エレミヤ書51章45節~64節
45節:わたしの民よ、その中から出よ。主の燃える怒りから逃れ、それぞれ自分自身を救え。
46節:そうでないと、あなたがたの心は弱まり、この地に聞こえるうわさを恐れることになる。今年、うわさが立ち、その後、次の年にも、うわさは立つ。この地には暴虐があり、支配者はほかの支配者に立ち向かう。
・神はバビロンに住むイスラエルの民に脱出を命じる。神の命令に従う行動が大事。
※バビロンの裁きの巻き添え回避のため。自分のいのちを守れ!
・「わたしの民よ」と呼び掛けていることから、信者である可能性が高い。
・「支配者はほかの支配者に立ち向かう」・・国家や地域の内戦を指す。
※バビロン(反キリスト支配)に対抗する勢力の存在を示す。
・バビロンが滅ぶうわさを恐れてまでそこに居てはいけない。バビロン依存生活を止めよ。
・毎年、バビロンの内戦や暴虐を見て、不安に駆られてしまう。だから、脱出せよ!
※反キリストは全世界を支配したとはいえ、決して盤石ではないことが分かる。
47節:それゆえ、見よ、その時代が来る。そのとき、わたしはバビロンの彫像を罰する。この全土は恥を見、刺し殺された者はみなそのただ中に倒れる。
・「その時代が来る」・・預言的未来。
・「バビロンの彫像(たち)」・・偶像たちの破壊。将来はどんな偶像なのか・・?
・バビロン全土の破壊により生存者はいない。逃げることもできない。→それ故、ユダヤ人に逃げよと命じられた。
48節:天と地とその中にあるすべてのものは、バビロンのことで喜び歌う。北からこれに向かって、荒らす者たちが来るからだ──主のことば──。
49節:イスラエルの刺し殺された者たちよ、バビロンは必ず倒れる。バビロンによって全地の刺し殺された者たちが倒れたように。
・「天と地とその中にあるすべてのもの」・・天の聖徒たち、天使、地上の信者、ユダヤ人。
※彼らはバビロンの陥落を喜ぶ・・黙18:20
※「荒らす者たち」・・複数の軍勢による北からの攻撃を強調する。
・神の報復が成就する。呪う者は呪われる→アブラハム契約の履行。
50節:剣を逃れた者よ、行け。立ち止まるな。遠くから主を思い出せ。エルサレムを心に思い浮かべよ。
・「遠くから主を思い出せ」・・神を記憶せよ・・「(個人的に)神に回帰せよ」の意。
※神に立ち返らず、バビロンと関係を深めていたユダヤ人が想像できる。
・「エルサレムを心に浮かべよ」・・エルサレムに行き、バビロンでの出来事を伝えよ、の意。
※エルサレムへの帰還は、ハルマゲドンの戦いの第2段階の終了時の出来事。
※反キリストはハルマゲドンに居る。反キリストの支配者はサタン。反キリストはバビロンを守れず、エルサレムを攻める。HMDの第3段階である。ゼカ12:1~3、14:1~2
※反キリストはエルサレムを陥落。ユダヤ人人口の半数は奴隷、半数はエルサレムに留まる。反キリスト側も神によって大きな損失を受ける。ゼカ12:2~3
※エルサレムでの激しい戦闘の後、反キリストの兵士たちはエルサレムのユダヤ人の家 を襲撃し、女性をレイプする。 HMDの第3段階が終わる。ゼカ14:2
50節のまとめ
※バビロン脱出のユダヤ人信者は、エルサレムの同胞に慰めをもたらす。
※エルサレムは陥落しそうになるが、神がバビロンを破壊したことで反キリストの滅亡の 兆しを同胞に伝え、エルサレムから逃れる。
※バビロンから逃れたユダヤ人とエルサレムのユダヤ人は、南の「ボツラ」へ逃げ、イエスをメシアと信じる指導者に、起こったことを報告することになる。
・HMDの戦いの第4段階→ボツラに集結する反キリストの軍隊
➥・HMDの戦いの第5段階→イスラエルの国家再生・・民族的回心
➥・HMDの戦いの第6段階→メシアなるイエス様の地上再臨 (於:ボツラ)
51節:『私たちは、そしりを聞いて、恥を見た。恥辱が私たちの顔をおおった。他国人が主の宮の聖所に入ったからだ。』
・「主を思い出せ」・・に応答して、ユダヤの民は受けた恥を思い出した。
※ユダヤの民の恥→聖所に異邦人(反キリスト)が入り、偶像が置かれたこと。
※真の神が、反キリストに従属しているように見える光景は、ユダヤの民の恥。
52節:それゆえ、見よ、その時代が来る。──主のことば──そのとき、わたしはその彫像を罰する。刺された者がその全土でうめく。
53節:たとえバビロンが天に上っても、たとえ、砦を高くして近寄りがたくしても、わたしのもとから荒らす者たちがそこへ行く。──主のことば。」
・バビロンの偶像の破壊宣言。預言的未来のことば。
・バビロンの人々は、その全土で倒れ、うめき苦しむことになる。
・バビロンの裁きは不可避。逃げる場所も、どんな防御システムも役に立たない。
※神は破壊者を必ず派遣し、完全に破壊する。
54節:バビロンから、叫ぶ声がする。カルデア人の地から、大いなる破滅の音が。
55節:主がバビロンを荒らして、そこから大いなる声を絶やされるからだ。その波は大水のように鳴りとどろき、その声は鳴りどよめく。
56節:まことに、荒らす者がバビロンを攻めに来て、その勇士たちは捕らえられ、その弓も折られる。主は報復の神であり、必ず報復されるからだ。
・バビロンの敗北を示す叫び声と音が響き渡る。
・神はバビロンの存在を示す大きな声(支配の声)を終わらせる。
・「大水」・・軍事侵攻。バビロンを終わらせる手段。
※大きな音が起こるほどの攻撃でバビロンは破壊される。
・攻撃者たちによってバビロンの勇士たちは捕えられ、武器は破壊される。
※「荒らす者」は単数形の表現であることから、メディア軍たちを指していると考える。→エレ51:11、28から、メディア人を中心とする軍勢
・神は必ずバビロンに報復する。確実な破壊を実現する。
57節:「わたしは、その首長たちや知恵のある者、総督や長官、勇士たちを酔わせる。彼らは永遠の眠りについて、目覚めることはない──その名を万軍の主という王のことば。」
・バビロンの上層部、知恵者、勇士たちは、神の怒りに酔う。怒りの杯は死を意味する。
※バビロンは占星術、天文学で有名。ダニ2:2、13、マタ2:1~2(東方の博士たち)
※神の宣言である。
58節:万軍の主はこう言われる。「バビロンの厚い城壁は完全にくつがえされ、その高い門にも火が放たれる。国々の民は無駄に労し、諸国の民は、ただ火に焼かれて、力尽きる。」
・神がバビロンを破壊する宣言によって預言は終わる。
・バビロンの城壁の破壊、門の焼失。
・「国々の民、諸国の民」・・バビロン人もバビロンに繋がる国々も滅ぶ。
※この節をもって、エレミヤのバビロン預言は終わる。
59節:マフセヤの子ネリヤの子セラヤが、ユダの王ゼデキヤとともに、その治世の第四年にバビロンへ行ったとき、預言者エレミヤがセラヤに命じたことば。そのとき、セラヤは宿営の長であった。
・「セラヤ」マフセヤの子ネリヤの子→バルク(エレミヤの書記官)の兄、エレ32:12。
※彼は「宿営の長」・・王の旅行に関する最高責任者。
・時期・・ゼデキヤ王の治世の第4年・・BC594~BC593。
※イスラエルを含む諸国がバビロンへの反逆を計画。→Ⅱ列24:20、エレ27:1~6、28:1
→ネブカドネツァル王はこの計画を察知。ゼデキヤ王はその釈明のために訪問と推察。 ※50、51章はエルサレム崩壊後の記述と教える向きもあるが、それは間違い!
60節:エレミヤはバビロンに下るすべてのわざわい、すなわち、バビロンについて記された、これらすべてのことばを一つの書物に記した。
・セラヤに渡すために、50、51章のバビロン預言の部分を一つの巻物として準備した。
61節:エレミヤはセラヤに言った。「あなたがバビロンに入ったときに、これらすべてのことばをよく注意して読み、
62節:こう言いなさい。『主よ。あなたはこの場所について、これを滅ぼし、人から家畜に至るまで住むものがないようにし、永遠に荒れ果てた地とする、と語られました。』
63節:そしてこの書物を読み終えたら、それに石を結び付けて、ユーフラテス川の中に投げ入れ、
64節:こう言いなさい。『このように、バビロンは沈み、浮かび上がれない。わたしがもたらすわざわいを前にして。彼らは力尽きる。』」ここまでが、エレミヤのことばである。
・セラヤへの4つの指示
①バビロン到着後、巻物の朗読
②神の宣言の表明
※神はバビロンを、人も家畜も住まない荒地とし悪霊の住みかとする。(千年間)
③象徴的行動の実行・・巻物に石を結わえてユーフラテス川へ投入。
④更なる神の宣言の表明
※神の完全なバビロンの破壊
※「彼ら」とは、58節の「諸国」と「バビロン人」を指している。力尽き滅びる。
・エレミヤのことばはここまでとなり、52章はエレミヤ以外の人物によって書かれたものである。可能性が高いのは書記官バルクであろう。
※52章はエレミヤの言葉ではないが、聖書全体は神の御手の中にあるもので、決して無意味なものではなく、神の霊感によって書かれた有意義なものである。
常に、聖書が示す神のみこころを探り求め、実践する真の礼拝者を目指しましょう!
『苦境に希望を示す預言者』
・バビロン捕囚は、モーセ契約違反の罰と言えます。しかし、神はこれを通して民の神への回帰を期待しておられました。しかし70年後の解放後、間もなくユダヤの民は堕落の道へ進みました。
・結局、心ない約束は無意味であることを、神はご存じでした。それゆえ神は、いずれモーセ契約に替わる「新しい永遠の契約」が必要となることを、エレミヤに示し、世に表明したのです。
・上層指導部のモーセの律法の悪用が、 「新しい契約」の登場を促します。神は、イエス様を送り、十字架によりモーセ契約は終結し、全人類に真の救いの道がしめされました。
・ エレミヤは、捕囚という苦境にありながら、「心に書き記される神との契約」が真の希望だということを、後の人々に、そして私たちに示した孤高なる悲しみの預言者なのです。
「預言者を預言者だからということで受け入れる人は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だからということで受け入れる人は、義人の受ける報いを受けます。」
マタイ 10章41節