ゼカリヤ13章1節~9節

13章の構成

 

1節:その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。

「ダビデの家とエルサレムの住民のために」、とは聖霊傾注が終わった民のためか、それとも終わっていない民のためか?

*中川先生は、12章から続くと考えている。「罪と汚れ」とは、義認と聖化を示すとし、「一つの泉」とは、儀式的に用いられる泉の水であり、聖霊傾注を指すとする。嘆いた後、聖霊傾注されるということ。

*ユダヤの民の清めが終わり、次に続く、地上の汚れを清めるためと考える時、聖霊の働きにより、罪と汚れを取り除くため、一つの泉が開かれたとも考えられる。
12章からの流れを掴んでおけば、解釈に大きな支障は無い。
「ダビデの家とエルサレムの住民のために」という言葉のタイミングがどちらであっても、12~13章の文脈に影響はないと考えられる。

2節:その日―万軍ののことば―わたしはもろもろの偶像の名を、この地から絶ち滅ぼす。それらの名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。

偶像の徹底排除。と同時に、その偶像に与する偽預言者と汚れた霊、すなわち悪霊を地上から取り除く。
神の清め(裁き)は、ハルマゲドンの戦いの時、徹底して行われる。


3節:なお預言する者があれば、その人を生んだ父と母が彼に向かって言う。『あなたは生きていてはならない。の名を使って嘘を告げたから。』彼が預言しているときに、彼を生んだ父と母が彼を突き刺す。

それでも預言する者は父と母に殺されることになる。
偽の預言とは、主の名を騙って、嘘の預言をすること。
これは、神の出現により、真の価値が明確になり、偽物の化けの皮がはがれること。この刑罰は、子にとっても親にとっても悲劇である


4節:その日、預言者たちはみな、自分が預言する幻を恥じる。彼らはもはや人を欺くための毛衣を着なくなる。

その結果、偽預言者達は自分が語ってきた預言を恥じ、預言は語らなくなる。
毛衣・・預言者が着ていた外套(コート)。その時代はどのようなものか?
申命記18:20~22。預言した内容が成就しないなら、それは偽預言者。
真の神が現れ、それまでの偽預言者は、恥じ入ることになる。

 

5節:また彼は、『私は預言者ではない。私は土地を耕す者だ。若いときに人が私を買い取った』と言う。

自分は預言者ではなく、農夫だと偽る。私は人に買い取られたいわゆる奴隷である、と言う。(新共同では、自分が買った土地で・・となっている)
それは刑を逃れるための嘘である。


6節:だれかが『あなたの両腕の間にある、この打ち傷は何か』と聞くなら、彼は『私の愛人たちの家で打たれたものだ』と言う。

そんな偽りを言っても、誰かが彼の腕の間にあるうち傷に気付く。その打ち傷は、偶像礼拝の時に自らつけた傷跡だと察している。こうして問いただすが、愛人(中川先生は“友人”)たちの家で打たれたものと言うこうして、偽預言者だったことを隠そうとする。

それほどにその刑が厳しいということに注目。
この時の、神の裁き、すなわち終末の裁きは容赦ないものである。

7節:剣よ、目覚めよ。わたしの羊飼いに向かい、わたしの仲間に向かえ―万軍ののことば―。羊飼いを打て。すると、羊の群れは散らされて行き、わたしは、この手を小さい者たちに向ける。

『剣』とは、死を伴う争いの意味。
その剣で、『わたしの羊飼い』に向かえ!と命じている。この羊飼いはイエス様。
『わたしの仲間』とは、神の同僚たる、第二位格の神、イエス様を指している。
死を伴うということから、肉体を持つイエス様、そして第二位格の神イエス様を指す。
明らかに、十字架にかかられるイエス様を示す預言。
その羊飼いを打て!と言われている。これが紀元30年。

そして世界離散が、紀元70年に起こっている。
わたしは、この手を小さい者たちに向ける。離散させるということも含めた試練。

70年の神殿崩壊と離散と言う悲劇は、子供たちにも及んだ。
132~135年のバル・コクバの乱により、更に離散は本格化した。

8節:全地はこうなる―のことば―。その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。

全地はこうなる。→大患難時代の状況を指している。
イスラエルの3分の2は死に絶える。つまり殺されることになる。
残りの3分の1が、救いに与る人々である。マタイ24:15~21、黙12:6~17

 

黙12:6~17
12:6~18は、DKNJの後半を示しています。
更にこの中の7~12は、挿入句で、天で戦いに敗れ、地上に投げ落とされたサタンについて説明されています。その落されたサタンが、地上で猛威を振るうのがDNKJの後半の3年半ということです。
男の子を産んだ女・・とはイスラエルを指し、そのイスラエルは後半の3年半、守られますが、サタンは更に攻め、3分の2のユダヤ人が死にます。これが、ゼカリヤ書13:8が示すところです。
HMD(ハルマゲドンの戦い)とは、サタンが、その3分の1のユダヤ人の抹殺を図るものでもあります!

9節:わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を錬るように彼らを錬り、金を試すように彼らを試す。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『は私の神』と言う。」

残りの3分の1の民は、厳しい試練を通ります。
DKNJのなかの最終局面であるHMD!まさに火の中の凄惨な状況。
サタンにとっても最後の戦いであり、ゆえに前代未聞の過酷をつくります。
サタンの激烈な戦いを通して、彼らは練られ、試され、そしてメシアを受け入れます。
ここに、神との和解が成り、メシアなるキリストが来臨(再臨)します。
それは、メシア的王国の始まりの合図でもあります。


2023年03月30日