オバデヤ15節~21節

15節:なぜなら、の日がすべての国々に近づいているからだ。おまえは、自分がしたように、自分にもされる。おまえの報いは、おまえの頭上に返る。

オバデヤは実際のエドム民族の滅亡と共に、メシア的王国に至るまでのエドムの滅びを見せられている。近未来と遠未来が重なるヴィジョン。
人の目には、エドムの裁きは70年に終わっているように見えるが、神の目線では、終わっていない。エドムの地にかかわる裁きが継続している。

エドム、モアブ、アンモン人などの子孫は、今のアラブ人に吸収されたとされる。
エドムのようなイスラエルへの呪い(嫌がらせ)は神への呪い(反抗)である。
アブラハム契約の存在
あなたを祝福する者を祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう
エドム民族は歴史から姿を消したが、エドムの地、セイルの山は残り、そこに根付く民が存在する恵みの時代になり、ディスペンセーションは進展したが、あの陰険な行為をするエドムに対する、神の裁きは終わっていない
この個所は「主の日」であり、患難時代を指している。その時裁かれる諸国の中にエドムがいる。つまりエドムのように振る舞う諸国。(もしくはエドム人の血を引くリーダーの国の存在など)この時、自分たちが行った仕打ちが自分たちに降りかかる。(箴言26:27)神の報いが彼らに下される。

16節:おまえたちがわたしの聖なる山で飲んだように、すべての国々も絶えず飲み続け、飲んだり、すすったりする。彼らはまるで、いなかった者のようになる。

大患難時代には、エドムのような諸国がエルサレムで勝利の美酒を飲むが、それは実は神の怒りの盃である。神の怒りの盃を飲むことは、裁きと滅亡を意味する


17節:しかし、シオンの山には、逃れの者がいるようになる。そこは聖となり、ヤコブの家は自分の領地を所有するようになる。

大患難時代の最後に、イスラエルの逃れる者(残れる者・レムナント)がエルサレムに戻ってくる。

ヨエル2:31~32 主が再臨され、神による統治が始まる!ハレルヤ!!
この時、イスラエルの民の土地(領地)が明確にされる。つまり、約束の地が完全に与えられ、これはアブラハム契約(土地の契約)の成就を意味する。
栄光の身体による復活は語られてはいないけれども、新たな世界が始まることが預言されている。

18節:ヤコブの家は火となり、ヨセフの家は炎となる。エサウの家は刈り株となり、火と炎は刈り株に燃えつき、これを焼き尽くす。エサウの家には生き残る者がいなくなる。」がこう告げられたのである。

スラエルの復興は火の如く、そしてエドムはその火に焼き尽くされる。
イザ34:9~10・・「エドムの川はピッチに、その土は硫黄に変わる。その地は燃えるピッチになる。それは夜も昼も消えず、その煙はいつまでも立ち上る。そこは代代にわたって廃墟となり、もうそこを通る者はだれもいない。千年王国の間、ずっと燃え続け、くすぶり続ける状態]

勝者と敗者が明確に区別される。エサウを筆頭とするエドム人の如く、神に反抗し続ける者はすべて、患難時代、千年王国後に裁かれ滅ぼされる。(永遠の死へ)


19節:ネゲブの人々はエサウの山を、シェフェラの人々はペリシテ人の地を占領する。また彼らはエフライムの野とサマリヤの野を占領し、ベニヤミンはギルアデを占領する。

20節:イスラエルの人々に属する、この一群の捕囚の民はカナン人の地をツァレファテまで占領し、セファラデにいるエルサレムからの捕囚の民はネゲブの町々を占領する。

オバデヤは、実際に分けられる土地の状態(約束の地)を見せられている。つまり「メシア的王国の実現」を目の当たりにしている。

 

・ネゲブの人々―――→シメオン属 エサウの山(セイルの山地)を支配
・シェフェラ(低地)の人々―→ユダ属 ペリシテ人の地を支配

             ―→エフライムとサマリヤの平野を支配
・ベニヤミン族―――→ヨルダン川東部のギルアデを支配
・捕囚から戻る民―――→ツァレファテ(レバノンの町)を支配
・セファラデ(スペインの町)からの捕囚民―――→ネゲブ(南の町々)を支配
  約束の地がイスラエルに与えられる時が来る!

21節:救う者たちは、エサウの山をさばくため、シオンの山に上る。こうして、王国はのものとなる。

救う者たち・・・この預言では明確ではないが、イエス様を含む天の軍勢。
奥義のため、この時代イエス様は示されていないが、これはイエス様の再臨。
エサウ、つまりエドムの子孫や同類の悪魔に同調する者たちを裁き、エルサレムに神の王国が建ち、神、すなわちイエス様による統治世界が始まる。

2022年08月04日