エズラ記3章1節~13節
1節:イスラエルの子らは自分たちの町々にいたが、第七の月が来たとき、民は一斉にエルサレムに集まって来た。
2節:そこで、エホツァダクの子ヨシュアとその兄弟の祭司たち、またシェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちは、神の人モーセの律法に書かれているとおりに全焼のささげ物を献げるため、イスラエルの神の祭壇を築いた。
自分たちの町々にいた・・・バビロン→エルサレム→自分たちの町へ移動。
神殿再建の前に、自分たちの生活を整えた 家の建築、農地など
第7の月→9月~10月の時期に、民が一斉に集まってきた。民が一致している
BC537年 神殿再建を第7の月からと、帰還民の全員が共通認識
ヨシュアと兄弟の祭司、ゼルバベルと兄弟は、ささげもののための祭壇を築いた。
モーセの律法に従って祭りを行う民。モーセの律法に従う民としての決意。
第7の月の 1日→ラッパの祭り
10日→宥めの日
15日~21日→仮庵の祭り (レビ23:23~43)
3節:彼らは、周りの国々の民を恐れていたので、祭壇を所定の場所に設けた。彼らはその上で主に全焼のささげ物、すなわち、朝ごと夕ごとの全焼のささげ物を献げた。
4節:彼らは、書かれているとおりに仮庵の祭りを祝い、毎日の分として定められた数にしたがって、日々の全焼のささげ物を献げた。
『周りの国々を恐れていたので、』→『・・国々を恐れていたが、』と解釈すべき。 新共同では『彼らはその地の住民に恐れを抱きながら、』となっている。
周りの国々→アッシリヤ時代、移民政策により他国からこの地に住み着いた異邦人。
祭壇を設け、とにかく初めに、朝ごと夕ごとの全焼のささげものを献げた。
神の民として皆が一致する姿を、神に、そして周囲に示している
ラッパの祭り、宥めの日、仮庵の祭りと祭りが進められた。
これは捕囚以降、初めての全焼のいけにえ。
何事もすべては神による!先ず神にささげる思いを見習おう!
5節:それから、常供の全焼のささげ物、新月の祭りやすべての聖別された主の例祭のためのささげ物、そして一人ひとりが進んで献げるものを、喜んで主に献げた。
その日以降、民は新月の祭りや例祭などのたびに、一人ひとりが進んで、喜んで主にささげ物をささげた。
神の民としてのあるべき姿が、この時点では十分に発揮されていた。
6節:彼らは第七の月の一日から全焼のささげ物を主に献げ始めたが、主の神殿の礎はまだ据えられていなかった。
主の神殿の礎はまだ据えられていなかったが、イスラエルの民は第7の月の全焼のささげ物からささげ始めた。
このささげ物は、毎日ささげられた。
7節:彼らは石切り工や大工には金を与え、シドンとツロの人々には食べ物や飲み物や油を与えた。それはペルシアの王キュロスが与えた許可によって、レバノンから海路、ヤッファに杉材を運んでもらうためであった。
資材の調達→再建準備はすでに着々と進んでいた。
キュロス王の許可の元、すでに石や杉材が運ばれていた。
内部はレバノン杉。外部は石。
ツロ、シドン(交易港)の人々の協力が必要。
キュロス王の発令が神殿再建に、重要な影響!
8節:彼らがエルサレムにある神の宮のところに着いて二年目の第二の月に、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアと、そのほかの同僚の祭司とレビ人たち、および捕囚からエルサレムに帰って来たすべての人々は、主の宮の工事を指揮するために二十歳以上のレビ人を立てて、工事を始めた。
エルサレム帰還の翌年の第2の月に、20歳以上のレビ人を指揮者として立て工事を開始。建設が始まった。
人選は、ゼルバベル、ヨシュア他(BC536年5~6月)。
最初のバビロン捕囚(BC605年)からほぼ70年経過。
9節:こうして、ヨシュアと、その息子たち、その兄弟たち、カデミエルとその息子たち、ユダの息子たちは一致して立ち、神の宮の工事に当たる者たちを指揮した。ヘナダデの息子たちと孫たち、そのレビ人の兄弟たちもそうした。
神の宮の工事の指揮者たち
ヨシュア(大祭司グループ)、その息子たち、その兄弟たち、
カデミエルとその息子たち
ユダの息子たち(新共同:ホダウヤの息子たち)
ヘナダデの息子たち、孫たち、そのレビ人の兄弟たち
10節:建築する者たちが主の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって主を賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出て来た。
こうして神殿の礎が完成(BC536)した時、ダビデに倣い、主を賛美する。
ダビデがエルサレムに契約の箱を運び入れたときに倣って。(Ⅰ歴16:5~36)
賛美の準備として、祭服を着た祭司はラッパ、アサフの子らはシンバルを持った。
11節:そして彼らは主を賛美し、感謝しながら「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに」と歌い交わした。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな主を賛美して大声で叫んだ。
ダビデに倣い、またソロモンの神殿への契約の箱の搬入時(Ⅱ歴5:6~14)に倣い、『主はまことにいつくしみ深い・・』を歌ったイスラエルの民。
残念ながら雲(シャカイナグローリー)は出なかった。
民が一致して主を賛美し大声で叫んだ!
12節:しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、以前の宮を見たことのある多くの老人たちは、目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。
歓声を上げる2種類の人々。
喜んで大声を張り上げる人々と、泣きながら大声を張り上げる人々。
後者は、祭司やレビ人、一族のかしらのうちの、以前の神殿を知る老人たち。
13節:そのため、喜びの叫び声と民の泣き声をだれも区別できなかった。民が大声をあげて叫んだので、その声は遠いところまで聞こえた。
喜びの叫びと、泣いて叫ぶ声の区別がつかないほどの大声。
その声は、遠いところまで聞こえた。つまり、異邦の民にも聞こえた。
BC586年がソロモン神殿の崩壊であり、BC536年の土台完成まで約50年経過している。
老人のかしら達が泣いた理由は・・⇒ソロモン神殿に比較して、貧弱な神殿しか捧げられないと感じたから。豪華さは、神の栄光と等しいと当時の人は考えた。
スタートと感じる者と、リスタートと感じる者の違いが現れた。世代の格差!