ヨナ1章4節~17節
4節:ところが、主が大風を海に吹きつけられたので、激しい暴風が海に起こった。それで船は難破しそうになった。
5節:水夫たちは恐れて、それぞれ自分の神に向かって叫んだ。そして、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。一方、ヨナは船底に下りていて、横になってぐっすり寝入っていた。
出港して、2~3日(難破して港に帰って来られる日数)の時が過ぎたと思われる。
すると予想外の難破しそうな激しい嵐が起こった。
予想もしなかった嵐・・・長年の経験・知識から外れた嵐。事実、後に凪になる。
それ故、水夫たちはこの嵐に違和感を感じていた。だから、自分たちの神に祈り、最善策を取った。
積み荷を捨てて船を軽くし、浸水を防いだ。水夫としての最善を尽くしている。
この激しい嵐はただ事ではない!「神の祟りだ!神の怒りだ!」と口にしていたのではないだろうか。
片っ端から積み荷を捨てようとしていると、船底で眠るヨナがいるではないか!
船長!!こんな時に眠ってる奴がいますーっ!と叫んだかも。
6節:すると船長が近づいて来て、彼に言った。「いったいどうしたのか。眠りこけているとは、起きて、あなたの神に願いなさい。もしかすると、その神が私たちに心を留め、私たちは滅びないですむかもしれない。」
『皆、一所懸命働いたり、財産を捨てたり、祈ったりしてるのに、何を寝てるんだ!せめて捨てる物がないなら、お前さんの神様に祈るなり、何かやれよ! 一所懸命祈ったら、あんたの神様が助けてくれるかもしれないじゃないか!』
7節:人々は互いに言った。「さあ、だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、くじによって知ろう。」彼らがくじを引くと、そのくじはヨナに当たった。
嵐は収まるところを知らず、むしろ激しくなっている!一体、何が原因なんだろう?
誰かがそれを知っているのではないか?と考える者が出てきた。
そうだ!くじ引きしてその原因を知っている者を特定しよう。(誰かがアドバイスしたのだろう。船長かもしれない。)
そして、くじはヨナに当たった。明らかに神の働きである。ヨナは、神との関わりを断っているつもりでも、神はそれを上回って、ヨナを導いておられる。
8節:そこで彼らはヨナに言った。「話してくれ。だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか。あなたの仕事は何か。どこから来たのか。国はどこか。どの民の者か。」
9節:ヨナは彼らに言った。「私はへブル人です。私は、海と陸を造られた天の神、主を恐れる者です。」
10節:人々は非常に恐れて、彼に「何ということをしたのか」と言った。人々は、ヨナが彼らに告げたことによって、彼が主の御顔を避けて逃れようとしていることを知ったからである。
ここで初めて、ヨナの身分が語られる。
へブル人であり、天地を創造された神を恐れる預言者であること。ガテ・ヘフェルから来たのだが、その理由は、神のみことばを告げるように言われたが従えず、その任務を放棄して、西の果てまで行こうと考えている。
自分の神に畏敬の念を持っていた船長や他の人々は、へブルの神についても知識はあったと思われる。その預言者と言うことが更に、驚きとなり・・・何ということをしたのか!
職業人としての責任感を持ち、偶像ではあっても神を畏れる船長やその他の人々らしい言葉である。
11節:彼らはヨナに言った。「私たちのために海が静まるようにするには、あなたをどうすればよいのか。」海がますます荒れてきたからである。
預言者と聞いて、彼に助かる道を求めた。祈っていない者がヨナであり、彼の立場から、ヨナの神とヨナとの問題が原因であると気づき始めた。
ヨナが告白した後、更に暴風がひどくなっている。更に確信する!
12節:ヨナは彼らに言った。「私を抱え上げて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。私は分かっています。この激しい暴風は、私のせいであなたがたを襲ったのです。」
自分を海に投げ込みなさい。ヨナは、自分のせいで船が暴風に襲われていると確信している。
これは、この船の人たちに与えられた異邦人への預言である。
13節:それでも人々は船を陸に戻そうと漕いだが、そうすることはできなかった。海がますます彼らに向かって荒れてきたからである。
船長をはじめ人々は陸に戻ろうと懸命になるが、暴風は更に激しくなる一方。
何とか、全員無事に生還させようと最善を尽くす船長、船員・・ここがポイント!異邦人の誠意を感じる!
明らかに、ヨナの言う通りへブル人の神が怒っておられると感じる・・もう限界と判断!
14節:そこで彼らは主に向かって叫んだ。「ああ、主よ。どうか、この男のいのちのことで、私たちが滅びることのないようにしてください。咎なき者の血の報いを、私たちの上に下さないでください。主よ。あなたは、望まれたとおりになさったのですから。」
異邦人であるこの人たちの、神に対する次の言葉に、神への敬虔深さを感じる。
「あなたの望み通りにいたしますから、どうか私たちを滅びさせないでください!!」
咎なき者・・ヨナは彼らに何も罪を犯していない。そのヨナを海に投げ込むことは主の望みなのだから自分たちに血の報いを下さないでほしいと頼む。
預言者、つまり神のことばに従う異邦人の姿がここにある!
15節:こうして、彼らはヨナを抱え上げ、海に投げ込んだ。すると激しい怒りがやんで、海は凪になった。
ヨナを海に投げ込んだと同時に、海は凪になった。神の怒りが止んだ。人々は、神の実在とヨナと言う預言者の真実を体感した。それは、驚くべき体験であった。
16節:人々は非常に主を恐れ、主にいけにえを献げて誓願を立てた。
(私見だが、15節から16節までには時間的隔たりがあると見る)
一切の物を捨てた船の航行は不可。なので、ヤッファに戻ったと思われる。
そこで、真っ先に捧げものをし、誓願を立てたのだと思われる。
どうして、神は船ごと沈没させて、ヨナを海の中に引きずり込まなかったのか?
船を沈没させれば、事は簡単である。しかし、そうはされなかった。
神の御心がそこにある・・・この船の異邦人にも、あわれみとご計画を持たれていた。
敬虔深い人々に、真の神を知るチャンスを与えられたのではないか!
それ故、嵐の中でむしろ沈没させずに、導いておられたのではないか!
この後、記載にはないが、彼らは帰還後もヨナの預言のサポート役になると考えられる。
神がなさることは、人間の考えを超越して、万全である。
私たちの神は、全幅の信頼を置けるお方であることを覚えよう!
17節:主は大きな魚を備えて、ヨナを呑み込ませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。
主は、大きな魚を備えておられた。次から次と手を打っておられる神。すべてが万全。
自然(海、風、雨)も大魚も、すべてが神のことばに従う。人だけが、神に逆らう存在。
三日三晩と、その後の復活はイエス様の十字架と復活の予表
↓ ↓
ヨナは死んだか、生きていたか? 生きていたとしたら、イエス様の予表ではない。
(マタイ12:39~41、ルカ11:29~30)