エレミヤ書44章15節~30節

エレミヤは、ユダヤ人たちの前で、象徴的行動を命じられました。そして、エジプトのユダヤ人の偶像礼拝を指摘し、かつてユダとエルサレムを滅ぼしたように、エジプトに住むユダヤ人を裁くという、神の預言を示しました。しかし、・・

15節:そのとき、自分たちの妻がほかの神々に犠牲を供えていることを知っている男たちのすべてと、大集団をなしてそばに立っている女たちすべて、すなわち、エジプトの地とパテロスに住むすべての民は、エレミヤに答えた。

・エレミヤの預言を拒否する人々の姿。
・妻の偶像礼拝を認める男たちと集団の女たち。そこにはミツパからの難民も含まれる。
・「エジプトの地とパテロスの地」→「下エジプトと上エジプト」→エジプト全域。
※神殿崩壊後、ある程度の時間的経過があったと考えられる。
※各地の人がエレミヤの前に集まっていた。
※全エジプトに住まうユダヤ人の、神に反するユダヤ人(ほぼ全数)を対象ということ。

16節:「あなたが主の名によって私たちに語ったことばに、私たちは従うわけにはいかない。
17節:私たちは、私たちの口から出たことばをみな必ず行って、私たちも父祖たちも、私たちの王たちも首長たちも、ユダの町々やエルサレムの通りで行っていたように、天の女王に犠牲を供え、それに注ぎのぶどう酒を注ぎたい。私たちはそのとき、パンに満ち足りて幸せで、わざわいにあわなかった。

・「天の女王」の崇拝を求める民。妻たちの一押し。→エレミヤ預言の拒否。
・「天の女王」・・カナン人「アシュタロテ」、バビロン人・アッシリア人「イシュタル」、ヘブル人「アシェラ」、ギリシヤ人「アフロディーテ」、ローマ人「ビーナス」
※すべて、性的愛、母性、多産の女神。その巫女は、カルト的娼婦であった。
※エレ7:17~18参照。女(妻)中心で、家族ぐるみの偶像礼拝していた。
※彼らは、かつての物質的な恵みは、「天の女王」を崇めていたからと持論を展開。
女神イシュタル→メソポタミヤ文明、特にアッシリヤやバビロンにて崇拝された女神。昼は戦争、夜は愛の神としての性質。愛、戦争、性、豊穣をつかさどる女神。

18節:だが、天の女王に犠牲を供え、それに注ぎのぶどう酒を注ぐのをやめたときから、私たちは万事に不足し、剣と飢饉に滅ぼされたのだ。」

・彼らは、「天の女王」への礼拝を止めたことが、苦しみの原因となったと主張。
※彼らの誤解→ヨシヤ王時代、偶像礼拝が禁止され、「天の女王」崇拝も停止された。それが原因で苦しみが襲ったと彼らは主張。しかし実際は→ヨシヤ王の後継王(エホアハズ、エホヤキム・・)が再び偶像礼拝を許し、その結果、モーセの律法にも、神にも不従順となったことによってわざわいが下った。
※「天の女王」→「豊穣の神」・・出産に対する女性の望みから普及したのだろう。
※考古学資料・・ナイル川沿いのパテロス地方でパピルスの出土(エレファンティネ文書)
<BC5~6世紀のユダヤ人の生活>「天の女王」を女性の神(ヤハウェ)として崇拝し「アナト・ヤフ」という女性形の名をつけて、独自の偶像礼拝を発展させていた。

19節:「私たち女が、天の女王に犠牲を供え、彼女に注ぎのぶどう酒を注ぐとき、女王にかたどった供えのパン菓子を作り、注ぎのぶどう酒を注いだのは、夫をなおざりにしてのことだったでしょうか。」

・夫たちの同意を得て、女性は「天の女王」を礼拝。夫たちが妻の扇動に応じた。
※モーセの律法(民30:6~16)に従えば、夫は妻を愚かな誓いから解放できた! 
※夫たちは権限を行使せず、妻たちに同意した。

20節:そこでエレミヤは、そのすべての者、すなわち、男たちと女たち、また彼に口答えした者たち全員に言った。
21節:「ユダの町々やエルサレムの通りで、あなたがたや、あなたがたの先祖、王たち、首長たち、また民衆が犠牲を供えたことを、主が覚えず、心に上らせなかったことがあるだろうか。

・エレミヤは、自分の預言を拒絶した女性をはじめとする全員に最後の宣言をする。
・神は、ユダの町々、エルサレムの通りでの、民の偶像礼拝を忘れることはない。
※王から民衆まで、通りのあちこちで偶像に香をたく民の姿。

22節:主は、あなたがたの悪い行い、あなたがたが行ったあの忌み嫌うべきことのために、もう耐えることができず、それであなたがたの地は今日のように、住む者もなく、廃墟となり、恐怖のもと、ののしりの的となったのだ。

・忍耐の限界を超えた神の裁きであることを説明するエレミヤ。(回帰不能点ではない)
※南ユダ時代以前の歴史にも触れる必要あり。
・神が裁かれる時は人が住まないほどの荒廃がくだされ、更に恐怖とののしりが加わる。

23節:あなたがたが犠牲を供えたため、また、主の前に罪ある者となって、主の御声に聞き従わず、主の律法と掟と証しに歩まなかったために、今日のように、あなたがたにこのわざわいが起こったのだ。」

・3大災いは「天の女王」によるのではなく、民が神の預言に反し律法に違反したから!

24節:それからエレミヤは、すべての民、すべての女たちに言った。「エジプトの地にいるすべてのユダの人々よ、主のことばを聞け。

・エレミヤの人生最後となる神の預言が示される。
・対象はエジプトにいる全ユダヤ人難民で、特に女性に対して語られる。

25節:『イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたがたとあなたがたの妻は、自分たちの口で約束し、自分の手で果たしてきた。あなたがたは、天の女王に犠牲を供えて彼女に注ぎのぶどう酒を注ぐという誓願を、必ず実行すると言っている。では、あなたがたの誓願を確かなものとし、あなたがたの誓願を必ず実行せよ。』

・全員が「天の女王」を礼拝すると誓ったのだから、全員実行せよ!と神は語る。
※これは皮肉な言葉。彼らの心の内を確認している。(どうぞお好きなように)

26節:それゆえ、エジプトの地に住むすべてのユダの人々よ、主のことばを聞け。『見よ、わたしはわたしの大いなる名によって誓う──主は言われる──。エジプトの全土において、「神である主は生きておられる」と、わたしの名がユダの人々の口に上ることはもうなくなる。

・「主のことばを聞け」・・神がエジプトに住むユダヤ人難民に下す裁き。
・エジプトの地のユダヤ人難民は偶像礼拝に深入りして、偶像に付けた神の名前すら呼ばなくなり、神の名を忘れることになる。

27節:見よ、わたしは彼らを見張っている。わざわいのためであって、幸いのためではない。エジプトの地にいるすべてのユダの人々は、剣と飢饉によって、ついには完全に滅び失せる。

・「見よ、わたしは彼らを見張っている」・・エレ1:12でも登場。「実現しようと見張っている」。
わざわいを下すタイミングを見ている神。剣と飢饉のわざわい。
※ミツパからの難民の裁きが確定し、エジプトのユダヤ人難民全員の裁きが確定。
この裁きは、彼ら全員が全て滅ぶまで止まらない。

28節:剣を逃れる少数の者だけが、エジプトの地からユダの地に帰る。こうして、エジプトの地に来て寄留しているユダの残りの者たちはみな、わたしのことばと彼らのことばの、どちらが成就するかを知る。

・「剣から逃れる少数の者」・・ユダに戻ることになる。ごく少数の正しい信仰者たち。
・エジプトに残るユダの寄留者は、疑う余地もなく、神のことばの真実性を悟ることになる。

29節:これが、あなたがたへのしるしである──主のことば──。わたしはこの場所であなたがたを罰する。あなたがたにわざわいを下すというわたしのことばが必ず成就することを、あなたがたが知るためである。』

・神はエジプトの地で彼らを罰するしるし(エレミヤの象徴的行動)を与えると宣言。神のことばの正しさを知る。
※エレミヤの象徴的行動は、真偽の為ではなく、確認のためのしるしであった。 

30節:主はこう言われる。『見よ。わたしは、エジプトの王ファラオ・ホフラをその敵の手に、そのいのちを狙う者たちの手に渡す。ちょうどユダの王ゼデキヤを、そのいのちを狙っていた彼の敵、バビロンの王ネブカドネツァルの手に渡したように。』」

・ゼデキヤ王をバビロン王に渡したように、エジプト王ファラオ・ホフラを敵に渡すと宣言。
※歴史的背景

・ホフラ王はBC589からBC570年までエジプトを統治。
・ホフラ王は、BC570年にギリシヤとの戦いに敗れエジプトに帰るが、アマシス将軍が王位についていたので、ホフラは外国からエジプトを統治しようとした。
・BC567年にバビロンの侵攻を受けてエジプトに戻る。(43:10のバビロンエジプト侵攻)
・しかし、ホフラ王は捕えられ、2年後のBC565年に処刑される。
・この最後の預言はBC586年以降。ユダヤの民が頼りにしていたホフラ王は海外に行ったり、その間にバビロンが来たり、エジプトに帰って来たホフラが死んだりと、神のことばの正しさを知ることになる。しかし、時すでに遅し。
・神の預言は必ず成就するという学習(気付き)となる。

 

『孤高なる忠実な預言者の最後』
・エレミヤの「その後」は、聖書にはありません。外伝では、エジプトで石打ちにされたとの記録もあるようですが、事実は不明。個人的には、神の守りにより自然死で最後を迎えたと思います。
・彼は、エルサレム陥落後、幸いな人生を選ぶチャンスがありましたが、彼は神に従い、エジプトに行くことになり、そこで残りの民に、神の厳しいメッセージを告げて、その人生の幕を引きます。
・徹底した神の裁きは、エジプトの愚かなユダヤの民にも及ぶのですが、その徹底さに忠実に従い通したのがエレミヤ。まさに地上の幸いには目もくれず、神の代弁者を全うしたエレミヤ。
・我々クリスチャンもエレミヤのように地上の評価や豊かさを求めず、忠実に神に従い通す人生を送り、携挙と共に来るイエス様の評価を励みとする地上人生を走り抜けようではありませんか!
「ですから、私の愛する兄弟たち、堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主に合って無駄でないことを知っているのですから。」コリント第1 15章58節 

2026年04月30日