エステル記9章20節~10章3節

20節:モルデカイはこれらのことを書いて、クセルクセス王のすべての州の、近い所や遠い所にいる、すべてのユダヤ人に書簡を送った。
21節:それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十五日を、
22節:自分たちの敵からの安息を得た日、悲しみが喜びに、喪が祝いの日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り交わし、貧しい人々に贈り物をする日と定めるためであった。
23節:ユダヤ人は、すでに守り始めていたことであるが、モルデカイが彼らに書き送ったことを受け入れた。

・モルデカイは、全州のユダヤ人たち全員に書簡を通して通達した。 
毎年アダルの月の14日と15日を⇒・安息を得た日に・悲しみが喜びに・喪が祝いに、変わった月として⇒祝宴と喜びの日とし⇒ごちそうを交わし、貧しい人々に贈り物をする日と定めた。
・すでにユダヤ人たちはそのようにし始めていた。
・ユダヤ人たちはその指示を受け入れた。

24節:実に、アガグ人ハメダタの子で、ユダヤ人すべてを迫害する者ハマンは、ユダヤ人を滅ぼそうと企んで、プル、すなわちくじによって決め、彼らをかき乱して滅ぼそうとしたが、
25節:そのことが王の耳に入ったときに、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対して企んだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたのであった。

・22~23節に至った経緯
・ハマンはプル(くじ)によって、ユダヤ人殲滅計画の実行日を決め、殲滅を図った。
・これは、悪い計略であり、王はそれを知り、ハマンの悪い計略をハマンに返した。
・結果、ハマンと子達は柱にかけられることとなった。
王の行動を評価している。書簡を出すためか。

26節:こういうわけで、ユダヤ人はプルの名にちなんで、これらの日をプリムと呼んだ。

・プルにちなんで、これらの日(14~15日)をプリムと呼んだ。プリムの祭りの由来。

現在のプリムの祭りは、仮装して祝う祭り(エステルになったり・・)。

プリムの祭りの日は、酔いつぶれるまで酒を飲んでもOK(当時がどうだったかは?)

ハマンタッシェンクッキー(けしの実とジャムのクッキー)を食べる。ハマンの耳の形が三角形だったと言われている。 オズネイ・ハマン(ハマンの耳の意)

 

こうして、この書簡のすべてのことばにより、また、このことについて彼らが見たこと、また彼らに起こったことにより、
27節:ユダヤ人は、自分たちとその子孫、および自分たちにつく者たちが、その文書のとおりに毎年定まった時期にこの両日を守り行い、これを廃止してはならないと定めた。
28節:また、この両日は代々にわたり、すべての家族、諸州、町々において記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日がユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記憶が自分たちの子孫の中で途絶えてしまわないようにした。

・通達された内容


29節:アビハイルの娘である王妃エステルと、ユダヤ人モルデカイは、プリムについてのこの第二の書簡を全権をもって書き記し、確かなものとした。
30節:この書簡は、平和と誠実のことばをもって、クセルクセスの王国の百二十七州にいるすべてのユダヤ人に送られ、
31節:ユダヤ人モルデカイと王妃エステルがユダヤ人に命じたとおり、また、ユダヤ人が自分たちとその子孫のために、断食と哀悼に関して定めたとおり、このプリムの両日を定まった時期に守るようにした。
32節:エステルの命令はこのプリムに関する事柄を義務づけ、書物に記された。

・エステル妃とモルデカイの2回目の書簡(プリムの日と制定した書簡)。

・王の功績(24~25節)が示されているところが、現実味を帯びて聞こえる。
・この書簡は127州の全ユダヤ人に送られた。
エステル、モルデカイの書簡による命令の通り、ユダヤ人が自分と子孫のために、断食と哀悼に関して定めた通り⇒プリムの日を守るようにした。今日も続いている。
神の民としてのアイデンティティを呼び起こし、後世に伝えるために!
・エステルの命令は義務として書物に記された。

捕囚下にある民にとって、殲滅から解放されたこの事件は、出エジプトの奇蹟を思わせる神の働きであり、故にこの日を記憶することを決めたと考える。

10章
1節:クセルクセス王は本土と海の島々に苦役を課した。
2節:彼の権威と勇気によるすべての功績、王に重んじられたモルデカイの偉大さについての詳細、それは『メディアとペルシアの王の歴代誌』に確かに記されている。
3節:実に、ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王の次の位にあって、ユダヤ人にとっては大いなる者であり、多くの同胞たちに敬愛された。彼は自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語る者であった。

・クセルクセス王の業績が示される。新共同:税を課した。
・そうした政治活動に大きく貢献したのがモルデカイではなかったかと想像する。
・クセルクセス王とNo.2のモルデカイの功績の詳細の記載⇒『メディアとペルシアの王の歴代誌』
・モルデカイのNo.2としての活躍は同胞に敬愛された。次に続く人への影響大!
・モルデカイは自分の民の幸福と全ユダヤ民族に平和を語った。
新共同:・・彼はその民の幸福を追い求め、そのすべての子孫に平和を約束した。
最後はモルデカイで終わっているエステル記。真の主役は彼であろう。
彼は民族の生存を最優先に活動し、民族の子孫の平和を求めた人物。
神に喜ばれる行動を最優先とし、神に信頼する真の信仰者であった。

 

信仰の在り方

捕囚地に暮らすユダヤ人にとって、神殿に生贄が捧げられない状況であり、神との繋がりが図れない環境下にあります。

ユダヤ人によっては、益々異邦人化する者もいれば、なお、心に神を置き、神に信頼する、真の信仰者もいた。その一人がモルデカイです。
世に迎合することなく、神に信頼し、神の御心を良く学び、神に喜ばれる歩みをしたからこそ、神に用いられたと想像します。

 

私たちは、恵みの時代にあって、イエス様を信じる信仰を認められて救われました。
かつて私たちは、永遠の死へと向かう人生を一所懸命歩んでいました。それが、救われたということは、このエステル記の逆転の大勝利を得たのと同じ恵みです。
世に迎合することなく、すでに約束された勝利を確信して感謝して、モルデカイのように神が喜ばれる歩みを続け、神に用いられる器として歩みましょう。

 

「善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。」 へブル13:16


2024年03月22日