ミカ5章2節~15節
2節:「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」
「ベツレヘム・エフラテ」‥ユダの山地にあるベツレヘム。イエス様出生の地。
ベツレヘムはゼブルン族の地にもある。エフラテという言葉が付くことで区別。
5章1節では、「イスラエルをさばく者」をエルサレムと見て、対照的にベツレヘムに救い主メシアが生まれることを示している。→壊滅的破壊の中に神は希望を示されている。
それが、メシアの誕生であり、更に出生地を示すことで、より具体性を示している。
メシアの出生は、昔から定まっている決定事項。→メシアの神性と人性の表現
神の民はその恵みに与れるということを認識させている
3節:それゆえ、彼らはそのままにしておかれる。産婦が子を産む時まで。そのとき、彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰る。
彼ら→イスラエルの民を指す。
産婦が子を生む時まで→これはメシアの出生を言っているのではない。
イスラエルの民が真の信仰に立ち返ることを、お産(産みの苦しみ)に例えている。
そのとき、→真の信仰に立ち返ったとき、の意。彼の兄弟→ユダ族の兄弟部族の意。つまり、イスラエルの残れる者と共に、皆が一つになるということ。
この時、メシア(再臨のイエス様)が地上に降りて来られる
ボツラでの出来事が暗示されている!
4節:彼は立って、主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼う。そして彼らは安らかに住まう。今や彼の威力が、地の果ての果てまで及ぶからだ。
彼→メシア(再臨のイエス様)を指す。
そのメシアによる統治の世界が始まる。メシアがイスラエルの民の真の牧者となる。
メシア的王国の成就である。
神による、真の平安な世界が実現する。
主の権威が全世界におよび、主の栄光が全人類に輝き渡る。
5節:平和は次のようにして来る。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対抗して七人の牧者、八人の指導者を立てる。
6節:彼らはアッシリアの地を剣で、ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの領土に踏み込んで来るとき、彼は、私たちをアッシリアから救い出す。
メシア的王国の成就までのプロセスが語られる。
アッシリア・・反キリストの軍勢。その軍勢がエルサレムを占拠し、更に宮殿、神殿を踏みにじる時、神の民には対抗するリーダーが立てられる。
これまでリーダーが不在だったような民にしっかりとしたリーダー(牧者(内)、指導者(外))が、完全な状態で立つ。[七は完全数、八はそれ以上と考えられる]戦うというより、導く存在となるのではないかと考える。
ニムロデの地・最初の帝国主義・・アッシリヤの地・反キリストの本拠地:同義である。
帝国主義(人間統治)の消滅を示す。アッシリヤ(反キリスト)を打つのはイエス様。
その後イスラエルの民がアッシリヤ(異邦人諸国)を管理することになる。
7節:そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、主のもとから降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みを置かず、人の子らに期待をかけない。
イエス様の力により、イスラエルの民は、大患難時代の最後において、神に信頼する民となったことを目撃する異邦人の善き手本となる。選民としての働きが成就。
8節:ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎるときには、踏みにじり、かみ裂けば、助け出す者はいない。
一方、イスラエルの恥を見たいと願って争った異邦諸国にとっては、イスラエルの民の主が、徹底的に裁かれる。助ける者はいない。反キリストも助けにならない。
9節:あなたが敵対する者に向けて御手を上げると、あなたの敵はみな絶ち滅ぼされる。
神は、イスラエルに敵対する者に御手を上げ、それらの敵は皆、滅ぼされる。
10節:「その日―主のことば―わたしはあなたのただ中から、あなたの馬を滅ぼし、戦車を打ち壊し、
11節:あなたの国の町々を絶ち滅ぼし、要塞をみな破壊する。
12節:わたしはあなたの手から呪術者を断ち、占い師をあなたのところから絶やす。
13節:わたしは、あなたのただ中から、刻んだ像と石の柱を断ち切る。あなたはもう、自分の手で造った物を拝まない。
14節:わたしは、あなたのアシェラ像をあなたのただ中から根こそぎにし、あなたの町々を滅ぼし尽くす。
15節:わたしは怒りと憤りをもって、わたしに聞き従わなかった国々に復讐する。」
敵国がどのように滅ぼされるかが語られる
敵国の軍隊を壊滅させる。武器や争う道具は完全に消え失せる。
国の町々、要塞を全て破壊する。武装の必要がない状態になる。
呪術者、占い師は完全に断ち滅ぼされる。信頼すべきは神のみである。
偶像礼拝を完全に排除する。当時はアシェラ、大患難時代は反キリストである。
神に信頼しない者には、獅子が噛み裂く如き厳しい裁きが下る。
それまで信頼していたものが音を立てて崩れて行くことになる。