ホセア6章1節~11節
1節:さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、癒やし、私たちを打ったが、包んでくださるからだ。
私たち・・イスラエルの民全体
私たちを引き裂き・・南北のイスラエルの捕囚、そして神との断絶。
私たちを打つ・・当時の近未来ではアッシリヤ、バビロン捕囚、そして将来の大患難時代。しかし、主は「癒し、包んでくださる!」
ホセアは民に呼び掛けている。それは、各捕囚を経て、様々な痛みを経て、最後の大患難時代を何とかくぐりぬけて神に帰れ!と励ましているようだ。
2節:主は二日の後に私たちを生き返らせ、三日目に立ち上がらせてくださる。私たちは御前に生きる。
「二日の後に私たちを生き返らせ、」・・2日間で罪に気付き、神の愛に気付き、
「三日目に立ち上がらせてくださる。」・・3日目にイエス様に来てくださいと求め、
イエス様の再臨があり、民族的救いが実現する。
「私たちは御前に生きる」・・メシア的王国(千年王国)に住む。
3節:私たちは知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁のように確かに現れ、大雨のように私たちのところに来られる。地を潤す、後の雨のように。
「知ろう」・・婚姻関係の回復、契約の成就。イスラエルの回復。
「主を知ることを切に追い求めよう。」・・神の期待に応える姿。私たち神の子としてのあるべき姿。
大患難時代は未曽有の苦しみ、暗闇。神はイスラエルの回心を待ち望み、その時、その暗闇を打ち破る暁の光となって、燦然と出現される。シャカイナグローリー!
後の雨が乾いた土地を潤し、豊かな実りをもたらすように、主の現れは、雨が大地にしみこみ土地を豊かに回復され、神を信じる者は祝福と恵みに与る。それはメシア的王国。
自然を用いて表現されていることから、大患難時代で破壊された自然が、あっと言う間に回復する様を想像させる。
4節:「エフライムよ、わたしはあなたに何をしようか。ユダよ、わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの真実の愛は朝もやのよう、朝早く消え去る露のようだ。
様々な方法であなたに気付きを促したが、ほかに何をしようか?
あなたの真実を知った!それは本当にもろく、朝もや、朝露のごとくたわいがない。
5節:それゆえ、わたしは預言者たちによって彼らを切り倒し、わたしの口のことばで彼らを殺す。あなたへのさばきが、光のように出て行く。
預言者を通して不義を明確にし、瞬く間に(光のように)裁きを下し、あなたがたを殺す。
6節:わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。
神の期待は真実の愛・・それは神との深い関係を築くために、神を知ろうとすること。
決していけにえや捧げものが最優先ではない。
「知る」とは、創4:1、出3:7、詩編31:7に同じ。
夫婦の親密な交わりの如き、愛情、あわれみ的理解の意味
7節:ところが、彼らはアダムのように契約を破り、そこでわたしを裏切った。
どうしてアダムのように罪(エデン契約の違反)を、繰り返すのか! イスラエルの民はシナイ(モーセ)契約を破り、主を裏切った。
8節:ギルアデは不法を行う者の町、血の足跡に満ちている。
ギルアデ(岩だらけの)・・血の足跡・・偶像礼拝の地であり、人身御供の習慣についての意味であろう。
新共同訳:「流血の罪を犯した者の足跡」
9節:盗賊が人を待ち伏せするように、祭司たちは徒党を組み、シェケムへの道で人を殺す。彼らは実に淫らなことを行う。
シェケム(尾根、強肩)・・北イスラエルの主要都市。逃れの町があり、祭司の町であったが、祭司はこの地で徒党を組んで人を殺し、また、淫らなことをしていた。
シェケムと聞くと、シェケムでの創34:1~35:5割礼悪用、士9:45~49アビメレクの大虐殺が思い浮かぶ。そうした神の期待違反がこの町を偶像礼拝化したということか!
偽祭司が偶像礼拝化している状態。(逃れの町は機能していない→世に同化)
10節:イスラエルの家にわたしはおぞましいことを見た。エフライムはそこで姦淫をし、イスラエルは汚れてしまった。
北イスラエル全体が、神の目にはおぞましい光景に映る。→公正はどこへ?
北イスラエルの祭司、上層部は偶像礼拝へと国民を導き、自らも偶像礼拝し、北イスラエルを汚れた民としてしまった。
11節:ユダよ、あなたにも刈り入れが定まっている。わたしが、わたしの民を元どおりにするときに。」
神の民と言えば、南ユダ王国もだが、残念ながらそのユダにも裁きは下される。
なぜなら・・わたしがイスラエルを癒すとき・・内容は7章1節に続く