ネヘミヤ記6章1節~19節

1節:さて、サンバラテ、トビヤ、アラブ人ゲシェム、その他の私たちの敵に、私が城壁を築き直し、破れ口が残っていないことが伝えられたときのこと、ただし、まだ門には扉を取り付けていなかったときのことである。

・ほぼ城壁完成間近となった。→(あとは門を取り付けるだけの状態)
・この情報がサンバラテ、トビヤ、アラブ人ゲシェム、その他に伝わった。


2節:サンバラテとゲシェムは私のところに使いをよこして言った。「さあ、オノの平地のケフィリムで会見しよう。」彼らは私に危害を加えようと企んでいたのである。

・サンバラテ、ゲシェムは、「会見」という名目でネヘミヤをケフェリム(「村」の意。エルサレム北東40キロ)に誘い出す。実際はネヘミヤを工事から引き離し、妨害し、更には傷害、殺害を計画。

ネヘミヤがいなければ、イスラエルの民は敵ではないと考えた

3節:そこで、私は彼らのところに使者たちを遣わして言った。「私は大工事をしているから、下って行けない。私が工事をそのままにして、あなたがたのところへ下って行ったために、工事が止まるようなことがあってよいものだろうか。」

・危険を察知するネヘミヤ。使者を送り誘いを断る。

ネヘミヤは工事の進捗を細かく管理をしていた。
こういう内部情報が、敵に漏れていることにも注目!

4節:彼らは同じようなことを、四度も私のところに言ってよこした。それで私も同じことを彼らに答えた。

5節:サンバラテは五度目にも同じようにして、若い者を私のところによこした。その手に一通の開封された手紙を持っていた。

・このような誘いを4回もネヘミヤに差し向けるが、ネヘミヤは決して受けない。→会いたい理由が不明である。この点もネヘミヤは察していたかもしれない。
・5度目の誘惑は、少し内容が異なる。(会いたい理由が不明→この答)
・サンバラテの使者が、一通の開封された手紙を持ってネヘミヤのところへ来た。


6節:それには次のように書いてあった。「諸国民の間で言いふらされ、また、ゲシェムも言っていることには、あなたとユダヤ人たちは反逆を企んでいて、そのために、あなたは城壁を築き直している。このうわさによれば、あなたは彼らの王になろうとしている。

・城壁再建は、ネヘミヤがユダの王となり、これはペルシア王に反逆するものであり、そのことは諸国民に知れ渡っている。また、ゲシェムもその証人だ。

「開封された」・・すでに皆に周知であることを示す。

7節:また、あなたは預言者さえ立てて、ここユダには王がいると、自分についてエルサレムで宣言させようとしている。今にこのことは王に聞こえるであろう。さあ、来なさい。一緒に相談しよう。」

・さらに、預言者を立てて王と宣言させ、王を裏切ろうとしている。これが王に知られる前に、一緒に相談しよう、とネヘミヤをおびき出そうとするサンバラテ。

愚かな策略とネヘミヤは思っただろう。ネヘミヤと王との連絡は綿密であったと想像する。ネヘミヤに抜かりはない!

8節:そこで、私は彼のところに人を遣わして言った。「あなたが言っているようなことは、なされていない。それはあなたが心の中で勝手に考え出したことだ」と。

9節:これらのことはみな、「彼らの工事に対する気力が落ち、工事は中止されるだろう」と考えて、私たちを脅すためであった。ああ、今、どうか私を力づけてください。

・このようなデマによる攻撃をネヘミヤは想定していたと思われる。
・開封された手紙自体が、サンバラテとゲシェムの芝居じみて見えて来る。
・ネヘミヤは、「そんな事実はない!勝手な作り話である!」・・・と一蹴する。
・この茶番は、城壁再建の気力をくじこうとする脅しであり、無駄な事!とネヘミヤは神に信頼する。

常に神に委ね信頼するネヘミヤの姿勢は、私たちの見習うべき点である!

10節:私がメヘタブエルの子デラヤの子シェマヤの家に行ったところ、彼は引きこもっていた。そしてこう言った。「神の宮、神殿の中で会い、神殿の戸を閉じておこう。彼らがあなたを殺しにやって来るから。きっと夜分に殺しにやって来る。」

11節:そこで私は言った。「私のような者が逃げてよいものか。私のような者で、だれが神殿に入って生き続けるだろうか。私は入らない。」

12節:私には分かった。今、彼を遣わしたのは、神ではないと。彼がこの預言を私に伝えたのは、トビヤとサンバラテが彼を買収したからだと。

13節:私が恐れて、言われるがままにして罪を犯し、私の悪評が立って、私がそしられるようにするために、彼は買収されたのだった。

・更なる敵の惑わし。それは、預言者シェマヤを用いた陰謀。
・シェマヤを尋ねたネヘミヤ。訪問目的は不明。その時シェマヤは・・
  「神殿の中での打ち合わせ」を求め、「敵が今夜ネヘミヤを殺しに来るから」と預言じみたことを言う。
・ネヘミヤは祭司以外が神殿に入れないことを重々承知。むしろ神に罰せられるという。(民3:10)
・この預言者のことばは敵の買収によるものと察知し、断固として拒否する。
・シェマヤは、ネヘミヤに神への罪を犯させ悪評を立てるために買収され、芝居を打った!


14節:わが神よ。トビヤやサンバラテのこれらのしわざと、また、私を恐れさせようとした女預言者ノアデヤや、その他の預言者たちのしわざを覚えていてください。

・更にネヘミヤを脅す偽女預言者ノアデヤや、その他の偽預言者たちの存在があった。

サンバラテらの執拗な霊的惑わしが仕掛けられる。まるでネヘミヤの行動が筒抜けのようだ。
・神に裁きを委ねる姿勢。それは常に神を見上げ、神に信頼する姿勢の裏付け。

15節:こうして、城壁は五十二日かかって、エルルの月の二十五日に完成した。

・城壁再建は52日間で完成した。エルルの月(8~9月)の25日。
・ニサンの月(3~4月)にエルサレム派遣が決まり、2~3か月で移動。その年のエルルの月に城壁完成!→これは驚異的スピードである。この再建の背後に神の働きがあったことの証明。

真のエルサレム再建の成就(ダニエル書預言:ダニ9:25~)

16節:私たちの敵がみなこれを聞いたとき、周囲の国々の民はみな恐れ、大いに面目を失った。この工事が私たちの神によってなされたことを知ったからである。

・周囲の敵国は、皆恐れた。それはイスラエルの神が本物である事を証明したから。

 恥が拭われた瞬間!
・様々な妨害行為をしたが、その効果は全く現れず、彼らはそれを認めざるを得ない!
  →自分たちだったら、到底為し得ないことを、イスラエルはやり遂げた!

 ネヘミヤは民と大いに喜んだに違いない!
・大きなポイントはネヘミヤの存在だが、・・・ネヘミヤが常に神を最優先にしていたことを、敵も知っていたから、神の導きと認めざるを得ない。ネヘミヤは日常と変わらないが、神が彼を用いるとき、周囲にも、更には敵にも、神の証人とされる。神の栄光が現わされる!

17節:またそのころ、ユダの有力者たちはトビヤのところにひんぱんに手紙を送っていて、トビヤも彼らに返事をしていた。

18節:それは、トビヤがアラフの子シェカンヤの婿であり、また、トビヤの子ヨハナンもベレクヤの子メシュラムの娘を妻に迎えていたので、彼に誓いを立てていた者がユダの中に大勢いたからである。

・ネヘミヤの気になる事柄
・トビヤとユダの有力者との関係??ユダの有力者とアンモン人のトビヤは手紙のやり取りをしていた。
・トビヤの嫁はシェカンヤ、トビヤの子ヨハナンはメシュラムの娘婿。アンモン人との姻戚関係にあった。その為、大勢が彼と誓いを立てていた。(新共同:ユダの多くの人は彼と互いに誓約を交わす関係にあった・・)

異邦人に嫁に出したということであろう。従って雑婚解消とは異なる事象。→誓約関係は継続していたと考える。

19節:さらに、彼らは私の前でトビヤの善行を語り、彼に私の言うことを筒抜けにしていた。トビヤは私を脅すために、たびたび手紙を送って来た。

・その大勢がトビヤを誉め、ネヘミヤのいう事はすべてトビヤに伝えていた。トビヤはネヘミヤを脅していた。
・情報洩れの箇所がここにあったと考えられる。城壁内部の事、ネヘミヤの事は全て筒抜けだった。
・この事を裁くのではなく、解決策を考える姿勢がネヘミヤの素晴らしい所。
城壁は再建したが、ネヘミヤはイスラエルの民の心の破れを補修する必要を感じとったのではないか!

 

ネヘミヤのブレない心

ネヘミヤは常に民の導き手であり、支え手である
・数々の陰謀に屈しない理由は、正しいことをよく知り、正しい行いをしているから。
 学びを通して正しさを知り、常に神の御心を心に灯し、神を見上げていることが大事。
・裁くことを優先せず、常に問題を前向きにとらえるネヘミヤ。
 裁きは神の主権と知り、私たちを良くしてくださると信頼し、教えを実行する者となる。

民の雑婚は解消されても、上層部に異邦人の影響が根強く残っている現実
・神に信頼する民は神の御心を理解する必要がある。表向きや外見を正すのでは意味がない!
・雑婚禁止は、異邦人の影響を受けない手段であり、神のこの思いを尊重することが大事。
 城壁再建を終え、新たな問題に立ち向かうネヘミヤが浮かび上がる

 

学びの重要性と活かし方(成長)

ネヘミヤは様々な陰謀に屈することのない姿勢を示した。その背景にはしっかりした律法の理解がある。
神の命令とその背後にある神の御心を理解することがポイントである。決して律法が人生の障害とならないことを彼は知っている。
こうした彼の生き方が、神の栄光を表す生き方となる。

 

・学びを進めるうえで、神の目的や与えてくださっている恵みについて、その大前提を出来るだけ早くつかみ取る事が大事。
・次に、神が与えてくださっている教えを知り、その実践に心を配りましょう。こうすることで救い(神の子)の実感を益々得ることができます。
・神は私たちをどんな時も成長させようとしておられます。学びも、信仰の実践も礼拝です。共に真の礼拝者を目指しましょう!

 

2023年10月12日