エレミヤ書10章17節~25節

17節:包囲されている女よ、あなたの荷物を地から取り集めよ。

・「荷物」(ヘ)kinaw・・この語幹は「カナ」。カナンの地、カナン人も語幹は「カナ」
            荷物と言う言葉に、カナン人やカナンの地を重ねている。
カナンの地に偶像礼拝者を排して入植した民が、偶像礼拝者たちのようにカナンの地を追われる様子。
・「女よ、・・取り集めよ」・・敵に包囲されわずかな物しか持たず、捕囚される民の姿。原文に「女」はない。 


18節:まことに主はこう言われる。「見よ。わたしはこの国の住民を今度こそ放り出して苦しめる。彼らが思い知るためだ。」

・彼らが思い知るために、イスラエルの民の捕囚を決断した神。
・「滅ぼす」と言わず、「苦しめる」と言われたのは、神の愛の表れ。
・捕囚の苦しみ・・バビロン捕囚の主原因は、偶像礼拝である→よって当時の偶像礼拝の中心地で、偶像礼拝の中で生活する試練が与えられた。
この捕囚がイスラエルの民に対する気付きの促しとなり、以降、原則的に偶像礼拝から離れることになる。
11節のアラム語の言葉は、捕囚の地に離散して、偶像礼拝の中で生きるイスラエルの民への励ましとなる。

19節:ああ、私は悲しい。この傷のために。この打ち傷は癒やしがたい。しかし、私は言った。「まことに、これこそ私が負わなければならない病だ。」

・捕囚(神殿崩壊も含めて)は、エレミヤにとって一生負い続ける大きな傷。
・「病」・・(ヘ)傷、屠殺。抗うことなく受ける相当に深い心の傷、というイメージ。
・ここでは、私(エレミヤ)と表現されているが、捕囚されるイスラエルの民の代弁とも考えられる。
・預言者であるエレミヤが負うべき宿命であり、生き残る民も同様の宿命である。
・同胞の死と捕囚、神殿崩壊に苦しむエレミヤ→神を愛し、隣人を愛する者だから預言者とされたのだろう。

20節:私の天幕は荒らされ、そのすべての綱は断たれ、私の子らも私から去って、もういない。もう私の天幕を張る者はなく、その幕を広げる者もいない。

・嘆きの理由が2つ示される。
①天幕、綱(天幕を支える綱)の破壊。人が住めない状態。
②人がいない。子孫となる子らも、国を支える大人(天幕を張る人)もいない状態。

21節:牧者たちは愚かで、主を求めなかった。それゆえ、彼らは栄えず、彼らが飼うものはみな散らされる。

・「牧者たち」・・上層部の人々。(新共同:「群れを養う者」)
・彼らが神を無視し、偶像礼拝に走ったことが、この捕囚の原因。
・その上層部に従った民も、偶像に走り、その結果、捕囚(離散)の民となる。
新約では、イエス様がマタイ23章で、上層部に対して指摘している。
神は、上層指導者と上層部に従う者(民)の両者に、「愛と正義と公正」への忠実を求められる。

22節:声がする。見よ、一つの知らせが届いた。大いなるざわめきが北の地から来る。ユダの町々を荒れ果てた地とし、ジャッカルの住みかとするために。

・北からの侵略が、更に近づいていることを示してる。
・侵略者は特定されていないが、「バビロン軍」。
 4:15・・「ダンから告げる声がある。」
 8:16・・「ダンから馬の鼻息が聞こえる。」
そして、今→「声がする。見よ、一つの知らせが届いた。」

23節:主よ、私は知っています。人間の道はその人によるのではなく、歩むことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。

・エレミヤは、先ず、神の立場、存在を認める言葉を告白します。
「人の道は、人の力ではどうにもならない。結局、神が全てを導いておられる。」

 ※詩篇37:23、箴言16:1~3、20:24、etc.
神こそが、絶対的主権者であることを認めている!←聖徒の共通認識!であるべき。

24節:主よ、私を懲らしめてください。御怒りによらないで、ただ、公正をもって。そうでなければ、私は無に帰してしまいます。

・公正の思いで、イスラエルの民を懲らしめてほしいと依頼するエレミヤ。
・民を代表して、祈っている。
・神の怒りの凄まじさをエレミヤは知っている。且つ、愛の神であることも!。
・神への「愛・公正・正義」の訴えである。(あわれみを求めている)

25節:あなたを知らない国々の上に、あなたの御名を呼ばない諸氏族の上に、あなたの憤りを注いでください。彼らはヤコブを食らい、これを食らって滅ぼし、その牧場を荒らしたからです。

・その怒りが、神を無視し、神の名を呼ばない国々へ向かうように祈るエレミヤ。
・彼らは、神の民を貪り、破壊し尽くしたから!
・一定程度まで、神の赦しの下での破壊はできる。しかし限度が過ぎると、裁きが下る。
・エレミヤの異邦人への制裁要請は、アブラハム契約からだろう。(詩編79篇も同様)

 イスラエルを祝福する者を祝福し、呪う者をのろう。(創12:3より)

 

『正しい関係の認識』
・23節から、エレミヤは執り成しの祈りを始めます。神の立場を認める事から始まりますが、それは人間の立場を知ることであり、神と人間との本来の関係を認識することです。
・人間は神に創造されました。それは目的をもって、愛によって造られました。更に人は、自由意思という恵みも与えられた地上で唯一の存在です。特別な創造物なのです。
・目には見えない神に全幅の信頼を置く者を、神は喜び導かれています。本来、信者は神に信頼し、神に忠実に従う関係にあるのです。これを知ることが重要です。
・イエス様は人として地上に来られ、人として如何に神に信頼し忠実に生きるかを示されました。何よりも神を愛しておられる姿勢を示されたのです。
「ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。」 ピリピ 2章7~8節

2025年02月06日