エレミヤ書27章1節~22節

1節:ユダの王、ヨシヤの子のエホヤキムの治世の初めに、主からエレミヤに次のようなことばがあった。

・「ユダの王、・・エホヤキムの治世の初めに・・」、エレミヤに神からの命令。
※新共同:「ユダの王、・・ゼデキヤの治世の初めに・・」と書かれている

※さらに注釈では第1年ではなく、第4年としている。
ゼデキヤ王とするのが一般的見解で、エホヤキムは誤記と考えられている。

※年代は、BC594年~BC593年とされる。
理由: 

①3節、12節でゼデキヤ王と記されている。
②20節でエホヤキン(エコンヤ)がすでに捕えられているとの記述。
③28章の冒頭で、「その同じ年」とあり、「その」とは27章のことである。

そして、BC594年は、ゼデキヤ王がバビロンに反逆しようとする年である。(エゼ17:15)

2節:主は私にこう言われた。「あなたは縄とかせを作り、それをあなたの首に付けよ。

・象徴的行動→縄と枷、すなわち軛(くびき)を作り、首にはめよ。
※縄も枷も複数形→3節以降の、各国の王たちへの配布のため。

3節:そうして、エルサレムのユダの王ゼデキヤのところに来る使者たちによって、エドムの王、モアブの王、アンモン人の王、ツロの王、シドンの王に伝言を送り、

・これらの国はイスラエルと国境を接していた。
・東はエドム、モアブ、アンモン。北はツロ、シドン。これらの王に軛を配布せよ。
※軛とは、政治的支配の象徴。創27:40、Ⅰ列12:3~14、イザヤ9:4など
・軛を各国の大使に預け、それぞれの王に渡させ、さらに伝言を託した。

4節:彼らがそれぞれの主君に次のことを言うように命じよ。『イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたがたは主君にこう言え。

・具体的な命令である預言をそれぞれの王に伝言する。彼らは偶像礼拝者である

5節:わたしは、大いなる力と伸ばした腕をもって、地と、地の面にいる人と獣を造った。わたしは、わたしの目にかなった者に、この地を与える。

・絶対的主権者である神を示す。まさに宇宙の主権者。
・神は、ご自身が認める者に、この地を与えることができる存在。

6節:今わたしは、これらすべての地域をわたしのしもべ、バビロンの王ネブカドネツァルの手に与え、野の生き物も彼に与えて彼に仕えさせる。
7節:彼の地に時が来るまで、すべての国は、彼とその子と、その子の子に仕える。しかしその後で、多くの民や大王たちが彼を自分たちの奴隷にする。

・神はバビロンのネブカドネツァル王にこの地域と野の獣(野生世界)を与えると決定。
※この声明は、ネブカドネツァルが神のしもべということも示している。
・「時が来るまで」・・ネブカドネツァルから3代目の時まで。
※ネブカドネツァル→エビル・メロダク(子)→ベルシャツァル(孫)
・その時が来ると、他の大王の奴隷となる。→キュロス王、ダレイオス王の侵略。

8節:バビロンの王ネブカドネツァルに仕えず、またバビロンの王のくびきに首を差し出さない国や王国があれば、わたしは剣と飢饉と疫病をもってその民を罰し──主のことば──彼の手で彼らを皆殺しにする。

・エレミヤの助言(ネブカドネツァルに仕えること)に従わないときの結果が示される。
・預言に従わなければ、剣、飢饉、疫病によって裁きを受けることになる。
※具体的には、バビロンによる破壊と捕囚。

9節:だから、あなたがたは、バビロンの王に仕えることはないと言っているあなたがたの預言者、占い師、夢見る者、卜者、呪術者に聞き従ってはならない。

・神に反する預言者、占い師、夢見る者、卜者、呪術者に聞き従ってはならない。

※フルクテンバーム博士は、外国の大使からゼデキヤと民に注意が向いたと解説。

10節:彼らは、あなたがたに偽りを預言しているからだ。それで、あなたがたは自分たちの土地から遠くに移され、わたしはあなたがたを追い散らして、あなたがたは滅びることになる。
11節:しかし、バビロンの王のくびきに首を差し出して彼に仕える国を、わたしはその土地にとどまらせる──主のことば──。こうして、人々はその土地を耕し、そこに住む。』」

・偽預言に聞き従えば土地を追われ、捕囚され、滅びることになる。
・しかし、神に聞き従ってバビロンの軛を負うなら、土地に残り、住むことができる。

12節:ユダの王ゼデキヤにも、私はこのことばのとおりに言った。「あなたがたはバビロンの王のくびきに首を差し出し、彼とその民に仕えて生きよ。
13節:なぜ、あなたとあなたの民は、主がバビロンの王に仕えない国に向かって語られたように、剣と飢饉と疫病で死のうとするのか。

・大使たちへのメッセージをゼデキヤ王にも同様に伝えた。
・バビロンに従えば、生き続けられる!
・もしバビロンに仕えないなら、剣、飢饉、疫病のさばきにより、滅ぶこととなる。

14節:『バビロンの王に仕えることはない』とあなたがたに語る預言者たちのことばに聞き従ってはならない。彼らがあなたがたに偽りを預言しているからだ。」
15節:「わたしは彼らを遣わさなかったのに──主のことば──彼らはわたしの名によって偽りを預言している。わたしがあなたがたを追い散らし、あなたがたも、あなたがたに預言している預言者たちも、滅びることになるのだ。」

・偽預言者の嘘に聞き従ってはいけない。
・神の名によって語る偽預言に従えば、預言した者とそれに従った者すべてが滅ぶ

16節:私はまた、祭司たちとこの民全体に向かって語った。「主はこう言われる。あなたがたは、『見よ、主の宮の器は、バビロンから今すぐにも戻される』とあなたがたに預言している、あなたがたの預言者のことばに聞き従ってはならない。彼らはあなたがたに偽りを預言しているのだ。

・祭司とユダの民への預言。偽預言に引っかかるな!
・偽預言者のことば→BC605年、BC597年で奪われた神の宮の器はすぐに戻ってくるという偽預言。

17節:彼らに聞き従ってはならない。バビロンの王に仕えて生きよ。どうして、この都が廃墟になってよいであろうか。

・かねてから言っているように、バビロンに仕えよ!そうすればエルサレムは守られる。
※神殿破壊される前の状態。

18節:もし彼らが預言者であるなら、もし彼らに主のことばがあるなら、彼らは、主の宮、ユダの王の宮殿、またエルサレムに残されている器がバビロンに持って行かれないよう、万軍の主にとりなしをするはずだ。

・正しい預言者なら、今残されている器が奪われないよう執り成しの祈りをするはず。
※神の御心に従うなら、これ以上悪化しないことを神に懇願するはずと、神は言う。

19節:まことに万軍の主は、神殿の柱、『海』、車輪付きの台、また、この都に残されているほかの器について、こう言われる。
20節:──これらの物は、バビロンの王ネブカドネツァルがユダの王、エホヤキムの子エコンヤ、およびユダとエルサレムのすべてのおもだった人々をエルサレムからバビロンへ引いて行ったときに、奪い取らなかったものである──

・都に残されている器について、神が語られる。
※①柱、②「海」、③車輪付き台、→Ⅰ列7:15~22、23~26、27~37
・第1次と第2次の捕囚時に奪い取られなかった器。
※Ⅱ列24:13~15(第二次捕囚の状況)

21節:まことに、イスラエルの神、万軍の主は、主の宮とユダの王の宮殿とエルサレムに残された器について、こう言われる。
22節:『それらはバビロンに運ばれて、わたしがそれを顧みる日まで、そこにある──主のことば──。そしてわたしはそれらを携え上り、この場所に戻す。』」
・今残っている器類もすべてバビロンに持ち去られる。(第3次捕囚、神殿崩壊)
※それは、神が彼らを見放すということ→捕囚と神殿破壊。神の臨在の消失。
・しかし、神が再び彼らを導くとき、それらの器はエルサレムに戻すと約束された。
神の言葉は聞き入れられず、偽預言者に導かれて、亡びの道へと突き進むゼデキヤと民。
捕囚の最終段階に近づきつつある中でも、神は民に助けを示しておられる!

 

『混沌の中に活かされる微力』
・エレミヤの預言は、すでに2度の捕囚によりその真実性が広まっていたと考えられます。外国の大使にまで進言する存在であったことからも推察できます。
・他方で、真の預言者に真っ向から反論する偽預言者の存在も相当に幅を利かせていたことが分かります。人が持つプライドや聞き心地の良いアドバイスに、人は大いに耳を傾けます。
・神が未来を聖書に示しておられるのは、この最終プロセスを見逃さず、そこに向かって歴史が展開していることを把握して、世の混沌に巻き込まれることを防ぐためとも考えられます。
・大患難時代へと突き進む人類の歴史。そんな中にあって神の栄光を示すために、どんなに微力であっても、全能なる神は私たちを愛の伝道者として用いてくださることを感謝して歩みましょう!
「しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。」コリント第一 1:27

2025年09月27日