ハガイ1章1節

ハガイの名前は、ヘブル語の「祭り(ハグ)」から来たもの。父親は不明。
活動場所はユダ、エルサレムで、同時代の預言者は、ゼカリヤ。
活動期間は、「ダレイオス王の第二年」の3~4か月間。書自体も旧約では2番目の短さ。
「ダレイオス王の第二年、第六の月の一日」とは、BC520年である。

ペルシャの王キュロスのあと、カンビュセス2世、そしてこのダレイオス大王となる。
キュロス王がバビロン捕囚からの解放と神殿再建を許可!
「ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主のことばが成就するために、主はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした。」 エズラ記1:1より


・ハガイを通じて、神が語った相手は・・・
シェアルティエルの子ゼルバベル 総督 ⇒ 王族:政治活動担当
エホツァダクの子ヨシュア 大祭司 ⇒ 祭司:霊的指導担当
(エズラ3:2、5:2に記載あり エズラ、ネヘミヤ記は捕囚解放後の記録である

 


バビロン捕囚に関わる聖書

預言書による近未来預言のバビロン捕囚であるが、その捕囚期間中、そして解放後について記されている書が、エズラ記、ネヘミヤ記、そしてエステル記である。
エレミヤ書には29:10において、『バビロンに70年が満ちるころ、・・』という記載があり、捕囚からの解放を預言している。預言者ダニエルもその書9:2でそれを認識していることが分かる。

 

では、捕囚期間の考え方は・・・二つの起点が考えられる。

 

捕囚解放から神殿建設までの経緯

イザヤ書44:28~45:13の預言 ⇒ キュロス王を用いてバビロン捕囚解放を預言している。イザヤの時代にすでにキュロス王の名が出ていることは、驚愕的事実。
エルサレムが陥落してから48年経過したBC538年にペルシャの王キュロスがバビロンを攻め(無血制圧)、同年、イスラエルの民にエルサレムへの帰還と神殿再建の許可が出された。
キュロス王は異邦人(ペルシャ人)でありながら、イスラエルの民を捕囚から解放し、神殿再建を許可する、神に用いられた人物。彼はエルサレム神殿再建のため、バビロンが略奪した宝物も解放して提供した。

キュロス王について①
Ⅱ歴36:22~23、イザヤ44:28、45:1~8、エズラ1:1他
預言書と言う観点から、注目しよう。
・メディア王国に属する小国の王が、後にメディア王国を倒し、アケメネス朝ペルシアの初代王として立つことになる。バビロンと異なる政治姿勢は、公正という点で特筆すべき点である。
・イザヤ書が書かれた時期はおよそ100年前であり、バビロン捕囚は勿論のこと、このキュロス王についても、名を上げて預言している。
・彼(BC600年頃 - BC529年)は、この地に生まれる前から神に用いられることが決まっていた。特に、「油注がれた者」と言う表現は、「救世主」と同じ語源であり、異邦人に用いられることは極めて珍しい。聖書に記載される記憶すべき異邦人である。
詩編139:13~

「あなたこそ 私の内臓を創り母の胎の内で私を組み立てられた方です。~」 

 

キュロス王について②

歴史的発見→キュロス・シリンダ(キュロスの円筒)・・・キュロス王に関する記録。
1879年、イラク(バビロン)にて発見された。

・ある民族が故郷に帰還し、また「聖なる街」の再建を許可したと記されている

キュロス王のこうした開放的な行動は、周囲圧制するバビロン方式ではなく、友好的、協調的関係を築く方式という彼の政治スタイルであったとされる。

神は、彼の気付かぬところで働かれ、結局神のみこころを行う結果となった。

 

 

ハガイ書を学ぶ上で

・長年のバビロン捕囚という経験から解放されたことは、出エジプトの経験に似る。
・モーセの時のような物理的奇蹟ではないが、人を動かす御業は奇蹟である。70年と言う期間も絶妙なのかもしれない。
・徐々に捕囚と言う身分に慣れて行く民を、神は放ってはおられなかった。
・これは神の想定内で、ペルシアのキュロス王を用いて神の民としての道へと導かれる。
・捕囚解放後の、民の立ち直りについて、神はその愛とあわれみをもって声をかけてくださる。その深い愛、約束に対する忠実さを感じ、絶対的信頼を持たずにはいられない。
・バビロン捕囚と言うイスラエルへの厳しい裁きの後、神は民をどのように回復されてゆくのか。またその後、民がどのような変化を見せるのかについて、私たちは見ておく必要がある

2022年11月18日