エレミヤ書42章7節~43章7節
ヨハナンと残されたユダヤ人のグループは、エルサレムを過ぎて、ベツレヘムの近郊でエレミヤに神の預言を要請した。彼らはその言葉に従うことを約束した。
7節:十日たって、主のことばがエレミヤにあった。
・エレミヤが要請を受けてから10日後に神のことばが、エレミヤにあった。
※ユダヤのある学者は、ラッパの祭りからヨム・キプール(贖罪の日)までの10日間と重ねる。この期間を「恐るべき日々」と言い、方向転換可能期間としている。
8節:エレミヤは、カレアハの子ヨハナンと、彼とともにいる軍のすべての高官たちと、身分の低い者や高い者をみな呼び寄せて、
9節:彼らに言った。「あなたがたは自分たちのために嘆願してもらおうと私を主に遣わしたが、そのイスラエルの神、主はこう言われる。
・エレミヤは人々を呼び寄せて、これから語る言葉は神のことばであると宣言した。
10節:『もし、あなたがたがこの地にとどまるのであれば、わたしはあなたがたを建て直して、壊すことなく、あなたがたを植えて、引き抜くことはない。わたしは、あなたがたに下したあのわざわいを悔やんでいるからだ。
・神に従えば地上的祝福が約束されることを示される。
・神はユダの地にとどまることを示された。
※「悔やんでいる」・・(ヘ)nacham・・謝罪、慰め、悲しむ事の意味であり、この場合は「民に与えた災いを悲しまれた」の訳が適切。
※裁きは下された。これからは神に従えば次は祝福となる。
11節:あなたがたが恐れているバビロンの王を恐れるな。彼を恐れるな──主のことば──。わたしがあなたがたとともにいて、彼の手からあなたがたを救い、助け出すからだ。
・バビロンの王を恐れるな。41:18参照。なぜなら、神が共にいてくださるのだから。
・安心してこの地に残れと神は示された。
12節:わたしがあなたがたにあわれみを施すので、彼はあなたがたをあわれんで、あなたがたを自分たちの土地に帰らせる。』
13節:しかし、あなたがたが『私たちはこの地にとどまらない』と言って、あなたがたの神、主の御声に聞き従わず、
14節:『いや、エジプトの地に行こう。あそこでは戦いにあわず、角笛の音も聞かず、パンに飢えることもない。あそこに私たちは住もう』と言うのであれば、
・神が民を慈しむので、それに従って、バビロン王もあなたがたを慈しみ、元の地に住まわせる。バビロン王の背後には神がおられる。
・しかし、もしこの地にとどまれと神に命じられても、それを拒否するなら・・。
※彼らは、エジプトでは争いも食糧不足もないと考えているが、それは誤った推測。
15節:今、ユダの残りの者よ、主のことばを聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。『もし、あなたがたがエジプトに行こうと決意し、そこに行って寄留するなら、
16節:あなたがたの恐れている剣が、あのエジプトの地であなたがたを襲い、あなたがたの心配している飢饉が、あのエジプトであなたがたに追い迫り、あなたがたはそこで死ぬ。
17節:エジプトに行ってそこに寄留しようと決意した者たちはみな、そこで剣と飢饉と疫病で死ぬ。わたしが彼らに下すわざわいから、生き残る者も逃れる者もいない。』
・神は、剣や飢饉がエジプトでもあなたがたを襲い、皆が死ぬことになると警告する。
※神の命令に背けば、皆が3大災いによって死ぬ。
※神への従順が求められている。
18節:まことに、イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。『わたしの怒りと憤りがエルサレムの住民の上に注がれたように、あなたがたがエジプトに行くとき、わたしの憤りはあなたがたの上に注がれ、あなたがたは、のろいと恐怖のもと、ののしりとそしりの的になり、二度とこの場所を見ることはない。』
・神の怒りは、エルサレムの時と同様、エジプトに逃れた民にも注がれると警告。
・彼らは罵りとそしりの対象となって、二度とユダの地に戻ることはないという預言。
※神は人々の偽善、失望、愚かな期待のすべてを知っておられる。
※神のみこころを無視した行動に対する憤りが裁きに繋がる。
19節:ユダの残りの者よ、主はあなたがたに『エジプトへ行ってはならない』と言われた。私が今日あなたがたに証ししたことを、確かに知らなければならない。
・エレミヤは、神がエジプトに行ってはならないという命令を包み隠さず人々に伝えた。
20節:あなたがたは、自分たちのいのちの危険を冒して迷い出てしまったからだ。あなたがたは私をあなたがたの神、主のもとに遣わして、『私たちのために、私たちの神、主に祈り、すべて私たちの神、主の言われるとおりに、私たちに告げてください。私たちはそれを行います』と言ったのだ。
・「あなたがたは・・迷い出てしまったからだ」・・「自らの魂に対して欺き」、「心の中は偽善者であった」、「致命的な過ちを犯して」、という訳が適切と思われる。
※エジプト行きが承認されると思い込み、神のことばに従うと、彼らは誓ったのである。
21節:私は今日、あなたがたに告げたが、あなたがたは、自分たちの神、主の御声を、すなわち、主がそのために私をあなたがたに遣わされたすべてのことを聞こうとしなかった。
・エレミヤは、彼らの反抗的態度を指摘した。
・彼らは、自分たちのエジプト行きが、神に逆らう行為であることを認識した。
22節:だから今、確かに知らなければならない。あなたがたが、行って寄留したいと思っているその場所で、剣や飢饉や疫病で死ぬことを。」
・神は最後の警告をもって、この預言を終わる。確かに認識するようにと!
・ユダの地にいれば、降りかかると思っていた災いが、寄留地で起こり、皆が死ぬ。
43章
1節:エレミヤが民全体に、彼らの神、主のことばを語り終えたときのこと。彼らの神、主はこのすべてのことばをもって、エレミヤを彼らに遣わされたのであるが、
2節:ホシャヤの子アザルヤ、カレアハの子ヨハナン、および高ぶった人たちはみな、エレミヤにこう告げた。「あなたは偽りを語っている。私たちの神、主は『エジプトに行ってそこに寄留してはならない』と言わせるために、あなたを遣わされたのではない。
・人々は、エレミヤの言葉を吟味・検討せず、すぐに却下する。
・アザルヤ、ヨハナンと高ぶった人たちは、エレミヤが嘘をついていると言い出した。
3節:ネリヤの子バルクが、あなたをそそのかして私たちに逆らわせ、私たちをカルデア人の手に渡して、私たちを死なせるか、あるいは、私たちをバビロンへ引いて行かせようとしているのだ。」
4節:カレアハの子ヨハナンと、軍のすべての高官たちと、民のすべては、「ユダの地にとどまれ」という主の御声に聞き従わなかった。
・エレミヤの預言には実績があり、彼らは書記官バルクが首謀者であるとした。
※この期に及んで、エレミヤの預言の正確性は否定できない。
・結局彼らは、神の指示に従わず、エジプトへ出発する。
5節:そして、カレアハの子ヨハナンと、軍のすべての高官たちは、散らされていた国々からユダの地に住むために帰っていたユダの残りの者すべて、
6節:すなわち、親衛隊の長ネブザルアダンが、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤに託したすべての者、男、女、子ども、王の娘たち、さらに、預言者エレミヤと、ネリヤの子バルクを連れて、
7節:エジプトの地に行った。主の御声に聞き従わなかったのである。こうして、彼らはタフパンヘスまで来た。
・周辺諸国からの帰還民(40:11~12)と、ミツパにいた民も神の指示に反発。
※エレミヤとバルクは、強制されてエジプトに行くこととなる。
・「タフパンヘス」・・聖書地図3(B・2)。エジプトの前線基地。相当な距離を移動した。
※彼らが神に不従順であることが強調されている。時間が経過している。
※神に聞き従わない姿勢→能動的な反抗姿勢。
※エジプトに行こうとする姿勢→積極的な反抗姿勢。
<申命記28:64~68・・不信仰の結果下る呪いの一つが記されている>
・世界に散らされ、偶像に仕え、不安と恐怖の中に生きることになり、自分自身を奴隷として売ろうとしても売れない状態となる。
『神との対話』
・ヨハナンたちは、エジプト行きを決めた後しばらくして、神に尋ねている。 このことからも、神殿破壊の直前のイスラエルの民は、神との親しい交わりがなかったと思わざるを得ない。
・彼らの質問も、神と自分たちの思いは同じという自己中心的な発想による。従うとは言うものの、エジプトまでの道中を守ってくれと言わんばかりのご都合主義で、まるで異邦人である。
・イシュマエルと異なり、ヨハナンたちは、同胞を救い、守ろうという点では良いのだが、神に尋ねることを最優先にしていない。自分たちの意に反すれば、言い訳して逆切れしてしまうのである。
・私たちクリスチャンは、主に従い、主に喜ばれることを優先する者。決して、事前に答えを持って従うのではなく、神を最優先し、日々主と対話し、聖霊に応答しつつ、聖化して行くのである。
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」ピリピ4章6~7節