エレミヤ書13章1節~14節
1節:主は私にこう言われた。「行って亜麻布の帯を買い、それを腰に締めよ。水の中に入れてはならない。」
2節:私は主のことばのとおり、帯を買って、腰に締めた。
・奇妙な命令(象徴的行動)・・亜麻布の帯の購入と着衣。
・亜麻布の腰帯→特定の男性が用いた下着。祭司の服装の一部(レビ16:4)。
➥イスラエルは祭司的性格を持っていることから、この腰帯はイスラエルの民を指す。
・腰帯は丈夫で、エレミヤと腰帯の関係が、神とイスラエルとの親密関係を示す。
・注意事項は、水に入れないこと。水は腰帯を劣化させる。
3節:再び次のような主のことばが私にあった。
4節:「あなたが買って腰に着けているその帯を取り、ユーフラテス川に行って、そこの岩の割れ目にそれを隠せ。」
5節:そこで、主が私に命じられたとおり、私は行って、それをユーフラテス川のほとりに隠した。
・神の次の指示→ユーフラテス川へ行け!聖書地図2参照。
・ユーフラテス川→バビロンのユーフラテス川を指す。(文脈から推察)
新共同では、アナトテの北東4㎞のパラとしている。バビロンは遠すぎるという事と、パラがユーフラテス川を意味するペラトと似ているから、と解釈している。
・エルサレム・ユーフラテス川間距離:片道約560km。(往復約1120km)
●歩行速度時速4㎞で8H/日とすると、560㎞÷32km=17.5日
●東京ー岡山間の直線距離が550㎞。
・ユーフラテス川の岩の割れ目に腰帯を隠せとの指示。
・エレミヤは忠実に実行した。
6節:多くの日を経て、主は私に言われた。「さあ、ユーフラテス川へ行き、わたしが隠せとあなたに命じたあの帯を取り出せ。」
・多くの日が経った後、神はエレミヤに再びユーフラテス川に行くことを命じる。
・更に、隠した腰帯を取り出すことを命じる。
7節:私はユーフラテス川に行って掘り、隠した場所から帯を取り出した。すると見よ。その帯はぼろぼろになって、何の役にも立たなくなっていた。
・エレミヤは命令に忠実に従い、ユーフラテス川へ、2回目の旅。
・エレミヤは隠した腰帯を取り出した。
・腰帯は劣化し、無価値なものとなっていた。
フルクテンバーム博士は、この2回の旅が行われた時期は、エホヤキム王の最期の頃ではないかと推察。根拠は、エホヤキム王の最期の頃の預言の記録がなく、それは移動の時間が取られたからとしている。
8節:すると、私に次のような主のことばがあった。
9節:主はこう言われた。「わたしはこのように、ユダとエルサレムの大きな誇りをぼろぼろにする。
・神はエレミヤに、この行動の意味を解説される。
・亜麻布の腰帯は、ユダとエルサレムを指す。
・「大きな誇り」とは、
●腰帯は丈夫で、これはユダヤの民の頑固さを表す。
●神を無視し、偶像に走る傲慢な心⇒プライド(誇り)。
10節:わたしのことばに聞くことを拒み、その頑なな心のままに、ほかの神々に従って歩んで、それらに仕え、それらを拝むこの悪しき民は、何の役にも立たないこの帯のようになる。
・ボロボロになった腰帯→破壊されたイスラエルの民。その原因が3つ示される。
①神のみことば、指示の完全無視。
②神に逆らい、思いのまま(自己中)に振舞った。
③他の偶像の神々を追い、従がい、拝んだ。
11節:帯が人の腰に着けられるように、わたしはイスラエルの全家とユダの全家をわたしに着けた──主のことば──。それは、彼らがわたしの民となり、名声となり、栄誉となり、栄えとなるためだった。しかし彼らはわたしに聞き従わなかったのだ。
・象徴的行動の解説がなされる。
・腰帯は身体にしっかりと密着される。
・それと同様に、神はイスラエルと密接な関係を造った。
・その目的は、①神の民となり②名声となり③栄誉(賛美)となり④栄光となる、こと。
参考:申26:19・・「あなたを、主が造られたすべての国々の上に高く上げて栄誉と名声と栄えとし、約束のとおり、あなたが、あなたの神、主の聖なる民となることを誓約されたのである。」
イスラエルの民はこうした召命を受けている。それは私達に対する使命でもある。
その誓約を放棄し、神に反抗する行為を行うイスラエルの民となってしまった。
神の怒りは当然であり、本当に厳しい気付きの促しが必要となる。
12節:あなたは彼らにこのことばを伝えよ。『イスラエルの神、主はこう言われる。酒壺には酒が満たされる。』彼らがあなたに『酒壺に酒が満たされることくらい、分かりきっているではないか』と言ったなら、
・神は裁きの確定のことばを伝えるように言われる。
・神は「すべての酒壺はワインで満たされる」と言われる。
●神の祝福を喜ぶ古くからの諺
●「酒壺」・・イスラエルの民それぞれを指す。
●「酒壺が満たされる」→祝福で満たされると解釈してしまうが・・。
・神は民が、「そんな(祝福で満たされる)ことは分っていることだ!」と言うことは分かっていた。
彼らは、「余計なお世話だ!」と言わんばかりに⇒当然だ、我々にはその資格がある!という傲慢な態度を取り、我々のやり方が良いから、土地が豊かでワインが増えるのだと言う。神の存在を完全に軽視している。
13節:あなたは彼らに言え。『主はこう言われる。見よ。わたしは、この地の全住民を、ダビデの王座に着いている王たち、祭司、預言者、およびエルサレムの全住民を酔いで満たし、
14節:彼らを互いにぶつけて砕く。父も子も、ともに──主のことば──。わたしは容赦せず、惜しまず、あわれみをかけずに、彼らを滅ぼす。』」
・民は12節のように答えるだろうから、その彼らに言え。
・「この地の全住民」・・王族、指導者、祭司、預言者、全住民。
・彼らをその酒壺のワインで泥酔させる。
・神の怒りに酔い痴れることになるイスラエルの全住民。
参考:イザヤ51:17、エゼ23:31~34、マタ26:39、黙14:10
・泥酔の者同士をぶつけ合わせて粉砕。(父と子は末端の人々)
・イスラエル全住民が壺であり、それが破壊され、滅ぼされる。
・特に滅ぼされるのは、上層指導者たちと考えられる。
・この時、一切の容赦もない裁きとなる。バビロン捕囚。
『神学の実』
・イスラエルの民が、ボロボロになった理由は、神のみこころをわきまえず、自分勝手な判断で神を理解していたからではなかろうか。
・私たちは今、聖書を通して神と繋がる時代にいるが、自分勝手な判断ではなく、神学という媒介を通して、正しい聖書の理解が必要となる。神学は重要な役割である。
・神は、神を信じる者が、神のみこころに従って愛を実践して歩み、その実を世に示してゆくことを第一に求められている。つまり神学を通して学び、稔る実が重要ということ。
・神の子である私達は常に、神が聖書を通して何を語ろうとしているかを追い求め、理解し、実践する者でありたい。
「木を良いとし、その実も良いとするか、木を悪いとし、その実も悪いとするか、どちらかです。木の良し悪しはその実によって分かります。」マタイ12章33節