エレミヤ書7章16節~8章3節
16節:あなたは、この民のために祈ってはならない。彼らのために叫んだり、祈りをささげたりしてはならない。わたしにとりなしをしてはならない。わたしはあなたの願いを聞かないからだ。
17節:彼らがユダの町々や、エルサレムの通りで何をしているのか、あなたは見ていないのか。
・この民のための祈りは、執り成しも含めて厳禁!裁きは決定的ということ。(エレミヤへの念押し)
・この個所を含めて、神は3回(11:14、14:11)指示。
・エレミヤはこれに逆らい2回(14:19~22、18:20)祈る。
・エレミヤよ、町を分析して知っているだろう。エルサレムの通りがどうなっているのかを・・。
18節:子どもたちは薪を集め、父たちは火をたき、女たちは麦粉をこねて『天の女王』のための供えのパン菓子を作り、また、ほかの神々に注ぎのぶどう酒を注いで、わたしの怒りを引き起こそうとしている。
・家族が一丸となって偶像礼拝している姿が示される。
・子供、夫が薪と火を受け持ち、妻が主導して「天の女王」への供物(パン菓子)を作っている。
・「天の女王」とは、女神イシュタル。「愛の女神」とも言われる。戦争の神であり、性愛と生殖の象徴とされる。
・この神は神殿娼婦、同性愛にもつながる偶像。
・「天の女王」以外の神々も崇めていた民。
・カナンのバアル神、アシェラ、タンムズ・・など
・神の目には、祖先の宗教を否定し、意図的に神を怒らせているように見える。
女神イシュタル、バアル神、モレク神について
女神イシュタル
・メソポタミヤ文明、特にアッシリヤやバビロンにて崇拝された女神。
・昼は戦争、夜は愛の神としての性質。愛、戦争、性、豊穣をつかさどる女神。
バアル神
・カナン地方(約束の地)で崇拝された、農業、天候、豊穣と繁栄をつかさどる男神。
・バアルの妻アシェラやアナトなどの家族関係にある多神教。
イシュタルは愛、性、戦争を象徴するが、バアル(土着)は天候や力を象徴する。異なる文化圏の神。
収入の安定化(バアル神)、肉体的欲求の実現(イシュタル女神)を求めるイスラエルの民。
モレク神
・カナン周辺地域の神で、火を通じた幼児犠牲の儀式が行われた
・ヒノムの谷のトフェトに祭壇(神殿とも)があったとされる。
・バビロン捕囚以降衰退し、ローマ時代には消退した。火・豊かさの神と考えられていたと思われるが詳細は不明。
19節:わたしの怒りを彼らが引き起こしているというのか──主のことば──。むしろ、自分たちを怒らせ、自分たちの恥をさらすことになっているのではないか。」
・しかし、最後には自分たちの失敗に対する怒りがこみ上げ、自分たちの恥と知るのではないか。
・「後悔、先に立たず。」
20節:それゆえ、神である主はこう言われる。「見よ。わたしの怒りと憤りは、この場所に、人と家畜、畑の木と地の産物に注がれ、それは燃えて、消えることがない。」
・なぜなら、神の裁きはこの場所の人々、家畜、産物すべてに及び、燃え尽くされるからである。
21節:イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。「あなたがたの全焼のささげ物を、いけにえに加え、その肉を食べよ。
・「全焼のささげ物(常供の全焼のささげ物)」→すべて焼かれて、神に捧げられる。
・「いけにえ」→自分たちの罪のためのいけにえ。
・神は、民からささげられるものには、何の興味もない。→単なる肉だから、自分たちで食べれば~。心がなければ単なる「上等な肉」にすぎない。
22節:わたしは、あなたがたの先祖をエジプトの地から導き出したとき、彼らに全焼のささげ物や、いけにえについては何も語らず、命じもしなかった。
23節:ただ、次のことを彼らに命じて言った。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。あなたがたが幸せになるために、わたしが命じるすべての道に歩め。』
・エジプト解放(出エジ19:5)の時、先祖に伝えた事は、犠牲やいけにえのことよりも「神の声に従う事」。
・服従心、忠誠心を持てば、神はあなたがたの神であり続け、祝福が与え続けられるということである。
服従のプロセスで犠牲がなされる。服従が原点。私たちの賛美も同じことに注目!
・イスラエルは神への従順を学び、シナイ山で律法を受け、神の戒律を得、その後、犠牲に関する律法を得た。
人が豊かになり、戒めを破るたびに犠牲を捧げることが容易になり、人々は罪、そして神に対して鈍感になって行く。神は過去からずっと服従、忠誠の心を重要視していた。
「犠牲さえ捧げておけば・・」という発想は本末転倒である。私達も十分に注意が必要!
24節:しかし、彼らは聞かず、耳を傾けず、頑なで悪い心のはかりごとによって歩み、前進どころか後退した。
25節:あなたがたの先祖がエジプトの地を出た日から今日まで、わたしはあなたがたに、わたしのしもべであるすべての預言者たちを早くからたびたび遣わしたが、
26節:彼らはわたしに聞かず、耳を傾けもせず、うなじを固くする者となり、先祖たちよりも悪くなった。
・彼らは、これまでもずっと神の言いつけを聞かず、反する生き方を選び、前進どころか後退した。
・出エジプトの時からこの方、神は預言者を何度も遣わしたが全て無視し、その態度は先祖より悪化。
27節:あなたが彼らにこれらのことをすべて語っても、彼らはあなたに聞かず、彼らを呼んでも、彼らはあなたに答えない。
28節:そこであなたは彼らに言え。この民は、自分の神、主の声を聞かず、懲らしめを受け入れなかった民だ。真実は消え失せ、彼らの口から断たれた。
・従って、エレミヤのことばにも聞く耳は持たない彼ら。返事も応答もしない。
・故に彼らに神の宣言を伝えよ。
『この国の民は神を捨て、神を無視し懲らしめを拒んだゆえに、彼らから真理は断たれた。もう、神の民ではない異邦人化した民だ。』
※ 「この民は、」→原語「国・人々」(ヘ)goy→主に異邦人国家を対象に用いられる。
29節:『あなたの長い髪を切り捨て、裸の丘の上で哀歌を歌え。主が、御怒りを引き起こした世代を退け、捨てられたからだ。』
・「長い髪を切り捨て、」・・ナジル人の誓願(民6:1~21)
・汚れたナジル人の髪を切り捨てよ!→イスラエルはナジル人の髪の毛のように切り捨てられよ!
・「裸の丘の上で哀歌を歌え」・・偶像礼拝の祭壇で悲しめ、嘆け!神の怒りが背信の人々に下るから!
30節:それは、ユダの子らが、わたしの目に悪であることを行ったからだ──主のことば──。彼らは、わたしの名がつけられているこの宮に忌まわしいものを置いて、これを汚した。
31節:また自分の息子、娘を火で焼くために、ベン・ヒノムの谷にあるトフェトに高き所を築いたが、これは、わたしが命じたこともなく、思いつきもしなかったことだ。
神は人間の犠牲を求めたことは無い。アブラハムによるイサクの犠牲は、アブラハムの正義と信仰を示させるためであり、イサクを殺させる意図はなかった。備えられていた羊の存在がそれを示す。(創22:6~13)
・見捨てる理由が示される。
①神殿に忌まわしいものを置いた。→宮の敷地内に偶像を設置【Ⅱ列16:10~18(アハズ王)、21:4~9(マナセ王)】
②ベン・ヒノムの谷のトフェトで、娘、息子の人身御供。(レビ18:21により禁止)
<豆知識>
・ベン・ヒノムの谷・・(へ)Gei Hinnom→(ギ)Geenna→(英)Gehena(ゲヘナ)・・「火の池」の語源。
・ベン・ヒノムの谷のトフェトに高台を築き、人が焼かれた。そのことが火の池で、罪人に対して起こる。
・人身御供はモレク神に捧げられるもので、銅製のモレク像の広げた腕に子が置かれ下から点火される。
・子供のうめき声を太鼓でかき消す。うめき声(honem)から、hinnomとなったといわれる。
32節:それゆえ、見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、もはやそこは、トフェトとかベン・ヒノムの谷と呼ばれない。ただ虐殺の谷と呼ばれる。人々はトフェトに、隙間がないほどに葬る。
・「トフェト(焼き場)」とか「ベン・ヒノムの谷(息子たちの嘆き)」と言う名ではなく、「虐殺の谷」と呼ばれる日が来る。その日は、隙間のないほど死体が埋葬される。
33節:この民の屍は、空の鳥や地の獣の餌食となるが、これを追い払う者もいない。
34節:わたしは、ユダの町々とエルサレムの通りから、楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声を絶えさせる。この地が廃墟となるからである。」
・死体が多すぎて、鳥や獣がそれらを餌とする。しかし、追い払う者はいない。
・神は、ユダの町々、エルサレムから楽しみや喜び、未来の幸い(続く家系)の全てを取り去る。
・この地が何も生まない廃墟となる。
・この預言は、バビロン捕囚と言うよりも、AD70年の神殿崩壊で成就したと考えられる。
8章
1節:「そのとき──主のことば──人々は、ユダの王たちの骨、首長たちの骨、祭司たちの骨、預言者たちの骨、エルサレムの住民の骨を、墓から取り出し、
2節:それらを、彼らが愛し、仕え、従い、伺いを立て、拝んだ日や月や天の万象の前にさらす。それらは集められることなく、葬られることもなく、地の面の肥やしとなる。
・ 「そのとき」・・とは神が裁かれる未来のときを指している。(いずれ来る未来に起こること)
・5つの要素と3つの要素で、天の万象の礼拝者と彼らの末路を示している。
1.ユダ王たち、2.首長たち、3.祭司たち、4.預言者たち、5.エルサレム住民、の骨
1.愛し、2.仕え、3.従い、4.伺いを立て、5.拝んだ
1.集められず、2.葬られず、3.地の表の肥やしとなる (詩篇141:7)
・天の万象礼拝→「アストラル礼拝」→「星々(天体)の宗教」。特にバビロニア、アッシリア、カナンなどの地域で、太陽神(シャマシュ)、月神(シン)、星座を崇拝した。当時の占星術と密接に関係した。
・「日や月や天の万象の礼拝」は、申4:19で禁止されている。創造主なる神の産物であることを知れ!の意味。
・バビロン捕囚前から存在する偶像礼拝(Ⅱ列21:3など)。マナセの時代には常態化していた。
3節:また、この悪しき一族の中から残された残りの者はみな、わたしが追いやったすべての場所で、いのちよりも死を選ぶようになる──万軍の主のことば。
・裁かれずに残された者たちは、生き延びることなく、死を望み、死んでゆくことになる。
・偶像礼拝者の行く末は、何処まで行っても哀れな結果となる。
『見えないものを見る力』
・様々な偶像に礼拝を捧げていたイスラエルの民。「どうせ拝むなら、拝み甲斐のある方が・・」と言う感覚ではなかったかと想像します。
・私も、クリスチャンになる前は、親戚の影響で尾道の寺に檀家となり、それらしくしようとお経を覚え、墓に花を供え、お盆やお正月には住職を招き・・と言ったことをしていました。喜んで!
・こうしてクリスチャンになって、如何に外見的なことにばかりに目が向いていたのかよくわかります。常に周囲の目を意識して行動することが、いつの間にか自慢や高慢になっていました。
・神は私たちの心がどこを向いているかを、いつも見ておられます。決して、周囲への自慢や見栄や同調意識で行動する事を良しとはされません。それが霊的成長を阻害するからです。(心の目を閉じてしまう)
・私たちは見ることのできない神を、信仰という心の目ではっきりと認識しています。私たちの目には見えない空気の、その中の酸素が、私たちの命を支えているのと同様です。
「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。」 ヘブル11:3