エレミヤ書5章1節~31節
1節:「エルサレムの通りを行き巡り、さあ、見て知るがよい。その広場を探し回って、もしも、だれか公正を行う、真実を求める者を見つけたなら、わたしはエルサレムを赦そう。
・神は、「エルサレムの通りで、片っ端から公正で真実を追い求める者を探し出せ」と命じる。
・「正義と公正」とは神と律法に忠実であろうとする人。
・「もしそんな人が一人でもいたら、エルサレムの裁きは赦す」と神は言われた。(創18:24~32に似る)
・真の信仰者が極めて少ないことを示している。
2節:彼らが、主は生きておられる、と言うからこそ、彼らの誓いは偽りなのだ。」
・「主は生きておられる」と言いながら、心では偶像を見ているのが実態である。
・神の民だという彼らの誓いは偽りなのだ!
3節:「主よ、あなたの目は真実に届かないのでしょうか。あなたが彼らを打たれたのに、彼らは痛みもしませんでした。絶ち滅ぼそうとされたのに、彼らは懲らしめを受けることを拒みました。彼らは顔を岩よりも硬くして、立ち返ることを拒みました。」
(第1文)
・「あなたの目は真実に届かないのでしょうか。」の訳に注意。
・真実→truth・・(ヘ) emuna 堅固さ、忠実さ、信仰と言う意味。
・届かない(届く)→「目が向いている」の意味。更に意訳すれば、「期待している」という事であろう。
・「民の忠実さをご覧になっているのではないですか?」or「民の真の信仰に期待しているのではないですか?」
(第2文以降)
・何度も方向転換のための様々な仕打ちにも気付かず、民は悔い改めを拒否した。(エゼ3:7~8)
4節:私は思った。「彼らは、卑しい者たちにすぎない。しかも愚かだ。主の道も、自分の神のさばきも知らない。
・エレミヤの調査対象は社会的に地位が低いとされる、律法にも疎い人たちであった。
・上から言われる事に、何も考えず従う人たち。リーダーコンプレックス。
・ならばと、調査対象を変更する。→5節
5節:だから、身分の高い者たちのところへ行って、その人たちと語ろう。彼らなら、主の道も、自分の神のさばきも知っているから」と。ところが彼らもみな、くびきを砕き、かせを断ち切っていた。
・上層部、知識人に調査を開始。彼らは神や律法の教育を十分に受けている。
・貧しい人同様、神、そして律法(くびき、かせ)への服従を故意に拒否した愚か者たちだった。(詩53:1~3、ロマ10:1~3)
6節:そのため、森の獅子が彼らを殺し、荒れた地の狼が彼らを荒らす。豹が彼らの町々をうかがい、町から出る者をみなかみ裂く。彼らは背くことが多く、その背信がすさまじいからだ。
・神は異邦人諸国を用いて、貧しい者も上層部の人間も噛み裂き、殺す。
・彼らの契約違反、裏切りにより神の保護は取り消される。
・森の獅子・・バビロンと思われる。その他の猛獣は、バビロン以降の帝国を表すと考えられるが、攻撃パターンとする説や、すべてバビロンとする説がある。
7節:「これでは、どうして、あなたを赦すことができるだろうか。あなたの子らはわたしを捨て、神でないものによって誓っていた。わたしが彼らを満ち足らせると、彼らは姦通し、遊女の家で身を傷つけた。
・「こんな状態の南ユダをどうして赦す必要があろうか?」と言われて、次のように罪を指摘された。
・①神の放棄、②偶像礼拝、③祝福を与えると、姦淫に走る。(神の恩恵を偶像のお陰と見る)
8節:彼らは、肥え太ってさかりのついた馬のように、それぞれ隣の妻を慕っていななく。
・良く育ったさかりのついていななく種馬のように、隣人の妻を求める姿。(偶像礼拝)→2:24の野ろば
・ビジネスや利権、金儲けが絡んだ貪欲が原因と考える。
・それは、神を公然と拒否する行為である。
9節:これらについて、わたしが罰しないだろうか。──主のことば──このような国に、わたしが復讐しないだろうか。
・「国」→(へ)goy この語は一般的には異邦人を指す。
・このような国→異邦人化したイスラエルという意味。
・ここで神が指摘しているのは、異邦人のようになってしまった民への報いである。
10節:ぶどう畑の石垣に上り、それをつぶせ。ただ、根絶やしにしてはならない。そのつるを除け。それらは主のものではないからだ。
・裏切りに対する報復措置として、神のブドウ畑であるイスラエルを侵略者に与える。
・そこでブドウ畑の剪定を行い、神のものではない「つる(枝)」を取り去れと言われる。
・しかし、根絶やしにするのは不可!(4:27)
11節:実に、イスラエルの家とユダの家は、ことごとくわたしを裏切った。──主のことば──
12節:彼らは主を否定してこう言った。『主は何もしない。わざわいは私たちを襲わない。剣も飢饉も、私たちは見ない』と。
13節:預言者たちは風になり、彼らのうちにみことばはない。彼らはそのようにされればよい。」
・北イスラエルも南ユダも揃って神を裏切った。
・主の存在を無視し、自分たちには何のわざわいも来ないし、起きないと豪語している。
・更に、神の預言者を軽視し、まるで一瞬吹く風のように考え、そのみことばを気にも留めない。エレミヤもそのような扱いを受けていたに違いない!
・これらの民こそ、風のように消えてしまえば良い!
14節:それゆえ、万軍の神、主はこう言われる。「あなたがたがこのようなことを言ったので、見よ、わたしはあなたの口にあるわたしのことばを火とする。この民は薪となり、火は彼らを焼き尽くす。
・「あなたがた」は、イスラエルの民。「あなた」は、エレミヤ。
・エレミヤの語った神の災いの預言が実現する。それは激しい火となる。
・その火は、イスラエルの人々を薪にして燃え尽くす。この火の正体が次節で説明される。
15節:イスラエルの家よ。見よ。わたしはあなたがたを攻めるために、遠くの地から一つの国を来させる。──主のことば──それは古くからある国、昔からある国、その言語をあなたは知らず、何を話しているのか聞き取れない国。
16節:その矢筒は開いた墓のよう。彼らはみな勇士たち。
・侵略が許可される。遠くの侵略国とは?
①古くからある国・・ニムロデの国(創10:8~10、バベルはバビロンの別名)
②知らない原語・・カルデア語(アラム語)
③「矢筒は開いた墓のよう」・・弓の熟練者により民が次から次と死に、墓が開きっ放しの状態になる。飛び道具を持っている。
④戦争の経験者、専門家の存在。
侵略者とは、強力な軍隊を持つバビロン軍。
当時の人は、この預言を軽んじていたのだろう。
17節:彼らは、あなたの収穫とパンを食らい、あなたの息子と娘を食らい、羊の群れと牛の群れを食らい、ぶどうといちじくを食らい、あなたが拠り頼む城壁のある町々を剣で打ち破る。
・侵略の内容・・貯蔵食糧、収穫物、息子や娘たち、すべての家畜、農産物など諸々すべて。
・城壁あるエルサレム、町々は打ち滅ぼされて占領される。
18節:しかし、その日にも──主のことば──わたしはあなたがたを滅ぼし尽くすことはない。
・エレ4:27の「滅ぼし尽くさない」と言う言葉が繰り返される。
・エレミヤの目には、全滅に見えてしまう壮絶さであるから、神はそのように語られる。
19節:『われわれの神、主は、何の報いとして、これらすべてのことを私たちにしたのか』と尋ねられたら、あなたは彼らにこう言え。『あなたがたが、わたしを捨て、自分の地で異国の神々に仕えたように、あなたがたは自分の地ではない地で、他国の人に仕えるようになる。』
・必ず生き残った者たちからの問いがある。この報いは、一体何が原因ですか?
・その時はこう答えよ。→神が与えた約束の地で、神を無視し、異国の偶像に仕えたのだから、約束の地以外の場所で、異国の人(王)に仕えるがよい!かつての奴隷のように!
20節:ヤコブの家にこれを告げ、ユダに言い聞かせよ。
21節:さあ、これを聞け。愚かで思慮のない民よ。彼らは目があっても見ることがなく、耳があっても聞くことがない。
22節:あなたがたは、わたしを恐れないのか。──主のことば──わたしの前で震えないのか。わたしは砂浜を海の境とした。それは永遠の境界で、越えることはできない。波が逆巻いても勝てず、鳴りとどろいても越えられない。
・神はイスラエルの民に言い聞かせよ、と命じた。何故なら彼らは愚か者で思慮がないから。
・霊的には目が見えず、耳も聞こえない者たち。
・よく聞け!イスラエルの民よ!と言う感じで、「なぜ神を恐れないのか?」と問いただす。
・海と砂浜を用いて、あの巨大な海でさえ、神が決めた境界を超えることはできないと言う。
・自然を創造し制している創造主なる神を、何故お前たちは恐れないのか?
・神は創造主であり、秩序を設定された。海が従うように、自然の全てが従順に動いている。
23節:しかしこの民には、強情で逆らう心があった。それで彼らは離れて行った。
・この民は、そのことを知りつつ、そのことを忘れ、神から離れて行き、自分の道を進んで行った。
24節:彼らは心の中でさえこう言わなかった。『さあ、私たちの神、主を恐れよう。主は大雨を、初めの雨と後の雨を、時にかなって与え、刈り入れのために定められた数週を守ってくださる』と。
・せめてこんなことを思っていてくれるなら、まだ救いようもあっただろうに・・・。
・「創造主なる神を恐れよう。神は豊かな収穫を与えてくださるために、時にかなって、大雨や秋の雨、春の雨を与えてくださり、私たちに豊かな収穫の時と環境を与えてくださる。」
・春の収穫祭が滞りなく開催できるのは、その収穫のお陰であり、それを導く神の祝福である。
・過越しの祭り、種なしパンの祭り、初穂の祭り、五旬節の祭り・・これらは春の祭りとも呼ばれ、3月から6月に開催される。神への感謝である。(この祭りには秘められた神の啓示がある)
25節:あなたがたの咎がこれを追いやり、あなたがたの罪がこの良いものを拒んだのだ。
・しかし、この祝福も、時の経過と共にイスラエルの民から遠ざかって行った。
イスラエルの民が神を捨て拒否したからである。→(従えば祝福、反すれば災い)
26節:それは、わが民のうちに悪しき者たちがいるからだ。彼らは野鳥を捕る者のように待ち伏せし、罠を仕掛けて人々を捕らえる。
27節:鳥でいっぱいの鳥かごのように、彼らの家は欺きで満ちている。だから、彼らは大いなる者となり、富む者となる。
・こうした咎の原因は、イスラエルの民の中に、「悪しき者たち」が存在しているから。
・悪しき者たちは、まるで野鳥を獲るように、罠を仕掛けて人々を捕らえる。
・鳥かご(イスラエル)に捕らえられた鳥たち(悪しき者たちに捕まったイスラエルの民)がいっぱいになる。
・結果、悪しき者は欺瞞により富に満ちる。欺瞞による繁栄が、神の祝福と勘違いする愚か者たち。
28節:彼らは肥えてつややかになり、悪事において限りがない。孤児のために正しいさばきをして幸いを見させることをせず、貧しい人々の権利を擁護しない。
・彼らの欺瞞は限りがなく、孤児を苦しめ、貧しい人たちを虐げる。その結果彼らは益々栄える。
・その姿は豊かに肥え太り、更に艶光りする。→肥えて、艶光する馬を指してると思われる。
29節:これらに対して、わたしが罰しないだろうか。──主のことば──このような国に、わたしが復讐しないだろうか。
・5:9と同じ言葉が繰り返されている。5:8は肥え太ってさかりのついた馬について言及している。
・神はこのようになってしまった国を、罰せずにはおかない!
30節:荒廃とおぞましいことが、この地に起こっている。
・「荒廃とおぞましいこと」・・荒廃と訳されている語は、(へ)shama で、思いもかけない、驚くべきこと、の意味。(へ)sha’aruah は(恐ろしい)事を指す意味。
・「思いもかけず、とんでもないことが地上に起こっている。」という解釈がお勧め。
(なぜ荒廃と訳されているのか??)
31節:預言者は偽りの預言をし、祭司は自分勝手に治め、わたしの民はそれを愛している。結局、あなたがたはどうするつもりなのか。」
・「自分勝手に」・・(へ)yad は「手」を意味している。
・祭司は神の言葉に従わず、偽預言者の手(やり方)で統治し、その指導に従った。(政治、外交など)
・更に驚くべきは、民もそうした統治に喜んで従っている。
・この偽預言者のことばが完全に覆ったとき、あなたがたはどうするつもりなのか?
神はエレミヤを通して、「公正な者」は一人もいない状況が招く未来を示された。
※この時は善王ヨシヤ王の時代。エレミヤは、その時代にバビロン捕囚時の状態を預言。
それはヨシヤ王の時代に、すでにその兆候があったという事であろう。4章9節も同様。
『愛の神』
・21、22節で神は、自然の摂理を見て神の絶大なる存在を恐れないのかと言われ、イスラエルの民を愚か者と言われた。神は、その絶対的存在の完全認知を願っておられる。
・神は私たちに神の知恵を与えてくださっている。決して人間の価値観で、神や神のなさることを計ってはならない。それは、神を自分に引き付けることであり、神はそれを愚かと言う。
・神を見上げれば見上げるほど、益々神の大きな存在に驚かされる。人間の思考の領域は狭いからこそ、旧約の学びを通して、神の御業の歴史を学ぶ必要があるのは当然のこと。
・この神は決して怒る神ではなく、『愛』の神であり、愛を完全に貫かれる神である。故に、罪深く、小さく、哀れな存在である私達でも、神の愛のうちにあって救われ、未来は約束されている!ハレルヤ!
「神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。」 ユダ1章21節