ヨエル1章15節~2章17節

15節:ああ、その日よ。の日は近い。全能者による破壊の日として、その日は来る。

「その日」、「主の日」、それは全能者による破壊の日。耐え難いほどの苦難の日(大患難時代)である。

16節:私たちの目の前で、食物が断たれ、私たちの神の宮から喜びも楽しみも消え失せたではないか。

17節:穀物の種は土の下で干からび、倉は荒れ果て、穴藏は崩れた。穀物がしなびたからだ。

18節:ああ、なんと家畜がうめいていることか。牛の群れはさまよう。牧場がないからだ。羊の群れも滅びる。

食物が断たれ、民の喜びは消え失せてしまった。
穀物も、備蓄していたものは、すべて劣化した。経済が荒れ果てた。
家畜の牛、羊は滅びる・・・擬人的に見れば、民が滅びてゆく様子ととれる。

最後の襲来は目を覆うほどにイスラエルは悲惨な状況となることを暗示。イスラエルの民、異邦人に対する、この地での最終的裁きの時!この地は、聖別の場となる!

 

19節:あなたに、よ、私は呼び求めます。火が荒野の牧場を焼き尽くし、野のすべての木を炎がなめ尽くしました。

20節:野の獣も、あなたをあえぎ求めています。水の流れが涸れ、火が荒野の牧場を焼き尽くしたからです。

ヨエルも、思わず神に呼び求めています。その惨劇は見るに堪えない。他国の侵略に加え、火と炎がイスラエルを襲う。牧場も野も木々もなめつくされた。更に野の獣は水を失い喘ぎ求め、食料となるものもすべて消え失せた。
野の獣を擬人法で読み解くなら、神を信じ切れず逃げ惑う人々が力尽き、飢え、喘ぐ姿

2章

1節:「シオンで角笛を吹き鳴らし、わたしの聖なる山でときの声をあげよ。」地に住むすべての者は、恐れおののけ。の日が来るからだ。その日は近い。

神は全人類に宣言される。「角笛を鳴らし、エルサレムでときの声を上げよ!」
これは「敵の侵入に備えよ!」の角笛。これから起こる悲劇はまさに大患難時代。


2節:それは闇と暗闇の日。雲と暗黒の日。数が多く、力の強い民が、暁とともに山々の上に進んで来る。このようなことは、昔から起こったことがなく、これから後、代々の時代までも再び起こることはない。

その日「主の日」は、闇と暗闇、雲と暗黒の日である。ゼパニヤ1:14~16参照。

暁の日の光のように、山の上から光が差すように、数多くの力強い悪霊の軍が各国に攻め入る。世界規模。これは最初で最後の、つまりは、神の裁きである。

 

3節:彼らの前は火が焼き尽くし、うしろは炎がなめ尽くす。彼らが来る前は、この地はエデンの園のよう。しかし、去った後は、荒れ果てた荒野となる。これから逃れるものは何もない。

「主の日」の襲来は火と炎。前も後ろも火の海。エデンの園のような土地は荒野になる。

 

4節:その姿は馬さながら、軍馬のように駆け巡る。

5節:その音は戦車のきしり、山々の頂を飛び跳ねる。その音は刈り株を焼き尽くす火の炎、戦いの備えをした強い民のよう。

6節:諸国の民はその前でもだえ苦しみ、顔はみな青ざめる。

その悪霊の攻撃は軍隊のようで、あっという間に国々を焼き尽くす、滅ぼす。諸国は青ざめる。様々な攻撃に対して、何の対抗手段もないから。

 

7節:それは勇士のように走り、戦士のように城壁をよじ登る。それぞれ自分の道を進み、進路を乱さない。

8節:互いに押し合わず、それぞれ自分の大路を進む。投げ槍が降りかかっても、止まらない。

9節:町に襲いかかり、城壁の上を走り、家々によじ登り、盗人のように窓から入り込む。

10節:地はその前で震え、天も揺れる。太陽も月も暗くなり、星もその輝きを失う。

どんな防御も、防衛も役に立たず、町に侵入され人類が侵略される。加えて天変地異(大地震や宇宙規模の異変)が地上、つまり地球を襲う。

 

11節:はご自分の軍隊の先頭に立って声をあげられる。その陣営は非常に大きく、主のことばを行う者は強い。の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられるだろう。

あたかも、サタンの差し金による侵略に見えるが、すべては神がなされている裁きである。主の日とは、かつてない恐怖であり、誰も耐えられない!


12節:「しかし、今でも ―のことば― 心のすべてをもって、断食と涙と嘆きをもって、わたしのもとに帰れ。」

「しかし、今でも」、新共同訳「今こそ」、原語では「今」+「なお」、「しかし」。
「今でも遅くはない、今こそ心を尽くして主に立ち返れ!」という意味合い。


13節:衣ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深い。怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる。

14節:もしかすると、主が思い直してあわれみ、祝福を後に残しておいてくださるかもしれない。あなたがたの神、への穀物と注ぎのささげ物を。

外面的な行動ではなく、内面的実質的な心の悔い改めをせよ!神に立ち返れ!
なぜなら、「主は情け深く、あわれみ深い。怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる」お方だから。

神はいつの時代でも、忍耐強く、民の悔い改めによる立ち返りを待っておられる。

15節:シオンで角笛を吹き鳴らせ。断食を布告し、きよめの集会を招集せよ。

16節:民を集め、会衆を聖別せよ。老人たちを呼び集め、幼子と乳飲み子たちを集めよ。花婿を寝室から、花嫁を自分の部屋から呼び出せ。

「主の日」なのだ。これが最後だ!断食ときよめの集会の角笛を吹き鳴らせ!
老若男女、幼子も乳飲み子も、新婚の夫婦もすべてこの祈りに参加せよ!

17節:神殿の玄関と祭壇の間で、に仕える祭司たちは泣いてこう言え。「よ、あなたの民にあわれみをかけてください。あなたのゆずりの地を、国々のそしりの的、物笑いの種としないでください。諸国の民の間で、『彼らの神はどこにいるのか』と言わせておいてよいのでしょうか。」

ささげる物は何もない祭司たち、泣いて祈れ。「主よ、心からお詫びします!悔い改めます!あなたに立ち返ります! どうかこのゆずりの地を国々のそしりとさせず、物笑いの種にならないようにしてください。あなたの栄光が汚されることのないようにしてください! 私たちが愚かでした! 異邦の民が、『神などいないではないか』と言わせないでください。」

2021年11月11日