エステル記3章1節~6節
1節:これらの出来事の後、クセルクセス王はアガグ人ハメダタの子ハマンを重んじ、彼を昇進させて、その席を彼とともにいる首長たちのだれよりも上に置いた。
・ハマンの登場。アガグ人ハメダタの子。アガグ人はアマレクの子孫。
・ハマンを重用し、昇進させ、首長のトップとした。(何らかの功労があったと思われる)
・3章7節の年代から、その年より以前と考えると、BC475年以前。年表に入れてみよう。
BC479~8年・・12~1月(クセルクセス王第7年の第10のテベテの月)~エステル王妃の就任
BC477~5年以降・・モルデカイによる王の暗殺計画の未然防止
BC476年・・バビロンの反乱を鎮圧。(BC480年~BC476年:3度の反乱)
➡BC475年以前⤴ ハマンの昇進の功績か?
BC474年・・3~4月(クセルクセス王第12年の第1のニサンの月)ユダヤの民殲滅のくじ引き。
BC474年・・5~6月(同年の第3のシワンの月)ユダヤ人が敵に報いることができる法令発布。
BC473年・・2~3月(同年の第12のアダルの月)ユダヤ人の勝利。プリムの祭りの開始。
2節:それで、王の門のところにいる王の家来たちはみな、ハマンに対して膝をかがめてひれ伏した。王が彼についてこのように命じたからである。しかし、モルデカイは膝もかがめず、ひれ伏そうともしなかった。
3節:王の門のところにいる王の家来たちは、モルデカイに「あなたはなぜ、王の命令に背くのか」と言った。
・この昇進により、王の家来たちは皆ひれ伏すが、モルデカイはひれ伏さなかった。
・王の家来たちは王の命令違反であるとモルデカイに忠告するが、彼は言うことを聞かない。
アマレク人に対するユダヤ人のの考え方は敵である。モルデカイは、ハマンがアマレク人の子孫であることを知っていたのではないかと思われる。
4節:彼らは毎日そう言ったが、モルデカイは耳を貸そうとしなかった。それで、モルデカイのしていることが続けられてよいものかどうかを確かめようと、これをハマンに告げた。モルデカイが、自分がユダヤ人であることを彼らに打ち明けていたからである。
5節:ハマンはモルデカイが自分に対して膝もかがめず、ひれ伏そうともしないのを見て、憤りに満たされた。
・王の家来は、忠告に従わないモルデカイについて、ハマンに相談。
・モルデカイは自分がユダヤ人であることを告白していた。
・膝をかがめない理由についても説明していたと思われる。
神以外に膝をかがめないということ、また、アマレク人との関係についても話していたかも・・
・ハマンはモルデカイに対して憤慨する。
6節:しかし、ハマンはモルデカイ一人を手にかけるだけでは満足しなかった。モルデカイの民族のことが、ハマンに知らされていたのである。それでハマンは、クセルクセスの王国中のすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの民族を根絶やしにしようとした。
・ハマンは自分の祖先のことも含め、ユダヤ民族に憤慨し、全ユダヤ人殲滅を計画する。
バビロンでは、ダニエル書の3人のユダヤ人が王に対して膝をかがめず、ユダヤ人は神以外に膝をかがめないという話が定着し、ハマンはそれを利用しようとていたのではないか。
現代にも根付く『反ユダヤ主義』
歴史の中に、そして現代でも反ユダヤ主義が根深く残っていることに気が付くかどうかは、重要である。
アブラハム契約が結ばれた時点で、祝福される者とそうでない者を明示している。
神は、イスラエルの民を祝福する者を祝福すると言われている。
今、イスラエルの民は、直接的な方法から、私たちと同様に、イエス・キリストを通した救いへと切り替えられた。
この二者がキリストを信じ、キリストを通して神に近づく者となり、一人でも多くの人が救われることを願うことが重要。
キリストを信じて歩む道には、イスラエルの民を祝福することが含まれていることをよく理解しよう!
『このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。』 エペソ2:18