エレミヤ書49章34節~39節

1.エラムについて

・聖書地図2、G/2.5。当時の首都はシュシャン(スサ)。
※ペルシャ湾の北東、バビロンの南東に位置する。現在のイランの一部。
※名前の由来は、ノアの子のセムの長子。創10:22。
・アブラム時代・・エラムの王ケドルラオメルは、諸国を率いてカナン侵略。この時、ロトが捕えられたが、アブラムが彼を取り返した。・・創14:1~16。
・イザヤ時代・・イスラエルの隣人であり、神の裁きの道具として用いられた。
※神の裁きの道具・・イスラエルを攻め(イザ22:6)、バビロンを攻める(イザ21:2)。
※道具であったが、イスラエルへのエラムの行為は自国の裁きとなる(エゼ32:24)。

2.エラムの歴史的情報

・BC640年・・アッシリア支配下にあった。
・BC612年・・ニネべを攻め、アッシリア帝国滅亡後、独立を取り戻した。
・BC596~594年頃・・バビロンに攻められ、属国となり、王国としての存在は消える。
・BC540年・・キュロス大王がスサを撃破し、スサはペルシア帝国の3首都の一つとなる。3首都は、スサ、バビロン、ペルセポリス(聖書地図8)。
・BC330年頃・・アレキサンダー大王がこの地域を征服し、スサはセレウコス帝国へ。
・新約時代・・ペンテコステの日、ユダヤ系エラム人がエルサレムにいた。使2:9。
※エラムという国はバビロンにより歴史から消え、エラム地方とエラム人として存続。 その後、イラン系民族と同化していった。

3.エラムのその他の情報

・クリスチャンコモンズの佐野氏が、現代のイランの情勢について、エレミヤ49:34~39を引用して、動画メッセージを出しています。預言との取り組み姿勢などについても語られているので、参照ください。
・今回の預言は、BC597年の預言であり、この年の2年後のBC595~594年に、ネブカドネツァル王のバビロンとエラムの衝突があった。

 

34節:ユダの王ゼデキヤの治世の初めに、エラムについて預言者エレミヤにあった主のことば。

・「ゼデキヤ王の治世の初めに・・」・・BC597年
・エラム(イラン)への神の預言。
※この年の2年後、バビロンとエラムは衝突。

35節:万軍の主はこう言われる。「見よ。わたしはエラムの力の源であるその弓を折る。

・「弓」・・軍事力の粉砕。→国力の粉砕を意味する。
※軍事力が国力の支え。経済的豊かさを示す。
※エラムの弓は、大型で有名。
※現在の飛び道具で考えるなら・・「ミサイル、ドローンなど」か。

36節:わたしは天の四隅から、四方の風をエラムに吹きつけさせ、彼らをこの四方の風で吹き散らす。エラムの散らされた者が入らない国はない。

・「天の四隅から、四方の風を吹きつけ」・・「四方に吹き散らす」→国を離れる。
※国を捨てて、他国に離散するという状況が示される。
・エラムの民は離散の民となって、世界各国に散らばることになる。

37節:わたしは、エラムを敵の前に、そのいのちを狙う者たちの前にうろたえさせ、彼らの上にわざわいを、わたしの燃える怒りをその上に下す。──主のことば──わたしは、彼らのうしろに剣を送って、彼らを絶ち滅ぼす。

・離散に加えて、完全なる破壊がなされる。神の激しい二つの怒りが及ぶ。
・破壊①「彼らの後ろに剣」・・他諸国からの執拗な攻撃が、滅ぶまでその背後を追う。

38節:わたしはエラムにわたしの王座を置き、王や首長たちをそこから滅ぼす。──主のことば──

・破壊②「わたしの王座を置く」・・エラムを神に従わせる。神に従う民にする。→それは、それまでの支配階級(王や首長たち)が滅ぼされるという意味。

39節:しかし、終わりの日になると、わたしはエラムを回復させる。──主のことば。」

・「終わりの日」・・預言的未来であり、エラムは千年王国で回復されることを示す。
・メシアが再臨され支配がはじまるとき、信仰によって再び集められることになる。
※エジプト、モアブ、アンモンに示された約束と同じであり、信仰によって実現する。
・千年王国で、エラム(イラン)の民は、イスラエルと平和に暮らすことになる。

 

<クリスチャンコモンズ 佐野氏の動画から>
・1979年のイスラム革命により、イラン国民は厳格なイスラムの支配から脱却するため国外へ流出。推定300万人とも言われ、現在も継続している。預言が現実化し始めていることが分かる。
・イラン人のクリスチャンへの改宗者は、100万~300万人と言われ、地下クリスチャンも加えればまだ増える公算が高い。イランの人口はおよそ9200万人で、クリスチャン改宗者1~3%強という数字は、現在世界で最も多くクリスチャンが生まれている国であることを示している。

 

『預言を知る幸い』
・神は、イスラエルの周辺諸国に対してエレミヤを通して預言されました。この神の預言には、一つの特徴がみられます。近未来と遠未来の内容が含まれているということです。
・はじめはピンと来ないのが普通でしょう。解釈を間違えたりします。しかし、先ず近未来の預言が成就する。こうして人々に気付きが促されます。神の預言の力が示されるのです。
・ 近年、聖書研究が進み、神の遠未来、つまり最終的な預言の解釈の精度が向上しつつあります。それは、神のときが近づいているということであろうと、私は考えています。
・ 預言を軽視することは、神を軽視すること、さらには自分の未来を台無しにする行為です。繰り返される帝国主義世界での幸いは、預言を示された神に全幅の信頼を置き続けることです。
「また私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜が明けて、明けの明星があなたがたの心に昇るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。ただし、聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないことを、まず心得ておきなさい。」ペテロ第2 1章19~20節 

2026年07月10日