ネヘミヤ記5章1節~19節

1節:さて、民とその妻たちから、同胞のユダヤ人たちに対して強い抗議の声があがった。

・外部の敵の問題がひと段落したと思ったら、激しい数々の抗議が寄せられた。
・何と同胞のユダヤ人に対する抗議である。(律法違反:出エジ22:25)


2節:ある者は、「私たちには息子や娘がいて、大人数だ。食べて生きるために穀物をてにいれなければならない」と言い、

3節:またある者は、「私たちの畑も、ぶどう畑も、家も抵当に入れなければならない。この飢饉に際して穀物を手に入れるために」と言った。

4節:またある者は言った。「私たちは、畑やぶどう畑に課された王の税金を支払うために、金を借りなければならなかった。

5節:現に、私たちの血肉は私たちの同胞の血肉と同じだし、私たちの子どもも彼らの子どもと同じだ。それなのに、今、私たちは息子や娘を奴隷に売らなければならない。実際、もう娘が奴隷にされている者もいる。ところが、私たちの畑もぶどう畑も他人の所有となっているので、私たちにはどうする力もない。」

・「家族が食べるために穀物が必要である。」
・「畑、ぶどう畑、家を抵当に入れて借金して、飢饉を凌ぐため穀物を入手。」
・「王から課された税金を払うために、借金している」。(城壁再建工事の時期は、飢饉の状態)

これらの借金は同胞のユダヤ人からで、その借金が返せない状態
その抵当は取られ、更に娘、息子を奴隷に売らねばならない状態
何故、同胞のユダヤ人でありながら、私たちだけこのような目に合うのか!

6節:私は彼らの抗議と、これらのことばを聞いて、激しく腹を立てた。

7節:私は十分考えたうえで、有力者たちや代表者たちを非難して言った。「あなたがたはみな、自分の同胞たちに、利子をつけて金を貸している。」そして大集会を開いて彼らを責め、

・激しく怒るネヘミヤ。時間をおき、熟慮して有力者や代表者たちを非難する。

(新共同:貴族と役人)3:5の再建に参加しない貴族を思い出す
・この問題はネヘミヤの想定外だったかもしれない。故に時間をかけた。(どのように叱責するかが難しい)
・大会衆の面前で抗議するネヘミヤ。
・「自分の同胞たちに利子を付けて金を貸している」 律法違反:出エジ22:25、レビ25:35~39、申23:19~20


8節:彼らに言った。「私たちは、異邦の民に売られた同胞のユダヤ人を、できる限り買い取った。それなのに、あなたがたはまた自分の同胞を売ろうとしている。彼らはまた私たちに売られなければならなくなる。」すると彼らは黙ってしまい、一言も言えなかった。

・ネヘミヤの糾弾の仕方は、ちょっと違う!
・異邦の民に売られたユダヤ人を買い戻していたネヘミヤ。
・あなたがたは、奴隷を買い戻している苦労も知らず、また市場へ奴隷を供給しているのだ!➡異邦の民に、ユダヤ人の恥をさらしているようなもの

ネヘミヤの善行をもって、上層部、貴族を叱責した。同胞者としての姿勢と神の民としてのあるべき姿勢を見せた。

 

9節:私は続けた。「あなたがたのしていることは良くない。あなたがたは、私たちの敵である異邦の民から侮辱を受けることなく、私たちの神を恐れつつ歩むべきではないか。

10節:私も、私の親類の者も、私の配下の若い者たちも、彼らに金や穀物を貸してやったが、私たちはその負債を帳消しにしよう。

11節:だから、あなたがたも今日、彼らの畑、ぶどう畑、オリーブ畑、家、それに、あなたがたが彼らに貸していた金や穀物、新しいぶどう酒、油などの利息分を彼らに返してやりなさい。」

・神を恐れつつ歩むべきではないか!・・神の民としての尊厳を忘れてはならない!
・率先して手本を示すネヘミヤ・・先ずリーダーがあるべき姿を示す・・負債の帳消し!
 ネヘミヤは自ら負債を帳消しにするとして、最大限の神の民としてのあるべき姿を示した!
・そして、貴族、上層部たちに全ての負債や利息分の返還を指示した。


12節:すると彼らは、「私たちは返します。彼らから何も要求しません。私たちはあなたの言われるとおりにします」と言った。そこで私は祭司たちを呼んで、この約束を実行する誓いを立てさせた。

・ネヘミヤの指示に完全に従う姿勢の上層部、貴族。「何も要求しません。言われるとおりにします!」
・ネヘミヤは、誓いにより神を介在させている。神と個人との関係であり、また祭司が証人となる。裁くのではなく、導くという基本姿勢がネヘミヤの素晴らしい点!


13節:私はまた、衣の裾を振って言った。「この約束を果たさない者はだれでも、神がこのように、その人の家から、また、その人の勤労の実から振り落としてくださいますように。このように振り落とされて、無一文になりますように。」すると全会衆は、「アーメン」と言って主をほめたたえた。こうして民はこの約束を実行した。

・ネヘミヤは、衣の裾を振る。→神の祝福から振り落とされるという象徴。これを全会衆の前で実施。
・勤労の実・・働いて得た成果(財産)であるが、実際には彼らではなく金を借りる人々の実である。
・「神の祝福、財産から振り落とされ、無一文になりますように!」・・神の裁きが下りますようにということ。
・全会衆はアーメン!で応答した。
・民→宣誓した者たちを指す。

神の民としてのあるべき姿が、地位に関係なく民全員に示され、そして向かわせた!
ピンチをチャンスに切り替えるネヘミヤ、そして神の導き!
ネヘミヤの素顔が示され、益々信頼されるネヘミヤ
神は私たちをも常にそのように導いておられる。私たちの人生は最終的には勝利なのだ

14節:また、私がユダの地の総督として任命された日から、すなわち、アルタクセルクセス王の第二十年から第三十二年までの十二年間、私も私の親類も総督としての手当てを受けなかった。

15節:私の前任の総督たちは民の負担を重くし、銀四十シェケルのほかにパンとぶどう酒を民から取り立てた。しかも、彼らに仕える若い者たちは民にいばりちらした。しかし、私は神を恐れて、そのようなことはしなかった。

16節:また、私はこの城壁の工事に力を注ぎ、私たちは農地を買わなかった。私の配下の若い者たちはみな工事に集まっていた。

ネヘミヤの再建にかける姿勢。
・ネヘミヤと彼の親類は、王より総督の地位を得ていた。
・アルタクセルクセス王20年~32年まで。(BC445年~BC433年)
・その間、総督としての手当て(直訳:パン)を一切受け取らなかった。無給の奉仕。
・前任者は民に、銀40シェケル(40✖11.4g)とパンとぶどう酒を課し、彼らの配下は傍若無人。
・ネヘミヤは神を恐れ、そのような態度はとらない。
・また、農地買収のような利殖もしない。部下もただ再建に従事させた。

それは、ネヘミヤの思い(目的)が、純粋な神への奉仕だから!
リーダーとしてのあるべき姿を造るのではなく、神に信頼し、神に自らを捧げるという
根本的な姿勢が、彼を益々優秀なリーダーとして、神が導かれて行く。ハレルヤ!

17節:ユダヤ人と代表者たち百五十人、また私たちの周囲の国々から来る者が、私の食卓に着いていた。

18節:そのため、一日に牛一頭、選り抜きの羊六頭が料理され、私のためには何羽かの鳥が料理された。それに、十日ごとに、あらゆる種類のぶどう酒がたくさん用意された。それでも私は、この民に重い負担がかかっていたので、総督としての手当を要求しなかった。

・ネヘミヤの無償の奉仕→当然出費となる。

・例えば、ユダヤの人、代表者(役人)、周囲の国の人々が食卓に着くとその日は、・・・150人。
・牛1頭、選別された羊6頭、何羽かの鳥料理とともに、10日ごとにあらゆる種類のワインが消費される。
・これらの負担は本来、民からの総督としての手当てとなるのだが、ネヘミヤは全く要求しなかった。

城壁再建に対する余計な負担となる事は明白。ネヘミヤは神へのささげもののように自己負担した。

19節:私の神よ。どうか私がこの民のためにしたすべてのことを覚えて、私をいつくしんでください。

・人知れず、ネヘミヤなりの再建に対する奉仕を主に告白する。     ↓新共同
・神の民のため、ひいては神のために捧げた奉仕を、主よ、快く心に留めてください。

決して自慢する心ではない。神のために働くことの喜びと、砕かれた謙虚な心が示されている。

 

ネヘミヤと民の一体感

予想されていなかった内部の問題に冷静に対応するネヘミヤ
・ネヘミヤの心の奥には常にイスラエルの神のために生きるという大命題があった。
・ネヘミヤは、上層部に対して自らの生き方を示す。(裁かず導く姿勢)
・それは、神の民として如何に生きるかという、根本的大原則。(リーダーの使命)
・常に、民全員と同様のポジションにあり、常にリーダーと民との一体感が生まれる。


ネヘミヤに導かれる貴族、上層部の人々(アイデンティティの確立)
・世の考え方(蓄財)に心奪われ、神・律法を忘れ、自己中心的な貴族、上層部。
・上層部の人や、城壁再建に不参加の貴族たちは、ネヘミヤの姿勢に気付かされた。
・すべての負債を返還するという行動は、その思いの表れと想像する。
・こうして、ユダヤ人全体の一体感がここに確立した。
全ての基本は心の状態、すなわち正しい信仰心であり、私たちも同様である。

 

自らの姿から溢れ出る神の栄光

ネヘミヤは想定外の問題に対して熟考し、そして自らの生き方を彼らに示して、神の民として正しく生きる道を示した。
その時その場を取り繕うために語っても、実践が無ければ何の説得力もない。むしろ、少しでも綻びがあれば、反発を招き、組織は崩壊する。
神を信じたその人が、喜びつつ神を恐れて幸いに生きる姿勢を貫くことが、神の栄光を示すことになる。
正しいことを知っているという事は重要である。つまり聖書が示すことを正確に把握することは基本である。
その正しさを学んで、希望や神のご人格を知り、示される神の教えを如何に実践して、与えられた人生を歩むかが大事である。

決して私たちが道を造るのではない。私たちは主の道を主と共に歩み、その人生のすばらしさを人々に示すのである。ネヘミヤのように!


2023年10月04日