ダニエル書10章1節~13節

 

 

1節:ペルシアの王キュロスの第三年に、ベルテシャツァルと名づけられていたダニエルに、あることばが示された。そのことばは真実で、大きな戦のことであった。彼はそのことばを理解し、その幻について悟った。
2節:そのころ、私ダニエルは、三週間の喪に服していた。
3節:満三週間、ごちそうも食べず、肉もぶどう酒も口にせず、また身に油も塗らなかった。

・昨年、ダニエルは「獅子の穴事件」を経験し、キュロス王はイスラエル帰還、神殿再建命令を発布。
・エルサレムでは神殿の土台作りが始まる年である。

 

キュロス王の第3年(BC536年)。ダニエルの推定年齢は83~84歳。(フルクテンバーム博士は85歳と考えている)
この時、「あることば」→これから12章まで語られる預言ーが示された。
それは、「大きな戦」→原語は”tsaba”。戦争や、「大きな衝突」。

「イスラエルにとって長く激しいトラブルの期間」
彼はその言葉を理解し、幻を悟った・・とあるが、ユダヤ人に対する困難な時代がある事を理解しつつも、その詳細は、12章8節にもある通り、理解不十分である。
彼は、3週間の喪に服していた。 

「ごちそう」・・過越しの祭りの週と重なるが、そのごちそうには与らない。
並々ならぬ、ダニエルの断食に対する思いがあったと察する。

過越しの祭り
・第一の月の14日・・過越しの祭り (第一の月は太陽暦では3月~4月)
・15日から21日まで・・種なしパンの祭り

4節:第一の月の二十四日に、私はティグリスという大きな川の岸にいた。

キュロス王第3年、第一の月の24日に、今回の預言が示される。(断食明け直後)
彼は断食明けで、ティグリス川の川岸にいた。実際にその場所にいた。・・8章2節とは異なる。
何故、喪に服したのか?(事実は不明)

①キュロス王の命に応じた帰還者の数が少ない
②現場で発生する妨害に落胆する帰還者たちの思いを受けて
③神殿再建が始まって、すぐに中断してしまったことに応答
「喪に服す」・・abal・・ネヘミヤ1:4の嘆き悲しみと同じ。神殿、エルサレムに対する嘆きと断食。
断食明けということで、ティグリス川のほとりで体力回復のための散歩か。体調は万全とは言えない。
神殿再建の邪魔
・エズラ4:4~5
・神殿再建当初から、邪魔が入っていたことは明らか

5節:私は目を上げた。見ると、そこに一人の人がいて、亜麻布の衣をまとい、腰にウファズの金の帯を締めていた。
6節:そのからだは緑柱石のようで、顔は稲妻のよう、目は燃えるたいまつのようであった。また、腕と足は磨き上げた青銅のようで、彼の語る声は群衆の声のようであった。
7節:この幻は、私ダニエル一人だけが見て、私と一緒にいた人たちはその幻を見なかった。しかし彼らは大きな恐怖に襲われ、身を隠して逃げ去った。

天使の装い お付の者たちには見えず、ダニエルにだけ見えた幻 

①亜麻布の衣→祭司の奉仕活動であり、「聖さ」を指す。
②ウファズの金の帯→ウファズ産の金の帯・・王家の印であり、超自然的な性格。
③緑柱石の様な身体→完全なる健全、健康な身体を指す。
④稲妻のような顔→シャカイナ・グローリー(栄光)を示す顔、表情。
⑤松明のような目→識別力、洞察力を持つ目を指す。
⑥青銅のような両手足→青銅は裁きの象徴であり、強さを示す。
⑦群衆のような声→天の声、神の声を指す。
この時、ダニエルの同伴者たちに幻は見えなかったが、異様な状況に恐怖を覚え、飛ぶように逃げた。 
群衆のような声・・突然静かな川のほとりに、大群衆の声のような音が響き渡る。付き人たちはその圧倒的な威力に、身をひそめるように逃げたのだと思う。

8節:私は一人残ってこの大きな幻を見た。内からは力が抜け、顔の輝きも一変して、力も保てなくなった。
9節:私は彼の語る声を聞いた。彼の語る声を聞きながら、顔を伏せて地に倒れ、深い眠りに陥った。
10節:ちょうどそのとき、一つの手が私に触れて、膝と手のひらをついていた私を揺さぶった。
11節:それから彼は私に言った。「特別に愛されている人ダニエルよ、私が今から語ることばをよく理解せよ。そこに立ち上がれ。私は今、あなたに遣わされたのだ。」彼がこのことばを私に語っている間に、私は震えながら立ち上がった。

ダニエルはひとり残されたが、経験がある事から、何とか見聞きしようとしたが、みるみる力が抜けて行く。
顔色が一変するほどの驚きがあったのだから、一瞬で周囲の環境が激変したと思われる。
ダニエルは、数年前に見た天使を思い出しつつ、天使の声を聞くのだが、自らを支えられない脱力感。
「深い眠り」・・気絶した、気を失ったという事。バタリ!と前のめりにうっ伏す感じ。
すると天使が、ダニエルに触れ、ダニエルを揺さぶった。気絶していたが、気が付いた。
天使はダニエルを励まし、力を与えた。
「特別に愛されている人ダニエルよ」励ましの言葉・・9:23。神に愛されている人。預言を託すにふさわしい人。
理解せよ!立ち上がれ!と励ます天使。力を注入したと想像する。
それにすでに応えているかのように、ダニエルは話の途中から立ち上がっている!

12節:彼は私に言った。「恐れるな、ダニエル。あなたが心を定めて、悟りを得ようとし、自分の神の前で自らを戒めようとしたその最初の日から、あなたのことばは聞かれている。私が来たのは、あなたのことばのためだ。
13節:ペルシアの国の君が二十一日間、私に対峙して立っていたが、そこに最高位の君の一人ミカエルが私を助けに来てくれた。私がペルシアの王たちのところに残されていたからだ。

天使は、9:21の時のように、悔い改めがあったときすぐに飛んできたかった!
ダニエルの喪に服す姿勢→悟りを得るために自らを戒める祈り→神のみ前に届いている。
ちょうど21日前から、ペルシアに就く堕天使が私(語る天使)の妨害をして、動けなかった。→この預言がイスラエルに伝わってほしくなかったから!
そこにミカエル大天使が応援に入り、こうして此処に来ている。
<天使の階層について>
天使界の階層があり、上位、下位が存在する。上位は、ケルビム(最高位)、セラフィム。
下位はミカエル(天使長、イスラエルの守護)、ガブリエル、無名の天使。
ペルシアに就いていた堕天使が、ダニエルに語る天使と力が拮抗。ミカエルは強かったということ。

「ペルシアの王たち」とは、「ペルシアの国の君」の下で働く下位の堕天使のこと。

「残されて」の訳について

・原語・・yatar→残る、余剰を持つ、余計になるの意味がある。
・大天使ミカエルが来て、この天使が余る状態になる。ミカエルの強さの提示でもある。
・新共同では、「そこにいる必要がなくなった」と訳されている。
サタンと堕天使の行動特性
①神の計画阻止、②サタンの権威の拡充、③神に利用される

 

天使の愛、聖霊の愛

ダニエルは高齢でありながら3週間の断食をし、その直後に天使が現れている。
何度経験しても、天使の姿を見るのは、本当に恐ろしいことのようです。
神の領域にある天使の存在は、決して愛らしいというものではなく、人間の想像を超えている。
そんな天使が、ダニエルをこれほどまでに力づけ、何度も終わりの日についての解説をする。
私たちの神の領域はまさに愛の領域。その領域との繋がりは内住する聖霊が維持してくださっている。
聖霊が、あのダニエルを励ます天使のように、私たちを励まし、導いている。
この特権に、心から感謝すると共に、力をいただき、聖霊の声に耳を傾けよう!

 

学びは愛を深める

  この愛が私たちを強くする!
正しい学びをするというと、神学的に終末論とは、救済論とは、携挙とは、などと知識にばかり固執してしまいがち。
正しい学びは絶対必要ですが、やはり常に神の愛に行き着いてほしいものです。
ダニエルも、シンドイ身体でありながら立ち上がれたのは、神の愛の力を感じ取ったからだと思います。
私たちの人生にも、様々な問題や困難がありますが、決して崩れ落ちることなく、むしろ立ち上がる信仰を持ちましょう。
私たちには神の素晴らしい愛が与えられ、聖霊という神が内住して、私たちを励まし導いてくださっています。
聖霊の内住を意識して、この特権を決して忘れず、日々信仰を増し加えて、共に歩んで行きましょう!

2024年07月25日