ホセア7章1節~16節

1節:「わたしがイスラエルを癒やすとき、エフライムの咎、サマリアの悪はあらわになる。彼らが偽りを行い、盗人が押し入り、外では略奪隊が襲うからだ。

2節:しかし、彼らは考えもしない。わたしが彼らのすべての悪を覚えていることを。今、彼らの悪行は彼らを取り囲んで、わたしの面前にある。

まるで病のイスラエルを癒そうとするとき、見えてくるのは偽の祭司の罪である。
偽祭司による偶像礼拝の結果、偽り、盗み、そして略奪が起こり、奪われて襲われてしまうイスラエルが見えてくる。(この盗人、略奪隊は大国と思われる)
そんな状態になっても、祭司たちは神に返らない。(大国に頼る選択をする)
神は悪事に取り囲まれたイスラエルをしっかりと見ている。(偽祭司の影響が大きい


3節:彼らは悪事によって王を、偽りによって首長たちを喜ばせる。

「彼ら」とは、偽祭司たち。彼らは、王や首長の気に入る偶像礼拝で彼らを喜ばせ、自分を保身する。(祭司本来の価値は失せている)

 

ー北イスラエルの祭司事情ー
Ⅱ歴代誌11:4~17
4節:レハブアムがヤロブアムに戦いを仕掛けるが、神に止められ中止する。
5~12節:レハブアムはユダの町を固め備蓄。ユダ、ベニヤミンがレハブアムについた。
13~15節:イスラエルの祭司、レビ人は自分たちの牧草地、所有地を捨ててユダとエルサレムに来た。ヤロブアムが彼らの職を解き、一般の祭司に、偶像礼拝させたからである。
16~17節:イスラエルの全部族からも、信仰心の熱い者たちが主にいけにえを捧げに 3年間、エルサレムに来た。彼らはダビデ・ソロモンの道を歩み、そのことが、ユダの王権を強固にした。この現象が、ヤロブアム1世にとっては脅威となる。

ホセア書で神が指摘する祭司は、偽祭司である。
神のことばに信頼しない北イスラエルの歴史が始まった

4節:彼らはみな姦通する者。パンを焼くときの燃えるかまどのようだ。生地がこねられてから、ふくらむまでは、燃え立つことをやめている。

パン焼きかまどが偽祭司、そしてパンが上層部の人間たちと考えられる。低温でじっくり発酵させるように、上層部を、偶像礼拝により悪だくみへと導く偽祭司。
パン生地が一晩かけて膨らんだパンを一気に焼き上げるように、上層部の気持ちを熟成させ、機が熟したら、一気に悪事を実行するように仕向けて行く偽祭司の行動の表現。

5節:われわれの王の日に、首長たちは酒の熱で気分が悪くなり、王は嘲る者たちと手を握る。

そして、例えば王の祝いの日には、首長は偶像礼拝の曲がった教えにより酒を浴びて酩酊し、王は神を恐れぬ者(他国)と組み、政治・外交する。


6節:彼らは心をかまどのようにして、陰謀を企てる。夜通し、パンを焼く者は眠るが、朝になると、かまどは燃え立つ火のように燃えるのだ。

北イスラエルの歴史は、悪事を企て、一気に実行し、王位を奪う歴史である。
「かれら」とは、偽祭司と考えられる。王や首長は偽祭司に振り回される者たち。

7節:彼らはみな、かまどのように熱くなって、自分をさばく者たちを食い尽くす。自分の王たちもみな倒れる。彼らのうちだれ一人、わたしを呼び求める者はいない。

それ故、自分を支配する者(王)を殺してしまう。こうして王が次々と立っては倒れることになる。偽祭司たちも、王たちも、神を求めることなどない!

 

8節:エフライムは、もろもろの民の中に混じり込む。エフライムは、片面しか焼けていないパンだ。

もろもろの民・・異邦の諸国(特にアッシリア)と交わる。中途半端に焼けたパンとは、神の民でありながら他国に依存している様子。

歴史的にみると、16代メナヘム王(BC.752~742)は、アッシリヤに同盟を求め、莫大な朝貢により凋落していった。そのため、18代ペカ王(BC.740~732)はアッシリヤとの同盟を止め、アラム、エジプトと組むもアッシリヤに攻められ、更に凋落して行く。

(Ⅱ列15:27~29)

注:「ペカが・・・王となり、二十年間王位にあった。」について。
新共同訳によれば、シャルムが王になる前に、ギルアドで別の権威を打ち立て、王位についていた。二重王の支配があったとされる。


9節:他国人が彼の力を食い尽くしても、彼はそれに気づかない。白髪が生えても、彼はそれに気づかない。

こうした諸国と交われば交わるほど国力は衰えるが、上層部はひたすら突き進む。
国民、国力の凋落も気にしないのだから、神の律法違反になど気付くはずもない。


10節:イスラエルの高慢はその顔に表れている。彼らは、自分たちの神、主に立ち返らず、このすべてがあっても、主を尋ね求めない。

このような状態を高慢と言わずして、何と言おうか?!
北イスラエルが愚行に気付き、悔い改めてほしいのだが、この民は主に返ることがない。神を無視するという究極の愚行に突き進む。


11節:エフライムは愚かな鳩のようで、良識がない。エジプトを呼び求め、アッシリアに飛んで行く。

賢い鳩は元の場所に戻るが(帰巣本能)、愚かな鳩は戻って来ずにさすらう。
北イスラエルの上層部はエジプト、アッシリヤを行ったり来たりで、神のもとへは戻らない!(Ⅱ列17:1~3)

 

12節:彼らが赴くとき、わたしは彼らの上に網を張り、空の鳥のように彼らを引き降ろす。彼らの群れの音を聞くとき、わたしは彼らを懲らしめる。

そんな愚鳩のような彼ら(北イスラエル)を、神は明確に裁かれる。
「群れの音を」とは、神の北イスラエルへの裁き・・アッシリヤ捕囚を指す。


13節:わざわいだ、彼らは。わたしから離れ去ったのだから。彼らは、踏みにじられるがよい。わたしに背いたのだから。わたしが贖い出そうとしているのに、彼らはわたしに向かってまやかしを言う。

「わざわいだ」・・もう救いようがない、どうしようもないという嘆き。神から離れてしまった以上、異邦人と同様、踏みにじられ滅びへと進む道しか残されていない。
神は、様々な手を用いて気付きを促したのに、そっぽを向き、偽りで応じてくる北イスラエル。

14節:心からわたしに向かって叫ばずに、自分たちの床の上で泣きわめいている。穀物と新しいぶどう酒のためには群がって来る。しかし、わたしからは離れて行く。

心は偶像に向かい、事があると神に向かわず寝台の上で泣きわめく。そんな彼らは富に積極的に群がるが、神には一切向かわず、むしろ離れて行く。

 

15節:わたしが訓戒し、彼らの腕を強くしたのに、このわたしに対して悪事を企む。

神は律法を与え、神の民として目標を与え、成長へと導いたにもかかわらず・・。

律法に従い、公正と正義を守り、戦いにおいては、神に信頼することで勝利することを学び、神の民として成長して行くはずだったが・・。


16節:彼らはいと高き方に立ち返らない。彼らは欺きの弓のようだ。彼らの首長たちは、ののしったために剣に倒れる。これはエジプトの地で、嘲りのもととなる。」

神に立ち返らない民は、狙っても外れる弓だとしている。(弓を正しく的に向けることのできない神の民。正しさが失せている。)そんな弓矢は、的外れ、つまり、罪が益々深くなる。
19代ホセア王(BC.732~722)は、アッシリヤに朝貢するも、エジプトに使者を遣わし、エジプトと組んでアッシリヤへの反撃を企てたが、アッシリヤ王に気付かれ、投獄される事となる。Ⅱ列17:1~8

思い起こせば、エジプトから神の力により、奇跡の大脱出を行った神の民が、今は見る影もない、その辺の民となっている。だから、エジプトの物笑いの種となる。

2022年04月21日