ナホム1章3節~15節
3節:主は怒るのに遅く、力強い方。決して罰せずにおかれることはない。
忍耐強く辛抱される神だが、その忍耐に甘えていてはならない。その偉大な力で必要な裁きは下される。
主は、その道がつむじ風と嵐の中にあり、雲は、御足がかき立てるほこりである。
とあるように、神は天候を支配しておられるお方である。
4節:主は海を叱って干上がらせ、すべての川を涸らされる。バシャンとカルメルはしおれ、レバノンの花もしおれる。
バシャンとはゴラン高原のことで、バシャンもカルメルもレバノンも水の豊かな場所である。主は、それらを干上がらせるのである。
5節:山々は主の前に揺れ動き、もろもろの丘は溶け去る。地は御前でくつがえる。世界とその中に住むすべてのものも。
神の力は地形の変動。世界を巻き込む天変地異。
6節:主の激しい憤りの前に、だれが立てるだろうか。だれが、その燃える怒りに耐えられるだろうか。主の憤りは火のように注がれ、岩々は御前に打ち砕かれる。
主の怒り(力)は燃える火。だれひとり耐えられない怒りの火が注がれ、神の御前には、どんな権威も立つことはできない!
7節:主はいつくしみ深く、苦難の日の砦。ご自分に身を避ける者を知っていてくださる。ゆえに、神は将来も、主に身を避ける者、主の戒め、教えに従い主に信頼する者をご存知であると言われる。ここに、神の愛、将来の残れる者への救いが示されている。
8節:しかし、押し流す大水でその場所を滅ぼし尽くし、敵どもを闇に追いやられる。
しかし敵に対しては、必ず、滅ぼし尽くし闇に追いやる。神はいつまでも悪を野放しにはしない!
9節:おまえたちは主に対して何を企むのか。主は滅ぼし尽くす方。敵対する者は二度と立ち上がれない。
「おまえたち」とは、ユダヤ人を攻める異邦人全体を指す。最終的には滅ぼし尽くす神に対して何をしようというのか?
10節:彼らは、絡みついた茨。大酒飲みの酔っぱらいのようだ。乾ききった刈り株のように焼き尽くされる。
「彼ら」とは異邦人の中の、アッシリヤ帝国そのものを指す。何層にも絡みつく歴史ある帝国。彼らは酩酊し、自分が何をしているのかわからない。結局、成長しても、刈られ、焼き尽くされてしまう。
11節:おまえたちの中から、主に対して悪を謀り、よこしまなことを企てる者が出た。
「おまえたち」とは、歴代のアッシリヤのことで、ここに暴虐著しい邪悪な者(ベリアル)が出たと言っている。ベリアルは、旧約聖書ではサタンのこと。具体的にはセンナケリブ王(BC705年~BC681年)のことである。
12節~13節:主はこう言われる。「彼らが壮健で、数が多くても、それでも、刈り取られて去って行く。わたしはあなたを苦しめたが、もう苦しめない。今、わたしは彼のくびきを砕いてあなたから外し、あなたのかせを打ち砕く。」
「彼ら」はアッシリヤのセンナケリブの軍隊。「あなた」はユダ。「彼」はセンナケリブ王。南ユダは、アッシリヤに責められ追い詰められていた。しかし、神はアッシリヤを打ち砕かれる。
14節:主はおまえについて命じられる。「もはや子が宿ることなく、おまえの名は絶える。おまえの神々の宮から、わたしは彫像や鋳造を断ち切る。わたしはおまえの墓を造る。おまえが取るに足りない者となったからだ。
「おまえ」とはアッシリヤ。彼らに子孫繁栄はない!これは彼らにとって屈辱的なこと!子孫の繁栄はないと宣告されることは完全な滅びを意味する。
15節:見よ。良い知らせを伝える人の足が、平和を告げ知らせる人の足が山々の上にある。ユダよ、あなたの祭りを祝い、あなたの誓願を果たせ。よこしまな者たちは、もう二度とあなたの間を通り過ぎることがない。彼らはみな、絶ち滅ぼされた。
「見よ。良い知らせを伝える人の足が、平和を告げ知らせる人の足が山々の上にある。」これはイザヤ書52:7からの引用である。イザヤ書52:7~10は、終末の勝利をも暗示している。ハバクク、ゼパニヤの学びの時に、彼らはイザヤ書を知っていると言ったが、その証拠。しかし、この預言書は、終末の預言ではなく、目の前にあるアッシリヤへの裁きに絞られている。