エレミヤ書16章1節~13節
1節:次のような主のことばが私にあった。
2節:「あなたはこの場所で、妻をめとるな。息子や娘も持つな。」
・神はエレミヤに結婚禁止の指示を出す。
・当時の一般常識とは真逆!理由は3~4節。
※ホセアは結婚せよと命じられた。しかし、幸いなものではなかった。
・「この場所」とは、約束の地、イスラエルの地と思われる。祝福が失せた地となる。
3節:まことに主は、この場所で生まれる息子や娘について、また、この地で彼らを産む母親たちや、彼らをもうける父親たちについて、こう言われる。
4節:「彼らはひどい病気で死ぬ。彼らは悼み悲しまれることなく、葬られることもなく、地の面の肥やしとなる。また、剣と飢饉で滅ぼされ、屍は空の鳥や地の獣の餌食となる。」
・悲惨な状況が発生し、子孫繁栄は不可能となる。
・エレミヤの独身は、家族の死の苦しみの回避であり、民への預言的行動である。
5節:まことに主はこう言われる。「あなたは、弔いの家に入ってはならない。悼みに行ってはならない。彼らのために嘆いてはならない。わたしがこの民から、わたしの平安を、また恵みと、あわれみを取り去ったからだ──主のことば──。
・葬儀への参加の禁止。→イスラエルの伝統、常識に反する行為。
・葬儀の対象は、神によって裁かれた人々。→神の意向に反逆する者たち。
※そんな者たちへの弔問は不要!→エレミヤは神の預言者である。
・神の平安、恵み、あわれみを無視した結果、彼らには裁きが来る。
※偶像礼拝する者たちを非難している。
6節:この地の身分の高い者や低い者が死んでも葬られず、だれも彼らを悼み悲しまず、彼らのために身を傷つけず、髪も剃らない。
・この時、身分の上下に関わらず、偶像の儀式は普段のようには行われない。
※「身体に傷をつける」偶像の儀式⇒これは、律法の禁止事項(レビ19:28、申14:1)
※「剃髪」喪のしるしとして妥当な行為(アモス8:10、エゼ7:18)
※混乱した儀式も、大惨事が起きれば姿を消す。偶像礼拝には実体がない。
7節:死者を悼む人のために、葬儀でパンが裂かれることはなく、父や母の場合でさえ、悼む人に慰めの杯が差し出されることもない。
・葬儀のとき、パン裂きも、慰めの杯を出される習慣も行われない状況となる。
・とても厳しい状況が迫っている。
☆私見
・エレミヤに禁止事項を指示して、民が今後どうなるかを示された。
・エレミヤが関わるイスラエルの民のほとんどが偶像礼拝者たちであり、結婚式、葬儀となれば、偶像の礼拝、習慣が入り混じり、神にとっては不愉快なもの。
・神の裁きを無視して滅びに向かう愚かな民に、神の人エレミヤが関わる必要がないことを示唆したのではないかと考える。
8節:あなたは弔いの宴会の家に行き、一緒に座って食べたり飲んだりしてはならない。」
・葬儀の宴会への参加の禁止。イスラエルの伝統、常識に反する行為。
・葬儀の対象は、神によって裁かれた人々。→神の意向に反逆する者たち。
※そんな者たちへの弔問は不要!
※神が偶像礼拝する者たちを見捨てた宣言に思える。
9節:まことに、イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。「見よ。わたしはこの場所から、楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声を絶えさせる。あなたがたの目の前で。あなたがたが生きているうちに。」
・「楽しみの声」、「喜びの声」→結婚の喜び→子孫繁栄の喜び→絶えさせる。
・時期は?→「あなたがたが生きているうちに」→この時代の人々に体験させるということ。
※F博士は、「エレミヤの生きている間に」、と解説。
※新共同:「お前たちが生きているかぎり、」
※神の決定事項。
10節:「あなたがこの民に、このすべてのことばを告げるとき、彼らがあなたに、『何のために、主は私たちに、この大きなわざわいを語られたのか。私たちの咎とは何か。私たちの神、主に対して犯したという、私たちの罪とは何か』と尋ねたら、
・神が、3種の禁止事項をエレミヤに実行指示。
・それは、イスラエルの民への指示であることを意味する。
・民は、その実行命令に疑問を持つ。
①この大きな災いとやらが、何のために起こるのか?
②私たちの咎とは、そして罪とは何か?
➥民は自分たちの罪に気付けないほどに、異邦人化し、日常化していたことが分かる!
偽の神の民は、「エレミヤは偽物!」と言って、揶揄していたであろう。
11節:あなたは彼らにこう言え。『あなたがたの先祖がわたしを捨て──主のことば──ほかの神々に従い、これに仕え、これを拝み、またわたしを捨てて、わたしの律法を守らなかったことだ。
12節:さらに、あなたがた自身が、自分たちの先祖以上に悪事を働き、しかも、見よ、それぞれ頑なで悪い心のままに歩み、わたしに聞かないでいる。
・先ず、先祖が偶像礼拝に傾倒し、神と律法を捨てた。(特にマナセ王時代か)
・そして、この当時の民は、先祖以上に偶像に走り、神を無視している。
・神は、先祖以上に頑なに神を無視する民を裁くことを決定された。
※形骸化した民は、心の中に偶像を据え、自分勝手な価値観に浸っている。
神の裁きが決定的となった理由(F博士の意見)⇒申命記が見つかったことが関わっている。
・申命記が見つかる以前→ヨシヤ王の前→律法を忘れていた時期。
・申命記が見つかった後→ヨシヤ王以降→律法を知っていながらの反抗姿勢。
※神はマナセ王の時に決まった裁きを、申命記を与え、強い意志で延期しようとなさっていた!
13節:それで、わたしはあなたがたをこの地から放り出し、あなたがたも先祖も知らなかった地に行かせる。あなたがたは、そこで昼も夜も、ほかの神々に仕える。わたしはあなたがたに、いつくしみを施さない。』
・「知らなかった地に・・」・・捕囚、離散が決定。昼夜、継続的に偶像に仕えることとなる。
ダニエル書のダニエルの3人の友の話からも強制的な偶像礼拝が推測できる
・ダニエルの3人の友以外は、偶像を拝めという命令に従っていた。
・この時以降も、同様の状況となっていたと推定。
・神は、民に対して好意も恵みも示さず、慈しみは示さないと宣言された。
民がエレミヤに示された禁止事項を破るのは確実。その結果下される罰も決定している。
『平安への最善策』
・神はエレミヤを通して、神の民の証明である律法を守るな!と言われました。民は神の御心を悟らず、人の目ばかりを気にして外見は整え、それで良いと思っていました。
・現代は、私たちの内に聖霊が住まわれ、神に対しての言い訳は不可能です。心に律法が書き記されるという事は、こうした旧約の状況を一変する出来事です。
・心から信じて与えられた神の証印である聖霊。こうした神の御業を理解すれば、それが喜び、励みとなり、神が示されている道を力強く歩もうと思えるのです。
・イエス様が示される平安の道は、肉の私たちが自分たちの思いで築き上げられるものではありません。聖霊と共に、そして神と共に歩むことが平安に辿り着く最善策なのです。
「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのとは同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」ヨハネ14:27