ダニエル書1章7節~2章13節

7節:宦官の長は彼らに別の名前をつけた。すなわち、ダニエルにはベルテシャツァル、ハナンヤにはシャデラク、ミシャエルにはメシャク、アザルヤにはアベデ・ネゴと名をつけた。
8節:ダニエルは、王が食べるごちそうや王が飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定めた。そして、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願うことにした。
9節:神は、ダニエルが宦官の長の前に恵みとあわれみを受けられるようにされた。
10節:宦官の長はダニエルに言った。「私は、あなたがたの食べ物と飲み物を定めた王を恐れている。あなたがたの顔色が同年輩の少年たちよりもすぐれないのを、王がご覧になるのはよいことだろうか。あなたがたのせいで、私は王に首を差し出さなければならなくなる。」

カルデア人名を付けられる4人。
ダニエル「神はさばきたもう」⇒ベルテシャツァル、

ハナンヤ「主は恵みを示す」⇒シャデラク

ミシャエル「神のような者は誰か」⇒メシャク、

アザルヤ「主は助ける」⇒アベデ・ネゴ
ダニエルらは食物規定を守ることを決めていた・・律法不従順が捕囚原因の一つと考えていたためか。
神はダニエルの意向を知り、その願いが宦官の長アシュペナズに届くようにされた。【神の主権が発動】

ダニエルが食物規定のことを話すと、宦官の長は申し訳なさそうに断る。食事の質を落として、それが王にばれたら、私は殺されてしまうからと言う。
ダニエルは、何とか依頼するが宦官の長も、これだけは聞くわけにはいかないと頑なだった。

王の食事と葡萄酒:血が滴る肉、生焼け肉、偶像に捧げられた肉、偶像礼拝で飲まれる葡萄酒。

11節:そこでダニエルは、宦官の長がダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤのために任命した世話役に言った。
12節:「どうか十日間、しもべたちを試してください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。
13節:そのようにして、私たちの顔色と、王が食べるごちそうを食べている少年たちの顔色を見比べて、あなたの見るところにしたがって、このしもべたちを扱ってください。」
14節:世話役は彼らのこの申し出を聞き入れ、十日間、彼らを試した。
15節:十日が終わると、彼らは、王が食べるごちそうを食べているどの少年よりも顔色が良く、からだつきも良かった。
16節:そこで世話役は、彼らが食べるはずだったごちそうと飲むはずだったぶどう酒を取り下げ、彼らに野菜を与えることにした。

ダニエルは世話役に提案→10日間のトライアル!(宦官の長には秘密)
『野菜と水だけで10日間過ごし、王のごちそうを食べる少年と顔色を比較してください。』

偶像礼拝に関係しない食物という意味の「野菜」である。彼らの律法への従順さの表明である。
10日間の後、この4人はむしろ他の少年より顔色も体格も良かった。
世話役は葡萄酒などは取り下げ、安心して彼らの希望通りの食事に変更した。
世話役の得:世話役は、良い葡萄酒が手に入ることになる。
・神の働きは、ダニエルの従順を支え、また、支援する者を祝福した。

17節:神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を理解する力と、知恵を授けられた。ダニエルは、すべての幻と夢を解くことができた。
18節:少年たちを召し入れるために王が命じておいた日数が終わったので、宦官の長は彼らをネブカドネツァルの前に連れて行った。
19節:王が彼らと話してみると、すべての者の中でだれもダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤに並ぶ者はいなかった。そこで四人は王に仕えることになった。

20節:王は、知恵と悟りに関わる事柄を彼らに尋ねたが、彼らがそのすべてにおいて、国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっていることが明らかになった。

21節:ダニエルはキュロス王の元年までそこにいた。

神は、3年の間に、4人に才覚を与えて育成し、ダニエルには幻と夢を解き明かす力を与えた。
宦官育成期間が終わり、王の評価を受ける。結果は4人ともずば抜けた知識、知恵であった。
彼らは、国中の知恵者(呪法師、呪文師)よりも十倍まさっていたとされる若者である。
ダニエルは、キュロス王の元年まで、そこにいた。つまりバビロンにいて、用いられた。
ダニエルの生涯:ダニエルが最後に仕えた王はキュロス2世。彼は人生のほとんどを、バビロンで過ごした。10:1にキュロス王治世の第3年の記載あり。

2章
1節:ネブカドネツァルの治世の第二年に、ネブカドネツァルは何度か夢を見た。そしてそのために心が騒ぎ、彼は眠れなかった
2節:そこで王は命令を出し、呪法師、呪文師、呪術者、カルデア人を呼んで、王にその夢の意味を告げるように命じた。彼らが来て王の前に立つと、
3節:王は彼らに言った。「私は夢を見たのだが、その夢の意味を知りたくて私の心は騒いだ。」
4節:カルデア人たちは、アラム語で王に告げた。「王よ、永遠に生きられますように。どうぞその夢をしもべどもにお話しください。そうすれば、私どもはその意味をお示ししましょう。」
5節:王はカルデア人たちに答えた。「私の言うことは絶対である。もし、おまえたちが私にその夢とその意味を告げることができなければ、おまえたちは手足をばらばらにされ、おまえたちの家はごみの山となる。
6節:しかし、もし夢とその意味を示せたら、贈り物と報酬と大きな栄誉を私から受けることになる。だから、夢とその意味を私に示せ。」
7節:彼らは再び答えた。「王が、しもべどもにその夢をお話しくださいますように。そうすれば、私どもは意味をお示ししましょう。」

ネブカドネツァル王の治世の第二年に、王は何度か夢を見た。かなりの不安が襲う。
夢の解き明かしを、呪法師、呪文師、呪術者、カルデア人に命じた。(ダニエルらはカルデア人の名前を付けられていることに注目)
カルデヤ人はいつもの通り、アラム語で夢の内容を問うが、王は難題を吹きかける。不安の裏返し。
「私が見た夢とその意味を示せば、報奨を授けるが、できなければ死ぬことになる!」
命じられた者たちは、夢の内容について解き明かす通常のやり方を求めるが、・・
招集された職種:呪法師、呪文師、呪術者、カルデヤ人(未来を占う占星術師の意味)
⁂2章4節から7章の終わりまで、原書はアラム語で書かれている。


8節:王は答えた。「私には、はっきり分かっている。おまえたちは私の言うことが絶対であると分かっているので、時をかせごうとしているのだ。
9節:もしおまえたちがその夢を私に告げないなら、おまえたちへの判決はただ一つだ。おまえたちは時が変わるまで、偽りと欺きのことばを私の前に述べようと決めている。だから、どんな夢かを私に言え。そうすれば、おまえたちがその意味を示せるかどうか、私に分かるだろう。」
10節:カルデア人たちは王の前で答えた。「この地上には、王の心のうちを明らかにできる者は一人もおりません。どんな偉大な権力のある王でも、このようなことを呪法師や呪文師、あるいはカルデア人に尋ねたことはかつてありません。
11節:王がお求めになっていることは、難しいことです。肉なる者と住まいをともにされない神々以外に、それを王の前に示すことができる者はおりません。」

ネブカドネツァル王の厳しい言葉・・・それは、王の不安、不信の表れでもある。
「自分たちは夢が分からず、そうであれば必ず処刑されると知り、時間稼ぎをしているだけだ!
嘘、偽りを言って時間を稼ぎ、私の考えが変わるまで時間稼ぎをしているに違いない。とにかく、私の見た夢がどうだったかを言え!そうすれば、私はお前たちの実力を知ることができるじゃないか!それが出来ないのであれば、お前たちは即刻、処刑だ!」
カルデヤ人たちは、「未だかつてそのような命令を出した王は一人もいない。」「神以外にそんなことができる者はいません。」と言って冷静を求めるのだが・・・
・神は様々な方法で、ダニエルの持つ夢解きの力を公にしようと導かれた。
・王に対してカルデヤ人たちは、神の力の存在を暗に示している。

12節:王は怒り、大いにたけり狂い、バビロンの知者をすべて滅ぼせと命じた。
13節:この命令が発せられたので、知者たちは殺されることになった。また人々は、ダニエルとその同僚たちさえ捜して殺そうとした。
ネブカドネツァル王の怒りは極限まで達し、知者の皆殺しを命じた。それは、呼び出された知者以外も全員対象ということ。・・・王自ら語った8節の「絶対に実行する!」を実践した。
王の知者たちに対する不信感が、一気に爆発したということであろう。
知者というものは、全員偽物だ!(役に立たない者は死あるのみ!)
従って、若きダニエルとその仲間たちもそのとばっちりを食らうことになった。

 

王の支配下にあって、 ユダヤ人として生きようとする若者たち

捕囚下にあり、さらに王の養育下にある中で、ダニエル他3人はユダヤ人として生きようとする。
日常の食事についても、律法に従う姿勢を示す。簡単ではないが、しかし神は助けて下さる。
捕囚の原因は神への裏切りだと知る彼らは、律法に従うとともに、神を心から信頼した。
こうした彼らの行動を神はご存じで、その先々ですべてを備えておられる。
彼らが知ろうと知るまいと、神はどんな時でもどんな場所でも成長させ、それを喜んでおられる。

私の想像ですが、この若者たちは、それぞれユダヤ人として日々をどう生きるかを話し合っていたと思われます。たぶん、それが学びと実践であり、そこに神が介在し、彼らは捕囚の地にあっても、神にどんどん育成されていたのだろうと・・

 

常に育成されている私たち 

    それは、新しくされ続けているということ

悪魔の支配下にあり、まるで捕囚下にあるようなこの時代。
実は、それは神を知らない人たちの実態であり、私たちは違う!
物理的にはそう見えても、私たちは主を信じた時点で、神の子となる育成過程に入ったのです。
人は死ぬまで勉強!と言われますが、まさしくそれはクリスチャンへのことば。
私たちの師は、もう主、神、御霊となり、それ以外に視線を向けるところはありません!
私たちは新しく生まれた者であると共に、新しくされ続けられる者なのです。
私たちには御霊が内住し、どんな時もどんな場所でも、新しくされ続けるのです。
だからこそ、神の気付きの促しに、ダニエルのように素直に、敏感に、前向きに順応しましょう!

2024年04月11日