ゼカリヤ9章1節~17節

1節:宣告。のことばはハデラクの地にあり、ダマスコは、それがとどまる場所。に向けられるのは、人々の、そしてイスラエルの全部族の目。

2節:これに堺を接するハマテや、非常に知恵のあるツロやシドンの目も。

宣告その1。諸国の裁き。

アレキサンダー大王による諸国の裁きが示される。

*わずか10年間に、世界帝国を築く人物(BC356~BC323年)。

 BC331年にペルシャを滅ぼし、翌年地中海諸国を征服。

「ハデラク」・・シリアの都市。アレッポとハマテの間にある都市と言われている。

「ダマスコ」・・シリアの首都。
「ハマテ」・・シリヤ領の要塞都市(ハマト)
「ツロ(ティルス)」、「シドン」・・フェニキアの都市
主はこれらの地を裁くためにアレクサンダー大王という器を用いられた。世界の人々、そしてイスラエル全部族が注目する!

3節:ツロは自分のために砦を築き、銀をちりのように、黄金を道端の泥のように積み上げた。

4節:見よ。主はツロを占領し、その富を海に打ち捨てる。ツロは火で焼き尽くされる。

ツロ(ティルス)は地中海沿岸の都市。貿易が盛んで、当時としては世界商業の一大中心地。また、アッキ貝から取れる高級な紫色の染料は有名

ツロは、海に面した島に難攻不落の砦があり、海洋貿易により経済も豊かであった。
ツロはその豊かさ、強さにより傲慢であった。
シドン、ツロ共に、BC332年に滅ぼされる。
*イザヤ23章、エゼキエル28章、アモス1章に、同様の記載あり。
「海に打ち捨て・・」「火で焼き尽くされる」の表現通り、その末路は、殺され、奴隷にされ、町は焼き滅ぼされた。


5節:アシュケロンは見て恐れ、ガザも大いにもだえる。エクロンもだ。自分たちが頼みにしていたものが辱められたからだ。ガザから王が消え失せ、アシュケロンには人が住まなくなる。

6節:アシュドデには混血の民が住むようになる。わたしはペリシテ人の誇りを断ち切り、

7節:その口から流血の咎を、その歯の間から忌まわしいものを取り除く。彼も、私たちの神のために残され、ユダの中の一首長のようになる。エクロンもエブス人のようになる。

アシュケロン、ガザ、エクロン、アシュドデ・・ペリシテの4大都市
北のフェニキアがアレキサンダー大王に征服されて行くのを見てに恐れた。頼みの綱のエクロンが打たれ、ペリシテ人は征服される。
アシュドデには、混血の民が住み、もう、ペリシテの誇りは消える。彼らの偶像は取り払われる。
エクロンはエブス人のように、神の民の一員となる。それはペリシテ人の残りの者が神の民となる事である。

エブス人はかつてのエルサレムの住民であった。神はダビデを通して、ユダに吸収させるという過去がある。(Ⅱサム24:16、Ⅰ歴21:18参照)

8節:わたしは、わたしの家のために、行き来する者の見張りとして衛所に立つ。もはや、虐げる者はそこを通らない。今わたしがこの目で見ているからだ。

この預言は、近未来と遠未来の預言の要素を含んだものである。

近未来:神が自ら神の家であるエルサレムを行き来する者を見張り、管理する。

  つまり、アレキサンダー大王には、エルサレムを攻めさせないという預言である。
遠未来:実際には、最後の帝国主義が最後の攻めであり、虐げる者がそこを通らないということが実現するのは、メシア的王国時代である。

神はかつて、異邦人キュロス王を用いてバビロン捕囚の解放して見せた。神は預言通りのことを実現して見せ、更に神の民として再構築された。
その時代のユダヤの民の関心事は、当面の異邦人の王であり、イスラエルを悩ます諸国の裁きが実現することは、神の民として立ち上がったことの喜びとなる。

9節:娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。

近未来預言(メシアの初臨)
ユダヤに王が来る。これはメシアの来臨を指している。
その御性質は、①義なる者、②勝利、③柔和、というメシアの表現。

柔和は「抑圧された」という意味があり、まさに受難のしもべを思わせる。
雌ろばの子に乗って、ユダヤの民の所に来る。(マタイ21:1~11で成就する)
高貴な者がろばに乗る 馬は戦士が乗るもの ➡平和の君としての存在
「ろば(ウーイ)」には、「盲目にする」、「目を覚ます」という意味があるとのこと。初臨のイエス様については、メシアであるということに『盲目』で、のちに『目を覚ます』という風にもとれる。

10節:わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶えさせる。戦いの弓も絶たれる。彼は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る。

遠未来預言(メシアの再臨)
エフライム・・北イスラエル(の諸部族)。エルサレム・・南ユダ(の諸部族)。
神は、全ユダヤに対して武器の必要がない状態にする。
8節bの内容の成就が示されている。それは、メシア的王国である。
このメシアが再臨のイエス様である。
再臨のイエス様は、諸国に平和を宣言。全世界の統治、メシア的王国が始まる。
詩編72:8に同様の内容の記載あり。神による全地の支配が完成することを示す。

から海:死海から地中海 大河から:ユーフラテス川(北の国境)から

11節:あなたについても、あなたとの契約の血のゆえに、わたしはあなたの捕らわれ人を、水のない穴から解き放つ。

12節:望みを持つ捕らわれ人よ、砦に帰れ。わたしは今日もまた告げ知らせる。二倍のものをあなたに返す、と。

13節:わたしは、ユダをわたしの弓として引き絞り、これにエフライムをつがえたのだ。ヤワンよ、おまえの子らに向かって。シオンよ、わたしはあなたの子らを奮い立たせ、あなたを勇士の剣のようにする。

「あなた」・・ユダヤ人。「契約」・・アブラハム契約。「水のない穴」・・牢獄。
アブラハム契約に則り、牢獄の如き離散の地から、解放されるユダヤの民。
帰還のユダヤの民は長子の権利、つまり2倍の相続を受ける。イザヤ40:2
神はユダとエフライム、つまり全部族を強い神の民として回復させた。神は民を、ヤワン(ギリシャ、エピファネス王)すなわち、未来の反キリストに立ち向かわせる。

信頼すべきは神(イエス様)であることを確信する。
ユダヤの民は、神により力強く回復するとき、敵にひるむことがない。

実際に敵の異邦人を打つのは神であることを忘れずに!
私たちも、神に信頼することを一番に設定しておく事を忘れてはいけない。
恐れず、たじろがない心を持つ、神の子となれるから!

14節:は彼らの上に現れ、その矢は稲妻のように放たれる。である主は角笛を吹き鳴らし、南の暴風の中を進まれる。

15節:万軍のが彼らの盾となる。彼らは石投げの石で滅ぼし、踏みつける。彼らは血をぶどう酒のように飲み、沸き返る。鉢のように、祭壇の四隅のように、満たされる。

DKNJの最終時点で、主(再臨のイエス様)が現れ、異邦人に対する裁きが決行される。稲妻のように矢が放たれる。(稲妻が矢のように放たれることかもしれない)
南の暴風・・天変地異の一端が書かれているかのようである。
ユダヤ人は神に守られ敵は倒される。
新共同訳:15節「放たれた石は敵に食らいついて倒し、」。まるで主が天変地異により異邦人世界を潰しているかのような表現。
DKNJの様子が伺える。(石はメシア(イエス様)に例えられる事がある)
裁かれた者の大量の血が流される。
ここに真の勝利が実現する!!

16節:その日、彼らの神、は、彼らをご自分の民の群れとして救われる。まことに、王冠の宝石がその地できらめく。

17節:なんという主のいつくしみ。なんという主の麗しさ。穀物は若い男たちを、新しいぶどう酒は若い女たちを栄えさせる。

ユダヤの民が主を受け入れたとき、民は神の民として救われる。
そして、メシア的王国が始まる。
「王冠の宝石」・・6章9節~で登場した王冠を指しているのではないか。大祭司であり王であるイエス様によるメシア的王国の成就が示されている。
17節の平安は、神によってのみ実現される真の平和な世界。
人々はそのことに、心の底から感謝し、王国の幸せを満喫する。
経済の不安が無くなる世界。生きるという内容・価値観が大変革する
 神が備えてくださっている未来は想像を超えた素晴らしいところ。
 未来の約束が与えられていることに感謝せずにはいられない!

2023年03月03日