エレミヤ書31章2節~14節
2節:主はこう言われる。「剣を免れて生き残った民は荒野で恵みを見出す。イスラエルよ、出て行って休みを得よ。」
・イスラエルの民の患難時代の厳しい状況が示される。
・「剣を免れて生き残った民」・・3分の1のユダヤ人・・「残りの者(レムナント)」。
・レムナントは荒野(ボツラ)で「恵み」→「休み」を得る。
※「休み」・・(ヘ)raga・・休憩の意味→文脈から「救いの休息」の意味。
・荒野で苦難を生き延び、そこでついに神は救いを得させる。
3節:主は遠くから私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。
・「遠くから」・・(ヘ)rahog・・「遠い」→距離的意味と時間的意味がある。
※F博士は、「古くから」という時間的意味で解釈している。
※過去の預言者を通して、わたし(イスラエル)に、以下のように言われてきた。
・「永遠の愛をもって・・愛した」→古くから神は、イスラエルへの愛を示してきた。申7:8
※永遠の愛という言葉には、滅びることがないという意味が示されている。
・「真実の愛を尽くし続けた」・・「真実の愛」は、罰も伴って与えられる。
神の愛とは、イスラエルが回復するまで、イスラエルを神の愛に引き付け続けること
4節:おとめイスラエルよ。再びわたしはあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び踊る者たちの輪に入る。
5節:再びあなたはサマリアの山々にぶどう畑を作り、植える者たちは植え、その初物を味わう。
・神の3つの約束が示される。
①「おとめイスラエル」と呼ばれる。→姦淫の妻ではなくなる。
※エレミヤ18:13、ホセア1:2(姦淫の女)
※神は彼らの罪を思い出さず、罪を清める。イザヤ43:25
※再び「おとめ」として回復し、神の妻となる。
②この回復にイスラエルの民は歓喜する。
③最終的な回復は、ユダだけではなく、サマリヤ(北王国)にも及ぶ。
※作物を植えても他の侵入などのために収穫が不作だったが、これが豊作になる。
※初物→約束の地が回復したあと、初の作物。
生産性の回復は、約束の地の回復ということであろう。
6節:エフライムの山で、見張る者たちが『さあ、シオンに、私たちの神、主のもとに行こう』と呼びかける日が来るからだ。」
・「エフライムの山の見張りが・・・呼び掛ける日が来る」
※エフライムの山→北イスラエルの地
※通常 「見張り」 は敵を知らせるが、この時は見張りがエルサレムに誘う日となる。
・「シオン、主のもとへ」・・神が一人の救い主として、エルサレムからすべてを統治される。
※エルサレムが礼拝の中心となり、エルサレムに行くことは神の実存に入ることを指す。
※見張りもその仕事を止めて、「シオンに、主のもとに行こう」と誘う光景。
◎実存→見える存在であること。
◎臨在→見えないが存在しているということ。(神に用いられる)
7節:まことに、主はこう言われる。「ヤコブのために喜び歌え。国々のかしらに向かって叫べ。告げ知らせよ、賛美して言え。『主よ、あなたの民を救ってください。イスラエルの残りの者を。』
・神の宣告が示される。
・「国々のかしら」(ヘ)rosh・・頭、頂点・・イスラエルは国々の頂点となっている。
※大患難時代終了時、霊的祝福を受けて救われるイスラエル。
・その彼らに、「イスラエルの民を、残りの者たちを救ってください」と賛美して言わせよ!
8節:見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中には、目の見えない者も足の萎えた者も、身ごもった女も臨月を迎えた女も、ともにいる。彼らは大集団をなして、ここに帰る。
・帰還の説明がなされる。
北の国・・バビロンを指す。
地の果て・・全世界から→まさに終末の光景
※全世界からイスラエルの残りの者たちが帰還してくる。
盲人や足萎え、妊婦なども含め、大集団で帰還してくる。すべて神が導かれて、帰還が実現する。
9節:彼らは泣きながらやって来る。わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。わたしは彼らを、水の流れのほとりに、つまずくことのない平らな道に導く。まことに、わたしはイスラエルには父であり、エフライムはわたしの長子である。」
・「泣きながら」・・悔い改めながら帰還する。そして神は彼らを慰める。
・「水の流れのほとり」・・豊かな土地を意味し、生活の手段を得ていることを示す。
・「つまずかない平らな道」・・すべての障害は取り除かれて帰還できる状態を示す。
・こうして帰還できる理由→イスラエルの父が神であり、その長子がエフライムだから。
※創48:17~19
10節:諸国の民よ、主のことばを聞け。遠くの島々に告げ知らせよ。「イスラエルを散らした方がこれを集め、牧者が群れを飼うように、これを守られる」と。
・諸国への宣言。14節まで、諸国にイスラエルの祝福について説明される箇所。
・神はイスラエルの民を離散させたが、羊飼いのごとく帰還させて守られる。
※この宣言により偽の神学(置換神学、無千年王国主義)は崩壊する。
※イスラエルが教会に取って替わり祝福はないという見解は崩れる。
11節:主はヤコブを贖い出し、ヤコブより強い者の手から、これを買い戻されたからだ。
・「贖い」・・(ヘ)pada・・身代金、身代金を支払った後の自由な状態。
・「買い戻される」・・(ヘ)gaal・・贖い、親族が贖い主となる行動、という意味。
※レビ25:25
・「ヤコブより強い者」・・患難期の反キリスト。エルサレムを支配する最後の異邦人。
※神はイスラエルを反キリストとその勢力から解放し、自由な状態にされる。
12節:彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、主が与える良きものに、穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油、羊の子、牛の子に喜び輝く。彼らのたましいは潤った園のようになり、もう再び、しぼむことはない。
・残れる者たちは、エルサレムで喜ぶ。
・神が備えてくださった豊かな農作物や家畜のすべてに歓喜する。
※土地も潤い、残りの者たちの心も潤うことになる。もうしぼむことはない。
13節:そのとき、若い女は踊って楽しみ、若い男も年寄りも、ともに楽しむ。「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。
14節:祭司のたましいを髄で潤す。わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。──主のことば。」
・メシア的王国の実現に、老若男女皆が楽しみ喜ぶ。
・悲しみが喜びに、憂いが楽しみに変わる。
・「髄」・・(ヘ)deshen・・脂肪、脂肪と灰(脂肪の灰)の意味。祝福を指している。
※(英)神は祭司の心に豊かさを堪能させる。祭司の活動の再開であろう。
※同様に民は、霊的にも物理的にも祝福され、恵みに満ちる。
イスラエルの祝福が諸国に宣言され、ここにイスラエルの祝福は成就する。
人間の偽りの希望は消え去り、真の希望である神の約束は果たされることになる。
『主の喜び』
・イスラエルの民は、厳しい裁きの後に与えられる最後の祝福と恵みを受けて、その素晴らしさに心から喜ぶ。かつて想像していたものとはまるで異なる最高の恵みに民全員が歓喜する。
・人類が創造されてからどれほどの月日が流れたか。その歴史は、頑なな民に対する神の愛と忍耐の歴史でもある。民の救いは、神にとっても安堵感を伴う大変な喜びであろうと想像する。
・私たちは、恵みの時代にあって神に信頼する人生を選択した。その選択を神は、わが子として迎えるほどに喜んでくださり、その喜びは、終末のユダヤの民の救いに劣るものではない。
・御子が、命をかけて十字架にかかり、真理の道を示された。命がけの説得を心から信頼し、心の底から素直に応答した私たちを、神はどれほど喜ばれているかは明白である。
「あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪びとが悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。」ルカ 15:7