エズラ記9章1節~15節

1節:これらのことが終わった後、指導者たちが私のところに近づいて来て次のように言った。「イスラエルの民、祭司、レビ人は、カナン人、ヒッタイト人、ペリジ人、エブス人、アンモン人、モアブ人、エジプト人、アモリ人など異国の忌み嫌うべき習慣と縁を絶つことなく、

2節:かえって、彼らも息子たちも、これらの国々の娘を妻にし、聖なる種族がもろもろの地の民と混じり合ってしまいました。しかも、指導者たち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです。」

全焼のささげものなどの移動に関する全ての作業をやり遂げて、さて次はどのようにして律法をエルサレムの人々に指導して行こうかと、準備していた矢先・・・
エルサレムの指導者たちがエズラに語る驚愕の事実。雑婚!
列挙されている異邦人は、カナンの地の代表的民族である。申20:17~18を参照!
本来なら、異邦人とは縁を切る姿勢を取るのが神の民の姿。(申7:1~9)
雑婚が一般化しており、指導者、代表者が不信の罪の張本人だという事実。

ペルシアの支配のもと、王の存在が許されず、大祭司がリードする体制。その祭司、大祭司が雑婚の罪を犯し、それに倣う形で、一般化していったと想像される。
神の民として厳しく戒められていた雑婚は、簡単に民を俗世間化していた。
いくら喜んで全焼のささげものをしても、神の意向に従わないなら、虚しいばかり!

3節:私はこのことを聞いて、衣と上着を引き裂き、髪の毛とひげを引き抜き、茫然として座り込んでしまった。

4節:捕囚から帰って来た人々の不信の罪のことで、イスラエルの神のことばを恐れかしこむ者はみな、私のところに集まって来た。私は夕方のささげ物の時刻まで、茫然としてそこに座っていた。

茫然自失のエズラ。
衣と上着を引き裂く→悲しみの行為。 髪の毛と髭を引き抜く→怒りの行為。
すでに帰還していた民の不信に心痛める者たちも、エズラのところに集まってきた。
エズラは、夕方まで茫然として、座っていた。

 

5節:夕方のささげ物の時刻になって、打ちのめされていた私は立ち上がり、衣と上着を引き裂いたまま、ひざまずき、自分の神、に向かって手を伸べ広げて、

夕方のささげものの時刻(午後3時)にエズラは、ひざまずいて神に祈り始めた。
考えうる、最も謙虚な姿勢で祈るエズエズラ及び帰還した仲間たちが集っている
悔い改めの祈りをささげるときは、最も謙虚な心の姿勢で神に向かうことが重要!

6節:こう言った。「私の神よ。私は恥じています。私の神よ。私はあなたに向かって顔を上げることを恥ずかしく思います。私たちの咎は増し、私たちの頭より高くなり、私たちの罪過は大きく、天にまで達したからです。

エズラは執り成しの祈りをささげ始める。
「エルサレムの民の咎、罪過を知るに、私は恥じ入り、顔も上げられません。」
こうした執り成しの祈りは、モーセにも見られた。エズラには罪はないのだが。

 

7節:私たちの先祖の時代から今日まで、私たちは大きな罪過の中にありました。私たちのその咎のため、私たちや、私たちの王、祭司たちは、諸国の王たちの手に渡され、剣にかけられ、捕虜にされ、かすめ奪われ、面目を失って、今日あるとおりです。

かつての罪深きイスラエルについて回想するエズラ。
先祖から今日まで、罪過の中にあった。結果、捕囚となり、現在に至っている。
民も、王も、祭司も殺され、捕虜にされ、神殿はつぶされた。罪過のために。

簡単に捕囚、つまり神の怒りがすぐに下ったと思ってはならない。そこに至るまでに、神はどれほどの気付き、教え、導きを与えられたかを知るから、エズラは恥じるのである。

8節:しかし今、しばらくの間、私たちの神、はそのあわれみによって、私たちに逃れの者を残し、私たちのためにご自分の聖なる所に一本の杭を与えてくださいました。これは、私たちの神が私たちの目を明るくし、奴隷の身の私たちを少しでも生き延びさせてくださるためでした。

そんな私たちに、神はそのあわれみで、私たちに捕囚から解放者を与えてくださり、一本の杭(拠り所)である神殿を与えてくださった。正しい神の民の目線の回復、奴隷状態からの回復を与えてくださった。(アイデンティティ)


9節:事実、私たちは奴隷です。しかし私たちの神は、この奴隷の身の私たちを見捨てることなく、かえって、ペルシアの王たちによって恵みを施し、私たちを生かして、私たちの神の宮を建て直させ、その廃墟を元に戻し、ユダとエルサレムに石垣を下さいました。

実際、神はペルシアの王を用いて、奴隷の私たちを回復させ、神殿再建へと導いた。
どんな時も、神は民を愛し、導いて、回復させ、成長させようと考えておられる。


10節:こうなった今、何と言えばよいのでしょうか。私たちの神よ、私たちはあなたの命令を捨てたのです。

そんな神の愛に対して、真っ向から逆らうことをするこの民に何の申し開きができましょう。

神の愛に気付かず、神の戒めを無視して、恵みばかりを受け取る愚かな行為を、エズラは心底から恥じている。

11節:あなたは、あなたのしもべである預言者たちによって、こう命じておられました。『あなたがたが入って行って所有しようとしている地は、異国の汚れで汚れた地、忌み嫌うべき行いによって隅々まで汚れで満ちてしまった地である。

12節:だから今、あなたがたの娘を彼らの息子に嫁がせてはならない。また、彼らの娘をあなたがたの息子の妻にしてはならない。永久に彼らの平安も幸せも求めてはならない。それは、あなたがたが強くなり、その地の良い物を食べ、これを永久にあなたがたの子孫の所有とするためである』と。

神が命じられた内容…モーセ契約(出エジ34:11~16参照)アモリ人、カナン人・・の部分は9章1節と関連づけられている。こうした原則的な神のことばを、預言者たちは語っていたと思われる。
神の仰せ・・・・
「これから所有しようとする土地は異国の汚れた地。この地を子孫に永久に所有させ、強くなり、豊かさを願うなら、土地の異邦人と姻戚関係を結んではならない。」
この命令を受けつつ、神殿再建は実現した。

エズラがどれほどに、神の愛に対して感謝しているかを察することができる。

「律法を皆に教えて」という考えは消え去って、この罪の贖いをどうすればよいかを必死に考えている。

13節:私たちの悪い行いと大きな罪過のゆえに、様々なことが私たちの上に起こりましたが、私たちの神、あなたは、私たちの咎に値するよりも軽い罰を与え、逃れの者をこのように私たちに備えてくださいました。そのようなことの後で、

14節:私たちは再びあなたの命令を破って、忌み嫌うべき行いをするこれらの民と、姻戚関係に入ってよいのでしょうか。あなたは怒って、ついには私たちを絶ち滅ぼし、残りの者も、逃れの者もいないようにされるのではないでしょうか。

神は、それらの全てを大目に見て下さり、とても軽い刑罰で済ませ、むしろこうして、帰還民を与えてくださいました。
それほどまで私たちに寛大な対応をしてくださったのに、神の忌み嫌うべき行いをする異邦の民と姻戚関係になってしまいます。果たして赦されるでしょうか?
この民と共に、私たちもあなたの怒りに触れ、滅ぼされてしまうのでしょうか?
エズラの祈りは、民の罪に動揺し、もうどうして良いかわからない状態を訴えている。

15節:イスラエルの神、よ、あなたは正しい方です。まことに、今日あるとおり、私たちは逃れの者として残されています。ご覧ください。私たちは罪過を負ってあなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないにもかかわらず。」

正しい方。→新共同訳:恵み深いお方。
あなた(の恵み)によって、今このようにして帰還者として、主の御前にいます。

イスラエルの民として、罪過を負って、あなたの御前にひざまずくことしかできません。

2023年08月11日