エレミヤ書19章10節~20章6節
10節:そこであなたは、同行の人たちの目の前でその瓶を砕いて、
・長老、祭司の指導的立場の者たちの前で、陶器を割れ!
11節:彼らに言え。『万軍の主はこう言われる。陶器師の器が砕かれると、二度と直すことはできない。このように、わたしはこの民と、この都を砕く。人々はトフェトに空き地がないまでに葬る。
・19:1~2で示された象徴的行動の解説
・修復不可能な陶器(18章の粘土とは違う)⇒人々と都に凄まじい破壊を起こすと神は宣言する。
※死体がトフェトに満ちるほど・・バビロン捕囚時では、満ちるほどではなかったが、それはAD70年で実現する。
12節:わたしはこの場所と──主のことば──その住民にこのようにする。わたしはこの都をトフェトのようにする。
・この場所「この都」とそこの住民を苦しめる。
・都をトフェトのようにする。⇒焼かれる。
13節:エルサレムの家々とユダの王の家々、すなわち、屋上で天の万象に犠牲を供え、ほかの神々に注ぎのぶどう酒を注いだすべての家々は、トフェトの地のように汚される。』」
・「屋上で天の万象に犠牲を供え、…」⇒偶像礼拝をしている。
・王家の人々から一般に至るまで、偶像礼拝者たちは死ぬこととなる。
※エレミヤ32:29、ゼパニヤ1:4~5参照
ーマタイ27章9~10節ー
「その時、預言者エレミヤを通して語られたことが成就した。『彼らは銀貨三十枚を取った。イスラエルの子らに値積りされた人の価である。主が私に命じられたように、彼らはその金を払って陶器師の畑を買い取った。』」
*なぜ、マタイはここでエレミヤという名を挙げたのか?エレミヤの語ったどの預言が成就したのか?
「マタイ27章:3~8節」の概略
ユダがイエスを祭司長たちに売ったときに得た代金は銀貨三十枚。イエスが死刑と知って後悔し、それを祭司長たちに返したが、祭司長たちは受け取らず、ユダは神殿にそれを投げ込んで、その後、首を吊った。祭司長たちはその銀貨で、旅人の異邦人のための墓地として、陶器師の畑を買った。その地は「血の畑」と呼ばれる。陶器師の畑(血の畑)とはトフェトのことである。
もう一つの預言 ―ゼカリヤ11章:12~13節―
「私は彼らに言った。「あなたがたの目にかなうなら、私に賃金を払え。もしそうでないなら、やめよ。」すると彼らは、私の賃金として銀三十シェケルを量った。主は私に言われた。「それを陶器師に投げ与えよ。わたしが彼らに値積もりされた、尊い価を。」そこで私は銀三十を取り、それを主の宮の陶器師に投げ与えた。
マタイ27:9~10は、ゼカリヤの預言《銀三十》とエレミヤの預言《陶器師の畑(トフェト)》が重なって成就したということになる。
エレミヤではベン・ヒノムの谷、トフェトにて、陶器が割られて、イスラエルの民の破壊が預言された。
マタイで、ユダがイエス様を奴隷と同じ額で売った(ゼカリヤの預言)。ユダはその金を祭司長たちに返し自殺。祭司長たちはその金で、陶器師の畑(血の畑)を異邦人の墓として購入した。
陶器師の畑の購入は、エレミヤが預言した土地で為された呪いを購入したこととなる。
この行為が、エレミヤの預言の成就と見なしている。つまり捕囚のような悲劇が起こるという事。実際、その後のAD70年に神殿は崩壊し、ヒノムの谷は死体の山となり、預言は成就する。
14節:そこでエレミヤは、主が預言のために遣わしたトフェトから帰って、主の宮の庭に立ち、民全体に言った。
・トフェトから戻り、主の神殿の庭に立って、民全員にトフェトの預言を述べた。
・対象は、全イスラエルの民という事だから。
15節:「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ。わたしはこの都とすべての町に、わたしが告げたすべてのわざわいをもたらす。彼らがうなじを固くする者となって、わたしのことばに聞き従おうとしなかったからである。」
・なぜ、壮絶な裁きであるわざわいを下すのか?それは、神のことばに従わない頑固者だから!
20章
1節:さて、主の宮のつかさ、また監督者である、イメルの子、祭司パシュフルは、エレミヤがこれらのことばを預言するのを聞いた。
・祭司パシュフル→祭司長。監督者(ヘ)pakid。預言もしていた。(偽預言者)
・エレミヤの預言を聞いていた上層部の一人。
・彼にとって、エレミヤの預言は自分が築いた平和を乱す言葉であった。
2節:パシュフルは、預言者エレミヤを打ち、彼を主の宮にある、上のベニヤミンの門にある足かせにつないだ。
・エレミヤをムチ打ちの刑に。申命記25:3によれば40回のムチ打ち。
・神殿のベニヤミンの上門にある足かせ。(ベニヤミンの門→羊の門)
※足かせ(ヘ)machpeket・・曲がった姿勢、罰の道具、刑務所などの意味。
※曲がった姿勢・・エレミヤの身体を一晩中、歪んだ状態にして拘束した。
※仕置き部屋のようなところであろう。
3節:翌日になって、パシュフルがエレミヤを足かせから解いたとき、エレミヤは彼に言った。「主はあなたの名をパシュフルではなく、『恐怖が取り囲んでいる』と呼ばれる。
・翌日、解放されたエレミヤ。相当のダメージであった。
・エレミヤは、パシュフルの名が、神によって「恐怖が取り囲んでいる」(ヘ)マゴール・ミサヴィヴと呼ばれることになると言った。
4節:まことに主はこう言われる。見よ。わたしはあなたを、あなた自身とあなたの愛するすべての者にとって恐怖とする。彼らは、あなたが見ている前で、敵の剣に倒れる。また、わたしはユダの人すべてをバビロンの王の手に渡す。彼は彼らをバビロンへ引いて行き、剣で打ち殺す。
・「恐怖が取り囲んでいる」⇒NIV「あらゆる面での恐怖」;新共同「恐怖が四方から来る」
*パシュフルと彼の友人、知人、縁者すべてに恐怖が与えられる。
*彼の目の前で、それらの人々が殺される。
*更にユダの人々はバビロンに捕囚され、殺される。
マゴール・ミサヴィヴ→バビロンによって、恐怖がパシュフルとその周囲の人々に起こる事を意味する名前
5節:また、わたしはこの都のすべての富と、すべての労苦の実と、すべての宝を渡し、ユダの王たちの財宝を敵の手に渡す。彼らはそれをかすめ奪い、略奪してバビロンへ運ぶ。
・神は、更にエルサレエムの富、財宝を根こそぎ敵の手に渡すと言われる。
・それまでの蓄財は水泡に帰す。パシュフルが監督者である立場を脅かす預言。
6節:パシュフルよ。あなたとあなたの家に住むすべての者は、捕らわれの身となってバビロンに行き、そこで死んで、そこに葬られる。あなたも、あなたが偽って預言を語り聞かせた、あなたの愛するすべての者たちも。」
・パシュフルは家族と共にバビロンに捕囚され、その地で死に、葬られる。罰である。
・偽預言を語り、それを信じたパシュフルの身内も国外に葬られる。罰である。
パシュフルに示された預言は、BC597年の大捕囚で成就する。
※Ⅱ列24:15の時に捕囚され、この時エゼキエルも捕囚された。
※彼らは、国外で埋葬されることになり、これは重大な罰を示すもの。
※イスラエルの土地に埋葬される者が最初の復活に与りやすいとされていた。
※エレミヤの預言が正しいと分かった時は、自分の罪に気付くが、手遅れ。
『神のレッスン』
・神は、エレミヤを迫害した祭司パシュフルの名を、「恐怖が取り囲んでいる。」と呼びました。神を無視するパシュフルには、神の本質を知ろうとする思いが無かったのでしょう。
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・「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。」ローマ8:14
・「私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。」ガラテヤ5:25