ヨナ3章1節~10節

1節:再びヨナに次のようなのことばがあった。

2節:「立ってあの大きな都ニネべに行き、わたしがあなたに伝える宣言をせよ。」

3節:ヨナは、のことばのとおりに、立ってニネべに行った。ニネべは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな都であった。

「立ってニネべに行き」・・・・いよいよ900㎞の長旅の始まり。
「宣言をせよ。」・・・・伝道や宣教などではない。ただ神のことばを宣言する。
900㎞の旅の後、辿り着いた町は行き巡るのに3日かかる大きな都市。

4節:ヨナはその都に入って、まず一日分の道のりを歩き回って叫んだ。「あと四十日すると、ニネべは滅びる。」

いよいよ、宣言の開始。決して、悔い改めてもらっては困るという思いがヨナにあった。従って、ただ神の指示通り、40日後の滅びを宣言して回った。
神はそのこともご存知であった。ヨナの思惑とは異なる展開が待っている。奇蹟がヨナの目前で起こる。

神の備えについて考える
・奇蹟的に生還したヨナ 
・その証人たちも存在した
・その奇跡は、まさに神の実在を示すもので、特に船長、船員は確信する。

・また、ヨナの預言者としての力量も実感していた。ヨナの預言の信頼性は確実!
・ヨナの宣言だけでも、その信憑性は十分であった。ヤッファにいた船員や人々の証言があったからである。

5節:すると、ニネべの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで粗布をまとった。

神の備えがあり、神の宣言はニネべの人々に伝わり、ヨナが伝道までせずとも神を信じ、互いに呼びかけ、身分に関係なく断食を行い、悔い改めている。(激変!)
正しい方法はわからないが、とにかく速やかに悔い改めようとする思いは、神を恐れ、神を信じている者の行動である。

話が町中に流布した原因は、例の船に乗船していた人たちの中に商人、またはその部下や知人がいたのではないかと想像する。
いつの時代も、有力な商人は、権力者と親密に繋がっているものだ!

6節:このことがニネべの王の耳に入ると、彼は王座から立ち上がって、王服を脱ぎ捨てて粗布をまとい、灰の上に座った。

噂は王の耳にまで伝わり、王が速やかに悔い改めている。
あの暴風の船上での出来事は、人々にインパクトを与える事実だったということ。


7節:そして、王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネべに出された。「人も家畜も、牛も羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。

8節:人も家畜も、粗布を身にまとい、ひたすら神に願い、それぞれ悪の道と、その横暴な行いから立ち返れ。

神を信じる思いは、ニネベの人々を徹底的にへりくだらせた。布告が出た。これは相当の覚悟である。具体的な対処方法は不明、とにかく情報を集めたと思われる。
人どころか家畜まで何も食べず、食べさせず、ひたすら神に願え!

ポイントは、「悪の道と、横暴な行いから立ち返れ」という点
アッシリヤの残忍、暴虐性は周知のこと。それがアッシリヤ帝国の基盤。
トップ自らがその残虐、暴虐性を認めていたということに注目。

9節:もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りを収められ、私たちは滅びないですむかもしれない。」

「もしかすると・・」と言う思いが、家畜にまで粗布をまとわせるという行為に現れる。

心の底から、救いを願った結果である

10節:神は彼らの行いを、すなわち、彼らが悪の道から立ち返ったのをご覧になった。そして神は彼らに下すと言ったわざわいを思い直し、それを行われなかった。

神は北イスラエルに対する最後の気付きである領地拡大の祝福を与える。しかし、そこに事前準備があった。ヨナの存在と活動は北イスラエルでも注目される内容。
ヨナを用いて、北イスラエルに最後の気付きを促したいというお考えがあったのではないか。

単に、ヤロブアム2世の時代に繁栄と言う祝福をもたらすためだけではなく、神の御心に気付いてほしいというご計画があったのではないか。

2022年07月07日