エレミヤ書21章1節~14節
21章はゼデキヤ王の時代に移ります。この時は2回目の捕囚(大捕囚)後という状況です。
■背景
・エホヤキン王は大捕囚時(BC597)に、母と共にバビロンに連行される。
・ゼデキヤ(当時23歳)が、BC597に、ネブカドネッアル王からユダの王に任命される。
・この王は弱い王で、側近の圧力に負けて、バビロンの属国であったのにエジプトについた。
・この行為は、エレミヤの預言に逆らうものであった。
・この時は、バビロンがエルサレムを包囲する準備をしている状態。(37章と38章の間)
・この時、ゼデキヤ王はエレミヤに神のことばを求める。(15:11の成就)
・しかし、時すでに遅く、神のかねてからの預言が、ことごとく成就して行く。
1節:主からエレミヤにあったことば。ゼデキヤ王が、マルキヤの子パシュフルと、マアセヤの子、祭司ゼパニヤをエレミヤのもとに遣わして、
・ゼデキヤ王・・・エホヤキム王→エホヤキン王(3ヵ月)→ゼデキヤ王(ユダ最期の王)
・側近2名・・①パシュフル(マルキヤの子)→使節団の長。20章のパシュフルとは別人。②ゼパニヤ(マアセヤの子)→祭司で最高責任者。(20章のパシュフルの後任)
・この2名を、使節としてエレミヤの所へ派遣。大捕囚が現実となり、エレミヤの預言が認められた。
※ゼパニヤの地位は大祭司の次で、事実上No.2。エレミヤに対する敬意の提示である。
2節:「どうか、私たちのために主に尋ねてください。バビロンの王ネブカドネツァルが私たちを攻めています。主がかつて、あらゆる奇しいみわざを行われたように、私たちにも行い、彼を私たちのところから引き揚げさせてくださるかもしれませんから」と言ったときのことである。
・エレミヤへの「執り成しの祈り」を依頼してきた時の事。
・ネブカドネツァル王の名が出る。バビロンの王。
・ヒゼキヤ王の時の奇蹟を依頼した。(Ⅱ列19:35~36 イザヤ37:36~37)
※ヒゼキヤ王は、他国に頼らず神に信頼した。ゼデキヤ王が神の声に従うかがポイント。
3節:エレミヤは彼らに言った。「あなたがたは、ゼデキヤにこう言いなさい。
4節:『イスラエルの神、主はこう言われる。あなたがたは、城壁の外からあなたがたを囲むバビロンの王とカルデア人に向かって戦っているが、見よ、わたしはあなたがたが手にしている武具の向きを変え、それを集めてこの都のただ中に向ける。
・エレミヤのことば。→神の答え。
・今、城外の敵と戦っているが、神はユダヤの民の武器を都の中央に向けさせる。
※その意味は5~6節で。
5節:わたし自身が、伸ばされた手と力強い腕をもって、怒り、憤り、大いなる激怒をもって、あなたがたと戦う。
6節:この都に住むものは、人も家畜もわたしは打つ。彼らは激しい疫病で死ぬ。
・結局、戦っている相手は神。
・エルサレムの人々、家畜は激しい疫病で死ぬことになる。
7節:その後で──主のことば──わたしはユダの王ゼデキヤとその家来、また、その民と、この都で疫病や剣や飢饉から逃れて生き残った者たちを、バビロンの王ネブカドネツァルの手、敵の手、いのちを狙う者たちの手に渡す。彼は彼らを剣の刃で討ち、彼らを惜しまず、容赦せず、あわれみをかけない。』」
・その疫病や飢饉を生き残った者たちは、バビロンの手に渡す。
・ネブカドネツァル王は、容赦せず、剣で殺す。哀れみは微塵もない。
8節:「あなたは、この民に言え。『主はこう言われる。見よ、わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。
・民に対するエレミヤのことば。→神の民への答え。
・民の前に二つの道。肉体的な①死と②生存
9節:この都にとどまる者は、剣と飢饉と疫病によって死ぬ。出て行ってあなたがたを囲んでいるカルデア人に降伏する者は生き、自分のいのちを戦勝品として得る。
・肉体的な死・・エルサレムに留まり、疫病、剣、飢饉で死ぬ。
・肉体的な生存・・バビロン軍に降伏。後に捕囚される。「戦利品」として命を得る。
※この肉的な生存者の財産はなくなる。
ー新約聖書、ルカ21:20~24ー
・AD66~70年のローマへの反抗の時も、再現的に同様のことが起こった。
・城壁内に残る者は死に、都市から田舎に移った者たちは生き残った。
10節:なぜなら、わたしがこの都に顔を向けるのは、幸いのためではなく、わざわいのためだからだ──主のことば──。この都は、バビロンの王の手に渡され、彼はこれを火で焼く。』」
・神は、幸いもわざわいも下すことが可能な存在。(甘えへの叱責)
・ネブカドネツァル王・・最終的にエルサレムを火で焼く。→トフェトの呪いの成就
11節:ユダの王家について。「主のことばを聞け。
・どの王かを特定しないダビデ王朝全体への神のことば。
12節:ダビデの家よ、主はこう言われる。朝ごとに、公正にさばきを行い、かすめられている者を、虐げる者の手から救い出せ。そうでないと、あなたがたの悪行のために、わたしの憤りが火のように燃えて焼き尽くし、消す者はいなくなる。
・ダビデ王朝よ!という呼びかけ、または最後通告。
・「朝ごとに公正な裁き・・」ー「王は正義の守護者である!」被害者を守り、加害者は罰するという原則を、毎日正しく実行するものであることが求められる。
※この原則を守ることが出来なかったダビデ王家。これが神の怒りの原因。
・今からでも改善せよ!という気付きの促し。
・さもなくば、火の裁きが来る!
13節:見よ、わたしはあなたに敵対する。この谷に住む者、平地の岩よ──主のことば──。あなたがたはこう言っている。『だれが、このところに下って来るだろう。だれが、この住まいに入って来るだろう』と。
・傲慢化しているイスラエルの民の姿。
・「谷」・・シオンの山・・周囲の山々より低いため谷と呼ばれる。
・「平地(平原)」・・モリヤの山・・山の頂が平らであるため平地と呼ばれる。
※ヒゼキヤ時代の奇蹟が伝説となり、エルサレムは攻められず、不滅と思い込んでいた。
14節:わたしはあなたがたを、その行いの実にしたがって罰する。──主のことば──わたしはその森に火をつける。火は、その周りをことごとく焼き尽くす。」
・神は、彼らの行いに報いて、裁きを下される。
・「森を焼き尽くす」・・宮殿を焼き尽くす
※「森」・・「レバノンの森の宮殿」神殿は杉材が多く使われていた。(Ⅰ列7:2~)
「森の宮殿」(イザヤ22:8) という表現がある。
・火の裁き・・大捕囚に続く、神殿の崩壊という裁きが、目前に迫っている。
『神の子として生きる』
・BC597年に大捕囚があり、ゼデキヤ王は、エレミヤの預言が成就したことを受けて、今度は彼に執り成しの祈りを依頼します。しかし神の答えは「NO」です。
・私たちも神の子となり、苦しい時にはもちろん神に祈る者です。しかしエレミヤ書で明らかなように、この時のイスラエルの民や上層部の様な日頃の姿勢であると、神は気付きを促します。
・だからこそ、日頃の神との会話を欠かさず継続しておく必要があります。ご利益期待の神との対話ではなく、日々の対話が神の子として当たり前と考えられるなら、悪魔の影響から遠ざかって行きます。
・私たちの人生を保証してくださる神が私たちに期待するのは、決して悪魔の策略である富や欲望の虜にならず、神のみことばで心の欲望を上手にコントロールして聖化して行く事です。
「神から生まれた者はみな罪を犯さないこと、神から生まれた方がその人を守っておられ、悪い者はその人に触れることができないことを、私たちは知っています。私たちは神に属していますが、世全体は悪い者の支配下にあることを、私たちは知っています。」
ヨハネ第1 5:18~19