ホセア10章1節~15節

1節:イスラエルは生い茂るぶどうの木。それは多くの実をつけた。実が増えるにしたがって祭壇の数を増やし、その地が豊かになるにしたがって石の柱を豊かにした。

ぶどうの木が生い茂る如く、祝福されたイスラエル。それは神の約束の成就。しかし、彼らはその祝福(恩)を神に返さず、偶像に向ける。豊かさに乗じて、石柱(偶像礼拝)を増やす。石柱は、申16:21~22で禁止されている!

2節:彼らの心は偽りだ。今、彼らはその罰を受ける。主が彼らの祭壇を壊し、彼らの石の柱を踏みにじられる。

そんな彼らの不信仰(偽りの信仰)に対する罰を、今、彼らは受けねばならない!
主はその祭壇も石柱も破壊する。主がアッシリアの侵略の歯止めを外されるということ。


3節:今、彼らは言う。「私たちに王はいない。私たちがを恐れていないからだ。王がいても、私たちに何ができるだろうか。」

こうして神の罰を受けるとき、彼らは気付く。真の王とは、神が選ばれた者であるべき。自分たちの王は偽物だ。神からの祝福を受けない王は、結局、何の役にも立たない。
「私たちが主を恐れていないからだ。」と、裁かれたときに気付き、嘆き悲しむ。
そして彼らは、自分たちは何をすべきか?と考える。(これは、北イスラエルであり、更にイスラエルの民全体をも対象にしていると考えられる)


4節:彼らは無駄口をきき、むなしい誓いを立てて契約を結ぶ。さばきは、畑の畝の毒草のように生い出る。

「無駄口」とは口伝律法か?「むなしい(偽りの)誓いを立てて契約を結ぶ」とは、ダニエル書にある反キリストとの契約。そして、さばきが来る。この「さばき」は大患難時代。


5節:サマリアの住民は、べテ・アベンの子牛のことでおののく。その民はそのことで喪に服し、偶像に仕える祭司たち、その栄光を喜んでいた者たちも喪に服す。栄光が子牛から去ったからだ。

ベテ・アベン(ベテル)にある偶像「金の子牛」のことでおののく。大国は金を狙う。崇めていたものが奪われ、偽祭司も含め民は喪に服すようになる。(己の愚かさに気付く)


6節:それはアッシリアに持ち去られ、大王への贈り物となる。エフライムは恥を受け、イスラエルは自分のはかりごとで恥を見る。

アッシリアとはアッシリヤ帝国ではなくメソポタミアを指し、大王は反キリストを指す。
よって、この個所は、大患難時代を指していると解釈すべき。

その理由として・・・

北イスラエルはアッシリアに朝貢はしていたが、契約(4節)締結の歴史的事実はない。「大王」とは、他の訳では、ヤレブ王(言い争う王)とある。これは実在していない。

メソポタミア地域から出る反キリストへの贈り物となる。つまり、北イスラエルでも、また、大患難時代においても、財産は敵(反キリスト)に奪われるという意味。
イスラエルは、(神を忘れ)自分たちの策に溺れ、恥を見る結果となる。

7節:サマリアは滅び失せ、その王は水の面の木片のようだ。

確実にサマリアは滅び、王は捕囚される。

水面に漂う木片」・・帰属するところがない哀れさ
ここに、預言者の近未来的預言と将来的預言のオーバーラップがあることに注目。


8節:イスラエルの罪であるアベンの高き所は滅ぼし尽くされる。茨とあざみが彼らの祭壇の上に生い茂る。彼らは山々に向かって「私たちをおおえ」と言い、丘に向かって「私たちの上に崩れ落ちよ」と言う。

彼らが崇めていた場所(ベテ・アベン)は、敵に滅ぼし尽くされる。
最悪のわざわいである大患難時代が最終的には彼らを襲う。その厳しさは前代未聞。
神は敵の攻撃を許すと共に、自然環境にも働きかけ、両者が相まって裁きが起こる。
その想像を絶する厳しさのあまり、逃げる民は、こう叫ぶ! 山々に向かって「私たちをおおえ!」、丘に向かって「私たちの上に崩れ落ちよ!」ルカ23:30、黙6:16~17

9節:「イスラエルよ。ギブアの日以来、あなたは罪を犯してきた。そこで彼らは同じことを行っている。ギブアで、戦いがこの不法の民を襲わないだろうか。

ギブアの罪(士師記19章~20章)を犯し続ける北イスラエル。ギブアの戦いの如く襲われることになるとも知らず。ギブアは不法とされている。北イスラエルがそのような状態であることを示す。


10節:彼らを懲らしめることがわたしの願いだ。二つの不義のために彼らが捕らえられるとき、諸国の民が集められて彼らに敵対する。

彼らを罰するのが神の思いである。(近未来と将来的な思いが混在)
二つの不義とは、中川先生によれば、ベテ・アベンとギルガルの二つの偶像礼拝中心地。
偶像礼拝するイスラエルに、諸国が集められて敵対する。これは患難時代のハルマゲドンを思わせる。


11節:エフライムは飼いならされた雌の子牛、麦打ち場で踏むことを好む。しかし、わたしはその美しい首にくびきを掛ける。わたしがエフライムに乗り、ユダが耕し、ヤコブが馬ぐわを引くようになる。

もともとエフライムは従順な雌の子牛(繫栄が約束された)。それゆえ、神の民として神がエフライムの民を導き、ユダをはじめとするイスラエルの民が共に働くことになる。

新たなステップが示されている。それが、メシア的王国

12節:あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓せよ。今がを求める時だ。ついに主は来て、正義の雨をあなたがたの上に降らせる。」

神の民としてすべきことは、正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓せよ。
今こそ、主を求め、主の教えに従え!
「捕囚の前に気付くべきであったが、後々の大患難時代の時にこそ、絶対に気付け!」
ついには、耕地を耕す民の上に、神の正義の雨が降る。(メシア的王国の成就)


13節:あなたがたは悪を耕し、不正を刈り取り、偽りの実を食べた。それはあなたが自分の力に、自分の勇士の数に拠り頼んだからだ。

神が指摘される悪の耕し、不正の刈り取り、偽りの実の獲得とは、自分の力に拠り頼み、他国との軍事同盟に依存し、軍事力を得て富の蓄積のためにして来たこと。

14節:あなたの民の中で戦塵が起こり、要塞はみな打ち滅ぼされる。戦いの日にシャルマンがベテ・アルベルを踏みにじったように、母親は子どもたちのそばで八つ裂きにされる。

神の裁きにより、要塞は打ち破られ、国内の民衆が戦いに巻き込まれる。
シャルマン・・アッシリヤ王シャルマヌエセル5世(BC727~BC722)⇒捕囚前のぎりぎりの時期の預言であることが分かる。
ベテ・アルベル・・新共同訳で現在のイルビドとある。
アッシリヤ征服前に、この地で残虐行為があった


15節:ベテルよ。あなたがたの悪があまりにもひどいので、このようなことがあなたがたになされる。夜明けには、イスラエルの王は全く滅ぼされる。

ベテルよ!・・偶像礼拝の中心地であり、ホセアが語っている場所。
このような厳しい裁きの原因は、この地の激しい偶像礼拝の故である。

夜明けには⇒北イスラエルの王の裁きは、もう目の前に迫っている。

【ホセアはここで、すぐに来る近未来(アッシリア捕囚)について預言し、12節までの神のことばの遠未来(メシア的王国)と区別して、語っている。】

2022年04月28日