メッセージ一覧

ハバクク書が書かれた背景

ハバクク書は、南ユダの預言者ハバククによって書かれた。時期は、バビロン捕囚以前である。その頃のユダヤの民は、アッシリアに朝貢し、神に頼るのではなく、強国に頼るようになっていた。神を礼拝していたが、それは表面的なものであった。

2021年07月07日

ハバクク1章1節~4節

ハバククの心の叫びです。

ハバククは南ユダの混乱している状況を神に伝え、裁きを心から求める。いつまで待てば良いのですかと訴える。ハバククにとって、このような民の動向を見るのは苦しいことである。霊的暴虐がはびこっている。律法、裁きが機能せず、正しい裁きがなされていません!!

2021年07月07日

ハバクク1章5節~11節

神の応答です。

驚き、たじろげ。わたしは、あなた方の時代に、あなた方が信じられないようなことを行う。カルデア人、すなわちバビロンを用いて諸国を次々と占領させる。

 

 

カルデア人(バビロン)は、強暴で俊敏な国民で、その騎兵は圧倒的に速く、町々を攻め取り、自らさばきを下して行く。まさに疾風のようにメソポタミア全域からエジプトにかけて吹き荒れるが、風のように過ぎ去る。なぜなら、自分の力を神とする者は相当の責めを負うからだ

2021年07月08日

ハバクク1章12節~17節

ハバククがまた問いかけます。

 

主よ、あなたが私たちを裁き、こらしめるためにバビロンを据えられたのは分かりましたが、なぜ私たちより悪しき者を使われるのですか。あなたは昔から私たちの神ではありませんか。

私たちは魚や這う虫のようにされ、彼らの強力な軍事力で一網打尽にされます。彼らは豊かになり、ますます諸国を侵略して行くのでしょうか。

 

2021年07月09日

ハバクク2章1節~4節

神の応答です。

ハバククは、自分の訴えに対して神が何を語られるか真剣に聞こうとしている。神はハバククに幻をお見せになり、それを板の上に書き記せと言われた。この幻は、定めの時について証言し、終わりについて告げている。

神は「もし遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない。」と言われる。人には遅れているように見えても、神の計画は確実に進められていて、神の時が来たら必ず成就することを覚えたい。

 

見よ。彼の心はうぬぼれていて直ぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。

「義人は信仰によって生きる。」は、新約聖書で3度引用されています。

①ローマ1:17 ②ガラテヤ3:11 ③へブル10:37~38(これらは神学的に重要な書簡です)

 

2021年07月10日

ハバクク2章5節~20節

5節~20節の間に、5回「わざわいだ」という言葉が出て来る。この「わざわいだ」には、感嘆詞「ホーイ」が付き、「あぁー」というような言葉で、避けられない神の裁きを宣告するときに使われる。「今は良くても、最終的には・・」というニュアンス。

 

5節~8節:第一のわざわい(あざけり)。【貪欲の罪】カルデア人は、酒飲み、貪欲で諸国を飲み込んで満足することはない。しかし、世界を制した帝国にもかかわらず90年程の短命で終わる。バビロンは、メディア・ペルシャに滅ぼされる。

 

 

9節~11節:第二のわざわい(あざけり)。【高慢、傲慢の罪】不正な利得を私利私欲のために使い、高いところに宮殿を建てた。実際にバベルの塔のように高い建物をたて、空中庭園が有名だった。

 

 

 

12節~14節:第三のわざわい(あざけり)。【歴史は神の主権】流血と不正で築き上げられた諸国の民は、結局は苦しみ疲れ果てる。最終的には、水が海を覆うごとく、地は主の栄光で満たされる。

 

15節~17節:第四のわざわい(あざけり)。【恥と暴虐の罪毒の酒で友を裸にして裏切る行為は、恥ずべきもの。神の盃(裁き)でその恥は知らされる。レバノンの自然も動物も破壊し、人々の血を流した行為が糾弾される。

 

18節~20節:第五のわざわい(あざけり)。【偶像礼拝の罪】物言わぬ偽りの神々を造ったところで、何の役に立つだろうか。全地よ。主の御前に静まれ。

初めハバククはユダのことについて神に裁きを求めていたが、神の応答は全地に向かっている。

2021年07月14日

ハバクク3章1節~16節

1節:ハバククの祈り。シグヨノテ(あるメロディー)の調べにのせて。

2節:ハバククは【主】の裁きについての預言が与えられ恐れている。大患難時代の到来を理解し、短期間の間に【主】の計画が成就し、大患難時代において【主】のあわれみがあるようにと祈っている。

3節~6節:メシア再臨の場所は、ボツラ(ペトラ)~テマンの町~パランの荒野~ケデロンの谷~エルサレムとなる。主の臨在、シャカイナグローリー、神の力、威厳が描写されている。

7節:クシャン(イラン系民族)、ミディアン(アラビヤ)はわなないていた。クシャン王朝はB.C.6世紀頃ペルシャによって滅んでいる。

8節~10節:メシアの再臨にともなって、さまざまな異変が起こる。

11節:宇宙で異変が起こる。

12節:ハルマゲドンの状況描写。

13節~14節:メシアが来て、悪しき者の頭(反キリスト)を打ち砕き、背教の実態をあらわにして、誓いを果たされる。

15節:メシアはイスラエルを攻める背教の異邦人を徹底的に踏みつける。

16節:ハバククは最終的な救いに至るまでの凄惨さを知り、立っていられないほどに打ちひしがれた。しかし、神の愛と忍耐の深さに気付き、心を静めて神のみこころを待つ姿勢を示す。

 

 

2021年07月22日

ハバクク3章17節~19節

17節:いちじく、ぶどう、オリーブはイスラエルの代表的な食物であり、イスラエルそのものの疲弊を表す。加えて、羊、牛もいなくなり、経済的に大困窮状態となる。ハバククは、相当の死者を想定する終末の状況を見ている。

18節:しかし、ハバククをはじめとする残れる者はそんな状況にあっても神を喜び楽しむ。なぜなら、救いは自分たちの力で実現できるものではく、救い主である神と私たちの信仰によって成るものだからである!

19節:神こそが私の力と宣言するハバクク。人の力ではなく、神の力が救いである。神は私たちの足を雌鹿のようにし、高い所を歩ませる。高い所とは、祝福と安全な場所のことである。

最終的な勝利は、神によってのみもたらされることを悟り、皆と共有するために謳った。

2021年07月26日

ハバクク書と新約聖書の関係

ハバクク書2章4節は、新約聖書の3箇所で引用されている。

それを、書かれた順に見てみる。

ガラテヤ3:10~11 AC48年頃

律法の行いによる人々はみな、のろいのもとにあります。「律法の書に書いてあるすべてのことを守り行わない者はみな、のろわれる」と書いてあるからです。律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」からです。

「救いは、律法ではなく、信仰による」

 

ローマ1:16~17 AC57年頃

私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

「信仰に始まり、信仰に進む」

 

へブル10:35~39  AC65~69年頃

ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはいけません。その確信には大きな報いがあります。あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。「もうしばらくすれば、来たるべき方が来られる。遅れることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし恐れ退くなら、わたしの心は彼を喜ばない。」しかし私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です

「忍耐を持って前進し、約束のものを手に入れる信仰」

 

2021年07月30日

ゼパニヤ1章1節

ゼパニヤは、ユダの王ヨシヤの時代の預言者である。

四代前にはヒゼキヤ王のいる家系である。(ヒゼキヤーアマルヤーゲダルヤークシーゼパニヤ)

 

ヒゼキヤ王とヨシヤ王の間には最悪の王マナセ王とアモン王がいて、南ユダは神から離れ堕落していた。

ヨシヤ王は律法回帰をしてに立ち返ろうとしていた。ゼパニヤは、そういった時代に神からことばを受けた。

 

2021年08月04日

ゼパニヤ1章2節~13節

2節~3節:全地に下る裁き【のことば】

2節:わたしは必ず、すべてのものを大地の面から取り除く。

「わたしは地の面からすべてのものを一掃する」(新共同訳)

ほうきによって地の面が掃き清められるというイメージ。大患難時代の裁き

3節:わたしは人と獣を取り除き、空の鳥と海の魚を取り除く。悪者どもをつまずかせ、人  を大地の面から断ち切る。

*一掃される順番は、人、獣、空の鳥、海の魚の順であり、天地創造時の順番が逆になっている。普遍的裁きを示す。

*悪者どもは、偶像を崇拝する者、サタン、反キリストであり、神に反する者たちである。

の日の目的は、地上から悪を断ち切ることである。

4節:裁きは、ユダ、エルサレムのすべての住民に向けられる。エルサレムは神の都であり、指導者たちの背信は見逃すことができない。

①バアルの残りの者(ヨシヤ王の宗教改革後もバアル礼拝者が残っていた)

②偶像に仕える祭司

5節:③天の万象を拝む者ども(申命記4章19節で天体の礼拝を禁じている)

に誓いを立てて礼拝しながら、ミルコムに誓いを立てる者ども『二心の者ども』

6節:⑤に従うことをやめた者ども、を尋ねず求めない者ども

先ず、の民の宗教的な罪を指摘している。これらの者(①~⑤)はすべて断ち切られる!

7節:【ゼパニヤの言葉】であるの前で口をつぐめ!の日は近い。(バビロン捕囚とともに大患難時代重ね合わされている)最終的な処罰がなされる。悪人を処罰し、罪人たちが聖別される時が来る。の日とは大患難時代である)

8節:獣とは、ここでは、ユダの裏切り者であるとともに、バビロンであり、大患難時代の大バビロンを指すとも考えられる。王家の者、指導者、外国と親しくする者たちを裁く!一掃する

9節:神殿の敷居を飛び越え、暴虐と欺きで神殿を犯す者ども(偶像礼拝をする指導者)を裁く!一掃する!

10節~11節:その日には―のことば―  

新共同訳では、「その日が来れば、とは言われる」と訳されていて具体的でわかりやすい。

魚の門は、マナセ王が築いた城壁にある。魚市場がある商人の地区。

第二区は、下町。

もろもろの丘は、エルサレム市内の小高い丘。

マクテシュ区は、ダビデの町の西側地区で庶民が住んでいる。

その日が来れば、神の裁きにより商人たちは商売が出来なくなり、滅ぼされる。富に心奪われ、富で問題解決ができると考えている者たちへの裁きか?

12節:その時が来たら、ぶどう酒のかすの上によどんでいるような、心の生ぬるい者をくまなくエルサレムから捜しだして罰する

13節:その結果、彼らの財産は略奪され、家は荒れ果て、家を建ててもそこに住めず、労働しても実入りがない。

2021年08月18日

ゼパニヤ1章14節~18節

14節~16節はゼパニヤのことば

14節:7節でも言っているように、「の日、の大いなる日は近い」と言う。一気に起こる神の裁きが近い!近い!と教えている。その日は、戦いの勇者でさえも悲痛な苦しみの声を上げるほどなのだと。

15節~16節:の怒りの日、それは苦難と苦悩、荒廃と滅亡、闇と暗黒、雲と暗闇の日。角笛と、ときの声が上がる日で、世界諸国も権威も襲われる。敵が攻め、襲撃があり、そうしての裁きが下る。

 

17節~18節はのことば

17節:罪人の最後の裁きは徹底的である。人々は目の見えない人のように歩き、彼らの血はちりのように、はらわたは、糞のようにまき散らされる。[こういう惨状を見せられる預言者の辛さと重責は如何ばかりか!]

18節:のねたみの火に、偶像や富は何の役にも立たない。大患難時代とは、が全土と人類を焼き尽くし、滅ぼし尽くすことだ!

〔新共同訳 1:18 金も銀も彼らを救い出すことはできない。の憤りの日に。地上はくまなくの情熱の火に焼き尽くされる。は恐るべき破滅を地上に住むすべての者に臨ませられる。〕

 

2021年08月25日

ゼパニヤ2章1節~15節

1節~7節はゼパニヤのことば。ただし、5節Cは神のことば。

1節~3節:1章17節~18節を受けて語られている。「恥知らずの民」は、一般的には異邦人だが、ここではユダヤ人のこと。不信仰な状態での回復の預言が語られる。3節は、残れる信仰者の救いが示されている。「柔和」の重要性を認識!(ゼパニヤ9:9、マタイ5:5、21:5)

4節~15節は、周辺諸国に下る裁き

 [裁かれるとされる周辺諸国]

 

4節~7節:ユダの西に位置するペリシテの地。各地に王が存在していた。いわゆる都市連合国家である。クレタ人はペリシテ人のこと。5節bでペリシテのカナンの滅びを宣言している。実際に歴史上ペリシテ人はいなくなり、アシュケロンは1948年以降、イスラエルの領土となっている。

8節~9節はのことば。

8節:ユダの東に位置するモアブとアンモンの裁き。彼らは、ロトと二人の娘との間の忌まわしい子の子孫。

の民をそしり、領土の所有に関して高慢になった。反ユダヤ主義の罪。

9節:「わたしは生きている。」とは言われる。彼らは、ソドムやゴモラのように罰せられ、領土は荒れ、ついにはイスラエルの残れる者がその地を受け継ぐ。

10節~11節はゼパニヤのことば。

10節:彼らの高慢が原因だ。を無視し、の民をそしり、高ぶった。

11節:の裁きにより、彼らに恐れが下る。その時偶像は何の助けにもならないことが分かり改心する。すべての異国の民も主を礼拝する。

12節はのことば。

12:クシュはユダの南に位置する。クシュ人とはエチオピア人のこと。この時代はエジプトよりもエチオピアの存在が大きかった。紀元前671年にアッシリアがエジプトに侵攻した時、クシュはエジプトから撤退し、後退し始める。

13節~15節はのことば。

13節:アッシリアはユダの北に位置する。はアッシリアとニネべを砂漠にされる。

14節~15節:完全なるアッシリアの裁きにいたり、に反する者たちの裁きは完結する。特にアッシリアは奢りの極みであったが、丸裸となる。と神の民をあざける者は、後にあざけられることになる。

2021年08月25日

ゼパニヤ3章1節~13節

1節~5節はゼパニヤのことば。

1節:わざわいだ。反逆と汚れに満ちた暴虐の都。それは・・・

2節~4節:

つまりは、のいないユダヤ教。彼らは、おごる者、高慢な者である。

5節:そんな中にあって、は常に公正を示されるが、不正な者は恥を知らず、ますます不正を続ける。

6節~13節はのことば。

6節~7節:1~5節の状態にあるイスラエルにが与えることば。諸国を打ったから、お前たちはこうあれと諭す。四隅の塔とは、四方の主要国で、異邦人諸国である。

は言われた。ただわたしを恐れ、戒めを受け入れよ。⦅戒めを受け入れる者がいる。⦆だから、どんなにエルサレムを罰しても、戻るところが無くなることはないのだ。ただし、諸国は悪事を繰り返し、イスラエルを翻弄する。

8節~10節:「それゆえ、わたしを待て」とは言われる。ハルマゲドンの戦いの日を待て。諸国を裁くから。ハルマゲドンの戦いが終わる(メシア的王国になる)と、ことばが統一され、諸国の民もに仕え崇めるようになる。そして、クシュの川の向こう「地の果て」(ディアスポラ)のユダヤ人が帰って来る。羊の異邦人の助けにより、離散の民は贈り物を携えて来る。(贈り物とは真の信仰かもしれない)

*「諸国の民のを変えて清くする」の唇(サーファー)は、創世記11章1節のことば(サーファー)と同じである。清くするは、くつがえすとも訳せる。よって、ことばが統一されるとなる。

11節:この大患難の終盤で、イスラエルのこれまでの罪は赦される。それは、おごる者、高慢な者が取り除かれ、聖別、新生が完了。

12節:へりくだった、貧しい者を残す(マタイ5章3節)。彼らは、キリストを信じる者である。

13節:不正が存在しないメシア的王国(千年王国)が始まる。キリストに導かれた羊、聖徒たちが地に住み、もう敵となるものは存在しなくなる。裁きは終わり、祝福の時となる。

 

 

2021年08月26日

ゼパニヤ3章14節~20節

14節~17節はゼパニヤのことば。

14節:勝利を共に喜ぶシーン! 娘シオンよ、喜び歌え。イスラエルよ、喜び叫べ。娘エルサレムよ。心の底から喜び叫べ。

15節:罪(サタンの支配)は取り除かれ、メシア的王国(イエス様が王となる御国)が完成する。

16節~17節:は言われる。エルサレムよ、恐れるな。あなたの神、わたしこそが救いの神だ。わたしの愛によってあなたにさらに安らぎを与え、あなたを喜び歌う!!

18節~20節はのことば。

18節:例祭から離れて悲しむ者たちをわたしは集める。彼らはあなたから離れていた。そしりがシオンへの重荷であった。

【新共同訳:わたしは、祭りを祝えず苦しめられていた者を集める。彼らはお前から遠く離れ、お前の重い恥となっていた。】

彼らとは、最終的にイエスを信じ受け入れたイスラエルの人々のことである。大患難時代の後半は第3神殿では例祭を行えなくなる。彼らのそしりは神を信じている者たちの重荷、重い恥となっていた。しかし、最終的にはイエスを信じ、神によって集められる。

19節:苦しめたすべての敵が罰せられ、消え去る。足を引きずる(苦しい信仰の道を歩んだ)者、離散した者を集める。恥が栄誉となり、名が変えられる。

20節:の最後のことば。

主に信頼するすべての民が集められ、人間に与えられている本来の姿に回復され、祝福が与えられる。特にイスラエルの民は、栄誉ある名が与えられる。

は言われ、約束された!

私たちは栄光のからだを持って、イスラエルの回復を目撃する。壮絶な裁きの末、イスラエルの栄誉の回復と、千年王国の始まりを見て、私たちは一斉に心から歓喜の声を上げる。「主よ感謝します。ハレルヤ!」

2021年09月02日

ナホム1章1節~2節

1節:著者はナホム。エルコシュ人だが、エルコシュが何処にあったかは不明。カペナウム辺りかもと言われている・・・

ナホムの意味は、「慰めに満ちた」「慰め」である。

南ユダの預言者で、活動時期はマナセ王の時代。

内容は、アッシリアのニネべに対する厳しい裁きである。

ナホムは神から幻を見せられ、それを記録した。つまり、記録出来るほど鮮明な幻⦅神によるバーチャルリアリティー?⦆であったと思われる。

 

アッシリアに関して

アッシリヤの起源はBC2000年頃とされるが、徐々に拡大し大帝国を築いた。BC722年には北イスラエルを滅ぼし、地中海沿岸からエジプトにまで勢力を伸ばした。

途中、自国統一と外敵防衛に取り組んだが、再び勢力拡大に移り、エジプトにまで及んだ。(BC663年頃がピーク)

ニネベは、BC612年にバビロン・メディアに攻略され、その後急速に減衰し、3年後には完全に歴史から姿を消す

 

 

ヨナ書について

ヨナの名の意味は「鳩」。Ⅱ列14:25に登場し、ヤロブアムに領土の回復を預言している。北イスラエル(ゼブルン族)の預言者

ヨナは、神から、ニネべに裁きがあることを伝えるように命じられるが、イスラエルを思う彼は、アッシリアが悔い改めてしまうことを恐れ、その命令に背き、船でヤッファから西方へと逃避する。しかし神はその御業で、大魚を用いてヨナを悔い改めに導いた。

ヨナは、ニネべに行き、神の裁きを告げると、12万人以上の民と、図らずも王までが悔い改めた。それを見たヨナは怒り、神に死を願う。神はトウゴマ、虫、東風(熱風)を用いて、神の思いを悟らせようとされた。

ヨナは、最終的には悔い改めたと思われる

 

歴史的に見ると、ヨナ書はアッシリヤの自国統一や防衛に注力の時期と重なる。ゆえにヤロブアム2世は北イスラエルの拡大が可能だった。【Ⅱ列14:25】この預言は、ヨナから自国に与えられた。

 

2節:復讐という言葉が3回も出て来る。神は、ニネべにヨナを通して神の裁きについて事前に告げた。しかし、改心も束ぬ間、アッシリアはさらに暴虐となる。それを踏まえての裁きである。神はチャンスを与え、忍耐された。愛と忍耐の神である!

2021年09月11日

ナホム1章3節~15節

3節:は怒るのに遅く、力強い方。決して罰せずにおかれることはない。

忍耐強く辛抱される神だが、その忍耐に甘えていてはならない。その偉大な力で必要な裁きは下される。

は、その道がつむじ風と嵐の中にあり、雲は、御足がかき立てるほこりである。

とあるように、神は天候を支配しておられるお方である。

 

4節:主は海を叱って干上がらせ、すべての川を涸らされる。バシャンとカルメルはしおれ、レバノンの花もしおれる。

バシャンとはゴラン高原のことで、バシャンもカルメルもレバノンも水の豊かな場所である。主は、それらを干上がらせるのである。

 

5節:山々は主の前に揺れ動き、もろもろの丘は溶け去る。地は御前でくつがえる。世界とその中に住むすべてのものも。

神の力は地形の変動。世界を巻き込む天変地異。

 

6節:主の激しい憤りの前に、だれが立てるだろうか。だれが、その燃える怒りに耐えられるだろうか。主の憤りは火のように注がれ、岩々は御前に打ち砕かれる。

主の怒り(力)は燃える火。だれひとり耐えられない怒りの火が注がれ、神の御前には、どんな権威も立つことはできない!

 

7節:はいつくしみ深く、苦難の日の砦。ご自分に身を避ける者を知っていてくださるゆえに、神は将来も、主に身を避ける者、主の戒め、教えに従い主に信頼する者をご存知であると言われる。ここに、神の愛、将来の残れる者への救いが示されている。

 

8節:しかし、押し流す大水でその場所を滅ぼし尽くし、敵どもを闇に追いやられる

しかし敵に対しては、必ず、滅ぼし尽くし闇に追いやる。神はいつまでも悪を野放しにはしない!


9節:おまえたちは主に対して何を企むのか。主は滅ぼし尽くす方。敵対する者は二度と立ち上がれない。

「おまえたち」とは、ユダヤ人を攻める異邦人全体を指す。最終的には滅ぼし尽くす神に対して何をしようというのか?

 

10節:彼らは、絡みついた茨。大酒飲みの酔っぱらいのようだ。乾ききった刈り株のように焼き尽くされる。

「彼ら」とは異邦人の中の、アッシリヤ帝国そのものを指す。何層にも絡みつく歴史ある帝国。彼らは酩酊し、自分が何をしているのかわからない。結局、成長しても、刈られ、焼き尽くされてしまう。

 

11節:おまえたちの中から、に対して悪を謀り、よこしまなことを企てる者が出た。

「おまえたち」とは、歴代のアッシリヤのことで、ここに暴虐著しい邪悪な者(ベリアル)が出たと言っている。ベリアルは、旧約聖書ではサタンのこと。具体的にはセンナケリブ王(BC705年~BC681年)のことである。

 

12節~13節:はこう言われる。「彼らが壮健で、数が多くても、それでも、刈り取られて去って行く。わたしはあなたを苦しめたが、もう苦しめない。今、わたしはのくびきを砕いてあなたから外し、あなたのかせを打ち砕く。」

「彼ら」はアッシリヤのセンナケリブの軍隊。「あなた」はユダ。「彼」はセンナケリブ王。南ユダは、アッシリヤに責められ追い詰められていた。しかし、神はアッシリヤを打ち砕かれる

 

14節:おまえについて命じられる。「もはや子が宿ることなく、おまえの名は絶える。おまえの神々の宮から、わたしは彫像や鋳造を断ち切る。わたしはおまえの墓を造る。おまえが取るに足りない者となったからだ。

「おまえ」とはアッシリヤ。彼らに子孫繁栄はない!これは彼らにとって屈辱的なこと!子孫の繁栄はないと宣告されることは完全な滅びを意味する。

 

15節:見よ。良い知らせを伝える人の足が、平和を告げ知らせる人の足が山々の上にある。ユダよ、あなたの祭りを祝い、あなたの誓願を果たせ。よこしまな者たちは、もう二度とあなたの間を通り過ぎることがない。彼らはみな、絶ち滅ぼされた。

「見よ。良い知らせを伝える人の足が、平和を告げ知らせる人の足が山々の上にある。」これはイザヤ書52:7からの引用である。イザヤ書52:7~10は、終末の勝利をも暗示している。ハバクク、ゼパニヤの学びの時に、彼らはイザヤ書を知っていると言ったが、その証拠。しかし、この預言書は、終末の預言ではなく、目の前にあるアッシリヤへの裁きに絞られている。

2021年09月23日

ナホム2章1節~13節

この2章から、ニネベの裁きについての言及である。
徹底的なニネベに対する裁きは、悪を行う者の末路の提示であり、あわれみの後の、神の怒りの厳しさを知る手掛かりとなる。
1節~12節はニネべの裁き、最後の13節が神のみことば(宣告)である。

結局、歴史の主体は常に神である。

 

1節:追い散らす者が、おまえに向かって上って来る。塁を見守り、道を見張れ。腰を強くし、大いに力を奮い立たせよ。

「追い散らす者」は、バビロン、メディアの合同軍。「おまえ」は、アッシリヤのニネベ。神はバビロン、メディア軍を用いてニネベを叩く!覚悟せよ!


2節:がヤコブの威光を、イスラエルの威光のように回復されるからだ。まことに、荒らす者が彼らを荒らし、彼らのぶどうの枝を損なう。

新共同訳:「主はヤコブの誇りを回復される。イスラエルの誇りも同じように。」
ここにイスラエルの誇りを回復する!
「彼ら」とはユダヤ人。その「ぶどうの枝」はその子孫。
アッシリヤは北イスラエルを捕囚し、更に南ユダを苦しめる。この危機的状況を見過ごすことなく、神は動かれた!


南ユダを回復するため、ここからは、一気に攻められるアッシリヤが描かれる
3節:勇士の盾は赤く染まり、兵士は緋色に包まれる。戦車は、それが整えられる日、鋼の火を通され、槍は振り回される。

赤く染まる、緋色、とはバビロン軍のトレードカラー。バビロン軍の戦車や武器は、秀でていたとされる。
戦車には、2頭の馬が繋がれ、3人の兵士が乗った。いよいよ、バビロン軍の攻撃の準備が整った。


4節:戦車は通りを走り狂い、広場を駆け巡る。その有様はたいまつのようで、稲妻のように走る。

5節:高貴な人は呼び出されるが、途中でつまずき倒れる。人々は町の城壁へ急ぐが、そこに外から柵が設けられる。

戦車による攻撃は、稲妻のように激しく速く、そして焼き尽くす。
「高貴な人」とは、将軍、大将など。彼らは途上でつまずき倒れる。それほど一気に攻め上ってきたので、対応ができない。慌てて城壁を固めようと民が動き、矢の防柵を置く。新共同訳では、「防御車が置かれる」と書かれている。いずれにしても後の祭りということ。無警戒の内に攻められ、逃げ場もない状態が想像できる。

 

6節:いくつもの川の水門が開かれ、宮殿は消え去る

新共同訳:「流れに面した門は開かれ、宮殿は揺れ動く。」
ティグリス川の氾濫により、水が城内に入り込み、宮殿は消え失せる。(揺れて崩れてしまう。)

紀元前1世紀の歴史家ディオドロスによると

攻城戦の最中にティグリス川が氾濫してニネヴェ城内に流れ込み、これに乗じたバビロン・メディアの合同軍が外壁を乗り越えて攻め込み、神殿を略奪して宮殿を焼き払った。

(ウィキペディアより)

7節:王妃は捕らえられ、連れ去られる。女奴隷たちは鳩のような声でつぶやき、胸をたたいて悲しむ。

王妃が捕まることは敗北の意味。侍女たちは恐怖に呼吸が乱れ、胸を打って悲しむ。

 

8節:ニネべは、水が流れ出る池のようだ。「止まれ、止まれ」と言っても、向きを変える者はいない。

水が豊かな都市が、今はその水が流れ出るように、多くの人々が逃げ出して、止めようにも止まらない。


9節:銀を奪え。金も奪え。その財宝には限りがない。あらゆる尊い品々があふれている。

侵略者に向かい、「溢れるほどの金、銀、財宝を奪い取れ!」


10節:不毛、空虚、そして荒廃。心は萎え、膝は震える。どの腰もわななき、どの顔も青ざめる。

不毛、空虚、荒廃。・・ブカー、ムブカー、ムブラカーとなっており、荒廃がどんどんひどくなる状態をイメージさせる。さっきまで平安だったニネべの人々は、瞬時に震え慄き、顔色をなくす。


11節:獅子の住みかはどこか。若い獅子にとっての餌場は。雄獅子と雌獅子が出歩くときに、子獅子がだれにもおびやかされない住みかは。

「獅子」は、アッシリヤ、「若獅子」は、現在着任の王。それらのすみかとは、かれらの餌場でもある。彼らは、残虐行為で恐れさせ、諸国を苦しめて貢ぎ物を奪い、それらによって、都市ニネべをはじめとするアッシリヤを、平安に豊かにしていた。


12節:獅子は、十分な獲物を子獅子のために引き裂き、雌獅子のためにかみ殺し、獲物でその穴を、かみ裂かれた物でその巣を満たす。

彼らは、征服した諸国の苦しみの上に成り立つ権威である。しかし、財宝も城も取られた彼らにとって、そんな餌場、すなわち仕える諸国はもう存在しない。


13節:「見よ、わたしはおまえを敵とする。―万軍ののことば― おまえの戦車を燃やして煙にし、若い獅子を剣が食い尽くす。おまえの獲物を地から絶やし、おまえの使者たちの声はもう聞かれない。」
「おまえ」は、アッシリヤ。もうここまでだ!・・というニュアンス。戦力を完全に焼き尽くし、その王は殺される。諸国からの財産は無と帰し、仮に使者を送って助けを求めても、もう誰も、どこの諸国も聞き従うことはない!

2021年09月24日

ナホム3章1節~19節

1節:わざわいだ、流血の町。すべては偽りで略奪に満ち、強奪はやまない。

2節:むちの音。車輪の響き。駆ける馬。飛び跳ねる戦車。

3節:突進する騎兵。剣のきらめき。槍のひらめき。おびただしい戦死者。山なす屍。数え切れない死体。死体に人はつまずく。

ニネべの町は自分たちがして来たと同じように攻められ、町中に数え切れない死体の山が積みあがって行く。その惨劇は凄まじい

 

4節:これは、遊女の淫行の数々に、呪術を行う女の麗しさによるものだ。彼女はその淫行によって国々を、その呪術によって諸部族を売り渡した。

悪魔(サタン)的宗教を取り入れ、偶像を礼拝させ、その口から出る惑わしで諸国を束ねて行った。交わる諸国を属国(配下)にした。南ユダもその悪影響を受け、惑わされた一国。

 

5節:「見よ、わたしはおまえを敵とする。 ―万軍の主のことば― わたしはおまえの裾を顔の上にまでまくり上げ、諸国の民におまえの裸を見せる。諸国の王におまえの恥を。

2章13節と同じ書き出しで神の宣告。預言的完了形であって確実に成就する。「恥を見る」とは、神の裁きにあうこと。神に裁かれ力を失った哀れなニネべ(アッシリア)の姿を諸国にさらす。

 

6節:おまえの上に忌まわしいものを投げかけ、おまえを愚弄し、おまえを見せ物にする。

「忌まわしいもの」とは、アッシリアにとって忌まわしいもので、バビロン・メディア合同軍のこと。ここに、大国を誇っていたアッシリアの弱体が示される。

 

7節:おまえを見る者はみな、おまえから逃げて言う。『ニネべは荒れ果てた。だれが彼女のために嘆くのか。』わたしはどこからおまえを慰める者を探して来られようか。

落ちて行くニネべを見て、周辺諸国は嘆くことなく逃げて離れてゆく。どの国も助けることはない。

 

8節:おまえはテーベよりもすぐれているのか。それはナイル川のほとりにあり、水がそれを取り囲んでいる。その塁壁は海、海がその城壁。

9節:クシュとエジプトはその力。その力には限りがない。プテもルブ人もその助け手。

テーベは難攻不落と言われる、ナイル川のほとりにあることから海のような水が壁となる城塞都市。
更にクシュ(エチオピア)、エジプト、プテ(ソマリア)、ルブ人(リビヤ人)という4つの同盟国を持っていた。


10節:しかし、それもまた捕囚となり、捕らわれの身となって出て行く。その幼子たちはあらゆる街角で八つ裂きにされ、高貴な人たちはくじで分けられ、おもだった者たちはみな、鎖につながれる。

難攻不落と言われた都市テーベは攻められ捕囚となる。残虐な行為がなされたことが示されている。アッシリヤの絶頂期と思われる。
幼子は街角で八つ裂き、貴族はくじ引きされ、大人は奴隷として売り飛ばされる。残虐行為が行われたのは言うまでもない。

ここは、ナホム書が書かれた時期の手掛かりとなる。テーベの陥落はBC663年であり、ニネべ陥落がBC612年であることから、BC663年からBC612年の間に書かれたと判断される

11節:おまえもまた、酔いしれて意識を失う。おまえもまた、敵から逃げて砦を捜し求める。

テーベ同様に攻められるニネべは、酔いしれてしまう。これは、神の怒りの盃による、裁きの表現(エレミヤ25:15~17参照)。彼らは敵から逃げ出して砦を探し求める。


12節:おまえのすべての要塞は、初なりの実をつけたいちじくの木のようだ。揺さぶると、食べる者の口に実が落ちる。

「初なりのイチジク」とは、真っ先に食べられてしまう実であることを指す。揺さぶれば落ちて食べられてしまうように、ニネべを出て他の要塞を探しても、すぐに打たれてしまう。


13節:見よ、おまえの兵隊はおまえの中にいる女たち、敵に向かっておまえの国の門は広く開け放たれ、火がかんぬきを焼き尽くす。

戦う兵隊は女しか残っていないほどの戦力。アッシリヤの国自体が明け渡され、例え抵抗する町があっても、焼かれ滅ぼされる。

 

14節:包囲の日に備えて水を汲み、おまえの要塞を強固にせよ。泥の中に入り、粘土を踏みつけ、れんがの型を取れ。

2章1節の「追い散らす者が、お前に向かってくる。塁を見守り、道を見張れ。腰を強くし、大いに力を奮い立たせよ。」の内容から、さらに厳しい状況へ進んでいる。
「ニネべよ、お前は包囲されるから、早いこと、備えをせよ」と言われているが、それはやっても無駄なことである。

 

15節:その場所で、火はおまえを食い尽くす。剣はおまえを切り倒し、バッタのように火がおまえを食い尽くす。バッタのように数を増し、いなごのように増えよ。

16節:おまえは商人を天の星より多くした。しかし、バッタがこれを襲って飛び去る。

バッタやいなご・・これはバビロン・メディア合同軍を指す。一気に攻める様が想像される。ニネべには商人が多く、富が集中する。それらの富も民も、バビロン・メディア軍は襲う。

 

17節:おまえ廷臣たちは、いなごのよう、司令官たちは、群がるいなごのようだ。寒い日には城壁の上でたむろし、日が昇ると逃げ去って、どこへ行くか、行く先をだれも知らない。

いなご・・ニネべの部隊、将軍は役に立たず、固まって飛び去ってゆくいなごのよう。それも散り散りバラバラに消えてゆくようだ。

神の目線から見れば、アッシリヤもバビロン軍もバッタ、いなごの類である。

18節:アッシリヤの王よ。おまえの牧者たちは眠り、高貴な者たちはじっととどまっている。おまえの民は山々の上に散らされ、集める者はだれもいない。

アッシリヤの王に諭すように語られる神のことば。もうお前の将軍(牧者)や高官・貴族(高貴な者)は死んでいる。アッシリヤの民は、捕囚民として離散する。


19節:おまえの傷は癒えることがなく、打ち傷は癒やしがたい。おまえのうわさを聞く者はみな、おまえのことで手をたたく。おまえの絶え間ない悪事が及ばなかった者がいるだろうか。」

アッシリヤが回復することはない。
属国や周辺諸国は、長年受けてきた苦しみのゆえに、お前の滅びを喜び祝うであろう。

これはまさに、恥をさらされた形である。

 

2021年10月06日

ヨエル1章1節~14節

1節:ペトエルの子ヨエルにあったのことば。

著者は、南ユダ王国の預言者ヨエル。名前の意味は「主(ヤハウェ)は神」。「エル」は神、「ヨ」はヤハウェの短縮形。彼は、自分の語る内容は主から与えられたものであると言っている。

著作時代は、ヨアシュ王の時代と考えられている。アモス書にヨエル書からの引用があり、アモス書がウジヤ王の時代に書かれていることから、ウジヤ王の前で、さらに偶像礼拝による悪が示されていないので、善王の時代であろうと言うことから、ヨアシュ王の時代に書かれたとされている。

 

2節:「長老たちよ、これを聞け。この地に住む者もみな、耳を傾けよ。このようなことが、あなたの時代に、また先祖の時代にあっただろうか。

3節:これをあなたがたの子どもたちに伝え、子どもたちはその子どもたちに、その子どもたちは後の世代に伝えよ。

4節:嚙みいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、バッタが食い、バッタが残した物は、その若虫が食った。

いなごの大群がユダの地を襲った。長老(老人)に声をかけているのは、これまでになかった大災害が発生したことの強調。この未体験の災害を子々孫々に伝えよ!という命令がなされている。4種類のいなごやバッタは、種類ではなく4という数字に意味がある。旧約聖書では、4という数字は破滅の激しさを象徴的に表す数字である。

 

5節:目を覚ませ、酔いどれよ。泣け。泣き叫べ。すべてぶどう酒を飲む者よ。甘いぶどう酒があなたがたの口から断たれたからだ。

いなごの襲来は穀物を食い荒らし、葡萄酒は製造不能となる。それまで気持ちよく酔っていた者たちは、大打撃を負う。

 

6節:ある国民がわたしの国に攻め上って来た。それは力強く、数え切れない。その歯は雄獅子の歯、それには雌獅子の牙がある。

その「いなご」のような異邦の民はイスラエルを攻める。力強く、数が多く、強暴。

 

7節:それはわたしのぶどうの木を荒れすたらせ、わたしのいちじくの木を木っ端にした。これを丸裸に引きむき、投げ倒し、その枝々を真っ白にした。

ぶどうの木やイチジクを再生不能にする。農産業は当時の主産業であり、それを壊滅。イスラエルの国家的破壊に見える。

 

8節:悼み悲しめ。荒布をまとったおとめが、その若いときの夫のためにするように。

9節:穀物と注ぎのささげ物はの宮から断たれ、に仕える祭司たちは喪に服す。

10節:畑は荒らされ、地も喪に服す。穀物が荒らされ、新しいぶどう酒も干上がり、油も涸れるからだ

11節:恥を見よ、農夫たち。泣き叫べ、ぶどう作りたち。小麦と大麦のために。畑の刈り入れがなくなったからだ。

12節:ぶどうの木は枯れ、いちじくの木はしおれた。ざくろも、なつめ椰子も、りんごも、野のすべての木々は枯れた。喜びが人の子らから消え去った。」

人々は若い妻が夫を亡くした時のように泣き悲しみ、祭司は主にささげる穀物や葡萄酒が無く喪に服するように嘆き悲しみ、農夫たちも収穫がなくなり恥を感じ泣き叫んでいる。

 

13節:荒布をまとって悼み悲しめ、祭司たちよ。泣き叫べ、祭壇に仕える者たちよ。私の神に仕える者たちよ、行って荒布をまとって夜を過ごせ。穀物と注ぎのささげ物があなたがたの神の宮から退けられたからだ。

14節:断食を布告し、きよめの集会を招集せよ。長老たちとこの国に住むすべての者を、あなたがたの神、の宮に集め、に向かって叫び求めよ。

ヨエルが祭司たちに、断食を布告し、きよめの集会を呼びかける。

残されたことは祈りだけ。粗布をまとい、悲しみ、泣き叫べ、夜も昼も!もう神にささげる物は何もないのだから!
断食し、長老ほか、老若男女、主の宮で、主に向かって叫び求めよ! 出来ることは、悔い改めて主に立ち返り、叫び祈ることだけだ。

 

いなごの大災害は、ユダの民にとって神の前に悔い改める機会となったが、ヨエルはこのいなごの災害をベースに将来の預言を語る。これは主の日に至る序章である。

2021年10月28日

ヨエル1章15節~2章17節

15節:ああ、その日よ。の日は近い。全能者による破壊の日として、その日は来る。

「その日」、「主の日」、それは全能者による破壊の日。耐え難いほどの苦難の日(大患難時代)である。

16節:私たちの目の前で、食物が断たれ、私たちの神の宮から喜びも楽しみも消え失せたではないか。

17節:穀物の種は土の下で干からび、倉は荒れ果て、穴藏は崩れた。穀物がしなびたからだ。

18節:ああ、なんと家畜がうめいていることか。牛の群れはさまよう。牧場がないからだ。羊の群れも滅びる。

食物が断たれ、民の喜びは消え失せてしまった。
穀物も、備蓄していたものは、すべて劣化した。経済が荒れ果てた。
家畜の牛、羊は滅びる・・・擬人的に見れば、民が滅びてゆく様子ととれる。

最後の襲来は目を覆うほどにイスラエルは悲惨な状況となることを暗示。イスラエルの民、異邦人に対する、この地での最終的裁きの時!この地は、聖別の場となる!

 

19節:あなたに、よ、私は呼び求めます。火が荒野の牧場を焼き尽くし、野のすべての木を炎がなめ尽くしました。

20節:野の獣も、あなたをあえぎ求めています。水の流れが涸れ、火が荒野の牧場を焼き尽くしたからです。

ヨエルも、思わず神に呼び求めています。その惨劇は見るに堪えない。他国の侵略に加え、火と炎がイスラエルを襲う。牧場も野も木々もなめつくされた。更に野の獣は水を失い喘ぎ求め、食料となるものもすべて消え失せた。
野の獣を擬人法で読み解くなら、神を信じ切れず逃げ惑う人々が力尽き、飢え、喘ぐ姿

2章

1節:「シオンで角笛を吹き鳴らし、わたしの聖なる山でときの声をあげよ。」地に住むすべての者は、恐れおののけ。の日が来るからだ。その日は近い。

神は全人類に宣言される。「角笛を鳴らし、エルサレムでときの声を上げよ!」
これは「敵の侵入に備えよ!」の角笛。これから起こる悲劇はまさに大患難時代。


2節:それは闇と暗闇の日。雲と暗黒の日。数が多く、力の強い民が、暁とともに山々の上に進んで来る。このようなことは、昔から起こったことがなく、これから後、代々の時代までも再び起こることはない。

その日「主の日」は、闇と暗闇、雲と暗黒の日である。ゼパニヤ1:14~16参照。

暁の日の光のように、山の上から光が差すように、数多くの力強い悪霊の軍が各国に攻め入る。世界規模。これは最初で最後の、つまりは、神の裁きである。

 

3節:彼らの前は火が焼き尽くし、うしろは炎がなめ尽くす。彼らが来る前は、この地はエデンの園のよう。しかし、去った後は、荒れ果てた荒野となる。これから逃れるものは何もない。

「主の日」の襲来は火と炎。前も後ろも火の海。エデンの園のような土地は荒野になる。

 

4節:その姿は馬さながら、軍馬のように駆け巡る。

5節:その音は戦車のきしり、山々の頂を飛び跳ねる。その音は刈り株を焼き尽くす火の炎、戦いの備えをした強い民のよう。

6節:諸国の民はその前でもだえ苦しみ、顔はみな青ざめる。

その悪霊の攻撃は軍隊のようで、あっという間に国々を焼き尽くす、滅ぼす。諸国は青ざめる。様々な攻撃に対して、何の対抗手段もないから。

 

7節:それは勇士のように走り、戦士のように城壁をよじ登る。それぞれ自分の道を進み、進路を乱さない。

8節:互いに押し合わず、それぞれ自分の大路を進む。投げ槍が降りかかっても、止まらない。

9節:町に襲いかかり、城壁の上を走り、家々によじ登り、盗人のように窓から入り込む。

10節:地はその前で震え、天も揺れる。太陽も月も暗くなり、星もその輝きを失う。

どんな防御も、防衛も役に立たず、町に侵入され人類が侵略される。加えて天変地異(大地震や宇宙規模の異変)が地上、つまり地球を襲う。

 

11節:はご自分の軍隊の先頭に立って声をあげられる。その陣営は非常に大きく、主のことばを行う者は強い。の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられるだろう。

あたかも、サタンの差し金による侵略に見えるが、すべては神がなされている裁きである。主の日とは、かつてない恐怖であり、誰も耐えられない!


12節:「しかし、今でも ―のことば― 心のすべてをもって、断食と涙と嘆きをもって、わたしのもとに帰れ。」

「しかし、今でも」、新共同訳「今こそ」、原語では「今」+「なお」、「しかし」。
「今でも遅くはない、今こそ心を尽くして主に立ち返れ!」という意味合い。


13節:衣ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深い。怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる。

14節:もしかすると、主が思い直してあわれみ、祝福を後に残しておいてくださるかもしれない。あなたがたの神、への穀物と注ぎのささげ物を。

外面的な行動ではなく、内面的実質的な心の悔い改めをせよ!神に立ち返れ!
なぜなら、「主は情け深く、あわれみ深い。怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる」お方だから。

神はいつの時代でも、忍耐強く、民の悔い改めによる立ち返りを待っておられる。

15節:シオンで角笛を吹き鳴らせ。断食を布告し、きよめの集会を招集せよ。

16節:民を集め、会衆を聖別せよ。老人たちを呼び集め、幼子と乳飲み子たちを集めよ。花婿を寝室から、花嫁を自分の部屋から呼び出せ。

「主の日」なのだ。これが最後だ!断食ときよめの集会の角笛を吹き鳴らせ!
老若男女、幼子も乳飲み子も、新婚の夫婦もすべてこの祈りに参加せよ!

17節:神殿の玄関と祭壇の間で、に仕える祭司たちは泣いてこう言え。「よ、あなたの民にあわれみをかけてください。あなたのゆずりの地を、国々のそしりの的、物笑いの種としないでください。諸国の民の間で、『彼らの神はどこにいるのか』と言わせておいてよいのでしょうか。」

ささげる物は何もない祭司たち、泣いて祈れ。「主よ、心からお詫びします!悔い改めます!あなたに立ち返ります! どうかこのゆずりの地を国々のそしりとさせず、物笑いの種にならないようにしてください。あなたの栄光が汚されることのないようにしてください! 私たちが愚かでした! 異邦の民が、『神などいないではないか』と言わせないでください。」

2021年11月11日

ヨエル2章18節~32節

18節:はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民を深くあわれまれた。

神はイスラエルの民(ご自分の民)とともに、エルサレム(ご自分の地)も愛する。
ゼカリヤ 1:14~17、8:2~6 にも「ねたむほどに・・愛する」とある。
「ねたむ」とは、出エジ34:14、エゼ39:25にもあるように、非常に強い愛を表すこだわりの表現。
18節は並列法で書かれていることから、「ねたむ」と「深くあわれむ」の言葉は違えど、神は両者を同等に愛し、執着していることがわかる。それ故、エルサレムが常に存続し、併せてイスラエルの民も常にどんな状況になろうと残れる民となる。
この節は、エルサレムとイスラエルの民に対する神の根本姿勢を示している。。

 

19節:は民に答えられた。「今、わたしは穀物と新しいぶどう酒と油をあなたがたに送る。あなたがたはそれで満ち足りる。わたしは二度とあなたがたを、国々の間でそしりの的としない。

あわれみ深く、怒るのに遅い慈しみの神、主は、民の17節の祈りを聞いて、答えられた。
諸国のそしりから回復させ、穀物、葡萄酒、油・・つまり産業を回復させる。

 

20節:わたしは、北から来るものをあなたがたから遠ざけ、それを荒廃した砂漠の地へ追いやる。その前衛を東の海に、その後衛を西の海に。その悪臭は立ち上り、その腐った臭いは立ちこめる。主が大いなることを行ったからだ。」

北から来るもの・・北からのイスラエルを攻める軍勢をハルマゲドンの戦いで主が打たれる。ネゲブの砂漠に追いやり、その前衛部隊を東の海(死海)で滅ぼし、後衛部隊は西の海(地中海)で滅ぼす。異邦人への最後の戦いである

「主が大いなることを行った」とは、大患難時代の、最終の裁きを行ったということ。

21節:地よ、恐れるな。楽しみ、喜べ。が大いなることを行われたからだ。

22節:野の獣たちよ、恐れるな。荒野の牧草が萌え出で、木が実を実らせ、いちじくとぶどうの木が豊かに実る。

23節:シオンの子らよ。あなたがたの神、にあって、楽しみ喜べ。主は、義のわざとして、初めの雨を与え、かつてのように、あなたがたに大雨を降らせ、初めの雨と後の雨を降らせてくださる。

24節:打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油であふれる。

この大患難時代の最後の裁きが行われたなら、もう恐れることはない。楽しみ喜べ!
野の獣よ、牧草が回復し食料が満ち溢れるから。
イスラエルの民よ、神の民よ。楽しめ、喜べ。!
新改訳2017「主は、義のわざとして、初めの雨を与え」、第3版「主はあなたがたを義とするために、初めの雨をたまわり」、新共同「主はあなたたちを救うために、秋の雨を与えて豊かに降らせてくださる」・・物理的な雨とともに、聖霊の傾注がなされる・・物質的にも、また、霊的にも回復するという状況を表現していると判断できる!
⁂「初めの雨」は「義の教師」と解釈すべき。「義の教師」とは、イエス様。

25節:「いなご、あるいは、バッタ、その若虫、嚙みいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が食い尽くした年々に対して、わたしはあなたがたに償う。

これまでの異邦人による大襲来に対して償う。単に賠償するという意味ではない!
償う・・原語は「シャーラム」で、「回復する、完成する、報いる、償う」という意味がある。
神は、裁かれてきたイスラエルの民を、ここに完全な神の民として回復、完成させる!

 

26節:あなたがたは食べて満ち足り、あんたがたの神、の名をほめたたえる。主があなたがたに不思議なことをするのだ。わたしの民は永遠に恥を見ることがない。

27節:あなたがたは、イスラエルの真ん中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、主であり、ほかにはいないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。

イスラエルの民は、永遠に恥を見ることが無くなる。それは、主が、人間にとってとても不思議なことをなさるから、・・・
イスラエルの民はすべてに充足して、主をたたえるようになる。
常にイスラエルの真ん中で主が民と共存し、もう偶像は存在しない。

 

28節:その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る。

29節:その日わたしは、男奴隷にも女奴隷にも、わたしの霊を注ぐ。

30節:わたしは天と地に、しるしを現れさせる。それは血と火と煙の柱。

31節:の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。

32節:しかし、の御名を呼び求める者はみな救われる。が言ったように、シオンの山、エルサレムには逃れの者がいるからだ。生き残った者たちのうちに、が呼び出す者がいる。」

「その後」・・大患難の裁きとイスラエルの民の悔い改めが終わった時、という意味。
ここに示される内容は、聖霊の傾注と大患難時代のイスラエルの残れる者の救いである。
「すべての人」とは、32節の主の御名を呼び求めるイスラエルの民ということである。

 

「霊が注がれる」・・使徒2章17節~18節でペテロがこの個所を引用して聖霊降臨を説明しているペテロは、ヨエル書による聖霊の傾注と同じ現象が、今ここに起きていることを表現した。決して、この時が大患難の最後の時ということではない。ましてや、イスラエルから取り去られ教会に注がれた、という意味では、決してない。
なぜなら、

ペテロは、あえて使徒2章19節~21節まで語っている。この預言の真意がここに含まれているからである。

19節:また、わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。20節:主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。21節:しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。」
つまり、ヨエル書がいう大患難後の聖霊傾注の時には・・天と地にふしぎが現れ、血と火と立ち上る煙があり、太陽は闇に、月は血に変わるという現象が起こらなければならないということである

2021年11月18日

ヨエル書3章1節~21節

1節:「見よ。わたしがユダとエルサレムを回復させるその日、その時、

「見よ」イスラエルの回復の、その時になされるハルマゲドンの戦いの最終局面を見よ。
ハルマゲドンの戦いは、ボツラから始まりヨシャパテの谷で決着する最も悲惨な裁き。

2節:わたしはすべての国々を集め、彼らをヨシャファテの谷に連れ下り、わたしの民、わたしのゆずりイスラエルのために、そこで彼らをさばく。彼らはわたしの民を国々の間に散らし、わたしの地を自分たちの間で分配したのだ。

3節:彼らはわたしの民をくじ引きにし、少年を渡して、遊女を得、少女を売って、酒を得て飲んだ。

異邦の国々をヨシャファテの谷に集める。ヨシャファテは「主の裁き」という意味。この谷は実名の場所がなくケデロンの谷と見なされている。そこで裁く!

裁きの理由は、イスラエルの民を離散させたから。神が愛する地を自分たちの間で分配したから。神の民を奴隷として売渡し、悪を行ったから。

 

4節:ツロとシドン、またペリシテの全地域よ。おまえたちは、わたしにとって何なのか。わたしに報復しようとするのか。もしわたしに報復しようとしているなら、わたしはただちに、速やかに、おまえたちへの報いをおまえたちの頭上に返す。

5節:わたしの銀と金をおまえたちが奪い、わたしのすばらしい財宝をおまえたちの神殿へ運び、

6節:ユダの人々とエルサレムの人々をギリシア人に売って、彼らの領土から遠く離れさせたからだ。

ツロ、シドン、そしてペリシテの全地域。地中海に面した海洋都市群。この都市、国家はイスラエルに敵対する存在。現在でも、この地域で争いが絶えない。神に敵対するつもりで、エルサレム、イスラエルの民を痛めつけるのなら、神ご自身が報いを与える。振り返れば、財宝を奪い神の神殿を荒らし、ユダヤの民をギリシア人に売り、離散させた。

 

7節:見よ。わたしは、おまえたちが彼らを売ったその場所から彼らを呼び戻して、おまえたちへの報いをおまえたちの頭上に返し、

8節:おまえたちの息子、娘たちをユダの人々に売り渡す。彼らはこれを、遠くの異邦の民シェバ人に売る。―は言われる。」

神は、離散の民を集め戻し、異邦の民の娘、息子をイスラエルの人々に売り渡す。イスラエルの人々は異邦の民シェバ人(アラビヤの人々)に売り渡す。

 

9節:「国々の間で、こう叫べ。聖戦を布告せよ。勇士たちを奮い立たせよ。すべての戦士たちを集めて上らせよ。

10節:あなたがたの鋤を剣に、あなたがたの鎌をを槍に打ち直せ。弱い者に『私は勇士だ』と言わせよ。

11節:周りのすべての国々よ。急いで来て、そこに集まれ。―よ、あなたの勇士たちを下らせてください―

12節:諸国の民は立ち上がり、ヨシャファテの谷に上って来い。わたしがそこで、周辺のすべての国々をさばくために、座に着くからだ。」

「国々の間で」・・異邦人諸国のこと。彼らに「聖戦を布告せよ!」と命じている。それは、 異邦人諸国が、聖戦という名のユダヤ人迫害をせよ!との神からの命令!
この命令に、諸国の統治者「反キリスト」が応答し、諸国の軍が決起する。
普段、兵士ではない者も駆り出し、立ち上って来い!と神は駆り立てている。神が、全異邦人の裁きを考えていることが伺える。
―主よ!あなたの勇士たちを下らせてください― とは、御使いのことであるが、主には必要ない。主は一人で処理される。
ヨシャファテの谷まで来い!と言われる。そこで主は裁きの座につかれる。


13節:鎌を入れよ。刈り入れの機は熟した。来て、踏め。踏み場は満ちた。石がめはあふれている。彼らの悪がひどいから。

14節:判決の谷には、群衆また群衆。の日が判決の谷に近づくからだ。

「鎌を入れよ」・・刈り入れの時である。刈り込まれたぶどうの実、すなわち異邦人の数が相当数(群衆また群衆)判決の谷(ヨシャファテの谷)に集められ裁かれる。
大量の異邦人の血は都の外(ヨシャファテの谷)に溜まる。それは、馬のくつわの高さ×1600スタディオン(約300km)に広がった。【黙示録14:14~20参照】


15節:太陽も月も暗くなり、星もその輝きを失う。

16節:はシオンからほえ、エルサレムから声をあげられる。天も地も震える。はその民の避け所、イスラエルの人々の砦である。

太陽も月も暗くなり、星も見えない状態。裁きの深刻さが感じられる。【マタイ24:29】
この時、主はエルサレムから声を上げ、天地が震え、地殻大変動が起こる。異邦人には恐怖であるが、イスラエルの民は、主が自分たちの砦と知る。


17節:「あなたがたは知るようになる。あなたがたの神、であるこのわたしが、わが聖なる山、シオンに住むことを。エルサレムは聖なる所となり、他国人が再びそこを通ることはない。

神は宣言される。イスラエルの民よ、わたしはあなた方の神であり、エルサレムに住まい、そこが聖なるところとなる。もう異邦人が来ることはない!そのことを知りなさい!!ハルマゲドンの戦いの終わりである。


18節:その日には、山に甘いぶどう酒が滴り、丘には乳が流れ、ユダの谷川のすべてに水が流れ、泉がの宮から湧き出て、シティムの渓流を潤す。

地殻変動後の回復の時。この地の川は水で満ち、葡萄酒、乳が溢れんばかりとなる。主の宮から東に向かいヨルダン渓谷(アカシアの渓流)へ流れる。【エゼキエル47:1~12】
自然界も回復されることを示す。


19節:エジプトは荒れ果てた地となり、エドムは荒れ果てた荒野となる。彼らの、ユダの人々への暴虐のためだ。彼らはその地で、咎なき者の血を流した。

20節:しかし、ユダは永遠に、エルサレムは代々にわたって人の住む所となる。

エジプト、エドムは荒廃した土地となる。彼らはユダの人々を暴虐し、咎なき民を殺したためである。それにかわり、エルサレムは永遠に人の住むところとなり、神と共に住まうことになる。

21節:わたしは彼らの血の復讐をし、罰せずにはおかない。はシオンに住む。」

神は必ず、ユダの民が流した血の復讐を実行する。決して忘れない。
そして、神はシオン、エルサレムに住まわれ、民と共におられる。

ついに、メシア的王国の実現である。ハレルヤ‼

2021年11月24日

アモス1章1節~2節

1節:テコア出身の牧者の一人であったアモスのことば。これはユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代、あの地震の二年前に、イスラエルについて彼が見た幻である。

アモス・・・「重荷を負う者」の意味。
出身地・・・南ユダ王国のテコア(死海の西にある小さな村)
活動期間は、BC810年からBC750年、さらに狭めれば、BC770年~750年頃か。
職業・・・牧者(ブリーダー、繁殖をつかさどるリーダー的存在)
  ・・・イチジク桑の木を栽培する農夫。職業的預言者ではない。(アモ7:14)
       (エリヤ、エリシャによって建てられた預言者の学校出身ではない)

羊飼いは当時の社会的地位は決して高くないことに留意。
南ユダはウジヤ王、北イスラエルはヤロブアム2世の時代。
大きな地震(ゼカリヤ14:5)が起きた、その2年前に彼が見た北イスラエルに対する神の預言の幻。
アモスは預言者として、とてもユニークな存在!
日頃から、神との関係を純粋に築き上げていた結果、余計な詮索や邪推のない信仰者ゆえに、彼の心は神としっかり繋がっていたのではないか!

 

2節:彼は言った。主はシオンからほえ、エルサレムから声をあげられる。羊飼いの牧場は乾き、カルメルの頂は枯れる。
主はシオンからほえ、エルサレムから声をあげられる。ヨエル3:16と同じフレーズ。ヨエル書では、大患難時代の最終末に、全地に発せられた神の声。
しかし、アモス書では、北イスラエルにこれから語られる預言についての神の声。
「カルメルの頂は枯れる」・・・エリヤとバアルの預言者たちとの闘いで有名な場所。 水の豊富なカルメル山。飢饉でもこの山には水があった。そんな場所でも水が枯れるということ。

2021年11月27日

アモス1章3節~10節

「三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。」のパターンがある。

数の満ちる様を表す。裁きの預言に必ず付く冒頭文が繰り返される。

数字の完全数7ということ、3(完全)と4(無限)ということから、そのような状況にまで罪が進んでいる。

「顧みない」・・これは厳しい意味を含む。

新共同訳:決してゆるさない。 口語訳:ゆるさない。「取り消しのきかない」の意味。


3節:はこう言われる。「ダマスコの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らが鉄の打穀機でギルアデを踏みにじったからだ。

4節:わたしはハザエルの家に火を送る。その火はベン・ハダドの宮殿を焼き尽くす。

5節:わたしはダマスコのかんぬきを打ち壊す。王座に着いている者をアベンの谷から、王笏を持っている者をベテ・エデンから断つ。こうしてアラムの民はキルへ捕らえ移される。―は言われる。」

ギルアデ:アラムの王ハザエルとの激戦地。当時多くのイスラエルの民が住む。特にマナセ族、ガド族など。
ハザエルの家:ハザエル王家
ベン・ハダドの宮殿:ハザエルの息子の支配時代
イスラエルは徹底的に痛めつけられた。神がアラム(ダマスコ)を用いてイスラエルを裁かれたが、アラム(ダマスコ)もその非道により裁かれることになる。

 

⁂アラムの王ハザエルについて

Ⅱ列王記8:7~15・・ダマスコ(アラム)の王の交代劇。ハザエルがベン・ハダド(1世)を暗殺。ハザエルがイスラエルを虐待することも、神がエリシャを通して示された。
Ⅱ列王記9:14~15・・北イスラエルのヨラム王とアラムのハザエル王との戦い。
Ⅱ列王記10:31~33・・ハザエルがイスラエルの全領土で彼らを打ち破る。
Ⅱ列王記13:1~7・・ハザエル、ベン・ハダド(ハザエルの子で、ベン・ハダド3世)による北イスラエルへの厳しい虐げ。一人の人・・アッシリヤの王(アダッド・ニナリ3世)がアラムを攻める。

Ⅱ列王記16:5~9・・神はアッシリヤを用いて、北イスラエル18代ペカ王の時代に、ダマスコ(アラム)を裁かれる。民は捕囚となり、キルへ移される。

 

6節:はこう言われる。「ガザの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らがすべての者を捕囚の民として捕らえ移し、エドムに引き渡したからだ。

7節:わたしはガザの城壁に火を送る。その火はその宮殿を焼き尽くす。

8節:わたしは、王座に着いている者をアシュドデから、王笏を持つ者をアシュケロンから断つ。わたしはエクロンに手を向け、ペリシテ人の残った者は滅びる。―である主は言われる。」

ガザは西の沿岸地域の都市国家
ユダヤ人の奴隷売買についての言及。ペリシテ(ガザ)はユダヤ人をエドムに売って、富を得ていた。

エクロンは一時北イスラエルの領地だった。

この預言は、南ユダ ウジヤ王の時代に成就している(Ⅱ歴代誌26:6)。

神はユダヤの民に対する虐げを決して見過ごしてはおられない。
各都市の権威を滅ぼし、残っていたペリシテ人も滅ぼされる。
ダマスコと異なり、ここでは明確に「滅ぼす」と言われている。取り消しはない!

 

9節:はこう言われる。「ツロの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らがすべての者を捕囚の民としてエドムに引き渡し、兄弟の契りを覚えていなかったからだ。

10節:わたしはツロの城壁に火を送る。その火はその宮殿を焼き尽くす。」

ツロ(フェニキア)の裁き
ツロは奴隷貿易の拠点。エゼ27:13
すべての者をエドムに奴隷として売った。
兄弟の契り・・兄弟契約
ダビデ:Ⅱサム5:11
ソロモン:1列5:1~18
この契約を無視している。故に、神の怒りは、ガザよりも激しいものである。


2021年12月02日

アモス1章11節~2章5節

11節:はこう言われる。「エドムの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らが剣で自分の兄弟を追い、あわれみを断ち、いつまでも怒り、どこまでも激しい怒りを保ち続けたからだ。

12節:わたしはテマンに火を送る。その火はボツラの宮殿を焼き尽くす。」

エドムの先祖はヤコブの兄弟エサウ。
裁かれる原因は、血縁関係(民族的兄弟関係)でありながら、その敵意は激しく執拗で、怒りをいつまでも持ち続けたから。
裁きはテマン、ボツラを火で焼き尽くす。

 

13節:はこう言われる。「アンモン人の三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らがギルアデの妊婦たちを切り裂いて、自分の領土を広げたからだ。

14節:わたしはラバの城壁に火を放つ。その火はその宮殿を焼き尽くす。戦いの日の、ときの声のうちに、つむじ風の日の突風とともに。

15節:彼らの王は、その高官たちとともに捕囚の身となる。―は言われる。」

アンモン人の先祖は、ロト(アブラハムの甥)。
ギルアデ地域で、ユダヤの人々に、人種を滅ぼすごとき殺戮を行った。妊婦たちを切り裂くという蛮行。そうして、自分の領土を広げたからである。
ラバとは、首都。戦いが始まるや否や、大国の軍隊に簡単に滅ぼされる。王も高官も捕囚される。前582年、ネブカデネザル2世(バビロン)に攻められ、前530年ごろ、滅亡。

 

2章

1節:はこう言われる。「モアブの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼がエドムの王の骨を焼いて灰にしたからだ。

2節:わたしはモアブに火を送る。その火はケリヨテの宮殿を焼き尽くす。モアブは、どよめきのうちに、ときの声と角笛の音のうちに死ぬ。

3節:わたしはさばく者を町の真っただ中で滅ぼし、そのすべての高官たちを彼とともに切り殺す。―は言われる。」

モアブは、ロト(アブラハムの甥)の子孫。
エドムの王の骨を焼いて灰にした。当時の習慣では、相当の冒涜、侮辱だった。
ケリヨテは場所の特定できず。新共同訳の注釈には死海の東岸の都市。原語から、町々と考える人もあるが、文脈から見ると一つの町の方が、適切と思える。
ケモシュ神の聖所があり、偶像礼拝の町。Ⅰ列11:33。
戦いに敗れ、さばきつかさ、高官たちは惨殺。エルサレム陥落後の5年後に滅亡か。

 

4節:はこう言われる。「ユダの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らがのおしえを捨てて、その掟を守らず、先祖がつき従ったまやかしものが彼らを惑わしたからだ。

5節:わたしはユダに火を送る。その火はエルサレムの宮殿を焼き尽くす。」

南ユダから来た預言者が、自らの国の裁きについて語る。
周辺諸国の裁きは、歓迎するが、さすがに南ユダの裁きとなるとどうしても聞き耳を立ててしまうのではないか。語るアモスは、自国の行く末も見ているということである。しかし、詳細は語らない。確実に起こることを端的に伝えている。
裁かれる原因は、掟=律法を守らず偶像に惑わされたから。
この裁きはバビロン捕囚(BC586年)に成就。

2021年12月30日

アモス2章6節~3章15節

2章

6節:はこう言われる。「イスラエルの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。彼らが金と引き換えに正しい者を売り、履き物一足のために貧しい者を売ったからだ。

7節:彼らは、弱い者の頭を地のちりに踏みつけ、貧しい者の道を曲げている。子とその父が同じ女のもとに通って、わたしの聖なる名を汚している。

8節:彼らは、すべての祭壇のそばで、質に取った衣服の上に横たわり、罰金で取り立てたぶどう酒を自分たちの神の宮で飲んでいる

賄賂と引き換えに、正しい者を有罪にし、取るに足りない金銭目当てに、貧しい者を公正に扱わない裁判官。申命記16:19
こうした上層部の人間は、弱者を押さえつけ彼らの訴えを聞かない。
彼らは、父と子で、同じ女、すなわち神殿娼婦と淫行する。レビ記18:3、21
彼らは、すべての祭壇のそばで、質草にとった衣服の上に横たわり、申命記24:12~13
罰金という不正で葡萄酒を得、自分たちの神殿でバアル礼拝的酒宴をする。偶像礼拝

弱者の虐待、淫行、偶像礼拝をし、神の民にあるまじき行為を重ねていた。北イスラエルは繁栄していたが、相当な格差社会構造であった。宗教心は熱心であったが、それは本物の神に対してではなかった。

 

9節:彼らの前からアモリ人を滅ぼし尽くしたのは、このわたしだ。彼らは杉の木のように背が高く、樫の木のように強かった。わたしは、その上の実も下の根も滅ぼし尽くした。

10節:あなたがたをエジプトの地から連れ上り、四十年の間、荒野の中であなたがたを導き、アモリ人の地を所有させたのは、このわたしだ。

11節:わたしが、あなたがたの息子たちから預言者を、あなたがたの若者からナジル人を起こしたのだ。そうではなかったか。イスラエルの子らよ。ーのことば―

そもそも、
アモリ人(カナンの先住民、高身長で屈強な人種)を壊滅したのはわたし神である。
何のために?・・選民イスラエルのためにである。
エジプトから解放し、40年間荒野の中であなたがたを導き、改めてカナンの地を私有させたのは誰か?そして、必要な時に預言者を与え、またナジル人を与えてきたのは。

それは、何故か?それは約束であり、神が民を愛しておられるからである。
⁂ナジル人とは、神が民と共にいる「しるし」を示す人。聖別された者

《特長
酒を断つ。(葡萄酒、強い酒)
聖別期間中、髪を切らない。
死体に近づいてはならない。


12節:しかし、あなたがたはナジル人に酒を飲ませ、預言者には『預言するな』と命じた。

神のしるし、神の声をことごとく無視する、神を忘れた民よ!!

13節:見よ。このわたしが、あなたがたを押しつぶす。束を満載した荷車が押しつぶすように。

14節:足の速い者も逃げ場を失い、強い者も力をふるえず、勇士も自分を救えない。

15節:射手も立ちおおせず、足の速い者も逃げられず、騎手も自分を救えない。

16節:勇士のうちの、心の強い者も、その日には裸で逃げるようになる。―のことば。」

圧倒的な強さが、北イスラエルを覆いつくし、逃げることもできず、反抗もできず、ただ、押しつぶされてゆく光景。神の怒りがどれほどのものかを考えさせられる。

 

3章

1節:「イスラエルの子らよ。聞け。主があなたがたについて告げた、このことばを。わたしがエジプトの地から連れ上った、あなたがたすべての部族についてのことばを。

出エジプト以降、主があなたがたに告げていたことばを聞け!思い出せ!それは申命記に記された契約事項。

2節:わたしは、地のすべての種族の中から、あなたがただけを選び出した。それゆえ、あなたがたのすべての咎のゆえにわたしはあなたがたを罰する。」
「あなたがただけを」・・イスラエル民族限定を強調している。
「選び出した」は原語で見ると「知った」であり、これは契約関係を指す。
選民としての特権は、同時に選民としての応答が発生する。
クリスチャンも同様、救われた者は、神の期待に応える生き方が求められる。神のあわれみに与ったことに対する感謝と応答が必要!

 

3節:約束もしていないのに、二人の者が一緒に歩くだろうか。

「約束をしていないのに」・・原語で見ると、2節の「知る」と重なる。
従って、更に訳せば、「契約関係にない二人(神とイスラエルの民)が、ともに歩むということがあるだろうか?」という訳。契約関係にあるということが重要。
更に、「一緒に歩く」・・ということばは、アブラハムとイサク、新約で言えば、天の父なる神とイエス様の関係に似る。共に、ビジョンが一致していることがポイント。
私達も神のビジョンを共有し、信頼してクリスチャン人生を歩む必要がある。


4節:獲物もないのに、獅子が森の中で吼えるだろうか。何も捕らえていないのに、若獅子がその洞穴で声をあげるだろうか。

獅子が吠える・・神が怒られる。それは獲物、すなわち罪人がいるからだ

罪人が確定したのだから、神(御子)が見えないところから裁きを下される。

 

5節:罠も仕掛けられていないのに、鳥が地の鳥網にかかるだろうか。何も捕らえていないのに、鳥網が地面から跳ね上がるだろうか。

罪を犯したから、神の裁きに会う。罪を犯したから、神の怒りが発動したのだ。約束を反故にする民の非忠実的な行動を、神は指摘している。


6節:角笛が町で鳴らされたら、民は驚かないだろうか。町にわざわいが起こったら、がそれをなされたのではないか。

平穏に生活しているところに、突然、戦いの角笛が鳴り響いたら、民は驚く。
自分が罪人だと気づかない者にとって、突然の侵略は、わざわいであるが、
そのわざわいは、神のなさった裁きであることを知れ。


7節:まことに、である主は、ご自分の計画を、そのしもべである預言者たちに示さずには、何事もなさらない。

預言者アモスは、心の底から、「神のみことばを聞け!」とばかり、預言する。神は決してご自分の計画を事前に預言者に示さずに、裁きを下すことはない。


8節:獅子が吼える。だれが恐れないでいられよう。である主が語られる。だれが預言しないでいられよう。

獅子が吠える。それは神の裁き。その裁きは本当に恐ろしいことなのだ。だからこそ、神は、必ず事前に預言せずにはおられない。愛の神だから。

 

9節:「アシュドデの宮殿とエジプトの地の宮殿に告げよ。「サマリアの山々の上に集まり、その町の大いなる混乱と、そのただ中の抑圧を見よ。」

アシュドデの宮殿・・ペリシテ人、エジプトの地の宮殿・・エジプト人。彼らに、サマリヤすなわち北イスラエルの暴虐の証人となるよう命じる。つまり、その暴虐は彼らと同等、または酷いものだったと考えられる。


10節:彼らは正直に事を行うことを知らない。―のことば― 彼らは自分たちの宮殿に、暴虐と暴行を宝物のように蓄えている。」

律法に従わず、神を忘れ、神の民として忠実に行動しない北イスラエル。彼らは、宮殿、すなわち支配階級の政治は、暴虐と暴行を宝物としている。確かに豊かではあったが、内情は不正、搾取、そしてひどい格差社会だった。


11節:それゆえ、である主はこう言われる。「敵が、この地を取り囲み、あなたの権威を地に落とす。あなたの宮殿はかすめ奪われる。」

「敵が、この地を取り囲み、」・・北イスラエルを取り囲む大国・・アッシリヤ。
「権威を地に落とす」・・完全に征服される。
「かすめ奪われる」・・あっと言う間に捕囚される状況
北イスラエル王国は、大国に取り囲まれ、征服され、あっと言う間に捕囚されて行く。

Ⅱ列王17:5~8を参照)BC.722年のアッシリヤ捕囚の預言。


12節:はこう言われる。「羊飼いが獅子の口から二本の足、あるいは耳たぶだけでも取り戻すように、サマリアに住むイスラエルの子らは、寝台の隅やダマスコの長椅子とともに救い出される。

サマリヤ人の少数は生き残される。

 

13節:聞け。ヤコブの家に証言せよ。―である主、万軍の神のことば―

北イスラエル王国と共に、南ユダも含めて語られる神のことば。証言せよ!とは、まさにアモスが言われたことばであり、全イスラエルに伝える神の怒りの厳しさ。

 

14節:まことに、イスラエルの背きのゆえに わたしが彼の上に報いる日に、わたしはベテルの祭壇を罰する。その祭壇の角は折られ、地に落ちる。

15節:わたしは冬の家と夏の家を打つ。象牙の家は滅び、大邸宅も消え失せる。―のことば。」

ベテルの祭壇を罰し、子牛の像を破壊する。権威は地に落ちる。王家、高官に対する完全なる裁き。王家は冬、夏の別荘があり、象牙の大邸宅を有していた。それらはすべてかすめ奪われる。

2021年12月31日

アモス4章

1節:このことばを聞け。サマリアの山にいるバシャンの雌牛どもよ。おまえたちは弱い者を虐げ、貧しい者を迫害し、自分の主人に「何か持って来て、飲ませよ」と言っている。

「このことばを聞け。」・・神の叱責。バシャンの雌牛どもとは、肥沃な高原の平地(ゴラン高原)に育つ肥えた牛。サマリヤ、つまり北イスラエルの上層部の婦人たちを比喩している。夫に弱者から奪い取るよう言って、贅沢をせびっている。


2節:神である主は、ご自分の聖にかけて誓われる。「見よ、その時代がおまえたちに来る。おまえたちは釣り針にかけて引き上げられる。最後の一人までが、銛で突かれる。

その時代・・アッシリヤ捕囚の時。全員釣り針にかけられ、全員銛でつかれ、縄にかけられる様は、まさにアッシリヤ捕囚を表現している。

 

3節:おまえたちは、城壁の破れ口からそれぞれまっすぐに出て行き、ハルモンに放り出される。―主のことば。

ハルモンとは、ヘルモン山?詳細は不明。捕囚され、散らされるの意味。

 

4節:ベテルに行って背け。ギルガルに行って、ますます背け。朝ごとにあなたがたのいけにえを献げよ。三日ごとに十分の一を献げるがよい。

5節:感謝のささげ物として、種入りのパンを焼き、進んで献げるものを布告し、ふれ知らせるがよい。イスラエルの子らよ、あなたがたはそうすることを好んでいる。―神である主のことば。

ベテル、ギルガルで偶像を拝めばよい!益々拝め!まるで律法に従っているように見えるが、一体何を拝んでいるのか?いったい誰に捧げているのか?
その自己中心的な捧げものをあなたは喜んでやっている。

確かに、その宗教心(行い)はとても熱心である。問題は、その対象が的外れになっていること。的外れは気付かぬうちに罪を生む。

6節:わたしは、あなたがたのすべての町で、あなたがたの歯を汚さず、すべての場所で、パンを欠乏させた。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。

―主のことば―

全地域的な飢饉を起こし、歯が汚れることもないほどに食料を不足させた。その時、神に悔い改めて、神に信頼し委ねる信仰に帰ってほしかったのに・・。

 

7節:わたしはまた、刈り入れまでなお三か月あるのに、あなたがたに雨をとどめた。ある町には雨を降らせ、ほかの町には雨を降らせなかった。ある畑には雨が降ったが、雨の降らなかった畑は乾ききった。

8節:二、三の町は水を飲むために、よろめきながら一つの町に行った。しかし、満ち足りることはなかった。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった―主のことば。

干ばつを与えたが、6節同様、神に帰って来ることはなかった。
完全なる干ばつにはされなかったところに、神の愛がある。


9節:わたしは立ち枯れと黒穂病で、あなたがたを打った。あなたがたの果樹園とぶどう畑、いちじくの木とオリーブの木が増えても、嚙みいなごが食い荒らした。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。―主のことば―

農作物に、黒穂病や噛みいなごによって大被害を与えたが、神に帰らない。


10節:わたしは、エジプトにしたように、疫病をあなたがたに送った。剣であなたがたの若者を殺し、あなたがたの馬を奪い去った。あなたがたの陣営に悪臭を上らせ、あなたがたの鼻をつくようにした。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。―主のことば―

とうとう、エジプトのように疫病を送り、また戦で大損害を与えた。死体の悪臭は鼻をつくほどだったのに、神には帰らなかった。


11節:わたしは、あなたがたをくつがえした。神がソドムとゴモラをくつがえしたように。あなたがたは、炎の中から取り出された燃えさしのようになった。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。―主のことば。

ソドム、ゴモラのように炎に包み、あなたは燃えさしのようになりつつ助かったのに、神に帰ることはなかった。


12節:それゆえイスラエルよ、わたしはあなたにこのようにする。わたしがあなたにこうするから、イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ。

もう、神のリミッターは切れてしまった。それ故、このようにする。イスラエルよ、覚悟せよ!それは、アッシリヤ捕囚。ここで、「あなたの神に会う備えをせよ」と命じていることに注目! 新共同訳では、「自分の神と出会う備えをせよ」となっている。

これは、神の期待の表明ともとれる。アッシリヤ捕囚は裁きであるが、将来において、真の悔い改めによって神と出会う道を備えるから、その準備をしなさい!

13節:見よ、山々を形造り、風を創造した方。その御思いが何であるかを人間に告げる方。暁と暗闇を造り、地の高き所を歩まれる方。その名は万軍の神、主。

「その御思いが何であるかを人間に告げる方。」とは・・
神の目的は栄光の証明、成就である。そこには、人間の栄化も含まれている。そのような目的を持たれる神はほかに存在しない!
新共同訳では、「見よ、神は山々を造り 風を創造し その計画を人に告げ 暗闇を変えて曙とし 地の聖なる高台を踏み越えられる。 その御名は万軍の神なる主。」  

創造主のご計画は栄光の成就!人を信仰に導き、悪を裁き、真の平安を成し遂げ、栄光を成就する。

2022年01月03日

アモス5章

1節:イスラエルの家よ、このことばを聞け。私はあなたがたについて哀歌を歌う。

主の叱責のことばを聞け!。アモスは哀歌(悲しみの歌、葬式の時の歌)を歌うという。神の叱責から、アモスは悲しみの哀歌を歌わずにおれない!という心境。

2節:おとめイスラエルは倒れて、二度と起き上がれない。彼女は自分の地に捨て置かれ、これを起こす者もいない。

3節:まことに、である主はこう言われる。「イスラエルの家の、千人を出征させていた町には百人が残り、百人を出征させていた町には十人が残る。」

悲しいかな!北イスラエルは倒れ、二度と起き上がれず、助ける者もいない。
アッシリヤ捕囚により、アッという間に、町には1割の人しか残らない状態となる。


4節:はイスラエルの家にこう言われる。「わたしを求めて生きよ。ベテルを求めるな。

5節:ベテルを求めるな。ギルガルに行くな。ベエル・シェバに赴くな。ギルガルは必ず捕らえ移され、ベテルは無に帰するからだ。」

主はこう言われている、とアモスは言う。
「わたしを求めて生きよ。」(新改訳)
「わたしを求めよ、そして生きよ。」(新共同訳)

2節:2度と起き上がれない、3節:1割しか残らない、
そんな状態になる北イスラエルに、生きる道を明示している
ベテル、ギルガルへ行ってはならない。4章4節ではああ言ったが、偶像は駄目!また、南ユダにあるベエル・シェバに出かけてゆくことも駄目!偶像礼拝はすぐにやめよ!

6節:を求めて生きよ。そうでないと、主は火のように、ヨセフの家に激しく下る。火はこれを焼き尽くし、ベテルにはそれを消す者がいなくなる。

7節:彼らは、公正を苦よもぎに変え、正義を地に投げ捨てている。

(神はこのように言われるのだから)主を求めて生きよ!とアモスは言う。

出来るなら、一日も早く神に立ち帰れ!もう待っている時間はない!

北イスラエルは、公正(神の律法に基づく福祉的考え方)も、正義(神と人との契約関係)も破棄している。
もう、彼らの力で、元に戻れないのは明白。

神を恐れることを忘れた民の哀れさを、アモスは目の前に見ている。


8節:すばるやオリオン座を造り、暗黒を朝に変え、昼を暗くして夜にし、海の水を呼び集めて、それを地の面に注ぐ方。その名は

宇宙を創られたお方。星も神が創造された。26節の星を拝む偶像を指摘!
暗黒を朝に変えるお方。
昼を暗くして夜にされるお方。
海の水を集めて地上に注がれるお方。創造主なる神は、万物の頂点

9節:主は、強い者を踏みにじり、要塞を破壊する。

創造主なる神は、高慢な者を踏みにじり、要塞を破壊する。北イスラエルはまさに高慢な状態である

10節:彼らは門でさばきをする者を憎み、まっすぐに語る者を忌み嫌う。

11節:あなたがたは貧しい者を踏みつけ、彼から小作料を取り立てている。それゆえ、切り石の家々を建てても、あなたがたはその中に住めない。麗しいぶどう畑を作っても、そのぶどう酒を飲めない。

神の公正のシステムを憎み、正しい判断をする者を嫌う。
弱者を虐げ、小作料によって搾取している。
それを見ている神は決して、立派な家を建てても住まわせず、素晴らしぶどう畑ができても、ぶどう酒は飲ませない。権威も経済もすべてぶち壊す!ということ。


12節:私は、あなたがたの背きが多く、あなたがたの罪が重いことをよく知っている。正しい者を迫害する者、賄賂を受け取る者。彼らは門で、貧しい者を押しのけている。

神は、背き、罪、正しい者の迫害、賄賂、弱者の訴えを無視する、という行為をすべて知っている。


13節:それゆえ、このようなときには、賢い者は沈黙を守る。時が悪いからだ。

このような時代には、知恵ある者(神を恐れる者)は沈黙する。すなわち、この時代は悪い時代である


14節:善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、が、ともにいてくださる。

15節:悪を憎み、善を愛し 門で正しいさばきを行え。もしかすると、万軍の神、はヨセフの残りの者をあわれんでくださるかもしれない。

善を求め、悪を捨てるなら、神がともにいてくださって、あなたがたは生きることができたのに。(でも、出来なかった)
もしかしたら、今すぐにでも、北イスラエルに公正(神の律法に基づく福祉的考え方)をもたらし、正義(神と人との契約関係)を行えば、場合によってはイスラエルの残れる者にあわれみがあるかもしれない。

 

16節:それゆえ、主なる万軍の神、はこう言われる。「すべての広場に嘆きが起こる。すべての通りで、人々は「ああ、ああ」と叫ぶ。農夫を呼んで来て泣かせ、泣き方を心得た者を呼んで来て嘆かせる。

17節:すべてのぶどう畑に嘆きが起こる。それは、わたしがあなたがたの中を通り過ぎるからだ。―は言われる。」

結局、裁きは行われると主は言われる。
土地を追われ「ああ!」と叫び、泣き女、泣き男が悲しむ時となる。
この時、裁き主が通り過ぎる。まるであのエジプトのように。

 

18節:ああ。の日を切に望む者。の日はあなたがたにとって何になろう。それは闇であって、光ではない。

19節:人が獅子の前を逃げても、熊が彼に会い、家の中に入っても、手で壁に寄りかかると、蛇が彼にかみつくようなものだ。

20節:の日は闇であって、光ではない。暗闇であって、そこには輝きはない。

勘違いしてはいけない!というアモスのことば。
主の日を、光だと思っているのだろうが、それは違う!!
主の日とは、異邦人の裁きとイスラエルの最後の救いと思っているようだが、主の日とは、大患難時代である。
その日が終わるまでは、わざわいは次から次とやって来る。
そして大患難時代を経なければ、メシア的王国には入れないのだ。

北イスラエルは、主の日を誤解していた。
確かに光は訪れるが、必ずその前に想像を絶する厳しい裁き(暗闇)があり、そこを通らねばならない。それが大患難時代であり、その後にメシア的王国、つまり光が来るのだ。

 

21節:「わたしはあなたがたの祭りを憎み、退ける。あなたがたのきよめの集会のときの香りも、わたしはかぎたくない。

22節:たとえ、あなたがたが、全焼のささげ物や穀物のささげ物をわたしに献げても、わたしはこれらを受け入れない。肥えた家畜の交わりのいけにえを献げても、わたしは目を留めない。

23節:あなたがたの歌の騒ぎを、わたしから遠ざけよ。あなたがたの琴の音を、わたしは聞きたくない。

北イスラエルの行う祭り、集会を受け付けない!
どんな捧げものも、いけにえも目にとめない!
どんな賛美も聞かない!

悔い改めの機会というより、むしろ、これからの歩みの覚悟をせよと、別れの言葉を告げているようだ

24節:公正を水のように、義を、絶えず流れる谷川のように、流れさせよ。

15節のことばが繰り返される。公正(神の律法に基づく福祉的考え方)と、正義(神と人との契約関係)をたゆまず回転させることが神の期待。!!
祭りも大事だが、公正と義を貫くことはさらに重要である。

25節:イスラエルの家よ。あなたがたは荒野にいた四十年の間に、いけにえとささげ物を、わたしのところに携えて来たことがあったか。

民よ!かつてあなたがたは、荒野の40年間、わたしにいけにえも捧げ物も携えてきたことがないのに、わたしはあなたを導いた。
つまり、最も肝心な事は、祭りごとでも捧げものでもない。(イザ1:14~20)
信頼関係が重要であり、神は完全であり、人間は不完全であるからこそ、悔い改めによる神への回帰が必要であり、神はそれを与えて下さっている。

 

26節:あなたがたは自分たちの王シクテと自分たちの像キユン、自分たちのために造った神々の星を担いで来た。

今、あなたがたは、わたしとの約束を忘れ、アッシリヤの王シクテとその像キユンを担ぎ、その他の神々を担いでいる。(アッシリヤの星神)

神を捨て、神の民であることを忘れた愚か者!

27節:わたしはあなたがたを、ダマスコのかなたへ捕らえ移す―その名が万軍の神であるが言われる。」

ここまでだ!北イスラエルよ!
お前たちはアッシリヤに捕囚され、ダマスコのかなたに離散する。

ステパノがこの部分を引用している(使徒7:39~43)
神に信頼せず偶像に信頼するイスラエルの悪態をつくための引用

2022年01月04日

アモス6章

1節:わざわいだ。シオンで安逸を貪る者、サマリアの山に信頼している者。イスラエルの家が頼って行く、国々の最高の首長たち。

わざわいだ!(ホーイ!)・・・・わざわいの預言の前触れの感嘆詞。(5:18、ハバクク)
シオンで安逸を貪る者たちとは南ユダの上層部の人たち。ウジヤ王の時代。
サマリヤの山に信頼している者たちとは北イスラエル全体の人々。
イスラエルの家が頼って行く、国々の最高の首長たちとは、イスラエル王国を過ちに導いている上層部(上流階級)の者たち
新共同訳:諸国民の頭である国に君臨し、イスラエルの家は彼らに従っている。

ここに、南ユダが登場している。いずれは彼らも同じ道を歩むことになることの示唆か。事実、7節で捕囚が少なくとも北イスラエルだけではないことが読み取れる。

 

2節:カルネに渡って行って見よ。そこから大ハマテに行け。またペリシテ人のガテに下って行け。あなたがたはこれらの王国よりすぐれているのか。彼らの領土はあなたがたの領土より大きいのか。

カルネ・・北シリヤにある都市
大ハマテ(ハマト・ラバ)・・ハマト王国(シリヤ)の首都(Ⅱ列18:34)

ガテ(ガト)・・ペリシテの都市
アモスの時代は、ヤロブアム2世の時代であり、力があった時期。当時、北イスラエルはこれらの王国と戦い、組んで隆盛を保持していた。
「あなたがたはこれらの王国よりすぐれているのか。彼らの領土はあなたがたの領土より大きいのか。」
そんな王国と組んだところで何の役に立つというのか!
後に現れるアッシリヤの大きさ、つまり神の裁きの大きさを暗示しているともとれる。
カルネと大ハマテはBC740~738年、ガテはBC711年にアッシリヤに征服される。

3節:あなたがたは、わざわいの日を遠ざけているつもりで、暴虐の時代を近づけている。

北イスラエルの上層部の者たちよ!平和を獲得していると思っているだろうが、むしろ暴虐をどんどん推し進めている。(新共同訳:不法による支配を引き寄せている)
つまり、神の期待からどんどん離れている状態!


4節:象牙の寝台に横たわり 長椅子でからだを伸ばし、群れのうちから子羊を、牛舎の中から子牛を取って食べている者、

5節:琴の音にのせて即興の歌を作り、ダビデに倣って自分たちの楽器を考え出す者。

6節:彼らは鉢から酒を飲み、最上の香油を身に塗り、ヨセフの破滅のことで嘆き悲しむことがない。

贅沢三昧。神にささげる子羊、子牛を自分たちが食する様子は、傲慢そのもの。
ダビデの信仰に倣わず音楽を、自分たちの楽しみとする様子は、傲慢そのもの。
儀式の鉢で酒を飲み、神への香油を自分たちの物とする様子は、傲慢そのもの。
「ヨセフ」とは、彼の子孫エフライム、マナセ部族が中心の北イスラエルを指す。


7節:それゆえ、今、彼らは最初の捕囚の民として引いて行かれる。大の字になった者どもの、弔いの酒宴は除かれる。

「それゆえ、今」・・もう覆すことはできない決定事項。

「最初の捕囚の民として」‥段階的な表現
歴史的にみると、段階的な強制移住があったとされる。初めに上層部の人間が強制移住、次に残りが強制移住されるととれる。更に、6章冒頭の「シオンの安逸を貪る者」という表現から、いずれは南ユダ王国も捕囚という神の裁きを受けることになるともとれる。
いずれにしても、神のリミッターは切れ、捕囚という裁きは免れない!
神の目には、贅沢にふるまう彼らの酒宴は、弔いの酒宴にしか見えない。

8節:である主は、ご自分にかけて誓われる。 ―万軍の神、のことば― 「わたしはヤコブの誇りを忌み嫌い、その宮殿を憎む。わたしはこの都と、その中のすべての者を引き渡す。」

神は、イスラエルの民が誇りとする偶像礼拝とその神殿を忌み嫌う。
ゆえに、その都とすべての者を、敵(アッシリヤ)に引き渡すと決めた!


9節:たとえ、一つの家に十人が残っても、彼らもまた死ぬ。

5章3節を一回目とし、6章9節にて徹底的に捕囚されると見ることもできる。


10節:親戚の一人でこれを焼く者が、家から死体を持ち出すためにこれを取り上げ、その家の奥にいる人に向かって言う。「あなたのところには、まだいるか。」彼は言う。「だれもいない。」また言う。「口をつぐめ。の名を口にするな。」

主の名を口にすれば、殺されるような状態にしてしまうということ。  

神の助けが無くなってしまったことが分かる。


11節:まことに、見よ、は命じられる。「大きな家を打ち砕き、小さな家を粉々にせよ。」

神の裁きは、徹底的に行われる。上層部の者も、そして一般の者もすべて!


12節:馬が岩の上を走るだろうか。人がそこを牛で耕すだろうか。しかしあなたがたは、公正を毒に変え、正義の実を苦よもぎに変えた。

本来、やってはいけないことがある。馬に岩の上を走らせるようなこと。牛に岩地を耕させること。(新共同訳、新改訳第3版では、牛で海を耕すとなっている。)

いずれにしても神の民として的外れな行為である

公正(神の律法に基づく福祉的考え方)は地に落ち、搾取の構造が出来上がり、
正義(神と人との契約関係)は無視され、的外れな行為へと進んだ。

13節:あなたがたは、ロ・ダバルを喜び、こう言う。「私たちは自分たちの力でカルナイムを取ったではないか」と。

ロ・ダバル・・空虚、つまらないもの(ガリラヤ湖の南、ヨルダン川東岸の町)

カルナイム・・2本の角、力の象徴(ガリラヤ湖の東3.5キロ、バシャンにある町)
ヤロブアム2世が領土を拡大した。
お前たちはそれを自分たちで勝ち取り、喜び、安泰と思っている
平安な時、人は神を忘れてしまう。
クリスチャンはどんな時も、神と共にいることを忘れてはならない!

14節:「しかし、イスラエルの家よ、今わたしは、あなたがたに敵対する一つの国を起こす。 ―万軍の神、のことば― 彼らはレボ・ハマテからアラバの水無し川まで、あなたがたを虐げる。」

敵対する国・・・・アッシリヤ帝国。これは神のみこころ。
レボ・ハマテ(ガリラヤ湖の北東240km)から アラバの谷(死海)まで。
Ⅱ列王14:23~27・・・・ここまで領土を回復させたのは神である。神はイスラエルの苦しみが非常に激しいのをご覧になられたから。
しかし、彼らはそれを忘れ、おのれを見失い、結果、神の怒りを買うことになる。 

回復された領地は取り去られ、捕囚という厳しい裁きを受けることになる。

2022年01月13日

アモス7章

1節:である主は私に示された。見よ。王が刈り取った後の二番草が生え始めたころ、主はいなごを備えられた。

二番草‥一回目の刈り取りは王が年貢として徴収した。その後の収穫が二番草で、これが民の取り分となる。ヤロブアム2世の時代にイスラエルは拡大していた。これはその後の北イスラエルの時代と考える。

いなご・・アッシリヤ帝国。


2節:そのいなごが地の青草を食い尽くそうとしたとき、私は言った。「、主よ。どうかお赦しください。ヤコブはどうして生き残れるでしょう。彼は小さいのです。」

3節:はこれを思い直された。そして「そのことは起こらない」とは言われた。

アモスが、「イスラエルは小さいのです」と言い、切に赦しを願うと、神は思い直された。(非常に切迫感を感じる)

アモスは敵の大きさ、ひいては神の存在の大きさを十分に認識しているから、こういう言葉が出てくる!


4節:である主は私に示された。見よ、である主は、責める火を呼ばれた。火は大いなる淵を吞み込み、割り当て地を焼き尽くそうとしていた。

責める火・・アッシリヤ帝国。すでに周囲にまでその火、勢力が近づいていると感じ取れる。割り当て地とは、北イスラエルの所有する領地、領土。


5節:私は言った。「、主よ。どうかおやめください。ヤコブはどうして生き残れるでしょう。彼は小さいのです。」

6節:はこれを思い直された。そして「そのことも起こらない」とである主は言われた。

火は領地を吞み込んではいたが、焼き尽くすことは思いとどまられた。
決して、裁きが無くなるのではないことが分かる。
アモスは、生き残れないから、と言って赦しを乞い、神は思い直された。

アモスの必死な執り成しの祈りが続く。このような、モーセに倣う思い(公正:隣人愛)のある者こそが残れる者といえるのではないか!

7節:主は私に示された。見よ。主は下げ振りを手に持って、下げ振りを使って築かれた城壁の上に立っておられた。

下げ振り‥柱などが垂直かどうかを調べるための道具で、糸の端に真鍮の逆円錐形のおもりをつるしたもの。

神が下げ振りを使って築いた城壁の上に立たれる。

律法の根底にある公正と正義が歪んでいる


8節:は私に言われた。「アモス、何を見ているのか。」私が、「下げ振りです」と言うと、主は言われた。「見よ。わたしは下げ振りを、わたしの民イスラエルの真ん中に垂れ下げる。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。

アモスに、北イスラエルが裁かれる最大の理由(下げ振りによって測られた公正と正義が歪んでいる)が示され、彼に返す言葉を赦さず、裁きの決定が示される。


9節:イサクの高き所は荒らされ、イスラエルの聖所は廃墟となる。わたしは剣をもって、ヤロブアムの家に向かって立ち上がる。」

北イスラエルの領地を拡大したヤロブアム2世は、過去のイサクに倣い、高いところに聖所を築いた。(創26:23~25)それらはすべて偶像礼拝の場である。
最終的には北イスラエル王国、すなわちヤロブアム1世、2世が築き、拡大した王国は、偶像の聖所もろとも、廃墟となり滅亡する。


10節:ベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの王ヤロブアムに人を遣わして言った。「アモスは、イスラエルの家のただ中で、あなたに謀反を企てています。この国は彼のどのことばも受け入れることができません。

11節:アモスはこう言っています。『ヤロブアムは剣で死に、イスラエルはその土地から必ず捕らえられて行く。』」

アマツヤは「主は強い」という意味。ベテルは偶像礼拝の都市で、アマツヤはそこの祭司である。
彼は人を遣わして、ヤロブアム2世にアモスのことについて報告する。「アモスは預言者だと言ってますが、謀反人です。国家転覆を図っています!偽物です!ヤロブアムは剣で死に、北イスラエルは捕囚される、と言っています。こんな噓の預言は聞き入れられません!」

悲しいかな、ヤロブアム2世は聞く耳を持たず、何の応答もしなかった!

まともな祭司もリーダーも存在しない状態

12節:アマツヤはアモスに言った。「先見者よ。さあ、ユダの地へ逃げるがよい。そこでパンを食べ、その地で預言するがよい。

13節:ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王国の宮だからだ。」

アマツヤはアモスを預言者と認めていないので、彼を先見者と呼んでいる。先見者とは金儲けの占い師に似たような感覚のことばである。
「ユダに帰り、そこで預言して稼ぐがよい!ベテルは聖所なのだから預言などするな!出て行け!」と上から目線でアマツヤは馬頭する
アモスの姿(羊飼いであり、いちじく桑の栽培者)は、このアマツヤの姿(繁栄している北イスラエルの祭司、豪華な衣装を身に着けていたと思われる)とは比べものにならない貧弱さであろう

14節:アモスはアマツヤに答えた。「私は預言者でなかったし、預言者の仲間でもなかった。私は牧者であり、いちじく桑の木を栽培していた。
北イスラエルにはエリヤ、エリシャによる預言者集団(預言者学校)があった。

アモスは、「私はその出身ではない。預言者と言われる専門家ではない。本来の職業は羊を飼い、イチジク桑の木を栽培する兼業農家である。」と答える。

アモスは、経済的に困る者ではない。普通の生活をしていた。


15節:しかし、が、群れの世話をしていたところから私を取り、が私にこう言われた。『行って、わたしの民イスラエルに預言せよ』と。

こんな私を主が召された。そして「わたしの民イスラエルに預言せよ」と命じられたから、今ここにいるのだ。神は、あなたがたのために私を召したのである。


16節:今、のことばを聞け。あなたは『イスラエルに向かって預言するな。イサクの家に向かって戯言を言うな』と言っている。

アマツヤよ、あなたは私を、嘘つきと言い、北イスラエルに預言するなと言い、あろうことか、神の命令に反せよ!と命じている。


17節:それゆえ、はこう言われる。『あなたの妻は町で遊女となり、あなたの息子、娘たちは剣に倒れ、あなたの土地は測り縄で分割される。あなたは汚れた土地で死に、イスラエルはその土地から必ず捕らえられて行く。』」

アッシリヤによって、アマツヤの妻は遊女でしか生きられなくなり、息子、娘たちは惨殺され、所有していた土地は分割されて人のものとなり、アマツヤはこの地(ベテル)で死ぬことになる。そして、イスラエルは預言のとおり、捕囚される。

2022年02月02日

アモス8章

1節:である主は私に示された。そこには一かごの夏の果物があった。

2節:主は言われた。「アモス。何を見ているのか。」私が、「一かごの夏の果物です」と言うと、 主 は私に言われた。「わたしの民イスラエルに終わりが来た。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。

また、神がビジョンをアモスに示された。ビジョンの中で夏の果物にアモスの目が留まっていた。
ヘブル語では、「夏の果物」はカイツ、「終わり」はケイツ、である。これは、ヘブル語の語呂合わせである。夏の盛り(北イスラエルの隆盛)が終わるということである。

 

 

3節:その日には、神殿の歌声は悲鳴に変わる。 ―である主のことば― 多くの屍が、いたるところに投げ捨てられる。口をつぐめ。」

神殿の歌声は悲鳴に変わり、死体がいたるところにある。
静かにせよ!いくら悲鳴を上げ叫んでも無駄だ!


4節:聞け。貧しい者たちを踏みつけ、地で苦しむ者たちを消し去ろうとする者よ。

5節:あなたがたは言っている。「新月の祭りはいつ終わるのか。私たちは穀物を売りたいのだが。安息日はいつ終わるのか。麦を売りに出したいのだが。エパを小さくし、シェケルを重くし、欺きの秤で欺こう。

6節:弱い者を金で買い、貧しい者を履き物一足分で買おう。屑麦を売ろう。」

商売に専心し過ぎる者たちに語られる神。
あなたがたは言っている。新月の祭りも、安息日も邪魔な存在だ! 早く終わってくれ! 何の足しにもならん!むしろ苦痛だ! その時にはエパ(エファ)升を小さくしたり、偽の重り(シェケル)の天秤ばかりで、あくどく商売したいんだ! 更に弱い者、貧しい者を安い金額で買い、奴隷としよう。屑麦も売って稼ごうじゃないか!

7節:はヤコブの誇りにかけて誓われる。「わたしは、彼らのしていることをみな、いつまでも決して忘れない。

8節:地はこのために震えないだろうか。地に住むすべての者は喪に服さないだろうか。地のすべてのものはナイル川のように持ち上がり、エジプトの大河のように、うねっては沈まないだろうか。

ヤコブとしっかりと契約した神が宣言する。神は民の行うすべてを詳細に、永遠に記憶しておられる。

地上は震え、人は喪に服し、氾濫するナイル川のように地は揺れ動き、浮き沈むことになろう。これは大患難時代を暗示。

9節:その日には、 ―である主のことば― わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に地を暗くする。

その日とは、狭義的にはアッシリヤ捕囚であり、広義的には終末の大患難時代を指す。その日は暗黒の日である。(アモス5:18)

10節:あなたがたの祭りを喪に変え、あなたがたの歌をすべて哀歌に変える。すべての腰に粗布をまとわせ、頭を剃らせる。その時をひとり子を失ったときの喪のように、その終わりを苦渋の日のようにする。

その日はまさに苦渋の日。祭りは葬式になり、歌は哀歌となる。まるでひとり子を失った葬式の時のようにあなたがたを打つ。


11節:見よ、その時代が来る。 ―である主のことば― そのとき、わたしはこの地に飢饉を送る。パンに飢えるのではない。水に渇くのでもない。実に、のことばを聞くことの飢饉である。

12節:彼らは海から海へと、北から東へとさまよい歩く。のことばを探し求めて行き巡る。しかし、それを見出すことはない。

その時代には、食物の飢饉ではなく、主のことばを聞くことの飢饉が地を襲う。神の存在がなくなる。離散させられ、神のみことばを求めても、どこにも見い出せない。


13節:その日には、美しい若い女も、若い男も、渇きのために衰え果てる。

北イスラエルを含め、偶像礼拝している次世代を継ぐ人々(若者)は、神を見失って死ぬ。肉体的、霊的の両面。


14節:彼らは、サマリアの罪過にかけてこう誓う。『ダンよ、あなたの神は生きている。』『べエル・シェバの道は生きている。』しかし、彼らは倒れて二度と起き上がれない。」

偶像礼拝の罪を犯す北イスラエルは、ダン(ベテルと同じ偶像)、ベエル・シェバの偶像にすがるが、彼らは倒れることになる。
ダンからベエル・シェバという表現はイスラエルの北端と南端を指す。アッシリヤ捕囚から、バビロン捕囚、そして最終的に大患難時代へと繋がる流れを思わせる。

2022年02月10日

アモス9章

1節:私は、祭壇の傍らに主が立っておられるのを見た。すると、主は言われた。「柱頭と打ちたたき、敷居が震えるようにせよ。すべての者の頭を打ち砕け。彼らのうち、生き残った者をわたしは剣で殺す。彼らのうち逃げられる者はなく、彼らのうち逃れられる者もない。

ベテルの祭壇に立たれる神。北イスラエルに対する徹底した裁きを示す。柱を破壊することで頭上から打たれる。生き残った者も剣で殺し、一人も逃げおおせない。

2節:たとえ、よみに入り込んだとしても、わたしの手が、彼らをそこから引きずり出す。たとえ、天に上ったとしても、わたしが彼らをそこから引きずり降ろす。

3節:たとえ、カルメルの頂に身を隠したとしても、わたしが彼らをそこから捜し出して捕まえる。たとえ、わたしの目を避けて海の底に身を隠したとしても、わたしが蛇に命じて彼らをそこでかませる。

4節:たとえ、敵の捕虜となって行ったとしても、わたしが剣に命じてそこで彼らを殺させる。わたしは彼らの上に目を注ぐ。それは、わざわいのためであって、幸いのためではない。」

仮によみに入っても、天に逃げても、そこから引きずり出し打つ。
カルメルの頂上に逃げても、海の底に逃げても、敵の捕虜になっても、神は目を注ぎ、わざわいのために殺させる。

神の御前に逃げ場はない! 神が裁かれるとき、それは徹底的である。

5節:万軍の、主が地に触れると、それは溶け去る。そこに住むすべての者は喪に服す。地のすべてのものは、ナイル川のように持ち上がり、エジプトの大河のように沈む。

主が地に触れると、地が溶け去る・・新共同訳では「地が揺れ動き」    

そこに住む者は喪に服す・・新共同訳では「嘆き悲しむ」
地はまるで氾濫する大河、ナイル川のように大変動する。


6節:天に高殿を建て、地の上に丸天井を据え、海の水を呼んで、地の面に注がれる方、その名は

天に高殿・・神のおられる所。第3の天。
丸天井・・新共同訳では「大空」。海と陸の境を創られたお方。

7節:「イスラエルの子らよ。あなたがたは、わたしにとってクシュ人と同じではないのか。 ―のことば― わたしは、イスラエルをエジプトの地から、ペリシテ人をカフトルから、アラムをキルから、連れ上ったではないか。

クシュ人・・エチオピア人・・と変わらない。つまり異邦人と変わらない。
ペリシテ人・・カフトル(クレタ島:地中海の地)から移住
アラム人・・キル(メソポタミア)から移住

新共同訳の注釈によればイスラエルが約束の地に入った同時期にこれらの民族も移住していた。しかし、北イスラエルは、自分たちの移住は他国の移住と異なるものと思っていた。神は他の民族の移動、動向もすべて支配しておられる
約束の地に導かれたにもかかわらず、神の民としての働きを一切せず、神ともかかわりを断ち、神に背を向けていることを指摘されている。

異邦人と何ら変わりがないと神の目には映る。

8節:見よ。である主の目が、罪深い王国に向けられている。わたしはこれを地の面から根絶やしにする。しかし、ヤコブの家を根絶やしにすることはない。 ―のことば―期待が大きいと、それだけ裁きも大きい。
罪深い北イスラエルは根絶やしにされる。(アッシリヤ捕囚)
しかし、ここに神は逃れの道を備えられる!!ヤコブの家を根絶やしにしない!
それは、アブラハム契約を結んでいるからである

 

9節:見よ。わたしは命じて、すべての国々の間で、イスラエルの家をふるいにかける。ふるっても、小石は地に落ちないようにする。

10節:わたしの民の中の罪人はみな、剣で死ぬ。彼らは『わざわいは私たちに近づかない。私たちまでは及ばない』と言っている。

この2節はアッシリヤ捕囚、バビロン捕囚、それ以降の迫害、そして大患難時代をさしている。
小石・・罪人(不正義・・不義なる関係)は、剣で死ぬ。

北イスラエルの人たちは、自分たちにはわざわいは近づかないと思っている。

捕囚前の北イスラエル、紀元70年の直前のイスラエル、そして大患難時代のイスラエルを物語っている。

かつてエリヤの時、バアルに膝をかがめない男子7千人がいた。
そのような各時代に生きた残れる者が、かろうじて救いに与るのである。

11節:その日、わたしは倒れているダビデの仮庵を起こす。その破れを繕い、その廃墟を起こし、昔の日のようにこれを立て直す

「その日、」・・裁きの日・・大患難時代を指す。
「倒れているダビデの仮庵」の仮庵とは、掘っ立て小屋。まさに大患難時代の時の風前の灯のようなユダヤの民の状態を指している。
「昔の」という原語「オーラーム」は、永遠を表す語彙。まさにメシア的王国(千年王国)以降の未来を暗示している。
大患難時代を通して、神はダビデの仮庵を復興させる。神との関係において、ダビデの時代とは似ても似つかぬ壊滅寸前のユダヤの民を、ダビデのような信仰に満ちたユダヤの民として回復され、神と共存する御国を起こされる。(メシア的王国・・千年王国)
起こす。繕い、起こし、建て直す。・・の繰り返しが成就の保証に聞こえる
大患難時代は空前絶後の裁きだが、ユダヤの民にとっては最後の恵みの時。

12節:これは、エドムの残りの者とわたしの名で呼ばれるすべての国々を、彼らが所有するためだ。 ―これを行うのことば。

エドム・・ヤコブの兄エサウの子孫。
わたしの名で呼ばれるすべての国々・・キリストを信じる異邦人たち。
「彼らが所有するためだ。」・・イスラエルの優位性を提示している。これは神がイスラエルと結ばれたアブラハム契約の成就を示す
これらのことは、すべて主が行われる。


13節:見よ、その時代が来る。 ーのことば― そのとき、耕す者が刈る者に追いつき、ぶどうを踏む者が種蒔く者に追いつく。山々は甘いぶどう酒を滴らせ、すべての丘は溶けて流れる。

「その時代」とは、メシア的王国(千年王国)。その時代が必ず来る!

年中豊かな実りに絶えない状態となる。

「甘いぶどう酒」とは上質のぶどう酒とのこと。常に良質を生み出す土地。
崩壊した地上(自然)は、神によって回復され、まるでエデンの園のような恵み豊かな土地、王国へと回復する。

14節:わたしは、わたしの民イスラエルを回復させる。彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。

神は回復したその土地にイスラエルを置き、住まわせる。彼らは町を再建し、豊かな収穫、恵みを満喫する。

 

15節:わたしは、彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが与えたその土地から、もう引き抜かれることはない。 ―あなたの神、は言われる。」

イスラエルの民を約束の地に植える。甘いぶどう酒を生み出す実をつけるぶどうの木となるということか・・。神との良い関係が見える。
それはすべて神のなさること。
これはメシア的王国(千年王国)において成就する。それゆえ、二度とその地から離散するというようなことはない。長い流浪の旅(神との離別)は終わりを告げる。
再びイエス様がこの地に再臨されたときにすべてが成就する。

 

2022年02月12日

ホセア1章1節~5節

1節:ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代に、ベエリの子ホセアにあったのことば。

ウジヤ王について

・Ⅱ歴代誌26:1~21
・ウジヤ王は、ヤロブアム2世に並ぶ有能な王。
・西方の沿岸地域を攻め、領土を拡大し、交易を増加。
・外交政策、国内政策ともに歴代最高の働きをした。
・しかし、善王とは、預言者ゼカリヤが生きていた時だけ。
・彼がいなくなるとウジヤ王は、神に不遜となり、神は彼を見放す。
・ツァラアトに罹患し、一生を終える。

ヤロブアム2世について

・Ⅱ列王記14:23~29
・※25節にヨナが登場。
・神は北イスラエルをあわれみ、ヤロブアム2世を用いて領土を回復させた。
・アラムと戦い、領地を回復。(ダマスコ、ハマテ)
・当時の領土は、南北を合わせると、ダビデ、ソロモン時代に匹敵!
・北イスラエルの経済的繁栄の絶頂期とも言える時期。

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南ユダの王については、ウジヤ王から3代の名が記されている。
北イスラエルの王の名は、ヤロブアム2世のみ。

この南ユダの4代が、共同統治していたという点と何か関りがあるのかもしれない。北のヤロブアム2世以降の王は、暗殺による継承が多く、南とは対照的である。
この預言書の開始は、ヤロブアム2世の時期である。

2節:がホセアに語られたことのはじめ。はホセアに言われた。「行って、姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ。この国はに背を向け、淫行にふけっているからだ。」
「はじめ」(テヒッラー)とは、時間的なはじめの意味。事柄(並び)の時はレーシート。
「行って、姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ。・・」の解釈について。
中川先生(クレイ)説・・姦淫の女とは娼婦を指し、姦淫の子らとは、娼婦時代の父親が分からない子供たちを指す。

吉田説・・偶像礼拝ゆえに姦淫の罪があっても平気な北イスラエル。神は姦淫しふしだらな子連れの女性をホセアに娶らせたのではないか。この国は、主に背を向けて生きている状態だった。

 

3節:彼は行って、ディブライムの娘ゴメルを妻とした。彼女は身ごもって、彼に男の子を産んだ。

結婚した女性の名はゴメル。

ゴメルには、「失敗する」&「成し遂げる」の2つの意味がある。
父はディブライム。「干しイチジクの菓子」の意味。隠語で「肉欲・情欲」を指す。
ゴメルは、商売人で肉的な考え方(富)が優先される親の娘として失敗しつつ、終には成し遂げる運命となる女。ここでは、妻としているが、3章では買い取れ、となっている。(娼婦または奴隷となっている)
彼女はホセアの第一子の男子を産む。これは間違いなくホセアの子。

4節:は彼に言われた。「その子をイズレエルと名づけよ。しばらくすれば、わたしがイズレエルでの流血のゆえにエフーの家を罰し、イスラエルの家の王国を終わらせるからだ。

5節:その日、わたしはイズレエルの平原で、イスラエルの弓を折る。」

神は第一子の名を「イズレエル」とするよう命じる。
イズレエルには、「神は散らす」と「神は種を蒔く」の二つの意味がある。
イズレエルに関する裁きについては、Ⅰ列21章とⅡ列9章~10章を参照。
イズレエルの流血には、第7代アハブ王と第10代エフー王が関係している。
エフー王朝は4代目までと主に宣告されている。すなわち、ヤロブアム2世の次のゼカリヤ王でエフー王朝は終わる。再びこの預言に気付かせた。

エフー王朝
 エフー     841~
①エホアハズ   814~
②ヨアシュ    798~
③ヤロブアム2世 793~
④ゼカリヤ    753~6ヶ月


弓を折る・・とは、その力を奪い去るという意味。エフー王朝の終わりであるとともに、北イスラエルの終わりを示す

2022年02月18日

ホセア1章6節~2章13節

6節:ゴメルはまた身ごもって、女の子を産んだ。主は彼に言われた。「その子をロ・ルハマと名づけよ。わたしはもう二度とイスラエルの家をあわれむことはなく、決して彼らを赦さないからだ。

ゴメルは第二子の女子を産む。神は「ロ・ルハマ」と命名するよう命じる。
意味は「愛されない」。これ以上北イスラエルを愛すことはできないとされる神。
これまで様々な気付きを促して来たが、ここに極まれり!


7節:しかし、わたしはユダの家をあわれみ、彼らの神、として、彼らを救う。ただし、弓、剣、戦い、あるいは馬、騎兵によって救うのではない。」

しかし、神は南ユダをあわれむとされた。これはⅡ列19:32~37の南ユダの王、ヒゼキヤ時代の事件を指す。
同時に、ユダ系のイエス様を呼び求めるイスラエルの民の回復をも暗示している。


8節:彼女はロ・ルハマを乳離れさせると、身ごもって男の子を産んだ。

9節:主は言われた。「その子をロ・アンミと名づけよ。あなたがたはわたしの民ではなく、わたしはあなたがたの神ではないからだ。」

ゴメルは第三子、男子を産む。神は「ロ・アンミ」と命名するよう命じる。
意味は「わたしの民ではない」。
神は裁きを決定された!という意味である。ホセアの子の名を通して神は、北イスラエルに対する裁きを示している。これは、更に大患難時代の裁きについての暗示でもある。


10節:イスラエルの子らの数は、量ることも数えることもできない海の砂のようになる。「あなたがたはわたしの民ではない」と言われたその場所で、彼らは「生ける神の子ら」と言われる。

この個所をパウロはローマ書9章24節~26節で引用している。

時が過ぎて(将来は)、イスラエルの子らは海の砂のように数を増す。それには、異邦人も含まれ、共に生ける神の子らとなる。


11節:ユダの人々とイスラエルの人々は一つに集められ、一人のかしらを立ててその地から上って来る。まことに、イズレエルの日は大いなるものとなる。

最後は、北と南のイスラエルの残れる者がキリスト信仰に目覚め、再臨のイエス様と共に、再びエルサレムに上ってくる。再臨の日は何と素晴らしい! 

その時は、イスラエルを助けた異邦人(羊の異邦人)も含まれている!

2章

1節:言え。あなたがたの兄弟には、「わたしの民」と。あなたがたの姉妹には、「あわれまれる者」と。

再臨の時、人々は神の勝利の目撃者となり、互いに喜び合うに違いない!
そして、北や南のイスラエルの間でも、また、イスラエルと異邦人の間でも互いに言い合う。「アンミ・・わたしの民よ!」「ルハマ・・愛する者たちよ!」

これは、メシア的王国の成就、つまり、回復の預言!

2章1節は、文脈から見て、1章と繋げて解釈した方が分かりやすい

1:10~2:1は、神のイスラエルの子らへのみこころ、ご計画を示したもの。
ちなみに、新共同訳では1:9までとし、新改訳の1:10からを2章としている。

2節:「問いただせ。あなたがたの母を問いただせ。彼女はわたしの妻ではなく、わたしは彼女の夫ではないから。その顔から淫行を、その乳房の間から姦淫を取り除け。

3節:そうでなければ、わたしは彼女の衣をはぎ取って裸にし、生まれた日のようにして彼女をさらし、荒野のようにし、砂漠の地のようにして、渇きで彼女を死なせる。

この「母」は、北イスラエル王国(上層部)であり、そこに属する民が「子ら」。
「問いただせ」、「告発せよ(新共同訳)」と、子らに命じている。これは、1:10~2:1のようになるためにも・・というニュアンスがある。気付きを与え、悔い改めを促すもの。
夫である神は淫行する者を妻として受け入れられない。淫行、姦淫を取り除け!
さもなくば、裸にし、干上がらせ、死なせる。物理的意味合いが強い。(捕囚による土地の荒廃、経済的大困窮)


4節:彼女の子らを、わたしはあわれまない。彼らは姦淫の子らだから。

必然的に、悔い改めのない北イスラエル王国の民をあわれむことはできない!
この「彼ら」とは?「ロ・ルハマ」「ロ・アンミ」・・つまり北イスラエルの民。


5節:彼らの母は姦淫を行い、彼らをはらんで恥をさらした。彼女は言ったものだ。『私の愛人たちの後について行こう。彼らはパンと水、羊毛と麻、油と飲み物をくれる』と。

姦淫によって「ロ・ルハマ」「ロ・アンミ」を生み、恥をさらした。北イスラエルは、民に偶像を礼拝させ、偶像礼拝の民を作り出した。神に対する冒涜、恥ずべき行為である。
神に信頼せず、神の民として存在することを忘れ、偶像礼拝に勤しんで、大国の属国となって行く。大国が経済的に自分たちの衣食のすべて(繁栄)を満たしてくれるから。しかし、富が優先し、搾取が横行し、結局弱い者が苦しむことになる。

6節:それゆえ、わたしは茨で彼女の道に垣根を巡らし、彼女が通い路を見つけないように石垣を積む。

茨、そして垣根とは外交の断絶、失敗であり、最終的にはアッシリヤ捕囚となる。
偶像を拝みに行くときに道に茨が茂っていれば、行きつくことができない。同様に、大国や諸国との外交に立ち行かなくなり、結局、八方ふさがりとなる。(裸・・力のない実態)
神は捕囚の前まで、徹底的に気付きを促した。苦しい時には、領土も広げたが、そのような方法では効果がないほどに頑なな北イスラエルに対して、最後は捕囚という茨、垣根、石垣を巡らされたのである。


7節:彼女は愛人たちの後を追っても、追いつけない。彼らを捜し求めても、見つけられない。彼女は言う。『私は初めの夫のところに戻ろう。あのころは今よりも幸せだったから』と。

そして北イスラエルは、やはり神のもとが良かったと悔い改め、立ち帰るのである。

実際、アッシリヤ捕囚、バビロン捕囚の後、再建後のイスラエルの民は、それ以降、偶像との関係は一切なくなる

8節:しかし彼女は知らない。このわたしが、穀物と新しいぶどう酒と油を彼女に与えたのを。わたしが銀と金を多く与えると、彼らはそれをバアルに造り上げたのだ。

彼女(北イスラエル)が得た穀物、ぶどう酒、油、銀や金。それらはすべて神が与えたもの。悲しいかな、北イスラエルはその金銀をバアルに造り上げていた。
よりによって、神からのものを偶像に捧げていたことになる。

クリスチャンであっても、成功したときは自分の力で勝ち取った、やり遂げたと思ってしまう。しかし、背後ですべて神が備えてくださっていることを見過ごしてはいけない

9節:それゆえ、わたしはその時になれば、わたしの穀物を取り返す。その時期になれば、わたしの新しいぶどう酒を。また、彼女の裸をおおっているわたしの羊毛と麻をはぎ取る。

10節:今、わたしは彼女の恥を、愛人たちの目の前で暴く。彼女をわたしの手から救い出せる者はいない。

11節:わたしは彼女のすべての喜びを、祭り、新月祭、安息日、すべての例祭を終わらせる。

【北イスラエルの当時の状況】

・神の民でありながらバアル礼拝が盛ん。
・神の祭り、安息日、例祭などは偶像を拝むための口実に利用。
・当時の姦淫の罪の裁きは、裸にして晒すこと。(守られていたかは不明)


「その時」とは、アッシリヤ捕囚の時。穀物、新しいぶどう酒を与えず、衣服(羊毛、麻)をはぎ取る。姦淫の罪の裁きである。神による北イスラエルへの経済的制裁。
神の民として助けることはない。諸国の前でみぐるみが剝がれてゆく。
神が見放したこの窮状からは、誰も救い出せる者はいない。
祭り、安息日などもすべて中止。取り上げられ、祝うことができなくなる。

12節:『これは、愛人たちが払ってくれた私への報酬』と彼女が言った、あのぶどうの木といちじくの木を荒れすたらせる。わたしはこれを林に変えて、野の獣が貪り食うようにする。

愛人たち、つまり偶像の諸国から受けていたと思われる経済的豊かさは、すべて神の備えられたもの。神は、そのすべてを取り去るとされた。
ぶどうの木、イチジクの木は経済的繁栄を意味する。野の獣、すなわち異邦諸国がその繁栄を貪り食うさまが浮かぶ。


13節:彼女がバアルの神々に仕えた日々のゆえに、わたしは彼女を罰する。彼女はバアルの神々に香をたき、耳輪や飾りを付けて愛人たちの後について行き、このわたしを忘れた。―のことば。

その原因はバアル礼拝・・偶像礼拝に対する裁きである。
イスラエルは富、偶像に心を奪われ、神を忘れた。

2022年03月11日

ホセア2章14節~3章5節

14節:それゆえ、見よ、わたしは彼女を誘い、荒野に連れて行って優しく彼女に語ろう。

「誘い」の原語には、納得させての意味が含まれ、「語ろう」には、心に届くまでというニュアンスが含まれている。「納得させて誘い、得心できるほどに語った」。
「荒野」・・中川先生曰く、荒野とは神と出会う場所!神以外、頼るものがない!
この荒野は、イスラエルが偶像と一切かかわりが無くなるところ。それは、黙12:6,14にある女と荒野の意味。

15節:わたしはそこを彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門とする。その場所で彼女は答える。若いころのように、エジプトの地から上って来たときのように。

荒野であった所がブドウ畑、つまり豊かになる。それは、夫の愛に赦され再婚するが如き民の悔い改め、立ち返りを意味する!

アコル・・語源「アーハル」はわざわいをもたらすの意味がある

アコルの谷・・かつて問題あり・・エリコを賛美で滅ぼしたその直後に、問題発生。

ヨシュア 7:1~5,19~26
聖絶を守らない当時の人々。そして大患難時代の時はイエスをメシアとして受け入れない人々。しかし、悔い改めることで、絶望が希望へと変わる!大患難時代の時がアコルの谷であり、ここで一気に絶望が希望になる!キリストに来てくださいと言って悔いて立ち返るイスラエルの民
「若い頃のように」・・エジプトを出たときは、神に全幅の信頼を寄せていた

16節:その日になると ―のことば― あなたはわたしを『私の夫』と呼び、もう『私のバアル』とは呼ばない。

「その日」とは、大患難時代の最終局面。その時はもう、イスラエルは立派な神の妻。
クレイから、「私の夫」「私のバアル」とは、どちらも「夫」という意味。この場合は夫というより「バアルのような偽物の夫、つまりは愛人」を示すと考えられる。


17節:わたしがもろもろのバアルの名を彼女の口から取り除く。その名はもう覚えられることはない。

「もろもろのバアルの名」とは、偶像や律法主義などの神以外、または神を無視することを指し、その一切がイスラエルの民から取り除かれる。


18節:その日、わたしは彼らのために、野の獣、空の鳥、地面を這うものと契約を結ぶ。わたしは弓と剣と戦いを地から絶やし、彼らを安らかに休ませる。

人以外の生き物との契約・・まるでエデンの園の回復!
戦争のない、神の統治による平和、王国の開始!人々は真の平安を得る。

 

19節:わたしは永遠に、あなたと契りを結ぶ。義とさばきと、恵みとあわれみをもって、あなたと契りを結ぶ。

ここに和解が成立し、神の期待である次の4つの実現を約束される。

 

20節:真実をもって、あなたと契りを結ぶ。このとき、あなたはを知る。

神の真実がここに実現する(アブラハム契約の成就)。メシア的王国の人々は神を目撃し、神の真実を体験する時となる!!


21節:その日、わたしは応えて言う。 ―のことば― わたしは天に応え、天は地に応え、

22節:地は、穀物と新しいぶどう酒と油に応え、それらはイズレエルに応える。

メシア的王国(千年王国)における神の御業の発動。
天地が変わる、つまり地殻変動などの影響が静まり、豊な土地となる。
その地が穀物、ぶどう酒、油を豊かに生み出す。経済が潤沢に回る。
「イズレエル」とは、蒔かれた種が発育して、開花し、実を結んで生産物を生み出す。
こうして、第一子イズレエル、つまりイスラエルの民と結んだアブラハム契約が成就。

イズレエルは「散らす者」と「種まく者」の意味を持つが、この王国で成就する!


23節:わたしは、わたしのために地に彼女を蒔き、あわれまれない者をあわれむ。わたしは、わたしの民ではない者に『あなたはわたしの民』と言い、彼は『あなたは私の神』と応える。」

更に「ロ・ルハマ」という第二子を、「ルハマ」と言って愛し、第三子の「ロ・アンミ」を「アンミ」、「わたしの民」と呼ぶ。(パウロはこれを「異邦人」とした:ロマ9:26)
すべての者が、メシア的王国(千年王国)で、「あなたは私の神」と応える。

3章

1節:は私に言われた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛しなさい。ちょうど、ほかの神々の方を向いて干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの子らを、が愛しているように。」

神が偶像礼拝に走るイスラエルの民を愛しているように、あなた(ホセア)も、夫に愛されていながら姦通しているゴメルを愛しなさい。

干しぶどうの菓子は、偶像に捧げられていた。

神にとっての偶像礼拝は、姦淫の妻を持つ夫と同様の思いだということを知ろう!

2節:それで私は、銀十五シェケルと、大麦一ホメルと大麦一レテクで彼女を買い取り、

ホセアはすぐに実行に移す。この時点でゴメルは奴隷、または娼婦(神殿)の類となり、身を持ち崩していることが分かる。故に、金銭で買い取られなければならない。

銀15シェケル+大麦1ホメル+大麦1レテク(1/2ホメル)=銀30シェケル分

銀30シェケルは、出エジプト21:32では死んだ奴隷の値段と同じ。大麦は小麦より価値が低い。かなり落ちぶれたゴメルを想像する。ホセアだけがゴメルに目を留めた。
私たちも神に選ばれ、そしてイエス様に買い取られた者

3節:彼女に言った。「これから長く、私のところにとどまりなさい。もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはいけない。私も、あなたにとどまろう。」

ホセアのことば・・「長く、私のところにとどまりなさい!」・・、とは?

「長く」の意味は4節以降に示されている!
もう、姦淫、密通をしてはいけない。・・・・偶像に走らない状態を維持せよ

バビロン捕囚以降、イスラエルの民は目に見える偶像には走らない!

4節:これは、イスラエルの子らが、これから長く、王もなく、首長もなく、いけにえも石の柱もないところに、エポデもテラフィムもないところにとどまるからだ。

イスラエルの民は、偶像からは離れるが、王も首長もなく、いけにえも捧げられず祭壇も神殿もない状態になる。この時期が長く続くことになる。(メシア拒否で明確化)AD70年以降、目に映らない律法主義に心奪われ、神と言いつつ、神と離れる民

5節:その後で、イスラエルの子らは帰って来て、自分たちの神であると、自分たちの王ダビデを尋ね求める。そして終わりの日には、とそのすばらしさにおののく。

しかし、民は神に立ち返る。主なる神を求め、そして主が再臨される。
「その日」が終わり、主がダビデの王国以上のメシア的王国を実現する。

ハレルヤ!

2022年03月16日

ホセア4章1節~14節

1節:イスラエルの子らよ、のことばを聞け。はこの地に住む者を訴えられる。この地には真実もなく、誠実さもなく、神を知ることもないからだ。

主は、この約束の地を特別に思っておられる。この地において、神の民は、神の真実、神への誠実をもって神を示すことを期待しておられた。しかし、この地にはかけらも無い。

2節:呪いと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている。

存在するものはその逆ばかり。呪い、欺き、人殺し、盗み、姦通、流血が止むことがない。これらは律法、特に十戒に違反するものである。

3節:それゆえ、この地は喪に服し、そこに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに衰え果て、海の魚さえも一掃される。

地が喪に服す・・実り(ぶどう酒、油など)が無くなる。
人も、そして獣も鳥も、魚も姿を消す。将来の大患難時代を思わせる。

4節:「だれも口論してはならない。だれも人を責めてはならない。あなたの民は、祭司と口論する者のようだ。

イスラエルの民は、神の民であることを忘れ、口論し、言い争いをしている。それは神を無視し、蔑ろにする姿勢。まるで、祭司と口論している者に等しい。

本来の祭司は神の教えを忠実に守り、示し、教える立場であり、口論する相手ではない。しかし、北イスラエルの祭司は一般から募った者たちであり、神が定めた祭司ではなかった。神の秩序は存在していなかった。

5節:あなたは昼つまずき、預言者も、あなたとともに夜つまずく。わたしはあなたの母を滅ぼす。

「あなた」とは、祭司を指す。祭司は、日々の生活のすべてが神の道から外れている。
故に、神は母(ゴメルを暗示)、すなわち北イスラエルを裁く。

北イスラエルの落ちぶれ方は、相当なもので、ゴメルの落ちぶれ方と同期することを想起させる。

6節:わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしもあなたを退け、わたしの祭司としない。あなたがあなたの神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れる。

偶像礼拝に導かれた民は、神を恐れることを忘れたので裁かれる。その原因は北イスラエルの祭司、上層部。神から遠ざかったので、神はあなたを「仕える者」としない。


7節:彼らは増えるにしたがって、ますますわたしに罪を犯した。わたしは彼らの栄光を恥に変える。

「彼ら」とは、祭司、上層部の者たちを指す。そんな彼らが増えるのは、一般人から募っていたからか? いずれにしても彼らは不正を犯し、繁栄した。あのアマツヤがそうである。主はそんな祭司たちを裁かれる。繁栄から一気に恥へ。
「罪」・・原語「ハーター」とは、「的を外す」を意味する。ヤロブアム1世が導いた的外れな信仰の道。(Ⅰ列12:26~28)導かれて迷子になった民も裁かれる対象となる。
「増える」・・原語「ラーヴァヴ」とは、「増える、増やす、得する」などの繁栄用語。間違った教えに導かれ、更に繁栄、富に溺れる姿が浮かぶ。現在の繁栄の神学と同じ。

 

8節:彼らは、わたしの民の罪のきよめのささげ物を貪り食い、民の咎に望みをかけている。

その繁栄は賄賂や捧げものからの搾取など。民の悔い改めの捧げものに期待している。
民も咎を犯して「捧げものをすりゃあ、いいんだろ!」というような態度になっていた。


9節:民も祭司も同じようになる。わたしはその生き方のゆえに彼らを罰し、その行いのゆえに彼らに報復する。

祭司、民のいずれも裁く。彼らが歩んだ神の期待に応えぬ生き方の故に、その行いの報いを受けねばならない。


10節:彼らは食べても満たされず、姦淫しても増えることはない。彼らがを捨てて、姦淫を続けるっからだ。

バアル(豊穣の神)を礼拝する者は、食べても満足せず、また、姦淫(神殿娼婦との交わり)をしても子孫が増えることにならない。それは、神がそれを止められたから。


11節:ぶどう酒、新しいぶどう酒は良識を失わせる。

「良識を失わせる」は、新共同訳では「心を奪う」。まるでぶどう酒に酔うような振る舞い。これは、偶像礼拝の作法と関連がありそうな言葉である。(神の教えを無視


12節:わたしの民は木に伺いを立て、棒が彼らに事を告げる。これは、姦淫の霊が彼らを迷わせ、彼らが自分の神のもとを離れて、姦淫したからだ。

木や棒に応答を求める。アシェラ像は木製。(申16:21、士6:25~26より)
姦淫の霊(悪魔)が肉体的な誘いで惑わし、祭司たちを神から引き離し、偶像礼拝へと仕向けた。


13節:彼らは山々の頂でいけにえを献げ、丘の上で犠牲を供える。樫の木、ポプラ、テレビンの木の下で。その木陰が心地よいからだ。それで、あなたがたの娘は淫行をし、あなたがたの嫁は姦通をする。

カナンの土着神の礼拝場所は、高い丘の青々と茂る木の下(Ⅰ列14:23)。それは場所が心地良いところ(エレミヤ2:20)。(耳障りの良い言葉に魅了される状態)

五感をくすぐる肉体的な誘惑。この世の流れ(富)に身をゆだね、心奪われる

その誘いに惑わされ、祭司(上層部)の娘たちも、嫁たちも、淫行する。これは、偶像礼拝であるとともに、淫らな男女の交際を示しているとも考えられる。


14節:わたしは、あなたがたの娘が姦淫をしても、あなたがたの嫁が姦通をしても、罰しない。男たちは遊女とともに離れ去り、神殿娼婦とともにいけにえを献げている。悟ることのない民は滅びに落ちる。

北イスラエルの情勢は、女性は浮気、男性は遊女・神殿娼婦との交わりで、神が罰しなくても、地獄に落ちて行く。

2022年03月18日

ホセア4章15節~5章15節

15節:イスラエルよ。あなたが淫行をしても、ユダを咎ある者にさせてはならない。ギルガルに行ってはならない。べテ・アベンに上ってはならない。『は生きておられる』と誓ってはならない。

「淫行しても、」・・新共同訳「遊女であっても」

北イスラエルはその淫行をもって南ユダを誘惑してはならない!と言われている。
ギルガル、ベテ・アベン(悪の家)は、偶像礼拝の地。かつて、ここベテル(神の家)には預言者の学校(預言者集団)があったが、それが偶像礼拝の地に変わってしまった。
彼らはその場所で「主は生きておられる」と言って、安易に誓いを立てていた。(安易に誓ってはならない!)
神は、「こんな偶像礼拝を南ユダにさせてはならない!導いてはならない!」と戒めている。しかし、これはそうなるということの暗示。北イスラエルがアッシリヤに捕囚後、この預言が南ユダの戒めとなれば良いのだが、残念なことになる。(南ではイザヤが働いている)


16節:まことに、頑なな雌牛のようにイスラエルは頑迷だ。今、は彼らを広いところにいる子羊のように養うだろうか。

北イスラエルは頑なな雌牛・・頑固者で不従順な態度。
主は、そんな者たちを、広い野原で従順な子羊のように養うことはなされない。


17節:エフライムは偶像にくみしている。そのなすに任せるがよい。

エフライム、すなわち北イスラエルは、わたし(主)の言うことは聞かず偶像の言うことに魅了されて従っている。もう、神の愛を注ぐことはしない。


18節:彼らは酒を飲んでは、淫行にふけり、淫らなふるまいで恥を愛してやまない。

神の目から見る偶像礼拝は、まさに酒池肉林の恥の世界。しかし北イスラエルの民はこの恥ずべき振る舞いを好んでいる。


19節:風はその翼で彼らを巻き込む。彼らは自分たちのいけにえのゆえに恥を見る。」

「風」・・新共同訳「欲望の霊」

これは神ではなく、神に反する悪霊を意味すると考えられる。その悪霊の翼が巻き起こす風に巻き込まれる北イスラエル。その風とは、アッシリヤによる捕囚であり、将来の大患難時代と考えられる。
彼らが捧げるいけにえはすべて悪霊に捧げられているのであり、それはすべて罪となって自分たちの上に降りかかってくる。
恥を見るということは、これまでにない厳しい狼狽と痛みを伴うものである。


5章

1節:「祭司たちよ、これを聞け。イスラエルの家よ、心せよ。王の家よ、耳を傾けよ。あなたがたにさばきが下る。あなたがたはミツパで罠となり、タボルの上に張られた網となったからだ。

先ず、裁きは、祭司、上層部、そして王家に下される。
ミツパは2か所存在。この場合は、ヨルダン川東にあるミツパ。

 

2節:曲がった者たちは殺戮を極めた。しかし、わたしは彼らすべてを懲らしめる。
新共同訳では、「曲がった者たちは殺戮を極めた」を「シッテムでは深く掘った穴となった」と訳している。
シッテムは地名で、偶像礼拝の地域。民を偶像礼拝に引き込む罠、網、落とし穴である。
祭司たちは、そのためには殺戮(人身御供?)まで極めたと考えられる。そんな導きをした祭司をはじめとする、姦淫の罪を犯した彼らを神は裁かれる。


3節:わたしはエフライムをよく知っている。イスラエルはわたしに隠されていない。今や、エフライムよ、あなたは姦淫をし、イスラエルは汚れてしまった。

「良く知っている」・・とは、夫婦関係のごとく相手を知っているということ。かつて結婚の契約を結んだのに、イスラエルは偶像を向いている。


4節:彼らは、自分の悪行を捨てて自分の神に帰ろうとしない。姦淫の霊が彼らのうちにあり、彼らがを知らないからだ。

5節:イスラエルの高慢はその顔に表れている。イスラエルとエフライムは、自分の不義につまずき、ユダも彼らとともにつまずく。

偶像礼拝を止めないのは、姦淫の霊(悪霊)に支配されているからであり、それは神を無視する態度。知らないとは、かつての婚姻関係を忘れてということ。
偶像礼拝は高慢な態度を意味する。神を無視すると傲慢になり、自分の都合の良いようにすることで自らが神になってしまう。偶像を拝みつつ、大罪を犯している。
北イスラエルは裁かれるが、警告したユダも傲慢になり、同様に偶像礼拝の罪を犯し、イスラエルの民全体が裁かれることとなる。


6節:彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、を尋ね求めるが、見つけることはない。主が彼らから離れ去ったのだ。

羊や牛の大量の捧げもの、つまり律法に基づき神に帰っても、主に求めても見つかりはしない。なぜなら、救いの原則は進展し、結果、神が離れ去ったように思われるからだ。

漸進的啓示(メシアの初臨)が暗示されている。

7節:彼らはを裏切り、他国人の子を生んだ。今や、新月の祭りが彼らとその地所を食い尽くす。

イスラエルは主から離れ、まるで他国人のようになって歴史を刻む。その結果、新月の祭りが、裏切った他国人のようなイスラエルの民と約束の地を食い尽くすことになる。

新月の祭りは、バアル礼拝を指す。70人訳では新月が「いなご」と訳され、
それはアッシリヤを意味する。それ故「食い尽くす」となっている。


8節:ギブアで角笛を、ラマでラッパを吹き鳴らせ。べテ・アベンでときの声をあげよ。ベニヤミンよ、うしろを警戒せよ。

これは、かつて士師記の時代に起こったベニヤミン族の聖絶の歴史に関係している。

(士師記19章~20章)

イスラエル民族の悲劇、同族内の裁き、殺戮があり、ベニヤミン族は本当に少ない民族

(600人)となってしまった。そのかつての事件を思い起こせ!と知らせている。

9節:エフライムは懲らしめの日に、恐怖のもととなる。わたしはイスラエルの諸部族に、確かに起こることを知らせる。

10節:ユダの首長たちは、地境を移す者のようになった。わたしは彼らの上に激しい怒りを水のように注ぐ。

11節:エフライムは虐げられ、さばかれて打ち砕かれる。彼が自ら進んで人の決め事に従って歩んだからだ。

エフライム、すなわち北イスラエルに、事前に教えていた通りの裁きが下る。
ユダは、地境を移すという律法違反を犯し、自分勝手な方向へと進む。それ故、ユダをも神は裁かれる。(バビロン捕囚を指す)
エフライムが虐げられるのは、ユダと同じように、神に従うのではなく人の決め事に従ったためである。

シリヤ・エフライム戦争 紀元前735年~紀元前731年

北イスラエルはシリアと組んで、アッシリヤと組むユダを攻めようとしたが失敗し、むしろアッシリヤに壊滅的に攻められ、最終的には捕囚の身となる(BC722年)。
しかしながら、ユダ王国もこのアッシリヤの強さの前に、属国のようになってしまう。
兄弟(同族で)喧嘩し、どちらも大けがをするようなもの。

12節:わたしはエフライムにはシミのようになり、ユダの家には腐れのようになる。

「エフライムのシミ、ユダの腐れ」・・どちらに対しても、神の民として相応しくない状態。
将来イスラエルが歩む、心の偶像礼拝を経て、契約(大患難時代のきっかけとなる反キリストとの契約)に頼る民を指している。


13節:エフライムは自分の病を見た。ユダは自分の腫れものを。エフライムはアッシリアに行き、大王に人を遣わした。しかし、彼はあなたがたを癒すことができず、あなたがたの腫れものも治せない。

14節:わたしが、エフライムには獅子のようになり、ユダの家には若い獅子のようになるからだ。わたし、このわたしが引き裂いて歩き、さらって行くが、助け出す者はだれもいない。

イスラエルの民は、人の決め事に従って歩み、反キリストに信頼しようとするが、それは解決には結びつかず、むしろ最悪の状態となる。
なぜなら、それは神がなされる獅子のような裁きであり、誰も救い出すことはできないこのあたりの神のことばは、直前に迫るアッシリヤ捕囚、バビロン捕囚という裁きよりは、むしろ最終的な大患難時代の裁きを示していることが伺える

15節:わたしは自分のところに戻っていよう。彼らが罰を受け、わたしの顔を慕い求めるまで。彼らは苦しみながら、わたしを探し求める。」

自分のところ・・今、神がおられる所であり、キリストが昇天しておられる状態を示す。
大患難時代において、厳しい裁きを経て、残れる者が主を呼び求めるときを待とう!
新共同訳では、「彼らが罪を認めて、」となっている。

2022年03月23日

ホセア6章1節~11節

1節:さあ、に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、癒やし、私たちを打ったが、包んでくださるからだ。

私たち・・イスラエルの民全体
私たちを引き裂き・・南北のイスラエルの捕囚、そして神との断絶。
私たちを打つ・・当時の近未来ではアッシリヤ、バビロン捕囚、そして将来の大患難時代。しかし、主は「癒し、包んでくださる!」

ホセアは民に呼び掛けている。それは、各捕囚を経て、様々な痛みを経て、最後の大患難時代を何とかくぐりぬけて神に帰れ!と励ましているようだ。

2節:主は二日の後に私たちを生き返らせ、三日目に立ち上がらせてくださる。私たちは御前に生きる。

「二日の後に私たちを生き返らせ、」・・2日間で罪に気付き、神の愛に気付き、
「三日目に立ち上がらせてくださる。」・・3日目にイエス様に来てくださいと求め、

イエス様の再臨があり、民族的救いが実現する。
「私たちは御前に生きる」・・メシア的王国(千年王国)に住む。

 

3節:私たちは知ろう。を知ることを切に追い求めよう。主は暁のように確かに現れ、大雨のように私たちのところに来られる。地を潤す、後の雨のように。

「知ろう」・・婚姻関係の回復、契約の成就。イスラエルの回復。
「主を知ることを切に追い求めよう。」・・神の期待に応える姿。私たち神の子としてのあるべき姿。
大患難時代は未曽有の苦しみ、暗闇。神はイスラエルの回心を待ち望み、その時、その暗闇を打ち破る暁の光となって、燦然と出現される。シャカイナグローリー!
後の雨が乾いた土地を潤し、豊かな実りをもたらすように、主の現れは、雨が大地にしみこみ土地を豊かに回復され、神を信じる者は祝福と恵みに与る。それはメシア的王国。
自然を用いて表現されていることから、大患難時代で破壊された自然が、あっと言う間に回復する様を想像させる。


4節:「エフライムよ、わたしはあなたに何をしようか。ユダよ、わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの真実の愛は朝もやのよう、朝早く消え去る露のようだ。

様々な方法であなたに気付きを促したが、ほかに何をしようか?
あなたの真実を知った!それは本当にもろく、朝もや、朝露のごとくたわいがない。


5節:それゆえ、わたしは預言者たちによって彼らを切り倒し、わたしの口のことばで彼らを殺す。あなたへのさばきが、光のように出て行く。

預言者を通して不義を明確にし、瞬く間に(光のように)裁きを下し、あなたがたを殺す。


6節:わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。

神の期待は真実の愛・・それは神との深い関係を築くために、神を知ろうとすること。

決していけにえや捧げものが最優先ではない。

「知る」とは、創4:1、出3:7、詩編31:7に同じ。
夫婦の親密な交わりの如き、愛情、あわれみ的理解の意味

 

7節:ところが、彼らはアダムのように契約を破り、そこでわたしを裏切った。

どうしてアダムのように罪(エデン契約の違反)を、繰り返すのか! イスラエルの民はシナイ(モーセ)契約を破り、主を裏切った。

8節:ギルアデは不法を行う者の町、血の足跡に満ちている。

ギルアデ(岩だらけの)・・血の足跡・・偶像礼拝の地であり、人身御供の習慣についての意味であろう。
新共同訳:「流血の罪を犯した者の足跡」


9節:盗賊が人を待ち伏せするように、祭司たちは徒党を組み、シェケムへの道で人を殺す。彼らは実に淫らなことを行う。

シェケム(尾根、強肩)・・北イスラエルの主要都市。逃れの町があり、祭司の町であったが、祭司はこの地で徒党を組んで人を殺し、また、淫らなことをしていた。
シェケムと聞くと、シェケムでの創34:1~35:5割礼悪用、士9:45~49アビメレクの大虐殺が思い浮かぶ。そうした神の期待違反がこの町を偶像礼拝化したということか!
偽祭司が偶像礼拝化している状態。(逃れの町は機能していない→世に同化)

10節:イスラエルの家にわたしはおぞましいことを見た。エフライムはそこで姦淫をし、イスラエルは汚れてしまった。

北イスラエル全体が、神の目にはおぞましい光景に映る。→公正はどこへ?
北イスラエルの祭司、上層部は偶像礼拝へと国民を導き、自らも偶像礼拝し、北イスラエルを汚れた民としてしまった。


11節:ユダよ、あなたにも刈り入れが定まっている。わたしが、わたしの民を元どおりにするときに。」

神の民と言えば、南ユダ王国もだが、残念ながらそのユダにも裁きは下される。

なぜなら・・わたしがイスラエルを癒すとき・・内容は7章1節に続く

2022年04月20日

ホセア7章1節~16節

1節:「わたしがイスラエルを癒やすとき、エフライムの咎、サマリアの悪はあらわになる。彼らが偽りを行い、盗人が押し入り、外では略奪隊が襲うからだ。

2節:しかし、彼らは考えもしない。わたしが彼らのすべての悪を覚えていることを。今、彼らの悪行は彼らを取り囲んで、わたしの面前にある。

まるで病のイスラエルを癒そうとするとき、見えてくるのは偽の祭司の罪である。
偽祭司による偶像礼拝の結果、偽り、盗み、そして略奪が起こり、奪われて襲われてしまうイスラエルが見えてくる。(この盗人、略奪隊は大国と思われる)
そんな状態になっても、祭司たちは神に返らない。(大国に頼る選択をする)
神は悪事に取り囲まれたイスラエルをしっかりと見ている。(偽祭司の影響が大きい


3節:彼らは悪事によって王を、偽りによって首長たちを喜ばせる。

「彼ら」とは、偽祭司たち。彼らは、王や首長の気に入る偶像礼拝で彼らを喜ばせ、自分を保身する。(祭司本来の価値は失せている)

 

ー北イスラエルの祭司事情ー
Ⅱ歴代誌11:4~17
4節:レハブアムがヤロブアムに戦いを仕掛けるが、神に止められ中止する。
5~12節:レハブアムはユダの町を固め備蓄。ユダ、ベニヤミンがレハブアムについた。
13~15節:イスラエルの祭司、レビ人は自分たちの牧草地、所有地を捨ててユダとエルサレムに来た。ヤロブアムが彼らの職を解き、一般の祭司に、偶像礼拝させたからである。
16~17節:イスラエルの全部族からも、信仰心の熱い者たちが主にいけにえを捧げに 3年間、エルサレムに来た。彼らはダビデ・ソロモンの道を歩み、そのことが、ユダの王権を強固にした。この現象が、ヤロブアム1世にとっては脅威となる。

ホセア書で神が指摘する祭司は、偽祭司である。
神のことばに信頼しない北イスラエルの歴史が始まった

4節:彼らはみな姦通する者。パンを焼くときの燃えるかまどのようだ。生地がこねられてから、ふくらむまでは、燃え立つことをやめている。

パン焼きかまどが偽祭司、そしてパンが上層部の人間たちと考えられる。低温でじっくり発酵させるように、上層部を、偶像礼拝により悪だくみへと導く偽祭司。
パン生地が一晩かけて膨らんだパンを一気に焼き上げるように、上層部の気持ちを熟成させ、機が熟したら、一気に悪事を実行するように仕向けて行く偽祭司の行動の表現。

5節:われわれの王の日に、首長たちは酒の熱で気分が悪くなり、王は嘲る者たちと手を握る。

そして、例えば王の祝いの日には、首長は偶像礼拝の曲がった教えにより酒を浴びて酩酊し、王は神を恐れぬ者(他国)と組み、政治・外交する。


6節:彼らは心をかまどのようにして、陰謀を企てる。夜通し、パンを焼く者は眠るが、朝になると、かまどは燃え立つ火のように燃えるのだ。

北イスラエルの歴史は、悪事を企て、一気に実行し、王位を奪う歴史である。
「かれら」とは、偽祭司と考えられる。王や首長は偽祭司に振り回される者たち。

7節:彼らはみな、かまどのように熱くなって、自分をさばく者たちを食い尽くす。自分の王たちもみな倒れる。彼らのうちだれ一人、わたしを呼び求める者はいない。

それ故、自分を支配する者(王)を殺してしまう。こうして王が次々と立っては倒れることになる。偽祭司たちも、王たちも、神を求めることなどない!

 

8節:エフライムは、もろもろの民の中に混じり込む。エフライムは、片面しか焼けていないパンだ。

もろもろの民・・異邦の諸国(特にアッシリア)と交わる。中途半端に焼けたパンとは、神の民でありながら他国に依存している様子。

歴史的にみると、16代メナヘム王(BC.752~742)は、アッシリヤに同盟を求め、莫大な朝貢により凋落していった。そのため、18代ペカ王(BC.740~732)はアッシリヤとの同盟を止め、アラム、エジプトと組むもアッシリヤに攻められ、更に凋落して行く。

(Ⅱ列15:27~29)

注:「ペカが・・・王となり、二十年間王位にあった。」について。
新共同訳によれば、シャルムが王になる前に、ギルアドで別の権威を打ち立て、王位についていた。二重王の支配があったとされる。


9節:他国人が彼の力を食い尽くしても、彼はそれに気づかない。白髪が生えても、彼はそれに気づかない。

こうした諸国と交われば交わるほど国力は衰えるが、上層部はひたすら突き進む。
国民、国力の凋落も気にしないのだから、神の律法違反になど気付くはずもない。


10節:イスラエルの高慢はその顔に表れている。彼らは、自分たちの神、主に立ち返らず、このすべてがあっても、主を尋ね求めない。

このような状態を高慢と言わずして、何と言おうか?!
北イスラエルが愚行に気付き、悔い改めてほしいのだが、この民は主に返ることがない。神を無視するという究極の愚行に突き進む。


11節:エフライムは愚かな鳩のようで、良識がない。エジプトを呼び求め、アッシリアに飛んで行く。

賢い鳩は元の場所に戻るが(帰巣本能)、愚かな鳩は戻って来ずにさすらう。
北イスラエルの上層部はエジプト、アッシリヤを行ったり来たりで、神のもとへは戻らない!(Ⅱ列17:1~3)

 

12節:彼らが赴くとき、わたしは彼らの上に網を張り、空の鳥のように彼らを引き降ろす。彼らの群れの音を聞くとき、わたしは彼らを懲らしめる。

そんな愚鳩のような彼ら(北イスラエル)を、神は明確に裁かれる。
「群れの音を」とは、神の北イスラエルへの裁き・・アッシリヤ捕囚を指す。


13節:わざわいだ、彼らは。わたしから離れ去ったのだから。彼らは、踏みにじられるがよい。わたしに背いたのだから。わたしが贖い出そうとしているのに、彼らはわたしに向かってまやかしを言う。

「わざわいだ」・・もう救いようがない、どうしようもないという嘆き。神から離れてしまった以上、異邦人と同様、踏みにじられ滅びへと進む道しか残されていない。
神は、様々な手を用いて気付きを促したのに、そっぽを向き、偽りで応じてくる北イスラエル。

14節:心からわたしに向かって叫ばずに、自分たちの床の上で泣きわめいている。穀物と新しいぶどう酒のためには群がって来る。しかし、わたしからは離れて行く。

心は偶像に向かい、事があると神に向かわず寝台の上で泣きわめく。そんな彼らは富に積極的に群がるが、神には一切向かわず、むしろ離れて行く。

 

15節:わたしが訓戒し、彼らの腕を強くしたのに、このわたしに対して悪事を企む。

神は律法を与え、神の民として目標を与え、成長へと導いたにもかかわらず・・。

律法に従い、公正と正義を守り、戦いにおいては、神に信頼することで勝利することを学び、神の民として成長して行くはずだったが・・。


16節:彼らはいと高き方に立ち返らない。彼らは欺きの弓のようだ。彼らの首長たちは、ののしったために剣に倒れる。これはエジプトの地で、嘲りのもととなる。」

神に立ち返らない民は、狙っても外れる弓だとしている。(弓を正しく的に向けることのできない神の民。正しさが失せている。)そんな弓矢は、的外れ、つまり、罪が益々深くなる。
19代ホセア王(BC.732~722)は、アッシリヤに朝貢するも、エジプトに使者を遣わし、エジプトと組んでアッシリヤへの反撃を企てたが、アッシリヤ王に気付かれ、投獄される事となる。Ⅱ列17:1~8

思い起こせば、エジプトから神の力により、奇跡の大脱出を行った神の民が、今は見る影もない、その辺の民となっている。だから、エジプトの物笑いの種となる。

2022年04月21日

ホセア8章1節~14節

1節:「あなたの口に角笛を当てよ。鷲のようなものが、の宮の上にいる。彼らがわたしの契約を破り、わたしのおしえに背いたからだ。

「口に角笛を当てよ」・・戦が起こるから覚悟せよ!これから裁きが始まる!

「この鷲のようなもの」とはアッシリヤ(偽物の権威)。
それは、イスラエルが神の契約、神の教えを破ったから!神の民を完全に放棄したから。


2節:彼らはわたしに向かって叫ぶ。『わが神よ、私たちイスラエルは、あなたを知っています』と。

3節:イスラエルは善を退けた。敵は彼らに追い迫る。

彼らは「神を知っている」と言って助けを求めるが、神が示す善(「公正」と「義」)を捨てた。それは、神の民を捨て、神のご加護を捨てたということ。
それ故、敵、つまりアッシリヤ(善の反対の「悪」をも指している)が攻めてくる。

「善」とは、神を示すとともに、その契約条項や教えをも示す。

4節:彼らは王を立てたが、わたしによってではない。首長を立てたが、わたしは知らない。彼らは自分の銀や金で自分のために偶像を造った。ただ断ち切られるために。

王や首長の擁立は神の御心によらず自分勝手。
金銀(富)は神が与えたものであることを忘れ、それらを偶像の製造に用いる。
自分に好都合な偶像が、自分たちを滅ぼす原因になるとも知らずに。


5節:サマリアよ、あなたの子牛は退けられる。わたしは彼らに向かって怒りを燃やす。いつになれば、彼らは罪のない者となれるのか。

実際、サマリヤは3年間アッシリヤの包囲に耐えるが滅ぼされ、金の子牛は剥奪される。(偶像には何の力も無い)残念ながら、こんな民にはもう、罪から逃れる術はない!


6節:それはイスラエルから出たもの。それは職人が造ったもので、神ではない。サマリアの子牛は粉々に砕かれる。

7節:彼らは風を蒔いて、つむじ風を刈り取る。麦には穂が出ないので、麦粉を作れない。作れたとしても、他国人がこれを食い尽くす。

金の子牛は粉々に砕かれ、金の塊になってしまう。
自分たちで神を造り、偶像礼拝することは、無意味なことだと気づいてほしい。

風を蒔いたら、それがつむじ風となって返って来る…空しいことをしている
麦は出来ても穂が出ず、実を結ばない。だから、麦粉が出来ない。わずかに麦粉が出来ても少量ゆえに、他国人に貢がされ、自分たちの口には入らない。
いろいろと政策を練っても結果が出ないのは、偶像に頼った結果である。

8節:イスラエルは吞み込まれた。今や、彼らは国々の間にあって、だれにも喜ばれない器のようになった。

イスラエルも世の中の流れに呑み込まれた。(神が一番心配していたこと)
神の民(主の宝の民)となるはずが、他国と同じその辺の民となってしまった。


9節:彼らは、ひとりぼっちの野ろばで、アッシリアへ上って行った。エフライムは愛を求めて贈り物をした。

10節:彼らが諸国の民に物を贈っても、今、わたしはそれらを集める。彼らは、王や首長への貢ぎによって間もなく汚されることになる。

人ぼっちの野ろば・・・群れから離れて自分勝手に動く野ロバ。

帰属する群れをアッシリヤとし、朝貢して機嫌をうかがうが、神はそれを何の効果もないものにする。(厳しい朝貢、移民が押し付けられる)

北イスラエルは、上層部の愚かな朝貢政策により、更にボロボロにされる。

 

11節:エフライムは祭壇を増やして罪を犯すようになった。それらは彼にとって罪を犯すための祭壇となった。

北イスラエルの上層部は、どんどん祭壇を増やして、益々自分たちの罪を増やしていることに気が付かない


12節:わたしが彼のために、多くのおしえを書いても、彼らはこれを他国人のもののように見なす。

神の民であるはずの北イスラエルは、律法、契約を捨て、まるで異邦人のようだ。
参考聖書箇所・・・申命記17:9~20

申命記のみことばの中に、すでに王制になり、そこで現れる罪についても明確に預言されている。ソロモンの罪も、その後の王たちの罪もすべてご存知の神。

13節:わたしへのささげ物のいけにえとして彼らが肉を献げて食べたとしても、はこれを喜ばない。今、主は彼らの不義を覚え、その罪を罰する。彼らはエジプトに帰る。

この時点で神に戻っていけにえを捧げたとしても、主はこれを受け取らない。つまり、神の堪忍袋の緒は切れてしまっている。捕囚は決定事項。裁きの賽は投げられた。

彼らの不義・・北イスラエルと南ユダの神離れ。彼らの不義は14節。
その不義により、彼らは過去のエジプト時代の状態、つまり奴隷(国を持たない民)になる。

14節:イスラエルは自分の造り主を忘れ、神殿をいくつも建てた。ユダは、城壁のある町々を増し加えた。しかし、わたしはその町々に火を放つ。火はその宮殿を焼き尽くす。」

北イスラエルは偶像礼拝し、南ユダは神に頼らず軍備に頼る始末。
よって、北イスラエルはアッシリヤ捕囚。
南ユダ(ヒゼキヤ王の時)は、城壁のある町を増やしたが、アッシリヤによる攻撃で大打撃。かろうじて滅亡は免れるが、後にバビロン捕囚が待っている。

2022年04月25日

ホセア9章1節~17節

1節:イスラエルよ、喜ぶな。諸国の民のように楽しむな。あなたは自分の神に背いて姦淫したからだ。あなたはすべての麦打ち場で姦淫の報酬を愛した。

2節:打ち場も踏み場も彼らを養わない。新しいぶどう酒も彼らを裏切る。

諸国の民の喜びとは、バアル(豊穣の神)礼拝している状態。それは神へのそむきの罪。
麦打ち場の産出物はバアルのお陰と思い込み、それを喜ぶ。(姦淫の報酬)
バアル礼拝(姦淫)の報酬とは、富、経済的な豊かさ。その報酬を求めれば求めるほど滅びに向かっている。

 

3節:彼らはの地に住むことはない。エフライムはエジプトに帰り、また、アッシリアで汚れた物を食べる。

約束の地にはおられず、エジプト、アッシリヤに移り住まなければならない。
アッシリヤ捕囚・・エジプト・アッシリヤに捕囚され移されること。
[新共同訳の解説:エジプトへは逃れていったのでは・・。]

神が期待した、約束の地で、神の民として輝くことはなくなってしまう!

4節:彼らはにぶどう酒を注がず、自分たちのいけにえで主を喜ばせない。彼らのパンは喪中のパンのようで、これを食べる者はみな身を汚す。彼らのパンは自分のためだけ。の宮に持ち込むことはできない。

5節:例祭の日、の祭りの日に、あなたがたは何をするのか。

約束の地を離れた民に、主とかかわる機会はない。主を喜ぶ機会がない。(祭りなど)
捕囚後に彼らが食するパンは偶像礼拝のパン(新共同訳)。それゆえ、汚れる。
彼らのパンは自分の欲望を満たす自己中心的なもの。そんなパンを主に捧げることはできない。してはならない。
「例祭」「主の祭り」、という神を喜ばす日に、あなたがたは一体何ができるのか?

神の民としてのアイデンティティーは、とうに失せている!

6節:見よ。彼らが破壊を逃れても、エジプトが彼らを集め、メンフィスが彼らを葬る。彼らが慕う銀には、いらくさが、彼らの天幕には、あざみがはびこる。

例えアッシリヤ捕囚から逃れても、エジプトが彼らを集めて葬り去る。所持する銀も天幕も何の代償にもならず、すべてを失う。


7節:刑罰の日が来た。報復の日が来た。イスラエルに知らせよ。預言者は愚か者、霊の人は気のふれた者だ。これは、あなたの大きな不義のゆえ、激しい敵意のゆえである。

7節a、b、c
「刑罰の日が来た。報復の日が来た。」は、預言的完了形の表現。確実に起こる!
「イスラエルに知らせよ。」とは、未完了形の表現。「知るようになる。」の意味。

(第3版:イスラエルは知るがよい。新共同訳:イスラエルよ、知れ。)

7節d、e
何を知るか?・・預言者、霊の人は偽物であったこと。神に対する激しい背き、敵意を宿していたために、気付かないまま、このようになってしまったということ。
新共同訳:「イスラエルの不義は甚だしく、敵意が激しいので、預言者は愚か者とされ、霊の人は狂う。」


8節:エフライムの見張りは、私の神とともにいる。しかし預言者には、すべての道に罠が仕掛けられ、彼の神の家には憎しみがある。

エフライムは、預言者、そして神とともにいる見張り人だったはずが、そのエフライムの歩む道には、正しいことを伝える預言者を狙う、鳥打ちが仕掛ける罠(偶像の罠)がいたるところにある。彼(預言者)の宮殿には憎しみ、敵意しかない。(神が無視される)

押さえておくべきは、「良きエフライムとならず、正しい者の家には、敵意、憎しみが増し加わるばかり」という点。

9節:彼らはギブアの日のように、心底まで堕落した。主は彼らの咎を心に留め、その罪を罰する。

ギブアの日・・士師19章~・・ベニヤミン族の強姦と殺害の恥ずべき行為。
神の目には、ギブアの罪と同等の恥ずべき行為と映り、これを確実に裁かれる。


10節:「わたしはイスラエルを、荒野のぶどうのように見出し、あなたがたの先祖を、いちじくの木の初なりの実のように見ていた。バアル・ペオルにやって来たとき、彼らは恥ずべきものに身を委ね、自分たちが愛しているものと同じように、彼ら自身も忌まわしいものとなった。

神はイスラエルと契約し愛した。木に初めての実がなり、そうして次代へと繋がって行くと期待したが、父祖の歴史の中でバアル・ぺオルの忌まわしき事件(民25章1~9)があった。惑わされ、偶像礼拝に染まり、ついには、恥ずべき行為にまで及んだ。霊的な攻撃がなされた!

11節:エフライム。その栄光は鳥のように飛び去り、産むことも、身ごもることも、宿すこともない。

12節:たとえ彼らが子どもを育てても、わたしは彼らに子を失わせ、人がいなくなるようにする。わたしが彼らを離れるとき、まことに、彼らにわざわいが来る。

エフライム・・「実りの多い地」という意味。そんな栄光は鳥が飛び立つように消える。
子孫繁栄のない国。それは滅亡を意味する。
神が彼らから離れるから、わざわいが彼らを襲う。(瞬時に悪の価値観の支配下となる)

 

13節:エフライムは、わたしが見たところ、牧場に植えられたツロのようであった。しかし今や、エフライムはその子らを屠り場に連れ出さなければならない。」

「ツロ」、新共同訳では「ティルス」。ナツメヤシ、またフェニキヤの美しい港湾都市。

この場合は、高さ18mにもなるナツメヤシを指していると思われる。前途洋々のはずが、落ちぶれて、国民を屠り場に差し出すことになる。


14節:よ、彼らに与えてください。あなたは何をお与えになりますか。彼らに与えてください。死産の胎を、涸れた乳房を。

こんな罪深き北イスラエルに主は何を与えられるのですか?
死産の胎、枯れた乳房。生むことも育てることもできない状態。これは滅びである。神の民としての名誉を剥奪してほしいと言うホセアの心に、ゴメルに対する思いが潜んではいないか?そこまで貶めねば、気付かないのです!!


15節:「彼らのすべての悪はギルガルにある。わたしはそこで彼らを憎んだのだ。彼らの悪い行いのゆえに、わたしは彼らをわたしの宮から追い出し、もはや彼らを愛さない。その首長たちはみな頑迷な者だ。

16節:エフライムは打たれ、その根は枯れて、実も結ばない。たとえ子を産んでも、わたしはその胎の実である、いとし子を殺す。」

ギルガル・・ベテルに並ぶ偶像礼拝の地。神殿娼婦と交わり、恥ずべき行為をする北イスラエルの民を神は憎む。
神の宮、約束の地から追い出される。エフライム(実り多い地)は打たれ、経済的生産性はなく、子孫も絶たれる。


17節:私の神は彼らを退ける。彼らが神に聞き従わなかったからだ。彼らは国々の間で、さすらい人となる。

14節で願ったことが、必ず成就するように・・という思いが感じられる。
ゴメルを買い取り、手元に置くホセアの心の思いはどういうものだろうか。

2022年04月27日

ホセア10章1節~15節

1節:イスラエルは生い茂るぶどうの木。それは多くの実をつけた。実が増えるにしたがって祭壇の数を増やし、その地が豊かになるにしたがって石の柱を豊かにした。

ぶどうの木が生い茂る如く、祝福されたイスラエル。それは神の約束の成就。しかし、彼らはその祝福(恩)を神に返さず、偶像に向ける。豊かさに乗じて、石柱(偶像礼拝)を増やす。石柱は、申16:21~22で禁止されている!

2節:彼らの心は偽りだ。今、彼らはその罰を受ける。主が彼らの祭壇を壊し、彼らの石の柱を踏みにじられる。

そんな彼らの不信仰(偽りの信仰)に対する罰を、今、彼らは受けねばならない!
主はその祭壇も石柱も破壊する。主がアッシリアの侵略の歯止めを外されるということ。


3節:今、彼らは言う。「私たちに王はいない。私たちがを恐れていないからだ。王がいても、私たちに何ができるだろうか。」

こうして神の罰を受けるとき、彼らは気付く。真の王とは、神が選ばれた者であるべき。自分たちの王は偽物だ。神からの祝福を受けない王は、結局、何の役にも立たない。
「私たちが主を恐れていないからだ。」と、裁かれたときに気付き、嘆き悲しむ。
そして彼らは、自分たちは何をすべきか?と考える。(これは、北イスラエルであり、更にイスラエルの民全体をも対象にしていると考えられる)


4節:彼らは無駄口をきき、むなしい誓いを立てて契約を結ぶ。さばきは、畑の畝の毒草のように生い出る。

「無駄口」とは口伝律法か?「むなしい(偽りの)誓いを立てて契約を結ぶ」とは、ダニエル書にある反キリストとの契約。そして、さばきが来る。この「さばき」は大患難時代。


5節:サマリアの住民は、べテ・アベンの子牛のことでおののく。その民はそのことで喪に服し、偶像に仕える祭司たち、その栄光を喜んでいた者たちも喪に服す。栄光が子牛から去ったからだ。

ベテ・アベン(ベテル)にある偶像「金の子牛」のことでおののく。大国は金を狙う。崇めていたものが奪われ、偽祭司も含め民は喪に服すようになる。(己の愚かさに気付く)


6節:それはアッシリアに持ち去られ、大王への贈り物となる。エフライムは恥を受け、イスラエルは自分のはかりごとで恥を見る。

アッシリアとはアッシリヤ帝国ではなくメソポタミアを指し、大王は反キリストを指す。
よって、この個所は、大患難時代を指していると解釈すべき。

その理由として・・・

北イスラエルはアッシリアに朝貢はしていたが、契約(4節)締結の歴史的事実はない。「大王」とは、他の訳では、ヤレブ王(言い争う王)とある。これは実在していない。

メソポタミア地域から出る反キリストへの贈り物となる。つまり、北イスラエルでも、また、大患難時代においても、財産は敵(反キリスト)に奪われるという意味。
イスラエルは、(神を忘れ)自分たちの策に溺れ、恥を見る結果となる。

7節:サマリアは滅び失せ、その王は水の面の木片のようだ。

確実にサマリアは滅び、王は捕囚される。

水面に漂う木片」・・帰属するところがない哀れさ
ここに、預言者の近未来的預言と将来的預言のオーバーラップがあることに注目。


8節:イスラエルの罪であるアベンの高き所は滅ぼし尽くされる。茨とあざみが彼らの祭壇の上に生い茂る。彼らは山々に向かって「私たちをおおえ」と言い、丘に向かって「私たちの上に崩れ落ちよ」と言う。

彼らが崇めていた場所(ベテ・アベン)は、敵に滅ぼし尽くされる。
最悪のわざわいである大患難時代が最終的には彼らを襲う。その厳しさは前代未聞。
神は敵の攻撃を許すと共に、自然環境にも働きかけ、両者が相まって裁きが起こる。
その想像を絶する厳しさのあまり、逃げる民は、こう叫ぶ! 山々に向かって「私たちをおおえ!」、丘に向かって「私たちの上に崩れ落ちよ!」ルカ23:30、黙6:16~17

9節:「イスラエルよ。ギブアの日以来、あなたは罪を犯してきた。そこで彼らは同じことを行っている。ギブアで、戦いがこの不法の民を襲わないだろうか。

ギブアの罪(士師記19章~20章)を犯し続ける北イスラエル。ギブアの戦いの如く襲われることになるとも知らず。ギブアは不法とされている。北イスラエルがそのような状態であることを示す。


10節:彼らを懲らしめることがわたしの願いだ。二つの不義のために彼らが捕らえられるとき、諸国の民が集められて彼らに敵対する。

彼らを罰するのが神の思いである。(近未来と将来的な思いが混在)
二つの不義とは、中川先生によれば、ベテ・アベンとギルガルの二つの偶像礼拝中心地。
偶像礼拝するイスラエルに、諸国が集められて敵対する。これは患難時代のハルマゲドンを思わせる。


11節:エフライムは飼いならされた雌の子牛、麦打ち場で踏むことを好む。しかし、わたしはその美しい首にくびきを掛ける。わたしがエフライムに乗り、ユダが耕し、ヤコブが馬ぐわを引くようになる。

もともとエフライムは従順な雌の子牛(繫栄が約束された)。それゆえ、神の民として神がエフライムの民を導き、ユダをはじめとするイスラエルの民が共に働くことになる。

新たなステップが示されている。それが、メシア的王国

12節:あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓せよ。今がを求める時だ。ついに主は来て、正義の雨をあなたがたの上に降らせる。」

神の民としてすべきことは、正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓せよ。
今こそ、主を求め、主の教えに従え!
「捕囚の前に気付くべきであったが、後々の大患難時代の時にこそ、絶対に気付け!」
ついには、耕地を耕す民の上に、神の正義の雨が降る。(メシア的王国の成就)


13節:あなたがたは悪を耕し、不正を刈り取り、偽りの実を食べた。それはあなたが自分の力に、自分の勇士の数に拠り頼んだからだ。

神が指摘される悪の耕し、不正の刈り取り、偽りの実の獲得とは、自分の力に拠り頼み、他国との軍事同盟に依存し、軍事力を得て富の蓄積のためにして来たこと。

14節:あなたの民の中で戦塵が起こり、要塞はみな打ち滅ぼされる。戦いの日にシャルマンがベテ・アルベルを踏みにじったように、母親は子どもたちのそばで八つ裂きにされる。

神の裁きにより、要塞は打ち破られ、国内の民衆が戦いに巻き込まれる。
シャルマン・・アッシリヤ王シャルマヌエセル5世(BC727~BC722)⇒捕囚前のぎりぎりの時期の預言であることが分かる。
ベテ・アルベル・・新共同訳で現在のイルビドとある。
アッシリヤ征服前に、この地で残虐行為があった


15節:ベテルよ。あなたがたの悪があまりにもひどいので、このようなことがあなたがたになされる。夜明けには、イスラエルの王は全く滅ぼされる。

ベテルよ!・・偶像礼拝の中心地であり、ホセアが語っている場所。
このような厳しい裁きの原因は、この地の激しい偶像礼拝の故である。

夜明けには⇒北イスラエルの王の裁きは、もう目の前に迫っている。

【ホセアはここで、すぐに来る近未来(アッシリア捕囚)について預言し、12節までの神のことばの遠未来(メシア的王国)と区別して、語っている。】

2022年04月28日

ホセア11章1節~12節

1節:「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、エジプトからわたしの子を呼び出した。

出エジプトのことを語られている。エジプトつまり奴隷からイスラエルを解放された神。
マタイ2:15は、ホセア11:1の預言。
ここから語られるみことばの中に、イエス様の影が隠されていることに注目。

2節:彼らは、呼べば呼ぶほどますます離れて行き、もろもろのバアルにいけにえを献げて、刻んだ像に犠牲を供えた。

神が愛すれば愛するほど、イスラエルは神から離れバアル(偶像)へと走る。
これは、イエス様のことばに反して、口伝律法に走り、最終的には反キリストに就くイスラエルを指す


3節:このわたしがエフライムに歩くことを教え、彼らを腕に抱いたのだ。しかし、わたしが彼らを癒やしたことを彼らは知らなかった。

一国の民として、また神の民として立つことができるように導かれたのは神である。

同様にイエス様も、その愛でイスラエルの民を導かれ、彼らを癒した。


4節:わたしは人間の綱、愛の絆で彼らを引いてきた。わたしは彼らにとってあごの口籠を外す者のようになり、彼らに手を伸ばして食べさせてきた。

人間の綱(複数形)、愛の絆(複数形)・・人のそれぞれのつながり、愛の絆で導き、神の民としての民族性を高めようとされた。
神が、奴隷(口籠が掛けられている状態)から解放し、砂漠でマナを与えた。

神が養われた!神に養われていた民!!何という光栄であろうか!

5節:彼はエジプトの地には帰らない。アッシリアが彼の王となる。彼らがわたしに立ち返ることを拒んだからだ。

6節:剣は、その町々に対して荒れ狂い、かんぬきの取っ手を打ち砕き、彼らのはかりごとのゆえに、町々を食い尽くす。

「彼は・・」となっているが、新共同訳では「彼ら」、英語訳も「彼ら」。
「エジプトに帰らず」、「エジプトに帰り」、「エジプトに帰ることが出来ず」と様々。
アッシリアが王となる(アッシリア捕囚)、それは彼らが神を拒んだ(偶像に走った)からである。
同時に遠未来の患難時代の預言。アッシリヤ(反キリスト)は、イスラエルを打ち、町もろとも滅ぼされ、消え去る。反キリストとの契約、つまり神を忘れた自己本位の考え方で恥を見る結果となる。


7節:わたしの民は頑なにわたしに背いている。いと高き方に呼ばれても、ともにあがめようとはしない。

北イスラエルは徹底的に神に背を向け続ける。それは、アッシリヤ捕囚以降も形を変えて継続し、恵みの時代においても神に立ち返ることはない。


8節:エフライムよ。わたしはどうしてあなたを引き渡すことができるだろうか。イスラエルよ。どうしてあなたを見捨てることができるだろうか。どうしてあなたをアデマのように引き渡すことができるだろうか。どうしてあなたをツェボイムのようにすることができるだろうか。わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。

神は決して、北イスラエルを見捨てはしない!人が計り知れない神の愛。約束(契約)に従い、愛をもって貫かれるお方。神の裁きは、気付きを促すもの!
アデマ、ツェボイムは、ソドム、ゴモラの周辺にあった町々で、ソドム、ゴモラと共に滅ぼされた。申命記29:22~23(アデマ、ツェボイムは、ソドム、ゴモラと契約を結び、追随していたために滅ぼされた)
神の思いは、あわれみに満ちて胸が熱いほどだ・・民を滅ぼすことは神の本意ではない!


9節:わたしは怒りを燃やして再びエフライムを滅ぼすことはしない。わたしは神であって、人ではなく、あなたがたのうちにいる聖なる者だ。わたしは町に入ることはしない。

裁きはするが、もう二度とエフライムを滅ぼすことはしない。アッシリア捕囚は不可避な事実!
神は聖であり、霊であるお方。民が聖なる神を受け入れるとき、もう攻めるようなことはない。神は、町ではなく人に入る。アッシリア捕囚後の民への言及で、最終的には大患難時代を通り抜けるイスラエルの民への励ましの言葉。

10節:彼らはの後について行く。主は獅子のようにほえる。まことに主がほえると、子らは西から震えながらやって来る。

イスラエルの民が神に立ち返る日が来る。主が獅子のように吠える。
主が吠えるような状況⇒大患難時代を思わせる
「子ら」・・となっているのは、彼らの心が純粋になっていることを示す。(1節参照)
「西から」・・とは、70年の神殿崩壊以降に起こること。つまり、終末時代の暗示。
「震えながら」とは、心底、悔い改めた恐れと期待の状態をもって・・、と考える。
ここで、完全なイスラエルの民のヘリくだりが成就する。


11節:鳥のようにエジプトから、鳩のようにアッシリアの地から、彼らは震えながらやって来る。わたしは彼らを自分たちの家に住ませよう。 ―のことば。

鳥のように・・多くの人たちが、賢い鳩のように巣に帰る。10節同様、恐れつつ喜びと期待をもって南(エジプト)、北(アッシリア)から帰還する。離散していた人たちが、震えながら、帰って来る。それ故、神はその居場所を用意されるのである。
8節から11節で、神はどんなに裏切られてもイスラエルを導くことを宣言された。アブラハム契約の成就、最終的な全人類の救いの成就が明確である。

12節:わたしは、エフライムの偽りと、イスラエルの家の欺きで囲まれている。しかしユダは、なお神とともに歩み、聖なる方に対して忠実である。」

ここで、11節とは別の切り口で、新たに語られる神。

ヘブル語聖書では、11章12節が12章1節になっている。
新共同訳は、そのように区分している。


神は、徹底的に、エフライム、北イスラエルに欺かれてきた。一方、この時点で南ユダは、神と共に歩み、聖なる方に対して忠実であった。
決して、南ユダが優秀ということではない。北イスラエルに較べれば・・というニュアンスであろう。それほど北イスラエルの神に対する不誠実は極まっていたということ。

2022年05月12日

ホセア12章1節~14節

1節:エフライムは風を飼い、一日中、東風の後を追う。重ねるのは虚偽と暴行。アッシリアと契約を結び、エジプトに油を送る。

「風を飼い」・・とは、掴みどころのないものを追いかけている姿。
「東風」とは、東から来る熱風であり、神の怒りの象徴。神の怒りを買う行動に余念がない状態。追いかけるべきは神なのに、アッシリア(大国)を追い、暴虐となり、神への背信となる。
そんな彼らのすることは、アッシリアと契約を結び、エジプトに貢物(オリーブ油)をすること。

北イスラエルは、滅ぶまでに、アッシリアやエジプトの様子を見つつ、盛んに朝貢はしていたが、アッシリアと契約関係を結んだという歴史的事実はない

2節:には、ユダに対して言い分がある。主は、生き方に応じてヤコブを罰し、行いに応じて彼に報いる。

ユダに対して言いたいことがある。新共同訳:主はユダを告発する。
今は良いが後には北イスラエルと同じようになるから聞いておけ!というニュアンス。

神のイスラエルの民全体に対する基本的姿勢は、その生き方・行動に対する罰と報いの応答。

良い生き方とは、神の期待に応答して生きること⇒報酬
悪い生き方とは、神の期待を無視して生きること⇒罰

3節:ヤコブは母の胎で兄のかかとをつかみ、その力で神と争った。

4節:御使いと格闘して勝ったが、泣いてこれに願った。ベテルでは神に出会い、神はそこで彼に語りかけた。

ヤコブは「かかと」の意味。兄のかかとをつかむ。神の祝福を奪うほどに熱望する姿勢。
創世記32章22~30節:兄エサウを恐れていたので、とにかく神の祝福が絶対欲しい!という思いで、御使いと格闘。御使いは、腿の関節を打ち、ヤコブの傷は大きかったが、それでも祝福を掴もうとするヤコブの思いに根負けしたということ。ホセア書には、泣いて願ったとまで書かれている。(狡猾なヤコブではなく、神の祝福を熱望するヤコブという側面が重要!)
このようなヤコブは神に出会い、神の声を聴く機会が与えられる。ヤコブの神への立ち返りとなった。その地がベテルなのに、今は偶像礼拝の中心地になっているではないか!


5節:は万軍の神。その呼び名は

すべての敵、すべての偽の神を凌駕するのが、万軍というすべてをしのぐ力を持つ神!その偉大な名は主である!そのことになぜ気付かないのか!イスラエルの目線が、世の中にどっぷり落ちている!


6節:あなたは、あなたの神に立ち返り、誠実と公正を守り、絶えずあなたの神を待ち望め。

為すべきことは神に立ち返ること。常に神を見上げる姿勢が必要だった。
それは、誠実(正義)と公正という神の教えをしっかりと理解し守ること。
今となっては、裁かれることが前提であり、これは、残れる者へのことば!
「神を待ち望め」とは、アッシリア捕囚から大患難時代に亘るイスラエルの民全体への励まし。

7節:商人は手に欺きの秤を持ち、虐げることを好む。

「商人」・・へブル語では「ケナアン」、つまり「カナン人」と同じ言葉。
彼らは、人を欺き利益を得ることを優先する商人。まさにこの世的な人々。
カナン人と同化するということは、商売(ビジネス)優先の考え方になり、偶像がもてはやされることになる。


8節:エフライムは言った。「確かに私は富んでいる。私には力がある。私のすべての勤労の実があれば、私のうちに、罪となる不義は見つからない。」

北イスラエルはこうしたカナン人のビジネス優先主義に感化されていた。
「富があるから力があり、勤労によって富があれば、罪、不義は見つかることはない!」
新共同訳:「この財産がすべての罪と悪とで積み上げられたとはだれも気づくまい。」


9節:「しかしわたしは、エジプトの地にいたときから、あなたの神、である。例祭の日のように、再びあなたを天幕に住まわせる。

出エジプトの奇蹟を実施した神。
「例祭の日」とは「仮庵の祭り」のこと。これは荒野の生活を思い起こし、神とのかかわりを喜ぶもの。
アッシリアに捕囚され、土地を失い、財産を失い、まさに天幕での生活(流浪の民)となるという裁きを示している。


10節:わたしは預言者たちに語ってきた。わたしが多くの幻を示し、預言者たちによってたとえを示したのだ。」

もう取り返しはつかない。すでに正しい預言者を通して語り、伝えてきたことだ。
気付きを散々与えたのに、あなたはすべて無視してきたではないか。

決して見限っているのではない。覚悟を迫る勢いである。

11節:ギルアデは不法そのもの。いや、彼らはむなしいものとなった。ギルガルで雄牛が献げられたが、その祭壇も、畑の畝の石くれの山になる。

ギルアデ・・6章に登場。偶像礼拝の地。ヤコブと関連ある地域。

創31:25~55:ラバン&偶像環境からの決別を神がなさった場所。
ギルガル・・4章、9章に登場。偶像礼拝の中心地のひとつ。
不法を通り越して、むなしい、価値の無いものであり、その地の偶像の祭壇も、単なる石の山、無価値なものである。

12節:ヤコブはアラムの地に逃げて行き、イスラエルは妻を迎えるために働いた。妻を迎えるために羊の番をした。

ヤコブがエサウから逃げた時、また妻を迎えるため働き、羊の番をした時も、どんな時も神が彼と共にいて、彼を導き祝福した。彼も神に信頼した。


13節:は一人の預言者によって、イスラエルをエジプトから連れ上り、一人の預言者によって、これを守られた。

エジプトで奴隷となっていた時も、百数十万人というイスラエルの民を、モーセを用いてエジプトから導き出し、モーセを通して守られた。

百数十万人の奴隷であった人民を解放し、一国の民として、何もない荒野で敵から守り、育成させることは、人間業では無理な御業ではないか!この預言は、北イスラエルだけではなく、南ユダをも含めた内容であることは明白!

14節:エフライムは主の激しい怒りを引き起こした。彼の主は、その血の責任を彼の上に下し、彼のそしりに報いを返される。

そんなよき関係を築いていたにもかかわらず、北イスラエルは神の期待にはずれ、偶像礼拝(人身御供)へと罪に走った。主はその罪の責任を裁きの形で、北イスラエルに負わせる。神を侮る者は、相応の裁きを報いとして受けることを心に記さねばならない。
12章2節にあった南ユダへの言い分とは、まさにこの警告である。神の目には南ユダの行く末も、明確に見えているのである。もちろん、恵みの時代も、そして大患難時代も。

2022年05月13日

ホセア13章1節~16節

1節:「エフライムは震えながら語ったとき、イスラエルの中であがめられた。しかし、バアルのことで咎ある者となって死んだ。

エフライムが語った時、そこ(周囲)には震え(恐れ)があった。エフライムがイスラエルの中であがめられていたからである。しかし、エフライムはバアルを選び(偶像礼拝をし)、神と決別した。それは死を意味する。

 

2節:今、彼らは罪を重ね、自分のために銀で鋳物の像を造り、自分の考えで偶像を造った。これはみな、職人のわざ。彼らはこれについて言う。『人を献げる者たちは、子牛に口づけせよ』と。

職人(所詮人間)が偶像を造り、それをあがめた。その偶像である子牛に人のいのちを捧げるような愚かな行為をしていた。(人身御供)

 

3節:それゆえ、彼らは朝もやのように、朝早く消え去る露のようになる。打ち場から吹き散らされる籾殻のように、また、穴から出る煙のようになる。

神の裁きに会うとは、朝もや、朝露、風の前の籾殻、煙突から出る煙の如く消えてしまうということである


4節:しかしわたしは、エジプトの地にいたときから、あなたの神、である。あなたはわたしのほかに神を知らない。わたしのほかに救う者はいない。

あなたたちの神は出エジプトの奇蹟を行った神、である。わたしのほかに神があってはならない!と申し伝えた神である。わたしがあなたがたを救うのだ!


5節:このわたしは荒野で、干ばつの地であなたを知っていた。

これまであなたがたをどんな時も(荒野、干ばつ)助けてきた。荒野40年の生活を皮切りに、この時に至るまで神は北イスラエルを助け導いた!

6節:しかし牧草で満腹したとき、彼らは満ち足り、心は高ぶり、そうしてわたしを忘れた。

その助け、勝利が神によるものと知らず偶像によるものとし、神を忘れてしまう北イスラエル。

7節:わたしは彼らに対して獅子のようになり、豹のように道端で待ち伏せる。

8節:子を奪われた雌熊のように彼らに襲いかかり、彼らの胸をかき裂いて、その場で雌獅子のように食らう。野の獣は彼らを引き裂く。

主の裁きは、獅子、豹、そして子を奪われた雌熊のよう。神は野の獣のように獰猛に北イスラエルを襲い殺す。

 

どうして、この三つが挙げられているのか。→ここに未来の予表が隠されている(暗示)

 

9節:イスラエルよ、あなたは滅ぼされる。あなたの助け手である、わたしに背いたからだ。

神はイスラエルの背きを、精一杯受容してきた。真の助け手、真の拠り所は神のみ!
そんな神を裏切り続けた結果は、滅び。それは最後の気付きの道(そして、いばらの道)


10節:では、あなたの王はどこにいるのか。すべての町のうちで、あなたを救う者は。あなたをさばく者たちはどこにいるのか。かつてあなたが『私に王と高官たちを与えよ』と言った者たちは。

かつて「王を、高官を与えよ」と言って駄々をこね、今や神の意に反し王や高官を選んだが、彼らにどれほどの力があるというのか?見よ、今、国は滅びようとしているではないか!


11節:わたしは、怒ってあなたに王を与え、また憤ってこれを奪い取る。

神の意に反した王の就任を怒りで見ていた神は、忍耐したうえで王、高官を滅ぼす!


12節:エフライムの不義は束ねられ、その罪は蓄えられている。

エフライムのこれまでの行動はすべて罪となって、今、エフライムの前に積みあげられている。


13節:子を産む女の激しい痛みが彼のところに来るが、彼は知恵のない子で、時が来ても、母の胎から出て来ない。

様々な神の導き(試練)を通して気付きを与えてきたが、残念なことに、エフライムは知恵の無い子であった。気付く知恵がなく、神の民であることを拒み続けていた。
母の胎から出てこない、まるで、悪魔の腹の中(陰府)にいて、出てこないでいる愚かな子を指しているよう。
神はこれを本当に哀れに思われている!


14節:わたしはよみの力から彼らを贖い出し、死から彼らを贖う。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。よみよ、おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている。

おまえのとげはどこにあるのか、おまえの針は、どこにあるのか?➡罪が無くなる時が来る。➡この個所は勝利宣言である。

こんな愚かな民だが、神は未来に彼らを陰府・死から贖いだす計画を持たれている
その時、死に向かい、陰府に向かう罪は、どこにもなくなる。まさしく罪に対する勝利!
しかし、今はわたし(神)の目から、彼らに対するあわれみは隠されている

 

15節:彼は兄弟たちの中で栄えている。だが、東風が吹いて来て、の息が荒野から立ち上り、水源は涸れ、泉は干上がる。それはすべての尊い器がある宝物倉を略奪する。

16節:サマリアは咎ある者となる。自分の神に逆らったからだ。彼らは剣に倒れ、幼子たちは八つ裂きにされ、妊婦たちは切り裂かれる。」

エフライムは兄弟部族の中でもよく栄えたが、東風(熱風)つまりアッシリアが一気に襲ってくる。これは神の怒りの裁きである。
まるで水源を枯らす東風の如く、アッシリアはエフライム、北イスラエルの宝物、財産、そして国民を奪う。特にサマリアは酷い目に遭う。それは神を無視し続けたからだ。
サマリアの人々は攻め入られ、幼子・妊婦すべて八つ裂きにされてしまう。

2022年05月13日

ホセア14章1節~9節

1節:イスラエルよ。あなたの神、に立ち返れ。あなたは自分の不義につまずいたのだ。

北イスラエル、そしてイスラエルの民全体へのメッセージ。
「神、主に立ち返れ」・・原語では、「主のもとに、主の御傍に」という深みがある。
新共同訳:「主のもとへ。」と訳されている。
裁きは免れない。神との関係を破壊してしまったのだから。それは悪魔に惑わされたということ。今、原点に返れ、戻れ!と諭す。


2節:あなたがたはことばを用意し、に立ち返れ。主に言え。「すべての不義を赦し、良きものを受け入れてください。私たちは唇の果実をささげます。

3節:アッシリアは私たちを救えません。私たちはもう馬に乗らず、自分たちの手で造った物に『私たちの神』と言いません。みなしごがあわれまれるのは、あなたによってです。」

主に立ち返る時に語る言葉は何か?神にささげる霊的思いは何か?

悔い改めのことばと完全なる信頼。
賛美、神をたたえる心からのいけにえ・・・つまり動物の犠牲はないということ。
アッシリアや、そのような大国、経済、軍事力との決別。偶像礼拝との決別。
「あなただけが私たちの唯一の真の神!」「このようなみなしごをどうぞ救ってください!主よ!」こうした言葉が心の底から神に向けて発せられる時!イエス様が地上に再臨される時である!

4節:「わたしは彼らの背信を癒やし、喜びをもって彼らを愛する。わたしの怒りが彼らから離れ去ったからだ。

神は民の背信を赦し、その怒りは消え去る。イスラエルの心が神に立ち返ったから。
それは、メシア的王国の実現を意味する。


5節:わたしはイスラエルにとって露のようになる。彼はゆりのように花咲き、レバノン杉のように根を張る。

大患難時代に大荒廃した地は、東風の被害を上回る前代未聞の大惨事。そんな地を神は回復される。焼けた地に露が落ち、地が豊かになり、神の子たちは豊かに地上に根を張って活力を得て生きる。メシア的王国にスライド入国したイスラエル人は、力強きレバノン杉のように活気に満ちる。


6節:その若枝は伸び、その輝きはオリーブの木のように、その香りはレバノン杉のようになる。

7節:その陰に住むものたちは、穀物のように生き返り、ぶどうの木のように芽をふく。その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。

メシア的王国にスライド入国したイスラエルの民の子孫も増え、産業も回復し、神の民として存在感を示す。
「その陰に・・・」の箇所は、離散していた人々もその地において彼らと共に活動し、たたえられる者となるということ。良い実が良いぶどう酒を生むように、名声が轟く様。


8節:エフライムよ。わたしと偶像との間に、どういう関わりがあるか。わたしが応え、わたしが世話をする。わたしは緑のもみの木のようだ。わたしから、あなたは実を得るのだ。」

エフライム(イスラエル)の民と神との間に偶像のかかわりは一切ない。神の統治による新しい世界が生まれる。神が人々を導く世界。


9節:知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟れ。悟りのある者はだれか。その人はそれらのことをよく知れ。の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、背く者はこれにつまずく。

知恵ある者・・神を一心に愛し、恐れる者、知ろうとする者!
悟りのある者・・神の教え(みことば)に従う者!
アッシリヤ捕囚以後、様々な困難、迫害がイスラエルの民を襲う。どうか、神のみことば、神の道を見出し、知恵と悟りを得る者となってほしい!その道が実は平らな道であることに気付いてほしい。

2022年05月26日

ヨナ書の時代背景

ヨナ書の出来事の時期

一般的には、エリシャ~アモスまでのどこか・・BC896~BC753頃としている。
中川先生は、ヤロブアム2世の時(BC793~BC753)としている。
 ⁂アモス書、ホセア書と同時期であり、ヨナは彼らの預言を知っていたと見ている。
根拠として、Ⅱ列14:23~27を挙げている。
Ⅱ列14:25:「彼は、レボ・ハマテから、アラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、主が、そのしもべ、ガテ・ヘフェル出身の預言者、アミタイの子ヨナを通して語られたことばのとおりであった。」

ヤロブアム2世以前に語られたことばか?その時代に語られたことばか?の疑問は残る。

そこで、アッシリア帝国の勢力拡大の推移を見てみる!

 

《この時代のアッシリア帝国の勢力拡大動向について》
アダド・ニラーリ3世の時代(BC810~BC783)・・彼の治世の前半は若年と言うこともあり勢力拡大は不可。自国統一で精一杯!しかし、治世の後半は近隣諸国を侵略し、アラムのダマスコを押さえた。
彼の後継王、シャルマヌエセル4世、アシュール・ダーン3世、アシュール・ニラーリ5世(BC783~BC745)は、アルメニアのウラルトゥ王国に対する防御と、自国統一に専心し、勢力拡大は後回しになっていた。

こうした事情に加えて、ヤロブアム2世が用いられ、北イスラエルは、神の祝福により、全盛期を迎えることとなる。  

2022年06月09日

ヨナ1章1節~3節

1節:アミタイの子ヨナに、次のようなのことばがあった。

ヨナ・・ガリラヤ地方中央部ゼブルン地域のガテ・ヘフェル出身。ゼブルン族。北イスラエルの預言者。
「ヨナ」は「鳩」と言う意味。
ヨナの父は「アミタイ」。それは「真理」と言う意味である。
ヨナの名は、Ⅱ列王記14:25に登場する。


2節:「立ってあの大きな都ニネべに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」

ニネべ・・アッシリアの首都。もともとはニムロデが築いた町。ニムロデは神への反逆者であり、帝国主義のはじめである。水が豊富で堅固な難攻不落の都市
ヨナの時代は、近隣諸国を吸収し巨大な都市になっていた。

3章3節から、ニネべは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな都であった。
4章11節から、人口は12万人以上と分かる。

ヨナに預けられた神のみことばは、イスラエル向けではなく異邦人向けであった。
その大国に行って、わたしのことばを叫べ!彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。
アッシリアは残虐的行為で他国を従わせていた。

イスラエルも少なからず影響受けていたか?
ヨナはこれを聞いてどう思ったか?

3節:しかし、ヨナは立って、の御顔を避けてタルシシュへ逃れようとした。彼はヤッファに下り、タルシシュ行きの船を見つけると、船賃を払ってそれに乗り込み、の御顔を避けて、人々と一緒にタルシシュへ行こうとした。

タルシシュ:当時の最西端の町。スペインの港町。(船賃はかなり高額と考えられる)
ヤッファ(ヨッパ):港町。ヤッファとニネベの距離は約900㎞。(広島ー新横浜間の距離)この距離を歩くのは大変な仕事である。

主の御顔を避ける・・神の約束の地(神の影響)から離れるという意味。

しかし、神は遍在される神。どこに行っても無駄と、ヨナは知っていたはず。
彼が、神殿、または神殿のある地から離れることは、神との交わりを遮断すること。祈らない、対話しない、と言う姿勢。覚悟をして背を向けているヨナ。
彼はタルシシュに向かう。当時の最西端の町。ニネベとは真反対方向。
当時の北イスラエルは、神の期待に応じない態度。預言者であるヨナは、北イスラエルの回復を何よりも求め、優先されるべきと考えていたのではないか。
万が一にも異邦人が悔い改めたりしたら、せっかくの選民イスラエルはどうなる?

2022年06月09日

ヨナ1章4節~17節

4節:ところが、が大風を海に吹きつけられたので、激しい暴風が海に起こった。それで船は難破しそうになった。

5節:水夫たちは恐れて、それぞれ自分の神に向かって叫んだ。そして、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。一方、ヨナは船底に下りていて、横になってぐっすり寝入っていた。

出港して、2~3日(難破して港に帰って来られる日数)の時が過ぎたと思われる。

すると予想外の難破しそうな激しい嵐が起こった。
予想もしなかった嵐・・・長年の経験・知識から外れた嵐。事実、後に凪になる。
それ故、水夫たちはこの嵐に違和感を感じていた。だから、自分たちの神に祈り、最善策を取った。
積み荷を捨てて船を軽くし、浸水を防いだ。水夫としての最善を尽くしている。
この激しい嵐はただ事ではない!「神の祟りだ!神の怒りだ!」と口にしていたのではないだろうか。
片っ端から積み荷を捨てようとしていると、船底で眠るヨナがいるではないか!

船長!!こんな時に眠ってる奴がいますーっ!と叫んだかも

6節:すると船長が近づいて来て、彼に言った。「いったいどうしたのか。眠りこけているとは、起きて、あなたの神に願いなさい。もしかすると、その神が私たちに心を留め、私たちは滅びないですむかもしれない。」

『皆、一所懸命働いたり、財産を捨てたり、祈ったりしてるのに、何を寝てるんだ!せめて捨てる物がないなら、お前さんの神様に祈るなり、何かやれよ! 一所懸命祈ったら、あんたの神様が助けてくれるかもしれないじゃないか!』


7節:人々は互いに言った。「さあ、だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、くじによって知ろう。」彼らがくじを引くと、そのくじはヨナに当たった。

嵐は収まるところを知らず、むしろ激しくなっている!一体、何が原因なんだろう?
誰かがそれを知っているのではないか?と考える者が出てきた。

そうだ!くじ引きしてその原因を知っている者を特定しよう。(誰かがアドバイスしたのだろう。船長かもしれない。)

そして、くじはヨナに当たった。明らかに神の働きである。ヨナは、神との関わりを断っているつもりでも、神はそれを上回って、ヨナを導いておられる。

8節:そこで彼らはヨナに言った。「話してくれ。だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか。あなたの仕事は何か。どこから来たのか。国はどこか。どの民の者か。」

9節:ヨナは彼らに言った。「私はへブル人です。私は、海と陸を造られた天の神、を恐れる者です。」

10節:人々は非常に恐れて、彼に「何ということをしたのか」と言った。人々は、ヨナが彼らに告げたことによって、彼がの御顔を避けて逃れようとしていることを知ったからである。

ここで初めて、ヨナの身分が語られる。
へブル人であり、天地を創造された神を恐れる預言者であること。ガテ・ヘフェルから来たのだが、その理由は、神のみことばを告げるように言われたが従えず、その任務を放棄して、西の果てまで行こうと考えている。

自分の神に畏敬の念を持っていた船長や他の人々は、へブルの神についても知識はあったと思われる。その預言者と言うことが更に、驚きとなり・・・何ということをしたのか!
職業人としての責任感を持ち、偶像ではあっても神を畏れる船長やその他の人々らしい言葉である。

11節:彼らはヨナに言った。「私たちのために海が静まるようにするには、あなたをどうすればよいのか。」海がますます荒れてきたからである。

預言者と聞いて、彼に助かる道を求めた。祈っていない者がヨナであり、彼の立場から、ヨナの神とヨナとの問題が原因であると気づき始めた。
ヨナが告白した後、更に暴風がひどくなっている。更に確信する

12節:ヨナは彼らに言った。「私を抱え上げて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。私は分かっています。この激しい暴風は、私のせいであなたがたを襲ったのです。」

自分を海に投げ込みなさい。ヨナは、自分のせいで船が暴風に襲われていると確信している。
これは、この船の人たちに与えられた異邦人への預言である。


13節:それでも人々は船を陸に戻そうと漕いだが、そうすることはできなかった。海がますます彼らに向かって荒れてきたからである。

船長をはじめ人々は陸に戻ろうと懸命になるが、暴風は更に激しくなる一方。
何とか、全員無事に生還させようと最善を尽くす船長、船員・・ここがポイント!異邦人の誠意を感じる!
明らかに、ヨナの言う通りへブル人の神が怒っておられると感じる・・もう限界と判断!


14節:そこで彼らはに向かって叫んだ。「ああ、よ。どうか、この男のいのちのことで、私たちが滅びることのないようにしてください。咎なき者の血の報いを、私たちの上に下さないでください。よ。あなたは、望まれたとおりになさったのですから。」

異邦人であるこの人たちの、神に対する次の言葉に、神への敬虔深さを感じる。

「あなたの望み通りにいたしますから、どうか私たちを滅びさせないでください!!」

咎なき者・・ヨナは彼らに何も罪を犯していない。そのヨナを海に投げ込むことは主の望みなのだから自分たちに血の報いを下さないでほしいと頼む。

預言者、つまり神のことばに従う異邦人の姿がここにある!

15節:こうして、彼らはヨナを抱え上げ、海に投げ込んだ。すると激しい怒りがやんで、海は凪になった。

ヨナを海に投げ込んだと同時に、海は凪になった。神の怒りが止んだ。人々は、神の実在とヨナと言う預言者の真実を体感した。それは、驚くべき体験であった。


16節:人々は非常にを恐れ、にいけにえを献げて誓願を立てた。

(私見だが、15節から16節までには時間的隔たりがあると見る)
一切の物を捨てた船の航行は不可。なので、ヤッファに戻ったと思われる。
そこで、真っ先に捧げものをし、誓願を立てたのだと思われる。

 

どうして、神は船ごと沈没させて、ヨナを海の中に引きずり込まなかったのか?
船を沈没させれば、事は簡単である。しかし、そうはされなかった。
神の御心がそこにある・・・この船の異邦人にも、あわれみとご計画を持たれていた。

敬虔深い人々に、真の神を知るチャンスを与えられたのではないか!

それ故、嵐の中でむしろ沈没させずに、導いておられたのではないか!

この後、記載にはないが、彼らは帰還後もヨナの預言のサポート役になると考えられる。

神がなさることは、人間の考えを超越して、万全である。
私たちの神は、全幅の信頼を置けるお方であることを覚えよう!

17節:は大きな魚を備えて、ヨナを呑み込ませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。

主は、大きな魚を備えておられた。次から次と手を打っておられる神。すべてが万全。
自然(海、風、雨)も大魚も、すべてが神のことばに従う。人だけが、神に逆らう存在。

 

三日三晩と、その後の復活はイエス様の十字架と復活の予表

        ↓       ↓
ヨナは死んだか、生きていたか? 生きていたとしたら、イエス様の予表ではない

(マタイ12:39~41、ルカ11:29~30)

2022年06月11日

ヨナ2章1節~10節

1節:ヨナは魚の腹の中から、自分の神、に祈った。
この祈りは、2節~9節までの一連の出来事があった後の祈りである。
いったん死んだヨナが、主のあわれみによりたましいが肉体と合体し、復活して息を吹き返し、そして祈ったということ。

配置を考えれば、9節と10節の間にある方がわかりやすい。


2節:「苦しみの中から、私はに叫びました。すると主は、私に答えてくださいました。よみの腹から私が叫び求めると、あなたは私の声を聞いてくださいました。

「私が苦しみの中から主に叫ぶと、主は答えてくださった。」
どこで叫んだかと言うと、よみの腹の中・・・・つまり、シオールと言うところ。

1節で魚の腹の中と言っているが、ヨナのたましいは、シオールへと向かって落ちていったことを示す。つまり、ヨナは海に沈み、確実に肉体的に死んでいるということ。肉体は滅ぶが、霊は滅びないと言うこと!
そこまで落ちて、叫んだ時、主はヨナの声を聴いてくださったと言っている。

これは、ヨナにとって、神の御力を受けたとんでもない経験ゆえに、冒頭にこの文章が書かれたのではないか!「経緯はこうです。」と言って次節に続いて行く。

3節:あなたは私を深いところに、海の真中に投げ込まれました。潮の流れが私を囲み、あなたの波、あなたの大波がみな、私の上を越えて行きました。

「あなたは私を・・・」。実際には船員が海にヨナを放り投げたが、ヨナは神のなさったことと認識。これは、明確に、神は自分だけを対象にしていると認識している。
放り込まれたのは海の真中。そして潮の流れ、大波が逆巻き、自分の上を越えて行く状態で、息もできず、海中に沈むのに時間はいらない。
「ああ、もう駄目だ!ここで死ぬんだ!」と、ヨナは確信した。

ヨナは覚悟していたにも拘らず、その時、自分の無力さを知り、神の偉大さを知る。

自然をも支配される神の怒りに触れ、私は心の底からこの神を恐れている!

4節:私は言いました。『私は御目の前から追われました。ただ、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです。』

こうして、死を目の前にして、彼は思った。自分は裁かれる者となってしまった。偉大なる神から逃れることはできないうえに、こうして裁かれることになってしまう。
ヨナは叫んだ。「ただ、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです。私は心から神を愛しています~!主よ!」→ 栄光をたたえたい!
                                                 

5節:水は私を取り巻き、喉にまで至り、大いなる水が私を囲み、海草は頭に絡みつきました。

6節:私は山々の根元まで下り、地のかんぬきは、私のうしろで永遠に下ろされました。

しかし、私の神、よ。あなたは私のいのちを滅びの穴から引き上げてくださいました。

潮がのどに達する。息ができない!海に沈み、海藻が頭に絡む状態。
山々の根元・・海底に到達。
地のかんぬき(シオール)は、私のうしろで永遠に下ろされました。・・・肉体が死に、たましいが永遠の死へ。たましいはシオールに行き、肉体は死んで、魚の腹の中。
しかし、私の神、主は私を引き上げてくださった! → 4節の祈りが神に届いた!?
滅びの穴からヨナが復活した!!神の奇蹟が起きた。

7節:私のたましいが私のうちで衰え果てたとき、私はを思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。

この状態は、肉体とたましいが一つとなって回復した状態である。(魚の腹の中で意識が戻った)
私のたましいがよみに行ったとき、私は主を思い出し祈ると、その祈りは聖なる宮、すなわち神の御前に届き、私は神の恵みによりこの地に戻ることができた。

 

8節:空しい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨て去ります。

偶像を拝む者に、この恵みは与えられない。異邦人はこの恵みを捨て去るが・・・、

このことばに秘められた、ヨナの気持ちはどういう感覚だろうか?
死を前にして、ヨナの、神の民としての思いは素晴らしい信仰心であるが、一方、異邦人に対しては、軽視するような思いが根底にあるように見える

9節:しかし私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえを献げ、私の誓いを果たします。救いはのものです。」

異邦人は求めないが、私はこの恵みを求めます!
感謝して、いけにえを捧げて、誓いを果たします。(誓願)
救いは主のもの。神、あなた以外に本物の神はない!

ヨナは、あの船員たちの深い仕事に対する姿勢や隣人愛に気付いていただろうか。
実は、船員たちも上陸後、へブルの神にいけにえを捧げ、誓願を立てていた。
予想外の命がけの経験から、船員たちはへブルの神を信じる者となった。

10節:は魚に命じて、ヨナを陸地に吐き出させた。

主は魚に命じて、吐き出させた。この時、港町は大騒ぎとなった!!
魚の口から人が出てきたという目撃情報、または証言があっただろう。
この人は、3日前に難破しそうになった船に乗船していたへブル人の預言者。この預言者の言うとおりにしたら、嵐が静まり、皆が救われたと、船長、船員たちが証言している。
彼らはヨナが死んだと思っていた。しかし、・・神はこの預言者を生かし、どうしても用いようとされているようだ。話を聞くと、一度死んだが、神により復活したと言う。すごい預言者だ!そして、彼が託された預言は・・「ニネべの崩壊の日が近づいていることをニネベに告げよ!」

2022年07月07日

ヨナ3章1節~10節

1節:再びヨナに次のようなのことばがあった。

2節:「立ってあの大きな都ニネべに行き、わたしがあなたに伝える宣言をせよ。」

3節:ヨナは、のことばのとおりに、立ってニネべに行った。ニネべは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな都であった。

「立ってニネべに行き」・・・・いよいよ900㎞の長旅の始まり。
「宣言をせよ。」・・・・伝道や宣教などではない。ただ神のことばを宣言する。
900㎞の旅の後、辿り着いた町は行き巡るのに3日かかる大きな都市。

4節:ヨナはその都に入って、まず一日分の道のりを歩き回って叫んだ。「あと四十日すると、ニネべは滅びる。」

いよいよ、宣言の開始。決して、悔い改めてもらっては困るという思いがヨナにあった。従って、ただ神の指示通り、40日後の滅びを宣言して回った。
神はそのこともご存知であった。ヨナの思惑とは異なる展開が待っている。奇蹟がヨナの目前で起こる。

神の備えについて考える
・奇蹟的に生還したヨナ 
・その証人たちも存在した
・その奇跡は、まさに神の実在を示すもので、特に船長、船員は確信する。

・また、ヨナの預言者としての力量も実感していた。ヨナの預言の信頼性は確実!
・ヨナの宣言だけでも、その信憑性は十分であった。ヤッファにいた船員や人々の証言があったからである。

5節:すると、ニネべの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで粗布をまとった。

神の備えがあり、神の宣言はニネべの人々に伝わり、ヨナが伝道までせずとも神を信じ、互いに呼びかけ、身分に関係なく断食を行い、悔い改めている。(激変!)
正しい方法はわからないが、とにかく速やかに悔い改めようとする思いは、神を恐れ、神を信じている者の行動である。

話が町中に流布した原因は、例の船に乗船していた人たちの中に商人、またはその部下や知人がいたのではないかと想像する。
いつの時代も、有力な商人は、権力者と親密に繋がっているものだ!

6節:このことがニネべの王の耳に入ると、彼は王座から立ち上がって、王服を脱ぎ捨てて粗布をまとい、灰の上に座った。

噂は王の耳にまで伝わり、王が速やかに悔い改めている。
あの暴風の船上での出来事は、人々にインパクトを与える事実だったということ。


7節:そして、王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネべに出された。「人も家畜も、牛も羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。

8節:人も家畜も、粗布を身にまとい、ひたすら神に願い、それぞれ悪の道と、その横暴な行いから立ち返れ。

神を信じる思いは、ニネベの人々を徹底的にへりくだらせた。布告が出た。これは相当の覚悟である。具体的な対処方法は不明、とにかく情報を集めたと思われる。
人どころか家畜まで何も食べず、食べさせず、ひたすら神に願え!

ポイントは、「悪の道と、横暴な行いから立ち返れ」という点
アッシリヤの残忍、暴虐性は周知のこと。それがアッシリヤ帝国の基盤。
トップ自らがその残虐、暴虐性を認めていたということに注目。

9節:もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りを収められ、私たちは滅びないですむかもしれない。」

「もしかすると・・」と言う思いが、家畜にまで粗布をまとわせるという行為に現れる。

心の底から、救いを願った結果である

10節:神は彼らの行いを、すなわち、彼らが悪の道から立ち返ったのをご覧になった。そして神は彼らに下すと言ったわざわいを思い直し、それを行われなかった。

神は北イスラエルに対する最後の気付きである領地拡大の祝福を与える。しかし、そこに事前準備があった。ヨナの存在と活動は北イスラエルでも注目される内容。
ヨナを用いて、北イスラエルに最後の気付きを促したいというお考えがあったのではないか。

単に、ヤロブアム2世の時代に繁栄と言う祝福をもたらすためだけではなく、神の御心に気付いてほしいというご計画があったのではないか。

2022年07月07日

ヨナ4章1節~11節

1節:ところが、このことはヨナを非常に不愉快にした。ヨナは怒って、

2節:に祈った。「ああ、よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへ逃れようとしたのです。あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていたからです。

ヨナは驚くべきニネべの悔い改めを目撃したにもかかわらず、激昂した!それは主に対する怒りであった。なぜ異邦人を救うのか!神は気付きを与えるため、忍耐される

ヨナは、初めに神に反抗した時、神に告げていた。「あなたは情け深くあわれみ深い神、怒るに遅く、わざわいを思い直される方だと知っていたからです。」

現に、北イスラエルが滅びないのは、思い直される神だから!
万が一にも、異邦人が悔い改めたら救われてしまう!

実はそうではない!両者とも滅びの日は近づいている!
ヨナの考えが交錯している➡異邦人は信じるはずがない、信じたとしても神は裁くべきだ
   神の御心を自分の目線に引き下げていることの愚かさ!

3節:ですから、よ、どうか今、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましです。

もう死んだほうがましだ!私は失望しました。私の命を取ってください!
一度、いのちを救われたにも拘らず、それでも死んだほうがましと言うヨナ。これは怒りを示す、無礼な発言。しかし、あわれみ深い神は、ヨナに語り掛ける


4節:は言われた。「あなたは当然であるかのように怒るのか。」

当然であるかのように怒るのか?・・・つまり自分の考えが正しいというのか?

ヨナの思い⇒神は異邦人を裁き、滅ぼすべきである。イスラエルより先に救うということはあり得ないこと!北イスラエルは神の民。救われるべき民。異邦人の救いはイスラエル人の後であるべき!
強力な(不健全な)選民意識がヨナの中に根付いている。
神は、このヨナの強力な(不健全な)選民意識に注目されている。

5節:ヨナは都から出て、都の東の方に座った。そしてそこに自分で仮小屋を作り、都の中で何が起こるかを見極めようと、その陰のところに座った。

ヨナはニネべの東の方に仮小屋を建て、ニネベを観察した。彼らの救いはあるはずがない。必ず神の裁きが下されるところを見極めてやろうとしていた。
このヨナの選民意識がもたらす弊害は、妬みである。彼が激昂した原因は、神が優先順位を変えて、異邦人を救われたことに妬みを覚えたからである。申32:21
この強力(不健全)な選民意識から来るわざわいを、未来の問題点として示されたところに、ヨナ書の意義がある!

6節:神であるは一本の唐胡麻を備えて、ヨナの上をおおうように生えさせ、それを彼の頭の上の陰にして、ヨナの不機嫌を直そうとされた。ヨナはこの唐胡麻を非常に喜んだ。

唐胡麻・・・工業製品の油、ひまし油の原料。
熱帯アフリカの東部が原産。塗料や燃料、香料などに利用され、 耐寒性がないため、熱帯では多年草ですが温帯では一年草となります。 葉は大きくて、掌状に5~11に深裂し、鋸歯状です。
まるでヨナの機嫌取りであるかのように、神は奇蹟を行い、唐胡麻を生えさせて、彼に日陰を与えられた。ヨナはこの唐胡麻の奇蹟を喜んだ。つまり、神が私をあわれんでくださっているから、神は思い直されると思っている。

7節:しかし翌日の夜明けに、神は一匹の虫を備えられた。虫がその唐胡麻をかんだので、唐胡麻は枯れた。

翌日の夜明けには、神が一匹の虫を備えられた。あっと言う間に唐胡麻を枯らす虫。これも神の御業である。この事によって、神は気付きを促しておられるのだが・・


8節:太陽が昇ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は弱り果て、自分の死を願って言った。「私は生きているより死んだほうがましだ。」

覆いの無い状態に加え、東風(熱風)が神によって吹き付けられた。熱中症相当のダメージ
なぜ、唐胡麻を枯らすのか?そのまま日除けにしてくれればよいのに!と思うヨナ。
ヨナは弱りはて、神に、怒りを込めて、死を願った。「死んだほうがましだ!」


9節:すると神はヨナに言われた。「この唐胡麻のために、あなたは当然であるかのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」

ヨナは、神の唐胡麻がヨナを守り、神の異邦人滅亡の裁きを期待し見物していた。
異邦人ではなく、北イスラエルが先に救われなければ、という思いがあった。

本来の「神の民の使命」とは?⇒神の民として、全人類に対するお手本となること!
神の栄光を実現する働き手となり、その栄光をたたえる! はずなのに・・

ヨナは言う。「死ぬほど怒るのは当然です。」・・自分は正しい!と言い張るヨナ

10節:は言われた。「あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。

11節:ましてわたしは、この大きな都ニネべを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」

自分は何の労も払わず、一夜で生い茂った唐胡麻が枯れた。普段は気にもしない唐胡麻が、今は日除けとなり、とても喜んだ。しかしそれが無くなり、それを惜しんでいる。
あなたにとって異邦人は何の役にも立たず、むしろ害に思えるかもしれないが、わたしの目から見れば、その中にも惜しまれる人々がいるのだ。
何が神で、正義と公正が何かを分からない、また、未来のこともわからない12万人以上の人たちや、家畜がいるのだ!

神は、決して異邦人を無関心に裁かれてはいない。あわれんでおられることは明確。
だからこそ、イスラエルの民が正しく神の民として立ち上がってほしいと願っている。
こうした神の思いに応答することも、神の子のあるべき姿であることを覚えよう!

 

神が、ヨナに御言葉をかけて、この書は終わっている。
多分、ヨナは死ななかったと思う。そして、神は、ヨナの言う思い直しはされなかった。
この最後の一言に、ヨナはどういう反応をしただろうか?ここに答えはない。


これまでのヨナとこれからのイスラエル

2022年07月07日

オバデヤ1節~7節

オバデヤの名前の意味は、のしもべ。
活動場所は、エルサレムを中心とした南ユダ王国である。

執筆時期について
オバデヤ書と他の預言書との関係➡エレミヤ書、ヨエル書で、数か所用いられている
  エレ49:7、 49:9~10、 49:14~16、ヨエル1:15、2:32

歴史的事件との関係(オバデヤ10~14)

Ⅱ歴21:16~17・・ペリシテ人とアラビヤ人によるエルサレム侵略(BC845年)
Ⅱ列24:1~・・ネブカデネザル王の侵略(BC605年~BC586年)
どちらを指しているか?と言うことになるが、

中川先生はBC845年頃としておられる。
BC845年なら、小預言書のトップバッター。他の預言書に影響を与える存在。
BC600年頃なら、バビロン捕囚前の小預言書の殿(しんがり)。
⁂二つの考え方があるとして、学んで行きましょう。

エドムについて
エドム・・・ヤコブの双子の兄であるエサウの子孫。二人の父はイサク。
エサウは死海東南のセイルの地に移り住み、子孫がエドム人となる。
「赤い」(アードーム)体毛からこの名がついたとされる。
新約に出てくるイドマヤ人は、おもにエドム人の子孫である。(マコ3:8~)
ヤコブとの血縁は、モアブ人、アンモン人より濃く、また、確執も相当に根深い。

エドムの系図

 

 

1節:オバデヤの幻。である主は、エドムについてこう言われる。――私たちはから知らせを聞いた。使節が国々の間に送られてこう言った、と。「さあ、立ち上がれ。エドムと戦おう」――

「幻」・・・・神の声を聞き、ヴィジョンを見せられた。

明確に語ることができるヴィジョン。私たちが思う幻とは違う!
神が国々に使節(御使いか預言者か)を送られたということを聞いた。
内容は「さあ、立ち上がれ。エドムと戦おう」。国々をそういう行動に向かわせる思い。

エドムに対する復讐のための裁きが下される・・・約束
民20:14~21
40年の放浪を終え、約束の地カナンに入る際、エドムの地を通る許可を真摯に
求めるが、エドムは徹底的に拒否し、軍隊まで出す。結果、迂回することとなる
兄弟の血筋でありながら、エドムはイスラエルに最も敵対する存在となる

2節:「見よ。わたしはおまえを国々の中で小さい者、ひどく蔑まれる者とする。

エドムが裁かれる時、諸国の中で最も蔑まれる民となる。(15~16節で語られる)


3節:岩の裂け目に住み、高い所を住まいとする者よ。おまえの高慢は、おまえ自身を欺いている。おまえは心の中で言っている。『だれが私を地に引きずり降ろせるのか』と。

4節:鷲のように高く上っても、星々の間に巣を作っても、わたしは、おまえをそこから引きずり降ろす。――のことば。

エドムの地域は岩地の高所。住まいだけではなく、エドムの高慢な心の状態を表す。

自らをだます行為→サタンの思うつぼに嵌っている状態。
だれも私を引きずり落とせない。安住しているように見えるが、・・・
その驕りがどこまで行きつこうと、必ず神は、エドムを引きずり降ろす。
これはまるで、サタンへの宣言のように聞こえはしないか!
最終的に神は、背後に暗躍する悪も処理される。
それが私たちに約束された真の勝利!

5節:盗人がおまえのところに来るなら、しかも夜に、荒らす者が来るなら、――いかに、おまえは荒らされることか――彼らは欲しい分だけ盗んで行くではないか。ぶどうを収穫する者がおまえのところに来るなら、彼らは取り残しの実を残さないだろうか。

一切の目こぼしが無いほどに攻め入る者(軍隊)。
思いがけず、何のあわれみもなく、徹底的に打たれるエドムの姿が暗示されている。


6節:ああ、エサウは捜し出され、その秘宝は見つけ出される。

新共同訳:「いかに、エサウの富は探し出され 宝は奪い取られることか。」

権威や権力、財力などに安住しているように見えて、実は「一寸先は闇」の状態

7節:おまえと同盟を組む者たちがみな、おまえを国境まで送り返し、親しい友がおまえを欺いて征服する。おまえのパンを食べていた者が、おまえの足もとに罠を仕掛ける。こんなおまえに英知はない。

それまで築かれた同盟関係諸国は、助けることもなく、むしろ攻める者が出てくる。経済関係にあった諸国も、エドムを陥れる活動へと変わる。

もうエドムと組む国はなく、それはエドムが何の知恵もなく、信頼されなくなる状況の暗示

2022年07月23日

オバデヤ8節~14節

何故、エドムは諸国から信用されず、裁かれることになるのか?

エドムの足跡

歴代王 該当聖書箇所 内容
(荒野放浪最後の迂回事件) 民20:14~21 嫌がらせ
サウル王 Ⅰサム14:47 戦い
ダビデ王 Ⅱサム8:13~14 戦い
ソロモン王 Ⅰ列1:16~22 制圧
ヨラム王(北)+ヨシャパテ王(南) Ⅱ列3章 協力してモアブを攻めるが
ヨシャパテ王(南) Ⅱ歴20章 逆に、エドムの軍が滅ぼされる
ヨラム王(南) Ⅱ列8:20~22 エドム独立するⅡ歴21:16~17
アマツヤ王(南) Ⅱ列14:7~ 1万人を打ち、セラと言う町を倒す
アハズ王(南) Ⅱ歴28:16~19 エドムがユダを攻め、捕虜にする

王の年代表

  南ユダ王 BC 善か悪か   北イスラエル王 BC
1 レハブアム 931~913 X 1 ヤロブアム 931~910
2 アビヤム 913~911 X 2 ナダブ 910~909
3 アサ 911~870 3 バシャ 909~886
4 ヨシャパテ 872~848 4 エラ 886~885
5 ヨラム 853~841 X 5 ジムリ 885(7日間)
6 アハズヤ 841~841 X 6 オムリ 885~874
7 アタルヤ 841~835 X 7 アハブ 874~853
8 ヨアシュ 835~796 8 アハズヤ 853~852
9 アマツヤ 796~767 9 ヨラム 852~841
10 ウジヤ 792~740 10 エフー 841~814
11 ヨタム 750~732 11 エホアハズ 814~798
12 アハズ 743~716 X 12 ヨアシュ 798~782
13 ヒゼキヤ 729~687 〇〇 13 ヤロブアムⅡ 793~753
14 マナセ 697~643 X X X 14 ゼカリヤ 753~752
15 アモン 643~641 X 15 シャルム 752(1ヶ月)
16 ヨシヤ 641~609 〇〇〇 16 メナヘム 752~742
17 エホアハズ (在位3ヶ月)
X 17 ペカフヤ 742~740
18 エホヤキム 609~598 X 18 ペカ 740~732
19 エホヤキン (在位3ヶ月) X 19 ホセア 732~722
20 ゼデキヤ 597~586 X 20    
21 ゼルバベル        

エドムの歴史

詩編137篇・・・バビロン捕囚の中で歌う悲しみと決意の歌。
よ 思い出してください。エルサレムの日に『破壊せよ 破壊せよ。その基までも』 と言った エドムの子らを。」
バビロン捕囚前は、エドムは南ユダと同盟を結んでいた。ところが、・・
バビロンがエルサレムを攻撃すると、バビロンに加担し、裏切った。
更に捕囚された後のエルサレムに入り、自分の土地だと主張し喜んだ。
それを見たバビロンはエドムを罰するために攻めた。


その後、BC5世紀にアラブ系のナバテヤ人がエドムを攻め、ボツラから追い出し、   ボツラはナバテヤ人のものとなり、エドム人は西のイドマヤに移る。
更にこのイドマヤ人はユダヤ地方に移り住み、ユダヤ教に改宗させられた。
時が流れて、BC47年には、イドマヤ人アンティパテル2世はユダ、サマリヤ、ガリラヤの行政長官となり統治した。
彼の息子が、ユダヤの王に任じら、それがヘロデ大王である。彼はイエスを抹殺しようとした人物である。

ヘロデ大王は、エドムの末裔である!!


その後、66年にユダヤの反乱が勃発。イドマヤ人も戦うが、70年にイドマヤは民族として表舞台から姿を消す。(離散した者があったようだが・・)

エドムのイスラエルへのいじめは、神への反抗であり、犯行である。

エゼ35:5~15を通して、神の怒りを知ろう!

こうして旧約と共に存在を消すエドム

イスラエルは現在、国として存在しているが、エドムは存在していない

こうした情報を踏まえ、エドムの罪について学びます


8節:その日には、―のことば― わたしは、エドムから知恵ある者たちを、エサウの山から英知を消し去らないであろうか。

「その日には、」・・主の裁きの日。これは、「主の日」とは異なる表現で、エドムを裁く日に限定している。これは将来の患難時代の予表である。
英知・・それは神の知恵、神の民の兄弟としての絆による祝福は取り去られる。


9節:テマンよ、おまえの勇士たちは気をくじかれる。虐殺され、エサウの山から一人残らず断ち切られる。

10節:おまえの兄弟、ヤコブへの暴虐のために、恥がおまえをおおい、おまえは永遠に断たれる。

「テマン」・・・エドムの一つの町。テマンの町も防御にはならず、皆殺しにされる。
その原因は、神が恥ずべきと見る、兄弟として相応しくない行動のためであり、永遠に裁かれることになる。


11節:他国人がエルサレムの財宝を奪い去り、外国人がその門に押し入り、エルサレムをくじ引きにして取ったその日、おまえは素知らぬ顔で立っていた。おまえもまた、彼らのうちの一人のようであった。

敵(連合軍)がエルサレムを攻める時、見ぬふりをしていた。まるで、その一員であるかのようであった。(兄弟部族でありながら)

※くじ引き・・一国で攻めたのではないことがわかる


12節:おまえは兄弟の災難の日に、それを見ていてはならない。ユダの子らの滅びの日に、彼らのことで喜んではならない。その苦難の日に大口をたたいてはならない。

兄弟筋であるにもかかわらず、イスラエルの民の災難、そしてその滅びを喜び大口を叩とは、何たることか。


13節:おまえは彼らのわざわいの日に、わたしの民の門に入ってはならない。ほかでもないおまえが、彼の破局の日に、彼らの財宝に手を伸ばしてはならない。

エルサレムのわざわいの日にその門に入り、その破滅の日にそれを眺め、さらにその財宝を我がものとする。

 

14節:その逃れる者を断つために、別れ道に立ちふさがってはならない。その苦難の日に、彼らの生き残った者を引き渡してはならない。

逃れようとする者たちを助けるどころか、その逃避を邪魔し、それらを捕まえて捕虜として売り渡すようなことをする。

ペリシテ、アッシリヤ軍、またネブカデネザル王の侵略時に、このように動いたエドム。
むしろ、血族同士、小国同士なら助け合えばよいのだが・・・
血によって深いはずの絆が、他国にないほどの陰湿な態度となっている。




2022年07月28日

オバデヤ15節~21節

15節:なぜなら、の日がすべての国々に近づいているからだ。おまえは、自分がしたように、自分にもされる。おまえの報いは、おまえの頭上に返る。

オバデヤは実際のエドム民族の滅亡と共に、メシア的王国に至るまでのエドムの滅びを見せられている。近未来と遠未来が重なるヴィジョン。
人の目には、エドムの裁きは70年に終わっているように見えるが、神の目線では、終わっていない。エドムの地にかかわる裁きが継続している。

エドム、モアブ、アンモン人などの子孫は、今のアラブ人に吸収されたとされる。
エドムのようなイスラエルへの呪い(嫌がらせ)は神への呪い(反抗)である。
アブラハム契約の存在
あなたを祝福する者を祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう
エドム民族は歴史から姿を消したが、エドムの地、セイルの山は残り、そこに根付く民が存在する恵みの時代になり、ディスペンセーションは進展したが、あの陰険な行為をするエドムに対する、神の裁きは終わっていない
この個所は「主の日」であり、患難時代を指している。その時裁かれる諸国の中にエドムがいる。つまりエドムのように振る舞う諸国。(もしくはエドム人の血を引くリーダーの国の存在など)この時、自分たちが行った仕打ちが自分たちに降りかかる。(箴言26:27)神の報いが彼らに下される。

16節:おまえたちがわたしの聖なる山で飲んだように、すべての国々も絶えず飲み続け、飲んだり、すすったりする。彼らはまるで、いなかった者のようになる。

大患難時代には、エドムのような諸国がエルサレムで勝利の美酒を飲むが、それは実は神の怒りの盃である。神の怒りの盃を飲むことは、裁きと滅亡を意味する


17節:しかし、シオンの山には、逃れの者がいるようになる。そこは聖となり、ヤコブの家は自分の領地を所有するようになる。

大患難時代の最後に、イスラエルの逃れる者(残れる者・レムナント)がエルサレムに戻ってくる。

ヨエル2:31~32 主が再臨され、神による統治が始まる!ハレルヤ!!
この時、イスラエルの民の土地(領地)が明確にされる。つまり、約束の地が完全に与えられ、これはアブラハム契約(土地の契約)の成就を意味する。
栄光の身体による復活は語られてはいないけれども、新たな世界が始まることが預言されている。

18節:ヤコブの家は火となり、ヨセフの家は炎となる。エサウの家は刈り株となり、火と炎は刈り株に燃えつき、これを焼き尽くす。エサウの家には生き残る者がいなくなる。」がこう告げられたのである。

スラエルの復興は火の如く、そしてエドムはその火に焼き尽くされる。
イザ34:9~10・・「エドムの川はピッチに、その土は硫黄に変わる。その地は燃えるピッチになる。それは夜も昼も消えず、その煙はいつまでも立ち上る。そこは代代にわたって廃墟となり、もうそこを通る者はだれもいない。千年王国の間、ずっと燃え続け、くすぶり続ける状態]

勝者と敗者が明確に区別される。エサウを筆頭とするエドム人の如く、神に反抗し続ける者はすべて、患難時代、千年王国後に裁かれ滅ぼされる。(永遠の死へ)


19節:ネゲブの人々はエサウの山を、シェフェラの人々はペリシテ人の地を占領する。また彼らはエフライムの野とサマリヤの野を占領し、ベニヤミンはギルアデを占領する。

20節:イスラエルの人々に属する、この一群の捕囚の民はカナン人の地をツァレファテまで占領し、セファラデにいるエルサレムからの捕囚の民はネゲブの町々を占領する。

オバデヤは、実際に分けられる土地の状態(約束の地)を見せられている。つまり「メシア的王国の実現」を目の当たりにしている。

 

・ネゲブの人々―――→シメオン属 エサウの山(セイルの山地)を支配
・シェフェラ(低地)の人々―→ユダ属 ペリシテ人の地を支配

             ―→エフライムとサマリヤの平野を支配
・ベニヤミン族―――→ヨルダン川東部のギルアデを支配
・捕囚から戻る民―――→ツァレファテ(レバノンの町)を支配
・セファラデ(スペインの町)からの捕囚民―――→ネゲブ(南の町々)を支配
  約束の地がイスラエルに与えられる時が来る!

21節:救う者たちは、エサウの山をさばくため、シオンの山に上る。こうして、王国はのものとなる。

救う者たち・・・この預言では明確ではないが、イエス様を含む天の軍勢。
奥義のため、この時代イエス様は示されていないが、これはイエス様の再臨。
エサウ、つまりエドムの子孫や同類の悪魔に同調する者たちを裁き、エルサレムに神の王国が建ち、神、すなわちイエス様による統治世界が始まる。

2022年08月04日

ミカ1章1節

1節:モレシェテ人ミカにあったのことば。これは、ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、彼がサマリヤとエルサレムについて見た幻である。

預言者ミカについて:

「ミカイヤ」の短縮形で、「誰が【主】のようであろうか」と言う意味。
活動時期はユダの王「ヨタム」、「アハズ」、「ヒゼキヤ」の時代に跨って活動する預言者。
同時期に活動した他の預言者は、ホセア、イザヤ。中川先生によれば、イザヤとは親交があったとのこと。ホセアとも繋がりはあったと想像する。
出身地は、エルサレムから南西30キロの「モレシェテ」(所有の意)出身。
地名などの意味を用いて語る、言葉遊びのような、表現力(文才)がある。

 

時代背景

ヨタム王の時代 Ⅱ歴27:1~9

ヨタムは「主は完全」の意。
ウジヤ王の勢いに乗り、ウジヤ王の敬虔さに従い、ウジヤ王の如く善王と されるが、民は偶像礼拝にいそしみ、市中では神の教えは軽視されていた。
暴利を貪る利己主義(商人)の横行 → 正義と公正の衰退
城壁、城塞、やぐらを数多く建設。
アンモン人に勝利し、3年間、高額の朝貢を得ていた。

 

アハズ王の時代 Ⅱ列16章、Ⅱ歴28章
ハズは「彼は握っている」の意。
偶像(バアル)礼拝、人身御供など、北イスラエルに倣う。悪王。
北イスラエルのペカ王と、ダマスコのレツィン王が反アッシリヤ同盟を組むが、 アハズはその同盟入りを拒否。イザヤはこれを奨励。(イザ7:1~メシア出生預言)
ミカ書にも、イザヤ書にも、救い主の来臨に関する記述があることに注目!
イザヤの助言に従わずアッシリヤに助けを求め、難は逃れたが、アッシリヤへの 朝貢の厳しさ、偶像礼拝の強制(神殿の改築)など、かかる重圧は過酷となった。

 

ヒゼキヤ王の時代 Ⅱ列18~20章、Ⅱ歴29~32章、イザ36~39章

「主は(私の)力」という意。
律法への不従順が原因で捕囚となった北イスラエルを見て、父アハズの偶像礼拝を徹底的に排除し、政治的に反アッシリヤ姿勢となる。善王。
反アッシリヤ秘密同盟の締結のため、バビロンの使節に宝物倉をすべてを披露。イザヤはこの時、ユダがバビロン捕囚となると預言。(Ⅱ列20:12~19、イザ39章)
アッシリヤのセンナケリブ王は、反乱鎮圧のため遠征し、ユダのラキシュを占領し、ヒゼキヤはアッシリヤに朝貢するが、アッシリヤはユダを包囲。イザヤの奨励によりヒゼキヤは神に信頼し、その結果、一夜にして18万5千人が死に、撤退した。
病気となったヒゼキヤは、回復して15年の延命。(イザ38:1~9、日時計の証)

 

ウジヤ王の時代に勢力拡大は図れたが、その後アッシリヤが勢力を拡大し、ついには北イスラエルが、攻め滅ぼされる事態となる時代。
いつの時代も、リーダーの資質、見識、統率力が国家の存亡に大きく影響する。特に、アハズ王の諸行は、神の目に余る。そのような中でのメシア出生預言は、今後の厳しい道のりの表明ともとれる。
ウジヤ王が築き上げた勢力は、みるみる削ぎ落されて行く南ユダ。神への信頼が益々失墜して行くきっかけの時代。こんな時代を背景として、ミカは神の預言を語った。イザヤ、ホセアと言う二人の預言者と重なって存在していたことにも注目。

2022年08月19日

ミカ1章2節~16節

2節:すべての民族よ、聞け。地とそこに満ちているものたちよ、耳を傾けよ。である主は、あなたがたのうちで証人となり、主はその聖なる宮から来て証人となられる。

3節:見よ。は御住まいを出、降りて来て、地の高い所を踏まれる。

イスラエルをはじめとする全諸国民へ!全人類へ!神はこう語られている!!
ここまで黙しておられたが、今、法廷で、神が証人となって語られるその言葉を聞け!
3節の「見よ」は裁きを見よ!の意。証言と言うよりは、判決と裁きと言う意味

法廷にて、判決が下される場面である。神は裁きを実施されるお方である。
全世界に対して、イスラエルの裁きを示し、判例として残している。
これは、バビロン捕囚、そして大患難時代の予表である。

4節:山々は主の足もとに溶け去り、もろもろの谷は裂ける。まるで、火の前の、ろうのように。坂に注がれた水のように。

人が高き所と崇めるところに降りて来られ、そこを踏みつけられる。すると、

山々は溶け、谷は裂ける。溶けた山々は火の前のロウソクのように溶けて、水のようになり、流れて行く!

あっと言う間に、攻められ捕囚される様子を指している

近未来と遠未来の預言が語られていることに注目!

5節:これはみな、ヤコブの背きのゆえ、イスラエルの家の罪のゆえだ。

「ヤコブの背きとは何か。サマリヤではないか。ユダの高き所とは何か。エルサレムではないか。

6節:わたしはサマリヤを野にある瓦礫の山とし、ぶどうを植える畑とする。その石を谷間に投げ込んで、その基を暴く。

ヤコブの背き・・偶像礼拝。
イスラエルの家の罪・・神の教えを守らず(エルサレム神殿を無視した礼拝、高き所を築き、おかしな犠牲を捧げる姿。
その裁きはサマリヤを瓦礫の山にし、その後ぶどう畑にする。その町の基となる石も谷に投げ捨て、跡形もなく、再生の機会も与えない!(エレミヤ26:18に記載あり)

7節:その刻んだ像はすべて打ち砕かれ、儲けはみな火で焼かれる。わたしはその偶像をすべて荒れすたらせる。それらは遊女の儲けで集められたのだから、遊女の儲けに戻る。」

偶像も、利得で得た財産もすべて打ち砕き、焼きすてる。
偶像礼拝は姦淫であり、相手は遊女(サタン)。神殿娼婦との関わりは、サタンとの関わりであり、裁かれる対象である。


8節:このゆえに、私は嘆き、泣き叫び、裸足で、裸で歩く。私はジャッカルのように嘆き、だちょうのように悲しみ泣く。

9節:まことに、その打ち傷は癒やしがたい。それはユダにまで及び、私の民の門、エルサレムにまで達する。

ミカはこの裁きが南ユダにも及ぶがゆえに、嘆き、泣き叫び、裸足で、裸で歩く。(ジャッカル、だちょうは、廃墟などに住みつく動物の象徴。)
南ユダが北イスラエルと同様に攻められるビジョンを見て、ミカは神の御心を知り、嘆き悲しんだ。それは、民の神に対するあまりにふしだらな態度への悲しみ。
北イスラエルの傷は瀕死の重体に至る。そして、その痛みはすぐに南ユダ王国にも及ぶ。
(しかし、この時、南ユダ王国は攻められるも、既(すんで)の所でその裁きを免れる)
アッシリヤは北イスラエルを捕囚し、ユダの町々を攻め、捕囚し、エルサレムを囲んだ。
ヒゼキヤ王・アッシリヤ(センナケリブ王)の戦い。一夜にして、主が18万5千人を殺害し、アッシリヤは撤退。何とか命拾いした南ユダ・エルサレム。ヒゼキヤ王の病死の延命と重なる。

 

10節~16節まで神のみことばが語られる。アッシリヤ攻撃の状況説明。
次々に攻められ征服される町々。その町の名が持つ意味を用いる表現手法。
言葉遊び(パロノマジア・paronomasia)

中川先生の例文
阪神大震災の被災を受けて「神戸の街よ。なぜあなたは神の祝福を迎える戸ではなく、悲劇を招く戸となったのか!」


10節:「ガテで告げるな。決して泣いてはならない。ベテ・レ・アフラでちりの中を転げ回れ。

「ガテ」はペリシテの町で、その意味は「告げる」。ユダの町々の崩壊を、ペリシテに、また諸国に伝えるな!ペリシテをはじめ、諸国が喜ぶから。つまり、滅ぶということ。
「ベテ・レ・アフラ」の意味は「ちりの家」。攻められ塵のように打ち砕かれる場所で悲しめ。


11節:シャフィルに住む者よ、裸になって恥じながら通り過ぎよ。ツァアナンに住む者は出て来ない。ベテ・エツェルの嘆きは、あなたがたから、立つところを奪い取る。

「シャフィル」の意味は、「美しい」であり、とても美しい町。その町に住む者たちは、裸にされ恥じて通り過ぎる。これは捕囚されて行くということか。
「ツァアナン」の意味は「出て来る」。自分が攻められても恐れて、出て来ない臆病者。
「ベテ・エツェル」の意味は、「隣の町」。隣の町ながら、援助、約束を反故にする者。


12節:まことに、マロテに住む者は、病むほどに幸せを待ち望む。エルサレムの門に、からわざわいが下ったのだ。

「マロテ」の意味は「苦い」。エルサレムが攻められるのを見て苦々しい思いになる。それは苦々しい思いで幸いを待ち望むことと同じである


13節:ラキシュに住む者よ、戦車に早馬をつなげ。そこは娘シオンにとって罪の始まり。実に、イスラエルの背きが、あなたのうちに見出されたのだ。

「ラキシュ」の意味は「速く走るラクダ」。そんなラクダのように、戦車に早馬を繋いで逃げる準備をせよ。ひどく、速やかに裁かれるからだ。何故なら・・ユダの罪となる偶像礼拝を真っ先に取り入れた町だから!

 

14節:それゆえ、あなたは別れの贈り物をモレシェテ・ガテに与える。アクジブの家々は、イスラエルの王たちにとって欺く者となる。

「モレシェテ・ガテ」の意味は「贈り物、遺産」。攻められるラキシュが、贈り物を添えて、助けに来てほしいと懇願することになる、の意。地名の意味である贈り物という言葉を用いている。

アクジブ」の意味は「欺き」。これらの町は期待に応えてくれる町ではない。

15節:マレシャに住む者よ、わたしは再び、侵略者をあなたのところに送る。イスラエルの栄光はアドラムまで行く。

「マレシャ」の意味は「贈り物、遺産」。マレシャに、侵略者が送られる。マレシャが 敵への贈り物となる。その栄光、つまり神の民族としての栄光は失せる。
「アドラム」の意味は「主はたたえられる」。・・・マレシャからアドラムに主の栄光は移る。新共同は、「行く」を「に去る」と訳す。しかし、アドラムも攻め落とされることになる。

 

16節:頭を剃れ。あなたが喜びとする子らのために、その剃ったところを、禿鷲のように大きくせよ。彼らは捕らえられて、去って行くからだ。」

「頭を剃れ、髪を剃り落とせ!」とは、悲しみの表現を示すものである。ここで、「あなたが喜びとする子らのために」とあるのは、自らの愛しい子供たちを表すとともに、ここまで語られた町の名はすべて南ユダを支える子らであるということ。
こんな風に、攻め取られた町、捕囚されてゆく民のために悲しむがよい!と言っている。

この16節は、アッシリヤのユダ攻撃の預言と共に、いずれ来るバビロン捕囚の予表である。
「去って行く」は預言的完了形と見る。
ヒゼキヤの信仰心のお陰で、アッシリヤの捕囚からは免れた南ユダ。しかし、不信仰へと下降して行く南ユダを留める術はない!!

2022年08月25日

ミカ2章1節~9節

1節:わざわいだ。 不法を謀り、寝床の上で悪を行う者。朝の光とともに、彼らはこれを実行する。自分たちの手に力があるからだ。

2節:彼らは畑を欲しがって、これをかすめ、家々を取り上げる。彼らは人とその持ち家を、人とその相続地をゆすり取る。

「わざわいだ。」・・最悪だ!裁かれて当然だ!落胆の「あー」と同じ。
1章で、裁きの主原因は偶像礼拝とされた。ここで更に、上層指導部の悪事(権威)を指摘する。
律法の根底にある「公正」が完全に無視されている。神の民としての価値がない。
寝床の上で悪を図る→(一日を神に感謝しない)→人の畑を奪い、家を奪う算段。
神の定めた掟を守らず、利得のために、権威、権力で貧しい人々から奪うことに熱中。

 

3節:それゆえ、主はこう言われる。「見よ。わたしはこういう氏族に、わざわいを下そうと考えている。そこからあなたがたは頭をもたげることもできず、胸を張って歩くこともできなくなる。それは、わざわいの時だからだ。」

神はこのような利得至上主義の上層指導者にわざわい(裁き)を下す。
それは、アッシリヤ、そしてバビロン捕囚と思われる。(大患難時代も想定されている)
胸を張って歩くことができない状態となる。(国がなく、捕囚されることの意味)
と同時に、大患難時代の契約の反故・裏切りの状況も示している。

こうした利得の追及は、時代がどんなに変わっても必ず存在する。
それは、暗躍するサタンの思う壺である。

4節:その日、あなたがたについて嘲りの声があがり、嘆きの歌が起こって言う。「われわれはすっかり荒らされてしまった。私の民の割り当て地は替えられてしまった。どのようにして私から移され、われわれの畑が背信の者に分け与えられたのか。」

5節:それゆえ、主の集会には、あなたのためにくじを引いて測り綱を張る者がいなくなる。

その日・・裁かれる日(近未来)を指しているが、大患難時代(遠未来)の予表でもある。
ミカは言う。「嘲りの声が上がり」・・人々(敵、異邦人)が自分たちを嘲り、上層部に「嘆きの歌」が起こる。
貧しい者をだまして手に入れた土地が、すべて敵国に奪われたことを嘆くことになる。
それ故、土地の分割や相続における、土地の測量士は不要。これは律法に従って歩む術がないということである。・・律法(正義と公正)がない。つまり、神が存在しない。

神の民としての存在感が無くなり、自分たちが滅ぶということを預言する

6節:「戯言を言うな」と彼らは戯言を言う。「そんな戯言を言ってはならない。辱めを受けることはない。」

「戯言を・・」、「そんな戯言を・・、辱めを受けることはない。」は、彼ら(上層指導部、偽預言者)の言葉。ミカの預言を戯言であるという民はその影響を受ける


7節:ヤコブの家がそんなことを言われてもよいものか。主がこれを我慢されるだろうか。これは主のみわざだろうか。私のことばは、まっすぐに歩む者に益とならないだろうか。

7節はミカの心情と見る。
神を信じる者たちには、そんな預言は下されないはずだ。
主はこんな悪い状態をいつまでも我慢して放ってはおられないはずだ。
こんな律法に従わない状態が、神のみわざであろうはずがない!
この私が預かったことばは真の信仰者(残れる者)には有効に働くものである!

常に神に信頼し、純粋に預言を語り、それが残れる者の道と確信するミカ

8節:「近ごろ、わたしの民は敵として立ち上がった。あなたがたは、豪華な上着をはぎ取る。安心して通り過ぎていく者、戦いから帰って来る者たちから。

9節:あなたがたは、わたしの民の女たちを、その楽しみの家から追い出し、その幼子たちから、わたしの誉れを永遠に取り去る。

わたしの民は、異邦人のような戯言を言う者になった。奪い、搾取し、虐げる者に。⇒これは上層指導部の者たちに向けて、語っている。
彼らは、黙って従う者たちや、戦いから帰って来た者たちから、上着をはぎ取るなどして、彼らを虐げ、搾取する。(神の公正、神の御心を裏切る行為)
そうして、その民の女たちをその家、国から追い出し、それらの子供たちから、神の栄光、神の偉大さ、すばらしさ、教えのすべての誉れを取り去ってしまう!

2022年08月31日

ミカ書2章10節~13節

10節:さあ、立ち去れ。ここは憩いの場所ではない。ここは汚れで滅ぼされるからだ。それはひどい滅びだ。

上層部(偽預言者)に支配されている人々(残れる者たち)への警告。

神、そして民を裏切り、人々を苦しめて、自分は「憩いの場所」であると思っている上層指導部(偽預言者)の元にいてはいけない。すぐにここを立ち去れ!

常に、神を見上げる位置、神に従う位置、そして in Christ の位置を確保しよう!

神の期待を無視する汚れた者たちを、神は徹底的に裁かれる。
近未来の捕囚を指すと共に、遠未来の大患難時代を指している
こうした近・遠未来の預言は、人間の愚行の反復性を示すと共に、この繰り返しが、「残れる者」の選別であると知るべきではないか!
これは、今も私たちへのメッセージとなっている!

11節:もし人が風の赴くままに歩き回り、『私はあなたがたに薦めよう。ぶどう酒と強い酒を』と偽って言うなら、その者は、この民に戯言を言う者だ。

風の赴くままに・・とは、「神と共に」ではなく、自分の思い(世の流れ)で歩き回る。
「私はあなたがたに薦めよう。ぶどう酒と強い酒を」と言って、この世の生き方を勧め、神の期待に沿わない虚言者こそ、偽預言者である。⇒反キリストをイメージさせる

アモス2:11~12、すでに同様の預言が示されているが、このように人間の罪の繰り返の中で、残れる者の選別がなされている
ここでは、近未来というより遠未来の預言である。終末の事態を、神は人々の前に示されている。全人類に示す法廷判決である!

12節:ヤコブよ。わたしは、あなたを必ずみな集め、イスラエルの残りの者を必ず呼び集める。わたしは彼らを、囲いの中の羊のように、牧場の中の群れのように、一つに集める。こうして、人々のざわめきが起こる。

10~11節において、「人の心をたぶらかす様な、戯言を言う者が現れたなら、立ち去れ。滅ぼされるから。」と神は語る。その民とは「残れる者」である。ゼカリヤ書によれば、それはイスラエルの3分の1の人数。(ゼカリヤ書13:8)
冒頭に「ヤコブよ」と語る神の目には、残れる者、真の礼拝者が映っている。
その「残れる者」を、神は必ず呼び集めると言われる。それは逃れの地を指す。 

終末における「逃れの地」とは、どこか? 
イザヤ:33:16「岩の上の要害」
ダニエル11:41「ヨルダンの東側の地域」
マタイ24:16「山に逃げる」
黙示録12:6「荒野に逃げた」
「逃れの地(町)」が明確に示されているのがミカ書である。
「囲いの中の羊のように」は、町の名前を“言葉遊び”的に表現したものとみる。
文中の「囲い」とは、ヘブル語で「ボツラー」であり、ボツラの羊・・と訳せる。
ヘブル語「ボツラー」は、エドムの地のボツラを指し、現在のペトラにあたる。
ミカの言葉遊びという表現法で書かれた。

そして、羊と言う「信仰の群れ」の暗示がある。
一つに集められた民(残れる者)はどうなるか?⇒ゼカリヤ書13:9
この時、イスラエルの民はメシアを信じ、一つの共同体となる。
「こうして、人々のざわめきが起こる」・・(再臨の)メシアの暗示!

13節:打ち破る者は彼らの先頭に立って上って行く。彼らは門を打ち破って進み、そこを出て行く。彼らの王が彼らの前を、主が彼らの先頭を進む。」

「打ち破る者」とは、メシア(再臨のイエス・キリスト)を指す。
キリストを信じた者たちの勝利の行進である。
彼らはその包囲を打ち破り、囲い(ボツラ)を出て進んで行く。主(再臨のイエス様)が、その先頭を歩み、水先案内人の如く、彼らを導く。
イスラエルの民が、真の神に信頼し、メシアを王として崇め従う姿が浮かぶ。

 

1~2章を一つのくくりと考えるとき、神の冒頭の言葉が印象深い
全人類に示した判決は、大患難時代であり、またメシア的王国の到来である
人は戯言と言うが、これが御国の福音である!!

2022年09月09日

ミカ3章1節~12節

1節:私は言った。「聞け。ヤコブのかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公正を知っているはずではないか。

再び目に余る行動をとるヤコブのかしら(上層指導部)たち。
上層指導部には王も含まれると見る。
神の民と言いながら、神の律法の教え、すなわち公正と正義はどうしたのか?

神の民とは、神に信頼し、神の教えに従うことで、人間としての手本を示すもの
このような状態になることを、神は既にご存知であった(Ⅰサム8:10~18)

2節:あなたがたは善を憎んで悪を愛し、人々の皮を剥ぎ、その骨から肉をそぎ取る。

3節:わたしの民の肉を食らい、皮を剝ぎ取って、骨を打ち砕き、鍋の中のもののように、また大釜の中の肉切れのように、それを切れ切れに裂く。」

悪を愛し、人々から剥ぎ取り尽くす指導者たち。公正と正義は消え失せている。
前回は上着だが、今回は皮、肉、骨、食らう如き搾取を強いる。(更に激化)

 

北イスラエルを滅ぼしたアッシリヤの勢いは、多大な脅威。その恐れが、アッシリヤへの朝貢となり、属国となり下がる原因である。民に重い負荷(重税)をかけ、自分たちは影響なし。南ユダは、一体何に頼るのか?

 

4節:そのため彼らがに叫んでも、主はかれらに答えない。そのとき、主は彼らから顔を隠される。彼らの行いが悪いからだ。

彼らが、表面的な礼拝をしても、主は答えない。
彼らの行動、行為が最悪の状態だからだ。(霊的位置にいない状態)


5節:預言者たちについて、はこう言われる。「彼らはわたしの民を惑わし、かむ物が歯にあれば『平和があるように』と叫ぶが、口に何も与えない者には聖戦を布告する。」

偽預言者に対する叱責。彼らは利得を優先し、利得なき場合は敵対すると布告する。
真の預言者としての自覚なし。自己中の利得優先主義。

 

6節:それゆえ、あなたがたには、夜にも幻がなく、暗闇にも占いがない。太陽も預言者たちの上に沈み、昼も彼らの上で暗くなる。

幻どころか、夜に見る幻(夢)さえ、見ることが無くなる。暗闇になって、先行きを知るための占い(託宣)、つまり神の導きの言葉もない。
太陽も・・新共同訳「預言者たちには、太陽が沈んで昼も暗くなる。」 ⇒未来が失せる。

預言者と名のる偽預言者は、ついには人生の闇を味わうことになる。

7節:先見者たちは恥を見、占い師たちは屈辱を味わう。彼らはみな、口ひげをおおう。神の答えがないからだ。

先見者、占い師(偽預言者たち)は、自分の占いが外れることで、恥と屈辱を受ける。
口ひげをおおう・・恥を受けている様子を示す言葉。


8節:しかし、私には力が満ちている。の霊によって、公正と勇気に満ちている。ヤコブにはその背きを、イスラエルにはその罪を告げる。

本物の預言者ミカ→主の霊の力。
神、そして律法への従順が、公正と正義に満ちる。それは生きる勇気を与える祝福!

利得ではなく神に信頼して生きる者の強さがある!
私たちも、聖霊をいただく身。イエス様の律法に従い、愛神愛人に満ちて生きよう!
己の利得の前に、神の義、神の愛を優先する生き方を目指そう!


自信に満ち満ちたミカは、南ユダ上層指導部の堕落を宣告する!!

9節:これを聞け。ヤコブの家のかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公正を忌み嫌い、あらゆる正しいことを曲げている。

10節:流血でシオンを、不正でエルサレムを建てている。

明らかに王を含む指導者層への言葉である。
神が期待する公正を忌み嫌い正義が曲げられている ⇒完全に神を無視!霊的堕落は異邦人!
本来なら、公正と正義で建て上げられるべきシオン、エルサレムが、流血と不正で建て上げられている。神の目には裁きの対象にしか映らない!

神の御心の把握力!

私たちの学び ⇒自らが聖書にある神の御心をしっかりと受け止め、
神様との正しい関係をつくり、教会というイエス様の身体を建て上げる!


11節:そのかしらたちは賄賂を取ってさばき、祭司たちは代金を取って教え、預言者たちは金を取って占いをする。しかもなお、彼らはを当てにして、「は私たちの中におられるではないか。わざわいは私たちの上に及ばない」と言う。

上層指導部の体たらく。
上層部では賄賂の横行!・・不正がまかり通る。
祭司が代金を取る。・・神の権威の喪失、失墜。
金銭目当ての預言者。・・預言ではなく占いをする。

それでいて主を当てにする。神は私たちの中にいると言う偽者。北イスラエルとは違う!と言う戯言。実際には、神はもう、そこにはおられない!

12節:それゆえ、あなたがたゆえにシオンは畑のように耕され、エルサレムは瓦礫の山となり、神殿の山は木々におおわれた丘となる。

神の民でありながら、神を蔑ろにする者たち。その心と行いが災いを招く。
シオン、つまり神の国は畑のように耕される。つまり、無視され荒らされる。
エルサレム、神の神殿がある場所は、荒らされ(侵略され)瓦礫の山(廃墟)となる。
神殿は破壊され、その丘に人の気配がなく、木々や植物に覆われ、埋もれてしまう。

国は攻められ、荒らされ、民は捕囚され、国を失い路頭に迷うこととなる。

 

上層指導部の裁きは良いが、なぜ下層部の国民まで裁かれるのか?
イスラエルは、民族として神と契約関係にある。 契約の民と言われる。
王制となることの問題点が、事前に神によって指摘されている。それを押して、民は王を求めた。(Ⅰサム8:6~20)
自分で考えることを放棄し、リーダーの言葉にしか反応しない状態。常にリーダーは?であり、思考して、行動する状態にない ➡ リーダーコンプレックス

2022年09月16日

ミカ4章1節~5章1節

1節:その終わりの日、の家の山は、山々のかしらとして堅く立ち、もろもろの丘よりも高くそびえ立つ。そこへもろもろの民が流れて来る。

2節:多くの国々が来て言う。「さあ、の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムからのことばが出るからだ。

3節:主は多くの民族の間をさばき、遠く離れた強い国々に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。

この個所と同じ内容の預言がイザヤ2:2~4にある。

同時期に、二人の預言者に同じ預言が与えられている。微妙な違いはあるが、神が、聴取者に対して、この預言の重要性を示す意図であったと考える。

1節:その終わりの日(その日の終わり)・・とは、メシア的王国の成就を指す。ミカは、初めにメシア的王国の成就を示している。遠未来の預言である。
「主の家の山」・・エルサレムが一番高い位置となる。それは、大患難時代に、天変地異が起こり、地形が変わり、エルサレムが一番高い山となるという意味。
更に、統治する機構(再臨のイエスの統治)があることを示している。
もろもろの民‥大患難時代を通り過ぎた異邦人たちが、そこに流れて来る。新共同訳では、大河のように民(異邦人)が流れて来る、としている。
2節:大挙して異邦人の民がエルサレムに訪れるのは何故か?目的は?
「ご自分の道を私たちに教えてくださる」・・これは主が直接、その異邦人の民に指導されるということ。彼らは、メシアを受け入れはしたが、肉の命を持った異邦人である。メシア的王国での生き方を直接彼らに指導される。
大患難時代を経た異邦人たちは、その時、実際の神を見て、心底、喜びに満ちる。
エルサレムから神のことばが出るということは、エルサレムが全世界の中心的存在となり、それは神中心の世界(神による統治世界)を示す。
神の価値観が世界に浸透して行く!

3節:主は多くの民族、国々を管理され、問題を処理され、これまでの争いはなくなる。
従って、彼らに武器は必要なくなる。その武器や、武器を造る知恵は第一次産業に    回り、食料の不足はなく、それを奪い合う争いも起こらない。

4節:彼らはみな、それぞれ自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下に座るようになり、彼らを脅かす者はいない。まことに万軍のの御口が告げる。

経済は潤沢に回り、安定した食料事情の元、各国民が「平和」の名のもとに生活する。
これは主が約束してくださるメシア的王国のことである。


5節:まことに、すべての民族は、それぞれ自分たちの神の名によって歩む。しかし、私たちは、世々限りなく、私たちの神、の御名によって歩む。

そんな王国において、異邦人は自分たちの神(都合)で歩む者も出て来るが、イスラエルの民は、いつまでもこの神の約束を信頼して歩むのだ!

メシア的王国では、イスラエル人はだれも神を裏切らない

6節:「その日―のことば― わたしは足を引きずる者を集め、追いやられた者、また、わたしが苦しめた者を呼び集める。

7節:わたしは足を引きずる者を、残りの者とし、遠くへ移された者を、強い国民とする。であるわたしが、シオンの山で、今よりとこしえまで、彼らの王となる。

その日・・とは、大患難時代を指す。(詳細に見ればメシア再臨を指す)
足を引きずる者・・迫害を受けた者と共にヤコブ(足に支障)、つまりユダヤ人を指す。
離散しているイスラエルの民の残れる者を強い国民とする。主が彼らの王となって 永遠に統治する。それは、神が約束された御国の成就を意味している。


8節:あなたは、羊の群れのやぐら、娘シオンの丘。あなたには、あのかつての主権、娘エルサレムの王国が戻って来る。」

羊の群れのやぐら・・原文では「ミグダル・エデル」で、ベツレヘム(近郊)のこと

(創35:19~21)参照
娘シオンの丘・・エルサレム

メシア的王国の時、この両地は栄光の地となる

9節:今、なぜあなたは大声で叫ぶのか。あなたのうちに王がいないのか。あなたの助言者は滅び失せたのか。それで、子を産む女のような激しい痛みがあなたをとらえたのか。

目線は大患難時代の後半期に移っている。(産みの苦しみ・・一般的に大患難時代を指す)
大声で叫ぶのは何故か?出産の痛みに似た激しい痛みの原因は何か?

王がいない!  助言者がいない!(中川先生:議官、新共同訳:参議
政策の失敗により、信頼できる上層指導部の存在(感)が無くなる。
リーダーコンプレックスの影響もあり、イスラエルの民は指標を失う。この事が、真の救い主の求めへと繋がることになるのではないか。

10節:娘シオンよ。子を産む女のように、身もだえして、もがき回れ。今、あなたは町を出て野に宿り、バビロンまで行く。そこで、あなたは助け出される。そこで、があなたを敵の手から贖い出される。

イスラエルの民は虐殺され、更に連行、捕囚されて行く。
その地は、バビロン(黙示録:大きな都バビロン)。当時の世界の中心地。
多くの異邦人国家がユダ・イスラエルを攻める。

町、家々は荒らされ、婦女は犯され、町の半分の人が捕囚されるが、半分は残る。➡ゼカ12:2~5、ゼカ14:1~2 
その時、主がイスラエルの民を敵の手から守られる

10節~5章1節にかけて、ハルマゲドンの戦いの状況が語られている

11節:今、多くの国々があなたに敵対して集まり、そして言う。「シオンは汚されるがよい。われわれはこの目でじっとそれを見ていよう」と。

異邦人諸国が反キリストの号令の下、メギドの平原(イズレエルの谷)に集結し、イスラエルに攻め上る。→シオンが、滅びと言う恥辱を受ける目撃者となるために。

12節:しかし彼らはの御思いを知らず、その御計らいに気づかない。主は、打ち場の麦束のように彼らを集められたのだ。

その異邦人諸国は神の最終的なご計画に気付いていない。結局、異邦人諸国の集結は、神の裁きのためである。


13節:「娘シオンよ、さあ、脱穀せよ。わたしが、あなたの角を鉄とし、あなたのひづめを青銅 とする。あなたは多くの国民を粉々に砕き、彼らの不正な利得をのために、彼らの財宝を全地の主のために聖絶する。」

異邦人諸国にたいして果敢に戦いに応じるイスラエル。神はイスラエルを励まし、神の民はその存在意義を示そうとして戦うのだが・・。
ミカの時代は、神の民としての意味が重要。


5章

1節:今、軍勢をなす娘よ、勢ぞろいせよ。包囲網が私たちに対して設けられた。彼らは、イスラエルをさばく者の頬を杖で打つ。

しかし、残念なことにイスラエルの軍は、完全に包囲されてしまい、敗戦する。
敵がイスラエルの管理者の頬を杖で打つ。→古代中近東の勝利を意味する象徴的行為。

ハルマゲドンの戦い(大患難時代)において、最終的に名ばかりの神の民が生き残ることはないことが示されている重要な預言である。

2022年09月22日

ミカ5章2節~15節

2節:「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」

「ベツレヘム・エフラテ」‥ユダの山地にあるベツレヘム。イエス様出生の地。
ベツレヘムはゼブルン族の地にもある。エフラテという言葉が付くことで区別。
5章1節では、「イスラエルをさばく者」をエルサレムと見て、対照的にベツレヘムに救い主メシアが生まれることを示している。→壊滅的破壊の中に神は希望を示されている。
それが、メシアの誕生であり、更に出生地を示すことで、より具体性を示している。
メシアの出生は、昔から定まっている決定事項。→メシアの神性と人性の表現

神の民はその恵みに与れるということを認識させている

3節:それゆえ、彼らはそのままにしておかれる。産婦が子を産む時まで。そのとき、彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰る。

彼ら→イスラエルの民を指す。
産婦が子を生む時まで→これはメシアの出生を言っているのではない。
イスラエルの民が真の信仰に立ち返ることを、お産(産みの苦しみ)に例えている。
そのとき、→真の信仰に立ち返ったとき、の意。彼の兄弟→ユダ族の兄弟部族の意。つまり、イスラエルの残れる者と共に、皆が一つになるということ。

この時、メシア(再臨のイエス様)が地上に降りて来られる
ボツラでの出来事が暗示されている!

4節:彼は立って、の力と、彼の神、の御名の威光によって群れを飼う。そして彼らは安らかに住まう。今や彼の威力が、地の果ての果てまで及ぶからだ。

彼→メシア(再臨のイエス様)を指す。
そのメシアによる統治の世界が始まる。メシアがイスラエルの民の真の牧者となる。
メシア的王国の成就である。
神による、真の平安な世界が実現する。
主の権威が全世界におよび、主の栄光が全人類に輝き渡る。


5節:平和は次のようにして来る。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対抗して七人の牧者、八人の指導者を立てる。

6節:彼らはアッシリアの地を剣で、ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの領土に踏み込んで来るとき、彼は、私たちをアッシリアから救い出す。

メシア的王国の成就までのプロセスが語られる。
アッシリア・・反キリストの軍勢。その軍勢がエルサレムを占拠し、更に宮殿、神殿を踏みにじる時、神の民には対抗するリーダーが立てられる。
これまでリーダーが不在だったような民にしっかりとしたリーダー(牧者(内)、指導者(外))が、完全な状態で立つ。[七は完全数、八はそれ以上と考えられる]戦うというより、導く存在となるのではないかと考える。
ニムロデの地・最初の帝国主義・・アッシリヤの地・反キリストの本拠地:同義である。
帝国主義(人間統治)の消滅を示す。アッシリヤ(反キリスト)を打つのはイエス様。
その後イスラエルの民がアッシリヤ(異邦人諸国)を管理することになる。


7節:そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、のもとから降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みを置かず、人の子らに期待をかけない。

イエス様の力により、イスラエルの民は、大患難時代の最後において、神に信頼する民となったことを目撃する異邦人の善き手本となる選民としての働きが成就。

 

8節:ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎるときには、踏みにじり、かみ裂けば、助け出す者はいない。

一方、イスラエルの恥を見たいと願って争った異邦諸国にとっては、イスラエルの民の主が、徹底的に裁かれる。助ける者はいない。反キリストも助けにならない。

 

9節:あなたが敵対する者に向けて御手を上げると、あなたの敵はみな絶ち滅ぼされる。

神は、イスラエルに敵対する者に御手を上げ、それらの敵は皆、滅ぼされる。


10節:「その日―のことば―わたしはあなたのただ中から、あなたの馬を滅ぼし、戦車を打ち壊し、

11節:あなたの国の町々を絶ち滅ぼし、要塞をみな破壊する。

12節:わたしはあなたの手から呪術者を断ち、占い師をあなたのところから絶やす。

13節:わたしは、あなたのただ中から、刻んだ像と石の柱を断ち切る。あなたはもう、自分の手で造った物を拝まない。

14節:わたしは、あなたのアシェラ像をあなたのただ中から根こそぎにし、あなたの町々を滅ぼし尽くす。

15節:わたしは怒りと憤りをもって、わたしに聞き従わなかった国々に復讐する。」

敵国がどのように滅ぼされるかが語られる
敵国の軍隊を壊滅させる。武器や争う道具は完全に消え失せる。
国の町々、要塞を全て破壊する。武装の必要がない状態になる。
呪術者、占い師は完全に断ち滅ぼされる。信頼すべきは神のみである。
偶像礼拝を完全に排除する。当時はアシェラ、大患難時代は反キリストである。

神に信頼しない者には、獅子が噛み裂く如き厳しい裁きが下る。
それまで信頼していたものが音を立てて崩れて行くことになる

2022年09月28日

ミカ6章1節~16節

1節:さあ、の言われることを聞け。立ち上がれ。山々に訴えよ。もろもろの丘にあなたの声を聞かせよ。

2節:山々よ、聞け。の訴えを。変わることのない地の基よ。がご自分の民を訴え、イスラエルと論争される。

全地を法廷とし、今神がご自分の民を訴える。
証人は山々、もろもろの丘、地の基。人間と較べると不動の存在。
だからイスラエルの民よ!神の言われることに反論してみよ!

被造物の中で、人間は良く変化する存在である。それは心の問題。
法廷と言う状況に置くことで、民の客観的な判断が期待できる。

3節:「わたしの民よ、わたしがあなたに何をしたというのか。どのようにしてあなたを煩わせたというのか。わたしに答えよ。

わたしがあなたに何をしたというのか。どのようにして煩わせたというのか。
全知全能なる神が、ここまでへりくだって、民に尋ねている姿に注目!
契約の神は、自らの責務を果たす。問題は人間側の責務が果たされていない。
人はその実行が出来ず、その度に神は助けの手を差し伸べられている。
その助けの手にも気づかない人間を、神は問い詰めておられる!

神は、その愛をもって、間違いなく人を救いに導こうとされている。

4節:わたしはあなたをエジプトの地から上らせ、奴隷の家からあなたを贖い出し、あなたの前にモーセと、アロンと、ミリアムを送った。

5節:わたしの民よ、思い起こせ。モアブの王バラクが何を企んだか。ベオルの子バラムが彼に何と答えたか。シティムからギルガルまでに何があったか。それは、あなたがの正しいわざを知るためであった。」

神が良くしてくださったことを提示される。
出エジプトの出来事:奴隷からの解放

モーセ、アロン、ミリアムの存在:神の民としての在り方
モアブの王バラク、ベオルの子バラムの出来事:呪いを祝福に変えた
シティムからギルガルまで・・:40年間の荒野放浪の時の御業
神はイスラエルの民を選ばれ、契約を結び、手を差し伸べている。
しかし、民は的外れな(罪)応答しかできない!

6節:何をもって、私はの前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のささげ物、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。

7節:は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の背きのために、私の長子を、私のたましいの罪のために、胎の実を献げるべきだろうか。

神の御前にどのようにひれ伏そうか。1歳の子牛の全焼のささげ物がいいのか?
それとも、あの怒りには幾千の雄羊、幾万の油か?
それとも、わたしの胎の実である長子を捧げなければならないのか?

偶像礼拝の思想に浸っている姿が見える
神の怒りに対する民の応答は、全く神の期待に反している
神の怒りのポイントがここにある!正義と公正は何処へ行ったのか?

8節:主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。

6章の注目すべきことば!神の期待を代弁するミカ!

神があなたがたに、示して、教えてきたことは、正義と公正を守ること!
人がなすべき善きことは、公正と誠実 ➡ 律法に従い、歩むこと
神の期待していることは、へりくだって、神と共に歩むこと ➡ 神を恐れ、全信頼を置き、常に、正義の道を歩む
現代は「神を愛し、隣人を愛せよ」であり、いつの時代も公正と正義の実践は変わりがない!

9節:の御声が都に向かって叫ぶ。 ―あなたの御名を恐れることは英知だ― 「聞け、杖のことを。だれがその都を指定したのか。

都・・エルサレム(南ユダ)に向かって神が語られることば。
主を恐れることは知恵のはじめであり、それをミカは、英知であると言う。
そんな素晴らしい英知をあなたがたは受け取らず蔑ろにしているのだ!

杖(牧する者・権威)のことを。➡ 杖は権威の象徴であることから、神が指摘することを聞け!となる。
だれが都を指定したのか。➡ 神は都を指定した権威あるお方

⁂新共同訳:「聞け、ユダの部族とその集会よ」(その他の聖書の訳はこちらが多い)

10節:まだ、悪しき者の家には、不正の財宝と、のろわれた升目不足の升があるではないか。

11節:不正な秤と、欺きの重り石の袋を、誤りなしとすることが、わたしにできるだろうか。

10~15節までは、特に商人(不正をする者)に対する指摘と見る。(上層部)
神が実際に采配を振るう時期(アッシリヤ捕囚)に至っても、不正はある。
不正の升で商売し、不正な財宝を所有し、ため込んでいる者たち。
律法を無視する彼らの不正の秤、欺きの重り石を、神は見逃しはしない!


12節:富む者たちは不法で満ち、住民は偽りを言う。彼らの口の中で舌が欺く。

不正をして、豊かになる。人々は、その不正の利得を隠し、虚偽を示す。
豊かな者もそうでない者も、それぞれに嘘をつきまくる。

自己中心的な考え方が蔓延 神が嫌悪する人々の心 正義と公正の欠如

13節:わたしも、あなたを打って痛めつけ、あなたの罪のゆえに荒れ果てるままにする。

おまえたちが自己中で、神に応答するから、神はそれにふさわしい応答をする。
それは、・・神の祝福がない状態となる。→至るところに神の恵みがあったのに。

 

14節:あなたは食べても満ち足りず、あなたの腹は飢える。取っておいても保つことはできず、保っていたものは、わたしが剣に渡す。

食卓に満足感がない。経済的に回復しない状態。
取っておいたものの一つは、この世の名声、権威など。これらは神の前では無に等しい。もう一つは、物質的なもので、それらはすべて断罪され処分される。


15節:種を蒔いても、刈ることがなく、オリーブを搾っても、油を身に塗ることがない。新しいぶどう酒も、それを飲むことがない。

神の裁きが下れば、いくら生産しても生産物が収穫できない状態となる。
仮に収穫して加工しても、自分たちが使うことはできない。奴隷状態。

16節:あなたはオムリの掟と、アハブの家のすべての慣わしを守った。あなたがたは、彼らのはかりごとに従って歩んだ。それは、わたしがあなたを恐怖のもととし、住民の嘲りの的とするためだ。あなたがたは、わたしの民へのそしりを負う。」

オムリ・・北イスラエルの悪王(二ツ星)。金の子牛の礼拝を用いた王。

     Ⅰ列16:25~26
アハブ・・北イスラエルの悪王(三ツ星)。イザベラと組んでバアル礼拝を奨励。

     Ⅰ列16:30~33

新共同訳:お前はオムリの定めたこと アバブの家のすべてのならわしを保ち そのたくらみに従って歩んだ。そのため、わたしはお前を荒れるにまかせ 都の住民を嘲りの的とした。お前たちはわが民の恥を負わねばならぬ。

南ユダの上層指導部(王も含む)たちに語り掛ける神のみことば。
オムリやアハブのとった行動に従うようにされたのは何故か?
自分たちで、偶像を選択したと思っているだろうが、実は神がそう導いた。
あなたが恐怖の元となり、住民を嘲りの的とするためである➡気付きの促し
この結果をもたらした者としてあなたがたはそしりを受けることになる➡これは近未来に確実に起こるバビロン捕囚を語っている。

2022年10月05日

ミカ7章1節~10節

1節:ああ、なんと悲しいことだ。私は夏の果物を集める者のよう、ぶどうの取り残しの実を取り入れる時のようになった。食べられる房は一つもなく、私の好きな初なりのいちじくの実もない。

「ああ、」絶望的、最悪の状態を見て、思わず漏れることば。
夏の果物を集める・・とは、残りの物を集めるという意味か。→新共同訳では、「わたしは夏の果物を集める者のように、ぶどうの残りを摘む者のようになった。」と訳されている。

この果実畑は?➡イスラエルの国を指している
となると、果実は?➡ぶどうも初なりのイチジク(おいしいらしい)もない。→つまり、真の信仰者である残れる者が全くいない状態を示している!
今、ミカが語っているビジョンは、携挙が終わった後の患難時代である

2節:敬虔な者はこの地から消え失せ、人々の間に、心の直ぐな者は一人もいない。みな血を流そうと待ち伏せし、互いに網をかけ合って捕らえようとする。

敬虔な者はこの地から消えて居ない。(滅びる、消滅する)人々の中に「義」なる者は存在しない状態となる。➡「携挙」発動直後の状態
世界には自己中心的な思いがはびこり、それは互いに人を殺し合い、捕囚するような時代である。
明らかに、国同士の争いが起こり、敵を殺し、捕虜とするようなことが日常の世界。


3節:彼らの手は悪事を働くのに巧みで、役人もさばき人も賄賂を求める。有力者は自分の欲するままを語り、こうして事をねじ曲げている。

4節:彼らのうちの善良な人も茨のようだ。心の直ぐな者も茨の生け垣に劣る。あなたを見張る者の日、あなたの刑罰の日が来る。今、彼らに混乱が起きる。

地上に残った者たちの手は悪事を行うのに秀でて、不正を取り締まる役人や 裁判官などが法の網をくぐり、賄賂を求めて不正を平気で行う。
有力者、すなわち影響を与えるような存在感のある人物も、好き勝手なことを語り、神には触れず、嘘を真実のように語る。
善良な人、正しい人も肉的なもので、彼らに隣人愛のかけらも無く、霊的価値の無い存在となり、こうして刑罰の日(DKNJ)が来る。(心の直ぐな者はいない)
神の裁きであるDKNJは、速やかに訪れる。そして、その裁きを見た者は大混乱することになる。


5節:あなたがたは友を信用するな。親しい友も信頼するな。あなたの懐に寝る者からも、あなたの口の戸を守れ。

6節:子は父を侮り、娘はその母に、嫁はその姑に逆らい、それぞれ自分の家の者を敵とする。

相互の信頼関係が壊れる世の中になる。殺伐とした、利己的社会。
それは、夫婦の間でもそのようになる。
親子関係が崩れ、家族関係が崩壊。
互いが敵であるかのような疑心暗鬼な社会。

➡おもに内面的、霊的な崩壊が取り上げられている。解決策はイエス様!
つて中国で、小さな子供が親の反共主義を告発し、親は処罰され、政府はその子を称え上げた➡見習いましょうと!
公正と正義、つまり愛のない世界は、殺伐とした荒野に一人生きるようなもの

7節:しかし、私はを仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の言うことを聞いてくださる。

「しかし!」・・・絶望の中に光る希望。信頼が生み出す活力。決して衰えぬ信仰心。
「私」とは、ミカであり、またイスラエル民族の代表的な表現。更に言うなら、イスラエルの残れる者、真の信仰者を指すと考えられる
「待ち望む」・・・ボーっとではない。絶対に救いがあると確信して待ち望む信仰心。
「私の神は・・・」が新共同訳では「わが神は、わたしの願いを聞かれる。」
私たちの待ち望む姿勢を、今一度吟味してみよう!ミカのように、パウロのように!

8節:私の敵よ、私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がる。私は闇の中に座しても、が私の光だ。

ミカは、患難時代の裁きについて、その原因を知り、また、悔い改める者が出ることを 信じている。これは確信に満ちた信仰の表明である。その信仰が言わせる言葉。
私の敵よ➡これは、勝利を目前にして喜ぶ、イスラエルの敵に対してのことば
闇の中に座しても、主が私の光だー! それはシャカイナ・グローリーとの一体感!
恵みの時代の私たちにとってシャカイナ・グローリーとは、光なるイエス様!私たちの希望!
神の子、光の子として、この信仰心を持ち続けようではないか!

これこそが、神が私たちに期待している真の信仰者、礼拝者。
神の絶対的主権を認め、全幅の信頼を置く信仰を確立しよう!ハレルヤ!

9節:私はの激しい怒りを身に受けている。私が主の前に罪ある者だからだ。しかし、それは、主が私の訴えを取り上げ、私を正しくさばいてくださるまでだ。主は私を光に連れ出してくださる。私は、その義を見る。

DKNJという史上最大の裁きの渦中の状態。その原因をミカは知る。
その裁きは甘んじて受けなければならない。
最終的にイスラエルの民がイエス様を求めることで、民は義とされる。
「光に連れ出してくださる。」S/G(神の栄光)の元へ・・メシア的王国へと導いてくださる。(私たちのS/Gとは、キリスト・イエス!)
「私は、その義を見る。」・・イエス様の姿が現れる。神の義なる世界が目前に広が


10節:私の敵はこれを見て恥におおわれる。彼らは、私に向かって「あなたの神、は、どこにいるのか」と言った者たちだ。私の目は、確かに見る。今に、敵は道の泥のように踏みつけられる。

かつて「あなたの神、主はどこに・・・」と嘲った敵は、メシアを目の当たりにして、驚愕する。信じられないことが起こったからだ!
実際には、DKNJの最終局面であるメシアの再臨を指していると考えられる。

再臨のイエス様がその力を示されるとき、敵は真の恐れを体験することになる。
ミカは確実な勝利を見せられている。これはミカにとっては事実である。
アッシリヤの如き大国が、あっと言う間に主に打たれる映像が、未来と重なる。
ミカは叫んでいる!私のように、神に信頼せよ!神は本物であり、真実であり、現実である!

2022年10月19日

ミカ7章11節~20節

11節~13節まで「」はないが神のみことば


11節:あなたの石垣を建て直す日、その日、国境が広げられる。

バビロン捕囚後の神殿再建と思われがちだが、16~17節に結びつかない!
このことばは、メシア的王国を指す。DKNJ以後の回復、拡張を示している
この11節に至る「DKNJ」の部分が、まだ表現されていない。(イザヤ28:14~22に記載がある)

12節:その日、アッシリアとエジプトの町々から、エジプトから大河まで、海から海まで、山から山まで、あなたのところに人々がやって来る。

この個所と同じ表現をする箇所がイザヤ書にある。イザヤ11:11~16
離散していたイスラエルの民が集められ、その地に住まう。(人々とはイスラエルの民)
イザヤ27:13、ホセ11:11、ゼカ10:11~12

13節:しかし、その地は、そこに住む者たちのゆえに、彼らの行いの実によって荒れ果てる。

しかし、その地は、・・・→しかしその前に、その地は、・・・と言う意味合い。

11~12節でメシア的王国の成就を、神は示された。そして13節で、そこに至るまでの状況つまり、10節の「敵を泥のように踏みつける」事態であることを示していると見る。
彼らの行いの実とは、イスラエルの民の罪。
メシア的王国が立つ前に、イスラエルの罪により、地上のすべてが荒廃する。
イスラエルの罪のせいであり、そのことについて、既にミカは9節で述べている。

14節:どうか、あなたの杖で、あなたの民を、あなたのゆずりの群れを牧してください。彼らは林の中、果樹園の中に、ひとり離れて住んでいます。どうか、彼らが昔の日のように、バシャンとギルアデで草をはむようにしてください。

林の中、果樹園の中、と言う表現は、メシア的王国の建つ以前、イスラエルの民は離散の状態であることを示している。離散したイスラエルの民を、あなたが集め、牧してください。あの繁栄していた時のように。どうか彼らが、豊かな土地で豊かに育まれますように、という意味。
この時ミカは、かつてのイスラエルの繁栄の時、ダビデ、ソロモンの時のように、北から(バシャン)から南(ギルアデ)まで、つまり、土地の回復と約束の地を見ている。


15節:「あなたがエジプトの地から出た日のように、わたしは奇しいわざを彼らに見せる。」

あなたが・・神に信頼する者たち、残れる真の信仰者たち。
彼らに・・異邦諸国(異邦人たち)に神は、御業を示される。
その御業は、出エジプトの時の如く、支配されていた国から解放されるように、全てにおいて、不思議なわざを示される。
イスラエルの民は、神に立ち返る。(イエス様に信頼する生き方に変わる)


16節:諸国の民は見て、自分たちのすべての力を恥じ、手を口に当て、彼らの耳は聞こえなくなります。

あなたの神は何処にいるのか?と嘲った諸国の民(反ユダヤ主義者たち)は、大いなる恥を見る。
あまりの事実の凄さに、何も言えなくなる状態。
彼らの耳は聞こえなくなる。・・と言う裁きか?


17節:彼らは、蛇のように、地を這うもののように土をなめ、震えながら自分たちの洞穴から出て来ます。そして、私たちの神、のみもとで、おじ惑い、あなたを恐れます。

裁きを恐れる異邦人諸国。蛇(サタン)に従っていたことを暗示しているようだ。
真の神の存在を知ったとき、悔いと悲しさ、虚しさに襲われる。マタイ25:31~34

18節:あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは咎を除き、ご自分のゆずりである残りの者のために、背きを見過ごしてくださる神。いつまでも怒り続けることはありません。神は、恵みを喜ばれるからです。

ミカの名前の意味は?・・・「ミカイヤ」の短縮形で、「誰が【主】のようであろうか」
「あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。」・・は、自分の名前と掛けている。
これは、言葉遊びと言うよりも、ミカの人生を掛けて証しているミカの思い!
ミカの人柄が見えてくる。
エジプト脱出後、モーセも出15:11で語っている。真の信仰者を目指そう!
神は必ず最後に、神の民として、残れる者を祝福される。決して怒り続けない神!
私たちの神は、恵みを与えることを喜ばれる神!

19節:もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ込んでください。

10節で「敵は…踏みつけられる」とあり、また15節で神が語られた「あなたがエジプトの地から・・・」のことばの背景にある、エジプト軍が海の底に沈んだ大事件を思いつつ、全てはイスラエルの民の回心のためであることをミカは知ったうえで、神に祈っている。

敵を倒すというよりも、裁きを通して、イスラエルの民が、神の期待に応え、神の民、

真の信仰者として立ち返ることが最も重要。
ミカは契約の存在を認識している

20節:昔、私たちの父祖たちに誓われたように、ヤコブにまことを、アブラハムに恵みをお与えください。

ミカは、神のご人格も、そしてその御心(ご計画)をも、よく把握していた。
神は約束を守られるお方。ヤコブに約束され、そしてアブラハムに契約を示された。
出エジプトはアブラハム契約の結果であり、最終的にはDKNJ後に、その契約が果たされることになる。すべての契約が、そのときに成就するということ。
ミカは、心の底から、真の恵みがイスラエルの民に与えられることを祈ってやまない。

ミカはメシア的王国が来ることを見せられ、その到来を確信している。
私たちの信仰は、こうした預言者たちの証言、そして新約の使徒たちの証言に信頼し、

神を100%信頼する。

2022年11月01日

ハガイ1章1節

ハガイの名前は、ヘブル語の「祭り(ハグ)」から来たもの。父親は不明。
活動場所はユダ、エルサレムで、同時代の預言者は、ゼカリヤ。
活動期間は、「ダレイオス王の第二年」の3~4か月間。書自体も旧約では2番目の短さ。
「ダレイオス王の第二年、第六の月の一日」とは、BC520年である。

ペルシャの王キュロスのあと、カンビュセス2世、そしてこのダレイオス大王となる。
キュロス王がバビロン捕囚からの解放と神殿再建を許可!
「ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主のことばが成就するために、主はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした。」 エズラ記1:1より


・ハガイを通じて、神が語った相手は・・・
シェアルティエルの子ゼルバベル 総督 ⇒ 王族:政治活動担当
エホツァダクの子ヨシュア 大祭司 ⇒ 祭司:霊的指導担当
(エズラ3:2、5:2に記載あり エズラ、ネヘミヤ記は捕囚解放後の記録である

 


バビロン捕囚に関わる聖書

預言書による近未来預言のバビロン捕囚であるが、その捕囚期間中、そして解放後について記されている書が、エズラ記、ネヘミヤ記、そしてエステル記である。
エレミヤ書には29:10において、『バビロンに70年が満ちるころ、・・』という記載があり、捕囚からの解放を預言している。預言者ダニエルもその書9:2でそれを認識していることが分かる。

 

では、捕囚期間の考え方は・・・二つの起点が考えられる。

 

捕囚解放から神殿建設までの経緯

イザヤ書44:28~45:13の預言 ⇒ キュロス王を用いてバビロン捕囚解放を預言している。イザヤの時代にすでにキュロス王の名が出ていることは、驚愕的事実。
エルサレムが陥落してから48年経過したBC538年にペルシャの王キュロスがバビロンを攻め(無血制圧)、同年、イスラエルの民にエルサレムへの帰還と神殿再建の許可が出された。
キュロス王は異邦人(ペルシャ人)でありながら、イスラエルの民を捕囚から解放し、神殿再建を許可する、神に用いられた人物。彼はエルサレム神殿再建のため、バビロンが略奪した宝物も解放して提供した。

キュロス王について①
Ⅱ歴36:22~23、イザヤ44:28、45:1~8、エズラ1:1他
預言書と言う観点から、注目しよう。
・メディア王国に属する小国の王が、後にメディア王国を倒し、アケメネス朝ペルシアの初代王として立つことになる。バビロンと異なる政治姿勢は、公正という点で特筆すべき点である。
・イザヤ書が書かれた時期はおよそ100年前であり、バビロン捕囚は勿論のこと、このキュロス王についても、名を上げて預言している。
・彼(BC600年頃 - BC529年)は、この地に生まれる前から神に用いられることが決まっていた。特に、「油注がれた者」と言う表現は、「救世主」と同じ語源であり、異邦人に用いられることは極めて珍しい。聖書に記載される記憶すべき異邦人である。
詩編139:13~

「あなたこそ 私の内臓を創り母の胎の内で私を組み立てられた方です。~」 

 

キュロス王について②

歴史的発見→キュロス・シリンダ(キュロスの円筒)・・・キュロス王に関する記録。
1879年、イラク(バビロン)にて発見された。

・ある民族が故郷に帰還し、また「聖なる街」の再建を許可したと記されている

キュロス王のこうした開放的な行動は、周囲圧制するバビロン方式ではなく、友好的、協調的関係を築く方式という彼の政治スタイルであったとされる。

神は、彼の気付かぬところで働かれ、結局神のみこころを行う結果となった。

 

 

ハガイ書を学ぶ上で

・長年のバビロン捕囚という経験から解放されたことは、出エジプトの経験に似る。
・モーセの時のような物理的奇蹟ではないが、人を動かす御業は奇蹟である。70年と言う期間も絶妙なのかもしれない。
・徐々に捕囚と言う身分に慣れて行く民を、神は放ってはおられなかった。
・これは神の想定内で、ペルシアのキュロス王を用いて神の民としての道へと導かれる。
・捕囚解放後の、民の立ち直りについて、神はその愛とあわれみをもって声をかけてくださる。その深い愛、約束に対する忠実さを感じ、絶対的信頼を持たずにはいられない。
・バビロン捕囚と言うイスラエルへの厳しい裁きの後、神は民をどのように回復されてゆくのか。またその後、民がどのような変化を見せるのかについて、私たちは見ておく必要がある

2022年11月18日

ハガイ1章2節~15節

2節:万軍の主はこう言われる。「この民は『時はまだ来ていない。主の宮を建てる時は』と言っている。」

3節:すると預言者ハガイを通して、次のような主のことばがあった。

4節:「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住む時だろうか。」

5節:今、万軍の主はこう言われる。「あなたがたの歩みをよく考えよ。

6節:多くの種を蒔いても収穫はわずか。食べても満ち足りることがなく、飲んでも酔うことがなく、衣を着ても温まることがない。金を稼ぐ者が稼いでも、穴の開いた袋に入れるだけ。」

7節:万軍の主はこう言われる。「あなたがたの歩みをよく考えよ。

8節:山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、栄光を現す。―主は言われる―

9節:あなたがたは多くを期待したが、見よ、得た物はわずか。あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。それはなぜか。 ―万軍の主のことば― それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがそれぞれ、自分の家のために走り回っていたからだ。

10節:それゆえ、あなたがたゆえに、天は露を滴らすのをやめ、地はその産物を出すのをやめた。

11節:わたしはまた、日照りを呼び寄せた。地にも山々にも、穀物にも新しいぶどう酒にも油にも、地が産み出す物にも、また人にも家畜にも、手によるすべての労苦の実にも。」

12節:シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアと、民の残りの者すべては、彼らの神、主が預言者ハガイを遣わされたとき、彼らの神、主の御声と、ハガイのことばに聞き従った。民は主の前で恐れた。

13節:主の使者ハガイは主の使命を受けて、民にこう言った。「わたしは、あなたがたとともにいる ―主のことば。」

14節:主が、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルの霊と、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアの霊と、民の残りの者すべての霊を奮い立たせたので、彼らは自分たちの神、万軍の主の宮に行き、仕事に取りかかった。

15節:それは第六の月の二十四日のことであった。ダレイオス王の第二年、

 

2022年11月23日

ハガイ2章1節~9節

1節:第七の月の二十一日に、預言者ハガイを通して、次のようなのことばがあった。

2節:「シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアと、民の残りの者に次のように言え。

神の御声が発せられた月の翌月21日に、更にハガイを通して神のみことばがあった。
それは総督、大祭司、そして民の全員に向けられた言葉である。


3節:『あなたがたの中で、かつての栄光に輝くこの宮を見たことがある、生き残りの者はだれか。あなたがたは今、これをどう見ているのか。あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか。

捕囚前の、ソロモンの神殿(第一神殿)を見たことがある者に聞け!その時の神殿と再建中の神殿を想像する時、その思いはどうか?
あまりに貧弱で、無いに等しく思うだろう。(経済的支援が乏しく、かつての神殿のような建設は無理!)

神殿再建に取り掛かっては見たものの、その出来の貧弱さに失望している様子が見える
内・外部から、昔の神殿に較べれば、何と貧弱な!と言われると思うと、士気が失せる。

周囲の諸国に対しても、威厳のある感じがしないのでは・・とか

4節:しかし今、ゼルバベルよ、強くあれ。 ―のことば― 

エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ、強くあれ。この国のすべての民よ、強くあれ。 

 ―のことば― 

仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。 ―万軍ののことば― 

神は、総督ゼルバベルと大祭司ヨシュア、そして民を激励する。
「強くあれ!」と、それぞれに言葉をかけて励ます。
意気消沈しそうな皆を回復させることが、最優先事項であった。まず、神の民としての心のリセットを行うことが、神のご計画である。
周囲の声を気にせず、仕事に取り掛かれ!神の民としてのアイデンティティーを忘れるな!誰あろう、神であるわたしが、あなたと共にいるのだから!

5節:あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊はあなたがたの間にとどまっている。恐れるな。』

エジプトから出てきたときに結んだ契約・・・シナイ契約・・出エジ19:5~6参照。
わたしの霊はあなたがたの間にとどまっている。・・・民11:16~17、25参照。
恐れるな!とは、そういう内・外部の声にたじろがず、また、建物の外見にもこだわらず、ただわたし(神)に信頼し、わたしのために神殿再建をせよ!という、強烈な励まし。

こうして徐々に、神は民の心を一新して、神に信頼する思いを芽吹かせている。
神の民としてのアイデンティティーを、神殿再建のように、神は建て上げている。

6節:まことに、万軍のはこう言われる。『間もなく、もう一度、わたしは天と地、海と陸を揺り動かす。

7節:わたしはすべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。 ―万軍のは言われる―

神はゴールのイメージを明確にされる。(目的意識の明確化)
天と地、海と陸を揺り動かす。・・・これは大患難時代を指している。
この天変地異は世界を揺り動かし、究極の裁きが行われる。
その後のメシア的王国において、国々からこの神殿に宝物がもたらされる。
神殿には、神の栄光が満ち溢れる。それがメシア的王国である。

だから、建設中の神殿がソロモンの神殿に劣ろうとも心配することはない!
先ずは、その先駆けとしてお前たちが神の民であることをしっかり意識せよ!

8節:銀はわたしのもの。金もわたしのもの。 ―万軍ののことば―

9節:この宮のこれから後の栄光は、先のものにまさる。 ―万軍のは言われる― 

この場所にわたしは平和を与える。 ―万軍ののことば。』」

銀はわたしのもの。金もわたしのもの。・・・神と言う存在は、それらの世の富の上に君臨する絶対的主権者である。
大事なことは、豪華さや富ではなく、神の存在である!それらは、後について来るのだから。
この再建中の神殿の後の栄光・・メシア的王国
「先のもの」にまさる・・「ソロモンの神殿」よりまさる!
この争いの場所にわたしは真の平和を実現する!

この地上に神の王国が、イエス様により成就する!
「万軍の主は言われる」、「万軍の主のことば、」を何度も繰り返すハガイ。
今、神は緊急性をもって民の意識改革、目的意識の確立を図っている

2022年12月01日

ハガイ2章10節~23節

10節:ダレイオスの第二年の第九の月の二十四日、預言者ハガイに次のようなのことばがあった。

11節:「万軍のはこう言われる。律法について、祭司たちに尋ねよ。

12節:人が聖なる肉を自分の衣の裾に入れて運び、その裾がパンや煮物、ぶどう酒や油、またはどんな食物にでも触れた場合、それは聖なるものとなるか。」祭司たちは「否」と答えた。

13節:そこでハガイは言った。「もし死体によって汚れた人が、これらのどれかに触れたら、それは汚れるか。」祭司たちは「汚れる」と答えた。

同年9月24日に、ハガイを通して、祭司たちに神のことばがあった。それは、律法に関する質問。祭司には民に律法を教え、指導する役割があった。

 

「聖」と「汚れ」の転移についての質問


14節:それに応じてハガイは言った。「この民も、この国も、わたしにとってはそれと同じ。 ―のことば― 彼らの手が作ったすべての物もそれと同じ。そこで彼らが献げる物も汚れている。

レビ6:25~29を参照

人(祭司以外)が聖なる肉をどうこうしても、何の役にも立たない!民は正式な手順(神に近づく方法)を忘れていた。

民数記19:11~22を参照

死人に触れれば汚れ、その人が触れるものは、すべて汚れる!汚れている者が作り出すものすべてが汚れる。それは神が受け取れるものではないことを知らない。

神の民ではなく、まるで異邦の民と同じ状態だったことを指摘
祭司に問うことで、その指導責任について再考させている 民全体の問題

15節:さあ今、あなたがたは、今日から後のことをよく考えよ。の神殿で石が積み重ねられる前、

16節:あなたがたはどうであったか。二十の麦束が積んであるところに行っても、あるのは十束。ぶどう酒五十杯を汲もうと石がめに行っても、あるのは二十杯。

「今日から後のこと」の原語「マーエラー」の解釈について。
「今日以前」と「以後」の両方の訳ができる。新改訳、新共同訳は後者を採用している。
 中川先生は文脈から前者を採用。
「今日から以降、よーく考えなさい。(心に据えておきなさい)」

土台が完成後、神殿再建が中断した14~15年間のことについて思い返してみよ!
畑の収穫激減20の麦束の予定が10束の収穫50%減!
ぶどう酒の収量激減50杯の予定が20杯の収量60%減! 

17節:わたしはあなたがたを、あなたがたの手が作ったすべての物を、立ち枯れと黒穂病と雹で打った。しかし、だれ一人わたしに帰って来なかった。 ―のことば― 

収穫減の原因は、神の怒りによるものである。
農作物を立ち枯れと黒穂病と雹で打った。実は気付きの促しだった
あなたがたは気付かなかったよね!

決して、民が全滅するような被害ではないところに、神の民を思う愛がある。
この事に気付かない祭司たちと民。これが神が言われる、異邦人化して死んだ民
こうした異邦人化したともいえる民の心を、神は一新して建て上げようとしておられる。
民は思ったに違いない!あの黒穂病も雹もすべて神のなされた事だったのか~と。
改めて、自然を支配されている神の存在に気付いたに違いない!

18節:さあ、あなたがたは今日から後のことをよく考えよ。第九の月の二十四日、の神殿の基が据えられた日から後のことをよく考えよ。

19節:種はまだ穀物倉にあるのか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木は、まだ実を結ばないのか。今日から後、わたしは祝福する。」

「今から先、よく考えよ!(どうあるべきかを)」と再度語られる神。        

(中川先生の解釈ならば、以前のことをよく考えよ。そしてこれからどうするかを・・)
この9月24日の今日、神殿基礎完了から以降のことをよーく考えてみよ!
これは、心して考え、心に刻め!という意味合い。
やっと神の存在に気付き始めた民に対して、神は祝福と平安を与えておられる。

種はまだ穀物倉にあるか?不作が続けば、それを補うため種を蒔く量も増える。また収穫が減り、どんどん種が目減りして行くだろう。
ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木はまだ実をつけていないだろう。
でも心配するな!あなたがたがわたしに信頼するなら、今日から後、つまり次の収穫(来年)には、何倍にもしよう!
民の心の一新で、神は祝福してくださる

20節:その月の二十四日、ハガイに再び次のようなのことばがあった。

21節:「ユダの総督ゼルバベルに次のように言え。『わたしは天と地を揺り動かし、もろもろの王国の王座を倒し、異邦の民の王国の力を滅ぼし尽くし、戦車とその乗り手を滅ぼし尽くし、戦車とその乗り手をくつがえす。馬とその乗り手は味方の剣によって倒れる。

同じその日、更に神の預言が総督ゼルバベル語られた。まるで念を押すように!!
6~9節までのことばを繰り返されている。
改めて神の裁き(DKNJ)について明言された。今度はゼルバベルに対してDKNJという裁きを示された。
その裁きが終わる時、異邦の民に対して、完全なる勝利となる。
それは、その後メシア的王国が誕生することを意味する。

味方の剣(再臨のイエス様の裁き)⇒反キリストを倒すハルマゲドンの戦い

23節:その日、 ―万軍ののことば― シェアルティエルの子、わたしのしもべゼルバベルよ、 ―のことば― わたしはあなたを選んで印章とする。わたしがあなたを選んだからだ。 ―万軍ののことば。』」

引き続き総督ゼルバベルに語られる預言。 「わたしのしもべ」と、敢えて語る神の思い。
大祭司ヨシュアも民も含まれず、総督ゼルバベルにのみ語られている。

「印章とする」の意味。⇒当時の印章とは王がつけていた指輪。いつも王と共にいる。保証と言う性質。
ゼルバベルはダビデの子孫であり、メシア的王国の王は、その子孫から生まれるイエス・キリストであるという文脈!彼はその実現のために選ばれた器である

中川先生は、この選びは千年王国において、キリストの統治下に存在するユダヤの政府に複数の首長たちがあり、ゼルバベルはその一人となることが約束された、と解説されています。
参考聖句:イザヤ32:1、エゼキエル45:8

このゼルバベルへの神の預言は、民のすべての前で語られたものと考えます。
ゼルバベルから新たな一歩が、後のメシア的王国に向けて踏み出された!!

神がそれを、公の前で宣言し、保証された。

2022年12月06日

ゼカリヤ1章1節~6節

ゼカリヤの人物像

ゼカリヤは、イドの子であるベレクヤの子。
若い頃に神にみことばを語られた預言者。
エズラ記(5:1、6:14)ではイドの子、と記されている。            
→若い時、父と死別し、イドに育てられたとも推察されている。

 

*以下は不確定ですが、興味深い内容なので挙げておきます。

ネヘミヤ記(12:6)ではイド族の頭なる祭司ゼカリヤと同一人物の可能性あり。
ネヘミヤ記(12:4)にある第一回帰還者名簿のイドが祖父となる。
本書では預言者となっているが、ネヘミヤ(12:16)でも祭司となっており、本書の3-4章や7章3-7などから、祭司であったとも推察される。


ゼカリヤの名前は、「【主】は覚えている」の意味。
興味深いのは父と祖父の名の意味。
父ベレクヤは「【主】は祝福する」で、祖父は「彼の時」の意味。
「【主】は覚えておられ、その時(彼の時)が来たら、【主】は祝福される」となる。


彼は、エゼキエルやダニエルに似て、幻を見る預言者と呼ばれている。

「夢」と「幻」の違いについて中川先生の説明は、⇒寝て見るのが「夢」、目が覚めている時に見るのが「幻」、とのことです。興味深いですね。

幻は、一日も過ぎないうちに忘れるようなものではなく、明確に記憶されるもの。
彼の活動期間は50年(前520~前470)と言われている。(中川先生クレイより)


時代背景

当時の総督はシェアルティエルの子ゼルバベル。大祭司はヨシュア。
ダレイオス第2年に、ハガイに続きゼカリヤに預言があった。
当時、シナゴーグ(会堂)は盛んに建てられていたが、霊的には不十分であった。
ハガイの7月の預言は、民が、神殿の規模が過去と違うことを理由に、再建工事を 中断していることについて、神は、DKNJとMTOを語り、民の心を未来に向けられた。
次にゼカリヤに初めて預言があり、それは8月であった。過去をよく考え、過去と現在の預言者のことばに耳を傾け、悔い改めることを求めている
次に、ハガイは9月の預言で、民全員に悔い改めを求め、過去をよく考え、神に気付けと言い、更に、もう一度DKNJを告げて、総督と民全員を励ました。
ハガイの活動は短期間で終わるが、預言の働きが、ハガイからゼカリヤに繋がっているのがよくわかる。発信元は神お一人!二人の預言者の連動は珍しい!


1節:ダレイオスの第二年、第八の月に、イドの子ベレクヤの子、預言者ゼカリヤに、次のようなのことばがあった。

2節:「はあなたがたの先祖に激しく怒った。

ダレイオスの第2年、8月に、ゼカリヤにあった主の預言。
「主があなたがたの先祖に対して、激しく怒った」という過去がある。それはバビロン捕囚。バビロン捕囚は矯正的裁きである。


3節:あなたは人々に言え。『万軍のはこう言われる。わたしに帰れ。 ―万軍ののことば― そうすれば、わたしもあなたがたに帰る。 ―万軍のは言われる。』

ハガイへの7月の預言は、気落ちする民を励ます内容だった。

ゼカリヤへの8月の預言は、「神に帰れ。そうすれば、神もあなたがたに帰る。」という悔い改めと気づきの促しである。この後、9月にもハガイに預言し、民に悔い改めを促された。

 

4節:あなたがたの先祖のようであってはならない。先の預言者たちは彼らに叫んで言った。『万軍のはこう言われる。あなたがたは悪の道と悪しきわざから立ち返れ。』しかし、彼らはわたしに聞かず、わたしに耳を傾けもしなかった。 ―のことば―

かつて、先の預言者たちはあなたの先祖に、神のことばを語っていた。

悪の道から、万軍の主に立ち返れ!と言っても、彼らは、神の元へは帰らず、耳も傾けなかった

5節:あなたがたの先祖たちは、今どこにいるのか。預言者たちは永遠に生きるだろうか。

先祖たちは既に滅んだか、捕囚の状態。預言者たちも死んだか、殺された状態。

結局、近い先祖たちは住まいを失くし、捕囚されている。預言者は死んだが、彼らの預言はすべて実現し、自分たちは捕囚となっている。神のことばは必ず成就すると、身に染みている先祖たちが目に浮かぶ。

6節:しかし、わたしのしもべである預言者たちにわたしが命じた、わたしのことばと掟は、あなたがたの先祖に追い迫ったではないか。それで彼らは立ち返って言ったのだ。

『万軍のは、私たちの生き方と行いに応じて、私たちにしようと考えたことをそのとおりになさった』と。」

彼ら先祖たちは神に立ち返って、真剣に語った。
「万軍の主は、私たちの生き方と行いに応じて、私たちにしようと考えたことをそのとおりになさった。」
彼らは神の実在を体験した。神は見ておられ、神の民として相応しくなければ促しをされ、それでも無視するなら、必ず矯正的裁きがあるということを。
ハガイ書で繰り返された、「よく考えよ」のことばが心に浮かぶ!
過去を見て、先祖の堕落の道を歩まず、神に信頼することが最重要課題!
こうした切り口から、民に対する霊的覚醒(未来を見る目線)を促される神


――――

重要なことは、神と民(人間)との正しい関係の認識である。
イスラエルの民が先祖の過ちに帰ることなく、新しい心で主に信頼して歩むように、神は民を導かれている。(それが根底にあるサタンとの戦い)
私たちも、過去の古い自分に帰ることなく、新たな神の子として、力強く歩む。神の教えは、いつの時代も同じであり、この思いに確実に応答することが神の子。
私たちも日々、霊的覚醒について意識しよう。それが聖書の示す重要な教えの一つ!

2022年12月23日

ゼカリヤ1章7節~21節

7節:ダレイオスの第二年、シェバテの月である第十一の月の二十四日に、イドの子ベレクヤの子、預言者ゼカリヤに、次のようなのことばがあった。

8節:夜、私が見ると、なんと、一人の人が赤い馬に乗っていた。その人は、谷底にあるミルトスの木の間に立っていた。そのうしろには、赤毛や栗毛や白い馬がいた。

ダレイオス第2年、11月(シェバテの月)24日に、ゼカリヤに預言。【第一の幻】
赤い馬に乗るひとりの人・・第2位格の神の表現(受肉前のイエス様)
谷底・・「低い地、窪地」の意味で、象徴的には異邦人世界。
ミルトスの木・・芳香常緑灌木。数メートルになるが建築材には向かず、謙虚・慎ましさの象徴。また、仮庵の祭りの小屋造りに用いられ、祝福を示す木で、終末的希望を意味する。エステル記のエステルのヘブル語はハダサであり、ハダサはミルトスの意味。

毛、栗毛、白い馬・・異邦人世界の統治役の天使たち。


9節:私は「主よ、これらの馬は何ですか」と尋ねた。すると、私と話していた御使いが「これらが何なのか、あなたに示そう」と言った。

私(ゼカリヤ)は「主よ、これらの馬(赤毛や栗毛や白い馬)は何ですか」と尋ねた。すると、私と話していた御使い(受肉前のイエス様)が「これらが何なのか、あなたに示そう」と言った。

 

10節:すると、ミルトスの木の間に立っていた人が答えた。「これらは、地を行き巡るためにが遣わされた者たちだ。」

すると、ミルトスの木の間に立っていた人(受肉前のイエス様)が答えた。「これら(赤毛や栗毛や白い馬)は、地を行き巡るために主が遣わされた者たちだ。」

*これらの馬⇒主が遣わされた者たち(異邦人世界の統治役の天使たち)

 

11節:すると彼らは、ミルトスの木の間に立っているの使いに答えた。「私たちは地を行き巡りましたが、まさに全地は安らかで穏やかでした。」

すると彼ら(主が遣わされた異邦人世界の統治役の天使たち)は、ミルトスの木の間に立っている主の使い(受肉前のイエス様)に答えた。「私たちは地を行き巡りましたが、まさに全地は安らかで穏やかでした。」

「異邦人世界を見て回りましたが、安らかで穏やかでした。」と答えるが、この穏やかさは、決して平和と言うわけではない!(15節と関連がある)

12節:それに答えての使いは言った。「万軍のよ。いつまで、あなたはエルサレムとユダの町々に、あわれみを施されないのですか。あなたが憤られて七十年になります。」

受肉前のイエス様が、神に尋ねられた。
何故、エルサレムとユダの町々にあわれみを施さないのですか?
バビロン捕囚後、70年が経過しています。異邦人中心の世界でよろしいのですか?

 

⁂さて、なぜ70年なのか?

捕囚期間が70年と言う意味
エレミヤによって、捕囚期間が70年であることが預言されていた。
エレミヤ25:11~12
エレミヤ29:10

では、なぜ70年でなければならなかったのか。
出エジプト23:10~11に安息年の規定がある。7年目に土地を休ませなければならない。
イスラエルは、この規定を500年間無視してきた。
BC520年+500年=BC1020年・・・・サウル王就任の時、ユダヤの王制の開始年。
500年÷7≒70回(71.4回)となり、出エジプトの安息年の規定が取り戻された。

500年間に安息年を守っていたら、およそ70回、つまり70年は休ませなければならなかった年となる。
この事はレビ26:34~35、Ⅱ歴36:21にも記載あり。


13節:するとは、私と話していた御使いに、恵みのことば、慰めのことばで答えられた。

主は、私(ゼカリヤ)と話していた御使い(受肉前のイエス様)に恵みと慰めの言葉で答えられた。

 

14節:私と話していた御使いは私に言った。「叫んで言え。『万軍のはこう言われる。わたしは、エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した。

私(ゼカリヤ)と話していた御使い(受肉前のイエス様)が語る。民に叫ぶほどに伝えよ!創造主なる神はエルサレムとシオンをねたむほどに激しく愛している。

そしてこのねたむほどの愛は、私たちにも同様に注がれている!!


15節:しかし、わたしは大いに怒る。安逸を貪っている国々に対して。わたしが少ししか怒らないでいると、彼らは欲するままに悪事を行った。』

一方で、神は異邦人に対し激怒している。わずかしか叱らないと彼らは増長する。
やりたい放題の悪事を行う。つまり、反ユダヤ主義に走る異邦人諸国。

神殿再建は明らかに、異邦人世界に一石を投じることとなる。これは、サタンへの楔(くさび)とも考えられる。

16節:それゆえ、はこう言われる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。 ―万軍ののことば―  測り縄がエルサレムの上に張られる。』

17節:もう一度叫んで言え。『万軍の主はこう言われる。わたしの町々には、再び良いものが満ちあふれ、は再びシオンを慰め、再びエルサレムを選ぶ。』」

神は明確に、神殿再建と言う事業を導かれた。民が行動するが、実際に導かれたのは神である。神が主権者である。
「測り縄が・・・」とは、測量が始まり神殿再建がはじめられたことを示す。
更にもう一度神は告げられる。神は「神が共にいる」ことを告げて、民を激励しておられる!
再建された町は良いものに満ち溢れる。
神は、そのあわれみで、エルサレムとイスラエルの民を選ばれた!

神殿再建は神の御心である。その背後には神の深い愛が示されている。
心折れることなく、確信をもって神殿再建に邁進せよ!と神は叫ばれている!

18節:私が目を上げて見ると、なんと、四つの角があった。

新たな幻【第2の幻】が示される。それは「4つの角」であった。

 

19節:私と話していた御使いに「これらは何ですか」と尋ねると、彼は言った。「これらは、ユダとイスラエルとエルサレムを散らした角だ。」

私と話していた御使い(受肉前のイエス)に、これら(4つの角)は何かと尋ねる。

それは、ユダとイスラエルとエルサレムを散らした角 ⇒ 南ユダ王国と北イスラエル王国と都エルサレムを攻め立てた4つの帝国 ⇒ バビロン、メド・ペルシャ、ギリシャ、ローマの4つの異邦人王国(ダニエル書に登場する)最後に出て来るローマとは、ローマに続く帝国主義国も含む。最終的には反キリストの支配となる。


20節:そのとき、は四人の職人を私に見せてくださった。

21節:私が「この人たちは、何をしに来たのですか」と尋ねると、主は次のように言われた。「これらはユダを散らして、だれにも頭をもたげさせなかったあの角だ。この人たちは、これらの角を震え上がらせるために、やって来たのだ。ユダの地を散らそうと角をもたげる国々の角を打ち滅ぼすためだ。」

主は4人の職人をゼカリヤに見せてくださった。
ゼカリヤが彼らの目的を聞くと、主は言われた。
ユダを散らそうとする先の4つの帝国を滅ぼす4人の人物。
1. バビロンを滅ぼしたキュロス王

2. ペルシャを滅ぼすアレクサンドロス王

3. ギリシャを倒し、ローマ帝国の基礎を築いた「ローマの将軍」

4. 反キリストによる帝国主義を打ち壊す再臨のイエス・キリスト

神は現れてくる大国に対して、神の御心の中に既に勝利の備えがあることを、この幻によって示された。

2022年12月25日

ゼカリヤ2章1節~13節

1節:私が目を上げて見ると、なんと、一人の人がいた。その手には、一本の測り綱があった。

2節:私が「あなたはどこへ行くのですか」と尋ねると、彼は私に「エルサレムを測りに。その幅と長さがどれほどあるかを見るために」と答えた。

登場人物:一人の人(一本の測り綱を持つ人)⇒第2位格の神・受肉前のイエス様

     私⇒ゼカリヤ

ゼカリヤは、幻【第三の幻】を通して、測り綱一本を持つ受肉前のイエス様に遭う。
測り綱(測量)は建設作業のスタートを示すもの。
ゼカリヤはその御使いに、「どこへ行かれるのか」と尋ねた。
受肉前のイエス様はエルサレムに行き、その大きさ(周囲)の計測のためと答えた。


3節:すると見よ、私と話していた御使いが出て行った。また、もう一人の御使いが、その御使いに会うために出て行き、

ゼカリヤと話していた受肉前のイエス様は、その場から離れて行かれた。
すると、もう一人の御使いが、受肉前のイエス様に会うために出て行った。


4節:彼に言った。「走って行って、あの若い者にこう告げよ。『エルサレムは、その中に人と家畜があふれ、城壁のない町のようになる。

するとイエス様は、その御使いに命じられた。「走って行って(急いで)、若きゼカリヤに告げなさい。『エルサレムは、その中に人と家畜があふれ、城壁のない町のようになる。』 ⇒ 防備が必要ない状態と、豊かさの実現は、外敵が存在しない状況を意味する。
第2神殿が完成した時は、エルサレムでは城壁が立てられている ⇒ こんな状態が実現するのは、メシア的王国のときである。

5節:わたしが ―のことば― それを取り巻く火の城壁となる。わたしがそのただ中で栄光となる。

この豊かで城壁のない町とは一体何か、主なる神(第2位格の神)が、お答えになる。
神ご自身が火の城壁となる。火なる神ともいうべきイエス様が、統治して守るということが暗示されている。
決して神の目に相応しくない者は、入ることができない状態となる。
そして神は、町の中心で、栄光(シャカイナ・グローリー)を現わされる。
完全なる神の支配が成就していることが示されている。

6節:さあ、すぐに、北の国から逃げよ。 ―のことば― 天の四方の風のように、わたしがあなたがたを散らしたのだ。 ―のことば―

7節:さあ、シオンに逃れよ。娘バビロンとともに住む者よ。』

北の国とは、「敵」を指す言葉であり、過去のバビロン、そして未来の大バビロンを暗示している。(エレ1:13~14、ヨエル2:20
黙示録18:1~5から、民が大患難時代に大バビロンの地に住むことが分かる。
イスラエルの民に、バビロンから逃げるように命じている。大患難時代の預言がここで語られている。神は、イスラエルの民を散らしたが、今は民を集める!
シオンに向かって逃げよ!と、バビロンに住んでいるイスラエルの民に促している。
新共同訳では、「バビロンの娘となって住み着いた者よ。」となっている。


8節:あなたがたを略奪した国々に主の栄光が私を遣わした後、万軍のがこう言われたからだ。『あなたがたに触れる者は、わたしの瞳に触れる者。

登場人物:「主の栄光」と「万軍の主」→同一で、第1位格の神。
      私→第2位格の神(受肉前のイエス様)・・神に遣わされたお方。
     「あなたがた」→イスラエルの民
     「触れる者」→敵(将来の反キリストに就く諸国)


9節:見よ、わたしは彼らに手を振り上げる。彼らは自分に仕えた者たちに略奪される』と。このときあなたがたは、万軍のが私を遣わされたことを知る。

神はイスラエルを苦しめる者たちを叩くためにイエス様を遣わされた。再臨のイエス様、そして裁かれるイエス様(火の如き裁き)を指している。

10節:『娘シオンよ、喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。 ―のことば―

再臨のイエス様の勝利の宴会。喜び歌え、楽しめ。→神の栄光を称える姿。
神が民の中心に住む。→神が統治する平和な世界が開始。


11節:その日、多くの国々がに連なり、わたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住む。』このときあなたは、万軍のが私をあなたに遣わされたことを知る。

その日は、異邦諸国の民も主に繋がり、主の民となる。
アブラハム契約の成就をイスラエルの民は目の当たりにする。
民が呼び求めたイエス様が神によって遣わされたことを再認識する。

この再臨のイエス様は、勝利と祝福と、すべての約束の成就を実現される。

12節:は聖なる土地で、ユダをご自分の受ける分とし、エルサレムを再び選ばれる。

13節:すべての肉なる者よ、の前で静まれ。主が聖なる御住まいから立ち上がられるからだ。」

「聖なる土地」→「約束の地」を意味する。かつての土地の約束の成就。
エルサレムは、改めて神の住まわれる町としてリスタートする。
エルサレムを測ろうとされたという意味は、こういう未来のご計画を示すものである。
更に、神殿再建は神の民としてのアイデンティティ維持のために、建て上げられなければならないことを知らせるメッセージ!
この時、肉なる者(DKNJを通り過ぎた人類)は、主の前に静まることになる。
また、その当時の全人類(肉なる者たち)に語っている言葉ともとれる。

この幻を通して神は、神殿再建中の民を力強く励まされた!!

2023年01月13日

ゼカリヤ3章1節~10節

1節:主(第一位格の神)は、の使い(第二位格の神、受肉前のイエス様)の前に立っている大祭司ヨシュアを私(ゼカリヤ)にお見せになった。サタン(糾弾する者)が彼ヨシュア)を訴えようとしてその右手に立っていた。

場所は、法廷である。【第四の幻】

この法廷でサタンは、神に大祭司ヨシュアを裁くよう訴えている。
それは、ユダヤの民を糾弾しているということ!


2節:(第二位格の神、受肉前のイエス様)はサタンに言われた。「サタンよ、(第一位格の神)がおまえをとがめる。エルサレムを選んだ(第一位格の神)が、おまえをとがめる。この者(ヨシュア)は、火から取り出した燃えさしではないか。」

すると神は、「糾弾するサタン、お前の方を責める。民は火から取り出された燃えさしだ。もう、十分ではないか!」と逆に責める。
「エルサレムを選んだ主」・・捕囚の間も、神はエルサレムを見ておられた。
「火から取り出された」・・十分に裁かれたという意味。故に燃えさしなのである。


3節:ヨシュアは汚れた服を着て、主の使い(第二位格の神)の前に立っていた。

「汚れた服を着て」と表現し、捕囚時代の厳しさを示されている。

大祭司でありながら、神殿がないためにその働きが出来なかったのであろう。

4節:御使い(第二位格の神)は、自分の前に立っている者たちにこう答えた。「彼(ヨシュア)の汚れた服を脱がせよ。」そしてヨシュアに言った。「見よ、わたしはあなたの咎を除いた。あなたに礼服を着せよう。」

5節:私(第二位格の神)は言った。「彼の頭に、きよいターバンをかぶらせなければなりません。」すると彼らは、彼の頭にきよいターバンをかぶらせ、服を着せた。そのとき、の使い(第二位格の神)はそばに立っていた。

神の戒めは終了したことを受けて、イエス様は、彼に仕える者たちにも命じ、そして宣言する。「古い服を脱がせ、新しい礼服(義の衣)を着させる。」「ユダヤの民の咎は除かれた!」
更に、聖いターバン(かぶり物:イザヤ62:3)を被らせた。そして、イエス様はそばでそれを見守り、喜ばれていると想像する。
神の御前に、ヨシュアの大祭司としての職責が認められ、民が回復したことを示す。
これは、改めてヨシュアを中心とする神の民となったことを示している。

イスラエル民族に霊的祝福が示された。

6節:主の使い(第二位格の神)はヨシュアを諭して言った。

「諭して言った」・・これは相当に強く、念を押すように言われた。

7節:「万軍の(第一位格の神)はこう言われる。『もし、あなたがわたしの道に歩み、わたしの戒めを守るなら、あなたもまた、わたしの家を治め、わたしの庭を守るようになる。この立っている者たちの間に出入りすることをわたしはあなたに許す。

受肉前のイエス様は神の御心を伝える。


8節:聞け、大祭司ヨシュアよ。あなたも、あなたの前に座している同僚たちも。彼らあなたたち)はしるしとなる人たちだ。見よ、わたしはわたしのしもべ、若枝メシア)を来させる。

神はヨシュアとその同僚たちに諭される。
あなたと彼らは、7節に述べたことが完全に実行できるイエスのしるしとなる。
これは、「しるしとなれ!」と言うニュアンスと考える。霊的リーダーとしての役割
そして、若枝と表現されるメシア(イエス様)を地上に来させる。

 

9節:見よ、わたしがヨシュアの前に置いた石を。一つの石の上には、七つの目がある。見よ、わたしはそれに文字を彫る。 ―万軍ののことば― 一日のうちに、わたしはその地の咎を取り除く。

ヨシュアの前に置いた石は、第2位格の神。
それには7つの目がある。7は完全数である。
すなわち、全知と遍在の、完全なる大祭司イエス様のことである。
「若枝」、「石」とは、メシア(救い主)を象徴することばとして用いられる
文字を彫るとは、名前を刻むという意味。
このメシアの来臨が記念となるイメージ。

メシアはこの時、その地の咎を1日のうちに取り除く。
それは、救い主による地上の悪の完全な裁き。
イスラエルの民がイエス様を求める時が、メシア的王国の成就となる。

10節:その日には、 ―万軍ののことば― あなたがたは互いに自分の友を、ぶどうの木といちじくの木の下に招き合う。』」

ぶどう、いちじくの木の下・・・豊かさと平安の象徴である。(他にも引用あり)
自分の友・・この当時は南と北のユダヤの民であり、恵みの時代の目線では、ユダヤ人と異邦人ということである。(既に2章で示されている)

招き合うという言葉に、神の期待に応答する人類の姿が見える

2023年01月18日

ゼカリヤ4章1節~14節

1節:私(ゼカリヤ)と話していた御使い(受肉前のイエス様)が戻って来て、私を呼び起こした。私は眠りから覚まされた人のようであった。

2節:彼は私に言った。「あなたは何を見ているのか。」私は答えた。「私が見ると、全体が金でできている一つの燭台があります。その上部には鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があります。この上部にあるともしび皿には、それぞれ七本の管が付いています。

3節:また、そのそばには二本のオリーブの木があり、一本はその鉢の右に、もう一本は左にあります。

【第五の幻】

上記を絵にすると、

ここに出て来る燭台は、メノラーと言うことではない。
ゼカリヤは、何か日常的ではない物をみたのである。
金製の明かりを置く台座に、鉢が載っていて、更にその鉢の上(縁)に、7つのともしび皿が置かれている。
7つのともしび皿には、7つの管があり、鉢と繋がっている。鉢には 燃料(純粋なオリーブ油)が入ってる。
7つの管は、油の完全なる供給を示し、神との完全なつながりを示す。
その鉢の左右に、一本ずつオリーブの木がある。

 

金の燭台はイスラエルを象徴。
この燭台が放つ光は、諸国の光となるという意味を持つ。(イザヤ62:1~2)
更に、この光を照らす燭台は、メシアをも象徴している。(「世の光」ヨハネ8:12)
ゼカ4:12では、オリーブの木の枝から金の油を注ぎだす金のパイプが鉢と繋がっている。

「7つの・・」について
・3章の「7つの目がある石」・・全知偏在の大祭司イエス
・4章の「7つのともしび皿」・・全知偏在の聖霊
・4章の「7つの管」・・十分な油の供給手段、繋がり
真の神の民 + 三位一体の神 = シャカイナグローリー(世の光)の輝き

 

4節:私は、私と話していた御使いに言った。「主よ、これらは何ですか。」

ゼカリヤは、この幻が意味するところを知りたかった。


5節:私と話していた御使いが答えて言った。「あなたは、これらがなんであるかを知らないのか。」私は言った。「主よ、知りません。」

6節:彼は私にこう答えた。「これは、ゼルバベルへののことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍のは言われる。

当時の神殿再建の状況は、他国(特にサマリヤ)の妨害やら、人々のやる気の停滞があり、滞っていた。

リーダー(ゼルバベル)の立場としては心苦しい状況だった。そこに励ましの言葉が与えられる!
神殿建設は、人の権力や知恵とか、人間的な能力によるのではなく、すべて神の力、聖霊の力によって実現するのだ!
あなたには、他の民とは違う素晴らしい力が共にある!そのことを忘れるな!
何故なら、あなたがたは世に神を示す神の民なのだから!!
神の民としてのアイデンティティを思い起こさせる神の励まし!

7節:大いなる山よ、おまえは何者か。おまえはゼルバベルの前で平らにされる。彼がかしら石を運び出せば、『恵みあれ。これに恵みあれ』と叫び声があがる。」

更に神はゼルバベルを励ます。
「山」は、権力、国、王を象徴することば。この場合はペルシャ王国や敵国。
邪魔する敵国は、山に見えても神が平地にされる。神に信頼することの重要性を伝える
このゼルバベルの神殿再建は、メシア的王国への道となる。
つまり、かしら石なるメシアの血筋に当たるゼルバベルが神殿再建を実現すると、「恵みあれ!」という喜びの叫び声が上がる。
「かしら石」とは、建設の最後に据える石。(メシア来臨、イスラエルの救い、MTO)
原語では、「叫び声が上がる」は複数形であるため、その叫び声は、ゼカリヤと言うより7つの目(聖霊、御使いたち)の喜びの声と考えられる。

 

8節:また、私に次のようなのことばがあった。

9節:「『ゼルバベルの手がこの宮の礎を据えた。彼の手がそれを完成させる。』そのときあなたは、万軍のが私をあなたがたに遣わされたことを知る。

10節:だれが、その日を小さなこととして蔑むのか。人々はゼルバベルの手にある重り縄を見て喜ぶ。これら七つは、全地を行き巡るの目である。」

更に神のことばが続く。「ゼルバベルが神殿再建に着手し、そして完成させる」
神がそのことをとても喜んでおられる表現。
神殿完成が、メシア的王国の完成へと繋がる第一歩。(リスタート)
ゼルバベルは、ダビデの血筋。その子孫に救い主キリストが約束されている存在。
そういう意味からも、神殿再建は神の期待に応答する行為である。
そしてその時、今目の前で語る御使い(受肉前のイエス様)が、神によって遣わされた救い主であると知ることになる。

「そのときあなたは、万軍の主が私をあなたがたに遣わされたことを知る」という言葉は、ゼカリヤ2:9,11にて、メシア的王国の始まりに語られたものと同じである。

例え神殿再建の始まりが小さい事でも、例え完成した神殿が小さくとも、だれが馬鹿にできようか。それは後に主がメシア的王国となさるのだ。
今、神殿再建(重り縄)に尽力するゼルバベルを見て、民は未来を確信し喜ぶ。
と同時に、メシア的王国が完成した時、人々はゼルバベルの功績を喜ぶ。
ゼルバベルはダビデの血筋であり、その先にメシアが誕生する血筋である。
「これら7つ」・・は7つのともしび皿、すなわち全知偏在の聖霊を指し、それは全地を最終的に支配する絶対的主権者の目である。(三位一体の神)
7つの目、7つの皿とは、「わたしの霊」を指し、全知全能の神の存在を示す。
『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』

11節:私は彼に尋ねた。「燭台の左右にある、この二本のオリーブの木は何ですか。」

12節:そして再び尋ねた。「二本の金の管によって金の油を注ぎ出す、このオリーブの二本の枝は何ですか。」

13節:すると彼は私にこう言った。「あなたは、これらがなんであるかを知らないのか。」私は言った。「主よ、知りません。」

14節:彼は言った。「これらは、全地の主のそばに立つ、二人の油注がれた者だ。」

ゼカリヤは、2本のオリーブの木と、その枝から金の油を注ぎ出す、2つの金の管について質問する。(意味は?)・・(いずれ将来は光り輝くS/G)
当時の目線では、この2本のオリーブの木は総督ゼルバベルと大祭司ヨシュア。   
恵みの時代の目線で見れば、王であり大祭司であるイエスである。(預言的)
未来目線では、黙11:3~13に登場する二人の証人である。(預言的)⇒イスラエルの民族的回心につながる!
ゼカリヤ書に登場する二人の証人は、大患難時代の重要な位置づけ。
7年の大患難時代の前半3年半の間、預言と悔い改めのことばを発する。彼らは預言と共に、口から火を吐き、敵を焼き尽くし、自然(災害)を支配する力を持つ。しかし時が来て、彼らは反キリストに殺されてしまう。世界の人々は苦しめられていたから大喜びし、反キリストに従い、礼拝するようになる。
彼らの死体は、エルサレムに3日半さらされるが、聖霊の力によって復活し、雲に包まれて昇天。敵も味方もそれを目撃する。
その時、大地震、大災害が発生し、都(エルサレム)の10分の1が崩壊、7千人が死ぬ。
これを目撃したイスラエルの人々は神を恐れ、崇め、ここに、民族的救いが起こる。
ゼカリヤ書のオリーブの木の預言の成就!

 

『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』
『権力によって、能力によって』生きるとは、この世の生き方である。
問題は、手段ではなく、優先順位!何を最優先するか!
霊的領域にしっかり足を置くこと!それは、位置的真理を実践すること!
私たちも、この神のみことばをしっかりと受け止めて、日々をクリスチャンとして力強く生きることが期待されている!

2023年01月25日

ゼカリヤ5章1節~11節

1節:私が再び目を上げて見ると、なんと、一つの巻物が飛んでいた。

2節:御使いは私に言った。「あなたは何を見ているのか。」私は答えた。「飛んでいる巻物を見ています。その長さは二十キュビト、幅は十キュビトです。」

先ほどの明かりの幻を見た後、すぐに幻が示される。
それは飛んでいる巨大な『巻物』。【第六の幻】
御使い(受肉前のイエス様)が尋ねる。
何を見ているのか?その意味を知るように!
長さ20キュビト(8.9m)、幅10キュビト(4.45m)。
この幻も、非日常的なもの。
飛んでいる巨大な巻物である。


3節:すると彼は私に言った。「これは全地の面に出て行くのろいだ。盗む者はみな、一方の面に照らし合わせて取り除かれ、また、偽って誓う者はみな、もう一方の面に照らし合わせて取り除かれる。」

「全地の面に出て行くのろい」・・地上に示される律法違反者を裁く機能。
大きく拡げられた巻物は、皆の目に分かりやすい。
飛んでいるということは、人々の目に留まると同時に、違反者を探している。
その表と裏の面にそれぞれ、のろい・・律法違反者の裁きが書かれている。
『盗む者』・・・ 第8戒の違反者 ⇒第8戒は、第6戒~第10戒の真ん中
『偽って誓う者』・・・第3戒の違反者 ⇒第3戒は、第1戒~第5戒の真ん中

⁂よって、この巻物は律法全体を指す 

この巨大な巻物が、律法違反者を取り除く
*申命記27:26「このみおしえのことばを守ろうとせず、これを実行しない者はのろわれる。」
*エレミヤ11:3「イスラエルの神、主はこう言われる。この契約のことばを聞かない者は、のろわれる。」
*パウロは、ガラテヤ書3:10~13で、律法とのろいについて述べている
裁きからは逃れられない!


4節:「わたしがそれを送り出す。 ―万軍ののことば― それは盗人の家に、また、わたしの名によって偽りの誓いを立てる者の家に入り、その家の真ん中にとどまって、その家を梁と石とともに絶ち滅ぼす。」

その巻き物は、万軍の主、神が送りだすものである。
第8戒の違反者である盗人
第3戒の違反者である、神の御名によって誓いながら、それを破る者
これらの家(律法違反者の家)にその巻物は入り込み、彼らを断ち滅ぼす!

盗む者には、隣人を愛する心がない!
神に偽って誓う者には、神への愛がない!
⁑正義と公正をしっかりと守る者となれ!

二人のリーダーへのメッセージに続き、この幻は、民全般に対するメッセージの幻
将来が約束されている神の民として、神の契約に従って、律法に忠実に歩め!という神の期待がある

5節:私と話していた御使いが出て来て、私に言った。「目を上げて、この出て行く物が何かを見よ。」

6節:私が「これは何ですか」と尋ねると、彼は言った。「これは、出て行くエパ升だ。」さらに言った。「これは、全地にある彼らの目だ。」

引き続き第2位格の神がゼカリヤに語り掛ける。

「出て行く物」が何かを見よ。新共同訳:「出て来る物」【第七の幻】
「出て行くエパ升」、新共同では「出て来るエファ升」。

エパ(エファ)とは、「かご」の意味で、転じて重さの単位となった。
麦、粉などの乾物の計測用で、容量は23L。1/10ホメル=1エパ。
*モーセの律法・・正しいエパの使用が命じられている(レビ19:35~36)
しかし、商売人たちは不正な秤(売り升、買い升)を用いていた。

神は公正を無視する姿勢を裁かれる
「これは、全地にある彼らの目」、新共同「それは全地を見る彼らの目」。
全地にある者(不正な者)たちの興味の的(関心事)がここにある!

7節:見よ。鉛のふたが持ち上げられると、エパ升の中に一人の女が座っていた。

8節:彼は、「これは邪悪そのものだ」と言って、その女をエパ升の中に閉じ込め、エパ升の口の上に鉛の重しを置いた。

エパ升の鉛のふたが開けられると、その中に一人の女が座っていた。
「女」とは、堕落を意味するもので、罪や偶像礼拝を象徴する。

つまり、全地の不正な者たちは、罪を犯し、偶像礼拝することが関心事である
彼(第2位格の神)は、邪悪そのものと言って升の中に閉じ込め、鉛の重しをした。

二つの視点(近未来と遠未来の目線)

近未来➡完全なる偶像礼拝からの脱却。捕囚以降、イスラエルが偶像礼拝に走ることは無くなる。
遠未来➡黙示録18章の状況が端的に示されている。メシアが来臨し、大バビロンを裁くということ。
エパ升を通して意味するものは何か?!⇒『偶像礼拝という悪』、すなわちサタンは、いずれ滅びることを示す。

9節:それから、私が目を上げて見ると、なんと、二人の女が出て来た。その翼は風をはらんでいた。彼女たちには、こうのとりの翼のような翼があり、あのエパ升を地と天の間に持ち上げた。

10節:私は、私と話していた御使いに尋ねた。「この人たちは、エパ升をどこへ持って行くのですか。」

11節:彼は私に言った。「シンアルの地に、あの女のために神殿を建てるためだ。それが整うと、そこの台の上にその升を置くのだ。」

二人の翼を持った女の出現。(神の命令により行動)
これらは、悪霊である。天使は女性の姿になる事はない。
彼女たちが、このエパ升を空中に持ち上げ移動させる。
重しまで乗せられたエパ升が運ばれる先はシンアルという地。
シンアルの地とは、ニムロデに関連するバビロンを指す。(創10:10、11:1~4)
彼女のための神殿と、そして閉じ込められたということから、黙示録18章にある大バビロンの裁きが暗示されていると考える。(大患難時代の後半、ゼカリヤ2:6との関連)

 

18章1~8節(DKNJの後半)ゼカリヤ書の第7の幻が暗示する内容と合致している!
「大バビロン」・・世界統一された背教の教会と世界統一支配政府を指すが、DKNJの後半は後者。その統一国家のトップが反キリスト。
バビロンは反キリストが再建し、世界の都市。ここで世界の経済、政治を3年半支配。
地上の王たち、ビジネスマンたちが反キリストの悪の支配に加担し、そこから地位と富を得る。
しかしついには、大バビロンに滅びの日が来る。そこは廃墟となり悪霊どもが住まわされる(千年王国の期間)。反キリストは倍の罰を受ける。
その裁きは瞬時に下る。(黙8:8→ゼカ3:9)
バビロンにいるユダヤ人たちは、避難する(ゼカ2:6~7)

2023年02月01日

ゼカリヤ6章1節~15節

1節:私が再び目を上げて見ると、なんと、四台の戦車が二つの山の間から出て来た。山は青銅の山であった。

2節:第一の戦車には赤い馬が、第二の戦車には黒い馬が、

3節:第三の戦車には白い馬が、第四の戦車には斑毛の強い馬が、数頭ずつつながれていた。

エパ升に続き、幻【第八の幻】が見える。
2つの山・・モリヤの山とオリーブの山
その間には、キデロンの谷(ヨシャパテの谷)がある。異邦人の裁きを示す(黙14:20)
青銅・・裁きの象徴

つの青銅の山の間、キデロンの谷から4台の戦車が出て来た。

第1の戦車・・赤い馬
第2の戦車・・黒い馬
第3の戦車・・白い馬
第4の戦車・・斑毛の強い馬


4節:私は、私と話していた御使いに尋ねた。「主よ、これらは何ですか。」

5節:御使いは答えた。「これらは天の四方の風だ。全地の主の前に立った後に、出て行くことになる。

ゼカリヤが尋ね、受肉前のイエス様が答える。

天の四方の風・・時代の流れのニュアンスが含まれている。
天の四方の風・・この表現は、ダニエル7:2~にもある。重要。
主の前に立った後に・・主の号令を聞いたうえで、出陣することになる状態。
神のみこころでは、既に裁き(出陣)がご計画されているというニュアンスが含まれている。

6節:そのうちの黒い馬は北の地へ出て行き、白い馬は西へ出て行き、斑毛の馬は南の地へ出て行く。」

この4つの馬と、ダニエル書7章の4つの獣が関連している。
黒い馬は北の地・・バビロンへ、白い馬は西の地・・メド・ペルシャへ、

斑毛の馬は南の地・・ギリシャへ出て行く。
これらは、既に裁きの対象として、神の想定内。
その馬たちは、その時代(帝国主義)を裁きに行く時を、今か今かと待っている。

7節:強い馬たちが出て来た。それらは地を駆け巡ろうとしていたので、彼が「行って、地を駆け巡れ」と言うと、それらは地を駆け巡った。

強い馬(第一の戦車の赤い馬)は、それから以降の反キリストによる帝国主義が対象。
そして、御使い(受肉前のイエス様)が、号令を出すと、それらは地に出て行った。
御使い(受肉前のイエス様)のゴーサインが出て、それらはその時代に出て行く。


8節:そのとき、彼は私に叫んで、次のように告げた。「見よ、北の地へ出て行った馬を。これらは北の地で、わたしの霊を鎮めた。」

ここで御使いはゼカリヤに叫んでいった。(雷鳴のような声だと想像する)
「北の地に出て行った馬を見よ!この馬たちは、わたしの霊、すなわち神の怒りを 鎮める働きをしたのだ!」
これは、既に終わっているバビロンの裁きを指し、すでに過去となったことを示して、未来の預言も、同様に実現することを示している

恵みの時代に生きる私たちには、どれほどの証拠が示されているだろうか。
今の時代では、ペルシャ、ギリシャ(ローマ)が終わっている。
残るは、黙示録にある反キリストの帝国主義である。
見せられた幻は、キデロンの谷という、神に抗う異邦人の断罪の場所である。

 

八つの幻のまとめ

第1の幻:赤い馬に乗る人と、3種の毛の馬。
第2の幻:4つの角と4つの職人。
第3の幻:測り綱を持つ御使い(受肉前のイエス様)。
第4の幻:法廷での、神、御使い(第2位格の神)とサタンと大祭司ヨシュア。
第5の幻:金の燭台と器具と、2本のオリーブの木。
第6の幻:飛行する巨大な巻物。
第7の幻:エパ升とそこに閉じ込められる女、そして羽のある2人の女。
第8の幻: 地を巡る4台の戦車。繋がれた馬の毛色は、黒、白、赤、そして斑。
神は、そのみこころ(ご計画)を、民に示し、明確な目的意識を持つようにされた!


9節:また、私に次のようなのことばがあった。

10節:「捕囚の民であったヘルダイ、トビヤ、エダヤからささげ物を受け取れ。その日あなたは行って、バビロンから帰って来た、ゼパニヤの子ヨシヤの家に入れ。

11節:銀と金を取って冠を作って、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアの頭にかぶらせ、

幻は終わり、主のみことばがあった。
①3人の捕囚から帰還した人物(ヘルダイ、トビヤ、エダヤ)から、金銀を受け、
②その日に、帰還民のゼパニヤの子ヨシヤの家(金物職人)に行き、ささげ物の金と銀で、冠を造れ。
③その冠を大祭司ヨシュアに戴冠させよ。

本来、冠は王が受けるが、大祭司が受けているというところに注目!
この戴冠が意味するところは何か?

12節:彼にこう言え。『万軍のはこう言われる。見よ、一人の人を。その名は若枝。彼は自分のいるところから芽を出し、の神殿を建てる。

戴冠式の時、神はゼカリヤに、神のことばを宣言するよう命じる。
後の歴史において、若枝、すなわち一人のメシア(15節の遣わされた人)が現れる。
彼は、イスラエルから始まり、最終的に主の神殿を建て上げる。(真の信仰者を生む)


13節:彼がの神殿を建て、彼が威光を帯び、王座に就いて支配する。その王座の傍らに一人の祭司がいて、二人の間には、平和の計画がある。』

その神殿はメシア的王国であり、シャカイナグローリーに満ち、王国を支配する。
「その王座の傍らに一人の祭司がいて、・・」の意味は、王座と祭司の二人の存在は、この両方を司ることを意味し、真の平和を成就する。

王はユダ族から、祭司はレビ族からとなっていた。兼務は不可能。
イエス様はユダ族出身であり、レビ系ではなくメルキゼデク系の祭司である。つまり、イスラエルだけの祭司ではなく全人類の大祭司である。
神が人間にはできない真の平和な世界を実現される。メシア的王国の預言である。

14節:その冠は、ヘルダイ、トビヤ、エダヤ、ゼパニヤの子ヨシヤの記念として、の神殿の中に残る。

ヘルダイ「力ある者」、トビヤ「主は慈しみ深い」、エダヤ「主は知り給う」

ヨシア「神の寵愛」
真の信仰者(残れる者)、今後の信仰の手本となる人達と考えられる。
その記念としても、冠は神殿に残される。神の民としての存在感を、神は期待している。


15節:また、遠く離れていた者たちも来て、の神殿を建てる。このときあなたがたは、万軍のが私をあなたがたに遣わしたことを知る。もしあなたがたが自分たちの神、の声に確かに聞き従うなら、そのようになる。」

中川先生は、この個所(14~15節)を近未来預言としてとらえている。
「遠く離れていた者たち」とは、神殿再建に携わらなかったディアスポラの人たちもいずれは神殿再建に携わるようになる。
その時、ゼカリヤが預言者として遣わされたことを知るようになる。
これは、ゼカリヤが語ったすべてが、神からの預言であることの証になると推察する。

 

遠未来の預言
「遠く離れていた者たち」とは、異邦人を指す言葉として用いられることが多い。
つまり異邦人も、神殿建設に参加する時代になる。
それは、メシア的王国の成就を意味する。何故なら、その時人々は、神が遣わされたメシアなるイエス様を目撃するからである。(12節の若枝なるお方)
その実現は、イスラエルの民が「自分たちの神、主の声に聞き従うなら、そのようになる」ということであり、DKNJの終わりの、民が主に立ち返るとき、に実現する。

「このときあなたがたは、万軍の主がをあなたがたに遣わしたことを知る。」と同じ表現が2章9節、2章11節、4章9節、そしてこの6章15節にある。ここでのは受肉前のイエス様であり、メシア的王国の預言となっている。
王と祭司の両面を持つメシアなるイエス様の到来預言を記念するものとして、この冠に意味があると考える

 

2023年02月07日

ゼカリヤ7章1節~14節

1節:ダレイオス王の第四年、第九の月、すなわち、キスレウの月の四日に、ゼカリヤに主のことばがあった。

2節:そのとき、ベテルは主の御顔を求めるために、サル・エツェルとレゲム・メレクおよびその従者たちを遣わして、

3節:万軍の主の宮に仕える祭司たちと、預言者たちに尋ねた。「私が長年やってきたように、第五の月にも、断食をして泣かなければならないでしょうか。」

ダレイオス王の第四年9月。8つの幻(ダレイオス王の第二年11月)から約2年経過。
ベテルから、質問のためにサル・エツェルとレゲム・メレクとその従者たちをエルサレムの神殿で働く祭司、預言者たち(ハガイ、ゼカリヤ、その他の預言者たち)に遣わした。
『ベテル』はかつての北イスラエルにおける、偶像礼拝の都市であったが、この時点では偶像礼拝はなく、真の神を崇める姿勢になっていたと分かる。(人物名という意見もある)
『サル・エツェルとレゲム・メレク』という名は、バビロンの名であることから、彼らはバビロン生まれのユダヤの新しい世代の人たちである。
その質問は、「今まで続けてきた『第五の月の断食』をして、泣かねばならないでしょうか。」
エルサレム神殿が崩壊したのが第五の月の9日(ティシャ・ベ・アブ)。神の命令による贖罪の日(ヨム・キプール)の断食に次ぐ重要な断食として、民が自ら始めた断食

 

【断食について】

贖罪の日(ヨム・キプール)の断食。第7の月の10日。律法にある断食の日。つまり、神の命令による断食はこれのみ。それ以外は民の自主的な行為。

*第10の月の10日(テベットの月の10日)BC588 エルサレム包囲された日
*第4の月の9日(タンムズの月の9日)BC586 エルサレム城壁が破壊された日
*第5の月の9日(アブの月の9日)BC586 神殿崩壊された日
*第7の月の9日(ティシュリの月の9日)BC586 ユダの総督ゲダルヤ暗殺を悼む
べてが、バビロン捕囚に関する悲しみの表現と、記憶のためと思われる。
捕囚によってどれほど民が猛省したかが伝わって来る。
そんな民を、神は正しく、神の民として導こうと積極的に働きかけられたのである

4節:すると、私に次のような万軍の主のことばがあった。

5節:「この国のすべての民と祭司たちにこう言え。この七十年の間、あなたがたが、第五の月と第七の月に断食して嘆いたとき、本当にこのわたしのために断食したのか。

6節:あなたがたが食べたり飲んだりするとき、食べるのも飲むのも、自分たちのためではなかったか。

この質問に対して、ゼカリヤに神のみことばがあった。叱責を含む問い。
この国の・・これはイスラエルの民全体に対することばである。
70年・・つまり捕囚以降の第5、第7などの断食の嘆きは、一体誰のためか?

本当にこのわたしのための断食なのか?
捕囚を悲しみ反省した民の自発的思いはあったが、神に対するものではなかった!
単に、自分たちが飲み食いするのと同じ、自己満足感のためだったのである!
断食とは、聖なる会合の日であり、贖罪を喜ぶ日であり、神の民であることを思い起こさせ、また、民に公正の心を持つことを思い起こさせる神の期待がその根底にある。

7節:エルサレムとその周りの町々に人が住み、平和であったとき、またネゲブやシェフェラに人が住んでいたとき、主が先の預言者たちを通して告げたことばは、これらのことではなかったのか。」

エルサレムとその周辺、ネゲブ、シェフェラ(低地の意)⇒この表現は、バビロン捕囚前の状態を指している

その時、数々の預言者を派遣し、告げたことは何だったのか?まさに、正義と公正を守れと説いたのに、お前たちはそれを無視した!
まだまだ民は、霊的には「よちよち歩き」の状態。偶像礼拝や世の習慣にどっぷりつかった汚れは、なかなか落ちはしない。
神は反省を促し、気付きを期待しておられることに注目!

8節:それから、ゼカリヤに次のような主のことばがあった。

9節:万軍の主はこう言われる。「真実のさばきを行い、誠意とあわれみを互いに示せ。

10節:やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者を虐げるな。互いに対して、心の中で悪を企むな。」

また主のことばがゼカリヤにあった。それは、7節の預言者たちに託した言葉の意味の解説である。
「真実のさばき」、「誠意とあわれみの共有」・・公正の実現を目指しなさい!
やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者、それらの弱い者を虐げてはならない。
人を思わず、自己中心的な考えを持って、悪を行ってはいけない!

神はいつも同じ思いで民を、私たちを導いておられる。旧約の時代は律法をもって、神の民として相応しく歩むための道を示し、更にその根底に、自己中心を捨てた愛を期待しておられた。

11節:ところが、彼らは拒んでこれを聞こうともせず、肩を怒らせ、その耳を鈍くして聞き入れなかった。

12節:彼らは心を金剛石のようにし、万軍の主がその御霊によって先の預言者たちを通して送られた、みおしえとみことばを聞き入れなった。そのため、万軍の主から大きな御怒りが下った。

11~12節は、ゼカリヤのことば。
神は様々な預言者を通して、神の期待するところを示してこられた。
しかし、既に神の民はその心を失い、傲慢になり、みことばを聞こうともしない。
『金剛石』・・ダイヤモンドの如く心の頑な(高慢)な民に、みおしえとみことばが入る余地なし。最後は、厳しい裁きによる気付きの促ししかない。

神は考えられないほどの忍耐で民を導かれたが、民は自分のために人を欺き、蹴落とし、引きずり落とし、自分だけの幸せを追求した。自分の欲望の確立が最優先課題であった。
この最優先順位を神とするのがクリスチャンである!!

13節:「彼らは呼ばれても聞かなかった。そのように、彼らが呼んでも、わたしは聞かない――万軍の主は言われる――。

14節:わたしは、彼らを知らないすべての国々に彼らを吹き散らした。この地は、彼らが去った後荒れすたれ、行き来する者もいなくなった。こうして彼らはこの慕わしい国を荒れすたらせた。」

わたし(神)が、あれほどに忍耐して導いたにもかかわらず、お前たちは無視した。
従って、あなたがたがその裁きの時にわたしを呼び求めても、お前たちがわたしにしたように、お前たちの声を無視する。
遣わした預言者の言葉に、熱心に聞き従う姿勢を求められていることに注目。
目的、目標が一致していれば、神のことばを語る正しい預言者も分かるというもの。
このみことばは、私たちにも当てはまる。神の導きに応答しない者の最後は、取り返しのつかない結果となる。

こうして、神は事前に予表を示し、ついには最終的な裁きをなさる。

私たちの神は愛の神であり、決して突然に、史上最悪の裁きをなさるお方ではない!
この時の裁きは『バビロン捕囚』であり、民族の離散。民は散り、国を荒れ廃らせた。神の民として、相続地を守れなかった
イエス様も、熱心にモーセの律法と口伝律法の違いを解説された。そして、神殿の崩壊、離散となる。

2023年02月16日

ゼカリヤ8章1節~23節

1節:次のような万軍ののことばがあった。

『断食』にからめて、また神のことばがゼカリヤにあった。

 

2節:万軍のはこう言われる。「わたしは、シオンをねたむほど激しく愛し、激しい憤りをもってこれをねたむ。

神は民を愛しているという宣言。

私たちも、このねたむ激しい愛に応答しなければならない!
ゼカ1:14にも同様の表現。叱責しても、神のイスラエルへの思いは変わることはない!

 

3節:―はこう言われる― わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住む。エルサレムは、真実の都と呼ばれ、万軍のの山は、聖なる山と呼ばれる。

近未来:神殿再建を実現すれば神がそのただ中に住むから、神殿再建に励め!
遠未来:メシアの来臨(再臨)を示す。真実の都、聖なる山とはメシア的王国を指している。
神殿の再建は、未来のメシア的王国へと結びつく重要な存在となる。


4節:―万軍のはこう言われる― 再び、エルサレムの広場に、老いた男、老いた女が座り、みな長寿で手に杖を持つ。

5節:都の広場は、男の子と女の子でいっぱいになる。子どもたちはその広場で遊ぶ。

近未来:エルサレムの広場に老若男女、いっぱいの子供たちが集まる。国の繁栄。
遠未来:メシア的王国において、長寿の者と子供たちが共に住む世界ができる。百歳以上の長寿者が当たり前の世界。(イザ65:20~23)(千年王国)


6節:―万軍のはこう言われる― もし、これがその日に、この民の残りの者の目には不思議に見えても、わたしの目には、不思議に見えるだろうか。―万軍ののことば。」

近未来:そんなに豊かになるのは、この時点での残れる者たちには不思議に思える光景。
遠未来:長寿が当たり前の世界を見た残れる者たちは不思議を見る。(メシア的王国)
しかし、全知全能の神には何の不思議もなく、当たり前のことである。

人間の目線で神を見て、神を引き下げてはいけない!

7節:万軍のはこう言われる。「見よ。わたしは、わたしの民を日の出る地と日の沈む地から救い、

近未来:バビロン捕囚で離散した民を世界から呼び集める。(当時の全世界)
遠未来:全地球規模の離散している民を呼び集める。(メシア的王国(千年王国))

8節:彼らを連れ帰り、エルサレムのただ中に住まわせる。このとき、彼らはわたしの民となり、わたしは真実と義をもって彼らの神となる。」

近未来:エルサレムが回復し、神の民が回復する。
遠未来:心から神に立ち返った民をエルサレムに住まわせ、神と民との完全な和解が成立し、神による王国、メシア的王国が成就する。

 

9~17節の「はこう言われる」は近未来目線へと変わる。

9節:万軍のはこう言われる。「勇気を出せ。万軍のの家である神殿を建てるために基が据えられた日以来、あなたがたはこれらのことばを、預言者たちの口から聞いてきたではないか。

10節:その日以前は、人の働きに報酬がなく、家畜の働きにも報酬がなかった。出て行く者にも、帰って来る者にも、敵がいるために平安がなかった。わたしがすべての人を互いに争わせたからだ。

勇気を出せ!神殿建設に尽力、集中せよ!
かつて預言者はこう言った。神殿再建の基礎が完成して以降、働いても報酬はなく、いつも敵に備え、守らねばならない状態であった。平和とは程遠い世界!
それは神が実行された。民が神殿再建を最優先としないから。

11節:しかし今、わたしはこの民の残りの者に対して、かつての日々のようではない。 ―万軍ののことば―

しかし今! 神は、民の心が神の民として相応しくなっていることを知り、方針を変更!

神の愛ある励まし、導きにより、民にアイデンティティ、目的意識が芽生えてきた!
神のために働く預言者達やエズラ、ネヘミヤなどの功労があることを忘れてはならない

12節:それは、平安の種が蒔かれ、ぶどうの木が実を結び、地が産物を出し、天が露を滴らすからだ。わたしはこの民の残りの者に、これらすべてを受け継がせる。

農業が回復する。地の平安は、民の平安。人は経済が満ちることで安心を得る。
それをもたらすのは神である。だから神に信頼することを最優先することが重要。

13節:ユダの家よ、イスラエルの家よ。あなたがたは国々の間でのろいとなったが、同様に、わたしはあなたがたを救う。あなたがたは祝福となる。恐れるな。勇気を出せ。」

かつて南北のユダヤの民が争っていたが、それは神の望むところではない。
13節の「同様に」の意味は、14、15節で説明される。
南北というより、12部族の救いが神の目指しているところである。
かつての神の民としての歩みをせよ!恐れるな!勇気を出せ!神の民として!

バビロン捕囚前の状態に戻ってはならない、という神の思いが伝わって来る!

14節:まことに、万軍のはこう言われる。「あなたがたの先祖がわたしを怒らせたとき、わたしはあなたがたにわざわいを下そうと決意し ―万軍のは言われる― わたしは思い直さなかった。

15節:そのように、今や再び、わたしはエルサレムとユダの家に幸いを下そうと決意した。恐れるな。

先祖の民が、わたし(神)を無視して、異邦人の如く歩むのを見て、神はバビロン捕囚となる裁きを下そうと決意した。
同様に、今、わたし(神)はエルサレム(北の諸部族)とユダ(南の諸部族)に対して、幸いを与えることを決意した。恐れず、神の民として、神殿再建を最優先事項として取り組め!
神殿の再建が進めば、神の民として幸いがあるように、神がなさるという約束である。


16節:これがあなたがたのなすべきことだ。あなたがたはそれぞれ隣人に対して真実を語り、真実と平和をもたらす公正さをもって、あなたがたの門の中でさばきを行え。

17節:互いに心の中で悪を謀るな。偽りの誓いを愛するな。これらはみな、わたしが憎むものだからだ。 ―のことば。」

神の民としてなすべきこと⇒隣人への真実∔真実と平和をもたらす公正=国家体制
してはいけないこと⇒自己中心的考えと神の忌み嫌う行動の禁止。
公正と正義(愛神愛人)を守れ!神の期待は、正義と公正、愛神愛人の精神行為である

18節:さらに、私に次のような万軍ののことばがあった。

19節:万軍のはこう言われる。「第四の月の断食、第五の月の断食、第七の月の断食、第十の月の断食は、ユダの家にとって、楽しみとなり、喜びとなり、うれしい例祭となる。だから、真実と平和を愛しなさい。」

第10の月の10日(テベットの月の10日)BC588 エルサレム包囲された日
第4の月の9日(タンムズの月の9日)BC586 エルサレム城壁が破壊された日
第5の月の9日(ティシャ・ベ・アブ 「アブの月の9日」)BC586 神殿崩壊された日
第7の月の9日(ティシュリの月の9日)BC586 ユダの総督ゲダルヤ暗殺を悼む

彼らは泣いていた。 ヨム・キプール以外の断食は、民の自主的行為だった。

大事なことは、過去にとらわれ過ぎないこと。
断食のような悲しみや苦しみは無くなり、楽しみと喜びの例祭がなされるようになる。

「だから、自己満足になることなく、ただ真実と平和を愛しなさい」
メシア的王国の預言に信頼せよ!


20節:万軍のはこう言われる。「再び諸国の民がやって来る。多くの町々の住民が。

21節:一つの町の住民はもう一つの町へ行き、『さあ行って、の御顔を求め、万軍のを尋ね求めよう。私も行こう』と言う。

22節:多くの国の民、強い国々が、エルサレムで万軍のを尋ね求め、の御顔を求めるために来る。」

真実と平和を愛するなら、最終的にはエルサレムが中心となり、そこに多くの異邦人  たちが集うようになる。
神に信頼する異邦人が別の町の異邦人を誘い、連鎖して行く。(イザヤ2:2~3)
こうして、多くの異邦人が主を尋ね求め、全人類が神に信頼する時代が来る
ユダヤ人✙異邦人=メシア的王国(千年王国)の成就!
この時代に、異邦人のことが語られていることに、この預言の力強さがある!
背後にアブラハム契約の存在が明確で、神は、契約の民・神の民としての存在感を期待する。

23節:万軍のはこう言われる。「その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、一人のユダヤ人の裾を固くつかんで言う。『私たちもあなたがたと一緒に行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたから。』」

「外国語を話すあらゆる民のうちの10人」・・異邦人全員を示す。
「ユダヤ人の裾を固く掴む」・・ユダヤ人に、より頼む姿勢であることを示す。
異邦人たちは言う「あなたがたと一緒に行きたい。神があなたがたと共におられると聞いたから」と。

ユダヤの民は、神の民としての本分を成就することを示す。
本来のイスラエルの民のあるべき姿とは?⇒「神の民」としての存在意義を忘れてはならない!⇒その思いを持って、神殿再建にアグレッシブに邁進せよ!
私たちにも同様の神の期待が、注がれている!

2023年02月23日

ゼカリヤ9章1節~17節

1節:宣告。のことばはハデラクの地にあり、ダマスコは、それがとどまる場所。に向けられるのは、人々の、そしてイスラエルの全部族の目。

2節:これに堺を接するハマテや、非常に知恵のあるツロやシドンの目も。

宣告その1。諸国の裁き。

アレキサンダー大王による諸国の裁きが示される。

*わずか10年間に、世界帝国を築く人物(BC356~BC323年)。

 BC331年にペルシャを滅ぼし、翌年地中海諸国を征服。

「ハデラク」・・シリアの都市。アレッポとハマテの間にある都市と言われている。

「ダマスコ」・・シリアの首都。
「ハマテ」・・シリヤ領の要塞都市(ハマト)
「ツロ(ティルス)」、「シドン」・・フェニキアの都市
主はこれらの地を裁くためにアレクサンダー大王という器を用いられた。世界の人々、そしてイスラエル全部族が注目する!

3節:ツロは自分のために砦を築き、銀をちりのように、黄金を道端の泥のように積み上げた。

4節:見よ。主はツロを占領し、その富を海に打ち捨てる。ツロは火で焼き尽くされる。

ツロ(ティルス)は地中海沿岸の都市。貿易が盛んで、当時としては世界商業の一大中心地。また、アッキ貝から取れる高級な紫色の染料は有名

ツロは、海に面した島に難攻不落の砦があり、海洋貿易により経済も豊かであった。
ツロはその豊かさ、強さにより傲慢であった。
シドン、ツロ共に、BC332年に滅ぼされる。
*イザヤ23章、エゼキエル28章、アモス1章に、同様の記載あり。
「海に打ち捨て・・」「火で焼き尽くされる」の表現通り、その末路は、殺され、奴隷にされ、町は焼き滅ぼされた。


5節:アシュケロンは見て恐れ、ガザも大いにもだえる。エクロンもだ。自分たちが頼みにしていたものが辱められたからだ。ガザから王が消え失せ、アシュケロンには人が住まなくなる。

6節:アシュドデには混血の民が住むようになる。わたしはペリシテ人の誇りを断ち切り、

7節:その口から流血の咎を、その歯の間から忌まわしいものを取り除く。彼も、私たちの神のために残され、ユダの中の一首長のようになる。エクロンもエブス人のようになる。

アシュケロン、ガザ、エクロン、アシュドデ・・ペリシテの4大都市
北のフェニキアがアレキサンダー大王に征服されて行くのを見てに恐れた。頼みの綱のエクロンが打たれ、ペリシテ人は征服される。
アシュドデには、混血の民が住み、もう、ペリシテの誇りは消える。彼らの偶像は取り払われる。
エクロンはエブス人のように、神の民の一員となる。それはペリシテ人の残りの者が神の民となる事である。

エブス人はかつてのエルサレムの住民であった。神はダビデを通して、ユダに吸収させるという過去がある。(Ⅱサム24:16、Ⅰ歴21:18参照)

8節:わたしは、わたしの家のために、行き来する者の見張りとして衛所に立つ。もはや、虐げる者はそこを通らない。今わたしがこの目で見ているからだ。

この預言は、近未来と遠未来の預言の要素を含んだものである。

近未来:神が自ら神の家であるエルサレムを行き来する者を見張り、管理する。

  つまり、アレキサンダー大王には、エルサレムを攻めさせないという預言である。
遠未来:実際には、最後の帝国主義が最後の攻めであり、虐げる者がそこを通らないということが実現するのは、メシア的王国時代である。

神はかつて、異邦人キュロス王を用いてバビロン捕囚の解放して見せた。神は預言通りのことを実現して見せ、更に神の民として再構築された。
その時代のユダヤの民の関心事は、当面の異邦人の王であり、イスラエルを悩ます諸国の裁きが実現することは、神の民として立ち上がったことの喜びとなる。

9節:娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。

近未来預言(メシアの初臨)
ユダヤに王が来る。これはメシアの来臨を指している。
その御性質は、①義なる者、②勝利、③柔和、というメシアの表現。

柔和は「抑圧された」という意味があり、まさに受難のしもべを思わせる。
雌ろばの子に乗って、ユダヤの民の所に来る。(マタイ21:1~11で成就する)
高貴な者がろばに乗る 馬は戦士が乗るもの ➡平和の君としての存在
「ろば(ウーイ)」には、「盲目にする」、「目を覚ます」という意味があるとのこと。初臨のイエス様については、メシアであるということに『盲目』で、のちに『目を覚ます』という風にもとれる。

10節:わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶えさせる。戦いの弓も絶たれる。彼は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る。

遠未来預言(メシアの再臨)
エフライム・・北イスラエル(の諸部族)。エルサレム・・南ユダ(の諸部族)。
神は、全ユダヤに対して武器の必要がない状態にする。
8節bの内容の成就が示されている。それは、メシア的王国である。
このメシアが再臨のイエス様である。
再臨のイエス様は、諸国に平和を宣言。全世界の統治、メシア的王国が始まる。
詩編72:8に同様の内容の記載あり。神による全地の支配が完成することを示す。

から海:死海から地中海 大河から:ユーフラテス川(北の国境)から

11節:あなたについても、あなたとの契約の血のゆえに、わたしはあなたの捕らわれ人を、水のない穴から解き放つ。

12節:望みを持つ捕らわれ人よ、砦に帰れ。わたしは今日もまた告げ知らせる。二倍のものをあなたに返す、と。

13節:わたしは、ユダをわたしの弓として引き絞り、これにエフライムをつがえたのだ。ヤワンよ、おまえの子らに向かって。シオンよ、わたしはあなたの子らを奮い立たせ、あなたを勇士の剣のようにする。

「あなた」・・ユダヤ人。「契約」・・アブラハム契約。「水のない穴」・・牢獄。
アブラハム契約に則り、牢獄の如き離散の地から、解放されるユダヤの民。
帰還のユダヤの民は長子の権利、つまり2倍の相続を受ける。イザヤ40:2
神はユダとエフライム、つまり全部族を強い神の民として回復させた。神は民を、ヤワン(ギリシャ、エピファネス王)すなわち、未来の反キリストに立ち向かわせる。

信頼すべきは神(イエス様)であることを確信する。
ユダヤの民は、神により力強く回復するとき、敵にひるむことがない。

実際に敵の異邦人を打つのは神であることを忘れずに!
私たちも、神に信頼することを一番に設定しておく事を忘れてはいけない。
恐れず、たじろがない心を持つ、神の子となれるから!

14節:は彼らの上に現れ、その矢は稲妻のように放たれる。である主は角笛を吹き鳴らし、南の暴風の中を進まれる。

15節:万軍のが彼らの盾となる。彼らは石投げの石で滅ぼし、踏みつける。彼らは血をぶどう酒のように飲み、沸き返る。鉢のように、祭壇の四隅のように、満たされる。

DKNJの最終時点で、主(再臨のイエス様)が現れ、異邦人に対する裁きが決行される。稲妻のように矢が放たれる。(稲妻が矢のように放たれることかもしれない)
南の暴風・・天変地異の一端が書かれているかのようである。
ユダヤ人は神に守られ敵は倒される。
新共同訳:15節「放たれた石は敵に食らいついて倒し、」。まるで主が天変地異により異邦人世界を潰しているかのような表現。
DKNJの様子が伺える。(石はメシア(イエス様)に例えられる事がある)
裁かれた者の大量の血が流される。
ここに真の勝利が実現する!!

16節:その日、彼らの神、は、彼らをご自分の民の群れとして救われる。まことに、王冠の宝石がその地できらめく。

17節:なんという主のいつくしみ。なんという主の麗しさ。穀物は若い男たちを、新しいぶどう酒は若い女たちを栄えさせる。

ユダヤの民が主を受け入れたとき、民は神の民として救われる。
そして、メシア的王国が始まる。
「王冠の宝石」・・6章9節~で登場した王冠を指しているのではないか。大祭司であり王であるイエス様によるメシア的王国の成就が示されている。
17節の平安は、神によってのみ実現される真の平和な世界。
人々はそのことに、心の底から感謝し、王国の幸せを満喫する。
経済の不安が無くなる世界。生きるという内容・価値観が大変革する
 神が備えてくださっている未来は想像を超えた素晴らしいところ。
 未来の約束が与えられていることに感謝せずにはいられない!

2023年03月03日

ゼカリヤ10章1節~12節

1節:に雨を求めよ、後の雨の時に。は稲光を造り、大雨を人々に、野の草をすべての人に下さる。

9章17節の流れから見ると、この個所は、メシア的王国時代のことと想像できる。
だから、メシア的王国となったときには、「マター」と言って普通の雨を求めるように願えば、神はそれ以上に多くの恵みをもたらす大雨を降り注ぐ。それがメシア的王国である。大雨は野の草を育み、地は豊かになる。→経済の豊かさを暗示している。

 

雨は聖霊に例えられる。
恵みの時代にあって、この雨を考える時、先の雨がペンテコステと考えられる。
後の雨の時とは、メシア的王国(千年王国)の時代である。
ヨエル書2:23
「主は、義のわざとして、初めの雨を与え、かつてのように、あなたがたに大雨を降らせ、初めの雨と後の雨を降らせてくださる。」

イエス様によって義が示され聖霊が与えられる時代。大雨とは、イエス様が開いてくださった聖霊傾注という恵みの時代の救い。主は義の教師

後の雨とは大患難時代の終わりにイエス様が再臨してイスラエルの人々に与えられる恵みの時代の最後の聖霊傾注。
ゼカリヤ書の後の雨と重なる!

2節:テラフィムは不法を語り、占い師は偽りを見る。夢見る者は意味のないことを語り、空しい慰めを与える。それゆえ、人々は羊のようにさまよい、羊飼いがいないので苦しむ。

話題はメシア的王国から、大患難時代の最終段階へと変化する。
テラフィム・・家の守り神(占いや霊媒などに使用)。大きさは様々。


その当時、占いや、無意味な幻を見て語る偽預言者があり、嘘を語る。
そんな世になり、正しいリーダーがおらず、民は混乱する。


3節:「わたしの怒りは羊飼いたちに向かって燃える。わたしは雄やぎを罰する。」

万軍のは、ご自分の群れであるユダの家を訪れ、彼らを戦場の威厳ある馬とされる。

そんな状態のリーダーを、神は、怒られている。(雄やぎ→リーダー)
神は、ユダの家の人々を戦場の馬の如く奮い立たせる。
ユダの血筋はイエス様に繋がっている。メシアの予告か。馬は「赤い馬」を連想させる。


4節:この群れからかしら石が、この群れから杭が、この群れから戦いの弓が、この群れからすべての指揮する者が、ともどもに出て来る。

このユダの一族の群れから、次の四つが出て来る。混乱した状態に必要。
①かしら石  →救い主
②杭(テント張り) →国を安定させるリーダー
③戦いの弓   →主の戦いの武器
④指揮する者  →指揮者


5節:彼らは勇士のようになり、戦場で道端の泥を蹴散らして戦う。が彼らとともにおられるからだ。彼らは馬に乗る者どもを辱める。

主が共にいる時、彼らは本来の勇気を持ち、戦い挑んだ敵の軍勢を辱める。

神の存在が明確になり、結局、異邦人は自分の愚かな選択と行動を恥じることになる。

6節:「わたしはユダの家を力づけ、ヨセフの家を救う。わたしは彼らを連れ戻す。わたしが彼らをあわれむからだ。彼らは、わたしに捨てられなかった者のようになる。わたしが彼らの神、であり、彼らに答えるからだ。」

ユダ族を励まし、ヨセフ族を救う。
神に祝福される者となる。民が神の期待に応答し、神がその結果を示す。

ユダヤの民がメシアを受け入れ、民の応答(立ち返り)に神が対応したということ。

7節:エフライムは勇士のようになり、その心はぶどう酒に酔ったように喜ぶ。彼らの子らは見て喜び、その心はにあって大いに楽しむ。

エフライムを含む全イスラエルの民がメシア的王国を目撃し、歓喜する。(聖霊に酔う)
イスラエルの民は、以降、完全なる神の礼拝者として立つことになる。

DKNJは、ユダヤの民に与えられた最後の救いの機会であり、その患難を乗り越えて、神の約束(アブラハム契約)が成就する!ハレルヤ!!

8節:「わたしは合図をして彼らを集める。わたしが彼らを贖ったからだ。彼らは以前のように数を増す。

9節:わたしは彼らを諸国の民の間にまき散らすが、彼らは遠く離れてわたしを思い出し、その子らとともに生き延びて帰って来る。

「合図して」‥羊飼いの口笛。羊を集めるがごとく、神は離散していた人々を集める。
それは、イスラエルの民がイエス様を求めて、神に立ち返ったからだ。
世界に離散しているイスラエルの民も、神に立ち返り、約束の地に帰還してくる。
彼らはその子孫となる子らとともに帰還してくる。


10節:わたしは彼らをエジプトの地から連れ帰り、アッシリアから集める。わたしはギルアデの地とレバノンへ彼らを連れて行くが、そこも彼らには足りなくなる。

エジプト・・奴隷の象徴、アッシリヤ・・捕囚の象徴。これらの苦難からの解放。
ギルアデ・・ヨルダン川の東北部で、放牧に適する地。レバノン・・約束の地の北限。
この約束の地にイスラエルの民は住むが、土地が狭くなってしまう。


11節:彼らは苦難の海を渡る。海では波を打ち破り、ナイル川のすべての淵を涸らす。アッシリアの誇りは低くされ、エジプトの杖は離れ去る。

苦難の海を渡る・・とは、まさにイスラエルの苦難の歴史が終わることを意味する。
海を打ち破り・・とは、彼らを迫害する異邦人との戦いに勝利することを意味する。
その時代のアッシリヤ、エジプトという異邦人の迫害の力は全て主によって打たれる。
大患難時代の天変地異まで起こる事態に、紅海は打たれ、ナイル川は枯れる。物理的にもイスラエルの帰還を妨害するものはなくなる。

 

12節:わたしはにあって彼らを力づける。彼らは主の名によって歩き続ける。のことば。」

わたし・・これは第二位格の神イエス様。再臨されることは民を励ますこと。
これから以降、民は、真の神の民として歩み続けることになる。ハレルヤ!
メシア的王国の始まりである。

選ばれし民の苦しみの歴史が終わり、新たな時代が始まる。


2023年03月10日

ゼカリヤ11章1節~17節

カリヤ11章の構成

 

1節:レバノンよ、おまえの門を開け。火がおまえの杉の木を焼き尽くす。

2節:もみの木よ、泣き叫べ。杉の木は倒れ、見事な木々が荒らされたから。バシャンの樫の木よ、泣き叫べ。深い森が倒れたから。

預言の場面は、70年の第二神殿の崩壊を示す。
レバノンは、立派な杉、もみの木で有名。この杉材が神殿の内装に多用された。

「レバノン」・・神殿を指している。
「門を開け・・」とは、内部が攻められ杉材、もみの内装が火で焼き尽くされる光景。
「バシャンの樫の木・・深い森」・・民間の家々、つまりエルサレム全体を指す。神殿が破壊され、エルサレムが打たれてしまう光景が預言されている。

 

3節:牧者たちの嘆きの声がする。彼らの見事な木々が荒らされたから。若い獅子の吼える声がする。ヨルダンの茂みが荒らされたから。

「牧者」・・「イスラエルの指導者たち」が、神殿、エルサレムの滅びを見て嘆く。
「若い獅子」・・(中川先生は、「王子たち」と考えられている)「獅子」は時には神、そして時には敵を指す。いずれにしても、領地のヨルダン地域にまで敵の侵略が及んでしまう。

この描写は、70年のローマ軍による神殿崩壊を預言している。神殿再建した民に対して、信じがたい預言である。それほどに重要なメッセージということ。

4節:私の神、主はこう言われた。「屠られる羊の群れを飼え。

5節:これを買った者は、これを屠っても責めを覚えることはなく、これを売る者も、『主がほめたたえられるように。私は豊かになった』と言う。その牧者たちは羊をあわれまない。

神はゼカリヤに、屠られる羊の群れ(ユダヤの民)の霊的指導を命じられる。(1回目)
屠られる羊・・これは滅びが予定されているという意味。ゼカリヤにより、神の御心を教えられる民は、屠られる時、自らの罪深さを知ることになる。
この羊を買い、ほふる者・・とはローマ人のことである。彼らに罪責感はない。
これを売る者・・自国の民を売り渡すユダヤの指導者たち。ローマと組む指導者。
彼らは民をあわれまず、自分の利得ばかりを考える。(ヨハネ19:15)

 

6節:それは、わたしがもはや、この地の住民にあわれみをかけないからだ ―主のことばー。見よ、わたしは、人をそれぞれ隣人の手に、また王の手に渡す。彼らはこの地を打ち砕くが、わたしは彼らの手からこれを救い出さない。」

神のあわれみがないゆえに、ユダヤの民はローマに渡され、民は世界に離散となる。


7節:私は羊の商人たちのために、屠られる羊の群れを飼った。私は二本の杖を取り、一本を「慈愛」と名づけ、もう一本を「結合」と名づけた。こうして私は群れを飼った。

「私」・・ゼカリヤである。
「羊の商人」・・ヘブル語では「貧しい羊」となり、中川先生は貧しい羊で解説。(新共同訳の欄外説明でも、同様に解説している)
更に、羊の商人は、貧しい羊・・つまり残れる者(レムナント)を指している。
羊を飼うための杖二本・・慈愛(神の守り)と、結合(民の一致)という二つの教え。


8節:私は一月のうちに三人の牧者を退けた。私の心は彼らに我慢できなくなり、彼らの心も私を嫌った。

反抗する三人の牧者の出現で、ゼカリヤは指導を止める。これはパリサイ人、サドカイ人、律法学者を指している。(イエス様に反抗する存在)
神と民との関係がギクシャクする。
ゼカリヤは、イエス様の予表と見ることができる。


9節:私は言った。「私はもう、おまえたちを飼わない。死ぬ者は死ね。滅びゆく者は滅びよ。残りの者は、互いに相手の肉を食べるがよい。」

ゼカリヤの教えが終わったことを意味すると共に、切実な悲劇の暗示である。「残りの者は、互いに相手の肉を食べるがよい」は、悲惨な戦争が見える。


10節:私は、自分の杖、「慈愛」の杖を取って折った。私が諸国の民すべてと結んだ、私の契約を破棄するためであった。

一本の慈愛(神の守り)の杖を折り、ゼカリヤは異邦人からの攻撃の防壁を取り去る。神に願っていた諸国に対しての防御の約束を取り払ってもらうということ。

 

11節:その日、それは破棄された。そのとき、私を見守っていた羊の商人たちは、それが主のことばであったことを知った。

その日、約束は破棄され、ゼカリヤから指導を受けていた残れる者は、私(ゼカリヤ)のことばが神からのことばであったと知った。

イエス様の時代においては、マタイ12:22で起こるベルゼブル論争を指している。
70年のローマ軍の包囲開始の時、全メシアニック・ジューはペラに非難し助かる。

12節:私は彼らに言った。「あなたがたの目にかなうなら、私に賃金を払え。もしそうでないなら、やめよ。」すると彼らは、私の賃金として銀三十シェケルを量った。

13節:主は私に言われた。「それを陶器師に投げ与えよ。わたしが彼らに値積もりされた、尊い価を。」そこで私は銀三十を取り、それを主の宮の陶器師に投げ与えた。

14節:そして私は、「結合」というもう一本の杖を折った。ユダとイスラエルとの間の兄弟関係を破棄するためであった。

ゼカリヤは、「自分の働きが価値あると思うなら賃金を払えという。しかし、価値がないと思うなら払うな!」と民の指導者たちに言った。
払った代価は銀30シェケル・・殺された奴隷の値段と同じ(出エジプト21:32)。侮辱! ゼカリヤは預言者であり、この侮辱は神に対する侮辱である。
神はその銀30シェケルを「陶器師に投げ与えよ」と言われ、ゼカリヤは渡した。
神殿の近くに陶器師の地区がある。陶器師と創造主。将来の預言的行為。
イエスは銀30シェケルで売られた。そのお金で、陶器師の畑が買われた。(マタイ26:14~16、27:3~10) ゼカリヤはイエス様の予表。
結合(民の一致)の杖が折られる。ユダ(南ユダ王国)とイスラエル(北王国)の兄弟関係が崩れる。(70年頃は熱心党がローマのみならず、ユダヤ人とも争ったとのこと)

 

寄り道

マタイ27:7~10について
ユダが返した銀貨30シェケルで買い取った土地。
この9節でエレミヤが語ったとされる内容は、

エレミヤが語ったヒノムの谷にあるトフェテ(虐殺の谷)に関する内容(7:31、19:11)と、ゼカリヤ(11:12、13)の両方を含めたもの。
そのヒノムの谷の土地を、イエスを買い取った代価で購入したということである。(血の地所)➡アケルダマ

15節:主は私に言われた。「もう一度、愚かな牧者の道具を取れ。

16節:見よ。それは、わたしが一人の牧者をこの地に起こすからだ。彼は迷い出たものを尋ねず、散らされたものを捜さず、傷ついたものを癒やさず、衰え果てたものに食べ物を与えない。かえって肥えた獣の肉を食らい、そのひづめを裂く。

ゼカリヤは、神に命じられます。(2回目)
「もう一度。愚かな牧者の道具を取れ。」の意味は、慈愛と結合の杖を折ってしまったから、もう一度指導せよとの事と思われる。
神は愚かな牧者をこの地に起こされる、といわれている。(真の牧者に反する者)
正しい教えをすれば、人は反対を行ってしまうがゆえに、愚かな牧者の道具となる。
愚かな牧者・・迷い、散ったものを探さず、傷ついたものを癒さず、衰え果てたものに食べ物を与えない。獣(羊)を食べ、ひずめを裂く。まるで野獣のように、自分の欲のために貪る。➡慈愛も結合もない最悪の状態となる。

中川先生は、この預言(15、16節)は132年のバルコクバの乱を預言していると解説。
132年、ラビ・アキバがバル・コクバをメシアと宣言し、ローマ軍に反乱を起こした。

 

バル・コクバの乱 【第二次ユダヤ戦争】
エルサレムを占領するまでに至ったが、大軍と装備にまさるローマ軍は、135年にはエルサレムを陥落。反乱軍は殺され、残りは奴隷。その大量の奴隷は安値で取引。本格的な離散の開始である。バル・コクバは戦死。ラビ・アキバは処刑。58万人以上が戦死。ローマ軍も大損害を受けたため、弾圧は熾烈であった。
メシアニック・ジューはこの時、バル・コクバをメシアと認めず全員助かったため、両者の間の分裂が更に進んだ!
ユダヤ人のエルサレム立ち入りは厳禁となり、破れば死罪であった。これが4世紀まで続いたが、その後、年に一度、有料によりアブの9日に立ち入り可能となる。こうして嘆きの壁で泣くようになる。

17節:わざわいだ。羊の群れを見捨てる、能なしの牧者。剣がその腕と右の目を打ち、その腕はすっかり萎えて、右の目の視力は衰える。」

15~16節の愚かな牧者の末路が示されている。
救世主を語る者(反キリストも含め)の最後は哀れな滅びが示されている。
バル・コクバの乱を経て、ユダヤの民は救世主を受け入れることが難しくなってしまった。バル・コクバを『ほら吹き』と罵り、『バル・コゼバ』(欺瞞の子)と揶揄したとのこと。
慈愛と結合を失くしたユダヤの民は、今も多くの者がキリストを受け入れず、無視している。そして、史上最も愚かな牧者、反キリストが地上を荒らしまわる日がやって来る。
勿論、主が来臨して悪を裁き民を導かれるが、その苦難の歴史を思わずにはいられない

 

2023年03月15日

ゼカリヤ12章1節~14節

ゼカリヤ書12章の構成

 

1節:宣告。イスラエルについてののことば。天を張り、地の基を定め、人の霊をそのうちに造られた方、の告げられたことば。

宣告 その2・・重々しい預言
創造主なる神の存在、威厳、力を示している。人をも創造されたその神がイスラエルに対して預言する。それは、全人類への提示でもある。


2節:「見よ。わたしはエルサレムを、その周りのあらゆる民をよろめかせる杯とする。エルサレムが包囲されるとき、ユダについてもそうなる。

3節:その日、わたしはエルサレムを、どの民にとっても重い石とする。すべてそれを担ぐ者は、身にひどい傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来る。

わたし・・第二位格の神、イエス様である。
杯・・神の裁きの暗示。重い石・・その石を担ぐと重くて自分が潰れてしまう石。ユダのイスラエルをそのようなものにすると言われる。敵が攻めるに困難な状況を想像する。
その日・・神の裁きの日であり、中でもハルマゲドンの戦いを指している。
ユダのエルサレムが包囲され、更に攻めようと取り囲むが、たとえどんな民族(軍隊)が攻めてきても、神は、それらの力を奪い、エルサレムを守られる。


4節:その日―のことば―わたしはすべての馬を打って驚かし、その乗り手を狂わせる。しかし、わたしはユダの家の上に目を見開き、もろもろの民のすべての馬を打ってその目を見えなくする。

その日・・同じくハルマゲドンの戦いの日。
主は、ユダを攻める敵の、すべての馬が盲目になり制御不能となるように、その時の軍隊を制御不能状態とする。(視界が奪われる状況)
神はユダの家の上に目を見開き、・・というのは神の守りであり、神はユダを守りつつ敵を制御・統率不能状態とする。


5節:ユダの首長たちは心の中で言う。『エルサレムの住民は、彼らの神、万軍のによって私の力となる。』

ユダの諸族の首長たちは、エルサレムの回復、奮起を見てこう言う。「エルサレムの回復と勝利は神によるのであり、よって私たちユダ諸部族も神の力によって回復し勝利するのだ!」

さらに言えば、エルサレムを守っておられる神の力は、そのまま、信仰者である現代の私たちにも、十分に及んでいる。ハレルヤ!

6節:その日、わたしはユダの首長たちを、薪の中にある火鉢のようにし、麦束の中にある燃えるたいまつのようにする。彼らは右も左も、周りにいるどの民も焼き尽くす。しかしエルサレムはなお、元の場所エルサレムに残る。

その日・・同じくハルマゲドンの戦いの日。(すべてが短期間に展開)
主は、ユダの諸部族の首長たちを、耐えることなく燃え続ける火鉢のように、また麦束のように燃え立たせる。その炎は包囲するすべての敵に及ぶ!(それは神の力)
しかし、エルサレムに被害は及ばず守られ、そこにとどまり続ける・・神に守られ続ける。


7節:は最初にユダの天幕を救う。ダビデの家の栄えと、エルサレムの住民の栄えが、ユダ以上に大きくならないようにするためである。

ハルマゲドンの戦いの展開
はじめにユダの天幕を救う→避難した地で天幕生活。ボツラに避難した人々を指す。
『最初にユダの天幕を救う』・・ダビデの家、エルサレムという上層指導者階級たちを優先するのではなく、イスラエルの民全体におよぶ、・・という神の配慮が示されている。


8節:その日、はエルサレムの住民をかくまう。その日、彼らの中のよろめき倒れる者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになって、彼らの先頭に立つの使いのようになる。

その日・・同じくハルマゲドンの戦いの日。(すべてが短期間に展開)
続いて、エルサレムの住民をかくまい、かつてのダビデのように立ち上がらせる。上層指導部の人々も神とともに力強く、民の先頭に立つことになる。
戦いに挑むダビデというよりも、神に信頼する従順な信仰の民として立ち上がる。


9節:その日、わたしはエルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしにしよう。

神はエルサレムに攻めて来るすべての異邦人諸国を根絶やしにする!→ヨシャファテ(ケデロン)の谷の裁きで、ハルマゲドンの戦いは決着する。ヨエル書3章参照。


10節:わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。

ハルマゲドンの終盤に、二つの霊がイスラエルの民全体に注がれる。
恵みの霊 → 恵みとは「救い」、それをもたらす霊。
嘆願の霊 → 嘆願とは「強い悔い改めと祈り」。それをもたらす霊。
この二つの霊は、聖霊を表す。後の雨(春の雨)である。聖霊傾注の御業!(ゼカ10:1)イスラエルの民全体の救いの完成(ヨエル2:28~32
自分たちが突き刺したわたし(第二位格の神) → 十字架にかかられるイエス様
来臨のイエス様を見て、心の底から悔い改めて、激しく泣く姿が表現されている。

救いの3要素を信じる上で、求められることは、神に対する裏切りを心の底から悔い改めて信じることである。そこに導いてくださるのが聖霊である。ハレルヤ!

11節:その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダド・リンモンのための嘆きのように大きくなる。

「メギドの平地のハダド・リンモンのための・・」・・(聖書中、ここだけ)
中川先生は、メギド近郊のハダド・リンモンで戦死したヨシヤ王を嘆く時と同じように激しく泣く、と解説。(2歴35:22~25)
新共同訳では、ハダド(アラムの偶像神)、リンモン(ダマスコの偶像神)が習合されたものの祭り(タンムズの祭り)で、乾期で死んだ神が、人々の嘆きによって再び甦るとされている。(2列5:18、エゼ8:14

嘆きの激しさが語られている個所。
エルサレム全体が、嘆き一色に染まる感覚。
まさに、大号泣の状況を示している

12節:この地は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆く。ダビデの家氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。ナタンの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。

13節:レビの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。シムイの氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。

14節:残りのすべての氏族は、あの氏族もこの氏族もひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。

エルサレムでは、すべての氏族が一人一人嘆く。これは民全体の嘆きである。
ダビデの家の氏族、その妻たちも一人嘆く。王家の最小であるナタンの氏族と妻たちも同様。王家の最大から最小まですべてという表現。
レビの氏族、そしてその妻たちが一人一人嘆く。シムイはレビの子のゲルションの子。シムイはレビ族の祭司の中で最小(民3:17~18)。その氏族と妻たちが一人一人嘆いた。祭司の最大から最小まですべてという表現。
残りの全氏族においても、上から下まで全氏族とその妻たちが、嘆いた。
これほどまでに深い、心からの悔い改めが、イスラエルの民全員に起こる。個人的な信仰の救いが示されている
後の雨、すなわち聖霊傾注の御業!


2023年03月22日

ゼカリヤ13章1節~9節

13章の構成

 

1節:その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。

「ダビデの家とエルサレムの住民のために」、とは聖霊傾注が終わった民のためか、それとも終わっていない民のためか?

*中川先生は、12章から続くと考えている。「罪と汚れ」とは、義認と聖化を示すとし、「一つの泉」とは、儀式的に用いられる泉の水であり、聖霊傾注を指すとする。嘆いた後、聖霊傾注されるということ。

*ユダヤの民の清めが終わり、次に続く、地上の汚れを清めるためと考える時、聖霊の働きにより、罪と汚れを取り除くため、一つの泉が開かれたとも考えられる。
12章からの流れを掴んでおけば、解釈に大きな支障は無い。
「ダビデの家とエルサレムの住民のために」という言葉のタイミングがどちらであっても、12~13章の文脈に影響はないと考えられる。

2節:その日―万軍ののことば―わたしはもろもろの偶像の名を、この地から絶ち滅ぼす。それらの名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。

偶像の徹底排除。と同時に、その偶像に与する偽預言者と汚れた霊、すなわち悪霊を地上から取り除く。
神の清め(裁き)は、ハルマゲドンの戦いの時、徹底して行われる。


3節:なお預言する者があれば、その人を生んだ父と母が彼に向かって言う。『あなたは生きていてはならない。の名を使って嘘を告げたから。』彼が預言しているときに、彼を生んだ父と母が彼を突き刺す。

それでも預言する者は父と母に殺されることになる。
偽の預言とは、主の名を騙って、嘘の預言をすること。
これは、神の出現により、真の価値が明確になり、偽物の化けの皮がはがれること。この刑罰は、子にとっても親にとっても悲劇である


4節:その日、預言者たちはみな、自分が預言する幻を恥じる。彼らはもはや人を欺くための毛衣を着なくなる。

その結果、偽預言者達は自分が語ってきた預言を恥じ、預言は語らなくなる。
毛衣・・預言者が着ていた外套(コート)。その時代はどのようなものか?
申命記18:20~22。預言した内容が成就しないなら、それは偽預言者。
真の神が現れ、それまでの偽預言者は、恥じ入ることになる。

 

5節:また彼は、『私は預言者ではない。私は土地を耕す者だ。若いときに人が私を買い取った』と言う。

自分は預言者ではなく、農夫だと偽る。私は人に買い取られたいわゆる奴隷である、と言う。(新共同では、自分が買った土地で・・となっている)
それは刑を逃れるための嘘である。


6節:だれかが『あなたの両腕の間にある、この打ち傷は何か』と聞くなら、彼は『私の愛人たちの家で打たれたものだ』と言う。

そんな偽りを言っても、誰かが彼の腕の間にあるうち傷に気付く。その打ち傷は、偶像礼拝の時に自らつけた傷跡だと察している。こうして問いただすが、愛人(中川先生は“友人”)たちの家で打たれたものと言うこうして、偽預言者だったことを隠そうとする。

それほどにその刑が厳しいということに注目。
この時の、神の裁き、すなわち終末の裁きは容赦ないものである。

7節:剣よ、目覚めよ。わたしの羊飼いに向かい、わたしの仲間に向かえ―万軍ののことば―。羊飼いを打て。すると、羊の群れは散らされて行き、わたしは、この手を小さい者たちに向ける。

『剣』とは、死を伴う争いの意味。
その剣で、『わたしの羊飼い』に向かえ!と命じている。この羊飼いはイエス様。
『わたしの仲間』とは、神の同僚たる、第二位格の神、イエス様を指している。
死を伴うということから、肉体を持つイエス様、そして第二位格の神イエス様を指す。
明らかに、十字架にかかられるイエス様を示す預言。
その羊飼いを打て!と言われている。これが紀元30年。

そして世界離散が、紀元70年に起こっている。
わたしは、この手を小さい者たちに向ける。離散させるということも含めた試練。

70年の神殿崩壊と離散と言う悲劇は、子供たちにも及んだ。
132~135年のバル・コクバの乱により、更に離散は本格化した。

8節:全地はこうなる―のことば―。その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。

全地はこうなる。→大患難時代の状況を指している。
イスラエルの3分の2は死に絶える。つまり殺されることになる。
残りの3分の1が、救いに与る人々である。マタイ24:15~21、黙12:6~17

 

黙12:6~17
12:6~18は、DKNJの後半を示しています。
更にこの中の7~12は、挿入句で、天で戦いに敗れ、地上に投げ落とされたサタンについて説明されています。その落されたサタンが、地上で猛威を振るうのがDNKJの後半の3年半ということです。
男の子を産んだ女・・とはイスラエルを指し、そのイスラエルは後半の3年半、守られますが、サタンは更に攻め、3分の2のユダヤ人が死にます。これが、ゼカリヤ書13:8が示すところです。
HMD(ハルマゲドンの戦い)とは、サタンが、その3分の1のユダヤ人の抹殺を図るものでもあります!

9節:わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を錬るように彼らを錬り、金を試すように彼らを試す。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『は私の神』と言う。」

残りの3分の1の民は、厳しい試練を通ります。
DKNJのなかの最終局面であるHMD!まさに火の中の凄惨な状況。
サタンにとっても最後の戦いであり、ゆえに前代未聞の過酷をつくります。
サタンの激烈な戦いを通して、彼らは練られ、試され、そしてメシアを受け入れます。
ここに、神との和解が成り、メシアなるキリストが来臨(再臨)します。
それは、メシア的王国の始まりの合図でもあります。


2023年03月30日

ゼカリヤ14章1節~11節

14章の構成

 

1節:見よ、主の日が来る。あなたから奪われた戦利品が、あなたのただ中で分配される。

共同訳:「見よ、主の日が来る。かすめ取られたあなたのものがあなたの中で分けられる日が。」
HMDにおいて、エルサレムで奪われた物がエルサレムの中で分配される状態。
エルサレムが包囲され、略奪され、それらがその場で分配される。
屈辱的な状態は、敗北と感じてしまうほどの痛み。

 

2節:「わたしはすべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。都は取られ、家々は略奪され、女たちは犯される。都の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は都から絶ち滅ぼされない。」

すべての国を集めてエルサレムを攻めさせる。(神がそれをお許しになる)
都市は陥落、略奪は家、女たちに及ぶ。結果、エルサレムの半分の民は捕囚されるが、残りの半分は都にとどまり、滅ぼされず、そこに残る。


3節:主が出て行かれる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。

そうした状態になった時、主が出て行かれる。
それは、12章にもあったように、ボツラ(ペトラ)でユダヤの民が神に立ち返り、その機を見て、神は出て来られるということである。(DKNJの後半にボツラへ避難する人達)
神は、ボツラで異邦人諸国を打ち、その後、エルサレムの住民のために戦われる。
明らかに12章の内容を理解していることが前提で、語られている。


4節:その日、主の足はエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山はその真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ、残りの半分は南へ移る。

オリーブ山とは、エルサレムの東にある小山脈系の一山。
海抜800mで、エルサレム市街地より数十メートル高い。
イエス様が神殿を見て終末預言を語られた場所。
その山にイエス様が立たれる!
オリーブ山の東西に大きな裂け目ができる。
オリーブ山は南北二つの山となる。
天変地異が起こる。それは全地球上で起こる比類なき大震災。
大きな亀裂は、巨大な谷が出来たことを示す。

5節:「山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたはわたしの山々の谷に逃げる。ユダの王ウジヤの時に地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げる。」私の神、主が来られる。すべての聖なる者たちも、主とともに来る。

この巨大な谷は、アツァル(場所は不明)にまで達する。
8節の内容から、この谷は東は死海、西は地中海に及ぶ巨大さ。
大地震の被害を避けるため生存者は、この谷へと逃げる。
その様子は、アモス1:1の大地震の時と同じ。(資料はない)
続いて、神が地上に来られるのと同時に、すべての聖なる者が、主と共に来る。

 

6節:その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。

7節:これはただ一つの日であり、その日は主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に光がある。

光源が変化する。神の栄光の光が世界の光源になる。
その日・・主の再臨の日・・メシア的王国の始まり
光、寒さ、霜が無くなる。
昼、夜の区別が無くなる。これまでの太陽を光源としない世界。
夕暮れ時に光がある。→新共:「夕べになっても光がある」

従来までの光とは異なる、新たな神の光によって世界が覆われる状態となる
昼、夜の区別がないということは、メシア的王国はその時代が一日という世界である
千年が一日の王国が千年王国と言うことになる

8節:その日には、エルサレムからいのちの水が流れ出る。その半分は東の海に、残りの半分は西の海に向かい、夏にも冬にも、それは流れる。

いのちの泉から大河となって流れる川が出現する。
エルサレム、すなわち神殿の敷居の下からいのちの泉が流れ出る。
この水の半分は東の海→死海に、もう半分は西の海→地中海に注ぎ込む。
この水(大河)が注ぎこむことで、その場所は最良の漁場となる。ヨエル3:18
この川は、ワジのように季節によって消えたりしない。エゼキエル47:1~12参照


9節:主は地のすべてを治める王となられる。その日には、主は唯一となられ、御名も唯一となる。

主が王国の王となられる。メシア的王国の始まり
全世界において唯一であり、統治されるお方となる。
全ての偶像が消え去り、神に反する者もこの時点では一切存在しない状態。


10節:全土はゲバからエルサレムの南のリンモンまで、アラバのようになる。しかしエルサレムは高くそびえ、ベニヤミンの門から第一の門のところを経て隅の門まで、またハナンエルのやぐらから王家のぶどうの踏み場まで、元の場所にそのまま残る。
地上の姿が激変する。
ゲバ(エルサレムの北10キロ)
リンモン(エルサレムの南西約56キロ)
アラバ(死海とアカバ湾を結ぶ地域)
ゲバ、リンモンと言う山地が、アラバのように平地になる。
こういう地形の大変革が世界で起こる。
しかし、エルサレムは高くそびえ、他は低くされ、世界で最も高い山となる。

イザヤ2:2、ミカ4:1~2、エゼキエル40:1~2
エルサレムは地理的、霊的に高められる。
新共:「・・。しかし、エルサレムはベニヤミンの門から昔の門の区域を経て、角の門に至るまで、またハナンエルの塔から王の酒ぶねに至るまで、その高い位置にとどまり、そこに人々が住み着く。」
新共によれば、次の通り➡ベニヤミンの門→北の城壁昔の門の区域→不明、角の門→北西の城壁、王の酒ぶねの町→町の南東隅、ハナンエルの塔→ベニヤミンの門の近く

11節:そこには人々が住み、もはや聖絶の物はなく、エルサレムは安らかに住む。

エルサレムの平安の成就。
その地理的にも、霊的にも、祝福されたエルサレムに人々が住むことになる。
聖絶の対象はなく、つまり神の怒りは消え、悪(偶像)も汚れ(それを信じる者)も  取り去られ、エルサレムに、そして世界に神の平安が建ち、人々は安らかに住まう。


2023年04月06日

ゼカリヤ14章12節~21節

14章の構成

 

12節:これは、がエルサレムを攻めるどの民にも加えられる疫病である。彼らの肉は、まだ足で立っているうちに腐る。彼らの目はまぶたの中で腐り、彼らの舌は口の中で腐る。

神の裁きが、疫病という形で行われる。これは一気に広がる。
肉があっと言う間に腐って行く。足が腐り、立って移動できない。瞼の中で眼球が腐る。舌が口の中で腐る。この疫病は一気に起こるので、人間には対応のしようもない。

この疫病は、明らかにイスラエルを攻める異邦人に発症する。

神に守られる民とそうでない者が明確に区別される。

13節:その日、からの大いなる混乱が、彼らの間に起こる。彼らは互いに手でつかみ合い、互いに殴りかかる。

イスラエルを攻める諸国に、仲間割れを起こさせる。その結果、彼ら自身が同士討ちし始める。実際に神が出現し、その力の絶大さを見て、彼らはそれまで信用していたものに失望し、その責任を転嫁し始める。自らの愚かさを恥じることになる。


14節:ユダもエルサレムで戦う。周りのすべての国々の財宝は、金、銀、衣服など非常に多く集められる。

ボツラからユダの人々がエルサレムに来て戦う。彼らは疫病から守られ、全員が一致・調和し、エルサレムを攻めた諸国と戦う。バックには神が居られる。
その結果、財宝、金、銀、衣服が多く集められる。14章1節の状況(奪われた戦利品が分配されていた)が、今は逆転。

明らかに神の民の勝利が確定し、神に反していた異邦人とは明確な差が見て取れる。

15節:馬、らば、らくだ、ろば、彼らの宿営にいるすべての家畜にも、同じような疫病が臨む。

家畜への疫病→軍力・移動手段等の消失

人のみならず、家畜にまで疫病が広がる。
未来を想像してみよう チョット先の未来は、AIやロボットが人の働きの代わりとなる。
DKNJの兵器等はすべてコンピュータ(AI)であり、それを狂わせるのはウィルスと呼ばれる
これも異邦人諸国にのみ起こる事態と考えられる。
神が出現して、それを見て神の存在を認めても、何の意味もない。
ヨハネ20:29 『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。』
こうして神に敵対した異邦人諸国は、徹底的に打たれることになる。
異邦人の中に、善き異邦人とそうでない異邦人が存在し、それらが区別される➡アブラハム契約の成就

16節:エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍のである王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。

メシア的王国では、仮庵の祭り(秋の収穫祭)が催される。
仮庵の祭りは千年王国の象徴。それが、世界レベルで行われる時代。
異邦人諸国の民のうちの、神に信頼する異邦人(羊の異邦人 マタ25:31~)たちは、毎年、神を礼拝するため(イザ2:2~4)、仮庵の祭りに参加するためにエルサレムに上って来る。(各諸族の代表団が派遣される)

しかし、千年王国に、肉体を持って入った異邦人たちの子孫から、徐々に神に不遜な考えを持つ者が現れ始める。(メシア的王国では、サタンや悪霊がいないにも拘らず)

ユダヤ人は、メシア的王国以降、神に対する不遜者は全く発生しない
異邦人は、原罪の影響を受けて、神に不遜を抱く者が出て来る➡『白い御座の裁き』行きとなる

17節:地上の諸氏族のうち、万軍のである王を礼拝しにエルサレムに上って来ない氏族の上には、雨が降らない。

18節:もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、疫病が彼らに下る。これは、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民をが打つ疫病である。

19節:これが、エジプトの罪への刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上って来ないすべての国々の罪への刑罰となる。

仮庵の祭りのためにエルサレムに上って来ない異邦人諸部族には、雨が降らない。
神の祝福が与えられないということ。
雨が降らないという事→疫病が下るという事。仮庵の祭り、主の礼拝に来ない異邦人諸氏族への罪の刑罰となる。
エジプトが例として挙げられているのは、その可能性が一番高いからと考えられる。
『仮庵の祭り』は、エジプトからの脱出に関連し、荒野放浪を記念する意味合いがあり、収穫祭というような意味合いではなく、神による罪の赦しと贖いという概念に立つものである。
イスラエルにとっては喜びの祭りであるが、異邦人にとっては試される祭りである。
エジプトをはじめとして、礼拝と仮庵の祭りを拒む国には刑罰が科せられる。


20節:その日、馬の鈴の上には「への聖なるもの」と刻まれ、の宮の中の鍋は祭壇の前の鉢のようになる。

聖さが同一化し、普遍的となる。(イスラエルの民について)
その日→メシア的王国の時代。
「主への聖なるもの」→大祭司のターバンに付けられる金の銘板に刻まれていることば。
つまり、「聖別のしるし」である。(出エジプト28:36~37)
そのしるしが、馬の鈴の上に付けられる。→日常の全てが聖別された状態となる。
「主の宮の中の鍋」→いけにえを煮るための鍋(聖さ↓)
「祭壇の前の鉢」 →いけにえの血を入れる鉢(聖さ↑)

 *二つには聖さの差があったが、メシア的王国では同一化される。
新共:「神殿の鍋」は特別に売られていた。それをもっていけにえを捧げていた。それらは単純に聖なる物となり、特に買う必要がなくなる。(商人は必要ない)


21節:エルサレムとユダのすべての鍋は、万軍のへの聖なるものとなる。いけにえを献げる者はみなやって来て、その一つを取ってそれで煮るようになる。その日、万軍のの宮にはもう商人がいなくなる。

主の宮に商人はいなくなる。
イスラエルの民全員の鍋が聖なるものとされる。従って、特別な鍋は不要。
世界から多くの諸部族の一団がエルサレムに来て、礼拝を捧げるとき、イスラエルの民が持つどんな鍋でいけにえを捧げても良しとされる。
「商人」とは、鍋を売ったりする人たちとも考えられ、そのような人は存在しなくなる。
また、商人の原語はカナン人とも訳せることから、道徳的、霊的汚れのない人たちで満ちている様子が浮かぶ。
イスラエルの民は、メシア的王国において、神の民として完成しその存在感を示す。

やはり選民イスラエルは、神の約束通り、神の民としてのポジションに就く!

2023年04月13日

ハルマゲドンの戦いについて

ハルマゲドンの戦いは、8つのステップに分けて考えることができます。
黙示録においては、第6の鉢の裁き、がこれに該当します。

時は、大患難時代の後半の、更に最終局面。

反キリストは、ユダヤの民3分の1壊滅のため世界規模の軍勢を集めます。

その地の名が、ハルマゲドン。
神がそれをお許しになり、エルサレム、そしてボツラへと攻撃が進んで行く!


(第1ステップ)
・ユーフラテス川が枯れる。
・反キリストの軍隊の召集。
・ハルマゲドン(イズレエル平原)に集結。
・これは、神の許しがあって、実現している。

 黙示録16:12~16(第6の鉢の裁き)

 

(第2ステップ)
・政治的バビロンの崩壊。
・世界を支配しようとする統一政府(大バビロン)の崩壊。
・崩壊以降、千年王国の終わりまで悪霊群が住まう。
・反キリストは、この時には、ここにはいない。
 黙示録18章、イザヤ13~14章、エレミヤ50~51章

(第3ステップ)
・反キリスト軍は、ユダヤ人の残りの1/3の壊滅へ。
・ハルマゲドンから南下し、先ずエルサレムを攻める。
・エルサレムの都は陥落する。
・都にいたユダヤ人の半分は生き残っている。
 ゼカリヤ12章、14章


(第4ステップ)
・既に、1/3のユダヤ人はボツラに逃げている。
・ボツラはセイル山の山脈にあり、エドムの一部である。
・反キリスト軍勢は、ボツラのユダヤ人を総攻撃する。
 黙示録12:6~17、マタイ24:15~22、イザヤ34:6


(第5ステップ)
・イスラエルによる国家的罪の告白
・メシア再臨を求める祈り
・ユダヤ人指導者はイエスのメシア性を拒否した罪に気付き、民を悔い改めへと導く。
 レビ26:39~42、エレミヤ3:12~18、ゼカリヤ12:10、13章、14章、ホセア5:15、  6:1~3、イザヤ66:8


(第6ステップ)
・メシア(イエス様)はエドムの地、ボツラに再臨される。
・反キリストの諸国軍勢を滅ぼされる。
・主がお一人で戦われる。
・再臨のメシアは、次にエルサレムの住民を救う。

 イザヤ34:1~7、63:1~6、ミカ2:12~13、ゼカリヤ12:7


(第7ステップ)
・ボツラの戦いの後、エルサレムの東壁へと進む。
・ケデロン(ヨシャファテ)の谷で戦いは終わる。
・流される異邦人の血は凄まじいものとなる。
 ヨエル3:12~13、黙示録14:19~20

 

(第8ステップ)
・戦いが終わると、メシアがオリーブ山に立たれる。
・オリーブ山が南北に裂け、東西に巨大な谷ができる。(避難路となる)
・地球規模の地殻変動が起こる。
・エルサレムは3つに裂け、約55k(1タラント)の雹が降る。
・天変地異をもって、ハルマゲドンの戦いは、幕となる。
 ゼカリヤ14:3~4、黙示録16:17~21、ヨエル3:14~17


2023年04月18日

マラキ1章1節~5節

ラキと時代背景

*マラキ・・『わたしの天使』、『わたしの使者』 という意味
*活動時期・・捕囚期以降に活動。手掛かりとして、1:8で使われる「総督」(ペハー)がヘブル語ではなくペルシャ語であるので、ペルシャ時代下にあることが分かる。また第2神殿が既に完成しているので、紀元前515年以降に活動したと考えられる。

 

1節:宣告。マラキを通してイスラエルに臨んだのことば。

『宣告』・・ゼカリヤ書にも表記あり。重みのある預言。生死を決める重大事項。書置き。マラキ書自体が、そのような重みを持っているという事。事実、書としての預言は終わる

2節:「わたしはあなたがたを愛している。 ―は言われる― しかし、あなたがたは言う。『どのように、あなたは私たちを愛してくださったのですか』と。エサウはヤコブの兄ではなかったか。―のことば― しかし、わたしはヤコブを愛した。

愛している・・アハブ:偏愛的、寵愛的な愛。神の主権的な選び。無条件の愛。

      ヘセド:合意に基づく契約の愛。条件が伴う愛。

ここでは、アハブが使われている。本来、長男のエサウが優先だが(長子の権利)、神はヤコブを選ばれた。神はヤコブを愛した。
私たちに対する神の愛は、まさに『アハブ』!この愛に応答しましょう!
世の中は、そんな私たちの目を神から引き離す要素が散りばめられているから、要注意!

3節:わたしはエサウを憎み、彼の山を荒れ果てた地とし、彼の相続地を荒野のジャッカルのものとした。

『エサウを憎み、』・・冷遇する、選ばない、という意味合いが含まれる。
彼の山・・エドムの地を指す。ジャッカルの住処となり下がる。
エドムはバビロンにより滅ぼされ、再興を図ったが、立ち直れなかった。
既に、そういう兆候が見えていたと思われる。明らかに神殿再建のイスラエルとは異なる結果。→→神の決定事項であり、そこには神の愛による選別があるということ。

4節:たとえエドムが、『私たちは打ち砕かれたが、廃墟を建て直そう』と言っても、 ―万軍のはこう言われる― 彼らが建てても、わたしが壊す。彼らは悪の領地と呼ばれ、がとこしえに憤りを向ける民と呼ばれる。

神が「憎む」とは、再起の道がないことである
たとえどんなにあがいても、主は再起を許さない。
エドムは悪の領地と呼ばれる。神が永遠に憤りを向ける民となる。

神の絶対的主権の認識

5節:あなたがたの目はこれを見る。そして、あなたがたは言う。『は、イスラエルの地境を越えて、なお大いなる方だ』と。」

既に当時、エドムの再起不能の兆候は見えていたと思われるが、私たちが見る歴史を見ても、エドムの再起はない。民は、エドムの衰退を見て、主は国境を超えてすべてを支配される絶大なる神と言うだろう。いずれ来るメシア的王国においては、エサウの子孫エドムの裁きを明確に見ることになる。それは、自分たちが神に愛されていたということに気付くことである。

 

神は、神殿再建後の民の心をご覧になり、その心が萎えていることを指摘している

『主は、イスラエルの地境を越えて、なお大いなる方だ』と、果たしていつ言うのであろうか? 神の愛に信頼して待ち望む忍耐を神は求めておられる!

 

⁂口伝律法について

ユダヤ教の伝承によれば、神はモーセに対し、書かれたトーラーとは異なる、口伝で語り継ぐべき律法をも与えたとされる。これが口伝律法(口伝のトーラー)である。

 

ミシュナ
口伝律法
ソフリーム(BC6世紀~AD1世紀)と、タナイーム(1世紀~3世紀) のラビたちの、トーラーに関する注解や議論したもの。
本来は口伝だが、2世紀の末ごろに書物となった。
ゲマラ アモライーム(3~6世紀)のラビたちが
ミシュナについて注解、議論したもの
タルムード 4世紀、5世紀にミシュナとゲマラが編纂されたもの

 

この歴史は、ユダヤの民が神からどんどん離れて行く歴史である

2023年04月27日

マラキ1章6節~14節

6節:「子は父を、しもべはその主人を敬う。しかし、もし、わたしが父であるなら、どこに、わたしへの尊敬があるのか。もし、わたしが主人であるなら、どこに、わたしへの恐れがあるのか。 ―万軍のは言われる― あなたがたのことだ。わたしの名を蔑む祭司たち。しかし、あなたがたは言う。『どのようにして、あなたの名を蔑みましたか』と。

イスラエルの民は、神の民(主従関係)であり、神の子(親子関係)である。
神の子→ 出エジプト4:22、イザヤ1:2、63:16、エレミヤ31:9、ホセア11:1、参照

こうした関係は、神に尊敬の念、恐れの念があることが基本である。
神との関係を、律法を通して教え導くのは『祭司』の仕事の一つである

まさしく、その祭司を「わたしの名を蔑む祭司」と言って、叱責と共に、気付きを促しておられる神。お前たちは、外見上の祭司となり下がっている、名ばかりの祭司だ!

しかし、当の祭司たちは尋ねる。

どのようにして、あなたを蔑みましたか?私たちはきちんとやってますよ!
神はいつもその動機を見ておられるが、この祭司たちの動機は?

7節:あなたがたは、わたしの祭壇に汚れたパンを献げていながら、『どのようにして、私たちがあなたを汚しましたか』と言う。『の食卓は蔑まれてもよい』とあなたがたは思っている。

神への日ごとの捧げものは、最上のものでなければならない。しかし、祭司たちはパンに限らず、ぶどう酒などすべてが最上でないものを捧げている。
それでも、祭司たちは汚したとは認めない!それどころか、主の食卓は蔑まれてもよいと、心の中で思っている!
 レビ21:6「彼らは自分の神に対して聖でなければならない。」

 レビ6:12~18(祭司の仕事の一部)  

*祭司の主な仕事
①聖所の務め→捧げもの(神への捧げものが律法にかなっているかを注意深く審査し、 
すべてが規定通りであるように取り図る)、火を消さない
②民を祝福すること、きよめに関すること、ラッパの吹き鳴らし、律法やおきてを教えること

8節:あなたがたは盲目の動物を献げるが、それは悪いことではないのか。足の萎えたものや病気のものを献げるのは、悪いことではないのか。さあ、あなたの総督のところにそれを差し出してみよ。彼はあなたを受け入れるだろうか。あなたに好意を示すだろうか。 ―万軍のは言われる― 

7節で「パン」と言ったが、それ以外でも汚れたものを平気で捧げている祭司。
職務怠慢!本来の仕事はホッタラカシである。どこにも『聖』は見られない。
『総督』に、そんな捧げものをするか?してみよ!彼はどういう態度を示すだろうか?
好意どころか、毛嫌いして近づけることさえしないだろう!

目に見える権威者には、真剣に、徹底的に捧げものを吟味して、ささげる。
しかし、神に捧げるときは、誠実さも忠実さもなく、無頓着にささげている!
人間の愚かさが露見している。目に見えるものに心が向いてしまう現実!
本当に大事なものを見失っている。特に祭司はそのストッパーなのに!
新約の時代にあって、私たちが祭司であることを認識しよう!

 (Ⅰペテ2:5、9 ロマ12:1 黙1:6 ) 

9節:さあ、今度は神に嘆願したらどうか。『われわれをあわれんでください』と。このことはあなたがたの手によることだ。神があなたがたのうち、だれかを受け入れるだろうか。 ―万軍のは言われる―

「今、『われわれをあわれんでください』と嘆願したらどうだ!」・・悔い改めたらどうだ・・ということ。
新共同では『今、神が恵みを与えられるよう ひたすら神に赦しを願うがよい。』
「あなたがたの手」・・つまり自分が蒔いた種、自分たちの行いの結果・・という意味。

悔い改めるという意味とやり方を知っているのか?知らないだろう!

10節:あなたがたのうちには、扉を閉じて、わたしの祭壇にいたずらに火をともせないようにする人が、一人でもいるであろうか。わたしはあなたがたを喜ばない。 ―万軍のは言われる― わたしは、あなたがたの手からのささげ物を受け入れない。

心から反省して、汚れた捧げものを止めるべく、神殿の扉を閉めて、祭壇に近づけなくするほどのような者が一人でもいるか?

神はこのようなイスラエルの民を喜ばない。よって神はその者たちのささげ物がいくら捧げられても受け入れることはない
当時、実際の王は存在していなかった。(ペルシャの支配下)

よって民のリーダーは、大祭司、祭司という図式だった。本来とは異なる特異な環境。

11節:日の昇るところから日の沈むところまで、わたしの名は国々の間で偉大であり、すべての場所で、わたしの名のためにきよいささげ物が献げられ、香がたかれる。まことに、国々の間で偉大なのは、わたしの名。 ―万軍のは言われる―

神の存在感・・必ず神は全世界を治め、全人類(異邦人)が神を称える日が来る!
その時、率先してきよい捧げものをする神の民は素晴らしい祝福を受けるのではないか?

 

12節:しかし、あなたがたは『主の食卓は汚れている。その果実も食物も蔑まれている』と言って、わたしの名を汚している。

13節:また、『見よ、なんと煩わしいことか』と言って、それに蔑みのことばを吐いている。 ―万軍のは言われる― あなたがたは、かすめたもの、足の萎えたもの、病気のものを連れて来て、ささげ物として献げている。わたしが、それをあなたがたの手から取って、受け入れるだろうか。 ―は言われる―

それなのに「主の食卓は汚れ、その果実も食物も蔑まれている」と言って、不平を言うだけで何もせず、結果、神を汚し、更にそれに加えて、「ああ、面倒くさい!」と、軽視している。そして、かすめ取ったもの、病気のものを神に平然とささげている祭司たち。

そんなささげ物を、神は受け入れることはない。

本来の祭司の職務をどう思っているのか?!
大祭司や祭司は、外見は神に仕える姿勢を見せても、中身は世的。
大祭司エルヤシブ(大祭司ヨシュアの3代目)は、城壁再建の敵と融和(ネヘ13:4~7)

司の支配意識が職務怠慢を招き、民への悪影響となる。
導くリーダーの責任は大きい。神が上層部を叱る理由である

14節:自分の群れのうちに雄がいて、これを献げると誓いながら、損傷のあるものを主に献げるような、ずるい者はのろわれる。わたしは大いなる王であり、 ―万軍のは言われる― わたしの名は諸国の民の間で恐れられているからだ。」

祭司の劣化は、一般の民の信仰の劣化につながる。ここは、一般市民への影響を指摘。
口では、「最上のものをささげます」と言い、実際に良いものがあるにも拘らず、ささげる物は汚れた傷物を捧げる一般の民。偶像礼拝はしていないが、完全に神の存在を軽視。
『ずるい者』→狡猾、偽り者。かつて神は、そのような不信仰を裁かれ、バビロン捕囚があったのに、そのことを忘れているかのようである。(従って、のろいの対象となる)
神は、かつて恐れられ、そして未来においても全人類に対して恐れられる存在となる。

ここに心の偶像礼拝へと転げ落ちて行くイスラエルの民の行く末が、既に指摘されている。こうした、目に見えない神を蔑ろにするという事は、それだけ自己中心的な考え方になっている証拠ではないか。人々の心に、果たして正義と公正(愛神愛人)の思いは育つだろうか?

2023年05月04日

マラキ2章1節~17節

1節:「祭司たちよ、今、この命令があなたがたに下される。

2節:もし、あなたがたが聞き入れず、もし、わたしの名に栄光を帰することを心に留めないなら ―万軍の主は言われる― わたしは、あなたがたの中にこののろいを送り、あなたがたの祝福をのろいに変える。もう、それをのろいに変えている。あなたがたがこれを心に留めないからだ。

祭司たちへの命令、すなわち『裁き』である。
気付きの促しに応答せず、神の栄光を称えること(祭司としてのあるべき姿)を忘れている。
本来の祝福は、『のろい』となる。否、もう『のろい』となっている。
神を忘れ、自らの使命を忘れ、目的意識をすり替えてしまった

決定事項である。もう祝福になる事はない。(心の偶像礼拝の預言と言える)

3節:見よ。わたしは、あなたがたの子孫を責め、あなたがたの顔に糞をまき散らす。あなたがたの祭りの糞を。あなたがたはそれとともに投げ捨てられる。

祭司たちの子孫への責め。彼らと、彼らが執り行う祭りに対して糞をまき散らす。
家畜(いけにえ)の汚物(糞)は、律法によれば、宿営の外で焼かれて、捨てられる。(29:14
糞と同様、祭司も彼らの祭りも、宿営の外で焼かれて捨てられる→無意味なものとなる

4節:このときあなたがたは、わたしがレビとの契約を保つために、あなたがたにこの命令を送ったことを知る。 ―万軍の主は言われる―

自分たちが、神に不遜な状態に気付いたら、過去、レビとの契約順守のために、祭司に対して与えた命令と、気づくことになる。(本来の祭司とその役割とは何か!)

*レビとの契約

 出エジ32:23~29 ⇒26節:レビ族の中から真の礼拝者が選ばれたという事件。
 民数8:5~19    ⇒レビ人の立場と役割について
 民数18:16~29  ⇒レビ人の働きと収入について
 申33:8~11    ⇒ (モーセのことば) 神との契約、任務について

5節:わたしの、彼との契約は、いのちと平安であった。わたしはそれらを彼に与えた。それは恐れであったので、彼はわたしを恐れ、わたしの名の前に、おののいた。

レビと神との契約の原則は『いのちと平安』である。つまり、民が真のいのちと平安に至る道。その道(律法)を彼に与え、彼はそれを恐れ(畏れ)と共に受け取り、主に信頼し感謝した。レビ(族)は真摯に、神の働きに精進した
私たちも、時流に流されず、神を恐れ、神に信頼する者の務めを実践する!それは、愛の実践!

6節:彼の口には真理のみおしえがあり、彼の唇には不正がなかった。平和と公平さのうちに、彼はわたしとともに歩み、多くの者を不義から立ち返らせた。

レビ(族)は、『正義と公正』という真理を貫き、不正を行わず、また人々に神の道を示した。神とともに歩み、多くの人々を不義から、悔い改めて真理へと導いた。


7節:祭司の唇は知識を守り、人々は彼の口からみおしえを求める。彼が万軍の主の使いだからだ。

そうした行動は、祭司に受け継がれ、祭司はレビの言い伝えを守り、また人々も彼らに従って、神のみおしえを正しく守って歩んだ。
まさに祭司とは、『万軍の主の使い』だからだ!

今、神は私たちを祭司としてくださっている(万人祭司)
改めて、祭司としての役割と実効性について、見つめなおそう!
救われた者として、神の子として、神を証して歩む姿を、神は喜ばれる!

8節:しかし、あなたがたは道から外れ、多くの者を教えによってつまずかせ、レビとの契約を損なった。 ―万軍の主は言われる― 

こうして続いてきた祭司の務めを、お前たちは蔑ろにしてその道から大きく外れた。
更に、多くの民に間違いを教え、彼らをつまずかせた。
その結果、神の民の存在価値は忘れ去られ、かつてのレビが心に抱いた神への恐れ (畏れ)は消え失せてしまった。

如何にリーダーの役割が重要であるかを指摘している神

9節:わたしもまた、あなたがたを、すべての民に蔑まれ、軽んじられる者とする。あなたがたがわたしの道を守らず、えこひいきをしながら教えたからだ。」

彼らの不正は神の教えによらず、自分たちの判断(えこひいき)の教え。世的な支配。

まさに口伝律法がその象徴である。タルムードを見ると、良いことが書かれているが、目線は人間的である。⇒神から民の目を引き離す!
民が神にした(契約を損なった)ように、神は、彼らがすべての民に蔑まれ、軽んじられる者とすると決定した。歴史を見ると、相当に厳しい仕打ちとなっている。ここに、気付きの促しがあることを見逃してはならない。

10節:私たちすべてには、唯一の父がいるではないか。唯一の神が、私たちを創造されたではないか。なぜ私たちは、互いに裏切り、私たちの先祖の契約を汚すのか。

11節:ユダは裏切り、イスラエルとエルサレムの中で忌まわしいことが行われた。まことにユダは、主が愛された主の聖所を汚し、異国の神の娘をめとった。

私たちは、唯一の創造主なる神を崇める民ではないか?
それなのに何故、神の教えを守らず互いを裏切る支配関係を作り出し、また、神と先祖の約束(契約)を汚すようなことをするのか?(アブラハム契約)
ユダの裏切り→神に対する裏切り→律法の不順守
律法の軽視による汚れた行為。聖所を汚す行為。
それに加えて、異国の神を信じる異邦人の娘との結婚(エズ9:1~6、ネヘ13:21~27)
⇒律法違反:出34:15~16、申7:3
偶像礼拝はしないが、異邦の神の価値観が民の心に染み込んで来る

12節:このようなことをする者を、どうか主がヤコブの天幕から一人残らず断ち切ってくださるように。たとえその者が万軍の主にささげ物を献げても。

ヤコブの天幕から→これはイスラエルの共同体から排除されるべき!ということ。
その対象は、汚れたささげものを捧げる民とそして祭司の両方と考える。

日常、神の民として振る舞っていても、心の中の意識、そして動機が問題!

【参考】ネヘミヤ記13:28~31
大祭司エリアシブの子ヨイアダ(ヨヤダ)のひとりの子がホロン人サンバラテ(サマリアの総督)の娘を嫁に取っていたため追放した。
大祭司の親族が、雑婚という律法違反を犯してしまうほどに、人々の心の中で、神の存在は軽薄化していた。

13節:あなたがたはもう一つのことをしている。あなたがたは、涙と悲鳴と嘆きで、主の祭壇をおおっている。主が、もうささげ物を顧みず、あなたがたの手からそれを喜んで受け取られないからだ。

更に汚れた悪をお前たちは行っている。
お前たちがいくら祈っても、ささげものをしても主は喜んで受けとらない。
それ故、お前たちは涙を流し、悲鳴の如き祈りをささげ、嘆いているのに。


14節:「それはなぜなのか」とあなたがたは言う。それは主が、あなたとあなたの若いときの妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶であり、あなたの契約の妻であるのに。

それは、主が証人となって成立した結婚を破棄して妻を裏切り、離婚しているからだ。
神が定めた伴侶であり、契約の妻であるのに、それを無視した。
伴侶とは、助け手である。(創世記2:20~24)
神は伴侶を人生の助け手として、また子孫の継続のためとしている。

神のみおしえには、意味があるのだが、それをはき違えてしまうのが人間である
新約聖書(マタイ19:3~9)で妻の離縁についてパリサイ人がイエス様に質問し、離婚は神の御心ではないことを示されたが、当時の人々には都合が悪い話である。

15節:神は人を一体に造られたのではないか。そこには、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、自分の霊に注意せよ。あなたの若いときの妻を裏切ってはならない。

結婚とは、男女が一体となること。肉的な一体感のほかに、霊的な一体感を重視しなければならない。その目的は、神の民の子孫を繋ぎ、神の民の繁栄へ。
しかし、世的な判断が、雑婚、離婚という汚れとなり、神の御心から乖離して行く。
若い時の妻を裏切ってはいけない。それは神の御心に反する行為である。(箴5:18)

自分の霊に注意せよ。(新共同:気をつけるがよい)自分が神の民であることを自覚せよ!

16節:「妻を憎んで離婚するなら、 ―イスラエルの神、主は言われる― 暴虐がその者の衣をおおう。 ―万軍の主は言われる。」あなたがたは自分の霊に注意せよ。裏切ってはならない。

「妻を憎んで離婚するなら、暴虐がその者の衣をおおう。」⇒新共同「離婚する人は、不法でその上着を覆っている・・」 離婚することは、神への暴虐、不法である。
結婚をどう考えるかは今でも重要な事!

妻を裏切ることは、神の御心を悲しませる裏切り行為。裏切ってはならない事なのだ!

17節:あなたがたは、自分のことばで主を疲れさせた。あなたがたは言う。「どのようにして、私たちが疲れさせたのか。」それは、あなたがたが「悪を行う者もみな主の目にかなっている。主は彼らを喜ばれる。いったい、さばきの神はどこにいるのか」と言うことによってだ。

この個所は、2章16節までの汚れた行動の結果を示している。
『あなたがたは』→祭司たちであり、その言葉に振り回されるイスラエルの民をも含む。
民の悪行を奨励し続けることで、民は異邦人化し、神は疲れと似たような失望を味わう。
しかし、祭司たちも、民も、そのことに気付くどころか、「どのようにして、私たちは神を疲れさせたのですか?私たちは主の目にかなっています!!」と言う。
イスラエルの民はいつの間にか、イスラエルの民は確実に救われるという意識になっていた。
『選民意識』は、内面を聖くするのではなく、外面(体裁)を整えることを意識していた。
そんな意識が ⇒「悪を行っても主は私たちイスラエル人を救われる。主は喜ばれる。」「さばきの神はどこにいるのか→私たちが裁かれることはない」と思わせた。
私たちは異邦人と違い選ばれた民なのだから! ⇒律法を守れば、私たちは救われる(出エジプト19:5~6)⇒モーセの律法から口伝律法へ!

2023年05月11日

マラキ3章1節~12節

1節:「見よ、わたしはわたしの使いを遣わす。彼は、わたしの前に道を備える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、彼が来る。 ―万軍の主は言われる。」

『わたしの使い』&『契約の使者』を、神は遣わすと明言しておられる。
マラキの名前の意味は『わたしの天使』、『わたしの使者』である。
マラキはイエス様について預言を語る使命が与えられた。3章以降は結論的位置づけ。
2種類の使者について語られていることに注目。
『わたしの使い』→4:5から預言者エリヤ→バプテスマのヨハネがその型
『契約の使者』→『あなたがたが尋ね求めている主』→初臨のイエス様【原文では、定冠詞付きの『主』ハ・アドン
契約:新しい契約の締結者、成就者であり、アブラハム契約の成就者と言える。
『その神殿』→近未来的には第2神殿。(遠未来的には第3神殿とも考えられる)
「突然」の意味⇒このマラキ書以降、預言が無くなるので。

さらに、2:17の言葉のように、結局、初臨のイエス様を無視することから、この節は近未来と遠未来の意味の含みを持つ預言的表現ではないか。
初臨のイエス様を指すと共に、遠未来の地上再臨のイエス様の予表と見る。


2節:だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現れるとき立っていられよう。まことに、この方は、精錬する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。

3節:この方は、銀を精錬する者、きよめる者として座に着き、レビの子らをきよめて、金や銀にするように、彼らを純粋にする。彼らは主にとって、義によるささげ物を献げる者となる。

この方(イエス様)は、裁き主として来られる、再臨の獅子なるイエス様。
1節は、子羊なるイエス様であり、さらには獅子なるイエス様の予表である。
『だれが』とは、大患難時代の人々。
大患難時代の状況を預言。未曽有の天変地異、疫病、戦争・・神の裁きは壮絶!
メシア的王国が成就するとき、王である主は、レビの子孫の祭司たちを立て上げ、義によるささげものがささげられるようになる。神の栄光をたたえる真の礼拝者たち。

 

4節:ユダとエルサレムのささげ物は、昔の日々のように、ずっと以前の年々のように主を喜ばせる。

かつてのモーセの時代のように、ダビデの時代のように、ささげ物、そして賛美を神は喜ばれる。
それはイスラエルの民の栄化が、大患難時代を経てメシア的王国の時に成就するから。

私たちは、この賛美に参加できる者として、その特権に与っている。
今は、それを先取りして、神に感謝し、賛美を捧げていることを忘れてはならない。

5節:「わたしは、さばきのためにあなたがたのところに近づく。わたしは、ためらわずに証人となって敵対する。呪術を行う者、姦淫をする者、偽って誓う者、不正な賃金で雇い人を虐げてやもめやみなしごを苦しめる者、寄留者を押しのけてわたしを恐れない者に。 ―万軍の主は言われる―

さばきの対象は、イスラエルの民。新共同:「・・・あなたたちに近づき、直ちに告発する」
神に不遜な言葉を吐き続ける民(2:17のことば)を、この世にかつて存在しない患難で 裁かれる神。すべて、神のみこころ(ご計画)の結果である。(DKNJ)
神は、世的な民の全てをご存知である。社会的弱者の抑圧。言い訳はできない。


6節:主であるわたしは変わることがない。そのため、ヤコブの子らよ、あなたがたは絶え果てることはない。

しかし、主の愛は変わらず、イスラエルの民は最終的には神に立ち返り、絶滅することはない。
つまり、このDKNJという裁きは、イスラエルの民の気付きの促しである。
彼らの救いの最後の道を、神は愛を持って導かれている。

私たちの神は愛の神 ⇒ 越えられない試練は与えられない ⇒ 試練もプラス材料!
気付きの促しと捉えて、心の向きを変えよう! ⇒私たちはどんな時も悲劇の主人公にはならない!

7節:あなたがたの先祖の時代から、あなたがたはわたしの掟を離れ、それを守らなかった。わたしに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたに帰る。 ―万軍の主は言われる― しかし、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちは帰ろうか』と。

民の不遜の原因を指摘する神。それは、神の掟、言いつけを守らず歩んできたこと。
申32:46~47
神の愛が示される箇所:わたしに帰れ!そうすれば、わたしもあなたがたに帰る!
「近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。」ヤコブ4:8
しかし「どのようにして帰ろうか」→方法さえ思いつかない体たらく。神の民の本質は失せている。

私たちも、自分勝手な神像を心に造り上げてはならない!神に近づくのである。
神像を造るとはどういうことか? ⇒ 神はこうあるべき!と自分の神像を神に投影すること。
自分の神像を神とし、自分がその神に命じている ⇒ 心の偶像礼拝となるから要注意!
聖書を学ぶことは、神を知り、神を愛すること。

神のご人格に触れ、絶対的主権を受け入れよう!

8節:人は、神のものを盗むことができるだろうか。だが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか』と。十分の一と奉納物においてだ。

9節:あなたがたは、甚だしくのろわれている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民のすべてが盗んでいる。

神のものを人が盗んではいけない。まして、神の民が盗むなどありえない事。
そんなことをしているのに、当のイスラエルの民は言う。
『どのようにして、あなたのものを盗んだというのですか?』そんなことしてませーん!
それは、十分の一と奉納物を規定通りにしていないという事である。
本来、神に返さなければならないものなのに、それを規定通りにしないなら盗みである。
イスラエルの民全員が盗人であると神は指摘する。
レビ人、祭司を蔑ろにし、神への働きが失せ、結局、民がのろわれることになる。

・十分の一とは、全ての収穫の十分の一。レビ人たちの生活の糧。民数記18:20~21参照
・奉納物とは、いけにえの動物、ささげ物の中の祭司とその家族の取り分
・奉献物とは、ささげものの一部で、祭壇に向かって揺り動かす。神にお返しし、その後、祭司に与えられる。出エジプト29:27~28参照

10節:十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしを試してみよ。 ―万軍の主は言われる― わたしがあなたがたのために天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうか。

『宝物倉』→貯蔵庫。
『わたしの家の食物』→祭司たちの食物。
神は最大限の譲歩(『試してみよ』)をして、民に規定通りの誠実な行動を促す。
その結果は、あふれんばかりの祝福。→当時の経済基盤である収穫物の豊作。


11節:わたしはあなたがたのために、食い荒らすものを叱って、あなたがたの大地の実りを滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。 ―万軍の主は言われる―

具体的には、いなごなどの害虫を打ち、麦やぶどうなどの収穫物を豊かにする、と言われる。

様々な気付きを促し(自然災害)をしたが、結局、民が気付くことはなかった。

ならば、「試してみよ!」とまで言われたが、その行動がないことは宣告ご承知。

民は神に信頼なし!
でも、神は6節で示したように、最終的な祝福を備えておられる。原則、神を試してはいけない!

   豆知識

        旧約聖書(モーセの律法)の十分の一献金について

 


12節:すべての国々は、あなたがたを幸せ者と言うようになる。あなたがたが喜びの地となるからだ。 ―万軍の主は言われる。

もし、民が規定通りに誠実に行動するなら、国は豊かになり、周辺諸国はそれを幸せ者というようになる。
約束の地に住まう民が、喜びに満ちあふれる地となるからである。
常に「万軍の主は言われる」とあり、神の確信を持ったことばと考える。
この状況が実現するのは、まさにメシア的王国であり、まさに未来の姿を示されている。
しかし、残念ながら今の民にこの預言は響かない。

神殿再建時に、神が預言者を通して築き上げた民へのアイデンテイテイや目的意識は、既に回帰不可能なほどに異邦人化してしまい、神の民は形骸化してしまった!
世の流れに惑わされ、本当の正しさが見失われてしまった状態。
私たちは神に全幅の信頼を置くクリスチャンとして、素直に、誠実に、神の子として歩むことが求められる!

2023年05月19日

マラキ3章13節~4章6節

13節:あなたがたのことばは、わたしに対して度を越している。 ―主は言われる― あなたがたは言う。『私たちが何と言ったというのですか』と。

神は素晴らしい未来を備えているのに、イスラエルの祭司と民のことば(思い)は,常軌を逸している。かつて、神に従うと誓ったあの民はどこへ行ったのだろうか?

民は、当たり前のように「私たちが何を言いましたか?」「そんなこと言ってませんよ!」と言う。

14節:あなたがたは言う。『神に仕えるのは無駄だ。神の戒めを守っても、万軍の主の前で悲しんで歩いても、何の得になろう。

15節:今、私たちは高ぶる者を幸せ者と言おう。悪を行っても栄え、神を試みても罰を免れる』と。」

お前たちの心の思いはこうだ!「神に仕えても、戒めを守っても、主を恐れても無意味!」むしろ今は、神の民を離れることは幸せであり、裁きもなく、神を試みても何の問題もない。

世の中の価値観に埋もれている状態
近未来⇒エズラやネヘミヤが、立て直しを図りはしたが、結局、マラキ書の預言どおり、民は心の偶像礼拝へ突き進む。
遠未来⇒未来のDKNJの前の状態を示しているとも考えられる。人類は、神を忘れ、全くの人間中心思考で活動することになる。

16節:そのとき、主を恐れる者たちが互いに語り合った。主は耳を傾けて、これを聞かれた。主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、主の前で記憶の書が記された。

そんな愚かな民の中にも残れる者はいる。→残れる者・・・レムナント
主は、主を恐れる者たち、すなわち真の信仰者たちが語り合っているのを聞いた。
常に神を第一優先とする人々のことばを、神は喜ばれる⇒それは、私たちの祈りがきかれているということ
そんな彼らの言動が、記憶の書→記録の書に記される。神のみこころに届いていることを示す。信仰者の行動が記された書。後に主からの報いを受けるときの参考とされる。

私たちも、聖化のプロセスを歩むうえで、記憶の書を意識してはどうだろうか!

17節:「彼らは、わたしのものとなる。―万軍の主は言われる― わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。

主のものとなる。→主の宝、主の宝の民、聖なる民、となる。出19:5~6、申26:16~19
この成就は、大患難時代を経てメシア的王国となった時である。

 

18節:あなたがたは再び、正しい人と悪しき者、神に仕える者と仕えない者の違いを見るようになる。」

大患難時代において、神の壮絶な裁きを目撃する。それはノアの洪水以来の2度目。
神に仕える者と仕えない者の全地球レベルでの区別が明確になる。DKNJ+HMD

 

4章

1節:「見よ、その日が来る。かまどのように燃えながら。その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行う者は藁となる。迫り来るその日は彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。 ―万軍の主は言われる― 

『見よ、その日が来る。』→決定されている事態を示している。
かまどのように→イエス様の火の精錬。ここにグレーゾーンはない!
根も枝も→子孫も含めてすべて区分(聖別)される。すべてをご承知の神の裁きは正しい!
この裁きは、ゼカリヤ書をはじめとする預言書に大患難時代、ハルマゲドンの戦いの預言として、既に示されている。


2節:しかしあなたがた、わたしの名を恐れる者には、義の太陽が昇る。その翼に癒やしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のように跳ね回る。

神に信頼し、恐れる真の信仰者である『残れる者』→主を呼び求める民。義認の民。
癒しは霊的、肉的の両方。
そのときの喜びは、長年の苦労(罪)からの解放であり、自由の獲得であり、契約の成就。


3節:あなたがたはまた、悪者どもを踏みつける。彼らは、わたしが事を行う日に、あなたがたの足の下で灰となるからだ。 ―万軍の主は言われる。

ここに、真の勝利が確定。民も真の勝利を体感し、神を心の底からたたえる。
悪者どもを踏みつける→イエス様が蛇の頭を打つことと重なる!
彼らは焼かれて地の下で、永遠の苦しみを味わうことになる。

悪を行う者どもは焼き尽くされる。しかし!万軍の主は言われる。お前たちの内の残れる者は大丈夫だ!必ず勝利すると、神のご計画(みこころ)が示されている

4節:あなたがたは、わたしのしもべモーセの律法を覚えよ。それは、ホレブでイスラエル全体のために、わたしが彼に命じた掟と定めである。

神の勧告が示される。それは、モーセの律法を覚えよ!という内容。
それを思い出させるのは初臨のイエス様。
ホレブ(シナイ山)での契約→申4:10~14、申5:1~10
この契約(モーセの律法)を守られなければ、神のご計画の次のステップに移行できない。
イスラエルの不遜者と異邦人は全て滅ぶことになる。
その回復のために、メシアなるイエス様の来臨がある。

敢えて神は、律法を『わたしのしもべモーセの律法』と言われていることに注目。新たな律法がイエス様によってもたらされる暗示か?

5節:見よ。わたしは、主の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。

『主の大いなる恐るべき日』→大患難時代
中川先生:預言者エリヤが大患難時代の前に主から遣わされる。

*吉田案

預言者エリヤ→3章1節の使者→表現は単数だが2人を指している
⇒バプテスマのヨハネと契約の使者イエス様
―根拠として―
①3章は1節~24節と考えられる。
②すべて神のみことばである。
③3章1節は、マラキの名にちなみ、混沌の中にあって、希望的未来を示す二人の使者の存在を、1人のエリヤ(偶像礼拝者との戦士、昇天)で示し、それが結論となっている。

3章1節と4章5節の預言は、両者ともに「遣わす」という言葉が使われている。
3章と4章は一つの章と見ると、くれぐれも念を押して申し伝えておく意向が伺える。
『・・彼は、わたしの前に道を備える。』→神殿に来るための道を備える使者。
イザヤ40:3~『荒野で叫ぶ者の声がする。「主の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ。・・・」』
バプテスマのヨハネは自身を、このイザヤの「荒野で叫ぶ者」と称した。ヨハネ1:21~23(役割重視)
イエス様は、マタイ11:7~14において、マラキ3:1の前半「見よ、わたしはわたしの使いを遣わす。彼は、わたしの前に道を備える。」の箇所を用いて、バプテスマのヨハネをエリヤと断定している。
御使い(ガブリエル)の証言・・ルカ1:13~19→「ヨハネはエリヤの霊と力で、主(イエス)に先立って歩みます。父たちの心を子どもたちに向けさせ、・・」⇒6節の書かれている内容とラップしている!
ヨハネはそのことは自覚していたと思われるが、3:1の契約の使者でないことも自覚し、エリヤではないと言ったと考えられる。契約の使者(ハ・アドン)とは主なるイエス様と知っているから。彼の謙虚な姿勢である。
更に、イエス様はエリヤと呼ばれる人物が「既に来ている」と明言している。
これは、ヨハネと共に、同じ辱めを受けて天に昇るご自分のことをも指しておられたと考えられる。マタイ17:11~12、マルコ9:11~13など
大患難時代の前のエリヤの出現であれば、時代関係も問題ない。
もし、エリヤ自身が来るなら、既に変貌山で、実際に彼が来ている。マタイ17:1~3、など。
更に、そこにはマラキ4:4に敢えて書かれたモーセも同時に出現した。段階的進展と考えれば、DKNJの前と言える。(マラキ書を知る者は、思わず勘違いする光景)
DKNJ直前のエリヤ出現の預言はマラキ書以外に見当たらず、否定はしないが、現在のところエリヤ→二人の使者→ヨハネとイエス様、と考えたい。

6節:彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、この地を聖絶の物として打ち滅ぼすことのないようにするためである。」

『父』→英語表記は複数形であり、『一般の父達』と解釈。
イエス様が初臨された後、イスラエルの民の中からイエス様の信者がでる。
すると、旧来のユダヤ教の父と子が争う事となる。(キリストの律法と口伝律法)
それは現在でも頑なに続いている悲しい状況。その状態がいつまでも続くことは、イスラエル民族の破滅につながる。契約の使者は、イスラエルの民の心の拠り所となって再臨し、アブラハム契約を成就する。

神は最後に、目の前にいるイスラエルの民は今後更に、神に背を向ける愚かな民となるけれども、イスラエルの民に対する深い愛を表明されている。この預言書以降、約400年間、神の預言は与えられず暗黒へと進んで行く。そんな未来を神は全てご存知で、次のステップを備えておられ、神の愛に気付く者を導かれる。
そして、メシアなるイエス様の来臨による、十字架の御業!

2023年05月25日

エズラ記1章1節~6節

著者エズラについて

名前の意味は、『助け』。
彼は非常に忠実な、神の働き人である。
大祭司アロンの血筋で、大祭司ヒルキヤの子孫である(7:1~5)

ヒルキヤは、ヨシヤ王の時代、神殿にてモーセの律法を発見した人物。宗教改革に貢献。

仕事は、祭司であり、学者(律法の教師)。彼は第二回帰還時の有力指導者。
エズラ記の著者であり、歴代誌の著者とも言われる。(ユダヤの伝承)その働きは大きい。
 ・歴代誌Ⅱの後半のクロス王の件と、エズラ記の書き出しの件がほぼ同一。
彼の任務:神殿再建中の民は、ハガイ、ゼカリヤという預言者に励まされ、神殿が再建され民も立ち上がるも、その信仰は急速に堕落。エズラは彼らに律法を教え、異教徒との交わりを厳しく禁じ、民の信仰心を導いた。

 

エズラ記について

執筆年代は、BC440年頃。


6章と7章の間には、56~7年のインターバルがあるとされる。
  ・1章~6章→帰還から神殿完成まで
  ・7章~10章→帰還民へのエズラの働きについて


 

エズラ記とネヘミヤ記について
一時、この二書が、一つの書とされていた。その時の書名は『エズラ』であった(1448年までのヘブル語聖書)。その後、ふたつに分離され現在の形となった。それぞれに著者が明記されているなどの理由から、元は別々であったと考えられる。


1節:ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられたのことばが成就するために、はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした。

キュロス王の第1年→BC538年
エレミヤによって告げられた主のことば→エレ25:11、29:10の預言(バビロン捕囚から70年後の帰還)
神が主導されてキュロス王を動かし、神の預言が成就する。

キュロス王については、ハガイ書の事前情報(ハガイ書1章1節)を参照してください!

2節:「ペルシアの王キュロスは言う。『天の神、は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された。

神がキュロス王を通してエルサレムの神殿建設を指示された。


3節:あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神がともにいてくださるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。

エルサレムにて、主と共に、イスラエルの民は主の神殿を建てるように!


4節:あとに残る者たちはみな、その者を支援するようにせよ。その者がどこに寄留しているにしても、その場所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んで献げるものに加え、銀、金、財貨、家畜をもってその者を支援せよ。』」

後に残る者→帰還に参加しない民、また、近隣諸国に在住の民。
残る者には、支援の命令が発せられていた。
神殿再建の支援と、神殿再建に携わる人々への支援が命じられた。

 

5節:そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たちは立ち上がった。エルサレムにあるの宮を建てるために上って行くように、神が彼ら全員の霊を奮い立たせたのである。

6節:彼らの周りの人々はみな、銀の器、金、財貨、家畜、選りすぐりの品々、そのほか進んで献げるあらゆる物をもって彼らを力づけた。

その命令を受けて、ユダとベニヤミンの一族のかしら、祭司、レビ人が立ち上がった。
彼らが神によって奮い立ち、神殿再建に臨む人を集めた。
残る人々も、自主的に金、銀、財貨などをささげて、大いにサポートした。

自主的な支援は、幕屋の建設の時の状況に似る

2023年06月08日

エズラ記1章7節~2章70節

1章7節~11a節
キュロス王は、ネブカドネツァル王(バビロン)が神殿から奪った主の宮の器を、財務官ミテレダテに運び出させ、その数を確認させた。
その器類を、ユダの首長シェシュバツァルに渡した。

           ➥彼については諸説ある①ゼルバベル ②ペルシャの高官管

 金の皿30・銀の皿1000、香炉29      ③ダビデの家系に属するユダヤ人

 金の鉢30、銀の鉢410、その他1000点
 金・銀の用具5400点
      合計7,899点!

 

1章11b節~2章2a節
ネブカドネツァルの剥奪品(金・銀の用具)は、捕囚民がエルサレムに上る時、シェシュバツァルが携行した。こうした待遇の元で、捕囚民は解放された。
解放された民は、捕囚された民の一部であった。決して多くはない。
この州・・・ペルシャの行政区であるユダを指す。
解放され、自らの国に帰ったリーダー的人々のリストが示される。
ゼルバベル→総督、ヨシュア→大祭司、セラヤはエズラの父(7:1)
ネヘミヤ・・・ネヘミヤ記の著者とは異なる人物⇒著者ネヘミヤは90年後に帰還
モルデカイ・・エステル記のそれとは異なる人物⇒エステル記は約60年後の事

2章2b節~20節
11人のリーダーと共に帰還した人数が示される。
3節~20節:氏族・家族ごとの人数リスト。
このリストにリーダーの数が含まれているかどうかは不明。
合計15,604人

 

パハテ・モアブ族⇒「モアブの長官」というような意味で、かつてユダがモアブを支配し         ていた時の長官職とも考えられる。
ギバル族⇒ネヘミヤ記ではギブオン族

2章21節~35節
21の町や村ごとに人数がリストアップされている。
ユダ(エルサレム近郊)、ベニヤミンの地域。
エルサレム神殿再興の思いは、南ユダ王国の民が中心となっていたと思わせる。
合計8,540人


新共同を見ると、○○人の時は男子○○人と記載され、族の時は一族○○人と記載されている。これが何を意味するかは不明だが、帰還した民は単純に表記された人数だけではなさそうだ

2章36節~39節
祭司がリストアップされている。
合計4,289人


2章40節~42節
レビ人がリストアップされている。
合計341人


2章43節~58節
宮に仕えるしもべたちがリストアップされている。
合計392人


2章59節~60節
テル・メラフ、テル・ハルシャ、ケルブ、アダン、イメルからの引き揚げ者たち。
彼ら(デラヤ族、トビヤ族、ネコダ族)は先祖の家系と血統がイスラエル人である証明ができない人たち。
合計652人


2章61節~63節
祭司の子孫と思われる氏族は、ホバヤ族、ハ・コツ族、バルジライ族。
彼らは系図が無く、大祭司(ウリム、トンミムが使える祭司)が神の意向を伺い知るまでは、聖なる祭司の食べ物(ささげものの祭司分)は食べてはならないとされた。

ここまでの帰還民のリストの合計は、29,818人。

2章64節
帰還民の合計数が書かれている。42,360人
これまでの数字の合計29,818人と異なる。
この差は、

*家族の人員が含まれた数。  
*他の10部族からの帰還民も含まれた数。


2章65節~67節
男女の奴隷:7,337人、 男女の歌い手:200人。 総人員は、49,897人
馬:736頭、 らば:245頭、 らくだ:435頭、 ろば:6720頭

家畜が多いのは、戦いよりも、先ずは再興!の思いが強かったのではないか!
一次帰還民は支援を得て、希望に満ち溢れ、故郷を目指したに違いない!

 

2章68節~69節
帰還民は、エルサレムの主の宮の場所に向かった。
一族のかしらの中のある者たちは神殿再建のために進んでささげた。
それらは工事資金となった。
金61,000ダリク(ダリヨスの金貨8.4g)→512.4kg
銀5000ミナ(1ミナ=575g)→2875kg
祭司の長服100着
神殿再建に対する多額の献金をする背景⇒神の預言が見事に成就したという事実があり、それを体験した喜びが人々を動かしたと考える。

2章70節
全イスラエルは、エルサレムに向かい、その後、自分たちの町々に住んだ。
 ユダ、ベニヤミン以外の10部族も参加していたことが分かる。
町々とは、ベツレヘム、アナトテ、ラマ、ゲバ、ベテル、エリコなど。

→ユダ、そしてベニヤミンの地や、その近郊。

帰還という奇蹟を実感した人々は南ユダも 北イスラエルも関係なく、彼らのアイデンティティが揺さぶられたのではないか!彼らはこの時点では、『残れる民』であった!

   

2023年06月15日

エズラ記3章1節~13節

1節:イスラエルの子らは自分たちの町々にいたが、第七の月が来たとき、民は一斉にエルサレムに集まって来た。

2節:そこで、エホツァダクの子ヨシュアとその兄弟の祭司たち、またシェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちは、神の人モーセの律法に書かれているとおりに全焼のささげ物を献げるため、イスラエルの神の祭壇を築いた。

自分たちの町々にいた・・・バビロン→エルサレム→自分たちの町へ移動。
神殿再建の前に、自分たちの生活を整えた 家の建築、農地など
第7の月→9月~10月の時期に、民が一斉に集まってきた。民が一致している
BC537年 神殿再建を第7の月からと、帰還民の全員が共通認識
ヨシュアと兄弟の祭司、ゼルバベルと兄弟は、ささげもののための祭壇を築いた。
モーセの律法に従って祭りを行う民。モーセの律法に従う民としての決意。
第7の月の  1日→ラッパの祭り
      10日→宥めの日
      15日~21日→仮庵の祭り (レビ23:23~43)

3節:彼らは、周りの国々の民を恐れていたので、祭壇を所定の場所に設けた。彼らはその上でに全焼のささげ物、すなわち、朝ごと夕ごとの全焼のささげ物を献げた。

4節:彼らは、書かれているとおりに仮庵の祭りを祝い、毎日の分として定められた数にしたがって、日々の全焼のささげ物を献げた。

『周りの国々を恐れていたので、』→『・・国々を恐れていたが、』と解釈すべき。    新共同では『彼らはその地の住民に恐れを抱きながら、』となっている。
周りの国々→アッシリヤ時代、移民政策により他国からこの地に住み着いた異邦人。
祭壇を設け、とにかく初めに、朝ごと夕ごとの全焼のささげものを献げた。

神の民として皆が一致する姿を、神に、そして周囲に示している
ラッパの祭り、宥めの日、仮庵の祭りと祭りが進められた。
これは捕囚以降、初めての全焼のいけにえ。

何事もすべては神による!先ず神にささげる思いを見習おう!

5節:それから、常供の全焼のささげ物、新月の祭りやすべての聖別されたの例祭のためのささげ物、そして一人ひとりが進んで献げるものを、喜んでに献げた。

その日以降、民は新月の祭りや例祭などのたびに、一人ひとりが進んで、喜んで主にささげ物をささげた。
神の民としてのあるべき姿が、この時点では十分に発揮されていた。


6節:彼らは第七の月の一日から全焼のささげ物をに献げ始めたが、の神殿の礎はまだ据えられていなかった。

主の神殿の礎はまだ据えられていなかったが、イスラエルの民は第7の月の全焼のささげ物からささげ始めた。
このささげ物は、毎日ささげられた。


7節:彼らは石切り工や大工には金を与え、シドンとツロの人々には食べ物や飲み物や油を与えた。それはペルシアの王キュロスが与えた許可によって、レバノンから海路、ヤッファに杉材を運んでもらうためであった。

資材の調達→再建準備はすでに着々と進んでいた。
キュロス王の許可の元、すでに石や杉材が運ばれていた。
内部はレバノン杉。外部は石。
ツロ、シドン(交易港)の人々の協力が必要。
キュロス王の発令が神殿再建に、重要な影響!

8節:彼らがエルサレムにある神の宮のところに着いて二年目の第二の月に、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアと、そのほかの同僚の祭司とレビ人たち、および捕囚からエルサレムに帰って来たすべての人々は、の宮の工事を指揮するために二十歳以上のレビ人を立てて、工事を始めた。

エルサレム帰還の翌年の第2の月に、20歳以上のレビ人を指揮者として立て工事を開始。建設が始まった。
人選は、ゼルバベル、ヨシュア他(BC536年5~6月)。
最初のバビロン捕囚(BC605年)からほぼ70年経過。


9節:こうして、ヨシュアと、その息子たち、その兄弟たち、カデミエルとその息子たち、ユダの息子たちは一致して立ち、神の宮の工事に当たる者たちを指揮した。ヘナダデの息子たちと孫たち、そのレビ人の兄弟たちもそうした。

神の宮の工事の指揮者たち

ヨシュア(大祭司グループ)、その息子たち、その兄弟たち、
カデミエルとその息子たち
ユダの息子たち(新共同:ホダウヤの息子たち)
ヘナダデの息子たち、孫たち、そのレビ人の兄弟たち

10節:建築する者たちがの神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によってを賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出て来た。

こうして神殿の礎が完成(BC536)した時、ダビデに倣い、主を賛美する。
ダビデがエルサレムに契約の箱を運び入れたときに倣って。(Ⅰ歴16:5~36)
賛美の準備として、祭服を着た祭司はラッパ、アサフの子らはシンバルを持った。


11節:そして彼らはを賛美し、感謝しながら「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い交わした。こうして、の宮の礎が据えられたので、民はみなを賛美して大声で叫んだ。

ダビデに倣い、またソロモンの神殿への契約の箱の搬入時(Ⅱ歴5:6~14)に倣い、『主はまことにいつくしみ深い・・』を歌ったイスラエルの民。
残念ながら雲(シャカイナグローリー)は出なかった。
民が一致して主を賛美し大声で叫んだ!


12節:しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、以前の宮を見たことのある多くの老人たちは、目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。

歓声を上げる2種類の人々。
喜んで大声を張り上げる人々と、泣きながら大声を張り上げる人々。
後者は、祭司やレビ人、一族のかしらのうちの、以前の神殿を知る老人たち。


13節:そのため、喜びの叫び声と民の泣き声をだれも区別できなかった。民が大声をあげて叫んだので、その声は遠いところまで聞こえた。

喜びの叫びと、泣いて叫ぶ声の区別がつかないほどの大声。
その声は、遠いところまで聞こえた。つまり、異邦の民にも聞こえた。
BC586年がソロモン神殿の崩壊であり、BC536年の土台完成まで約50年経過している。

老人のかしら達が泣いた理由は・・⇒ソロモン神殿に比較して、貧弱な神殿しか捧げられないと感じたから。豪華さは、神の栄光と等しいと当時の人は考えた。

スタートと感じる者と、リスタートと感じる者の違いが現れた。世代の格差!

2023年06月22日

エズラ記4章1節~24節

1節:ユダとベニヤミンの敵たちは、捕囚から帰って来た人々がイスラエルの神、主のために宮を建てていると聞いて、

2節:ゼルバベルと一族のかしらたちのところに近づいて来て言った。「私たちも、あなたがたと一緒に建てたい。私たちは、あなたがたと同様、あなたがたの神を求めたいのです。私たちをここに連れて来たアッシリアの王エサル・ハドンの時以来、私たちはあなたがたの神に、いけにえを献げてきました。」

ユダ、ベニヤミンの敵たち・・・アッシリヤの移民政策により住み着いた異邦人。
北イスラエルの地に異邦人が入り、雑婚が進んだ。サマリヤ人と言われる人々。
この混血民の子孫が、宮の建設に参加したい旨、伝えてきた。
彼らの言い分⇒私たちは、あなたがたと同じ神を崇める者です。エサル・ハドン(アッシリヤの王)は、私たちを移民させました。移民である彼らは、基本的に混合主義である。あたかも同族であると主張し、参加する権利があると言わんばかりである。

3節:しかし、ゼルバベルとヨシュアと、そのほかのイスラエルの一族のかしらたちは彼らに言った。「私たちの神のために宮を建てることは、あなたがたにではなく、私たちに属する事柄です。ペルシアの王キュロス王が私たちに命じたとおり、私たちだけで、イスラエルの神、主のために宮を建てるつもりです。」

ゼルバベル(総督)とヨシュア(大祭司)の応答
⇒キュロス王が神の名のもとに、私たちに、私たちの神の神殿を建てるよう命じられた。
従って、神殿再建は私たちが責任を持って実行しなければならない。
それゆえ、あなたがたには何の関係もないことです。
サマリヤ人の神と私たちの神とは、別物であるという、暗黙の示唆。

 

4節:すると、その地の民はユダの民の気力を失わせようとし、脅して建てさせないようにした。

すると、サマリヤ人の態度は、妨害に転じる。働き手の気力を失わせたり、脅したりして、神殿建設を妨害し始めた。決して、暴力的な事だけではなく、異邦人文化へ人々を引き込むということ。

5節:さらに、顧問を買収して彼らに反対させ、この計画をつぶそうとした。このことはペルシアの王キュロスの時代から、ペルシアの王ダレイオスの治世の時まで続いた。

こうして土台完成後、サマリヤ人を中心とする周辺諸国は、神殿再建を妨害し始める。
その期間は、キュロス王からダレイオス王の時まで続く。BC536年頃~BC520年まで。
サマリヤ人は、顧問を買収して妨害。
新共同:参議官、・・「挫折させようとした」という表現。
『顧問』、『参議官』とは、ペルシャの法律の専門家で、法的な妨害の画策を行ったと思われる

 

【4章6節~23節は、挿入句となっています】

エズラがこの記録を書いているのは、すでに神殿が完成した後である。エズラ記は、パラレルで記録したのではない。
土台が出来たころに、外部からの妨害があり、それが神殿完成後も起きていたという事を示す目的があった。
6節の初めに、「クセルクセス王の時代には・・」と言い、「アルタクセルクセスの時代には・・」という言い方をしている。
年代を見ると、両者とも神殿完成(BC515)後であり、この挿入節の趣旨は、敵の執拗な妨害を示すためである。
妨害の対象はこの時、神殿ではなく『町づくり』である。
特に、5節の『顧問』を採用して妨害する方法について示していると思われる

 

6節:またクセルクセスの治世には、その治世の初めに、彼らはユダとエルサレムの住民を非難する告訴状を書いた。

クセルクセス王時代(エステル記の王)。
この時の妨害対象は、城壁、または町づくり。
妨害行為は、ユダとエルサレムを非難する告訴状を出した。

 

7節:また、アルタクセルクセスの時代に、ビシュラム、ミテレダテ、タベエルとほかの同僚たちは、ペルシアの王アルタクセルクセスに書き送った。その手紙の文字はアラム語で書かれ、アラム語で述べられていた。

アルタクセルクセス王時代。
アラム語でエルサレムに関する告訴状を、王に書き送った。
告訴人は、ビシュラム、ミテレダテ、タベエルとその同僚たち


8節:参事官レフム、書記官シムシャイはエルサレムに関して、次のような書状をアルタクセルクセス王に書き送った。

9節:これは、参事官レフム、書記官シムシャイ、ほかの同僚たち、裁判官、使節、役人、ペルシア人、ウルク人、バビロン人、スサの人々すなわちエラム人、

10節:その他、偉大にして高貴なアッシュルバニパルが、サマリアの町々とユーフラテス川西方のほかの地に引いて行って住まわせた諸民族からであった。

参事官レフム、書記官シムシャイは、エルサレムに関し、イスラエルの町の再建について、アルタクセルクセスに手紙(書状)を送った。
送付者名簿はレフム、シムシャイのほか、裁判官、使節、役人、バビロン人、ペルシア人、・・・・。これらはアッシリヤのアッシュルバニパルによって、ユーフラテス川西方の地や、サマリヤの町々などに移民させられた諸族の民(異邦人)である。

 

11節:彼らが送ったその書状の写しは次のとおりである。「ユーフラテス川西方の者、あなた様のしもべどもから、アルタクセルクセス王へ。さて、

彼らは、アルタクセルクセス王に書状(告訴状)を送った。

移民政策から雑婚制度を甘んじて受け入れ、また、帰還もできず神殿再建もできずにいる自分たちの鬱憤があったのではないかと、想像する。


12節:王にお知らせいたします。あなた様のところから、私どものところに上って来たユダヤ人たちはエルサレムに着き、あの反抗的で悪しき町を再建しております。その城壁を修復し、その礎もすでに据えられています。

告訴の時期は、神殿がすでに完成し、現在城壁を建設中である。
エルサレムを反抗的で悪しき町と呼んでいる。


13節:今、王にお知らせいたします。もしこの町が再建され、城壁が修復されたら、彼らは貢ぎ物、関税、税金を納めなくなり、王家に間違いなく損害を与えることになるでしょう。

14節:さて、私どもは王宮の塩を賜る者ですから、王に対する侮辱を見るわけにはいきません。それゆえ、私どもは人を遣わして、王にお知らせするのです。

このまま放っておけば、町が完成し貢ぎ物や税金を納めず、王家に損害を与えることになる。
『王宮の塩を賜る者』・・塩を分かち合うことは、友情、同盟の関係を意味する。
あなたに仕える者として、黙って見てはいられない!という密告のような直訴。


15節:あなた様の先祖の記録文書を調べていただきたいのです。そうすれば、この町が反抗的な町で、王たちと諸州に損害を与えてきたこと、また昔からこの町で反乱が繰り返されたことを、その記録文書の中に見て、理解していただけるでしょう。この町が滅ぼされたのも、そのためです。

16節:私たちは王にお知らせします。もしこの町が再建され、城壁が修復されたら、あなたはこのためにユーフラテス川西方の権益を失ってしまわれるでしょう。」

先祖の記録を調査し、昔から反抗を繰り返し、不従順な町であることを知るように。
もし、町が再建され、城壁が修復すれば、ユーフラテス川西方の権益を失うでしょう


17節:王は参事官レフム、書記官シムシャイ、およびサマリアとユーフラテス川西方のほかの地に住んでいる彼らの同僚たちに返事を送った。「平安があるように。さて、

18節:あなたがたが私たちのところに送ってよこしたあの手紙は、私の前で説明されて読まれた。

19節:私は命令を下し、調べさせたところ、その町は昔から王たちに対して謀反を企て、その町で反逆と反乱が行われたことが分かった。

20節:またエルサレムにはかつて勢力のある王たちがいて、ユーフラテス川西方の地を全部支配し、貢ぎ物、関税、税金が彼らに納められていたことも分かった。

アルタクセルクセス王は、彼らの同僚たちに返事を送った。
確かに過去に反逆があり、更に昔は、ユーフラテス川西方を支配した実績がある。


21節:今あなたがたは命令を下して、その者たちの工事をやめさせ、私から再び命令が下るまで、この町が再建されないようにせよ。

22節:あなたがたはよく気をつけ、このことを怠ってはならない。損害が増して王の不利益となるといけないから。」

よって、あなたがたはこの工事を止めさせ、再建を妨害せよ。
よく注意して見張れ。一所懸命やれ!決して王家の損害とならぬように!


23節:さて、アルタクセルクセス王の手紙の写しがレフムと、書記官シムシャイと、その同僚たちの前で読まれると、彼らは急いでエルサレムのユダヤ人のところに行き、実力をもって彼らの工事をやめさせた。

このアルタクセルクセス王の手紙の写しが、同僚たちの元に着くと、すぐさまエルサレムのユダヤ人を、実力行使して、再建工事を妨害したのである。

このように、サマリヤを中心とする敵は、神殿再建がなされた後でも執拗に、町の再建を妨害したのである

24節:こうして、エルサレムにある神の宮の工事は中止され、ペルシアの王ダレイオスの治世の第二年まで中止されたままになった。

これらの事例のように、敵は執拗に、神殿再建を妨害し、その結果ダレイオス王の第二年まで、再建は中止してしまった。 (BC536年頃~BC520年)

4節、5節に記載されている妨害が、激しくイスラエルの民に向けられ、特に過去のイスラエルを知らない世代は、心が折れたのではないか
神殿再建、そしてイスラエルの民の前途、万事休す

 

祭壇を建てて、律法に従い、神を優先して始めた神殿再建。
彼らは決して中途半端な思いではなかったと見えた。
しかし、外的な妨害とともに、自然災害や収穫物が減少となったとき、特に新世代の人たちはどうなっただろうか?
エズラ記とハガイ書では、問題点が異なっているように見える。エズラ記は敵の妨害が中心だが、ハガイ書は民の神殿再建に対する思いを指摘している。
妨害に託(かこつ)けて、自分たちの生活を優先してしまう思いが当たり前に働いてしまうことが問題である。(神の指摘と言える)
『神は神』、『一応・・』、『とりあえず・・』などというような言葉が付随する考え方は、事が起きたときすぐに自分の力で、・・となってしまうから要注意!神の民と言いながら、自己中に振る舞ってしまう!


2023年06月29日

エズラ記5章1節~6章7節

1節:さて、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤという二人の預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に対して、自分たちの上におられるイスラエルの神の御名によって預言した。

2節:そこでシェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちが一緒にいて、彼らを助けた。

ハガイ、ゼカリヤによる預言・・・これは神の励ましのことば
神の民としてのアイデンティティと、目的意識の回復
再建中断の原因は二つある。
①エズラ記では、外部の敵の妨害を指している。
②ハガイ書では、民が世に流される、自己中心的思考を指摘。

神が望まれていたのは⇒神以外のものを恐れず、神に信頼して、神の民のすばらしさを全人類に示すこと。神が備えている未来に目を向け、この世に目を奪われないこと!
この時の民の堕落の状態は酷く、まさに悪魔の勝利に傾くような状態だった!
神は憐れみを持って、預言者を派遣された!

3節:そのような時期に、ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちが彼らのところにやって来て、こう言った。「この宮を建て、この城壁を修復せよとの命令をだれがあなたがたに下したのか。」

4節:そしてまた、「この建物を建てている者たちの名は何というのか」と尋ねた。

妨害に来た敵。新たに始まった神殿再建の様子を見て、妨害する考え。
ユーフラテス川西方の総督タテナイ、シェタル・ボゼナイ、他(ペルシャの膝元)
   (ペルシア帝国内のシリヤ・パレスチナ地区の行政官、総督)
神殿建設や城壁修復は、そもそも誰の命令で、首謀者は誰か!
こうして、妨害しようとするが、この時はいつもと勝手が違った⇒神が介入していた!

5節:しかし、ユダヤ人の長老たちの上には彼らの神の目が注がれていたので、このことがダレイオスに報告されて、さらにこのことについての返事の手紙が来るまで、彼らの工事を中止させることができなかった。

神がユダヤの長老たちを守っておられた。
ダレイオス王に現状が報告され、その指示を待たなければ動けない状態。
神がそのように、敵の考えを導かれたのであろう。


6節:ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚のユーフラテス川西方にいる知事たちが、ダレイオス王に送った書状の写しは次のとおりである。

7節:彼らが王に送った報告には次のように書かれていた。「ダレイオス王に全き平安がありますように。

総督タテナイほかが、ダレイオス王に送った書状の内容が示される。


8節:王にお知らせいたします。私たちはユダ州に行き、あの大いなる神の宮に行ってみましたが、それは大きな石で建てられていて、壁には木材が組まれていました。その工事は彼らの手で着々と進められ、順調に行われています。

9節:そこで、私たちはその長老たちに尋ねて、彼らに次のように言いました。『この宮を建て、この城壁を修復せよとの命令をだれがあなたがたに下したのか。』

10節:私たちはまた、あなたにお知らせするために彼らにその名を尋ねました。それは、彼らの先頭に立っている者の名を書き記すためでした。

ユダ州を回り、神殿再建現場に行くと、着々と進行中であった。
その長老に、「神殿建設は誰の命令か?また首謀者は誰か?」と尋ねた。
現場の首謀者の名を報告したかったので尋ねた。

 

11節:すると、彼らは次のように私たちに返事をしました。『私たちこそは天と地の神のしもべであり、ずっと昔から建っていた宮を建て直しているのです。それはイスラエルの大王が建てて、完成させたものです。

12節:しかし、私たちの先祖が天の神を怒らせたので、神は彼らを、カルデア人であるバビロンの王ネブカドネツァルの手に渡されました。彼はこの宮を破壊し、民を捕らえてバビロンに移したのです。

13節:しかし、バビロンの王キュロスの第一年に、キュロス王はこの神の宮を建て直すよう命令を下しました。

神のしもべなる民(アイデンティティ)であり、かつて大王が立てた神殿を再建中。
先祖が神に怒りを受け、バビロンのネブカドネツァル王に捕囚され、神殿は破壊された。
ペルシャのキュロス王がその第一年に、私たちの神の神殿再建を命じた。


14節:キュロス王はまた、ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から持ち出して、バビロンの神殿に運んで行った神の宮の金や銀の器を、バビロンの神殿から取り出し、自分が総督に任命したシェシュバツァルという名の者にそれを渡しました。

15節:そして、シェシュバツァルに、これらの器を携えて行ってエルサレムの神殿に納め、神の宮を元の場所に建て直せと言いました。

キュロス王の手厚いバックアップを語るイスラエルの民。
ネブカドネツァル王が持ち出した神殿の金銀の器をユダヤ人総督シェシュバツァルに返し、携えさせ神殿再建を命じた。


16節:そこで、このシェシュバツァルは来て、エルサレムの神の宮の礎を据えました。その時から今に至るまで建築が続いていますが、まだ完成していません。』

キュロス王の発令がBC538年。現在がダレイオス王の第2年・・BC520年。
18年の月日が流れ、この命令を知る者がペルシアの中枢にいなかった。
礎は据えられたが、神殿の建設は現在進行中である。

ハガイやゼカリヤの働きにより、神殿建設が始まっていた
民の心は、堂々として変わっていた

17節:ですから、王様、もしもよろしければ、エルサレムにある神の宮を建てるために、キュロス王からの命令が下ったのが事実かどうか、あのバビロンにある王室書庫をお調べください。そして、このことについての王のご判断を私たちにお伝えください。」

総督タテナイほかは、ダレイオス王にエルサレム神殿の再建命令が、キュロス王から下ったかどうか、過去の文献(王室書庫・・巻物)の調査を依頼。
さらに、その結果に基づいて、今後どうすべきかを命じてほしい。
闇雲に、エルサレムを攻めるという事をせず、王に調査を依頼できる見識のあるリーダーであると見る。それは神が配置された人物であると考える。


6章

1節:それでダレイオス王は命令を下し、重要文書を納めてあるバビロンの文書保管所を調べさせたところ、

2節:メディア州の城の中のエクバタナで一つの巻物が見つかった。その中に次のように書かれていた。「記録。

ダレイオス王は調査指示。初めにバビロンの文書保管所を調べたがなかった。しかし、メディア州の高地エクバタナ(キュロス王の避暑地)の城内に保管されていた巻物が見つかった。(エクバタナ⇒現:イランの町、ハマダンを指す)

3節:キュロス王の第一年にキュロス王は命令を下した。エルサレムにある神の宮、いけにえが献げられる宮を建て、その礎を定めよ。宮の高さは六十キュビト、その幅も六十キュビト。

4節:大きな石の層は三段。木材の層は一段とする。その費用は王家から支払われる。

5節:また、ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から持ち出して、バビロンに運んで来た神の宮の金や銀の器は返し、エルサレムの神殿に運んで元の場所に戻す。こうして、それらを神の宮に納める。」

キュロス王の命令において、規模の指定は一体何を示すのか?
宮の高さ、幅ともに60キュビト(約30m)
石段は3段、木材の層は1段。費用は全て王家から支払われる。
ネブカドネツァル王が持ち出した神殿の金銀の器は、すべて神の宮に戻す。

 

6節:王は次のように命じた。「それゆえ、今、ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちでユーフラテス川西方の地にいる知事たちよ。そこから遠ざかれ。

7節:この神の宮の工事をそのままやらせておけ。ユダヤ人の総督とユダヤ人の長老たちに、この神の宮を元の場所に建てさせよ。

これを知ったダレイオス王は、総督タテナイとその同僚の知事たちに、妨害することを止めさせ、神殿建設を継続させた。
3章7節において、資材調達のための許可が与えられていたが、費用まで王家の負担により神殿再建は指示されていたという事実!

 

神殿の土台までは造られたが、民の心は自分たちの生活安定に向いていた。
ここに、ハガイ、ゼカリヤの預言によって民は神が導く道を歩み始めた。
人生の目的が何であるかを思い出し、神の民として生きる意味を見出した!
神は、民を励ますと共に、神殿建設が進むように、様々なところで働かれる。
民が神の神殿再建に集中できるように、神が守って下さっているという事実
神の働きは、神に信頼する生き方を選ばない限り、気付くことができない。

主が導いてくださることを教えているみことば

詩篇37:5、詩編55:22、箴言16:3

2023年07月06日

エズラ記6章8節~22節

8節:私は、さらに、この神の宮を建てるために、あなたがたがこれらユダヤ人の長老たちにどうすべきか、命令を下す。王の収益としてのユーフラテス川西方の地の貢ぎ物の中から、その費用を間違いなくそれらの者たちに支払って、滞らぬようにせよ。

9節:また、その必要とする物、すなわち、天の神に献げる全焼のささげ物のための雄牛、雄羊、子羊、また小麦、塩、ぶどう酒、油を、エルサレムにいる祭司たちの求めに応じて、毎日怠りなく彼らに与えよ。

キュロス王の命令に加えて、ダレイオス王の命令が下される。
神の宮の建設費用を、総督タテナイほか、知事たちは、自分たちが徴収した税金の中から滞りなく支払う事!

更にいけにえとして捧げる雄牛、雄羊、子羊、また、小麦、塩、ぶどう酒、油などを毎日滞りなくエルサレムの祭司の希望通りに与える事!
ハガイの預言により、民は神殿再建を最優先としたとき、こうして、更なる経済的な支援が神によってもたらされた。神に従うことで、神の導きを感じることが出来る
私たちの生活も、いつの間にか神を優先せず、後回しにしていないか確認しよう!
折角の神の祝福の循環を、自分でシャットアウトすることが無いように!

10節:こうして彼らが天の神に芳ばしい香りを献げ、王と王子たちの長寿を祈るようにせよ。

ダレイオス王は、キュロス王にあやかり、自らと自分の子どもの長寿を祈らせた。
つまり、提供される費用、ささげものは、そのためのいけにえであったと考えられる。

 

11節:私は命令を下す。だれであれ、この法令を犯す者があれば、その家から梁を引き抜き、その者をその上にはりつけにしなければならない。このことのゆえに、その家はごみの山としなければならない。

12節:エルサレムに御名を住まわせられた神が、この命令を変更してエルサレムにあるこの神の宮を破壊しようと手を下す王や民をみな、投げ倒されますように。私ダレイオスはここに命令を下す。間違いなくこれを守れ。」

更なる命令は、この法令を守らない者への処罰。
お家断絶(梁を引き抜きその上にはりつけ、ゴミとされる)。
ダレイオス王は、神に対して、神殿再建の妨害者への裁きを祈っている。
この命令書も、文書として残されたであろう。以降は、告訴状にて上申するしかない。

神はダレイオス王をも、用いられた。


13節:ダレイオス王がこう書き送ったので、ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちは、間違いなくこれを行った。

14節:ユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言を通し、建築を行って成功した。彼らはイスラエルの神の命令により、またキュロスとダレイオスと、ペルシアの王アルタクセルクセスの命令によって、建築を終えた。

15節:こうして、この宮はダレイオス王の治世の第六年、アダルの月の三日に完成した。

総督タテナイ、シェタル・ボゼナイ、その知事たちは、王の命令を受け、その命令を忠実に実行した。
かつての敵であったが、彼らも間接的に神殿建築に携わる者となった。(箴言16:7)
ハガイ、ゼカリヤの預言に導かれ、長老をはじめ、人々が覚醒し、神殿は完成した。
最終的には、キュロス王を通して発せられた神の命令は、ダレイオス王、続くアルタクセルクセス王の時代を経て、神殿と城壁が完成した。(注:アルタクセルクス王時代も、告訴状による妨害あり)
神殿完成はダレイオス王の第6年(BC515年)のアダル(12番目の月)の月(2~3月)の3日。
第一神殿崩壊(BC586年)から起算すると、70年が経過。


16節:イスラエルの子ら、すなわち、祭司、レビ人、そのほかの捕囚から帰って来た人たちは、喜びをもってこの神の宮の奉献式を祝った。

17節:彼らはこの神の宮の奉献式のために、雄牛百頭、雄羊二百匹、子羊四百匹を献げた。また、イスラエルの部族の数にしたがって、全イスラエルのために罪のきよめのささげ物として、雄やぎ十二匹を献げた。

祭司、レビ人を中心に帰還の人々は奉献式を祝った。
紆余曲折あったが、この23年間を振り返り、心から喜んだであろう
奉献式のささげものは、雄牛100頭、雄羊200匹、子羊400匹。
それにしても、ソロモン王の時代(1列8:63)と較べると、相当に貧弱。
民も決して豊かではない
罪のきよめのささげものは、雄やぎ12匹がささげられた。

先祖の罪、すなわち12部族が想定されていると考えられる。過去の罪を悔い改めている。
過去を反省し、神の民として律法を守ろうという意識が強く働いているのが分かる。

18節:また彼らは、エルサレムでの神への奉仕のため、祭司をその区分にしたがって、レビ人をその組にしたがってそれぞれ任命した。モーセの書に記されているとおりである。

モーセの律法に従い、祭司、レビ人を組みに応じて任命した。
モーセの書に記されている通りに従い、二度と悲劇が無いように!


19節:捕囚から帰って来た人々は、第一の月の十四日に過越を祝った。

ここから表記がアラム語からヘブル語に戻ります)
帰還民による過越の祭りの開催。第1の月の14日。→捕囚後初の過越の祭り。

 

20節:祭司とレビ人たちは一人残らず身をきよめて、みなきよくなっていたので、捕囚から帰って来たすべての人々のため、彼らの同胞の祭司たちのため、また彼ら自身のために、過越のいけにえを屠った。

清めの儀式を済ませた祭司、レビ人たちは、民や同胞のためにいけにえを屠った。
過越の祭り・・出エジプトの記念、神の偉大なわざ、奴隷(罪)からの解放。
神の導きを知り、過去の神のわざを思い起こし、神の民としての喜びに満ちていた。

この祭りはキリストの型であるとも言われている

21節:捕囚から帰って来たイスラエル人はこれを食べた。イスラエルの神、主を求めて、その地の異邦の民の汚れから離れて彼らに加わった者たちもみなそうした。

バビロン捕囚からの帰還民は皆これを食べた!
『主を求めて、その地の異邦の民の汚れから離れて彼らに加わった者たち』・・??
これは誰を指すのか?異邦人か?イスラエル人か?


22節:そして彼らは七日間、喜びをもって種なしパンの祭りを守った。これは、主が彼らを喜ばせ、またアッシリアの王の心を彼らに向けて、イスラエルの神である神の宮の工事にあたって、彼らを力づけるようにされたからである。

過越の祭り→種なしパンの祭りへ!(荒野生活の記念)。申16:1~8参照。
アッシリヤの王→現在、アッシリヤに居る王たち。キュロス~ダレイオス
人々は、合計8日間、明らかに神の導きに感謝と感動を覚え、喜び祝い、感謝した。
これは神の励まし、導きであり、また預言者たちの働きである。

ゼカリヤ書4:6「彼は私にこう答えた。これは、ゼルバベルへの主のことばだ。
権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と、万軍の主は言われる。」

2023年07月13日

エズラ記7章1節~28節

1節:これらの出来事の後、ペルシアの王アルタクセルクセスの治世に、セラヤの子エズラという人がいた。セラヤはアザルヤの子、順次、ヒルキヤの子、

2節:シャルムの子、ツァドクの子、アヒトブの子、

3節:アマルヤの子、アザルヤの子、メラヨテの子、

4節:ゼラフヤの子、ウジの子、ブキの子、

5節:アビシュアの子、ピネハスの子、、エルアザルの子、このエルアザルは祭司のかしらアロンの子である。

6節:このエズラがバビロンから上って来たのである。彼はイスラエルの神、主がお与えになったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをすべてかなえた。

これらの出来事の後・・アルタクセルクセス王時代に存在したエズラ。年齢不詳。
彼は、セラヤの子である(2章2節)。エズラは、レビ族出身でアロンの子孫である。
このエズラが、エルサレムに帰還・・・第二次帰還。
アロンの家系である彼は、祭司であり、モーセの律法に精通する学者であった。
人々にモーセの律法を指導できる人物。文字通り(ヘブル語)の意味は『有能な書記官』
彼自身も、神に忠実な人物ゆえに、神のご加護があり、アルタクセルクセス王の信頼を得ていた。王は彼の願いを全てかなえ

神に関する考え方や、彼の人格そのものが際立つ存在で、特にユダヤ人祭司は信頼されていたのではと考える。ダニエルも、当時の王たちに用いられていた人物だった。

7節:アルタクセルクセス王の第七年に、イスラエル人の一部、および祭司、レビ人、歌い手、門衛、宮のしもべの一部が、エルサレムに上って来た。

8節:エズラは王の第七年の第五の月にエルサレムに着いた。

9節:すなわち、彼は第一の月の一日にバビロンを出発した。彼の神の恵みの御手は確かに彼の上にあり、第五の月の一日に、彼はエルサレムに着いた。

10節:エズラは、主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルで掟と定めを教えようと心に定めていた。

エズラの帰還はアルタクセルクセス王1世の第7年(BC458年)である。
6章はBC515年であるから、57年が経過していることに注意。
ちなみに、エステル記はクセルクセス王の時代の出来事である。
第二次帰還として、イスラエル人の一部、祭司、レビ人、歌い手・・などが、エズラと共にエルサレムに向けて移動。
出発はアルタクセルクセス王の第7年の第1(ニサン)の月の一日。
エルサレム到着は同年の第5(アブ)の月の一日。7~8月頃。
移動は、危険であり、決して楽ではない。神の守りがあったと考える。

エズラはモーセの律法を更に調べ、実行し、その指導に当たることを強く決心していた。モーセの律法に従うことの重要性をエズラも民も強く認識していた!

 

11節:アルタクセルクセス王が、祭司であり学者であったエズラに与えた手紙の写しは次のとおりである。このエズラは、主の命令のことばと、イスラエルに関する主の掟に精通していた。

エズラが、名ばかりの祭司や学者ではなく、律法や主の掟に精通した人物。
これは、彼が真摯で、実直な人物であることをも意味していると感じる。
バビロン時代に、律法に関する研究、調査を行っていたと思われる。

 

12節:「王の王アルタクセルクセス。天の神の律法の学者である祭司エズラへ。中略。さて、

また、王から手紙が届くということから、王に対する絶大な信頼感が感じられる。
第二次帰還に関する、王のエズラに対する思いが、命令となって伝えられる。
そこには、特別な権威も付与されている。


13節:私は命令を下す。私の国にいるイスラエルの民、その祭司、レビ人のうち、だれでも自分から進んでエルサレムに上って行きたい者は、あなたと一緒に行ってよい。

14節:なぜなら、あなたは王とその七人の顧問によって遣わされているからである。それは、あなたの手にあるあなたの神の律法にしたがって、ユダヤとエルサレムを調査するためである。

イスラエルの民、祭司、レビ人で、エルサレム移住希望者は、エズラと同行OK!
エズラを派遣する者は、王、7人の顧問。
派遣理由は、ユダとエルサレムで、正しく神の律法に従って活動しているかを現地調査し報告することである。(当時のペルシアの宗教観に関連)。


15節:また、王とその顧問たちが、エルサレムを住まいとされるイスラエルの神に進んで献げた銀と金を、

16節:またバビロン全州であなたが得るすべての銀と金を、それに、エルサレムにある自分たちの神の宮のために、民と祭司たちが進んで献げたささげ物を合わせて、携えて行くためである。

更に、王たちの献金(金銀)、バビロン州での収入(金銀)、民と祭司の献金、ほか。
これらをエルサレムまで無事に届けてささげること

これだけの金銀を携えての移動は、相当に危険が及ぶと考えられる

17節:それゆえ、あなたはその献金で、雄牛、雄羊、子羊、また、そのための穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒を怠りなく買い求め、エルサレムにあるあなたがたの神の宮の祭壇の上で、それを献げなければならない。

18節:また、残りの銀と金の使い方については、あなたとあなたの兄弟たちが良いと思うことは何でも、あなたがたの神のみむねにしたがって行うがよい。

エズラはその献金で、全焼のささげ物、穀物のささげ物やそそぎのぶどう酒などを購入して神の宮の祭壇に献げること。

それ以外の必要があるものは、神のみこころに従って、金銀の使い方は自由


19節:また、あなたの神の宮での礼拝のために渡された用具は、エルサレムの神の前に供えよ。

20節:そのほか、あなたの神の宮のために必要なもので、どうしても支出しなければならないものは、王室の金庫からそれを支出してよい。

神の宮の用具(バビロンが持ち出した残り、OR、バビロンで寄進用に製造)は、礼拝用に供える事。金銀の高価な物。
神の宮のために必要なものの費用は、王室の金庫から支出OK!

アルタクセルクセス王は、祭司エズラの知性と人格に信頼し、歪んではいるが、エズラの神に信頼したのではないか!
王が神へのささげものに詳しいのは、エズラのような人物が教えていたからと想像する。

21節:私アルタクセルクセス王は、ユーフラテス川西方の財務官全員に命令を下す。天の神の律法の学者である祭司エズラが、あなたがたに求めることは何でも、怠りなくそれを行え。

22節:すなわち、銀は百タラントまで、小麦は百コルまで、ぶどう酒は百バテまで、油も百バテまで、塩は制限なし。

23節:天の神の宮のために、天の神によって命じられていることは何でも、熱心に行え。御怒りが王とその子たちの国に下るといけないから。

アルタクセルクセス王は、ユーフラテス川西方の財務官全員に命じた。
神の律法学者である祭司エズラの神殿に関する要求には、すべて応じる事
銀は100タラント(タラント=約35kg)、小麦100コル(コル=230L)、ぶどう酒、油は100バテ(バテ=23L)までと制限。ただし塩は無制限。礼拝に必要なもの。
王と子たちに御怒りが下らぬよう、神のために、神に命じられたことは全て熱心に行なう事。

 

24節:また次のことを知らせる。祭司、レビ人、歌い手、門衛、宮のしもべ、すなわち、この神の宮に仕える者たちにはだれに対しても、貢ぎ物、関税、税金を課してはならない。

祭司、レビ人など神殿で働く者に、貢ぎ物、関税、税金を課してはならない

アルタクセルクセス王の、神に対する敬意が、周囲に明確に示され

25節:エズラよ。あなたは自分の手にあるあなたの神の知恵にしたがって、さばき人や裁判官を任命し、ユーフラテス川西方にいるすべての民、すなわち、あなたの神の律法を知っているすべての者をさばかせよ。またあなたがたは、これを知らない者に教えよ。

26節:あなたの神の律法と王の律法を守らない者には、だれに対しても、死刑でも、追放でも、財産の没収でも、投獄でも、その判決を厳格に執行せよ。」

アルタクセルクセス王は、エズラにさばきつかさや裁判官の任命権を与えた。
エズラは、ユーフラテス西方の民と、すべてのイスラエル人を裁かせ、エルサレムの神と律法を知らない者には教えることを命じた。
神の律法と王の律法を守らない者に対する裁量は、エズラに委ねられ、それを厳格に執行することを命じた。(死刑、追放、投獄・・・)

ここで、王の手紙は終わる。
エズラの立場は、どれほどのものだったかが想像できる。

神は人を導かれ、成長させ、そして用いられる!
だから、神に信頼して、委ねて歩む姿勢が求められるのである。

27節:私たちの父祖の神、主がほめたたえられますように。主はエルサレムにある主の宮に栄光を与えるために、このようなことを王の心に起こさせ、

28節:王とその顧問と、王の有力な高官すべての前で私に恵みを得させてくださった。私の神、主の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、一緒に上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた。

エズラは、神を称えている。感謝している。
エズラの立場は、王のみならず高官すべての前で示された。
それは、地上において力強い保証となり、旅の力強い保証となる。
エズラは、そのことに高慢にならず、すべては神のみこころ、導きとしている。
神が共にいてくださることを実感し、奮い立ち、更にその力でエルサレムへの同行者であるかしら達が集められたと感謝している。

27節・・このようなこと(ペルシヤの征服地政策)⇒被征服地の神の怒りを鎮め、味方にする(ペルシヤの宗教観)
王たちをそうした考え方へと導いたのは神の御手による働きとエズラは感謝している

2023年07月21日

エズラ記8章1節~23節

1節:アルタクセルクセス王の治世に、バビロンから私と一緒に上って来た一族のかしらと、その系図の記載は次のとおりである。

2節:ピネハス族からはゲルショム。イタマル族からはダニエル。ダビデ族からはハトシュ。

3節:ハトシュはシェカンヤの孫。パルオシュ族からは、ゼカリヤと、系図に記載された同行の者、男子百五十人。

4節:パハテ・モアブ族からは、ゼラフヤの子エルエホエナイと、同行の男子二百人。

5節:ザト族からは、ヤハジエルの子シェカンヤと、同行の男子五十人。

7節:エラム族からは、アタルヤの子エシャヤと、同行の男子七十人。

8節:シェファテヤ族からは、ミカエルの子ゼバデヤと、同行の男子八十人。

9節:ヨアブ族からは、エヒエルの子オバデヤと、同行の男子二百十八人。

10節:バニ族からは、ヨシフヤの子シェロミテと、同行の男子百六十人。

11節:ベバイ族からは、ベバイの子ゼカリヤと同行の男子二十八人。

12節:アズガデ族からは、ハ・カタンの子ヨハナンと、同行の男子百十人。

13節:アドニカム族からの者は最後の者たちで、その名はエリフェレテ、エイエル、シェマヤ、および彼らと同行の男子六十人。

14節:ビグワイ族からは、ウタイとザクルと、同行の男子七十人。

キュロス王時代→第1次帰還(BC536年頃)
アルタクセルクセス王時代→第2次帰還(BC458年)

⁂約80年経している
第2次帰還民のリスト・・・第1次に較べとても少ない。

新共同では、セカリヤはゼカルヤ、3節の「孫」は「一族」となっている。
「部族の長」たち18名。
その同行者1496名。

家族数(3~4人)を考えると、総数5,200人程度。第1次の約1/10である。
帰還民の規模が小さい理由は、神殿再建ではないという事と多くの人が、地元に馴染んだからと思われる。召集は難航だった!

15節:私はアハワに流れる川のほとりに彼らを集め、私たちはそこに三日間宿営した。私はそこに民と祭司たちを確認したが、レビ人は見つけることができなかった。

アハワ川→中川先生はユーフラテス川の支流、新共同はバビロン付近の町アハワを流れる川と説明があるが、場所は不明である。
帰還民が集合し、3日間宿営したが、レビ人の姿が無かった。
レビ人の働きは、神殿での活動で、ささげものが中心となる生活である。
そうした生活は一変(世俗化)。かつて、イスラエルの民のささげものであったレビ人であったが。
エズラは、神の民となるうえで、レビ人と働くことに大きな期待があったと想像する

神の律法に従い、忠実に神殿の働きをサポートするレビ人の存在
律法を研究し、忠実にそれを守るための指導、教育の人材としての存在
その働き手が、いない!一人もいない!!

16節:それで私は、かしらのエリエゼル、アリエル、シェマヤ、エルナタン、ヤリブ、エルナタン、ナタン、ゼカリヤ、メシュラムと、教師エホヤリブ、エルナタンを呼び集め、

エズラが信頼する「かしら」と称するサポーター11人。7章28節。


17節:カシフヤ地方のかしらイドについて、彼らに指示した。すなわち、イドとその同僚、またカシフヤ地方にいる宮のしもべたちに対して、私たちの神の宮に仕える者たちを送ってもらうためには何と言えばよいか、彼らにことばを授けた。

かしらたちを、カシフヤに派遣。
カシフヤ→新共同:現バグダッド近辺で、チグリス川沿いのクテシフォンとの説。不明。
この町には、レビ族の人たちが集まっていた可能性がある。その地のかしらはイド。
イドをはじめ、同僚に対する説得理由について、細かく指示し派遣した。

律法違反が捕囚原因となり、現在に至る。目指すは律法に忠実な神の民。
神の民のレビ人としてのアイデンティティと、その役割の重要性を示したのではないだろうか。

18節:私たちの神の恵みの御手が私たちの上にあったので、彼らはイスラエルの子、レビの子、マフリの子のうちから賢明な者、シェレベヤと、その子たち、およびその兄弟たち十八人を私たちのところに連れて来てくれた。

19節:また、ハシャブヤとともに、メラリの子のうちからエシャヤと、その兄弟と、その子たち二十人、

20節:および、ダビデとその高官たちにより、レビ人に奉仕するよう任命されていた宮のしもべたちのうちから、二百二十人の宮のしもべたちを連れて来た。これらの者はみな、指名された者であった。

神の御手が働いていることをエズラは明示している。
マフリ→レビの子メラリの子…レビの孫の氏族。メラリ族に属する。
イスラエル、レビ、マフリの子孫の賢明な人材と、シェレベヤとその子ら、兄弟たち18人。
ハシャブヤ、エシャヤとその兄弟たちと子たち20人。
更に、ダビデの時代に、レビ人に奉仕するよう任命された宮のしもべ220人。
彼らは、エズラのことばに信頼し、自ら出てきた者たちと考えられる。
指名された・・というよりは、記録された者という称賛の意味であろう。(新共同)

捕囚とは、神の民としてのアイデンティティを奪って行くもの。
神はエズラを通して、その再興に働いておられる。

21節:私はそこ、アハワ川のほとりで断食を布告した。それは、私たちの神の前でへりくだり、私たちのために、私たちの子どもたちと、私たちのすべての持ち物のために、道中の無事を神に願い求めるためであった。

アハワ川で、断食を布告。

神の御前にへりくだり・・・謙虚さを失わないという意思の表れ。

《目的》帰還民と帰還民が所持する持ち物(運搬物)が無事にエルサレムに到着する事、そのために道中無事である事を祈禱する。

22節:それは私が、道中の敵から私たちを助ける部隊と騎兵たちを、王に求めるのを恥じたからであった。実際、私たちは王に、「私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下し、その力と怒りは、神を捨てるすべての者の上に下る」と言っていたのである。

それは、エズラのことば「神は、神を尋ね求める者に幸いを下し、神を捨てるすべての者に怒りが下る」と、王たちに語っていた手前、道中の護衛を求めなかった。
見栄を張ったのではない。意図があった。神の民として、神に全幅の信頼を置く姿勢の表れであり、「恐れるな!」と励ます神のことばに応答した結果と考える。

23節:そのため私たちはこのことのために断食して、自分たちの神に願い求めた。すると、神は私たちの願いを聞き入れてくださった。

アハワ川の断食祈祷は、重要な実践である。
これから後の、帰還民の心に大きな影響を与える。
この表現は、すでに終わった内容について語っている。つまり、うまくいったという事。
大変な祈りが聞かれた!ということが、後の神の民の心を建て上げることの暗示。

祭司、そして学者であるエズラは、北イスラエルや南ユダが偶像に走った歴史を知る。
イスラエルの民がモーセの律法から離れてしまったことが、南北の捕囚の原因、つまり神の怒りの原因と痛感していた
彼は徹底してモーセの律法に信頼する生き方実践し、考え方を指導していたと思われる。
それゆえ、王に旅の助けを求め、恐れを示すことは出来なかった。
護衛を求めないことは、一般の人には愚かな選択に見える。

何故、王の武力にすがらないのか?・・と。
彼は7章28節で、神の御手の働きを十分に感じ、奮い立っている。
護衛をつける権限は十分にあったが、こうした決断の方が、神の栄光を示すものと考え、この決断へと導いたと考える。
自らが、神に全幅の信頼を置く生き方を示す覚悟!をしている。

「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。」マタ10:28
真に恐れるべきは、大きくて、緻密で、愛ある私たちの神です。
エズラを参考に、クリスチャンライフを見直してみましょう!

2023年07月27日

エズラ記8章24節~36節

24節:私は祭司長たちのうちから十二人、すなわち、シェレベヤとハシャブヤ、および彼らの同僚十人を選り分けた。

神のみこころに添う姿勢の提示。祭司に奉納物を託す。
祭司長の中から12名(12部族)を選出。(シェレベヤ、ハシャブヤとその同僚10人)

 

25節:そして、王、顧問たち、高官たち、および、そこにいたすべてのイスラエル人が献げた、私たちの神の宮への奉納物である銀、金、器を量って、彼らに渡した。

全ての神の宮への奉納物を計量。目減りなどがあってはならない。
奉献者は、王、顧問、高官、およびすべてのイスラエル人。

 

26節:私は銀六百五十タラント、百タラント相当の銀の器、および金百タラントを量って、彼らに渡した。

銀650タラント、金100タラント、銀の器100タラント相当品、を計量。
タラント→34kg・・・・・650タラント→22.1t、100タラント→3.4t。

これらの奉献物が、12人の祭司たちに任された⇒単純に一人当り2.4t

27節:また、一千ダリク相当の金の鉢二十、さらに、金のように高価な、光り輝く見事な青銅の器二個を彼らに渡した。

更に、金の鉢20→1000ダリク相当(ダリヨスの金貨8.4g✖1000=8.4kg)
青銅の見事な器2個→高価な物

金の鉢、青銅の器⇒相当の細工、装飾が施されていたものと考えられる
これらも、祭司たちに任された。単純計算で⇒8.4kg✖22個(金+青銅)=184.5kg 

28節:それから私は彼らに言った。「あなたがたはの聖なるものである。この器も聖なるものである。この銀と金は、あなたがたの父祖の神、に対する、進んで献げるものである。

エズラの命令

祭司としての自覚を促す。神の民として律法順守の姿勢と、本人たちへの意識づけ。
「神へのささげものの働きは祭司の仕事。それを、この時点からすでに実施せよ!」

もう既に神への奉仕が開始している。道中の守りは神に信頼して委ねる姿勢。
祭司としての自覚、責任感は旅を通して、益々成長して行く!

29節:あなたがたは、エルサレムのの宮の部屋で、祭司長たち、レビ人たち、イスラエルの一族の長たちの前で重さを量るまで、寝ずの番をしてそれらを守りなさい。」

使命は、この預かった奉納物を、間違いなく、エルサレムの主の宮の部屋まで、命がけで守りなさい!(寝ずの番→確かにこの旅は、大変な旅)
勿論、祭司であり、神へのささげものの任務を全うするうえで、彼らも、そして エズラも神に守られることを信じ切っていた。


30節:祭司とレビ人たちは、重さを量った銀、金、器を、エルサレムの私たちの神の宮に持って行くために受け取った。

それゆえ、祭司長たちは、何の要求もせず、素直にその指示に従った。
帰還チームの神に向かう姿勢の一致が見られる。(目的意識の重要性)

見習うポイント!
新約の私たちも、教会という組織の中で、一致し調和することが求められている。そのためには、教会が目指している目的・目標をしっかりと把握しておくことが重要である。

31節:私たちはエルサレムに行こうと、第一の月の十二日にアハワ川を出発した。私たちの神の御手が私たちの上にあり、その道中、敵の手、待ち伏せする者の手から私たちを救い出してくださった。

7章9節→バビロン出発:第1の月の1日
アハワ川にて宿営 :3日間(レビ人の募集)
アハワ川出発   :第1の月の12日。

短期間にレビ人が集められたのは、神の奇蹟と考える
ここから本格的な旅となる。
道中、様々な問題があったと想像するが、神の守りがあった。
厳しい状況になっても、必ず神が守ってくださったと記録している。(神の導き)


32節:こうして私たちはエルサレムに着いて、そこに三日間とどまった。

エルサレム到着は第5の月の1日。そこから3日間、とどまっていた。(休息?)

 

33節:四日目に銀と金と器が私たちの神の宮の中で量られ、ウリヤの子の祭司メレモテの手に渡された。彼とともにピネハスの子エルアザルがいて、彼らとともに、レビ人である、ヨシュアの子エホザバデとビヌイの子ノアデヤがいた。

34節:すべてが数えられ、量られた。そのとき全重量が書き留められた。

4日目に、金銀の計量が行われ、祭司メレモテに渡された。
列挙されている人物名は、ネヘミヤ記にも登場する。17年度版注釈参照。
全重量に問題なく、書き留められた。祭司長たちの任務はここで終了!


35節:捕囚の人々で、捕囚から帰って来た者は、イスラエルの神に全焼のささげ物を献げた。すなわち、全イスラエルのために雄牛十二頭、雄羊九十六匹、子羊七十七匹、罪のきよめのささげ物として雄やぎ十二匹を献げた。これはすべてへの全焼のささげ物であった。

帰還民たちは全焼のささげ物を献げた。
全焼のささげ物・・・自主的な献げもの。礼拝を意味し、極上品を献げる。
3日間の間に、そのすべてを準備したのではないかと考える。
雄牛12頭はイスラエル部族のため、その他は神への献身と感謝の意。
96匹→12(部族)の倍数、77匹→完全数7の倍数?(新共同訳)


36節:それから、彼らは王の命令書を、王の太守たちとユーフラテス川西方の総督たちに渡した。この人たちはこの民と神の宮に援助を与えた。

参考:ペルシアの行政について
ダレイオス王の時代が最盛期⇒この時期にイスラエルは再建の再許可を得ている

ペルシア国内を20州に分割(サトラッピ)。
長官サトラップを置き、軍事・行政・徴税・司法権を付与。
このサトラップの中央からの監督官が「王の目、王の耳」。
民族別に分けられ、納税額が定められていた。
 (例:バビロンの地区(第9区)では、銀1千タラントと去勢された男子500人を納めるというものもあったとのこと。「世界史の窓」)
ペルシアはこのような方法で、中央集権体制を取っていた。

 

王の命令書の提示。ユーフラテス川西方の総督たちへ。
王の太守→「王の目、王の耳」と呼ばれる中央からの監督官。
総督たち→地方長官(サトラップ)と呼ばれる人たち。
無事、王たちのささげ物が届けられたことが太守を通して、王の耳にも伝わった。
王の命令書が、長官たちに示された。エズラへの権限や、イスラエルの民に関する扱い方の指示。
王の命令通り、地方長官たちも、神の神殿での礼拝のサポートすることになる。
あの断食祈祷が神に届き、神が導いてくださったことを喜び、皆に証したに違いない!


 


2023年08月10日

エズラ記9章1節~15節

1節:これらのことが終わった後、指導者たちが私のところに近づいて来て次のように言った。「イスラエルの民、祭司、レビ人は、カナン人、ヒッタイト人、ペリジ人、エブス人、アンモン人、モアブ人、エジプト人、アモリ人など異国の忌み嫌うべき習慣と縁を絶つことなく、

2節:かえって、彼らも息子たちも、これらの国々の娘を妻にし、聖なる種族がもろもろの地の民と混じり合ってしまいました。しかも、指導者たち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです。」

全焼のささげものなどの移動に関する全ての作業をやり遂げて、さて次はどのようにして律法をエルサレムの人々に指導して行こうかと、準備していた矢先・・・
エルサレムの指導者たちがエズラに語る驚愕の事実。雑婚!
列挙されている異邦人は、カナンの地の代表的民族である。申20:17~18を参照!
本来なら、異邦人とは縁を切る姿勢を取るのが神の民の姿。(申7:1~9)
雑婚が一般化しており、指導者、代表者が不信の罪の張本人だという事実。

ペルシアの支配のもと、王の存在が許されず、大祭司がリードする体制。その祭司、大祭司が雑婚の罪を犯し、それに倣う形で、一般化していったと想像される。
神の民として厳しく戒められていた雑婚は、簡単に民を俗世間化していた。
いくら喜んで全焼のささげものをしても、神の意向に従わないなら、虚しいばかり!

3節:私はこのことを聞いて、衣と上着を引き裂き、髪の毛とひげを引き抜き、茫然として座り込んでしまった。

4節:捕囚から帰って来た人々の不信の罪のことで、イスラエルの神のことばを恐れかしこむ者はみな、私のところに集まって来た。私は夕方のささげ物の時刻まで、茫然としてそこに座っていた。

茫然自失のエズラ。
衣と上着を引き裂く→悲しみの行為。 髪の毛と髭を引き抜く→怒りの行為。
すでに帰還していた民の不信に心痛める者たちも、エズラのところに集まってきた。
エズラは、夕方まで茫然として、座っていた。

 

5節:夕方のささげ物の時刻になって、打ちのめされていた私は立ち上がり、衣と上着を引き裂いたまま、ひざまずき、自分の神、に向かって手を伸べ広げて、

夕方のささげものの時刻(午後3時)にエズラは、ひざまずいて神に祈り始めた。
考えうる、最も謙虚な姿勢で祈るエズエズラ及び帰還した仲間たちが集っている
悔い改めの祈りをささげるときは、最も謙虚な心の姿勢で神に向かうことが重要!

6節:こう言った。「私の神よ。私は恥じています。私の神よ。私はあなたに向かって顔を上げることを恥ずかしく思います。私たちの咎は増し、私たちの頭より高くなり、私たちの罪過は大きく、天にまで達したからです。

エズラは執り成しの祈りをささげ始める。
「エルサレムの民の咎、罪過を知るに、私は恥じ入り、顔も上げられません。」
こうした執り成しの祈りは、モーセにも見られた。エズラには罪はないのだが。

 

7節:私たちの先祖の時代から今日まで、私たちは大きな罪過の中にありました。私たちのその咎のため、私たちや、私たちの王、祭司たちは、諸国の王たちの手に渡され、剣にかけられ、捕虜にされ、かすめ奪われ、面目を失って、今日あるとおりです。

かつての罪深きイスラエルについて回想するエズラ。
先祖から今日まで、罪過の中にあった。結果、捕囚となり、現在に至っている。
民も、王も、祭司も殺され、捕虜にされ、神殿はつぶされた。罪過のために。

簡単に捕囚、つまり神の怒りがすぐに下ったと思ってはならない。そこに至るまでに、神はどれほどの気付き、教え、導きを与えられたかを知るから、エズラは恥じるのである。

8節:しかし今、しばらくの間、私たちの神、はそのあわれみによって、私たちに逃れの者を残し、私たちのためにご自分の聖なる所に一本の杭を与えてくださいました。これは、私たちの神が私たちの目を明るくし、奴隷の身の私たちを少しでも生き延びさせてくださるためでした。

そんな私たちに、神はそのあわれみで、私たちに捕囚から解放者を与えてくださり、一本の杭(拠り所)である神殿を与えてくださった。正しい神の民の目線の回復、奴隷状態からの回復を与えてくださった。(アイデンティティ)


9節:事実、私たちは奴隷です。しかし私たちの神は、この奴隷の身の私たちを見捨てることなく、かえって、ペルシアの王たちによって恵みを施し、私たちを生かして、私たちの神の宮を建て直させ、その廃墟を元に戻し、ユダとエルサレムに石垣を下さいました。

実際、神はペルシアの王を用いて、奴隷の私たちを回復させ、神殿再建へと導いた。
どんな時も、神は民を愛し、導いて、回復させ、成長させようと考えておられる。


10節:こうなった今、何と言えばよいのでしょうか。私たちの神よ、私たちはあなたの命令を捨てたのです。

そんな神の愛に対して、真っ向から逆らうことをするこの民に何の申し開きができましょう。

神の愛に気付かず、神の戒めを無視して、恵みばかりを受け取る愚かな行為を、エズラは心底から恥じている。

11節:あなたは、あなたのしもべである預言者たちによって、こう命じておられました。『あなたがたが入って行って所有しようとしている地は、異国の汚れで汚れた地、忌み嫌うべき行いによって隅々まで汚れで満ちてしまった地である。

12節:だから今、あなたがたの娘を彼らの息子に嫁がせてはならない。また、彼らの娘をあなたがたの息子の妻にしてはならない。永久に彼らの平安も幸せも求めてはならない。それは、あなたがたが強くなり、その地の良い物を食べ、これを永久にあなたがたの子孫の所有とするためである』と。

神が命じられた内容…モーセ契約(出エジ34:11~16参照)アモリ人、カナン人・・の部分は9章1節と関連づけられている。こうした原則的な神のことばを、預言者たちは語っていたと思われる。
神の仰せ・・・・
「これから所有しようとする土地は異国の汚れた地。この地を子孫に永久に所有させ、強くなり、豊かさを願うなら、土地の異邦人と姻戚関係を結んではならない。」
この命令を受けつつ、神殿再建は実現した。

エズラがどれほどに、神の愛に対して感謝しているかを察することができる。

「律法を皆に教えて」という考えは消え去って、この罪の贖いをどうすればよいかを必死に考えている。

13節:私たちの悪い行いと大きな罪過のゆえに、様々なことが私たちの上に起こりましたが、私たちの神、あなたは、私たちの咎に値するよりも軽い罰を与え、逃れの者をこのように私たちに備えてくださいました。そのようなことの後で、

14節:私たちは再びあなたの命令を破って、忌み嫌うべき行いをするこれらの民と、姻戚関係に入ってよいのでしょうか。あなたは怒って、ついには私たちを絶ち滅ぼし、残りの者も、逃れの者もいないようにされるのではないでしょうか。

神は、それらの全てを大目に見て下さり、とても軽い刑罰で済ませ、むしろこうして、帰還民を与えてくださいました。
それほどまで私たちに寛大な対応をしてくださったのに、神の忌み嫌うべき行いをする異邦の民と姻戚関係になってしまいます。果たして赦されるでしょうか?
この民と共に、私たちもあなたの怒りに触れ、滅ぼされてしまうのでしょうか?
エズラの祈りは、民の罪に動揺し、もうどうして良いかわからない状態を訴えている。

15節:イスラエルの神、よ、あなたは正しい方です。まことに、今日あるとおり、私たちは逃れの者として残されています。ご覧ください。私たちは罪過を負ってあなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないにもかかわらず。」

正しい方。→新共同訳:恵み深いお方。
あなた(の恵み)によって、今このようにして帰還者として、主の御前にいます。

イスラエルの民として、罪過を負って、あなたの御前にひざまずくことしかできません。

2023年08月11日

エズラ記10章1節~44節

1節:エズラが神の宮の前でひれ伏して、涙ながらに祈り告白しているとき、男や女や子どもの大会衆がイスラエルのうちから彼のところに集まって来た。民は涙を流して激しく泣いた。

エズラの悔いる気持ちは、涙に変わり、嘆きになっていた。
大会衆がエズラの周りに集って来る。
その理由に、集って来た大会衆も激しく泣き始めた。(エズラの思いに同調)
神の民としての誇りは打ち砕かれ、心から悔いている民。中には、大祭司などの指導者たちの振る舞いに違和感を持っていた人たちも、いたと思われる。


2節:そのとき、エラムの子孫の一人エヒエルの子シェカンヤが、エズラに言った。「私たちは、自分たちの神の信頼を裏切り、この地の民のである異国人の女を妻にしました。しかし、このことについてイスラエルには今なお望みがあります。

シェカンヤ・・・エラムの子孫のエヒエルの子(エズラ10:26・・雑婚の罪人の子)
シェカンヤは、指導者たちの振る舞い違和感を持ち、この忌み嫌うべき状況を恥じる気持ちでいたのではないか。
「今なら望みがあります」⇒シェカンヤは、神はこの罪過の下にある民を救おうとエズラを導かれたと思った。


3節:今、私たちは自分たちの神と契約を結び、主の勧告と、私たちの神の命令を恐れかしこむ人々の勧告にしたがって、これらの妻たちと、その子どもたちをみな追い出しましょう。律法にしたがってこれを行いましょう。

4節:立ち上がってください。このことはあなたの肩にかかっています。私たちはあなたに協力します。勇気を出して、実行してください。

エズラにエールを送るエルサレムの神を恐れる者たち。
「律法にしたがってこれを行いましょう。」 エズラと同調する思い。
奮い立って、私たちを導いてください。あなたに従います。
神の民として歩む姿勢がエズラに示された⇒神はエズラの今後の活動の下地を整えられた

5節:エズラは立ち上がり、祭司、レビ人、全イスラエルの長たちに、この提案を実行するよう誓わせた。すると彼らは誓った。

エズラは、立ち上がり、この民の提案の実行を誓わせた。彼らは進んで誓った。

決して強制ではなく、集った民の意識が一致し、進んで誓ったものと思われる
目的意識が一致した瞬間である。常に神はこうした状況を備え、エズラを導かれる。

6節:エズラは神の宮の前を去って、エルヤシブの子ヨハナンの部屋に行った。そこに行って、パンも食べず、水も飲まずにいた。捕囚から帰って来た人々の不信の罪を嘆き悲しんだのである。

エルヤシブは、ネヘミヤ時代の大祭司となる人物。
その子ヨハナン・・エルヤシブの孫・・「子」はヘブル語で「孫も含めた子孫」の意味。
当時の大祭司は、ヨヤキム(ヨシュアの子or孫)。
エズラは断食する。民の罪深さに嘆き悲しんだ。
自然と断食に入って行ったと想像する。神との対話の時間。

 

7節:そして、通達がユダとエルサレムに出された。それは、捕囚から帰って来た者はみなエルサレムに集合するように、というものであり、

8節:また、三日のうちに来ない者はみな、指導者たちや長老たちの決定にしたがってその全財産を聖絶され、さらにその人は、捕囚から帰って来た人々の会衆から除名される、としていた。

通達が出された→3日の間に、エルサレムに集合すること。
集合しない者は全財産の聖絶、その者は神の民から除名とする。

エルサレムのみならず、周辺に散る民の移動時間を考慮しての3日間
聖絶という言葉から、何やらただ事ではない様子がすぐに伝わる

9節:ユダとベニヤミンの男はみな、三日のうちにエルサレムに集まって来た。それは第九の月の二十日であった。こうして、すべての民は神の宮の前の広場に座り、この件で、また大雨のために震えていた。

10節:祭司エズラは立ち上がって、彼らに言った。「あなたがたは神の信頼を裏切った。異国人の女を妻にし、イスラエルの罪過を増し加えた。

11節:だから今、あなたがたの父祖の神、主に告白して、そのみむねにかなったことをしなさい。この地の民、異国人の女たちから離れなさい。」

第9の月(11~12月の寒い時期)の20日、ユダとベニヤミンの男たち三日の内に集まった。
場所は神殿の前の広場。全員が9月の大雨と、事の重大さに震えていた。
エズラは、雑婚の罪を民に指摘する。それが更なる神の裁きとなる恐れを込めて。
集合する者たちの一部の罪だが、イスラエルの民全員の問題として受けとめている。


12節:全会衆は大声をあげて答えた。「必ずあなたの言われたとおりにします。

大声で合意する民の声。「必ずあなたの言われたとおりにします!」

モーセの律法に従って歩もうとするエズラの思いと、民の思いが、ここに一致した!

13節:しかし、民は大勢いて、大雨の時期ですから、私たちは外に立っていることができません。しかも、これは一日や二日のしごとでもありません。私たちはこのことで大いに背いてきたのですから。

エズラの指示に、大声で応答する全会衆。
皆の心の目的は、一致していた。律法に忠実であろう。「指示に従います!」
ただ、今すぐに実行するのは難しい状況。大雨で寒く、また簡単には行かない。
雑婚の実態は、家系、周囲の人たちの情報など、調査に時間を要す。


14節:全会衆を代表して私たちの指導者たちに、ここにとどまっていただきたい。そして、私たちの町で異国人の女を妻にした者はみな、定められた時に、それぞれの町の長老たち、さばき人たちと一緒に出頭するようにしていただきたい。そうすれば、このことについての私たちの神の燃える怒りは、私たちから去るでしょう。」

提案・・全会衆の代表として指導者はここに残り、各人が町に帰って、その者たちを連れて約束の日までに、その町の長老、さばき人と共に出頭させてほしい。
神は赦してくださるはずです。(罪を洗い出し、清めるという強い意志が伺える)

更に、異邦人の嫁を、ユダヤ教に改宗させるという手段もある。
そのためにも、2~3日で終わるような仕事ではない。

15節:アサエルの子ヨナタンとティクワの子ヤフゼヤだけはこれに反対し、メシュラムとレビ人シャベタイの支持を得たが、

アサエルの子①ヨナタン、ティクワの子②ヤフゼヤ、③メシュラム、レビ人の④シャベタイは、この提案に反対した。→①、②、④は非雑婚者。メシュラムは異邦人の娘と既婚。(10章29節)

エズラの指示には合意していた。時間をかけて実行することに反対したと考えられる。
メシュラムは自分の罪深さを恐れ、早く実施したいと考えたのではないか。


16節:捕囚から帰って来た人々は、その提案どおりにした。祭司エズラは、彼らの一族のそれぞれのために、かしらの者たちを、みな名指しで選り分けた。こうして、彼らはこの件を調べるために第十の月の一日に検討を始め、

17節:第一の月の一日までに、異国人の女を妻にした男たちについて、みな調べ終えた。

エズラ直々に、それぞれの一族のかしらたちを任命した。エズラの思いが伝わる。
調査は第10の月の一日から翌年第1の月の一日までかかった。(12月末~3月末)
現在は、アルタクセルクセス王の第7年。エルサレム到着が第5の月(7章8節)。(到着から5か月後)
こうしたエズラの威厳は、かねてアルタクセルクセス王より与えられた権威もあるが、

人々を動かしたのは、彼の純粋な、イスラエルの民への愛と神への愛という、正義と公正の思いだったであろう。

18節:祭司の子らのうちで異国人の女を妻にした者が分かった。エホツァダクの子ヨシュアの息子たちと、その兄弟たちのうちのマアセヤ、エリエゼル、ヤリブ、ゲダルヤであった。

19節:彼らはその妻を離縁すると誓い、自分たちの罪過のために、雄羊一匹を代償のささげ物として献げた。

20節:イメル族のうちでは、ハナニとゼバデヤ。

21節:ハリム族のうちでは、マアセヤ、エリヤ、シェマヤ、エヒエル、ウジヤ。

22節:パシュフル族のうちでは、エルヨエナイ、マアセヤ、イシュマエル、ネタンエル、エホザバデ、エルアサ。

23節:レビ人のうちでは、エホザバデ、シムイ、ケラヤすなわちケリタ、ペタフヤ、ユダ、エリエゼル。

24節:歌い手のうちでは、エルヤシブ。門衛のうちでは、シャルム、テレム、ウリ。

25節:一般のイスラエル人のうち、パルオシュ族のうちでは、ラムヤ、イジヤ、マルキヤ、ミヤミン、エルアザル、マルキヤ、ベナヤ。

26節:エラム族のうちでは、マタンヤ、ゼカリヤ、エヒエル、アブディ、エレモテ、エリヤ。

27節:ザト族のうちでは、エルヨエナイ、エルヤシブ、マタンヤ、エレモテ、ザバデ、アジザ。

28節:ベバイ族のうちでは、ヨハナン、ハナンヤ、ザバイ、アテライ。

29節:バニ族のうちでは、メシュラム、マルク、アダヤ、ヤシュブ、シェアル、ラモテ。

30節:パハテ・モアブ族のうちでは、アデナ、ケラル、ベナヤ、マアセヤ、マタンヤ、ベツァルエル、ビヌイ、マナセ。

31節:ハリム族のうちでは、エリエゼル、イシヤ、マルキヤ、シェマヤ、シメオン、

32節:ベニヤミン、マルク、シェマルヤ。

33節:ハシュム族のうちでは、マテナイ、マタタ、ザバデ、エリフェレテ、エレマイ、マナセ、シムイ。

34節:バニ族のうちでは、マアダイ、アムラム、ウエル、

35節:ベナヤ、ベデヤ、ケルフ、

36節:ワンヤ、メレモテ、エルヤシブ、

37節:マタンヤ、マテナイ、ヤアサイ。

38節:バニ、ビヌイ、シムイ、

39節:シェレムヤ、ナタン、アダヤ、

40節:マクナデバイ、シャシャイ、シャライ、

41節:アザルエル、シェレムヤ、シェマルヤ、

42節:シャルム、アマルヤ、ヨセフ。

43節:ネボ族のうちでは、エイエル、マティテヤ、ザバデ、ゼビナ、ヤダイ、ヨエル、ベナヤ。

祭司の雑婚者→新共同訳参照⇒「大祭司ヨシュアの一族とその兄弟の中の、マアセヤ、エリエゼル、ヤリブ、ゲダルヤ。」
彼らは離縁を誓い、贖罪のための「代償のささげ物」として各雄羊一匹を献げた。
以下、祭司の雑婚既婚者は13名が記されている。祭司合計17名。
レビ人は6名、歌い手1名、門衛3名、
一般部族は86名。

合計113人の名前がリストアップされた
祭司以外の者たちの代償のささげものは記載はないが、献げられたと想像する。
この日まで、様々なことがあったと思われる。
結局、神の民として何を優先して生きるべきかが問われる!

44節:これらの者はみな、異国人の女を妻にした者であった。彼らの妻たちの中には、すでに子を産んだ者もいた。

この最後のことばには、哀れさがにじみ出ていると感じられる。
決して外国人を憎むというのではなく、神の霊的領域に移るための犠牲である。
エズラが流した涙には、こうした苦しみももしかしたら含まれていたのかもしれない。
離縁したり、正式に改宗したりと、手続きは繊細に扱われたと思われる。
しかし、かつて神は「聖絶」という言葉まで用いて、この地の異邦の民を忌み嫌われた。
それもこれも、神に従わなかった結果のことである。
ただし、この時は、離縁した者を冷たく追い出したとは思いたくないが・・・

こうしてエズラは、民と共に雑婚の罪に対して応答して、律法に従う一歩を刻んだ。

2023年08月17日

ネヘミヤ記1章1節~11節

著者ネヘミヤについて

ネヘミヤの父はハカルヤ

父、本人共に情報は少ない。ネヘミヤの意味は「ヤハウェが慰めてくださった」。
血筋、家系等も不明。 ペルシア出身か(中川先生)。

ネヘミヤはアルタクセルクセス王の献酌官。

『献酌官』とは、王に酒を注ぎ、且つ毒見役を意味し、王の側付きとなるという信頼と、知識、知性、判断力、人格が求められた。
王に酒を注ぎ、且つ毒見役である『献酌官』は、とても重要で有力な特権階級であった。

王の後宮勤めから、宦官であったとの説もある。   

彼は指導者(総督)として、エルサレムで活動した。
エズラと同時期に活動
 ・総督ネヘミヤ、祭司エズラ
城壁の再建に着手
 ・城塞都市の建て上げ
 ・神の民の建て上げ

1節:ハカルヤの子ネヘミヤのことば。第二十年のキスレウの月に、私がスサの城にいたときのことであった。

第20年→アルタクセルクセス王時代の第20年。BC446年。
キスレウの月→11月下旬から12月上旬にかけての期間。
スサ→ペルシア王の冬の宮殿の地。
エズラはバビロンから来た。ルートが異なる。


2節:私の兄弟の一人ハナニが、ユダから来た数人の者と一緒にやって来た。私は、捕囚されずに残された逃れの者であるユダヤ人たちについて、またエルサレムのことについて、彼らに尋ねた。

3節:彼らは私に答えた。「あの州で捕囚を生き残った者たちは、大きな困難と恥辱の中にあります。そのうえ、エルサレムの城壁は崩され、その門は火で焼き払われたままです。」

同胞ハナニにエルサレムの状況、民の状況を尋ねた。
民の状況は大きな困難と恥辱の中にある。
エルサレムの城壁は崩され、門は焼かれたまま。
経済的基盤の脆弱さが原因か。


4節:このことばを聞いたとき、私は座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈った。

エズラと同様泣き崩れるネヘミヤ。まるで喪に服するかのように。
嘆きと共に、断食が数日続いた。エズラ同様、個人的な断食と祈り。


5節:「ああ、天の神、主よ。大いなる恐るべき神よ。主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みを下さる方よ。

主を愛し、主の命令を守る者。→旧約の時代も、神への愛が前提となっている。
『契約を守る神』としている点に注目。


6節:どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを開いてください。私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。

謙虚な姿勢を示すネヘミヤ。彼もイスラエルの民の一員として祈っている。
過去の罪・・バビロン捕囚を筆頭に・・過去の罪深さを心から詫びている。
基本的には、偶像礼拝の罪が想定されていると考える。(神への謀反)


7節:私たちはあなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった、命令も掟も定めも守りませんでした。

8節:どうか、あなたのしもべモーセにお命じになったことばを思い起こしてください。『あなたがたが信頼を裏切るなら、わたしはあなたがたを諸国の民の間に散らす。

9節:あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行うなら、たとえ、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしは彼らをそこから集め、わたしの名を住まわせるためにわたしが選んだ場所に連れて来る。』

遡る事、モーセの律法の時代にまで行き着くネヘミヤ。
命令、掟、定めを守れなかった罪深さ。しかし、あなたはその時、モーセにこう言われました!
信頼を裏切るなら民を散らす。(裁き)
そこから神に立ち返り、命令を守るならば、民を集め、連れ帰る。
『わたしの名を住まわせるためにわたしが選んだ場所』→エルサレム。


10節:これらの者たちこそ、あなたがその偉大な力と力強い御手をもって贖い出された、あなたのしもべ、あなたの民です。

今、エルサレムに連れ帰った民こそあなたのしもべ、あなたの民です。
それは、あなたの契約が実現したことを表すものであり、神の民にとっては幸いなことです。


11節:ああ、主よ。どうかこのしもべの祈りと、喜んであなたの名を恐れるあなたのしもべたちの祈りに耳を傾けてください。どうか今日、このしもべに幸いを見させ、この人の前で、あわれみを受けさせてくださいますように。」そのとき、私は王の献酌官であった

今こうして祈っている私の願いを聞いてください。私もエルサレムに連れ帰ってください。
『この人の前で』→王の御前で、その許しが出ますように。
 新共同:「私の願いをかなえ、この人の憐れみを受けることができるようにしてください。」
ネヘミヤは、王の献酌官であったため、こうした祈りになっている。

 神に対して、また王に対して十分な忠誠心が明確である。

エペソ6:6~7
ご機嫌取りのような、うわべだけの仕え方ではなく、キリストのしもべとして心から神のみこころを行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。
こういう人物が、信頼できるリーダーの器である

2023年09月02日

ネヘミヤ記2章1節~20節

1節:アルタクセルクセス王の第二十年のニサンの月に、王の前にぶどう酒が出されたとき、私はぶどう酒を取り、王に差し上げた。それまで、私は王の前で気持ちが沈んでいたことはなかった。

2節:すると、王は私に言った。「病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように沈んだ顔をしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。」私は非常に恐れて、

アルタクセルクセス王の第20年のキスレウの月~ニサンの月(3~4月)になった頃。(ほぼ4か月経過)
毎日エルサレムとイスラエルの民について必死に神に祈っていたが、決して表には出さないネヘミヤ。(マタイ6:18を思わせる)
ネヘミヤがいつも通り酒を注ぐと、王は彼の心情の異変を察し、声を掛ける。
「私は非常に恐れて、王に言った」→中川先生:王の御前での不機嫌な顔は無礼。時に死刑。
アルタクセルクセス王は、もともと再建に否定的であった。
数年前に王は、エルサレム再建の許可を却下していた。

城壁の再建は無理な状況だった!

3節:王に言った。「王よ、永遠に生きられますように。私の先祖の墓がある都が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして沈んだ顔をしないでいられるでしょうか。」

冒頭、王への信頼を表明している。決して王の意向に逆らう意思はないことを示す。
沈んでいる理由は、先祖の墓がある都が廃墟となり、門が焼き尽くされたままだから。


4節:王は私に言った。「では、何を望んでいるのか。」私は天の神に祈ってから、

5節:王に答えた。「もしも王が良しとされ、このしもべにご好意をいただけますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある都へ遣わして、それを再建させてください。」

王は望みを聞き、ネヘミヤは神に祈ってから、王に答えた。
最大限の気遣いで王に希望を述べるネヘミヤ。ユダ、エルサレムを再建させていただきたい。

王のネヘミヤに対する信頼は相当に大きい。
神のお導きと、ネヘミヤは感じ取ったに違いない。

6節:王は私に言った。王妃もそばに座っていた。「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか。」王はこれを良しとして、私を遣わしてくださることになり、私は予定を伝えた。

王の側に、王妃が同席していた。王家からの信頼があったと感じる。
王は「期間はどれぐらいか?」と質問。これは、ネヘミヤに好意的な応答。(基本OK!)
具体的な計画を伝えた。これまでの間に、ネヘミヤは計画立案していたことが分かる。

こういう準備が、自然にできるところがネヘミヤの特性であり、賜物である。
王もその性格、緻密さを、十分認識している。故に了解したと考えられる。
仕事が迅速で、用意周到(信仰と知恵)

7節:また私は王にこう言った。「もしも王様がよろしければ、ユダに着くまで私が通行できるように、ユーフラテス川西方の総督たちへの手紙をいただけるでしょうか。

8節:そして、宮の城門の梁を置くため、また、あの都の城壁と私が入る家のために木材をもらえるように、王家の園の管理人アサフへの手紙もお願いします。」わが神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくださった。

時間の区切りがある以上、王に協力を願い出た。
①ユーフラテス川西方域の総督たちへの書状。(協力指示書)
②王家の園の管理者へのレバノン杉の供給。

王の全面的協力を受けるネヘミヤ。

ユーフラテス川西方の総督に会うたびに、その書状が威力を発揮。


9節:それで私はユーフラテス川西方の総督たちのところに行き、王の手紙を彼らに手渡した。王は、軍の高官たちと騎兵たちを私とともに送り出してくださった。

王は総督たちへの書状と共に、ネヘミヤに軍の高官、騎兵を与えてくださった。
これも、迅速かつ確実に仕事ができるための配慮と思われる。
こうして、エルサレムへの旅は順調に進んだ。
エズラとネヘミヤとの違いは、王様との距離感である。どちらも神が導いてくださっている。


10節:ホロン人サンバラテと、アンモン人でその部下のトビヤは、これを聞いて非常に不機嫌になった。イスラエル人の益を求める者がやって来たからである。

敵の存在。ホロン人サンバラテ(サマリヤの総督、ユダの北部)アンモン人トビヤ(アンモンの総督、ユダの東部)。
反ユダヤ主義者の、イスラエルの回復を望まない者たちが、ユダの北東に存在。
ネヘミヤを歓迎しない周囲の民族。これが敵であることをネヘミヤは認識。

神の導きにより、ネヘミヤもまた、エルサレムに無事に到着した。
この時点で統率者ネヘミヤの目には、敵の存在が明確に見えていた。

11節:こうして私はエルサレムに着いて、そこに三日間とどまった。

12節:ある夜、私は起きて出て行った。ほかに数人の者も一緒であった。しかし私は、私の神がエルサレムのためにさせようと私の心に示しておられることを、だれにも告げなかった。また私自身が乗った動物のほかに、動物はいなかった。

エルサレムに着いて3日間とどまっていた。今後のネヘミヤの行動計画検討ではなかったか。
ある夜、先手を数人付けて、誰にもその目的を語らず現状調査に出かけた。(神のご計画は語らない)
乗っている動物(ロバか馬)以外は、何も同行していない。情報が洩れて、邪魔が入らないように。
話に聞いていた城壁の損傷がどれほどの内容かを実際に、且つ密かに確認したかった。
王と約束した期限があるために、しっかりした計画立案が必要だった。


13節:私は夜、谷の門を通って竜の泉の方、糞の門のところに出て行き、エルサレムの城壁を調べた。それは崩され、その門は火で焼き尽くされていた。

14節:さらに、泉の門と王の池の方へ進んで行ったが、私が乗っていた動物の通れる場所がなかった。

15節:夜のうちに流れを上って行って、城壁を調べた。そしてまた引き返し、谷の門を通って戻った。

城壁と門の調査。情報と実際の検証。

谷の門→竜の泉→糞門→(エルサレムの城壁)その他の城壁と門も確認したと思われる。ネヘミヤは全体像を把握した。



16節:代表者たちは、私がどこへ行っていたか、また私が何をしていたかを知らなかった。ユダヤ人にも、祭司たちにも、有力者たちにも、代表者たちにも、そのほか工事をする者たちにも、その時まで私は何も告げていなかった。

周囲の人たちに何も告げないで行動したネヘミヤ。情報漏洩を警戒した。
代表者→ペルシアの高官(役人)
やはり、何らかの妨害を懸念していたのではないか。そして、計画は明確になった。


17節:私は彼らに言った。「私たちが直面している困難は見てのとおりだ。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままだ。さあ、エルサレムの城壁を築き直し、もうこれ以上、屈辱を受けないようにしよう。」

18節:そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また王が言ったことばを彼らに告げた。すると彼らは「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。

現状を、すべての者に伝えるネヘミヤ。恥辱の状態にあり、これは屈辱である。(目的は恥の回復)
人は、屈辱的な状態であることに慣れ、それが当たり前と思ってしまうと、恥を恥と思わなくなる。
神の民としての誇り、アイデンティティも一緒に失せて行くもの。
神の御手が働いて、今自分がここに来ている事、また、王の許可も授けられている事を語った。

ネヘミヤが語る言葉は、人々のアイデンティティを揺るがし、奮起させ、民は城壁再建を開始!
ポイントは、人々の心!動機!これは私たちも同じ!

19節:ところが、ホロン人サンバラテと、アンモン人でその部下のトビヤ、およびアラブ人ゲシェムは、これを聞いて私たちを嘲り、蔑んで言った。「おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか。」

10節の反ユダヤ主義たち。ホロン人サンバラテ(北部)、アンモン人トビヤ(東部)、アラブ人ゲシェム(南部)の三方に敵がいる。こうした敵の存在が、イスラエルの民の目を神から遠ざけていたのであろう。
嘲り、加えて「王への反逆だ」とやる気をくじこうとする。ネヘミヤへの不信を煽っている。実際、彼らはネヘミヤの派遣の目的を知らなかったと思われる。


20節:私は彼らにことばを返して言った。「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる。それで、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。あなたがたには、エルサレムのうちに何の取り分も、権利も、ゆかりもない。」

力あるネヘミヤの応答。それは、神のみこころに従って歩む真の信仰者の姿勢の表明。
神が導かれている再建事業であり、私たち神の民はそれに従って行く!
お前たちには何の関わりもない事である!(中川先生:過去、現在、未来のいずれにも関りがない)

我も我もが真の信仰者として生きようと思い、ネヘミヤは人々の心の決心を促した!

2023年09月07日

ネヘミヤ記3章1節~14節

1節:こうして大祭司エルヤシブは、その仲間の祭司たちと、羊の門の再建に取りかかった。彼らはそれを聖別して、扉を取り付けた。そしてメアのやぐらのところまで聖別し、ハナンエルのやぐらにまで及んだ。

2節:その傍らではエリコの人々が建て、その傍らではイムリの子ザクルが建てた。

羊の門~ハナンエルのやぐら

・大祭司エルヤシブ(大祭司ヨシュアの孫)
・リーダーが先陣を切って再建に着手!
・羊の門→生け贄の羊が運ばれる門。
・聖別→「神にささげる」の意。
・取り掛かったのは、大祭司の仲間、祭司
・エリコの人々・・・エリコはユダの北東部
・イムリの子ザクル・・イムリは第1次帰還民。
         ・・ザクルは詳細不明。

3節:魚の門はセナアの子らが建てた。彼らは梁を置き、扉、錠、かんぬきを取り付けた。

4節:彼らの傍らではハ・コツの子ウリヤの子であるメレモテが修復を行い、その傍らではメシェザブエルの子ベレクヤの子であるメシュラムが修復を行い、その傍らではバアナの子ツァドクが修復を行った。

5節:その傍らではテコア人たちが修復を行ったが、彼らの貴族たちはその上役に頭を下げることはなく、工事に協力しなかった。

魚の門(魚市場があり、魚を搬入)

・セナアの子らが中心。(第一次帰還民)
・『その傍ら』→その元で、その統率の元で。
・セナアの子らが門の建設。
・メレモテ、メシュラム、ツァドクが城壁の修復。
  メレモテ→祭司(エズ8:33)
  メシュラム→その娘がトビヤの息子と結婚。
  メシュラムは離縁した一族の一員(エズ10:29)
・テコア人の一般人は修復に参加。貴族は不参加。

6節:エシャナの門はパせアハの子エホヤダと、ベソデヤの子メシュラムが修復を行った。彼らは梁を置き、扉、錠、かんぬきを取り付けた。

7節:彼らの傍らでは、ギブオン人メラテヤ、メロノテ人ヤドン、それにユーフラテス川西方の総督の管轄に属する、ギブオンとミツパの人々が修復を行った。

8節:その傍らでは金細工人のハルハヤの子ウジエルが修復を行い、その傍らでは香料作りの一人ハナンヤが修復を行った。こうして、彼らはエルサレムを、幅広の城壁のところまで修復した。

9節:その傍らでは、エルサレム地区の半区の長、フルの子レファヤが修復を行った。

10節:その傍らではハルマフの子エダヤが自分の家のそばの部分を修復し、その傍らではハシャブネヤの子ハトシュが修復を行った。

エシャナの門(古い門)~広い城壁

・エホヤダ、メシュラムらが門を修復。
・パセアハは第一次帰還族。その他は不明。
・ギブオン人メラテヤ、メロノテ人ヤドンが  
  ギブオン、ミツパの町の人々と修復。
  共にエルサレムの北西の町。
  両町は、ユーフラテス川西方の管轄下。
・金細工人ウジエル。
・香料造りハナンヤ。
・エルサレム地区の半区の長レフィア。
・エダヤがハトシュと修復
      ➥祭司の一族・・? 家のそばを再建。

11節:その続きの部分は、ハリムの子マルキヤと、パハテ・モアブの子ハシュブが、炉のやぐらと一緒に修復した。

12節:その傍らでは、エルサレム地区の残りの半区の長、ハ・ロヘシュの子シャルムが、自分の娘たちと一緒に修復を行った。

広い城壁の先の城壁(炉のやぐらを含む)

・ハリムの子マルキヤ。離縁の者。祭司。
・パハテ・モアブの子ハシュブ。祭司。(エズ2:6)
・ハ・ロヘシュの子シャルムが娘たちと再建。
        エルサレムの残りの半区長

新共同訳の解説
ユダは、①エルサレム、②ベト・ケレム、③ミツパ、④ベト・ツル、⑤ケイラ、⑥エリコ、の6地区に分けられていた。更に、①、④、⑤は2つに分けられ、半区と呼ばれる

 

13節:谷の門はハヌンと、ザノアハの住民が修復を行った。彼らはそれを建て直し、扉、錠、かんぬきを取り付け、糞の門までの城壁千キュビトを修復した。

谷の門~糞の門

・ティオポエオンの谷を見下ろせる(新共同訳の解説)
・ハヌンとザノアハの住民は、谷の門の再建と
 糞の門までの城壁約440m(千キュビト)を修復。
・ハヌンは情報無し。
・ザノアハは、エルサレムの南西約40kmにある町。

 

14節:糞の門はベテ・ハ・ケレム地区の長、レカブの子マルキヤが修復した。彼らはそれを建て直し、扉、錠、かんぬきを取り付けた。

糞の門(汚物、ゴミの搬出)
・レカブの子マルキヤが修復。
・ベテ・ハ・ケレム地区の長

 

北~西~南のかけての再建について

・大祭司エルヤシブが皮切りとなって再建がはじめられた。
・更に『羊の門』からの開始は、いけにえの搬入口であり、優先事項が神、礼拝であることの表明
・城壁の方角にある地域の人々が、その方角の城壁を修復した。門は、主にその主導的立場の人が担当。城壁の修復に較べ、門の再建は技術的にも費用的にも負担が大きいからだろう。
・ユダ州とは管轄外の地域のユダヤ人も修復に参加した。再建に王の権威が働いていたことは否めない。
・エズラ帰還時の、雑婚解消を行った祭司たちも参加しているのは、意味深である。


特記事項
北~西~南の再建工事では、それぞれが羊の門の修復を見て、連携して修復したと思われる。これは、城壁や門の損壊状況の影響と考えられるが、詳細は不明。

再建は全員参加の事業であった。本来、土木工事とは縁のない金細工職人、香料づくり人が参加し、更に女性まで参加した記録があり、民が一気に団結して、短期間に再建工事が行われたと推測。

2023年09月14日

ネヘミヤ記3章15節~32節

15節:泉の門はミツパ地区の長、コル・ホゼの子シャルンが修復した。彼はそれを建て直し、屋根を付け、扉、錠、かんぬきを取り付けた。また、王の園のシェラフの池の城壁を、ダビデの町から下って来る階段のところまで修復した。

16節:その向こうでは、ベテ・ツル地区の半区の長、アズブクの子ネヘミヤが、ダビデの墓地のそばまでと、人工貯水池までと、勇士たちの家のところまでを修復した。

17節:その向こうでは、バニの子レフムなどレビ人たちが修復を行った。その傍らでは、ケイラ地区の半区の長、ハシャブヤが自分の地区のために修復を行った。

図上の城壁再建のプロセスはあくまでも推定です。

 

泉の門シロアムの池の傍
・ミツパの地区長コル・ホゼの子シャルン
・建て直し・・屋根の取り付けが記されている。
・シェラフの池→シロアムの池とされる。
・「その向こうでは」→すでに取り掛かっている様子。
・ベテ・ツル地区の半区長ネヘミヤ(アズブクの子)
・人口貯水池→王の池(シロアムの池)と推察。
・「勇士たちの家」→ダビデ時代の兵舎か。
・その先をバニの子レヘム・・レビ人たちが修復し、ケイラ地区の半区の長ハシャブヤのグ ループがその先を担当。

18節:その向こうでは、ケイラの残りの半区の長、ヘナダデの子バワイなど、彼らの同僚たちが修復を行った。

19節:その傍らでは、ミツパの長、ヨシュアの子エゼルが、城壁の曲がり角の隅にある武器倉に向かう上り坂のそばで、続きの部分を修復した。

20節:その向こうでは、ザカイの子バルクが続きの部分を、城壁の曲がり角から大祭司エルヤシブの家の門のところまで熱心に修復した。

21節:その向こうでは、ハ・コツの子ウリヤの子メレモテが続きの部分を、エルヤシブの家の門からエルヤシブの家の端まで、修復を行った。

22節:その向こうでは、低地の人々である祭司たちが修復を行った。

地図上の城壁再建のプロセスはあくまでも推定です。

 

・ケイラの半区長バワイ(ヘナダデの子)と同僚たち。
・バワイと共にミツパの長エゼル(ヨシュアの子)が、 
 武器庫のそばで、続きの部分を修復。

 

・バルク(ザカイの子)の修復。(熱心に)
  城壁の曲がり角~大祭司エルヤシブの家の門まで。
・ハ・コツの子のウリヤの子メレモテ
  魚の門付近の城壁(3:4)を修復し、更にエルヤシブの家の門から家の端まで担当。
・低地の人々の祭司たちが担当。(ダビデの旧都は低地にあった)

 

23節:その向こうでは、ベニヤミンとハシュブが自分たちの家のそばの部分を修復した。その向こうでは、アナネヤの子マアセヤの子アザルヤが自分の家の近くを修復した。

24節:その向こうでは、ヘナダデの子ビヌイが続きの部分を、アザルヤの家から城壁の曲がり角の隅まで修復した。

25節:ウザイの子パラルは、城壁の曲がり角の部分と、監視の庭のそばにあって上の王宮から突き出ているやぐらを修復した。その向こうでは、パルオシュの子ペダヤと、

26節:オフェルに住む宮のしもべたちが、東の方の水の門と突き出ているやぐらのそばの部分までを修復した。

 

・ベニヤミンとハシャブが自分たちの家のそばの城壁を修復。
・続いてアザルヤも自分の家のそばの城壁を修復。
  ※住居を中心とした修復は、場所が明確ではない。
  ※城壁の壁を利用した住居があったとのこと。

 

・ビヌイがアザルヤの家から城壁の曲がり角までを修復。
             ※3:18にヘナダデの子バワイあり(同一人物か)
・パラルは、城壁の角から突き出ているやぐらまでの城壁と、やぐら自体を修復。
・宮のしもべたちは、水の門から突き出たやぐらまでを修復。


27節:その向こうでは、テコア人が、突き出ている大きなやぐらのそばからオフェルの城壁までの続きの部分を修復した。

28節:馬の門から上の方は、祭司たちがそれぞれ自分の家のそばの部分を修復した。

29節:その向こうでは、イメルの子ツァドクが自分の家のそばの部分を修復した。その向こうでは、シェカンヤの子、東の門を守る者シェマヤが修復を行った。

30節:その向こうでは、シェレムヤの子ハナンヤと、ツァラフの六男ハヌンが、その続きの部分を修復した。その向こうでは、ベレクヤの子メシュラムが自分の部屋のそばの部分を修復した。

31節:その向こうでは、金細工人の一人マルキヤが、招集の門の向かい側にある、宮のしもべたちや商人たちの家のところまでと、角の二階の部屋のところまでを修復した。

32節:角の二階の部屋と羊の門の間は、金細工人と商人たちが修復した。

 

・テコア人は、突き出ているやぐらからオフェルの城壁の修復。
   ※3:5にテコア人。貴族は不参加。
・祭司たちは、馬の門からその先の自分の家のそばを修復。
・更にツァドクが自分の家のそばを修復した。
東の門は、その番人シェマヤが修復した。現在の黄金門。 

・ハナンヤ、ハヌンがその続きを、メシュラムが自分の部屋の
 城壁部分を修復した。

 

・角の二階の部屋と羊の門の間は、金細工人マルキヤと商人が修復。この地区は商人たち の居住区。
召集の門(ミフカド)→贖罪のささげ物を捧げる場所。

 

南東~北東にかけての再建について
・この地区は、城壁のそばの居住者たちの修復が多く、商人など、全員参加の再建事業の色彩が強い。
・この地区の工事については連続的、且つ一気に工事している。集中的な再建が思い浮かぶ。
・新共同訳では、修復→補強となっている。幾分ニュアンスが異なる。ネヘミヤは、短時間に実現できる最高効率の計画を示して、実行させたと考えられる。その優秀さと謙虚さが彼の人物像である。

 

特記事項
・今回取り上げた地図情報は、決して明確な物ではなく、様々な見解があることに留意の事。
・3章は、一連の工事について淡々と記されているが、ポイントは再建工事において発生する様々な問題に対して、ネヘミヤや民がどのように応答するかが重要である。

・城壁の損壊状況を考えるに、主要な門はかなり破壊され、城壁はある程度原形をとどめていて、地域ごとに損壊の差があったと思われる。バビロン攻撃の破壊と共に、ある程度再建しても、政治や周囲の妨害があり、門は焼かれるなどし、城壁の修復には手が回らなかったのではないかと想像する。
   

2023年09月22日

ネヘミヤ記4章1節~23節

1節:サンバラテは私たちが城壁を築き直していることを聞くと、怒り、非常に憤慨して、ユダヤ人たちを嘲った。

2節:彼はその同胞とサマリアの有力者たちの前で言った。「この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえを献げようというのか。焼けてしまった石を瓦礫の山の中から拾って、生き返らせようというのか。」

・再建を妨害するホロン人サンバラテ。彼はサマリヤの総督(エジプトで発見されたパピルスに名がある)
・サマリヤは、様々な形で妨害を工作する。神殿の時は擦り寄り、断られるという一件がある。
・城壁再建が始まり、サマリヤ人や有力者(新共同:兵士)たちはイスラエルの民への嘲りを語る。
・「修復して神をたたえようというのか?そんなことできるわけがない!」→神を蔑ろにしていることば!

 

3節:彼のそばには、アンモン人トビヤがいて、彼も「彼らが築き直している城壁など、狐が一匹上っただけで、その石垣を崩してしまうだろう」と言った。

仲間のアンモン人トビヤも、再建を小馬鹿にして嘲る。
・「簡単に崩れてしまうに違いない!」。

神殿は出来ても、城壁再建がイスラエルの民に出来る訳がないと踏んでいる
エルサレム、そしてイスラエルの民は相当に恥を受けている状態であると推察できる

4節:「お聞きください、私たちの神よ。私たちは軽蔑されています。彼らの侮辱を彼ら自身の頭上に返し、彼らが捕囚の地でかすめ奪われるようにしてください。

5節:彼らの咎をおおい隠すことなく、彼らの罪を御前から消し去らないでください。彼らが、建て直している者たちを憤慨させたからです。」

・妨害者の情報が入って来る度に、ネヘミヤは、常に神への祈りを絶やさない。
  ①神に信頼する民を軽蔑する者→これは神を軽蔑し、侮辱する事に等しい。
  ②従って、私たちがかつて受けたバビロン捕囚と同様の裁きに値する状態と判断!
  ③この嘲りは、決して見逃されてはならない事です。
・ネヘミヤは、単に敵の滅びではなく、神を嘲る者への適正な裁きを神に委ねている事に注目!

 

6節:こうして私たちは城壁を築き直し、城壁はすべて、その半分の高さまでつなぎ合わされた。民に働く気があったからである。

・工事は順調に、急速に進み、短時間でおよそ半分の高さまで城壁が繋がった。
・6:15の52日間の完成から逆算すると、約4週間が過ぎたころと解説。(中川先生)
・その原動力は、民の働く気持ち・・ネヘミヤと神の民のアイデンティティ + ネヘミヤの計画と統率力。

常に城壁の全体が、毎日修復されて行く光景は、イスラエルの民の力を表している!

7節:サンバラテ、トビヤ、アラブ人、アンモン人、アシュドデ人たちは、エルサレムの城壁の修復がはかどり、割れ目もふさがり始めたことを聞いたとき、激しく怒り、

8節:皆でエルサレムに攻め入って混乱を起こそうと、陰謀を企てた。

・サンバラテ、トビヤ(北)、アラブ人(東)、アンモン人(南)、アシュドデ人たち

(西)。反ユダヤ主義者たち。➡四方が敵という状態にある!

・再建の急速な進展は、彼らを妨害の実力行使へと駆り立て、計画を始めた。(サタンは見えぬところで働く)
敵の目には、放っておけないと思えるような、再建の進捗状況!

9節:そこで私たちは、私たちの神に祈り、彼らに備えて昼も夜も見張りを置いた。

10節:ユダの人々は言った。「荷を担ぐ者の力は弱り、瓦礫は山をなしている。城壁を築き直すことなど、私たちにできはしない。」

・ネヘミヤ、そして民は神に祈り、昼夜を問わず見張りを置いた。(再建作業に負担が増す)
・ユダの人々にとっては、負担ばかりが増すばかりで、再建は無理とまで思っている状況。見る者の立場により、光景は違って映る

はじめは勢いがあり、物事に取り組むも、肉体的にピークが来ると、初めの達成意欲は萎えてしまい、何事もネガティブな発想になってしまうことはありませんか?そんな時に、更にネガティブになるような情報が入って来るものです。

11節:私たちの敵は言った。「彼らが気づかないうちに、見つけないうちに、彼らの真ん中に入り込み、彼らを殺して、その工事をやめさせよう。」

12節:そのため、彼らの近くに住んでいたユダヤ人たちはやって来て、四方八方から十回も私たちに言った。「私たちのところに戻って来てください。」

・敵はそんな弱気のイスラエルの民を揺さぶるかのように、内部攪乱情報をぶちまける。(常套手段)
・「内部にスパイを侵入させ、人々を殺し、再建計画をぶち壊す!」
・新約時代・・使徒20:29~30・・内部に入り込む異端による情報操作・・破壊工作。
・エルサレムの周囲に住む、城壁再建に従事する者の家族を、大いに混乱させた。
・「早く戻って来て!」と執拗に求める背後に、敵の情報操作の激しさが見える。

マタイ14:25~33 ペテロの湖上の歩みの失敗
イエス様は、「何故、疑ったのか?」と、諫めるように質問される。

はじめは良かったのに!
既に私たちは神の子であることを疑ってはいけない!ただしい方向を見上げ、どんな時も、私たちを良き方向へと導かれる主に信頼した歩みを目指しましょう!

13節:そこで私は、民をその家族ごとに、城壁のうしろの低い場所の空地に、剣や槍や弓を持たせて配置した。

14節:私は彼らの様子を見て立ち上がり、有力者たちや代表者たち、およびその他の人たちに言った。「彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。

・英語訳を参考に、ネヘミヤの対策を考察。
・すぐに対策を打つネヘミヤ・・家族を置いて働く人々を、一時的に配置換えする!
  ①城壁の低い所、高い所、開かれた場所・・全体の東側、中枢部近辺を警備し、強固   にする。
  ②置いてきた周囲の家族の元に派遣し、家族を守らせる警護団を配備した。
  ③代表者・有力者に、敵を恐れず、神を恐れ、家族を守るために戦闘態勢を取れ!と   命じた。

ネヘミヤはこれをすぐに実行した。敵は、その用意周到さと本気度にたじろいだと思われる。

 

15節:私たちの敵が、自分たちの企みが私たちに悟られたこと、神がそれを打ち壊されたことを聞いたとき、私たちはみな城壁に戻り、それぞれ自分の工事に当たった。

・敵は自らの思いが先読みされ、情報攪乱の失敗を自覚。
・これは、神が打ち砕いてくださったことと、皆が口にしている。
・皆、城壁の担当箇所に戻り、工事を再開した。

事前準備が行き届き、その迅速な対応力が敵を意気消沈させた!

16節:その日以来、私の配下の若い者の半分は工事を続け、もう半分は、槍、盾、弓、よろいで身を固めていた。隊長たちがユダの全家を守った。

17節:城壁を築く者たち、荷を担いで運ぶ者たちは、片手で仕事をし、片手に投げ槍を握っていた。

18節:築く者はそれぞれ剣を腰にして築き、角笛を吹き鳴らす者は私のそばにいた。

・その日から、工事スタイルが変化。(隙のない態勢)
  ①若者の半分は再建工事。
  ②若者の半分は武装し、戦いの専門家(隊長)が、ユダ・・つまり周囲の住民たちを巡回警護。
  ③荷の運搬係は、いつもや槍を携行し、臨戦態勢。
  ④建築係は腰に剣を帯びて、臨戦態勢。
  ⑤ネヘミヤのそばには角笛を鳴らす者(連絡、指示)が帯同していた。


19節:私は有力者たち、代表者たち、およびそのほかの人々に言った。「この工事は大きく、また範囲は広い。私たちは城壁の上で互いに遠く離れ離れになっている。

20節:どこででも、角笛が鳴るのを聞いたら、私たちのところに集まって来なさい。私たちの神が私たちのために戦ってくださるのだ。」

・連絡網を充実させると共に、角笛(祭司)の働きは、神との一体感、神の民の自覚を持たせる。
・指揮系統に抜かりが無い事を、周囲の敵に示すことになる。(勿論、周辺のイスラエル人へも)
・常にネヘミヤのとる行動は、神との一体感・霊的成長であり、民が体力的に厳しい時こそ価値が出る。

 

21節:こうして私たちはこの工事を進めたが、その半分の者は、夜明けから星が現れるまで槍を手にしていた。

22節:そのときまた、私は民に言った。「それぞれ自分の配下の若い者と一緒に、エルサレムの内側で夜を明かすようにしなさい。そうすれば、夜には見張りがいて、昼には働くことができる。」

・工事の半分の者たちは、朝から夜まで周辺警護に出ていた。
  →敵への警戒と共に、家族の心配を払拭し、且つ共有意識を保つ狙い。
・ネヘミヤは彼らに、夜は守られている城壁内で休むことを提案した。夜の城壁の警備は別。
・リーダーが導き、皆が協力し合い、労力を惜しまず、目標に向かって益々邁進した。

23節:私も、私の親類の者も、私の配下の若い者たちも、私を守る見張りの人々も、私たちの中のだれも服を脱がず、水場でもそれぞれ投げ槍を持っていた。

・城壁は52日で再建(6:15)されたとされているが、短期間とは言え、その集中度は半端ない!
・再建も後半になれば敵の攻撃にも備えなければならず、人手は減るし、体力は限界に近い。
・しかし、彼らはひるむことがない。その理由は、民に神の民としての自覚が芽生えてきたから。

 

ネヘミヤと民の一体感

常に予想される問題点を想定して、その対策を準備していたネヘミヤ
・四方の敵をよく分析し、どのような手段で攻撃してくるかを想定していたネヘミヤ。(用意周到)
・そうでなければ、短時間に再建工事が成し遂げられることは難しい。
・しかし、ネヘミヤは、すべては神の最終的な導きと認識し、おごることがない。(4:15)
・自らも働き、戦う民と同様のポジションにあり、結果、自然にリーダーと民との一体感が生まれる。


次第に成長して行く神の民(アイデンティティの確立
・はじめは意気揚々と歩み始めるも、何か問題が起こるとつい、世の中を見てしまう民。
・しかし、民はネヘミヤを見て、神に信頼し、それが確信に繋がり、どんどん神の民へと変わって行く。
・周辺を敵に囲まれながらも、次第に神への信仰心と知恵が増し加わり、霊的な成長が見て取れる。
ネヘミヤの導きの根底には、神と民との正しい関係構築があった
全ての基本は心の状態、すなわち信仰心であり、私たちも同様である。

2023年09月28日

ネヘミヤ記5章1節~19節

1節:さて、民とその妻たちから、同胞のユダヤ人たちに対して強い抗議の声があがった。

・外部の敵の問題がひと段落したと思ったら、激しい数々の抗議が寄せられた。
・何と同胞のユダヤ人に対する抗議である。(律法違反:出エジ22:25)


2節:ある者は、「私たちには息子や娘がいて、大人数だ。食べて生きるために穀物をてにいれなければならない」と言い、

3節:またある者は、「私たちの畑も、ぶどう畑も、家も抵当に入れなければならない。この飢饉に際して穀物を手に入れるために」と言った。

4節:またある者は言った。「私たちは、畑やぶどう畑に課された王の税金を支払うために、金を借りなければならなかった。

5節:現に、私たちの血肉は私たちの同胞の血肉と同じだし、私たちの子どもも彼らの子どもと同じだ。それなのに、今、私たちは息子や娘を奴隷に売らなければならない。実際、もう娘が奴隷にされている者もいる。ところが、私たちの畑もぶどう畑も他人の所有となっているので、私たちにはどうする力もない。」

・「家族が食べるために穀物が必要である。」
・「畑、ぶどう畑、家を抵当に入れて借金して、飢饉を凌ぐため穀物を入手。」
・「王から課された税金を払うために、借金している」。(城壁再建工事の時期は、飢饉の状態)

これらの借金は同胞のユダヤ人からで、その借金が返せない状態
その抵当は取られ、更に娘、息子を奴隷に売らねばならない状態
何故、同胞のユダヤ人でありながら、私たちだけこのような目に合うのか!

6節:私は彼らの抗議と、これらのことばを聞いて、激しく腹を立てた。

7節:私は十分考えたうえで、有力者たちや代表者たちを非難して言った。「あなたがたはみな、自分の同胞たちに、利子をつけて金を貸している。」そして大集会を開いて彼らを責め、

・激しく怒るネヘミヤ。時間をおき、熟慮して有力者や代表者たちを非難する。

(新共同:貴族と役人)3:5の再建に参加しない貴族を思い出す
・この問題はネヘミヤの想定外だったかもしれない。故に時間をかけた。(どのように叱責するかが難しい)
・大会衆の面前で抗議するネヘミヤ。
・「自分の同胞たちに利子を付けて金を貸している」 律法違反:出エジ22:25、レビ25:35~39、申23:19~20


8節:彼らに言った。「私たちは、異邦の民に売られた同胞のユダヤ人を、できる限り買い取った。それなのに、あなたがたはまた自分の同胞を売ろうとしている。彼らはまた私たちに売られなければならなくなる。」すると彼らは黙ってしまい、一言も言えなかった。

・ネヘミヤの糾弾の仕方は、ちょっと違う!
・異邦の民に売られたユダヤ人を買い戻していたネヘミヤ。
・あなたがたは、奴隷を買い戻している苦労も知らず、また市場へ奴隷を供給しているのだ!➡異邦の民に、ユダヤ人の恥をさらしているようなもの

ネヘミヤの善行をもって、上層部、貴族を叱責した。同胞者としての姿勢と神の民としてのあるべき姿勢を見せた。

 

9節:私は続けた。「あなたがたのしていることは良くない。あなたがたは、私たちの敵である異邦の民から侮辱を受けることなく、私たちの神を恐れつつ歩むべきではないか。

10節:私も、私の親類の者も、私の配下の若い者たちも、彼らに金や穀物を貸してやったが、私たちはその負債を帳消しにしよう。

11節:だから、あなたがたも今日、彼らの畑、ぶどう畑、オリーブ畑、家、それに、あなたがたが彼らに貸していた金や穀物、新しいぶどう酒、油などの利息分を彼らに返してやりなさい。」

・神を恐れつつ歩むべきではないか!・・神の民としての尊厳を忘れてはならない!
・率先して手本を示すネヘミヤ・・先ずリーダーがあるべき姿を示す・・負債の帳消し!
 ネヘミヤは自ら負債を帳消しにするとして、最大限の神の民としてのあるべき姿を示した!
・そして、貴族、上層部たちに全ての負債や利息分の返還を指示した。


12節:すると彼らは、「私たちは返します。彼らから何も要求しません。私たちはあなたの言われるとおりにします」と言った。そこで私は祭司たちを呼んで、この約束を実行する誓いを立てさせた。

・ネヘミヤの指示に完全に従う姿勢の上層部、貴族。「何も要求しません。言われるとおりにします!」
・ネヘミヤは、誓いにより神を介在させている。神と個人との関係であり、また祭司が証人となる。裁くのではなく、導くという基本姿勢がネヘミヤの素晴らしい点!


13節:私はまた、衣の裾を振って言った。「この約束を果たさない者はだれでも、神がこのように、その人の家から、また、その人の勤労の実から振り落としてくださいますように。このように振り落とされて、無一文になりますように。」すると全会衆は、「アーメン」と言って主をほめたたえた。こうして民はこの約束を実行した。

・ネヘミヤは、衣の裾を振る。→神の祝福から振り落とされるという象徴。これを全会衆の前で実施。
・勤労の実・・働いて得た成果(財産)であるが、実際には彼らではなく金を借りる人々の実である。
・「神の祝福、財産から振り落とされ、無一文になりますように!」・・神の裁きが下りますようにということ。
・全会衆はアーメン!で応答した。
・民→宣誓した者たちを指す。

神の民としてのあるべき姿が、地位に関係なく民全員に示され、そして向かわせた!
ピンチをチャンスに切り替えるネヘミヤ、そして神の導き!
ネヘミヤの素顔が示され、益々信頼されるネヘミヤ
神は私たちをも常にそのように導いておられる。私たちの人生は最終的には勝利なのだ

14節:また、私がユダの地の総督として任命された日から、すなわち、アルタクセルクセス王の第二十年から第三十二年までの十二年間、私も私の親類も総督としての手当てを受けなかった。

15節:私の前任の総督たちは民の負担を重くし、銀四十シェケルのほかにパンとぶどう酒を民から取り立てた。しかも、彼らに仕える若い者たちは民にいばりちらした。しかし、私は神を恐れて、そのようなことはしなかった。

16節:また、私はこの城壁の工事に力を注ぎ、私たちは農地を買わなかった。私の配下の若い者たちはみな工事に集まっていた。

ネヘミヤの再建にかける姿勢。
・ネヘミヤと彼の親類は、王より総督の地位を得ていた。
・アルタクセルクセス王20年~32年まで。(BC445年~BC433年)
・その間、総督としての手当て(直訳:パン)を一切受け取らなかった。無給の奉仕。
・前任者は民に、銀40シェケル(40✖11.4g)とパンとぶどう酒を課し、彼らの配下は傍若無人。
・ネヘミヤは神を恐れ、そのような態度はとらない。
・また、農地買収のような利殖もしない。部下もただ再建に従事させた。

それは、ネヘミヤの思い(目的)が、純粋な神への奉仕だから!
リーダーとしてのあるべき姿を造るのではなく、神に信頼し、神に自らを捧げるという
根本的な姿勢が、彼を益々優秀なリーダーとして、神が導かれて行く。ハレルヤ!

17節:ユダヤ人と代表者たち百五十人、また私たちの周囲の国々から来る者が、私の食卓に着いていた。

18節:そのため、一日に牛一頭、選り抜きの羊六頭が料理され、私のためには何羽かの鳥が料理された。それに、十日ごとに、あらゆる種類のぶどう酒がたくさん用意された。それでも私は、この民に重い負担がかかっていたので、総督としての手当を要求しなかった。

・ネヘミヤの無償の奉仕→当然出費となる。

・例えば、ユダヤの人、代表者(役人)、周囲の国の人々が食卓に着くとその日は、・・・150人。
・牛1頭、選別された羊6頭、何羽かの鳥料理とともに、10日ごとにあらゆる種類のワインが消費される。
・これらの負担は本来、民からの総督としての手当てとなるのだが、ネヘミヤは全く要求しなかった。

城壁再建に対する余計な負担となる事は明白。ネヘミヤは神へのささげもののように自己負担した。

19節:私の神よ。どうか私がこの民のためにしたすべてのことを覚えて、私をいつくしんでください。

・人知れず、ネヘミヤなりの再建に対する奉仕を主に告白する。     ↓新共同
・神の民のため、ひいては神のために捧げた奉仕を、主よ、快く心に留めてください。

決して自慢する心ではない。神のために働くことの喜びと、砕かれた謙虚な心が示されている。

 

ネヘミヤと民の一体感

予想されていなかった内部の問題に冷静に対応するネヘミヤ
・ネヘミヤの心の奥には常にイスラエルの神のために生きるという大命題があった。
・ネヘミヤは、上層部に対して自らの生き方を示す。(裁かず導く姿勢)
・それは、神の民として如何に生きるかという、根本的大原則。(リーダーの使命)
・常に、民全員と同様のポジションにあり、常にリーダーと民との一体感が生まれる。


ネヘミヤに導かれる貴族、上層部の人々(アイデンティティの確立)
・世の考え方(蓄財)に心奪われ、神・律法を忘れ、自己中心的な貴族、上層部。
・上層部の人や、城壁再建に不参加の貴族たちは、ネヘミヤの姿勢に気付かされた。
・すべての負債を返還するという行動は、その思いの表れと想像する。
・こうして、ユダヤ人全体の一体感がここに確立した。
全ての基本は心の状態、すなわち正しい信仰心であり、私たちも同様である。

 

自らの姿から溢れ出る神の栄光

ネヘミヤは想定外の問題に対して熟考し、そして自らの生き方を彼らに示して、神の民として正しく生きる道を示した。
その時その場を取り繕うために語っても、実践が無ければ何の説得力もない。むしろ、少しでも綻びがあれば、反発を招き、組織は崩壊する。
神を信じたその人が、喜びつつ神を恐れて幸いに生きる姿勢を貫くことが、神の栄光を示すことになる。
正しいことを知っているという事は重要である。つまり聖書が示すことを正確に把握することは基本である。
その正しさを学んで、希望や神のご人格を知り、示される神の教えを如何に実践して、与えられた人生を歩むかが大事である。

決して私たちが道を造るのではない。私たちは主の道を主と共に歩み、その人生のすばらしさを人々に示すのである。ネヘミヤのように!


2023年10月04日

ネヘミヤ記6章1節~19節

1節:さて、サンバラテ、トビヤ、アラブ人ゲシェム、その他の私たちの敵に、私が城壁を築き直し、破れ口が残っていないことが伝えられたときのこと、ただし、まだ門には扉を取り付けていなかったときのことである。

・ほぼ城壁完成間近となった。→(あとは門を取り付けるだけの状態)
・この情報がサンバラテ、トビヤ、アラブ人ゲシェム、その他に伝わった。


2節:サンバラテとゲシェムは私のところに使いをよこして言った。「さあ、オノの平地のケフィリムで会見しよう。」彼らは私に危害を加えようと企んでいたのである。

・サンバラテ、ゲシェムは、「会見」という名目でネヘミヤをケフェリム(「村」の意。エルサレム北東40キロ)に誘い出す。実際はネヘミヤを工事から引き離し、妨害し、更には傷害、殺害を計画。

ネヘミヤがいなければ、イスラエルの民は敵ではないと考えた

3節:そこで、私は彼らのところに使者たちを遣わして言った。「私は大工事をしているから、下って行けない。私が工事をそのままにして、あなたがたのところへ下って行ったために、工事が止まるようなことがあってよいものだろうか。」

・危険を察知するネヘミヤ。使者を送り誘いを断る。

ネヘミヤは工事の進捗を細かく管理をしていた。
こういう内部情報が、敵に漏れていることにも注目!

4節:彼らは同じようなことを、四度も私のところに言ってよこした。それで私も同じことを彼らに答えた。

5節:サンバラテは五度目にも同じようにして、若い者を私のところによこした。その手に一通の開封された手紙を持っていた。

・このような誘いを4回もネヘミヤに差し向けるが、ネヘミヤは決して受けない。→会いたい理由が不明である。この点もネヘミヤは察していたかもしれない。
・5度目の誘惑は、少し内容が異なる。(会いたい理由が不明→この答)
・サンバラテの使者が、一通の開封された手紙を持ってネヘミヤのところへ来た。


6節:それには次のように書いてあった。「諸国民の間で言いふらされ、また、ゲシェムも言っていることには、あなたとユダヤ人たちは反逆を企んでいて、そのために、あなたは城壁を築き直している。このうわさによれば、あなたは彼らの王になろうとしている。

・城壁再建は、ネヘミヤがユダの王となり、これはペルシア王に反逆するものであり、そのことは諸国民に知れ渡っている。また、ゲシェムもその証人だ。

「開封された」・・すでに皆に周知であることを示す。

7節:また、あなたは預言者さえ立てて、ここユダには王がいると、自分についてエルサレムで宣言させようとしている。今にこのことは王に聞こえるであろう。さあ、来なさい。一緒に相談しよう。」

・さらに、預言者を立てて王と宣言させ、王を裏切ろうとしている。これが王に知られる前に、一緒に相談しよう、とネヘミヤをおびき出そうとするサンバラテ。

愚かな策略とネヘミヤは思っただろう。ネヘミヤと王との連絡は綿密であったと想像する。ネヘミヤに抜かりはない!

8節:そこで、私は彼のところに人を遣わして言った。「あなたが言っているようなことは、なされていない。それはあなたが心の中で勝手に考え出したことだ」と。

9節:これらのことはみな、「彼らの工事に対する気力が落ち、工事は中止されるだろう」と考えて、私たちを脅すためであった。ああ、今、どうか私を力づけてください。

・このようなデマによる攻撃をネヘミヤは想定していたと思われる。
・開封された手紙自体が、サンバラテとゲシェムの芝居じみて見えて来る。
・ネヘミヤは、「そんな事実はない!勝手な作り話である!」・・・と一蹴する。
・この茶番は、城壁再建の気力をくじこうとする脅しであり、無駄な事!とネヘミヤは神に信頼する。

常に神に委ね信頼するネヘミヤの姿勢は、私たちの見習うべき点である!

10節:私がメヘタブエルの子デラヤの子シェマヤの家に行ったところ、彼は引きこもっていた。そしてこう言った。「神の宮、神殿の中で会い、神殿の戸を閉じておこう。彼らがあなたを殺しにやって来るから。きっと夜分に殺しにやって来る。」

11節:そこで私は言った。「私のような者が逃げてよいものか。私のような者で、だれが神殿に入って生き続けるだろうか。私は入らない。」

12節:私には分かった。今、彼を遣わしたのは、神ではないと。彼がこの預言を私に伝えたのは、トビヤとサンバラテが彼を買収したからだと。

13節:私が恐れて、言われるがままにして罪を犯し、私の悪評が立って、私がそしられるようにするために、彼は買収されたのだった。

・更なる敵の惑わし。それは、預言者シェマヤを用いた陰謀。
・シェマヤを尋ねたネヘミヤ。訪問目的は不明。その時シェマヤは・・
  「神殿の中での打ち合わせ」を求め、「敵が今夜ネヘミヤを殺しに来るから」と預言じみたことを言う。
・ネヘミヤは祭司以外が神殿に入れないことを重々承知。むしろ神に罰せられるという。(民3:10)
・この預言者のことばは敵の買収によるものと察知し、断固として拒否する。
・シェマヤは、ネヘミヤに神への罪を犯させ悪評を立てるために買収され、芝居を打った!


14節:わが神よ。トビヤやサンバラテのこれらのしわざと、また、私を恐れさせようとした女預言者ノアデヤや、その他の預言者たちのしわざを覚えていてください。

・更にネヘミヤを脅す偽女預言者ノアデヤや、その他の偽預言者たちの存在があった。

サンバラテらの執拗な霊的惑わしが仕掛けられる。まるでネヘミヤの行動が筒抜けのようだ。
・神に裁きを委ねる姿勢。それは常に神を見上げ、神に信頼する姿勢の裏付け。

15節:こうして、城壁は五十二日かかって、エルルの月の二十五日に完成した。

・城壁再建は52日間で完成した。エルルの月(8~9月)の25日。
・ニサンの月(3~4月)にエルサレム派遣が決まり、2~3か月で移動。その年のエルルの月に城壁完成!→これは驚異的スピードである。この再建の背後に神の働きがあったことの証明。

真のエルサレム再建の成就(ダニエル書預言:ダニ9:25~)

16節:私たちの敵がみなこれを聞いたとき、周囲の国々の民はみな恐れ、大いに面目を失った。この工事が私たちの神によってなされたことを知ったからである。

・周囲の敵国は、皆恐れた。それはイスラエルの神が本物である事を証明したから。

 恥が拭われた瞬間!
・様々な妨害行為をしたが、その効果は全く現れず、彼らはそれを認めざるを得ない!
  →自分たちだったら、到底為し得ないことを、イスラエルはやり遂げた!

 ネヘミヤは民と大いに喜んだに違いない!
・大きなポイントはネヘミヤの存在だが、・・・ネヘミヤが常に神を最優先にしていたことを、敵も知っていたから、神の導きと認めざるを得ない。ネヘミヤは日常と変わらないが、神が彼を用いるとき、周囲にも、更には敵にも、神の証人とされる。神の栄光が現わされる!

17節:またそのころ、ユダの有力者たちはトビヤのところにひんぱんに手紙を送っていて、トビヤも彼らに返事をしていた。

18節:それは、トビヤがアラフの子シェカンヤの婿であり、また、トビヤの子ヨハナンもベレクヤの子メシュラムの娘を妻に迎えていたので、彼に誓いを立てていた者がユダの中に大勢いたからである。

・ネヘミヤの気になる事柄
・トビヤとユダの有力者との関係??ユダの有力者とアンモン人のトビヤは手紙のやり取りをしていた。
・トビヤの嫁はシェカンヤ、トビヤの子ヨハナンはメシュラムの娘婿。アンモン人との姻戚関係にあった。その為、大勢が彼と誓いを立てていた。(新共同:ユダの多くの人は彼と互いに誓約を交わす関係にあった・・)

異邦人に嫁に出したということであろう。従って雑婚解消とは異なる事象。→誓約関係は継続していたと考える。

19節:さらに、彼らは私の前でトビヤの善行を語り、彼に私の言うことを筒抜けにしていた。トビヤは私を脅すために、たびたび手紙を送って来た。

・その大勢がトビヤを誉め、ネヘミヤのいう事はすべてトビヤに伝えていた。トビヤはネヘミヤを脅していた。
・情報洩れの箇所がここにあったと考えられる。城壁内部の事、ネヘミヤの事は全て筒抜けだった。
・この事を裁くのではなく、解決策を考える姿勢がネヘミヤの素晴らしい所。
城壁は再建したが、ネヘミヤはイスラエルの民の心の破れを補修する必要を感じとったのではないか!

 

ネヘミヤのブレない心

ネヘミヤは常に民の導き手であり、支え手である
・数々の陰謀に屈しない理由は、正しいことをよく知り、正しい行いをしているから。
 学びを通して正しさを知り、常に神の御心を心に灯し、神を見上げていることが大事。
・裁くことを優先せず、常に問題を前向きにとらえるネヘミヤ。
 裁きは神の主権と知り、私たちを良くしてくださると信頼し、教えを実行する者となる。

民の雑婚は解消されても、上層部に異邦人の影響が根強く残っている現実
・神に信頼する民は神の御心を理解する必要がある。表向きや外見を正すのでは意味がない!
・雑婚禁止は、異邦人の影響を受けない手段であり、神のこの思いを尊重することが大事。
 城壁再建を終え、新たな問題に立ち向かうネヘミヤが浮かび上がる

 

学びの重要性と活かし方(成長)

ネヘミヤは様々な陰謀に屈することのない姿勢を示した。その背景にはしっかりした律法の理解がある。
神の命令とその背後にある神の御心を理解することがポイントである。決して律法が人生の障害とならないことを彼は知っている。
こうした彼の生き方が、神の栄光を表す生き方となる。

 

・学びを進めるうえで、神の目的や与えてくださっている恵みについて、その大前提を出来るだけ早くつかみ取る事が大事。
・次に、神が与えてくださっている教えを知り、その実践に心を配りましょう。こうすることで救い(神の子)の実感を益々得ることができます。
・神は私たちをどんな時も成長させようとしておられます。学びも、信仰の実践も礼拝です。共に真の礼拝者を目指しましょう!

 

2023年10月12日

ネヘミヤ記7章1節~8章1節

1節:城壁が築き直され、私が扉を取り付けたとき、門衛、歌い手、レビ人が任命された。

・門が取り付けられ、城壁は完成した。と同時に、門衛、歌い手、レビ人を任務に就かせた。
・境界域が完成したことにより、民族的な活動も明確にした。


2節:私は兄弟ハナニとこの城の長ハナンヤに、エルサレムを治めるように命じた。これは、ハナンヤが誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れていたからであった。

・行政管理者の任命:兄弟ハナニ→親戚ではないか(中川先生)
・ハナンヤは神に誠実な人。ネヘミヤはそういう人物を見抜く力がある。
・ネヘミヤの仕事を引き継ぐように見える。


3節:私は彼らに言った。「太陽が高く昇って暑くなるまでは、エルサレムの門を開けてはならない。そして彼らが警備に立っている間に、門をしっかりと閉じておきなさい。エルサレムの住民を、それぞれ物見のやぐらか自分の家の前に、見張りとして立てなさい。」

・門の開閉の管理についての申し送り。この管理が不十分では、敵(異邦人)の影響を受ける。⇒城壁の破れは民の心の破れ
・エルサレムの住民それぞれに警備の重要性を示している。城壁→町の管理は全員の仕事と位置付けた。

それぞれの任務があり、且つ、民それぞれが責任を持って町を守ることを教えるネヘミヤ

4節:この町は広々としていて大きかったが、その中の住民は少なく、家もまだ十分に建てられていなかった。

・当時は、人口が少ない割に町は広かった。(新共同:2方向に大きく広がって・・)
・従って家の数が少ない。家を増やしたいとネヘミヤをはじめ、皆が思った。(イスラエルの回復)


5節:私の神は私の心に示して、私に有力者たちや、代表者たちや、民衆を集めて、彼らの系図を記載させた。私は最初に上って来た人々の系図を発見し、その中に次のように書かれているのを見つけた。

・神がネヘミヤに、全住民の系図を記載させた。(新共同:家系に従って登録させようと・・)
・行政管理には名簿が必要となる。
・この時、エズラ記2章で書かれた名簿を発見した。これを皆で読んだと思われる。

神はこの名簿を通してエルサレムの民が確かにイスラエルの子孫であることを示そうとされた。(新共同の解説)
神殿再建当時の人々の思いを酌むと共に、それ以降の自分たちはどうだったか?むしろ異邦人化していたことが民の心に強く響いたのではないか。

6節:バビロンの王ネブカドネツァルが引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれてエルサレムとユダに上り、それぞれ自分の町に帰ったこの州の人々は次のとおりである。

7節:彼らは、ゼルバベル、ヨシュア、ネヘミヤ、アザルヤ、ラアムヤ、ナハマニ、モルデカイ、ビルシャン、ミスペレテ、ビグワイ、ネフム、バアナと一緒に帰って来た。イスラエルの民の人数は次のとおりである。

8節:パルオシュ族、二千百七十二人。

9節:シェファテヤ族、三百七十二人。

10節:アラフ族、六百五十二人。

11節:ヨシュアとヨアブの二族からなるパハテ・モアブ族、二千八百十八人。

12節:エラム族、一千二百五十四人。

13節:ザト族、八百四十五人。

14節:ザカイ族、七百六十人。

15節:ビヌイ族、六百四十八人。

16節:ベバイ族、六百二十八人。

17節:アズガデ族、二千三百二十二人。

18節:アドニカム族、六百六十七人。

19節:ビグワイ族、二千六十七人。

20節:アディン族、六百五十五人。

21節:ヒゼキヤ族、すなわちアテル族、九十八人。

22節:ハシュム族、三百二十八人。

23節:ベツァイ族、三百二十四人。

24節:ハリフ族、百十二人。

25節:ギブオン族、九十五人。

26節:ベツレヘムとネトファの人々、百八十八人。

27節:アナトテの人々、百二十八人。

28節:ベテ・アズマウェテの人々、四十二人。

29節:キルヤテ・エアリムとケフィラとベエロテの人々、七百四十三人。

30節:ラマとゲバの人々、六百二十一人。

31節:ミクマスの人々、百二十二人。

32節:ベテルとアイの人々、百二十三人。

33節:別のネボの人々、五十二人。

34節:別のエラム族、一千二百五十四人。

35節:ハリム族、三百二十人。

36節:エリコ人、三百四十五人。

37節:ロデ人とハディデ人とオノ人、七百二十一人。

38節:セナア人、三千九百三十人。

39節:祭司は、ヨシュアの家系のエダヤ族、九百七十三人。

40節:イメル族、一千五十二人。

41節:パシュフル族、一千二百四十七人。

42節:ハリム族、一千十七人。

43節:レビ人は、ホダウヤ族のヨシュアとカデミエルの二族、七十四人。

44節:歌い手は、アサフ族、百四十八人。

45節:門衛は、シャルム族、アテル族、タルモン族、アクブ族、ハティタ族、ショバイ族、百三十八人。

46節:宮のしもべは、ツィハ族、ハスファ族、タバオテ族、

47節:ケロス族、シア族、パドン族、

48節:レバナ族、ハガバ族、シャルマイ族、

49節:ハナン族、ギデル族、ガハル族、

50節:レアヤ族、レツィン族、ネコダ族、

51節:ガザム族、ウザ族、パセアハ族、

52節:ベサイ族、メウニム族、ネフィシェシム族、

53節:バクブク族、ハクファ族、ハルフル族、

54節:バツリテ族、メヒダ族、ハルシャ族、

55節:バルコス族、シセラ族、テマフ族、

56節:ネツィアハ族、ハティファ族、

57節:ソロモンのしもべたちの子孫は、ソタイ族、ソフェレテ族、ペリダ族、

58節:ヤアラ族、ダルコン族、ギデル族、

59節:シェファテヤ族、ハティル族、ポケレテ・ハツェバイム族、アモン族。

60節:宮のしもべたちと、ソロモンのしもべたちの子孫は、合計三百九十二人。

61節:次の人々はテル・メラフ、テル・ハルシャ、ケルブ、アドン、イメルから引き揚げて来たが、自分たちの先祖の家系と血統がイスラエル人であったかどうかを証明できなかった。

62節:デラヤ族、トビヤ族、ネコダ族、六百四十二人。

63節:祭司の中では、ホバヤ族、ハ・コツ族、バルジライ族。このバルジライは、ギルアデ人バルジライの娘の一人を妻にしたので、その名で呼ばれていた。

64節:これらの人々は自分たちの系図書きを捜してみたが、見つからなかったので、彼らは祭司職を果たす資格がない者とされた。

65節:そのため総督は彼らに、ウリムとトンミムを使える祭司が起こるまでは、最も聖なるものを食べてはならないと命じた。

66節:全会衆の合計は四万二千三百六十人であった。

67節:このほかに、彼らの男女の奴隷が七千三百三十七人いた。また、彼らには男女の歌い手が二百四十五人いた。

68節:らくだは四百三十五頭。ろばは六千七百二十頭であった。

69節:一族のかしらの何人かは、工事のためにささげ物をした。総督は資金として金一千ダリク、鉢五十、祭司の長服五百三十着を献げ、

70節:また、一族のかしらのある者は、工事資金として金二万ダリク、銀二千二百ミナを献げた。

71節:そのほかの民の献げたものは、金二万ダリク、銀二千ミナ、祭司の長服六十七着であった。

72節(a):こうして、祭司、レビ人、門衛、歌い手、民のある者たち、宮のしもべたちが、すなわち、全イスラエルが自分たちの元の町々に住んだ。

・エズラ記2章の帰還民の名簿と若干異なる。
・総人数の違い
  :エズラ記 総人数→49897人。
   :ネヘミヤ記 総人数→49942人。
     歌い手の数が、エズラ200人、ネヘミヤ245人の差。 
     中川先生→写本時の間違い?後に変更されたか? 
・神殿再建で帰還した民の年代は約90年前。
・この時の民の心に何らかの影響を与えたに違いない!

神の預言が確実に成就した。(キュロス王、捕囚の解放、神殿再建)
先祖が神に赦されて、神の民として再建に貢献した。
今の自分たちはどうだろうか?→自問、反省

72節(b):イスラエルの子らは自分たちの町々にいたが、第七の月が来たとき、

8章1節:民全体が、一斉に水の門の前の広場に集まって来た。そして彼らは、主がイスラエルに命じたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに言った。

・第7の月の一日・・ティシュリ、またはエタニムの月の一日。9~10月。
・城壁の完成はエルルの月の25日。8~9月の25日。5~6日経過している。
・町々にいたイスラエルの民は一斉に、水の門の前の広場に集合した。
・ティシュリの一日は、ラッパの祭りの時である。
・城壁再建に集中し、祭事や礼拝を行っていなかった。
・彼らは自主的に一致して、学者で祭司であるエズラに依頼した。
・モーセの書(言い伝えでは申命記とのこと)を持ってくるようにと・・。

民は率先してエズラに律法の書を持ってくるように依頼した。
城壁再建後、民全員が一致して神に従う意識が生まれた。
神は、民の心の破れの再建を促したのではないか!

 

神の民を思う御心

大変な城壁再建をやり遂げたイスラエルの民
・他国から、まさに神わざと言われるほどの事業の達成には、確実に神の働きが民にも及んでいた。
・そのことに気付いた民は、神に信頼することで不可能が可能になることを実感した。 
・城壁再建の功労は神であり、自分たちは神の民であることを再認識したと考える。
名ばかりの神の民ではなく、本物の神の民はすごい!この信仰こそが神の民、神の子の姿

リーダー、ネヘミヤの存在感
・民が素直に一直線に神に信頼する歩みの実現は、影日向に活躍するネヘミヤの活動の効果。
・信頼されてこそ本物のリーダーであり、その根底にあるべきは、実直なまでの神の民としての生き方。
自ら、自主的に、一致してエズラを通して神の御心を求めた民を見て、
ネヘミヤは間違いなく大きな感動と喜びを得たはずである!

確実に辿り着く完成への道

周辺諸国から蔑まれ、律法に従う生き方ができているわけでもなく、恥を負うような状態のイスラエルの民。
神はネヘミヤをして城壁を再建させ、更に民の心に、気付きの促しをなされた。
この気付きの促しに応答して歩むことが、神の民としての歩みとなって行く。


・神は私たちひとり一人に、天の御国へのパスポートと共に、地上の人生の水先案内人として、聖霊を与えてくださっている。
・地上の様々な問題は私たちへの気付きの促しであり、先ずは心の反省、すなわち清め(聖化)へと結びつけることが、神を見上げて歩む姿勢である。
・むしろ気付きの促しがあることを喜び、清め、即ち聖化が進められていることを感謝しましょう。私達の完成は100%約束されているのですから!

2023年10月20日

ネヘミヤ記8章2節~18節

2節:そこで、第七の月の一日に祭司エズラは、男、女、および、聞いて理解できる人たちすべてからなる会衆の前に律法を持って来て、
3節:水の門の前の広場で夜明けから真昼まで、男、女、および理解できる人たちの前で、これを朗読した。民はみな律法の書に耳を傾けた。

・7月1日は『ラッパの祭り(レビ23:24)』の日。『新年の祭り』とも言われる。第7の月は安息月
・この祭りは「新しい」・「喜び」・「祝い」という性質。(更に『ラッパの祭り』は携挙を予表する祭り)
・民(成人の老若男女)は、夜明けから真昼までエズラが朗読する律法の書を傾聴した。
・民は城壁再建を通して、自らが神に立ち返る必要性を感じたからではないか。(神の霊的導き)


4節:学者エズラは、このために作られた木の壇の上に立った。彼のそばには、右手にマティテヤ、シェマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤ、マアセヤが立ち、左手にペダヤ、ミシャエル、マルキヤ、ハシュム、ハシュバダナ、ゼカリヤ、メシュラムが立った。

(壇上の状況)

・エズラが立ち、彼を中心に右側に6人、左側に7人。彼らは祭司と考えられる。

5節:エズラは民全体の目の前で、その書を開いた。彼は民全体よりも高いところにいたのである。彼がそれを開くと、民はみな立ち上がった。
6節:エズラが大いなる神、主をほめたたえると、民はみな両手を上げながら「アーメン、アーメン」と答え、ひざまずき、顔を地に伏せて主を礼拝した。

(民の状況)

・その時の民衆の数は、3~5万人と予想される(中川先生)
・エズラが書を開くと全員が立ち上がり、全員が「アーメン」と言い、全員が地に顔を伏せて礼拝する。
・圧巻である。こうして、朗読が始まり、民の姿勢は神のみことばに集中する。
・神は城壁再建と共に、民の心の再建をも導いておられた!

7節:ヨシュア、バニ、シェレベヤ、ヤミン、アクブ、シャベタイ、ホディヤ、マアセヤ、ケリタ、アザルヤ、エホザバデ、ハナン、ペラヤなどレビ人たちは、民に律法を解き明かした。その間、民はその場に立っていた。
8節:彼らが神のみおしえの書を読み、その意味を明快に示したので、民は読まれたことを理解した。

(朗読と解説の状況)

・多くのレビ人が民の間に配置され、律法の意味についてその場で解説した。(民は全員起立!)
・翻訳(ヘブル語→アラム語)があったと思われる。
・民はみおしえの書について理解した。従うべき項目を民は全員理解したという事。

それはこれまでの自分たちが、どれほど神の律法に背いて歩んできたかを知るという事

9節:総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全体に向かって言った。「今日は、あなたがたの神、主にとって聖なる日である。悲しんではならない。泣いてはならない。」民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである。
10節:さらに、彼は彼らに言った。「行って、ごちそうを食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった人には食べ物を贈りなさい。今日は、私たちの主にとって聖なる日である。悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」

・総督ネヘミヤ、学者・祭司エズラ、レビ人たち。→神にとって、聖なる日→神が民を受け入れたということ。それ故、悲しんだり泣いたりしてはいけない!(受け入れられたことを喜びなさい!)
・民は泣いていた。まるで一人の人のように皆が一致して悔い改めた。指導者たちはそれを知った。
・このことばは、神の赦しを意味する素晴らしい劇的なことばである。
・ネヘミヤは言う。十分に反省したのだから、共に食べ、飲みなさい。(公正の精神→隣人愛)
・ともに主を喜ぶことが、あなたがたの力になるのだから!

私たちもこの原理を忘れてはならない!

11節:レビ人たちも、民全体を静めながら言った。「静まりなさい。今日は聖なる日だから。悲しんではならない。」
12節:こうして、民はみな帰って行き、食べたり飲んだり、ごちそうを贈ったりして、大いに喜んだ。教えられたことを理解したからである。

・民は悲しむのを止め、家に帰り、大いに喜んだ。
・この時、教えられたこととは、神に受け入れられたことであり、それを素直に喜んだ。
一致して、自主的に神のもとに立ち返り、悔い改めた民を見て、ネヘミヤ、エズラらも大いに喜んだ。そして神が本当に喜ばれたと思われる。

13節:二日目に、民全体の一族のかしらたちと、祭司たち、レビ人たちは、律法のことばをよく調べるために、学者エズラのところに集まって来た。

・二日目になると、更に深く学ぼうとする民全体の一族のかしらたちがエズラのところに来た。
・律法のことばをよく調べるために。・・・・これが学ぶ姿勢である!

 

※14節に入る前に・・・・秋の祭りについて。



14節:そして彼らは、主がモーセを通して命じた律法に次のように書かれているのを見出した。すなわち、「イスラエルの子らは第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない。
15節:また、『山へ出て行き、オリーブの葉、野生のオリーブの木の葉、ミルトスの葉、なつめ椰子の葉、また茂った枝木などの枝を取って来て、書かれているとおりに仮庵を作るように』と、自分たちのすべての町とエルサレムに通達を出して、知らせなければならない」とあった。
16節:そこで民は出て行き、枝を取って来て、それぞれ自分の家の屋根の上や庭の中、また神の宮の庭、水の門の広場、エフライムの門の広場に、自分たちのために仮庵を作った。

・第7の月には、仮庵の祭りの指示があることに気付いた。祭司からの命令ではなく、彼らが実際にその命令を聞いて実行に移す。この自主性が神の喜ばれるところである。
・全イスラエルの民へ、『仮庵の祭り』の開催を通達。材料の確保も含めて。
・2日~14日の間が準備期間。オリーブ、ナツメヤシ、ミルトスなどの葉や枝木の準備。
・自分の家の屋根や庭、神の宮の庭、水の門の広場、エフライム門の広場などに仮庵を製作。

17節:捕囚から帰って来た全会衆は仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエルの子らはこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった。
18節:神のみおしえの書は、最初の日から最後の日まで毎日朗読された。祭りは七日間祝われ、八日目には定めにしたがって、きよめの集会が行われた。

・ヨシュアの時代以降初めて、律法に則った仮庵の祭りを行った。祭壇完成時にも行われたが・・・(エズラ3:4) 規模も内容も稚拙だったことに注意!
・全会衆が仮庵に住み7日間、神のみおしえの書を聴き、8日目はきよめの集会をした。(申命記31:10~13参照)
彼らは仮庵に住みながらも、神の守り、導きに感謝し、やがて来るメシア的王国(千年王国)を心に描き、益々希望に燃えて、神をたたえたに違いない!
神の導きによる、神の民としての心の再建が成就した!ハレルヤ!

 

民の心の変化と『仮庵の祭り』

悔い改め→喜び→従順
・学びを通して、自らの罪を受け止め、心の底から現れる素直な『真の悔い改め』の姿となる。
・神に罪赦され、受け入れられたことで、民は己の立場を知り、それを素直に受け入れる姿となる。 
・神の恵みと民の信仰が繋がり、本来の関係が回復。民は素直に喜んで神に従う姿となる。
真の信仰は、その人の心の中が一変することである。
いつの時代も、信仰こそが恵みへの応答である。

 

仮庵の祭りについて
・仮庵に住むことで、荒野の放浪時代を思い出す。
①エジプト脱出の際の神の働き。                                  ②荒野においても、神は民を養い、導き、守られたこと。

③千年王国を予表する祭り。

常に神に守られ導かれているという事を再認識し、感謝し、神に従う決意を呼び起こすこと。
今の時代にこの祭りはないが、日々のディボーションを通して、この決意を呼び起こそうではないか!

私たちの信仰に不可欠な学び

城壁再建を終えて、民は自らが神の働きを成し遂げていたことに気付いた。客観的に見ればそれは驚異的な事実。
神の民として全員が、神のみことばを正確に理解することを求め、神に対する愚かな態度を嘆き、悔い改めへと導かれ、涙した。(覚醒)
神は、ネヘミヤ、エズラ、レビ人を介して、赦しを与え、喜びへと民を導いた。神はこれほどに、愛する者を導こうとされるお方。

 

・神を信じれば、自然に神を知りたいという思いに導かれるものです。聖書を正しく学ぶことは、信仰する者にとって必要不可欠な行為です。
・学びは礼拝であることが、今回のネヘミヤ記からも十分に理解できます。神が与えてくださった聖書を正しく学び、みおしえに応答して素直に実践して行くかが私達の道です。

・「わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」マタイ11:29

2023年10月26日

ネヘミヤ記9章1節~37節

ネヘミヤ記 9章5節~10章39節の構成

宗主権契約に則った神との関係回復

宗主権契約(古代中近東)
・商取引など、主権国と属国において、それぞれの神を証人として、属国に対する規定と共に、呪いが示された。属国には限定的な自治権が認められていた。双方に義務と権利がある。
・宗主権契約とは王と征服された民(臣民)との間で結ばれる契約を指す。
・宗主権契約が、神とイスラエルの民、そして人類の契約(新しい契約)の基本になっている。
仮庵の祭りを終え、更に神の民として相応しくあろうとする民の思いがある。

宗主権契約に則った民の決意(9章5節~10章39節)
宗主権契約締結(更新)の流れ

 

 

1節:その月の二十四日に、イスラエルの子らは集まって断食をし、粗布をまとって土をかぶった。
2節:イスラエルの子孫はすべての異国の人々と関係を絶ち、立ち上がって、自分たちの罪と先祖の咎を告白した。

(神の民としてのあるべき姿)

・その月の24日・・仮庵の祭りの翌々日。
・イスラエルの民は、断食、粗布、土かぶりをした。・・悔い改めの姿勢を示す行為。
・仮庵の祭りで、彼らは神の正しさ(正義)と、民の不誠実さをしっかりと学んでいた。
・そして、先祖と自分たちの罪(異国の人々との関係→過去の偶像礼拝)の告白をし始めた。


3節:彼らはそれぞれ所定のところに立って、昼の四分の一は、彼らの神、主のみおしえの書を朗読し、次の四分の一は、彼らの神、主に告白をして礼拝した。
4節:ヨシュア、バニ、カデミエル、シェバンヤ、ブンニ、シェレベヤ、バニ、ケナニはレビ人の台の上に立ち、彼らの神、主に向かって大声で叫んだ。

(民の状況を確認するレビ人たち)

・昼の4分の1・・12時間✖1/4=3時間・・神のみおしえの書の学び。⇒礼拝
・次の3時間・・主に罪を告白。⇒礼拝
・それをレビ人たちは目撃し彼らは大声で叫んだ。神との契約更新を図る意図があった。

宗主権契約に基づいた契約の更新がなされて行く。民の心が一変した!

5節:レビ人のヨシュア、カデミエル、バニ、ハシャブネヤ、シェレベヤ、ホディヤ、シェバンヤ、ペタフヤは言った。「立ち上がって、あなたがたの神、主をほめたたえよ。とこしえからとこしえまで。あなたの栄光の御名はほむべきかな。すべての祝福と賛美の上に高く上げられて。
6節:ただ、あなただけが主です。あなたは天と、天の天と、その万象を、地とその上のすべてのものを、海とその中にあるすべてのものを造られました。あなたはそのすべてを生かしておられます。天の万象はあなたを伏し拝んでいます。

(神の存在の再認識)

・レビ人たちが、契約の更新に当たり、契約の前文を語り始めます。
・主は栄光に満ちておられるお方。人が讃えても讃えきれないほどの存在。

・唯一、本物の神。万物の創造主。また、万物の支配者。
・神の民としての神像が心に明確に描かれている。信仰を告白しているという事。

 

9章7節から37節まで、歴史が回顧され、神のすばらしさと民の愚かさが語られます
7節:あなたこそ神である主です。あなたはアブラムを選んでカルデア人のウルから連れ出し、その名をアブラハムとされました。
8節:彼の心が御前に忠実であるのを見て、あなたは彼と契約を結び、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、エブス人、ギルガシ人の地を彼の子孫に与えるとされました。そしてその約束を果たされました。あなたは正しい方だからです。

(アブラハム契約の認識)

・アブラムの選び→アブラハム→アブラハム契約の締結(子孫への約束の地の契約)
・約束の地の提示→約束の地への導き
アブラハムの忠実さとアブラハム契約締結の感謝が込められている

9節:あなたはエジプトで私たちの先祖の苦難を見て、葦の海のほとりで、その叫びを聞かれました。
10節:ファラオとそのすべての家臣、その国のすべての民に対して、数々のしるしと不思議を行われました。彼らが私たちの先祖に対して傲慢にふるまったのを、あなたがみこころに留められたからです。こうして、今日あるとおり、あなたは名をあげられました。
11節:あなたは私たちの先祖の前で海を裂き、彼らは海の真ん中の乾いた地面を渡りました。追っ手は、奔流に吞み込まれる石のように、あなたが海の深みに投げ込まれました。

(出エジプトの神の御業)

・エジプト奴隷時代の先祖に対する神の憐れみ
・神の御業、出エジプトの奇蹟。奴隷を自由人へ。そして神の民へ。
・その御業は、海を裂き民を歩かせ、その海にエジプト兵を呑み込ませた。
神の名が世に示された。当時の大国エジプトを通して神の存在が示された。

12節:昼は雲の柱の中にあって彼らを導き、夜は火の柱の中にあってその行くべき道を照らされました。
13節:あなたはシナイ山の上に下り、天から彼らと語り、正しい定めと、まことのみおしえ、良き掟と命令を彼らにお与えになりました。
14節:あなたの聖なる安息を彼らに教え、あなたのしもべモーセを通して、命令と掟とみおしえを彼らに命じられました。
15節:彼らが飢えたときには、天からパンを与え、渇いたときには、岩から水を出し、彼らに与えると誓われたその地に入ってそこを所有するよう、彼らに命じられました。

(荒野での御業)

・荒野では、雲の柱となり、火の柱となって、昼夜民を導いた。
・シナイ山において、モーセを通して、律法を与えられた。(国民として成長させた)
            ➥正義と公正の教え、神の聖なる安息の教え(自由を得た証)
・荒野で民を養い(マナ、水)、最後に約束の地へ導き入れた。

導き、守り、養い、成長させて下さる神。神の徹底した愛と恵みが見える

16節:しかし彼ら、私たちの先祖は傲慢にふるまい、うなじを固くし、あなたの命令に聞き従いませんでした。
17節:彼らは聞き従うことを拒み、彼らの間で行われた奇しいみわざを思い出さず、かえってうなじを固くし、かしらを立てて、逆らって奴隷の身に戻ろうとしました。それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのに遅く、恵み豊かであられ、彼らをお捨てになりませんでした。

(荒野での民の悪事と神のあわれみ)

・先祖の行いを悔いる民。傲慢で強情で不忠実な姿勢。
・神のなされたことを忘れ、奴隷に戻ろうと口走る先祖。
赦しの神、情深くあわれみ深く怒るのに遅く恵み豊かな神。決して見捨てない神。

18節:彼らが自分たちのために鋳物の子牛を造り、『これが、あなたをエジプトから導き上ったあなたの神だ』と言って、ひどい侮辱を加えたときでさえ、
19節:あなたは大きなあわれみをかけ、彼らを荒野に見捨てられませんでした。昼は雲の柱が彼らから離れず、道中を導き、夜は火の柱が、行くべき道を照らしました。
20節:あなたは、彼らを賢くしようと、ご自分の良き霊を与え、彼らの口からあなたのマナを絶やさず、彼らが渇いたときには水を与えられました。
21節:四十年の間、あなたは彼らを養われました。彼らは荒野で何も不足することなく、上着はすり切れず、足も腫れませんでした。

(荒野で悪口の民をあわれみ養い導く神)

・金の子牛・偶像礼拝して神を悲しませる民。(神への冒涜行為)
・しかし神は民を見捨てない。
・昼夜シャカイナ・グローリーで道を示し、良き霊を与え、マナと水で養った。
・期間は40年に及ぶ。民は不足なく、傷つくことなく荒野を歩むことができた。
この期間に民を成長させたのである。神の御業に他ならない。

22節:あなたは諸王国と諸民族を彼らに渡し、それらを領地として割り当てられました。彼らはシホンの地、ヘシュボンの王の地と、バシャンの王オグの地を所有しました。
23節:あなたは彼らの子孫を空の星のように増やし、彼らの先祖たちに、『入って行って所有せよ』と言った地に、彼らを導き入れられました。
24節:その子孫は入って行って、その地を所有しました。あなたは、この地の住民、カナン人を彼らの前に屈服させて、その手に渡し、王たちとその地の人々を、彼らの思いのままに扱わせました。
25節:こうして、彼らは城壁のある町々と肥えた土地を攻め取り、あらゆる良い物に満ちた家、掘り井戸とぶどう畑、そしてオリーブと果樹を、豊かに手に入れました。彼らは食べて満腹し、肥え太って、あなたの大いなる恵みを楽しみました。

(荒野の40年を終えてカナンの地へ)

・アブラハムに約束した土地へ。
・ヘシュボン(シホン王)とバシャン(オグ王)の地を取り、
・ヨシュアによりカナンの地へ入り、約束の地へ導き入れられた民。
・地を制し、土地を取り、豊かさを得て、肥え太る民の行動は・・・

26節:しかし、彼らはあなたに逆らい、反逆して、あなたの律法をうしろに投げ捨て、あなたに立ち返らせようとして彼らを戒めたあなたの預言者たちを殺し、数々のひどい侮辱を加えました。
27節:そこであなたは彼らを敵の手に渡され、敵が彼らを苦しめました。彼らがその苦難の時にあなたに叫び求めると、あなたは天からこれを聞き入れ、あなたの大いなるあわれみによって救う者たちを彼らに与え、敵の手から救われるようにしてくださいました。
28節:しかし、一息つくと、彼らはまたあなたの前に悪事を行いました。あなたは彼らを敵の手に捨て置き、敵が彼らを支配しました。彼らが再びあなたに叫び求めると、あなたは天からこれを聞き入れ、あわれみによって、たびたび彼らを救い出されました。

(士師記の時代へ)

・神の気付きの促しに応答せず、むしろ逆らい、預言者たちを殺し、神を侮辱する民。
・偶像に心惑わされ、それぞれが自己中な考え方で歩んでいた時代。
・それでも神は、民が敵に苦しむ時、士師を与えて、苦しみから助け出された。
・しかし、すぐに悪事へと民の心は傾き、敵に支配され、神は憐れまれてこれを助けられる。
先祖の悪行を明確に語り、そこに神の深い愛を見出す民。人は神をこれほどまでに平然と裏切るのである。

29節:あなたは彼らを戒めて、あなたの律法に立ち返らせようとされました。しかし、彼らは傲慢にふるまい、あなたの命令に聞き従わず、その命令を行う人は、それによって生きるというあなたの定めに背いて罪を犯し、肩を怒らして、うなじを固くし、聞き入れようとはしませんでした。
30節:それでも、あなたは何年も彼らを忍び、あなたの霊により、あなたの預言者たちを通して彼らを戒められましたが、彼らは耳を傾けませんでした。そのため、あなたは彼らを地のもろもろの民の手に渡されました。
31節:しかし、あなたはその大いなるあわれみにより、彼らを滅ぼし尽くすことはせず、お見捨てにもなりませんでした。あなたは、情け深くあわれみ深い神です。

(王国の時代:繰り返される民の愚行)

・神はこれまで常に民を律法に立ち返らせようとされた。
・しかし民は神に対して、傲慢に、強情に、不忠実に振る舞う。
・神は預言者をも与えてその御心を伝えたにもかかわらず、最終的には見向きもしない。
・その結果・・アッシリヤ捕囚、バビロン捕囚となってしまう。
それでも神は滅ぼすことはされなかった!

32節:私たちの神、大いなる神よ。力強く恐るべき方、契約と恵みを守られる方よ。今、アッシリアの王たちの時代から今日まで、私たちと私たちの王たち、高官たち、祭司、預言者、私たちの先祖、また、あなたの民全体に降りかかった困難をみな、どうか小さなことと見なさないでください。
33節:私たちに降りかかったすべてのことにおいて、あなたは正しくあられます。あなたは真実を行われましたが、私たちは悪を行ったのです。
34節:私たちの王、高官、祭司、先祖たちはあなたの律法を守らず、あなたがお与えになった命令と警告にも、耳を傾けませんでした。
35節:彼らは自分たちの王国の中で、あなたが下さったその大きな恵みの中で、また、あなたが彼らの前に置かれた、広くて肥えた土地にいても、あなたに仕えず、また自分たちの悪い行いから立ち返ることもありませんでした。

(今、悔いて語る民)

・悔い改める民は、契約を守られる神を恐れ、大反省の姿勢を示す。
・アッシリヤ捕囚、バビロン捕囚はすべて、自分たちの悪が原因と認める。(これらは神には小さい事かもしれないが、私たちには・・・)
・王、高官、祭司、先祖たちは神の律法も気付きの促しをも無視。→偶像を礼拝した。
・王国として与えて下さった土地を守らず、神に仕えず、神の民として歩むことはなかった!
過去の行いが現在の結果である
過去を見て反省し、人生を神に委ねることが救われることである。
神の存在失くして、私たちの真の豊かな人生はあり得ない!

36節:ご覧ください。私たちは今、奴隷です。私たちが実りと良い物を食べられるようにと、あなたが先祖に与えてくださった、この地で。ご覧ください。私たちは奴隷です。
37節:私たちの罪のゆえに、この地の豊かな産物は、あなたが私たちの上に立てられた王たちのものとなっています。彼らは私たちのからだを支配し、家畜も彼らの思いのままです。私たちは大きな苦しみの中にいます。」

(現状を悔いる民の声)

・現状は奴隷である。ペルシャの奴隷状態にある。

 税金をペルシャに収める関係(支配下)。
・かつて与えてくださった地で取れる産物は皆、支配者であるペルシャ王のもの。
・自分たちの不従順な姿勢が招いた結果である。
・産物どころか、私たちの身体も、家畜もすべてペルシャ王のものという状態。
思い起こせば、かつてはこの地を所有していたが、それは神に従って忠実であったとき。
しかし、先祖は愚行を繰り返し、その結果今は、ペルシャに支配される立場になり下がった!

 

正しい歴史認識から生まれる真の悔い改め

イスラエルの民としての悔い改め
・歴史を通して神のこれまでの働きを知り、その根底に想像を絶する愛(忍耐)があることを知る。
・奴隷から自由人とされ、神の民として育成されていたことを知ると共に、先祖の応答に落胆する。 
・かく言う自分たちも、現在ペルシャの奴隷であり、神の民としての面影は微塵もない状態。
神は常に正しく、今の結果は民の自業自得。⇒アダムの罪は自分たちの罪と認識することに等しい。

真の悔い改めが、真の信仰を引き起こす
・契約の更新にあたり、改めて神の正しさ、すばらしさをたたえ、感謝する必要がある。
・民の心は、この時確実に一新され、神の民として生きる覚悟が芽生えた。
・契約の更新は、真の神の民としての歩みを決断した姿勢の表れである。
神の恵みに対して、心から神に絶対的な信頼を持って応答する関係が構築される

悔い改めはクリスチャンの特権!

神は深い忍耐を持って、民を導いて来られた。私たちの神は愛の神であるが、それにしてもその愛は、人間の比ではない。
歴史には神の愛が示され、証明されている。且つ、人間は平和を築くことができないという愚かさが示されている。


・私たちは、神を知り、そして悔い改めることに より、救いの道を歩みます。この両輪が私たちを信仰に歩ませます。
・人生における気付きの促しは、良きにつけ悪しきにつけ、私たちに悔い改めを促します。それこそが、神の愛による育成なのです。不完全な私たちだからこそ、この育成を喜び、素直に悔い改めを実践しましょう。
・黙示録で主はこう言われます。「わたしは愛する者を皆、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。3:18」

2023年11月01日

ネヘミヤ記9章38節~10章39節

38節:これらすべてのことのゆえに、私たちは文書をもって盟約を結んだ。そして、私たちの高官たち、レビ人たち、祭司たちはそれに印を押した。
10章
1節:印を押した者は次のとおりである。ハカルヤの子の総督ネヘミヤ、およびゼデキヤ、
2節:セラヤ、アザルヤ、エレミヤ、
3節:パシュフル、アマルヤ、マルキヤ、
4節:ハトシュ、シェバンヤ、マルク、
5節:ハリム、メレモテ、オバデヤ、
6節:ダニエル、ギネトン、バルク、
7節:メシュラム、アビヤ、ミヤミン、
8節:マアズヤ、ビルガイ、シェマヤ。以上は祭司たちであった。

総督と祭司たちの承認…23人

・『盟約』・・新共同訳では『誓約』となっている・・
  ①契約・・双方が合意の上で、法律等に保証される。
  ②誓約・・一方的な誓い、約束事で相手側の同意は必要ないもの。
  ③盟約・・双方合意のうえでの誓い、約束事。組織と個人間、組織と組織間。
・印を押した者たちのリスト(完全承諾)
・1~8節・・・全員祭司 (中川先生)
 ※ネヘミヤは総督であり、総督以降のゼデキヤからが祭司と思われる。「および・・」の訳は、新共同では「それに・・」となっている
・エズラはその父の名セラヤ(2節)があり、そこに連なっていると考えるべき。

9節:レビ人では、アザンヤの子ヨシュア、ヘナダデの子らのうちのビヌイ、カデミエル、
10節:および彼らの親類で、シェバンヤ、ホディヤ、ケリタ、ペラヤ、ハナン、
11節:ミカ、レホブ、ハシャブヤ、
12節:ザクル、シェレベヤ、シェバンヤ、
13節:ホディヤ、バニ、ベニヌ。

レビ人の承認・・・17人

・8章7節に登場した人物が含まれている(6名)。

14節:民のかしらでは、パルオシュ、パハテ・モアブ、エラム、ザト、バニ、
15節:ブンニ、アズガデ、ベバイ、
16節:アドニヤ、ビグワイ、アディン、
17節:アテル、ヒゼキヤ、アズル、
18節:ホディヤ、ハシュム、ベツァイ、
19節:ハリフ、アナトテ、ネバイ、
20節:マグピアシュ、メシュラム、ヘジル、
21節:メシェザブエル、ツァドク、ヤドア、
22節:ペラテヤ、ハナン、アナヤ、
23節:ホセア、ハナンヤ、ハシュブ、
24節:ハ・ロヘシュ、ピルハ、ショベク、
25節:レフム、ハシャブナ、マアセヤ、
26節:アヒヤ、ハナン、アナン、
27節:マルク、ハリム、バアナ。

民のかしらたち・・一族の長の承認・・・44名

・ネヘミヤ7:8~27に登場した一族の長たち。新共同では政治的指導者と解説。
・パルオシュ族、エラム族、ザト族、ベバイ族、アズガデ族、ビグワイ族、アディン族、ヒゼキヤ族、ハシュム族 ベツァイ族、ハリフ族、アナトテの人々など。

28節:このほかの民、祭司、レビ人、門衛、歌い手、宮のしもべたち、また、諸国の民と関係を絶って神の律法についた者全員、その妻、息子、娘たち、すべて理解できるまでになった者は、
29節:彼らの親類のすぐれた人々と歩調を合わせつつ、神のしもべモーセを通して与えられた神の律法に歩み、私たちの主、主のすべての命令、その定めと掟を守り行うという、次のような、のろいの誓いに加わった。

その他の民の承認

・民、祭司、レビ人、門衛、歌い手、宮のしもべなど、基本的に成人した老若男女全員が一致。
・印を押さずとも、盟約を承諾し、その盟約に従うということを承認。
・神のしもべモーセの律法に従う生き方・・のろいの誓いに加わる。→申命記28:15~68
ここで、民全員の契約更新の承認がなされた。
バビロン捕囚以降、神はエルサレムと民を完全回復させた。
律法に従う民となる決意!

30節:「私たちの娘をこの地の民に与えず、また、彼らの娘を私たちの息子の妻としない。

雑婚の禁止規定

・異邦人の嫁問題は解消したが、嫁に出すことは未解消。(トビヤの姻戚関係問題)
・雑婚は信仰の純粋性を阻害する。出エジプト34:16、申命記7:1~4

31節:諸国の民が安息日に商品、あるいはどんな穀物を売りに持って来ても、私たちは安息日や聖なる日には彼らから買わない。また、私たちは七年目には土地を休ませ、あらゆる負債を免除する。

安息日を守る→異邦人との取引規定

・安息日や聖なる日には、異邦人とは商品売買をせず、取引しない。
・安息日はモーセ契約のしるし。安息日の順守で神の民としてのアイデンティティを確立。 安息日規定 出エジ20:8~11 レビ23:3、24~32
・7年目の土地の休耕、負債の免除を完全実施。レビ25:4~7、申15:1~5(神の公正の精神)
安息日と異邦人との取引規定、そして7年の休耕地、負債の免除が同時に語られているのは、明らかに、異邦人社会の習慣、習わしとの隔絶を意識している。
商売、金儲け、地位、名誉に心が魅了されると、神の領域には住めなくなる。

従来は、この世に揺さぶられていたが、違和感を感じていなかった。選民意識の弊害。

32節:私たちは、自分たちの神の宮での礼拝のために、毎年シェケルの三分の一を献げる義務を自らに課す。
33節:これは、並べ供えるパンと常供の穀物のささげ物のため、常供の全焼のささげ物のため、安息日、新月の祭り、例祭、聖なるささげ物のため、そしてイスラエルの宥めを行う罪のきよめのささげ物のため、および私たちの神の宮のすべての用途のためである。

神殿礼拝維持のための献金

・全員が、自主的な取り決めとして3分の1シェケルの義務を課した。(1シェケ:11.4g)
・神の宮のすべての用途のために用いられる献金。※礼拝、安息日、新月の祭り、例祭、聖なるささげ物、罪のきよめのささげ物、その他すべて。
ここでも分かる通り、献金は強いられてではなく、自主的になされて、価値あるものである。

34節:また私たち、祭司とレビ人と民は、薪のささげ物について、毎年定められた時に、父祖の家ごとに神の家に携えて来ることを、くじによって決める。律法に記されているとおり、私たちの神、主の祭壇の上で燃やすためである。

薪の献上

・常に祭壇の火を絶やさぬため(レビ6:12~13)、薪がささげられた。
・くじによって、父祖の家ごとに、毎年定められた時に、献上した。

35節:また、私たちの土地の初なりと、あらゆる木の初なりの果実をすべて、毎年、主の宮に携えて来ることに決める。

産物の初物の献上

・土地、木々の初なりすべての果実を、毎年神の宮に献上した
彼らにとって、神をたたえる礼拝は最優先事項となった!
私たちの善きお手本!

36節:また、律法に記されているとおり、私たちの子どもと家畜の初子、私たちの牛や羊の初子を、私たちの神の宮に、私たちの神の宮で仕えている祭司たちのところに携えて来ることに決める。
37節:また、私たちの初物の麦粉と奉納物、およびあらゆる木の果実、新しいぶどう酒と油を祭司たちのところに、私たちの神の宮の部屋に携えて来る。また、私たちの土地の十分の一はレビ人たちのものとする。レビ人は、私たちの耕作するすべての町から十分の一を受け取る者たちである。

10分の1の規定

・家族の初子、家畜の初子を神の宮の祭司のところに携えて来る。 出エジ13:2→

 民18:15~18
・初物の麦粉や奉納物、果実、新しい葡萄酒、油→神の宮の部屋・・保管室へ納入。
・毎年の土地の収穫の10分の1は、律法規定の通り、レビ人に渡す。民18:21

38節:レビ人が十分の一を集めるとき、アロンの子孫である祭司が、そのレビ人とともにいなければならない。レビ人は、その十分の一の十分の一を私たちの神の宮へ携え上り、宝物倉の部屋に納めなければならない。
39節:この部屋に、イスラエルの子らとレビ人たちは、穀物、新しいぶどう酒、油の奉納物を携えて来るようになっているからである。そこには聖所の用具があり、また、当番の祭司や門衛や歌い手たちもいる。このようにして私たちは、自分たちの神の宮をなおざりにはしない。」

レビ人の10分の1の規定

・レビ人に10分の1が渡される時は、祭司の立ち合いが必要。
・その収入の10分の1をレビ人は神の宮の宝物倉の部屋に納めなければならない。
・この保管室は民、レビ人の納入物のほか聖所の用具、更に当番の祭司、門衛、歌い手がいる。
・礼拝に欠かせない重要な部屋であることを示している。
私たちの神の宮をなおざり(疎か)にはしません!
神に信頼し、神の民として歩む契約の更新が完了した。
喜んで神を恐れ、神に従うネヘミヤの姿勢が民に移った。1:11

 

喜んで神を恐れるしもべであれ!

世の価値観とは完全に異なることの理解
・世は人の知恵を持って、平和を築こうとする。
・神を知る者は、人の知恵が浅はかなものと知る。Ⅰコリ3:18参照
・聖徒は、真の知恵は神から来るものであり、神に従う事であり、それが本来の姿と知る。
・従って、世の知恵(人)とは真っ向からぶつかるものである。

神の御心を知る知恵こそが、真の知恵!


神の道を歩む喜びを持つ生き方
・今私たちは、キリストの教えに信頼して歩む、神の子である。
・モーセの律法は廃棄されたが、キリストのおしえに従う歩みも、世の人には不利益と映る。
・そのことを認識しつつ、不利益を受け入れられるのは、有意義な学びによる神の御心の正確な理解にある。
真の利益が約束された人生を心の底から味わえるから、喜びを持って神を恐れ、この人生を歩める。

 

ネヘミヤは気付きの促し役!

神はネヘミヤを用いて、城壁再建へと導き、また、民の心の破れに気付かせて、民を神の民として再起へ導いた。それまでは、ユダヤの民という選民意識だけが心に存在していた。
先に送られたエズラによって、律法に従うことを知り、ネヘミヤにより律法に従うことで得られる神の民としての力に気付いた民。
その結果、神の民としてあるべきことの意味を悟り、自主的に神に従う、真の神の民となった。この自主性を、神は喜ばれたに違いない!

 

・私たちは救われて完了するのではなく、救われて、神の子としての新たな人生を自主的に歩むのである。それが、クリスチャンである。
・故に、決して歩みを止めてはならないし、歩む道を間違えてもいけない!道は歩むために存在し、その先には目的地がある。
・イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。私を通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」 ヨハネ14:6

2023年11月11日

ネヘミヤ記11章1節~36節

1節:民の指導者たちはエルサレムに住んでいたが、それ以外の民はくじを引いて、十人のうちから一人ずつ、聖なる都エルサレムに来て住むようにし、あとの九人をほかの町々に住まわせた。
2節:民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな祝福した。

・ネヘミヤは、周辺に住む民のうちの10分の1をエルサレムに住まわせる政策を実施。
・城壁が完成し、安全が確保され、民の心も再建され、エルサレムに住む意欲が出たと考える。
・現在の城壁内部は、ほぼ7章4節の状態と変わらない。
・人口の回復は、神の御心である。

3節:エルサレムに住んだこの州のかしらたちは次のとおりである。ユダの町々には、イスラエルの人々、祭司、レビ人、宮のしもべたち、ソロモンのしもべたちの子孫が、それぞれ自分たちの町の自分の所有地に住んだ。

・基本的にユダの州の指導者たちはエルサレムに住んでいた。
・イスラエルの人々、祭司、レビ人、宮のしもべたち、ソロモンのしもべたちは周辺の自分の地に住んだ。
城壁が完成した中で、住民の移住指示を出したネヘミヤ。
城壁内の人口を増加させ、聖なる都の発展を意図したのであろう

4節:エルサレムには、ユダ族とベニヤミン族のうちのある者が住んだ。ユダ族では、まずウジヤの子アタヤ。ウジヤはゼカリヤの子、ゼカリヤはアマルヤの子、アマルヤはシェファテヤの子、シェファテヤはマハラルエルの子、マハラルエルはペレツの子孫の一人である。
5節:次にバルクの子マアセヤ。バルクはコル・ホゼの子、コル・ホゼはハザヤの子、ハザヤはアダヤの子、アダヤはエホヤリブの子、エホヤリブはゼカリヤの子、ゼカリヤはシロ人の子孫である。
6節:エルサレムに住んだペレツの子孫は合計四百六十八人の勇士であった。

・基本的にはユダ族とベニヤミン族が中心。その一部がエルサレムに住んだ。
・ウジヤの子アタヤ・・・・ペレツの子孫 ユダの子孫(民26:20
・バルクの子マアセヤ・・・シロ(シェラ)の子孫
・この二人を筆頭に、ユダ族・ペレツの子孫の数は468人。いずれも勇士であった。
エルサレムに住むことは、敵との戦いが当たり前であったことがうかがえる


7節:ベニヤミン族では次のとおりである。まずメシュラムの子サル。メシュラムはヨエデの子、ヨエデはペダヤの子、ペダヤはコラヤの子、コラヤはマアセヤの子、マアセヤはイティエルの子、イティエルはエシャヤの子である。
8節:彼の次にガバイとサライで、九百二十八人。
9節:ジクリの子ヨエルが彼らの監督者であり、セヌアの子ユダがこの町の副監督者であった。

・メシュラムの子サル、そしてガバイ、サライと続き、928人が住んだ。
・ジクリの子ヨエルは彼らの監督。セヌアの子ユダは副監督者。

10節:祭司のうちでは、エホヤリブの子エダヤと、ヤキン、
11節:ヒルキヤの子セラヤであった。ヒルキヤはメシュラムの子、メシュラムはツァドクの子、ツァドクはメラヨテの子、メラヨテはアヒトブの子である。セラヤは神の宮のつかさであった。
12節:彼らの同族で宮の務めをする者は八百二十二人。また、エロハムの子アダヤ。エロハムはペラルヤの子、ペラルヤはアムツィの子、アムツィはゼカリヤの子、ゼカリヤはパシュフルの子、パシュフルはマルキヤの子である。
13節:アダヤの同族で一族のかしらたちは二百四十二人。また、アザルエルの子アマシュサイ。アザルエルはアフザイの子、アフザイはメシレモテの子、メシレモテはイメルの子である。
14節:彼らの同族の勇士たちは百二十八人。彼らの監督者はハゲドリムの子ザブディエルであった。

(祭司の状況) 

・エダヤ、ヤキン、セラヤ→祭司ツァドクの子孫。神の宮の管理者
・同族の宮勤めは822人。
・アダヤとその同族の一族のかしらたちは242人。
・アマシュサイと同族の勇士たち128人。監督者はザブディエル。

15節:レビ人のうちでは、ハシュブの子シェマヤ。ハシュブはアズリカムの子、アズリカムはハシャブヤの子、ハシャブヤはブンニの子である。
16節:また、レビ人のかしらのうちシャベタイとエホザバデは、神の宮の外まわりの仕事をつかさどっていた。
17節:また、ミカの子マタンヤ。ミカはアサフの子のザブディの子である。マタンヤは祈りの時に感謝の歌を歌い始める指導者、バクブクヤはその同族の副指導者であった。また、シャムアの子アブダ。シャムアはエドトンの子のガラルの子である。
18節:聖なる都にいるレビ人は合計二百八十四人であった。
19節:門衛では、アクブとタルモン、および門の見張りをする彼らの同族で、百七十二人であった。

(レビ人、門衛の状況) 

・シェマヤ、神の宮の外回り担当シャべタイ、エホザバデ。
・マタンヤは祈りの時の感謝の歌のリーダー、バクブクヤは副リーダー。
・アブダも賛美の関係者と思われる。レビ人は合計284人。
・門衛の数→アクブとタルモンのほか172人。門衛の数は、城壁の安全の土台である。
ここまでが、エルサレムに住む人々の数である。

20節:そのほかのイスラエルの人々、祭司、レビ人たちは、ユダのすべての町で、それぞれ自分の相続地にいた。
21節:宮のしもべたちはオフェルに住み、ツィハとギシュパは宮のしもべたちをつかさどっていた。
22節:エルサレムにいるレビ人の監督者は、バニの子ウジであった。バニはハシャブヤの子、ハシャブヤはマタンヤの子、マタンヤはミカの子である。ウジはアサフの子孫の歌い手の一人で、神の宮の礼拝を指導していた。
23節:歌い手たちには王の命令が下っていて、日課が定められていた。
24節:また、ユダの子ゼラフの子孫の一人で、メシェザブエルの子ペタフヤは、民に関するすべての事柄について王を助ける役を務めた。

(町の周囲に住む人々)

・ほかのイスラエルの人々、祭司、レビ人 →ユダの州内の相続地に住んだ。
・宮のしもべたち→オフェル(エルサレムの北側の小高い所→神殿への出入りが容易)。
・ツィハ、ギシュパは宮のしもべたちのリーダー。
・レビ全体の管理者はウジ。アサフの子孫。賛美者、礼拝指導者。
・歌い手は王の命令による日課があった。(アルタクセルクセス王)
・ユダの子孫ペタフヤは、ペルシャ王と民との仲介的役割。命令の伝達と民意の申し伝え。

それぞれに役割も与えられていたことに注目!
 
25節:農地がある村々で、ユダの子孫の一部が住んだのは、キルヤテ・アルバとそれに属する村々、ディボンとそれに属する村々、エカブツェエルとその村々、
26節:ヨシュア、モラダ、ベテ・ペレテ、
27節:ハツァル・シュアル、ベエル・シェバとそれに属する村々、
28節:ツィクラグ、メコナとそれに属する村々、
29節:エン・リンモン、ツォルア、ヤルムテ、
30節:ザノアハ、アドラムとそれらに属する村々、ラキシュとその農地、アゼカとそれに属する村々であった。こうして彼らは、ベエル・シェバからヒノムの谷までの一帯に住みついた。

・ユダ族の子孫の一部は、ベエル・シェバからヒノムの谷一帯の17の村々に住んだ。
・キルヤテ・アルバは、ヘブロン。
・エルサレムの南側地域に住んだ。

31節:ベニヤミンの子孫は、ゲバから、ミクマス、アヤ、ベテルとそれに属する村々、
32節:アナトテ、ノブ、アナネヤ、
33節:ハツォル、ラマ、ギタイム、
34節:ハディデ、ツェボイム、ネバラテ、
35節:ロデとオノ、および職人の谷に住んだ。
36節:レビ人のうち、ユダにいたある組はベニヤミンに加わった。

・ベニヤミンの子孫の一部は、15の地区に住んだ。
・職人の谷(ハラシムの谷)は、ロデの近辺か。
・エルサレムの北側地域に住んだ。
・レビ人の一部がユダからベニヤミンに移動した。
こうして人口分布の再編は完了した。

 

何故、エルサレムに人が少なかったのか?

エルサレムに住むことを敬遠する理由
・経済活動の難しさ。①土地の問題、②異邦人との関係。
・城壁が破れていたころは、安全が保証されず、常に敵の攻撃に対する緊張状態。
・城壁内部の生活は、厳格な信仰生活という縛りがあり、形式的外見的な民には窮屈。
経済を優先したり、正義を曲げたりして、生活を支えるのが世の考え方。⇒世俗化

 

神を喜んで恐れる者へと変貌
・エルサレムの人口倍増計画を喜び、積極的に動く民の姿は、神の民の証。(神の備え、導き)
・私たちクリスチャンも、決して形式的で外見ばかりに目を向けるものであってはならない。
・神とのかかわりの時間が喜びであり、賛美が喜びであり、礼拝を最優先する真の信仰者を目指そう!
神の絶対的主権と完全なる愛に応答する私たちの姿勢は完全なる信頼、信仰である。

私たちの自覚すべきこと

恥さらしような状態であり、奴隷状態とまで言わせたイスラエルの民が、今城壁を再建し、その町を盛り上げようと積極的になっている。
捕囚後の俗世間化した民の心は、虐げられていた呪縛から解放されたごとく、神の民として積極的な姿勢を示している。
神の民としての自覚が、真の悔い改めとなり、神の教えに素直に従う姿勢となり、その結果、世間とは異なる輝きを示してゆく。

 

・私たちクリスチャンの歩みの目標は、金持ちになることや地位を得るということではない。神のご意志に、いかに応答するかの一点です。
・この一点を、人生の目標に設定できるのは、神が私たちに輝きの未来を備えてくださっていると確信しているからです。
・「自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。」マタイ6:20~21

 

2023年11月16日

ネヘミヤ記12章1節~30節

1節:シェアルティエルの子ゼルバベルおよびヨシュアと一緒に上って来た、祭司とレビ人は次のとおりである。セラヤ、エレミヤ、エズラ、

・ゼルバベル、ヨシュア➔捕囚解放後、帰還時の総督・大祭司➔その当時の祭司とレビ人について示される

・城壁奉献式に伴い、脈々と続いてきた祭司・レビ人が聖なる都を主に捧げる時が来た!
・神殿完成から始まり、城壁が完成し、民も神に立ち返り、この流れに立ち会う祭司・レビ人。(神の働き

2節:アマルヤ、マルク、ハトシュ、
3節:シェカンヤ、レフム、メレモテ、
4節:イド、ギネトイ、アビヤ、
5節:ミヤミン、マアデヤ、ビルガ、
6節:シェマヤ、エホヤリブ、エダヤ、
7節:サル、アモク、ヒルキヤ、エダヤ。以上はヨシュアの時代に、祭司とその同族のかしらであった者たちである。

帰還時の祭司のかしら達

・エズラは、エズラ記のエズラとは異なる。(「アザルヤ」とも呼ばれる。)
・22人の祭司→祭司のグループ・・ダビデが祭司を24組に分けた実績(1歴24:7~19)
             ➥宮に入って奉仕するための登録グループ参考:ルカ1:5 

8節:また、レビ人では、ヨシュア、ビヌイ、カデミエル、シェレベヤ、ユダ、マタンヤで、感謝の歌を受け持っていたのはマタンヤとその兄弟たちであった。
9節:また、彼らの兄弟のバクブクヤとウンニは、務めのときには彼らの向かい側に立った。

レビについて

・第一次帰還民とともに帰ったレビ人のかしら達。
・マタンヤが感謝の歌を受け持つ賛美リーダー。(11:22・・ウジの先祖)
・バクブクヤ、ウンニはその向かいで(前で)任務についた。ネヘ11:17を参照

      賛美の状態を想像してみましょう

10節:ヨシュアはエホヤキムを生み、エホヤキムはエルヤシブを生み、エルヤシブはエホヤダを生み、
11節:エホヤダはヨナタンを生み、ヨナタンはヤドアを生んだ。

歴代の大祭司

・ヨシュア→エホヤキム→エルヤシブ→エホヤダ→ヨナタン→ヤドア
・これは、現在のネヘミヤの時代を含む過去から近未来の歴代の大祭司である。
・ネヘミヤ記の大祭司はエルヤシブ

(22節参照・・中川先生によればヨハナンはヨナタンと同じとのこと)

12節:次に、エホヤキムの時代に、祭司で一族のかしらであった者は次のとおりである。セラヤ族ではメラヤ、エレミヤ族ではハナンヤ、
13節:エズラ族ではメシュラム、アマルヤ族ではヨハナン、
14節:メリク族ではヨナタン、シェバンヤ族ではヨセフ、
15節:ハリム族ではアデナ、メラヨテ族ではヘルカイ、
16節:イド族ではゼカリヤ、ギネトン族ではメシュラム、
17節:アビヤ族ではジクリ、ミンヤミン族、モアデヤ族ではピルタイ、
18節:ビルガ族ではシャムア、シェマヤ族ではヨナタン、
19節:エホヤリブ族ではマテナイ、エダヤ族ではウジ、
20節:サライ族ではカライ、アモク族ではエベル、
21節:ヒルキヤ族ではハシャブ、エダヤ族ではネタンエル。

城壁再建時の祭司たち

・祭司の一族のそれぞれのかしら達(リーダー)の名が列挙される。
・ネヘ12:1~7の22名にほぼ合致。

22節:エルヤシブ、エホヤダ、ヨハナン、ヤドアの時代にレビ人は一族のかしらとして登録され、また、祭司はペルシア人ダレイオスの治世に登録された。
23節:レビの子孫で一族のかしらたちは、エルヤシブの子ヨハナンの時代まで、年代記に記されていた。

レビ人の記録

・エルヤシブ~ヤドアの時代に、レビ人の一族のかしらが登録された。
・祭司はダレイオス2世時代に登録された。
・レビ人の一族のかしら達はヨナタンの時代まで年代記に記された。
・年代記・・・レビ族のかしら達の名が記された公式文書。イスラエル側の公式文書。

24節:レビ人のかしらたちは、ハシャブヤ、シェレベヤ、およびカデミエルの子ヨシュアであり、その兄弟たちが彼らの向かい側に立って、組と組が相応じて、神の人ダビデの命令に基づき、賛美をして感謝をささげた。
25節:マタンヤ、バクブクヤ、オバデヤ、メシュラム、タルモン、アクブは門衛で、門の倉を見張っていた。

現レビ人のかしら達

・神殿に仕えるレビ人のかしら達、特に賛美担当のリーダーたち。
・彼らはダビデ時代と同じようにダビデの命令に基づき賛美した。
・門衛は、マタンヤ、バクブクヤ、オバデヤ、メシュラム、タルモン、アクブ。

26節:以上はエホツァダクの子ヨシュアの子エホヤキムの時代と、総ネヘミヤ、および学者である祭司エズラの時代の人々である。

・大祭司エホヤキムの時代と総督ネヘミヤとエズラの時代の祭司、レビ人たちである。
・以上は・・・12節から25節までに示された神殿の働き人たち。

27節:エルサレムの城壁の奉献式に際して、彼らはあらゆる場所からレビ人を捜し出してエルサレムに連れて来た。シンバルと琴と竪琴に合わせて感謝の歌を歌い、喜びをもって奉献式を行うためであった。
28節:歌い手たちは、エルサレムの周辺の低地やネトファ人の村々から、
29節:またベテ・ギルガルやゲバとアズマウェテの農地から集まって来た。この歌い手たちは、エルサレムの周辺に自分たちの村々を建てていたのである。

奉献式の人員準備

・奉献式には、日常とは異なる奏楽隊が必要であった。壮大な賛美の光景。
・歌い手もエルサレム周辺の地域に住むレビ人たちを集めて来た。
・ネトファ・・エルサレムの南
・ベテ・ギルガル・・エルサレムの東
・ゲバ、アズマウェテ・・エルサレムの北

レビ人は土地を持たず、エルサレム周辺に村を築いていた。

30節:祭司とレビ人は自分たちの身をきよめ、また民と門と城壁をきよめた。

・奉献式にあたり、祭司、レビ人が清めの儀式を行う。
・民と門と城壁をきよめた。

このきよめは血によって行われたことは想像に難くない。

 

司の喜び

第一次帰還からおよそ90年が経過したこの時、やっと城壁が修復され、聖なる都が回復した。さらに民の心も立ち返った。ここに至って、その心は神への感謝しかなったのではないか。

ネヘミヤは、祭司やレビ人たちがこれまで民を導いてきたが、暖簾に手押しのようであり、城壁も壊れたままで、民を導くことは大変な状態だったことを知る。

祭司、レビ人たちは今、ここに城壁奉献式を通して、神の民の祭司、レビ人として最高の喜びをもって神に仕えられる幸せを感じ取っているに違いない。


・私たちも、新約時代にあって祭司である。イエス様を通して私たちは神のみそばに近づくことができる身分なれた。

・私たちの心の中に宮があり、また、私たちの所属する宮が与えられている。その宮を通して、私たちは喜びをもって神に仕え、祭司としての役割を果たそうではありませんか!

・「あなたがた自身も生ける石としての霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。」  1ペテロ2:5


2023年11月25日

ネヘミヤ記12章31節~47節

31節:私はユダの長たちを城壁に上らせ、感謝の歌をささげる二つの大きな賛美隊として配置した。一組は城壁の上を右の方に、糞の門に向かって進んだ。

・二組の大きな賛美隊編成→彼らは感謝の歌を捧げる
・賛美隊その1・・(ユダの長&祭司たち)城壁の反時計回りのグループ
・スタートは「谷の門」→「糞の門」方向へ行進。→かつてネヘミヤが偵察した。
・行進ルートは、「城壁の上」である。

32節:彼らのうしろに続いて進んだ者は、ホシャヤとユダの長たちの半分、
33節:アザルヤ、エズラ、メシュラム、
34節:ユダ、ベニヤミン、シェマヤ、エレミヤであった。

・賛美隊その1を先頭に、ホシャヤとユダの長たちの半分。アザルヤ、エズラ、メシュラム、ユダ、ベニヤミン、シェマヤ、エレミヤのグループが後に続いた。(残りの半分は賛美隊その2)

35節:祭司のうちのある者もラッパを持って進んだ。まず、ヨナタンの子ゼカリヤ。ヨナタンはシェマヤの子、シェマヤはマタンヤの子、マタンヤはミカヤの子、ミカヤはザクルの子、ザクルはアサフの子である。
36節:次に、ゼカリヤの兄弟たちシェマヤ、アザルエル、ミラライ、ギラライ、マアイ、ネタンエル、ユダ、ハナニで、神の人ダビデの楽器を持って続いた。学者エズラが彼らの先頭に立った。

・ゼカリヤはラッパ担当。彼はアサフの子孫。
・次に続くのはゼカリヤの兄弟たち。ダビデが開発した楽器をもって続いた。
・シェマヤ、アザルヤ、ミラライ、ギラライ、マアイ、ネタンエル、ユダ、ハナニ。
・この『賛美隊 その1』の先頭は、学者エズラであった。

37節:彼らは泉の門のところで、城壁の上り口にあるダビデの町の階段をまっすぐに上り、ダビデの家の上を通って東の方の水の門に来た。

・行進のスタート地点は、『谷の門』と思われる。
・31節・・『糞の門』に向かって進んだ。
・『泉の門』→『ダビデの町の階段』→『水の門』
城壁の上を行進したことに注目!

38節:感謝の歌をささげるもう一組の賛美隊は、左の方に進んだ。私はそのうしろに従った。民の半分は城壁の上を進み、炉のやぐらの上を通って、幅広の城壁のところに進み、
39節:エフライムの門の上を通り、エシャナの門を過ぎ、魚の門と、ハナンエルのやぐらと、ハ・メアのやぐらを過ぎて、羊の門まで進んだ。そして監視の門で立ち止まった。

・この賛美隊その2にネヘミヤが従った。

(先頭に立ちたい人は・・・マタイ20:26~27)
・民の半分が続いた。(新共同・・他の半数の人々)
『炉のやぐら』→『幅広の城壁』→『エフライムの門』→『エシャナの門』→『魚の門』→『ハナンエルのやぐら』→『ハ・メアのやぐら』→『羊の門』→『監視の門』

賛美隊その2も、城壁の上を行進した。


40節:こうして、感謝の歌をささげる二つの賛美隊は神の宮で位置についた。私も、私とともにいた代表者たちの半分もそうした。
41節:また祭司たち、エルヤキム、マアセヤ、ミンヤミン、ミカヤ、エルヨエナイ、ゼカリヤ、ハナンヤもラッパを持って、そこにいた。
42節:また、マアセヤ、シェマヤ、エルアザル、ウジ、ヨハナン、マルキヤ、エラム、エゼルもいた。こうして、歌い手たちは歌い、イズラフヤが指揮をした。

・両賛美隊は定位置につき、ネヘミヤと代表の半分(役人)もそうした。(ユダの長の半分と思われる)
・祭司たちの集団
・ラッパ奏者たち→エルヤキム、マアセヤ、ミンヤミン、ミカヤ、エルヨエナイ、ゼカリヤ、ハナンヤ。
・歌い手たち→マアセヤ、シェマヤ、エルアザル、ウジ、ヨハナン、マルキヤ、エラム、エゼル。
・イズラフヤの指揮のもと、賛美のうちに奉献式が進められた。
壮大な式典が繰り広げられた!

43節:彼らはその日、数多くのいけにえを献げて喜んだ。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜んだので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。

・この日、民は多くのいけにえを捧げ、女も子どもも大いに喜んだ。
・神が、彼らを喜ばせたからである。その喜びの声ははるか遠くまで及んだ。

44節:その日、財宝や、奉納物、初物や十分の一を納める部屋を管理する人たちが任命され、祭司とレビ人のために律法で定められた分を、町々の農地からそこに集めた。これは、職務に就いている祭司とレビ人をユダの人々が喜んだからである。

・その日、ネヘミヤは奉納物保管所の管理人を任命した。
・律法に定められた、祭司やレビ人の献金奉納物(財宝、初物、10分の1)を集め、納めるため。
・民が、祭司、レビ人の働きを喜んだからである。自主的な姿勢。
・以前はそうではなかったことは明白。
神の民としての姿勢は頂点に達している!


45節:彼らは、自分たちの神への任務ときよめの任務を果たした。歌い手や門衛たちも同様であった。ダビデとその子ソロモンの命令のとおりである。
46節:昔から、ダビデとアサフの時代から、歌い手たちのかしらたちがいて、神への賛美と感謝の歌がささげられた。

・祭司、レビ人は、神への任務、きよめの任務を遂行した。
・ダビデ、ソロモンの命令に忠実である。
・ダビデとアサフの時代から、歌い手のかしらが神への賛美と感謝をささげてきた。

47節:ゼルバベルの時代とネヘミヤの時代、全イスラエルは、歌い手と門衛のために定められた分を日ごとに渡していた。彼らはまたレビ人の分を聖別し、レビ人はアロンの子らの分を聖別していた。

・ゼルバベルの時代とネヘミヤの時代、全イスラエルは歌い手と門衛に、日ごとの生活の糧を捧げた。
・その時代の人々(民)は、レビ人に聖別して奉納物を提供し、レビ人は祭司に聖別して提供した。
神の命令(期待)に従順に応答する心へと変化!

 

神の民の証明

何故、城壁の上を行進したのか?それは、52日間で築かれた城壁は、中途半端なものではなく、完全なものであり、まさに神の業である。
城壁上の行進は、異邦人たちに示す城壁の頑丈さであるとともに、神の民としての存在感である。これまでの民とは違うイスラエルの民。
その神の御業の実現に参加できたのだから、間違いなく自分たちは神の民である。自然に神の言いつけに従い、神のために働く祭司、レビ人に喜んで捧げることができる心が育まれた。

 

・神に信頼する道を選んだということは、神に従う歩みを選んだということ。イスラエルの民は紆余曲折しながらも、この時、神の民であることを喜び、かつその心を証明した。
・私たちも、神の道を選び歩む民であり、困難はあれど、城壁の上を闊歩する如く、損得勘定に縛られずに、与える民となり、その存在を証明しましょう。
・ルカ6章38節で、『与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられます。』と、イエス様は言われています。そういう人を、神は喜ばれます。

 

2023年11月30日

ネヘミヤ記13章1節~14節

1節:その日、民が聞いているところでモーセの書が朗読され、その中に、アンモン人とモアブ人は決して神の集会に加わってはならない、と書かれているのが見つかった。

・その日→ネヘミヤは奉献式の後、12年間エルサレムで働き、BC433年に王のもとに行き、しばらくしてエルサレムに戻ったある日。
・アンモン人、モアブ人の集会参加禁止の条項が読まれた。

2節:それは、かつて彼らが、パンと水をもってイスラエル人を迎えることをせず、かえってバラムを雇ってイスラエル人を呪わせようとしたからであった。私たちの神はその呪いを祝福に変えられた。
3節:民はこの律法を聞くとすぐに、混血の者をみなイスラエルから切り離した。

(異邦人の問題) 

・申命記23:3~5、民22章を参照。モアブ人の悪行。
・民はすぐに、混血の者を皆、イスラエルから切り離した。

4節:これより以前、祭司エルヤシブは、私たちの神の宮の部屋を任されていて、トビヤと親しい関係にあったので、
5節:トビヤのために一つの大きな部屋をあてがっていた。以前その部屋は、穀物のささげ物、乳香、器、またレビ人や歌い手や門衛たちのために定められていた、穀物と新しいぶどう酒と油の十分の一、さらに祭司のための奉納物を保管するところであった。

(アンモン人トビヤの問題) 

・この排斥が起こる以前に、祭司エルヤシブは、親しい関係にあったトビヤに部屋を与えていた。
・この部屋はかつて奉献式の時、レビ人のための奉納物の保管所であったところ。
・トビヤはアンモン人(ネヘ2:10)。城壁再建の妨害者。排斥されるべき人物である。

6節:この間ずっと、私はエルサレムにいなかった。私が、バビロンの王アルタクセルクセスの三十二年に王のところに行き、その後しばらくして王にいとまを乞い、
7節:エルサレムに帰って来たからである。そのとき私は、エルヤシブがトビヤのために行った悪、すなわち、神の宮の庭にある一つの部屋を彼にあてがったことに気づいた。

(大祭司エルヤシブの愚行)

・アルタクセルクセスの第20年(1章1節)に、ネヘミヤがスサからエルサレムに来てから、アルタクセルクセス王の32年(BC433年)まで12年が経過している。
・BC433年に王のところに行き、しばらく(恐らく2年くらい←中川先生の見解)して、いとま乞いしてエルサレムに帰ってみると…という展開である。
・大祭司エルヤシブが、アンモン人トビヤに、神の宮の部屋を与えている事実。
中川先生によればマラキはこの時期に活躍したと言われる。マラ1~2章。

8節:私は大いに気分を害し、トビヤ家の家財をすべてその部屋から外へ放り出し、
9節:命じて、その部屋をきよめさせた。そして私は、神の宮の器を、穀物のささげ物や乳香と一緒に再びそこに納めた。
10節:また私は、レビ人の分が支給されていなかったために、務めに当たるレビ人と歌い手たちが、それぞれ自分の農地に逃げ去っていたことを知った。

(ネヘミヤの対応) 

・この部屋のトビヤの家財をすべて放り出しきよめさせた。
・本来の用途として、その部屋を回復させた。・・・!
奉献式の時、民が率先してレビ人、祭司のために捧げた奉納物の部屋が空いている。
レビ人への捧げものがなされていない。レビ人は、生活のため自らの農地に逃げ去っていた。

11節:私は代表者たちを詰問し、「どうして神の宮が見捨てられているのか」と言った。そして私はレビ人たちを集め、元の職務に就かせた。
12節:ユダの人々はみな、穀物と新しいぶどう酒と油の十分の一を貯蔵庫に持って来た。

(レビ人の回復) 

・代表者への厳しい詰問。城壁完成時に誓った内容(10:39)は守られていない。
・おそらく厳しい処分があったと想像する。
・レビ人たちを集め、復帰させた。それは、ユダの民への𠮟責でもあった。
・ユダの人々は、奉納物を所定の場所に持ってきた。(神の宮の回復)

13節:そこで私は、祭司シェレムヤ、学者ツァドク、レビ人の一人ペダヤに貯蔵庫を管理させ、マタンヤの子ザクルの子ハナンを彼らの助手とした。彼らが忠実な者と認められていたからである。彼らの任務は仲間に分配をすることであった。

(ネヘミヤの対応) 

・保管庫の管理者の任命。祭司シェレムヤ、学者ツァドク、レビ人ペダヤ。
・助手はハナン(マタンヤの子孫)
・仲間に分配する任務・・・彼らは神に対して忠実な者と認められていた。

奉納されたものが正しく、歌い手やレビ人に分配されなかった⇒分配が正しくされず、次第に民は奉納品を納めなくなる。上層部の腐敗が見え隠れ!

14節:私の神よ、どうか、このことのゆえに私を覚えていてください。私が神の宮とその務めのためにした数々の誠実な行いを、ぬぐい去らないでください。

(ネヘミヤの祈り) 

・「私を覚えていてください」・・真の信仰者がここにいます!
・「神の宮とその務めのためにした数々の誠実な行いを、ぬぐい去らないでください。」
・新共同訳
「わたしの神よ、それゆえわたしを心に留め、神殿とその務めのために示した、わたしの真心を消し去らないでください。」
神の宮の綻びが上層部に見え始めた状況
ネヘミヤの祈り⇒改めて襟を正し、この信仰を守り、祝福してほしという素直で真摯な祈り

ネヘミヤ記とマラキ書との関連を通して

マラキ書の執筆年代は具体的には分かっていませんが、ネヘミヤ記の頃と重なるだろうと想定して考察。(中川先生は、ネヘミヤを励ました預言者と言われている)

マラキ書の1、2章においては、民と祭司の堕落ぶりを指摘。外国人に対する上層部の対応や、レビ人への捧げものの処理などを指摘。

奉献式を過ぎて12年が経過し、もう堕落があちこちに現れている現実。心の底から神に信頼することの難しさが顕著に露呈し始めた。

 

・人には感情が与えられている。喜びや悲しみや怒り、快楽・・。真理としての認識と、その真理を喜ぶ感情とをはっきりと区分しなければならない。(感情に働くのが偶像礼拝)

・真理という揺るがない土台を心に据えよう。感情が優先すると、到底長続きはしない。学びは必要不可欠!

・感情に左右されない信仰を建て上げましょう。『愚かな者は感情のすべてをぶちまけ、知恵のある人はそれを内に収める。』箴言29:11

 

2023年12月07日

ネヘミヤ記13章15節~31節

15節:そのころ私は、ユダのうちで安息日にぶどう踏みをしている者、麦束を運んでいる者、また、ろばに荷物を負わせている者、さらに、ぶどう酒、ぶどうの実、いちじくなど、あらゆる品物を積んで、安息日にエルサレムに運び込んでいる者を見つけた。それで私は、彼らが食糧を売ったその日に、彼らを戒めた。

・新たな問題を発見する。ユダのうちで・・・つまりイスラエルの民が、ということ。
・ブドウ踏み、麦束を運ぶ者、葡萄酒や果実を積み安息日に運び込む者たちの姿。
・ネヘミヤは彼らが食糧を売った時に戒めた。厳しい怒りの表現があったと思われる。

安息日を守るという姿勢は崩れている

16節:また、そこに住んでいたツロの人々も、魚などあらゆる商品を運んで来て、安息日に、しかもエルサレムでユダの人々に売っていた。

・ユダに住む異邦人ツロ(港湾都市)の人々は、あらゆる商品(魚など)を運び入れて、安息日にエルサレムで販売。市場が立っていた。
10章31節で、彼らは安息日には売り買いをしないと約束したことを破棄している。
確かに民は悪いが、このことを放置している祭司の上層部は、さらに悪い。
商売には利権が絡んでいることが多く、問題の原因は上層部の可能性が高い。

17節:そこで、私はユダの有力者たちを詰問して言った。「あなたがたが行っているこの悪事は何か。安息日を汚しているではないか。
18節:あなたがたの先祖も、このようなことをしたので、私たちの神はこのすべてのわざわいを、私たちとこの都の上にもたらされたのではないか。それなのに、あなたがたは安息日を汚して、イスラエルの上にまたもや御怒りを招こうとしている。」

・有力者→新共同訳では「貴族」。厳しく問い詰めた。(相当に厳しい指摘。)
・安息日を汚す行為は悪事である。神のみ怒りをもたらす行為である。
・かつて先祖はその罪によって裁かれ、捕囚という苦難に落とされた。
神を敬愛し、恐れるがゆえに、神に反する行為には厳しくなるネヘミヤ
ネヘミヤは思いを吐露するが、上層部(貴族)たちはその思いに触発されない!

19節:安息日の前、エルサレムの門に夕闇が迫ると、私は命じて扉を閉めさせ、安息日が終わるまでは開いてはならないと命じた。そして、私の配下の若い者の何人かを門の見張りに立て、安息日に荷物が持ち込まれないようにした。
20節:それで商人やあらゆる品物を売る者たちは、一、二度エルサレムの外で夜を過ごした。

・門の徹底管理。安息日の間は、完全閉鎖。荷物の持ち込みは不可。
・ネヘミヤの配下の者をも配置した。上層部の反抗的態度を想定していたのではないか。
・その結果、商売人たちは、一、二度外でエルサレムに入ることができなかったが、それでもやってくる。
当然のこととして、商売人は、外に出て来て購入するものがあると思っていたであろう。
ネヘミヤがいなければ、世俗的なイスラエル。この裏には、上層部の金銭欲が見えてくる。門の徹底管理の意味がここにある!

21節:そこで、私は彼らを戒めて言った。「なぜ、あなたがたは城壁の前で夜を過ごすのか。もう一度このようなことをすれば、私はあなたがたを処罰する。」その時から、彼らはもう安息日には来なくなった。

・ネヘミヤの宣言→城壁の外への言葉→処罰!
・この表明は、民への叱責でもあった。イスラエルの民にも厳しい言葉として響いたと思われる。
ネヘミヤは、かつてスサにいる時から、神の宮、聖なる都の回復を心から望んでいた人物。
自分が留守をしている間に、これほどまでに世俗化した姿に、驚愕したのは間違いない!

22節:また私はレビ人に、安息日を聖なるものとするために、彼らが身をきよめ、門の見張りとして来るように命じた。私の神よ、このことにおいても、どうか私を覚えていてください。そして、あなたの豊かな恵みにしたがって私をあわれんでください。

・安息日を聖なるものとすることで、門の更なる管理強化を図る。
・身をきよめたレビ人を門の見張りに加え、「門の見張り=安息日の順守」であること示した。
明らかに、上層部の肉的行動が人々に影響し、神を二の次三の次とする民へと導いている。
もうすでに、民に影響が及び、城壁奉献式の時の民は、神の目には映っていない!

23節:そのころまた私は、アシュドデ人、アンモン人、モアブ人の女を妻にしているユダヤ人たちに気がついた。
24節:彼らの子どもの半分は、アシュドデのことばか、あるいはそれぞれほかのことばを話して、ユダヤのことばが分からなかった。

・アシュドデ人、アンモン人、モアブ人の女を妻にしているユダヤ人の存在。
・その結果、混血児が生まれ、ユダヤの言葉が分からないという問題。
母親の言葉を話す(学ぶことも出来ない)→偶像礼拝へと繋がる
内部に偶像が浸透している現実!!

25節:そこで私は彼らを詰問してののしり、そのうちの数人を打って毛を引き抜き、神にかけて誓わせて言った。「あなたがたの娘を彼らの息子に嫁がせてはならない。また、彼らの娘をあなたがたの息子、あるいはあなたがた自身の妻としてはならない。
26節:イスラエルの王ソロモンも、このことで罪を犯したではないか。多くの国の中で彼のような王はいなかった。彼は神に愛され、神は彼をイスラエル全土を治める王としたのに、その彼にさえ異国人の女たちが罪を犯させてしまった。
27節:あなたがたについても、異国人の女を妻とし、私たちの神の信頼を裏切るという、この大きな悪が行われていることを聞かなければならないのか。」

・該当者への詰問!毛の引き抜き!誓願させた!・・・・ネヘミヤの怒りの大きさが想像できる。
・娘を異邦人に嫁に出したり、異邦人から嫁をもらってはならない。…厳命している。
・あの優秀で偉大な王ソロモンでさえ、異邦人の嫁により罪を犯してしまった。
・異邦人の娘を娶ることは、神の信頼を裏切ること!なぜ、このような大罪を犯すのか!
不在の間に、これほどまでイスラエルの心が崩れていることに、ネヘミヤは大激怒する!

28節:大祭司エルヤシブの子エホヤダの子の一人は、ホロン人サンバラテの婿であった。それで、私は彼を私のところから追い出した。
29節:私の神よ、どうか彼らのことを覚えていてください。彼らは祭司職を汚し、祭司職とレビ人たちの契約を汚したのです。

・大祭司エルヤシブの子エホヤダの子の一人は、サンバラテの婿。姻戚関係の構築。
・大祭司の孫が異邦人の婿となることは、大祭司の政治的、経済的な関係構築と推察される。
・ネヘミヤは、エルサレムからその者を追放した。大罪を犯す祭司の贖罪の意。

レビ21:14参照
・覚える→この場合は悪い意味。

30節:私は異教的なもの一切から彼らをきよめ、祭司とレビ人のそれぞれの務めにしたがって職務に就かせ、
31節:定められた時に行う薪のささげ物と、初物についても規定を定めた。私の神よ、どうか私を覚えて、いつくしんでください。

・異教との関係など、祭司、レビ人をきよめ、純粋に彼ら本来の職務を遂行させた。
・改めて、薪の捧げものや初物の捧げものについて規定を再設定。→不履行か、上層部による規定の変更があったか
「いつくしんでください」の言葉に、特に上層部の抵抗があったと推察。
どうぞ、真の信仰者である私の働きに祝福と恵みを注いでください!と祈るネヘミヤ
ネヘミヤの優先順位は明白!実直で、純粋な彼の思いをくみ取ろう!

 

ネヘミヤの大改革は・・

数年の不在期間で、エルサレムの崩壊を見たネヘミヤの思いを想像してみてください。

本来、王と大祭司のその役割が区別され、祭司は神事に関するリーダーであったが、捕囚以降、王の存在は認められず、その結果、大祭司が権力を持ち、人々を導き始めた。
エルサレムに戻ったネヘミヤは、その流れを止めようと働くが、果たしてその効果は・・・・。
時は流れ、イエス様が新たな啓示を示されに来られる。

 

・組織においてリーダーの心がどういう状態であるかは、組織の行く末を決定する要素である。ネヘミヤは神に信頼する道を選び、大祭司は世に迎合する道を選んだ。
私たちは、イエス様という導き手を得ている。この方は肉において完全に神に従う姿勢を示し、神の最高の栄誉をいただくというお手本を示してくださった。

・肉の世にあって、神を見上げて歩むことの難しさを知りつつ、良きリーダーを通して、旧約の民を反面教師として、ブレない信仰の土台を固めましょう!

2023年12月14日

エステル記1章1節~12節

事前情報 その1

エステル記の著者、本書の特長

⋆著者:不明。
  ・エズラ、ネヘミヤが書いたとの説や、モルデカイという説など様々あり。
  ・いずれにしてもペルシャの王宮内部情報に詳しいユダヤ人。

⋆本書の特長
  ・神の御名が一度も出てこない。
  ・死海写本には現在、エステル記がない。新約聖書に引用がない。
  ・登場人物に祈りの姿勢が見られず、モーセの律法に関する言及もない。
事前情報 その2

エステル記の時代背景
⋆ペルシア(現在のイランと同地域)は、王クセルクセス(BC486~BC465)の時代。  4人目のペルシア王。
⋆この王は、スサにいた。スサは3つの首都の一つ。(バビロン、エクバタナ・・エズ6:2)
⋆エステル記の出来事は、エズラ記の6章から7章の期間に発生。(エステルがペルシア王 妃となったのは・・BC476年)
⋆物語は、クセルクセス王の第3年(BC483)に、王の政治の場面からスタートする。

 

事前情報 その3

主な登場人物
⋆エステル(ペルシア語の「星」の意味、へブル名はハダサで「ミルトスの木」の意味)
  ・モルデカイのいとこ。ユダヤ人。姿が美しく、顔立ちが良い。
⋆モルデカイ(ペルシア語の名前。エズラ2:2、ネヘミヤ7:7とは別人)
  ・ユダヤ人ベニヤミン族。父ヤイル→祖父シムイ→曾祖父キシュ(バビロン捕囚された人物)
⋆クセルクセス王・・・・ペルシア王。4代目。当時は127州を統治。
⋆王妃ワシュティ
 ・容姿が美しく、王の自慢の妃。
⋆ハマン
  ・クセルクセス王の首長。アガグ人→アマレク(エサウの孫)人の王アガグの子孫。反ユダヤ主義者。

 

1節:クセルクセスの時代、クセルクセスが、インドからクシュまで百二十七州を治めていた時のことである。
2節:クセルクセス王がスサの城で、王座に着いていたころ、
3節:その治世の第三年に、彼はすべての首長と家臣たちのために宴会を催した。それにはペルシアとメディアの有力者、貴族たち、および諸州の首長たちが出席した。
4節:王は彼の王国の栄光の富と大いなる栄誉を幾日も示して、百八十日に及んだ。

・時はクセルクセス王の第3年。王はスサにて政治。
・クシュ→エチオピア。インドからエチオピアの範囲で127州を統治。
・宴会→新共同訳:酒宴
・宴会によって重要事項を決定→議題はギリシャ遠征?。すべては王国の栄誉の表明。
・この時、全州の責任者が集合。メディアはペルシア帝国の一部。(キュロス王の時から)
・この宴会は180日に及んだ。半年の期間を要した打ち合わせ。(当時、1年は360日)
酒宴にかかる費用を想像してほしい。そんな酒宴が毎日開催される。
このこと自体が、帝国、王の栄誉を誇るものと言える。


5節:この期間が終わると、王は、スサの城にいた身分の高い者から低い者に至るまでのすべての民のために、七日間、王宮の園の庭で宴会を催した。
6節:白綿布や青色の布が、白や紫色の細ひもで大理石の柱の銀の輪に結び付けられ、金と銀でできた長椅子が、緑色石、白大理石、真珠貝や黒大理石のモザイクの床の上に置かれていた。
7節:金の杯で酒がふるまわれたが、その杯は一つ一つ種類が違っていた。王室のぶどう酒は、王にふさわしく豊かにあった。

・政治のための酒宴が終わると、王宮の園の庭で新たな酒宴を催す。
・スサの城にいたすべての民(男性)に、7日間の宴会(酒宴)を提供する。
・豪華な調度品、高級な生地や大理石、モザイクの床と、栄華の象徴である。
・金の盃は一つ一つが趣が異なる物。その数を考えると、相当の贅沢。
・王室の葡萄酒が惜しみなく振舞われた。

8節:しかし飲酒は、「強要しないこと」という法に従っていた。だれでもそれぞれ自分の思いのままにさせるようにと、王が宮廷のすべての長に命じていたからである。

・当時の法で、酒の強制は禁止されていた。
・自分の思いのままにさせようとする王の思い。(長→新共同訳:給仕長)

9節:王妃ワシュティも、クセルクセス王の王宮で婦人たちのために宴会を催した。

・男性の酒宴は王が仕切り、女性は王妃ワシュティが担当する。
・半年にわたる打ち合わせは無事に終了し、打ち上げとでもいうような宴会はその豪華さを一層増して、スサの城中を舞台に、華やかに展開して行った。

10節:七日目に、クセルクセス王はぶどう酒で心が陽気になり、王に仕える七人の宦官メフマン、ビゼタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタル、カルカスに命じ、
11節:王妃ワシュティに王冠をかぶらせて、王の前に連れて来るようにと言った。彼女の容姿がすばらしかったので、その美しさを民と首長たちに見せるためであった。

宴会の最終日。王は酒の勢いもあり、自慢の妃を首長たちに披露しようと考えた。
・王の7人の宦官に命じて、王妃ワシュティに王冠をかぶらせ、酒宴に出させようとした。

12節:しかし、王妃ワシュティは宦官から伝えられた王の命令を拒み、来ようとはしなかった。そのため王は激しく怒り、その憤りは彼のうちで燃え立った。

・王妃は拒否し、王は激怒し、憤って燃え上がった。
王妃が来なかった理由は定かではないが、いずれにしても、突然の要請であったことは間違いない。

 

人の栄光と、神の栄光

クセルクセス王が示す栄華は、現代でも想像を超える豪華なもの。周囲に敵はおらず、皆が憧れ、また顔色を伺うような状況。
クセルクセス王は、自らの栄光を示そうとするが、身内の妃から断りを受けてしまう。
これほどに、人間が示そうとする栄光は脆く、不完全である。

 

神の栄光は、お金や地位といったものとは全く無縁である。
神の栄光が成就するとき、招かれた私たちは、どれほどの感動と喜びを爆発させるのだろうか?
今受けている恵みの真価に比べれば、地上の栄華や苦しみは取るに足りないもの。それを覚えてこれからも共に歩んで行きましょう。

 

『今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。』 ロマ8:18

2023年12月29日

エステル記1章13節~22節

13節:そこで王は時を熟知している、知恵のある者たちに言った──このように、法令と裁判に詳しいすべての者に諮るのが、王の慣わしであった。
14節:王の側近はペルシアとメディアの七人の首長たち、カルシェナ、シェタル、アデマタ、タルシシュ、メレス、マルセナ、メムカンで、彼らは王の面前に控えながら、王国の最高の地位に就いていた──
15節:「王妃ワシュティは、宦官によって伝えられたクセルクセス王の命令に従わなかった。法令にしたがって、彼女をどう処分すべきか。」

・王の習慣・・法令や裁判に詳しい者たち7名の意見を聞く。
その7名は、ペルシアとメディアの首長たちで構成されていた。
「王の裁判官」であり、最高の地位であった。
王は、彼の命令を拒否した王妃ワシュティの行為について、その処分の意見を求めた。
・メムカンが、口火を切って意見を述べ始める。
年少者から意見を述べるのが当時の習慣ということから、メムカンは最年少者ではないかとの中川先生の解説。

16節:メムカンは王と首長たちの前で答えた。「王妃ワシュティは王一人だけではなく、クセルクセス王のすべての州の全首長と全住民にも悪いことをしました。
17節:王妃のことが女たちみなに知れ渡り、『クセルクセス王が王妃ワシュティに、王の前に来るように命じたのに、来なかった』と言って、女たちは自分の夫を軽く見るようになるでしょう。
18節:今日にでも、王妃のことを聞いたペルシアとメディアの首長の夫人たちは、王のすべての首長たちにこのことを言って、並々ならぬ軽蔑と怒りが起こることでしょう。

メムカンの助言その1
 ・王妃ワシュティの行為は、王のみならず全首長、全住民に悪影響!
 ・なぜなら、王妃のクセルクセス王に対する拒否は、夫への軽視を意味する。
 ・その結果、首長たちの夫人は首長を軽視し、首長は怒り出す。 
「今にでも起こる大問題だ!」と煽り立てているようにさえ見える。

19節:もし王がおよろしければ、ワシュティはクセルクセス王の前に出てはならない、という勅令をご自分でお出しになり、ペルシアとメディアの法令の中に書き入れて、変更することのないようにされてはいかがでしょうか。王妃の位は、彼女よりももっとすぐれた者にお授けください。

メムカンの助言その2
 ・王妃を退ける勅令の発布。これを法令とし発布し、変更不可とする。
変更不可とすることで、王の気が変わり、ワシュティが復帰し、メムカンに復讐することのないようにした、と中川先生は解説。
特徴的なのは、ワシュティを呼び捨てにしている点。➡王の顔色を見て言葉を変える狡猾さからなのか?本当に大罪を犯したという正義感の現れなのか?
 ・別の妃を採用する。➡エステル登場の舞台が整ってゆく!

20節:王が出される詔勅がこの大きな王国の隅々まで告げ知らされれば、女たちは、身分の高い者から低い者に至るまでみな、自分の夫を敬うようになるでしょう。」
21節:この進言は王と首長たちの心にかなったので、王はメムカンの言ったとおりにした。
22節:王は、王のすべての州に書簡を送った。各州にはその文字で、各民族にはその言語で書簡を送り、男子はみな一家の主人となること、また自分の民族の言語で話すことを命じた。

メムカンの助言その3
 ・こうして勅令が王国の隅々にまで知られることで、世の女性たちは夫を敬い、従う。
 ・王の威厳も守られ、王国も安泰となる。
 ・王も首長たちもメムカンの処分案を採択した。
 ・全国に言語もすべて合わせて発布された。
 ・男子はみな一家の主人となり、自分の民族の言語で話すことが命じられた。

   (新共同:自分の母国語で話せるようにとの計らいからであった
主人という存在が、あやふやな状態。
ミスコミュニケーションが課題だった。
王国において、男尊女卑の風潮が更に高められた時期と考えられる

 

クセルクセス王について

捕囚解放前のダニエル書に預言されている存在
・クセルクセス王はダニエル書11:2に預言されている4人目の最後の王と見る。
「今、私はあなたに真理を告げる。見よ。なお三人の王がペルシアに起こり、第4の者は、ほかのだれよりも、はるかに富むものとなる。その者がその富によって強力となったとき、全世界を、とりわけギリシアの国を奮い立たせる。」ダニ11:2
・クセルクセス王の在位期間は前486頃~前465。前480年にギリシア侵攻するも結局失敗。
・エステル記の中の富んでいる王の姿は、富む者であり強力となる者である。
・半年の打ち合わせも、予想としてギリシア遠征の打ち合わせと見るのは不合理ではない。

 

怒りから賢明へ、そして謙虚へ

自慢しようとするほどの妃を、怒りに任せて処分した王
妃への思いが大事か、周囲への威厳が大事か!
王は威厳、プライドを優先し、自慢の妃を切り捨てた!

 

人は不完全である一つの例が、怒りである。
怒りのコントロールは難しい。瞬時にエネルギーが爆発する。
聖書は、その怒りを遠ざけるよう導いている。不完全な私たちは、失敗しつつ、愛と賢明さをもって、少しでも怒りから離れよう!

 

『人に賢明さがあれば、怒りを遅くする。その人の栄誉は、背きを見過ごすことである。』 箴言19:11

 

2024年01月11日

エステル記2章1節~23節

1節:これらの出来事の後、クセルクセス王の憤りが収まると、王はワシュティのこと、彼女のしたこと、彼女について決められたことを思い出した。

・クセルクセス王の心の落ち着き→法令が各州に発布されるまで時間がかかっている。
・ワシュティの行為と処分を思い出した。
➥戒めの念:ワシュティは容姿は良いが、心は良くない
➥後悔の念:酔っぱらってしまい、残念!反省せねば!

処刑された可能性もあると見る。それほどに王の権威は高い!
・王に妃の必要性が出てきた。
・王はどのような妃を望むか?

2節:王に仕える侍従たちは言った。「王のために容姿の美しい未婚の娘たちを探しましょう。
3節:王は王国のすべての州に役人を任命し、容姿の美しい未婚の娘たちをみな、スサの城の後宮に集めて、女たちの監督官である王の宦官ヘガイの管理のもとに置き、化粧品を彼女たちに与えるようにしてください。
4節:そして、王のお心にかなう娘を、ワシュティの代わりに王妃としてください。」このことは王の心にかなったので、彼はそのようにした。

王の妃の選出企画
・ワシュティに代わる妃の発掘という侍従の提案に合意する王。
・方法:すべての州より容姿端麗な未婚の娘を募集➡スサの城の後宮へ➡王の宦官ヘガイの管理下に置かれる➡化粧品が与えられる➡王の心にかなった女性が選抜され王妃に。


5節:スサの城に一人のユダヤ人がいて、その名をモルデカイといった。この人はヤイルの子で、ヤイルはシムイの子、シムイはベニヤミン人キシュの子であった。
6節:このキシュは、ユダの王エコンヤと一緒に捕らえ移された捕囚の民とともに、エルサレムから捕らえ移された者であった。エコンヤはバビロンの王ネブカドネツァルが捕らえ移したのであった。
7節:モルデカイはおじの娘ハダサ、すなわちエステルを養育していた。彼女には父も母もいなかったからである。この娘は姿も美しく、顔だちも良かった。モルデカイは、彼女の父と母が死んだとき、彼女を引き取って自分の娘としていた。

・モルデカイ→スサの城で何らかの職に就くユダヤ人。
・曾祖父はキシュ。彼がネブカデネツァル王によって捕囚され、モルデカイはその子孫。
・エステル→モルデカイの叔父の娘でへブル名ハダサ。容姿端麗。
・父母はおらず、モルデカイが養女としていた。(いとこ同士)

8節:王の命令、すなわちその法令が伝えられて、多くの娘たちがスサの城に集められ、ヘガイの管理のもとに置かれたとき、エステルも王宮に連れて行かれて、女たちの監督官ヘガイの管理のもとに置かれた。
9節:この娘はヘガイの目にかない、彼の好意を得た。彼は急いで化粧品とごちそうを彼女に与え、また王宮から選ばれた七人の侍女を彼女に付けた。また、ヘガイは彼女とその侍女たちを、後宮の最も良いところに移した。
10節:エステルは自分の民族も、自分の生まれも明かさなかった。モルデカイが、明かしてはいけないと彼女に命じておいたからである。
11節:モルデカイは毎日、後宮の庭の前を行き来し、エステルの安否と、彼女がどうされるかを知ろうとしていた。

・エステルも選抜組に加えられ、後宮に入り、監督官・宦官ヘガイの管理下に入る。
・ヘガイはエステルを気に入り、化粧品、ごちそう、さらに侍女7人をつけた。
・部屋も後宮の最上クラスに移した。
宦官ヘガイは女性を見る目を持っている。その眼鏡に叶った女性がエステルであった。

さらにヘガイは、王の好みもよく知っていると思われる。
・エステルはモルデカイの命でユダヤ人であることを隠した。(反ユダヤ主義者を意識)
ユダヤ人は、礼拝や食物規定があり、ユダヤ人を隠すのは大変
・モルデカイは、エステルを心配し、動向を見守った。(ユダヤの民を嫌う者)

モルデカイはユダヤ人を隠していない。彼は城中を行き来できる地位であったことが推察できる。

12節:娘たちは、女たちの規則にしたがって、十二か月の期間が終わった後、一人ずつ順番にクセルクセス王のところに入って行くことになっていた。準備の期間は、六か月は没薬の香油を、次の六か月は香料と女たちのための化粧品を用いて化粧することで、完了するのであった。
13節:このようにして、娘が王のところに入って行くとき、その娘の願うものはみな与えられ、それを携えて後宮から王宮に行くことができた。

・「女たちの規則に従って」・・新共同訳:「美容の期間が終わると」→準備期間。
・12か月の準備期間後に、順番に王の元へ入って行く。
・準備期間→6ヵ月間:没薬の香油、次の6ヵ月:香料、化粧品で容姿を美しくする。
・後宮から王宮に入るとき、娘の願うものはすべて与えられる。➡何をどう求めるかが、人格を表す

14節:娘は夕方入って行き、朝になると第二の後宮に帰ることになっていた。そこは、側女たちの監督官である、王の宦官シャアシュガズの管理のもとにあった。そこの女は、王が気に入って指名されるのでなければ、二度と王のところには行けなかった。

・夕方王宮に入り、翌日、第二の後宮へ移る。
・そこの管理は、側女の監督官であり、宦官のシャアシュガズ。
・その後、王より指名がなければ、選考会落選ということ。

15節:さて、モルデカイが引き取って自分の娘とした、彼のおじアビハイルの娘エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である、王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。
16節:エステルが王宮のクセルクセス王のもとに召し入れられたのは、王の治世の第七年の第十の月、すなわちテベテの月であった。
17節:王はほかのどの女よりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と寵愛を受けた。王は王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。

・エステルは順番が来た時、宦官ヘガイが勧めたもの以外は何も求めなかった。
・ヘガイは王の好みを知り、エステルはヘガイを信頼していたと思われる。
・また、自分の欲をさらけ出して、物欲に駆られることも、エステルにはなかった。
外面的にも、内面的にも完璧なエステルは、周囲の人すべてから好感を得た。
・エステルが王宮に入ったのは王の治世第7年のテベテの月(12-1月)。
・王は彼女を見初め寵愛し、王妃とした。(ワシュティより優れた王妃の誕生)


18節:それから、王はすべての首長と家臣たちのために大宴会、すなわちエステルの宴会を催した。諸州には免税を布告し、王にふさわしい贈り物を配った。

・王は、首長、家臣を招きエステルの宴会を催し、免税を布告し、王から贈り物を配った。

国を挙げての大イベントとなった。王の喜びも相当のものであったと想像する。

19節:娘たちが二度目に集められたとき、モルデカイは王の門のところに座っていた。
20節:エステルは、モルデカイが彼女に命じていたように、自分の生まれも自分の民族も明かしていなかった。エステルはモルデカイに養育されていたときと同じように、彼の命令に従っていた。
21節:そのころ、モルデカイが王の門のところに座っていると、入り口を守っていた王の二人の宦官ビグタンとテレシュが怒って、クセルクセス王を手にかけようとしていた。
22節:このことがモルデカイの知るところとなり、彼はこれを王妃エステルに知らせた。エステルはこれをモルデカイの名で王に告げた。

・エステル妃を気に掛けるモルデカイが、いつも通り王の門に座っていた。
・偶然にも、王の暗殺計画を知ることとなる。クセルクセス王の死因は暗殺(BC465)
・宦官→新共同:王の私室の番人・・彼らに暗殺は比較的容易。
・怒っていた理由は不明。
・モルデカイは暗殺計画をエステルに知らせ、エステルはモルデカイの名で王に伝えた。

23節:このことが追及され、その事実が明らかになったので、彼ら二人は木にかけられた。このことは王の前で年代記に記録された。

・おそらく尋問され、木にかけられた。(十字架のようなものか、木に突き刺すか)十字架上では、餓死が多かったと言われる。
・事件の内容は、王の前で年代記(新共同:宮廷日誌)に記録された。

王は自慢の妃を得、エステルの魅力に我を忘れるほどだった。

 

ユダヤの民が捕囚地で生きるということ
ユダヤ人であることを隠して選考会に参加したエステル。
周辺に反ユダヤ主義者が存在していて、邪魔が入る可能性があった。
他民族の社会にユダヤの民として生きることは難しい。
そんな条件下で、ワシュティが退き、王妃エステルが誕生した。
エステルは父母がおらず逆境に見えるが、神は彼女をモルデカイのそばで、この日のために導いていたように見える。
律法を守りにくい環境でも、神はそれを赦され用いて民を導かれる!
(どんな環境にあっても、神に信頼して歩むことが重要)
私たちも同様に、未信者の中にあって聖化の道を歩むのはなかなか難しいが、主はそれをご存じで、それを赦し、導いてくださるお方。

 

『人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。』  箴言19:21


2024年01月19日

エステル記とペルシア戦争

ペルシャ戦争
・BC500年~BC449年の約50年間に4回に渡って争われたペルシアとアテネの戦争。
・ヘロドトスの『歴史』というペルシア戦争を主題とした歴史書が参考。(史上最古)
・著者がギリシア側の目線であることに注意。

 

 

BC500年・・徴兵を強要するペルシアに対し、イオニア地方のミレトスを中心とするポリスが反乱を起こし、これをきっかけにダレイオス1世がギリシア制圧を考え始める。
BC492年・・ダレイオス1世が、アテネに侵攻するも暴風のため撤退。1回目
BC490年・・ダレイオス1世が、本格侵略するもマラトンの戦いで敗れる。2回目

マラトンの戦いの時のギリシア兵の一人が、勝利を知らせようと重装備のままアテネに向かって走り、到着して力尽きたとのこと。その距離約40キロ。そこからマラトンの名をとって、長距離競技マラソンがうまれたとのこと。しかし、後の創作ではとも言われている。
BC486年・・ダレイオス1世没。続いてクセルクセス王が戴冠。
BC483年・・半年間に渡る全首長との打ち合わせと、王妃ワシュティの失脚
BC480年・・9月にギリシア侵攻。クセルクセス王は、陸上戦で制圧するも、サラミスの海で敗北。クセルクセスはペルシアに引き上げる。3回目

当時のペルシア軍の兵力は170万人とも言われ、ギリシア軍の数万人の兵力とは桁違いの差があったが、ギリシアが勝利。ギリシアの一般市民が兵力として参加し、市民の発言力が高まり、民主化が進むこととなる。
BC479年・・7月、ギリシアに残ったペルシア軍は陸ではプラタイヤの戦い、海ではミュカレスの戦いに大敗し、遠征は失敗。4回目

BC479~478年・・12~1月(クセルクセス王第7年の第10のテベテの月)~エステル王妃誕生
BC477~475年以降・・モルデカイによる王の暗殺計画の未然防止
BC476年・・バビロンの反乱を鎮圧。(BC480年~BC476年:3度の反乱)
BC474年・・3~4月(クセルクセス王第12年の第1のニサンの月)ユダヤの民殲滅のくじ引き。
BC474年・・5~6月(同年の第3のシワンの月)ユダヤ人が敵に報いることができる法令発布。
BC473年・・2~3月(同年の第12のアダルの月)ユダヤ人の勝利。プリムの祭りの開始。
BC465年・・クセルクセス王の暗殺。アルタクセルクセス王の就任。
BC449年・・アルタクセルクセス王は「カリアス和約」をアテネと締結、ペルシア戦争は収束。

 

クセルクセス王について

ペルシア戦争の参考文献、ヘロドトスの『歴史』は、ギリシア側の目線の書。クセルクセス王としては、ギリシア遠征は、数ある遠征の一つであったと言われている。ちなみに クセルクセス王の懸念事項はバビロンの反乱であったとのこと。(帝国の管理は多忙!)
バビロンはダレイオス王の時から商業都市として最も繁栄したが、ペルシアの支配に不満を持ち、BC484~BC476の間に3度の反乱を起こしていた。
クセルクセス王は、この都市を打ち、神殿と黄金神像を撤去し、神官団を虐殺し、民を移住させ、バビロンの繁栄を終わらせた。
今わかる歴史と聖書をラップさせることで、更なる神の微細なまでの働きが見えてくる。こうした見えない神の存在に気付き、聖書が示そうとしていることを学び取りましょう!


2024年02月01日

エステル記3章1節~6節

1節:これらの出来事の後、クセルクセス王はアガグ人ハメダタの子ハマンを重んじ、彼を昇進させて、その席を彼とともにいる首長たちのだれよりも上に置いた。

・ハマンの登場。アガグ人ハメダタの子。アガグ人はアマレクの子孫。
・ハマンを重用し、昇進させ、首長のトップとした。(何らかの功労があったと思われる)
・3章7節の年代から、その年より以前と考えると、BC475年以前。年表に入れてみよう。

BC479~8年・・12~1月(クセルクセス王第7年の第10のテベテの月)~エステル王妃の就任
BC477~5年以降・・モルデカイによる王の暗殺計画の未然防止
BC476年・・バビロンの反乱を鎮圧。(BC480年~BC476年:3度の反乱)

BC475年以前⤴ ハマンの昇進の功績か
BC474年・・3~4月(クセルクセス王第12年の第1のニサンの月)ユダヤの民殲滅のくじ引き。
BC474年・・5~6月(同年の第3のシワンの月)ユダヤ人が敵に報いることができる法令発布。
BC473年・・2~3月(同年の第12のアダルの月)ユダヤ人の勝利。プリムの祭りの開始

2節:それで、王の門のところにいる王の家来たちはみな、ハマンに対して膝をかがめてひれ伏した。王が彼についてこのように命じたからである。しかし、モルデカイは膝もかがめず、ひれ伏そうともしなかった。

3節:王の門のところにいる王の家来たちは、モルデカイに「あなたはなぜ、王の命令に背くのか」と言った。

・この昇進により、王の家来たちは皆ひれ伏すが、モルデカイはひれ伏さなかった。
・王の家来たちは王の命令違反であるとモルデカイに忠告するが、彼は言うことを聞かない。

アマレク人に対するユダヤ人のの考え方は敵である。モルデカイは、ハマンがアマレク人の子孫であることを知っていたのではないかと思われる。

4節:彼らは毎日そう言ったが、モルデカイは耳を貸そうとしなかった。それで、モルデカイのしていることが続けられてよいものかどうかを確かめようと、これをハマンに告げた。モルデカイが、自分がユダヤ人であることを彼らに打ち明けていたからである。
5節:ハマンはモルデカイが自分に対して膝もかがめず、ひれ伏そうともしないのを見て、憤りに満たされた。

・王の家来は、忠告に従わないモルデカイについて、ハマンに相談。
・モルデカイは自分がユダヤ人であることを告白していた。
・膝をかがめない理由についても説明していたと思われる。
神以外に膝をかがめないということ、また、アマレク人との関係についても話していたかも・・
・ハマンはモルデカイに対して憤慨する。


6節:しかし、ハマンはモルデカイ一人を手にかけるだけでは満足しなかった。モルデカイの民族のことが、ハマンに知らされていたのである。それでハマンは、クセルクセスの王国中のすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの民族を根絶やしにしようとした。
・ハマンは自分の祖先のことも含め、ユダヤ民族に憤慨し、全ユダヤ人殲滅を計画する。
バビロンでは、ダニエル書の3人のユダヤ人が王に対して膝をかがめず、ユダヤ人は神以外に膝をかがめないという話が定着し、ハマンはそれを利用しようとていたのではないか。

 

現代にも根付く『反ユダヤ主義』

歴史の中に、そして現代でも反ユダヤ主義が根深く残っていることに気が付くかどうかは、重要である。
アブラハム契約が結ばれた時点で、祝福される者とそうでない者を明示している。
神は、イスラエルの民を祝福する者を祝福すると言われている。

今、イスラエルの民は、直接的な方法から、私たちと同様に、イエス・キリストを通した救いへと切り替えられた。
この二者がキリストを信じ、キリストを通して神に近づく者となり、一人でも多くの人が救われることを願うことが重要。
キリストを信じて歩む道には、イスラエルの民を祝福することが含まれていることをよく理解しよう!

 

『このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。』  エペソ2:18

2024年02月01日

エステル記3章7節~4章4節

7節:クセルクセス王の第十二年の第一の月、すなわちニサンの月に、日と月を決めるためにハマンの前で、プル、すなわちくじが投げられた。くじは第十二の月、すなわちアダルの月に当たった。
8節:ハマンはクセルクセス王に言った。「王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族があります。彼らの法令はどの民族のものとも違っていて、王の法令を守っていません。彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。

・ハマンはユダヤ人殲滅の時期をくじ、すなわち占いで決めた。(新共同:石、木片を用いたと説明がある)
・時はクセルクセス王の治世第12年の第1のニサンの月。くじにより第12のアダルの月が出た。
・11か月後であり、神の配剤であろうと思われる。
・早速、王に進言するハマン。
・どの州にも存在する民族がいて、彼らは独自の法を守り、王の法令には従わない。
・そのままにしておいてはいけません。

ハマンは真実を告げてはいない。独自の法とは神のことであること。また、クセルクセス王の法に従っているところもある。➡エステルの婚姻は、律法にではなく、王の法令に従っている!

9節:王様。もしよろしければ、彼らを滅ぼすようにと書いてください。私はその仕事をする者たちに銀一万タラントを量って渡します。そうして、それを王の宝物庫に納めさせましょう。」

・ユダヤ人殲滅の許可があれば、ハマンがその仕事の従事者に銀一万タラント(340t)支払うという。その銀は王の宝物庫に納められることとなる。新共同:「官吏たちに支払い、国庫に納めるようにします。」

10節:王は自分の手から指輪を外して、アガグ人ハメダタの子で、ユダヤ人の敵であるハマンにそれを渡した。
11節:王はハマンに言った。「その銀はおまえに与えられるようにしよう。また、その民族もその銀でおまえの好きなようにするがよい。」

・王の指輪を渡すということは、決定権をハマンに委ねたということ。
・ユダヤ人の敵であるハマン→新共同:ユダヤ人の迫害者、アガグ人ハマンに渡して・・
・納められた銀はすべてハマンのものとする。
・その民族はハマンの好きにすればよい!・・ユダヤ民族とは一言も言っていない!

神以外に膝をかがめない民族として、ユダヤ人は有名だったのではないか。
ハマンは敢えて、その名を出さなかったのではないかと思われる。

12節:そこで、第一の月の十三日に、王の書記官たちが召集され、ハマンが、王の太守、各州を治めている総督、各民族の首長たちに命じたことがすべて、各州にその文字で、各民族にはその言語で記された。それは、クセルクセスの名で書かれ、王の指輪で印が押された。

・第1のニサンの月の13日に王の書記官が招集され、王の太守、総督、首長に命じられた
  内容が、各州、各民族の言葉に翻訳され、王の印が押された。(勿論、ハマンが実施)
・法令として発布された。これはもう、取り消し不可である。


13節:書簡は急使によって王のすべての州へ送られた。それには、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪えとあった。
14節:各州に法令として発布される文書の写しが、この日の準備のために、すべての民族に公示された。

・急使・・当時の特急便。書簡(勅書)の内容は、第12のアダルの月の13日の1日中に、
  ユダヤ人の老若男女、子供など全員を殺害して滅ぼし、財産を奪え!というもの。
・この法令の写しが各民族に配られ、民族はその日に備え、準備を進める。

時の権力者の命となれば、まさに民族の絶滅を意味する法令!!
ユダヤの民は、「神の怒りはまだ収まらないのだろうか?捕囚という身分のなんと哀れなことか!」と思ったかもしれない。

15節:急使は王の命令によって急いで出て行った。この法令はスサの城でも発布された。このとき、王とハマンは酒を酌み交わしていたが、スサの都は混乱に陥った。

・スサの城で発布されたということは、モルデカイも殲滅の危機を認識した。
・スサ(要塞の城とも)の都が混乱する中、王とハマンは酒を酌み交わす。

 

現代に起こる反ユダヤ主義の実際

(飯山陽著 『ハマス・パレスチナ・イスラエル』より)
赤ちゃんを丸焼きにし、子供の腕を切断し死ぬまで放置し、妊婦の腹を裂き胎児を引きずり出して殺し、子供の見ている前で母親の乳房を切り取り、父親の目をくり抜き、女児から老女まで女という女を骨が折れるほどの強い力で凌辱し、民家に放火し一家全員を生きたまま焼き殺し、老若男女を問わず斬首し、遺体に唾を吐きかけ、遺体を車で引き回して歓声をあげた。(2023年10月7日のイスラエルに対するハマスのテロ)


4章
1節:モルデカイは、なされたすべてのことを知った。モルデカイは衣を引き裂き、粗布をまとい、灰をかぶり、大声で激しくわめき叫びながら都の真ん中に出て行った。
2節:そして王の門の前のところまで来た。王の門の中には、粗布をまとったままでは入ることができなかったのである。

・衣を引き裂き、粗布をまとい、灰をかぶり、泣きわめく。➡深い悲しみと神への嘆願を 表している。
・モルデカイの思い。➡自分の行為がきっかけになっていると思っている。自分だけが殺 されれば良いのに、民族殲滅となるとは!ハマンの支配下(捕囚民)にある事が残念!
モルデカイは悪くない。彼は信仰を貫いた。後は、神に頼る以外ないと考えるのは当然である!
・その状態で王の門の前まで来た(エステルに会いに来た)。⇦祈りの結果であろう

3節:王の命令とその法令が届いたどの州においても、ユダヤ人の間には大きな悲しみがあり、断食と泣き声と嘆きが起こり、多くの人たちは粗布をまとって灰の上に座った。

・どの州においても、ユダヤ人はその法令に悲しみ、断食と泣き声と粗布と、灰の上に座る。

当然、この知らせはユダ州エルサレムにも届いていた。そして悲しみに暮れた。
神殿はあったが、城壁は破れていた。エルサレムもこの時は大騒ぎとなっていただろう。

4節:エステルの侍女たちとその宦官たちが入って来て、彼女にこのことを告げたので、王妃は非常に痛み苦しんだ。彼女はモルデカイに衣服を送り、それを着せて、粗布を脱がせようとしたが、彼はそれを受け取らなかった。
・モルデカイの様子を聞いたエステルは、法令のことも併せて非常に痛み苦しんだ。
・エステルは、直接会えず、侍女、宦官に衣服を与えさせたがモルデカイは拒否する。
モルデカイは、エステルの身分を隠すためにも、信頼できる人物でなければ話すことができない。この時点でモルデカイは何らかの対策を考えついていたと思われる。
ここにその表現はないが、モルデカイは神に祈り、民族の殲滅を神が許されるはずがないと信じて、自分ができることを実行することを良しとした。
預言を見ても決して民は滅びない。キュロス王が出たし、帰還もできたのだ。
ならば自分ができることをやる!エステルが王妃となったのも、もしかしたら、神の導きかもしれない!

 

現代にも生きる預言

すでに、イザヤ書、エレミヤ書の預言が成就していることは、モルデカイも知っていたし、周知のことと思われる。

しかし、今回のように具体的な法令という形で、死刑宣告のような命令を言い渡されることは、相当に大きな動揺となる。
預言されているからといって、のんびりしていてはいけない!自分のできることを、精一杯やることが期待される。

旧約聖書の預言書は、近未来と遠未来の預言であり、新約聖書にも黙示録という預言書が巻末に与えらえている。それは希望である。
これらの預言書を信じることは、私たちの人生を新しい希望で満たしてくれる。
希望が与えられているからこそ、神の子として神に信頼し、キリスト者として相応しくその香りを放ち、自分の人生を歩んで見せましょう!

 

『私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳しいキリストの香りなのです。』 Ⅱコリ2:15

2024年02月01日

エステル記4章5節~17節

5節:エステルは、王の宦官の一人で、王が彼女に仕えさせるために任命していたハタクを呼び寄せ、モルデカイのところへ行って、これはどういうわけか、また何のためかと聞いて来るように命じた。
6節:ハタクは王の門の前の、町の広場にいるモルデカイのところに出て行った。

・エステルはモルデカイの意図を察し、最も信頼のおける宦官ハタクを遣わした。
・ハタクはモルデカイに会い、その話を聞いた。

7節:モルデカイは自分の身に起こったことをすべて彼に告げ、ハマンがユダヤ人を滅ぼすために王の宝物庫に納めると約束した、正確な金額も告げた。
8節:また、ユダヤ人を根絶やしにするためにスサで発布された法令の文書の写しを彼に渡した。それは、エステルに見せて事情を知らせ、そして彼女が王のところに行って、自分の民族のために王からのあわれみを乞い求めるように、彼女に命じるためであった。
9節:ハタクは帰って来て、モルデカイの伝言をエステルに告げた。

・ハマンとの因縁を語り、またハマンの提供する金額も告げ、法令文書の写しも提示した 。エステルは事件の概略は知っていたが、詳しい事情を知らなかったのだろう。
・それは、モルデカイがエステルに、王から憐みを求めることを命じるためであった。

 ユダヤの民の殲滅はないが、自分たちのことはわからない。だからこそ、自分たちがで きることをしようと、モルデカイは考えた。娘エステルが王妃となったのも神の摂理と 考えて・・。
・ハタクはその伝言をエステルに告げた。

10節:エステルはハタクに命じて、モルデカイにこう伝えた。
11節:「王の家臣たちも王の諸州の民も、だれでも知っているように、召されないのに奥の中庭に入って王のところに行く者は、男でも女でも死刑に処せられるという法令があります。ただし、王がその人に金の笏を差し伸ばせば、その人は生きながらえます。私はこの三十日間、まだ王のところへ行くようにと召されていません。」
12節:彼がエステルのことばをモルデカイに告げると、

・エステルの返信→召されていないのに、王がいる奥の中庭に入ると、だれでも死刑。   (暗殺の防止策
・しかし、王が金の笏を伸ばせば死刑は免れる。
・エステルは、この召しを30日間受けていない状態にある。➡王の心(気分)次第!
今のところそのチャンスは来ていません。何かほかに手立てはないでしょうか?⇦これが人の力で何とかしようとする姿勢!エステルはモルデカイの言うことが、親子関係から来る要請と受け取っていたかもしれない。しかし、モルデカイの目線は違っていた!
・エステルはこの内容をハタクに伝え、ハタクはモルデカイに伝えた。

13節:モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたは、すべてのユダヤ人から離れて王宮にいるので助かるだろう、と考えてはいけない。
14節:もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」

・王宮に居て、その時が来ても自分の命は助かるし、・・・などと考えてはいけない。
・ユダヤ人から離れて・・新共同:他のユダヤ人はどうであれ・・

  気持ちがユダヤ人と離れているともとれる厳しい言葉。一体感がない。
・あなたの行動に関わらず、神は何らかの方法でユダヤの民を救われる。(モルデカイの確信)
・あなたとあなたの父(モルデカイ)の家はその時、滅ぼされるだろう。
・エステルが妃になったのは、このような時のためではないのか?

モルデカイの言葉で、エステルに神の民としての使命感が目覚めた!

                 ↘王に優る神の存在、そしてその民!

祝福されていると同時に、その役割が与えられている。

気付きが促され、悟ったエステル!


15節:エステルはモルデカイに返事を送って言った。
16節:「行って、スサにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食してください。三日三晩、食べたり飲んだりしないようにしてください。私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにしたうえで、法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」

・返事にどれほどの時間がかかっただろう。十分に悔い改めていることは間違いない。
・モルデカイに返信した内容は断食の要請。
・スサの全イスラエルの民へ、エステルを支えるための断食の要請。
・エステルもその侍女たちも同様で、断食期間は三日三晩。(考える時間)
・法令違反してでも、王に会いに行く決意と覚悟。(神に委ねる姿勢)

断食に祈りが含まれていることは察しが付く。ユダヤの民として一致し、連帯感を持ち、且つ、自らもユダヤの民であることを大いに自覚した。

17節:モルデカイは出て行って、エステルが彼に頼んだとおりにした。

・モルデカイはエステルの要請を受けてスサに戻り、その通りにした。

 

捕囚の民として生きる弊害

私たちへの提言
捕囚下にあるユダヤ人のアイデンティティの変化。 
・モルデカイは忠実に神に信頼し、できる限り神に従おうとしたのではないか。
・一方エステルは、律法よりも、ペルシアの法令遵守の傾向が強かったのではないか。
エステルは特に恵まれた環境にあり、女性としては異邦人世界でトップ。
他のユダヤ人も、異邦人と繋がることで、商売などの利得を得ていたと考えられる。

その結果、民の意識は益々、形骸化の一途ではなかったか。
捕囚されておよそ100年。現在の100年前は大正時代→第一次大戦
断食の要請は、エステル自身も含め、ユダヤの民の意識に変化を与えた。 
・皆が神に向かい、一致団結し調和して向かう姿勢は、彼らのアイデンティティを回復させた。
この繋がりは、いつの時代も重要なテーマであり、現代でも一致し、調和して、集い、学び、実践することが、神の期待であることを認識しよう!

 

教会の存在意義

エステルは、モルデカイに目が向き、次にペルシア王に目が向いていたのではないか。

モルデカイは、神に信頼し、神に目が向いていた人物。ここにエステルとの信仰の一致が見られなかった。
エステルはモルデカイに目が開かれ、本当に恐れるべきは神であることを悟った。
私たちは、創造主である神の存在を知る者である。万物の創造主は、最高権威者でり、すべては神の御心のままになることを知っている。
しかし、目先のことに目が奪われ、いつの間にか自分の思いが優先し、この地での祝福を最優先してしまってはいないだろうか?
こうした過ちに陥らないためにも、教会は神を見上げて一致して歩むために愛をもって教えあい、励ましあい、皆の聖化のプロセスを進展させて行きます。

『謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、
  平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。』 エペソ4:2~3


2024年02月08日

エステル記5章1節~14節

1節:三日目になり、エステルは王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の奥の中庭に立った。王は王室の入り口の正面にある王宮の玉座に座っていた。

・断食の三日目となり、エステルは行動を開始。(スサでは皆が断食最中であろう)

・この行動は神の導きと推察できる。それゆえ、エステルも恐れはなかったのではないか。
・エステルは王妃の衣装で中庭に立った。部外者と疑われることなく、むしろ光輝く存在


2節:王が、中庭に立っている王妃エステルを見たとき、彼女は王の好意を得た。王は手にしている金の笏をエステルに差し伸ばした。エステルは近寄って、その笏の先に触れた。

・王は玉座にいる。エステルの存在感は、王を一目で彼女と認識させ、王は好意の表情を示す。
・金の笏が伸ばされ、エステルはその先に触れる。面会が許された。
最初に心配していたことにはならず、第一関門突破ということになるが、ここにエステルの恐れは微塵も感じられない。断食期間中に神からの導きがあったのでは!

この信仰と実践は、我々の手本である。

3節:王は彼女に言った。「どうしたのだ。王妃エステル。何を望んでいるのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが。」
4節:エステルは答えた。「もしも王様がよろしければ、今日、私が王様のために設ける宴会にハマンとご一緒にお越しください。」
5節:すると王は「ハマンを急いで来させて、エステルの言ったようにしよう」と言った。王とハマンはエステルが設けた宴会にやって来た。

・王は、エステルが何か望みがあり、中庭まで来たのだと察している。
・望みを尋ねる王。王の好意は、エステルに王国の半分をあげられるほどである。
・エステルは、決して多くを望まないところがあったのだろう。そこが更に愛しい。
・エステルは、王とハマン(首長最高位の人物)を、その日エステルの設ける宴会に招く。
王は、エステルが真の望みを示していないことを知り、その席で話されると察した。
・王は、ハマンと共に宴会に出席した。
ハマンは王妃からの、王と二人だけの宴会に誘われ、相当にうれしかったと思われる。
この宴会は、まるでハマンに仕掛けているようにも見えてくる→神の見えざる導き

6節:その酒宴の席上、王はエステルに尋ねた。「あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」
7節:エステルは答えて言った。「私が願い、望んでいることは、
8節:もしも私が王様のご好意を受けることができ、また王様がよろしくて、私の願いをゆるし、私の望みをかなえていただけますなら、私が設ける宴会に、もう一度ハマンとご一緒にお越しください。そうすれば、明日、私は王様のおっしゃったとおりにいたします。」

・王は、エステルに真の望みを尋ねる。
・エステルの返事の内容は・・・ 明日も、今日と同じようにお二人を宴会にお招きします。私の願い、望みはその時にお話しさせていただきます。

9節:ハマンはその日、喜び上機嫌で去って行った。ところが、ハマンは、王の門のところにいるモルデカイが立ち上がろうともせず、身動きもしないのを見て、モルデカイに対する憤りに満たされた。
10節:しかし、ハマンは我慢して家に帰り、人を送って、友人たちと妻ゼレシュを連れて来させた。

・ハマンが、宴会の後、上機嫌で帰るとき、門のところにモルデカイがいた。
・モルデカイは身動きせず、ハマンは激怒したが、その場は我慢し帰宅した。
上機嫌だったゆえに、我慢できたのだと思われる。
・とても気分が良く、妻と友人たちを集めた。気分の良さと悪さの憂さ晴らしであろう。

11節:ハマンは自分の輝かしい富について、また子どもが大勢いることや、王が自分を重んじ、王の首長や家臣たちの上に自分を昇進させてくれたことなどを、すべて彼らに話した。

・自分の富、家族を語り、自分の栄光を自慢するハマン。
・子が多いことは繁栄の象徴。首長のトップとなる昇進。自慢は尽きない。
ここまで成功した私はまさに、王に次ぐNo.2だ!王妃エステルの招待がそれを示した

12節:ハマンは言った。「しかも王妃エステルは、王妃が設けた宴会に、私のほかはだれも王と一緒に来させなかった。明日も私は、王と一緒に王妃に招かれている。
13節:しかし、私が、王の門のところに座っているあのユダヤ人モルデカイを見なければならない間は、これら一切のことも私には何の役にも立たない。」

・ハマン曰く、エステルに、唯一王以外に招かれた者は私だけ!
・更に、明日の宴会にも、王以外、私だけが招かれている。→これほどに信頼されていることは、本当に名誉なことではないか!
・しかし!モルデカイを見てしまうと、これほどの名誉なことがあってもすべてむなしいものとなってしまう。それほどに、モルデカイが腹立たしい!無に帰するほどの憤り。

14節:すると、彼の妻ゼレシュと彼の友人たちはみな彼に言った。「高さ五十キュビトの柱を立てさせて、明日の朝、王に話して、モルデカイをそれにかけるようにしなさい。それから、王と一緒に、喜んでその宴会にお出かけなさい。」ハマンはこの進言が気に入ったので、その柱を立てさせた。

・集った者たちのアイディア。
・23mの柱を立てさせて、モルデカイをそれに架けるよう明日の朝、王に進言しては!
・ハマンはその進言に乗った。

基本的には、王の命令に逆らうモルデカイである。多少やり過ぎだが、何らかの刑罰はあってしかるべきと思われる。

 

高慢の罠

ハマンの自慢やモルデカイへの対応も、この世的には当然のなり行きでもある。決して昇進や大家族の自慢が悪いわけではない。
聖書的には、その成果を自分の頑張りや優秀さにあると自慢してしまうことが問題である。
更に、上に立てば立つほど、持ち上げる人は多くいるが、苦言を言う者はどんどん少なくなる。ハマンも同じ状態に陥った。

 

主と共に歩むクリスチャンは、栄光のすべては主にあると知る人である。
自分の才能も、さらには自分自身が、主に創造され、主のものであるという認識をしっかりと持っている。これが謙虚さに繋がる考え方になる。
自分の成功や栄誉はこの世で終わる属性であり、神を信じて得られる愛こそが、永遠の真の価値ということを認識しよう。神は私たちの愛の成長を期待しておられる。

 

『人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。』箴言18:12


2024年02月16日

エステル記6章1節~14節

1節:その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じた。そしてそれは王の前で読まれた。
2節:その中に、入り口を守っていた王の二人の宦官ビグタナとテレシュが、クセルクセス王を殺そうとしていることをモルデカイが報告した、と書かれているのを見つけた。

・寝付けない王→神の働きであろう。
・記録の書、年代記(新共同:宮廷日誌)の確認をすべく侍従に読ませた。
・宦官ビグタナとテレシュの王暗殺計画を未然に防いだモルデカイの記事(2章21~23節)
を見つけた。


3節:そこで王は尋ねた。「このことで、栄誉とか昇進とか、何かモルデカイに与えたか。」王に仕える侍従たちは答えた。「彼には何もしていません。」

・その時、モルデカイに褒美は出したか?→ 本来なら相当のご褒美となる内容
・モルデカイは、褒美に執着のある人物ではない。

さすがに王は、褒美を出さねばと気にしつつ、就寝した。

4節:王は言った。「庭にだれがいるのか。」ちょうどハマンが、モルデカイのために準備した柱に彼をかけることを王に上奏しようと、王宮の外庭に入って来たところであった。
5節:王に仕える侍従たちは王に言った。「庭のあそこにハマンがいます。」王は言った。「ここに通せ。」

・翌朝、ハマンがモルデカイ処刑の上奏のため、王宮の外庭に入ってきていた。
ハマンの特権:新共同訳によれば、王宮へは自由に出入りが許されていたようである。
・誰がいるのか?→あそこにハマンがいます。→ここへ通せ!
丁度、王がモルデカイの褒美について思案していたところであった。

6節:ハマンが入って来ると、王は彼に言った。「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。」ハマンは心のうちで思った。「王が栄誉を与えたいと思う者とは、私以外にだれがいるだろう。」

・王のいきなりの質問:「王が栄誉を与えたいと思う者がいる。どんな方法が良いか?」
ハマンはそれが自分のことと、勘違いした!王が栄誉を与えたい人物は私ハマンだけ!
モルデカイ処刑の上奏が一転、王からのご褒美と勘違いし、確認を忘れたハマン。

⇒高慢の罠にはまるハマン!

7節:そこでハマンは王に言った。「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、
8節:王が着ておられた王服を持って来て、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来るようにしてください。
9節:その王服と馬を、貴族である王の首長の一人の手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着せ、その人を馬に乗せて都の広場に導き、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである』と、ふれまわらせてください。」

・ハマンは、自分が賞賛されることを思い描いて、褒美のとらせ方を進言する。
・王の服、王の馬、その馬は王冠を載せていること。
・明らかなる王の褒美。まるで王と一体となったことを示す内容。
・その王服と馬を渡す者は、貴族であり首長の一人とする。(自分がNo.1!)
・その者が、褒められるべきその人に衣服を着せ、馬に乗せて都を練り歩き、『王から栄誉を受ける者は、このようなことがなされる!』と触れ回らせてはどうですか!
王の心中を察することができないのは、首長のトップとして、とても残念なことである。⇒自己中の結果
「その光栄な人物とは誰ですか?」の一言があれば、話の展開は大きく変化した。
この機会に、自分の権威を益々確固たるものとしようと考えたのは、必然と思われる。

10節:すると、王はハマンに言った。「あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬を取って来て、王の門のところに座っているユダヤ人モルデカイにそのようにしなさい。あなたの言ったことを一つも怠ってはならない。」

・それは良い考えだ!ならばそれさっそく実施だ。
・ハマン、お前が王服と馬をすべて揃えよ。
・そして、王の門のところにいるユダヤ人モルデカイにそのようにせよ!万事怠りなく!
王は、ユダヤ人!と明確に伝えている。
王は、ハマンに全権を移譲していた為、彼のユダヤ人殲滅計画の詳細を把握していなかった。それは、ハマンの策略でもあった。(ユダヤ人は神以外に膝をかがめない民族として有名。)
ハマンのユダヤ人殲滅計画は、秘密裏に歴史から、ユダヤ人の存在を消そうとするものだった。ヒトラーのユダヤ人大量大虐殺を想起させる

11節:ハマンは王服と馬を取って来て、モルデカイに着せ、彼を馬に乗せて都の広場に導き、その前で「王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである」と叫んだ。
12節:それからモルデカイは王の門に戻ったが、ハマンは嘆き悲しんで頭をおおい、急いで家に帰った。

・ハマンは王の指示通りに、褒美の授与を実施。
・「王の栄誉を得た者は、このようなことがなされる!」と触れて回った。
殺そうと思ったモルデカイを馬に乗せ、その馬を引いて回ることはとてつもなく腹立たしいこと。
想定では、自分が馬に乗り、褒め称えられるはずであった!⇒この屈辱は耐えがたし!
・モルデカイは日常へ。ハマンは悲痛な面持ちで家に直行!
中川先生は、この二人の行動を対比させて解説されている。
モルデカイは、決して有頂天にならず、この世の評価に左右されないが、ハマンはその逆であり、この世の価値観を意識していたがために、失意のどん底に落ちてゆく。
神に信頼し、神を恐れる姿勢、クリスチャンとしてのあるべき姿をいつも心に描いておくことが重要である。

13節:ハマンは自分の身に起こったことの一部始終を、妻ゼレシュと彼のすべての友人たちに話した。すると、知恵のある者たちと妻ゼレシュは彼に言った。「あなたはモルデカイに敗れかけていますが、このモルデカイがユダヤ民族の一人であるなら、あなたはもう彼に勝つことはできません。必ずやあなたは敗れるでしょう。」
14節:彼らがまだハマンと話しているうちに、王の宦官たちがやって来て、ハマンを急がせて、エステルの設けた宴会に連れて行った。

・帰宅するや否や、妻や昨日から滞在している友人たちに、一部始終を話す。
・そのうちの知恵ある者と妻の意見。(歴史を知る者という意味ととる→吉田案)
・「モルデカイは、今、あなたの次に位置する者となった。
・しかし、彼がユダヤ人であるゆえにあなたはもう、彼に勝つことはできない。」
アマレク人がユダヤ人に打たれていることを知る者の言葉と思われる。
よって、知恵ある者(歴史を知る者)と言ったのだろう。(吉田案)
もう諦めよ!という意味か、または早くモルデカイを殺せ!の意味か。⇒新共同の解説は後者
・ハマンたちがそんな話をしているときに、王の宦官たちが来る。
・エステルの宴会出席を急き立て、連れて行った。何の手も打てないうちに!


下心なき隣人愛(謙遜の効果)

自己評価が最高潮に達していたハマンは、王の質問に対し、自分が最も良いと思われる褒美を考え、下心満載で王に進言した。(箴言29:20 軽率に話をする人を見たか。彼よりも愚かな者のほうが、まだ望みがある。)

こうした自己評価が、王の質問を自分勝手に解釈し、その結果、自分が最大の屈辱を受けることになる。
この世にはこうした落とし穴が、いくつも隠れていて、いつ足を取られるかわからない状態である。

 

謙遜は、自分に得があるような行動とは感じられない。しかし、謙遜は知らぬところでその人の信頼性を増し、それこそが大きな力になる。
クリスチャンは神の教えに従順に従うことで、周囲に対して謙遜な態度が実践され、その結果、目に見えない信頼の力が蓄えられる。
下心のような動機で謙遜に振舞うのではなく、神の御心に従う純粋な気持ちで隣人を愛し、その結果として謙遜が培われる人生を歩もう!

『何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。』箴言4:23

2024年02月23日

エステル記7章1節~8章2節

1節:王とハマンは王妃エステルの宴会にやって来た。
2節:この酒宴の二日目にも、王はエステルに尋ねた。「あなたは何を願っているのか。王妃エステル。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」

・王とハマンが招かれ、エステルの2度目の宴会が始まる。
・酒宴も酣(たけなわ)、王はもう一度エステルに望みを尋ねる。
・王国の半分でも与えようというほど、彼女を愛していたことが分かる。

3節:王妃エステルは答えた。「王様。もしも私があなた様のご好意を受けることができ、また王様がよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください。
4節:私も私の民族も、売られて、根絶やしにされ、虐殺され、滅ぼされようとしています。私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたことでしょうが、そうはいきません。その迫害する者は、王のお受けになる損失を償うことはできないのですから。」

エステルは答える。

・私の願いとは、私の命と私の民族の命を救ってほしいということです。
・私の民族は、奴隷売買なら我慢もしますが、殲滅されようとしているのです。
「売られて」→大量の銀が王に支払われるということではないか。そうなると、王もユダヤ人殲滅に加担することとなる。
王の損失→奴隷で残すのと殲滅するのでは、生産性が違う。妃の死は、王の損失となり、世継ぎの問題にもかかわる。

5節:クセルクセス王は王妃エステルに言った。「そんなことをしようと心に企んでいる者は、いったいだれか。どこにいるのか。」
6節:エステルは言った。「迫害する者、敵とは、この悪人ハマンです。」ハマンは王と王妃の前で震え上がった。

・エステルは、その首謀者がハマンであることを王に告げた。
・心に企むだけでも許せぬほどの怒りの王。
エーッ!エステルがユダヤ人だったー!?震えあがるハマン!

7節:王は憤って酒宴の席を立ち、宮殿の園に出て行った。ハマンは王妃エステルにいのち乞いをしようとしてとどまった。王が彼にわざわいを下す決心をしたことが分かったからである。

・王は怒って席を立ち宮殿の園へ。心を落ち着けるためか、ハマンに対する処罰の検討のためか。(王の習慣・・法令や裁判に詳しい者たち7名の意見を聞く習慣。1:13~15)
王は自分の確認の甘さによる問題も感じていたかも知れない、・・この時点では、少しはお目こぼしもあったかも・・
・一方のハマンは、王の怒りが決定的と察知し、エステルに命乞いしようとした。

8節:王が宮殿の園から酒宴の広間に戻って来ると、エステルのいた長椅子の上にハマンがひれ伏していたので、王は言った。「私の前で、この家の中で王妃までも辱めようとするのか。」このことばが王の口から出るやいなや、ハマンの顔は青ざめた。

・当時の食事は、横になる姿勢でとるものであった。
・その長椅子の上に、ハマンは、エステルに命乞いのためにひれ伏していた。
・その姿が、王にはエステルを乱暴し辱めるように映った。王は大激怒する。
もう、何の恩寵も受ける余地はない。すべて裏目に出るハマン。さすがに万事休した。

「ハマンの顔は青ざめた。」が、新共同で「顔に覆いをかぶせた」となっており、英語訳でも「顔がおおわれた」となっている。第3版は「顔はおおわれた」である。⇒ギリシア、ローマでは処刑の際、殺される人物のしるしとして顔に覆いをかぶせた。ペルシアでも同じ慣習と考えられる。極刑が確定という意味!

9節:そのとき、王の前にいた宦官の一人ハルボナが言った。「ちょうど、王に良い知らせを告げたモルデカイのためにハマンが用意した、高さ五十キュビトの柱がハマンの家に立っています。」すると王は命じた。「彼をそれにかけよ。」
10節:こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りは収まった。

・宦官ハルボナの提案⇒あの暗殺防止したモルデカイ処刑のために、ハマンが用意した23mの柱が、ハマンの家にあります。
・王はすかさず命じた。「ハマンをその柱にかけよ!」。
・彼の処刑が終わって、王の憤りは収まった。エステルに対する愛情が明確。
ハマンは、モルデカイを掛けるために立てた柱に、自分がかけられる羽目になってしまった。妻や友人たちの言葉は、見事に成就した!妻や友人たちは、ユダヤ人を敵に回すことは危険という噂を広めることになるのでは。


8章
1節:その日、クセルクセス王は王妃エステルに、ユダヤ人を迫害する者ハマンの家を与えた。モルデカイは王の前に来た。エステルが自分と彼との関係を明かしたからである。

・ハマンが処刑されたその日、王はハマンの家をエステルに与えた。
・ハマン一家の滅亡を意味する。
・エステルは、モルデカイを王の前に連れてきた。自分との関係を説明。
モルデカイの暗殺の報告を仲介したのはエステル。エステルの親代わりであることも王に告げた。

2節:王はハマンから取り返した自分の指輪を外して、それをモルデカイに与え、エステルはモルデカイにハマンの家の管理を任せた。

・モルデカイは王から指輪を受ける。この指輪はハマンに与えたものだった。
・エステルからは、ハマンの家がモルデカイに与えられたも同然。育ての親への恩義、感謝。
ハマンの特権がモルデカイに与えられた。
ハマンの権威、地位がモルデカイに移ったことを意味する。

 

神に信頼し続ける信仰

モルデカイは、信仰により、神の教えに従って神以外には膝をかがめなかった。たとえ周囲の人がどうあろうと。

そうしたモルデカイを見て苛立ち、ユダヤ人と聞いて、先祖の恨みも含め、その民すべてを殲滅しようとする思いに縛られてしまったハマン。
ハマンはあっという間に人生を失い、モルデカイは、あっという間に王から登用されることとなる。

 

真に正しいものが神であることを知り、信頼して、従って歩むなら、決して無益な争いは発生しようがない。しかし、世の中は違う。
真の信仰者とは、そういう世の中の悲劇に向かう仕組みをよく知って、常に神の領域にいることを心掛け、むしろ世の光とならねばならない。
モルデカイは神に信頼し切った人物。その結果、彼は重用された。世界はこれからどんどん変わって行くが、どんな時も神を見失わず、共に歩んで行きましょう!

『穴を掘る者は、自分がその穴に陥り、石を転がす者は、自分の上にそれを転がす。』箴言26:27

2024年02月28日

エステル記8章3節~17節

3節:エステルは再び王に告げて、その足もとにひれ伏し、アガグ人ハマンがユダヤ人に対して企んだ、わざわいとその計略を取り除いていただきたいと、泣きながら嘆願した。
4節:王がエステルに金の笏を差し伸ばしたので、エステルは身を起こし、王の前に立って、

・ハマンのユダヤ人殲滅法令を取り消してほしいと泣きながら嘆願するエステル。
王は、エステルの涙の嘆願を無碍に扱うことはできない
・王は金の笏を伸ばし、エステルの望みを聞く姿勢を示した。エステルは語り始める。

5節:言った。「もしも王様がよろしければ、また私が王様のご好意を受けることができ、このことを王様がもっともだとお思いになり、私のことがお気に召すなら、アガグ人ハメダタの子ハマンが、王のすべての州にいるユダヤ人を滅ぼしてしまえと書いた、あのたくらみの書簡を取り消すように、詔書を出してください。

・ハマンのユダヤ人殲滅計略を取り消すように詔書を出してほしい!
・新共同訳:ハマンの考えだした文書の取り消しを書かせていただきとうございます。

ハマン単独の仕業と認め、今度は私たちのために取り消しの法令を出してほしいという要請。

6節:どうして私は、自分の民族に降りかかるわざわいを見て我慢していられるでしょう。また、どうして、私の同族が滅びるのを見て我慢していられるでしょう。」

・エステルは言う。自分の民族の苦しみ、滅びを私は我慢できません、と。
エステルの心のやさしさは、すでに王も感じている。


7節:クセルクセス王は、王妃エステルとユダヤ人モルデカイに言った。「見よ。ハマンの家を私はエステルに与え、彼は柱にかけられた。ハマンがユダヤ人たちに手を下そうとしたからである。
8節:あなたがたは、ユダヤ人についてあなたがたのよいと思うように王の名で書き、王の指輪でそれに印を押しなさい。王の名で書かれ、王の指輪で印が押された文書は、だれも取り消すことができない。」

・ハマンは既に処刑し、その財産はエステルに与えた。
・法令の取り消しはできない。自分たちの良いと思う法令を考えて出すがよい。

一旦出した法令を取り消すことは、王にも許されていない。

その法令を打ち消す法令を考えて発布せよ!

法令の不可侵性(当時の慣習)⇒簡単に変更できないがゆえに、慎重に決定されなければならないし、一度決まれば、その訂正、取り消しには新たな検討が必要になる。

9節:そのとき、王の書記官たちが召集された。それは第三の月、すなわちシワンの月の二十三日であった。そして、すべてモルデカイが命じたとおりに、ユダヤ人と、太守、総督たち、およびインドからクシュまで百二十七州の首長たちに、詔書が書き送られた。各州にその文字で、各民族にはその言語で、ユダヤ人にはその文字と言語で書き送られた。
10節:モルデカイはクセルクセス王の名で書き、王の指輪でそれに印を押し、その書簡を、御用馬の早馬に乗る急使に託して送った。

・すぐに書記官らが招集された。時は第12年の第3のシワンの月の23日。
ハマンがくじを投げたのが第1のニサンの月(太陽暦:3~4月)で、殲滅の実行日は第12のアダルの月(太陽暦:2~3月)13日。
そして、そのためのユダヤ人殲滅法令立案が同年第1のニサンの月の13日。
もし、くじが第2、第3の月を示したら、展開は変わった。⇒神の摂理!
・モルデカイが法令を立案。その内容がユダヤ人をはじめ他のすべてに配られた。
・モルデカイは王の名でその法令を書き、王の指輪で押印した。
・太守、総督から127州全部の首長へ、翻訳されて送られた。
・その書簡は急使で各地に配られた。

11節:その中で王は、どの町にいるユダヤ人たちにも、自分のいのちを守るために集まって、自分たちを襲う民や州の軍隊を、子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、虐殺し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪うことを許した。
12節:このことは、クセルクセス王のすべての州において、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、一日のうちに行うようにということであった。
13節:各州に法令として発布される、この文書の写しが、すべての民族に公示された。それは、ユダヤ人が自分たちの敵に復讐するこの日に備えるためであった。

書簡の内容
・どの町のユダヤ人も自分の命を守るために集合し、
 自分たちを襲う民、軍隊を襲い、女、子供も含め殲滅する。
 家財も奪ってよい。⇒同害報復法
・実施可能時期は、第12のアダルの月の13日の1日間で行うこと。
・ハマンの法令が出たときは、他の民族がその準備をした。
・今回の法令では、ユダヤの民が命を守るために、その準備を始めた。

法的に互いが戦うという策。他の民族はユダヤ人を攻め、ユダヤ人は攻めてくる敵を迎え撃つということ。他民族の側には、真の敵でない限り、後ろめたさがあると想像する。⇒その回避策は?

14節:御用馬の早馬に乗った急使は、王の命令によってせき立てられて、急いで出て行った。この法令はスサの城で発布された。

・急使(御用馬の早馬)は更に王に急き立てられて各地へ!
・この法令はスサの城で発布された。


15節:モルデカイは青色と白色の王服を着て、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって、王の前から出て来た。すると、スサの都は喜びの声にあふれた。

・さて、スサではモルデカイの昇進の披露目があった。
・王服、金の冠、紫色のマント。希少色ゆえに特権階級を示す。
・モルデカイとハマンの逆転が明確化。
・スサの都が喜びの声にあふれた。
ゆえなく、民族を殲滅するという法令には、嫌悪を持つ人が多いということ→ハマンの権威に対する反感。モルデカイへの好感度アップ。

16節:ユダヤ人にとって、それは光と喜び、歓喜と栄誉であった。
17節:王の命令と法令が届いたところは、どの州、どの町でも、ユダヤ人は喜び楽しみ、祝宴を張って、祝日とした。この地の諸民族の中で大勢の者が、自分はユダヤ人であると宣言した。それはユダヤ人への恐れが彼らに下ったからである。

・モルデカイが人々に受け入れられた。
・ユダヤ人殲滅の危機からの解放。

これまで差別的な目で見られていたであろう時に、すべてから解放された!
モルデカイの大逆転は、ユダヤの人々に及んだ
神の働きがあったと思うのは、ユダヤ人なら当然!⇒祈りと断食の効果!
・法令が各地に届いたその日、ユダヤ人は喜び、祝日とした。光、喜び、歓喜、栄誉
・諸民族の中の、争いを嫌う大勢の者たちが、ユダヤ人であると宣言した。

ユダヤ人迫害を企むハマンの死。
ユダヤ人のモルデカイがNo.2就任。
王妃エステルはユダヤ人。
⇒ユダヤ人を敵に回すと大変なことになる!人々は神の働きと認識した。
*結局、ユダヤ人の真の敵、神に反抗する民が残り、ユダヤの民と戦うことになる

絶望に打ち勝つ神の民

ハマンの法令により殲滅されることを覚悟し、様々な方法で逃げようと考えたことでしょう。当然ながら、神の民として孤立しながらも祈ったことは間違いありません。
彼らは捕囚地の民であり、いけにえが捧げられておらず、異邦人とも交わり、祈りが聞き届けられるかという不安はぬぐえたでしょうか?

しかし、神はイスラエルの民を愛し、様々な手を打ち、民を導かれていた。
捕囚の地にいても、民の祈りは神に届いた。


捕囚地にあって、ハマンの法令で、ユダヤ民族が区別されてしまった。
この時期に神は民に、民族の自覚を思い起こさせたのではないか。
私たちも信仰をもって異邦人の中に生きる民であり、この世の価値観に目や耳を奪われてしまうこともあるが、決して神の子であることを忘れてはいけない。
私たちにとって神の民を自覚するということは、神の約束の未来を明確に持ち、神の命令を守り続けること。世の中が私たちをどう攻めようと私たちに絶望はない!

 

『約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。』へブル10:23

2024年03月07日

エステル記9章1節~19節

1節:第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令と法令が実施された。ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたまさにその日に、逆に、ユダヤ人のほうが自分たちを憎む者たちを征服することとなった。
2節:ユダヤ人たちは、自分たちに害を加えようとする者たちを手にかけようと、クセルクセス王のすべての州にある自分たちの町々で集まったが、だれもユダヤ人に抵抗する者はいなかった。彼らへの恐れが、すべての民族に下ったからである。

・アダルの月の13日は、両法令の実施日。(ユダヤ人殲滅&殲滅者への応戦)
・蓋を開ければ、ユダヤ人が征服する結果となった。
・旗振り(ハマン)のいない戦いは、後ろ盾のない戦い。むしろリスキー。
・アダルの月になるまでには、モルデカイの存在感は相当なものとなっていただろう。
この日のために、モルデカイは様々な手段で、ユダヤ人の勝利を画策していたと思われる。
・ユダヤ人に対する恐れは、全国に轟いていた。

3節:諸州の首長、太守、総督、王の役人もみなユダヤ人たちを支援した。モルデカイへの恐れが彼らに下ったからである。
4節:実際、モルデカイは王宮で勢力があり、その名声はすべての州に広がっていた。実に、この人物モルデカイは、ますます勢力を伸ばしたのであった。
5節:ユダヤ人たちは彼らの敵をみな剣で打ち殺し、虐殺して滅ぼし、自分たちを憎む者を思いのままに処分した。

・モルデカイはNo.2の地位にあり、諸州の首長、太守、総督、役人などを味方にした。
・彼の人格や王、王妃の存在が影響したと思われ、その勢力は拡大!
・結果、ユダヤ人は、彼らの敵を自分たちの思いのままに処分した。(殺害、虐殺)

6節:ユダヤ人はスサの城でも五百人を殺して滅ぼし、
7節:また、パルシャンダタ、ダルフォン、アスパタ、
8節:ポラタ、アダルヤ、アリダタ、
9節:パルマシュタ、アリサイ、アリダイ、ワイザタを、
10節:すなわち、ハメダタの子でユダヤ人を迫害する者ハマンの子、十人を虐殺した。しかし、略奪品には手を出さなかった。

・スサ城では、500人を殺し、ハマンの子10人は虐殺。

しかし、略奪品には手を出さなかった。家財を奪って良いとの法令だが、ユダヤ人には富を得るという目的はなかった。

11節:その日、スサの城で殺された者の数が王に報告されると、
12節:王は王妃エステルに言った。「ユダヤ人はスサの城で、五百人とハマンの息子十人を殺して滅ぼした。王のほかの諸州では、彼らはどうしたであろう。ところで、あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。あなたのさらなる望みは何か。それをかなえてやろう。」
13節:エステルは答えた。「もしも王様がよろしければ、明日も、スサにいるユダヤ人に、今日の法令どおりにすることをお許しください。そして、ハマンの息子十人を柱にかけてください。」
14節:そこで王は、そのように実施するように命じた。法令がスサで布告され、ハマンの息子十人は柱にかけられた。
15節:スサにいるユダヤ人はアダルの月の十四日にも集まって、スサで三百人を殺した。しかし、略奪品には手を出さなかった。

・13日のスサ城での死者の報告に対して、王はエステルに望みを尋ねる。
・スサの城での死者は500人とハマンの子10人という結果だが、まだ何か望みはあるか?
・エステルは、スサの都だけに、更に1日の延期とハマンの息子たちを柱にかけることを望む。
死体を柱にかけることで、ユダヤ人に対する迫害の結果はこうなるという見せしめとした。
・エステルの望みは叶い、ユダヤ人は14日に、スサで300人を殺害。家財等は略奪しなかった。
ハマンの息のかかった残党か、反ユダヤ主義民族の存在があったと想像する。
略奪はしなかったユダヤの民。事前の申し合わせがあったと思うが、こうした姿勢が益々ユダヤの民の評価をあげることになる。当然、エステル、モルデカイも!

16節:王の諸州にいる残りのユダヤ人たちも団結して、自分たちのいのちを守り、敵からの安息を得た。すなわち、自分たちを憎む者七万五千人を殺した。しかし、略奪品には手を出さなかった。
17節:これはアダルの月の十三日のことであり、その十四日に彼らは休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。

・諸州のユダヤ人たちは、13日の1日で、敵7万5千人を殺害した。
・最終的に自らの命を守り、安息を得た。
・ここでも、家財の略奪はしなかった。
・ユダヤ人たちは、翌日の14日に休息し、その日を祝宴と喜びの日とした。

18節:しかし、スサにいるユダヤ人たちは、その月の十三日にも十四日にも集まり、十五日には休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。

・スサでは、13、14日と争い、15日に休息し、祝い喜びの日としていた。

19節:それで、城壁のない村に住む田舎のユダヤ人は、アダルの月の十四日を喜びと祝宴の祝日とし、互いにごちそうを贈り交わす日としている。

・城壁のない地方(田舎)に離散するユダヤ人
・アダルの14日に祝宴の祝日とした。
・ごちそうや贈り物を送り交わす日とした。
絶望から勝利へと大転換したこの喜びは、ユダヤ人にとってこの上ない喜びとなった。
神という言葉も祈りも書かれていないが、明らかに神の働きが隅々に現れてユダヤの民は勝利した。
アブラハム契約は常に有効である。神は約束を確実に守られるお方である。
私たちにも、最後の大勝利が約束されていることを覚えよう!

真の勝利とは

ハマンの計略によるユダヤ人殲滅に加え、家財まで奪って良いという法令は、ひと財産稼ごう!と考えて、ユダヤ人殲滅を受け入れる者も想定していたと思われる。
ハマンの計略は、人の物欲に刺激を与え、人々を誘導しているようにも見える。
神の働きか、自分たちで決めたのかは不明だが、ユダヤ人は、争いにおいて敵の家財を奪って良いという法令だったのに、実際には、手を付けなかった。

 

ハマンの計略のように、世は人が持つ様々な欲望や恐れに誘いをかけて罪に導き、神の領域から私たちを引きはなそうと働く。
たとえ財を得ても、ましてや人の不幸で財を得ても、そうして地位を得ても、一時的な満足であって、神が示す永遠の真の勝利には結びつかない。
私たちが与えられている勝利は、財や富、地位によって得られるものではない。
絶大なる神に信頼する『真の信仰』によって得られる安らぎの大勝利である。

 

イエスは、周囲を見回して、弟子たちに言われた。「富を持つ者が神の国に入るのは、なんと難しいことでしょう。」 マルコ10:23


 

2024年03月15日

エステル記9章20節~10章3節

20節:モルデカイはこれらのことを書いて、クセルクセス王のすべての州の、近い所や遠い所にいる、すべてのユダヤ人に書簡を送った。
21節:それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十五日を、
22節:自分たちの敵からの安息を得た日、悲しみが喜びに、喪が祝いの日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り交わし、貧しい人々に贈り物をする日と定めるためであった。
23節:ユダヤ人は、すでに守り始めていたことであるが、モルデカイが彼らに書き送ったことを受け入れた。

・モルデカイは、全州のユダヤ人たち全員に書簡を通して通達した。 
毎年アダルの月の14日と15日を⇒・安息を得た日に・悲しみが喜びに・喪が祝いに、変わった月として⇒祝宴と喜びの日とし⇒ごちそうを交わし、貧しい人々に贈り物をする日と定めた。
・すでにユダヤ人たちはそのようにし始めていた。
・ユダヤ人たちはその指示を受け入れた。

24節:実に、アガグ人ハメダタの子で、ユダヤ人すべてを迫害する者ハマンは、ユダヤ人を滅ぼそうと企んで、プル、すなわちくじによって決め、彼らをかき乱して滅ぼそうとしたが、
25節:そのことが王の耳に入ったときに、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対して企んだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたのであった。

・22~23節に至った経緯
・ハマンはプル(くじ)によって、ユダヤ人殲滅計画の実行日を決め、殲滅を図った。
・これは、悪い計略であり、王はそれを知り、ハマンの悪い計略をハマンに返した。
・結果、ハマンと子達は柱にかけられることとなった。
王の行動を評価している。書簡を出すためか。

26節:こういうわけで、ユダヤ人はプルの名にちなんで、これらの日をプリムと呼んだ。

・プルにちなんで、これらの日(14~15日)をプリムと呼んだ。プリムの祭りの由来。

現在のプリムの祭りは、仮装して祝う祭り(エステルになったり・・)。

プリムの祭りの日は、酔いつぶれるまで酒を飲んでもOK(当時がどうだったかは?)

ハマンタッシェンクッキー(けしの実とジャムのクッキー)を食べる。ハマンの耳の形が三角形だったと言われている。 オズネイ・ハマン(ハマンの耳の意)

 

こうして、この書簡のすべてのことばにより、また、このことについて彼らが見たこと、また彼らに起こったことにより、
27節:ユダヤ人は、自分たちとその子孫、および自分たちにつく者たちが、その文書のとおりに毎年定まった時期にこの両日を守り行い、これを廃止してはならないと定めた。
28節:また、この両日は代々にわたり、すべての家族、諸州、町々において記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日がユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記憶が自分たちの子孫の中で途絶えてしまわないようにした。

・通達された内容


29節:アビハイルの娘である王妃エステルと、ユダヤ人モルデカイは、プリムについてのこの第二の書簡を全権をもって書き記し、確かなものとした。
30節:この書簡は、平和と誠実のことばをもって、クセルクセスの王国の百二十七州にいるすべてのユダヤ人に送られ、
31節:ユダヤ人モルデカイと王妃エステルがユダヤ人に命じたとおり、また、ユダヤ人が自分たちとその子孫のために、断食と哀悼に関して定めたとおり、このプリムの両日を定まった時期に守るようにした。
32節:エステルの命令はこのプリムに関する事柄を義務づけ、書物に記された。

・エステル妃とモルデカイの2回目の書簡(プリムの日と制定した書簡)。

・王の功績(24~25節)が示されているところが、現実味を帯びて聞こえる。
・この書簡は127州の全ユダヤ人に送られた。
エステル、モルデカイの書簡による命令の通り、ユダヤ人が自分と子孫のために、断食と哀悼に関して定めた通り⇒プリムの日を守るようにした。今日も続いている。
神の民としてのアイデンティティを呼び起こし、後世に伝えるために!
・エステルの命令は義務として書物に記された。

捕囚下にある民にとって、殲滅から解放されたこの事件は、出エジプトの奇蹟を思わせる神の働きであり、故にこの日を記憶することを決めたと考える。

10章
1節:クセルクセス王は本土と海の島々に苦役を課した。
2節:彼の権威と勇気によるすべての功績、王に重んじられたモルデカイの偉大さについての詳細、それは『メディアとペルシアの王の歴代誌』に確かに記されている。
3節:実に、ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王の次の位にあって、ユダヤ人にとっては大いなる者であり、多くの同胞たちに敬愛された。彼は自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語る者であった。

・クセルクセス王の業績が示される。新共同:税を課した。
・そうした政治活動に大きく貢献したのがモルデカイではなかったかと想像する。
・クセルクセス王とNo.2のモルデカイの功績の詳細の記載⇒『メディアとペルシアの王の歴代誌』
・モルデカイのNo.2としての活躍は同胞に敬愛された。次に続く人への影響大!
・モルデカイは自分の民の幸福と全ユダヤ民族に平和を語った。
新共同:・・彼はその民の幸福を追い求め、そのすべての子孫に平和を約束した。
最後はモルデカイで終わっているエステル記。真の主役は彼であろう。
彼は民族の生存を最優先に活動し、民族の子孫の平和を求めた人物。
神に喜ばれる行動を最優先とし、神に信頼する真の信仰者であった。

 

信仰の在り方

捕囚地に暮らすユダヤ人にとって、神殿に生贄が捧げられない状況であり、神との繋がりが図れない環境下にあります。

ユダヤ人によっては、益々異邦人化する者もいれば、なお、心に神を置き、神に信頼する、真の信仰者もいた。その一人がモルデカイです。
世に迎合することなく、神に信頼し、神の御心を良く学び、神に喜ばれる歩みをしたからこそ、神に用いられたと想像します。

 

私たちは、恵みの時代にあって、イエス様を信じる信仰を認められて救われました。
かつて私たちは、永遠の死へと向かう人生を一所懸命歩んでいました。それが、救われたということは、このエステル記の逆転の大勝利を得たのと同じ恵みです。
世に迎合することなく、すでに約束された勝利を確信して感謝して、モルデカイのように神が喜ばれる歩みを続け、神に用いられる器として歩みましょう。

 

「善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。」 へブル13:16


2024年03月22日

ダニエル書1章1節~6節

ダニエル書事前情報

著者:ダニエル

ダニエルの意味は、「神はさばきたもう」、「神はわがさばき主」。
ユダ族出身で、王族の一人。
BC605年に、捕囚民としてバビロンに連行されて来た。
当時は少年であった。他の若者たちと、バビロンの官吏となる訓練受ける。

活動期間

ネブカドネツァル王~ベルシャツァル王~メディアのダレイオス王~ペルシアのキュロス王
捕囚のBC605年~BC536年(キュロス王の第三年)までほぼ捕囚期間中4人の王に仕えた。捕囚から解放まで、政治の中枢に置かれ、活動した。

 

歴史的背景

BC612年:ニネべ(アッシリヤ)の滅亡
BC609年:ネブカドネツァルがバビロン王となる
BC605年:バビロンがアッシリヤ帝国を滅ぼし、エルサレムを攻め、初の捕囚。ダニエル     も含む。ここからエジプトとの覇権争い。エホヤキム王はエジプトのネコ王に     付くが、失敗する。
BC597年:2回目の捕囚。エホヤキム王などの指導者1万人をバビロンへ捕囚。
BC586年:3回目のエルサレム攻撃で陥落。当時の王はゼデキヤ王。(悲惨な王)
BC539年:メド・ペルシア連合軍によりバビロン滅亡。メディア王ダレイオスがバビロン     の王となる。
BC538年:キュロス2世がメディア王家を滅ぼし、バビロンを征服。捕囚民への帰還命令     を発令。

バビロンの王位継承
ネブカドネツァル王→エビル・メロダク王→ナボニドス王→ベルシャツァル王→ダレイオス→キュロス


1章
1節:ユダの王エホヤキムの治世の第三年に、バビロンの王ネブカドネツァルがエルサレムに来て、これを包囲した。
2節:主は、ユダの王エホヤキムと、神の宮の器の一部を彼の手に渡された。彼は、それをシンアルの地にある自分の神の神殿に持ち帰り、その器を自分の神の宝物倉に納めた。

ユダの王エホヤキムの治世の第3年(BC605年)。
バビロンの王ネブカドネツァルに包囲された。
主はバビロンを用いてイスラエルを裁かれたとされている。
神の宮の器の一部、エホヤキム王を、ネブカドネツァル王に渡した。エホヤキム王が実際にバビロンに連行されるのはBC597年で、指導的立場の人間1万人をバビロンに移したとされる。
ネブカドネツァル王は、神の宮の器をシンアルの地にある神の神殿に納めた。
シンアルの地⇒かつて、元祖帝国主義者ニムロデが築いた古代バビロニア帝国の中心地。
彼の神⇒マルドゥク神:シュメール語で「太陽の若き雄牛」の意。武器は「洪水」。
          :この神は両親を持つ神とされ、結局、人間による偶像であること           は明白。

3節:王は宦官の長アシュペナズに命じて、イスラエルの人々の中から、王族や貴族を数人選んで連れて来させた。
4節:それは、その身に何の欠陥もなく、容姿が良く、あらゆる知恵に秀で、知識に通じ、洞察力に富み、王の宮廷に仕えるにふさわしく、また、カルデア人の文学とことばを教えるにふさわしい少年たちであった。
5節:王は、王が食べるごちそうや王が飲むぶどう酒から、毎日の分を彼らに割り当てた。三年間、彼らを養育して、その後で王に仕えさせることにした。
6節:彼らのうちには、ユダ族のダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤがいた。

宦官の長アシュペナズ・・政府高官であり、去勢された人。しかし実際に去勢されていたかは不明。
ネブカドネツァル王はアシュペナズに、王や貴族出身の有能な少年を、カルデアの文化、言語を学ばせるために人選するよう命じた。条件は、体は欠陥がなく、容姿端麗、知識・洞察力に富む者。
捕囚の初期段階であり、王家、貴族からの人選から、彼らは人質としての役割もあったと思われる。
選ばれた者は、王より3年間養育され、その後宮廷に仕えることが決められていた。(宦官候補生)
選ばれた者の中に、ユダ族のダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤがいた。
イザヤがヒゼキヤ王に語った預言(イザヤ39:5~7)⇒「・・あなた自身の息子たちの中には、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者がいる。」
カルデヤ人のことば⇒アラム語。捕囚の民としての苦難のひとつ。


主は主権をもって捕囚を実行された

捕囚に至るまでのイスラエルの民の過ちは、神の怒りに触れることになった。
偶像礼拝と7年毎の安息規定違反(490年÷7年=70年間。Ⅱ歴36:17~22)
キュロスの帰還命令から逆算すれば、ヨシア王の死からと考えられるが諸説あり。
真の神を軽視し偶像を拝む民は、偶像を拝する国民のもとに70年間送られた。
これは全て、神の主権によってなされたこと。
ユダヤの民として約束が守られていないことが問題である。このことに気付かせるために、神は捕囚を実行させたのである。
捕囚前から、イザヤなどが神の裁きと共に希望を預言していた。つまり神は、決して救いの道を断つことはなさらない!

 

私たちの人生においても常に神は主権をもって導いておられる
私たちの神という言葉そのものに、主権を認める意識が必要ではないでしょうか。
神を知れば知るほど、益々その絶大さに気付き、神の御前に自然に謙虚になる。
神と対話するときは、自分を下げるというのではなく、神を見上げ、目線を上げましょう!
私たちは、神に召された特権者。わたしたちにこんな良いことをされた神をたたえましょう!
神を完全なお方と認めることは、神の絶対的主権を素直に認める人になります。
神の絶対的主権に対して、神のみを見上げて歩む信仰で応答して歩みましょう!

2024年04月04日

ダニエル書1章7節~2章13節

7節:宦官の長は彼らに別の名前をつけた。すなわち、ダニエルにはベルテシャツァル、ハナンヤにはシャデラク、ミシャエルにはメシャク、アザルヤにはアベデ・ネゴと名をつけた。
8節:ダニエルは、王が食べるごちそうや王が飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定めた。そして、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願うことにした。
9節:神は、ダニエルが宦官の長の前に恵みとあわれみを受けられるようにされた。
10節:宦官の長はダニエルに言った。「私は、あなたがたの食べ物と飲み物を定めた王を恐れている。あなたがたの顔色が同年輩の少年たちよりもすぐれないのを、王がご覧になるのはよいことだろうか。あなたがたのせいで、私は王に首を差し出さなければならなくなる。」

カルデア人名を付けられる4人。
ダニエル「神はさばきたもう」⇒ベルテシャツァル、

ハナンヤ「主は恵みを示す」⇒シャデラク

ミシャエル「神のような者は誰か」⇒メシャク、

アザルヤ「主は助ける」⇒アベデ・ネゴ
ダニエルらは食物規定を守ることを決めていた・・律法不従順が捕囚原因の一つと考えていたためか。
神はダニエルの意向を知り、その願いが宦官の長アシュペナズに届くようにされた。【神の主権が発動】

ダニエルが食物規定のことを話すと、宦官の長は申し訳なさそうに断る。食事の質を落として、それが王にばれたら、私は殺されてしまうからと言う。
ダニエルは、何とか依頼するが宦官の長も、これだけは聞くわけにはいかないと頑なだった。

王の食事と葡萄酒:血が滴る肉、生焼け肉、偶像に捧げられた肉、偶像礼拝で飲まれる葡萄酒。

11節:そこでダニエルは、宦官の長がダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤのために任命した世話役に言った。
12節:「どうか十日間、しもべたちを試してください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。
13節:そのようにして、私たちの顔色と、王が食べるごちそうを食べている少年たちの顔色を見比べて、あなたの見るところにしたがって、このしもべたちを扱ってください。」
14節:世話役は彼らのこの申し出を聞き入れ、十日間、彼らを試した。
15節:十日が終わると、彼らは、王が食べるごちそうを食べているどの少年よりも顔色が良く、からだつきも良かった。
16節:そこで世話役は、彼らが食べるはずだったごちそうと飲むはずだったぶどう酒を取り下げ、彼らに野菜を与えることにした。

ダニエルは世話役に提案→10日間のトライアル!(宦官の長には秘密)
『野菜と水だけで10日間過ごし、王のごちそうを食べる少年と顔色を比較してください。』

偶像礼拝に関係しない食物という意味の「野菜」である。彼らの律法への従順さの表明である。
10日間の後、この4人はむしろ他の少年より顔色も体格も良かった。
世話役は葡萄酒などは取り下げ、安心して彼らの希望通りの食事に変更した。
世話役の得:世話役は、良い葡萄酒が手に入ることになる。
・神の働きは、ダニエルの従順を支え、また、支援する者を祝福した。

17節:神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を理解する力と、知恵を授けられた。ダニエルは、すべての幻と夢を解くことができた。
18節:少年たちを召し入れるために王が命じておいた日数が終わったので、宦官の長は彼らをネブカドネツァルの前に連れて行った。
19節:王が彼らと話してみると、すべての者の中でだれもダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤに並ぶ者はいなかった。そこで四人は王に仕えることになった。

20節:王は、知恵と悟りに関わる事柄を彼らに尋ねたが、彼らがそのすべてにおいて、国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっていることが明らかになった。

21節:ダニエルはキュロス王の元年までそこにいた。

神は、3年の間に、4人に才覚を与えて育成し、ダニエルには幻と夢を解き明かす力を与えた。
宦官育成期間が終わり、王の評価を受ける。結果は4人ともずば抜けた知識、知恵であった。
彼らは、国中の知恵者(呪法師、呪文師)よりも十倍まさっていたとされる若者である。
ダニエルは、キュロス王の元年まで、そこにいた。つまりバビロンにいて、用いられた。
ダニエルの生涯:ダニエルが最後に仕えた王はキュロス2世。彼は人生のほとんどを、バビロンで過ごした。10:1にキュロス王治世の第3年の記載あり。

2章
1節:ネブカドネツァルの治世の第二年に、ネブカドネツァルは何度か夢を見た。そしてそのために心が騒ぎ、彼は眠れなかった
2節:そこで王は命令を出し、呪法師、呪文師、呪術者、カルデア人を呼んで、王にその夢の意味を告げるように命じた。彼らが来て王の前に立つと、
3節:王は彼らに言った。「私は夢を見たのだが、その夢の意味を知りたくて私の心は騒いだ。」
4節:カルデア人たちは、アラム語で王に告げた。「王よ、永遠に生きられますように。どうぞその夢をしもべどもにお話しください。そうすれば、私どもはその意味をお示ししましょう。」
5節:王はカルデア人たちに答えた。「私の言うことは絶対である。もし、おまえたちが私にその夢とその意味を告げることができなければ、おまえたちは手足をばらばらにされ、おまえたちの家はごみの山となる。
6節:しかし、もし夢とその意味を示せたら、贈り物と報酬と大きな栄誉を私から受けることになる。だから、夢とその意味を私に示せ。」
7節:彼らは再び答えた。「王が、しもべどもにその夢をお話しくださいますように。そうすれば、私どもは意味をお示ししましょう。」

ネブカドネツァル王の治世の第二年に、王は何度か夢を見た。かなりの不安が襲う。
夢の解き明かしを、呪法師、呪文師、呪術者、カルデア人に命じた。(ダニエルらはカルデア人の名前を付けられていることに注目)
カルデヤ人はいつもの通り、アラム語で夢の内容を問うが、王は難題を吹きかける。不安の裏返し。
「私が見た夢とその意味を示せば、報奨を授けるが、できなければ死ぬことになる!」
命じられた者たちは、夢の内容について解き明かす通常のやり方を求めるが、・・
招集された職種:呪法師、呪文師、呪術者、カルデヤ人(未来を占う占星術師の意味)
⁂2章4節から7章の終わりまで、原書はアラム語で書かれている。


8節:王は答えた。「私には、はっきり分かっている。おまえたちは私の言うことが絶対であると分かっているので、時をかせごうとしているのだ。
9節:もしおまえたちがその夢を私に告げないなら、おまえたちへの判決はただ一つだ。おまえたちは時が変わるまで、偽りと欺きのことばを私の前に述べようと決めている。だから、どんな夢かを私に言え。そうすれば、おまえたちがその意味を示せるかどうか、私に分かるだろう。」
10節:カルデア人たちは王の前で答えた。「この地上には、王の心のうちを明らかにできる者は一人もおりません。どんな偉大な権力のある王でも、このようなことを呪法師や呪文師、あるいはカルデア人に尋ねたことはかつてありません。
11節:王がお求めになっていることは、難しいことです。肉なる者と住まいをともにされない神々以外に、それを王の前に示すことができる者はおりません。」

ネブカドネツァル王の厳しい言葉・・・それは、王の不安、不信の表れでもある。
「自分たちは夢が分からず、そうであれば必ず処刑されると知り、時間稼ぎをしているだけだ!
嘘、偽りを言って時間を稼ぎ、私の考えが変わるまで時間稼ぎをしているに違いない。とにかく、私の見た夢がどうだったかを言え!そうすれば、私はお前たちの実力を知ることができるじゃないか!それが出来ないのであれば、お前たちは即刻、処刑だ!」
カルデヤ人たちは、「未だかつてそのような命令を出した王は一人もいない。」「神以外にそんなことができる者はいません。」と言って冷静を求めるのだが・・・
・神は様々な方法で、ダニエルの持つ夢解きの力を公にしようと導かれた。
・王に対してカルデヤ人たちは、神の力の存在を暗に示している。

12節:王は怒り、大いにたけり狂い、バビロンの知者をすべて滅ぼせと命じた。
13節:この命令が発せられたので、知者たちは殺されることになった。また人々は、ダニエルとその同僚たちさえ捜して殺そうとした。
ネブカドネツァル王の怒りは極限まで達し、知者の皆殺しを命じた。それは、呼び出された知者以外も全員対象ということ。・・・王自ら語った8節の「絶対に実行する!」を実践した。
王の知者たちに対する不信感が、一気に爆発したということであろう。
知者というものは、全員偽物だ!(役に立たない者は死あるのみ!)
従って、若きダニエルとその仲間たちもそのとばっちりを食らうことになった。

 

王の支配下にあって、 ユダヤ人として生きようとする若者たち

捕囚下にあり、さらに王の養育下にある中で、ダニエル他3人はユダヤ人として生きようとする。
日常の食事についても、律法に従う姿勢を示す。簡単ではないが、しかし神は助けて下さる。
捕囚の原因は神への裏切りだと知る彼らは、律法に従うとともに、神を心から信頼した。
こうした彼らの行動を神はご存じで、その先々ですべてを備えておられる。
彼らが知ろうと知るまいと、神はどんな時でもどんな場所でも成長させ、それを喜んでおられる。

私の想像ですが、この若者たちは、それぞれユダヤ人として日々をどう生きるかを話し合っていたと思われます。たぶん、それが学びと実践であり、そこに神が介在し、彼らは捕囚の地にあっても、神にどんどん育成されていたのだろうと・・

 

常に育成されている私たち 

    それは、新しくされ続けているということ

悪魔の支配下にあり、まるで捕囚下にあるようなこの時代。
実は、それは神を知らない人たちの実態であり、私たちは違う!
物理的にはそう見えても、私たちは主を信じた時点で、神の子となる育成過程に入ったのです。
人は死ぬまで勉強!と言われますが、まさしくそれはクリスチャンへのことば。
私たちの師は、もう主、神、御霊となり、それ以外に視線を向けるところはありません!
私たちは新しく生まれた者であると共に、新しくされ続けられる者なのです。
私たちには御霊が内住し、どんな時もどんな場所でも、新しくされ続けるのです。
だからこそ、神の気付きの促しに、ダニエルのように素直に、敏感に、前向きに順応しましょう!

2024年04月11日

ダニエル書2章14節~49節

14節:そのとき、ダニエルは、バビロンの知者たちを殺すためにやって来た王の親衛隊長アルヨクに、知恵と思慮深さをもって応対した。
15節:彼は王の全権を受けたアルヨクにこう言った。「どうしてこんなに急な命令が王から出たのでしょうか。」すると、アルヨクは事の次第をダニエルに知らせた。
16節:そこでダニエルは王のところに行き、王にその夢の意味を示すため、しばらくの時を与えてくれるよう願った
17節:それからダニエルは自分の家に帰り、自分の同僚のハナンヤ、ミシャエル、アザルヤにこのことを知らせた。
18節:それは、ダニエルとその同僚たちがほかのバビロンの知者たちと一緒に滅ぼされることがないように、この秘密について天の神にあわれみを乞うためであった。

ダニエルは処刑執行のために来た親衛隊長アルヨクに冷静に応対した。(知恵と思慮深さ)
ダニエルは王に会い、同じく冷静に王と話し、しばらくの時間を願った。
ここで、王は冷静になっている。ダニエルの冷静な対応に応答したものであり、時間も譲歩した。
家に帰り、仲間三人(ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤ)に知らせ、共に天の神にあわれみを乞うた。
ダニエルの態度:感情的にならず、冷静に情勢を把握しようとする。親衛隊長から王まで、すべての者が受ける印象に注目。
神の働き(摂理):与えられた環境で精一杯の活動をする姿勢が自然に神の働きへと繋がる

19節:そのとき、夜の幻のうちにこの秘密がダニエルに明らかにされた。ダニエルは天の神をほめたたえた。
20節:ダニエルはこう言った。「神の御名はほむべきかな。とこしえからとこしえまで。知恵と力は神のもの。
21節:神は季節と時を変え、王を廃し、王を立てる。知恵を授けて賢者とし、知識を授けて悟りのある者とされる。
22節:神は、深遠なこと、隠されていることを明らかにし、闇の中に何があるかを知り、ご自分の内に光を宿される。
23節:私の父祖の神よ。私はあなたに感謝し、あなたを賛美します。あなたは私に知恵と力を授け、今、私たちが尋ねたことを私に明かし、王の心のうちを私たちに明かしてくださいました。」
24節:それでダニエルは、王がバビロンの知者たちを滅ぼすために任じたアルヨクのもとに行き、彼にこう言った。「バビロンの知者たちを滅ぼしてはなりません。私を王の前に連れて行ってください。私が王に夢の意味をお示しします。」

早速、その夜のダニエルの幻のうちに王の夢の秘密が明らかにされた。
ダニエルの喜びはどれほどであっただろうか。

その喜びが20~23節の賛美に表されている。
20節:神は全知全能なる偉大なるお方。賛美!
21節:神の支配は全世界。その王も支配される。その王に知恵や悟りを与えられる神。
22節:神の御前に不可解なことは何もない。神はすべてを明らかにする光である。
23節:王の望むことを、私たちに教えてくださり感謝し、賛美します。(救いへの感謝)
ダニエルは、王の夢の意味が分かったことを伝え、アルヨクの死刑執行を思い留まらせた。
神の働き:神は、ダニエルの夢解きの力を公にし、且つ、世に神の存在を示そうとされた。
賛美:神の働きがあったとき、自然に賛美する姿勢になりたいと私は考えます。
   詩編71:8 「私の口にはあなたへの賛美が あなたの栄が絶えず満ちています。」

25節:そこで、アルヨクは急いでダニエルを王の前に連れて行き、王にこう言った。「ユダからの捕虜の中に、王に夢の意味を告げることができる男を見つけました。」
26節:それで王は、ベルテシャツァルという名のダニエルに言った。「私が見た夢とその意味を、本当に私に告げることができるのか。」
27節:ダニエルは王に答えた。「王が求めておられる秘密を王にお示しすることは、知者や、呪文師、呪法師、占星術師などにはできません。
28節:しかし天に秘密を明らかにするひとりの神がおられます。この方が終わりの日に起こることをネブカドネツァル王に示されたのです。あなたの夢、寝床であなたの頭に浮かんだ幻は次のとおりです。
29節:王よ。あなたが寝床で思い浮かべていたのは、これから起こることです。秘密を明らかにされる方が、これから起こることをお示しになったのです。
30節:この秘密が私に明らかにされたのは、すべての生ける者にまさって私に知恵があるからではなく、その意味が王に告げられることによって、あなたの心の思いをご自身がお知りになるためです。

アルヨクは、自分の手柄でもあるかのように、ダニエルを王の前に連れ出した。
王は不安げである。ダニエルは自信に満ちて言葉を発する。
王が求めている秘密は神が明らかにされます。それは、これから後に起こることです。
「私ダニエルに知恵があるからではなく、王が心の思いを知るために、神がなさったのです。」
そして、いよいよ王が見た夢の説明が始まります。

謙虚さ:常に神を中心に行動するダニエル。親衛隊長と違って、自分の手柄とするところのないダニエル。

31節:王よ。あなたが見ておられると、なんと、一つの巨大な像が現れました。この像は巨大で、異常な輝きを放って、あなたの前に立っていました。その姿は恐ろしいものでした。
32節:その像は、頭は純金、胸と両腕は銀、腹とももは青銅、
33節:すねは鉄、足は一部が鉄、一部が粘土でした。
34節:あなたが見ておられると、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを粉々に砕きました。
35節:そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金も、みなともに砕け、夏の脱穀場の籾殻のようになり、風がそれを運んで跡形もなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土をおおいました。

ひとつの巨大な像。異常な輝きを放つ。恐ろしい存在に感じる。
頭は純金、胸と両腕は銀、腹とももは青銅、すねは鉄、足は一部が鉄で一部が粘土。
一つの石が切り出され、その像の鉄と粘土の足を粉砕した。
その時、像のすべては砕け、もみ殻となって風に飛ばされて無くなった。
像を打ったその石は大きな山となって全土を覆った。
王の心:不気味な夢である。見た夢を言い当てた者が存在したことに驚きと喜びがあった。

36節:これがその夢でした。私たちはその意味を王の前に申し上げましょう。
37節:王の王である王よ。天の神はあなたに国と権威と力と栄誉を授け、
38節:また人の子ら、野の生き物、空の鳥がどこに住んでいても、これをことごとくあなたの手に与えて、治めさせられました。あなたはあの金の頭です。
39節:あなたの後に、あなたより劣るもう一つの国が起こり、その次の第三の青銅の国が全地を治めるようになります。
40節:そして第四の王国ですが、それは鉄のように強い国です。鉄はすべてのものを砕いてつぶしますが、その国は、打ち砕く鉄のように、先の国々をすべて粉々に砕いてしまいます。
41節:あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国にはある程度までは鉄の強さもありますが、あなたがご覧になったように、その鉄は粘土と混じり合っています。
42節:その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。
43節:鉄と粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは子孫の間で互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。

天の神の主権で王は地上の支配者となった。→バビロン帝国が金の頭。
王の次に、王より劣る国が起こる。→メディア・ペルシア帝国が銀の胸と腕。
その国の後の第3の帝国が全地を治める。→ギリシア帝国が銅の腹ともも。
第4の帝国は鉄のように強く、国々を粉砕する。→ローマ帝国が鉄の脛(すね)。
第5は10に分裂した国々の共同体。足と指が鉄と粘土。強さはあるが脆い共同体で、団結できない。
第4→第5の移行:帝国というスタイルから、バラバラな国々となることを示す。

        婚姻して混ざり合うが、一つにはならない。(新共同)

 


44節:この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国はほかの民に渡されず、反対にこれらの国々をことごとく打ち砕いて、滅ぼし尽くします。しかし、この国は永遠に続きます。
45節:それは、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのを、あなたがご覧になったとおりです。大いなる神が、これから後に起こることを王に告げられたのです。その夢は正夢で、その意味も確かです。」

天の神による国。永遠に不滅の国。

第5の国々は滅ぼされる。
それは、金、銀、銅などの人間による支配を、神が打ち砕かれるということ。
メシア的王国が他国の王の夢によって示された。まさに人類への預言である。
この預言の真実は何十年も、何百年も過ぎなければ分からない。
しかし、王の見た夢を言い当てたという事実は、この夢の真実を保証している。
夢の解き明かし:捕囚されたユダヤ人に、異邦人の王を用いて示された未来。
        神は、確実に捕囚の民を導かれるという確信をダニエルたちに与えた。

46節:それで、ネブカドネツァル王はひれ伏してダニエルを拝し、ささげ物と芳ばしい香りを彼に献げるように命じた。
47節:王はダニエルに答えた。「あなたがこの秘密を明らかにすることができたからには、あなたがたの神こそ、神々の中の神、王たちの主、また秘密を明らかにする方であるに違いない。」
48節:そこで王は、ダニエルを高い位に就けて、多くのすばらしい贈り物を与え、バビロン全州を治めさせて、バビロンのすべての知者たちをつかさどる長官とした。
49節:王は、ダニエルの願いによって、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに、バビロン州の行政をつかさどらせた。しかしダニエルは王の宮廷にとどまった。

王はダニエルを拝した。これはダニエルの神を、王が拝したということ。当時の常識とのこと。
王は、ダニエルの神が神々の中の神、秘密を明らかにする神、と宣言した。
王はダニエルに褒美を与え、バビロン全州を任せ、すべての知者の長官とした。
ダニエルは3人の仲間にバビロンの行政を任せ、ダニエルは王宮にとどまった。ダニエルの地位は相当に高いものと想像される

若きダニエルの出世:1章20節で述べられたダニエルとその仲間の優秀さがここに示されている。
命の恩人:一夜にして占星術師をはじめとする知者の命を救ったダニエル。
    イエス様を拝みに来る約500年後の東方の博士(バビロン)は占星術師。彼らの情報源はダニエルによると言われる。

異邦人の王を介して示された神の預言

異邦人の王を介して示された預言は様々な結果をもたらした。
神のご計画は着々と展開し、いずれはメシア的王国が約束されていることが示された。
この預言の詳細は、7章以降の預言的箇所でさらに説明される。
神の預言はこの時、王に平安を与え、すべての人にも有益に働いた。特に、ダニエルとその仲間の出世は当時捕囚されたユダヤ人たちに大きな励ましとなり、助けとなったと思う。
ダニエルは決して自己主張せず、謙虚に、冷静に、素直に目の前のことに最善を尽くした。
神は、捕囚の地でも確実にイスラエルの民を祝福へと導いておられることが分かる。
ダニエルは自然に、真っ先に神に賛美を捧げて喜んだ。

 

神を喜びたたえる

ダニエルは命の危険があるにもかかわらず、冷静に事態を把握し、自分の最善を実行した。
彼はまだ若者であったが、この時の冷静さは、彼に接する人を落ち着かせ、冷静にさせた。
そんなダニエルは、死を目の前にしながらも、仲間と共に信頼する神に心の目を向け、神に素直に向かった。
神の応答は、幻となってダニエルに示された。この時の彼らの感動は、どれほどだったことか。
更に注目は、ダニエルの喜びが神への賛美となって、何よりも先に彼の口から出てきたこと。
ダニエル、そしてダビデもそうだが、神を心の底からたたえている。それこそが真の礼拝者ではなかろうか。



 

2024年04月21日

ダニエル書3章1節~30節

1節:ネブカドネツァル王は金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトであった。彼はこれをバビロン州のドラの平野に建てた。
2節:そして、ネブカドネツァル王は人を遣わして、太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官を召集し、ネブカドネツァル王が建てた像の奉献式に出席させることにした。
3節:そこで太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官は、ネブカドネツァル王が建てた像の奉献式に集まり、ネブカドネツァルが建てた像の前に立った。
4節:伝令官は力強く叫んだ。「諸民族、諸国民、諸言語の者たちよ。あなたがたはこう命じられている。
5節:あなたがたが角笛、二管の笛、竪琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞いたときは、ひれ伏して、ネブカドネツァル王が建てた金の像を拝め。
6節:ひれ伏して拝まない者はだれでも、即刻、火の燃える炉に投げ込まれる。」
7節:それで、すべての民が角笛、二管の笛、竪琴、三角琴、ハープ、および、もろもろの楽器の音を聞いたとき、諸民族、諸国民、諸言語の者たちは、ひれ伏して、ネブカドネツァル王が建てた金の像を拝んだ。

ネブカドネツァル王は金の像を建立。

建立の年は、70人訳聖書からBC586年(イスラエルの完全征服、神殿崩壊の年)と言われている。(ダニエルと仲間は30代後半か)
H60キュビト×W6キュビト→約27m×約2.7m。10:1の比率
どのように支えたかは不明だが、何とも不安定な像。純金ではなさそう。

ドラの位置は不明。砦の外?
すべての高官を招集。(高官名はアラム語やペルシア語が混在→多国籍を象徴している)
奉献式の日に示された王の命令。
奏楽が聞こえたら、ひれ伏し、ネブカドネツァル王建立の像を拝め!
拝まぬ者は、即刻その脇にある火の炉に投げ入れられる。(像の建立と共に備えられていた)

建立の目的とは:
かつてのイスラエルの神の神殿を崩壊し、自分の神の優位性が示されたことを表すため。
様々な捕囚民の多国籍状態にあって、バビロンへの忠誠を示させる狙い。

8節:このため、この機会に、あるカルデア人たちが進み出て、ユダヤ人たちを中傷して言った。
9節:彼らはネブカドネツァル王に告げた。「王よ、永遠に生きられますように。
10節:王よ。王は『角笛、二管の笛、竪琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞く者は、すべてひれ伏して金の像を拝め。
11節:ひれ伏して拝まない者はだれでも、火の燃える炉の中へ投げ込め』と命令されました。
12節:あなたがバビロン州の行政をつかさどらせた何人かのユダヤ人がおります。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴです。王よ。この者たちはあなたを無視して、あなたの神々に仕えず、お建てになった金の像を拝みもいたしません。」
13節:ネブカドネツァルは怒り狂い、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来るように命じた。それでこの三人は王の前に連れて来られた。

カルデヤ人→知者(占星術師)王の夢の件でダニエルに命を助けられた者たちかどうかは不明。605年~586年=19年が経過している。
『中傷』→言語では「食いちぎる」のような意味。相当のマイナス思考が働いているのは明白。
3人の仲間はバビロン州の行政担当で高い地位にいる。ここぞとばかりに、彼らを告発。日頃の鬱憤か。
エステル記のモルデカイも、この3人と同じ態度をとった。
王は激怒し、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの3人を呼び出した。

捕囚地に生きること:
文化の違いから食物規定などの問題が生じる
神が忌み嫌われる偶像礼拝が、深刻な問題である。
優秀な人への言われのない嫉妬、やっかみ。反ユダヤ主義につながる。

14節:ネブカドネツァルは彼らに対して言った。「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴよ。おまえたちは私の神々に仕えず、また私が建てた金の像を拝みもしないというが、本当か。
15節:今、もしおまえたちが、角笛、二管の笛、竪琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞いたとき、ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよい。しかし、もし拝まないなら、おまえたちは、即刻、火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からおまえたちを救い出せるだろうか。」
16節:シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは王に答えた。「ネブカドネツァル王よ、このことについて、私たちはお答えする必要はありません。
17節:もし、そうなれば、私たちが仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ、あなたの手からでも救い出します。
18節:しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません。」

ネブカドネツァル王は、事の真意を確かめるかのように、一応、確認する。王の威厳でもある。
拝むなら赦す。しかし、もし報告の通りこの像を拝まないなら、像の脇の火の炉行きだ!
お前の神は、この王からお前たちを助け出すことができるというのか!できはしないだろう!
王は、自分の神がというより、無意識に自分は神よりも上であると豪語している。
しかし3人はひるむことなく、「自分たちの神は、私たちを炉からも、あなたの手からも救い出す」と言う。
しかし、たとえそうでなくても、私たちはほかの神々には仕えず、金の像も拝むことはありません!

たとえそうでなくても!
ダニエルも含めた彼らの共通認識がここにある。
神の絶対的主権を認め、神に完全に従うという、ブレることのない信仰。
2章のダニエルの冷静な対処や、また今回の3人の冷静さもこの土台がポイント。

19節:すると、ネブカドネツァルは怒りに満ち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに対する顔つきが変わった。彼は炉を普通より七倍熱くするように命じた。
20節:また彼の軍隊の中の特に力の強い者たちに、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを縛って、火の燃える炉に投げ込むように命じた。
21節:三人は、上着や下着やかぶり物の衣服を着たまま縛られ、火の燃える炉の中に投げ込まれた。
22節:王の命令が急であり、炉が非常に熱かったので、その炎はシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを持ち上げた者たちを焼き殺した。
23節:この三人、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは、縛られたままで、火の燃える炉の中に落ちて行った。

ネブカドネツァル王は、彼らの働きに免じて、恩寵を与えたが、彼らは丁寧に、しかし明確にNO!と言った。
王は、炉の温度を7倍にせよと命じ、3人を炉に投げ込ませた。縛られたまま彼らは落ちていった。
その炉の温度は、3人を持ち上げた兵士を焼き殺すほどだった。
3人は、衣服もそのままで、縛られたままで、炉の中に落ちていった。

24節:そのとき、ネブカドネツァル王は驚いて急に立ち上がり、顧問たちに尋ねた。「われわれは三人の者を縛って火の中に投げ込んだのではなかったか。」彼らは王に答えた。「王様、そのとおりでございます。」
25節:すると王は言った。「だが、私には、火の中を縄を解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」
26節:それから、ネブカドネツァルは火の燃える炉の口に近づいて言った。「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ、いと高き神のしもべたちよ、出て来なさい。」そこで、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは火の中から出た。
27節:太守、長官、総督、王の顧問たちが集まり、三人を見たが、火は彼らのからだに及んでおらず、髪の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火の臭いも彼らに移っていなかった。

ネブカドネツァル王は、不思議な体験をする。
燃える炉の中に4人の人影と、手足を縛られているはずの3人が、もう一人と共に歩き回っている。
そのもう一人は、まるで神々の子のようだ。←御使いのようだと言っている
王は、彼らにいと高き神のしもべたちよ!と呼びかけたのは、敬意の表明。相当の驚きだった。
彼らは出てきた。太守や総督などの王の顧問が確認すると、髪も上着も、火の匂いもなく、無傷であった。
そこに集った全員が、驚愕したことは間違いない

28節:ネブカドネツァルは言った。「ほむべきかな、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神。神は御使いを送って、このしもべたちを救い出された。王の命令に背いて、自分たちのからだを差し出しても神に信頼し、自分たちの神のほかはどんな神にも仕えず、また拝まないこの者たちを。
29節:それゆえ、私は命令する。諸民族、諸国民、諸言語の者のうち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神に対して不敬なことを口にする者はだれでも、八つ裂きにされ、その家はごみの山とされる。このように救い出すことのできる神は、ほかにないからだ。」
30節:それから王は、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴをバビロン州で栄えさせた。

ネブカドネツァル王は、確かに彼らの神が、彼らを助け出したことを認めた。負けを認めた。
命を奪うとまで言う王の命令に聞き従わず、神に信頼するこの3人を神は救われた。
王は、彼らは自分たちの神以外には仕えず、拝まない、真の信仰者だ。彼らの信仰は正しい!と評価した。
王は、この神が本物と認め、全国に、彼らの神を不敬に扱うことを禁じ、反すれば処刑することとした。
王は、この3人を更に栄えさせた。

神の存在を認めた王:
神という別次元の存在を目撃し、認めずにはいられなかった体験をした。
王にとって、この3人とダニエルの存在感は、神によって更に増し加わった。
3人を告発した者たち:
告発した者たちは、返って3人のユダヤ人を高めた。
加えて、真の神の存在を示すこととなった。
そして、3人に従うことになった。

 

神の絶対的主権

『絶対的主権』と『信仰』は、切り離せない関係にある。
絶対とはどういうこと?
『絶対的』とは、比較対象となるものがなく、疑いの余地がないということ。⇔相対的
人は常に相対的な考え方を持つ。自分にとってどうなのか?と考えるからではないか。
絶対的主権とは、個人的な思いが入る余地がない権威ということ。
絶対的主権を受け入れるというより、絶対的主権のもとにあるということを認めること。
3人のユダヤ人は、絶対的主権下にあり、それに従うという信仰を一言で公に示した。
たとえそうでなくても! 神の御心ならば・・

 

絶対的主権の元に居る幸い
絶対的主権(神)のもとに生きる者は、特に『死』について、一般とは異なる考えを持つ。
永遠のいのちを約束された私たちは、肉体的な死を通過するだけだと知っている。
死は絶対的だが、神によれば私たちは新たないのちを得て、新たな人生を神のもとで生きるのである。
30代であろう3人のユダヤ人も、絶対的主権の下に人生を歩んでいた。

神の主権を認め信頼して歩む道は、日々、神の新たな思い、奥深さを味わい、益々神を知り、愛し、信仰を増し加えて行くものである。
捕囚地にあって信仰を貫く3人のイスラエルの民を手本とし、私たちも「たとえそうでなくても、・・」と
顔色一つ変えず言える信仰を一つの目標にして、共に聖化のプロセスを歩んで行きましょう。

2024年05月02日

ダニエル書4章1節~37節

1節:ネブカドネツァル王から、全地に住むすべての民族、国民、言語の者たちへ。あなたがたに平安が豊かにあるように。
2節:いと高き神が私に行われたしるしと奇跡を知らせることは、私の喜びとするところである。
3節:そのしるしのなんと偉大なことよ。その奇跡のなんと力強いことよ。その国は永遠にわたる国、その主権は代々限りなく続く。
4節:私ネブカドネツァルが私の家で心安らかに過ごし、私の宮殿で繁栄を極めていたとき、
5節:私は一つの夢を見たが、それが私を恐れさせた。私の寝床での、様々な幻想と頭に浮かんだ幻が、私をおびえさせた。

時期的にはBC572年頃(金の像事件から約15年後)。テュロスとの和睦をもって、オリエントを平定した。
ネブカドネツァル王→出生BC642年頃~没BC562年(80歳)⇒出生年には諸説あり。

在位は、BC604年~BC562年である。
王は、帝国の全国民に平和を宣言し、いと高き神(イスラエルの神)の預言を文書で告げた。異邦人がイスラエルの神を呼ぶときに、この言い方をした。
王は、他の神々も認めつつ、イスラエルの神を崇めていた。多神の中の優れた神という位置づけ。
この預言を伝えずにはおられなかった。この神さえも私に味方した!という傲慢さがあったのではないか。これは、メシア的王国の預言である。
王は、何の不安もなく平安に繁栄を満喫していたが、夢が王を怯えさせた。(帝国の王にも恐れがある)

6節:私は命令を下し、バビロンの知者をみな、私の前に連れて来て、その夢の意味を告げさせようとした。
7節:呪法師、呪文師、カルデア人、占星術師たちが来たとき、私は彼らにその夢のことを話したが、彼らはその意味を私に告げることができなかった。
8節:最後にダニエルが私の前に来た。彼の名は私の神の名にちなんでベルテシャツァルと呼ばれ、彼には聖なる神の霊があった。私はその夢を彼に話した。
9節:「呪法師の長ベルテシャツァルよ、私は、聖なる神の霊がおまえにあり、どんな秘密もおまえには難しくないことを知っている。私の見た夢の幻はこうだ。その意味を言ってもらいたい。
10節:私の寝床で幻が頭に浮かんだ。私が眺めていると、見よ、地の中央に木があった。それは非常に高かった。
11節:その木は生長して強くなり、その高さは天に届いて、地の果てのどこからもそれが見えた。
12節:葉は美しく、実も豊かで、その木にはすべてのものの食べ物があった。その木陰では野の獣が憩い、その枝には空の鳥が住み、すべての肉なるものはそれによって養われた。

バビロンの知者たちに夢の意味を王に解き明かす者がいなかった。
・・王が憤慨することを恐れたか、わからなかったか。
非常に高い木が地の中央にあり、どこからでも見えた。
その木によって地のすべての生物は養われた。この木はネブカドネツァル王である。
・・王によって地上は全て養われているとして、王の内にある傲慢を指摘。

ダニエルの年齢:推定50代前半~。王をはじめ、周囲から「聖なる神の霊」がある人と認知されていた

13節:寝床で頭に浮かんだ幻の中で見ていると、見よ、一人の見張りの者、聖なる者が天から降りて来るではないか。
14節:彼は力強く叫んで、こう言った。『その木を切り倒し、枝を切り払え。その葉を振り落とし、実を投げ散らせ。獣をその下から、鳥をその枝から追い払え。
15節:ただし、その根株は、鉄と青銅の鎖をかけて、地に、野の若草の中に残せ。天の露にぬれさせて、地の青草を獣と分け合うようにせよ。
16節:その心を、人間の心から変えて、獣の心をそれに与え、七つの時をその上に過ぎ行かせよ。
17節:この宣言は見張りの者たちの決定によるもの、この要請は聖なる者たちのことばによるもの。これは、いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者に与え、また人間の中の最も低い者をその上に立てることを、いのちある者たちが知るためである。』

ひとりの聖なる者が天から降りて来て命じる。その大木を切り倒せ!
ただし根株は残せ。鉄と青銅の鎖をかけて野に残し、雨露に濡れさせよ。
獣の心を与え7つの時を過ぎ行かせよ。(7年間)

は、アラム語で季節の意から、3年半説もある)メソポタミヤ地方の季節は夏と冬
聖なる者たちの決定事項で、それは以下のことを示すためである。
神は人間の国を支配し、これを神の御心にかなう者に与える。そして、神が人間の中で最も低い者をその支配の座にすえるということを、人が知るためである。
⇒預言的メッセージ:その究極はイエス様。4章の最大のテーマはこの預言的メッセージと思われる。近未来と遠未来の複合的預言。奥義が潜んでいることになるが・・。

18節:私ネブカドネツァル王が見た夢とはこれだ。ベルテシャツァルよ、おまえはその意味を述べよ。私の国の知者たちはだれも、その意味を私に告げることができない。しかし、おまえにはできる。おまえには、聖なる神の霊があるからだ。」
19節:そのとき、ベルテシャツァルと呼ばれていたダニエルは、しばらくの間驚きすくみ、いろいろと思い巡らして動揺した。王は話しかけた。「ベルテシャツァルよ、この夢とその意味のことで動揺することはない。」ベルテシャツァルは答えた。「わが主よ、どうか、この夢があなたを憎む者たちに当てはまり、その意味があなたの敵に当てはまりますように。
20節:あなたがご覧になった木、すなわち、生長して強くなり、その高さが天に届いて、地のどこからも見え、
21節:葉が美しく実も豊かで、すべてのものの食べ物があり、その下に野の獣が住み、その枝に空の鳥が宿った木、
22節:王よ、その木はあなたです。あなたは大きくなって強くなり、あなたの偉大さは増し加わって天に達し、あなたの主権は地の果てにまで及んでいます。
23節:しかし王は、一人の見張りの者、聖なる者が天から降りて来てこう言うのをご覧になりました。『その木を切り倒して滅ぼせ。ただし、その根株は、鉄と青銅の鎖をかけて、地に、野の若草の中に残せ。彼を天の露にぬれさせて、七つの時がその上を過ぎ行くまで野の獣と青草を分け合うようにせよ。』
24節:王よ、その意味は次のとおりです。これは、わが主、王に届いた、いと高き方の決定です。
25節:あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べて、天の露にぬれることになります。こうして、あなたの上を七つの時が過ぎ行き、ついにあなたは、いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者にお与えになることを知るようになります。
26節:木の根株は残せと命じられていますので、天が支配するということをあなたが知るようになれば、あなたの国はあなたのために堅く立つでしょう。
27節:それゆえ、王よ、私の勧告を快く受け入れて、正しい行いによってあなたの罪を除き、また貧しい者をあわれんであなたの咎を除いてください。そうすれば、あなたの繁栄は長く続くでしょう。」

指名されたダニエルだが、その内容にたじろぐ。(従って、他の知者たちもたじろいだのではないか)
王に促され語り出すダニエル。22~23節で、王の夢を繰り返し、神の決定事項の意味を告げる。
人間界から離れ、牛のように野に住み、草を食べ、雨露に濡れる。
7つの時が過ぎたとき、王は神が人間の国を支配し、神の御心にかなう者に国を与えることを悟ります。
神の支配を知るようになれば、国は王のために堅くたつでしょう。(根株は残せ、の意味)
ダニエルは王に、この勧告を受けて回心し、貧しい者に憐みの心がある政治をすることを提案。
帝国支配の悪:帝国を眼下に見て、王は自分の力ですべてがうまくいったと過信する。それは、貧しい者を苦しめる政策だと分かる。いつの時代も同じこと。

28節:このことはみな、ネブカドネツァル王の身に起こった。
29節:十二か月たって、バビロンにある王の宮殿の屋上を歩きながら、
30節:王はこう言っていた。「この大バビロンは、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が私の権力によって建てたものではないか。」
31節:このことばがまだ王の口にあるうちに、天から声があった。「ネブカドネツァル王よ、あなたに告げる。国はあなたから取り去られた。
32節:あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べるようになり、こうしてあなたの上を七つの時が過ぎ行き、ついにあなたは、いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる。」
33節:このことばは、ただちにネブカドネツァルの上に成就した。彼は人の中から追い出され、牛のように草を食べ、そのからだは天の露にぬれて、ついに、彼の髪の毛は鷲のように、爪は鳥のように伸びた。

12か月して、この夢が成就する。つまりこの期間は、王に与えられた悔い改めの期間であった。
王の年齢は、71歳(または68歳)。晩年である。
王は屋上を歩き、眼下に帝国の景色を見て、自分の権威を誇った瞬間、天から声があった。
王は牛のようになり野に住み、7つの時が過ぎて、神が世を支配し、御心にかなう者に与えることを知る。
このことが現実化し、王は獣のようになり、人の中から隔絶された。
獣化妄想という精神障害を発症

王の頑なさ:最終的に大患難時代まで行き着くほどのイスラエルの民の頑なさとダブってしまう。
獣化妄想:自分を獣と思い行動する。脳の特定の領域に変化や、ストレス、トラウマなどがある。

34節:その期間が終わったとき、私ネブカドネツァルは目を上げて天を見た。すると私に理性が戻ってきた。私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。その主権は永遠の主権。その国は代々限りなく続く。
35節:地に住むものはみな、無きものと見なされる。この方は、天の軍勢にも、地に住むものにも、みこころのままに報いる。御手を差し押さえて、「あなたは何をされるのか」と言う者もいない。
36節:ちょうどそのとき私に理性が戻り、私の王国の栄光のために、私の威光と輝きが私に戻ってきた。私の顧問や貴族たちに求められて、私は王位に戻り、こうして絶大な権威が私に加えられた。
37節:今、私ネブカドネツァルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだらせることのできる方である。

王の独白

7つの時が終わると理性を回復した王。
彼は、いと高き神を、心の底から褒め称えた。34~35節は、詩編、イザヤ書、ヨブ記などに見られる。
これらの賛美は、王が神の絶対的主権を認めたことを意味する。
その結果、周囲からも乞われて王位に復帰することができた。
悔い改めに要した時間は7つの時。7年か3年半か?(まるで大患難時代を思わせる)
最終的に高ぶる王をへりくだらせた神。その神を賛美をもってたたえる王。
7つの時の終わり:高慢が砕かれる姿は、大患難時代の最後に聖霊を注がれて回心するイスラエルの民か。17節の、最も低い者が上に立つという御業は、メシア的王国→イエス様の再臨。神は、異邦人の最高位の王の人生を用いて人々に未来を知らせた。

 

支配者でも恐れを持つという事実
神は、世界一の権力者である王に気付きを促したが、王は応答しなかった。
良い時にも、神は気付きを促している。
だからこそ、日々、神と対話し、むしろ良い時にこそ、アドバイスを求めることが必要。
王は、神の絶対的主権を認め、自らをその下に置くことができた。ハレルヤ!
この王は、晩年まで神に用いられ、人々に最終的なメシア的王国を示された。
人は、あくまでも神の御手(管理)の中の小さな存在である。

ネブカドネツァル王を通して示された神のメッセージ

ネブカドネツァル王を通して発生した事件⇒預言的メッセージ(神の御心、真の信仰者への励まし)
①各種金属と粘土の巨大な像の夢
②燃える火の炉からの生還
③王の獣化妄想と回復

一貫して示されているもう一つの内容は、信仰者としての生き方。どんなときも真の神に信頼し、寄り添って確信して生きる姿を常に教えている。それこそが、私たちの徳を高めてくれる神の預言!
こういう信仰をもってどんな環境でも生き抜くとき、その先に神の御国が待っている!ハレルヤ!

 

2024年05月03日

ダニエル書5章1節~31節

5章の背景:ネブカドネツァル王は亡くなり、5章では彼の孫ベルシャツァル王が登場。5章のこの日、バビロンはペルシアに滅ぼされる。年代としてはBC539年。ネブカドネツァル王が死んで23年が経過。王位継承争いの中、ナボニドスが王位に着いたのがBC556年と言われている。

 

1節:ベルシャツァル王は、千人の貴族たちのために大宴会を催し、その千人の前でぶどう酒を飲んでいた。
2節:ベルシャツァルは、酒の勢いに任せて、父ネブカドネツァルがエルサレムの宮から持ち出した金や銀の器を持って来るように命じた。王とその貴族たち、および王の側室たちや侍女たちがその器で飲むためであった。
3節:そこで、エルサレムの神の宮の本殿から持ち出した金の器が運ばれて来たので、王とその貴族たち、および王の側室たちや侍女たちはその器で飲んだ。
4節:彼らはぶどう酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石の神々を賛美した。
5節:ちょうどそのとき、人間の手の指が現れ、王の宮殿の塗り壁の、燭台の向こう側のところに何かを書き始めた。王は、何かを書くその手の先を見ていた。
6節:すると、王の顔色は変わり、いろいろと思い巡らして動揺し、腰の関節はゆるみ、膝はがたがた震えた。

5章の背景→ネブカドネツァル王の孫ベルシャツァルが王位。時はBC539年。
バビロン滅亡となる夜、ベルシャツァル王は千人の貴族のための宴会を開催。
ベルシャツァル王は、酒の勢いもあり、ネブカドネツァル王が持ち帰ったエルサレムの宮の金銀の器で飲んだ。彼らは様々な偶像を賛美した。(いと高き神は含まれていない)
その時、人の手の指が現れ、宮殿の燭台の向こう側の壁に何かを書き記した。
それを見ていた王の顔色が変わり、腰が抜け、脚が震えた。
ベルシャツァル王:名の意味は『ベル神よ、王を守りたまえ。』の意味。父ナボニドスとの共同統治であった。遺跡に証拠あり。世界史では、父が表出。ちなみにベルテシャツァル(ダニエル)の意味は、『彼の命を守りたまえ。
宴会:各種、各地の偶像を一堂に集めて、ペルシアに対する士気向上を図っていた。当時の偶像礼拝は酒がつきもの。宮の器を単なる道具とした。

7節:王は大声で叫び、呪文師、カルデア人、占星術師たちを連れて来させた。王はバビロンの知者たちに言った。「だれでも、この文字を読んでその意味を私に示す者には、紫の衣を着せて首に金の鎖をかけ、この国の第三の権力を持たせる。」
8節:そのとき王の知者たちがみな入って来たが、彼らは、その文字を読むことも、王にその意味を告げることもできなかった。
9節:それで、ベルシャツァル王はひどくおびえて、顔色が変わり、貴族たちも途方に暮れた。
10節:王母は、王とその貴族たちとのやり取りを聞いて、宴会の広間に入って来た。王母は言った。「王よ、永遠に生きられますように。いろいろと思い巡らし動揺してはいけません。顔色を変えてはなりません。
11節:あなたの王国には、聖なる神の霊の宿る人がいます。あなたの父上の時代、彼のうちに、才気と聡明さと、神々の知恵のような知恵があることが分かりました。あなたの父上であるネブカドネツァル王は、彼を呪法師、呪文師、カルデア人、占星術師たちの長として立てられました。
12節:王がベルテシャツァルと名づけたダニエルのうちに、夢を解き明かし、謎を解き、難問を解くすぐれた霊と知識と聡明さがあることが分かっていますので、今、ダニエルを召して、その解き明かしをさせましょう。」

大声で知者たちを呼び、その文字の解読を指示。できた者には紫の着物と第三の権力という褒美。
しかし誰も答えず、王は弱り果てる。(かつてのダニエルの存在は忘れられていた。)
王の母(ネブカドネツァル王の娘)がやってきて、ダニエル(ベルテシャツァル)の存在を教える。
ダニエルは、かつてネブカドネツァル王の夢を解き、王は彼の働きに報いて、知者たちの長にした。
彼は『神の霊が宿る人』であり、彼に解読をさせるよう勧める。
王の立ち居振舞:彼の動揺は相当の激しく、王の威厳など感じられないほどと考えられる。かつてのネブカドネツァル王の教訓は、活かされていない。 
ダニエル:およそ80歳。現役からは離れた存在。

13節:そこで、ダニエルが王の前に連れて来られた。王はダニエルに対して言った。「私の父である王がユダから連れて来た、ユダからの捕虜の一人ダニエルとはおまえのことか。
14節:おまえのうちには神々の霊が宿り、また、おまえのうちに、才気と聡明さとすぐれた知恵があることが分かったと聞いている。
15節:ところで、私は、知者、呪文師たちを私の前に召し、この文字を読ませて、その意味を私に告げさせようとしたが、彼らはそのことばの意味を示すことができないでいる。
16節:しかし、おまえは解釈することができ、難問を解くことができると聞いた。今、もしおまえが、その文字を読み、その意味を私に告げることができたなら、おまえに紫の衣を着せて首に金の鎖をかけ、この国の第三の権力を持たせよう。」
17節:そのとき、ダニエルは王の前で答えた。「贈り物はご自分で取っておき、報酬はほかの人にお与えください。しかし私は、その文字を王のために読み、その意味を告げましょう。
18節:王よ。いと高き神は、まさしくあなたの父上ネブカドネツァルに、国と偉大さと栄光と威光をお与えになりました。
19節:神が父上にお与えになった偉大さによって、諸民族、諸国民、諸言語の者たちはことごとく、父上の前に震えおののきました。彼は思いのままに人を殺し、思いのままに人を生かし、思いのままに人を高め、思いのままに人を低くしました。
20節:こうして彼は、心が高ぶり、霊が頑なになり、高慢にふるまったので、その王座から引きずり降ろされ、栄光を取り上げられました。
21節:そして、人の中から追い出され、心は獣と等しくなり、野ろばとともに住み、牛のように草を食べることになり、からだは天の露にぬれて、ついにこう知るようになりました。いと高き神が人間の国を支配し、みこころにかなう者をその上にお立てになるのだと。

ダニエルの過去の実績とその聡明さを聞いた。王は、ダニエルなら解明できるだろうと思った。
解明したら、「紫の衣と第3の権力」を約束する。
報酬は無用、ほかの人にあげてください、と褒美、報酬は断るが、解読はするダニエル。
18~19節で、父祖ネブカドネツァル王の過去の業績を語るダニエル。
20~21節で、その傲慢な態度に対する神の戒めを語るダニエル。
この時、神からの戒めの言葉は、「いと高き神が人間の国を支配し、御心にかなう者をその上にお立てになる」ということ。

家訓とすべき戒め:ネブカドネツァル王は、神に示された戒めを受け入れたが、次の世代には伝わらない。ベルシャツァル王は絶対的主権を認めておらず、その結果が多数の偶像礼拝である。

22節:その子であるベルシャツァル王よ、あなたはこれらのことをすべて知っていながら、心を低くしませんでした。
23節:それどころか、天の主に向かって高ぶり、その宮の器を自分の前に持って来させ、あなたと貴族たちとあなたの側室や侍女たちは、それを使ってぶどう酒を飲みました。あなたは、見ることも、聞くことも、知ることもできない銀、金、青銅、鉄、木、石の神々を賛美しました。しかしあなたの息をその手に握り、あなたのすべての道をご自分のものとされる神を、あなたはほめたたえませんでした。
24節:そのため、神の前から手の先が送られて、この文字が書かれたのです。
25節:その書かれた文字はこうです。『メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン。』
26節:そのことばの意味はこうです。『メネ』とは、神があなたの治世を数えて終わらせたということです。
27節:『テケル』とは、あなたが秤で量られて、目方の足りないことが分かったということです。
28節:『パルシン』とは、あなたの国が分割され、メディアとペルシアに与えられるということです。」

ベルシャツァル王はこの事実を知っていながら、傲慢になっていた。(神には向かわなかった)
ベルシャツァル王の行為は、存在しない神々を賛美し、王の人生をも管理される神を無視した。
それを見た神は、壁に宣言を示したのである。これは判決文である。決定が下ったということ。
『メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン』⇒アラム語⇒貨幣単位(名詞)、動詞になると計量するなどの意。

「メネ」→「ミナ」・・数える

「テケル」→「シェケル」・・量る

「ウ」→接続詞・・そして

「パルシン」→「ペレス」→「半シェケル」・・分割する

『お前を数えて、数えて、量った。そして分割する(ことにした)』⇒国が分割されて、メディアとペルシアに与えられる。

 

知者たちに何も言わせなかった神:知者たちがアラム語を読めなかったということは考えにくい。神はこの時、知者全員がその文字に考えが及ばないようになされたのではないか?こうしてダニエルは再び表舞台に出てくることになった。
   
29節:そこでベルシャツァルは命じて、ダニエルに紫の衣を着せ、金の鎖を首にかけさせ、彼がこの国の第三の権力者であると布告させた。
30節:その夜、カルデア人の王ベルシャツァルは殺された。
31節:そして、メディア人ダレイオスが、およそ六十二歳でその国を受け継いだ。

ダニエルがベルシャツァル王に仕えたと言っても、直接の関りはこの時だけだった。
王はダニエルに褒美を与えた。第3の権力者となったダニエル。(父と自分の次の権威者)
王は、メド・ペルシアの動向は察していた。いずれはそうなるのかもしれないが、今すぐとは思わなかった。
バビロンの王宮は周囲をユーフラテス川が囲み、城壁も高く、難攻不落と言われていた。(大宴会のため備えの甘さがあったと考えられる)
その夜、キュロス王がバビロンの王宮に侵入し、ベルシャツァル王は殺される。BC539年である。
キュロスは62歳のメディア人ダレイオスにその国の管理を任せた。(キュロス王の叔父にあたる)

 

預言は成就する

キュロスの登場は、イザヤ書に預言されていた。
イザヤ書44章26節~45章2節←およそ150年前の預言
・エルサレム、ユダの町々の復興。
・バビロンの周囲の大河の干上がり(バビロンの滅亡)。
・エルサレムの再建と神殿の基が据えられる。
・キュロス王の登場。
この時は、まだダニエルはイザヤやエレミヤの預言を体系的に把握していなかった。(9章で把握する)
きっかけはキョロス王ではなかったか。イザヤ書に具体的な名がでているから。

 

エレミヤの預言27章6~7節の成就。
・ネブカドネツァル王によるバビロンの支配。
・ネブカドネツァル王の帝国は、子と、孫まで。

 ・エレミヤの活動期間→BC627年~BC583年
 ・バビロン滅亡はBC539年に成就
神は、捕囚の前から、必ず解放されるということを預言してくださっていた。そこに神の愛がはっきり見ることができる。
その愛に応答する真の信仰者が、民を存続させる力となって働く!

 

新しい人生の歩み

捕囚に至るまで、神は何度も人々に気付きを与えられたが、決して聞く耳を持たなかった。
イエス様も言われたが、聞く耳を持つことは、心の状態が大きく影響する。自己中は、その耳を持たない。
地上にはバビロン捕囚のごとく大患難時代が起こるという、神の預言は真実であり、必ず成就する。
こうした預言の中に、神の愛を明確に見出すことができる。神に信頼する者は決して大患難時代を通らない!
神の御心に素直に従い、神の愛に委ねて歩む人生こそ、真のクリスチャンの道ではないか。

私たちの人生は、まるで新しいものに変わりました。栄光という名の人生です。

エペソ4:22~24
肉の人生にさえ、喜びや幸いがあるのなら、神による永遠の人生はどれほどに喜ばしく幸いでしょうか!
私たちは永遠の人生、それは地球や宇宙の寿命よりも永いということです。それが神の領域に生きる特権の一つです。
肉の世界に生きて、神の領域にいるということは、一枚の指定席券を持って搭乗を待っているようなもので、
ひとたびその席に着いたら、目の前には見たこともない素晴らしい世界が拡がります。感動と喜びが満ちるとき、これまで経験したことのない幸せが押し寄せてきます。神の愛を信じ、神を見上げて共に歩みましょう!


2024年05月10日

ダニエル書6章1節~28節

1節:ダレイオスは、全国に任地を持つ百二十人の太守を任命して国を治めさせるのがよいと思った。
2節:彼はまた、彼らの上にダニエルを含む三人の大臣を置いた。これは、太守たちがこの三人に報告を行い、王が損害を被らないようにするためであった。

ダレイオス・・キュロス王の叔父。キュロスとの関係は良かったと想像する。
キュロスは無血開城のような形でバビロンを討取ったと碑文に記され、ダレイオスはキュロスの指揮下にあり、彼が総指揮のもとにバビロンを攻め落としたとも記されている。
ダレイオスがバビロン州の統治をキュロスから任された。
ダレイオスは、王に負担が掛からず、また失敗が起きない政治をすることを旨とした。
バビロン帝国で活躍した人物や体制、方法を利用しようとする考え。


キュロス王の姻戚関係:キュロス王の母親はメディア家の娘。ダレイオスは母の兄弟。キュロスは両国に関係あり。国の大きさは、この時点でメディアの方が大きい。

3節:さて、このダニエルは、ほかの大臣や太守よりも際立って秀でていた。彼のうちにすぐれた霊が宿っていたからであった。そこで王は、彼を任命して全国を治めさせようと思った。
4節:大臣や太守たちは、国政についてダニエルを訴える口実を見つけようとしたが、何の口実も欠点も見つけられなかった。彼は忠実で、何の怠慢も欠点も見つからなかったのである。
5節:そこでこの人たちは言った。「われわれはこのダニエルを訴えるための、いかなる口実も見つけられない。彼の神の律法のことで見つけるしかない。」

ダニエルは、神の導きにより、やましい所がなく、優秀さにおいて突出していた。信頼に足る人物。
ダレイオスはダニエルを首相に任命しようと考えていた。当時も、賄賂、汚職の存在は想像に難くない。
やっかんだのは、大臣の二人とそのグループの太守たち。ダニエルは、一旦は現役を退いていた。

ダニエルの存在:ダニエルの年齢は80歳代。正しい者がいると、悪事をしようとしてもできない。同じ立場にいたので、彼らの悪巧みもよく知っている。彼の出世は迷惑!
ダニエルを貶める口実、欠点はない。彼の神の律法を利用して貶めるしかない!
反ユダヤ主義は神に反する行為!
人は、知らず知らず行っている神への背信行為に気付かない。

6節:それでこの大臣と太守たちは、王のもとに押しかけて来て、こう言った。「ダレイオス王よ、永遠に生きられますように。
7節:王よ。国中の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が一つの法令を制定し、断固たる禁令を出していただくことに同意しました。すなわち今から三十日間、王よ、いかなる神にでも人にでも、あなた以外に祈願をする者は、だれでも獅子の穴に投げ込まれる、と
8節:王よ、今、その禁令を制定し、変更されることのないようにその文書に署名し、取り消しのできないメディアとペルシアの法律としてください。」
9節:そこで、ダレイオス王はその禁令の文書に署名した。

ダニエルの律法を利用した陰謀。→神以外を拝まないユダヤ人の律法を利用した陰謀。
それは、今から30日間、王以外に祈願する者は誰でも獅子の穴に投げ込まれるという禁令。
さらに、この禁令をメディア・ペルシアの法律として発布する。(王でも取り消しできない法律)
国中の大臣や太守などのトップが全員、王が禁令を出してほしいことに同意した。⇒明らかに嘘がある。大臣であるダニエルはこの法に賛成していない。
ダレイオスは、何の疑いもなくこの禁令を発布してしまう。(エステル記にも共通する陰謀あり)
獅子の穴:バビロンは燃える火の炉に投げ込むという刑罰。ペルシアでは、火が偶像の一つであり、火ではなく獅子による刑が用いられた。
メディア・ペルシアの法律:王でも変更できない法。一度発布された法は、王でも取り消し、変更不可。法に対する王の責任と継続性があった。王でも逆らえない法の存在。

エステル記、エズラ記(5章~6章)にも見られた。

10節:ダニエルは、その文書に署名されたことを知って自分の家に帰った。その屋上の部屋はエルサレムの方角に窓が開いていた。彼は以前からしていたように、日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげていた。
11節:すると、この者たちが押しかけて来て、ダニエルが神に祈り求め、哀願しているのを見つけた。
12節:そこで彼らは王の前に進み出て、王の禁令について言った。「王よ。王は今から三十日間、いかなる神にでも人にでも、あなた以外に祈願をする者は、だれでも獅子の穴に投げ込まれるという禁令に、署名されたのではありませんか。」王は答えた。「取り消しのできないメディアとペルシアの法律がそうであるように、そのことは確かである。」
13節:そこで、彼らは王に告げた。「王よ。ユダからの捕虜の一人ダニエルは、あなたと、ご署名になった禁令を無視して、日に三度、自分勝手な祈願をしております。」
14節:このことを聞いて王は非常に憂い、ダニエルを救おうと気遣った。そして彼を助け出そうと、日没まで手を尽くした。
15節:そのとき、あの者たちが王のもとに押しかけて来て、王に言った。「王よ。王が制定したいかなる禁令や法令も、決して変更されることはないということが、メディアとペルシアの法律であることをご承知ください。」
16節:それで王は命令を出し、ダニエルは連れて来られて、獅子の穴に投げ込まれた。王はダニエルに話しかけて言った。「おまえがいつも仕えている神が、おまえをお救いになるように。」

ダニエルは、その法令が自分の抹殺を意図したものと知っていた。にもかかわらず、日に3度の祈りをした。
『宮に向かって』→ソロモンの祈り→Ⅰ列王記8:46~50、Ⅱ歴代誌6:36~39。
告発者たちはダニエルの王以外への祈りを確認し、証人をつけて、ダレイオスに報告し、処刑を迫る。
この時、王は告発者たちのダニエルを狙った陰謀に気付く。外国から来たばかりの王では仕方ない。
ダレイオスのダニエルに対する信頼は相当なものと分かる。日没まで手を尽くした。
告発者は王に処刑回避は不可の念を押し、結果、ダニエルは獅子の穴に投げ込まれる。
王は、ダニエルが法を犯してでも守り通した神の加護を祈っている。最後は神しか頼るものはない!
ダニエルの信仰心:ダレイオスは、ダニエルの信仰がそれほどすさまじいものと思っていなかったのだろう。
ダニエルは、3人の仲間の時と同様、神が守られることを王に語ったと思われる。神はダニエルを用いて、神の存在をはっきりと示される。同時に、反ユダヤ主義が神によって裁かれることも明白になる。

17節:一つの石が運ばれて来て、その穴の口に置かれた。王は王自身の印と貴族たちの印でそれを封印し、ダニエルについての処置が変えられないようにした。
18節:こうして王は宮殿に帰り、一晩中断食をした。側女も召し寄せず、眠ることもしなかった。
19節:王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。
20節:その穴に近づくと、王はダニエルに悲痛な声で呼びかけ、こうダニエルに言った。「生ける神のしもべダニエルよ。おまえがいつも仕えている神は、おまえを獅子から救うことができたか。」
21節:するとダニエルは王に語った。「王よ、永遠に生きられますように。
22節:私の神が御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の危害も加えませんでした。それは、神の前に私が潔白であることが認められたからです。王よ、あなたに対しても、私は何も悪いことはしていません。」
23節:王は大いに喜び、ダニエルをその穴から引き上げるように命じた。ダニエルは穴から引き上げられたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。

ダニエルは、獅子の穴へ。蓋は封印された。(縛られて、穴から吊るされて穴の底に落とされる)
この時ダレイオスは断食して一晩中起きていた。
「生ける神のしもべ」・・この声掛けは、この窮地から救い出せるのは、神のみと察していた。
神が御使いを送って獅子の口をふさいだ。ダレイオスは、心底喜んだ。
潔白の証明→誰に対しても悪いことは何もしていない!勿論、神に対しても!
ダニエルには傷一つなく、それは神への信頼の結果である。(真の信仰者の姿)
ダレイオスに対しても、本物の神に対する信仰を示したダニエル。
ダレイオスの行動:ダレイオスは、ダニエルが信仰する神に祈っていたと想像する。ダレイオスもネブカドネツァル王と同様、いと高き神の存在を意識していた。ダニエルに対する高い信頼は、ダニエルの信仰する神へと、ダレイオスを導く。

24節:王が命じたので、ダニエルを中傷した者たちが連れて来られて、その妻子とともに獅子の穴に投げ込まれた。彼らが穴の底に達しないうちに、獅子は彼らをわがものにして、その骨をことごとくかみ砕いてしまった。
25節:それから、ダレイオス王は、全土に住むすべての民族、国民、言語の者たちに次のように書き送った。「あなたがたに平安が豊かにあるように。
26節:私はここに命じる。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震えおののけ。この方こそ生ける神、永遠におられる方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。
27節:この方は人を救い、助け出し、天においても、地においても、しるしと奇跡を行われる。実に、獅子の手からダニエルを救い出された。」
28節:このダニエルは、ダレイオスの治世とペルシア人キュロスの治世に栄えた。

ダレイオスは、陰謀を図った告発者たちとその妻子たちを獅子の穴に落とした。
獅子(複数)は空腹であったから、彼らが底に着く前に喰われた。
ダレイオスの喜びは、ダニエルの生存であり、また、生ける神の力であった。
彼は、全国に、ダニエルの神を恐れることを命じた。そして、ネブカドネツァル王のごとく神をたたえる。
この方こそ生ける神、永遠におられる方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。
ダニエルの信仰からくる実践は、ダレイオスに生ける神の存在を示し、異邦人へと伝えられた!
こうしてダニエルは、ダレイオス、そしてキュロスの治世に、大いに用いられ、栄えた。

ダレイオスの書簡:メシア的王国の存在を知ったダレイオス。ダニエルから聞いたのか、示されたのか?異邦人への伝道と共に、各地に離散したユダヤ人への励みとなったと考えられる。

 

6章までに見る預言書的側面
・ネブカドネツァル王の夢(2章)・・メシア的王国前までの歴史(異邦人の時)の預言
・金の像の礼拝拒否事件(3章)・・火による裁き(DKNJ)と、真の信仰者の救いの預言
・ネブカドネツァル王の病事件(4章)・・神に反する7年間の苦悩(DKNJ)と救いの預言
・不思議な文字事件(5章)・・異邦人の時の進展を示す預言
・獅子の穴事件(6章)・・獅子なる神の裁きにより滅ぶ反ユダヤ主義の預言

『異邦人の時が満ちるまで』・・ルカ21:24
人々は剣の刃に倒れ、捕虜となって、あらゆる国の人々のところに連れて行かれ、異邦人の時が満ちるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます

DKNJを経てメシアの再臨まで続く歴史の展開を指す。

 

※ 『異邦人の満ちる時』 ロマ11:25 は携挙のタイミングを指す表現。

 

子羊であり、獅子なる救い主イエス
奥義が示すイエス様は、人類にとっていけにえとなってくださった子羊なるお方。
そして、大患難時代の最後にさばき主として再臨される御子は、獅子なるお方。
その時、世の反ユダヤ主義者たちは獅子が食い荒らすかのように裁かれ、メシアの王国が建国される。
現代社会は、人々を情報を操作し、リベラルや反ユダヤ主義という神に反する思考へと、密かに導いています。
反ユダヤ主義の台頭は、最近とても著しく見えます。過去の反ユダヤ主義者の末路は哀れな死です。
神の御心に逆らう生き方は、未来においても必ず不幸な結末になります。そのことを決して忘れてはなりません。
私たちは子羊なるイエス様によって導かれ、幸いにも獅子なるイエス様の側にいて裁きを受けることなく、千年王国、新天新地へと入って行きます。
この地にあっては、教会、また個人に患難がありますが、火の炉の3人と、獅子の穴のダニエルのような信仰を目指し、神に全幅の信頼をおいて、これからも皆さんとスクラム組んで歩んで行きたいと思います。

2024年05月18日

ダニエル書7章1節~8節

 

 

 

 

 

7章の背景
ベルシャツァル王の元年はBC553年。獅子の穴事件の14年前のこと。ダニエルは67歳前後で、一線からは退いていた。1日に3回の祈りを欠かさず日々を送るダニエルに、神から4つの獣の幻が与えられる。御使いがダニエルに解説する。

 

1節:バビロンの王ベルシャツァルの元年に、ダニエルは寝床で、ある夢と、頭に浮かぶ幻を見た。それからその夢を書き記し、事の次第を述べた。
2節:ダニエルは言った。「私が夜、幻を見ていると、なんと、天の四方の風が大海をかき立てていた。
3節:すると、四頭の大きな獣が海から上がって来た。その四頭はそれぞれ異なっていた。
4節:第一のものは獅子のようで、鷲の翼をつけていた。見ていると、その翼は抜き取られ、地から身を起こされて人間のように二本の足で立ち、人間の心が与えられた。

ベルシャツァル王の元年に見た幻。(巨像の頭の部分)
天の四方の風→神の摂理(御手)の働きを意味する。
大海→地中海→異邦人世界

そこから現れる4つの獣→帝国の出現。それぞれ特徴は異なる。

第1の獣:初めは鷲の翼をつけた獅子のような帝国だったが、後に翼を抜き取られた獅子のような帝国となる。ネブカドネツァル王の支配力が、最高から一気に低下した事を示している。人間のような心が与えられた。
これはバビロン帝国を表す。巨像で言えば金の頭の部分を指している。
ネブカドネツァル王が、神の存在を崇めていた経緯がある。しかし、続く世代は論外。
ダニエルは、ネブカドネツァル王の人間性や、その後のバビロンの政治の変化を体験している。

5節:すると見よ、熊に似た別の第二の獣が現れた。その獣は横向きに寝ていて、その口の牙の間には三本の肋骨があった。すると、それに『起き上がって、多くの肉を食らえ』との声がかかった。

第2の獣熊のような帝国。(巨像の胸、腕の部分
横向きに寝て→新共同:横ざまに寝て→英語訳:片側が上がっていて(アンバランスな状態)・・メド・ペルシア帝
はじめはメディアが大きいが、後にペルシアが上になる。
ペルシア帝国はペルシア人ダレイオス王の時が絶頂期か。
3本の肋骨→メド・ペルシアが滅ぼした、リディア、バビロン、エジプトを指す。
多くの肉を食らえ!→インドからエチオピア(クシュ)の範囲で127州を統治。(エステル記参照) これまでにない規模の世界帝国。

6節:その後、見ていると、なんと、豹のような別の獣が現れた。その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。そしてそれに主権が与えられた。
7節:その後また夜の幻を見ていると、なんと、第四の獣が現れた。それは恐ろしくて不気味で、非常に強かった。大きな鉄の牙を持っていて、食らってはかみ砕き、その残りを足で踏みつけていた。これは前に現れたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。
8節:私がその角を注意深く見ていると、なんと、その間から、もう一本の小さな角が出て来て、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には人間の目のような目があり、大言壮語する口があった。

第3の獣豹のような帝国ギリシア帝国を指す。(巨像の胴の部分
4つの翼、4つの頭があり、それぞれに主権が与えられていた。(分裂を示している)
エジプトのプトレマイオス王朝、シリヤのセレウコス王朝、マケドニヤのアンティオゴノス王朝、小アジアのフィレタエルス王朝である。
2回目の幻が示される。
第4の獣:凶暴で不気味な獣。ローマ帝国とそれ以後の帝国主義を指す。(巨像の足の部
この帝国は鉄の牙で食らい、足で踏みつける。これまでの帝国とは異なる統治方法をとる。
十本の角→終末段階で10か国の分かれた帝国を示している。
小さな角が3本の角(国)を引き抜き、大言壮語(神と自称する)する。反キリスト。

預言が必要でなくなった時代

旧約の預言者や、新約のイエス様をはじめとする預言者は現れない。
それは、すべての必要な情報が聖書によって地上に示されたからだと考える。
裏を返せば、神は問うている。
この情報量だけで、わたしの存在、力、愛を信じ、信頼して生きられるか?と。
信じた者には聖霊が与えられる。それは、更に聖書と神の御心の理解の助けになる。
聖霊により、こんな小さな書物が、益々希望と平安に満ちた人生のガイドブックになる。

 

異邦人の時が進展しても変わらぬ生き方

新たな帝国主義と言われて、世界の情勢を見ると確かに世の中の考えは、まるで神のそれとは相反しています。
その背景にあるのが、耳障りの良い言葉から展開される平等とか権利の行使。  
愛の神は、そのように導くようなことはなさらない。
『罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。』

Ⅰペテロ 2:20
神に喜ばれることを理解し、小さなことをコツコツと積み上げて行く歩みをしましょう。
こうした生き方を是として、少しでも実践して神に喜ばれる人生を皆さんと共にこれからも歩みます!ハレルヤ!

2024年05月23日

ダニエル書7章9節~28節

ベルシャツァル王の元年、ダニエル67歳の時、神は彼に4つの獣の幻を見せます。その獣は異邦人による帝国の姿を表すものでした

 

9節:私が見ていると、やがていくつかの御座が備えられ、『年を経た方』が座に着かれた。その衣は雪のように白く、頭髪は混じりけのない羊の毛のよう。御座は火の炎、その車輪は燃える火で、
10節:火の流れがこの方の前から出ていた。幾千もの者がこの方に仕え、幾万もの者がその前に立っていた。さばきが始まり、いくつかの文書が開かれた。

幻が続きます。ここで第3回目の幻を見せられます。
4つの獣の幻の後、まったく異なる景色になります。10節にあるように、これは裁判の光景です。
『年を経た方』→歴史を貫かれる存在→神、が裁かれる。
衣は真っ白。頭髪は羊毛のよう。そして御座は火炎(裁き)。車輪は火。火の流れ(川)が出ていた。
幾千の仕える者と幾万の裁かれる者。その前で、文書が開かれ裁きが始まった。
羊毛のような髪:黙示録1:14と同じような表現

11節:そのとき、あの角が大言壮語する声がしたので、私は見続けた。すると、その獣は殺され、からだは滅ぼされて、燃える火に投げ込まれた。
12節:残りの獣は主権を奪われたが、定まった時期と季節まで、そのいのちは延ばされた。

8節に登場した小さな角(反キリスト)に注目するダニエル。
その小さな角である獣(反キリスト)は主権を奪われ、地上の活動はできなくなる。
この獣(反キリスト)は霊的な裁きとなる燃える火(ゲヘナ)に投げ込まれた。
残りの反ユダヤ主義、またはそれに加担した諸国の王たちとその国民は、地上における主権は剥奪されたが、即座に裁かれることはなく、しばらくの間、死(永遠の死)が伸ばされた。
羊と山羊の振り分け →異邦人の裁き(マタイ25:31~46)
燃える火の中:黙示録19:20参照。偽預言者も共に投げ込まれる。
11,12節の第4の獣と黙示録との関係:黙示録13:1~5。竜(サタン)の登場。
・豹、熊、獅子⇒第1、第2、第3の獣の影響が残っている。(歴史の流れ)
・その頭(トップ)は反キリストを指している。
・ダニエル書では途中が省略されて、メシア的王国の完成に及んでいる。

13節:私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲とともに来られた。その方は『年を経た方』のもとに進み、その前に導かれた。
14節:この方に、主権と栄誉と国が与えられ、諸民族、諸国民、諸言語の者たちはみな、この方に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。
15節:私ダニエルの心は私のうちで悩み、頭に浮かんだ幻は私をおびえさせた。
16節:私は、傍らに立っていた者たちの一人に近づき、このことすべてについて、彼に願って確かめようとした。すると彼は私に答えて、そのことの意味を告げてくれた。

また幻が現れます。第4回目の幻です。
人の子→メシア、イエスキリストが、天の雲→シャカイナ・グローリーと共に神の御前に来る。
メシアの地上来臨を指す。(実際には地上再臨)
国、民すべての主権と栄誉がメシアに与えられ、王国の全国民はこの方に仕える。
メシア的王国の完成が示されている。
主権は永遠にメシアに与えられ、メシア的王国は滅びることが無い。
しかしダニエルは、御国よりも獣、特に第4の獣にショックを受けていた。
ダニエルは、ひとりの御使いに願って質問すると、彼はその意味を教えてくれた。

17節:『これら四頭の大きな獣は、地から起こる四人の王である。
18節:しかし、いと高き方の聖徒たちが国を受け継ぎ、その国を永遠に、世々限りなく保つ。』
19節:それから私は、第四の獣について確かめたいと思った。それは、ほかのすべての獣と異なっていて、非常に恐ろしく、牙は鉄、爪は青銅で、食らってはかみ砕いて、残りを足で踏みつけていた。
20節:その頭には十本の角があり、もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が抜け落ちた。その角には目があり、大言壮語する口があった。その角はほかの角よりも大きく見えた。
21節:私が見ていると、その角は聖徒たちに戦いを挑み、彼らに打ち勝った。
22節:しかしそれは『年を経た方』が来られるまでのことであり、いと高き方の聖徒たちのためにさばきが行われ、聖徒たちが国を受け継ぐ時期が来た。

さらっと応える御使い。その内容は概略的。
4つの獣は人間による4人の王→4つの帝国主義の歴史を示す。神に反する歴史でもある。
海から出てきた獣が地上で繰り広げる帝国主義支配。
しかし、神の聖徒たちが、国(地上)を受け継ぎ、メシア的王国は永遠に続く。
ダニエルは第4の獣について疑問を抱いた。
7~8節が繰り返される。小さな角が大きく見えた。
その角は聖徒たちを打ったが、神がその角(第4の獣)を裁かれ、聖徒たち(イスラエルの民)が国を受け継ぐ時が来た。
ダニエルの疑問の『第4の獣』:ネブカドネツァル王を上回り、さらに凶暴な存在は、ダニエルの想像をはるかに超えていたと思われる。確かに、その様態はこの時の帝国とは異なる

23節:彼はこう言った。『第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。
24節:十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らの後に、もう一人の王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。
25節:いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを悩ます。彼は時と法則を変えようとする。聖徒たちは、一時と二時と半時の間、彼の手に委ねられる。

御使いは説明する。しかし、詳細ではない。
第4の獣→ローマ以降の帝国主義支配をする国。これは地球全体を支配し搾取する。
思想的にも支配が及ぶことが想像できる。7節「足で踏みつけていた」は宗教、思想の弾圧。
10国の10人の王の中に一人の王が立つ。これが反キリストである。これが3人の王を打ち倒す。
時(季節の行事→祭事)と法則(律法)を新たなものにしようとした。
聖徒たち(イスラエルの民)は3年半の間、反キリストの支配下に入ってしまう。→大患難時代後半の3年半
『第4の獣』→『第4の国』:帝国主義支配の国は、歴史を経てその様態が変わる。
・第4の獣の下半身が示すのは、2つになり(2脚になり)、更に10(10指)になること。
・第1段階:ローマ帝国、第2段階:2国の帝国→世界統一政府(現在も未体験)
・第3段階:10国からなる帝国、第4段階:反キリストによる支配

26節:しかし、さばきが始まり、彼の主権は奪われて、彼は完全に絶やされ、滅ぼされる。
27節:国と、主権と、天下の国々の権威は、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。』
28節:ここでこの話は終わる。私ダニエルは、いろいろと思い巡らして動揺し、顔色が変わった。しかし、私はこのことを心にとどめた。」
反キリストの支配は、神の裁きにより終了する。
彼は裁かれ、完全に打たれ滅ぼされる。(先んじて、偽預言者と共に火の池へ)
すべての主権のトップに、神の聖徒であるイスラエルの民が据えられる。
反キリストの反乱は神によって制圧され、メシア的王国が建つ。
ここで御使いの解説は終わる。
ダニエルは、恐れともいうべき不安を抱えつつ、それを記憶にとどめた。

ダニエルの不安:ダニエルの生活環境は、苦しいものではなかった。
・ダニエルの希望は、神殿とエルサレムの再建と思われる。
・獣の幻に自分の希望をリンクさせようとすると、再建は第4の獣の後と想像された。
・これまでのネブカドネツァル王との差が激しく、不安になったと考える。
この時神は、遠い未来に起こる終末を、噛み砕いて預言者としてのダニエルに示したのではないか!

 

7章について
2章のネブカドネツァル王の見た夢、『異邦人の時』に関する更なる情報が示された。
ベルシャツァル王の元年であり、まだ、ペルシア国の存在も極めて小さい頃。
ネブカドネツァル王の「異邦人の時」の夢の後、DKNJを通る預言がニ度示されている。
しかし、この段階で神の終末の展開を受け止めることは、ダニエルには難しいことだった。
それゆえ御使いは、少しづづ嚙み砕くように、ダニエルに終末を示しているのだと思う。
人生を通して神から預かる言葉には、それほどの重みがあるということ。
こうして残された預言書を通して、神のみことばに完全な信頼を持てること、また、信仰が益々増し加えられることに心から感謝!
だから私たちは、素直にキリストの律法に従って歩めるのです!ハレルヤ!

 

私たちを真に生かす希望の力

私たちの永遠のいのちの希望は、必ず成就します。その希望を心に抱き、原動力として歩んでいます。  
希望は成就しますが、その希望の実現は人間には不可能な、超自然的な出来事です。
どんなに富を持っていても、費やしても、その権利や業は、入手不可能なのですが、・・
そのことの価値をどれほどに考えればよいでしょうか?すべてが用意された世界旅行?最上級の宇宙旅行?
地上の何ものにも代えられない喜びと楽しみを、神は何の条件もなく、この身に与えてくださいます。マイナスな感情な全て処理され、味わったことのない喜びと感謝があふれ出て来るのです。
この希望にどれほど私たちの胸、心が膨らむかによって、信仰の成長度合いも変化します。
神に近づくことの一つが希望の確信です。これからも益々皆さんと希望に胸を膨らませて行きたいと思います。

2024年05月30日

ダニエル書8章1節~14節

8章の背景

ベルシャツァル王の第3年はBC551年。ダニエルが4つの獣の幻を見せられた時から2年後、再びあの幻の詳細がダニエルに示されます。ダニエルは69歳前後。原書では、8章からヘブル語に表記が変わります。

 

1節:ベルシャツァル王の治世の第三年、初めに私に幻が現れた後、私ダニエルにもう一つの幻が現れた。
2節:私は幻の中で見た。見ていると、私はエラム州にあるスサの城にいた。なお幻を見ていると、私はウライ川のほとりにいた。

ここからヘブル語に表記が変わります。(ダニエル、イスラエルの民、限定ということか)
時はベルシャツァル王の第3年(BC551)→およそ2年経過して2回目の幻の体験
バビロンにいるにもかかわらず、幻の場所は、エラム州のスサの城。

さらにその町に流れるウライ川のほとりにいた。

ウライ川町に流れる人造の運河と考えられている。
スサはメド・ペルシア帝国の首都。

3節:私が目を上げて見ると、なんと、一匹の雄羊が川岸に立っていた。それには二本の角があって、この二本の角は長かったが、一本はもう一本の角よりも長かった。その長いほうは、後に出て来たのであった。
4節:私はその雄羊が、西や、北や、南の方を角で突いているのを見た。どんな獣もそれに立ち向かうことができず、また、それから救い出す者もいなかった。雄羊は思いのままにふるまって、高ぶっていた。

ウライ川の川岸に立つ一匹の雄羊。長短の2本の角。
メド・ペルシア帝国の意。初めは小さいペルシア国がメディアを覆うことから、長い角がペルシアの王。
西方(バビロン地方)、北方(カスピ海)、南方(ペルシア湾)の支配。
その進撃は、向かうところ敵なしの状態。
勝利の積み重ねは人を傲慢に導く。(神格化)

5節:私が注意して見ていると、見よ、一匹の雄やぎが、地には触れずに全土を飛び回って、西からやって来た。その雄やぎには、際立った一本の角が額にあった。
6節:この雄やぎは、川岸に立っているのを私が見た、あの二本の角を持つ雄羊に向かって、激しい勢いで突進した。
7節:見ていると、この雄やぎは雄羊に近づき、怒り狂って雄羊を打ち倒して、その二本の角をへし折ったが、雄羊にはこれに立ち向かう力がなかった。雄やぎは雄羊を地に投げ倒して踏みつけた。雄羊をこの雄やぎから救い出す者はいなかった。

西から出る新たな帝国→ギリシア帝国
地には触れずに全土を飛び回る→圧倒的な移動力と支配力
強力な一本の角→アレキサンダー大王
(BC356~323)、32歳の若さで死去。在位は13年間。
その制圧力は凄まじく、メド・ペルシアを圧倒的な強さで倒した。
その後、各地を征し、ギリシア文化を世界に広めた。
ギリシア(ヘレニズム)文化の浸透は、言語的、地理的に後のキリスト教世界展開の礎となった。
アレキサンダー大王
・アリストテレスが家庭教師。その時の学友は、将軍となり彼を支える。
・戦術、戦略の天才と言われ、インドまで制圧。部下の要請で引き揚げた。 
・バビロンに戻り、その時熱病で逝った。
・アリストテレスとは、深い付き合いをしていた。

8節:この雄やぎは非常に高ぶったが、強くなったときにその大きな角が折れた。そしてその代わりに、天の四方に向かって、際立った四本の角が生え出て来た。
9節:そのうちの一本の角から、もう一本の小さな角が生え出て、南と、東と、麗しい国に向かって、非常に大きくなっていった。

最盛期に崩御するアレキサンダー大王。32歳。
彼は自分を神格化し、傲慢になっていた。
その後の後継者争いの戦いが始まる。(ディアドコイ戦争)
そのうちの一国とはセレウコス朝シリア、その王はアンティオコス・エピファネス。彼は南→エジプト、東→メソポタミヤを攻めた。
この王の名は、『神の顕現』の意味。エジプトの侵略後、『麗しい国』イスラエルを攻める。
四本の角(4分割の国):エジプトのプトレマイオス王朝、シリヤのセレウコス王朝、マケドニヤのアンティオゴノス王朝、小アジアのフィレタエルス王朝(リュシマコス→フィレタエルス)。
・後にシリアではバクトリア王国との争いも発生している。

10節:それは大きくなって天の軍勢に達し、天の軍勢と星のいくつかを地に落として、これを踏みつけ、
11節:軍の長に並ぶほどになり、彼から常供のささげ物を取り上げた。こうして、その聖所の基はくつがえされた。
12節:背きの行いにより、軍勢は常供のささげ物とともにその角に引き渡された。その角は真理を地に投げ捨て、事を行って成功した。

イスラエルとその神を蔑ろにし、自らを神として、冒涜の限りを尽くすエピファネス王。
天の軍勢→エピファネスの戦いの対象としてのイスラエル。軍の長→神。
神殿の祭壇を破壊し、異邦の神ゼウスを置き、常供の捧げものや行事を廃止し、聖所の祭事は全て覆し、エピファネスの好む行事が行われた。
特筆すべきは、この時イスラエルにゼウス神を崇める者たちが現れた。→「軍勢は常久・・渡された。」
神格化したアンティオコス・エピファネス王は、エジプト侵略がローマの影響で中途となり、その帰りにイスラエルを蹂躙する。処刑と搾取は激しく、処刑者は8万人、捕囚4万人、おんな子供4万人を奴隷売買。
エピファネスのイスラエル征服は、成功した。(ように見えた)
宗教弾圧:

・これまでにない非道なまでの宗教弾圧。しかし、イスラエルがマカベア戦争にて勝利。
・エピファネス王は、終末の反キリストの型とされていることに注目

13節:私は、一人の聖なる者が語っているのを聞いた。すると、もう一人の聖なる者が、その語っている者に言った。「常供のささげ物や、あの荒らす者の背き、そして聖所と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことか。」
14節:すると彼は答えて言った。「二千三百の夕と朝が過ぎるまで。そのとき聖所の正しさが確認される。」

二人の御使いが登場する。二人は語り合っている。
一人が質問する。
今見ているこの幻は、いつまで続くのか?
「捧げものや行事が奪われ、祭壇は荒らされ、聖所、聖徒たちが蹂躙されている状態はいつまで続くのか。」
他の一人が答える。
「2300の夕と朝が過ぎるまで続く。しかし、必ず聖所は回復する。」
およそ6年半である。朝、夕ということで、1日2回→1150日・・約3年半の説もある。
何が起点となってのことかは、今のところ不明

 

アンティオコス・エピファネスとマカベア戦争、そしてハヌカの祭り

アンティオコス4世エピファネス
紀元前2世紀のセレウコス朝シリアの王(在位:BC175年~BC163年)。    

プトレマイオス朝を圧倒したことでユダヤを支配下に治めたが、やがてユダヤの人々による反乱、マカベア戦争を引き起こすことになりました。

 

マカベア戦争
アンティオコスはユダヤに対して圧政を持って臨み、エルサレムを破壊し、多くの敵対者を処刑。これに対してユダヤ人たちはユダ・マカベアの一族であるハスモン家をリーダーとして立ち上がり、アンティオコスの派遣した軍を撃破するなど各地で奮闘しました。アンティオコスは怒りにかられて自らユダヤ侵攻軍を率いたが、道半ばにして急死。紀元前163年のことです。

 

ハヌカの祭り
BC164年キスレウ月の25日(現在の12月頃)、マカベアは神殿を奪還し、奉献しました。その記念の祭りが『ハヌカの祭り(光の祭り)』です。ハヌキアという燭台に蝋燭を灯します。子供達には、独楽や金貨(チョコレート)がプレゼントされます。


預言者としての使命

ダニエルは預言者としての使命を受けて、あまりの情報の多さに少々うろたえています。
年齢は69歳。普通なら、完全に第一線を退く頃ですが、神の民は勝手が違う。
神の言葉を預かる者は、その応答が求められています。私たち神の子も、同様です。
私たちも、ダニエルとは形式が異なりますが、神の言葉、福音を預かる身です。
私たちは、この神の言葉を実践して、その喜びと幸いを示し、神の領域を知らせる使命が与えられています。
とはいえ、難しいことをするのではなく、素直に神のみことばに信頼して歩むという地道な実践を、喜びをもって行うことが求められています。
神が預けてくださった聖書のみことばを、私たちはこの上ない宝物として受け取っています。
信仰に導かれた私たちは、成長してこの時代のみことばを預かる預言者でもあるのです。
神が与えてくださる人生がどれほどに価値のある事かを、私たちの歩みを通して人々に示してゆきましょう。

2024年06月06日

ダニエル書8章15節~27節

15節:私ダニエルは、この幻を見たとき、その意味を理解したいと願った。すると見よ、勇士のように見える者が私の正面に立った。
16節:私は、ウライ川の中ほどから「ガブリエルよ、この人にその幻を理解させよ」と呼びかけている人の声を聞いた。
17節:彼は私が立っているところに来た。彼が来たとき、私はおびえて、ひれ伏した。すると彼は私に言った。「悟れ、人の子よ。その幻は終わりの時のことである。」
18節:彼が私に語りかけたとき、私は地にひれ伏したまま意識を失った。しかし彼は私に触れ、その場に立ち上がらせて、
19節:こう言った。「見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることをあなたに知らせる。それは、終わりの定めの時に関わることだ。

ダニエルの理解したいという願いに応答があった→勇士のような人が現れる。
天使ミカエルが天使ガブリエルに、この幻の意味をダニエルに理解させよと命じたからである。。
ダニエルの心が見られていることが分かる。
ダニエルは怯えてひれ伏した。ガブリエルの姿は、人が見たことのない姿であったと思われる。
「終わりの時」→終末→大患難時代のことを示している。ダニエルは、小さな角(アンティオコス・エピファネス)の出現が終末と考える。
それを聞くとすぐに意識を失うダニエル。しかしガブリエルは彼を立ち上げて、説明を続ける。
「終わりの憤りの時に起こること」→大患難時代のことであるとガブリエルは教えている。

ダニエルの考え
・ダニエルにとっては、エピファネスの悲劇は約380年後のこと。
・それが、終末に起こると聞かされているのである。
・我々のように、すでに起きている史実を知って、聞いているのとは異なる。

20節:あなたが見た二本の角を持つ雄羊は、メディアとペルシアの王である。
21節:毛深い雄やぎはギリシアの王であり、その額にある大きな角はその第一の王である。
22節:その角が折れて、代わりに四本の角が生えたが、それは、その国から四つの国が起こるということである。しかし、第一の王のような勢力はない。
23節:彼らの治世の終わりに、その背く者たちが行き着くところに至ったとき、横柄で策にたけた一人の王が立つ。

2本の角の帝国→メド・ペルシア帝国、雄やぎ→ギリシア帝国、大きな角→アレキサンダー大王
その後、4本の角が生える→ギリシア帝国が分裂して興る4つの国のこと(アレキサンダー大王のような力はない)
彼らの治世の終わりに→治世は単数形。「異邦人の時の最後」という意味。
この個所の解説が、8~9節の展開と異なっている。
「彼らの行き着くところ」→終末すなわち大患難時代。
横柄で策にたけた一人の王→欄外:謎を理解する→霊的能力などの超人間的能力。
反キリストの登場→アンティオコス・エピファネスが型である。(ダニエルは混乱する)


24節:彼の力は強くなるが、自分の力によるのではない。彼は、驚くべき破壊を行って成功し、有力者たちと聖なる民を滅ぼす。
25節:狡猾さによってその手で欺きを成し遂げ、心は高ぶり、平気で多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。しかし、人の手によらずに彼は砕かれる。

悪魔に与えられた力によって、彼に従う国々の戦力を自由に使う反キリスト。
大患難時代の前半と中盤で、反キリストはイスラエルの有力者と民を徹底的に打ち、支配する。
最後はイスラエルの民を殲滅するかのような勢い。
反キリストの戦いの相手は、神である。それは悪魔が導く戦いである。
イスラエルの民をはじめ多くの人々が支配され滅ぼされる。
君の君→イスラエルのメシアを指す。
人の手によらずに・・・神の手、つまりイエス・キリストの裁きで完全に滅ぼされる。

26節:先に告げられた夕と朝の幻、それは真実である。しかし、あなたはこの幻を秘めておけ。これはまだ、多くの日の後のことだから。」
27節:私ダニエルは、何日かの間病気になったままでいた。その後、起きて王の事務を執った。しかし、私はこの幻のことで驚きすくんでいた。それを理解できなかったのである。

夕と朝の幻・・・今まで出て来た幻全体
ガブリエルはこの幻が真実であることを告げる。
この幻の実現は、まだ先のことだから、秘めておくように指示するガブリエル。
ダニエルは何日間か病気になった。こうした経験が、彼に大きな打撃であったと思われる。
ダニエルは回復してからも、幻の内容に驚くと共に、理解が及ばず苦しむことになる。
ダニエルは、間もなく70歳である。

 

繰り返し示される幻 しかし、内容は微妙に異なる

異邦人の王の夢から始まり、ダニエルにはさらに手を変え品を変えて終末を示される神。今回の幻も、微妙な所に異なる表現がある。
我々にとっては、すでに過去のことであり、聖書の正確さにおどろき感動するが、ダニエルにとってはそのほとんどが、まだ見ぬ世界であり、あまりの情報の多さに驚くばかりと思われる。
今まで学んだ預言書の多くは、「先々こうなるから、悔い改めよ!」というスタイルが多かったが、ダニエルへの幻は、ただ淡々と時代の展開が示され、誰々に伝えよ!というのもない。
こうしたことから、ダニエルに示された内容は、捕囚前の預言書とは一線を画した内容と考えざるを得ない。それは終末のビジョン。
いま私たちは、黙示録という預言書とダニエル書をもって、更に詳しい未来像を知っている。
ダニエルのような苦しみを持つことなく、心に刻む言葉として受け止められることに感謝である。

 

聖霊という導き手

ダニエルにはガブリエルという幻の解説者が向けられましたが、私たちには聖霊という導き手であり、助け手である神の御霊がそれぞれに与えられています。
聖霊は私たちのすべて良いことも悪いことも知っておられ、尚且つ、私たちを神の元へと歩めるように導いておられます。
私たちは、神を愛し、隣人を愛する道を歩んでいますが、なかなかまっすぐに歩めません。
それでも、忍耐強く愛をもって私たちを神の御前へと導いておられます。
この聖霊の声は、自己を優先すればするほど聞こえず、見えず、神を優先すればするほど聞こえて来ます。
私たちは、信仰者として成熟を目指して歩む者です。
より聖霊の声が聞こえてくるような歩みを、共に目指しましょう。

2024年06月15日

ダニエル書9章1節~23節

9章の背景
ダレイオス王の元年はBC539年。前回の幻を見てから約10年が経過。バビロン帝国からメド・ペルシア帝国の時代に転換。異邦人の時の進展をダニエルは体験した。確かに、あの幻のようになった!

 

1節:メディア族のクセルクセスの子ダレイオスが、カルデア人の国の王となったその元年、
2節:すなわち、その治世の第一年に、私ダニエルは、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃の期間が満ちるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った。
3節:そこで私は、顔を神である主に向けて断食をし、粗布をまとって灰をかぶり、祈りと哀願をもって主を求めた。

キュロスが帝国の大王であり、ダレイオスが王となっていた。ダレイオスはバビロン州を任された。
BC539年、バビロンからメド・ペルシアへと支配が変わった激動の年。不思議な文字事件があった年。
文書とは:エレミヤ、それ以外の預言者たちの文書をさす→文書は複数形で表現されている。ダニエルは預言書を研究していた。

エレミヤ(涙の預言者、悲しみの預言者)→BC627~BC583・・と同時代の預言者
・同時代の前半期→イザヤ、ホセア、ミカ
・同時代の後半期→エゼキエル、ダニエル
荒廃の期間の満ちる年数70年→エレミヤ25:11~12、29:10、イザヤ44:28
第1回目の捕囚 BC605(ダニエルが連れて来られたとき)➡現在はBC539(67年目に突入)
断食、粗布、灰かぶり(悔い改めのスタンダード)→なぜダニエルは悔い改めているのか?
見せられた幻は、非常に厳しいもの。悔い改めてすぐにでもメシア的王国の完成を主に願い求めた。

4節:私は、私の神、主に祈り、告白した。「ああ、私の主、大いなる恐るべき神。あなたを愛し、あなたの命令を守る者には、契約を守って恵みを下さる方。
5節:私たちは罪ある者で不義をなし、悪を行って逆らい、あなたの命令と定めから外れました。
6節:私たちはまた、あなたのしもべである預言者たちが、御名によって私たちの王たち、首長たち、先祖たち、民衆すべてに語ったことばに、聞き従いませんでした。
7節:主よ。義はあなたにありますが、顔をおおう恥は私たちにあります。今日あるとおり、それはユダの人々、エルサレムの住民にあり、また、近くであれ遠くであれ、あなたが追い散らされた先のあらゆる国々にいる、すべてのイスラエルにあります。彼らがあなたの信頼を裏切ったためです。

悔い改めの祈りと告白。初めに裏切りの罪について。
神を愛し、神の命令を守る者には契約に則って恵みを下さるお方。(現在も同じ)
現在はどのような命令に従うか?キリストの律法に従うこと。⇔常に変わらぬ神と人間との関係
常に問題があるのは人間側。“命令と定め”から外れた歩みをしてしまう。
神は更に助けの手を差し伸ばされる。預言者を遣わして導いたが、民族全員が従わない。
神は完全であり、民が恥に覆われていた。ユダ、エルサレムの住人、離散の人々、つまりイスラエルの民全体。
イスラエルの民は神に信頼すると言いながら、信頼を裏切った民である。
神の民としての誉れを周囲に示すことなど不可能!捕囚は自業自得の結果
神を愛する→神に100%信頼する表現と同じ意味。
決して感情的にということではなく、自分の全人格をかけて愛する。

8節:主よ。顔をおおう恥は私たちにあり、私たちの王たち、首長たち、および先祖たちにあります。私たちはあなたに対して罪を犯してきました。
9節:あわれみと赦しは、私たちの神、主にあります。まことに、私たちは神に逆らいました。
10節:私たちは、私たちの神、主の御声に聞き従わず、しもべである預言者たちによって神が私たちに下さったみおしえにも、従って歩むことをしませんでした。
11節:イスラエルはみな、あなたの律法を犯して離れ去り、御声に聞き従いませんでした。そのため、神のしもべモーセの律法に書かれているのろいの誓いが、私たちの上に降りかかりました。私たちが神の前に罪ある者であったからです。
12節:神は、大きなわざわいを私たちにもたらすことで、かつて私たちと、私たちを治めた指導者たちに対して告げられたみことばを成就されたのです。エルサレムの上に下ったほどのわざわいは、今まで天下になかったことです。
13節:このわざわいはすべて、モーセの律法に書かれているとおりに、私たちの上に下りました。しかし私たちは、不義から立ち返って、あなたの真理によってさとくなれるように、自分たちの神、主に願うこともありませんでした。
14節:主はそのわざわいを下そうと待ち構えていて、それを私たちの上にもたらされました。私たちの神、主のなさったみわざはすべて正しく、私たちが御声に聞き従わなかったからです。

メシア的王国の時が満ちる前に、徹底した悔い改めをしようとするダニエル。
罪の告白。
神は“あわれみと赦し”の神。その神に逆らうイスラエルの民。
神の言葉に従わず、派遣された預言者のみおしえにも聞き従わなかった。
これは、律法に従わなかったことを意味している。
律法に従わない者へののろいが民に降りかかった。申29:13~28
→バビロン捕囚となって成就した。これまでになかった裁きである。
そんな裁きが下っても、その不義を反省し、神の真理に従って神に願うことさえしない民。
こうして捕囚の中にあって、すべて神は正しく、原因は全て民にある

15節:しかし今、私たちの神、主よ。ご自分の民を力強い御手をもってエジプトの地から導き出し、今日あるとおりに名を成された神よ。私たちは罪を犯して、悪を行いました。
16節:主よ。あなたのすべての義のわざにしたがって、どうか御怒りと憤りを、あなたの都エルサレムから、あなたの聖なる山から去らせてください。私たちの罪と私たちの先祖たちの咎のゆえに、エルサレムとあなたの民が、私たちの周囲のすべての者にとってそしりの的となっているからです。
17節:私たちの神よ。今、あなたのしもべの祈りと願いを聞き入れ、主ご自身のために、あなたの荒れ果てた聖所に御顔の光を照り輝かせてください。
18節:私の神よ。耳を傾けて聞いてください。目を開いて私たちの荒れすさんださまと、あなたの御名がつけられている都をご覧ください。私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行いによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです。
19節:主よ、聞いてください。主よ、お赦しください。主よ、心に留めて事を行ってください。私の神よ、あなたご自身のために、遅らせないでください。あなたの都と民には、あなたの名がつけられているのですから。」

完全なる悔い改めの姿勢を示すダニエル。それはイスラエルの民を代表する祈りである。
自分の罪を完全に認め、神に絶対の信頼を示す。
決して、自分たちが悔い改めたから、怒りを鎮め、神の栄光を輝かせてくださいというのではない。
あなたの大いなるあわれみによって、周囲のそしりの的から栄光へと回復させてくださいと祈る。
悔い改めて、それを正しい行為と思ってしまうのは間違いである。赦しは神のあわれみによる。
すべてはあなたの栄光のため。残念だが、私たちはあなたの名を高めることが出来なかった!
あなたの名を冠する都(エルサレム)と民(イスラエル)の回復をもって、あなたの御名、あなたの栄光を示してください!
神の栄光をたたえるのが神の民の究極の任務であることを、ダニエルは正確に認識していた。

自己中心か?神中心か?
・悔い改めをすれば、赦される。だが、その時の心の姿勢が重要。
・神の期待は、徹底した謙虚さが実現しているかどうかである。

20節:私がまだ語り、祈り、自分の罪と自分の民イスラエルの罪を告白し、私の神の聖なる山のために、私の神、主の前に伏して願いをささげていたとき、
21節:すなわち、私がまだ祈りの中で語っていたとき、私が初めに幻の中で見たあの人ガブリエルが、すばやく飛んで来て私に近づいた。それは夕方のささげ物を献げるころであった。
22節:彼は私に悟らせようとしてこう告げた。「ダニエルよ。私は今、悟りによってあなたを賢明にさせようとして出て来た。
23節:あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが出されたので、私はそれを伝えに来た。あなたが特別に愛されている者だからだ。そのみことばを聞き分けて、その幻を理解せよ。

ダニエルが祈っているとき・・・夕方の祈り(午後3時)本来なら神殿でささげ物を捧げる時間。
ダニエルの祈り→悔い改めは自分と民族の両方のもの。
その最中に、ガブリエルが素早く現れ、ダニエルに近づいてきた。
ダニエルの誤解を解き、賢明にするためにやってきたガブリエル。彼は、みことばを携えてきた。
ガブリエルは彼の悔い改めを聞いていた。すると、神がみことばを出され、彼はすぐに出てきた。
ダニエルの人生の歩みは、手本とすべきもの。彼は神に特別に愛されている。(とても重要な箇所)
示された幻をよく理解するために、新たなみことば(説明)を持ってきたガブリエル。
ダニエルの姿勢は評価されている。しかし、誤解は訂正されなければならない。

誤解:幻の理解が不十分だったダニエル。70年が経てばメシア的王国の建て上げが起こると信じていた

悔い改めの姿勢 更に神に愛される人になるために

ダニエルは、エレミヤたちの預言書から、神の裁きである捕囚期間が70年であることに気付き、幻を見た影響もあり、慌ててイスラエルの民の状況を顧みた。
捕囚された後、彼らの多くはいつ捕囚から解放されるかについて希望を持たずに、ただ嘆き、解放を訴えていたのではなかろうか。
ただ嘆く、とは捕囚された者たちと異なり、新しい世代になると、希望を持つこともなく、ただ捕囚からの解放ばかりを神に訴え、反省のない勝手な祈りの人々が大半ではなかったか。
民族としての祈りとは、どんな世代になっても、民族としていつもその罪を身に負って、神に接する姿勢が大事と思われる。そんなダニエルの姿勢を神は愛された。
私たちも心の底から悔い改めて、今は義なる者とされているが、決して義ではないことを知るなら、心の底から悔い改めたことを忘れず、義とされていることを大いに喜んで歩むべきではないか。
そうして益々神に愛される人を目指しましょう!

 

神の栄光をたたえる!

救われたとき、私は、人間が救われることが全てに優り、最優先事項と思っていました。
そう考えていたと分かったのは、神が歴史を展開する目的が、神ご自身の栄光を成就するためと知ったときからです。
「えっ!」と心の中に響くほどの驚きでした。その時、人間主義とか自己中心とかの意味がはっきりと自覚できました。これが、神の一番嫌われる人間の性質であることに気付かされました。
人は舞台の上では主役に見えても、結局はその背後で舞台を運営する監督が全てを指揮します。
神はこのような愚かな人間を救いに導き、悪を裁き、真の平安な神の王国という作品を完成させます。
その作品の完成には、それを完成させようとする私たちの真の信仰が必要不可欠です。
神の栄光の成就は、間違いなく私たち人間を、栄光の幸いの中に導き入れてくださるもの。

だからこそ、100%の信頼と喜びをもって、神の栄光をたたえる真の信仰者として人生を全うしましょう。


2024年06月20日

ダニエル書9章24節

24節:あなたの民とあなたの聖なる都について、七十週が定められている。それは、背きをやめさせ、罪を終わらせ、咎の宥めを行い、永遠の義をもたらし、幻と預言を確証し、至聖所に油注ぎを行うためである。

この会話に至る経緯:

① ダニエル
 ・夕方の祈りをしていた。
 ・捕囚期間が70年であることに気付き、メシア的王国が速やかに構築されるよう、正しく神に向き合う悔い改めの祈りを始めていた。
 ・信仰者として神に特別愛される人物と認められた。

② ガブリエル
 ・ダニエルに悟りを与えて、賢明になってほしいという思いで、みことばを携えて瞬時にダニエルのところに来た。
 ・誤解を正さなければならない。

 

ガブリエルが示す終末の預言:

24節~27節は終末の状況を示す幻の補足説明をするもの。
8章19節でガブリエルは
①「終わりの憤りの時」②「終わりの定めの時」に関わることだと言っていた。
終わりの定めの時、すなわち終末に関する追加情報がこれから語られる。
神の許可によって、ガブリエルがダニエルに知らせる。→神はダニエルの理解を把握している。

 

23節に、「そのみことばを聞き分けて、その幻(終末預言)を理解せよ。」とある。
・ダニエルに、そして後の読者に対しての言葉と思われる。
・新約の黙示録が難解なように、旧約のダニエル書も同様に難解だった。

24a節・・『あなたの民とあなたの聖なる都について、70週が定められている。』
ダニエルが見てきた幻、終末の光景は、イスラエルの民とエルサレム(神殿含む)についてのこと。
起こる事象は、70週(70×7)=490年の期間を経て終了することが決定されている。

490年について:
・原語の『シャブエー』は7つをひとまとまりとした単位で、複数形は『シャブイム』。
・1週間はヘブル語でシャブオット。

 9章24節のこの個所では、シャブイムが使われている。
・ 『週』は誤訳だが、便宜上、70週と呼ぶ。
・文脈から490は490年を表す。

ダニエルは、70年ではなく70週と示され、その誤解に気付いたと想像する。
さらにダニエルの思いは、何故幻で見たような大惨事が起こるのだろうか、ということ。
私見だが、ダニエルは惨事の原因が民族の不正、正しい悔い改めの欠如、と考えたと思う。
次の24b節がその回答になる。それを見て置くことで、24節~27節が終末預言であると確信できる。
この70週には、メシアの初臨と再臨の両方が含まれていることに注目。


70週の目的・・二つの側面
この目的は6点あり、二つの側面がある。   

ユダヤの民とエルサレムの両者に、これらの目的があるということ。

 

第一の目的:『背きをやめさせ』→ 違反を終わらせるため
『背き』はヘブル語で激しい内容の、非常に特別な反乱、罪を指す言葉。
反乱→ユダヤ人のメシア拒否を示している。
完全なる赦しがなされる。国家的、民族的違反の赦し。


第二の目的:『罪を終わらせ』→ 罪を終わらせるため
『終わらせ』は封止するというような意味。
罪を除去すると共に、ユダヤ人の罪(神への反逆)を封止するという意味。
日常生活的罪の封止。

 

初臨と再臨
・ダニエルにメシアの初臨と再臨が示されている。
・ダニエルにメシアの拒否は、理解できただろうか?
・完全なる赦しや、日常の罪の除去は、メシア的王国の御業である。

 

第三の目的:『咎の宥めを行い』→ 不義の和解をするため
『和解する』はヘブル語で『宥める』の意味。犠牲に基づいて罪を浄めること。
人間の罪の性質のための贖罪が行われることを意味する。

ここまでのまとめ
第一の目的:ユダヤ人の大罪、メシア拒否を終わらせる。
第二の目的:日々のすべての罪を封止する。
第三の目的:人間の罪の性質を償う、贖う。
これらは、神の介入なしには 終わることがない問題である。

 

第四の目的:『永遠の義をもたらし』→ 永遠の正義をもたらすために
『永遠の義』は、正義の時代をもたらすという意味。王国としての回復。
これはメシア的王国の特長である。完全なる義ということではない。

 

第五の目的:『幻と預言を確証し』→ ビジョンと預言の封印のために
『確証』の箇所は、英語(seal up)、新共同:封止する、封印するという意味。
封止はヘブル語的には停止、終了の意味で、すべての預言、幻、啓示は成就して終わる、という意味。
現実的にはメシアの再臨が全ての預言を完成させる。
・預言の完成とは、神が人に預けていたみことばの成就。
・千年王国、新天新地になれば、神、主自らが言葉を語られる時代であり、預言は必要なくなる

 

第六の目的:『至聖所に油注ぎを行う』→ 聖なるものへの油注ぎのため
結論から言うと、第四神殿が建立され、油注ぎが行われることを意味します。
第2神殿、第3神殿、またはイエス・キリストと様々見解があり。
原文から一般的に神聖な場所、つまり神殿を指していると考えら、第4神殿とするのが自然。
エゼキエル40章~
・エゼキエルのこの個所は、メシア的王国での神殿の状況について語っている。
・エゼキエルは、ダニエルより若干年長と思われる。
・ダニエルがエゼキエルの預言をどこまで受け取っていたかは不明。

 

まとめ

●この目的のとらえ方を間違えると、すでに起こった歴史的事実があって、すでに実現したものと考える。
●上げられた6つの目的が全て完全に実現することが70週の目的であると知ることが重要である!
●それはメシア的王国、千年王国の時以外ありえないことであり、これが字義通りの解釈である。

 

神のみことばの理解

ダニエルはかなり優秀な能力の持ち主で、さらに信仰心も厚い人物である。

そんなダニエルに、神はなぜ、あのような難解な幻や断片的な言葉を与えたのだろうか。
これまで聖書の理解のために、様々な試みがなされ、今日に至っている。
聖書として世に残された神の御心の正しい理解が、歴史の展開を通して進む。
我々は、過去の事例を通して、神の啓示に応答して歴史が展開していることを知ることが出来る。
これまで、みことばの様々な研究者が存在し、難解な預言書が明確に分かって来たという事は感謝であると共に、いよいよ終わりの日はもう眼の前ではないかと理解できる。
聖書を学び神を学ぶことが謙虚さの現われであり、人間が生きる上で最重要テーマであることが分かる。

 

目的を知る・・人生の歩み!
本日は24節だけを取り上げたが、ここには終末に至るまでの目的が示されている。
目的を正確に知れば、現在地がわかる。
まだ、その道の途中である。しかし、だいぶ近い所にいることも判断できる。
70週の預言の最終局面は、いわゆる大患難時代という悲惨の時代だが、その先には素晴らしい未来が待っている。
私たちが目を置くべきは、終末のその先のメシア的王国である。
ただ漠然と未来を見るのではなく、より具体的な情報を心にインプットすることで、自らを活性化できる。
目的のある行動や活動は周囲にも影響する。
私たちは死んで終わりの人生ではなく、むしろ死んで新たに始まる人生をすでに歩んでいる!
世の人に、終わりを意識する人生ではなく、始まりを意識する人生を歩んで見せましょう!

2024年06月27日

ダニエル書9章25節~26節

25節:それゆえ、知れ。悟れ。エルサレムを復興し、再建せよとの命令が出てから、油注がれた者、君主が来るまでが七週。そして、苦しみの期間である六十二週の間に、広場と堀が造り直される。

24節において、6つの目的のために、70週(490年)が定められていることが示された。
さてその具体的な時間軸とは?

ガブリエルはダニエルに、ここで示される内容は、終末に関することだと知っておきなさいと強調する。
終末(最終的に)はこうなる!という事。(歴史には終わりがある!)
このシナリオの皮切りは、エルサレム復興である。
ダニエルにとっては、自分が経験した捕囚からの解放が一番理解しやすい。
この命令は、キュロス王から翌年に発令される。
BC538年の帰還、再建命令。(現在はBC539年)

 

70週の起点については次のように数案ある。
①キュロスの命令(Dr.フルクテンバーム)
②ハガイ、ゼカリヤの命令
③エズラへの命令
④ネヘミヤへの命令(Mr.アミール)
等他にもあるようだがここには挙げない。

しかし、次の理由から①キュロスの命令を起点と考える。

・イザヤ書にて預言された内容であること。イザヤ44:28
・ダニエルが預言を受けた翌年に、その成就を見るということ。
・字義通りの解釈の視点

 

ただ、ここに2つの考え方(④と①)を挙げておきたい。

その前に、新共同訳が分かりやすいのでその訳を記す。
25節の新共同訳:『これを知り、目覚めよ。エルサレム復興と再建についての 御言葉が出されてから油注がれた君の到来まで 7週あり、また、62週あって 危機のうちに広場と堀は再建される』

 

先ず、ネヘミヤを起点とした考えでは、

・アルタクセルクセスがネヘミヤに再建の許可:BC445.3.14
・69週は、日数に換算すると、太陰暦で173880日。360日/年×7×69(ユダヤ暦)
・これを加算すると、BC445.3.14→AD32.4.6=イエスのエルサレム入城の日。


キュロスの命令を起点にすると、年代に大きなズレが生ずるが、聖書に忠実に、字義通りに考えたい。

・キュロスの命令が、都市と神殿の再建を端的に示している。ハガイ書では住まいが出来ている(ネヘミヤの70年前)。
・イザヤ書ですでにキュロスの出現が明記され、神殿についても言及がある。イザヤ44:28、45:1~
・他の3命令は、神殿再建という直接的な表現ではない。ネヘミヤは、王から派遣の許可が出されもの。
・フルクテンバーム博士は、ペルシア帝国史の西暦表記に誤りがあるとし、キュロス王の命令を起点とすべきとする。
・ペルシアなどの西暦表記の基準はプトレマイオス年表。参考程度の信頼性。(プトレマイオスは2世紀の天動説の天文学者)

 

『油注がれた者、君主』とは、メシアなるイエス・キリスト。
ダニエルはどのように推測したであろうか。

絶対的支配者なる王を想像したのではないか。
<英語訳>『エルサレムが再建され、油注がれた君主が来るまで、7週と62週がある。』
エルサレム再建と7週、君主の来臨と62週、という関係。つまり・・

 

広場や堀の再建→要塞都市エルサレムを指している。神殿、城壁完成まで様々な妨害があった。(ハガイ書、ゼカリヤ書、エズラ記、ネヘミヤ記)
キュロスの再建命令からネヘミヤの城壁完成まで49年。字義通りの解釈を最優先する。
そして、イエス・キリストが出現するのが、その434年後、つまり再建命令から483年後ということ。

 

26節:その六十二週の後、油注がれた者は断たれ、彼には何も残らない。次に来る君主の民が、都と聖所を破壊する。その終わりには洪水が伴い、戦いの終わりまで荒廃が定められている。

62週(434年)の後、メシアが断たれる事件が起こる。
「断たれ」というのは、へブル語では暴力的な死を意味する。メシアの処刑(十字架)。
何も残らない→彼は何もない。へブル語では自分のためではないとも訳せる。イスラエルと世のため処刑された。
『次に来る君主』は、8:23~25で示された反キリストを指す。(26節の君主はnagid:反キリスト、25節の君主はmasiah:メシアが使われている)
キリストが磔刑されて後、AD70年にエルサレムと神殿が崩壊する。その実行者はローマ軍。
ここで分かることは、反キリストはローマ起源の異邦人。反キリストは異邦人の時の最終的支配者。
エルサレムと神殿は、軍事侵略(洪水)される。これは、終末にかけて神殿が建っているという事。
最後の最後まで、イスラエルの民は土地も含め、長期間荒らされることが定められている。

 

9章26節は69週と70週の隙間時間

 

 

対話と歩み

 神に喜ばれる信仰生活

優秀なダニエルでも、その示された預言の言葉にかなり動揺したのではないかと想像します。
捕囚されながらも、高いポジションに置かれたダニエル。まるで救い現実版のようです。
しかし、彼は神が喜ぶ信仰者として、日々、神が示す正義と公正を実践していました。
私たちも、こうした信仰生活を、日々の生活の中にどんどん取り入れることが大切です。
聖書を通して、未来の素晴らしい約束が与えられていることを私たちは知っています。
と同時に、この地上の人生をどう生きるかも、聖書を通して学びます。(愛神愛人・・正義と公正)
神は聖書と聖霊を通して、いかなる動機をもって人生を歩むかを教えています。(キリストの律法)
救いはレーベルやレッテルではない!聖書が示す道を歩むことが救いです。
神との対話を欠かさず、教会の繋がりを喜び、皆で神を見上げてスクラム組んで前進しましょう!

 

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」ヨハネ14:6

2024年07月04日

ダニエル書9章27節

患難時代の開始

・ガブリエルは、69週とその後の隙間時間について、ダニエルに預言した。(ダニエルが理解したかどうかは不明)
・メシアの初臨とその処刑という衝撃的なイメージが、ダニエルを混乱させただろう。
・そして、残りの1週について預言を受けるダニエル

『彼は1週の間、』
「彼は」・・反キリストを指す。前節の「次に来る君主」。
「1週の間」・・70週の最後の1週、つまり7年間
『多くの者と堅い契約を結び、』
反キリストは、7年間の堅い(堅実な)契約を締結する。強制されて締結する契約とは限らない。
契約はイスラエルのリーダーの多数と締結。反対する人たちもいたということ。

 

 

1⃣患難時代の起点

字義どおりに解釈すれば、反キリストと7年間の契約を締結した時が起点。
起点を「携挙」とする説があるが、根拠は全くない。携挙は隙間時間に起こる御業。
「携挙」が起こった時点で、地上に教会(普遍的教会のメンバー)は存在しない。

2⃣ 最終の1週(7年間)の3つの目的

①ユダヤ人の頑固な意思の改変 (ダニ12:7 打ち砕かれて、イエスを受け入れる)
②世界的なリバイバル (黙7:9~14 教会員がゼロ~として、増える様、割合)
③邪悪の壊滅と悪人の裁き。(イザヤ13:9~11)

<69週と70週のギャップ>

隙間時間の存在は、メシア再臨に繋がる重要なインターバルであり、新たな啓示が示され、展開して行く期間である。【恵みの時代】

 

『1週の間、・・契約』
契約内容は軍事侵略からの解放と思われる。しかし、後に破棄される契約。
『半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。』
7年間が2分される。後半に差し掛かり、反キリストは神殿の中央に立つ。
悪魔(サタン)の代理である反キリストが神殿(宗教)を支配。荒らすの意味。
この後半の3年半(一時と二時と半時、42か月、1260日)はイスラエルの苦難の時。
反キリストは、イスラエルとの契約を無視し、武力で奉納制度を廃止する。(黙11:1~2)
これは、第3神殿がすでに立っていることを示していると考えられる
『忌まわしいものの翼の上に、』
「翼」・・カナフ(へブル語)は、翼、極端。広がる影響、神殿の頂点を指す。
反キリストの存在が神殿の頂点にあり、全体に極端な影響が広がる。
第3神殿の上に反キリストが立つということ。神殿の中ではなく外側をイメージ。この頃もなれば、この場面が全世界の人々の目に一瞬に映る。
忌まわしい考えのそのトップに、反キリストが君臨する!それは神殿の頂点に座すこと。
『荒らす者が現れる。』
この時、反キリストは自らが神であることを宣言する。(黙13:14~15、Ⅱテサ2:3~4)
ユダヤ人の前例無き迫害の始まり
『そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。』
「そしてついには」・・kalah(へブル語)は、完了、終末。

決められていた破滅が反キリストの上に降りかかり、すべて完了する。
「定められた」・・charatz(へブル語)は、切る、決定する。
苦難の期間は7年間で確実に終了する。
定められた破滅→神の怒りが荒れ果てた人(人々)に注がれる。
神の怒り(裁き)→二つの側面
●患難期の後半のユダヤ人は、神の裁きに会う
●最後に再臨のメシアに裁かれる反キリスト
患難時代の7年間はイスラエルにとって前例のない苦難の時である。
「上に降りかかる」・・メシアの地上再臨により、悪の上に神の裁きが一気に下る様が想像できる。

 

終末預言と神の御心 

神の目線で、ダニエルに示された預言の意味を考えてみる。
明らかに、神はイスラエルをはじめとする人類を、ある方向へ導くことを決められていることが分かる。
ある方向→神の主権国家である千年王国、新天新地という神の栄光の未来!
アダムに示された原福音(創3:15)の一部とダニエルへの預言との関連を見ると、「悪魔の子孫と女の子孫の敵意」や、「頭を打つ、かかとを打つ」は、隙間時間と最後の1週の裁きと重なる!
栄光の勝利は定められていて、そこにいたるプロセスを、神は必要に応じて人に啓示しておられる。
神は、メシア的王国に向かう文脈に沿って、人々に啓示を与え、導いておられる。
その啓示をきちんと受け入れることが、神の期待に正しく応答する人生の歩み!

 

偽物を見極める力!

  教会メンバーの繋がり
イエス様は、地上に初臨されたとき、普通の人として来られた。
患難時代になれば、偽物の救い主、反キリストが現れる。
間違いなく、彼は人を魅了する姿で現れ、人の耳障りの良い言葉を話す。
異邦人は諸手を挙げて彼を讃え、イスラエルの民は崇めはしないが、相当の信頼を置くこととなる。
人は情報操作、印象操作に簡単に騙されて行く現実!肩書き、レッテルは要注意!
最終的には、反キリストの扇動で、異邦人は平気でイスラエルの民を殲滅する方向へと突き進む。
悪の働きが抑えられているこの時代(Ⅱテサ2:6~7)においても、神、真理にたどり着くのは至難の業。
真理を見出すために私たちが、真贋を見極める力を、互いに繋がりをもって、高めることが重要です。
神の啓示を知り、心を正しく神に向け真理を実践して、これからも教会を通して共にクリスチャン人生を歩んで行きましょう!

2024年07月12日

ダニエル書10章1節~13節

 

 

1節:ペルシアの王キュロスの第三年に、ベルテシャツァルと名づけられていたダニエルに、あることばが示された。そのことばは真実で、大きな戦のことであった。彼はそのことばを理解し、その幻について悟った。
2節:そのころ、私ダニエルは、三週間の喪に服していた。
3節:満三週間、ごちそうも食べず、肉もぶどう酒も口にせず、また身に油も塗らなかった。

・昨年、ダニエルは「獅子の穴事件」を経験し、キュロス王はイスラエル帰還、神殿再建命令を発布。
・エルサレムでは神殿の土台作りが始まる年である。

 

キュロス王の第3年(BC536年)。ダニエルの推定年齢は83~84歳。(フルクテンバーム博士は85歳と考えている)
この時、「あることば」→これから12章まで語られる預言ーが示された。
それは、「大きな戦」→原語は”tsaba”。戦争や、「大きな衝突」。

「イスラエルにとって長く激しいトラブルの期間」
彼はその言葉を理解し、幻を悟った・・とあるが、ユダヤ人に対する困難な時代がある事を理解しつつも、その詳細は、12章8節にもある通り、理解不十分である。
彼は、3週間の喪に服していた。 

「ごちそう」・・過越しの祭りの週と重なるが、そのごちそうには与らない。
並々ならぬ、ダニエルの断食に対する思いがあったと察する。

過越しの祭り
・第一の月の14日・・過越しの祭り (第一の月は太陽暦では3月~4月)
・15日から21日まで・・種なしパンの祭り

4節:第一の月の二十四日に、私はティグリスという大きな川の岸にいた。

キュロス王第3年、第一の月の24日に、今回の預言が示される。(断食明け直後)
彼は断食明けで、ティグリス川の川岸にいた。実際にその場所にいた。・・8章2節とは異なる。
何故、喪に服したのか?(事実は不明)

①キュロス王の命に応じた帰還者の数が少ない
②現場で発生する妨害に落胆する帰還者たちの思いを受けて
③神殿再建が始まって、すぐに中断してしまったことに応答
「喪に服す」・・abal・・ネヘミヤ1:4の嘆き悲しみと同じ。神殿、エルサレムに対する嘆きと断食。
断食明けということで、ティグリス川のほとりで体力回復のための散歩か。体調は万全とは言えない。
神殿再建の邪魔
・エズラ4:4~5
・神殿再建当初から、邪魔が入っていたことは明らか

5節:私は目を上げた。見ると、そこに一人の人がいて、亜麻布の衣をまとい、腰にウファズの金の帯を締めていた。
6節:そのからだは緑柱石のようで、顔は稲妻のよう、目は燃えるたいまつのようであった。また、腕と足は磨き上げた青銅のようで、彼の語る声は群衆の声のようであった。
7節:この幻は、私ダニエル一人だけが見て、私と一緒にいた人たちはその幻を見なかった。しかし彼らは大きな恐怖に襲われ、身を隠して逃げ去った。

天使の装い お付の者たちには見えず、ダニエルにだけ見えた幻 

①亜麻布の衣→祭司の奉仕活動であり、「聖さ」を指す。
②ウファズの金の帯→ウファズ産の金の帯・・王家の印であり、超自然的な性格。
③緑柱石の様な身体→完全なる健全、健康な身体を指す。
④稲妻のような顔→シャカイナ・グローリー(栄光)を示す顔、表情。
⑤松明のような目→識別力、洞察力を持つ目を指す。
⑥青銅のような両手足→青銅は裁きの象徴であり、強さを示す。
⑦群衆のような声→天の声、神の声を指す。
この時、ダニエルの同伴者たちに幻は見えなかったが、異様な状況に恐怖を覚え、飛ぶように逃げた。 
群衆のような声・・突然静かな川のほとりに、大群衆の声のような音が響き渡る。付き人たちはその圧倒的な威力に、身をひそめるように逃げたのだと思う。

8節:私は一人残ってこの大きな幻を見た。内からは力が抜け、顔の輝きも一変して、力も保てなくなった。
9節:私は彼の語る声を聞いた。彼の語る声を聞きながら、顔を伏せて地に倒れ、深い眠りに陥った。
10節:ちょうどそのとき、一つの手が私に触れて、膝と手のひらをついていた私を揺さぶった。
11節:それから彼は私に言った。「特別に愛されている人ダニエルよ、私が今から語ることばをよく理解せよ。そこに立ち上がれ。私は今、あなたに遣わされたのだ。」彼がこのことばを私に語っている間に、私は震えながら立ち上がった。

ダニエルはひとり残されたが、経験がある事から、何とか見聞きしようとしたが、みるみる力が抜けて行く。
顔色が一変するほどの驚きがあったのだから、一瞬で周囲の環境が激変したと思われる。
ダニエルは、数年前に見た天使を思い出しつつ、天使の声を聞くのだが、自らを支えられない脱力感。
「深い眠り」・・気絶した、気を失ったという事。バタリ!と前のめりにうっ伏す感じ。
すると天使が、ダニエルに触れ、ダニエルを揺さぶった。気絶していたが、気が付いた。
天使はダニエルを励まし、力を与えた。
「特別に愛されている人ダニエルよ」励ましの言葉・・9:23。神に愛されている人。預言を託すにふさわしい人。
理解せよ!立ち上がれ!と励ます天使。力を注入したと想像する。
それにすでに応えているかのように、ダニエルは話の途中から立ち上がっている!

12節:彼は私に言った。「恐れるな、ダニエル。あなたが心を定めて、悟りを得ようとし、自分の神の前で自らを戒めようとしたその最初の日から、あなたのことばは聞かれている。私が来たのは、あなたのことばのためだ。
13節:ペルシアの国の君が二十一日間、私に対峙して立っていたが、そこに最高位の君の一人ミカエルが私を助けに来てくれた。私がペルシアの王たちのところに残されていたからだ。

天使は、9:21の時のように、悔い改めがあったときすぐに飛んできたかった!
ダニエルの喪に服す姿勢→悟りを得るために自らを戒める祈り→神のみ前に届いている。
ちょうど21日前から、ペルシアに就く堕天使が私(語る天使)の妨害をして、動けなかった。→この預言がイスラエルに伝わってほしくなかったから!
そこにミカエル大天使が応援に入り、こうして此処に来ている。
<天使の階層について>
天使界の階層があり、上位、下位が存在する。上位は、ケルビム(最高位)、セラフィム。
下位はミカエル(天使長、イスラエルの守護)、ガブリエル、無名の天使。
ペルシアに就いていた堕天使が、ダニエルに語る天使と力が拮抗。ミカエルは強かったということ。

「ペルシアの王たち」とは、「ペルシアの国の君」の下で働く下位の堕天使のこと。

「残されて」の訳について

・原語・・yatar→残る、余剰を持つ、余計になるの意味がある。
・大天使ミカエルが来て、この天使が余る状態になる。ミカエルの強さの提示でもある。
・新共同では、「そこにいる必要がなくなった」と訳されている。
サタンと堕天使の行動特性
①神の計画阻止、②サタンの権威の拡充、③神に利用される

 

天使の愛、聖霊の愛

ダニエルは高齢でありながら3週間の断食をし、その直後に天使が現れている。
何度経験しても、天使の姿を見るのは、本当に恐ろしいことのようです。
神の領域にある天使の存在は、決して愛らしいというものではなく、人間の想像を超えている。
そんな天使が、ダニエルをこれほどまでに力づけ、何度も終わりの日についての解説をする。
私たちの神の領域はまさに愛の領域。その領域との繋がりは内住する聖霊が維持してくださっている。
聖霊が、あのダニエルを励ます天使のように、私たちを励まし、導いている。
この特権に、心から感謝すると共に、力をいただき、聖霊の声に耳を傾けよう!

 

学びは愛を深める

  この愛が私たちを強くする!
正しい学びをするというと、神学的に終末論とは、救済論とは、携挙とは、などと知識にばかり固執してしまいがち。
正しい学びは絶対必要ですが、やはり常に神の愛に行き着いてほしいものです。
ダニエルも、シンドイ身体でありながら立ち上がれたのは、神の愛の力を感じ取ったからだと思います。
私たちの人生にも、様々な問題や困難がありますが、決して崩れ落ちることなく、むしろ立ち上がる信仰を持ちましょう。
私たちには神の素晴らしい愛が与えられ、聖霊という神が内住して、私たちを励まし導いてくださっています。
聖霊の内住を意識して、この特権を決して忘れず、日々信仰を増し加えて、共に歩んで行きましょう!

2024年07月25日

ダニエル書10章14節~11章1節

14節:私は、終わりの日にあなたの民に起こることを分からせるために来た。その幻は来たるべき日を待たなくてはならないが。」
15節:彼が私にこのことを語っている間、私はうつむいて黙っていた。

天使は、目的を告げた。
「あなたの民に起こる終わりの日について理解させるために来た。」
9:22に似るが、更に詳しく理解させようとする意図が感じられる
「来たるべき日を待たなくてはならないが・・・。」来たるべき日→患難時代

患難時代まで、様々な歴史の展開があり、決して楽な道ではない。そのことを知っておくように!

あなたの民→イスラエルの民が患難を経て、最終勝利すること。(教会ではない)
最終勝利はするが、そこに至るまでにはまだ時間が掛かり、迫害が続くことも知り、また、伝えなさい。
ダニエルは、必死に立ち上がり、話を聞こうとするが力が続かない。

16節:ちょうどそのとき、人のような姿をした方が私の唇に触れた。それで私は口を開いて話し出し、私に向かって立っていた方に言った。「わが主よ。私はこの幻によって苦痛に襲われ、力を保てなくなりました。
17節:わが主のしもべが、どうしてわが主と話せるでしょう。私には、もはや力はなく、息も残っていません。」
18節:すると、人のように見える方が、再び私に触れて力づけてくれた。
19節:その方は言った。「特別に愛されている人よ、恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」その方が私にそう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ、お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。」

天使は話すこともできないダニエルの唇に触れ、思いを話させた。
もう一人の天使がいるという事ではない。
この時ダニエルは、「わが主よ」という。

「わが主」は、原語では「アドニ」となっている。「アドナイ」なら神を指す。
・アドニは「神」を指すものではなく、「ご主人様」(Sir)という言葉である。
再び、天使はダニエルに触れ、力を与える。
ダニエルは奮い立ち、「わが主よ」ともう一度言う。
19節「神に特別に愛されている人よ」の言葉を聞いた時、ダニエルは恐れから平安へと変化した。
断食のダメージが徐々に改善され、心身共に回復し、話を聞く準備は整った!

20節:すると彼は言った。「私がなぜあなたのところに来たか、知っているか。今、私はペルシアの君と戦うために帰って行く。私が去ると、見よ、ギリシアの君がやって来る。
21節:しかし、真理の書に記されていることを、あなたに知らせよう。私とともに奮い立って、彼らに立ち向かう者は、あなたがたの君ミカエルのほかにはいない。
11章

1節:私はその彼を強くし、力づけるために、メディア人ダレイオスの元年に立ち上がった。」
時代、支配者の移り変わりの背後に、天使と堕天使の戦いがある事が語られる。(霊的戦い)
ダニエルのところに来た理由→真理の書に記されていることを知らせるため。
ここに来る前に、この天使がペルシアの堕天使と戦っていた。
そして、今はミカエルが加勢し、此処に来ているが、ダニエルに話した後、天使はペルシアに戻る。
後にギリシアの君に、対戦相手が変わることになる。異邦人の時の進展を示している。
既にダニエルは、バビロン→ペルシアという変化を体験している。
真理の書に記されているとおり!
「真理の書」には、過去、現在、未来の出来事が記されている。参考にされる本(資料)のようなもの。ダニエル書をはじめ、その一部が聖書に記されている。
このようにイスラエルのために堕天使と戦う者は天使長ミカエルである。
この天使は、かつてそのミカエルに加勢した。ダレイオスの元年(BC539年)、バビロンからペルシアに移った時である。

 

神の前での申し開き

  クリスチャンとしての生き方

詳細な未来を語られ始めるダニエル。
これまでの様々な経験や預言から、彼に、神の確実な未来の成就を疑う余地はない。
彼の年齢は、もう最後の時が迫っている。
彼は、未来の確実性を完全に信じ切っていたから、いのちの続く限り神の仰せに従う姿勢を貫いた。
それは、死んだ後に神のもとで、申し開きすることを悟っていたからだと思えてなりません。
「ですから、私たちはそれぞれ自分について、神に申し開きをすることになります。」 ロマ14:12
 ヘブ4:13、Ⅱコリ5:10、等
決して死んで終わりの人生ではありません。肉体は死んでも、新たに生き続ける意味をよく考えましょう。
神の御心を伝えてくれた預言者の思いを手本とし、クリスチャン人生の醍醐味を徹底的に味わいましょう。

2024年08月02日

ダニエル書11章2節~9節

2節:「今、私はあなたに真理を告げる。見よ。なお三人の王がペルシアに起こり、第四の者は、ほかのだれよりも、はるかに富む者となる。この者がその富によって強力になったとき、全世界を、とりわけギリシアの国を奮い立たせる。

ペルシア

 

第4番目の王。この王は、歴代で最も富む王となる。→クセルクセス王
エステル1:1・・インドからエチオピアに至る127州の広域を統治。エステルはこの王の妃となる。
エステル1:4・・「王は彼の王国の栄光の富と大いなる栄誉を幾日も示して、百八十日に及んだ。」
BC480年、クセルクセス王はギリシア侵略するもサラミスの海戦で敗退し、侵略を断念。
BC465年、クセルクセス王は暗殺される。それはペルシア衰退の始まりを意味する。


3節:一人の勇敢な王が起こり、大きな権力をもって治め、思いのままにふるまう。
4節:しかし彼が起こったとき、その国は崩壊し、天の四方に向けて分割される。その国は彼の子孫のものにはならず、また、彼が支配したほどの権力もなくなる。彼の国は根こそぎにされ、その子孫以外の者のものとなる。

ギリシア

 

一人の勇敢な王。ギリシアのアレキサンダー大王(アレキサンドロス大王)⇒マケドニアの王フィリポスの息子。アリストテレスが家庭教師。20歳で王位に就く(BC336年)
この個所は軍事的侵略の成功と広域的支配の完成を示している。
彼が18歳の時、「カイロネイアの戦い」(BC338)で、マケドニアのギリシアにおける覇権を確立。
「ガウガメラの戦い」(BC331)でペルシア軍を打ち、バビロンを征し、勝利。ペルシア帝国は終焉した。

アレキサンダー大王の広域支配の結果、ギリシア語、文化、道路が広がり、キリスト教世界宣教の基盤となる。
彼の死後(32歳)帝国は4人の将軍にて分割。彼の子孫は暗殺されてしまう。
4人の将軍の権力争いは、帝国の権威を根底から失墜させてしまう。

 

南(エジプト)と北(シリア)の王の抗争 5節~ 

 


5節:南の王が強くなる。しかし、彼よりもその軍の長の一人が強くなり、彼の権力よりも大きな権力をもって治める。

南の王→プトレマイオス1世ソテル(BC323~BC282)
南の王(アレキサンダー大王の将軍の一人)よりも更に強くなった将軍(アレキサンダー大王の将軍の一人)が北の王セレウコス1世。

6節:何年かたって、彼らは同盟を結ぶ。和睦をするために南の王の娘が北の王に嫁ぐが、彼女の勢力は保たれず、彼の勢力も続かない。彼女は、自分を連れて来た者、自分を生んだ者、そのころ自分を力づけた者とともに引き渡される。

南の王プトレマイオスⅡは、一人娘ベロニケを北の王アンティオコスⅡに嫁がせ、同盟関係となる。
その時北の王は最初の妻ラオディケを離縁。しかし、南の王の死で同盟関係は崩壊し、ベロニケは離婚される。
北の王はラオディケと復縁するが、ラオディケは夫(北の王)を殺し息子を王とし、更にベロニケとその息子、側近らを殺害。

7節:しかし、彼女の根から一つの芽が父に代わって起こる。そして北の王の軍に立ち向かい、その砦に攻め入り、これと戦って勝つ。
8節:なお、彼は彼らの神々を、彼らが鋳た像や、銀と金の尊い器とともにエジプトに捕らえ移す。彼は何年かの間、北の王と関わりを持たない。
9節:しかし、北の王は南の王の国に侵入し、そして自分の地に帰る。

「彼女の根」→ベロニケの家系、すなわち彼女の兄弟を指す。
プトレマイオスⅢはベロニケ救出のために出陣したが、ベロニケは殺され、その目的は復讐に変った。
プトレマイオスⅢはラオディケを殺し、彼女の息子の軍を撃破し、多大な地域を占領。
更に、プトレマイオスⅢは、多大な戦利品をエジプトに持ち帰った。
その後、北の王セレウコスⅡはエジプトを攻めるが敗北し、結局自分の土地に帰ることになる。

 

ラオディケに見る復讐の連鎖

同盟関係構築のため、ベロニケは北の王に嫁ぎ、正妻だったラオディケは離縁された。
同盟関係が崩壊すると、ベロニケは離縁されラオディケが復縁したが、彼女は夫を殺害し息子を即位させる。
南の新王プトレマイオスⅢは、ベロニケの兄弟で、彼女の救済に間に合わず、復讐に変わり、ラオディケを殺し、領地を占領し、宝まで奪っていった。
一般的に復讐は悪いことではないと思いがちだが、復讐は神の主権。人がかかわることではない!
歴史はこうしたネガティヴな思いが主体となって展開するときがある。一部の人の感情が歴史を動かす。
こうした感情をサタン、堕天使は上手に用いて、世界を神から遠ざける。だからこそ、神を見上げよう!
神が人に求められているのは、正しさの認識と実践であって、正しさによって裁くことではありません。
愛する者たち、自分で復讐してはいけません、神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」 主はそう言われます。ロマ12:19

 

歴史を導く神

真理の書に書かれている歴史の展開。堕天使が動き、天使が関わっている。
堕天使が主体的に動いて、要所要所で神の命令により天使が活動するという事だろうか?!
このからくりは、いずれ私たちもずっと先に知ることになるのだろうが、神の存在がとてつもなく大きく感じられる。
ダニエル書の歴史展開の説明の正確性に、これは後で書かれたのではないかとの説もあるらしい。
そのような疑いは、神の絶大なる存在を示す証拠と言えるのではないか!
御子を信じ、神を信じる信仰心は、ダニエルの命がけの預言を信じることに、何の抵抗も疑いもない。
改めて、神の絶大なる存在に、驚きと、恐れと、感謝が溢れ、その栄光をたたえる日を待ち望む

 

2024年08月09日

ダニエル書11章10節~20節

 

 

10節:しかし、その息子たちは戦いを仕掛け、おびただしい数の強力な大軍を集める。進みに進んで押し流すように越えて行き、そうしてまた敵の砦に戦いを仕掛ける。
11節:南の王は大いに怒って戦いに出て来て、彼と、すなわち北の王と戦う。北の王はおびただしい大軍を起こすが、その大軍は敵の手に渡される。

 

その息子たち→セレウコスⅢ(弟)とアンティオコスⅢ(兄)
特にアンティオコスⅢは多くの軍事力を集め、巨大な軍隊となった。
この軍隊がエジプトに勝ち進み、多くの土地を獲得。
ラフィアの戦い(BC217)→アンティオコスⅢ(北)とプトレマイオスⅣ(南)の戦い。
北68000人×南75000人。結果的にはエジプト(南)の方が上回っていた。

プトレマイオスⅣは妹と結婚していた。彼女はラフィアの戦いに同行し、自軍にインスピレーションを与えて勝利したとの逸話がある。
プトレマイオスⅣの治世の間は、北との国境は守られていた。

12節:その大軍を打ち破ると南の王の心は高ぶり、数万人を倒す。しかし、勝利を得ることはない。
13節:北の王が再び、以前より大きな、おびただしい大軍を起こして、何年かの後、大軍勢と多くの武器をもって攻めて来るからである。

 

12節
プトレマイオスⅣは勝利で高慢になり、和平は一時的なものとなり、プトレマイオスは北を攻める。
しかしプトレマイオスⅣの性格が怠惰で、贅沢であったことから、北の王を追い詰めることをせず、贅沢な生活をして自国民を怒らせ、後に妹と共に、同時に亡くなる。
13節(~19節まではプトレマイオスⅤとアンティオコスⅢの抗争)
北の王アンティオコスⅢはインドやカスピ海に勢力を拡大。
これにより、多くの軍事力を得て、更に経済力も向上した。
こうして、エジプトに攻め入る。

14節:そのころ、多くの者が南の王に反抗して立ち上がり、あなたの民の暴徒たちも、高ぶって幻を実現させようとするが、失敗する。
15節:しかし、北の王が来て塁を築き、城壁のある町を攻め取ると、南の軍勢は立ち向かうことができず、精兵たちでさえ立ち向かう力がない。

 

14節
プトレマイオスⅤは王位に就いたとき(BC204)、彼は子供で、摂政をめぐる争いが起こり王国は不安定。無政府状態
その期に乗じて、アンティオコスⅢはエジプトに侵攻。小アジアのプトレマイオス領を奪う。諸国も加わる。
この時アンティオコスⅢに加担した戦う「あなたの民」、すなわちユダヤ人も参加するが、失敗する。
ユダヤ人はイスラエルの自由を目的とし、エルサレム駐在のエジプト守備隊を攻撃。
しかし、勝利の効果は長続きしなかった。→失敗。
15節
「城壁のある町」・・シドン(聖書地図4,5参照)。パニウムの戦いは、シドン(港町)の戦い。
アンティオコスⅢはエジプトを攻めるが、エジプトは応戦できず、BC200年のパニウムの戦いで、アンティオコスⅢは壊滅的打撃を与え、イスラエルの土地はエジプトからシリアの支配に移行した。

16節:そのようにして、これを攻めて来る者は思いのままにふるまう。彼に立ち向かう者はいない。彼は麗しい国にとどまり、自分の手で滅ぼし尽くそうとする。
17節:彼は自分の国の総力を挙げて攻め入ろうと決意し、まず相手と和睦して娘の一人を与え、その国を滅ぼそうとする。しかしそれは成功せず、彼の思いどおりにはならない。

 

16節
アンティオコスⅢはエジプトを自分の思うままに攻撃した。
彼はイスラエルの支配を獲得した。よってイスラエルはアンティオコスⅢの支配下になる。
彼のイスラエル支配は、最初の3年間は課税を減らしたり神殿のために多額の金額を与えたりと良かった。
彼は、エジプトを滅ぼし尽くそうと企んでいた。
17節
アンティオコスⅢの拡張主義は、ローマとの対立を意味する。ローマの顔色を伺いつつ行動することになる。
アンティオコスⅢはエジプトとの和平のため、アンティオコスの娘クレオパトラ1世を嫁がせる。(BC193)あのクレオパトラは7世。プトレマイオス最後の女王。
アンティオコスⅢはクレオパトラ1世を通してエジプトの支配を目論んだが、彼女は夫(プトレマイオスV)の死後、息子の摂政としてエジプトを支配し、平和を維持した。アンティオコスの目論見は失敗に終わった。

18節:それで彼は島々に顔を向け、その多くを攻め取る。しかし、ある指揮官が彼に侮辱をやめさせるばかりか、かえってその侮辱を彼の上に返す。

 

「島々に顔を向け...」・・小アジア、ギリシアなどのローマ支配権力を破壊しようと軍事活動を展開する。
時期的には、クレオパトラ1世の政略結婚のすぐあとの頃。
BC191年、アンティオコスⅢはテルモピュライ(アテネ北部)で敗れ、さらにBC190年、リディアの都市マグネシア・アド・シピルムの戦いで敗れ、セレウコスの小アジア支配は終わる。
「ある指揮官」・・ローマ領事ルキウス・コルネリウス・アジアティクスという軍事的、政治的指揮官。
アンティオコスのローマに対する態度は傲慢で休戦交渉の大使を拒否し、ローマを怒らせていた。結局、BC188年、屈辱的なアパメヤ条約を受け入れることとなってしまった。

アパメヤ条約とは

・小アジアの支配の放棄
・多額の賠償金(15000タラント)
・家族、身内の人質
・毎年1000タラント(6万ポンド)の賠償

19節:彼は自分の国の砦に引き返すが、つまずき、倒れていなくなる。
20節:彼に代わって、一人の人が起こる。彼は国の栄光のために、税を取り立てる者を行き巡らすが、数日のうちに、怒りにも戦いにもよらずに滅ぼされる。

 

19節
敗北して自国に帰るアンティオコスⅢは、敗戦による多額な賠償金、軍力の制限(象や艦隊)、息子などの人質提供を余儀なくされた。12年間にわたり、高額(405tの貴金属)の賠償金を支払う。
彼はBC187/6年に、スサ近くの寺院で暗殺された。
20節
「彼は国の栄光のために」・・は、「王室のすばらしさを維持するために」とも訳せる。→自分たちは苦しまず。
アンティオコスⅢの次の王、セレウコスⅣフィロパトル。父の敗北で、ローマに多額の貴金属の賠償負担。
「税を取り立てる者」・・ヘリオドラス。宮廷の主要官僚の実力者。イスラエルの神殿からの取り立てに期待された。
「数日のうちに、」・・この王は、在位期間が11~12年で、父(37年間)の3分の1の期間であるために、こう表現されている。
王はヘリオドラスに毒殺され、摂政となったヘリオドラスも殺されてその治世は短命だった。

 

神の期待に応える人生

「勝てば官軍」ということわざがある。勝った側が正しい存在で、負けた方は間違った存在となる、という意味。
勝者は歴史を自分の都合に合わせて作り上げて行く。まさに自己中そのもの。
実際に調査を進めれば、その内容が全く事実と異なるという事が多々あることに驚かされる。
我々は歴史を見るとき、歴史の流れの根底に神の存在を意識する必要があると考える。
ダニエル書によって、すでに神は未来の筋書きを決めておられ、その歴史の展開は天使、堕天使の働きによると知った。
更に、世界の展開の中心は、イスラエルである事も理解した。
こうして人類の救いの道を展開しておられる神の御心を知り、且つ救われた者としての役割を十分に理解して、神に喜ばれる人生の歩みを皆さんと共に、スクラム組んで歩んで行きたいです。

2024年08月16日

ダニエル書11章21節~35節

 

21節:彼に代わって、一人の卑劣な者が起こる。彼には国の権威は与えられないが、不意にやって来て、巧みなことばを使って国を奪い取る。
22節:彼の前では、洪水のような軍勢も、契約の君主さえも一掃されて打ち砕かれる。

 

「卑劣な者」・・アンティオコス4世
彼アンティオコスⅣは、セレウコスⅣと兄弟で、王セレウコスⅣがヘリオドラスに暗殺され、アンティオコスⅣが共同支配者となったが、ヘリオドラスが摂政となって、権力を揮っていた。
「不意にやってきて、巧みな言葉を使って」・・巧みな言葉は「陰謀」とも訳せる。
アンティオコスⅣはヘリオドラスを殺し、その少年王も暗殺して、陰謀を実現して王となった。
彼は軍事的な力が強く、エジプトの局地で数多く勝利したとのこと。
「契約の君主」・・イスラエルの大祭司オニアスを追放し、その弟ジェイソン(ヤソン)にその地位を売る。以降、エピファネスは事ある毎にイスラエルを迫害する。

23節:彼は同盟を組んだ後で欺き、少ない人数で勢力を増していく。
24節:彼は不意にその州の肥沃な地域に侵入し、彼の父たちも、父の父たちもしなかったことを行う。彼は、そのかすめ奪った物、分捕り物、財宝を、自分たちの間で分け合う。彼は計略をめぐらして要塞を攻めるが、それは、時が来るまでのことである。

 

23節
強さの成長を示す箇所。
「同盟を組んだ後で欺き」・・諸国と同盟を結んでは裏切って攻め取り、軍事力を増し加えて行く。
エジプトと、妹クレオパトラ1世との家族の絆を利用して、エジプトと関係を構築していた。
24節
同盟関係がありながら、不意に侵略する欺きを行う。
彼は領土を拡張し、肥沃な土地(エジプトと思われる)にまで至ります。(敵を攻め落とす装置も考案して勝利し領地を拡大)
彼の父、祖父は勝利したら贅沢をしたが、彼はそれを蓄え、その財を勝利のための買収に用いた。
「時が来るまで」・・勝利は12年間続いた。それは神のご計画。→強さも富もエジプト侵略のため。政治的、戦略的には優秀な人物と推察できる。

25節:彼は勢力と勇気を駆り立て、大軍勢を率いて南の王に立ち向かう。南の王も非常に強い大軍勢を率い、奮い立ってこれと戦うが、抵抗することができなくなる。南の王に対して計略をめぐらす者たちがいるからである
26節:彼のごちそうにあずかる者たちが彼を滅ぼし、彼の軍勢は押し流され、多くの者が刺し殺されて倒れる。
27節:この二人の王は、心で悪事を謀りながらも、一つの食卓に着いて、まやかしを言い合う。しかし、成功はしない。終わりは、まだ定めの時を待たなくてはならないからだ。
28節:彼は多くの財宝を携えて自分の国に帰る。彼の心は聖なる契約に敵対して事を行い、彼は自分の国に帰って行く。

 

25~26節
北の王アンティオコスⅣは南の王プトレマイオスⅥに戦いを挑む。
南の王が劣勢になる。その原因は北の計略に嵌まってしまうから。
「彼のごちそうに与る者たち」・・プトレマイオスのカウンセラーたち。
彼らはプトレマイオス6世を裏切り、アンティオコスⅣに負ける結果をもたらし、多くの兵士が戦死した。
27~28節
「悪事を謀りながらも一つの食卓に着く」・・プトレマイオス朝にて内紛(6世と8世)が起き、アンティオコスⅣはプトレマイオス6世を支持して、協力関係を築きエジプト支配を目論んだが、内紛は収まり共同統治となり、アンティオコスⅣの目論見は外れた。→まだまだ終わらぬ歴史の展開。
彼は、莫大な戦利品を得るも、主目的は達せず、帰途のイスラエルを蹂躙して、自国に引き上げた。

29節:定めの時に、彼は再び南へ攻めて行くが、この二度目は初めの時のようではない。
30節:キティムの船が彼に立ち向かって来るので、彼は落胆して引き返し、聖なる契約にいきりたって事を行う。彼は帰って行って、その聖なる契約を捨てた者たちに心を向けるようになる。
31節:彼の軍隊は立ち上がり、砦である聖所を冒し、常供のささげ物を取り払い、荒らす忌まわしいものを据える。

 

「定めの時」・・BC168年のエジプト侵攻を指す。
エピファネスは3度のエジプト侵攻を実施したが、預言は初回と最後の侵攻について語っている。
「キティム」・・キプロスとイスラエルの西側の、ローマと繋がる地域の船団→ 2017年度版聖書地図1又は2参照。
ローマもエジプトを狙っていたので、シリアのエジプト併合に反対してキティムの船団(ローマ)が抵抗した。
エピファネスは屈辱的撤退を余儀なくされる。ローマの強さに屈する。
エジプトとシリアの抗争鎮圧のため派遣されたローマ領事ガイウス・ポピリウス・ラエナスの脅しにも似た勧告に屈伏した。
世界の覇権を狙うエピファネスは、エジプトとの併合が最重要テーマだった。この併合でローマに対抗できると考えていたが、その思惑が打ち砕かれ、その失意は相当であったことは想像に難くない
彼は失意の下に帰国し、その悲しみのはけ口を「聖なる契約」イスラエルに向ける。


 

彼はヘレニズム意識が強く、イスラエルには嫌悪感を持ち、徹底した迫害をもって神を冒涜する。
大きな失意のはけ口として、また、完全なる価値観の違いにより、迫害はエスカレートして行く。
執拗な迫害に、ユダヤの民の中に背教者、棄教者が出てくることに気付く。(親へレニズム思想)
エピファネスはそれら背教者らを用い、民を支配した。(違法に据えられた大祭司メネラオスの影響)
エピファネスの迫害ゼウス神の設置、豚のささげ物、汚れた動物、安息日の禁止、神殿での売春、性的儀式など
エピファネスは徹底してユダヤ人に律法を捨てることを強制した。その中には背教者が多く出た。
その結果、神殿や裁判所、祭壇などが、これまでとは異なった忌まわしい状態となった。

32節:彼は、契約に対して不誠実にふるまう者たちを巧言をもって堕落させるが、自分の神を知る人たちは堅く立って事を行う。
33節:民の中の賢明な者たちは、多くの人を悟らせる。彼らは、一時は剣にかかり、火に焼かれ、捕らわれの身となり、かすめ奪われて倒れる。
34節:彼らが倒れるとき、彼らへの助けは少なく、彼らにくみする者には巧みなことばを使う者が多い。
35節:賢明な者たちのうちには倒れる者もあるが、それは終わりの時までに、彼らが錬られ、清められ、白くされるためである。それは、定めの時がまだ来ないからである。

 

エピファネスは自分に従う者を重用し、民から搾取させ全体を支配した。
しかし、正しい者(律法に忠実な者たち)がいた。彼らが立ち上がり、マカバイ戦争が起こった。
エピファネスは自国から軍隊を送るが、マカバイ側がことごとく勝利する。
「多くの人を悟らせる」・・新共同「多くの人を導くが、・・」
信仰の人は多くの人を導くが囚われ処刑される。導かれた者は実は不誠実で、結局のところ彼らを助ける者は少ないのが現実である。
こうして正しい信仰の人は倒れるが、精錬され、清くされ、白く純粋化される試練の時である。最大の試練ではない。
最大の試練は「終わりの時」として、神が用意されてる。すなわちエピファネス以上に迫害する者の登場がある。

 

マカバイ戦争の影響

アンティオコス4世エピファネスはヘレニズム思想家であり、イスラエルの神権政治を嫌悪する者だった。
当時の大祭司オニアスに変わり、非正統のヤソン(オニアスの弟)の莫大な貢納金によりその地位を与えヘレニズム化を推進させ、更にメネラオス(神殿総務長の家系、非正統)がそれを上回る貢納金で、大祭司となった。
エピファネスがエジプトで死んだとの誤情報に惑わされ、ヤソンがメネラオスを攻撃するという内乱が起きたが、遠征中のエピファネスがヤソン側を反乱軍として鎮圧した。
神殿、ユダヤ人の殺害、奴隷獲得とともに、律法に従う生活を禁じ、違反者は即死刑とした。祭壇にはゼウス神を立てた。
こうした背景の中、ユダ・マカバイを中心とする5人の兄弟が決起して、マカバイ戦争が起こり、BC165年、エルサレム、神殿を奪還して清め、再奉献した。
その後BC142年にイスラエルは事実上の独立国となる。
BC165年12月の神殿の清めを記念して、「ハヌカの祭り」が毎年開催されている。
この戦争(反乱)は、旧約と新約の移行期に発生しました。この反乱の影響、意味について一考してみてください

 

試練の受け止め方

試練には様々な種類があり、また、試練を受ける人の感受性も様々だと思います。
ある人にとっては、「そんなの試練じゃないわ!」というけれど、私にとっては死にそうなぐらい大変だったとか。その逆もある。
聖書を通して、試練とは、神が与えてくださる成長のプロセスであると知ったとき、なるほどと合点が行きました。
神はその人にあった試練がその人に訪れるのを赦しておられる。となれば、心の持ち方も変わる。
最初は、その試練に対応するのが精一杯だが、次第にこれは成長のためと考えると、自分の欠点に気付ける。
更に、少々の試練なら乗り越えてやる!となり、遂には、成長させてくださる神の愛に感謝するようになる??
思うことは、常に神と共に歩んでいることをどこまで意識できるかという事。
ちょっとした試練でも、大きな試練でも、それは神の成長の促しと気付くことが、大事なポイントではないでしょうか。
神に全幅の信頼を置くからこそ、神は試練を乗り越えさせてくださるのです。

「もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い。」 箴言24:10


2024年08月22日

ダニエル書11章36節~45節

天使の預言はエピファネスから、まだ起こっていない反キリストの預言に展開して行く。旧来は、36~45節は、エピファネスの延長線上と見られていたが、実際に起こっていない「エジプトの征服(42節)」や「海と聖なる麗しい山・・(45節)」があり、ここが遠未来の預言となっていることに注目!

 

36節:この王は思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高く上げて大いなるものとし、神々の神に向かって驚くべきことを語る。彼は栄えるが、ついには神の憤りで滅ぼし尽くされる。定められていることがなされるからである。

(この個所が、近未来と遠未来の分岐点であり、二つが重なる融合点)
エピファネスを上回る大迫害者の登場が示唆されている。つまりエピファネスは型である。
「この王」・・反キリスト。自身を神とする。ダニエル7、8章で語られた人物。(Ⅱテサ2:3~4、黙13:1~8参照)
「驚くべきことを語る」・・原語では「ののしる」の意味。「神々の神」・・唯一の神。
「神の憤りで滅ぼし尽くされる」・・二つの側面からの滅ぼし。
①悪の支配は終わり世界的な復活を示す
②聖なる民の頑なさを打つ・・反キリストに3年半の繁栄を赦し、気付きを促す。(ゼカリヤ書13:8~9にユダヤ人の3分の2が殺される預言がある。)
「定められていることがなされるからである。」・・取り消し不可能な決定事項という意味。
異邦人の時の最終的支配者が反キリストであり、彼は独裁的な存在となる。


37節:彼は先祖の神々を心にかけず、女たちの慕うものも、どんな神々も心にかけない。すべてにまさって自分を大いなるものとするからだ。

反キリストの3つの特長が示される。

① 先祖の神々を無視
② どんな神々も心にかけない。
③ 自分を大いなる者(神)とする

「先祖の神々」・・異邦の神々をさす、従がって反キリストは異邦人である。(過去からの神々)
「女たちの慕うもの」・・当時のタンムズ教(エゼ8:14)というカルト宗教。(その時代の流行りの宗教)
反キリストは自分を神として称賛する。自分を全てに優るものとしている。かつてのサタンは神に憧れ、堕落した。
エゼキエルに見るイスラエルの暴虐
・エゼキエル8章は、民の偶像礼拝により主の栄光(シャカイナ・グローリー)が去るという預言の箇所。
・その中には、民や祭司が神を忘れ、様々な偶像礼拝をしている様が示されています。
・ちなみに、エゼキエルはダニエルと同世代で、もともとは祭司。捕囚以降、預言者となったようです。

38節:その代わりに彼は砦の神をあがめ、金、銀、宝石、宝物をもって、彼の先祖たちが知らなかった神をあがめる。

「砦の神」・・軍神(強さと軍事力を約束する)要塞の神、すなわちサタンを指す。
異邦人の祖先も知らない悪魔(サタン)を彼は崇める。

39節:彼は異国の神の助けによって城壁のある砦を取り、彼が認める者には栄誉を増し加え、多くのものを治めさせて、代価として国土を分け与える。

この個所は、反キリストの世界の支配方法についての言及である。
「異国の神の助け」・・悪魔(サタン)の超自然的な力(黙示録13:1~8)を受けるという意味。彼は金銀で悪魔を崇める(38節)。
※ かつてサタンはイエス様を誘惑しようとした。(マタイ4:3~11)、反キリストはその誘惑に載った。
「城壁のある砦を取り」・・最強の要塞をも打ち破る超自然的な力によって世界を征服する。
「彼が認める者には栄誉を増し、」・・「認める」はヘブル語で「告白する」・・彼を崇める者を優遇する。エピファネスが、イスラエルを支配した方法と酷似。
栄誉を与え、民を支配(政治的権威の付与)させ、国土を分け与える。→その見返りは彼らの忠誠心。

「忠誠心を示す」とは、
・黙示録13:16~18の見ることが出来る。
・反キリストの信者は、反キリストの信者を獲得すること(信者の数を増やすこと)で、 忠誠心を示さねばならないのだろう。
※ 物理的なことに目を奪われる人間を簡単に支配する反キリスト。(心の向く方向が問題)

40節:終わりの時に、南の王が彼と戦いを交える。北の王は戦車、騎兵、および大船団を率いて南の王を襲撃し、国々に侵入し、洪水のように通り過ぎる。←この訳は問題がある

・ 患難時代のスタート時:世界の政治構造は「10国の王とイスラエル」という状態。
・ 患難時代の中間で、反キリストが政治権力を掌握。3人の王は殺されている。

(40節は患難時代後半の反キリストの征服について語られ、41~45節はその詳細
英語訳(NIV):「終わりの時の南の王は、彼(反キリスト)と交戦し、また、北の王は彼(反キリスト)に向かって、戦車、騎兵・・・と共に飛び出してゆく。彼(反キリスト)は多くの国々を侵略し、洪水のごとく一掃する。」
フルクテンバーム博士の対象は英語訳であり、「彼」を誰と見るかで内容が大きく変わる。
※ 新改訳、新共同の訳では「彼」がエピファネスとなるのでは?
この戦いで、南(エジプト)と北(シリア)の王、二人が打たれることになる。
北は、ロシアではない。シリア一択である。反キリストは両国を一気に通過(制圧)する。

旧来の教え⇒アンティオコス・エピファネス説
エジプト侵攻に失敗し、イスラエル経由で帰国し、この時、東と北からのトラブルが軍事活動を思い止まらせたが、更なる征服に動こうとしたとき、エルサレムと海岸の中間の国で死ぬ。

41節:彼は麗しい国に攻め入り、多くの者が倒れる。しかし、エドムとモアブ、またアンモン人のおもだった人々は、彼の手から逃げる。

「麗しい国」・・イスラエル。
患難時代の中間地点でイスラエル政府は崩壊し、反キリストが征服。黙11:1~2
反キリストは神殿に入り、自らを神として崇めさせ、世界政治を掌握する。
しかし、3つの国は反キリストの征服から除かれる。エドム、モアブ、アンモンである。
聖書の巻末地図 6を参照。エドムの下部にボツラ。
イエス様の警告との関係で、この場所(ボツラ)に逃れの場所がなければならない。
イエス様の警告
・イエス様は、その征服から逃げる警告を示す。マタイ24:15~16
・逃げる先は、ミカ2:12~13から、現代のヨルダンにあるペトラ(ボツラ)と分かる。

42節:彼は国々に手を伸ばす。エジプトの地もその手を免れることはない。
43節:彼は金や銀の秘蔵物と、エジプトのすべての宝物を手に入れ、ルブ人とクシュ人が彼につき従う。

反キリストの進撃開始。諸国を支配下におさめ、エジプトも攻め落とす。
こうして南の王、すなわちエジプトは打たれる。3人の打たれる王の一人目。
エジプトの財宝は全て戦利品として奪い、アフリカのルブ人(リビア)、クシュ人(エチオピア)を支配下におさめる。アフリカ支配が進むことを示している。

44節:しかし、東と北からの知らせが彼をおびえさせる。彼は多くのものを絶滅させようとして、激しく怒って戦いに出て行く。

「東と北」・・「メソポタミヤ(イラク)とシリア」。「おびえさせる」・・警戒させる、邪魔するの意味。
激しく怒って両者を打つ。イラク、シリアの王が打たれ、3人の王が打たれることになる。
その激しい戦いを見た7国の王は、完全なる服従姿勢とならざるを得ない。

45節:彼は、海と聖なる麗しい山との間に、本営の天幕を張る。しかし、だれも助ける者はなく、ついに彼は終わりを迎える。

ここに示されている内容は、反キリストの患難時代の前半期のこと。
「海」・・複数形であり、死海と地中海を指す。
「麗しい山」・・神殿の丘を指す。

本営の天幕 →イスラエルを軍事的首都とし、王室としての本部を置く。
彼は、あるとき命を落とす。その時、助けはない。
ここで反キリストの預言は終わるが、黙示録などの預言書からその先が見えてくる。
しかし、彼はサタンの力で甦る。(黙13:3) 反キリストは3国の王を殺す。
甦った反キリストは二人の預言者を殺害する。(黙11章)
甦りを見た人々はその力に驚く。
その結果、7人の国王たちは皆、彼とその権威に従うようになる。

 

今わかっていること、そして、まだわからないこと。
反キリストは、我々クリスチャンが地上に存在しない時に現れる存在です。
彼は、これまで人間が持っていた偶像には一切興味を持たず、自分を神とします。(37、38節)
しかし、崇める神はいます。先祖たちが知らなかった神・・とはサタンです。それはどんな支配をするのでしょうか?
謎は新たな研究意欲、知識欲を掻き立てますが、決して自分の感情や思いに寄せるようなことは止めましょう。
神は、預言に具体的な人名を出すこともできれば、難解な内容にもされます。
その難解さにも意味がある事を私たちは知る必要があります。
正しさというよりも、今はここまで分かって来た!という思いを持って。。
日々、謙虚さを求めて学び、生きてる間は素直に携挙に期待しつつ、私たちの次の未来に目を向けましょう。
すから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。」 マタイ6:34

2024年08月30日

ダニエル書12章1節~4節

天使の預言は反キリストの預言に展開し、いよいよ最終段階へ入る。11章~12章と章分けされているが、実際は繋がって語られていることを覚えておく必要がある。

 

1節:その時、あなたの国の人々を守る大いなる君ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかしその時、あなたの民で、あの書に記されている者はみな救われる。

(この個所は前節から続いている内容)
11章45節で反キリストは死んだが!その時!・・・という感じであろう。患難時代の後半の始まり。
黙示録12:7~12に内容が示されている。
「大いなる君ミカエルが立ち上がる。」・・大天使ミカエルはイスラエル国の守護天使
天上にて・・大天使ミカエル軍とサタン軍の戦いが始まる。ミカエルが勝利しサタンは地上に落とされる。
地上にて・・これは地球でのサタンの監禁を意味する。サタンはその期間が3年半だと知っている。サタンは怒り、 死んだ反キリストを蘇らせ、彼に超自然的な力を与えて地上を支配させようする。
天上ではサタンが落ちて喜ぶが、地上では大変な災いの始まりとなる。DKNJ後半の災い。

黙示録12:15~16が示す内容
・ 蛇、竜はサタンを表し、女はイスラエルを表す。大水は軍隊、軍事行動を指す。⇒この攻撃を阻止するのが大天使ミカエルの働き
・ 反キリストを死から蘇らせ、力を与えてエルサレムを占領させる。
・ 更に逃げるユダヤ人を追わせる。→ユダヤ人と神との関係を断ち切るため。

「かつてなかったほどの苦難」・・この後半の3年半のサタン、反キリストの攻撃はユダヤの民にとって激烈!

ルカ12:48「・・多くを与えられた者は多くを求められる。・・」・・多くの罰が与えられる
「あの書」・・いのちの書を指す。書に記される資格のあるユダヤの選民たちは皆救われるという意味。
患難時代の後半は前例にない迫害が起こる。反キリストがユダヤ人の殲滅を図る。
それを阻止するのは大天使ミカエル。しかし、その迫害は史上最大の迫害。
その大患難時代で生き残る者は、いのちの書に名が記されている者で、彼らはメシアを信じる者である。(ゼカ12:10)

 

患難時代の前半期から後半期に移行する時点(中間)で発生する出来事

・反キリストの死
・天上でのミカエル軍とサタン軍の争い。
・ミカエル軍の勝利→サタンが地上に落とされる。(監禁)
・サタンは反キリストを蘇らせ、超自然的力を与える。
・10国中の3国(エジプト、シリア、イラク)を攻め、イスラエルを攻めて神殿に入り、荒らす忌むべき者となる。
・反キリストは、二人の預言者を殺す。
・後半の3年半、反キリストは世界の独裁的支配者となる。

2節:ちりの大地の中に眠っている者のうち、多くの者が目を覚ます。ある者は永遠のいのちに、ある者は恥辱と、永遠の嫌悪に。
「多くの者」・・ヘブル語「ラビム」は、イスラエルを対象としてその中の多くの者という意味。×「大群衆、すべて」
「眠っている」・・死の婉曲表現。「大地の中」・・塵の中。
「目覚め」・・ヘブル語「キッツ」・・目覚めは復活を説明するときに用いられる言葉。(詩3:5、イザ26:19など)
続く文章から、2種類の復活が示されている。どちらかに分けられる。(人類全員も同じこと)
2種類の「永遠」

・ ある者は「永遠のいのち」
・ ある者は「恥辱と永遠の嫌悪(軽蔑、忌まわしい)」
2種類の「ある者」
①義なるイスラエルの聖徒 
②イスラエルの不義なる人

3節:賢明な者たちは大空の輝きのように輝き、多くの者を義に導いた者は、世々限りなく、星のようになる。

「賢明な者たち」・・復活した義なる聖徒たち。メシア的王国に生きる人々。
「大空の輝き」・・大空とは「広がり」を意味し、ここではシャカイナグローリーという神の栄光。
「多くの者を義に導いた者」・・DKNJの14万4千人は、特に多くの者を義人とする。愛の労働とその報酬。
彼らは後に特別な地位を与えられることになる。

4節:ダニエルよ。あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと捜し回る。」

「終わりの時まで」・・患難時代まで
DKNJまで、この書が保存されている必要がある。
「秘めておき、封じておけ」・・封じておけ、とは封印しておけ、保存しておけということ。
封じておく対象は、10章から12章の内容を指している。
封じる理由は、理解するには多くのギャップがあるから。これは、神が意図したギャップである。(ダニ12:9)
将来、このギャップを埋める啓示が必要である。それが新約の黙示録。
・ ダニエルに対して「秘めておけ」
・ ヨハネに対して「(黙示録を)封じてはなりません」 黙示録22:10
秘めておく理由は、ダニエル書が患難時代を生きる人々への情報(励まし)となるから。
「捜し回る」・・この表現は「知識」の探求を意味している。
この知識とは、終末の具体的な知識という意味。
つまり、10~12章の答えを必死に探究することで知識、理解が増す。しかしそこには大きなギャプがあり、更に深い理解は、新約聖書の黙示録を待たねばならない。
フルクテンバーム博士
「多くの人が終末の知識を求め奔走します。ダニエル書が保存されていたことにより、彼らはダニエル書にその情報を見つけます。ダニエル書を読むことは終末の情報を増し加えることに繋がります。」
ここで天使の預言は一段落する。つまり、預言の提示はここまでという事。

 

『ダニエルよ、かようにユダヤの民の苦境はまだまだ続くのだ。あなたと後の人々のために終末の最後の勝利について少し話したが、今はここまでだ。この内容はしばらく封印、保存しておくように!』と神が語っているように思えました。

 

『2種類の復活』

キリストを信じる人、神の領域にある人は死んで後、必ず栄光の身体に甦り、第1の復活を体験します。
神の領域にいない人達も、第2の復活を体験します。それは、1000年間のメシア的王国終了時に開かれるキリストによる「白い御座の裁き」の時です。
その復活は、永遠の裁きを受けるための復活であり、罰を受けるために身体を受けるという事。
裁きによって下される罰は、彼らを、光のない、希望のない、永遠の苦しみの世界へと落とします。
このように、全て人間は肉の命を落としても、その人生が永遠に終わることが無いことに気付くべきです。
神は聖書を通して、復活、永遠のいのちの存在を明言しています。
永遠の人生を、何処でどのように生きるかが、人として生まれてきたことの最重要課題。
神の領域にいることを喜び、未来を見据えた人生を、これからも共に歩んで行きましょう。

 

知られている私たちの祈りと心
ダニエルは獅子の穴事件を経験し、必死に祈り、罪深きイスラエルの罪の解放を、心から神に願いました。それが断食となったのではないでしょうか。
高齢でありながら、断食の祈りへと至った彼の思いは、真の悔い改めと、執り成しの心と、神への憐みに対する純粋な期待からだったのではないでしょうか。(全幅の信頼)
神はダニエルの祈りを聞き、何度も終末の預言を知らせましたが、改めて、まだまだ続くイスラエルの苦難の歴史を垣間見せ、預言を残すことの働きに従事させたと思われます。
このように神は、神に信頼する者のどんな祈りも漏らすことなく聞き取っておられ、その心を知っておられます。
更に、今我々には「聖霊」が内住され、その祈りも心も明確に神に届いていると考えて、全幅の信頼を置くべきです。
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」ピリピ4:6~7

 

2024年09月06日

ダニエル書12章5節~13節

天使は、終末預言をダニエルに与え、そして「この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと捜し回る」と命じて、預言を終えました。ここで二人の証人の天使が登場し、4人で話し合いが始まる。

5節:私ダニエルが見ていると、見よ、二人の人が立っていた。一人は川のこちら岸に、もう一人は川の向こう岸にいた。
6節:その一人が、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人に言った。「この不思議なことは、いつになると終わるのですか。」

川の両岸に立っている二人の天使。この川は10:4から、ティグリス川であろう。
二人の天使の目的・・証人としての存在。(申17:6、19:15)
亜麻布を着た天使は、川の水の上にいる。
亜麻布を着た天使とダニエルの間に、二人の天使が入って来た。
天使の一人が、「この不思議の終わりはいつですか?」と亜麻布の天使に質問。
この質問は、特に11:36~12:4の内容。
迫害はいつまで続くのか?・・の思いがある。

7節:すると私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人が語るのを聞いた。彼はその右手と左手を天に向けて上げ、永遠に生きる方にかけて誓った。「それは、一時と二時と半時である。聖なる民の力を打ち砕くことが終わるとき、これらすべてのことが成就する。」

亜麻布を着た天使がその質問に答える。
「両手を天に上げる」⇒誓うとき、通常は片手である。
「両手を天に上げる」は誓いの厳粛さを表す。「永遠に生きる方」→神。
「一時と二時と半時」→3年半。この3年半を通ってこの不思議(迫害)は終わるという事。
「打ち砕く」・・へブル語で「バラバラに砕く」の意味。
具体的には、①反キリストによるエルサレムとイスラエルの民の攻めがあり、②イスラエルの民の頑固さが粉々に打ち砕かれ、メシアを通して義を求めるようになる。ゼカリア12:10、14:1~21
「これらすべてのことが成就する。」→イスラエルが改心して、メシアが異邦人支配を粉砕する。

8節:私はこれを聞いたが、理解することができなかった。そこで私は尋ねた。「わが主よ、この終わりはどうなるのでしょう。」

8:15と同じ状況。この亜麻布の天使の言葉の意味が分からないダニエル。
このダニエルの質問は、「いつ」、とか、「どれぐらいの期間」などではない。
この期間の最後を締めくくるイベントは何か?という質問である。
この答えは8:23~25で語られている内容なので、天使は応答せずにいた。

9節:彼は言った。「ダニエルよ、行け。このことばは終わりの時まで秘められ、封じられているからだ。

これ以上の預言の言葉はない。だから保存して後代に繋いで行きなさい。
「終わりの時まで」・・DKNJの時、更に言えばメシア再臨のときまでの意。


10節:多くの者は身を清めて白くし、そうして錬られる。悪しき者どもは悪を行い、悪しき者どものだれも理解することがない。しかし、賢明な者たちは理解する。

賢明な者たち」・・信者を指す。DKNJには自分自身を清めて、純化し、錬られることになる。(厳しい迫害の中で)
「悪しき者ども」・・どこまでも神に敵対する者。 DKNJの最終局面でも、神の知恵を受けることはない。

11節:常供のささげ物が取り払われ、荒らす忌まわしいものが据えられる時から、千二百九十日がある。

1290日の意味 →3年半はヘブル的に1260日(360日換算)と考える。それに30日多い。
30日多い理由 ⇒破壊された神殿が回復するには、30日を要するということ。

「常供のささげ物が取り払われ、荒らす忌まわしいものが据えられる時」とは、大患難時代後半の始まりである。その時から神殿が回復するまでに、1290日かかる。


12節:幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。

1335日→1260日+75日。これはDKNJの終わりからメシア的王国(千年王国)までの移行期間。
つまり、神殿再建を含む移行期間を経て、メシア的王国が建て上げられるのである。
まさに、DKNJを耐え忍んで神に信頼した人は、幸いな人であると天使は語る。

 

75日の移行期間の出来事
①荒らす忌まわしいものの撤去  ダニエル12:11
②反キリスト、偽預言者を生きたまま火の池へ投入  黙示録19:20   
③サタンが深淵に投げ込まれる  黙示録20:1~3
④DKNJを生き残った異邦人の招集    ヨエル3:1~3、マタイ25:31~46
   反ユダヤ主義者は殺されて地獄へ  羊と山羊の選別 マタイ25:34~46b
⑤旧約聖書時代の聖徒の復活  イザヤ26:19、ダニエル12:2
⑥患難時代に死んだ聖徒たちの復活  黙20:4
⑦子羊の結婚の祝宴の開催  イザヤ25:6~8、マタイ22:1~14、黙19:9 

千年王国から新天新地の移行期間の出来事
・サタンの底知れぬ所からの解放
・サタンの裁き、滅び
・白い御座の裁き
・第2の死

13節:あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」

「終わりまで」・・これはダニエルの残りの寿命を指している。
死を迎えるまで、預言者としての道を歩みなさい。
「割り当ての地」・・ヘブル語で「ゴラル」・・相続を意味する。
「時の終わり」・・異邦人の時の終わりを指す。
ダニエルの復活は⑤の「旧約聖書時代の聖徒の復活」のタイミング。
その時彼は、肉の人生の報酬としての遺産(土地)を受けることになる。ハレルヤ!
ダニエルは、若くして捕囚民という人生を異国の王の元で過ごし、宦官であったかもしれない彼には、家族も子供もいなかったかもしれない。彼は謙虚に生き、イスラエルの行く末を案じ、悔いて祈り尽くした。そんな彼を、神は愛し、預言者として用いられ、未来の幸せを約束された。
私たちクリスチャンの未来も、信仰によって備えられていることを喜ばずにはいられません!ハレルヤ!

 

高齢なダニエルを支える思い

神殿再建に出かけたイスラエルの民は、周囲の妨害に会い、神殿再建が中断してしまう。
ダニエルは国の政治中枢におり、再建困難な状況は察していたことは想像に難くありません。
彼は、自分の人生よりも、イスラエルの民と神との和解を優先する者であったのです。
神は彼の心の動機を見ておられ、その純粋な姿勢に報いて、未来の預言を彼に託した。
高齢になっても萎えない思いは、神の子としての使命感があったからと考えます。
私たちは、個人的に神との繋がりを得て、自己中を無くして他を愛するという、ダニエルと同じ道を歩んでいるのではないでしょうか。
主を信じた者として、そうした神の期待にこれからも応答して、皆とスクラム組んで歩んで行きましょう。

 

正しく生きる方法
近年、反ユダヤ主義が世界を騒がしています。メディアなどが、テロを受けたイスラエルを悪者のように扱います。
その動きが国連でも鮮明です。
世の中は不正な道を正しい道と偽って、私たちを導いています。正論であるかのように!
このように、正しい情報を入手する事が、難しくなっている世の中の状況を認識しておく必要があります。
私たちは、聖書という神の価値観に立って、正しく生きる人生を目指します。
たとえばイスラエルに関しては、基本姿勢としてイスラエルを祝福します。明白なのは良いのですが、わかりにくいこともたくさんあります。だからこそ、学びを通して、ディボーションを通して、歩む道の軌道を修正することが大事だと思います。
判断や適用が間違っていても、主は何らかの方法で正しい道を示してくださり、教えてくださいます。

「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。
いのちに至る門はなんと狭く、その道はなんと細いことでしょう。そして、見出す者はわずかです。」マタイ7:13~14

2024年09月12日

ダニエル書まとめ

ダニエルの人生

14歳(1章) バビロン捕囚 官僚就任
・第1次捕囚民(BC605年)。
・律法規定通りの食事を希望→律法に従う姿勢。
・捕囚を受けた者の反省姿勢。

18歳(2章) ネブカドネツァル王の夢解き
・金・銀・銅・鉄と粘土でできた巨像の夢。
・大きな石が出現し、巨像を粉砕。
・異邦人の時の進展と神の最後の裁き。
・ダニエル→首相、3人の仲間→バビロン州の行政。

33歳(3章) 3人の仲間と金の像礼拝事件
・偶像を拝まず、信仰心を示す3人の仲間。
・燃える炉に投げ込まれても、何の被害も無し。
・DKNJ→悪魔が傍若無人に働く時期。
・神に信頼する真の信仰者は、患難を乗り越える。
・DKNJに反キリストが偶像を拝まさせるのと酷似。

47歳(4章) ネブカドネツァル王の病事件
・王の繁栄は絶頂。神を認めつつも、崇めない王。
・ダニエルが夢解きをし、神に委ねる事を示す。
・7年間の精神的病いの後、神の恩恵に気付く王。
・回復して、神を賛美する。

67歳(7章) 4つの獣の幻の預言

・4つの獣によって帝国主義支配時代を示す。
・バビロン、ペルシア、ギリシア、ローマ~。
・ダニエルはバビロンの支配下にある。
・ネブカドネツァル王の夢と同様、時期は不明。

69歳(8章) 近未来と遠未来の預言
・4つの獣の預言より詳細な内容。
・反ユダヤ主義の象徴:エピファネス王の登場。
・エピファネス王を型とする反キリスト出現の預言

80歳(5章) 不思議な文字事件
・ベルシャツァル王宴会の壁に現れた文字の解読。
・ダニエルの登場→職場復帰。
・イザヤ書の「キュロス王の侵略」の証人。
・政権交代(異邦人の時の展開)の体験者。

――――バビロンからペルシアに――――
  (9章) 70週の預言
・捕囚の完了とメシア的王国の完成を混同。
・ダニエルの悔い改めに応答する天使。
・70週の預言(69週+1週)。
・1週は、ネブカドネツァル王の病の7年間と重なる。

81歳(6章) 獅子の穴事件
・獅子なる主の裁きの存在。終末時代の結末。
・真の信仰者は免れ、神に反する者は裁かれる。
・この裁きは終末の裁き。

83歳(10,11,12章終末預言の保存
・ユダヤの民の悔い改めと祝福の断食祈祷。
・その祈りに応答し預言を与える天使。
・エピファネスを型とする反キリストの出現。
・イスラエルの回帰とメシアの裁き。
・メシア的王国への移行期間。(1290、1335日)

<ダニエルの人物像>
・ユダ族出身で、王族の一人。ヘブルの名前の意味は「神はわがさばき主」。
・第一次捕囚(BC605年)にて連行。当時は少年であった。14歳~16歳頃に連行か。
・バビロン名は「ベルテシャツァル」。「彼のいのちを守りたまえ」の意。宦官となった可能性が高い。
・他の若者たちと、バビロンの官吏となる訓練受ける。早い時期に首相となる。
・常に政治の中枢にあり、ネブカドネツァル王をはじめとして4人の王に仕えた。
非常に忠実、謙虚、賢明な人物。神に信頼し、預言書に精通し、律法に忠実に生きた人物。

 

2024年09月26日

エレミヤ書1章1節~3節 前半

名前(1章1節)
 ・ヘブル語イメルヤフ・・語幹は「投げる、高揚する、任命する」
 ・ここから「主は投げる」、「主は高める」、「主は任命する」の意味。
 ・一般的な名前でもある。(Ⅱ列23:31、24:18、Ⅰ歴5:24、12:4、12:10、13 ネヘ10:1~2)
家族(1章1節)
 ・父はヒルキヤ。「神の一部」の意味。
 ・祭司・・・ヨシヤ王時代に活躍(BC641~609)
 ・ヨシヤ王時代、大祭司ヒルキヤがいたが、彼とは別人。(大祭司の拠点はエルサレム)

拠点(1章1節)
 ・「アナトテ」は、エルサレムの北東約5km。ベニヤミン族の地に在ったレビ人の町。
 ・各地に合計48のレビ人の町があり、そのうちの一つ。所有地というより、活動の地。
 ・アロンの子イタマルから続く子孫の出身地。→アロンの子孫に与えられた土地。
 ・イタマルの子孫のエブヤタルはダビデ時代の大祭司。
 ・ソロモン即位の時、エブヤタルはアドニヤを支持し、彼はソロモンによって故郷アナトテに追放となった。(Ⅰ列2:26) この大祭司エブヤタルの子孫がヒルキヤであり、エレミヤである。
父が祭司ということは、エレミヤがレビ族で、アロンの直系の子孫(祭司)であることを示す



婚姻
 ・彼は未婚であった。(16:1~4)
エレミヤの死
 ・諸説あるが、神の預言(1:8)があり、単にエジプトで老死したと考える。
エレミヤの召命と背景
 ・召命BC627年→およそ45年間の預言者人生。召命当時は25~30歳か。マナセ王時代に出生。
 ・同時代預言者:前半→(小預言)ナホム、ゼパニア、ハバクク、後半→(大預言)エゼキエル、ダニエル。

更に当時、女預言者フルダが活躍していた。(Ⅱ列22:3、14:20、Ⅱ歴34:3、22:8)
・彼の預言は嘲笑され、偽預言者とまで言われた。(涙の預言者、悲しみの預言者)

 

エレミヤ書の構成(4つの大分類)

 

エレミヤ書の特徴

10の特徴

①時系列で書かれていない。
②豊富な伝記資料が含まれている。
③著者の内面的闘争が記録されている。
④半分はヘブル語による詩的表現で、半分は散文形式で表現されている。
⑤ホセア書との類似点が多い。
⑥特定された場所で預言が語られる。(神殿、都市の門、刑務所、陶芸家、ヒンノムの谷)
⑦7つの悔い改めの告白をするエレミヤ。
⑧神がエレミヤに裁きを逃れる祈りをするなと命じられる。(決定事項だから)
⑨ユダとイスラエルを混合して使用。すでに北イスラエルは存在しないから。
⑩象徴的な意味を持つ行動の実行

1.亜麻布の帯をユーフラテス川原に埋葬(エレ13:1~11) 1100kmの長旅の実行
2.結婚の禁止(16:1~4)                      
3.陶芸の作製(18:1~12)      神は自由にイスラエルを扱う
4.陶芸の破壊(19:1~15)       神は自由にイスラエルを裁く
5.縄とかせ(枷)を送る(27:1~11)  バビロンへの降伏
6.かせを身につけよ(27:2、28:1~17) イスラエルの捕囚
7.土地の購入(32:1~44)       捕囚されても土地が戻る約束
8.レカブ人へのワインの強要(35:1~19) イスラエルの不従順の露呈
9.大きな石を埋める(43:8~13)    エジプトの陥落、ネブカド王の樹立
10. ユーフラテス川への巻物と石(52:59~64) バビロンの崩壊の象徴

 

神学的6つの特徴

①聖書の不滅性

・壊されても、神の言葉は生き延びる。神の言葉は様々な形で預言者に届く。

②神の教義

・神の絶対的主権により国家、歴史が支配される。神の全知全能と偏在。
・神に対する服従により、祝福がもたらされる原理原則。

③キリスト論
・メシア預言の存在
・エレ23:5~6・・・「神であり人である」という概念に言及。
④罪の教義

・人間の極度の罪深さが露呈(エレ17:9)。欺瞞と裏切りが人の心の悪の根源である。

⑤イスラエルの教義

・イスラエルの民と国家について、過去・現在・未来の神学的議論がなされている。
・モーセの律法→バビロン捕囚→離散→新しい契約(最終的にはイスラエルの救いへ)

⑥終末論(終末の教義)

・ダビデの王位の回復と再確立→メシアの再来
・苦難と共に訪れるメシア的王国の情報提供

霊的位置づけ

・エレミヤ書はヨシヤ王時代(ヨシヤ王の治世第13年)から語られる預言書です。(1:2)
・ヨシヤ王は善王とされ、その祖父マナセ王と父アモン王による腐敗の改革に取り組んだ。様々な改革は行ったが、人々の内的霊的な改革は改善されず、そのことにエレミヤは否定的であった。(3:6~10)
・マナセ王は最後に悔い改めて神に立ち返ったが、国の腐敗はひどく、神の怒りの回帰不能点を超えた。
・エレミヤの周辺には多くの偽預言者がいて、人々の霊的状態は悪化し、レビ人たちも不誠実であった。
・ヨシヤ王の誠実さから、彼の時代に破滅は無く延期されたが、裁きは取り除かれない。
・エレミヤは、救済には裁きしかないことを知り、民に語っていた。その答えがバビロン捕囚であった。

回帰不能点: ①カデシュ・バルネア事件
       ②マナセ王の偶像礼拝
       ③イエスのメシア拒否(ベルゼブル論争)

 

私たちはクリスチャン良貨!
ヨシヤ王は、最悪の状況を主に信頼して改善へと進めたが、民の内面は改善されず、むしろ悪化しました。民は神の御心に反する方向へ突き進みます。

「悪貨は良貨を駆逐する」とは、放っておけば悪いことが蔓延するという意味です。
エレミヤもまた、良貨のように悪貨に駆逐される立場になります。しかし神はエレミヤの人生を見ておられ、必ず永遠の祝福へと導いてくださいます。
日本のクリスチャン人口は全体の1%。その中の聖書本位主義者はいかほどでしょう。

地上において、主は必ずそんな本物志向のクリスチャンをしっかりと見ていてくださいます。
クリスチャン良貨は駆逐されるように見えても、消え失せはしません。むしろ光り輝く存在となって地上に帰還します。この福音に感謝!ハレルヤ!

「自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。」マルコ8章35節

2024年10月03日

エレミヤ書1章1節~3節 後半

ヨシヤ王の家族
・ヨシヤ王
長男・・ヨナハン(王位継承せず)
次男・・エホヤキム(エリヤキム)・・・息子エホヤキン
三男・・ゼデキヤ
四男・・エホアハズ(シャルム)

 

王位継承
ヨシヤ→エホアハズ(四男)→エホヤキム(次男)→エホヤキン(孫)→ゼデキヤ(三男)
ヨシヤ王以外いずれの王も神に反する王であった!


王家について

ヨシヤ王(BC640/641~BC609)(Ⅱ列22:1~23:30、Ⅱ歴34:1~35:27)
マナセ王(祖父)ユダ史上最悪王神の裁き(バビロン捕囚)を決定づけた!→アモン王(父)悪王→ヨシヤ王(8歳~)

ヨシヤ王は善王として活躍
・荒廃した神殿を回復。その最中のBC622に神殿で申命記が発見された。
・彼の回復はイスラエル北部に及び、数々の偶像を解体した。
・ちなみに、BC628~神の国としての復興を目指した。この翌年BC627にエレミヤが預言者として召された。

エホアハズ王、別名シャルム(BC609~3ヵ月間)(Ⅱ列23:31~35、Ⅰ歴3:15、Ⅱ歴36:1~4)
 23歳で即位するも、エジプトのネコ王に廃位されエジプトにて追放・監禁されて死亡。

 

エホヤキム王(BC609~BC598)(Ⅱ列23:36~24:7、Ⅱ歴36:5~8)
・BC605年、バビロンがエジプトを征服。
・その時エホヤキム王はバビロンに捕囚される。(ダニエルと同じ第一次捕囚)
・エホヤキムはエルサレムに戻されたがバビロンに朝貢するようになる。
・この期間中にエレミヤはバビロン捕囚を神の裁きと考え、悔い改めを説く。

 

・エホヤキム王はエレミヤの巻物を読ませ、その警告を無視し、巻物を火にくべた。(エレ36:23~24)
・更にもう一人の預言者ウリヤの暗殺を命じ、エジプトで捉えて殺害した。(エレ26:20~30)
・エレミヤは神の命によりもう一度巻物を書き直した。神はエホヤキム王を裁かれた。(エレ36:27~29)

 

・エホヤキム王の裁きは、バビロンへの朝貢を止めたときに成就。
・ネブカドネツァル王はエルサレムを包囲し、エホヤキムは殺された。(エレ22:19、36:30)
・エホヤキム王は殺されその遺体は城壁の上に投げ出された。(史家ヨセフスによる)

エホヤキン王、別名エコンヤ(BC597~在位3ヵ月)(Ⅱ列24:8~16、Ⅱ歴36:9~10)

・BC597年にネブカドネツァル王に降伏。(マナセ王の罪の結果)
・エホヤキン、家族、宮廷関係者は捕囚されて投獄。
・一万人が捕囚。(第二次捕囚)エゼキエルも含まれていた。(Ⅱ列24:14~16、エゼ1:1~2)

・ネブカドネツァル王は、最貧民を残して捕囚し、神殿も襲撃、強奪。(Ⅱ列24:13~14、Ⅱ歴36:10)
・エホヤキンは捕囚から37年後、バビロンで、ある程度の自由を与えられた。

 

・エレミヤは、エホヤキンの死を預言し、更に神の呪いを預言した。(エレ22:24~30)
・この呪いにより、ダビデの子としてのメシアに影響を与えた。(肉体的繋がりがなくなる)
エホヤキンは神に呪われ、彼らの子孫からは直接的にメシアは生まれない。ダビデの流れではあるが、イエスは聖霊によって、マリアを通して地上に生まれたのである。

ゼデキヤ王、(BC597~BC586)(Ⅱ列24:17~25:7、Ⅱ歴36:11~21)ユダ最後の王。
・元の名はマタンヤ(またはマタヌヤ)。即位時にネブカドネツァル王に改名させられた。
・神に頼らず、エジプトの軍事力により頼み、その結果バビロンに打たれ第三次捕囚となる。

・王は捉えられて、息子たちの処刑を目の前で目撃し、すぐに両目をえぐり取られ盲目となった。
・エレミヤはこの王について、広範囲に扱っている。(偽預言者に翻弄される王の姿)

 

知事ゲダルヤ、(BC586~2ヵ月間)(Ⅱ列24:17~25:7、Ⅱ歴36:11~21)
・アヒカムの子、シャファンの孫。アヒカム(エレミヤの保護:エレ26:24など)、シャファン(Ⅱ列22:3~14)
・エルサレム陥落後のユダの総督に任命される。
・エレミヤもゲダルヤのもとに居るためミツパに行く。(エレ40:6)
・ユダの人々に平和に暮らすよう促したが、2ヵ月後、アンモン人たちに殺害される。(Ⅱ列25:25)
この時エレミヤは誘拐され、彼の意に反してエジプトに連行されることになる。(エレ43:1~7)

時代背景(捕囚の歴史

BC605年   カルケミシュの戦い。バビロンがエジプトに勝利し覇権を握る。イスラエ        ル第一次捕囚される。

BC602~1年  エホヤキム王がバビロンに反抗

BC597年   エホヤキム王死亡。エホヤキンが王となるがバビロンに降伏。
        第二次捕囚1万人。ゼデキヤ王が即位。

BC588年   ゼデキヤ王のバビロン反抗により、バビロンがエルサレム包囲。

BC587年   エルサレム包囲の解除・・・包囲の再開。

BC586年   ゼデキヤとその息子の捕囚。第三次捕囚。ゲダルヤが知事。
       エレミヤがエジプトへ行かされる。第四次捕囚
BC562年   ネブカドネツァル王の死
BC561年   ネブカドネツァル王の息子エビル・メロダクがエホヤキン王を解放。

 

エレミヤの預言 

支配者 西暦 エレミヤ書の該当章
ヨシヤ王 BC627
1、2~6
エホアハズ王
BC609
なし
エホヤキム王
BC608
BC605
BC604
BC600
BC599
BC598
BC597
26
25、35(?)、36、45、46:1~12
18~19
13、14
15~17
7~10(?)、11~12、47~49
22~23、24、29
ゼデキヤ王 BC596
BC593
BC589
BC588
BC587
BC586
BC585
30~31
27、28、50~51
34
33
21、32、37、39、38
39、52、40~41、43~44
46:13~18

 

エレミヤの預言の年表(要約版)

支配者 エレミヤ書の該当する章
ヨシヤ王 (BC640~609)  1~7章
エホアハズ王  (BC609)  なし
エホヤキム王 (BC609~598)    11章~17章,22~23章.25~26章,35~36章45~48章
エホヤキン王  (BC597) 31章15~27節
ゼデキヤ王 (BC597~586) 21~22章、24章、27~34章、47~51章
知事ゲダルヤ (BC586)  40~44章
追加記録 (エレミヤ不記載) 52章

 

エレミヤの預言の年表(詳細版

支配者
在位
エレミヤ書の該当する節
ヨシヤ王  BC640~609
1:1~19、2:1~3:5、3:6~6:30、7:1~10:25
エホアハズ王 BC609
なし

エホヤキム王 
BC609~598
11:1~13:14、14:1~15:21、16:1~17:27、22:1~30、23:1~40、25:1~38、26:1~24、35:1~19、36:1~32、45:1~5、46:1~28、47:1~7、48:1~47
エホヤキン王 BC597
31:15~27
ゼデキヤ王 BC597~586
21:1~22:30、24:1~20、27:1~22、
28:1~17、29:1~32、30:1~31:40、
32:1~44、33:1~26、34:1~22、37:1~21、38:1~28、39:1~18、49:1~39、50:1~51:64
知事ゲダルヤ BC586
40:1~42:22、43:1~44:30
追加記録   52:1~34(エレミヤが語ったものではない)

 

旧約聖書とエレミヤ書の関係
・エレミヤ書は、Ⅱ歴代誌(35:25、36:12、36:21~22)と、ダニエル書(9:2)に言及あり。
・いずれも、70年間の捕囚預言の成就と、その速やかな終了を語っている。

 

新約聖書とエレミヤ書の関係
・新約聖書では、エレミヤ書が41回引用されている。(例:マタイ2:17、27:9など)
・とくに黙示録に多く引用されている。(黙14:8、18:2、18:4、18:8、18:21)

 

エレミヤ書のテーマ
・マナセ王の罪の結果によるバビロン捕囚が差し迫ったという破壊の預言。
⇒悔い改めと神への回帰を諭すが、効果なし。

エレミヤ書のテーマはユダに対する不可避な裁きの宣言である!

 

正しい価値判断
・ヨシヤ王は神に回帰したが、それが人々には行き届かず、エレミヤが神の裁きを預言す
るも、人々は神の民の心を忘れ、その結果最悪の気付きの促しである捕囚を経験します。
・現代の日本を見るに、悲しいかな平和に導くはずの上層部の人たちは、先ずは自分の懐を温めることが優先しているように見えてなりません。
・結局のところ、イスラエルの歴史が示すように、たとえ良い人が出て来ても一時の慰めのごとく時は過ぎ、自己中心な世界が世の中を支配して行くのが現実です。
・神は自己中を捨てろと諭され、世は自己中を貫けと導く。この簡単な善悪の真理が受け入れられないのは、死という肉体的終末のとらえ方の違いであろうと思います。
・クリスチャンは永遠に生きるか死ぬかという価値判断をします。そして私たちは、永遠のいのちが本当の財産であり、価値であると胸を張って答える神の子なのです。

ハレルヤ!
「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。」 ヨハネ12章25節

2024年10月11日

エレミヤ書1章4節~19節

4節:次のような主のことばが私にあった。
5節:「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」

・受胎前から、神はエレミヤを預言者と定めていた。
・単なる称号の贈与ではなく、預言者としての必要が全て与えられた。(アブラハム、モーセと同様)
・その活動は、ユダのみならず諸国に及ぶ。(46~51章:諸国への預言)

6節:私は言った。「ああ、神、主よ、ご覧ください。私はまだ若くて、どう語ってよいか分かりません。」

・エレミヤの応答・・若い私には無理!→人前で語るには不十分です!
・「若い」・・経験が浅いという感覚がある。
・エレミヤは、預言を語るには、周囲の人を説得するというようなスキルが必要と思っていたのではないか。
※エレミヤの召命の年齢は13~14歳など諸説あるが、25歳ぐらいと考えられる。

7節:主は私に言われた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。

・神はこの応答を却下!遣わす全ての所で、命じる言葉を語れ!と言われる。
・預言者に経験は不要。神の言葉を繰り返し伝えるのがその責務である必要なのは忠実さ!

8節:彼らの顔を恐れるな。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。──主のことば。」

・神はエレミヤの心の中に、周囲の人々への恐れを見ている。
・神は「救い出す」と言っている。つまり「何らかの厳しい状態があっても、必ず救う!」と言っている。
・アブラハム(創15:1)、モーセ(民21:34)、ダニエル(10:12)に同じような内容のことばを与えている。

9節:そのとき主は御手を伸ばし、私の口に触れられた。主は私に言われた。「見よ、わたしは、わたしのことばをあなたの口に与えた。

・エレミヤの口に神が触れられ、「わたしのことばをあなたの口に与えた」と言われた。
・エレミヤは、預言者のことばは神から来るものと確信した。
・エレミヤは、その実体験から、預言者としての不安が全て取り除かれたであろう。

10節:見なさい。わたしは今日、あなたを諸国の民と王国の上に任命する。引き抜き、引き倒し、滅ぼし、壊し、建て、また植えるために。」

・神は改めてエレミヤをユダと諸国の預言者として正式任命し、また任務を示した。
 破壊のメッセージの預言回復のメッセージの預言ユダ、そして諸国に示し、それが成就する

11節:主のことばが私にあった。「エレミヤ、あなたは何を見ているのか。」私は言った。「アーモンドの枝を見ています。」
12節:すると主は私に言われた。「あなたの見たとおりだ。わたしは、わたしのことばを実現しようと見張っている。」

・アーモンドの木の枝→「(ヘ)シャケイド(shawkade)」 (言葉遊び…掛けことば)
 動詞shawkad「 見る、見張る、見守る、起きている」の派生語。
・何を見ているのか?→アーモンドの木の枝 →アーモンドは冬からの目覚めを示す木。やかさの象徴。

・「エレミヤよ、あなたの預言は神がしっかりと見張る。その預言は速やかに成就する。」
※エレミヤは近未来預言(バビロン捕囚)が実現してそれを体験。→ 遠未来預言の成就も確信できることになる。

アーモンドの木:

1.アロンの杖(民17:8)
2.メノラーのデザイン(出25章)
3.白髪になる事(伝12:5)
  
13節:再び主のことばが私にあった。「あなたは何を見ているのか。」私は言った。「煮え立った釜を見ています。それは北からこちらに傾いています。」
14節:すると主は私に言われた。「わざわいが北から、この地の全住民の上に降りかかる。

・何を見ているのか?→煮え立った釜が北からこちら(南側)に向かって傾き、中身が流れ出している。
・神のユダに対する厳しい裁きで、それは北からくる。(この時点で、どの国かは不明)

確実な神の裁きの告知。

15節:今わたしは、北のすべての王国の民に呼びかけている。──主のことば──彼らはやって来て、エルサレムの門の入り口で、周囲のすべての城壁とユダのすべての町に向かいそれぞれ王座を設ける。

・「呼びかけている」・・・神はこの時点ですでに裁きの準備を進めている。
・北の連携する諸国をエルサレムの門の入り口に集め、城壁とユダすべての町に対して王座を設けさせる。
・ユダの権利が全て失われていることが示されている。→ユダ王国の滅亡を意味する。(釜の内容)

16節:わたしは、この地の全住民の悪に対してことごとくさばきを下す。彼らがわたしを捨てて、ほかの神々に犠牲を供え、自分の手で造った物を拝んだからだ。

・裁きの理由が示されている。→偶像礼拝の罪(マナセ王の罪の結果)
・邪悪さ・・①自分たちの神の放棄、②他の神へのいけにえ献上、③偶像の製作と崇拝
・「さばきを下す」 は、「わたしは、わたしの裁きを宣告する」と書かれているもので、エレミヤ独特の表現。

アーモンドの木の幻→エレミヤの任務を命じている。その預言は神に見守られ、速やかに成就する。

煮え立った釜→来たるべき裁きのヒント。これから語られる預言の概略を示している。

17節:さあ、あなたは腰に帯を締めて立ち上がり、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。彼らの顔におびえるな。さもないと、わたしがあなたを彼らの顔の前でおびえさせる。

・「さあ、・・・語れ!」 と励まし、背中を押す神のみことば。覚悟を決めて、立ち上がり、神の預言を語れ!
・反対圧力に負けるな!もし負けるなら、神があなたを敵の前でおびえさせる!8節の約束を信じて歩め!

18節:見よ。わたしは今日、あなたを全地に対して、ユダの王たち、首長たち、祭司たち、民衆に対して要塞の町、鉄の柱、青銅の城壁とする。

・神の宣言の成就。すでにエレミヤは無敵、鉄壁の要塞となっている。
・攻め立てる人々とは、ユダの人々→王たち、首長たち、祭司たち、民衆を指す。
 攻撃例→エレ36:26、38:1~13、26:1~24、11:21~23
   

19節:彼らはあなたと戦っても、あなたに勝てない。わたしがあなたとともにいて、──主のことば──あなたを救い出すからだ。」

・神の保証・・わたしがともにいて、あなたを救い出す。
・エレミヤは殉教という死を迎えることは無いことの約束。
・エレミヤは確かに、多大な攻撃を受けることになる。しかし、エレミヤが負けることは無い。
・神が共にいてくださるという事は、そういう事である。従ってエレミヤは、最後は老齢で死ぬことを示している

 

私たちの任務(クリスチャンとしての召命)
・エレミヤは、およそ25歳ぐらいの時、神から預言者として召しを受けました。彼は彼なりに預言者の定義を持っていましたが、それは神に、見事に却下されました。
・私たちも、外見からこういう職業にはこういう能力が必要!、とか、これをやるにはこんなことが出来なければならない!、というような定義付けをしてしまいます。世的な考えです。
・神のしもべとして働く者は、神の仰せに素直に従うことが優先されます。神は私たちの良い点も悪い点もすべて、行動も結果もすべてご存じの上で用いてくださるのです。
・新約時代の私たちへの神の期待は、神の子として相応しく生きることです。救われたということは、その期待に素直に喜びをもって応答し、新たな人生を歩むということ。これが私たちの基本的任務ではないでしょうか。
「それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかりと握り、 彼らの間で世の光として輝くためです。・・・・・・・」 ピリピ2章15~16節より

2024年10月17日

エレミヤ書2章1節~19節

1節:次のような主のことばが私にあった。
2節:「さあ、行ってエルサレムの人々に宣言せよ。『主はこう言われる。わたしは、あなたの若いころの真実の愛、婚約時代の愛、種も蒔かれていなかった地、荒野でのわたしへの従順を覚えている。

・「主のことばがあった」・・・エレミヤへの命令
・エルサレムの人々に、かつてのイスラエルが忠実な信仰者であったことを知らせよ!
・神は良き婚約者という存在であったことを覚えている。
・「覚えている」・・語源は「(へ)zecher」で、特に良い記憶を指す。
 ①イスラエルの献身さ②彼らの神に対する愛③荒野での従順さ         
・この記憶は、荒野の放浪期間・・出エジプトからシナイ山までのこと。(仔牛の礼拝事件前まで)出エジ12章~19章

3節:イスラエルは主の聖なるもの、その収穫の初穂であった。これを食らう者はだれでも罰を受け、わざわいを被った。──主のことば──

・イスラエルは神聖であり、初穂である。
・「初穂」・・神のもの。レビ23:15~17、申16:9~12など参照。神に属すものに触れることは有罪で、災難が及ぶ。
・初穂である神の民を襲うことは、わざわいを受けることになる。
・一方、イスラエルの民にも神の民の存在を示す役割があったことを忘れてはならない。

4節:ヤコブの家よ、イスラエルの家の全部族よ、主のことばを聞け。

・イスラエルの全部族(12部族)すべてがこれから語る内容の対象である。

5節:主はこう言われる。あなたがたの先祖は、わたしにどんな不正を見つけたというのか。わたしから遠く離れ、空しいものに従って行き、空しいものになってしまうとは。

・神の挑戦的痛烈批判の質問が二つ。
 ①神に何の不正を見つけたのか…なにも不正はない!
 ②なぜ不貞の働きをするのか。(自らの意思で、何の利益も生まない者に従う思い)

6節:彼らはこう尋ねることさえしなかった。「主はどこにおられるのか。われわれをエジプトの地から上らせた方、われわれに、あの荒野、穴だらけの荒れた地を、乾いた、死の陰の地、人も通らず、だれも住まない地を行かせた方は。」

・荒野での神との関係は、100%神に信頼しなければ生存できない場所。
・その時の民の心を持っているなら、「あの時の恵み豊かな神よ、お助け下さい!」というだろうに!
・神の思い→「そんな、質問さえ心に浮かばない民よ!情けないではないか!」
荒野放浪時の人口:100万人~200万人(民11:21・・・兵役男子60万人)
 ・小麦1日500g/日とすると、100万人一日当たりの量は500t。
 ・水1日500ml/日とすると、100万人一日当たりの量は500t。 
神はこの人民の食糧を40年間支え続けられた。

7節:わたしはあなたがたを、実り豊かな地に伴い、その良い実を食べさせた。ところが、あなたがたは入って来て、わたしの地を汚し、わたしのゆずりの地を忌み嫌うべきものにした。

・荒野放浪後に与えた地→カナンの地・・・肥沃で豊かな土地
・入植当時は良かったが、結局その地を偶像で汚した。
神は特にこの地を愛しておられた。しかし異邦人によってこの地が汚され、神の直接支配は無かった。イスラエルの民が入ることで偶像支配が無くなり、神の摂理が働き始める。
しかし、イスラエルの民が偶像礼拝を始めて、結局「神の約束の土地」を汚すということになる。

8節:祭司たちは、「主はどこにおられるのか」と言うことがなく、律法を扱う者たちも、わたしを知らず、牧者たちもわたしに背き、預言者たちはバアルによって預言し、役立たずのものに従って行った。

・背教はイスラエルの民全体の問題と指摘される神。
・祭司(偽祭司)、上層支配者たち(指導部)、預言者(バアルのことばによる偽預言者)
➡神の道を教える人、民を導く人、神の声を届ける人。
・一般の民は、これら上層部たちの誤った指導に従って歩むことになる。→背教へ

9節:それゆえ、わたしはなお、あなたがたと争う。──主のことば──また、あなたがたの子孫と争う。

・争う!→告訴する、裁判にかける!という神の宣言。
・当時の人々とその子孫に対して法的手続きを進めるという意味。→『裁判』
・神の裁きは、イスラエルの指導部と支配下の一般庶民、更にその子孫(3~4代)に及ぶ。(出エジ34:7参照)

10節:キティムの島々に渡って、よく見よ。ケダルに人を遣わして見極めよ。このようなことがあったかどうか、確かめよ。
11節:かつて、自分の神々を、神々でないものと取り替えた国民があっただろうか。ところが、わたしの民は自分たちの栄光を役に立たないものと取り替えた。

・キティムの島々→地中海のキプロス島を中心とする地中海沿岸の諸民族。(聖書地図2など参照)
 キティムはヤワンの子の一人で、ヤワンはヤフェテ(ノアの息子)の子の一人である。
・ケダル→黒い天幕で生活する遊牧民。パレスチナからメソポタミヤに広がる砂漠を拠点。
 ケダルはイシュマエルの次男。「黒い」、「浅黒い」の意味。軍事に優れ、繁栄した。
 キティムとケダルは、当時の対極の存在→これらの異邦人を対象にあげて、イスラエルの背教を指摘する。
・他の民族はたやすく自分たちの神を他の偶像と換えることは無い!
・お前たちは、シャカイナ・グローリー(神の栄光)を、無利益なものに変えてしまう愚か者たちだ!

12節:天よ、このことに呆れ果てよ。おぞ気立て。涸れ果てよ。──主のことば──

・『天』が呼ばれているのは、『裁判』において、天が証人だからである。(9節の裁判の流れ)
・天は、神と人との契約の証人→天と地が証人という箇所→申4:26、30:19、32:1など

13節:わたしの民は二つの悪を行った。いのちの水の泉であるわたしを捨て、多くの水溜めを自分たちのために掘ったのだ。水を溜めることのできない、壊れた水溜めを。

・裁かれる2つの罪が明確化される。
①いのちの水の泉を捨てた罪。(17:13にも言及あり)生きるいのちと救いの源となる泉。
②壊れた貯水池の構築。(人は不完全であり、信頼に値しない)
貯水池は貯水と管理の必要がある。また破損したら一大事。
泉に、そのような心配は無用。コンコンと無限に湧き出てくる。

14節:イスラエルは奴隷なのか。それとも家に生まれたしもべなのか。なぜ、獲物にされたのか。

・14~19節まで、イスラエルは神の妻として表現されている。
・二つの奴隷について
①限られた期間の束縛にある奴隷 (ヘ)eved → 6年を終えて解放(申15:12~18)
②主人の個人的所有にある奴隷 (ヘ)yalid bayit → 奴隷として家に所属。生まれたときから奴隷
奴隷として偶像に所属してどんどん離れられなくなっている。それはまるで、偶像の獲物ではないか

15節:若獅子は彼に向かって吼えたけり、うなり声をあげて、その地を荒れ果てさせる。その町々は焼かれて、住む者がいなくなる。

・若獅子→象徴的な意味として、「国家」を表す。
・他国はイスラエルを攻撃し、土地も都市も破壊され滅亡する。(ホセア5:14~15、ヨエル1:6~7) 

16節:メンフィスとタフパンヘスの子らも、あなたの頭の頂を剃り上げる。

・メンフィス・・(ヘ)Naph エジプト→現在のカイロの南の都市
・タフパンヘス・・(ヘ)Techaphneches ナイル川デルタの東支流の都市
メンフィスとタフパンヘスは、バビロン捕囚時の亡命先となった都市
・「頭の頂を剃り上げる」・・「恥を見る」、「不名誉な象徴」の意味。
バビロンとの戦いでエジプトに支援を求めるが、エジプトにその力はない。結局、恥を見ることになる。イザヤ36:6、Ⅱ列18:21

17節:あなたの神、主があなたに道を進ませたとき、あなたが主を捨てたために、このことがあなたに起こったのではないか。

・神は、この時代にも荒野の時のごとく民を導いていた。それを捨てたのはあなた、イスラエルの民ではないか。
・これこそが、いのちの水の泉を捨てたことの結果である。

18節:今、ナイル川の水を飲みにエジプトへの道に向かうとは、いったいどうしたことか。大河の水を飲みにアッシリアへの道に向かうとは、いったいどうしたことか。

・いのちの水の泉と貯水池の比較。
・ナイル川(エジプト)とユーフラテス河(アッシリア)により頼むイスラエル。
・ヨシヤ王の時代、独立国として立ち上がろうとしつつ、この両国を行ったり来たりするイスラエルの姿。
・この頃すでに、アッシリアは弱体化傾向。アッシリアの滅亡はBC612年。第一次バビロン捕囚はBC605年。
・エジプト、アッシリアともに壊れた貯水池で、これに頼れば恥を見ると言われる神。

19節:あなたの悪があなたを懲らしめ、あなたの背信があなたを責める。だから、知り、見極めよ。あなたがあなたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、いかに悪く苦いことかを。──万軍の神、主のことば。

・悪の結果は、厳しい懲らしめ。・・神の裁き・・バビロン捕囚・・国の滅亡
・神への裏切りは、後に後悔となってブーメランのように自分に返ってくる。・・国の喪失という痛手
全ての原因は、神を恐れず、神を捨てたこと。

 

いのちの泉と私たち

・エレミヤ書によって、いのちの水の泉の大切さが示されました。

・人は大きな川のようにとうとうと水を蓄えて流れる大河に安心感を覚えてしまいがち。しかし、大きな川がひとたび牙をむけば、その周辺の人々に壊滅的な被害を与える危うさがあります。
・一方、泉は常にきれいな水を与え続けて、枯れることがありません。

・エレミヤ時代に指摘されたいのちの水の泉は、新約時代になって、主を信じる人の心の中に与えられています。聖霊が私たちの泉となって、常に神の愛を教え、示し続けています。
・私たちは、神の純粋な愛の水を毎日飲み続けて、昨日より今日が少しでも純粋であるよう願って、時にはその水を頭から浴びて目を覚ましつつ、歩んで行こうではありませんか!
「しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」

ヨハネ4章14節

2024年10月24日

エレミヤ書2章20節~3章5節

偶像礼拝の熱心さを、①くびきのない牛(20節)、②雑種のブドウ(21節)、③身に沁みついた汚れ(22節)、④さかりのついた動物(23~24節)を挙げて、指摘する。

20節:実に、遠い昔にあなたは自分のくびきを砕き、自分のかせを打ち砕いて、「私は仕えない」と言った。まさしく、あなたはすべての高い丘の上や、青々と茂るあらゆる木の下で、寝そべって淫行を行っている。

(①くびきのない牛)
・くびきは牛や家畜に掛けられる。仕事をするという意味。
・エジプトで奴隷から解放されたが、偶像を追いかけて、神と律法(かせ)を拒否したイスラエルの姿。
・高い所に祭壇を設けて偶像を拝む。遊女、娼婦そのもの。妻となったイスラエルが偶像との霊的淫行へ。
・ホセア4:16では、子羊をモチーフにして、同様の内容を語っている。

21節:わたしは、あなたをみな、純種の良いぶどうとして植えたのに、どうしてあなたは、わたしにとって、質の悪い雑種のぶどうに変わってしまったのか。

(②雑種のブドウ)

・純種な良きぶどうとして植え、荒野という教育期間を経て育てたのに、何故、悪い雑種になったのか?
・純種の良いぶどう→(へ)sorek は「選り抜かれた」の意味。
・ソレク渓谷のブドウが有名。ペリシテのエクロンを通るソレク(ソレイク)川流域。(デリラの出身地)
・ホセア10:1~に似たような預言。悪いブドウの話は、申命記32:32~33。
   
22節:たとえ、あなたが重曹で身を洗い、たくさんの灰汁を使っても、あなたの咎は、わたしの前に汚れたままだ。──神である主のことば──

(③消えない汚れ)
・イスラエルの汚れは、どんな石鹸で洗っても落ちない。(重曹→鉱物性アルカリ、灰汁→植物性アルカリ)
・イスラエルの不義は、根付いて消え去らない。

23節:どうしてあなたは、「私は汚れていない。バアルの神々に従わなかった」と言えるのか。谷の中でのあなたの行いを省み、自分が何をしたかを知れ。あなたは、あちらこちら道を走り回るすばやい雌のらくだ。
24節:また、欲情に息あえぐ荒野に慣れた野ろばだ。さかりのとき、だれがこれを制し得るだろう。これを探す者は苦労しない。発情の月に見つけることができる。
25節:裸足にならないように、喉が渇かないようにせよ。しかし、あなたは言う。「あきらめられません。他国の男たちが好きなので、私は彼らについて行きます」と。

(④さかりのついた動物)

・バアルの神々を礼拝した不義を認めようとしないイスラエルに対して、ヒノムの谷を思い出せと指摘。
・人身を犠牲とした象徴的場所。Ⅱ列23:10
・イスラエルの姿は、さかりのついたラクダ。その欲望的行動は無秩序極まりない。
・欲情にあえぐ野ろばにも似る。雄を求めて道を駆け回る姿。
→イスラエルも同様に、欲求不満で制御不能状態となる。人間の本性。
・靴が裂けるほど追いまわし、のどが渇くほどに求め続けてはいけないと言っても、
→イスラエルは、「無理です。他国の男・・偶像が好きなのです。」と言う。

26節:盗人が、見つかったときに恥を見るように、イスラエルの家も恥を見る。彼らの王たち、首長たち、祭司たち、預言者たちも。

・泥棒が捕まって恥を見る様に、イスラエル全体は、王、王子、祭司、預言者はじめ、全員恥を見る。
・偶像礼拝の何と空しく愚かであるかを知るから。

27節:彼らは木に向かって「あなたは私の父」、石に向かって「あなたは私を生んだ」と言っている。実に、彼らはわたしに背を向け、顔を向けない。それなのに、わざわいのときには「立って、私たちを救ってください」と言う。
28節:では、あなたが造った神々はどこにいるのか。あなたのわざわいのときには彼らが立って救えばよい。ユダよ、あなたの神々はあなたの町の数ほどもいるではないか。

・石や木を崇めて、父と呼び、本物の神を無視する。しかし、わざわいが来れば神に助けを求める。
・それは、まったくの自己都合。自分の立場を忘れて、神を好き勝手に扱う愚か者と、神の目には映る。
あの石や木はどうしたのか?それらに救ってもらえばよいのではないか?町の数ほどに、たくさんあるじゃないか!
マナセ王の時代、偶像が町の通りの数ほどに設置された。(Ⅱ列21章1~16、Ⅱ歴33章1~20参照

の目には、姦淫の何物でもない!

29節:なぜ、あなたがたはわたしと争うのか。あなたがたはみな、わたしに背いてきた。──主のことば──

・なぜ、あなたがたはわたしと争うことをするのか。どうして私に背くことをするのか?(お門違いだ!)
・律法を守らず、その目的を達成できなかったことも指摘している。

30節:わたしはあなたがたの子らを打ったが、無駄だった。彼らはその懲らしめを受け入れなかった。あなたがたの剣は、食い滅ぼす獅子のように、あなたがたの預言者たちを食い尽くした。

・あなたがたの子ら・・イスラエルが神と婚姻関係を結んだ後生まれた子供たち、つまり偶像礼拝をして来たすべてのイスラエル人をさす。
・懲戒を与えたが、気付かなかった。更に預言者を送ったが、彼らを殺してしまった。(例:エレ26:20~)
・預言を蔑ろにすることは、最終的に神の裁きが下されることを意味する。

31節:あなたがた、この時代の人々よ。主のことばに心せよ。わたしはイスラエルにとって荒野であったのか。あるいは暗黒の地であったのか。なぜわたしの民は、「私たちは、さまよい歩きます。もうあなたのところには行きません」と言うのか。

・今の世代の民よ!(ヨシヤ王の時代の人々を指している)あなたがたにとって神は荒野であり、暗黒の地であったと思っているのか?
・神は荒野にあって、更には暗黒にあって民を導く存在である。
・なぜ民はそのことを忘れて、「私たちはさまよう道を歩みます。神のところには戻りません。」と、応答するのか?!改革の難しさが伝わってくる

32節:おとめが自分の飾り物を、花嫁が自分の飾り帯を忘れるだろうか。しかし、わたしの民はわたしを忘れた。その日数は数えきれない。

・女性は、未婚、既婚を示す飾りを肌身離さない。
・これは、神の民が律法を肌身離さずにいることを期待するもの。
・イスラエルは、長きに渡りその期待を裏切ってきた。(詩106:13参照)

33節:あなたが愛を求める方法は、なんと巧みなことか。そのようにして、あなたは悪い女にさえ、巧みに自分の方法を教えたのだ。

・イスラエルは妻でありながら、巧みに他の神々を恋人にしていた。
・本物の神に仕えるふりをして、異邦の神を崇める姿。
・異邦の神を崇める異邦人の手本となるような勢いであったと想像する。

34節:あなたの裾に見つかるのは、咎なき貧しい人たちの、いのちの血。彼らが押し入るのを、あなたが見たわけでもないのに。しかも、これらすべてのことにもかかわらず、

・その遊女ぶりは、殺人者になるほどである。
・マナセ王時代→Ⅱ列21:16 ・・無益な大量殺人、Ⅱ列23:10・・人身御供(子供)
・強盗を目撃したというわけでもないのに、その命を奪う。
・人の命も大事だが、偶像に従う姿勢を神は完全に嫌われている。→悪とされ、裁かれる対象となる。

35節:あなたは言う。「私は潔白だ。確かに、御怒りは私から去った」と。あなたが「私は罪を犯してはいない」と言うので、今、わたしはあなたをさばく。
36節:あなたはなんと簡単に自分の道を変えることか。アッシリアによって恥を見たのと同様に、あなたはエジプトによっても恥を見る。

・神の目に悪を行いながらも、無実を主張する。そんな姿勢だから、神は裁かれる!
・いとも簡単に偶像に走るのは何故なのか?北イスラエルがアッシリアに滅ぼされたのを見ただろうに!
・間もなくあなたがたもエジプトに頼り、そして裏切られ、恥を見ることになる。

うぬぼれの強い人間は、自分は大丈夫と高を括ってしまうのではないか?
気付きの促しに敏感に素直に応答する生活スタイルが必要!

37節:そこからも、あなたは両手を頭に置いて出て来るだろう。主が、あなたの拠り頼むものを退けられるので、あなたが彼らによって栄えることは決してない。

・「そこから」・・エジプトを指す。
・バビロン捕囚直前に、エジプトに亡命する者たちがいた。(特に上層階級者ではないか)
・安住の地に留まる(申12章)という神の命令に背くことになる。→神を無視した行為が当たり前となっていた。
・結局、バビロンはエジプトまで進軍し、それらのユダヤ人はバビロンによって連れ出される結果となる。神の裁きである。

3章
1節:もし、人が自分の妻を去らせ、彼女が彼のもとを去って、ほかの男のものになったら、この人は再び先の妻のもとに戻れるだろうか。そのような地は大いに汚れていないだろうか。あなたは、多くの愛人と淫行を行って、しかも、わたしのところに帰るというのか。──主のことば──

・神は、離婚、再婚に関する確認をされている。・・申24:1~4

律法では、離婚された女が別の男と結婚し、その後何らかの理由で離婚、または死別した時、この女と最初に離婚した男は、この女と復縁できない。➡土地を汚す罪となる

 

イスラエルは偶像礼拝で離婚され、その後も多くの偶像を慕って淫行に走った。そんな女が復縁するのは律法違反ではないか?ところが・・・
・「淫行を行って」・・(ヘ)zanah・・「娼婦のように振舞う」の意味。結婚したという事ではないことに注目!
・イスラエルは娼婦のように振舞ったが、それらの愛人と結婚はしなかったゆえに、神との再婚は可能
・ホセア3:1~5でもホセアとゴメルの再婚は可能。(ゴメルを買い取ってから、再婚するならOK)
あなたは、多くの愛人と淫行を行って、しかも、わたしのところに帰るというのか。あなたは、多くの愛人と淫行を行ったが、わたしのところに帰って来なさい。と訳した方が良いのではないか。(Yet, return to Me, NKJV)
普通の人なら、捨てられても仕方がない立場の女(イスラエル)である。そんなイスラエルを赦し、また妻として迎えるという愛を、神はここで示されている。
人間には及びもつかない、通常では考えられないほどの、神の深い愛である。

2節:目を上げて裸の丘を見よ。あなたが共寝しなかったところがどこにあるか。荒野のアラビア人がするように、あなたは道端で相手を待って座り込み、淫行と悪行によって、この地を汚した。

・「裸の丘」・・山に祭壇を築くがゆえに、緑が削られる状態。
・「荒野のアラビア人」・・道端で声をかけて商売する姿。娼婦の振る舞いのイスラエルの罪は土地を汚す。

3節:それで大雨はとどめられ、後の雨はなかった。それでも、あなたは遊女の額をして、恥じることを拒んでいる。

・土地のけがれ・・雨が降らず、祝福が遠ざかる。
・額に遊女である印まで示す(誰が見ても遊女だとすぐわかる)ほどであるにもかかわらず、自らの恥(罪)を認めようとはしない。

4節:今でもあなたは、わたしにこう呼びかけているではないか。「父よ、あなたは私の若いころの恋人です。
5節:いつまでも恨みを抱かれるのですか。永久に持ち続けるのですか」と。なんと、あなたはこう言っていながら、あらん限りの悪を行っている。』」

・偶像を追いかけている今でも、あなたはわたしに、「あなたの恋人だった」と言って助けを求める。
・いつまで怒っておられるのですか? 永久に恨みを持ち続けるのですか? そう言いながら、悪事を行っているイスラエル。娼婦のような振る舞いとしか言いようがない。

回帰不能点は既に越えてしまったが、一時の神の赦しは可能である。確かにヨシヤ王の回帰運動は神に裁きの猶予を与えたと思われる。とは言え、人々の内面は改善の兆しも見えないというのが実情であったと考えられる

 

神の栄光のために
・3章1節は、誤解しやすい箇所です。
・イスラエルの娼婦のごとき行動は、裁かれて当然。再婚などあり得ない!と考えがちです。実際、「いのちのことば社」発行の聖書注解をみると、そのような解説です。
・しかし、フルクテンバーム博士の解釈(中川先生も同様)に触れて考えると、神の絶大なる愛の深さがクローズアップされます。絶対に契約を守られる神!
・新約時代において、聖霊の内住を与えて私たちの人生を新たにしてくださったその御業は、2度と失われることがありません。こうした形で、私たちに神の愛が示されています。
・完全なる救いを与えられた私たちは、救われた者として聖霊の内住を心から喜び、その確信を得て、神の栄光のためにこれからも皆と共に、日々歩んで行きましょう。

「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。」 エペソ1章14節

2024年10月31日

エレミヤ書3章6節~25節

神は、南ユダの偶像礼拝を指摘し、離婚訴訟(2:9)を起こしている。すでに北イスラエルは離婚されてしまっている。

 

6節:ヨシヤ王の時代に、主は私に言われた。「あなたは、背信の女イスラエルが行ったことを見たか。彼女はあらゆる高い山の上、青々と茂るあらゆる木の下に行き、そこで淫行を行った。

・ヨシヤ王の時代の状況・・BC628年に改革を開始。改革は進めど、民の心は変わらない状態。
・北イスラエルは徹底的に偶像を礼拝した。
・北イスラエルが滅んで、およそ95年経過している。北イスラエルを見て、南ユダは学ぶべきであった。
・「背信の」(ヘ)meshuvah は、背教と悔い改めの相反する意味を持つので注意。(shuv)

7節:わたしは思った。彼女がこれらすべてを行った後で、わたしに帰って来るだろうと。しかし、帰っては来なかった。そして裏切る女、妹のユダもこれを見た。

(北イスラエルを姉とし、南ユダを妹として表現)

・神は、そんな北イスラエルも遂には、神に回帰すると待っていた。しかし、そうはならなかった。
・神は離縁状を北イスラエルに渡した。裏切りの妹南ユダは、その状況を見ていた。

8節:背信の女イスラエルが姦通をしたので、わたしは離縁状を渡して追い出した。しかし、裏切る女、妹のユダが恐れもせず、自分も行って淫行を行ったのをわたしは見た。

・神は北イスラエルに離縁状を渡す。北イスラエルとの離婚が成立。
・裏切る南ユダはその離縁を見たにもかかわらず姦淫に走った。
BC722年、北イスラエルの事実上の離婚が成立。南ユダはBC586年のバビロン捕囚で離婚が決定となる。BC605年の第一次捕囚時は、国が残されていたため、離婚は未成立。

9節:彼女は、自分の淫行を軽く見て、地を汚し、石や木と姦通した。

10節:このようなことをしながら、裏切る女、妹のユダは、心のすべてをもってわたしに立ち返らず、ただ偽ってそうしただけだった──主のことば。」

・南ユダは、淫行の罪を軽く考えて、淫行を行った。その軽率な行動が重大な結果となる。
・地を汚す罪をもたらしていた。
・そして、ヨシヤ王の時代になって王が改革するも、外見上を整えるだけで、真の悔い改めは無い。
北イスラエルも南ユダも結局のところ背教に走り神を裏切ることとなり、両者ともに同じ道に入り込んでしまった。

11節:主は私に言われた。「背信の女イスラエルは、裏切る女ユダよりも正しかった。

・神は、南ユダよりも北イスラエルの方が正しかったと采配する。
・北イスラエルは重大な悲劇を提示した。その悲劇を見た者は悲劇回避の責任を負う。
・その責任を拒否するなら、さらに大きな罪過となる。(人の振り見て、我が振り直さねば、痛手は大きい!)
・北イスラエルの教訓を踏まえず南ユダは姦淫に走ったので、南ユダよりは北イスラエルの方が正しい。
・南ユダに対する回復のチャンスを示しているようだ。

12節:行って、次のことばを北の方に叫べ。『背信の女イスラエルよ、帰れ。──主のことば──わたしはあなたがたに顔を伏せはしない。わたしは恵み深いから。──主のことば──わたしは、いつまでも恨みはしない。
13節:ただ、あなたはあなたの咎を認めよ。あなたはあなたの神、主に背いて、青々と茂るあらゆる木の下で、他国の男と勝手なまねをし、わたしの声に聞き従わなかった。──主のことば。

・捕囚された方向に向かい、「北イスラエルよ、神に回帰せよ。神は恵み深く、いつまでも恨まない。」と言え。
・北イスラエルに対するあわれみであり、南ユダに示す神の愛の深さである。
・必要なことは真の悔い改め。特に次の3点について反省を促す。これは南ユダをさとす言葉でもあろう。
①神への不義
②偶像に従がう姿勢
③律法への不従順
捕囚され、散らばっている北イスラエルの民と、南ユダの民に示しているのは明らか!

目線が遠未来に移行している!

14節:背信の子らよ、立ち返れ──主のことば──。わたしが、あなたがたの夫であるからだ。わたしはあなたがたを、町から一人、氏族から二人選び取り、シオンに連れて来る。

前半
・背教する民に立ち返りを求める神。立ち返ることは、真の悔い改めを求めているということ。
・「夫」‥これは「言葉遊び」、「掛けことば」になっている。
(へ)baal バアル・・夫、または主人になるの意味。異邦の偶像神バアルに掛けている。
偽物の神(偶像)ではなく、本物の神(主人)の下に帰れ!と招く神。

 

後半
・終末のイスラエルの「残れる者」の救済に触れている。(関連箇所 イザヤ10:20~23)
・14節以降、7つの終末後の祝福が示される。神は民に将来の希望を提示する。
①シオンにイスラエルの「残れる者」を連れ戻し、国家を回復する。
残れる者はとても少ない印象を受ける。特にこの時代は救われる者が少ないからか?

15節:また、あなたがたに、わたしの心にかなう牧者たちを与える。彼らは知識と判断力をもってあなたがたを育てるだろう。

②神のみこころにかなう牧者を与える。神のみこころに従う良き指導者(リーダー)たちが与えられる。
人々が真に求めるのは、そんな指導者であろう。

16節:あなたがたが地に増えて多くの子を生むとき、その日には──主のことば──人々はもう、主の契約の箱について語ることもなく、それが心に上ることもない。彼らがそれを思い出すことも、調べることもなく、それが再び作られることもない。

③イスラエルは、約束の地で子孫を増やすことになる。
④契約の箱が不要になる。→契約の箱ではなく、神が自ら住まわれることになる。
千年王国においては、契約の箱は不要で、実際に神が住まわれることになる。
神の直接的統治を示すもの。当時のイスラエルの民にとっては画期的なこと。
・シャカイナ・グローリーがエルサレム全体を照らし、覆う状態と想像する。 

17節:そのとき、エルサレムは主の御座と呼ばれ、万国の民はこの御座、主の名のあるエルサレムに集められ、彼らは二度と頑なな悪い心のままに歩むことはない。

冒頭部(~と呼ばれ)
⑤神が目に見える状態でエルサレムに存在し、君臨する。(エレ23:5~6にて詳述)
・神がエルサレムのダビデの王座を支配するということ。メシア的王国の完成。
後半部
⑥異邦人国家に対して、エルサレムが注目される存在となる。本物の神の存在が示される。
・この時、異邦人の中で偶像礼拝の道を歩む者はいない。

18節:その日、ユダの家はイスラエルの家に加わり、彼らはともどもに、北の国から、わたしが彼らの先祖に受け継がせた地に帰って来る。

⑦北イスラエルと南ユダの再統一。→13節の真の悔い改めが条件となる。不義を告白すること。
・「北の国から」・・捕囚(追放)された地からの解放・・「不義」から解放。
・両国がライバル関係にあり、その関係回復は、預言者たちの夢、希望であった。神も同様かそれ以上。
は、いずれ来るメシア的王国における7つの祝福を示された。→希望の提示!

19節:わたしは思っていた。どのようにして、あなたを息子たちの中に入れ、あなたに慕わしい地を与えようかと。国々のうちで最も麗しいゆずりの地を。また、あなたがわたしを父と呼び、わたしに従って、もう離れないと思っていた。

・神は思っていた。・・まさに契約の時であろうか。
・「息子たちの中に入れ」・・祝福された神の子として受け入れ・・イスラエルの子として相応しい祝福。
慕わしい国、世界で最も麗しい国を与える→それはあなたがわたし(神)を父と呼び、従うと信じていたからである。※従って悔い改めがない限り、神との再会は不可能な状態。

20節:ところが、なんと、妻が夫を裏切るように、あなたがたはわたしを裏切った。イスラエルの家よ──主のことば──。

・神はイスラエルに最善を提供したいと考えられている。→これは私たちにも同様の思いである!
・そんな神の思いを、姦淫によって裏切った。
・姦淫の罪を犯した北イスラエル、南ユダともに、悔い改め無くして祝福はあり得ない。
神は結婚した時、つまりシナイ契約を結んだとき、これほどまでにイスラエルを愛し、期待していたという事である。
この神の愛と期待は、同様に私たちにも注がれていることを忘れてはならない!

21節:一つの声が裸の丘の上で聞こえる。イスラエルの子らの哀願の泣き声だ。彼らが自分たちの道を曲げ、自分たちの神、主を忘れたからだ。

・かつて偶像礼拝していた丘で泣くイスラエルの民。偶像のむなしさ、そして自らの罪に気付く民。
・「泣く」・・罪のために悲しむというニュアンス。「哀願」・・好意、罪の赦しを求めるというニュアンス。
・気付きの促しに応答した姿。

22節:背信の子らよ、立ち返れ。わたしがあなたがたの背信を癒やそう。』」「今、私たちはあなたのもとに参ります。あなたこそ、私たちの神、主だからです。

・「立ち返れ」・・(ヘ)shuv(shoob)・・エレミヤ書におけるキーワード。
・「立ち返る」、「悔い改める」、「背教する」といった、相反する意味を持つ言葉。 (6節:meshuvah)
・虚しいものではない本物の神だから、失意の民を癒すことが出来る。
・民は「あなたこそ、私たちの神、主です。」、「本物の神、主です。」と応答する。

信じていたものに裏切られることの辛さ、虚しさは何とも言い難い状態で、まさに失意したと言える。そんな時でも私たちは神に返ることが出来る。神の絶対的存在の証明である。

23節:まことに、もろもろの丘も、山の騒ぎも、偽りでした。確かに、私たちの神、主にイスラエルの救いがあります。

・ 「偽り」・・(へ)欺瞞、失望、虚偽を指す。
・偶像礼拝の虚しさに気付く民。本物の神に気付いた民。救いは神にのみ可能な御業と知った民。

24節:しかし、私たちが若いころから、恥ずべきものが、私たちの先祖の労苦の実、彼らの羊の群れ、牛の群れ、息子、娘たちを食い尽くしてきました。

・偶像は、労苦の実、犠牲の羊や牛、更に人の命(人身御供)までも貪った。とんでもないことをしたと反省。
・「恥ずべきもの」→「恥」・・(へ)bosheth はバアルを軽蔑的に表現する言葉。バアル礼拝の恥を反省。
・ホセア9:10に似たような表現がある。

25節:私たちは恥の中に伏し、恥辱が私たちの覆いとなっています。私たちの神、主に対し、私たちも先祖も、若いころから今日まで罪の中にいて、私たちの神、主の御声に聞き従わなかったからです。」

・イスラエルは、その偶像礼拝の恥に伏し、その恥に覆われている。
・若き頃から今まで神の声に従わなかったことの罪深さを大反省する時がくる。

最終的にイスラエルの民は、大反省して神に立ち返ることが示されている。
しかし、その時は先のことであり、神の忍耐の時が続くことを、神はご承知である。

 

貪る偶像と与える神
・イスラエルは将来、真の悔い改めをするのですが、その時、偶像の虚しさを知ります。
・偶像は姿を変えて貪ります。今でこそ人身御供は無いにしろ、偶像は人々の人生を貪り、時によってはその人の人生を台無しにしてしまいます。
・また、世の中は様々な報道によって人々を洗脳し、いつの間にか、誰かの指し金の通り物事を考え行動し、いつの間にか人は何かの操り人形のようです。
・そんな人間の心の弱さや脆さを神はご存じで、新約時代の私たちには、聖霊という強い味方を、私たち一人一人に与えてくださいました。
・偶像は貪ります。しかし、真の神は道、真理、いのちを示し、聖霊を与えてくださいます。虚しさではなく、希望を与えてくださいます。いつもどんな時も与えてくださる神に感謝です。
「ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちに良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」 ルカ11章13節

2024年11月07日

エレミヤ書4章1節~31節

前章で示されたイスラエルの最終的な悔い改めに対する神の応答が示されます。

1節:「イスラエルよ、もし帰るのなら、──主のことば──わたしのもとに帰れ。もし、あなたが忌まわしいものをわたしの前から取り除き、迷い出ないなら、

・「イスラエルよ、もし帰るのなら・・」キーワード(へ)shuvが2回使われている。「悔い改める」の意。
・もし、と言う言葉から、限りなく無理と思うが・・と言うニュアンスであろう。
・「わたしのもとに帰れ」・・神を忘れるほど偶像に傾倒していたことを示している。
・条件①:偶像を完全に捨てよ!

2節:また、あなたが真実と公正と義によって『主は生きておられる』と誓うなら、国々は主によって互いに祝福し合い、互いに主を誇りとする。」

・条件②:真実と公正と義(正義と公正)によって、「主は生きておられる」と誓え!
・生きておられる→唯一本物の神の意味。現代でも同じこと。
・そうすれば、異邦の国々も全て互いに祝福し、皆が主をたたえるようになる。
アブラハム契約の成就であり、メシア的王国で成就する。

3節:まことに、主はユダの人とエルサレムに、こう言われる。「耕地を開拓せよ。茨の中に種を蒔くな。

・「耕地」・・処女地。休耕地ではない。「茨」は、偶像礼拝によって汚れた地を意味する。
・良い種を蒔くために、古い土地を捨て、新しい土地を開拓し回復せよ、との命令。
・新しい土地に種をまき、真新しくなって良い子孫を残して行け!とのことばである。

4節:ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。そうでないと、あなたがたの悪い行いのゆえに、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」

・(前半) その具体策は、「割礼」である。心を覆っている偶像の縛りを取り除け!

肉体的にも、霊的にも新たな者となって、契約に従順になり、神に回帰せよ!
・(後半) なぜなら、ユダの愚行により、もう神の怒りは最悪の所まで来ているから!その怒りを鎮められる者はいない!

5節:「ユダに告げ、エルサレムに聞かせて言え。国中に角笛を吹け。大声で叫べ。『集まれ。城壁のある町に逃れよう』と。

・神は非常事態であることを知らせ、内容を語るように命じられた。
・今回の角笛は侵略の知らせであり、神の裁きが下ったことの知らせである。
・侵略に当たっては、要塞の町エルサレムに逃げることになっていた。

6節:シオンに向けて旗を掲げよ。自分の身を守れ。立ち止まるな。わたしが北からわざわいを、大いなる破滅をもたらすからだ。

・シオンに向けて旗を立てよ!非常事態を知らせ、また避難者の目印となるが、敵の目標にもなる。
・「北から」・・まだ、この時点で確定してはいないが、バビロンである。(7節)
・大いなる破滅・・甚大なる破壊を意味している。

7節:獅子はその茂みから立ち上がり、国々を滅ぼす者はその国から出て来る。あなたの地を荒れ果てさせるために。あなたの町々は滅び、住む者はいなくなる。」

・「獅子」・・考古学的に、バビロンの紋章が獅子であったことが明らかになっている。
・バビロンには国々を攻める力がある。その力はユダに及ぶ。(ネブカドネツァル王、エレ50:17)
・バビロンによって土地は荒らされ、都市は破壊され住む者もいなくなる。

8節:このことのために、粗布をまとって悲しみ嘆け。主の燃える怒りが、私たちから去らないからだ。

・「このことのために」・・この決定事項を知って、悲しみ嘆け!
・「粗布をまとう」・・弔問者の服装→もう後戻りできない悲劇。
・神の怒りがユダの民から離れることは無いということ。「去らない」・・(へ)shuv「背を向ける(turn away)」の否定で「去らない」となる。

9節:「その日には──主のことば──王の心や、高官たちの心は萎え、祭司は啞然とし、預言者はたじろぐ。」

・裁きの日、上層指導者たちは失意の底に落ちる。
・王、高官は偽預言者を信じて失望し、祭司、預言者は自らの噓にたじろいでしまう。
王について言えば、裁きがある時の王は、偽預言者のことばに翻弄される。預言なのでヨシヤ王である必要はない

10節:私は言った。「ああ、神、主よ。まことに、あなたはこの民とエルサレムを完全に欺かれました。『あなたがたには平和が来る』と言われたのに、剣が私たちの喉に触れています。」

・エレミヤの嘆きのことばが挿入されている。
・平和となると言われ、信じていたが、とうとうこんな結果になってしまった。(選民意識の悪影響)
・偽預言者の偽りを信じて、民は完全な思い違いをして、とうとう神の裁きが目の前に来てしまった。
・偽の情報に従う民に呆れて嘆いているエレミヤである。(エレ6:13~14、14:13~14、23:16~17参照)

11節:そのとき、この民とエルサレムに告げられる。「荒野にある裸の丘から、熱風は、娘であるわたしの民の方に吹く。ふるい分けるためでも、より分けるためでもない。
12節:それよりも、もっと激しい風が、わたしのために吹いて来る。今や、わたしが彼らにさばきを下す。」

・神は裁きの内容について語る。
・「熱風」・・砂漠から吹く夏の季節風をイメージしているのか。相当に乾燥した熱風で生物を苦しめるとの事。
・「裸の丘」は偶像礼拝の地。そこから熱風が吹いてくる。これは侵略を意味する。
・注目すべきは、神がこの裁きに及んでも、南ユダを「わたしの娘である民」と言われていること。
・この熱風は、いつもの「もみ殻を飛ばすに最適な微風」とは全く異なる激しい風。
・この風は、祝福はもたらさない!

13節:見よ、それは雲のように上って来る。その戦車はつむじ風のよう。その馬は鷲よりも速い。ああ、私たちは荒らされる。

・侵略の様子。熱風とは強力な軍隊(バビロン軍)である。
・雲のように多くの軍勢で、戦車も騎兵も迅速。そのスピード感から、侵略はあっという間のことと分かる。


14節:「エルサレムよ。救われるために、悪から心を洗いきよめよ。いつまで、自分のうちによこしまな思いを宿らせているのか。
15節:ああ、ダンから告げる声がある。エフライムの山からわざわいを告げ知らせている。

・「一刻も早く、悔い改めよ!」と神は勧告する。裁きは免れないとしても、猶予を得られる可能性はあるのに!
・しかし、邪悪な心のユダに、聞く耳は無かった。
・「もう、侵略は目の前に迫っているというのに!」と、ダンとエフライムの山地を引き合いに出して勧告している。

・ダンもエフライムも北イスラエルの地で、その北端と南端。また、偶像礼拝の中心地であった。(この2か所に黄金の仔牛の像)
・まさに10節の「剣が喉に触れている状態」である。


16節:国々に語り告げよ。さあ、エルサレムに告げ知らせよ。包囲する者たちが遠くの地から来て、ユダの町々に対して、ときの声をあげる。
17節:彼らは畑の番人のように、ユダを取り囲む。それは、ユダがわたしに逆らったからだ。──主のことば──

・国々とエルサレムの両方に告げよと命じられる神。まさに時代の変化を示唆している。
・もう、その日は近い!大規模な侵略が始まる。
・「畑の番人」・・機が熟せば、一気に刈り取りに入る姿勢を示している。逃れられない状態。

18節:あなたの生き方と、あなたの行いが、あなたの身にこれを招いたのだ。これはあなたへのわざわいで、なんと苦いことか。もう、あなたの心臓にまで達している。」

・「生き方と行い」・・自分の欲望を満たす生き方→最後は苦いものとなる。→死へと繋がる。
・「心臓にまで達している」・・招いたわざわいで、心臓が止まるのは目の前のこと。

19節:私のはらわた、私のはらわたよ、私は悶える。私の心臓の壁よ、私の心は高鳴り、私は黙っていられない。私のたましいが、角笛の音と戦いの雄叫びを聞いたからだ。
20節:破滅に次ぐ破滅が知らされる。まことに、地のすべてが荒らされる。突然、私の天幕が、一瞬のうちに私の幕屋が荒らされる。
21節:いつまで私は旗を見て、角笛の音を聞かなければならないのか。

(エレミヤの苦悩の告白) 

・エレミヤは角笛と戦いの様を幻で見せられて、心の底に至る苦しみに悶え、心臓は高鳴りを覚える。
・エレミヤはとても黙って見てはいられない。→預言を伝えずにはいられない思い。
・地が荒らされ、あっという間に家が荒らされる。それほどに悲惨な侵略なのだ!
・私なら、すぐにも悔い改めて神に立ち返るのに、いつまでこの幻を見て、預言せねばならないのか!
・どれほどに民は無反応なのか!

22節:「実に、わたしの民は鈍く、わたしを知らない。愚かな子らで悟ることがない。悪事を働くことには賢く、善を行うことを知らない。」

・エレミヤが見た「民の無関心さ」に応答する神のことば。
・イスラエルの民は愚か者で、神の存在を認めようとしない。
・悪事に賢く、善行には無関心のイスラエルなのだ!
※そのために、エレミヤは以降40年間、預言を語り続けることになる。

23節:私が地を見ると、見よ、茫漠として何もなく、天を見ると、その光はなかった。
24節:私が山々を見ると、見よ、それは揺れ動き、すべての丘は震えていた。
25節:私が見ると、見よ、人の姿はなく、空の鳥もみな飛び去っていた。
26節:私が見ると、見よ、豊かな地は荒野となり、町々は主の前で、その燃える怒りによって打ち壊されていた。

・23節でエレミヤは、彼の見たカオス(混乱)のビジョンを、創世記1:2の表現を用いて説明した。
・同じく24~26節で、壊滅的な破壊、荒廃が示されている。

27節:まことに、主はこう言われる。「全地は荒れ果てる。ただし、わたしは滅ぼし尽くしはしない。
28節:このため地は喪に服し、上の天は暗くなる。わたしが語り、企てたからだ。わたしは悔いず、やめることもしない。」

・あまりの激しさにエレミヤは全滅すると心配した。
・そのために神は侵略の説明をする。
・確かに全地は荒れ果て壊滅的となるが、決して滅ぼしはしない。
 →アブラハム契約の存在
・その壮絶さは凄まじく、地も天も悲しむが、神はこの裁きに何の躊躇もない。(ホセア4:3参照)

29節:騎兵と射手の雄叫びに、町中の人は逃げ去り、草むらに入り、岩によじ登った。すべての町が捨てられ、そこに住む人はいない。

・27~28節の裁きの結果が示される。最悪の状態が地を覆う。
・滅ぼし尽くさないと言われる神だが、一旦裁くとなれば、ためらいもないその裁きは想像を絶する。

30節:踏みにじられた女よ、あなたはいったい何をしているのか。緋の衣をまとい、金の飾りで身を飾りたて、目を塗って大きく見せたりして。美しく見せても無駄だ。恋人たちはあなたを嫌い、あなたのいのちを取ろうとしている。

・荒廃した状況となって、尚も恋人たちに取り入ろうとするイスラエル。(売春婦のような振る舞い)
・どんなに自分を着飾って美しくしても、それを嫌う恋人は最後に敵となり、命を奪う者になる。
・信じた偶像は、結局、命を奪う国なのである。一体、何に目を向けていたのか!

31節:まことに、私は、産みの苦しみにある女のような声、初子を産む女のようなうめき、娘シオンの声を聞いた。彼女はあえぎ、手を伸ばして言う。「ああ、私は殺す者たちの前で疲れ果てた。」

・シオンの苦しみの声は、出産の苦しみの声。出産の痛みは激しいが、神はそこに新生を望むみこころを示している。
・最後に殺す者となる偶像のために、売春婦のように振舞ってきた自分を恥じるイスラエル。

「娘シオン」に対する神の御心は、厳しいながらもこの裁きが気付きの促しである事を示している。

 

実践者を目指そう!
・神は22節で、イスラエルが鈍く、愚かだと言われた。悪事には賢く、善行には疎いと。
・神は律法まで示して善行へと導き、神の民の道をイスラエルに示された。
・律法的!などと言う人もいるが、当時の諸国の規範と比べれば、律法はまさに正義と公正で貫かれた珠玉の規範である。
・気付くべきは、律法に散りばめられた善行という事の大変さである。そこに無償の犠牲の愛がなければ真の善行は成立しないからである。
・それは、現代のキリストの律法においても何ら変わりはなく、むしろ高度化している。「良きサマリヤ人のたとえ ルカ10:25~37」を見ても明らかだ。(愛神愛人の教え)
・人や世の中の目線と見返りを気にするのではなく、神の目線と神の報酬をいつも気にすることが、良き善行の実践者となる秘訣ではなかろうか。(鈍感→敏感へ)

「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いを受けられません。」 ルカ6章1節

2024年11月14日

エレミヤ書5章1節~31節

1節:「エルサレムの通りを行き巡り、さあ、見て知るがよい。その広場を探し回って、もしも、だれか公正を行う、真実を求める者を見つけたなら、わたしはエルサレムを赦そう。

・神は、「エルサレムの通りで、片っ端から公正で真実を追い求める者を探し出せ」と命じる。
・「正義と公正」とは神と律法に忠実であろうとする人。
・「もしそんな人が一人でもいたら、エルサレムの裁きは赦す」と神は言われた。(創18:24~32に似る)
・真の信仰者が極めて少ないことを示している。

2節:彼らが、主は生きておられる、と言うからこそ、彼らの誓いは偽りなのだ。」

・「主は生きておられる」と言いながら、心では偶像を見ているのが実態である。
・神の民だという彼らの誓いは偽りなのだ!

3節:「主よ、あなたの目は真実に届かないのでしょうか。あなたが彼らを打たれたのに、彼らは痛みもしませんでした。絶ち滅ぼそうとされたのに、彼らは懲らしめを受けることを拒みました。彼らは顔を岩よりも硬くして、立ち返ることを拒みました。」

(第1文)
・「あなたの目は真実に届かないのでしょうか。」の訳に注意。
・真実→truth・・(ヘ) emuna 堅固さ、忠実さ、信仰と言う意味。
・届かない(届く)→「目が向いている」の意味。更に意訳すれば、「期待している」という事であろう。
・「民の忠実さをご覧になっているのではないですか?」or「民の真の信仰に期待しているのではないですか?」
(第2文以降)
・何度も方向転換のための様々な仕打ちにも気付かず、民は悔い改めを拒否した。(エゼ3:7~8)

4節:私は思った。「彼らは、卑しい者たちにすぎない。しかも愚かだ。主の道も、自分の神のさばきも知らない。

・エレミヤの調査対象は社会的に地位が低いとされる、律法にも疎い人たちであった。
・上から言われる事に、何も考えず従う人たち。リーダーコンプレックス。
・ならばと、調査対象を変更する。→5節

5節:だから、身分の高い者たちのところへ行って、その人たちと語ろう。彼らなら、主の道も、自分の神のさばきも知っているから」と。ところが彼らもみな、くびきを砕き、かせを断ち切っていた。

・上層部、知識人に調査を開始。彼らは神や律法の教育を十分に受けている。
・貧しい人同様、神、そして律法(くびき、かせ)への服従を故意に拒否した愚か者たちだった。(詩53:1~3、ロマ10:1~3)

6節:そのため、森の獅子が彼らを殺し、荒れた地の狼が彼らを荒らす。豹が彼らの町々をうかがい、町から出る者をみなかみ裂く。彼らは背くことが多く、その背信がすさまじいからだ。

・神は異邦人諸国を用いて、貧しい者も上層部の人間も噛み裂き、殺す。
・彼らの契約違反、裏切りにより神の保護は取り消される。
・森の獅子・・バビロンと思われる。その他の猛獣は、バビロン以降の帝国を表すと考えられるが、攻撃パターンとする説や、すべてバビロンとする説がある。

7節:「これでは、どうして、あなたを赦すことができるだろうか。あなたの子らはわたしを捨て、神でないものによって誓っていた。わたしが彼らを満ち足らせると、彼らは姦通し、遊女の家で身を傷つけた。

・「こんな状態の南ユダをどうして赦す必要があろうか?」と言われて、次のように罪を指摘された。
・①神の放棄、②偶像礼拝、③祝福を与えると、姦淫に走る。(神の恩恵を偶像のお陰と見る)

8節:彼らは、肥え太ってさかりのついた馬のように、それぞれ隣の妻を慕っていななく。

・良く育ったさかりのついていななく種馬のように、隣人の妻を求める姿。(偶像礼拝)→2:24の野ろば
・ビジネスや利権、金儲けが絡んだ貪欲が原因と考える。
・それは、神を公然と拒否する行為である。

9節:これらについて、わたしが罰しないだろうか。──主のことば──このような国に、わたしが復讐しないだろうか。

・「国」→(へ)goy この語は一般的には異邦人を指す。
・このような国→異邦人化したイスラエルという意味。
・ここで神が指摘しているのは、異邦人のようになってしまった民への報いである。

10節:ぶどう畑の石垣に上り、それをつぶせ。ただ、根絶やしにしてはならない。そのつるを除け。それらは主のものではないからだ。

・裏切りに対する報復措置として、神のブドウ畑であるイスラエルを侵略者に与える。
・そこでブドウ畑の剪定を行い、神のものではない「つる(枝)」を取り去れと言われる。
・しかし、根絶やしにするのは不可!(4:27)

11節:実に、イスラエルの家とユダの家は、ことごとくわたしを裏切った。──主のことば──
12節:彼らは主を否定してこう言った。『主は何もしない。わざわいは私たちを襲わない。剣も飢饉も、私たちは見ない』と。
13節:預言者たちは風になり、彼らのうちにみことばはない。彼らはそのようにされればよい。」

・北イスラエルも南ユダも揃って神を裏切った。
・主の存在を無視し、自分たちには何のわざわいも来ないし、起きないと豪語している。
・更に、神の預言者を軽視し、まるで一瞬吹く風のように考え、そのみことばを気にも留めない。エレミヤもそのような扱いを受けていたに違いない!
・これらの民こそ、風のように消えてしまえば良い!

14節:それゆえ、万軍の神、主はこう言われる。「あなたがたがこのようなことを言ったので、見よ、わたしはあなたの口にあるわたしのことばを火とする。この民は薪となり、火は彼らを焼き尽くす。

・「あなたがた」は、イスラエルの民。「あなた」は、エレミヤ。
・エレミヤの語った神の災いの預言が実現する。それは激しい火となる。
・その火は、イスラエルの人々を薪にして燃え尽くす。この火の正体が次節で説明される。

15節:イスラエルの家よ。見よ。わたしはあなたがたを攻めるために、遠くの地から一つの国を来させる。──主のことば──それは古くからある国、昔からある国、その言語をあなたは知らず、何を話しているのか聞き取れない国。
16節:その矢筒は開いた墓のよう。彼らはみな勇士たち。

・侵略が許可される。遠くの侵略国とは?
①古くからある国・・ニムロデの国(創10:8~10、バベルはバビロンの別名)
②知らない原語・・カルデア語(アラム語)
③「矢筒は開いた墓のよう」・・弓の熟練者により民が次から次と死に、墓が開きっ放しの状態になる。飛び道具を持っている。
④戦争の経験者、専門家の存在。
侵略者とは、強力な軍隊を持つバビロン軍。
当時の人は、この預言を軽んじていたのだろう。

17節:彼らは、あなたの収穫とパンを食らい、あなたの息子と娘を食らい、羊の群れと牛の群れを食らい、ぶどうといちじくを食らい、あなたが拠り頼む城壁のある町々を剣で打ち破る。

・侵略の内容・・貯蔵食糧、収穫物、息子や娘たち、すべての家畜、農産物など諸々すべて。
・城壁あるエルサレム、町々は打ち滅ぼされて占領される。

18節:しかし、その日にも──主のことば──わたしはあなたがたを滅ぼし尽くすことはない。

・エレ4:27の「滅ぼし尽くさない」と言う言葉が繰り返される。
・エレミヤの目には、全滅に見えてしまう壮絶さであるから、神はそのように語られる。

19節:『われわれの神、主は、何の報いとして、これらすべてのことを私たちにしたのか』と尋ねられたら、あなたは彼らにこう言え。『あなたがたが、わたしを捨て、自分の地で異国の神々に仕えたように、あなたがたは自分の地ではない地で、他国の人に仕えるようになる。』

・必ず生き残った者たちからの問いがある。この報いは、一体何が原因ですか?
・その時はこう答えよ。→神が与えた約束の地で、神を無視し、異国の偶像に仕えたのだから、約束の地以外の場所で、異国の人(王)に仕えるがよい!かつての奴隷のように!

20節:ヤコブの家にこれを告げ、ユダに言い聞かせよ。
21節:さあ、これを聞け。愚かで思慮のない民よ。彼らは目があっても見ることがなく、耳があっても聞くことがない。
22節:あなたがたは、わたしを恐れないのか。──主のことば──わたしの前で震えないのか。わたしは砂浜を海の境とした。それは永遠の境界で、越えることはできない。波が逆巻いても勝てず、鳴りとどろいても越えられない。

・神はイスラエルの民に言い聞かせよ、と命じた。何故なら彼らは愚か者で思慮がないから。
・霊的には目が見えず、耳も聞こえない者たち。
・よく聞け!イスラエルの民よ!と言う感じで、「なぜ神を恐れないのか?」と問いただす。
・海と砂浜を用いて、あの巨大な海でさえ、神が決めた境界を超えることはできないと言う。
・自然を創造し制している創造主なる神を、何故お前たちは恐れないのか?
・神は創造主であり、秩序を設定された。海が従うように、自然の全てが従順に動いている。

23節:しかしこの民には、強情で逆らう心があった。それで彼らは離れて行った。

・この民は、そのことを知りつつ、そのことを忘れ、神から離れて行き、自分の道を進んで行った。

24節:彼らは心の中でさえこう言わなかった。『さあ、私たちの神、主を恐れよう。主は大雨を、初めの雨と後の雨を、時にかなって与え、刈り入れのために定められた数週を守ってくださる』と。

・せめてこんなことを思っていてくれるなら、まだ救いようもあっただろうに・・・。
・「創造主なる神を恐れよう。神は豊かな収穫を与えてくださるために、時にかなって、大雨や秋の雨、春の雨を与えてくださり、私たちに豊かな収穫の時と環境を与えてくださる。」
・春の収穫祭が滞りなく開催できるのは、その収穫のお陰であり、それを導く神の祝福である。
・過越しの祭り、種なしパンの祭り、初穂の祭り、五旬節の祭り・・これらは春の祭りとも呼ばれ、3月から6月に開催される。神への感謝である。(この祭りには秘められた神の啓示がある) 

25節:あなたがたの咎がこれを追いやり、あなたがたの罪がこの良いものを拒んだのだ。

・しかし、この祝福も、時の経過と共にイスラエルの民から遠ざかって行った。
イスラエルの民が神を捨て拒否したからである。→(従えば祝福、反すれば災い)

26節:それは、わが民のうちに悪しき者たちがいるからだ。彼らは野鳥を捕る者のように待ち伏せし、罠を仕掛けて人々を捕らえる。
27節:鳥でいっぱいの鳥かごのように、彼らの家は欺きで満ちている。だから、彼らは大いなる者となり、富む者となる。

・こうした咎の原因は、イスラエルの民の中に、「悪しき者たち」が存在しているから。
・悪しき者たちは、まるで野鳥を獲るように、罠を仕掛けて人々を捕らえる。
・鳥かご(イスラエル)に捕らえられた鳥たち(悪しき者たちに捕まったイスラエルの民)がいっぱいになる。
・結果、悪しき者は欺瞞により富に満ちる。欺瞞による繁栄が、神の祝福と勘違いする愚か者たち。

28節:彼らは肥えてつややかになり、悪事において限りがない。孤児のために正しいさばきをして幸いを見させることをせず、貧しい人々の権利を擁護しない。

・彼らの欺瞞は限りがなく、孤児を苦しめ、貧しい人たちを虐げる。その結果彼らは益々栄える。
・その姿は豊かに肥え太り、更に艶光りする。→肥えて、艶光する馬を指してると思われる

29節:これらに対して、わたしが罰しないだろうか。──主のことば──このような国に、わたしが復讐しないだろうか。

・5:9と同じ言葉が繰り返されている。5:8は肥え太ってさかりのついた馬について言及している。
・神はこのようになってしまった国を、罰せずにはおかない!

30節:荒廃とおぞましいことが、この地に起こっている。

・「荒廃とおぞましいこと」・・荒廃と訳されている語は、(へ)shama で、思いもかけない、驚くべきこと、の意味。(へ)sha’aruah は(恐ろしい)事を指す意味。
・「思いもかけず、とんでもないことが地上に起こっている。」という解釈がお勧め。

(なぜ荒廃と訳されているのか??)

31節:預言者は偽りの預言をし、祭司は自分勝手に治め、わたしの民はそれを愛している。結局、あなたがたはどうするつもりなのか。」

・「自分勝手に」・・(へ)yad は「手」を意味している。
・祭司は神の言葉に従わず、偽預言者の手(やり方)で統治し、その指導に従った。(政治、外交など)
・更に驚くべきは、民もそうした統治に喜んで従っている。
・この偽預言者のことばが完全に覆ったとき、あなたがたはどうするつもりなのか?

神はエレミヤを通して、「公正な者」は一人もいない状況が招く未来を示された。
※この時は善王ヨシヤ王の時代。エレミヤは、その時代にバビロン捕囚時の状態を預言。
それはヨシヤ王の時代に、すでにその兆候があったという事であろう。4章9節も同様。

 

『愛の神』
・21、22節で神は、自然の摂理を見て神の絶大なる存在を恐れないのかと言われ、イスラエルの民を愚か者と言われた。神は、その絶対的存在の完全認知を願っておられる。
・神は私たちに神の知恵を与えてくださっている。決して人間の価値観で、神や神のなさることを計ってはならない。それは、神を自分に引き付けることであり、神はそれを愚かと言う。
・神を見上げれば見上げるほど、益々神の大きな存在に驚かされる。人間の思考の領域は狭いからこそ、旧約の学びを通して、神の御業の歴史を学ぶ必要があるのは当然のこと。
・この神は決して怒る神ではなく、『愛』の神であり、愛を完全に貫かれる神である。故に、罪深く、小さく、哀れな存在である私達でも、神の愛のうちにあって救われ、未来は約束されている!ハレルヤ!
「神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。」 ユダ1章21節

2024年11月21日

エレミヤ書6章1節~30節

1節:ベニヤミンの子らよ、エルサレムの中から逃れ出よ。テコアで角笛を吹き、ベテ・ハ・ケレムでのろしを上げよ。わざわいが北から見下ろしているからだ。大いなる破壊が。

(a文) エレミヤの出身はアナトテ。そこはベニヤミンの地(1:1) 。エルサレムは、ベニヤミンの地にあった都市。 エレミヤは、自分の同胞の公正な人たちにエルサレムからの退避を呼びかける。
(b文) テコアは、エルサレムの南20kmに位置する町。ベテ・ハ・ケレムは、テコアの北、エルサレムの南2kmに位置し、のろしを上げるのに適した高い丘にあった。エルサレムから退避する道順が、ベテ・ハ・ケレムからテコアと、南の荒野に向かって行く。
(c文) 北の大きな破壊者が、エルサレムを見下している。逃げるなら南側。 

2節:娘シオンよ、おまえは麗しい牧場にたとえられるではないか。

・娘シオンよ、神は麗しいお前を切り捨てる!(原文に「牧場」はない)
・「お前は牧場に例えられる」・・・次節において、この牧場が荒らされることを示す。

3節:そこに羊飼いたちは自分の群れを連れて行き、その周りに天幕を張り、群れの羊は、それぞれ自分の草を食べる。
4節:「シオンに向かって聖戦を布告せよ。立て。われわれは真昼に上ろう。」「ああ、残念だ。日が傾いた。夕日の影が伸びてきた。」
5節:「立て。われわれは夜の間に上って、その宮殿を滅ぼそう。」

・羊飼いである敵が、羊を連れてエルサレムの周囲に陣取り、その羊たちを牧場(エルサレム)に放ち、その草を食べさせる。
・その食欲で、その牧場は草が無くなる。(羊の草の食べ方は想像よりも貪欲)
・「羊飼いと群れ」は、「王と軍隊」の比喩とされている。→敵がエルサレムを徹底的に蹂躙する。
・「聖戦」と言っているのは、神がこの侵略を許したという事で、神の主導を意味する。
・古代の戦争は、正午頃の戦闘は中断するのが一般的であったが、バビロン軍は真昼でも戦いを止めない。
・敵は宮殿の破壊のために、夜も間断なく攻撃する。執拗で激烈な侵略の姿。
・人民にとって、宮殿の消失は全ての消失を意味する。

6節:まことに、万軍の主はこう言われる。「木を切って、エルサレムに向かって塁を築け。これは罰せられる都。その中には虐げだけがある。

・包囲戦・・城壁の弱そうな所を見つけ、そこにスロープを築く。この時木や石が用いられる。
・スロープが出来たら、「破城槌(はじょうつい)」をもって城壁を破壊し侵略する。
・この攻撃で都は荒らされ、その中心は抑圧、弾圧の嵐となり、完全征服された。
・AD70年のエルサレム神殿崩壊も包囲戦であった。 (同じ戦法)

7節:井戸が水を湧き出させるように、エルサレムは自分の悪を湧き出させた。暴虐と暴行がその中に聞こえる。病と打ち傷がいつもわたしの前にある。

・「井戸が水を湧き出させるように」・・エルサレムに隠れていた民の邪悪が噴出している。
・エルサレムの地は民によって汚されていたが、侵略(神に裁き)によって、その汚れが露になった状態。
・暴虐と暴行、打ち傷と病で苦しむ姿を神は見ておられる。この原因は民である。

8節:エルサレムよ、懲らしめを受けよ。そうでないと、わたしの心はおまえから離れ、おまえを、人も住まない荒れ果てた地とする。」

・神はエルサレムの地を汚す民の悔い改めを求めてる。
・悔い改めがなければ、神はこの地を見放してしまうことになるから。(見放したくはないのである)

9節:万軍の主はこう言われる。「ぶどうの残りを摘むように、イスラエルの残りの者をすっかり摘み取れ。ぶどうを収穫する者のように、あなたの手をもう一度、その枝に伸ばせ。」

・神はブドウ畑の侵略者に、一粒残らず、繰り返し実を刈り取り尽くせ!と命じている。
・一人残らず生存者を捕まえろ!何度でもに拿捕しろ!と、神はバビロンに命じている。
・大規模なバビロン捕囚はBC586年であり、その後数回にわたり捕囚が行われることを示す。

10節:私はだれに語りかけ、だれを諭して聞かせようか。見よ。彼らの耳は閉じたままで、聞くこともできない。見よ。主のことばは彼らにとって、そしりの的となっている。彼らはそれを喜ばない。
11節:主の憤りで私は満たされ、これを収めておくのに耐えられない。「それを、道端にいる幼子の上にも、若い男がたむろする上にも、注ぎ出せ。夫はその妻とともに、年寄りも齢の満ちた者も、ともに捕らえられる。
12節:彼らの家は、畑や妻もろとも、他人の手に渡る。わたしがこの地の住民に手を伸ばすからだ。──主のことば──

・神の預言を伝えても、耳を貸す者はいないどころか、この言葉を不快に思い、避けている。
・いったい誰に話せばよいのか!もう話す相手はいないではないか!
・エレミヤの心は神の怒りでいっぱいになっていた。その時、エレミヤに神のみことばがあった。
・「それなら道端の幼子や若い男たちに語れ。聞く耳を貸さない夫婦や年長者たちは、その土地もろとも異邦人の手に渡り、多くのものが死ぬ!」
・更に彼らの家も土地も、他人の手に渡る。それは、全て主が決定し実施するのである。
・そのことを幼子や若者たちに知らせておけば、生き残って神の裁きを伝承する、ということであろう。

13節:なぜなら、身分の低い者から高い者まで、みな利得を貪り、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行っているからだ。

・神は、更に若者たちに伝える内容を示す。なぜイスラエルが酷い目に会うかを。
・耳を貸さない人々は、地位に関わらず利得を貪っている。常に金銭、富を最優先する民。
・預言者や祭司に至っては、利得を貪ると共に、全員偽り者である。(神の教えを示す者ではない!)

14節:彼らはわたしの民の傷をいいかげんに癒やし、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている。
15節:彼らは忌み嫌うべきことをして、恥を見たか。全く恥じもせず、辱めが何であるかも知らない。だから彼らは、倒れる者の中に倒れ、自分の刑罰の時に、よろめき倒れる。──主は言われる。」

・この偽預言者たちや祭司たちは、平安だと言って民を導いたが、結局侵略に遭遇する。
・侵略に遭い、彼らが恥と思い反省するかと思いきや、彼らは恥じるどころか、様々な言い訳をして誤魔化し、決して神の裁きであるとは言わない。
・その結果、彼らはその侵略で死(肉的な死)に、更に自分の刑罰、すなわち最終の刑罰(的な死)を受けてよろめくのである。
神の忍耐は、民のこうした心の状態を見て、限界点を超えていた。
民の心は、一分の隙も無いほど異邦人化していたのだ。鈍感の極みである

16節:主はこう言われる。「道の分かれ目に立って見渡せ。いにしえからの通り道、幸いの道はどれであるかを尋ね、それに歩んで、たましいに安らぎを見出せ。彼らは『私たちは歩まない』と言った。

・「道の分かれ目に立って・・」→かつての神に信頼して歩む道と、それに反する偶像礼拝の道を見よ!
・古き良き道(律法に従って歩む道。それは神に従って生きる道。)こそが、本来の神の民の道。その道を改めて学び、歩め。そこに魂の安らぎがあるのだから。
しかし、イスラエルの民はこれを頑なに拒否する!

17節:わたしは、あなたがたの上に見張りを立て、『角笛の音に注意せよ』と命じたのに、彼らは『注意しない』と言った。

・神は「古き良き道」を思い起こさせるため、どうなされたか?
・「見張り人」・・預言者を指す。(へ)tzapha,tsawfaw・・外を見る、監視するの意。
・見張り人は敵の攻撃を知らせ、預言者は来たるべき神の裁きを警告する。(見張り人の単語自体は、預言者の意味ではない)
・神の預言者を通して、神の裁きを教えたが、民は全く無視した。

18節:それゆえ、諸国の民よ、聞け。会衆よ、知れ。彼らに何が起こるかを。

・神は異邦人諸国に、イスラエルの中に何が起こるかを見よと命じる。(証人となれ!)
・異邦人たちに向けて、神の存在を悟れと言われる。

19節:この国よ、聞け。見よ、わたしはこの民にわざわいをもたらす。これは彼らの企みの実。彼らがわたしのことばに注意を払わず、わたしの律法を退けたからだ。

・「この国よ、聞け。」→原語は、「地球よ、全地よ、聞け!」となっている。全世界と言う感覚であろう。
・神は、彼らの裏切りにより、裁きの決定を宣言された。
・原因は2つ。①神を無視してきたこと。②律法を退けたこと。

20節:いったい何のために、シェバから乳香が、また、遠い国から香りの良い菖蒲がわたしのところに来るのか。あなたがたの全焼のささげ物は受け入れられず、あなたがたのいけにえはわたしには心地よくない。」

・彼らの礼拝は、非常に貴重で高価なシェバ(アラビア南西部のイエメン地域)の乳香や遠くの国(インドから持ち込まれたとされる)の菖蒲と考えられる香水萱が捧げられる。
・しかし、彼らの全焼のささげもの(本来のものではない)は神にとって非常に不快で受け入れられない。
・イスラエルの民はその本分を忘れ、律法にない事をして誇り、その心は異邦人化していた。
古き良き昔を思い返して、悔い改める余地は、イスラエルの民にはない!

21節:それゆえ、主はこう言われる。「見よ、わたしはこの民につまずきを与える。父も子も、ともにこれにつまずき、隣人も友人も滅びる。」

・神は、この民につまずきを与える。つまずきとは、バビロンによる侵略である。
・この侵略は、滅びに繋がるほどの大破壊である

22節:主はこう言われる。「見よ、一つの民が北の地から来る。大きな国が地の果てから奮い立つ。
23節:彼らは弓と投げ槍を固く握り、残忍で、あわれみがない。その声は海のようにとどろく。娘シオンよ。彼らは馬にまたがり、あなたに向かい、一団となって陣を敷いている。」

・北の大国(バビロン)の侵略を示す。
・強力な軍備で、残忍・非情なその軍隊は大海のよう。馬の軍団がエルサレムに向かって陣を敷く。

24節:私たちは、そのうわさを聞いて気力を失い、苦しみが私たちをとらえた。産婦のような激痛が。
25節:畑に出るな。道を歩くな。敵の剣がそこにあり、恐怖が取り囲んでいるからだ。

・イスラエルはその情報が入っただけで恐怖のどん底に落ちる。苦しみは産婦の激痛。
・すべての領域が囲まれ、隙のない状態は恐怖を更に増し加える。

26節:娘である私の民よ。粗布を身にまとい、灰の中を転げ回れ。ひとり子を失ったように喪に服し、苦しみ嘆け。荒らす者が突然、私たちに襲いかかるからだ。

・そんな恐怖の状態の時、敵は怒涛の如く、侵略を始める。
・神は、ひとり息子を失った者のように、最大の悲しみの中、喪に服せ!と言われる。

27節:「わたしはあなたを、わたしの民の中で、試す者とし、城壁のある町とした。彼らの行いを知り、これを試せ。」

・「試す者」・・金属を分析し、調査して特定する人。(物体がどんな金属であるかを試験調査する人)→本質を見極める人
・彼を「城壁のある町」とした。→民意の調査は、民から敵意を受ける可能性があり、それから守るという意味。
・民の本質を暴き出せ、との命令。

28節:彼らはみな、頑なな反逆者、中傷して歩き回る者。青銅や鉄。彼らはみな、堕落した者たちだ。
29節:吹子で激しく吹いて、鉛を火で溶かす。鉛は溶けた。溶けたが、無駄だった。悪いものは除かれなかった。
30節:彼らは捨てられた銀と呼ばれる。主が彼らを捨てられたのだ。

・その分析の結果は、外見は金、銀に見えても、その心は青銅(真鍮)や鉄であった。
・頑なな背教者であり、皆、堕落した人々だった。
・鉛を取り除こうとして火力を上げても、溶けはしたが取り除けなかった。(何度も預言者を与えたが無視)
・沁みついてしまった邪悪
・不純物の混じった銀。そんな民を、神は見捨てる以外、次の一手は無い。
・勿論、捨て去るのではなく、厳しい気付きの促しである事は言うまでもない。

 

『私たちは神の宮!』

・20節で神は、異邦人をまねて、全焼のいけにえを捧げる民を不快極まりないとして、当時のイスラエルの民を嘆きました。彼らは神との契約を締結していたのに、神の恵みを放棄していました。

・新約の時代に入り、イエス様の啓示により、神の注目ポイントは、私たちの心の在り方に移りました。恵みと信仰からなる信頼関係を築く人々を、神は自らの子として受け入れると約束されました。
・旧約の民と同様、私達も神との契約が成立していることを忘れてはなりません。私たちが信仰告白した時、自動的に契約は成立し、その証として聖霊が私たちに与えられています。

・私たちは、聖霊が宿る神の宮です。私は私!ではなく、私は神の宮!ということ。どんな時も共に歩み、神を礼拝する者であることを忘れてはなりません。
・これからも、神の宮である私たちの新たな人生を、聖書を通して皆さんと追求し続けて行きましょう。

「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。もし、だれかが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。あなたがたは、その宮です。」 第一コリント3:16~17

2024年11月28日

エレミヤ書7章1節~15節

1節:主からエレミヤにあったことばは、次のとおりである。
2節:「主の宮の門に立ち、そこでこのことばを叫べ。『主を礼拝するために、これらの門に入るすべてのユダの人々よ、主のことばを聞け。

・「主を礼拝するために神殿にやって来た人々に対して叫べ!」と命じる神。
どの門か?・・門は、北3か所、南3か所、東の1か所が正門とされていた。そのうちの一つか、又は、中庭の内門の一つのどれかであろう。

語るタイミングは?・・指示されていない。人が多く集まるのは3大祭り(過越、七週、仮庵)の時であるから、これらの時であろうと想像される。

3節:イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたがたの生き方と行いを改めよ。そうすれば、わたしはあなたがたをこの場所に住まわせる。

・「生き方と行いを改めよ」→悔い改めよ・・厳しく方向転換を勧める神。
そうすれば、神は民をこの地に住まわせる。・・祝福される。
・外見的な律法への応答は無意味と指摘している。私たちも十分注意しなければならない。

4節:あなたがたは、「これは主の宮、主の宮、主の宮だ」という偽りのことばに信頼してはならない。

・「主の宮、主の宮、主の宮だ!」という偽りのことばを信頼するな。これは迷信だ!
・迷信とは、神殿の存在が、この土地、都市の安全を保障するという考え。信仰生活とは無関係になる。
時はBC701年、アッシリヤのセンナケリブ王が、ユダに攻め入り町々を攻め、とうとうその軍隊がエルサレムを取り囲んだ。ユダの王はヒゼキヤ。
ヒゼキヤはBC722年の北イスラエル捕囚の原因が神の律法の不従順であるとを悟り、神に回帰した善王。国民も偶像を破壊し、一体となって神に回帰した。ヨシヤ王はこれに倣ったのかもしれない。
周囲を囲まれたヒゼキヤ王は、イザヤの励ましを受け、神に祈ると敵が一晩で18万5千人が神の天使によって死んだ。敵は引き上げエルサレムは守られた。(Ⅱ列18:13~19:37参照)
この言い伝えがいつしか迷信に変わっていった。「主の宮」と3回唱えれば、主の住まいがそこにあるからエルサレムは守られる、という迷信になっていた。神殿の存在ではなく、神の存在が重要だという事!

5節:もし、本当に、あなたがたが生き方と行いを改め、あなたがたの間で公正を行い、
6節:寄留者、孤児、やもめを虐げず、咎なき者の血をこの場所で流さず、ほかの神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、
7節:わたしはこの場所、わたしがあなたがたの先祖に与えたこの地に、とこしえからとこしえまで、あなたがたを住まわせる。

・悔い改め→方向転換し→「正義と公正」を行う・・「神を愛し、隣人を愛する」→モーセの律法の主要テーマ
・「唯一の神を愛し、忠実に従う人生を歩む」
・「弱き者、苦しむ者を虐げず、無実の者の血を流さない」
・これらを実践するなら、神は彼らをこの地に住まわせ、守られると約束される。

8節:見よ、あなたがたは、役に立たない偽りのことばを頼りにしている。

・人々は何に信頼しているのか。
・役に立たない、無意味な嘘に信頼している現実。

9節:あなたがたは盗み、人を殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに犠牲を供え、あなたがたの知らなかったほかの神々に従っている。

・人々は、盗み、人殺し、姦淫、嘘の誓いを行い、更にバアルに礼拝を捧げ、偽の神々に従っている。

・これらは皆、モーセの律法に違反する行為。

彼らはモーセの律法が示す祭りを行っていたとしても、それは楽しむためであり、神に対する心の服従心や忠誠心は皆無であった。
・律法(神を愛し、隣人を愛する)に反する限り、彼らに安全は無い。

10節:そして、わたしの名がつけられているこの宮の、わたしの前にやって来て立ち、「私たちは救われている」と言うが、それは、これらすべての忌み嫌うべきことをするためか。

・神の神殿の神の御前で、これらの忌まわしいことをしておきながら、「私は救われている」と言うのか。
・律法を無視する者たちが、神殿に来ただけで「救われた」とは、神を愛していないという事の表明。

11節:わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目に強盗の巣と見えたのか。見よ、このわたしもそう見ていた──主のことば──。

・神殿は、盗みなどの律法違反者が集う所と思って集まっているのだろう。それは強盗の巣窟と同じ。

・神の目にも、神殿は神殿に非ず、強盗の巣窟としか思えない。
・人の目にはお守りのように見えている神殿。しかしその実態は、律法を無視する強盗の巣窟である。

新約聖書で、イエス様が興味深い言葉を語っている。
「そして彼らに言われた。『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを、『強盗の巣』にしている。」 マタイ21:13(マルコ11:17、ルカ19:46)

12節:だが、シロにあったわたしの住まい、先にわたしの名を住まわせた場所へ行って、わたしの民イスラエルの悪のゆえに、そこでわたしがしたことを見てみよ。

・シロの教訓に学べ。神はシロに何をしたのかを。
シロ(聖書地図4のE・5)
・現在はセイルンの遺跡となっている。
・エフライムの地の都市で、エルサレム建設前の宗教的、政治的中心地であった。
・約束の地に入って、初めて「会見の天幕」が設けら、その後神殿が建てられた。(エリ、サムエル)
・ペリシテが侵略し、陣営に契約の箱を持って行ったが奪われ、町も神殿も破壊された。(Ⅰサム4:3~22)
・その後、人は住んだものの老朽化した。(エレ41:5)


・契約の箱を持ち出すことは神への不従順であるが、勝利を呼び込むお守りと思って持ち出した。
・エレミヤの時代も、民は神に不従順であり、神殿を幸運のお守りと思っている。
・シロで起こった悲劇は、この時代のエルサレムにも起こるという事を神は諭しておられる。

13節:今、あなたがたは、これらのことをみな行い──主のことば──わたしがあなたがたに、絶えずしきりに語りかけたのに、あなたがたは聞こうともせず、わたしが呼んだのに、答えもしなかったので、
14節:わたしの名がつけられているこの家、あなたがたが頼みとするこの家、また、わたしが、あなたがたと、あなたがたの先祖に与えたこの場所に対して、わたしはシロにしたのと同様のことを行う。

・神は、絶えず方向転換を期待して預言者を送り、気付きを促し、導いた。
・しかし彼らは偶像に走り、神の声を聞こうともしなかった。
・故に神は、神殿とこの地に、シロと同じような裁きを与えることを決めた。

15節:わたしは、かつて、あなたがたのすべての兄弟、エフライムのすべての子孫を追い払ったように、あなたがたをわたしの前から追い払う。』

・エフライム・・ヤコブが右手を置いたヨセフの子。ヨシュア、サムエルもエフライム族出身。

・北イスラエル初代王ヤロブアム1世もエフライム族。北イスラエル王国をエフライムと呼ぶようになった。
・この史実から、シロにしたように、そして北イスラエルにしたように、ユダに同じことが起こると神は宣告する。

 

『神に甘える人』
・自分は神の民と言いながら、偶像を拝み偶像に従って生きるイスラエルの民の実態。神は怒りにも似た忠告を、エレミヤを通して与えます。
・新約聖書でも、神に信頼して生きることを勧めていますが、実際の所信頼しているのか、それとも甘えているのか、と思えることがあります。
・神は私たちの天の父なる神。従って私たちが父に甘えることを、神は決して怒りはしません。しかし一方で、良い地に育つ種の話をしたり、主の道を示されたりして、神は人々の成長を望んでおられます。
・成長は決して学力、知識力の向上だけではありません。むしろ、愛の実践こそが神の期待と言っても過言ではありません。まだそこに至っていないうちは、神に甘える未熟な状態ではないでしょうか。

・私たちは神に甘える人ではなく、神の期待に応答する人となることが目的のはずです。目的を忘れず、甘える人から期待に応答する人を目指して共に歩みましょう!
「ですから私たちは、キリストについての初歩のおしえを後にして、成熟を目指して進もうではありませんか。・・・」 ヘブル6:1より

 

バビロン捕囚

2024年12月05日

エレミヤ書7章16節~8章3節

16節:あなたは、この民のために祈ってはならない。彼らのために叫んだり、祈りをささげたりしてはならない。わたしにとりなしをしてはならない。わたしはあなたの願いを聞かないからだ。
17節:彼らがユダの町々や、エルサレムの通りで何をしているのか、あなたは見ていないのか。

・この民のための祈りは、執り成しも含めて厳禁!裁きは決定的ということ。(エレミヤへの念押し)
・この個所を含めて、神は3回(11:14、14:11)指示。
・エレミヤはこれに逆らい2回(14:19~22、18:20)祈る。
・エレミヤよ、町を分析して知っているだろう。エルサレムの通りがどうなっているのかを・・。

18節:子どもたちは薪を集め、父たちは火をたき、女たちは麦粉をこねて『天の女王』のための供えのパン菓子を作り、また、ほかの神々に注ぎのぶどう酒を注いで、わたしの怒りを引き起こそうとしている。

・家族が一丸となって偶像礼拝している姿が示される。
・子供、夫が薪と火を受け持ち、妻が主導して「天の女王」への供物(パン菓子)を作っている。
・「天の女王」とは、女神イシュタル。「愛の女神」とも言われる。戦争の神であり、性愛と生殖の象徴とされる。
・この神は神殿娼婦、同性愛にもつながる偶像。
・「天の女王」以外の神々も崇めていた民。
・カナンのバアル神、アシェラ、タンムズ・・など
・神の目には、祖先の宗教を否定し、意図的に神を怒らせているように見える

 

女神イシュタル、バアル神、モレク神について
女神イシュタル
・メソポタミヤ文明、特にアッシリヤやバビロンにて崇拝された女神。
・昼は戦争、夜は愛の神としての性質。愛、戦争、性、豊穣をつかさどる女神。
バアル神
・カナン地方(約束の地)で崇拝された、農業、天候、豊穣と繁栄をつかさどる男神。
・バアルの妻アシェラやアナトなどの家族関係にある多神教。
イシュタルは愛、性、戦争を象徴するが、バアル(土着)は天候や力を象徴する。異なる文化圏の神。
収入の安定化(バアル神)、肉体的欲求の実現(イシュタル女神)を求めるイスラエルの民。
モレク神
・カナン周辺地域の神で、火を通じた幼児犠牲の儀式が行われた
・ヒノムの谷のトフェトに祭壇(神殿とも)があったとされる。
・バビロン捕囚以降衰退し、ローマ時代には消退した。火・豊かさの神と考えられていたと思われるが詳細は不明。

19節:わたしの怒りを彼らが引き起こしているというのか──主のことば──。むしろ、自分たちを怒らせ、自分たちの恥をさらすことになっているのではないか。」

・しかし、最後には自分たちの失敗に対する怒りがこみ上げ、自分たちの恥と知るのではないか。
・「後悔、先に立たず。」

20節:それゆえ、神である主はこう言われる。「見よ。わたしの怒りと憤りは、この場所に、人と家畜、畑の木と地の産物に注がれ、それは燃えて、消えることがない。」

・なぜなら、神の裁きはこの場所の人々、家畜、産物すべてに及び、燃え尽くされるからである

21節:イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。「あなたがたの全焼のささげ物を、いけにえに加え、その肉を食べよ。

・「全焼のささげ物(常供の全焼のささげ物)」→すべて焼かれて、神に捧げられる。
・「いけにえ」→自分たちの罪のためのいけにえ。
・神は、民からささげられるものには、何の興味もない。→単なる肉だから、自分たちで食べれば~。心がなければ単なる「上等な肉」にすぎない。

22節:わたしは、あなたがたの先祖をエジプトの地から導き出したとき、彼らに全焼のささげ物や、いけにえについては何も語らず、命じもしなかった。
23節:ただ、次のことを彼らに命じて言った。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。あなたがたが幸せになるために、わたしが命じるすべての道に歩め。』

・エジプト解放(出エジ19:5)の時、先祖に伝えた事は、犠牲やいけにえのことよりも「神の声に従う事」。
・服従心、忠誠心を持てば、神はあなたがたの神であり続け、祝福が与え続けられるということである。
服従のプロセスで犠牲がなされる。服従が原点。私たちの賛美も同じことに注目!
・イスラエルは神への従順を学び、シナイ山で律法を受け、神の戒律を得、その後、犠牲に関する律法を得た。
人が豊かになり、戒めを破るたびに犠牲を捧げることが容易になり、人々は罪、そして神に対して鈍感になって行く。神は過去からずっと服従、忠誠の心を重要視していた。
「犠牲さえ捧げておけば・・」という発想は本末転倒である。私達も十分に注意が必要!

24節:しかし、彼らは聞かず、耳を傾けず、頑なで悪い心のはかりごとによって歩み、前進どころか後退した。
25節:あなたがたの先祖がエジプトの地を出た日から今日まで、わたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを早くからたびたび遣わしたが、
26節:彼らはわたしに聞かず、耳を傾けもせず、うなじを固くする者となり、先祖たちよりも悪くなった。

・彼らは、これまでもずっと神の言いつけを聞かず、反する生き方を選び、前進どころか後退した。
・出エジプトの時からこの方、神は預言者を何度も遣わしたが全て無視し、その態度は先祖より悪化。

27節:あなたが彼らにこれらのことをすべて語っても、彼らはあなたに聞かず、彼らを呼んでも、彼らはあなたに答えない。
28節:そこであなたは彼らに言え。この民は、自分の神、主の声を聞かず、懲らしめを受け入れなかった民だ。真実は消え失せ、彼らの口から断たれた。

・従って、エレミヤのことばにも聞く耳は持たない彼ら。返事も応答もしない。
・故に彼らに神の宣言を伝えよ。
『この国の民は神を捨て、神を無視し懲らしめを拒んだゆえに、彼らから真理は断たれた。もう、神の民ではない異邦人化した民だ。』
※ 「この民は、」→原語「国・人々」(ヘ)goy→主に異邦人国家を対象に用いられる。

29節:『あなたの長い髪を切り捨て、裸の丘の上で哀歌を歌え。主が、御怒りを引き起こした世代を退け、捨てられたからだ。』

・「長い髪を切り捨て、」・・ナジル人の誓願(民6:1~21)
・汚れたナジル人の髪を切り捨てよ!→イスラエルはナジル人の髪の毛のように切り捨てられよ!
・「裸の丘の上で哀歌を歌え」・・偶像礼拝の祭壇で悲しめ、嘆け!神の怒りが背信の人々に下るから!

30節:それは、ユダの子らが、わたしの目に悪であることを行ったからだ──主のことば──。彼らは、わたしの名がつけられているこの宮に忌まわしいものを置いて、これを汚した。
31節:また自分の息子、娘を火で焼くために、ベン・ヒノムの谷にあるトフェトに高き所を築いたが、これは、わたしが命じたこともなく、思いつきもしなかったことだ。

は人間の犠牲を求めたことは無い。アブラハムによるイサクの犠牲は、アブラハムの正義と信仰を示させるためであり、イサクを殺させる意図はなかった。備えられていた羊の存在がそれを示す。(創22:6~13)

・見捨てる理由が示される。
①神殿に忌まわしいものを置いた。→宮の敷地内に偶像を設置【Ⅱ列16:10~18(アハズ王)、21:4~9(マナセ王)】
②ベン・ヒノムの谷のトフェトで、娘、息子の人身御供。(レビ18:21により禁止)       
<豆知識>
・ベン・ヒノムの谷・・(へ)Gei Hinnom→(ギ)Geenna→(英)Gehena(ゲヘナ)・・「火の池」の語源。
・ベン・ヒノムの谷のトフェトに高台を築き、人が焼かれた。そのことが火の池で、罪人に対して起こる。
・人身御供はモレク神に捧げられるもので、銅製のモレク像の広げた腕に子が置かれ下から点火される。
・子供のうめき声を太鼓でかき消す。うめき声(honem)から、hinnomとなったといわれる。

32節:それゆえ、見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、もはやそこは、トフェトとかベン・ヒノムの谷と呼ばれない。ただ虐殺の谷と呼ばれる。人々はトフェトに、隙間がないほどに葬る。

・「トフェト(焼き場)」とか「ベン・ヒノムの谷(息子たちの嘆き)」と言う名ではなく、「虐殺の谷」と呼ばれる日が来る。その日は、隙間のないほど死体が埋葬される。

33節:この民の屍は、空の鳥や地の獣の餌食となるが、これを追い払う者もいない。
34節:わたしは、ユダの町々とエルサレムの通りから、楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声を絶えさせる。この地が廃墟となるからである。」

・死体が多すぎて、鳥や獣がそれらを餌とする。しかし、追い払う者はいない。
・神は、ユダの町々、エルサレムから楽しみや喜び、未来の幸い(続く家系)の全てを取り去る。
・この地が何も生まない廃墟となる。
・この預言は、バビロン捕囚と言うよりも、AD70年の神殿崩壊で成就したと考えられる。

8章
1節:「そのとき──主のことば──人々は、ユダの王たちの骨、首長たちの骨、祭司たちの骨、預言者たちの骨、エルサレムの住民の骨を、墓から取り出し、
2節:それらを、彼らが愛し、仕え、従い、伺いを立て、拝んだ日や月や天の万象の前にさらす。それらは集められることなく、葬られることもなく、地の面の肥やしとなる。

・ 「そのとき」・・とは神が裁かれる未来のときを指している。(いずれ来る未来に起こること)
・5つの要素と3つの要素で、天の万象の礼拝者と彼らの末路を示している。
1.ユダ王たち、2.首長たち、3.祭司たち、4.預言者たち、5.エルサレム住民、の骨
1.愛し、2.仕え、3.従い、4.伺いを立て、5.拝んだ
1.集められず、2.葬られず、3.地の表の肥やしとなる (詩篇141:7)
・天の万象礼拝→「アストラル礼拝」→「星々(天体)の宗教」。特にバビロニア、アッシリア、カナンなどの地域で、太陽神(シャマシュ)、月神(シン)、星座を崇拝した。当時の占星術と密接に関係した。
・「日や月や天の万象の礼拝」は、申4:19で禁止されている。創造主なる神の産物であることを知れ!の意味。
・バビロン捕囚前から存在する偶像礼拝(Ⅱ列21:3など)。マナセの時代には常態化していた。

3節:また、この悪しき一族の中から残された残りの者はみな、わたしが追いやったすべての場所で、いのちよりも死を選ぶようになる──万軍の主のことば。

・裁かれずに残された者たちは、生き延びることなく、死を望み、死んでゆくことになる。
・偶像礼拝者の行く末は、何処まで行っても哀れな結果となる。

 

『見えないものを見る力』
・様々な偶像に礼拝を捧げていたイスラエルの民。「どうせ拝むなら、拝み甲斐のある方が・・」と言う感覚ではなかったかと想像します。
・私も、クリスチャンになる前は、親戚の影響で尾道の寺に檀家となり、それらしくしようとお経を覚え、墓に花を供え、お盆やお正月には住職を招き・・と言ったことをしていました。喜んで!
・こうしてクリスチャンになって、如何に外見的なことにばかりに目が向いていたのかよくわかります。常に周囲の目を意識して行動することが、いつの間にか自慢や高慢になっていました。
・神は私たちの心がどこを向いているかを、いつも見ておられます。決して、周囲への自慢や見栄や同調意識で行動する事を良しとはされません。それが霊的成長を阻害するからです。(心の目を閉じてしまう)
・私たちは見ることのできない神を、信仰という心の目ではっきりと認識しています。私たちの目には見えない空気の、その中の酸素が、私たちの命を支えているのと同様です。
「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。」 ヘブル11:3

2024年12月12日