ミカ書2章10節~13節

10節:さあ、立ち去れ。ここは憩いの場所ではない。ここは汚れで滅ぼされるからだ。それはひどい滅びだ。

上層部(偽預言者)に支配されている人々(残れる者たち)への警告。

神、そして民を裏切り、人々を苦しめて、自分は「憩いの場所」であると思っている上層指導部(偽預言者)の元にいてはいけない。すぐにここを立ち去れ!

常に、神を見上げる位置、神に従う位置、そして in Christ の位置を確保しよう!

神の期待を無視する汚れた者たちを、神は徹底的に裁かれる。
近未来の捕囚を指すと共に、遠未来の大患難時代を指している
こうした近・遠未来の預言は、人間の愚行の反復性を示すと共に、この繰り返しが、「残れる者」の選別であると知るべきではないか!
これは、今も私たちへのメッセージとなっている!

11節:もし人が風の赴くままに歩き回り、『私はあなたがたに薦めよう。ぶどう酒と強い酒を』と偽って言うなら、その者は、この民に戯言を言う者だ。

風の赴くままに・・とは、「神と共に」ではなく、自分の思い(世の流れ)で歩き回る。
「私はあなたがたに薦めよう。ぶどう酒と強い酒を」と言って、この世の生き方を勧め、神の期待に沿わない虚言者こそ、偽預言者である。⇒反キリストをイメージさせる

アモス2:11~12、すでに同様の預言が示されているが、このように人間の罪の繰り返の中で、残れる者の選別がなされている
ここでは、近未来というより遠未来の預言である。終末の事態を、神は人々の前に示されている。全人類に示す法廷判決である!

12節:ヤコブよ。わたしは、あなたを必ずみな集め、イスラエルの残りの者を必ず呼び集める。わたしは彼らを、囲いの中の羊のように、牧場の中の群れのように、一つに集める。こうして、人々のざわめきが起こる。

10~11節において、「人の心をたぶらかす様な、戯言を言う者が現れたなら、立ち去れ。滅ぼされるから。」と神は語る。その民とは「残れる者」である。ゼカリヤ書によれば、それはイスラエルの3分の1の人数。(ゼカリヤ書13:8)
冒頭に「ヤコブよ」と語る神の目には、残れる者、真の礼拝者が映っている。
その「残れる者」を、神は必ず呼び集めると言われる。それは逃れの地を指す。 

終末における「逃れの地」とは、どこか? 
イザヤ:33:16「岩の上の要害」
ダニエル11:41「ヨルダンの東側の地域」
マタイ24:16「山に逃げる」
黙示録12:6「荒野に逃げた」
「逃れの地(町)」が明確に示されているのがミカ書である。
「囲いの中の羊のように」は、町の名前を“言葉遊び”的に表現したものとみる。
文中の「囲い」とは、ヘブル語で「ボツラー」であり、ボツラの羊・・と訳せる。
ヘブル語「ボツラー」は、エドムの地のボツラを指し、現在のペトラにあたる。
ミカの言葉遊びという表現法で書かれた。

そして、羊と言う「信仰の群れ」の暗示がある。
一つに集められた民(残れる者)はどうなるか?⇒ゼカリヤ書13:9
この時、イスラエルの民はメシアを信じ、一つの共同体となる。
「こうして、人々のざわめきが起こる」・・(再臨の)メシアの暗示!

13節:打ち破る者は彼らの先頭に立って上って行く。彼らは門を打ち破って進み、そこを出て行く。彼らの王が彼らの前を、主が彼らの先頭を進む。」

「打ち破る者」とは、メシア(再臨のイエス・キリスト)を指す。
キリストを信じた者たちの勝利の行進である。
彼らはその包囲を打ち破り、囲い(ボツラ)を出て進んで行く。主(再臨のイエス様)が、その先頭を歩み、水先案内人の如く、彼らを導く。
イスラエルの民が、真の神に信頼し、メシアを王として崇め従う姿が浮かぶ。

 

1~2章を一つのくくりと考えるとき、神の冒頭の言葉が印象深い
全人類に示した判決は、大患難時代であり、またメシア的王国の到来である
人は戯言と言うが、これが御国の福音である!!

2022年09月09日