エレミヤ書46章13節~28節

46章1~12節では、エジプトの「カルケミシュの戦い」の敗北に関する預言が示されました。13節以降はエジプトの征服に関する預言です。

13節:バビロンの王ネブカドネツァルが来て、エジプトの地を討つことについて、主が預言者エレミヤに語られたことば。
14節:エジプトで告げ、ミグドルで聞かせ、メンフィスとタフパンヘスで聞かせて言え。「配置について、備えをせよ。剣がおまえの周りを食い尽くすからだ。

・バビロンのエジプト征服について・・BC585年~。
・43章の成就(エジプトがバビロンに渡される)が近い。下エジプトが敵の侵入箇所であることを告げている。 

15節:なぜ、おまえの雄牛は押し流されるのか。それは踏みとどまり得ない。主が彼を突き倒されたからだ。

・「雄牛」・・エジプトの神、牛神アピスを指している。
・エジプトの神は、バビロンの攻撃に無力であることが示される。
※バビロンの攻撃は神の采配であり、エジプトの手に負える事ではない。

16節:多くの者がつまずき、倒れる。彼らは互いに言う。『さあ、われわれの民のところ、生まれ故郷に帰ろう。あの虐げる者の剣を避けて。』

・「多くの者」→エジプト軍を指す。彼らが倒れて行く光景。
・エジプトの敗北を目の当たりにして、イスラエルの民は互いに呼びかけ合う。故郷に帰ろう」と。

17節:彼らはそこで叫んだ。エジプトの王ファラオは、時期を逸して騒ぐ者。

・イスラエル難民は、ファラオの無力さを痛感した。
・「時期を逸して騒ぐ者」・・ファラオの性格・・騒ぐとは、おしゃべり・口うるさい、の意味。
※おしゃべりばかりで時間が過ぎ、戦闘準備を怠り失敗するという意味。
※「下手な考え休むに似たり」・・的なニュアンス。

18節:わたしは生きている。──その名を万軍の主という王のことば──タボルが山々の間にあるように、カルメルが海のそばにあるように、彼は必ず来る。

・約束を守られる神は実在し、その約束は成就する!
タボル山‥・イズレエル渓谷の東にある山
カルメル山‥イズレエル渓谷の西にある山
山は国、権威を指す。諸国に比べ、非常に目立つ存在の国→バビロン
「彼」・・ネブカドネツァル王を指す。諸国の中で極めて目立つ存在→神の采配。

19節:エジプトに住む娘よ、捕囚となる身支度をせよ。メンフィスは荒れ果て、焼かれて住む者もいなくなるからだ。

・「エジプトに住む娘」・・エジプトに移住したユダヤ人を指すと考えられる。
※エジプト人を指すなら、「エジプトの娘」と言うはずである。
・捕囚されることが預言されている。
・ユダヤ人の移住先にまでバビロンの手が及ぶ。⇒(ユダヤ人は必ず裁かれる)

20節:エジプトは、かわいらしい雌の子牛。しかし北からアブが襲って来る。

・エジプトが「かわいらしい雌の子牛」と表現されている→牛神アピスが殺される弱い牛となった。
※大きなアブに襲われる雌の子牛→バビロンに大敗するエジプトの姿。
※アブは、①血を吸う、②執拗、③大群で来る、④狂乱状態にする、等で恐れられる。

21節:その中にいた傭兵も、肥えた子牛のようだ。彼らもまた、背を向けてともに逃げ、立ち止まろうともしない。彼らの滅びの日、刑罰の時が、彼らの上に来るからだ。

・傭兵もいたが役に立たず、エジプトと同じ殺される牛状態。
※彼らは、自分たちの裁きの時と察して逃げ惑う。

22節:彼女の声は逃げ去る蛇の音のようだ。敵が軍勢を率い、木こりのように、斧を持って入って来るからだ。

・迫りくるバビロンの描写。逃げる蛇は「シュー」という音を立てる。
・木こりが木を簡単に切り倒すように、バビロンはエジプトを攻める。

23節:彼らはその森を切り倒す。──主のことば──それがいかに奥深くても。実に、彼らはいなごより多くて数えきれない。

・木こり→森に例えられるほど大勢の人が存在している。
・バビロンは、イナゴの大群以上の数でやって来て、エジプトを切り刻み、食い散らす。

24節:娘エジプトは辱められ、北の民の手に渡される。」

・「娘エジプト」・・この表現はエジプト人を指す。→19節とは異なることに注意。
※娘は凌辱され、バビロンに支配されることになる。

25節:イスラエルの神、万軍の主は言われる。「見よ。わたしは、テーベのアモン、ファラオとエジプト、その神々と王たち、ファラオと彼に拠り頼む者たちを罰する。

・神のエジプトに対する裁きが示される。
・対象は、エジプトの神、王とエジプト、ほかの神々、エジプトに信頼する者すべて。
・「テーベのアモン」・・Thebes of Amon→「ノ・アモン」とも言われる。
※エジプトの太陽と空気の神。
※テーベ(Thebes)は堅固な都市として有名だったが、過去アッシリアに打たれた。
※テーベについては、ナホム書3章に記載あり。
※聖書地図3、H2~3

26節:わたしは彼らを、そのいのちを狙う者たちの手に、バビロンの王ネブカドネツァルの手とその家来たちの手に渡す。その後エジプトには、昔のように人が住むようになる──主のことば。

・全エジプトはバビロンの手に渡されることになる。
・しかし、その後、エジプトには人が住むようになる。本当の意味での復興、回復
※メシア的王国でのエジプト復興を指している。
※イザヤ19:1~22より
エジプトは患難時代、真の神の祭壇を建て、その結果反キリスト勢力から圧力受けるが、神がエジプトを救われる。こうしてエジプトは神を礼拝することになる。エジプトは真の神を礼拝し、神はエジプトの再生と癒しをもたらすことになる。
※エゼキエル29:1~16では、千年王国でのエジプトについて預言されている。
※この時代のエジプトの滅びと回復が、大患難時代から千年王国において最終的に成就する。
※エジプトが真の神を信じたとき、イスラエルとの間に平和が生まれ、エジプトは千年王国において、小国ではあるが王国となる。

27節:わたしのしもべヤコブよ、恐れるな。イスラエルよ、おののくな。見よ。わたしがあなたを遠くから、あなたの子孫を捕囚の地から救うからだ。ヤコブは帰って来て、だれにも脅かされずに平穏に安らかに生きる。

・イスラエル回復の預言が示される。
※エジプトの最終的な救いを示した後、イスラエルの未来の救いについて示される。
・「恐れるな、失望するな」と命じる神。
・神はイスラエルの民を捕囚から、また、世界離散から救うとされる。
※メシア的王国の成就を示している。
・イスラエルの民はその時、おびえるものが何もなく、快適に暮らす回復と祝福がある。
※この箇所はエレミヤ30:10~11とほぼ同じであり、引用である。

28節:わたしのしもべヤコブよ、恐れるな。──主のことば──わたしが、あなたとともにいるからだ。わたしは、あなたを追いやった先のすべての国々を滅ぼし尽くす。しかし、あなたを滅ぼし尽くすことはない。ただし、さばきによってあなたを懲らしめる。決してあなたを罰せずにおくことはない。」

・更にイスラエルの存続が示される。
・最終的には神が迫害する国を叩くから、イスラエルの存続は保証される。
・「滅ぼし尽くすことはない」・・滅ぼしに近いことが与えられる。→罰がくだされる。
※裁きは人や国を悔い改めへと導くことが目的である。

犯した罪に相応する罰が課せられることになる。バビロン捕囚も、神にとってはイスラエルの民に対する気付きの促しである。
※その結果、その気付きの促しに応答する少数の者たちが、存続して行くのである。

気付きの促し⇒罪の気付きと悔い改め⇒罪の刈り取り(訓練)⇒忍耐(神との交わり)⇒感謝と喜びと謙遜⇒霊的成長

 

『生き方を世に示そう』
・バビロン捕囚により、国は失われ、更にエジプトに移民した民までが裁かれるという、当時のイスラエルの民にとって最大の悲劇の中、異邦人エジプトに将来の救いを示されている神。
・これは、アブラハム契約の有効性を強調するものと思われる。それは、真の信仰者として生きる使命を思い出せ!と、気付きの促しをしてくださっているということではないか。
・イエス様の新しい契約で、イスラエル人と私たち異邦人への救いの道が示されたが、この道は、救われた者としての生き方を世に示すという使命があることを忘れてはならない。
・富や権力を捨てろ!、というのではなく、それよりももっと素晴らしい神の存在に心が向き、喜び、感謝して、どんな試練も乗り越えられる歩みとなるよう、共に歩んで行きましょう!
「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。」マタイ5章16節 

2026年05月14日