エレミヤ書52章1節~34節

1節:ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。彼の母の名はハムタルといい、リブナ出身のエレミヤの娘であった。

・ゼデキヤ王について・・(エレ39:1~7参照)
※即位時の年齢・・21歳、在位期間は11年間。
※彼の母・・「ハムタル」(Ⅱ列24:18)。リブナのエレミヤの子。(預言者エレミヤはアナトテ)
※彼の父・・ヨシヤ王。ゼデキヤは三男。エホヤキムは次男。エホアハズは四男。

2節:彼は、すべてエホヤキムがしたように、主の目に悪であることを行った。
3節:実に、エルサレムとユダが主の前から投げ捨てられるに至ったのは、主の怒りによるものであった。その後、ゼデキヤはバビロンの王に反逆した。

・ゼデキヤ王はエホヤキム王と同様、神の目に悪を行う王だった。Ⅱ歴36:11~20
※その結果、エルサレムとユダは神の怒りに触れることになる。
・ゼデキヤ王はバビロンに反逆。結果、バビロンに支配されることになる。
※神はバビロンを、ゼデキヤを罰する手段とされた。

4節:ゼデキヤの治世の第九年、第十の月の十日に、バビロンの王ネブカドネツァルは、その全軍勢を率いてエルサレムを攻めに来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築いた。
5節:こうして都はゼデキヤ王の第十一年まで包囲されていた。
6節:第四の月の九日、都の中で食糧難がひどくなり、民衆に食物がなくなった。

・ゼデキヤ王の第9年→BC589~588年・・エルサレムの包囲戦開始。
・包囲戦は第11年まで続く→BC588~587年・・18カ月間の兵糧攻めで大打撃。
※戦力は著しく低下し、敵の侵入を許すしかない状態。

7節:そのとき、都は破られ、戦士たちはみな逃げて、夜のうちに、王の園に近い二重の城壁の間にある、門の道から都を出た。カルデア人が都を包囲していたので、彼らはアラバへの道を行った。
8節:カルデアの軍勢は王の後を追い、エリコの草原でゼデキヤに追いついた。すると、王の軍隊はみな王から離れて散ってしまった。

・バビロンの城壁突破を見て、ゼデキヤ王は戦士と共に城を脱出しアラバへ。エレ39:4
・敵に追いつかれ、王の兵は散り、エリコの平野で王は捕まる。→エレ39:1~10、Ⅱ列25:5


9節:カルデアの軍勢は王を捕らえ、ハマテの地のリブラにいるバビロンの王のところへ彼を連れ上った。バビロンの王は彼に宣告を下した。
10節:バビロンの王は、ゼデキヤの息子たちを彼の目の前で虐殺し、ユダの首長たちもみなリブラで虐殺した。
11節:さらに、ゼデキヤの目をつぶし、彼を青銅の足かせにつないだ。バビロンの王は、彼をバビロンへ連れて行き、彼を死ぬ日まで獄屋に入れておいた。

・ゼデキヤ王は、ネブカドネツァル王の前に連行される。ネブカドネツァル王はリブラに駐屯中。
・ここで、ゼデキヤ王の裁きが宣告される。
①ゼデキヤ王の目の前で、息子たち、側近らを虐殺。
②盲目にさせられる。・・最後の光景は息子たちの虐殺場面。
③青銅の足かせ・・普通の囚人の扱いとされ、恥辱を受ける。
④バビロンへ捕囚・・死ぬまで投獄された。没年は不明。
ゼデキヤ王の伝承ゼデキヤ王はネブカドネツァル王より先に死ぬと言われていたが、ネブカドネツァル王が死んだとき、ゼデキヤ王は捕囚から解放され、その一日後に亡くなった。ゼデキヤ王は王室の名誉で埋葬された。※エレミヤ34:4~5参照

12節:第五の月の十日、バビロンの王ネブカドネツァル王の第十九年のこと、バビロンの王の家来、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、

・「ネブザルアダン」・・ネブカドネツァル王の親衛隊長。
・ネブカドネツァル王の第19年・・BC587~586年。
※第5の月の10日に、親衛隊長は都市を破壊した。
※Ⅱ列25:8によれば、「第5の月の7日」となっている。→「7日に到着して10日に破壊活動」ということ。(吉田は10日には焼失完了状態だったと推測する)
「アブの月の断食」は9日。焼き払われている状態の時。ティシャ・べ・アブ

13節:主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。
14節:親衛隊の長と一緒にいたカルデアの全軍勢は、エルサレムを取り巻く城壁すべてを打ち壊した。

・ネブザルアダンが焼き払った4点
①神殿・・第一神殿、②王の宮殿(ソロモン宮殿)、③エルサレムのすべての家屋、④城壁のすべて(物理的保護の破壊)

15節:親衛隊の長ネブザルアダンは、民の貧しい者たちの一部と、都に残されていた残りの民、バビロンの王に降伏した投降者たち、そのほか技術に秀でた人たちを捕らえ移した。
16節:しかし、親衛隊の長ネブザルアダンは、その地の貧しい民の一部を残し、ぶどうを作る者と農夫にした。

・「技術に秀でた人たち」・・職人たち。都市のほとんどの人々を捕囚。エレ39:8~10
※郊外に住む貧しい者たちは、一部を残らせ、ぶどう栽培者、農夫とした。
※エレミヤとバルクもエルサレムに残った。(ネブカドネツァル王の保護。エレ39:11~)

17節:カルデア人は、主の宮の青銅の柱と、車輪付きの台と、主の宮にある青銅の「海」を砕いて、その青銅をみなバビロンへ運んだ。

・バビロン人は、青銅製の神殿の柱や、車輪付きの台、洗盤の「海」を粉砕し、その青銅をバビロンに持ち帰った。Ⅰ列7:23~37
※洗盤「海」の直径は約4.5m。

18節:また、灰壺、十能、芯取りばさみ、鉢、平皿、奉仕に用いるすべての青銅の器具を奪った。
19節:また親衛隊の長は、小鉢、火皿、鉢、灰壺、燭台、平皿、水差しなど、純金や純銀のものを奪った。

・祭司たちが礼拝で使用する青銅器の物品も奪われた。
・金、銀の器は、親衛隊長ネブザルアダンが持ち去った。Ⅰ列7:48~51

 

20節:ソロモン王が主の宮のために作った二本の柱、一つの「海」、車輪付きの台の下にある十二の青銅の牛、これらすべての物の青銅の重さは、量りきれなかった。

・再び、青銅の柱、青銅の牛の台の洗盤について。
※12の青銅の牛の洗盤と10個の台車付き洗盤‥Ⅰ列7:43~44
※これらの青銅の重さは、計量できないほどであった。

 

台車付き洗盤

 

21節:その柱は、一本の柱の高さが十八キュビト、その周囲は十二キュビト、その厚さは指四本分で、中は空洞になっていた。

・青銅の柱の大きさの情報
・高さ18キュビト・・18×0.44m=7.92→約8m
・周囲12キュビト・・12×0.44m=5.28m (直径 約1.65m)
・板厚 指4本・・4~7㎝ 

22節:その上の柱頭は青銅で、一つの柱頭の高さは五キュビトであった。柱頭の周りに格子細工とざくろがあって、すべて青銅であった。もう一本の柱も、そのざくろも、これと同様であった。

・柱頭(柱のトップ)の情報
・高さ5キュビト・・5×0.44m=2.2m(柱の全長:約10m)
・その周囲は格子細工とザクロが装飾されていた。すべて青銅製。
・2本とも同じもの。

23節:周りには九十六のざくろがあり、周りの格子細工の上には全部で百のざくろがあった。

・ザクロについて
・ザクロは柱の4面にそれぞれ24個あり、更に各面に1個のザクロが装飾されていた。
※一つの単位として合計100個のザクロということであろう。
※Ⅰ列7:41~42では、ザクロが2列で倍の数値となっている。

 


● この神殿の略奪は、エレミヤ27:19~22の預言の成就である。
● F博士は、契約の箱について推測。(エレミヤが隠したという説がある マカベア書)
破壊されたのは何故か?⇒エゼキエル8章~11章で、契約の箱の上にあったシャカイナ・グローリー(神の栄光)は 去って行ったと記されている。このことから、神の保護は取り除かれ、破壊の危険にあり、 エルサレムが陥落したと推測できる。


24節:親衛隊の長は、祭司のかしらセラヤと次席祭司ゼパニヤと三人の入り口を守る者を捕らえ、
25節:戦士たちの指揮官であった一人の宦官、都にいた王の七人の側近、民衆を徴兵する軍の長の書記、そして都の中にいた民衆六十人を、都から連れ去った。

・エルサレムの指導者たちと住民のグループの処刑の記録。
①「祭司のかしらセラヤ」・・Ⅰ歴6:10~15
※大祭司ヒルキヤ(ヨシヤ王時代、律法を発見)の孫にあたる。
※セラヤの孫ヨシュアは、神殿再建時の大祭司。エズラ5:2、ハガイ1:1
②次席祭司ゼパニヤ・・エレ29:24~32、37:3
③3人の門衛(守衛)・・神殿の財政担当
④兵士たちを指揮する宦官(単数)。守備隊長。
⑤ゼデキヤ王の個人的顧問である側近7名。
⑥民衆の軍勢の長につく書記官・・王宮の人員管理者
⑦都の住民60人を捕囚して連行。→他の人々への模範、見せしめ。

26節:親衛隊の長ネブザルアダンは彼らを捕らえ、リブラにいるバビロンの王のもとへ連れて行った。
27節:バビロンの王はハマテの地のリブラで、彼らを打ち殺した。こうして、ユダはその国から捕らえ移された。

・処刑場所・・ハマテのリブラ。
・親衛隊長ネブザルアダンに捕らわれた者たちは皆、処刑された。
※拷問の後に、処刑されたと思われる。
・処刑されなかったユダの民はバビロンに捕囚された。
※捕囚がいよいよ本格的になった。

28節:ネブカドネツァルが捕らえ移した民の数は次のとおりである。第七年には、三千二十三人のユダヤ人。
29節:ネブカドネツァルの第十八年には、エルサレムから八百三十二人。
30節:ネブカドネツァルの第二十三年には、親衛隊の長ネブザルアダンが、七百四十五人のユダヤ人を捕らえ移し、その合計は四千六百人であった。

・この28節~30節は、捕囚の結果を説明する新しい資料となる。

※書かれた年代が、BC586年から以降と考えられる。
・バビロン捕囚の内訳
・第1次捕囚・・BC605年 ダニエルなど人数は少数で不明。
・第2次捕囚・・BC598~597年(3023人は成人男性。Ⅱ列24:14~16は総数)
・第3次捕囚・・BC587~586年(832人の成人男性)
・第4次捕囚・・BC582~581年(ネブザルアダンによる745人の成人男性)
・合計数→4600人・・成人男性のみ。総数ははるかに多かった。


31節:ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十五日、バビロンの王エビル・メロダクは、即位した年のうちにユダの王エホヤキンを呼び戻して、獄屋から出し、

エホヤキンは、バビロンの侵攻によりエホヤキム王が死ぬと、即位後バビロンに降伏し、彼自身は、ネブカドネツァル王への反乱には参加していませんでした。

エホヤキンは投獄された37年目の第12の月の25日(BC561年)に釈放された。
・ネブカドネツァル王の息子のエビル・メロダクが即位するとすぐに、彼を釈放する。
※メロダクは、その翌年には兄に暗殺される。メロダクはマルドゥク(神)と同じ。

32節:優しいことばをかけ、バビロンで彼とともにいた王たちの位よりも、彼の位を高くした。

・エホヤキンの地位は、他の君主たちよりも高くされた。
※これは、バビロンの王が最高権威者であることを示す可視的効果もあった

33節:彼は囚人の服を脱ぎ、その一生の間、いつも王の前で食事をした。
34節:彼の生活費は、死ぬ日までその一生の間、日々の分をいつもバビロンの王から支給されていた。

・エホヤキンの食事は、その生涯にわたり保証された。(王の前での食事)
・生活の手当ても、死ぬまでバビロンの王から与えられた。
※この恩恵は、エホヤキンの子孫にも与えられた。(考古学資料から)

この声明をもって、エレミヤ書は終わる。

 

『地上の幸いか神の幸いか』

・ゼデキヤ王は盲目となりましたが、エホヤキンと同様投獄から解放されました。ゼデキヤ王はその罪の刈り取りをすることにはなりましたが、突然釈放され、地上の生涯を祝福で終えています。
・エホヤキンは戦わずに37年間投獄されました。エレミヤのバビロンへの服従を実践した形になりました。そして突然、ネブカドネツァル王亡き後、彼はそのくびきから解放され、祝福を受けました。
・ エレミヤの預言に従う者と反抗者の対比だと、私個人は考えます。いずれにしても両者とも神の祝福に至りますが、ここにエホヤキンが記されていることは、その姿勢が良いということでしょう。
・我々の歩みは替わりました。地上の幸いを求めるよりも、その先にある神の幸いを確信して、神は必ず良いようにしてくださるお方と信じて、決してその道から離れず、共に歩み通して行きましょう。
「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです」コリント第2 4章18節  


2026年08月27日