エレミヤ書20章7節~18節
7節:「主よ。あなたが私を惑わしたので、私はあなたに惑わされました。あなたは私をつかみ、思いのままにされました。私は一日中笑いものとなり、皆が私を嘲ります。
※エレミヤは、この時の心境を吐露する。「自分は預言者の働きを求めなかった。」
・神に導かれ(誘われ)、神は私を思いのままになされました。
※惑わした(ヘ)pata・・誘惑する、説得される、の意味。
※神の誘惑に従い(神に説得され)、預言者になり、預言を語っていた、という感じ。
・しかし、その結果は人々の笑いものとなっている。
8節:私は、語るたびに大声を出して『暴虐だ。暴行だ』と叫ばなければなりません。主のことばが、一日中、私への嘲りのもととなり、笑いぐさとなるのです。
・エレミヤの仕事は、とにかく「暴力と破壊が来る!」と一日中叫ぶもの。
※いつ起こるとも分からない「破壊の脅威」を伝えても嘲笑の的となるだけ。
・恥辱と軽蔑がエレミヤにもたらされるだけ。
9節:私が、『主のことばは宣べ伝えない。もう御名によっては語らない』と思っても、主のことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて、燃えさかる火のようになり、私は内にしまっておくのに耐えられません。もうできません。
・エレミヤは、預言者の責務から退こうともした。
・しかし、主のことばが心や骨の内で燃え盛り、しまっておくことができない。
・それ故、エレミヤは神のことばを語ると言う。
10節:私が、多くの人のささやきを聞いたからです。『「恐怖が取り囲んでいる」と告げよ。われわれも彼に告げたいのだ』と。私の親しい者もみな、私がつまずくのを待ちかまえています。『たぶん彼は惑わされるから、われわれは彼に勝って、復讐できるだろう』と。
・エレミヤは、周囲の多くの囁きを聞いて発奮した。
※「多くの人」(ヘ)enoshe ・・男、人、人類、の意味。
・「エレミヤよ、お前の周りを恐怖が取り囲んでいる。」という囁き。
・彼らは、エレミヤの失敗を待ち構えていて、自分たちの正当性と勝利を信じている。
・預言者を馬鹿にする偽預言を、彼らは口走っている。
第一次捕囚(ダニエルたちの小捕囚)があって1年後の現在。彼らは、エレミヤの以前から語る大規模な破壊や大捕囚はなく、小規模で終わったと思い、エレミヤを笑っていたのだろう。
ちなみに、エレミヤの預言開始から大捕囚まで30年、エレミヤの預言開始から神殿破壊まで41年である。
11節:しかし、主は私とともにいて、荒々しい勇士のようです。ですから、私を迫害する者たちはつまずき、勝つことができません。彼らは成功しないので、大いに恥をかき、忘れられることのない永久の恥となります。
・強大で恐ろしい存在である神と、その神が共にいることを再認識したエレミヤ。
※エレミヤは、神がどんな時も彼のいのちを守ると約束されたことと、神の預言の成就を確信していた。
・反逆者たちは、必ず失敗し、恥をかくことになる。その恥は永遠の恥である。
12節:正しい者を試し、思いと心を見る万軍の主よ。あなたが彼らに復讐するのを私に見させてください。私の訴えをあなたに打ち明けたのですから。」
・人の見えない心の思いを探り、試みをもってその思いをあらわす神。
※エレミヤは、自分が試されたこと、そして正しく神の領域にあることを認識。
・そんな私エレミヤに、あなたの復讐を見させてください。神の義の成就。
・今、エレミヤは自分の心を見られても、問題ないと確信している。
13節:主に向かって歌い、主をほめたたえよ。主が貧しい者のいのちを、悪を行う者どもの手から救い出されたからだ。
・貧しい者は、エレミヤと他の正しく生きる少数の人々をさす。彼らは救い出される。
・最後は賛美する。
14節:「私の生まれた日は、のろわれよ。母が私を産んだその日は、祝福されるな。
・再び否定的なエレミヤの思い。(ヨブ3:3~12参照・・生まれてきたことを呪うヨブ)
・自分の出生は呪わしい事。預言者となる運命を呪っている。
※神が与えた預言者という働きと、必死に格闘しているエレミヤの姿。
※この時エレミヤは、預言者という働きを誇ってはいない。
15節:のろわれよ。私の父に、『男の子が生まれた』と知らせて、大いに喜ばせた人は。
16節:その人は、主があわれみもなく打ち倒す町々のようになれ。朝には彼に悲鳴を聞かせ、真昼には、ときの声を聞かせよ。
・男子誕生の知らせをした人物は呪われよ!あわれみは不要!
・神が町々を滅ぼすときのように、一気に滅ぼされよ!
・朝に敵は攻め入り、昼には敵の勝利を宣言する勝鬨の声が上がる如くに。
17節:彼は、私が胎内にいるときに私を殺さず、母を私の墓とせず、その胎を、永久に身ごもったままにしなかったからだ。
・「彼は」とは誰か?出産に関わった16節の「その人」。
・エレミヤが母の胎で死んでいたら、母がエレミヤの墓となっていた。
・しかし、そうはならなかった。
18節:なぜ、私は労苦と悲しみにあうために胎を出たのか。私の一生は恥のうちに終わるのか。」
・結局、エレミヤは生まれ、労苦と苦しみの人生となる。
・私は恥のままで終わるのだろうか?
・最後の「・・終わるのか」は、預言者の働きを放棄するつもりがないことを示す。
※マタイ16:13~14にエレミヤの名が登場。
※イエス様はエレミヤの甦りと言われた。つまり、孤高なる悲しみの人。
エレミヤ20:14~18に関する吉田所感
<周囲、とりわけ故郷の祭司たちへの姿勢表明>
■14~15節
・エレミヤの誕生の日を「呪われよ、祝福されるな」という理由は何か?
※当時の祭司として生まれていたら神の祝福はない!邪悪な世の流れの祝福。
・父に「男の子が生まれた」と知らせて「喜ばせた人」は呪われよ。
※エレミヤの出身地はアナトテで祭司の町である。「喜ばせた人」は、その地の祭司の代表か何かだろう。当時の祭司は神に従ってはいなかった。
■16~17節
・(バビロン捕囚のように)町々が破壊されるように、一気に破壊されよ!
・お前たちは、いっそのこと私を殺しておけば、私の預言は受けなくてよかったのに!
■18節
・「なぜ、私は労苦と悲しみにあうために胎を出たのか。」→それは、お前たちに神のことばを預言し、気付きを促すためだ。
・「私の一生は恥のうちに終わるのか。」→終わらない!神の預言は必ず成就する!
エレミヤ20章に関する吉田所感
<迫害、逆境に立ち向かうエレミヤの姿勢>
■1~6節
・パシュフルの激しいエレミヤ迫害と、それにひるまず預言するエレミヤの姿勢。
■7~9節
・神に導かれて預言者になり、日々、神の裁きを訴えるがすべて嘲笑の的となる。
・預言者を止めようと思っても、神の怒りに自身が共感して、預言を止められない。
■10~13節
・多くの人がエレミヤの失敗を期待するが、神が私を守り、人々に恥をかかせる。
・神はその義を裁きによって示される。私たちは賛美する。
■14~18節
・私は預言者として、母の胎の時から決められていた。
・それを自分の仲間となる祭司として生まれたと喜ぶ者はのろわれよ!
『預言の本質』
・エレミヤは、とても厳しい迫害を受けたにもかかわらず、神の預言を語り続けた。近未来的預言もあれば、遠未来的預言があり、更に遠未来預言は新約聖書に更に詳しく記されている。
・エレミヤの時代も、祭司パシュフルに預言するのだが、彼はその言葉を受け入れない。そして、その預言は成就する。これを見て、遠未来の預言も成就するものだと理解できないのだろうか?
・預言は、その言葉が語り続けられている限り、間違いなく気付きの促しである。つまり神は預言の対象者にほんのわずかでも期待しているのである。それはまさしく、神の愛にほかならない。
・新約時代に入り、聖書の中に奥義が示され、聖書中の預言が明確に示されている。神は、人類が聖書を通して真理を知り、神の愛を見出して、希望をもって歩むことを願っておられる。
「かつて書かれたものはすべて、私たちを教えるために書かれました。それは、聖書が与える忍耐と励ましによって、私たちが希望を持ち続けるためです。」ローマ15:4