エレミヤ書13章15節~27節
15節:耳を傾けて聞け。高ぶるな。主が語られたからだ。
16節:あなたがたの神、主に、栄光を帰せよ。まだ主が闇を送らないうちに、まだあなたがたの足が夕暮れの山でつまずかないうちに。あなたがたが光を待ち望んでも、主はそれを死の陰に変え、暗黒とされる。
・高慢を捨て、主の裁きが下る前に主に立ち返り、神の栄光をたたえよ!
・あなたがたの望む光は偽物。神はその光を暗黒(死、滅亡)に変えてしまうのだから!
※懇願にも似たエレミヤの警告。神の裁きが避けられないことを知ったがゆえであろう。
※自分たちの思いで努力しても、その結果は神の御前には無意味なものとなる。
人の努力は、神と共にあってこそ有益となる。
自らを誇るのではなく、神を誇る者となってくれ!
17節:もし、あなたがたがこれに聞かなければ、私は隠れたところであなたがたの高ぶりのために嘆き、涙にくれ、私の目には涙があふれる。主の群れが捕らわれて行くからだ。
・もし警告を聞いてくれないなら、・・と、エレミヤは、民の行動を察している。
・傲慢な民の心は変わらないだろう。結果、イスラエルの民が捕囚されることになる。
・エレミヤは、大規模な捕囚があることを察している。
<葛藤>
エホヤキム王の時代であれば、第一回目の捕囚(ダニエルなど)の後である。エレミヤは、神の教えで更に捕囚が酷くなり、頻発することを知っている。
一方、民は軽い捕囚(BC605年)で済んだと安堵し、特に上層部は神を忘れ、あわよくば起死回生の逆転を狙いつつ、政治と外交に明け暮れている。
・エレミヤは隠れたところで涙するしかない。
18節:「王と王母に告げよ。『低い座に着け。あなたがたの頭から、輝かしい冠が落ちたから。』
・17節の「主の群れが捕らわれて行く・・」についての具体的預言。
・「王と王母」の権威が失墜するとの預言。
*王→エホヤキン王(エホヤキム王の息子)
*王母→エホヤキン王の母、ネフシュタ(Ⅱ列24:8~13)
※エホヤキム王の死後、この二人は王位に就くも、BC597年、バビロンに王位を落とされ、捕囚されて行くことになる。→エレミヤ22:26、29:2(エコンヤ→エホヤキン)
・大規模捕囚(BC597年)の預言・・国の中枢が捕らえられ、国力は一気に低下。
19節:ネゲブの町々は閉ざされて、だれも開ける者はいない。ユダはことごとく捕らえ移される。一人残らず捕らえ移される。
・「ネゲブ」・・聖書地図4:Cー2。砂漠地帯。
・捕囚から逃れようと、砂漠の町に助けを求めても、だれも応答することはない。⇒逃れることが出来ない状態を示している。
・大規模捕囚が目の前に迫っている状態。
20節:あなたがたの目を上げ、北から来る者たちを見よ。あなたに対して与えられた群れ、あなたの美しい羊の群れはどこにいるのか。
・「あなたがた」・・上層部の人々へのことば。
・「北から来る者」・・バビロン。
・「群れ」・・ユダの町々
・バビロンに侵略を許し、美しい町々を崩壊させた悪い指導者(上層部)の責任を指摘している。
21節:最も親しい友としてあなたが教えてきた者たちが、あなたの上に、かしらとして立てられるとき、あなたは何と言うのか。激しい痛みがあなたをとらえないだろうか。子を産む女のように。
・「最も親しい友」=バビロン‥バビロンをそのように指導していた上層部。
・そのバビロンがエルサレムの支配者となるとき、一体どのように釈明するのか?
・その失態からくる心の痛み(恥の痛み)は、想像以上であろう。
22節:あなたが心の中で『なぜ、こんなことが私の身に起こったのか』と言うなら、それは、あなたの多くの咎のためだ。それで、あなたの裾はまくられて、あなたのかかとは傷を負うのだ。
・「何故、私の身にこんなことが起こったのか」・・偶像礼拝、霊的淫行が原因⇒モーセの律法違反(レビ18:6~19、申22:30)
・「それで、あなたの裾は・・傷を負うのだ。」・・霊的恥がさらされる→神の裁きが下る。※ナホム3:5で、神の裁きが示されている。
23節:クシュ人がその皮膚を、豹がその斑点を、変えることができるだろうか。それができるなら、悪に慣れたあなたがたも善を行うことができるだろう。
・クシュ人・・エチオピア人(褐色の肌)、豹の斑点を自ら変えられるか→No!
・悪に染まったイスラエルの民も、変わりようがないと神は判断→回帰不能点越えた!
24節:わたしは彼らを、荒野の風に吹き飛ばされる藁のように散らす。
・「荒野の風」・・バビロンの攻撃。「藁のように散らす」・・大規模捕囚
25節:これが、あなたへの割り当て、わたしがあなたに量り与える分である。──主のことば──あなたがわたしを忘れ、偽りに拠り頼んだためだ。
26節:わたしも、あなたの裾を顔の上までまくるので、あなたの恥ずべきところが現れる。
・「割り当て、‥量り与える分」・・契約を守れば祝福のはずが・・。
・契約を破れば、裁かれることは自明の事。偶像礼拝の歩みの結果は?
・25節の「偽りに頼る」・・とは、偶像に頼り、淫行を行ったということ。
・淫行が明るみに出され、その愚かさが示されている。
27節:あなたの姦淫、あなたの興奮のいななき、あなたの淫行のわざ──数々の忌まわしいものを、わたしは丘の上や野原で見た。ああ、エルサレムよ。あなたはいつまで、きよめられないままなのか。」
27a節
・神の目には、祭壇で偶像を崇める姿は姦淫、淫行と映る。エレ5:7~8参照。
※霊的姦淫も、肉体的姦淫も絶対に避けるべきである。(マタ5:27~28)
27b節
・神はこの町の汚れ(淫行)がいつまで続くかを問いかけている。
・BC586年に、都市は破壊されるという裁きが待っている。
『見えないものが見える日』
・神の民でありながら、神の一番嫌われる偶像礼拝をして、神を悲しませ、怒らせたイスラエルの民。その結果、厳しい裁きを受けることになる。
・神の存在は、私たちの目には見えない。しかし、学びを通して神が忍耐の神であり、愛の神であることを知り、その中で不完全な私たちが赦されて生かされていることを知る。
・神の存在を認めるということは、神が遍在な方で私たちの全てをご存知であるということ、常に神は私たちの行動を見ておられるという事を信じることである。悪いことはできないことは明白である。
・信仰を増し加えるという事は、私たちの神に対する意識や向き合い方がどんどん変化し、より実在感が心の中に培われるという事である。それが現実となる日が来るのである。
「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。」コリント第2 4章18節