひどい格差社会だった。


11節:それゆえ、である主はこう言われる。「敵が、この地を取り囲み、あなたの権威を地に落とす。あなたの宮殿はかすめ奪われる。」

「敵が、この地を取り囲み、」・・北イスラエルを取り囲む大国・・アッシリヤ。
「権威を地に落とす」・・完全に征服される。
「かすめ奪われる」・・あっと言う間に捕囚される状況
北イスラエル王国は、大国に取り囲まれ、征服され、あっと言う間に捕囚されて行く。

Ⅱ列王17:5~8を参照)BC.722年のアッシリヤ捕囚の預言。


12節:はこう言われる。「羊飼いが獅子の口から二本の足、あるいは耳たぶだけでも取り戻すように、サマリアに住むイスラエルの子らは、寝台の隅やダマスコの長椅子とともに救い出される。

サマリヤ人の少数は生き残される。

 

13節:聞け。ヤコブの家に証言せよ。―である主、万軍の神のことば―

北イスラエル王国と共に、南ユダも含めて語られる神のことば。証言せよ!とは、まさにアモスが言われたことばであり、全イスラエルに伝える神の怒りの厳しさ。

 

14節:まことに、イスラエルの背きのゆえに わたしが彼の上に報いる日に、わたしはベテルの祭壇を罰する。その祭壇の角は折られ、地に落ちる。

15節:わたしは冬の家と夏の家を打つ。象牙の家は滅び、大邸宅も消え失せる。―のことば。」

ベテルの祭壇を罰し、子牛の像を破壊する。権威は地に落ちる。王家、高官に対する完全なる裁き。王家は冬、夏の別荘があり、象牙の大邸宅を有していた。それらはすべてかすめ奪われる。

2021年12月31日

アモス4章

1節:このことばを聞け。サマリアの山にいるバシャンの雌牛どもよ。おまえたちは弱い者を虐げ、貧しい者を迫害し、自分の主人に「何か持って来て、飲ませよ」と言っている。

「このことばを聞け。」・・神の叱責。バシャンの雌牛どもとは、肥沃な高原の平地(ゴラン高原)に育つ肥えた牛。サマリヤ、つまり北イスラエルの上層部の婦人たちを比喩している。夫に弱者から奪い取るよう言って、贅沢をせびっている。


2節:神である主は、ご自分の聖にかけて誓われる。「見よ、その時代がおまえたちに来る。おまえたちは釣り針にかけて引き上げられる。最後の一人までが、銛で突かれる。

その時代・・アッシリヤ捕囚の時。全員釣り針にかけられ、全員銛でつかれ、縄にかけられる様は、まさにアッシリヤ捕囚を表現している。

 

3節:おまえたちは、城壁の破れ口からそれぞれまっすぐに出て行き、ハルモンに放り出される。―主のことば。

ハルモンとは、ヘルモン山?詳細は不明。捕囚され、散らされるの意味。

 

4節:ベテルに行って背け。ギルガルに行って、ますます背け。朝ごとにあなたがたのいけにえを献げよ。三日ごとに十分の一を献げるがよい。

5節:感謝のささげ物として、種入りのパンを焼き、進んで献げるものを布告し、ふれ知らせるがよい。イスラエルの子らよ、あなたがたはそうすることを好んでいる。―神である主のことば。

ベテル、ギルガルで偶像を拝めばよい!益々拝め!まるで律法に従っているように見えるが、一体何を拝んでいるのか?いったい誰に捧げているのか?
その自己中心的な捧げものをあなたは喜んでやっている。

確かに、その宗教心(行い)はとても熱心である。問題は、その対象が的外れになっていること。的外れは気付かぬうちに罪を生む。

6節:わたしは、あなたがたのすべての町で、あなたがたの歯を汚さず、すべての場所で、パンを欠乏させた。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。

―主のことば―

全地域的な飢饉を起こし、歯が汚れることもないほどに食料を不足させた。その時、神に悔い改めて、神に信頼し委ねる信仰に帰ってほしかったのに・・。

 

7節:わたしはまた、刈り入れまでなお三か月あるのに、あなたがたに雨をとどめた。ある町には雨を降らせ、ほかの町には雨を降らせなかった。ある畑には雨が降ったが、雨の降らなかった畑は乾ききった。

8節:二、三の町は水を飲むために、よろめきながら一つの町に行った。しかし、満ち足りることはなかった。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった―主のことば。

干ばつを与えたが、6節同様、神に帰って来ることはなかった。
完全なる干ばつにはされなかったところに、神の愛がある。


9節:わたしは立ち枯れと黒穂病で、あなたがたを打った。あなたがたの果樹園とぶどう畑、いちじくの木とオリーブの木が増えても、嚙みいなごが食い荒らした。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。―主のことば―

農作物に、黒穂病や噛みいなごによって大被害を与えたが、神に帰らない。


10節:わたしは、エジプトにしたように、疫病をあなたがたに送った。剣であなたがたの若者を殺し、あなたがたの馬を奪い去った。あなたがたの陣営に悪臭を上らせ、あなたがたの鼻をつくようにした。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。―主のことば―

とうとう、エジプトのように疫病を送り、また戦で大損害を与えた。死体の悪臭は鼻をつくほどだったのに、神には帰らなかった。


11節:わたしは、あなたがたをくつがえした。神がソドムとゴモラをくつがえしたように。あなたがたは、炎の中から取り出された燃えさしのようになった。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。―主のことば。

ソドム、ゴモラのように炎に包み、あなたは燃えさしのようになりつつ助かったのに、神に帰ることはなかった。


12節:それゆえイスラエルよ、わたしはあなたにこのようにする。わたしがあなたにこうするから、イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ。

もう、神のリミッターは切れてしまった。それ故、このようにする。イスラエルよ、覚悟せよ!それは、アッシリヤ捕囚。ここで、「あなたの神に会う備えをせよ」と命じていることに注目! 新共同訳では、「自分の神と出会う備えをせよ」となっている。

これは、神の期待の表明ともとれる。アッシリヤ捕囚は裁きであるが、将来において、真の悔い改めによって神と出会う道を備えるから、その準備をしなさい!

13節:見よ、山々を形造り、風を創造した方。その御思いが何であるかを人間に告げる方。暁と暗闇を造り、地の高き所を歩まれる方。その名は万軍の神、主。

「その御思いが何であるかを人間に告げる方。」とは・・
神の目的は栄光の証明、成就である。そこには、人間の栄化も含まれている。そのような目的を持たれる神はほかに存在しない!
新共同訳では、「見よ、神は山々を造り 風を創造し その計画を人に告げ 暗闇を変えて曙とし 地の聖なる高台を踏み越えられる。 その御名は万軍の神なる主。」  

創造主のご計画は栄光の成就!人を信仰に導き、悪を裁き、真の平安を成し遂げ、栄光を成就する。

2022年01月03日

アモス5章

1節:イスラエルの家よ、このことばを聞け。私はあなたがたについて哀歌を歌う。

主の叱責のことばを聞け!。アモスは哀歌(悲しみの歌、葬式の時の歌)を歌うという。神の叱責から、アモスは悲しみの哀歌を歌わずにおれない!という心境。

2節:おとめイスラエルは倒れて、二度と起き上がれない。彼女は自分の地に捨て置かれ、これを起こす者もいない。

3節:まことに、である主はこう言われる。「イスラエルの家の、千人を出征させていた町には百人が残り、百人を出征させていた町には十人が残る。」

悲しいかな!北イスラエルは倒れ、二度と起き上がれず、助ける者もいない。
アッシリヤ捕囚により、アッという間に、町には1割の人しか残らない状態となる。


4節:はイスラエルの家にこう言われる。「わたしを求めて生きよ。ベテルを求めるな。

5節:ベテルを求めるな。ギルガルに行くな。ベエル・シェバに赴くな。ギルガルは必ず捕らえ移され、ベテルは無に帰するからだ。」

主はこう言われている、とアモスは言う。
「わたしを求めて生きよ。」(新改訳)
「わたしを求めよ、そして生きよ。」(新共同訳)

2節:2度と起き上がれない、3節:1割しか残らない、
そんな状態になる北イスラエルに、生きる道を明示している
ベテル、ギルガルへ行ってはならない。4章4節ではああ言ったが、偶像は駄目!また、南ユダにあるベエル・シェバに出かけてゆくことも駄目!偶像礼拝はすぐにやめよ!

6節:を求めて生きよ。そうでないと、主は火のように、ヨセフの家に激しく下る。火はこれを焼き尽くし、ベテルにはそれを消す者がいなくなる。

7節:彼らは、公正を苦よもぎに変え、正義を地に投げ捨てている。

(神はこのように言われるのだから)主を求めて生きよ!とアモスは言う。

出来るなら、一日も早く神に立ち帰れ!もう待っている時間はない!

北イスラエルは、公正(神の律法に基づく福祉的考え方)も、正義(神と人との契約関係)も破棄している。
もう、彼らの力で、元に戻れないのは明白。

神を恐れることを忘れた民の哀れさを、アモスは目の前に見ている。


8節:すばるやオリオン座を造り、暗黒を朝に変え、昼を暗くして夜にし、海の水を呼び集めて、それを地の面に注ぐ方。その名は

宇宙を創られたお方。星も神が創造された。26節の星を拝む偶像を指摘!
暗黒を朝に変えるお方。
昼を暗くして夜にされるお方。
海の水を集めて地上に注がれるお方。創造主なる神は、万物の頂点

9節:主は、強い者を踏みにじり、要塞を破壊する。

創造主なる神は、高慢な者を踏みにじり、要塞を破壊する。北イスラエルはまさに高慢な状態である

10節:彼らは門でさばきをする者を憎み、まっすぐに語る者を忌み嫌う。

11節:あなたがたは貧しい者を踏みつけ、彼から小作料を取り立てている。それゆえ、切り石の家々を建てても、あなたがたはその中に住めない。麗しいぶどう畑を作っても、そのぶどう酒を飲めない。

神の公正のシステムを憎み、正しい判断をする者を嫌う。
弱者を虐げ、小作料によって搾取している。
それを見ている神は決して、立派な家を建てても住まわせず、素晴らしぶどう畑ができても、ぶどう酒は飲ませない。権威も経済もすべてぶち壊す!ということ。


12節:私は、あなたがたの背きが多く、あなたがたの罪が重いことをよく知っている。正しい者を迫害する者、賄賂を受け取る者。彼らは門で、貧しい者を押しのけている。

神は、背き、罪、正しい者の迫害、賄賂、弱者の訴えを無視する、という行為をすべて知っている。


13節:それゆえ、このようなときには、賢い者は沈黙を守る。時が悪いからだ。

このような時代には、知恵ある者(神を恐れる者)は沈黙する。すなわち、この時代は悪い時代である


14節:善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、が、ともにいてくださる。

15節:悪を憎み、善を愛し 門で正しいさばきを行え。もしかすると、万軍の神、はヨセフの残りの者をあわれんでくださるかもしれない。

善を求め、悪を捨てるなら、神がともにいてくださって、あなたがたは生きることができたのに。(でも、出来なかった)
もしかしたら、今すぐにでも、北イスラエルに公正(神の律法に基づく福祉的考え方)をもたらし、正義(神と人との契約関係)を行えば、場合によってはイスラエルの残れる者にあわれみがあるかもしれない。

 

16節:それゆえ、主なる万軍の神、はこう言われる。「すべての広場に嘆きが起こる。すべての通りで、人々は「ああ、ああ」と叫ぶ。農夫を呼んで来て泣かせ、泣き方を心得た者を呼んで来て嘆かせる。

17節:すべてのぶどう畑に嘆きが起こる。それは、わたしがあなたがたの中を通り過ぎるからだ。―は言われる。」

結局、裁きは行われると主は言われる。
土地を追われ「ああ!」と叫び、泣き女、泣き男が悲しむ時となる。
この時、裁き主が通り過ぎる。まるであのエジプトのように。

 

18節:ああ。の日を切に望む者。の日はあなたがたにとって何になろう。それは闇であって、光ではない。

19節:人が獅子の前を逃げても、熊が彼に会い、家の中に入っても、手で壁に寄りかかると、蛇が彼にかみつくようなものだ。

20節:の日は闇であって、光ではない。暗闇であって、そこには輝きはない。

勘違いしてはいけない!というアモスのことば。
主の日を、光だと思っているのだろうが、それは違う!!
主の日とは、異邦人の裁きとイスラエルの最後の救いと思っているようだが、主の日とは、大患難時代である。
その日が終わるまでは、わざわいは次から次とやって来る。
そして大患難時代を経なければ、メシア的王国には入れないのだ。

北イスラエルは、主の日を誤解していた。
確かに光は訪れるが、必ずその前に想像を絶する厳しい裁き(暗闇)があり、そこを通らねばならない。それが大患難時代であり、その後にメシア的王国、つまり光が来るのだ。

 

21節:「わたしはあなたがたの祭りを憎み、退ける。あなたがたのきよめの集会のときの香りも、わたしはかぎたくない。

22節:たとえ、あなたがたが、全焼のささげ物や穀物のささげ物をわたしに献げても、わたしはこれらを受け入れない。肥えた家畜の交わりのいけにえを献げても、わたしは目を留めない。

23節:あなたがたの歌の騒ぎを、わたしから遠ざけよ。あなたがたの琴の音を、わたしは聞きたくない。

北イスラエルの行う祭り、集会を受け付けない!
どんな捧げものも、いけにえも目にとめない!
どんな賛美も聞かない!

悔い改めの機会というより、むしろ、これからの歩みの覚悟をせよと、別れの言葉を告げているようだ

24節:公正を水のように、義を、絶えず流れる谷川のように、流れさせよ。

15節のことばが繰り返される。公正(神の律法に基づく福祉的考え方)と、正義(神と人との契約関係)をたゆまず回転させることが神の期待。!!
祭りも大事だが、公正と義を貫くことはさらに重要である。

25節:イスラエルの家よ。あなたがたは荒野にいた四十年の間に、いけにえとささげ物を、わたしのところに携えて来たことがあったか。

民よ!かつてあなたがたは、荒野の40年間、わたしにいけにえも捧げ物も携えてきたことがないのに、わたしはあなたを導いた。
つまり、最も肝心な事は、祭りごとでも捧げものでもない。(イザ1:14~20)
信頼関係が重要であり、神は完全であり、人間は不完全であるからこそ、悔い改めによる神への回帰が必要であり、神はそれを与えて下さっている。

 

26節:あなたがたは自分たちの王シクテと自分たちの像キユン、自分たちのために造った神々の星を担いで来た。

今、あなたがたは、わたしとの約束を忘れ、アッシリヤの王シクテとその像キユンを担ぎ、その他の神々を担いでいる。(アッシリヤの星神)

神を捨て、神の民であることを忘れた愚か者!

27節:わたしはあなたがたを、ダマスコのかなたへ捕らえ移す―その名が万軍の神であるが言われる。」

ここまでだ!北イスラエルよ!
お前たちはアッシリヤに捕囚され、ダマスコのかなたに離散する。

ステパノがこの部分を引用している(使徒7:39~43)
神に信頼せず偶像に信頼するイスラエルの悪態をつくための引用

2022年01月04日

アモス6章

1節:わざわいだ。シオンで安逸を貪る者、サマリアの山に信頼している者。イスラエルの家が頼って行く、国々の最高の首長たち。

わざわいだ!(ホーイ!)・・・・わざわいの預言の前触れの感嘆詞。(5:18、ハバクク)
シオンで安逸を貪る者たちとは南ユダの上層部の人たち。ウジヤ王の時代。
サマリヤの山に信頼している者たちとは北イスラエル全体の人々。
イスラエルの家が頼って行く、国々の最高の首長たちとは、イスラエル王国を過ちに導いている上層部(上流階級)の者たち
新共同訳:諸国民の頭である国に君臨し、イスラエルの家は彼らに従っている。

ここに、南ユダが登場している。いずれは彼らも同じ道を歩むことになることの示唆か。事実、7節で捕囚が少なくとも北イスラエルだけではないことが読み取れる。

 

2節:カルネに渡って行って見よ。そこから大ハマテに行け。またペリシテ人のガテに下って行け。あなたがたはこれらの王国よりすぐれているのか。彼らの領土はあなたがたの領土より大きいのか。

カルネ・・北シリヤにある都市
大ハマテ(ハマト・ラバ)・・ハマト王国(シリヤ)の首都(Ⅱ列18:34)

ガテ(ガト)・・ペリシテの都市
アモスの時代は、ヤロブアム2世の時代であり、力があった時期。当時、北イスラエルはこれらの王国と戦い、組んで隆盛を保持していた。
「あなたがたはこれらの王国よりすぐれているのか。彼らの領土はあなたがたの領土より大きいのか。」
そんな王国と組んだところで何の役に立つというのか!
後に現れるアッシリヤの大きさ、つまり神の裁きの大きさを暗示しているともとれる。
カルネと大ハマテはBC740~738年、ガテはBC711年にアッシリヤに征服される。

3節:あなたがたは、わざわいの日を遠ざけているつもりで、暴虐の時代を近づけている。

北イスラエルの上層部の者たちよ!平和を獲得していると思っているだろうが、むしろ暴虐をどんどん推し進めている。(新共同訳:不法による支配を引き寄せている)
つまり、神の期待からどんどん離れている状態!


4節:象牙の寝台に横たわり 長椅子でからだを伸ばし、群れのうちから子羊を、牛舎の中から子牛を取って食べている者、

5節:琴の音にのせて即興の歌を作り、ダビデに倣って自分たちの楽器を考え出す者。

6節:彼らは鉢から酒を飲み、最上の香油を身に塗り、ヨセフの破滅のことで嘆き悲しむことがない。

贅沢三昧。神にささげる子羊、子牛を自分たちが食する様子は、傲慢そのもの。
ダビデの信仰に倣わず音楽を、自分たちの楽しみとする様子は、傲慢そのもの。
儀式の鉢で酒を飲み、神への香油を自分たちの物とする様子は、傲慢そのもの。
「ヨセフ」とは、彼の子孫エフライム、マナセ部族が中心の北イスラエルを指す。


7節:それゆえ、今、彼らは最初の捕囚の民として引いて行かれる。大の字になった者どもの、弔いの酒宴は除かれる。

「それゆえ、今」・・もう覆すことはできない決定事項。

「最初の捕囚の民として」‥段階的な表現
歴史的にみると、段階的な強制移住があったとされる。初めに上層部の人間が強制移住、次に残りが強制移住されるととれる。更に、6章冒頭の「シオンの安逸を貪る者」という表現から、いずれは南ユダ王国も捕囚という神の裁きを受けることになるともとれる。
いずれにしても、神のリミッターは切れ、捕囚という裁きは免れない!
神の目には、贅沢にふるまう彼らの酒宴は、弔いの酒宴にしか見えない。

8節:である主は、ご自分にかけて誓われる。 ―万軍の神、のことば― 「わたしはヤコブの誇りを忌み嫌い、その宮殿を憎む。わたしはこの都と、その中のすべての者を引き渡す。」

神は、イスラエルの民が誇りとする偶像礼拝とその神殿を忌み嫌う。
ゆえに、その都とすべての者を、敵(アッシリヤ)に引き渡すと決めた!


9節:たとえ、一つの家に十人が残っても、彼らもまた死ぬ。

5章3節を一回目とし、6章9節にて徹底的に捕囚されると見ることもできる。


10節:親戚の一人でこれを焼く者が、家から死体を持ち出すためにこれを取り上げ、その家の奥にいる人に向かって言う。「あなたのところには、まだいるか。」彼は言う。「だれもいない。」また言う。「口をつぐめ。の名を口にするな。」

主の名を口にすれば、殺されるような状態にしてしまうということ。  

神の助けが無くなってしまったことが分かる。


11節:まことに、見よ、は命じられる。「大きな家を打ち砕き、小さな家を粉々にせよ。」

神の裁きは、徹底的に行われる。上層部の者も、そして一般の者もすべて!


12節:馬が岩の上を走るだろうか。人がそこを牛で耕すだろうか。しかしあなたがたは、公正を毒に変え、正義の実を苦よもぎに変えた。

本来、やってはいけないことがある。馬に岩の上を走らせるようなこと。牛に岩地を耕させること。(新共同訳、新改訳第3版では、牛で海を耕すとなっている。)

いずれにしても神の民として的外れな行為である

公正(神の律法に基づく福祉的考え方)は地に落ち、搾取の構造が出来上がり、
正義(神と人との契約関係)は無視され、的外れな行為へと進んだ。

13節:あなたがたは、ロ・ダバルを喜び、こう言う。「私たちは自分たちの力でカルナイムを取ったではないか」と。

ロ・ダバル・・空虚、つまらないもの(ガリラヤ湖の南、ヨルダン川東岸の町)

カルナイム・・2本の角、力の象徴(ガリラヤ湖の東3.5キロ、バシャンにある町)
ヤロブアム2世が領土を拡大した。
お前たちはそれを自分たちで勝ち取り、喜び、安泰と思っている
平安な時、人は神を忘れてしまう。
クリスチャンはどんな時も、神と共にいることを忘れてはならない!

14節:「しかし、イスラエルの家よ、今わたしは、あなたがたに敵対する一つの国を起こす。 ―万軍の神、のことば― 彼らはレボ・ハマテからアラバの水無し川まで、あなたがたを虐げる。」

敵対する国・・・・アッシリヤ帝国。これは神のみこころ。
レボ・ハマテ(ガリラヤ湖の北東240km)から アラバの谷(死海)まで。
Ⅱ列王14:23~27・・・・ここまで領土を回復させたのは神である。神はイスラエルの苦しみが非常に激しいのをご覧になられたから。
しかし、彼らはそれを忘れ、おのれを見失い、結果、神の怒りを買うことになる。 

回復された領地は取り去られ、捕囚という厳しい裁きを受けることになる。

2022年01月13日

アモス7章

1節:である主は私に示された。見よ。王が刈り取った後の二番草が生え始めたころ、主はいなごを備えられた。

二番草‥一回目の刈り取りは王が年貢として徴収した。その後の収穫が二番草で、これが民の取り分となる。ヤロブアム2世の時代にイスラエルは拡大していた。これはその後の北イスラエルの時代と考える。

いなご・・アッシリヤ帝国。


2節:そのいなごが地の青草を食い尽くそうとしたとき、私は言った。「、主よ。どうかお赦しください。ヤコブはどうして生き残れるでしょう。彼は小さいのです。」

3節:はこれを思い直された。そして「そのことは起こらない」とは言われた。

アモスが、「イスラエルは小さいのです」と言い、切に赦しを願うと、神は思い直された。(非常に切迫感を感じる)

アモスは敵の大きさ、ひいては神の存在の大きさを十分に認識しているから、こういう言葉が出てくる!


4節:である主は私に示された。見よ、である主は、責める火を呼ばれた。火は大いなる淵を吞み込み、割り当て地を焼き尽くそうとしていた。

責める火・・アッシリヤ帝国。すでに周囲にまでその火、勢力が近づいていると感じ取れる。割り当て地とは、北イスラエルの所有する領地、領土。


5節:私は言った。「、主よ。どうかおやめください。ヤコブはどうして生き残れるでしょう。彼は小さいのです。」

6節:はこれを思い直された。そして「そのことも起こらない」とである主は言われた。

火は領地を吞み込んではいたが、焼き尽くすことは思いとどまられた。
決して、裁きが無くなるのではないことが分かる。
アモスは、生き残れないから、と言って赦しを乞い、神は思い直された。

アモスの必死な執り成しの祈りが続く。このような、モーセに倣う思い(公正:隣人愛)のある者こそが残れる者といえるのではないか!

7節:主は私に示された。見よ。主は下げ振りを手に持って、下げ振りを使って築かれた城壁の上に立っておられた。

下げ振り‥柱などが垂直かどうかを調べるための道具で、糸の端に真鍮の逆円錐形のおもりをつるしたもの。

神が下げ振りを使って築いた城壁の上に立たれる。

律法の根底にある公正と正義が歪んでいる


8節:は私に言われた。「アモス、何を見ているのか。」私が、「下げ振りです」と言うと、主は言われた。「見よ。わたしは下げ振りを、わたしの民イスラエルの真ん中に垂れ下げる。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。

アモスに、北イスラエルが裁かれる最大の理由(下げ振りによって測られた公正と正義が歪んでいる)が示され、彼に返す言葉を赦さず、裁きの決定が示される。


9節:イサクの高き所は荒らされ、イスラエルの聖所は廃墟となる。わたしは剣をもって、ヤロブアムの家に向かって立ち上がる。」

北イスラエルの領地を拡大したヤロブアム2世は、過去のイサクに倣い、高いところに聖所を築いた。(創26:23~25)それらはすべて偶像礼拝の場である。
最終的には北イスラエル王国、すなわちヤロブアム1世、2世が築き、拡大した王国は、偶像の聖所もろとも、廃墟となり滅亡する。


10節:ベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの王ヤロブアムに人を遣わして言った。「アモスは、イスラエルの家のただ中で、あなたに謀反を企てています。この国は彼のどのことばも受け入れることができません。

11節:アモスはこう言っています。『ヤロブアムは剣で死に、イスラエルはその土地から必ず捕らえられて行く。』」

アマツヤは「主は強い」という意味。ベテルは偶像礼拝の都市で、アマツヤはそこの祭司である。
彼は人を遣わして、ヤロブアム2世にアモスのことについて報告する。「アモスは預言者だと言ってますが、謀反人です。国家転覆を図っています!偽物です!ヤロブアムは剣で死に、北イスラエルは捕囚される、と言っています。こんな噓の預言は聞き入れられません!」

悲しいかな、ヤロブアム2世は聞く耳を持たず、何の応答もしなかった!

まともな祭司もリーダーも存在しない状態

12節:アマツヤはアモスに言った。「先見者よ。さあ、ユダの地へ逃げるがよい。そこでパンを食べ、その地で預言するがよい。

13節:ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王国の宮だからだ。」

アマツヤはアモスを預言者と認めていないので、彼を先見者と呼んでいる。先見者とは金儲けの占い師に似たような感覚のことばである。
「ユダに帰り、そこで預言して稼ぐがよい!ベテルは聖所なのだから預言などするな!出て行け!」と上から目線でアマツヤは馬頭する
アモスの姿(羊飼いであり、いちじく桑の栽培者)は、このアマツヤの姿(繁栄している北イスラエルの祭司、豪華な衣装を身に着けていたと思われる)とは比べものにならない貧弱さであろう

14節:アモスはアマツヤに答えた。「私は預言者でなかったし、預言者の仲間でもなかった。私は牧者であり、いちじく桑の木を栽培していた。
北イスラエルにはエリヤ、エリシャによる預言者集団(預言者学校)があった。

アモスは、「私はその出身ではない。預言者と言われる専門家ではない。本来の職業は羊を飼い、イチジク桑の木を栽培する兼業農家である。」と答える。

アモスは、経済的に困る者ではない。普通の生活をしていた。


15節:しかし、が、群れの世話をしていたところから私を取り、が私にこう言われた。『行って、わたしの民イスラエルに預言せよ』と。

こんな私を主が召された。そして「わたしの民イスラエルに預言せよ」と命じられたから、今ここにいるのだ。神は、あなたがたのために私を召したのである。


16節:今、のことばを聞け。あなたは『イスラエルに向かって預言するな。イサクの家に向かって戯言を言うな』と言っている。

アマツヤよ、あなたは私を、嘘つきと言い、北イスラエルに預言するなと言い、あろうことか、神の命令に反せよ!と命じている。


17節:それゆえ、はこう言われる。『あなたの妻は町で遊女となり、あなたの息子、娘たちは剣に倒れ、あなたの土地は測り縄で分割される。あなたは汚れた土地で死に、イスラエルはその土地から必ず捕らえられて行く。』」

アッシリヤによって、アマツヤの妻は遊女でしか生きられなくなり、息子、娘たちは惨殺され、所有していた土地は分割されて人のものとなり、アマツヤはこの地(ベテル)で死ぬことになる。そして、イスラエルは預言のとおり、捕囚される。

2022年02月02日

アモス8章

1節:である主は私に示された。そこには一かごの夏の果物があった。

2節:主は言われた。「アモス。何を見ているのか。」私が、「一かごの夏の果物です」と言うと、 主 は私に言われた。「わたしの民イスラエルに終わりが来た。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。

また、神がビジョンをアモスに示された。ビジョンの中で夏の果物にアモスの目が留まっていた。
ヘブル語では、「夏の果物」はカイツ、「終わり」はケイツ、である。これは、ヘブル語の語呂合わせである。夏の盛り(北イスラエルの隆盛)が終わるということである。

 

 

3節:その日には、神殿の歌声は悲鳴に変わる。 ―である主のことば― 多くの屍が、いたるところに投げ捨てられる。口をつぐめ。」

神殿の歌声は悲鳴に変わり、死体がいたるところにある。
静かにせよ!いくら悲鳴を上げ叫んでも無駄だ!


4節:聞け。貧しい者たちを踏みつけ、地で苦しむ者たちを消し去ろうとする者よ。

5節:あなたがたは言っている。「新月の祭りはいつ終わるのか。私たちは穀物を売りたいのだが。安息日はいつ終わるのか。麦を売りに出したいのだが。エパを小さくし、シェケルを重くし、欺きの秤で欺こう。

6節:弱い者を金で買い、貧しい者を履き物一足分で買おう。屑麦を売ろう。」

商売に専心し過ぎる者たちに語られる神。
あなたがたは言っている。新月の祭りも、安息日も邪魔な存在だ! 早く終わってくれ! 何の足しにもならん!むしろ苦痛だ! その時にはエパ(エファ)升を小さくしたり、偽の重り(シェケル)の天秤ばかりで、あくどく商売したいんだ! 更に弱い者、貧しい者を安い金額で買い、奴隷としよう。屑麦も売って稼ごうじゃないか!

7節:はヤコブの誇りにかけて誓われる。「わたしは、彼らのしていることをみな、いつまでも決して忘れない。

8節:地はこのために震えないだろうか。地に住むすべての者は喪に服さないだろうか。地のすべてのものはナイル川のように持ち上がり、エジプトの大河のように、うねっては沈まないだろうか。

ヤコブとしっかりと契約した神が宣言する。神は民の行うすべてを詳細に、永遠に記憶しておられる。

地上は震え、人は喪に服し、氾濫するナイル川のように地は揺れ動き、浮き沈むことになろう。これは大患難時代を暗示。

9節:その日には、 ―である主のことば― わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に地を暗くする。

その日とは、狭義的にはアッシリヤ捕囚であり、広義的には終末の大患難時代を指す。その日は暗黒の日である。(アモス5:18)

10節:あなたがたの祭りを喪に変え、あなたがたの歌をすべて哀歌に変える。すべての腰に粗布をまとわせ、頭を剃らせる。その時をひとり子を失ったときの喪のように、その終わりを苦渋の日のようにする。

その日はまさに苦渋の日。祭りは葬式になり、歌は哀歌となる。まるでひとり子を失った葬式の時のようにあなたがたを打つ。


11節:見よ、その時代が来る。 ―である主のことば― そのとき、わたしはこの地に飢饉を送る。パンに飢えるのではない。水に渇くのでもない。実に、のことばを聞くことの飢饉である。

12節:彼らは海から海へと、北から東へとさまよい歩く。のことばを探し求めて行き巡る。しかし、それを見出すことはない。

その時代には、食物の飢饉ではなく、主のことばを聞くことの飢饉が地を襲う。神の存在がなくなる。離散させられ、神のみことばを求めても、どこにも見い出せない。


13節:その日には、美しい若い女も、若い男も、渇きのために衰え果てる。

北イスラエルを含め、偶像礼拝している次世代を継ぐ人々(若者)は、神を見失って死ぬ。肉体的、霊的の両面。


14節:彼らは、サマリアの罪過にかけてこう誓う。『ダンよ、あなたの神は生きている。』『べエル・シェバの道は生きている。』しかし、彼らは倒れて二度と起き上がれない。」

偶像礼拝の罪を犯す北イスラエルは、ダン(ベテルと同じ偶像)、ベエル・シェバの偶像にすがるが、彼らは倒れることになる。
ダンからベエル・シェバという表現はイスラエルの北端と南端を指す。アッシリヤ捕囚から、バビロン捕囚、そして最終的に大患難時代へと繋がる流れを思わせる。

2022年02月10日

アモス9章

1節:私は、祭壇の傍らに主が立っておられるのを見た。すると、主は言われた。「柱頭と打ちたたき、敷居が震えるようにせよ。すべての者の頭を打ち砕け。彼らのうち、生き残った者をわたしは剣で殺す。彼らのうち逃げられる者はなく、彼らのうち逃れられる者もない。

ベテルの祭壇に立たれる神。北イスラエルに対する徹底した裁きを示す。柱を破壊することで頭上から打たれる。生き残った者も剣で殺し、一人も逃げおおせない。

2節:たとえ、よみに入り込んだとしても、わたしの手が、彼らをそこから引きずり出す。たとえ、天に上ったとしても、わたしが彼らをそこから引きずり降ろす。

3節:たとえ、カルメルの頂に身を隠したとしても、わたしが彼らをそこから捜し出して捕まえる。たとえ、わたしの目を避けて海の底に身を隠したとしても、わたしが蛇に命じて彼らをそこでかませる。

4節:たとえ、敵の捕虜となって行ったとしても、わたしが剣に命じてそこで彼らを殺させる。わたしは彼らの上に目を注ぐ。それは、わざわいのためであって、幸いのためではない。」

仮によみに入っても、天に逃げても、そこから引きずり出し打つ。
カルメルの頂上に逃げても、海の底に逃げても、敵の捕虜になっても、神は目を注ぎ、わざわいのために殺させる。

神の御前に逃げ場はない! 神が裁かれるとき、それは徹底的である。

5節:万軍の、主が地に触れると、それは溶け去る。そこに住むすべての者は喪に服す。地のすべてのものは、ナイル川のように持ち上がり、エジプトの大河のように沈む。

主が地に触れると、地が溶け去る・・新共同訳では「地が揺れ動き」    

そこに住む者は喪に服す・・新共同訳では「嘆き悲しむ」
地はまるで氾濫する大河、ナイル川のように大変動する。


6節:天に高殿を建て、地の上に丸天井を据え、海の水を呼んで、地の面に注がれる方、その名は

天に高殿・・神のおられる所。第3の天。
丸天井・・新共同訳では「大空」。海と陸の境を創られたお方。

7節:「イスラエルの子らよ。あなたがたは、わたしにとってクシュ人と同じではないのか。 ―のことば― わたしは、イスラエルをエジプトの地から、ペリシテ人をカフトルから、アラムをキルから、連れ上ったではないか。

クシュ人・・エチオピア人・・と変わらない。つまり異邦人と変わらない。
ペリシテ人・・カフトル(クレタ島:地中海の地)から移住
アラム人・・キル(メソポタミア)から移住

新共同訳の注釈によればイスラエルが約束の地に入った同時期にこれらの民族も移住していた。しかし、北イスラエルは、自分たちの移住は他国の移住と異なるものと思っていた。神は他の民族の移動、動向もすべて支配しておられる
約束の地に導かれたにもかかわらず、神の民としての働きを一切せず、神ともかかわりを断ち、神に背を向けていることを指摘されている。

異邦人と何ら変わりがないと神の目には映る。

8節:見よ。である主の目が、罪深い王国に向けられている。わたしはこれを地の面から根絶やしにする。しかし、ヤコブの家を根絶やしにすることはない。 ―のことば―期待が大きいと、それだけ裁きも大きい。
罪深い北イスラエルは根絶やしにされる。(アッシリヤ捕囚)
しかし、ここに神は逃れの道を備えられる!!ヤコブの家を根絶やしにしない!
それは、アブラハム契約を結んでいるからである

 

9節:見よ。わたしは命じて、すべての国々の間で、イスラエルの家をふるいにかける。ふるっても、小石は地に落ちないようにする。

10節:わたしの民の中の罪人はみな、剣で死ぬ。彼らは『わざわいは私たちに近づかない。私たちまでは及ばない』と言っている。

この2節はアッシリヤ捕囚、バビロン捕囚、それ以降の迫害、そして大患難時代をさしている。
小石・・罪人(不正義・・不義なる関係)は、剣で死ぬ。

北イスラエルの人たちは、自分たちにはわざわいは近づかないと思っている。

捕囚前の北イスラエル、紀元70年の直前のイスラエル、そして大患難時代のイスラエルを物語っている。

かつてエリヤの時、バアルに膝をかがめない男子7千人がいた。
そのような各時代に生きた残れる者が、かろうじて救いに与るのである。

11節:その日、わたしは倒れているダビデの仮庵を起こす。その破れを繕い、その廃墟を起こし、昔の日のようにこれを立て直す

「その日、」・・裁きの日・・大患難時代を指す。
「倒れているダビデの仮庵」の仮庵とは、掘っ立て小屋。まさに大患難時代の時の風前の灯のようなユダヤの民の状態を指している。
「昔の」という原語「オーラーム」は、永遠を表す語彙。まさにメシア的王国(千年王国)以降の未来を暗示している。
大患難時代を通して、神はダビデの仮庵を復興させる。神との関係において、ダビデの時代とは似ても似つかぬ壊滅寸前のユダヤの民を、ダビデのような信仰に満ちたユダヤの民として回復され、神と共存する御国を起こされる。(メシア的王国・・千年王国)
起こす。繕い、起こし、建て直す。・・の繰り返しが成就の保証に聞こえる
大患難時代は空前絶後の裁きだが、ユダヤの民にとっては最後の恵みの時。

12節:これは、エドムの残りの者とわたしの名で呼ばれるすべての国々を、彼らが所有するためだ。 ―これを行うのことば。

エドム・・ヤコブの兄エサウの子孫。
わたしの名で呼ばれるすべての国々・・キリストを信じる異邦人たち。
「彼らが所有するためだ。」・・イスラエルの優位性を提示している。これは神がイスラエルと結ばれたアブラハム契約の成就を示す
これらのことは、すべて主が行われる。


13節:見よ、その時代が来る。 ーのことば― そのとき、耕す者が刈る者に追いつき、ぶどうを踏む者が種蒔く者に追いつく。山々は甘いぶどう酒を滴らせ、すべての丘は溶けて流れる。

「その時代」とは、メシア的王国(千年王国)。その時代が必ず来る!

年中豊かな実りに絶えない状態となる。

「甘いぶどう酒」とは上質のぶどう酒とのこと。常に良質を生み出す土地。
崩壊した地上(自然)は、神によって回復され、まるでエデンの園のような恵み豊かな土地、王国へと回復する。

14節:わたしは、わたしの民イスラエルを回復させる。彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。

神は回復したその土地にイスラエルを置き、住まわせる。彼らは町を再建し、豊かな収穫、恵みを満喫する。

 

15節:わたしは、彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが与えたその土地から、もう引き抜かれることはない。 ―あなたの神、は言われる。」

イスラエルの民を約束の地に植える。甘いぶどう酒を生み出す実をつけるぶどうの木となるということか・・。神との良い関係が見える。
それはすべて神のなさること。
これはメシア的王国(千年王国)において成就する。それゆえ、二度とその地から離散するというようなことはない。長い流浪の旅(神との離別)は終わりを告げる。
再びイエス様がこの地に再臨されたときにすべてが成就する。

 

2022年02月12日

ホセア1章1節~5節

1節:ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代に、ベエリの子ホセアにあったのことば。

ウジヤ王について

・Ⅱ歴代誌26:1~21
・ウジヤ王は、ヤロブアム2世に並ぶ有能な王。
・西方の沿岸地域を攻め、領土を拡大し、交易を増加。
・外交政策、国内政策ともに歴代最高の働きをした。
・しかし、善王とは、預言者ゼカリヤが生きていた時だけ。
・彼がいなくなるとウジヤ王は、神に不遜となり、神は彼を見放す。
・ツァラアトに罹患し、一生を終える。

ヤロブアム2世について

・Ⅱ列王記14:23~29
・※25節にヨナが登場。
・神は北イスラエルをあわれみ、ヤロブアム2世を用いて領土を回復させた。
・アラムと戦い、領地を回復。(ダマスコ、ハマテ)
・当時の領土は、南北を合わせると、ダビデ、ソロモン時代に匹敵!
・北イスラエルの経済的繁栄の絶頂期とも言える時期。

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南ユダの王については、ウジヤ王から3代の名が記されている。
北イスラエルの王の名は、ヤロブアム2世のみ。

この南ユダの4代が、共同統治していたという点と何か関りがあるのかもしれない。北のヤロブアム2世以降の王は、暗殺による継承が多く、南とは対照的である。
この預言書の開始は、ヤロブアム2世の時期である。

2節:がホセアに語られたことのはじめ。はホセアに言われた。「行って、姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ。この国はに背を向け、淫行にふけっているからだ。」
「はじめ」(テヒッラー)とは、時間的なはじめの意味。事柄(並び)の時はレーシート。
「行って、姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ。・・」の解釈について。
中川先生(クレイ)説・・姦淫の女とは娼婦を指し、姦淫の子らとは、娼婦時代の父親が分からない子供たちを指す。

吉田説・・偶像礼拝ゆえに姦淫の罪があっても平気な北イスラエル。神は姦淫しふしだらな子連れの女性をホセアに娶らせたのではないか。この国は、主に背を向けて生きている状態だった。

 

3節:彼は行って、ディブライムの娘ゴメルを妻とした。彼女は身ごもって、彼に男の子を産んだ。

結婚した女性の名はゴメル。

ゴメルには、「失敗する」&「成し遂げる」の2つの意味がある。
父はディブライム。「干しイチジクの菓子」の意味。隠語で「肉欲・情欲」を指す。
ゴメルは、商売人で肉的な考え方(富)が優先される親の娘として失敗しつつ、終には成し遂げる運命となる女。ここでは、妻としているが、3章では買い取れ、となっている。(娼婦または奴隷となっている)
彼女はホセアの第一子の男子を産む。これは間違いなくホセアの子。

4節:は彼に言われた。「その子をイズレエルと名づけよ。しばらくすれば、わたしがイズレエルでの流血のゆえにエフーの家を罰し、イスラエルの家の王国を終わらせるからだ。

5節:その日、わたしはイズレエルの平原で、イスラエルの弓を折る。」

神は第一子の名を「イズレエル」とするよう命じる。
イズレエルには、「神は散らす」と「神は種を蒔く」の二つの意味がある。
イズレエルに関する裁きについては、Ⅰ列21章とⅡ列9章~10章を参照。
イズレエルの流血には、第7代アハブ王と第10代エフー王が関係している。
エフー王朝は4代目までと主に宣告されている。すなわち、ヤロブアム2世の次のゼカリヤ王でエフー王朝は終わる。再びこの預言に気付かせた。

エフー王朝
 エフー     841~
①エホアハズ   814~
②ヨアシュ    798~
③ヤロブアム2世 793~
④ゼカリヤ    753~6ヶ月


弓を折る・・とは、その力を奪い去るという意味。エフー王朝の終わりであるとともに、北イスラエルの終わりを示す

2022年02月18日

ホセア1章6節~2章13節

6節:ゴメルはまた身ごもって、女の子を産んだ。主は彼に言われた。「その子をロ・ルハマと名づけよ。わたしはもう二度とイスラエルの家をあわれむことはなく、決して彼らを赦さないからだ。

ゴメルは第二子の女子を産む。神は「ロ・ルハマ」と命名するよう命じる。
意味は「愛されない」。これ以上北イスラエルを愛すことはできないとされる神。
これまで様々な気付きを促して来たが、ここに極まれり!


7節:しかし、わたしはユダの家をあわれみ、彼らの神、として、彼らを救う。ただし、弓、剣、戦い、あるいは馬、騎兵によって救うのではない。」

しかし、神は南ユダをあわれむとされた。これはⅡ列19:32~37の南ユダの王、ヒゼキヤ時代の事件を指す。
同時に、ユダ系のイエス様を呼び求めるイスラエルの民の回復をも暗示している。


8節:彼女はロ・ルハマを乳離れさせると、身ごもって男の子を産んだ。

9節:主は言われた。「その子をロ・アンミと名づけよ。あなたがたはわたしの民ではなく、わたしはあなたがたの神ではないからだ。」

ゴメルは第三子、男子を産む。神は「ロ・アンミ」と命名するよう命じる。
意味は「わたしの民ではない」。
神は裁きを決定された!という意味である。ホセアの子の名を通して神は、北イスラエルに対する裁きを示している。これは、更に大患難時代の裁きについての暗示でもある。


10節:イスラエルの子らの数は、量ることも数えることもできない海の砂のようになる。「あなたがたはわたしの民ではない」と言われたその場所で、彼らは「生ける神の子ら」と言われる。

この個所をパウロはローマ書9章24節~26節で引用している。

時が過ぎて(将来は)、イスラエルの子らは海の砂のように数を増す。それには、異邦人も含まれ、共に生ける神の子らとなる。


11節:ユダの人々とイスラエルの人々は一つに集められ、一人のかしらを立ててその地から上って来る。まことに、イズレエルの日は大いなるものとなる。

最後は、北と南のイスラエルの残れる者がキリスト信仰に目覚め、再臨のイエス様と共に、再びエルサレムに上ってくる。再臨の日は何と素晴らしい! 

その時は、イスラエルを助けた異邦人(羊の異邦人)も含まれている!

2章

1節:言え。あなたがたの兄弟には、「わたしの民」と。あなたがたの姉妹には、「あわれまれる者」と。

再臨の時、人々は神の勝利の目撃者となり、互いに喜び合うに違いない!
そして、北や南のイスラエルの間でも、また、イスラエルと異邦人の間でも互いに言い合う。「アンミ・・わたしの民よ!」「ルハマ・・愛する者たちよ!」

これは、メシア的王国の成就、つまり、回復の預言!

2章1節は、文脈から見て、1章と繋げて解釈した方が分かりやすい

1:10~2:1は、神のイスラエルの子らへのみこころ、ご計画を示したもの。
ちなみに、新共同訳では1:9までとし、新改訳の1:10からを2章としている。

2節:「問いただせ。あなたがたの母を問いただせ。彼女はわたしの妻ではなく、わたしは彼女の夫ではないから。その顔から淫行を、その乳房の間から姦淫を取り除け。

3節:そうでなければ、わたしは彼女の衣をはぎ取って裸にし、生まれた日のようにして彼女をさらし、荒野のようにし、砂漠の地のようにして、渇きで彼女を死なせる。

この「母」は、北イスラエル王国(上層部)であり、そこに属する民が「子ら」。
「問いただせ」、「告発せよ(新共同訳)」と、子らに命じている。これは、1:10~2:1のようになるためにも・・というニュアンスがある。気付きを与え、悔い改めを促すもの。
夫である神は淫行する者を妻として受け入れられない。淫行、姦淫を取り除け!
さもなくば、裸にし、干上がらせ、死なせる。物理的意味合いが強い。(捕囚による土地の荒廃、経済的大困窮)


4節:彼女の子らを、わたしはあわれまない。彼らは姦淫の子らだから。

必然的に、悔い改めのない北イスラエル王国の民をあわれむことはできない!
この「彼ら」とは?「ロ・ルハマ」「ロ・アンミ」・・つまり北イスラエルの民。


5節:彼らの母は姦淫を行い、彼らをはらんで恥をさらした。彼女は言ったものだ。『私の愛人たちの後について行こう。彼らはパンと水、羊毛と麻、油と飲み物をくれる』と。

姦淫によって「ロ・ルハマ」「ロ・アンミ」を生み、恥をさらした。北イスラエルは、民に偶像を礼拝させ、偶像礼拝の民を作り出した。神に対する冒涜、恥ずべき行為である。
神に信頼せず、神の民として存在することを忘れ、偶像礼拝に勤しんで、大国の属国となって行く。大国が経済的に自分たちの衣食のすべて(繁栄)を満たしてくれるから。しかし、富が優先し、搾取が横行し、結局弱い者が苦しむことになる。

6節:それゆえ、わたしは茨で彼女の道に垣根を巡らし、彼女が通い路を見つけないように石垣を積む。

茨、そして垣根とは外交の断絶、失敗であり、最終的にはアッシリヤ捕囚となる。
偶像を拝みに行くときに道に茨が茂っていれば、行きつくことができない。同様に、大国や諸国との外交に立ち行かなくなり、結局、八方ふさがりとなる。(裸・・力のない実態)
神は捕囚の前まで、徹底的に気付きを促した。苦しい時には、領土も広げたが、そのような方法では効果がないほどに頑なな北イスラエルに対して、最後は捕囚という茨、垣根、石垣を巡らされたのである。


7節:彼女は愛人たちの後を追っても、追いつけない。彼らを捜し求めても、見つけられない。彼女は言う。『私は初めの夫のところに戻ろう。あのころは今よりも幸せだったから』と。

そして北イスラエルは、やはり神のもとが良かったと悔い改め、立ち帰るのである。

実際、アッシリヤ捕囚、バビロン捕囚の後、再建後のイスラエルの民は、それ以降、偶像との関係は一切なくなる

8節:しかし彼女は知らない。このわたしが、穀物と新しいぶどう酒と油を彼女に与えたのを。わたしが銀と金を多く与えると、彼らはそれをバアルに造り上げたのだ。

彼女(北イスラエル)が得た穀物、ぶどう酒、油、銀や金。それらはすべて神が与えたもの。悲しいかな、北イスラエルはその金銀をバアルに造り上げていた。
よりによって、神からのものを偶像に捧げていたことになる。

クリスチャンであっても、成功したときは自分の力で勝ち取った、やり遂げたと思ってしまう。しかし、背後ですべて神が備えてくださっていることを見過ごしてはいけない

9節:それゆえ、わたしはその時になれば、わたしの穀物を取り返す。その時期になれば、わたしの新しいぶどう酒を。また、彼女の裸をおおっているわたしの羊毛と麻をはぎ取る。

10節:今、わたしは彼女の恥を、愛人たちの目の前で暴く。彼女をわたしの手から救い出せる者はいない。

11節:わたしは彼女のすべての喜びを、祭り、新月祭、安息日、すべての例祭を終わらせる。

【北イスラエルの当時の状況】

・神の民でありながらバアル礼拝が盛ん。
・神の祭り、安息日、例祭などは偶像を拝むための口実に利用。
・当時の姦淫の罪の裁きは、裸にして晒すこと。(守られていたかは不明)


「その時」とは、アッシリヤ捕囚の時。穀物、新しいぶどう酒を与えず、衣服(羊毛、麻)をはぎ取る。姦淫の罪の裁きである。神による北イスラエルへの経済的制裁。
神の民として助けることはない。諸国の前でみぐるみが剝がれてゆく。
神が見放したこの窮状からは、誰も救い出せる者はいない。
祭り、安息日などもすべて中止。取り上げられ、祝うことができなくなる。

12節:『これは、愛人たちが払ってくれた私への報酬』と彼女が言った、あのぶどうの木といちじくの木を荒れすたらせる。わたしはこれを林に変えて、野の獣が貪り食うようにする。

愛人たち、つまり偶像の諸国から受けていたと思われる経済的豊かさは、すべて神の備えられたもの。神は、そのすべてを取り去るとされた。
ぶどうの木、イチジクの木は経済的繁栄を意味する。野の獣、すなわち異邦諸国がその繁栄を貪り食うさまが浮かぶ。


13節:彼女がバアルの神々に仕えた日々のゆえに、わたしは彼女を罰する。彼女はバアルの神々に香をたき、耳輪や飾りを付けて愛人たちの後について行き、このわたしを忘れた。―のことば。

その原因はバアル礼拝・・偶像礼拝に対する裁きである。
イスラエルは富、偶像に心を奪われ、神を忘れた。

2022年03月11日

ホセア2章14節~3章5節

14節:それゆえ、見よ、わたしは彼女を誘い、荒野に連れて行って優しく彼女に語ろう。

「誘い」の原語には、納得させての意味が含まれ、「語ろう」には、心に届くまでというニュアンスが含まれている。「納得させて誘い、得心できるほどに語った」。
「荒野」・・中川先生曰く、荒野とは神と出会う場所!神以外、頼るものがない!
この荒野は、イスラエルが偶像と一切かかわりが無くなるところ。それは、黙12:6,14にある女と荒野の意味。

15節:わたしはそこを彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門とする。その場所で彼女は答える。若いころのように、エジプトの地から上って来たときのように。

荒野であった所がブドウ畑、つまり豊かになる。それは、夫の愛に赦され再婚するが如き民の悔い改め、立ち返りを意味する!

アコル・・語源「アーハル」はわざわいをもたらすの意味がある

アコルの谷・・かつて問題あり・・エリコを賛美で滅ぼしたその直後に、問題発生。

ヨシュア 7:1~5,19~26
聖絶を守らない当時の人々。そして大患難時代の時はイエスをメシアとして受け入れない人々。しかし、悔い改めることで、絶望が希望へと変わる!大患難時代の時がアコルの谷であり、ここで一気に絶望が希望になる!キリストに来てくださいと言って悔いて立ち返るイスラエルの民
「若い頃のように」・・エジプトを出たときは、神に全幅の信頼を寄せていた

16節:その日になると ―のことば― あなたはわたしを『私の夫』と呼び、もう『私のバアル』とは呼ばない。

「その日」とは、大患難時代の最終局面。その時はもう、イスラエルは立派な神の妻。
クレイから、「私の夫」「私のバアル」とは、どちらも「夫」という意味。この場合は夫というより「バアルのような偽物の夫、つまりは愛人」を示すと考えられる。


17節:わたしがもろもろのバアルの名を彼女の口から取り除く。その名はもう覚えられることはない。

「もろもろのバアルの名」とは、偶像や律法主義などの神以外、または神を無視することを指し、その一切がイスラエルの民から取り除かれる。


18節:その日、わたしは彼らのために、野の獣、空の鳥、地面を這うものと契約を結ぶ。わたしは弓と剣と戦いを地から絶やし、彼らを安らかに休ませる。

人以外の生き物との契約・・まるでエデンの園の回復!
戦争のない、神の統治による平和、王国の開始!人々は真の平安を得る。

 

19節:わたしは永遠に、あなたと契りを結ぶ。義とさばきと、恵みとあわれみをもって、あなたと契りを結ぶ。

ここに和解が成立し、神の期待である次の4つの実現を約束される。

 

20節:真実をもって、あなたと契りを結ぶ。このとき、あなたはを知る。

神の真実がここに実現する(アブラハム契約の成就)。メシア的王国の人々は神を目撃し、神の真実を体験する時となる!!


21節:その日、わたしは応えて言う。 ―のことば― わたしは天に応え、天は地に応え、

22節:地は、穀物と新しいぶどう酒と油に応え、それらはイズレエルに応える。

メシア的王国(千年王国)における神の御業の発動。
天地が変わる、つまり地殻変動などの影響が静まり、豊な土地となる。
その地が穀物、ぶどう酒、油を豊かに生み出す。経済が潤沢に回る。
「イズレエル」とは、蒔かれた種が発育して、開花し、実を結んで生産物を生み出す。
こうして、第一子イズレエル、つまりイスラエルの民と結んだアブラハム契約が成就。

イズレエルは「散らす者」と「種まく者」の意味を持つが、この王国で成就する!


23節:わたしは、わたしのために地に彼女を蒔き、あわれまれない者をあわれむ。わたしは、わたしの民ではない者に『あなたはわたしの民』と言い、彼は『あなたは私の神』と応える。」

更に「ロ・ルハマ」という第二子を、「ルハマ」と言って愛し、第三子の「ロ・アンミ」を「アンミ」、「わたしの民」と呼ぶ。(パウロはこれを「異邦人」とした:ロマ9:26)
すべての者が、メシア的王国(千年王国)で、「あなたは私の神」と応える。

3章

1節:は私に言われた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛しなさい。ちょうど、ほかの神々の方を向いて干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの子らを、が愛しているように。」

神が偶像礼拝に走るイスラエルの民を愛しているように、あなた(ホセア)も、夫に愛されていながら姦通しているゴメルを愛しなさい。

干しぶどうの菓子は、偶像に捧げられていた。

神にとっての偶像礼拝は、姦淫の妻を持つ夫と同様の思いだということを知ろう!

2節:それで私は、銀十五シェケルと、大麦一ホメルと大麦一レテクで彼女を買い取り、

ホセアはすぐに実行に移す。この時点でゴメルは奴隷、または娼婦(神殿)の類となり、身を持ち崩していることが分かる。故に、金銭で買い取られなければならない。

銀15シェケル+大麦1ホメル+大麦1レテク(1/2ホメル)=銀30シェケル分

銀30シェケルは、出エジプト21:32では死んだ奴隷の値段と同じ。大麦は小麦より価値が低い。かなり落ちぶれたゴメルを想像する。ホセアだけがゴメルに目を留めた。
私たちも神に選ばれ、そしてイエス様に買い取られた者

3節:彼女に言った。「これから長く、私のところにとどまりなさい。もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはいけない。私も、あなたにとどまろう。」

ホセアのことば・・「長く、私のところにとどまりなさい!」・・、とは?

「長く」の意味は4節以降に示されている!
もう、姦淫、密通をしてはいけない。・・・・偶像に走らない状態を維持せよ

バビロン捕囚以降、イスラエルの民は目に見える偶像には走らない!

4節:これは、イスラエルの子らが、これから長く、王もなく、首長もなく、いけにえも石の柱もないところに、エポデもテラフィムもないところにとどまるからだ。

イスラエルの民は、偶像からは離れるが、王も首長もなく、いけにえも捧げられず祭壇も神殿もない状態になる。この時期が長く続くことになる。(メシア拒否で明確化)AD70年以降、目に映らない律法主義に心奪われ、神と言いつつ、神と離れる民

5節:その後で、イスラエルの子らは帰って来て、自分たちの神であると、自分たちの王ダビデを尋ね求める。そして終わりの日には、とそのすばらしさにおののく。

しかし、民は神に立ち返る。主なる神を求め、そして主が再臨される。
「その日」が終わり、主がダビデの王国以上のメシア的王国を実現する。

ハレルヤ!

2022年03月16日

ホセア4章1節~14節

1節:イスラエルの子らよ、のことばを聞け。はこの地に住む者を訴えられる。この地には真実もなく、誠実さもなく、神を知ることもないからだ。

主は、この約束の地を特別に思っておられる。この地において、神の民は、神の真実、神への誠実をもって神を示すことを期待しておられた。しかし、この地にはかけらも無い。

2節:呪いと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている。

存在するものはその逆ばかり。呪い、欺き、人殺し、盗み、姦通、流血が止むことがない。これらは律法、特に十戒に違反するものである。

3節:それゆえ、この地は喪に服し、そこに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに衰え果て、海の魚さえも一掃される。

地が喪に服す・・実り(ぶどう酒、油など)が無くなる。
人も、そして獣も鳥も、魚も姿を消す。将来の大患難時代を思わせる。

4節:「だれも口論してはならない。だれも人を責めてはならない。あなたの民は、祭司と口論する者のようだ。

イスラエルの民は、神の民であることを忘れ、口論し、言い争いをしている。それは神を無視し、蔑ろにする姿勢。まるで、祭司と口論している者に等しい。

本来の祭司は神の教えを忠実に守り、示し、教える立場であり、口論する相手ではない。しかし、北イスラエルの祭司は一般から募った者たちであり、神が定めた祭司ではなかった。神の秩序は存在していなかった。

5節:あなたは昼つまずき、預言者も、あなたとともに夜つまずく。わたしはあなたの母を滅ぼす。

「あなた」とは、祭司を指す。祭司は、日々の生活のすべてが神の道から外れている。
故に、神は母(ゴメルを暗示)、すなわち北イスラエルを裁く。

北イスラエルの落ちぶれ方は、相当なもので、ゴメルの落ちぶれ方と同期することを想起させる。

6節:わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしもあなたを退け、わたしの祭司としない。あなたがあなたの神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れる。

偶像礼拝に導かれた民は、神を恐れることを忘れたので裁かれる。その原因は北イスラエルの祭司、上層部。神から遠ざかったので、神はあなたを「仕える者」としない。


7節:彼らは増えるにしたがって、ますますわたしに罪を犯した。わたしは彼らの栄光を恥に変える。

「彼ら」とは、祭司、上層部の者たちを指す。そんな彼らが増えるのは、一般人から募っていたからか? いずれにしても彼らは不正を犯し、繁栄した。あのアマツヤがそうである。主はそんな祭司たちを裁かれる。繁栄から一気に恥へ。
「罪」・・原語「ハーター」とは、「的を外す」を意味する。ヤロブアム1世が導いた的外れな信仰の道。(Ⅰ列12:26~28)導かれて迷子になった民も裁かれる対象となる。
「増える」・・原語「ラーヴァヴ」とは、「増える、増やす、得する」などの繁栄用語。間違った教えに導かれ、更に繁栄、富に溺れる姿が浮かぶ。現在の繁栄の神学と同じ。

 

8節:彼らは、わたしの民の罪のきよめのささげ物を貪り食い、民の咎に望みをかけている。

その繁栄は賄賂や捧げものからの搾取など。民の悔い改めの捧げものに期待している。
民も咎を犯して「捧げものをすりゃあ、いいんだろ!」というような態度になっていた。


9節:民も祭司も同じようになる。わたしはその生き方のゆえに彼らを罰し、その行いのゆえに彼らに報復する。

祭司、民のいずれも裁く。彼らが歩んだ神の期待に応えぬ生き方の故に、その行いの報いを受けねばならない。


10節:彼らは食べても満たされず、姦淫しても増えることはない。彼らがを捨てて、姦淫を続けるっからだ。

バアル(豊穣の神)を礼拝する者は、食べても満足せず、また、姦淫(神殿娼婦との交わり)をしても子孫が増えることにならない。それは、神がそれを止められたから。


11節:ぶどう酒、新しいぶどう酒は良識を失わせる。

「良識を失わせる」は、新共同訳では「心を奪う」。まるでぶどう酒に酔うような振る舞い。これは、偶像礼拝の作法と関連がありそうな言葉である。(神の教えを無視


12節:わたしの民は木に伺いを立て、棒が彼らに事を告げる。これは、姦淫の霊が彼らを迷わせ、彼らが自分の神のもとを離れて、姦淫したからだ。

木や棒に応答を求める。アシェラ像は木製。(申16:21、士6:25~26より)
姦淫の霊(悪魔)が肉体的な誘いで惑わし、祭司たちを神から引き離し、偶像礼拝へと仕向けた。


13節:彼らは山々の頂でいけにえを献げ、丘の上で犠牲を供える。樫の木、ポプラ、テレビンの木の下で。その木陰が心地よいからだ。それで、あなたがたの娘は淫行をし、あなたがたの嫁は姦通をする。

カナンの土着神の礼拝場所は、高い丘の青々と茂る木の下(Ⅰ列14:23)。それは場所が心地良いところ(エレミヤ2:20)。(耳障りの良い言葉に魅了される状態)

五感をくすぐる肉体的な誘惑。この世の流れ(富)に身をゆだね、心奪われる

その誘いに惑わされ、祭司(上層部)の娘たちも、嫁たちも、淫行する。これは、偶像礼拝であるとともに、淫らな男女の交際を示しているとも考えられる。


14節:わたしは、あなたがたの娘が姦淫をしても、あなたがたの嫁が姦通をしても、罰しない。男たちは遊女とともに離れ去り、神殿娼婦とともにいけにえを献げている。悟ることのない民は滅びに落ちる。

北イスラエルの情勢は、女性は浮気、男性は遊女・神殿娼婦との交わりで、神が罰しなくても、地獄に落ちて行く。

2022年03月18日

ホセア4章15節~5章15節

15節:イスラエルよ。あなたが淫行をしても、ユダを咎ある者にさせてはならない。ギルガルに行ってはならない。べテ・アベンに上ってはならない。『は生きておられる』と誓ってはならない。

「淫行しても、」・・新共同訳「遊女であっても」

北イスラエルはその淫行をもって南ユダを誘惑してはならない!と言われている。
ギルガル、ベテ・アベン(悪の家)は、偶像礼拝の地。かつて、ここベテル(神の家)には預言者の学校(預言者集団)があったが、それが偶像礼拝の地に変わってしまった。
彼らはその場所で「主は生きておられる」と言って、安易に誓いを立てていた。(安易に誓ってはならない!)
神は、「こんな偶像礼拝を南ユダにさせてはならない!導いてはならない!」と戒めている。しかし、これはそうなるということの暗示。北イスラエルがアッシリヤに捕囚後、この預言が南ユダの戒めとなれば良いのだが、残念なことになる。(南ではイザヤが働いている)


16節:まことに、頑なな雌牛のようにイスラエルは頑迷だ。今、は彼らを広いところにいる子羊のように養うだろうか。

北イスラエルは頑なな雌牛・・頑固者で不従順な態度。
主は、そんな者たちを、広い野原で従順な子羊のように養うことはなされない。


17節:エフライムは偶像にくみしている。そのなすに任せるがよい。

エフライム、すなわち北イスラエルは、わたし(主)の言うことは聞かず偶像の言うことに魅了されて従っている。もう、神の愛を注ぐことはしない。


18節:彼らは酒を飲んでは、淫行にふけり、淫らなふるまいで恥を愛してやまない。

神の目から見る偶像礼拝は、まさに酒池肉林の恥の世界。しかし北イスラエルの民はこの恥ずべき振る舞いを好んでいる。


19節:風はその翼で彼らを巻き込む。彼らは自分たちのいけにえのゆえに恥を見る。」

「風」・・新共同訳「欲望の霊」

これは神ではなく、神に反する悪霊を意味すると考えられる。その悪霊の翼が巻き起こす風に巻き込まれる北イスラエル。その風とは、アッシリヤによる捕囚であり、将来の大患難時代と考えられる。
彼らが捧げるいけにえはすべて悪霊に捧げられているのであり、それはすべて罪となって自分たちの上に降りかかってくる。
恥を見るということは、これまでにない厳しい狼狽と痛みを伴うものである。


5章

1節:「祭司たちよ、これを聞け。イスラエルの家よ、心せよ。王の家よ、耳を傾けよ。あなたがたにさばきが下る。あなたがたはミツパで罠となり、タボルの上に張られた網となったからだ。

先ず、裁きは、祭司、上層部、そして王家に下される。
ミツパは2か所存在。この場合は、ヨルダン川東にあるミツパ。

 

2節:曲がった者たちは殺戮を極めた。しかし、わたしは彼らすべてを懲らしめる。
新共同訳では、「曲がった者たちは殺戮を極めた」を「シッテムでは深く掘った穴となった」と訳している。
シッテムは地名で、偶像礼拝の地域。民を偶像礼拝に引き込む罠、網、落とし穴である。
祭司たちは、そのためには殺戮(人身御供?)まで極めたと考えられる。そんな導きをした祭司をはじめとする、姦淫の罪を犯した彼らを神は裁かれる。


3節:わたしはエフライムをよく知っている。イスラエルはわたしに隠されていない。今や、エフライムよ、あなたは姦淫をし、イスラエルは汚れてしまった。

「良く知っている」・・とは、夫婦関係のごとく相手を知っているということ。かつて結婚の契約を結んだのに、イスラエルは偶像を向いている。


4節:彼らは、自分の悪行を捨てて自分の神に帰ろうとしない。姦淫の霊が彼らのうちにあり、彼らがを知らないからだ。

5節:イスラエルの高慢はその顔に表れている。イスラエルとエフライムは、自分の不義につまずき、ユダも彼らとともにつまずく。

偶像礼拝を止めないのは、姦淫の霊(悪霊)に支配されているからであり、それは神を無視する態度。知らないとは、かつての婚姻関係を忘れてということ。
偶像礼拝は高慢な態度を意味する。神を無視すると傲慢になり、自分の都合の良いようにすることで自らが神になってしまう。偶像を拝みつつ、大罪を犯している。
北イスラエルは裁かれるが、警告したユダも傲慢になり、同様に偶像礼拝の罪を犯し、イスラエルの民全体が裁かれることとなる。


6節:彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、を尋ね求めるが、見つけることはない。主が彼らから離れ去ったのだ。

羊や牛の大量の捧げもの、つまり律法に基づき神に帰っても、主に求めても見つかりはしない。なぜなら、救いの原則は進展し、結果、神が離れ去ったように思われるからだ。

漸進的啓示(メシアの初臨)が暗示されている。

7節:彼らはを裏切り、他国人の子を生んだ。今や、新月の祭りが彼らとその地所を食い尽くす。

イスラエルは主から離れ、まるで他国人のようになって歴史を刻む。その結果、新月の祭りが、裏切った他国人のようなイスラエルの民と約束の地を食い尽くすことになる。

新月の祭りは、バアル礼拝を指す。70人訳では新月が「いなご」と訳され、
それはアッシリヤを意味する。それ故「食い尽くす」となっている。


8節:ギブアで角笛を、ラマでラッパを吹き鳴らせ。べテ・アベンでときの声をあげよ。ベニヤミンよ、うしろを警戒せよ。

これは、かつて士師記の時代に起こったベニヤミン族の聖絶の歴史に関係している。

(士師記19章~20章)

イスラエル民族の悲劇、同族内の裁き、殺戮があり、ベニヤミン族は本当に少ない民族

(600人)となってしまった。そのかつての事件を思い起こせ!と知らせている。

9節:エフライムは懲らしめの日に、恐怖のもととなる。わたしはイスラエルの諸部族に、確かに起こることを知らせる。

10節:ユダの首長たちは、地境を移す者のようになった。わたしは彼らの上に激しい怒りを水のように注ぐ。

11節:エフライムは虐げられ、さばかれて打ち砕かれる。彼が自ら進んで人の決め事に従って歩んだからだ。

エフライム、すなわち北イスラエルに、事前に教えていた通りの裁きが下る。
ユダは、地境を移すという律法違反を犯し、自分勝手な方向へと進む。それ故、ユダをも神は裁かれる。(バビロン捕囚を指す)
エフライムが虐げられるのは、ユダと同じように、神に従うのではなく人の決め事に従ったためである。

シリヤ・エフライム戦争 紀元前735年~紀元前731年

北イスラエルはシリアと組んで、アッシリヤと組むユダを攻めようとしたが失敗し、むしろアッシリヤに壊滅的に攻められ、最終的には捕囚の身となる(BC722年)。
しかしながら、ユダ王国もこのアッシリヤの強さの前に、属国のようになってしまう。
兄弟(同族で)喧嘩し、どちらも大けがをするようなもの。

12節:わたしはエフライムにはシミのようになり、ユダの家には腐れのようになる。

「エフライムのシミ、ユダの腐れ」・・どちらに対しても、神の民として相応しくない状態。
将来イスラエルが歩む、心の偶像礼拝を経て、契約(大患難時代のきっかけとなる反キリストとの契約)に頼る民を指している。


13節:エフライムは自分の病を見た。ユダは自分の腫れものを。エフライムはアッシリアに行き、大王に人を遣わした。しかし、彼はあなたがたを癒すことができず、あなたがたの腫れものも治せない。

14節:わたしが、エフライムには獅子のようになり、ユダの家には若い獅子のようになるからだ。わたし、このわたしが引き裂いて歩き、さらって行くが、助け出す者はだれもいない。

イスラエルの民は、人の決め事に従って歩み、反キリストに信頼しようとするが、それは解決には結びつかず、むしろ最悪の状態となる。
なぜなら、それは神がなされる獅子のような裁きであり、誰も救い出すことはできないこのあたりの神のことばは、直前に迫るアッシリヤ捕囚、バビロン捕囚という裁きよりは、むしろ最終的な大患難時代の裁きを示していることが伺える

15節:わたしは自分のところに戻っていよう。彼らが罰を受け、わたしの顔を慕い求めるまで。彼らは苦しみながら、わたしを探し求める。」

自分のところ・・今、神がおられる所であり、キリストが昇天しておられる状態を示す。
大患難時代において、厳しい裁きを経て、残れる者が主を呼び求めるときを待とう!
新共同訳では、「彼らが罪を認めて、」となっている。

2022年03月23日

ホセア6章1節~11節

1節:さあ、に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、癒やし、私たちを打ったが、包んでくださるからだ。

私たち・・イスラエルの民全体
私たちを引き裂き・・南北のイスラエルの捕囚、そして神との断絶。
私たちを打つ・・当時の近未来ではアッシリヤ、バビロン捕囚、そして将来の大患難時代。しかし、主は「癒し、包んでくださる!」

ホセアは民に呼び掛けている。それは、各捕囚を経て、様々な痛みを経て、最後の大患難時代を何とかくぐりぬけて神に帰れ!と励ましているようだ。

2節:主は二日の後に私たちを生き返らせ、三日目に立ち上がらせてくださる。私たちは御前に生きる。

「二日の後に私たちを生き返らせ、」・・2日間で罪に気付き、神の愛に気付き、
「三日目に立ち上がらせてくださる。」・・3日目にイエス様に来てくださいと求め、

イエス様の再臨があり、民族的救いが実現する。
「私たちは御前に生きる」・・メシア的王国(千年王国)に住む。

 

3節:私たちは知ろう。を知ることを切に追い求めよう。主は暁のように確かに現れ、大雨のように私たちのところに来られる。地を潤す、後の雨のように。

「知ろう」・・婚姻関係の回復、契約の成就。イスラエルの回復。
「主を知ることを切に追い求めよう。」・・神の期待に応える姿。私たち神の子としてのあるべき姿。
大患難時代は未曽有の苦しみ、暗闇。神はイスラエルの回心を待ち望み、その時、その暗闇を打ち破る暁の光となって、燦然と出現される。シャカイナグローリー!
後の雨が乾いた土地を潤し、豊かな実りをもたらすように、主の現れは、雨が大地にしみこみ土地を豊かに回復され、神を信じる者は祝福と恵みに与る。それはメシア的王国。
自然を用いて表現されていることから、大患難時代で破壊された自然が、あっと言う間に回復する様を想像させる。


4節:「エフライムよ、わたしはあなたに何をしようか。ユダよ、わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの真実の愛は朝もやのよう、朝早く消え去る露のようだ。

様々な方法であなたに気付きを促したが、ほかに何をしようか?
あなたの真実を知った!それは本当にもろく、朝もや、朝露のごとくたわいがない。


5節:それゆえ、わたしは預言者たちによって彼らを切り倒し、わたしの口のことばで彼らを殺す。あなたへのさばきが、光のように出て行く。

預言者を通して不義を明確にし、瞬く間に(光のように)裁きを下し、あなたがたを殺す。


6節:わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。

神の期待は真実の愛・・それは神との深い関係を築くために、神を知ろうとすること。

決していけにえや捧げものが最優先ではない。

「知る」とは、創4:1、出3:7、詩編31:7に同じ。
夫婦の親密な交わりの如き、愛情、あわれみ的理解の意味

 

7節:ところが、彼らはアダムのように契約を破り、そこでわたしを裏切った。

どうしてアダムのように罪(エデン契約の違反)を、繰り返すのか! イスラエルの民はシナイ(モーセ)契約を破り、主を裏切った。

8節:ギルアデは不法を行う者の町、血の足跡に満ちている。

ギルアデ(岩だらけの)・・血の足跡・・偶像礼拝の地であり、人身御供の習慣についての意味であろう。
新共同訳:「流血の罪を犯した者の足跡」


9節:盗賊が人を待ち伏せするように、祭司たちは徒党を組み、シェケムへの道で人を殺す。彼らは実に淫らなことを行う。

シェケム(尾根、強肩)・・北イスラエルの主要都市。逃れの町があり、祭司の町であったが、祭司はこの地で徒党を組んで人を殺し、また、淫らなことをしていた。
シェケムと聞くと、シェケムでの創34:1~35:5割礼悪用、士9:45~49アビメレクの大虐殺が思い浮かぶ。そうした神の期待違反がこの町を偶像礼拝化したということか!
偽祭司が偶像礼拝化している状態。(逃れの町は機能していない→世に同化)

10節:イスラエルの家にわたしはおぞましいことを見た。エフライムはそこで姦淫をし、イスラエルは汚れてしまった。

北イスラエル全体が、神の目にはおぞましい光景に映る。→公正はどこへ?
北イスラエルの祭司、上層部は偶像礼拝へと国民を導き、自らも偶像礼拝し、北イスラエルを汚れた民としてしまった。


11節:ユダよ、あなたにも刈り入れが定まっている。わたしが、わたしの民を元どおりにするときに。」

神の民と言えば、南ユダ王国もだが、残念ながらそのユダにも裁きは下される。

なぜなら・・わたしがイスラエルを癒すとき・・内容は7章1節に続く

2022年04月20日

ホセア7章1節~16節

1節:「わたしがイスラエルを癒やすとき、エフライムの咎、サマリアの悪はあらわになる。彼らが偽りを行い、盗人が押し入り、外では略奪隊が襲うからだ。

2節:しかし、彼らは考えもしない。わたしが彼らのすべての悪を覚えていることを。今、彼らの悪行は彼らを取り囲んで、わたしの面前にある。

まるで病のイスラエルを癒そうとするとき、見えてくるのは偽の祭司の罪である。
偽祭司による偶像礼拝の結果、偽り、盗み、そして略奪が起こり、奪われて襲われてしまうイスラエルが見えてくる。(この盗人、略奪隊は大国と思われる)
そんな状態になっても、祭司たちは神に返らない。(大国に頼る選択をする)
神は悪事に取り囲まれたイスラエルをしっかりと見ている。(偽祭司の影響が大きい


3節:彼らは悪事によって王を、偽りによって首長たちを喜ばせる。

「彼ら」とは、偽祭司たち。彼らは、王や首長の気に入る偶像礼拝で彼らを喜ばせ、自分を保身する。(祭司本来の価値は失せている)

 

ー北イスラエルの祭司事情ー
Ⅱ歴代誌11:4~17
4節:レハブアムがヤロブアムに戦いを仕掛けるが、神に止められ中止する。
5~12節:レハブアムはユダの町を固め備蓄。ユダ、ベニヤミンがレハブアムについた。
13~15節:イスラエルの祭司、レビ人は自分たちの牧草地、所有地を捨ててユダとエルサレムに来た。ヤロブアムが彼らの職を解き、一般の祭司に、偶像礼拝させたからである。
16~17節:イスラエルの全部族からも、信仰心の熱い者たちが主にいけにえを捧げに 3年間、エルサレムに来た。彼らはダビデ・ソロモンの道を歩み、そのことが、ユダの王権を強固にした。この現象が、ヤロブアム1世にとっては脅威となる。

ホセア書で神が指摘する祭司は、偽祭司である。
神のことばに信頼しない北イスラエルの歴史が始まった

4節:彼らはみな姦通する者。パンを焼くときの燃えるかまどのようだ。生地がこねられてから、ふくらむまでは、燃え立つことをやめている。

パン焼きかまどが偽祭司、そしてパンが上層部の人間たちと考えられる。低温でじっくり発酵させるように、上層部を、偶像礼拝により悪だくみへと導く偽祭司。
パン生地が一晩かけて膨らんだパンを一気に焼き上げるように、上層部の気持ちを熟成させ、機が熟したら、一気に悪事を実行するように仕向けて行く偽祭司の行動の表現。

5節:われわれの王の日に、首長たちは酒の熱で気分が悪くなり、王は嘲る者たちと手を握る。

そして、例えば王の祝いの日には、首長は偶像礼拝の曲がった教えにより酒を浴びて酩酊し、王は神を恐れぬ者(他国)と組み、政治・外交する。


6節:彼らは心をかまどのようにして、陰謀を企てる。夜通し、パンを焼く者は眠るが、朝になると、かまどは燃え立つ火のように燃えるのだ。

北イスラエルの歴史は、悪事を企て、一気に実行し、王位を奪う歴史である。
「かれら」とは、偽祭司と考えられる。王や首長は偽祭司に振り回される者たち。

7節:彼らはみな、かまどのように熱くなって、自分をさばく者たちを食い尽くす。自分の王たちもみな倒れる。彼らのうちだれ一人、わたしを呼び求める者はいない。

それ故、自分を支配する者(王)を殺してしまう。こうして王が次々と立っては倒れることになる。偽祭司たちも、王たちも、神を求めることなどない!

 

8節:エフライムは、もろもろの民の中に混じり込む。エフライムは、片面しか焼けていないパンだ。

もろもろの民・・異邦の諸国(特にアッシリア)と交わる。中途半端に焼けたパンとは、神の民でありながら他国に依存している様子。

歴史的にみると、16代メナヘム王(BC.752~742)は、アッシリヤに同盟を求め、莫大な朝貢により凋落していった。そのため、18代ペカ王(BC.740~732)はアッシリヤとの同盟を止め、アラム、エジプトと組むもアッシリヤに攻められ、更に凋落して行く。

(Ⅱ列15:27~29)

注:「ペカが・・・王となり、二十年間王位にあった。」について。
新共同訳によれば、シャルムが王になる前に、ギルアドで別の権威を打ち立て、王位についていた。二重王の支配があったとされる。


9節:他国人が彼の力を食い尽くしても、彼はそれに気づかない。白髪が生えても、彼はそれに気づかない。

こうした諸国と交われば交わるほど国力は衰えるが、上層部はひたすら突き進む。
国民、国力の凋落も気にしないのだから、神の律法違反になど気付くはずもない。


10節:イスラエルの高慢はその顔に表れている。彼らは、自分たちの神、主に立ち返らず、このすべてがあっても、主を尋ね求めない。

このような状態を高慢と言わずして、何と言おうか?!
北イスラエルが愚行に気付き、悔い改めてほしいのだが、この民は主に返ることがない。神を無視するという究極の愚行に突き進む。


11節:エフライムは愚かな鳩のようで、良識がない。エジプトを呼び求め、アッシリアに飛んで行く。

賢い鳩は元の場所に戻るが(帰巣本能)、愚かな鳩は戻って来ずにさすらう。
北イスラエルの上層部はエジプト、アッシリヤを行ったり来たりで、神のもとへは戻らない!(Ⅱ列17:1~3)

 

12節:彼らが赴くとき、わたしは彼らの上に網を張り、空の鳥のように彼らを引き降ろす。彼らの群れの音を聞くとき、わたしは彼らを懲らしめる。

そんな愚鳩のような彼ら(北イスラエル)を、神は明確に裁かれる。
「群れの音を」とは、神の北イスラエルへの裁き・・アッシリヤ捕囚を指す。


13節:わざわいだ、彼らは。わたしから離れ去ったのだから。彼らは、踏みにじられるがよい。わたしに背いたのだから。わたしが贖い出そうとしているのに、彼らはわたしに向かってまやかしを言う。

「わざわいだ」・・もう救いようがない、どうしようもないという嘆き。神から離れてしまった以上、異邦人と同様、踏みにじられ滅びへと進む道しか残されていない。
神は、様々な手を用いて気付きを促したのに、そっぽを向き、偽りで応じてくる北イスラエル。

14節:心からわたしに向かって叫ばずに、自分たちの床の上で泣きわめいている。穀物と新しいぶどう酒のためには群がって来る。しかし、わたしからは離れて行く。

心は偶像に向かい、事があると神に向かわず寝台の上で泣きわめく。そんな彼らは富に積極的に群がるが、神には一切向かわず、むしろ離れて行く。

 

15節:わたしが訓戒し、彼らの腕を強くしたのに、このわたしに対して悪事を企む。

神は律法を与え、神の民として目標を与え、成長へと導いたにもかかわらず・・。

律法に従い、公正と正義を守り、戦いにおいては、神に信頼することで勝利することを学び、神の民として成長して行くはずだったが・・。


16節:彼らはいと高き方に立ち返らない。彼らは欺きの弓のようだ。彼らの首長たちは、ののしったために剣に倒れる。これはエジプトの地で、嘲りのもととなる。」

神に立ち返らない民は、狙っても外れる弓だとしている。(弓を正しく的に向けることのできない神の民。正しさが失せている。)そんな弓矢は、的外れ、つまり、罪が益々深くなる。
19代ホセア王(BC.732~722)は、アッシリヤに朝貢するも、エジプトに使者を遣わし、エジプトと組んでアッシリヤへの反撃を企てたが、アッシリヤ王に気付かれ、投獄される事となる。Ⅱ列17:1~8

思い起こせば、エジプトから神の力により、奇跡の大脱出を行った神の民が、今は見る影もない、その辺の民となっている。だから、エジプトの物笑いの種となる。

2022年04月21日

ホセア8章1節~14節

1節:「あなたの口に角笛を当てよ。鷲のようなものが、の宮の上にいる。彼らがわたしの契約を破り、わたしのおしえに背いたからだ。

「口に角笛を当てよ」・・戦が起こるから覚悟せよ!これから裁きが始まる!

「この鷲のようなもの」とはアッシリヤ(偽物の権威)。
それは、イスラエルが神の契約、神の教えを破ったから!神の民を完全に放棄したから。


2節:彼らはわたしに向かって叫ぶ。『わが神よ、私たちイスラエルは、あなたを知っています』と。

3節:イスラエルは善を退けた。敵は彼らに追い迫る。

彼らは「神を知っている」と言って助けを求めるが、神が示す善(「公正」と「義」)を捨てた。それは、神の民を捨て、神のご加護を捨てたということ。
それ故、敵、つまりアッシリヤ(善の反対の「悪」をも指している)が攻めてくる。

「善」とは、神を示すとともに、その契約条項や教えをも示す。

4節:彼らは王を立てたが、わたしによってではない。首長を立てたが、わたしは知らない。彼らは自分の銀や金で自分のために偶像を造った。ただ断ち切られるために。

王や首長の擁立は神の御心によらず自分勝手。
金銀(富)は神が与えたものであることを忘れ、それらを偶像の製造に用いる。
自分に好都合な偶像が、自分たちを滅ぼす原因になるとも知らずに。


5節:サマリアよ、あなたの子牛は退けられる。わたしは彼らに向かって怒りを燃やす。いつになれば、彼らは罪のない者となれるのか。

実際、サマリヤは3年間アッシリヤの包囲に耐えるが滅ぼされ、金の子牛は剥奪される。(偶像には何の力も無い)残念ながら、こんな民にはもう、罪から逃れる術はない!


6節:それはイスラエルから出たもの。それは職人が造ったもので、神ではない。サマリアの子牛は粉々に砕かれる。

7節:彼らは風を蒔いて、つむじ風を刈り取る。麦には穂が出ないので、麦粉を作れない。作れたとしても、他国人がこれを食い尽くす。

金の子牛は粉々に砕かれ、金の塊になってしまう。
自分たちで神を造り、偶像礼拝することは、無意味なことだと気づいてほしい。

風を蒔いたら、それがつむじ風となって返って来る…空しいことをしている
麦は出来ても穂が出ず、実を結ばない。だから、麦粉が出来ない。わずかに麦粉が出来ても少量ゆえに、他国人に貢がされ、自分たちの口には入らない。
いろいろと政策を練っても結果が出ないのは、偶像に頼った結果である。

8節:イスラエルは吞み込まれた。今や、彼らは国々の間にあって、だれにも喜ばれない器のようになった。

イスラエルも世の中の流れに呑み込まれた。(神が一番心配していたこと)
神の民(主の宝の民)となるはずが、他国と同じその辺の民となってしまった。


9節:彼らは、ひとりぼっちの野ろばで、アッシリアへ上って行った。エフライムは愛を求めて贈り物をした。

10節:彼らが諸国の民に物を贈っても、今、わたしはそれらを集める。彼らは、王や首長への貢ぎによって間もなく汚されることになる。

人ぼっちの野ろば・・・群れから離れて自分勝手に動く野ロバ。

帰属する群れをアッシリヤとし、朝貢して機嫌をうかがうが、神はそれを何の効果もないものにする。(厳しい朝貢、移民が押し付けられる)

北イスラエルは、上層部の愚かな朝貢政策により、更にボロボロにされる。

 

11節:エフライムは祭壇を増やして罪を犯すようになった。それらは彼にとって罪を犯すための祭壇となった。

北イスラエルの上層部は、どんどん祭壇を増やして、益々自分たちの罪を増やしていることに気が付かない


12節:わたしが彼のために、多くのおしえを書いても、彼らはこれを他国人のもののように見なす。

神の民であるはずの北イスラエルは、律法、契約を捨て、まるで異邦人のようだ。
参考聖書箇所・・・申命記17:9~20

申命記のみことばの中に、すでに王制になり、そこで現れる罪についても明確に預言されている。ソロモンの罪も、その後の王たちの罪もすべてご存知の神。

13節:わたしへのささげ物のいけにえとして彼らが肉を献げて食べたとしても、はこれを喜ばない。今、主は彼らの不義を覚え、その罪を罰する。彼らはエジプトに帰る。

この時点で神に戻っていけにえを捧げたとしても、主はこれを受け取らない。つまり、神の堪忍袋の緒は切れてしまっている。捕囚は決定事項。裁きの賽は投げられた。

彼らの不義・・北イスラエルと南ユダの神離れ。彼らの不義は14節。
その不義により、彼らは過去のエジプト時代の状態、つまり奴隷(国を持たない民)になる。

14節:イスラエルは自分の造り主を忘れ、神殿をいくつも建てた。ユダは、城壁のある町々を増し加えた。しかし、わたしはその町々に火を放つ。火はその宮殿を焼き尽くす。」

北イスラエルは偶像礼拝し、南ユダは神に頼らず軍備に頼る始末。
よって、北イスラエルはアッシリヤ捕囚。
南ユダ(ヒゼキヤ王の時)は、城壁のある町を増やしたが、アッシリヤによる攻撃で大打撃。かろうじて滅亡は免れるが、後にバビロン捕囚が待っている。

2022年04月25日

ホセア9章1節~17節

1節:イスラエルよ、喜ぶな。諸国の民のように楽しむな。あなたは自分の神に背いて姦淫したからだ。あなたはすべての麦打ち場で姦淫の報酬を愛した。

2節:打ち場も踏み場も彼らを養わない。新しいぶどう酒も彼らを裏切る。

諸国の民の喜びとは、バアル(豊穣の神)礼拝している状態。それは神へのそむきの罪。
麦打ち場の産出物はバアルのお陰と思い込み、それを喜ぶ。(姦淫の報酬)
バアル礼拝(姦淫)の報酬とは、富、経済的な豊かさ。その報酬を求めれば求めるほど滅びに向かっている。

 

3節:彼らはの地に住むことはない。エフライムはエジプトに帰り、また、アッシリアで汚れた物を食べる。

約束の地にはおられず、エジプト、アッシリヤに移り住まなければならない。
アッシリヤ捕囚・・エジプト・アッシリヤに捕囚され移されること。
[新共同訳の解説:エジプトへは逃れていったのでは・・。]

神が期待した、約束の地で、神の民として輝くことはなくなってしまう!

4節:彼らはにぶどう酒を注がず、自分たちのいけにえで主を喜ばせない。彼らのパンは喪中のパンのようで、これを食べる者はみな身を汚す。彼らのパンは自分のためだけ。の宮に持ち込むことはできない。

5節:例祭の日、の祭りの日に、あなたがたは何をするのか。

約束の地を離れた民に、主とかかわる機会はない。主を喜ぶ機会がない。(祭りなど)
捕囚後に彼らが食するパンは偶像礼拝のパン(新共同訳)。それゆえ、汚れる。
彼らのパンは自分の欲望を満たす自己中心的なもの。そんなパンを主に捧げることはできない。してはならない。
「例祭」「主の祭り」、という神を喜ばす日に、あなたがたは一体何ができるのか?

神の民としてのアイデンティティーは、とうに失せている!

6節:見よ。彼らが破壊を逃れても、エジプトが彼らを集め、メンフィスが彼らを葬る。彼らが慕う銀には、いらくさが、彼らの天幕には、あざみがはびこる。

例えアッシリヤ捕囚から逃れても、エジプトが彼らを集めて葬り去る。所持する銀も天幕も何の代償にもならず、すべてを失う。


7節:刑罰の日が来た。報復の日が来た。イスラエルに知らせよ。預言者は愚か者、霊の人は気のふれた者だ。これは、あなたの大きな不義のゆえ、激しい敵意のゆえである。

7節a、b、c
「刑罰の日が来た。報復の日が来た。」は、預言的完了形の表現。確実に起こる!
「イスラエルに知らせよ。」とは、未完了形の表現。「知るようになる。」の意味。

(第3版:イスラエルは知るがよい。新共同訳:イスラエルよ、知れ。)

7節d、e
何を知るか?・・預言者、霊の人は偽物であったこと。神に対する激しい背き、敵意を宿していたために、気付かないまま、このようになってしまったということ。
新共同訳:「イスラエルの不義は甚だしく、敵意が激しいので、預言者は愚か者とされ、霊の人は狂う。」


8節:エフライムの見張りは、私の神とともにいる。しかし預言者には、すべての道に罠が仕掛けられ、彼の神の家には憎しみがある。

エフライムは、預言者、そして神とともにいる見張り人だったはずが、そのエフライムの歩む道には、正しいことを伝える預言者を狙う、鳥打ちが仕掛ける罠(偶像の罠)がいたるところにある。彼(預言者)の宮殿には憎しみ、敵意しかない。(神が無視される)

押さえておくべきは、「良きエフライムとならず、正しい者の家には、敵意、憎しみが増し加わるばかり」という点。

9節:彼らはギブアの日のように、心底まで堕落した。主は彼らの咎を心に留め、その罪を罰する。

ギブアの日・・士師19章~・・ベニヤミン族の強姦と殺害の恥ずべき行為。
神の目には、ギブアの罪と同等の恥ずべき行為と映り、これを確実に裁かれる。


10節:「わたしはイスラエルを、荒野のぶどうのように見出し、あなたがたの先祖を、いちじくの木の初なりの実のように見ていた。バアル・ペオルにやって来たとき、彼らは恥ずべきものに身を委ね、自分たちが愛しているものと同じように、彼ら自身も忌まわしいものとなった。

神はイスラエルと契約し愛した。木に初めての実がなり、そうして次代へと繋がって行くと期待したが、父祖の歴史の中でバアル・ぺオルの忌まわしき事件(民25章1~9)があった。惑わされ、偶像礼拝に染まり、ついには、恥ずべき行為にまで及んだ。霊的な攻撃がなされた!

11節:エフライム。その栄光は鳥のように飛び去り、産むことも、身ごもることも、宿すこともない。

12節:たとえ彼らが子どもを育てても、わたしは彼らに子を失わせ、人がいなくなるようにする。わたしが彼らを離れるとき、まことに、彼らにわざわいが来る。

エフライム・・「実りの多い地」という意味。そんな栄光は鳥が飛び立つように消える。
子孫繁栄のない国。それは滅亡を意味する。
神が彼らから離れるから、わざわいが彼らを襲う。(瞬時に悪の価値観の支配下となる)

 

13節:エフライムは、わたしが見たところ、牧場に植えられたツロのようであった。しかし今や、エフライムはその子らを屠り場に連れ出さなければならない。」

「ツロ」、新共同訳では「ティルス」。ナツメヤシ、またフェニキヤの美しい港湾都市。

この場合は、高さ18mにもなるナツメヤシを指していると思われる。前途洋々のはずが、落ちぶれて、国民を屠り場に差し出すことになる。


14節:よ、彼らに与えてください。あなたは何をお与えになりますか。彼らに与えてください。死産の胎を、涸れた乳房を。

こんな罪深き北イスラエルに主は何を与えられるのですか?
死産の胎、枯れた乳房。生むことも育てることもできない状態。これは滅びである。神の民としての名誉を剥奪してほしいと言うホセアの心に、ゴメルに対する思いが潜んではいないか?そこまで貶めねば、気付かないのです!!


15節:「彼らのすべての悪はギルガルにある。わたしはそこで彼らを憎んだのだ。彼らの悪い行いのゆえに、わたしは彼らをわたしの宮から追い出し、もはや彼らを愛さない。その首長たちはみな頑迷な者だ。

16節:エフライムは打たれ、その根は枯れて、実も結ばない。たとえ子を産んでも、わたしはその胎の実である、いとし子を殺す。」

ギルガル・・ベテルに並ぶ偶像礼拝の地。神殿娼婦と交わり、恥ずべき行為をする北イスラエルの民を神は憎む。
神の宮、約束の地から追い出される。エフライム(実り多い地)は打たれ、経済的生産性はなく、子孫も絶たれる。


17節:私の神は彼らを退ける。彼らが神に聞き従わなかったからだ。彼らは国々の間で、さすらい人となる。

14節で願ったことが、必ず成就するように・・という思いが感じられる。
ゴメルを買い取り、手元に置くホセアの心の思いはどういうものだろうか。

2022年04月27日

ホセア10章1節~15節

1節:イスラエルは生い茂るぶどうの木。それは多くの実をつけた。実が増えるにしたがって祭壇の数を増やし、その地が豊かになるにしたがって石の柱を豊かにした。

ぶどうの木が生い茂る如く、祝福されたイスラエル。それは神の約束の成就。しかし、彼らはその祝福(恩)を神に返さず、偶像に向ける。豊かさに乗じて、石柱(偶像礼拝)を増やす。石柱は、申16:21~22で禁止されている!

2節:彼らの心は偽りだ。今、彼らはその罰を受ける。主が彼らの祭壇を壊し、彼らの石の柱を踏みにじられる。

そんな彼らの不信仰(偽りの信仰)に対する罰を、今、彼らは受けねばならない!
主はその祭壇も石柱も破壊する。主がアッシリアの侵略の歯止めを外されるということ。


3節:今、彼らは言う。「私たちに王はいない。私たちがを恐れていないからだ。王がいても、私たちに何ができるだろうか。」

こうして神の罰を受けるとき、彼らは気付く。真の王とは、神が選ばれた者であるべき。自分たちの王は偽物だ。神からの祝福を受けない王は、結局、何の役にも立たない。
「私たちが主を恐れていないからだ。」と、裁かれたときに気付き、嘆き悲しむ。
そして彼らは、自分たちは何をすべきか?と考える。(これは、北イスラエルであり、更にイスラエルの民全体をも対象にしていると考えられる)


4節:彼らは無駄口をきき、むなしい誓いを立てて契約を結ぶ。さばきは、畑の畝の毒草のように生い出る。

「無駄口」とは口伝律法か?「むなしい(偽りの)誓いを立てて契約を結ぶ」とは、ダニエル書にある反キリストとの契約。そして、さばきが来る。この「さばき」は大患難時代。


5節:サマリアの住民は、べテ・アベンの子牛のことでおののく。その民はそのことで喪に服し、偶像に仕える祭司たち、その栄光を喜んでいた者たちも喪に服す。栄光が子牛から去ったからだ。

ベテ・アベン(ベテル)にある偶像「金の子牛」のことでおののく。大国は金を狙う。崇めていたものが奪われ、偽祭司も含め民は喪に服すようになる。(己の愚かさに気付く)


6節:それはアッシリアに持ち去られ、大王への贈り物となる。エフライムは恥を受け、イスラエルは自分のはかりごとで恥を見る。

アッシリアとはアッシリヤ帝国ではなくメソポタミアを指し、大王は反キリストを指す。
よって、この個所は、大患難時代を指していると解釈すべき。

その理由として・・・

北イスラエルはアッシリアに朝貢はしていたが、契約(4節)締結の歴史的事実はない。「大王」とは、他の訳では、ヤレブ王(言い争う王)とある。これは実在していない。

メソポタミア地域から出る反キリストへの贈り物となる。つまり、北イスラエルでも、また、大患難時代においても、財産は敵(反キリスト)に奪われるという意味。
イスラエルは、(神を忘れ)自分たちの策に溺れ、恥を見る結果となる。

7節:サマリアは滅び失せ、その王は水の面の木片のようだ。

確実にサマリアは滅び、王は捕囚される。

水面に漂う木片」・・帰属するところがない哀れさ
ここに、預言者の近未来的預言と将来的預言のオーバーラップがあることに注目。


8節:イスラエルの罪であるアベンの高き所は滅ぼし尽くされる。茨とあざみが彼らの祭壇の上に生い茂る。彼らは山々に向かって「私たちをおおえ」と言い、丘に向かって「私たちの上に崩れ落ちよ」と言う。

彼らが崇めていた場所(ベテ・アベン)は、敵に滅ぼし尽くされる。
最悪のわざわいである大患難時代が最終的には彼らを襲う。その厳しさは前代未聞。
神は敵の攻撃を許すと共に、自然環境にも働きかけ、両者が相まって裁きが起こる。
その想像を絶する厳しさのあまり、逃げる民は、こう叫ぶ! 山々に向かって「私たちをおおえ!」、丘に向かって「私たちの上に崩れ落ちよ!」ルカ23:30、黙6:16~17

9節:「イスラエルよ。ギブアの日以来、あなたは罪を犯してきた。そこで彼らは同じことを行っている。ギブアで、戦いがこの不法の民を襲わないだろうか。

ギブアの罪(士師記19章~20章)を犯し続ける北イスラエル。ギブアの戦いの如く襲われることになるとも知らず。ギブアは不法とされている。北イスラエルがそのような状態であることを示す。


10節:彼らを懲らしめることがわたしの願いだ。二つの不義のために彼らが捕らえられるとき、諸国の民が集められて彼らに敵対する。

彼らを罰するのが神の思いである。(近未来と将来的な思いが混在)
二つの不義とは、中川先生によれば、ベテ・アベンとギルガルの二つの偶像礼拝中心地。
偶像礼拝するイスラエルに、諸国が集められて敵対する。これは患難時代のハルマゲドンを思わせる。


11節:エフライムは飼いならされた雌の子牛、麦打ち場で踏むことを好む。しかし、わたしはその美しい首にくびきを掛ける。わたしがエフライムに乗り、ユダが耕し、ヤコブが馬ぐわを引くようになる。

もともとエフライムは従順な雌の子牛(繫栄が約束された)。それゆえ、神の民として神がエフライムの民を導き、ユダをはじめとするイスラエルの民が共に働くことになる。

新たなステップが示されている。それが、メシア的王国

12節:あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓せよ。今がを求める時だ。ついに主は来て、正義の雨をあなたがたの上に降らせる。」

神の民としてすべきことは、正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓せよ。
今こそ、主を求め、主の教えに従え!
「捕囚の前に気付くべきであったが、後々の大患難時代の時にこそ、絶対に気付け!」
ついには、耕地を耕す民の上に、神の正義の雨が降る。(メシア的王国の成就)


13節:あなたがたは悪を耕し、不正を刈り取り、偽りの実を食べた。それはあなたが自分の力に、自分の勇士の数に拠り頼んだからだ。

神が指摘される悪の耕し、不正の刈り取り、偽りの実の獲得とは、自分の力に拠り頼み、他国との軍事同盟に依存し、軍事力を得て富の蓄積のためにして来たこと。

14節:あなたの民の中で戦塵が起こり、要塞はみな打ち滅ぼされる。戦いの日にシャルマンがベテ・アルベルを踏みにじったように、母親は子どもたちのそばで八つ裂きにされる。

神の裁きにより、要塞は打ち破られ、国内の民衆が戦いに巻き込まれる。
シャルマン・・アッシリヤ王シャルマヌエセル5世(BC727~BC722)⇒捕囚前のぎりぎりの時期の預言であることが分かる。
ベテ・アルベル・・新共同訳で現在のイルビドとある。
アッシリヤ征服前に、この地で残虐行為があった


15節:ベテルよ。あなたがたの悪があまりにもひどいので、このようなことがあなたがたになされる。夜明けには、イスラエルの王は全く滅ぼされる。

ベテルよ!・・偶像礼拝の中心地であり、ホセアが語っている場所。
このような厳しい裁きの原因は、この地の激しい偶像礼拝の故である。

夜明けには⇒北イスラエルの王の裁きは、もう目の前に迫っている。

【ホセアはここで、すぐに来る近未来(アッシリア捕囚)について預言し、12節までの神のことばの遠未来(メシア的王国)と区別して、語っている。】

2022年04月28日

ホセア11章1節~12節

1節:「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、エジプトからわたしの子を呼び出した。

出エジプトのことを語られている。エジプトつまり奴隷からイスラエルを解放された神。
マタイ2:15は、ホセア11:1の預言。
ここから語られるみことばの中に、イエス様の影が隠されていることに注目。

2節:彼らは、呼べば呼ぶほどますます離れて行き、もろもろのバアルにいけにえを献げて、刻んだ像に犠牲を供えた。

神が愛すれば愛するほど、イスラエルは神から離れバアル(偶像)へと走る。
これは、イエス様のことばに反して、口伝律法に走り、最終的には反キリストに就くイスラエルを指す


3節:このわたしがエフライムに歩くことを教え、彼らを腕に抱いたのだ。しかし、わたしが彼らを癒やしたことを彼らは知らなかった。

一国の民として、また神の民として立つことができるように導かれたのは神である。

同様にイエス様も、その愛でイスラエルの民を導かれ、彼らを癒した。


4節:わたしは人間の綱、愛の絆で彼らを引いてきた。わたしは彼らにとってあごの口籠を外す者のようになり、彼らに手を伸ばして食べさせてきた。

人間の綱(複数形)、愛の絆(複数形)・・人のそれぞれのつながり、愛の絆で導き、神の民としての民族性を高めようとされた。
神が、奴隷(口籠が掛けられている状態)から解放し、砂漠でマナを与えた。

神が養われた!神に養われていた民!!何という光栄であろうか!

5節:彼はエジプトの地には帰らない。アッシリアが彼の王となる。彼らがわたしに立ち返ることを拒んだからだ。

6節:剣は、その町々に対して荒れ狂い、かんぬきの取っ手を打ち砕き、彼らのはかりごとのゆえに、町々を食い尽くす。

「彼は・・」となっているが、新共同訳では「彼ら」、英語訳も「彼ら」。
「エジプトに帰らず」、「エジプトに帰り」、「エジプトに帰ることが出来ず」と様々。
アッシリアが王となる(アッシリア捕囚)、それは彼らが神を拒んだ(偶像に走った)からである。
同時に遠未来の患難時代の預言。アッシリヤ(反キリスト)は、イスラエルを打ち、町もろとも滅ぼされ、消え去る。反キリストとの契約、つまり神を忘れた自己本位の考え方で恥を見る結果となる。


7節:わたしの民は頑なにわたしに背いている。いと高き方に呼ばれても、ともにあがめようとはしない。

北イスラエルは徹底的に神に背を向け続ける。それは、アッシリヤ捕囚以降も形を変えて継続し、恵みの時代においても神に立ち返ることはない。


8節:エフライムよ。わたしはどうしてあなたを引き渡すことができるだろうか。イスラエルよ。どうしてあなたを見捨てることができるだろうか。どうしてあなたをアデマのように引き渡すことができるだろうか。どうしてあなたをツェボイムのようにすることができるだろうか。わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。

神は決して、北イスラエルを見捨てはしない!人が計り知れない神の愛。約束(契約)に従い、愛をもって貫かれるお方。神の裁きは、気付きを促すもの!
アデマ、ツェボイムは、ソドム、ゴモラの周辺にあった町々で、ソドム、ゴモラと共に滅ぼされた。申命記29:22~23(アデマ、ツェボイムは、ソドム、ゴモラと契約を結び、追随していたために滅ぼされた)
神の思いは、あわれみに満ちて胸が熱いほどだ・・民を滅ぼすことは神の本意ではない!


9節:わたしは怒りを燃やして再びエフライムを滅ぼすことはしない。わたしは神であって、人ではなく、あなたがたのうちにいる聖なる者だ。わたしは町に入ることはしない。

裁きはするが、もう二度とエフライムを滅ぼすことはしない。アッシリア捕囚は不可避な事実!
神は聖であり、霊であるお方。民が聖なる神を受け入れるとき、もう攻めるようなことはない。神は、町ではなく人に入る。アッシリア捕囚後の民への言及で、最終的には大患難時代を通り抜けるイスラエルの民への励ましの言葉。

10節:彼らはの後について行く。主は獅子のようにほえる。まことに主がほえると、子らは西から震えながらやって来る。

イスラエルの民が神に立ち返る日が来る。主が獅子のように吠える。
主が吠えるような状況⇒大患難時代を思わせる
「子ら」・・となっているのは、彼らの心が純粋になっていることを示す。(1節参照)
「西から」・・とは、70年の神殿崩壊以降に起こること。つまり、終末時代の暗示。
「震えながら」とは、心底、悔い改めた恐れと期待の状態をもって・・、と考える。
ここで、完全なイスラエルの民のヘリくだりが成就する。


11節:鳥のようにエジプトから、鳩のようにアッシリアの地から、彼らは震えながらやって来る。わたしは彼らを自分たちの家に住ませよう。 ―のことば。

鳥のように・・多くの人たちが、賢い鳩のように巣に帰る。10節同様、恐れつつ喜びと期待をもって南(エジプト)、北(アッシリア)から帰還する。離散していた人たちが、震えながら、帰って来る。それ故、神はその居場所を用意されるのである。
8節から11節で、神はどんなに裏切られてもイスラエルを導くことを宣言された。アブラハム契約の成就、最終的な全人類の救いの成就が明確である。

12節:わたしは、エフライムの偽りと、イスラエルの家の欺きで囲まれている。しかしユダは、なお神とともに歩み、聖なる方に対して忠実である。」

ここで、11節とは別の切り口で、新たに語られる神。

ヘブル語聖書では、11章12節が12章1節になっている。
新共同訳は、そのように区分している。


神は、徹底的に、エフライム、北イスラエルに欺かれてきた。一方、この時点で南ユダは、神と共に歩み、聖なる方に対して忠実であった。
決して、南ユダが優秀ということではない。北イスラエルに較べれば・・というニュアンスであろう。それほど北イスラエルの神に対する不誠実は極まっていたということ。

2022年05月12日

ホセア12章1節~14節

1節:エフライムは風を飼い、一日中、東風の後を追う。重ねるのは虚偽と暴行。アッシリアと契約を結び、エジプトに油を送る。

「風を飼い」・・とは、掴みどころのないものを追いかけている姿。
「東風」とは、東から来る熱風であり、神の怒りの象徴。神の怒りを買う行動に余念がない状態。追いかけるべきは神なのに、アッシリア(大国)を追い、暴虐となり、神への背信となる。
そんな彼らのすることは、アッシリアと契約を結び、エジプトに貢物(オリーブ油)をすること。

北イスラエルは、滅ぶまでに、アッシリアやエジプトの様子を見つつ、盛んに朝貢はしていたが、アッシリアと契約関係を結んだという歴史的事実はない

2節:には、ユダに対して言い分がある。主は、生き方に応じてヤコブを罰し、行いに応じて彼に報いる。

ユダに対して言いたいことがある。新共同訳:主はユダを告発する。
今は良いが後には北イスラエルと同じようになるから聞いておけ!というニュアンス。

神のイスラエルの民全体に対する基本的姿勢は、その生き方・行動に対する罰と報いの応答。

良い生き方とは、神の期待に応答して生きること⇒報酬
悪い生き方とは、神の期待を無視して生きること⇒罰

3節:ヤコブは母の胎で兄のかかとをつかみ、その力で神と争った。

4節:御使いと格闘して勝ったが、泣いてこれに願った。ベテルでは神に出会い、神はそこで彼に語りかけた。

ヤコブは「かかと」の意味。兄のかかとをつかむ。神の祝福を奪うほどに熱望する姿勢。
創世記32章22~30節:兄エサウを恐れていたので、とにかく神の祝福が絶対欲しい!という思いで、御使いと格闘。御使いは、腿の関節を打ち、ヤコブの傷は大きかったが、それでも祝福を掴もうとするヤコブの思いに根負けしたということ。ホセア書には、泣いて願ったとまで書かれている。(狡猾なヤコブではなく、神の祝福を熱望するヤコブという側面が重要!)
このようなヤコブは神に出会い、神の声を聴く機会が与えられる。ヤコブの神への立ち返りとなった。その地がベテルなのに、今は偶像礼拝の中心地になっているではないか!


5節:は万軍の神。その呼び名は

すべての敵、すべての偽の神を凌駕するのが、万軍というすべてをしのぐ力を持つ神!その偉大な名は主である!そのことになぜ気付かないのか!イスラエルの目線が、世の中にどっぷり落ちている!


6節:あなたは、あなたの神に立ち返り、誠実と公正を守り、絶えずあなたの神を待ち望め。

為すべきことは神に立ち返ること。常に神を見上げる姿勢が必要だった。
それは、誠実(正義)と公正という神の教えをしっかりと理解し守ること。
今となっては、裁かれることが前提であり、これは、残れる者へのことば!
「神を待ち望め」とは、アッシリア捕囚から大患難時代に亘るイスラエルの民全体への励まし。

7節:商人は手に欺きの秤を持ち、虐げることを好む。

「商人」・・へブル語では「ケナアン」、つまり「カナン人」と同じ言葉。
彼らは、人を欺き利益を得ることを優先する商人。まさにこの世的な人々。
カナン人と同化するということは、商売(ビジネス)優先の考え方になり、偶像がもてはやされることになる。


8節:エフライムは言った。「確かに私は富んでいる。私には力がある。私のすべての勤労の実があれば、私のうちに、罪となる不義は見つからない。」

北イスラエルはこうしたカナン人のビジネス優先主義に感化されていた。
「富があるから力があり、勤労によって富があれば、罪、不義は見つかることはない!」
新共同訳:「この財産がすべての罪と悪とで積み上げられたとはだれも気づくまい。」


9節:「しかしわたしは、エジプトの地にいたときから、あなたの神、である。例祭の日のように、再びあなたを天幕に住まわせる。

出エジプトの奇蹟を実施した神。
「例祭の日」とは「仮庵の祭り」のこと。これは荒野の生活を思い起こし、神とのかかわりを喜ぶもの。
アッシリアに捕囚され、土地を失い、財産を失い、まさに天幕での生活(流浪の民)となるという裁きを示している。


10節:わたしは預言者たちに語ってきた。わたしが多くの幻を示し、預言者たちによってたとえを示したのだ。」

もう取り返しはつかない。すでに正しい預言者を通して語り、伝えてきたことだ。
気付きを散々与えたのに、あなたはすべて無視してきたではないか。

決して見限っているのではない。覚悟を迫る勢いである。

11節:ギルアデは不法そのもの。いや、彼らはむなしいものとなった。ギルガルで雄牛が献げられたが、その祭壇も、畑の畝の石くれの山になる。

ギルアデ・・6章に登場。偶像礼拝の地。ヤコブと関連ある地域。

創31:25~55:ラバン&偶像環境からの決別を神がなさった場所。
ギルガル・・4章、9章に登場。偶像礼拝の中心地のひとつ。
不法を通り越して、むなしい、価値の無いものであり、その地の偶像の祭壇も、単なる石の山、無価値なものである。

12節:ヤコブはアラムの地に逃げて行き、イスラエルは妻を迎えるために働いた。妻を迎えるために羊の番をした。

ヤコブがエサウから逃げた時、また妻を迎えるため働き、羊の番をした時も、どんな時も神が彼と共にいて、彼を導き祝福した。彼も神に信頼した。


13節:は一人の預言者によって、イスラエルをエジプトから連れ上り、一人の預言者によって、これを守られた。

エジプトで奴隷となっていた時も、百数十万人というイスラエルの民を、モーセを用いてエジプトから導き出し、モーセを通して守られた。

百数十万人の奴隷であった人民を解放し、一国の民として、何もない荒野で敵から守り、育成させることは、人間業では無理な御業ではないか!この預言は、北イスラエルだけではなく、南ユダをも含めた内容であることは明白!

14節:エフライムは主の激しい怒りを引き起こした。彼の主は、その血の責任を彼の上に下し、彼のそしりに報いを返される。

そんなよき関係を築いていたにもかかわらず、北イスラエルは神の期待にはずれ、偶像礼拝(人身御供)へと罪に走った。主はその罪の責任を裁きの形で、北イスラエルに負わせる。神を侮る者は、相応の裁きを報いとして受けることを心に記さねばならない。
12章2節にあった南ユダへの言い分とは、まさにこの警告である。神の目には南ユダの行く末も、明確に見えているのである。もちろん、恵みの時代も、そして大患難時代も。

2022年05月13日

ホセア13章1節~16節

1節:「エフライムは震えながら語ったとき、イスラエルの中であがめられた。しかし、バアルのことで咎ある者となって死んだ。

エフライムが語った時、そこ(周囲)には震え(恐れ)があった。エフライムがイスラエルの中であがめられていたからである。しかし、エフライムはバアルを選び(偶像礼拝をし)、神と決別した。それは死を意味する。

 

2節:今、彼らは罪を重ね、自分のために銀で鋳物の像を造り、自分の考えで偶像を造った。これはみな、職人のわざ。彼らはこれについて言う。『人を献げる者たちは、子牛に口づけせよ』と。

職人(所詮人間)が偶像を造り、それをあがめた。その偶像である子牛に人のいのちを捧げるような愚かな行為をしていた。(人身御供)

 

3節:それゆえ、彼らは朝もやのように、朝早く消え去る露のようになる。打ち場から吹き散らされる籾殻のように、また、穴から出る煙のようになる。

神の裁きに会うとは、朝もや、朝露、風の前の籾殻、煙突から出る煙の如く消えてしまうということである


4節:しかしわたしは、エジプトの地にいたときから、あなたの神、である。あなたはわたしのほかに神を知らない。わたしのほかに救う者はいない。

あなたたちの神は出エジプトの奇蹟を行った神、である。わたしのほかに神があってはならない!と申し伝えた神である。わたしがあなたがたを救うのだ!


5節:このわたしは荒野で、干ばつの地であなたを知っていた。

これまであなたがたをどんな時も(荒野、干ばつ)助けてきた。荒野40年の生活を皮切りに、この時に至るまで神は北イスラエルを助け導いた!

6節:しかし牧草で満腹したとき、彼らは満ち足り、心は高ぶり、そうしてわたしを忘れた。

その助け、勝利が神によるものと知らず偶像によるものとし、神を忘れてしまう北イスラエル。

7節:わたしは彼らに対して獅子のようになり、豹のように道端で待ち伏せる。

8節:子を奪われた雌熊のように彼らに襲いかかり、彼らの胸をかき裂いて、その場で雌獅子のように食らう。野の獣は彼らを引き裂く。

主の裁きは、獅子、豹、そして子を奪われた雌熊のよう。神は野の獣のように獰猛に北イスラエルを襲い殺す。

 

どうして、この三つが挙げられているのか。→ここに未来の予表が隠されている(暗示)

 

9節:イスラエルよ、あなたは滅ぼされる。あなたの助け手である、わたしに背いたからだ。

神はイスラエルの背きを、精一杯受容してきた。真の助け手、真の拠り所は神のみ!
そんな神を裏切り続けた結果は、滅び。それは最後の気付きの道(そして、いばらの道)


10節:では、あなたの王はどこにいるのか。すべての町のうちで、あなたを救う者は。あなたをさばく者たちはどこにいるのか。かつてあなたが『私に王と高官たちを与えよ』と言った者たちは。

かつて「王を、高官を与えよ」と言って駄々をこね、今や神の意に反し王や高官を選んだが、彼らにどれほどの力があるというのか?見よ、今、国は滅びようとしているではないか!


11節:わたしは、怒ってあなたに王を与え、また憤ってこれを奪い取る。

神の意に反した王の就任を怒りで見ていた神は、忍耐したうえで王、高官を滅ぼす!


12節:エフライムの不義は束ねられ、その罪は蓄えられている。

エフライムのこれまでの行動はすべて罪となって、今、エフライムの前に積みあげられている。


13節:子を産む女の激しい痛みが彼のところに来るが、彼は知恵のない子で、時が来ても、母の胎から出て来ない。

様々な神の導き(試練)を通して気付きを与えてきたが、残念なことに、エフライムは知恵の無い子であった。気付く知恵がなく、神の民であることを拒み続けていた。
母の胎から出てこない、まるで、悪魔の腹の中(陰府)にいて、出てこないでいる愚かな子を指しているよう。
神はこれを本当に哀れに思われている!


14節:わたしはよみの力から彼らを贖い出し、死から彼らを贖う。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。よみよ、おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている。

おまえのとげはどこにあるのか、おまえの針は、どこにあるのか?➡罪が無くなる時が来る。➡この個所は勝利宣言である。

こんな愚かな民だが、神は未来に彼らを陰府・死から贖いだす計画を持たれている
その時、死に向かい、陰府に向かう罪は、どこにもなくなる。まさしく罪に対する勝利!
しかし、今はわたし(神)の目から、彼らに対するあわれみは隠されている

 

15節:彼は兄弟たちの中で栄えている。だが、東風が吹いて来て、の息が荒野から立ち上り、水源は涸れ、泉は干上がる。それはすべての尊い器がある宝物倉を略奪する。

16節:サマリアは咎ある者となる。自分の神に逆らったからだ。彼らは剣に倒れ、幼子たちは八つ裂きにされ、妊婦たちは切り裂かれる。」

エフライムは兄弟部族の中でもよく栄えたが、東風(熱風)つまりアッシリアが一気に襲ってくる。これは神の怒りの裁きである。
まるで水源を枯らす東風の如く、アッシリアはエフライム、北イスラエルの宝物、財産、そして国民を奪う。特にサマリアは酷い目に遭う。それは神を無視し続けたからだ。
サマリアの人々は攻め入られ、幼子・妊婦すべて八つ裂きにされてしまう。

2022年05月13日

ホセア14章1節~9節

1節:イスラエルよ。あなたの神、に立ち返れ。あなたは自分の不義につまずいたのだ。

北イスラエル、そしてイスラエルの民全体へのメッセージ。
「神、主に立ち返れ」・・原語では、「主のもとに、主の御傍に」という深みがある。
新共同訳:「主のもとへ。」と訳されている。
裁きは免れない。神との関係を破壊してしまったのだから。それは悪魔に惑わされたということ。今、原点に返れ、戻れ!と諭す。


2節:あなたがたはことばを用意し、に立ち返れ。主に言え。「すべての不義を赦し、良きものを受け入れてください。私たちは唇の果実をささげます。

3節:アッシリアは私たちを救えません。私たちはもう馬に乗らず、自分たちの手で造った物に『私たちの神』と言いません。みなしごがあわれまれるのは、あなたによってです。」

主に立ち返る時に語る言葉は何か?神にささげる霊的思いは何か?

悔い改めのことばと完全なる信頼。
賛美、神をたたえる心からのいけにえ・・・つまり動物の犠牲はないということ。
アッシリアや、そのような大国、経済、軍事力との決別。偶像礼拝との決別。
「あなただけが私たちの唯一の真の神!」「このようなみなしごをどうぞ救ってください!主よ!」こうした言葉が心の底から神に向けて発せられる時!イエス様が地上に再臨される時である!

4節:「わたしは彼らの背信を癒やし、喜びをもって彼らを愛する。わたしの怒りが彼らから離れ去ったからだ。

神は民の背信を赦し、その怒りは消え去る。イスラエルの心が神に立ち返ったから。
それは、メシア的王国の実現を意味する。


5節:わたしはイスラエルにとって露のようになる。彼はゆりのように花咲き、レバノン杉のように根を張る。

大患難時代に大荒廃した地は、東風の被害を上回る前代未聞の大惨事。そんな地を神は回復される。焼けた地に露が落ち、地が豊かになり、神の子たちは豊かに地上に根を張って活力を得て生きる。メシア的王国にスライド入国したイスラエル人は、力強きレバノン杉のように活気に満ちる。


6節:その若枝は伸び、その輝きはオリーブの木のように、その香りはレバノン杉のようになる。

7節:その陰に住むものたちは、穀物のように生き返り、ぶどうの木のように芽をふく。その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。

メシア的王国にスライド入国したイスラエルの民の子孫も増え、産業も回復し、神の民として存在感を示す。
「その陰に・・・」の箇所は、離散していた人々もその地において彼らと共に活動し、たたえられる者となるということ。良い実が良いぶどう酒を生むように、名声が轟く様。


8節:エフライムよ。わたしと偶像との間に、どういう関わりがあるか。わたしが応え、わたしが世話をする。わたしは緑のもみの木のようだ。わたしから、あなたは実を得るのだ。」

エフライム(イスラエル)の民と神との間に偶像のかかわりは一切ない。神の統治による新しい世界が生まれる。神が人々を導く世界。


9節:知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟れ。悟りのある者はだれか。その人はそれらのことをよく知れ。の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、背く者はこれにつまずく。

知恵ある者・・神を一心に愛し、恐れる者、知ろうとする者!
悟りのある者・・神の教え(みことば)に従う者!
アッシリヤ捕囚以後、様々な困難、迫害がイスラエルの民を襲う。どうか、神のみことば、神の道を見出し、知恵と悟りを得る者となってほしい!その道が実は平らな道であることに気付いてほしい。

2022年05月26日

ヨナ書の時代背景

ヨナ書の出来事の時期

一般的には、エリシャ~アモスまでのどこか・・BC896~BC753頃としている。
中川先生は、ヤロブアム2世の時(BC793~BC753)としている。
 ⁂アモス書、ホセア書と同時期であり、ヨナは彼らの預言を知っていたと見ている。
根拠として、Ⅱ列14:23~27を挙げている。
Ⅱ列14:25:「彼は、レボ・ハマテから、アラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、主が、そのしもべ、ガテ・ヘフェル出身の預言者、アミタイの子ヨナを通して語られたことばのとおりであった。」

ヤロブアム2世以前に語られたことばか?その時代に語られたことばか?の疑問は残る。

そこで、アッシリア帝国の勢力拡大の推移を見てみる!

 

《この時代のアッシリア帝国の勢力拡大動向について》
アダド・ニラーリ3世の時代(BC810~BC783)・・彼の治世の前半は若年と言うこともあり勢力拡大は不可。自国統一で精一杯!しかし、治世の後半は近隣諸国を侵略し、アラムのダマスコを押さえた。
彼の後継王、シャルマヌエセル4世、アシュール・ダーン3世、アシュール・ニラーリ5世(BC783~BC745)は、アルメニアのウラルトゥ王国に対する防御と、自国統一に専心し、勢力拡大は後回しになっていた。

こうした事情に加えて、ヤロブアム2世が用いられ、北イスラエルは、神の祝福により、全盛期を迎えることとなる。  

2022年06月09日

ヨナ1章1節~3節

1節:アミタイの子ヨナに、次のようなのことばがあった。

ヨナ・・ガリラヤ地方中央部ゼブルン地域のガテ・ヘフェル出身。ゼブルン族。北イスラエルの預言者。
「ヨナ」は「鳩」と言う意味。
ヨナの父は「アミタイ」。それは「真理」と言う意味である。
ヨナの名は、Ⅱ列王記14:25に登場する。


2節:「立ってあの大きな都ニネべに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」

ニネべ・・アッシリアの首都。もともとはニムロデが築いた町。ニムロデは神への反逆者であり、帝国主義のはじめである。水が豊富で堅固な難攻不落の都市
ヨナの時代は、近隣諸国を吸収し巨大な都市になっていた。

3章3節から、ニネべは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな都であった。
4章11節から、人口は12万人以上と分かる。

ヨナに預けられた神のみことばは、イスラエル向けではなく異邦人向けであった。
その大国に行って、わたしのことばを叫べ!彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。
アッシリアは残虐的行為で他国を従わせていた。

イスラエルも少なからず影響受けていたか?
ヨナはこれを聞いてどう思ったか?

3節:しかし、ヨナは立って、の御顔を避けてタルシシュへ逃れようとした。彼はヤッファに下り、タルシシュ行きの船を見つけると、船賃を払ってそれに乗り込み、の御顔を避けて、人々と一緒にタルシシュへ行こうとした。

タルシシュ:当時の最西端の町。スペインの港町。(船賃はかなり高額と考えられる)
ヤッファ(ヨッパ):港町。ヤッファとニネベの距離は約900㎞。(広島ー新横浜間の距離)この距離を歩くのは大変な仕事である。

主の御顔を避ける・・神の約束の地(神の影響)から離れるという意味。

しかし、神は遍在される神。どこに行っても無駄と、ヨナは知っていたはず。
彼が、神殿、または神殿のある地から離れることは、神との交わりを遮断すること。祈らない、対話しない、と言う姿勢。覚悟をして背を向けているヨナ。
彼はタルシシュに向かう。当時の最西端の町。ニネベとは真反対方向。
当時の北イスラエルは、神の期待に応じない態度。預言者であるヨナは、北イスラエルの回復を何よりも求め、優先されるべきと考えていたのではないか。
万が一にも異邦人が悔い改めたりしたら、せっかくの選民イスラエルはどうなる?

2022年06月09日

ヨナ1章4節~17節

4節:ところが、が大風を海に吹きつけられたので、激しい暴風が海に起こった。それで船は難破しそうになった。

5節:水夫たちは恐れて、それぞれ自分の神に向かって叫んだ。そして、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。一方、ヨナは船底に下りていて、横になってぐっすり寝入っていた。

出港して、2~3日(難破して港に帰って来られる日数)の時が過ぎたと思われる。

すると予想外の難破しそうな激しい嵐が起こった。
予想もしなかった嵐・・・長年の経験・知識から外れた嵐。事実、後に凪になる。
それ故、水夫たちはこの嵐に違和感を感じていた。だから、自分たちの神に祈り、最善策を取った。
積み荷を捨てて船を軽くし、浸水を防いだ。水夫としての最善を尽くしている。
この激しい嵐はただ事ではない!「神の祟りだ!神の怒りだ!」と口にしていたのではないだろうか。
片っ端から積み荷を捨てようとしていると、船底で眠るヨナがいるではないか!

船長!!こんな時に眠ってる奴がいますーっ!と叫んだかも

6節:すると船長が近づいて来て、彼に言った。「いったいどうしたのか。眠りこけているとは、起きて、あなたの神に願いなさい。もしかすると、その神が私たちに心を留め、私たちは滅びないですむかもしれない。」

『皆、一所懸命働いたり、財産を捨てたり、祈ったりしてるのに、何を寝てるんだ!せめて捨てる物がないなら、お前さんの神様に祈るなり、何かやれよ! 一所懸命祈ったら、あんたの神様が助けてくれるかもしれないじゃないか!』


7節:人々は互いに言った。「さあ、だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、くじによって知ろう。」彼らがくじを引くと、そのくじはヨナに当たった。

嵐は収まるところを知らず、むしろ激しくなっている!一体、何が原因なんだろう?
誰かがそれを知っているのではないか?と考える者が出てきた。

そうだ!くじ引きしてその原因を知っている者を特定しよう。(誰かがアドバイスしたのだろう。船長かもしれない。)

そして、くじはヨナに当たった。明らかに神の働きである。ヨナは、神との関わりを断っているつもりでも、神はそれを上回って、ヨナを導いておられる。

8節:そこで彼らはヨナに言った。「話してくれ。だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか。あなたの仕事は何か。どこから来たのか。国はどこか。どの民の者か。」

9節:ヨナは彼らに言った。「私はへブル人です。私は、海と陸を造られた天の神、を恐れる者です。」

10節:人々は非常に恐れて、彼に「何ということをしたのか」と言った。人々は、ヨナが彼らに告げたことによって、彼がの御顔を避けて逃れようとしていることを知ったからである。

ここで初めて、ヨナの身分が語られる。
へブル人であり、天地を創造された神を恐れる預言者であること。ガテ・ヘフェルから来たのだが、その理由は、神のみことばを告げるように言われたが従えず、その任務を放棄して、西の果てまで行こうと考えている。

自分の神に畏敬の念を持っていた船長や他の人々は、へブルの神についても知識はあったと思われる。その預言者と言うことが更に、驚きとなり・・・何ということをしたのか!
職業人としての責任感を持ち、偶像ではあっても神を畏れる船長やその他の人々らしい言葉である。

11節:彼らはヨナに言った。「私たちのために海が静まるようにするには、あなたをどうすればよいのか。」海がますます荒れてきたからである。

預言者と聞いて、彼に助かる道を求めた。祈っていない者がヨナであり、彼の立場から、ヨナの神とヨナとの問題が原因であると気づき始めた。
ヨナが告白した後、更に暴風がひどくなっている。更に確信する

12節:ヨナは彼らに言った。「私を抱え上げて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。私は分かっています。この激しい暴風は、私のせいであなたがたを襲ったのです。」

自分を海に投げ込みなさい。ヨナは、自分のせいで船が暴風に襲われていると確信している。
これは、この船の人たちに与えられた異邦人への預言である。


13節:それでも人々は船を陸に戻そうと漕いだが、そうすることはできなかった。海がますます彼らに向かって荒れてきたからである。

船長をはじめ人々は陸に戻ろうと懸命になるが、暴風は更に激しくなる一方。
何とか、全員無事に生還させようと最善を尽くす船長、船員・・ここがポイント!異邦人の誠意を感じる!
明らかに、ヨナの言う通りへブル人の神が怒っておられると感じる・・もう限界と判断!


14節:そこで彼らはに向かって叫んだ。「ああ、よ。どうか、この男のいのちのことで、私たちが滅びることのないようにしてください。咎なき者の血の報いを、私たちの上に下さないでください。よ。あなたは、望まれたとおりになさったのですから。」

異邦人であるこの人たちの、神に対する次の言葉に、神への敬虔深さを感じる。

「あなたの望み通りにいたしますから、どうか私たちを滅びさせないでください!!」

咎なき者・・ヨナは彼らに何も罪を犯していない。そのヨナを海に投げ込むことは主の望みなのだから自分たちに血の報いを下さないでほしいと頼む。

預言者、つまり神のことばに従う異邦人の姿がここにある!

15節:こうして、彼らはヨナを抱え上げ、海に投げ込んだ。すると激しい怒りがやんで、海は凪になった。

ヨナを海に投げ込んだと同時に、海は凪になった。神の怒りが止んだ。人々は、神の実在とヨナと言う預言者の真実を体感した。それは、驚くべき体験であった。


16節:人々は非常にを恐れ、にいけにえを献げて誓願を立てた。

(私見だが、15節から16節までには時間的隔たりがあると見る)
一切の物を捨てた船の航行は不可。なので、ヤッファに戻ったと思われる。
そこで、真っ先に捧げものをし、誓願を立てたのだと思われる。

 

どうして、神は船ごと沈没させて、ヨナを海の中に引きずり込まなかったのか?
船を沈没させれば、事は簡単である。しかし、そうはされなかった。
神の御心がそこにある・・・この船の異邦人にも、あわれみとご計画を持たれていた。

敬虔深い人々に、真の神を知るチャンスを与えられたのではないか!

それ故、嵐の中でむしろ沈没させずに、導いておられたのではないか!

この後、記載にはないが、彼らは帰還後もヨナの預言のサポート役になると考えられる。

神がなさることは、人間の考えを超越して、万全である。
私たちの神は、全幅の信頼を置けるお方であることを覚えよう!

17節:は大きな魚を備えて、ヨナを呑み込ませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。

主は、大きな魚を備えておられた。次から次と手を打っておられる神。すべてが万全。
自然(海、風、雨)も大魚も、すべてが神のことばに従う。人だけが、神に逆らう存在。

 

三日三晩と、その後の復活はイエス様の十字架と復活の予表

        ↓       ↓
ヨナは死んだか、生きていたか? 生きていたとしたら、イエス様の予表ではない

(マタイ12:39~41、ルカ11:29~30)

2022年06月11日

ヨナ2章1節~10節

1節:ヨナは魚の腹の中から、自分の神、に祈った。
この祈りは、2節~9節までの一連の出来事があった後の祈りである。
いったん死んだヨナが、主のあわれみによりたましいが肉体と合体し、復活して息を吹き返し、そして祈ったということ。

配置を考えれば、9節と10節の間にある方がわかりやすい。


2節:「苦しみの中から、私はに叫びました。すると主は、私に答えてくださいました。よみの腹から私が叫び求めると、あなたは私の声を聞いてくださいました。

「私が苦しみの中から主に叫ぶと、主は答えてくださった。」
どこで叫んだかと言うと、よみの腹の中・・・・つまり、シオールと言うところ。

1節で魚の腹の中と言っているが、ヨナのたましいは、シオールへと向かって落ちていったことを示す。つまり、ヨナは海に沈み、確実に肉体的に死んでいるということ。肉体は滅ぶが、霊は滅びないと言うこと!
そこまで落ちて、叫んだ時、主はヨナの声を聴いてくださったと言っている。

これは、ヨナにとって、神の御力を受けたとんでもない経験ゆえに、冒頭にこの文章が書かれたのではないか!「経緯はこうです。」と言って次節に続いて行く。

3節:あなたは私を深いところに、海の真中に投げ込まれました。潮の流れが私を囲み、あなたの波、あなたの大波がみな、私の上を越えて行きました。

「あなたは私を・・・」。実際には船員が海にヨナを放り投げたが、ヨナは神のなさったことと認識。これは、明確に、神は自分だけを対象にしていると認識している。
放り込まれたのは海の真中。そして潮の流れ、大波が逆巻き、自分の上を越えて行く状態で、息もできず、海中に沈むのに時間はいらない。
「ああ、もう駄目だ!ここで死ぬんだ!」と、ヨナは確信した。

ヨナは覚悟していたにも拘らず、その時、自分の無力さを知り、神の偉大さを知る。

自然をも支配される神の怒りに触れ、私は心の底からこの神を恐れている!

4節:私は言いました。『私は御目の前から追われました。ただ、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです。』

こうして、死を目の前にして、彼は思った。自分は裁かれる者となってしまった。偉大なる神から逃れることはできないうえに、こうして裁かれることになってしまう。
ヨナは叫んだ。「ただ、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです。私は心から神を愛しています~!主よ!」→ 栄光をたたえたい!
                                                 

5節:水は私を取り巻き、喉にまで至り、大いなる水が私を囲み、海草は頭に絡みつきました。

6節:私は山々の根元まで下り、地のかんぬきは、私のうしろで永遠に下ろされました。

しかし、私の神、よ。あなたは私のいのちを滅びの穴から引き上げてくださいました。

潮がのどに達する。息ができない!海に沈み、海藻が頭に絡む状態。
山々の根元・・海底に到達。
地のかんぬき(シオール)は、私のうしろで永遠に下ろされました。・・・肉体が死に、たましいが永遠の死へ。たましいはシオールに行き、肉体は死んで、魚の腹の中。
しかし、私の神、主は私を引き上げてくださった! → 4節の祈りが神に届いた!?
滅びの穴からヨナが復活した!!神の奇蹟が起きた。

7節:私のたましいが私のうちで衰え果てたとき、私はを思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。

この状態は、肉体とたましいが一つとなって回復した状態である。(魚の腹の中で意識が戻った)
私のたましいがよみに行ったとき、私は主を思い出し祈ると、その祈りは聖なる宮、すなわち神の御前に届き、私は神の恵みによりこの地に戻ることができた。

 

8節:空しい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨て去ります。

偶像を拝む者に、この恵みは与えられない。異邦人はこの恵みを捨て去るが・・・、

このことばに秘められた、ヨナの気持ちはどういう感覚だろうか?
死を前にして、ヨナの、神の民としての思いは素晴らしい信仰心であるが、一方、異邦人に対しては、軽視するような思いが根底にあるように見える

9節:しかし私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえを献げ、私の誓いを果たします。救いはのものです。」

異邦人は求めないが、私はこの恵みを求めます!
感謝して、いけにえを捧げて、誓いを果たします。(誓願)
救いは主のもの。神、あなた以外に本物の神はない!

ヨナは、あの船員たちの深い仕事に対する姿勢や隣人愛に気付いていただろうか。
実は、船員たちも上陸後、へブルの神にいけにえを捧げ、誓願を立てていた。
予想外の命がけの経験から、船員たちはへブルの神を信じる者となった。

10節:は魚に命じて、ヨナを陸地に吐き出させた。

主は魚に命じて、吐き出させた。この時、港町は大騒ぎとなった!!
魚の口から人が出てきたという目撃情報、または証言があっただろう。
この人は、3日前に難破しそうになった船に乗船していたへブル人の預言者。この預言者の言うとおりにしたら、嵐が静まり、皆が救われたと、船長、船員たちが証言している。
彼らはヨナが死んだと思っていた。しかし、・・神はこの預言者を生かし、どうしても用いようとされているようだ。話を聞くと、一度死んだが、神により復活したと言う。すごい預言者だ!そして、彼が託された預言は・・「ニネべの崩壊の日が近づいていることをニネベに告げよ!」

2022年07月07日

ヨナ3章1節~10節

1節:再びヨナに次のようなのことばがあった。

2節:「立ってあの大きな都ニネべに行き、わたしがあなたに伝える宣言をせよ。」

3節:ヨナは、のことばのとおりに、立ってニネべに行った。ニネべは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな都であった。

「立ってニネべに行き」・・・・いよいよ900㎞の長旅の始まり。
「宣言をせよ。」・・・・伝道や宣教などではない。ただ神のことばを宣言する。
900㎞の旅の後、辿り着いた町は行き巡るのに3日かかる大きな都市。

4節:ヨナはその都に入って、まず一日分の道のりを歩き回って叫んだ。「あと四十日すると、ニネべは滅びる。」

いよいよ、宣言の開始。決して、悔い改めてもらっては困るという思いがヨナにあった。従って、ただ神の指示通り、40日後の滅びを宣言して回った。
神はそのこともご存知であった。ヨナの思惑とは異なる展開が待っている。奇蹟がヨナの目前で起こる。

神の備えについて考える
・奇蹟的に生還したヨナ 
・その証人たちも存在した
・その奇跡は、まさに神の実在を示すもので、特に船長、船員は確信する。

・また、ヨナの預言者としての力量も実感していた。ヨナの預言の信頼性は確実!
・ヨナの宣言だけでも、その信憑性は十分であった。ヤッファにいた船員や人々の証言があったからである。

5節:すると、ニネべの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで粗布をまとった。

神の備えがあり、神の宣言はニネべの人々に伝わり、ヨナが伝道までせずとも神を信じ、互いに呼びかけ、身分に関係なく断食を行い、悔い改めている。(激変!)
正しい方法はわからないが、とにかく速やかに悔い改めようとする思いは、神を恐れ、神を信じている者の行動である。

話が町中に流布した原因は、例の船に乗船していた人たちの中に商人、またはその部下や知人がいたのではないかと想像する。
いつの時代も、有力な商人は、権力者と親密に繋がっているものだ!

6節:このことがニネべの王の耳に入ると、彼は王座から立ち上がって、王服を脱ぎ捨てて粗布をまとい、灰の上に座った。

噂は王の耳にまで伝わり、王が速やかに悔い改めている。
あの暴風の船上での出来事は、人々にインパクトを与える事実だったということ。


7節:そして、王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネべに出された。「人も家畜も、牛も羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。

8節:人も家畜も、粗布を身にまとい、ひたすら神に願い、それぞれ悪の道と、その横暴な行いから立ち返れ。

神を信じる思いは、ニネベの人々を徹底的にへりくだらせた。布告が出た。これは相当の覚悟である。具体的な対処方法は不明、とにかく情報を集めたと思われる。
人どころか家畜まで何も食べず、食べさせず、ひたすら神に願え!

ポイントは、「悪の道と、横暴な行いから立ち返れ」という点
アッシリヤの残忍、暴虐性は周知のこと。それがアッシリヤ帝国の基盤。
トップ自らがその残虐、暴虐性を認めていたということに注目。

9節:もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りを収められ、私たちは滅びないですむかもしれない。」

「もしかすると・・」と言う思いが、家畜にまで粗布をまとわせるという行為に現れる。

心の底から、救いを願った結果である

10節:神は彼らの行いを、すなわち、彼らが悪の道から立ち返ったのをご覧になった。そして神は彼らに下すと言ったわざわいを思い直し、それを行われなかった。

神は北イスラエルに対する最後の気付きである領地拡大の祝福を与える。しかし、そこに事前準備があった。ヨナの存在と活動は北イスラエルでも注目される内容。
ヨナを用いて、北イスラエルに最後の気付きを促したいというお考えがあったのではないか。

単に、ヤロブアム2世の時代に繁栄と言う祝福をもたらすためだけではなく、神の御心に気付いてほしいというご計画があったのではないか。

2022年07月07日

ヨナ4章1節~11節

1節:ところが、このことはヨナを非常に不愉快にした。ヨナは怒って、

2節:に祈った。「ああ、よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへ逃れようとしたのです。あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていたからです。

ヨナは驚くべきニネべの悔い改めを目撃したにもかかわらず、激昂した!それは主に対する怒りであった。なぜ異邦人を救うのか!神は気付きを与えるため、忍耐される

ヨナは、初めに神に反抗した時、神に告げていた。「あなたは情け深くあわれみ深い神、怒るに遅く、わざわいを思い直される方だと知っていたからです。」

現に、北イスラエルが滅びないのは、思い直される神だから!
万が一にも、異邦人が悔い改めたら救われてしまう!

実はそうではない!両者とも滅びの日は近づいている!
ヨナの考えが交錯している➡異邦人は信じるはずがない、信じたとしても神は裁くべきだ
   神の御心を自分の目線に引き下げていることの愚かさ!

3節:ですから、よ、どうか今、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましです。

もう死んだほうがましだ!私は失望しました。私の命を取ってください!
一度、いのちを救われたにも拘らず、それでも死んだほうがましと言うヨナ。これは怒りを示す、無礼な発言。しかし、あわれみ深い神は、ヨナに語り掛ける


4節:は言われた。「あなたは当然であるかのように怒るのか。」

当然であるかのように怒るのか?・・・つまり自分の考えが正しいというのか?

ヨナの思い⇒神は異邦人を裁き、滅ぼすべきである。イスラエルより先に救うということはあり得ないこと!北イスラエルは神の民。救われるべき民。異邦人の救いはイスラエル人の後であるべき!
強力な(不健全な)選民意識がヨナの中に根付いている。
神は、このヨナの強力な(不健全な)選民意識に注目されている。

5節:ヨナは都から出て、都の東の方に座った。そしてそこに自分で仮小屋を作り、都の中で何が起こるかを見極めようと、その陰のところに座った。

ヨナはニネべの東の方に仮小屋を建て、ニネベを観察した。彼らの救いはあるはずがない。必ず神の裁きが下されるところを見極めてやろうとしていた。
このヨナの選民意識がもたらす弊害は、妬みである。彼が激昂した原因は、神が優先順位を変えて、異邦人を救われたことに妬みを覚えたからである。申32:21
この強力(不健全)な選民意識から来るわざわいを、未来の問題点として示されたところに、ヨナ書の意義がある!

6節:神であるは一本の唐胡麻を備えて、ヨナの上をおおうように生えさせ、それを彼の頭の上の陰にして、ヨナの不機嫌を直そうとされた。ヨナはこの唐胡麻を非常に喜んだ。

唐胡麻・・・工業製品の油、ひまし油の原料。
熱帯アフリカの東部が原産。塗料や燃料、香料などに利用され、 耐寒性がないため、熱帯では多年草ですが温帯では一年草となります。 葉は大きくて、掌状に5~11に深裂し、鋸歯状です。
まるでヨナの機嫌取りであるかのように、神は奇蹟を行い、唐胡麻を生えさせて、彼に日陰を与えられた。ヨナはこの唐胡麻の奇蹟を喜んだ。つまり、神が私をあわれんでくださっているから、神は思い直されると思っている。

7節:しかし翌日の夜明けに、神は一匹の虫を備えられた。虫がその唐胡麻をかんだので、唐胡麻は枯れた。

翌日の夜明けには、神が一匹の虫を備えられた。あっと言う間に唐胡麻を枯らす虫。これも神の御業である。この事によって、神は気付きを促しておられるのだが・・


8節:太陽が昇ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は弱り果て、自分の死を願って言った。「私は生きているより死んだほうがましだ。」

覆いの無い状態に加え、東風(熱風)が神によって吹き付けられた。熱中症相当のダメージ
なぜ、唐胡麻を枯らすのか?そのまま日除けにしてくれればよいのに!と思うヨナ。
ヨナは弱りはて、神に、怒りを込めて、死を願った。「死んだほうがましだ!」


9節:すると神はヨナに言われた。「この唐胡麻のために、あなたは当然であるかのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」

ヨナは、神の唐胡麻がヨナを守り、神の異邦人滅亡の裁きを期待し見物していた。
異邦人ではなく、北イスラエルが先に救われなければ、という思いがあった。

本来の「神の民の使命」とは?⇒神の民として、全人類に対するお手本となること!
神の栄光を実現する働き手となり、その栄光をたたえる! はずなのに・・

ヨナは言う。「死ぬほど怒るのは当然です。」・・自分は正しい!と言い張るヨナ

10節:は言われた。「あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。

11節:ましてわたしは、この大きな都ニネべを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」

自分は何の労も払わず、一夜で生い茂った唐胡麻が枯れた。普段は気にもしない唐胡麻が、今は日除けとなり、とても喜んだ。しかしそれが無くなり、それを惜しんでいる。
あなたにとって異邦人は何の役にも立たず、むしろ害に思えるかもしれないが、わたしの目から見れば、その中にも惜しまれる人々がいるのだ。
何が神で、正義と公正が何かを分からない、また、未来のこともわからない12万人以上の人たちや、家畜がいるのだ!

神は、決して異邦人を無関心に裁かれてはいない。あわれんでおられることは明確。
だからこそ、イスラエルの民が正しく神の民として立ち上がってほしいと願っている。
こうした神の思いに応答することも、神の子のあるべき姿であることを覚えよう!

 

神が、ヨナに御言葉をかけて、この書は終わっている。
多分、ヨナは死ななかったと思う。そして、神は、ヨナの言う思い直しはされなかった。
この最後の一言に、ヨナはどういう反応をしただろうか?ここに答えはない。


これまでのヨナとこれからのイスラエル

2022年07月07日

オバデヤ1節~7節

オバデヤの名前の意味は、のしもべ。
活動場所は、エルサレムを中心とした南ユダ王国である。

執筆時期について
オバデヤ書と他の預言書との関係➡エレミヤ書、ヨエル書で、数か所用いられている
  エレ49:7、 49:9~10、 49:14~16、ヨエル1:15、2:32

歴史的事件との関係(オバデヤ10~14)

Ⅱ歴21:16~17・・ペリシテ人とアラビヤ人によるエルサレム侵略(BC845年)
Ⅱ列24:1~・・ネブカデネザル王の侵略(BC605年~BC586年)
どちらを指しているか?と言うことになるが、

中川先生はBC845年頃としておられる。
BC845年なら、小預言書のトップバッター。他の預言書に影響を与える存在。
BC600年頃なら、バビロン捕囚前の小預言書の殿(しんがり)。
⁂二つの考え方があるとして、学んで行きましょう。

エドムについて
エドム・・・ヤコブの双子の兄であるエサウの子孫。二人の父はイサク。
エサウは死海東南のセイルの地に移り住み、子孫がエドム人となる。
「赤い」(アードーム)体毛からこの名がついたとされる。
新約に出てくるイドマヤ人は、おもにエドム人の子孫である。(マコ3:8~)
ヤコブとの血縁は、モアブ人、アンモン人より濃く、また、確執も相当に根深い。

エドムの系図

 

 

1節:オバデヤの幻。である主は、エドムについてこう言われる。――私たちはから知らせを聞いた。使節が国々の間に送られてこう言った、と。「さあ、立ち上がれ。エドムと戦おう」――

「幻」・・・・神の声を聞き、ヴィジョンを見せられた。

明確に語ることができるヴィジョン。私たちが思う幻とは違う!
神が国々に使節(御使いか預言者か)を送られたということを聞いた。
内容は「さあ、立ち上がれ。エドムと戦おう」。国々をそういう行動に向かわせる思い。

エドムに対する復讐のための裁きが下される・・・約束
民20:14~21
40年の放浪を終え、約束の地カナンに入る際、エドムの地を通る許可を真摯に
求めるが、エドムは徹底的に拒否し、軍隊まで出す。結果、迂回することとなる
兄弟の血筋でありながら、エドムはイスラエルに最も敵対する存在となる

2節:「見よ。わたしはおまえを国々の中で小さい者、ひどく蔑まれる者とする。

エドムが裁かれる時、諸国の中で最も蔑まれる民となる。(15~16節で語られる)


3節:岩の裂け目に住み、高い所を住まいとする者よ。おまえの高慢は、おまえ自身を欺いている。おまえは心の中で言っている。『だれが私を地に引きずり降ろせるのか』と。

4節:鷲のように高く上っても、星々の間に巣を作っても、わたしは、おまえをそこから引きずり降ろす。――のことば。

エドムの地域は岩地の高所。住まいだけではなく、エドムの高慢な心の状態を表す。

自らをだます行為→サタンの思うつぼに嵌っている状態。
だれも私を引きずり落とせない。安住しているように見えるが、・・・
その驕りがどこまで行きつこうと、必ず神は、エドムを引きずり降ろす。
これはまるで、サタンへの宣言のように聞こえはしないか!
最終的に神は、背後に暗躍する悪も処理される。
それが私たちに約束された真の勝利!

5節:盗人がおまえのところに来るなら、しかも夜に、荒らす者が来るなら、――いかに、おまえは荒らされることか――彼らは欲しい分だけ盗んで行くではないか。ぶどうを収穫する者がおまえのところに来るなら、彼らは取り残しの実を残さないだろうか。

一切の目こぼしが無いほどに攻め入る者(軍隊)。
思いがけず、何のあわれみもなく、徹底的に打たれるエドムの姿が暗示されている。


6節:ああ、エサウは捜し出され、その秘宝は見つけ出される。

新共同訳:「いかに、エサウの富は探し出され 宝は奪い取られることか。」

権威や権力、財力などに安住しているように見えて、実は「一寸先は闇」の状態

7節:おまえと同盟を組む者たちがみな、おまえを国境まで送り返し、親しい友がおまえを欺いて征服する。おまえのパンを食べていた者が、おまえの足もとに罠を仕掛ける。こんなおまえに英知はない。

それまで築かれた同盟関係諸国は、助けることもなく、むしろ攻める者が出てくる。経済関係にあった諸国も、エドムを陥れる活動へと変わる。

もうエドムと組む国はなく、それはエドムが何の知恵もなく、信頼されなくなる状況の暗示

2022年07月23日

オバデヤ8節~14節

何故、エドムは諸国から信用されず、裁かれることになるのか?

エドムの足跡

歴代王 該当聖書箇所 内容
(荒野放浪最後の迂回事件) 民20:14~21 嫌がらせ
サウル王 Ⅰサム14:47 戦い
ダビデ王 Ⅱサム8:13~14 戦い
ソロモン王 Ⅰ列1:16~22 制圧
ヨラム王(北)+ヨシャパテ王(南) Ⅱ列3章 協力してモアブを攻めるが
ヨシャパテ王(南) Ⅱ歴20章 逆に、エドムの軍が滅ぼされる
ヨラム王(南) Ⅱ列8:20~22 エドム独立するⅡ歴21:16~17
アマツヤ王(南) Ⅱ列14:7~ 1万人を打ち、セラと言う町を倒す
アハズ王(南) Ⅱ歴28:16~19 エドムがユダを攻め、捕虜にする

王の年代表

  南ユダ王 BC 善か悪か   北イスラエル王 BC
1 レハブアム 931~913 X 1 ヤロブアム 931~910
2 アビヤム 913~911 X 2 ナダブ 910~909
3 アサ 911~870 3 バシャ 909~886
4 ヨシャパテ 872~848 4 エラ 886~885
5 ヨラム 853~841 X 5 ジムリ 885(7日間)
6 アハズヤ 841~841 X 6 オムリ 885~874
7 アタルヤ 841~835 X 7 アハブ 874~853
8 ヨアシュ 835~796 8 アハズヤ 853~852
9 アマツヤ 796~767 9 ヨラム 852~841
10 ウジヤ 792~740 10 エフー 841~814
11 ヨタム 750~732 11 エホアハズ 814~798
12 アハズ 743~716 X 12 ヨアシュ 798~782
13 ヒゼキヤ 729~687 〇〇 13 ヤロブアムⅡ 793~753
14 マナセ 697~643 X X X 14 ゼカリヤ 753~752
15 アモン 643~641 X 15 シャルム 752(1ヶ月)
16 ヨシヤ 641~609 〇〇〇 16 メナヘム 752~742
17 エホアハズ (在位3ヶ月)
X 17 ペカフヤ 742~740
18 エホヤキム 609~598 X 18 ペカ 740~732
19 エホヤキン (在位3ヶ月) X 19 ホセア 732~722
20 ゼデキヤ 597~586 X 20    
21 ゼルバベル        

エドムの歴史

詩編137篇・・・バビロン捕囚の中で歌う悲しみと決意の歌。
よ 思い出してください。エルサレムの日に『破壊せよ 破壊せよ。その基までも』 と言った エドムの子らを。」
バビロン捕囚前は、エドムは南ユダと同盟を結んでいた。ところが、・・
バビロンがエルサレムを攻撃すると、バビロンに加担し、裏切った。
更に捕囚された後のエルサレムに入り、自分の土地だと主張し喜んだ。
それを見たバビロンはエドムを罰するために攻めた。


その後、BC5世紀にアラブ系のナバテヤ人がエドムを攻め、ボツラから追い出し、   ボツラはナバテヤ人のものとなり、エドム人は西のイドマヤに移る。
更にこのイドマヤ人はユダヤ地方に移り住み、ユダヤ教に改宗させられた。
時が流れて、BC47年には、イドマヤ人アンティパテル2世はユダ、サマリヤ、ガリラヤの行政長官となり統治した。
彼の息子が、ユダヤの王に任じら、それがヘロデ大王である。彼はイエスを抹殺しようとした人物である。

ヘロデ大王は、エドムの末裔である!!


その後、66年にユダヤの反乱が勃発。イドマヤ人も戦うが、70年にイドマヤは民族として表舞台から姿を消す。(離散した者があったようだが・・)

エドムのイスラエルへのいじめは、神への反抗であり、犯行である。

エゼ35:5~15を通して、神の怒りを知ろう!

こうして旧約と共に存在を消すエドム

イスラエルは現在、国として存在しているが、エドムは存在していない

こうした情報を踏まえ、エドムの罪について学びます


8節:その日には、―のことば― わたしは、エドムから知恵ある者たちを、エサウの山から英知を消し去らないであろうか。

「その日には、」・・主の裁きの日。これは、「主の日」とは異なる表現で、エドムを裁く日に限定している。これは将来の患難時代の予表である。
英知・・それは神の知恵、神の民の兄弟としての絆による祝福は取り去られる。


9節:テマンよ、おまえの勇士たちは気をくじかれる。虐殺され、エサウの山から一人残らず断ち切られる。

10節:おまえの兄弟、ヤコブへの暴虐のために、恥がおまえをおおい、おまえは永遠に断たれる。

「テマン」・・・エドムの一つの町。テマンの町も防御にはならず、皆殺しにされる。
その原因は、神が恥ずべきと見る、兄弟として相応しくない行動のためであり、永遠に裁かれることになる。


11節:他国人がエルサレムの財宝を奪い去り、外国人がその門に押し入り、エルサレムをくじ引きにして取ったその日、おまえは素知らぬ顔で立っていた。おまえもまた、彼らのうちの一人のようであった。

敵(連合軍)がエルサレムを攻める時、見ぬふりをしていた。まるで、その一員であるかのようであった。(兄弟部族でありながら)

※くじ引き・・一国で攻めたのではないことがわかる


12節:おまえは兄弟の災難の日に、それを見ていてはならない。ユダの子らの滅びの日に、彼らのことで喜んではならない。その苦難の日に大口をたたいてはならない。

兄弟筋であるにもかかわらず、イスラエルの民の災難、そしてその滅びを喜び大口を叩とは、何たることか。


13節:おまえは彼らのわざわいの日に、わたしの民の門に入ってはならない。ほかでもないおまえが、彼の破局の日に、彼らの財宝に手を伸ばしてはならない。

エルサレムのわざわいの日にその門に入り、その破滅の日にそれを眺め、さらにその財宝を我がものとする。

 

14節:その逃れる者を断つために、別れ道に立ちふさがってはならない。その苦難の日に、彼らの生き残った者を引き渡してはならない。

逃れようとする者たちを助けるどころか、その逃避を邪魔し、それらを捕まえて捕虜として売り渡すようなことをする。

ペリシテ、アッシリヤ軍、またネブカデネザル王の侵略時に、このように動いたエドム。
むしろ、血族同士、小国同士なら助け合えばよいのだが・・・
血によって深いはずの絆が、他国にないほどの陰湿な態度となっている。




2022年07月28日

オバデヤ15節~21節

15節:なぜなら、の日がすべての国々に近づいているからだ。おまえは、自分がしたように、自分にもされる。おまえの報いは、おまえの頭上に返る。

オバデヤは実際のエドム民族の滅亡と共に、メシア的王国に至るまでのエドムの滅びを見せられている。近未来と遠未来が重なるヴィジョン。
人の目には、エドムの裁きは70年に終わっているように見えるが、神の目線では、終わっていない。エドムの地にかかわる裁きが継続している。

エドム、モアブ、アンモン人などの子孫は、今のアラブ人に吸収されたとされる。
エドムのようなイスラエルへの呪い(嫌がらせ)は神への呪い(反抗)である。
アブラハム契約の存在
あなたを祝福する者を祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう
エドム民族は歴史から姿を消したが、エドムの地、セイルの山は残り、そこに根付く民が存在する恵みの時代になり、ディスペンセーションは進展したが、あの陰険な行為をするエドムに対する、神の裁きは終わっていない
この個所は「主の日」であり、患難時代を指している。その時裁かれる諸国の中にエドムがいる。つまりエドムのように振る舞う諸国。(もしくはエドム人の血を引くリーダーの国の存在など)この時、自分たちが行った仕打ちが自分たちに降りかかる。(箴言26:27)神の報いが彼らに下される。

16節:おまえたちがわたしの聖なる山で飲んだように、すべての国々も絶えず飲み続け、飲んだり、すすったりする。彼らはまるで、いなかった者のようになる。

大患難時代には、エドムのような諸国がエルサレムで勝利の美酒を飲むが、それは実は神の怒りの盃である。神の怒りの盃を飲むことは、裁きと滅亡を意味する


17節:しかし、シオンの山には、逃れの者がいるようになる。そこは聖となり、ヤコブの家は自分の領地を所有するようになる。

大患難時代の最後に、イスラエルの逃れる者(残れる者・レムナント)がエルサレムに戻ってくる。

ヨエル2:31~32 主が再臨され、神による統治が始まる!ハレルヤ!!
この時、イスラエルの民の土地(領地)が明確にされる。つまり、約束の地が完全に与えられ、これはアブラハム契約(土地の契約)の成就を意味する。
栄光の身体による復活は語られてはいないけれども、新たな世界が始まることが預言されている。

18節:ヤコブの家は火となり、ヨセフの家は炎となる。エサウの家は刈り株となり、火と炎は刈り株に燃えつき、これを焼き尽くす。エサウの家には生き残る者がいなくなる。」がこう告げられたのである。

スラエルの復興は火の如く、そしてエドムはその火に焼き尽くされる。
イザ34:9~10・・「エドムの川はピッチに、その土は硫黄に変わる。その地は燃えるピッチになる。それは夜も昼も消えず、その煙はいつまでも立ち上る。そこは代代にわたって廃墟となり、もうそこを通る者はだれもいない。千年王国の間、ずっと燃え続け、くすぶり続ける状態]

勝者と敗者が明確に区別される。エサウを筆頭とするエドム人の如く、神に反抗し続ける者はすべて、患難時代、千年王国後に裁かれ滅ぼされる。(永遠の死へ)


19節:ネゲブの人々はエサウの山を、シェフェラの人々はペリシテ人の地を占領する。また彼らはエフライムの野とサマリヤの野を占領し、ベニヤミンはギルアデを占領する。

20節:イスラエルの人々に属する、この一群の捕囚の民はカナン人の地をツァレファテまで占領し、セファラデにいるエルサレムからの捕囚の民はネゲブの町々を占領する。

オバデヤは、実際に分けられる土地の状態(約束の地)を見せられている。つまり「メシア的王国の実現」を目の当たりにしている。

 

・ネゲブの人々―――→シメオン属 エサウの山(セイルの山地)を支配
・シェフェラ(低地)の人々―→ユダ属 ペリシテ人の地を支配

             ―→エフライムとサマリヤの平野を支配
・ベニヤミン族―――→ヨルダン川東部のギルアデを支配
・捕囚から戻る民―――→ツァレファテ(レバノンの町)を支配
・セファラデ(スペインの町)からの捕囚民―――→ネゲブ(南の町々)を支配
  約束の地がイスラエルに与えられる時が来る!

21節:救う者たちは、エサウの山をさばくため、シオンの山に上る。こうして、王国はのものとなる。

救う者たち・・・この預言では明確ではないが、イエス様を含む天の軍勢。
奥義のため、この時代イエス様は示されていないが、これはイエス様の再臨。
エサウ、つまりエドムの子孫や同類の悪魔に同調する者たちを裁き、エルサレムに神の王国が建ち、神、すなわちイエス様による統治世界が始まる。

2022年08月04日

ミカ1章1節

1節:モレシェテ人ミカにあったのことば。これは、ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、彼がサマリヤとエルサレムについて見た幻である。

預言者ミカについて:

「ミカイヤ」の短縮形で、「誰が【主】のようであろうか」と言う意味。
活動時期はユダの王「ヨタム」、「アハズ」、「ヒゼキヤ」の時代に跨って活動する預言者。
同時期に活動した他の預言者は、ホセア、イザヤ。中川先生によれば、イザヤとは親交があったとのこと。ホセアとも繋がりはあったと想像する。
出身地は、エルサレムから南西30キロの「モレシェテ」(所有の意)出身。
地名などの意味を用いて語る、言葉遊びのような、表現力(文才)がある。

 

時代背景

ヨタム王の時代 Ⅱ歴27:1~9

ヨタムは「主は完全」の意。
ウジヤ王の勢いに乗り、ウジヤ王の敬虔さに従い、ウジヤ王の如く善王と されるが、民は偶像礼拝にいそしみ、市中では神の教えは軽視されていた。
暴利を貪る利己主義(商人)の横行 → 正義と公正の衰退
城壁、城塞、やぐらを数多く建設。
アンモン人に勝利し、3年間、高額の朝貢を得ていた。

 

アハズ王の時代 Ⅱ列16章、Ⅱ歴28章
ハズは「彼は握っている」の意。
偶像(バアル)礼拝、人身御供など、北イスラエルに倣う。悪王。
北イスラエルのペカ王と、ダマスコのレツィン王が反アッシリヤ同盟を組むが、 アハズはその同盟入りを拒否。イザヤはこれを奨励。(イザ7:1~メシア出生預言)
ミカ書にも、イザヤ書にも、救い主の来臨に関する記述があることに注目!
イザヤの助言に従わずアッシリヤに助けを求め、難は逃れたが、アッシリヤへの 朝貢の厳しさ、偶像礼拝の強制(神殿の改築)など、かかる重圧は過酷となった。

 

ヒゼキヤ王の時代 Ⅱ列18~20章、Ⅱ歴29~32章、イザ36~39章

「主は(私の)力」という意。
律法への不従順が原因で捕囚となった北イスラエルを見て、父アハズの偶像礼拝を徹底的に排除し、政治的に反アッシリヤ姿勢となる。善王。
反アッシリヤ秘密同盟の締結のため、バビロンの使節に宝物倉をすべてを披露。イザヤはこの時、ユダがバビロン捕囚となると預言。(Ⅱ列20:12~19、イザ39章)
アッシリヤのセンナケリブ王は、反乱鎮圧のため遠征し、ユダのラキシュを占領し、ヒゼキヤはアッシリヤに朝貢するが、アッシリヤはユダを包囲。イザヤの奨励によりヒゼキヤは神に信頼し、その結果、一夜にして18万5千人が死に、撤退した。
病気となったヒゼキヤは、回復して15年の延命。(イザ38:1~9、日時計の証)

 

ウジヤ王の時代に勢力拡大は図れたが、その後アッシリヤが勢力を拡大し、ついには北イスラエルが、攻め滅ぼされる事態となる時代。
いつの時代も、リーダーの資質、見識、統率力が国家の存亡に大きく影響する。特に、アハズ王の諸行は、神の目に余る。そのような中でのメシア出生預言は、今後の厳しい道のりの表明ともとれる。
ウジヤ王が築き上げた勢力は、みるみる削ぎ落されて行く南ユダ。神への信頼が益々失墜して行くきっかけの時代。こんな時代を背景として、ミカは神の預言を語った。イザヤ、ホセアと言う二人の預言者と重なって存在していたことにも注目。

2022年08月19日

ミカ1章2節~16節

2節:すべての民族よ、聞け。地とそこに満ちているものたちよ、耳を傾けよ。である主は、あなたがたのうちで証人となり、主はその聖なる宮から来て証人となられる。

3節:見よ。は御住まいを出、降りて来て、地の高い所を踏まれる。

イスラエルをはじめとする全諸国民へ!全人類へ!神はこう語られている!!
ここまで黙しておられたが、今、法廷で、神が証人となって語られるその言葉を聞け!
3節の「見よ」は裁きを見よ!の意。証言と言うよりは、判決と裁きと言う意味

法廷にて、判決が下される場面である。神は裁きを実施されるお方である。
全世界に対して、イスラエルの裁きを示し、判例として残している。
これは、バビロン捕囚、そして大患難時代の予表である。

4節:山々は主の足もとに溶け去り、もろもろの谷は裂ける。まるで、火の前の、ろうのように。坂に注がれた水のように。

人が高き所と崇めるところに降りて来られ、そこを踏みつけられる。すると、

山々は溶け、谷は裂ける。溶けた山々は火の前のロウソクのように溶けて、水のようになり、流れて行く!

あっと言う間に、攻められ捕囚される様子を指している

近未来と遠未来の預言が語られていることに注目!

5節:これはみな、ヤコブの背きのゆえ、イスラエルの家の罪のゆえだ。

「ヤコブの背きとは何か。サマリヤではないか。ユダの高き所とは何か。エルサレムではないか。

6節:わたしはサマリヤを野にある瓦礫の山とし、ぶどうを植える畑とする。その石を谷間に投げ込んで、その基を暴く。

ヤコブの背き・・偶像礼拝。
イスラエルの家の罪・・神の教えを守らず(エルサレム神殿を無視した礼拝、高き所を築き、おかしな犠牲を捧げる姿。
その裁きはサマリヤを瓦礫の山にし、その後ぶどう畑にする。その町の基となる石も谷に投げ捨て、跡形もなく、再生の機会も与えない!(エレミヤ26:18に記載あり)

7節:その刻んだ像はすべて打ち砕かれ、儲けはみな火で焼かれる。わたしはその偶像をすべて荒れすたらせる。それらは遊女の儲けで集められたのだから、遊女の儲けに戻る。」

偶像も、利得で得た財産もすべて打ち砕き、焼きすてる。
偶像礼拝は姦淫であり、相手は遊女(サタン)。神殿娼婦との関わりは、サタンとの関わりであり、裁かれる対象である。


8節:このゆえに、私は嘆き、泣き叫び、裸足で、裸で歩く。私はジャッカルのように嘆き、だちょうのように悲しみ泣く。

9節:まことに、その打ち傷は癒やしがたい。それはユダにまで及び、私の民の門、エルサレムにまで達する。

ミカはこの裁きが南ユダにも及ぶがゆえに、嘆き、泣き叫び、裸足で、裸で歩く。(ジャッカル、だちょうは、廃墟などに住みつく動物の象徴。)
南ユダが北イスラエルと同様に攻められるビジョンを見て、ミカは神の御心を知り、嘆き悲しんだ。それは、民の神に対するあまりにふしだらな態度への悲しみ。
北イスラエルの傷は瀕死の重体に至る。そして、その痛みはすぐに南ユダ王国にも及ぶ。
(しかし、この時、南ユダ王国は攻められるも、既(すんで)の所でその裁きを免れる)
アッシリヤは北イスラエルを捕囚し、ユダの町々を攻め、捕囚し、エルサレムを囲んだ。
ヒゼキヤ王・アッシリヤ(センナケリブ王)の戦い。一夜にして、主が18万5千人を殺害し、アッシリヤは撤退。何とか命拾いした南ユダ・エルサレム。ヒゼキヤ王の病死の延命と重なる。

 

10節~16節まで神のみことばが語られる。アッシリヤ攻撃の状況説明。
次々に攻められ征服される町々。その町の名が持つ意味を用いる表現手法。
言葉遊び(パロノマジア・paronomasia)

中川先生の例文
阪神大震災の被災を受けて「神戸の街よ。なぜあなたは神の祝福を迎える戸ではなく、悲劇を招く戸となったのか!」


10節:「ガテで告げるな。決して泣いてはならない。ベテ・レ・アフラでちりの中を転げ回れ。

「ガテ」はペリシテの町で、その意味は「告げる」。ユダの町々の崩壊を、ペリシテに、また諸国に伝えるな!ペリシテをはじめ、諸国が喜ぶから。つまり、滅ぶということ。
「ベテ・レ・アフラ」の意味は「ちりの家」。攻められ塵のように打ち砕かれる場所で悲しめ。


11節:シャフィルに住む者よ、裸になって恥じながら通り過ぎよ。ツァアナンに住む者は出て来ない。ベテ・エツェルの嘆きは、あなたがたから、立つところを奪い取る。

「シャフィル」の意味は、「美しい」であり、とても美しい町。その町に住む者たちは、裸にされ恥じて通り過ぎる。これは捕囚されて行くということか。
「ツァアナン」の意味は「出て来る」。自分が攻められても恐れて、出て来ない臆病者。
「ベテ・エツェル」の意味は、「隣の町」。隣の町ながら、援助、約束を反故にする者。


12節:まことに、マロテに住む者は、病むほどに幸せを待ち望む。エルサレムの門に、からわざわいが下ったのだ。

「マロテ」の意味は「苦い」。エルサレムが攻められるのを見て苦々しい思いになる。それは苦々しい思いで幸いを待ち望むことと同じである


13節:ラキシュに住む者よ、戦車に早馬をつなげ。そこは娘シオンにとって罪の始まり。実に、イスラエルの背きが、あなたのうちに見出されたのだ。

「ラキシュ」の意味は「速く走るラクダ」。そんなラクダのように、戦車に早馬を繋いで逃げる準備をせよ。ひどく、速やかに裁かれるからだ。何故なら・・ユダの罪となる偶像礼拝を真っ先に取り入れた町だから!

 

14節:それゆえ、あなたは別れの贈り物をモレシェテ・ガテに与える。アクジブの家々は、イスラエルの王たちにとって欺く者となる。

「モレシェテ・ガテ」の意味は「贈り物、遺産」。攻められるラキシュが、贈り物を添えて、助けに来てほしいと懇願することになる、の意。地名の意味である贈り物という言葉を用いている。

アクジブ」の意味は「欺き」。これらの町は期待に応えてくれる町ではない。

15節:マレシャに住む者よ、わたしは再び、侵略者をあなたのところに送る。イスラエルの栄光はアドラムまで行く。

「マレシャ」の意味は「贈り物、遺産」。マレシャに、侵略者が送られる。マレシャが 敵への贈り物となる。その栄光、つまり神の民族としての栄光は失せる。
「アドラム」の意味は「主はたたえられる」。・・・マレシャからアドラムに主の栄光は移る。新共同は、「行く」を「に去る」と訳す。しかし、アドラムも攻め落とされることになる。

 

16節:頭を剃れ。あなたが喜びとする子らのために、その剃ったところを、禿鷲のように大きくせよ。彼らは捕らえられて、去って行くからだ。」

「頭を剃れ、髪を剃り落とせ!」とは、悲しみの表現を示すものである。ここで、「あなたが喜びとする子らのために」とあるのは、自らの愛しい子供たちを表すとともに、ここまで語られた町の名はすべて南ユダを支える子らであるということ。
こんな風に、攻め取られた町、捕囚されてゆく民のために悲しむがよい!と言っている。

この16節は、アッシリヤのユダ攻撃の預言と共に、いずれ来るバビロン捕囚の予表である。
「去って行く」は預言的完了形と見る。
ヒゼキヤの信仰心のお陰で、アッシリヤの捕囚からは免れた南ユダ。しかし、不信仰へと下降して行く南ユダを留める術はない!!

2022年08月25日

ミカ2章1節~9節

1節:わざわいだ。 不法を謀り、寝床の上で悪を行う者。朝の光とともに、彼らはこれを実行する。自分たちの手に力があるからだ。

2節:彼らは畑を欲しがって、これをかすめ、家々を取り上げる。彼らは人とその持ち家を、人とその相続地をゆすり取る。

「わざわいだ。」・・最悪だ!裁かれて当然だ!落胆の「あー」と同じ。
1章で、裁きの主原因は偶像礼拝とされた。ここで更に、上層指導部の悪事(権威)を指摘する。
律法の根底にある「公正」が完全に無視されている。神の民としての価値がない。
寝床の上で悪を図る→(一日を神に感謝しない)→人の畑を奪い、家を奪う算段。
神の定めた掟を守らず、利得のために、権威、権力で貧しい人々から奪うことに熱中。

 

3節:それゆえ、主はこう言われる。「見よ。わたしはこういう氏族に、わざわいを下そうと考えている。そこからあなたがたは頭をもたげることもできず、胸を張って歩くこともできなくなる。それは、わざわいの時だからだ。」

神はこのような利得至上主義の上層指導者にわざわい(裁き)を下す。
それは、アッシリヤ、そしてバビロン捕囚と思われる。(大患難時代も想定されている)
胸を張って歩くことができない状態となる。(国がなく、捕囚されることの意味)
と同時に、大患難時代の契約の反故・裏切りの状況も示している。

こうした利得の追及は、時代がどんなに変わっても必ず存在する。
それは、暗躍するサタンの思う壺である。

4節:その日、あなたがたについて嘲りの声があがり、嘆きの歌が起こって言う。「われわれはすっかり荒らされてしまった。私の民の割り当て地は替えられてしまった。どのようにして私から移され、われわれの畑が背信の者に分け与えられたのか。」

5節:それゆえ、主の集会には、あなたのためにくじを引いて測り綱を張る者がいなくなる。

その日・・裁かれる日(近未来)を指しているが、大患難時代(遠未来)の予表でもある。
ミカは言う。「嘲りの声が上がり」・・人々(敵、異邦人)が自分たちを嘲り、上層部に「嘆きの歌」が起こる。
貧しい者をだまして手に入れた土地が、すべて敵国に奪われたことを嘆くことになる。
それ故、土地の分割や相続における、土地の測量士は不要。これは律法に従って歩む術がないということである。・・律法(正義と公正)がない。つまり、神が存在しない。

神の民としての存在感が無くなり、自分たちが滅ぶということを預言する

6節:「戯言を言うな」と彼らは戯言を言う。「そんな戯言を言ってはならない。辱めを受けることはない。」

「戯言を・・」、「そんな戯言を・・、辱めを受けることはない。」は、彼ら(上層指導部、偽預言者)の言葉。ミカの預言を戯言であるという民はその影響を受ける


7節:ヤコブの家がそんなことを言われてもよいものか。主がこれを我慢されるだろうか。これは主のみわざだろうか。私のことばは、まっすぐに歩む者に益とならないだろうか。

7節はミカの心情と見る。
神を信じる者たちには、そんな預言は下されないはずだ。
主はこんな悪い状態をいつまでも我慢して放ってはおられないはずだ。
こんな律法に従わない状態が、神のみわざであろうはずがない!
この私が預かったことばは真の信仰者(残れる者)には有効に働くものである!

常に神に信頼し、純粋に預言を語り、それが残れる者の道と確信するミカ

8節:「近ごろ、わたしの民は敵として立ち上がった。あなたがたは、豪華な上着をはぎ取る。安心して通り過ぎていく者、戦いから帰って来る者たちから。

9節:あなたがたは、わたしの民の女たちを、その楽しみの家から追い出し、その幼子たちから、わたしの誉れを永遠に取り去る。

わたしの民は、異邦人のような戯言を言う者になった。奪い、搾取し、虐げる者に。⇒これは上層指導部の者たちに向けて、語っている。
彼らは、黙って従う者たちや、戦いから帰って来た者たちから、上着をはぎ取るなどして、彼らを虐げ、搾取する。(神の公正、神の御心を裏切る行為)
そうして、その民の女たちをその家、国から追い出し、それらの子供たちから、神の栄光、神の偉大さ、すばらしさ、教えのすべての誉れを取り去ってしまう!

2022年08月31日

ミカ書2章10節~13節

10節:さあ、立ち去れ。ここは憩いの場所ではない。ここは汚れで滅ぼされるからだ。それはひどい滅びだ。

上層部(偽預言者)に支配されている人々(残れる者たち)への警告。

神、そして民を裏切り、人々を苦しめて、自分は「憩いの場所」であると思っている上層指導部(偽預言者)の元にいてはいけない。すぐにここを立ち去れ!

常に、神を見上げる位置、神に従う位置、そして in Christ の位置を確保しよう!

神の期待を無視する汚れた者たちを、神は徹底的に裁かれる。
近未来の捕囚を指すと共に、遠未来の大患難時代を指している
こうした近・遠未来の預言は、人間の愚行の反復性を示すと共に、この繰り返しが、「残れる者」の選別であると知るべきではないか!
これは、今も私たちへのメッセージとなっている!

11節:もし人が風の赴くままに歩き回り、『私はあなたがたに薦めよう。ぶどう酒と強い酒を』と偽って言うなら、その者は、この民に戯言を言う者だ。

風の赴くままに・・とは、「神と共に」ではなく、自分の思い(世の流れ)で歩き回る。
「私はあなたがたに薦めよう。ぶどう酒と強い酒を」と言って、この世の生き方を勧め、神の期待に沿わない虚言者こそ、偽預言者である。⇒反キリストをイメージさせる

アモス2:11~12、すでに同様の預言が示されているが、このように人間の罪の繰り返の中で、残れる者の選別がなされている
ここでは、近未来というより遠未来の預言である。終末の事態を、神は人々の前に示されている。全人類に示す法廷判決である!

12節:ヤコブよ。わたしは、あなたを必ずみな集め、イスラエルの残りの者を必ず呼び集める。わたしは彼らを、囲いの中の羊のように、牧場の中の群れのように、一つに集める。こうして、人々のざわめきが起こる。

10~11節において、「人の心をたぶらかす様な、戯言を言う者が現れたなら、立ち去れ。滅ぼされるから。」と神は語る。その民とは「残れる者」である。ゼカリヤ書によれば、それはイスラエルの3分の1の人数。(ゼカリヤ書13:8)
冒頭に「ヤコブよ」と語る神の目には、残れる者、真の礼拝者が映っている。
その「残れる者」を、神は必ず呼び集めると言われる。それは逃れの地を指す。 

終末における「逃れの地」とは、どこか? 
イザヤ:33:16「岩の上の要害」
ダニエル11:41「ヨルダンの東側の地域」
マタイ24:16「山に逃げる」
黙示録12:6「荒野に逃げた」
「逃れの地(町)」が明確に示されているのがミカ書である。
「囲いの中の羊のように」は、町の名前を“言葉遊び”的に表現したものとみる。
文中の「囲い」とは、ヘブル語で「ボツラー」であり、ボツラの羊・・と訳せる。
ヘブル語「ボツラー」は、エドムの地のボツラを指し、現在のペトラにあたる。
ミカの言葉遊びという表現法で書かれた。

そして、羊と言う「信仰の群れ」の暗示がある。
一つに集められた民(残れる者)はどうなるか?⇒ゼカリヤ書13:9
この時、イスラエルの民はメシアを信じ、一つの共同体となる。
「こうして、人々のざわめきが起こる」・・(再臨の)メシアの暗示!

13節:打ち破る者は彼らの先頭に立って上って行く。彼らは門を打ち破って進み、そこを出て行く。彼らの王が彼らの前を、主が彼らの先頭を進む。」

「打ち破る者」とは、メシア(再臨のイエス・キリスト)を指す。
キリストを信じた者たちの勝利の行進である。
彼らはその包囲を打ち破り、囲い(ボツラ)を出て進んで行く。主(再臨のイエス様)が、その先頭を歩み、水先案内人の如く、彼らを導く。
イスラエルの民が、真の神に信頼し、メシアを王として崇め従う姿が浮かぶ。

 

1~2章を一つのくくりと考えるとき、神の冒頭の言葉が印象深い
全人類に示した判決は、大患難時代であり、またメシア的王国の到来である
人は戯言と言うが、これが御国の福音である!!

2022年09月09日

ミカ3章1節~12節

1節:私は言った。「聞け。ヤコブのかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公正を知っているはずではないか。

再び目に余る行動をとるヤコブのかしら(上層指導部)たち。
上層指導部には王も含まれると見る。
神の民と言いながら、神の律法の教え、すなわち公正と正義はどうしたのか?

神の民とは、神に信頼し、神の教えに従うことで、人間としての手本を示すもの
このような状態になることを、神は既にご存知であった(Ⅰサム8:10~18)

2節:あなたがたは善を憎んで悪を愛し、人々の皮を剥ぎ、その骨から肉をそぎ取る。

3節:わたしの民の肉を食らい、皮を剝ぎ取って、骨を打ち砕き、鍋の中のもののように、また大釜の中の肉切れのように、それを切れ切れに裂く。」

悪を愛し、人々から剥ぎ取り尽くす指導者たち。公正と正義は消え失せている。
前回は上着だが、今回は皮、肉、骨、食らう如き搾取を強いる。(更に激化)

 

北イスラエルを滅ぼしたアッシリヤの勢いは、多大な脅威。その恐れが、アッシリヤへの朝貢となり、属国となり下がる原因である。民に重い負荷(重税)をかけ、自分たちは影響なし。南ユダは、一体何に頼るのか?

 

4節:そのため彼らがに叫んでも、主はかれらに答えない。そのとき、主は彼らから顔を隠される。彼らの行いが悪いからだ。

彼らが、表面的な礼拝をしても、主は答えない。
彼らの行動、行為が最悪の状態だからだ。(霊的位置にいない状態)


5節:預言者たちについて、はこう言われる。「彼らはわたしの民を惑わし、かむ物が歯にあれば『平和があるように』と叫ぶが、口に何も与えない者には聖戦を布告する。」

偽預言者に対する叱責。彼らは利得を優先し、利得なき場合は敵対すると布告する。
真の預言者としての自覚なし。自己中の利得優先主義。

 

6節:それゆえ、あなたがたには、夜にも幻がなく、暗闇にも占いがない。太陽も預言者たちの上に沈み、昼も彼らの上で暗くなる。

幻どころか、夜に見る幻(夢)さえ、見ることが無くなる。暗闇になって、先行きを知るための占い(託宣)、つまり神の導きの言葉もない。
太陽も・・新共同訳「預言者たちには、太陽が沈んで昼も暗くなる。」 ⇒未来が失せる。

預言者と名のる偽預言者は、ついには人生の闇を味わうことになる。

7節:先見者たちは恥を見、占い師たちは屈辱を味わう。彼らはみな、口ひげをおおう。神の答えがないからだ。

先見者、占い師(偽預言者たち)は、自分の占いが外れることで、恥と屈辱を受ける。
口ひげをおおう・・恥を受けている様子を示す言葉。


8節:しかし、私には力が満ちている。の霊によって、公正と勇気に満ちている。ヤコブにはその背きを、イスラエルにはその罪を告げる。

本物の預言者ミカ→主の霊の力。
神、そして律法への従順が、公正と正義に満ちる。それは生きる勇気を与える祝福!

利得ではなく神に信頼して生きる者の強さがある!
私たちも、聖霊をいただく身。イエス様の律法に従い、愛神愛人に満ちて生きよう!
己の利得の前に、神の義、神の愛を優先する生き方を目指そう!


自信に満ち満ちたミカは、南ユダ上層指導部の堕落を宣告する!!

9節:これを聞け。ヤコブの家のかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公正を忌み嫌い、あらゆる正しいことを曲げている。

10節:流血でシオンを、不正でエルサレムを建てている。

明らかに王を含む指導者層への言葉である。
神が期待する公正を忌み嫌い正義が曲げられている ⇒完全に神を無視!霊的堕落は異邦人!
本来なら、公正と正義で建て上げられるべきシオン、エルサレムが、流血と不正で建て上げられている。神の目には裁きの対象にしか映らない!

神の御心の把握力!

私たちの学び ⇒自らが聖書にある神の御心をしっかりと受け止め、
神様との正しい関係をつくり、教会というイエス様の身体を建て上げる!


11節:そのかしらたちは賄賂を取ってさばき、祭司たちは代金を取って教え、預言者たちは金を取って占いをする。しかもなお、彼らはを当てにして、「は私たちの中におられるではないか。わざわいは私たちの上に及ばない」と言う。

上層指導部の体たらく。
上層部では賄賂の横行!・・不正がまかり通る。
祭司が代金を取る。・・神の権威の喪失、失墜。
金銭目当ての預言者。・・預言ではなく占いをする。

それでいて主を当てにする。神は私たちの中にいると言う偽者。北イスラエルとは違う!と言う戯言。実際には、神はもう、そこにはおられない!

12節:それゆえ、あなたがたゆえにシオンは畑のように耕され、エルサレムは瓦礫の山となり、神殿の山は木々におおわれた丘となる。

神の民でありながら、神を蔑ろにする者たち。その心と行いが災いを招く。
シオン、つまり神の国は畑のように耕される。つまり、無視され荒らされる。
エルサレム、神の神殿がある場所は、荒らされ(侵略され)瓦礫の山(廃墟)となる。
神殿は破壊され、その丘に人の気配がなく、木々や植物に覆われ、埋もれてしまう。

国は攻められ、荒らされ、民は捕囚され、国を失い路頭に迷うこととなる。

 

上層指導部の裁きは良いが、なぜ下層部の国民まで裁かれるのか?
イスラエルは、民族として神と契約関係にある。 契約の民と言われる。
王制となることの問題点が、事前に神によって指摘されている。それを押して、民は王を求めた。(Ⅰサム8:6~20)
自分で考えることを放棄し、リーダーの言葉にしか反応しない状態。常にリーダーは?であり、思考して、行動する状態にない ➡ リーダーコンプレックス

2022年09月16日

ミカ4章1節~5章1節

1節:その終わりの日、の家の山は、山々のかしらとして堅く立ち、もろもろの丘よりも高くそびえ立つ。そこへもろもろの民が流れて来る。

2節:多くの国々が来て言う。「さあ、の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムからのことばが出るからだ。

3節:主は多くの民族の間をさばき、遠く離れた強い国々に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

この個所と同じ内容の預言がイザヤ2:2~4にある。

同時期に、二人の預言者に同じ預言が与えられている。微妙な違いはあるが、神が、聴取者に対して、この預言の重要性を示す意図であったと考える。

1節:その終わりの日(その日の終わり)・・とは、メシア的王国の成就を指す。ミカは、初めにメシア的王国の成就を示している。遠未来の預言である。
「主の家の山」・・エルサレムが一番高い位置となる。それは、大患難時代に、天変地異が起こり、地形が変わり、エルサレムが一番高い山となるという意味。
更に、統治する機構(再臨のイエスの統治)があることを示している。
もろもろの民‥大患難時代を通り過ぎた異邦人たちが、そこに流れて来る。新共同訳では、大河のように民(異邦人)が流れて来る、としている。
2節:大挙して異邦人の民がエルサレムに訪れるのは何故か?目的は?
「ご自分の道を私たちに教えてくださる」・・これは主が直接、その異邦人の民に指導されるということ。彼らは、メシアを受け入れはしたが、肉の命を持った異邦人である。メシア的王国での生き方を直接彼らに指導される。
大患難時代を経た異邦人たちは、その時、実際の神を見て、心底、喜びに満ちる。
エルサレムから神のことばが出るということは、エルサレムが全世界の中心的存在となり、それは神中心の世界(神による統治世界)を示す。
神の価値観が世界に浸透して行く!

3節:主は多くの民族、国々を管理され、問題を処理され、これまでの争いはなくなる。
従って、彼らに武器は必要なくなる。その武器や、武器を造る知恵は第一次産業に    回り、食料の不足はなく、それを奪い合う争いも起こらない。

4節:彼らはみな、それぞれ自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下に座るようになり、彼らを脅かす者はいない。まことに万軍のの御口が告げる。

経済は潤沢に回り、安定した食料事情の元、各国民が「平和」の名のもとに生活する。
これは主が約束してくださるメシア的王国のことである。


5節:まことに、すべての民族は、それぞれ自分たちの神の名によって歩む。しかし、私たちは、世々限りなく、私たちの神、の御名によって歩む。

そんな王国において、異邦人は自分たちの神(都合)で歩む者も出て来るが、イスラエルの民は、いつまでもこの神の約束を信頼して歩むのだ!

メシア的王国では、イスラエル人はだれも神を裏切らない

6節:「その日―のことば― わたしは足を引きずる者を集め、追いやられた者、また、わたしが苦しめた者を呼び集める。

7節:わたしは足を引きずる者を、残りの者とし、遠くへ移された者を、強い国民とする。であるわたしが、シオンの山で、今よりとこしえまで、彼らの王となる。

その日・・とは、大患難時代を指す。(詳細に見ればメシア再臨を指す)
足を引きずる者・・迫害を受けた者と共にヤコブ(足に支障)、つまりユダヤ人を指す。
離散しているイスラエルの民の残れる者を強い国民とする。主が彼らの王となって 永遠に統治する。それは、神が約束された御国の成就を意味している。


8節:あなたは、羊の群れのやぐら、娘シオンの丘。あなたには、あのかつての主権、娘エルサレムの王国が戻って来る。」

羊の群れのやぐら・・原文では「ミグダル・エデル」で、ベツレヘム(近郊)のこと

(創35:19~21)参照
娘シオンの丘・・エルサレム

メシア的王国の時、この両地は栄光の地となる

9節:今、なぜあなたは大声で叫ぶのか。あなたのうちに王がいないのか。あなたの助言者は滅び失せたのか。それで、子を産む女のような激しい痛みがあなたをとらえたのか。

目線は大患難時代の後半期に移っている。(産みの苦しみ・・一般的に大患難時代を指す)
大声で叫ぶのは何故か?出産の痛みに似た激しい痛みの原因は何か?

王がいない!  助言者がいない!(中川先生:議官、新共同訳:参議
政策の失敗により、信頼できる上層指導部の存在(感)が無くなる。
リーダーコンプレックスの影響もあり、イスラエルの民は指標を失う。この事が、真の救い主の求めへと繋がることになるのではないか。

10節:娘シオンよ。子を産む女のように、身もだえして、もがき回れ。今、あなたは町を出て野に宿り、バビロンまで行く。そこで、あなたは助け出される。そこで、があなたを敵の手から贖い出される。

イスラエルの民は虐殺され、更に連行、捕囚されて行く。
その地は、バビロン(黙示録:大きな都バビロン)。当時の世界の中心地。
多くの異邦人国家がユダ・イスラエルを攻める。

町、家々は荒らされ、婦女は犯され、町の半分の人が捕囚されるが、半分は残る。➡ゼカ12:2~5、ゼカ14:1~2 
その時、主がイスラエルの民を敵の手から守られる

10節~5章1節にかけて、ハルマゲドンの戦いの状況が語られている

11節:今、多くの国々があなたに敵対して集まり、そして言う。「シオンは汚されるがよい。われわれはこの目でじっとそれを見ていよう」と。

異邦人諸国が反キリストの号令の下、メギドの平原(イズレエルの谷)に集結し、イスラエルに攻め上る。→シオンが、滅びと言う恥辱を受ける目撃者となるために。

12節:しかし彼らはの御思いを知らず、その御計らいに気づかない。主は、打ち場の麦束のように彼らを集められたのだ。

その異邦人諸国は神の最終的なご計画に気付いていない。結局、異邦人諸国の集結は、神の裁きのためである。


13節:「娘シオンよ、さあ、脱穀せよ。わたしが、あなたの角を鉄とし、あなたのひづめを青銅 とする。あなたは多くの国民を粉々に砕き、彼らの不正な利得をのために、彼らの財宝を全地の主のために聖絶する。」

異邦人諸国にたいして果敢に戦いに応じるイスラエル。神はイスラエルを励まし、神の民はその存在意義を示そうとして戦うのだが・・。
ミカの時代は、神の民としての意味が重要。


5章

1節:今、軍勢をなす娘よ、勢ぞろいせよ。包囲網が私たちに対して設けられた。彼らは、イスラエルをさばく者の頬を杖で打つ。

しかし、残念なことにイスラエルの軍は、完全に包囲されてしまい、敗戦する。
敵がイスラエルの管理者の頬を杖で打つ。→古代中近東の勝利を意味する象徴的行為。

ハルマゲドンの戦い(大患難時代)において、最終的に名ばかりの神の民が生き残ることはないことが示されている重要な預言である。

2022年09月22日

ミカ5章2節~15節

2節:「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」

「ベツレヘム・エフラテ」‥ユダの山地にあるベツレヘム。イエス様出生の地。
ベツレヘムはゼブルン族の地にもある。エフラテという言葉が付くことで区別。
5章1節では、「イスラエルをさばく者」をエルサレムと見て、対照的にベツレヘムに救い主メシアが生まれることを示している。→壊滅的破壊の中に神は希望を示されている。
それが、メシアの誕生であり、更に出生地を示すことで、より具体性を示している。
メシアの出生は、昔から定まっている決定事項。→メシアの神性と人性の表現

神の民はその恵みに与れるということを認識させている

3節:それゆえ、彼らはそのままにしておかれる。産婦が子を産む時まで。そのとき、彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰る。

彼ら→イスラエルの民を指す。
産婦が子を生む時まで→これはメシアの出生を言っているのではない。
イスラエルの民が真の信仰に立ち返ることを、お産(産みの苦しみ)に例えている。
そのとき、→真の信仰に立ち返ったとき、の意。彼の兄弟→ユダ族の兄弟部族の意。つまり、イスラエルの残れる者と共に、皆が一つになるということ。

この時、メシア(再臨のイエス様)が地上に降りて来られる
ボツラでの出来事が暗示されている!

4節:彼は立って、の力と、彼の神、の御名の威光によって群れを飼う。そして彼らは安らかに住まう。今や彼の威力が、地の果ての果てまで及ぶからだ。

彼→メシア(再臨のイエス様)を指す。
そのメシアによる統治の世界が始まる。メシアがイスラエルの民の真の牧者となる。
メシア的王国の成就である。
神による、真の平安な世界が実現する。
主の権威が全世界におよび、主の栄光が全人類に輝き渡る。


5節:平和は次のようにして来る。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対抗して七人の牧者、八人の指導者を立てる。

6節:彼らはアッシリアの地を剣で、ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの領土に踏み込んで来るとき、彼は、私たちをアッシリアから救い出す。

メシア的王国の成就までのプロセスが語られる。
アッシリア・・反キリストの軍勢。その軍勢がエルサレムを占拠し、更に宮殿、神殿を踏みにじる時、神の民には対抗するリーダーが立てられる。
これまでリーダーが不在だったような民にしっかりとしたリーダー(牧者(内)、指導者(外))が、完全な状態で立つ。[七は完全数、八はそれ以上と考えられる]戦うというより、導く存在となるのではないかと考える。
ニムロデの地・最初の帝国主義・・アッシリヤの地・反キリストの本拠地:同義である。
帝国主義(人間統治)の消滅を示す。アッシリヤ(反キリスト)を打つのはイエス様。
その後イスラエルの民がアッシリヤ(異邦人諸国)を管理することになる。


7節:そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、のもとから降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みを置かず、人の子らに期待をかけない。

イエス様の力により、イスラエルの民は、大患難時代の最後において、神に信頼する民となったことを目撃する異邦人の善き手本となる選民としての働きが成就。

 

8節:ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎるときには、踏みにじり、かみ裂けば、助け出す者はいない。

一方、イスラエルの恥を見たいと願って争った異邦諸国にとっては、イスラエルの民の主が、徹底的に裁かれる。助ける者はいない。反キリストも助けにならない。

 

9節:あなたが敵対する者に向けて御手を上げると、あなたの敵はみな絶ち滅ぼされる。

神は、イスラエルに敵対する者に御手を上げ、それらの敵は皆、滅ぼされる。


10節:「その日―のことば―わたしはあなたのただ中から、あなたの馬を滅ぼし、戦車を打ち壊し、

11節:あなたの国の町々を絶ち滅ぼし、要塞をみな破壊する。

12節:わたしはあなたの手から呪術者を断ち、占い師をあなたのところから絶やす。

13節:わたしは、あなたのただ中から、刻んだ像と石の柱を断ち切る。あなたはもう、自分の手で造った物を拝まない。

14節:わたしは、あなたのアシェラ像をあなたのただ中から根こそぎにし、あなたの町々を滅ぼし尽くす。

15節:わたしは怒りと憤りをもって、わたしに聞き従わなかった国々に復讐する。」

敵国がどのように滅ぼされるかが語られる
敵国の軍隊を壊滅させる。武器や争う道具は完全に消え失せる。
国の町々、要塞を全て破壊する。武装の必要がない状態になる。
呪術者、占い師は完全に断ち滅ぼされる。信頼すべきは神のみである。
偶像礼拝を完全に排除する。当時はアシェラ、大患難時代は反キリストである。

神に信頼しない者には、獅子が噛み裂く如き厳しい裁きが下る。
それまで信頼していたものが音を立てて崩れて行くことになる

2022年09月28日

ミカ6章1節~16節

1節:さあ、の言われることを聞け。立ち上がれ。山々に訴えよ。もろもろの丘にあなたの声を聞かせよ。

2節:山々よ、聞け。の訴えを。変わることのない地の基よ。がご自分の民を訴え、イスラエルと論争される。

全地を法廷とし、今神がご自分の民を訴える。
証人は山々、もろもろの丘、地の基。人間と較べると不動の存在。
だからイスラエルの民よ!神の言われることに反論してみよ!

被造物の中で、人間は良く変化する存在である。それは心の問題。
法廷と言う状況に置くことで、民の客観的な判断が期待できる。

3節:「わたしの民よ、わたしがあなたに何をしたというのか。どのようにしてあなたを煩わせたというのか。わたしに答えよ。

わたしがあなたに何をしたというのか。どのようにして煩わせたというのか。
全知全能なる神が、ここまでへりくだって、民に尋ねている姿に注目!
契約の神は、自らの責務を果たす。問題は人間側の責務が果たされていない。
人はその実行が出来ず、その度に神は助けの手を差し伸べられている。
その助けの手にも気づかない人間を、神は問い詰めておられる!

神は、その愛をもって、間違いなく人を救いに導こうとされている。

4節:わたしはあなたをエジプトの地から上らせ、奴隷の家からあなたを贖い出し、あなたの前にモーセと、アロンと、ミリアムを送った。

5節:わたしの民よ、思い起こせ。モアブの王バラクが何を企んだか。ベオルの子バラムが彼に何と答えたか。シティムからギルガルまでに何があったか。それは、あなたがの正しいわざを知るためであった。」

神が良くしてくださったことを提示される。
出エジプトの出来事:奴隷からの解放

モーセ、アロン、ミリアムの存在:神の民としての在り方
モアブの王バラク、ベオルの子バラムの出来事:呪いを祝福に変えた
シティムからギルガルまで・・:40年間の荒野放浪の時の御業
神はイスラエルの民を選ばれ、契約を結び、手を差し伸べている。
しかし、民は的外れな(罪)応答しかできない!

6節:何をもって、私はの前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のささげ物、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。

7節:は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の背きのために、私の長子を、私のたましいの罪のために、胎の実を献げるべきだろうか。

神の御前にどのようにひれ伏そうか。1歳の子牛の全焼のささげ物がいいのか?
それとも、あの怒りには幾千の雄羊、幾万の油か?
それとも、わたしの胎の実である長子を捧げなければならないのか?

偶像礼拝の思想に浸っている姿が見える
神の怒りに対する民の応答は、全く神の期待に反している
神の怒りのポイントがここにある!正義と公正は何処へ行ったのか?

8節:主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。

6章の注目すべきことば!神の期待を代弁するミカ!

神があなたがたに、示して、教えてきたことは、正義と公正を守ること!
人がなすべき善きことは、公正と誠実 ➡ 律法に従い、歩むこと
神の期待していることは、へりくだって、神と共に歩むこと ➡ 神を恐れ、全信頼を置き、常に、正義の道を歩む
現代は「神を愛し、隣人を愛せよ」であり、いつの時代も公正と正義の実践は変わりがない!

9節:の御声が都に向かって叫ぶ。 ―あなたの御名を恐れることは英知だ― 「聞け、杖のことを。だれがその都を指定したのか。

都・・エルサレム(南ユダ)に向かって神が語られることば。
主を恐れることは知恵のはじめであり、それをミカは、英知であると言う。
そんな素晴らしい英知をあなたがたは受け取らず蔑ろにしているのだ!

杖(牧する者・権威)のことを。➡ 杖は権威の象徴であることから、神が指摘することを聞け!となる。
だれが都を指定したのか。➡ 神は都を指定した権威あるお方

⁂新共同訳:「聞け、ユダの部族とその集会よ」(その他の聖書の訳はこちらが多い)

10節:まだ、悪しき者の家には、不正の財宝と、のろわれた升目不足の升があるではないか。

11節:不正な秤と、欺きの重り石の袋を、誤りなしとすることが、わたしにできるだろうか。

10~15節までは、特に商人(不正をする者)に対する指摘と見る。(上層部)
神が実際に采配を振るう時期(アッシリヤ捕囚)に至っても、不正はある。
不正の升で商売し、不正な財宝を所有し、ため込んでいる者たち。
律法を無視する彼らの不正の秤、欺きの重り石を、神は見逃しはしない!


12節:富む者たちは不法で満ち、住民は偽りを言う。彼らの口の中で舌が欺く。

不正をして、豊かになる。人々は、その不正の利得を隠し、虚偽を示す。
豊かな者もそうでない者も、それぞれに嘘をつきまくる。

自己中心的な考え方が蔓延 神が嫌悪する人々の心 正義と公正の欠如

13節:わたしも、あなたを打って痛めつけ、あなたの罪のゆえに荒れ果てるままにする。

おまえたちが自己中で、神に応答するから、神はそれにふさわしい応答をする。
それは、・・神の祝福がない状態となる。→至るところに神の恵みがあったのに。

 

14節:あなたは食べても満ち足りず、あなたの腹は飢える。取っておいても保つことはできず、保っていたものは、わたしが剣に渡す。

食卓に満足感がない。経済的に回復しない状態。
取っておいたものの一つは、この世の名声、権威など。これらは神の前では無に等しい。もう一つは、物質的なもので、それらはすべて断罪され処分される。


15節:種を蒔いても、刈ることがなく、オリーブを搾っても、油を身に塗ることがない。新しいぶどう酒も、それを飲むことがない。

神の裁きが下れば、いくら生産しても生産物が収穫できない状態となる。
仮に収穫して加工しても、自分たちが使うことはできない。奴隷状態。

16節:あなたはオムリの掟と、アハブの家のすべての慣わしを守った。あなたがたは、彼らのはかりごとに従って歩んだ。それは、わたしがあなたを恐怖のもととし、住民の嘲りの的とするためだ。あなたがたは、わたしの民へのそしりを負う。」

オムリ・・北イスラエルの悪王(二ツ星)。金の子牛の礼拝を用いた王。

     Ⅰ列16:25~26
アハブ・・北イスラエルの悪王(三ツ星)。イザベラと組んでバアル礼拝を奨励。

     Ⅰ列16:30~33

新共同訳:お前はオムリの定めたこと アバブの家のすべてのならわしを保ち そのたくらみに従って歩んだ。そのため、わたしはお前を荒れるにまかせ 都の住民を嘲りの的とした。お前たちはわが民の恥を負わねばならぬ。

南ユダの上層指導部(王も含む)たちに語り掛ける神のみことば。
オムリやアハブのとった行動に従うようにされたのは何故か?
自分たちで、偶像を選択したと思っているだろうが、実は神がそう導いた。
あなたが恐怖の元となり、住民を嘲りの的とするためである➡気付きの促し
この結果をもたらした者としてあなたがたはそしりを受けることになる➡これは近未来に確実に起こるバビロン捕囚を語っている。

2022年10月05日

ミカ7章1節~10節

1節:ああ、なんと悲しいことだ。私は夏の果物を集める者のよう、ぶどうの取り残しの実を取り入れる時のようになった。食べられる房は一つもなく、私の好きな初なりのいちじくの実もない。

「ああ、」絶望的、最悪の状態を見て、思わず漏れることば。
夏の果物を集める・・とは、残りの物を集めるという意味か。→新共同訳では、「わたしは夏の果物を集める者のように、ぶどうの残りを摘む者のようになった。」と訳されている。

この果実畑は?➡イスラエルの国を指している
となると、果実は?➡ぶどうも初なりのイチジク(おいしいらしい)もない。→つまり、真の信仰者である残れる者が全くいない状態を示している!
今、ミカが語っているビジョンは、携挙が終わった後の患難時代である

2節:敬虔な者はこの地から消え失せ、人々の間に、心の直ぐな者は一人もいない。みな血を流そうと待ち伏せし、互いに網をかけ合って捕らえようとする。

敬虔な者はこの地から消えて居ない。(滅びる、消滅する)人々の中に「義」なる者は存在しない状態となる。➡「携挙」発動直後の状態
世界には自己中心的な思いがはびこり、それは互いに人を殺し合い、捕囚するような時代である。
明らかに、国同士の争いが起こり、敵を殺し、捕虜とするようなことが日常の世界。


3節:彼らの手は悪事を働くのに巧みで、役人もさばき人も賄賂を求める。有力者は自分の欲するままを語り、こうして事をねじ曲げている。

4節:彼らのうちの善良な人も茨のようだ。心の直ぐな者も茨の生け垣に劣る。あなたを見張る者の日、あなたの刑罰の日が来る。今、彼らに混乱が起きる。

地上に残った者たちの手は悪事を行うのに秀でて、不正を取り締まる役人や 裁判官などが法の網をくぐり、賄賂を求めて不正を平気で行う。
有力者、すなわち影響を与えるような存在感のある人物も、好き勝手なことを語り、神には触れず、嘘を真実のように語る。
善良な人、正しい人も肉的なもので、彼らに隣人愛のかけらも無く、霊的価値の無い存在となり、こうして刑罰の日(DKNJ)が来る。(心の直ぐな者はいない)
神の裁きであるDKNJは、速やかに訪れる。そして、その裁きを見た者は大混乱することになる。


5節:あなたがたは友を信用するな。親しい友も信頼するな。あなたの懐に寝る者からも、あなたの口の戸を守れ。

6節:子は父を侮り、娘はその母に、嫁はその姑に逆らい、それぞれ自分の家の者を敵とする。

相互の信頼関係が壊れる世の中になる。殺伐とした、利己的社会。
それは、夫婦の間でもそのようになる。
親子関係が崩れ、家族関係が崩壊。
互いが敵であるかのような疑心暗鬼な社会。

➡おもに内面的、霊的な崩壊が取り上げられている。解決策はイエス様!
つて中国で、小さな子供が親の反共主義を告発し、親は処罰され、政府はその子を称え上げた➡見習いましょうと!
公正と正義、つまり愛のない世界は、殺伐とした荒野に一人生きるようなもの

7節:しかし、私はを仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の言うことを聞いてくださる。

「しかし!」・・・絶望の中に光る希望。信頼が生み出す活力。決して衰えぬ信仰心。
「私」とは、ミカであり、またイスラエル民族の代表的な表現。更に言うなら、イスラエルの残れる者、真の信仰者を指すと考えられる
「待ち望む」・・・ボーっとではない。絶対に救いがあると確信して待ち望む信仰心。
「私の神は・・・」が新共同訳では「わが神は、わたしの願いを聞かれる。」
私たちの待ち望む姿勢を、今一度吟味してみよう!ミカのように、パウロのように!

8節:私の敵よ、私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がる。私は闇の中に座しても、が私の光だ。

ミカは、患難時代の裁きについて、その原因を知り、また、悔い改める者が出ることを 信じている。これは確信に満ちた信仰の表明である。その信仰が言わせる言葉。
私の敵よ➡これは、勝利を目前にして喜ぶ、イスラエルの敵に対してのことば
闇の中に座しても、主が私の光だー! それはシャカイナ・グローリーとの一体感!
恵みの時代の私たちにとってシャカイナ・グローリーとは、光なるイエス様!私たちの希望!
神の子、光の子として、この信仰心を持ち続けようではないか!

これこそが、神が私たちに期待している真の信仰者、礼拝者。
神の絶対的主権を認め、全幅の信頼を置く信仰を確立しよう!ハレルヤ!

9節:私はの激しい怒りを身に受けている。私が主の前に罪ある者だからだ。しかし、それは、主が私の訴えを取り上げ、私を正しくさばいてくださるまでだ。主は私を光に連れ出してくださる。私は、その義を見る。

DKNJという史上最大の裁きの渦中の状態。その原因をミカは知る。
その裁きは甘んじて受けなければならない。
最終的にイスラエルの民がイエス様を求めることで、民は義とされる。
「光に連れ出してくださる。」S/G(神の栄光)の元へ・・メシア的王国へと導いてくださる。(私たちのS/Gとは、キリスト・イエス!)
「私は、その義を見る。」・・イエス様の姿が現れる。神の義なる世界が目前に広が


10節:私の敵はこれを見て恥におおわれる。彼らは、私に向かって「あなたの神、は、どこにいるのか」と言った者たちだ。私の目は、確かに見る。今に、敵は道の泥のように踏みつけられる。

かつて「あなたの神、主はどこに・・・」と嘲った敵は、メシアを目の当たりにして、驚愕する。信じられないことが起こったからだ!
実際には、DKNJの最終局面であるメシアの再臨を指していると考えられる。

再臨のイエス様がその力を示されるとき、敵は真の恐れを体験することになる。
ミカは確実な勝利を見せられている。これはミカにとっては事実である。
アッシリヤの如き大国が、あっと言う間に主に打たれる映像が、未来と重なる。
ミカは叫んでいる!私のように、神に信頼せよ!神は本物であり、真実であり、現実である!

2022年10月19日

ミカ7章11節~20節

11節~13節まで「」はないが神のみことば


11節:あなたの石垣を建て直す日、その日、国境が広げられる。

バビロン捕囚後の神殿再建と思われがちだが、16~17節に結びつかない!
このことばは、メシア的王国を指す。DKNJ以後の回復、拡張を示している
この11節に至る「DKNJ」の部分が、まだ表現されていない。(イザヤ28:14~22に記載がある)

12節:その日、アッシリアとエジプトの町々から、エジプトから大河まで、海から海まで、山から山まで、あなたのところに人々がやって来る。

この個所と同じ表現をする箇所がイザヤ書にある。イザヤ11:11~16
離散していたイスラエルの民が集められ、その地に住まう。(人々とはイスラエルの民)
イザヤ27:13、ホセ11:11、ゼカ10:11~12

13節:しかし、その地は、そこに住む者たちのゆえに、彼らの行いの実によって荒れ果てる。

しかし、その地は、・・・→しかしその前に、その地は、・・・と言う意味合い。

11~12節でメシア的王国の成就を、神は示された。そして13節で、そこに至るまでの状況つまり、10節の「敵を泥のように踏みつける」事態であることを示していると見る。
彼らの行いの実とは、イスラエルの民の罪。
メシア的王国が立つ前に、イスラエルの罪により、地上のすべてが荒廃する。
イスラエルの罪のせいであり、そのことについて、既にミカは9節で述べている。

14節:どうか、あなたの杖で、あなたの民を、あなたのゆずりの群れを牧してください。彼らは林の中、果樹園の中に、ひとり離れて住んでいます。どうか、彼らが昔の日のように、バシャンとギルアデで草をはむようにしてください。

林の中、果樹園の中、と言う表現は、メシア的王国の建つ以前、イスラエルの民は離散の状態であることを示している。離散したイスラエルの民を、あなたが集め、牧してください。あの繁栄していた時のように。どうか彼らが、豊かな土地で豊かに育まれますように、という意味。
この時ミカは、かつてのイスラエルの繁栄の時、ダビデ、ソロモンの時のように、北から(バシャン)から南(ギルアデ)まで、つまり、土地の回復と約束の地を見ている。


15節:「あなたがエジプトの地から出た日のように、わたしは奇しいわざを彼らに見せる。」

あなたが・・神に信頼する者たち、残れる真の信仰者たち。
彼らに・・異邦諸国(異邦人たち)に神は、御業を示される。
その御業は、出エジプトの時の如く、支配されていた国から解放されるように、全てにおいて、不思議なわざを示される。
イスラエルの民は、神に立ち返る。(イエス様に信頼する生き方に変わる)


16節:諸国の民は見て、自分たちのすべての力を恥じ、手を口に当て、彼らの耳は聞こえなくなります。

あなたの神は何処にいるのか?と嘲った諸国の民(反ユダヤ主義者たち)は、大いなる恥を見る。
あまりの事実の凄さに、何も言えなくなる状態。
彼らの耳は聞こえなくなる。・・と言う裁きか?


17節:彼らは、蛇のように、地を這うもののように土をなめ、震えながら自分たちの洞穴から出て来ます。そして、私たちの神、のみもとで、おじ惑い、あなたを恐れます。

裁きを恐れる異邦人諸国。蛇(サタン)に従っていたことを暗示しているようだ。
真の神の存在を知ったとき、悔いと悲しさ、虚しさに襲われる。マタイ25:31~34

18節:あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは咎を除き、ご自分のゆずりである残りの者のために、背きを見過ごしてくださる神。いつまでも怒り続けることはありません。神は、恵みを喜ばれるからです。

ミカの名前の意味は?・・・「ミカイヤ」の短縮形で、「誰が【主】のようであろうか」
「あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。」・・は、自分の名前と掛けている。
これは、言葉遊びと言うよりも、ミカの人生を掛けて証しているミカの思い!
ミカの人柄が見えてくる。
エジプト脱出後、モーセも出15:11で語っている。真の信仰者を目指そう!
神は必ず最後に、神の民として、残れる者を祝福される。決して怒り続けない神!
私たちの神は、恵みを与えることを喜ばれる神!

19節:もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ込んでください。

10節で「敵は…踏みつけられる」とあり、また15節で神が語られた「あなたがエジプトの地から・・・」のことばの背景にある、エジプト軍が海の底に沈んだ大事件を思いつつ、全てはイスラエルの民の回心のためであることをミカは知ったうえで、神に祈っている。

敵を倒すというよりも、裁きを通して、イスラエルの民が、神の期待に応え、神の民、

真の信仰者として立ち返ることが最も重要。
ミカは契約の存在を認識している

20節:昔、私たちの父祖たちに誓われたように、ヤコブにまことを、アブラハムに恵みをお与えください。

ミカは、神のご人格も、そしてその御心(ご計画)をも、よく把握していた。
神は約束を守られるお方。ヤコブに約束され、そしてアブラハムに契約を示された。
出エジプトはアブラハム契約の結果であり、最終的にはDKNJ後に、その契約が果たされることになる。すべての契約が、そのときに成就するということ。
ミカは、心の底から、真の恵みがイスラエルの民に与えられることを祈ってやまない。

ミカはメシア的王国が来ることを見せられ、その到来を確信している。
私たちの信仰は、こうした預言者たちの証言、そして新約の使徒たちの証言に信頼し、

神を100%信頼する。

2022年11月01日

ハガイ1章1節

ハガイの名前は、ヘブル語の「祭り(ハグ)」から来たもの。父親は不明。
活動場所はユダ、エルサレムで、同時代の預言者は、ゼカリヤ。
活動期間は、「ダレイオス王の第二年」の3~4か月間。書自体も旧約では2番目の短さ。
「ダレイオス王の第二年、第六の月の一日」とは、BC520年である。

ペルシャの王キュロスのあと、カンビュセス2世、そしてこのダレイオス大王となる。
キュロス王がバビロン捕囚からの解放と神殿再建を許可!
「ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主のことばが成就するために、主はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした。」 エズラ記1:1より


・ハガイを通じて、神が語った相手は・・・
シェアルティエルの子ゼルバベル 総督 ⇒ 王族:政治活動担当
エホツァダクの子ヨシュア 大祭司 ⇒ 祭司:霊的指導担当
(エズラ3:2、5:2に記載あり エズラ、ネヘミヤ記は捕囚解放後の記録である

 


バビロン捕囚に関わる聖書

預言書による近未来預言のバビロン捕囚であるが、その捕囚期間中、そして解放後について記されている書が、エズラ記、ネヘミヤ記、そしてエステル記である。
エレミヤ書には29:10において、『バビロンに70年が満ちるころ、・・』という記載があり、捕囚からの解放を預言している。預言者ダニエルもその書9:2でそれを認識していることが分かる。

 

では、捕囚期間の考え方は・・・二つの起点が考えられる。

 

捕囚解放から神殿建設までの経緯

イザヤ書44:28~45:13の預言 ⇒ キュロス王を用いてバビロン捕囚解放を預言している。イザヤの時代にすでにキュロス王の名が出ていることは、驚愕的事実。
エルサレムが陥落してから48年経過したBC538年にペルシャの王キュロスがバビロンを攻め(無血制圧)、同年、イスラエルの民にエルサレムへの帰還と神殿再建の許可が出された。
キュロス王は異邦人(ペルシャ人)でありながら、イスラエルの民を捕囚から解放し、神殿再建を許可する、神に用いられた人物。彼はエルサレム神殿再建のため、バビロンが略奪した宝物も解放して提供した。

キュロス王について①
Ⅱ歴36:22~23、イザヤ44:28、45:1~8、エズラ1:1他
預言書と言う観点から、注目しよう。
・メディア王国に属する小国の王が、後にメディア王国を倒し、アケメネス朝ペルシアの初代王として立つことになる。バビロンと異なる政治姿勢は、公正という点で特筆すべき点である。
・イザヤ書が書かれた時期はおよそ100年前であり、バビロン捕囚は勿論のこと、このキュロス王についても、名を上げて預言している。
・彼(BC600年頃 - BC529年)は、この地に生まれる前から神に用いられることが決まっていた。特に、「油注がれた者」と言う表現は、「救世主」と同じ語源であり、異邦人に用いられることは極めて珍しい。聖書に記載される記憶すべき異邦人である。
詩編139:13~

「あなたこそ 私の内臓を創り母の胎の内で私を組み立てられた方です。~」 

 

キュロス王について②

歴史的発見→キュロス・シリンダ(キュロスの円筒)・・・キュロス王に関する記録。
1879年、イラク(バビロン)にて発見された。

・ある民族が故郷に帰還し、また「聖なる街」の再建を許可したと記されている

キュロス王のこうした開放的な行動は、周囲圧制するバビロン方式ではなく、友好的、協調的関係を築く方式という彼の政治スタイルであったとされる。

神は、彼の気付かぬところで働かれ、結局神のみこころを行う結果となった。

 

 

ハガイ書を学ぶ上で

・長年のバビロン捕囚という経験から解放されたことは、出エジプトの経験に似る。
・モーセの時のような物理的奇蹟ではないが、人を動かす御業は奇蹟である。70年と言う期間も絶妙なのかもしれない。
・徐々に捕囚と言う身分に慣れて行く民を、神は放ってはおられなかった。
・これは神の想定内で、ペルシアのキュロス王を用いて神の民としての道へと導かれる。
・捕囚解放後の、民の立ち直りについて、神はその愛とあわれみをもって声をかけてくださる。その深い愛、約束に対する忠実さを感じ、絶対的信頼を持たずにはいられない。
・バビロン捕囚と言うイスラエルへの厳しい裁きの後、神は民をどのように回復されてゆくのか。またその後、民がどのような変化を見せるのかについて、私たちは見ておく必要がある

2022年11月18日