ミカ7章1節~10節

1節:ああ、なんと悲しいことだ。私は夏の果物を集める者のよう、ぶどうの取り残しの実を取り入れる時のようになった。食べられる房は一つもなく、私の好きな初なりのいちじくの実もない。

「ああ、」絶望的、最悪の状態を見て、思わず漏れることば。
夏の果物を集める・・とは、残りの物を集めるという意味か。→新共同訳では、「わたしは夏の果物を集める者のように、ぶどうの残りを摘む者のようになった。」と訳されている。

この果実畑は?➡イスラエルの国を指している
となると、果実は?➡ぶどうも初なりのイチジク(おいしいらしい)もない。→つまり、真の信仰者である残れる者が全くいない状態を示している!
今、ミカが語っているビジョンは、携挙が終わった後の患難時代である

2節:敬虔な者はこの地から消え失せ、人々の間に、心の直ぐな者は一人もいない。みな血を流そうと待ち伏せし、互いに網をかけ合って捕らえようとする。

敬虔な者はこの地から消えて居ない。(滅びる、消滅する)人々の中に「義」なる者は存在しない状態となる。➡「携挙」発動直後の状態
世界には自己中心的な思いがはびこり、それは互いに人を殺し合い、捕囚するような時代である。
明らかに、国同士の争いが起こり、敵を殺し、捕虜とするようなことが日常の世界。


3節:彼らの手は悪事を働くのに巧みで、役人もさばき人も賄賂を求める。有力者は自分の欲するままを語り、こうして事をねじ曲げている。

4節:彼らのうちの善良な人も茨のようだ。心の直ぐな者も茨の生け垣に劣る。あなたを見張る者の日、あなたの刑罰の日が来る。今、彼らに混乱が起きる。

地上に残った者たちの手は悪事を行うのに秀でて、不正を取り締まる役人や 裁判官などが法の網をくぐり、賄賂を求めて不正を平気で行う。
有力者、すなわち影響を与えるような存在感のある人物も、好き勝手なことを語り、神には触れず、嘘を真実のように語る。
善良な人、正しい人も肉的なもので、彼らに隣人愛のかけらも無く、霊的価値の無い存在となり、こうして刑罰の日(DKNJ)が来る。(心の直ぐな者はいない)
神の裁きであるDKNJは、速やかに訪れる。そして、その裁きを見た者は大混乱することになる。


5節:あなたがたは友を信用するな。親しい友も信頼するな。あなたの懐に寝る者からも、あなたの口の戸を守れ。

6節:子は父を侮り、娘はその母に、嫁はその姑に逆らい、それぞれ自分の家の者を敵とする。

相互の信頼関係が壊れる世の中になる。殺伐とした、利己的社会。
それは、夫婦の間でもそのようになる。
親子関係が崩れ、家族関係が崩壊。
互いが敵であるかのような疑心暗鬼な社会。

➡おもに内面的、霊的な崩壊が取り上げられている。解決策はイエス様!
つて中国で、小さな子供が親の反共主義を告発し、親は処罰され、政府はその子を称え上げた➡見習いましょうと!
公正と正義、つまり愛のない世界は、殺伐とした荒野に一人生きるようなもの

7節:しかし、私はを仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の言うことを聞いてくださる。

「しかし!」・・・絶望の中に光る希望。信頼が生み出す活力。決して衰えぬ信仰心。
「私」とは、ミカであり、またイスラエル民族の代表的な表現。更に言うなら、イスラエルの残れる者、真の信仰者を指すと考えられる
「待ち望む」・・・ボーっとではない。絶対に救いがあると確信して待ち望む信仰心。
「私の神は・・・」が新共同訳では「わが神は、わたしの願いを聞かれる。」
私たちの待ち望む姿勢を、今一度吟味してみよう!ミカのように、パウロのように!

8節:私の敵よ、私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がる。私は闇の中に座しても、が私の光だ。

ミカは、患難時代の裁きについて、その原因を知り、また、悔い改める者が出ることを 信じている。これは確信に満ちた信仰の表明である。その信仰が言わせる言葉。
私の敵よ➡これは、勝利を目前にして喜ぶ、イスラエルの敵に対してのことば
闇の中に座しても、主が私の光だー! それはシャカイナ・グローリーとの一体感!
恵みの時代の私たちにとってシャカイナ・グローリーとは、光なるイエス様!私たちの希望!
神の子、光の子として、この信仰心を持ち続けようではないか!

これこそが、神が私たちに期待している真の信仰者、礼拝者。
神の絶対的主権を認め、全幅の信頼を置く信仰を確立しよう!ハレルヤ!

9節:私はの激しい怒りを身に受けている。私が主の前に罪ある者だからだ。しかし、それは、主が私の訴えを取り上げ、私を正しくさばいてくださるまでだ。主は私を光に連れ出してくださる。私は、その義を見る。

DKNJという史上最大の裁きの渦中の状態。その原因をミカは知る。
その裁きは甘んじて受けなければならない。
最終的にイスラエルの民がイエス様を求めることで、民は義とされる。
「光に連れ出してくださる。」S/G(神の栄光)の元へ・・メシア的王国へと導いてくださる。(私たちのS/Gとは、キリスト・イエス!)
「私は、その義を見る。」・・イエス様の姿が現れる。神の義なる世界が目前に広が


10節:私の敵はこれを見て恥におおわれる。彼らは、私に向かって「あなたの神、は、どこにいるのか」と言った者たちだ。私の目は、確かに見る。今に、敵は道の泥のように踏みつけられる。

かつて「あなたの神、主はどこに・・・」と嘲った敵は、メシアを目の当たりにして、驚愕する。信じられないことが起こったからだ!
実際には、DKNJの最終局面であるメシアの再臨を指していると考えられる。

再臨のイエス様がその力を示されるとき、敵は真の恐れを体験することになる。
ミカは確実な勝利を見せられている。これはミカにとっては事実である。
アッシリヤの如き大国が、あっと言う間に主に打たれる映像が、未来と重なる。
ミカは叫んでいる!私のように、神に信頼せよ!神は本物であり、真実であり、現実である!

2022年10月19日