エレミヤ書6章1節~30節
1節:ベニヤミンの子らよ、エルサレムの中から逃れ出よ。テコアで角笛を吹き、ベテ・ハ・ケレムでのろしを上げよ。わざわいが北から見下ろしているからだ。大いなる破壊が。
(a文) エレミヤの出身はアナトテ。そこはベニヤミンの地(1:1) 。エルサレムは、ベニヤミンの地にあった都市。 エレミヤは、自分の同胞の公正な人たちにエルサレムからの退避を呼びかける。
(b文) テコアは、エルサレムの南20kmに位置する町。ベテ・ハ・ケレムは、テコアの北、エルサレムの南2kmに位置し、のろしを上げるのに適した高い丘にあった。エルサレムから退避する道順が、ベテ・ハ・ケレムからテコアと、南の荒野に向かって行く。
(c文) 北の大きな破壊者が、エルサレムを見下している。逃げるなら南側。
2節:娘シオンよ、おまえは麗しい牧場にたとえられるではないか。
・娘シオンよ、神は麗しいお前を切り捨てる!(原文に「牧場」はない)
・「お前は牧場に例えられる」・・・次節において、この牧場が荒らされることを示す。
3節:そこに羊飼いたちは自分の群れを連れて行き、その周りに天幕を張り、群れの羊は、それぞれ自分の草を食べる。
4節:「シオンに向かって聖戦を布告せよ。立て。われわれは真昼に上ろう。」「ああ、残念だ。日が傾いた。夕日の影が伸びてきた。」
5節:「立て。われわれは夜の間に上って、その宮殿を滅ぼそう。」
・羊飼いである敵が、羊を連れてエルサレムの周囲に陣取り、その羊たちを牧場(エルサレム)に放ち、その草を食べさせる。
・その食欲で、その牧場は草が無くなる。(羊の草の食べ方は想像よりも貪欲)
・「羊飼いと群れ」は、「王と軍隊」の比喩とされている。→敵がエルサレムを徹底的に蹂躙する。
・「聖戦」と言っているのは、神がこの侵略を許したという事で、神の主導を意味する。
・古代の戦争は、正午頃の戦闘は中断するのが一般的であったが、バビロン軍は真昼でも戦いを止めない。
・敵は宮殿の破壊のために、夜も間断なく攻撃する。執拗で激烈な侵略の姿。
・人民にとって、宮殿の消失は全ての消失を意味する。
6節:まことに、万軍の主はこう言われる。「木を切って、エルサレムに向かって塁を築け。これは罰せられる都。その中には虐げだけがある。
・包囲戦・・城壁の弱そうな所を見つけ、そこにスロープを築く。この時木や石が用いられる。
・スロープが出来たら、「破城槌(はじょうつい)」をもって城壁を破壊し侵略する。
・この攻撃で都は荒らされ、その中心は抑圧、弾圧の嵐となり、完全征服された。
・AD70年のエルサレム神殿崩壊も包囲戦であった。 (同じ戦法)
7節:井戸が水を湧き出させるように、エルサレムは自分の悪を湧き出させた。暴虐と暴行がその中に聞こえる。病と打ち傷がいつもわたしの前にある。
・「井戸が水を湧き出させるように」・・エルサレムに隠れていた民の邪悪が噴出している。
・エルサレムの地は民によって汚されていたが、侵略(神に裁き)によって、その汚れが露になった状態。
・暴虐と暴行、打ち傷と病で苦しむ姿を神は見ておられる。この原因は民である。
8節:エルサレムよ、懲らしめを受けよ。そうでないと、わたしの心はおまえから離れ、おまえを、人も住まない荒れ果てた地とする。」
・神はエルサレムの地を汚す民の悔い改めを求めてる。
・悔い改めがなければ、神はこの地を見放してしまうことになるから。(見放したくはないのである)
9節:万軍の主はこう言われる。「ぶどうの残りを摘むように、イスラエルの残りの者をすっかり摘み取れ。ぶどうを収穫する者のように、あなたの手をもう一度、その枝に伸ばせ。」
・神はブドウ畑の侵略者に、一粒残らず、繰り返し実を刈り取り尽くせ!と命じている。
・一人残らず生存者を捕まえろ!何度でもに拿捕しろ!と、神はバビロンに命じている。
・大規模なバビロン捕囚はBC586年であり、その後数回にわたり捕囚が行われることを示す。
10節:私はだれに語りかけ、だれを諭して聞かせようか。見よ。彼らの耳は閉じたままで、聞くこともできない。見よ。主のことばは彼らにとって、そしりの的となっている。彼らはそれを喜ばない。
11節:主の憤りで私は満たされ、これを収めておくのに耐えられない。「それを、道端にいる幼子の上にも、若い男がたむろする上にも、注ぎ出せ。夫はその妻とともに、年寄りも齢の満ちた者も、ともに捕らえられる。
12節:彼らの家は、畑や妻もろとも、他人の手に渡る。わたしがこの地の住民に手を伸ばすからだ。──主のことば──
・神の預言を伝えても、耳を貸す者はいないどころか、この言葉を不快に思い、避けている。
・いったい誰に話せばよいのか!もう話す相手はいないではないか!
・エレミヤの心は神の怒りでいっぱいになっていた。その時、エレミヤに神のみことばがあった。
・「それなら道端の幼子や若い男たちに語れ。聞く耳を貸さない夫婦や年長者たちは、その土地もろとも異邦人の手に渡り、多くのものが死ぬ!」
・更に彼らの家も土地も、他人の手に渡る。それは、全て主が決定し実施するのである。
・そのことを幼子や若者たちに知らせておけば、生き残って神の裁きを伝承する、ということであろう。
13節:なぜなら、身分の低い者から高い者まで、みな利得を貪り、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行っているからだ。
・神は、更に若者たちに伝える内容を示す。なぜイスラエルが酷い目に会うかを。
・耳を貸さない人々は、地位に関わらず利得を貪っている。常に金銭、富を最優先する民。
・預言者や祭司に至っては、利得を貪ると共に、全員偽り者である。(神の教えを示す者ではない!)
14節:彼らはわたしの民の傷をいいかげんに癒やし、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている。
15節:彼らは忌み嫌うべきことをして、恥を見たか。全く恥じもせず、辱めが何であるかも知らない。だから彼らは、倒れる者の中に倒れ、自分の刑罰の時に、よろめき倒れる。──主は言われる。」
・この偽預言者たちや祭司たちは、平安だと言って民を導いたが、結局侵略に遭遇する。
・侵略に遭い、彼らが恥と思い反省するかと思いきや、彼らは恥じるどころか、様々な言い訳をして誤魔化し、決して神の裁きであるとは言わない。
・その結果、彼らはその侵略で死(肉的な死)に、更に自分の刑罰、すなわち最終の刑罰(霊的な死)を受けてよろめくのである。
神の忍耐は、民のこうした心の状態を見て、限界点を超えていた。
民の心は、一分の隙も無いほど異邦人化していたのだ。鈍感の極みである。
16節:主はこう言われる。「道の分かれ目に立って見渡せ。いにしえからの通り道、幸いの道はどれであるかを尋ね、それに歩んで、たましいに安らぎを見出せ。彼らは『私たちは歩まない』と言った。
・「道の分かれ目に立って・・」→かつての神に信頼して歩む道と、それに反する偶像礼拝の道を見よ!
・古き良き道(律法に従って歩む道。それは神に従って生きる道。)こそが、本来の神の民の道。その道を改めて学び、歩め。そこに魂の安らぎがあるのだから。
しかし、イスラエルの民はこれを頑なに拒否する!
17節:わたしは、あなたがたの上に見張りを立て、『角笛の音に注意せよ』と命じたのに、彼らは『注意しない』と言った。
・神は「古き良き道」を思い起こさせるため、どうなされたか?
・「見張り人」・・預言者を指す。(へ)tzapha,tsawfaw・・外を見る、監視するの意。
・見張り人は敵の攻撃を知らせ、預言者は来たるべき神の裁きを警告する。(見張り人の単語自体は、預言者の意味ではない)
・神の預言者を通して、神の裁きを教えたが、民は全く無視した。
18節:それゆえ、諸国の民よ、聞け。会衆よ、知れ。彼らに何が起こるかを。
・神は異邦人諸国に、イスラエルの中に何が起こるかを見よと命じる。(証人となれ!)
・異邦人たちに向けて、神の存在を悟れと言われる。
19節:この国よ、聞け。見よ、わたしはこの民にわざわいをもたらす。これは彼らの企みの実。彼らがわたしのことばに注意を払わず、わたしの律法を退けたからだ。
・「この国よ、聞け。」→原語は、「地球よ、全地よ、聞け!」となっている。全世界と言う感覚であろう。
・神は、彼らの裏切りにより、裁きの決定を宣言された。
・原因は2つ。①神を無視してきたこと。②律法を退けたこと。
20節:いったい何のために、シェバから乳香が、また、遠い国から香りの良い菖蒲がわたしのところに来るのか。あなたがたの全焼のささげ物は受け入れられず、あなたがたのいけにえはわたしには心地よくない。」
・彼らの礼拝は、非常に貴重で高価なシェバ(アラビア南西部のイエメン地域)の乳香や遠くの国(インドから持ち込まれたとされる)の菖蒲と考えられる香水萱が捧げられる。
・しかし、彼らの全焼のささげもの(本来のものではない)は神にとって非常に不快で受け入れられない。
・イスラエルの民はその本分を忘れ、律法にない事をして誇り、その心は異邦人化していた。
古き良き昔を思い返して、悔い改める余地は、イスラエルの民にはない!
21節:それゆえ、主はこう言われる。「見よ、わたしはこの民につまずきを与える。父も子も、ともにこれにつまずき、隣人も友人も滅びる。」
・神は、この民につまずきを与える。つまずきとは、バビロンによる侵略である。
・この侵略は、滅びに繋がるほどの大破壊である。
22節:主はこう言われる。「見よ、一つの民が北の地から来る。大きな国が地の果てから奮い立つ。
23節:彼らは弓と投げ槍を固く握り、残忍で、あわれみがない。その声は海のようにとどろく。娘シオンよ。彼らは馬にまたがり、あなたに向かい、一団となって陣を敷いている。」
・北の大国(バビロン)の侵略を示す。
・強力な軍備で、残忍・非情なその軍隊は大海のよう。馬の軍団がエルサレムに向かって陣を敷く。
24節:私たちは、そのうわさを聞いて気力を失い、苦しみが私たちをとらえた。産婦のような激痛が。
25節:畑に出るな。道を歩くな。敵の剣がそこにあり、恐怖が取り囲んでいるからだ。
・イスラエルはその情報が入っただけで恐怖のどん底に落ちる。苦しみは産婦の激痛。
・すべての領域が囲まれ、隙のない状態は恐怖を更に増し加える。
26節:娘である私の民よ。粗布を身にまとい、灰の中を転げ回れ。ひとり子を失ったように喪に服し、苦しみ嘆け。荒らす者が突然、私たちに襲いかかるからだ。
・そんな恐怖の状態の時、敵は怒涛の如く、侵略を始める。
・神は、ひとり息子を失った者のように、最大の悲しみの中、喪に服せ!と言われる。
27節:「わたしはあなたを、わたしの民の中で、試す者とし、城壁のある町とした。彼らの行いを知り、これを試せ。」
・「試す者」・・金属を分析し、調査して特定する人。(物体がどんな金属であるかを試験調査する人)→本質を見極める人
・彼を「城壁のある町」とした。→民意の調査は、民から敵意を受ける可能性があり、それから守るという意味。
・民の本質を暴き出せ、との命令。
28節:彼らはみな、頑なな反逆者、中傷して歩き回る者。青銅や鉄。彼らはみな、堕落した者たちだ。
29節:吹子で激しく吹いて、鉛を火で溶かす。鉛は溶けた。溶けたが、無駄だった。悪いものは除かれなかった。
30節:彼らは捨てられた銀と呼ばれる。主が彼らを捨てられたのだ。
・その分析の結果は、外見は金、銀に見えても、その心は青銅(真鍮)や鉄であった。
・頑なな背教者であり、皆、堕落した人々だった。
・鉛を取り除こうとして火力を上げても、溶けはしたが取り除けなかった。(何度も預言者を与えたが無視)
・沁みついてしまった邪悪
・不純物の混じった銀。そんな民を、神は見捨てる以外、次の一手は無い。
・勿論、捨て去るのではなく、厳しい気付きの促しである事は言うまでもない。
『私たちは神の宮!』
・20節で神は、異邦人をまねて、全焼のいけにえを捧げる民を不快極まりないとして、当時のイスラエルの民を嘆きました。彼らは神との契約を締結していたのに、神の恵みを放棄していました。
・新約の時代に入り、イエス様の啓示により、神の注目ポイントは、私たちの心の在り方に移りました。恵みと信仰からなる信頼関係を築く人々を、神は自らの子として受け入れると約束されました。
・旧約の民と同様、私達も神との契約が成立していることを忘れてはなりません。私たちが信仰告白した時、自動的に契約は成立し、その証として聖霊が私たちに与えられています。
・私たちは、聖霊が宿る神の宮です。私は私!ではなく、私は神の宮!ということ。どんな時も共に歩み、神を礼拝する者であることを忘れてはなりません。
・これからも、神の宮である私たちの新たな人生を、聖書を通して皆さんと追求し続けて行きましょう。
「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。もし、だれかが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。あなたがたは、その宮です。」 第一コリント3:16~17