オバデヤ1節~7節
オバデヤの名前の意味は、主のしもべ。
活動場所は、エルサレムを中心とした南ユダ王国である。
【執筆時期について】
オバデヤ書と他の預言書との関係➡エレミヤ書、ヨエル書で、数か所用いられている
エレ49:7、 49:9~10、 49:14~16、ヨエル1:15、2:32
【歴史的事件との関係(オバデヤ10~14)】
Ⅱ歴21:16~17・・ペリシテ人とアラビヤ人によるエルサレム侵略(BC845年)
Ⅱ列24:1~・・ネブカデネザル王の侵略(BC605年~BC586年)
どちらを指しているか?と言うことになるが、
中川先生はBC845年頃としておられる。
BC845年なら、小預言書のトップバッター。他の預言書に影響を与える存在。
BC600年頃なら、バビロン捕囚前の小預言書の殿(しんがり)。
⁂二つの考え方があるとして、学んで行きましょう。
【エドムについて】
エドム・・・ヤコブの双子の兄であるエサウの子孫。二人の父はイサク。
エサウは死海東南のセイルの地に移り住み、子孫がエドム人となる。
「赤い」(アードーム)体毛からこの名がついたとされる。
新約に出てくるイドマヤ人は、おもにエドム人の子孫である。(マコ3:8~)
ヤコブとの血縁は、モアブ人、アンモン人より濃く、また、確執も相当に根深い。
エドムの系図
1節:オバデヤの幻。神である主は、エドムについてこう言われる。――私たちは主から知らせを聞いた。使節が国々の間に送られてこう言った、と。「さあ、立ち上がれ。エドムと戦おう」――
「幻」・・・・神の声を聞き、ヴィジョンを見せられた。
明確に語ることができるヴィジョン。私たちが思う幻とは違う!
神が国々に使節(御使いか預言者か)を送られたということを聞いた。
内容は「さあ、立ち上がれ。エドムと戦おう」。国々をそういう行動に向かわせる思い。
エドムに対する復讐のための裁きが下される・・・約束
民20:14~21
40年の放浪を終え、約束の地カナンに入る際、エドムの地を通る許可を真摯に
求めるが、エドムは徹底的に拒否し、軍隊まで出す。結果、迂回することとなる
兄弟の血筋でありながら、エドムはイスラエルに最も敵対する存在となる。
2節:「見よ。わたしはおまえを国々の中で小さい者、ひどく蔑まれる者とする。
エドムが裁かれる時、諸国の中で最も蔑まれる民となる。(15~16節で語られる)
3節:岩の裂け目に住み、高い所を住まいとする者よ。おまえの高慢は、おまえ自身を欺いている。おまえは心の中で言っている。『だれが私を地に引きずり降ろせるのか』と。
4節:鷲のように高く上っても、星々の間に巣を作っても、わたしは、おまえをそこから引きずり降ろす。――主のことば。
エドムの地域は岩地の高所。住まいだけではなく、エドムの高慢な心の状態を表す。
自らをだます行為→サタンの思うつぼに嵌っている状態。
だれも私を引きずり落とせない。安住しているように見えるが、・・・
その驕りがどこまで行きつこうと、必ず神は、エドムを引きずり降ろす。
これはまるで、サタンへの宣言のように聞こえはしないか!
最終的に神は、背後に暗躍する悪も処理される。
それが私たちに約束された真の勝利!
5節:盗人がおまえのところに来るなら、しかも夜に、荒らす者が来るなら、――いかに、おまえは荒らされることか――彼らは欲しい分だけ盗んで行くではないか。ぶどうを収穫する者がおまえのところに来るなら、彼らは取り残しの実を残さないだろうか。
一切の目こぼしが無いほどに攻め入る者(軍隊)。
思いがけず、何のあわれみもなく、徹底的に打たれるエドムの姿が暗示されている。
6節:ああ、エサウは捜し出され、その秘宝は見つけ出される。
新共同訳:「いかに、エサウの富は探し出され 宝は奪い取られることか。」
権威や権力、財力などに安住しているように見えて、実は「一寸先は闇」の状態
7節:おまえと同盟を組む者たちがみな、おまえを国境まで送り返し、親しい友がおまえを欺いて征服する。おまえのパンを食べていた者が、おまえの足もとに罠を仕掛ける。こんなおまえに英知はない。
それまで築かれた同盟関係諸国は、助けることもなく、むしろ攻める者が出てくる。経済関係にあった諸国も、エドムを陥れる活動へと変わる。
もうエドムと組む国はなく、それはエドムが何の知恵もなく、信頼されなくなる状況の暗示